赤字だったバス路線が廃止……。
MAYA MAXXがペイントした
コミュニティバスが誕生!

人口減少によるバス路線の廃止。住民の足はどうなる?

美流渡(みると)地区は、岩見沢駅より車で30分ほどのところにある。
運転が苦手な私にとって、地域と駅を結ぶ路線バスは、
1~2時間に1本と本数は少ないながらも重要な交通手段となっていた。
 
この路線は、人口減少が進み利用客が少なく、
市からの補助によってなんとか運行してきたが、昨年夏に、
「2022年3月末で廃止される」というニュースが飛び込んできた。
日頃バスを利用している私にとって、たいへんショックな記事だった。
しかし、同時に「代替交通手段が検討されている」とも書かれていた。
 
この代替交通の内容について詳しく知ることができたのは、昨年末のこと。
市の担当者から、こんな連絡を受けたからだった。
 
「これまでのバス路線の廃止にともない、
新しくワゴンタイプの車両が運行されることになったので、
ラッピングのデザインをMAYA MAXXさんにしてもらえませんか?」

ワゴンタイプの新車両。

ワゴンタイプの新車両。

一昨年に美流渡地区に移住した画家のMAYAさんと、
さまざまな活動をともにしてきたことから、
私に連絡が入り、間をつなぐこととなった。
 
代替交通の内容としては、
これまで〈北海道中央バス〉が運行してきた「万字線」を廃止し、
代わって地元のタクシー会社である〈日の出交通〉が
コミュニティバスを運行するというもの。
 
大型バスから10人乗りのワゴンタイプの車両へと変更し、
地域住民のニーズに沿ったダイヤを設定。
これまでより運賃を低く抑える計画となっていた。
 
市の担当者によると、今回、MAYAさんにラッピングデザインを依頼したのは、
地域の人たちの声があったからという。
昨年、MAYAさんが旧美流渡中学校の窓に張られた板に描いた絵を見て、
バスにも愛らしい絵があったらいいのではと思ったそう。

3年前に閉校した旧美流渡中学校の板に絵を描くMAYAさん。

3年前に閉校した旧美流渡中学校の板に絵を描くMAYAさん。

この話を聞いてMAYAさんは、
「デザインをしたシートを貼るんじゃなくて、車体に直接絵を描きたい」と提案。
3月に約1週間かけてペイントを行う段取りとなった。

10年以上前に、MAYAさんは京都府立私立幼稚園連盟による「えほんのじどうしゃ」の車体に絵を描いたことがある。

10年以上前に、MAYAさんは京都府立私立幼稚園連盟による「えほんのじどうしゃ」の車体に絵を描いたことがある。

グローバルな田舎町?
岡山県和気町に、
海外から移住する理由とは

写真提供:和気町

岡山県の南東部に位置する和気町(わけちょう)。
岡山駅から電車で約30分、豊かな自然に恵まれた人口13600人ほどのこのまちに、
移住者が増えているといいます。

和気町への移住者はこの5年間で500人を超え、
関東や関西から移住する子育て世代に加えて、
ニューヨークやロンドンをはじめとした海外生活の経験がある移住者も増えています。
海外での暮らしを経て、和気町で暮らすことを選んだ4家族を取材しました。

リモートワークで活躍する傍ら、備前焼の魅力を発信

最先端のカルチャーや技術とは無縁と思われそうな田舎町、和気。
ここで暮らす移住者に、ハリウッド映画のVFX(CGによる視覚効果加工)を
手がけるクリエイターがいる。
『スパイダーマン』などのVFXを手がけたファビオ・ピレスさんだ。
2019年、ニューヨークから妻の三村絵美さんと子どもたちと共に移住してきた。

約20年のアメリカ生活を経て移住した三村絵美さんと、夫のファビオ・ピレスさん。日々の暮らしでも備前焼のカップを。モダンな暮らしにもなじむ佇まい。

約20年のアメリカ生活を経て移住した三村絵美さんと、夫のファビオ・ピレスさん。日々の暮らしでも備前焼のカップを。モダンな暮らしにもなじむ佇まい。

「移住先の候補に、和気町は考えたこともなかったです」

候補は広島と岡山、そして和歌山。帰国中の1か月間で
3か所を巡る予定を立てていた絵美さんが笑いながら話す。

「移動の途中、和気町は2週間からお試し住宅を利用できると知って
訪れてみたのがはじまり。
コンパクトなサイズ感のまちで、コミュニケーションのやりとりもラク。
移住者やまちそのものにポテンシャルを感じました。
将来の姿がなんとなく見えやすかったのも、移住を決めた理由のひとつになりました」

まちが持つポテンシャル? 
それってどういうこと、と聞く前にファビオさんが続けてこう話す。

「町役場に出向けば、言葉がわからなくてもわかろうとしてくれる。
この個人を受け入れようとしてくれる姿勢が和気には強くありました。
人口が減るなかで価値があるのは人。そして人こそが資源。
人がやりたいこと、やろうとすることが発展につながるものなので、
そうした人の動きを町が認識してサポートしてくれることこそ、和気のポテンシャル」

なるほど。コンパクトだからではなく、まちそのものが暮らす人々をつなぎ、
サポートする姿勢にあふれているのだ。

小学生の娘、未就学児の息子と娘の、子ども3人とのんびり散歩を楽しむ時間も大切。

小学生の娘、未就学児の息子と娘の、子ども3人とのんびり散歩を楽しむ時間も大切。

「it takes a village to raise a child」

子どもをひとり育てるのに、村全体が協力する。
このまちに暮らして実感を持った言葉だと絵美さん。

「医療費が18歳まで無料。これは大きな恩恵ですが、それ以上に人のよさに尽きます。
子どもが自転車でそこらへん回ってきていい? と聞いてきても
安心して行っておいでと。みんながうちの子どもだと知っているし、
なにかあったら連れて帰ってきてくれる。
みんなで子育てしようという、いいかたちが残っている気がしますね」

田舎ならではのことかもしれないけれど、と続けたが、
このあと出会った人の話を聞くと和気ならではのような気もした。

家の裏は見晴らしのいい景色が広がる。「見える範囲ならどこに行ってもいいよ」と絵美さん。

家の裏は見晴らしのいい景色が広がる。「見える範囲ならどこに行ってもいいよ」と絵美さん。

たとえばニューヨークでは、自宅のベランダであっても
子どもがひとりで遊ぶことは許されない。そして高額の医療費と教育費。
せわしなく過ぎるニューヨークの日常のなかでは、
なにもしない時間にも罪悪感を感じていたという。

ここでの暮らしは、ニューヨークとは180度異なる。

「和気にきて、初めてなにもしない時間が尊いものだと感じられました。
この自然豊かな地で、のんびりと過ごしながらも
新たなクリエイトにチャレンジする人は多い。
それが学びにも、そして刺激にもなる」と、ファビオさんは、新たにAIを学習中。
畑にイノシシがくると教えてくれるシステムも考案した。

ファビオさんのワークスペース。最先端映像が映るモニターの横には田んぼや畑。

ファビオさんのワークスペース。最先端映像が映るモニターの横には田んぼや畑。

夫婦共にクリエイター。絵美さんはWebデザイナーとして、
ニューヨークで暮らしていた頃からリモートワーク。
現在もその仕事を続けながら、新たにWebサイトを立ち上げた。
それが、備前焼の魅力を世界へ届ける『motsutou.com』
Webデザインやテキストは絵美さん、撮影はファビオさんが担当し、
時にぶつかりながらも二人三脚で歩みを進めている。

「伝統工芸はそのルーツを含めて、受け継いでいってほしいもの。
備前焼でもその歴史を受け継ぎ、新たな挑戦を続ける若手作家が存在しています。
彼らの作品が多くの人に届くお手伝いになればと思い、サイトを立ち上げました。
和気のオーガニック糸なども、備前焼を取り巻く日常品として捉えて
発信できればと考えています。備前というエリアを活性化できれば。
若い人たちが都会ではなく、この地で働きたいと思う場所になればいいなと」

ポテンシャルがあるなと思ったから。
その言葉を見えるかたちにするためのチャレンジもスタートしている。

ふたりのお気に入りは、備前焼のイメージを変えようとチャレンジする若手作家の作品。

ふたりのお気に入りは、備前焼のイメージを変えようとチャレンジする若手作家の作品。

北海道に残る
かわいい三角屋根の家で
理想的な北国暮らしを始めたい

屋根に積もった雪が、自然に落ちるよう設計された三角屋根の家。
1960年代以降に北海道の建売住宅の定番となり、
同じ形の家が均等に建ち並ぶ風景がそこかしこで見られるようになった。
しかし近年、人口減少や住宅事情の変化などにより、徐々に空き家が目立つように。
そこで北海道三笠市が、この昭和レトロな建物内部を暮らしやすくリフォームした。
スタイリストによる室内のコーディネートで、
理想の北国暮らしを思い描いてもらえるモデルルームに変身。
かわいらしい三角屋根の下で、あなたならどう暮らす?

レトロな北海道の住宅を、現代風にアレンジ

「いまある空き家を、このまま廃れさせるのではなく、資源として活用したい。
移住希望者のみなさんに『古い家も改装すればレトロでかわいくて住みやすい』ということを
実感していただきたいと思い、この取り組みを始めました」

そう話すのは、三笠市の定住対策係の担当者。
きっかけは、手入れされる前の空き家を見た移住希望者の
「移住後の生活がイメージできない」という言葉だった。
「三笠市でこんな暮らしがしたい」と想像が膨らんで
ワクワクするようなモデルルームがあれば、
もう少し前向きに移住を検討してもらえるのではないか、と思ったという。

「そこで市が、三笠市での暮らし提案として、
空き家を1軒リフォームするプロジェクトを立ち上げました。
その候補として今回挙がってきたのが、
かつて北海道の建売住宅の定番だった三角屋根の家です」

三角屋根は雪が落ちやすい。

三角屋根は雪が落ちやすい。

屋根の上の雪を落とすために考えられた合理的な構造だが、
家主が自分の好みで屋根や外壁の色を塗るケースも多く、
カラフルな三角屋根の家が建ち並ぶエリアはまるでおもちゃ箱のよう。
本州からの来訪者は「北欧みたい」と思わずカメラを向ける。

三角屋根の家自体、古い構造のものが多いため、
今回のプロジェクトでは現代のライフスタイルに合わせて間取りから変更させた。

リフォーム前。(写真提供:三笠市)

リフォーム前。(写真提供:三笠市)

「昔の家は細かく区切られていて、小さい部屋がたくさんありますので、
1階は壁を取り払うなどしてリビング・ダイニング・キッチンを広々とつくりました。
子育て支援にも力を入れている三笠市として、
ご家族で移住される方を想定した間取りにしています」

リビング側からダイニングを。

リビング側からダイニングを。

より魅力的な生活を演出するために、スタイリストの吉田佳世さんにも協力してもらった。
「リフォームの仕方やインテリアの選び方など、
これから三笠市で中古物件を探して改装する際の参考にしてほしい」と担当者は話す。

余白があるからチャレンジできる。
「デザインとクリエイターの力」で
盛り上げる静岡県焼津の
まちづくりとは?

静岡市から電車で約10分。
東京にも1時間20分ほどで出られる焼津市。
江戸時代からカツオやマグロなどの水産業が盛んで、
静岡県で愛されている黒はんぺんは、このまちの名産品となっている。

水産業が盛んな焼津。ツナ缶などはふるさと納税の返礼品でも人気だ。

水産業が盛んな焼津。ツナ缶などはふるさと納税の返礼品でも人気だ。

現在まちの人口は約13.7万人。
郊外に住宅地が広がる一方で、駅前の商店街の人通りはまばら。

「昔は隣を歩く人と肩が触れるくらい
駅前の商店街も賑わっていたそうです。
シャッター街とまではいわないですが以前よりは少し寂しくなっていますね」

人通りはまばらだが、港まちらしく温かく人情味のある焼津駅前商店街。

人通りはまばらだが、港まちらしく温かく人情味のある焼津駅前商店街。

そう語るのは、焼津駅前商店街でコワーキングスペース
〈Homebase YAIZU〉を運営する〈株式会社ナイン〉の代表・渋谷太郎さん。
焼津には若者が少ないというが、
ここHomebase YAIZUにはクリエイターの卵となる若者が集まっている。

薪ストーブのある暮らし、
どうやって薪を集める?

わが家に薪ストーブがやってきた

小豆島で暮らし始めて10回目の冬、
ようやく我が家に薪ストーブが設置されました。
すでに季節は春に向かっていますが、
わが家では薪ストーブがうれしくて毎日火を入れています。
気づけばストーブの前は猫たちの特等席に。
幸せそうで何より。

何も教えていませんが、自然と集まってくる猫たち。よく知ってますね、暖かい場所。

何も教えていませんが、自然と集まってくる猫たち。よく知ってますね、暖かい場所。

どの薪ストーブにしようか、家の中のどこに置こうか、
そもそもどれくらいお金がかかるのか、
どうしようかなぁ、どうしようかなぁと考えているうちに、
あっという間に年月が流れ、冬が何度も過ぎていきました。

冬が来るたびに今年こそは! と思いつつ、実現せず……。
でも今年の冬は寒い日が多かったうえに、灯油も異常な値上がり。
石油や電気に頼らなくても暖をとれる薪ストーブが必要だなと
心を決めて、具体的な導入計画をスタート。
なんとかこの冬に間に合いました。

初火入れの日。ただ薪を入れればいいんじゃなくて、最初の焚き付け、薪の入れ方、並べ方など、ちゃんと燃焼できるように知っておくことは多い。

初火入れの日。ただ薪を入れればいいんじゃなくて、最初の焚き付け、薪の入れ方、並べ方など、ちゃんと燃焼できるように知っておくことは多い。

猫も人も暖かい場所に集まります。家の中に新たな居場所ができました。

猫も人も暖かい場所に集まります。家の中に新たな居場所ができました。

煙突と積まれた薪。ニヤニヤしてしまいます、この風景。

煙突と積まれた薪。ニヤニヤしてしまいます、この風景。

ちなみにわが家の薪ストーブ導入コストは、ざっとですが

薪ストーブ本体 8万円

煙突一式 30万円

屋根、土台工事 20万円

という感じです。
薪ストーブ本体の価格はブランドや機能によって
さまざまなので、ひとつの参考として。

屋根に穴を開けるのは大変です。地元の大工さんに手伝ってもらいました。

屋根に穴を開けるのは大変です。地元の大工さんに手伝ってもらいました。

薪ストーブは100キロほどあるので、床もそのままでは載せられず補強工事。

薪ストーブは100キロほどあるので、床もそのままでは載せられず補強工事。

さて、薪ストーブを設置するまでも大変でしたが、
実際に使いだしてから気づいた大変なこと、
「燃やすものがない!(笑)」
いや、わかってたんですが、そうなりますね。
薪ストーブの燃料となる薪(木材)が大量に必要なんです。

どうやって薪を手に入れようか。
まさか、これだけ木々に囲まれた場所で暮らしているのに、
通販で薪を買うなんて選択肢はうちにはありません
(そんなお金もないし……)。
身近な場所で集めるんです。

伐採されて積まれた木。持ち帰っていいよと聞いて、もらいに行きました。

伐採されて積まれた木。持ち帰っていいよと聞いて、もらいに行きました。

軽トラに山盛り積んで帰ります。

軽トラに山盛り積んで帰ります。

自分たちの暮らしに薪が必要という状態になって、視点ががらっと変わりました。
山などで伐採された木材や、解体された木造建物の廃材は、
いまの私たちにとって宝の山。
いままではなんとも思っていなかった、
むしろどうやって処分しようかと悩んでいたものが宝になるんです。
ゴミじゃなくて必要なものになる!

いままではただの廃材の山でしたが、いまの私たちにとっては燃料の山。いただいて帰ります。

いままではただの廃材の山でしたが、いまの私たちにとっては燃料の山。いただいて帰ります。

伊豆下田に移住して5年。
暮らし、仕事、地域との関わりは
どう変わった?

あらためて振り返る、
下田での5年の日々

伊豆下田に移住してちょうど5年が経つ津留崎さん一家。
その間、いろいろな出来事がありました。
暮らしは、働き方は、地域との関わり方は、どう変わっていったのか。
よかったこと、難しいと感じたことなど、
5年間の移住生活を振り返ってみました。

富士山を望む絶好の立地!
暮らしの中心にあるのは、
キャンプから生まれた家族の時間

転勤族が選んだ定住の地

神奈川県小田原市、富士山を望む抜けのいい場所に、
〈BESS〉の「G-LOGイスカ」というモデルを
2021年8月に建てたばかりの笹平さん一家。
笹平忠睦さんは転勤が多い仕事で、
これまで京都、島根、鳥取、広島、北海道、山口、千葉……と、
数年に1度は引っ越しを繰り返していた。

長男がこれから中学校に上がるタイミングもあり、
それから引っ越したのではまた転校させてしまうことになる。
そこで家を建て、定住の地を構える決意をした。
とはいえ、全国各地に住んできた笹平さんにとって、どこにしようか迷うところだろう。
住む場所を決めた理由は、シンプルな考え方だった。

2階はリビングスペースとして使用。

2階はリビングスペースとして使用。

「これからも私の転勤はあるので、
全国からの交通の利便性が高い関東エリアを選びました。
関東に家があれば、たとえば北海道に転勤になろうとも、鹿児島に転勤になろうとも、
帰ってきやすい。北海道に家があっても、九州に転勤になったら帰るのが大変ですよね」

確かに関東であれば、日本のどこでもアクセスしやすいので、
単身赴任になっても、月1回など帰りやすい。
さらに子どもたちが大きくなって、家から旅立つ日が来たとしても、
関東に家があれば同じように帰省しやすいだろう。

庭でちょっとした家庭菜園もできる。

庭でちょっとした家庭菜園もできる。

さらに家族の理想とする暮らしを実現しつつ、
「関東でありながら自然が豊かで、庭でBBQができるような。
できれば富士山が見えて、海が近いエリア」となると、
確かに小田原は有力候補だ。

「近くには煙突が立っている家もあったし、そもそもBESSの家が数軒あった。
だから庭でBBQや焚火をしたり、薪ストーブも大丈夫じゃないかなって」

似たような価値観を持つ人が近くにいることがわかると安心できる。
周囲は住宅地ではあるが、笹平さんのお宅は角地に建っていて、目の前は田んぼだ。

「田植えの時期は、風の流れがわかるように苗が揺れたりして、
料理したり洗いものしたりしながら眺めると気持ちがいいです」と
奥さんの由季さんも言う。キッチンに開けられた窓からはそんな風景がよく見える。

キッチンの窓からは四季折々の田んぼの様子が見える。

キッチンの窓からは四季折々の田んぼの様子が見える。

家ごはんが増えると、幸せも増える?
おいしい! はわが家の食卓にある

島に移住してから減った外食

この1~2年で、働き方や暮らし方が
大きく変わったという方は多いのではないでしょうか。

いままで毎日電車で1時間かけて通勤してたのに、
その通勤がなくなり家で働くことになった。
1週間の半分くらい夜は飲みに行ってたのに、ほぼ行かなくなった。
都会で暮らしていたけど、地方に引っ越した。
などなど、いろんな変化があったと思います。

そんな変化のひとつに、以前はよく外食してたのに、
いまはほとんど家でごはんを食べるようになった! という方、多いと思います。

この日のごはんは、野菜たっぷりカレーライス。

この日のごはんは、野菜たっぷりカレーライス。

色とりどりの野菜が、お皿の中を楽しくしてくれます。

色とりどりの野菜が、お皿の中を楽しくしてくれます。

私も名古屋で暮らしていたときはよく外食していました。
平日のお昼ごはんは、オフィス近くのごはん屋さんやカフェで
よくランチしてましたし、仕事終わりに飲みに行くことも多かったです
(子どもができてからはなかなか行けなくなりましたが)。

とにかく、まちには飲食店がめちゃくちゃたくさんあって、
とりあえずあの店に入ろうかという感じでいけちゃうんですよね。
外食することが普通でした。

小豆島に引っ越してからは、それがぐっと減りました。
なぜなら単純に飲食店が少ないし、営業時間も短いから(笑)。
ふらっとカフェに立ち寄るなんてことはほぼなく、事前に営業日時を調べて、
そこに行こうと決めて、わざわざ行くという感じ。

観光客の人に、夜ごはんおすすめありますか? とよく聞かれますが、
夜遅くまで開いてるお店は少ないし、予約制のところが多いです。
下手すると夜ごはん食べそびれちゃったりするので要注意です。
都会と田舎では外食事情は大きく違いますね。

そう、私たちはコロナ関係なく、外食することは少なくて、家で食べることが多いです。
もともと外でごはんを食べることが好きな私たちにとって、
最初は仕方なくという感じでしたが、
最近ではポジティブに家で食べようと思うことが増えました。
なぜなら、家ごはんがおいしいから!

つまみ食いが止まらなくなる紫イモのロースト。ちょうどいい甘さ。

つまみ食いが止まらなくなる紫イモのロースト。ちょうどいい甘さ。

表面にちょっと焦げ目をつけた大根ソテーに、自家製味噌と生姜をあわせた生姜みそをのせて。

表面にちょっと焦げ目をつけた大根ソテーに、自家製味噌と生姜をあわせた生姜みそをのせて。

捨てず、買わずにDIY!
引っ越しの体験から生まれた
わが家のエコな工夫

モノの出口を考えるようになった、
その理由

古民家を購入し、リノベーションして暮らし始めた津留崎さん一家。
引っ越しの際、大量のモノと向き合うことになったことから、
その後、以前よりもモノの存在を意識するようになったという徹花さん。
モノの出口を考えるようになってようやく見えてきた、
徹花さんなりのモノとのつき合い方とは…?

みんなが気持ちを寄せ合う場所を
美流渡に本気でつくりたい

移住しても、心は東京を向いていた

3月11日が近づいてくると、思うことがある。
私は何かできたことがあったのだろうかと。
とても抽象的で捉えどころがないのだが、何かこのままの状態ではいけないような、
そんなザワザワとした感覚が湧き起こってくる。
その感覚は、これまでは重苦しさが伴っていたのだけれど、ほんの少しだけ今年は違う。
小さな決意のようなものが、胸に灯っている。

振り返れば11年前。
東京で激しい揺れを体験し、その後に福島第一原発の事故を知った。
当時、5か月だった息子を抱え恐怖に慄き、
京都、北海道、沖縄とさまざまな場所に身を寄せた。

いったんは東京に戻ったものの、関東一帯にもホットスポットができていて、
ここで子育てするのは難しいと感じ、当時育児休暇をとっていた勤め先の出版社に、
復帰後は在宅勤務をしたいと申し出た。
勤務地として希望したのは、夫の実家のあった北海道岩見沢市。
ラッキーなことにOKとなり、震災から4か月後に移住した。

東京を脱出できた大きな安堵感とともに、居心地の悪いザラザラした気持ちが残った。
当時住んでいた小金井市では、
子どもが安心して暮らせる未来をつくりたいと活動をする人々がたくさんいて、
講演会の開催や議会への提案などが活発に行われていた。
震災後、わずかな期間ではあったけれど、それらの活動に関わらせてもらい、
不安な気持ちを共有でき、どんなに救われたかわからない。

私が北海道へ移住することを、みんな応援してくれたのは本当にうれしかったけれど、
同時に自分だけがよければいいのか? と自問自答した。
さらには在宅勤務で同僚には不便を感じさせただろうし、
ハードワークのなかで心身の不調を感じ辞めていく同僚に
気持ちを寄せることもできなかった。

小金井市を中心に活動する〈子どもと未来を守る小金井会議〉が震災から5年の節目に刊行した冊子。これまでの活動記録とともに、メンバーの震災体験の手記が掲載されている。

小金井市を中心に活動する〈子どもと未来を守る小金井会議〉が震災から5年の節目に刊行した冊子。これまでの活動記録とともに、メンバーの震災体験の手記が掲載されている。

やり切れなさが積み重なっていったなかで、7年くらい前のことだと思うが、
当時京都に住んでいた20年来の友人でもある画家のMAYA MAXXさんが、
「みっちゃん、エコビレッジを北海道につくったら」と提案してくれた。
エコビレッジがあれば東京の友人たちを招く拠点になるかもしれないと思い、
やってみたいと考えるようになった。
そのとき私は、岩見沢市にいながら東京のほうばかりを向いていた。

全国のみなさん、
最近「ときめいたもの」って
なんですか?

今月のテーマ 「ときめいたもの」

たまたま店で見かけた作家の器、
おいしいごはんや新作の地元のお菓子、
初めて訪れた場所の風景……などなど、
何気ない暮らしのなかにもちょっとした感動や心踊る瞬間はあります。

最近「ときめいたもの」について
今回は全国にお住まいのみなさんに聞いてみました。

長引くコロナ禍のなかにも
「ときめき」は日常にたくさん溢れています。

【北海道羅臼町】
一夜明けると風景ががらりと変わる。心躍る、白の世界

2月上旬、北海道知床半島に流氷が着岸しました。
昨日まで白波が立って賑やかだった海が、
一夜明けてシーンとしていました。
そこには真っ白の海が。

流氷が近づくと波が打ち消され
とても穏やかで静かな海になるのです。
「対岸の国後島まで歩いて行けるんじゃ……」と思えるほど
びっしり流氷に覆われていました。
(危険なので流氷に乗ってはいけません!)

流氷

耳を澄ましてみると、
シーンとした世界の奥のほうから子どもたちが
雪で遊ぶ声と鳥たちの鳴き声が聴こえてきます。
心躍る瞬間です。

静けさを運んできてくれる流氷。
実は自然界にも大きな影響を与えています。
ロシアのアムール川から潮の流れに乗ってくる流氷は、
その氷の中にたくさんのミネラルを含んでいます。
そのミネラルがプランクトンのエサとなり、
プランクトンが小魚を養い、
小魚を求めてウミワシやアザラシたちがやってくるんです。

知床羅臼町にはこのワシと流氷を同時に観察できる
アクティビティ「流氷・バードウォッチングクルーズ」があります。
数十羽のオジロワシ・オオワシが頭上を舞い、
辺り一面、流氷で埋め尽くされます。

日本とは思えない景色が広がっています。
羅臼に来た際には、ぜひこの異世界を体感してみてください。

photo & text

佐脇 星 さわき・ひかり

兵庫県神戸市の人工島で生まれ育つ。子どものときに読んだ「シートン動物記」をきっかけに野生動物が好きになり、「野生動物の息吹を身近に感じられるところに住んでみたい」という思いから、大学卒業後、世界自然遺産の町である知床羅臼町の地域おこし協力隊に着任。関西人から見た羅臼町の魅力をSNSで発信している。

リノベーションした古民家の離れに
高齢の母もお引っ越し!
わが家の二世帯移住

移住と親の老後について

伊豆下田に移住してもうすぐ5年になる津留崎さん一家。
移住の1年後には、東京で暮らしていた母も
歩いて3分の距離に移住してきましたが、
津留崎さん一家が下田で取得した古民家に引っ越すことになり、
さて母はどうする……?
移住には、こんなスタイルもあります。

白菜のナバナにチンゲンナバナ。
春のナバナをおいしく楽しむ!

春の楽しみな野菜が登場!

2月後半、小豆島でも寒い日が続いていますが、
立春(2月4日)を過ぎ、春の日差しを感じる日が少しずつ増えてきました。
日もだいぶ長くなり、夕方5時でもまだ明るいねと話しながら畑仕事しています。
外で仕事していると、そんなちょっとした季節の変化に敏感になります。

立春の頃に咲く梅の花。寒い寒いと思っていても、春に向けて植物たちは動き出しています。

立春の頃に咲く梅の花。寒い寒いと思っていても、春に向けて植物たちは動き出しています。

さて、この2月後半~3月後半にかけて楽しみな野菜があります。
それは「ナバナ」!

春のナバナ。チンゲンナバナやキャベツのナバナ、紅菜苔(こうさいたい)、アスパラ菜など。

春のナバナ。チンゲンナバナやキャベツのナバナ、紅菜苔(こうさいたい)、アスパラ菜など。

花を咲かせようとにょきにょき伸びてきた茎葉とつぼみの部分が「ナバナ」。

花を咲かせようとにょきにょき伸びてきた茎葉とつぼみの部分が「ナバナ」。

先日いつものようにみんなで野菜出荷作業をしていて、
「ナバナって都会で暮らしているときはスーパーで見かけても
あんまり魅力を感じなかったし、買わなかったよね~」
「わかるわ~。あの紙でぐるっと巻かれて四角くなってるやつよね」
そんな話をしてました。

その日は「チンゲンナバナ」の初ものを収穫、出荷しました。
チンゲンナバナ? チンゲン菜?
チンゲン菜はみなさんよく知っていると思いますが、
チンゲンナバナはチンゲン菜のナバナなんです。

チンゲン菜のナバナ、チンゲンナバナ。2月中旬頃から収穫が始まります。

チンゲン菜のナバナ、チンゲンナバナ。2月中旬頃から収穫が始まります。

チンゲンナバナの茎の部分はとても柔らかくて甘くておいしい。

チンゲンナバナの茎の部分はとても柔らかくて甘くておいしい。

ナバナというのは、小松菜や白菜、チンゲン菜、かぶなど
アブラナ科の野菜が花を咲かせようと「とう立ち」した葉茎とつぼみの部分。
だから、小松菜のナバナ、白菜のナバナ、チンゲン菜のナバナなど、
いろんな種類のナバナがあるんです。

味も見た目も違っていて、ナバナは春の楽しみな野菜のひとつです。
昔はあまり魅力を感じなかった野菜ですが、
いまや私たちにとってナバナはテンションが上がる春の楽しみな野菜!

高菜のナバナ。ぴりっとわさびのように辛さのあるナバナ。食べると辛さがやみつきになります。

高菜のナバナ。ぴりっとわさびのように辛さのあるナバナ。食べると辛さがやみつきになります。

島の未来を紡ぐためにーー
写真家・在本彌生さんと式根島で
ワーケーションの“その後”を考えた

海に湧く天然温泉、煌めく星々と静かな夜。
海は、いつだって美しい

東京・竹芝桟橋から南へ160キロほど離れた式根島へは、高速ジェット船で約3時間。
調布飛行場から新島行きの飛行機に乗れば、連絡船に乗り継いだ隣島になる。

東京都新島村にある式根島は、徒歩で散策すると
半日ほどで島のスケールを体感できる、面積3.7平方キロメートルの小さな島だ。
周囲を囲む切り立ったリアス式海岸では
黒潮の影響で年中集まってくる多様な魚種を目当てに、釣り人が集う。

そうかと思えば、島の南側の海辺には天然温泉が湧き、
毎夜の如く星を眺めながらの野天湯という楽しみも。
地球の胎動がつくり上げた地形と
それに寄り添う人の暮らしが息づいている。

まずは、〈足付(あしつき)温泉〉に足を浸ける。足に傷を負ったアシカが温泉に入っていたことに由来し、島では外傷にいいと言われているとか。

まずは、〈足付(あしつき)温泉〉に足を浸ける。足に傷を負ったアシカが温泉に入っていたことに由来し、島では外傷にいいと言われているとか。

information

map

足付温泉 
あしつきおんせん

住所:東京都新島村式根島1006

Web:新島村観光情報サイト

夏は溢れんばかりの海水浴客で賑わう式根島だが、
シーズンオフは、観光地然とした表情はまったくない。
冬は、海岸線に髙波が打ちつける険しい風景もあれば
島の人たちとのたおやかな交流を持てる時間もあり、
どこか温かなムードがある。

そんな冬の式根島を訪ねたのは、写真家の在本彌生さん。
欧州と日本を往来する国際線の客室乗務員から写真家へ転身、
旅先でインスピレーションを得たものを作品にすることの多い在本さんは
カメラを持って旅することが日常の、いわば旅の達人だ。

夏場は家族連れなど海水浴客で賑わう式根島だが、
シーズンオフともいえる冬場のタイミングはカメラを持って歩くのにいい。
ゆっくりとした速度で在本さんと一緒に歩けば、
写真家がどんな風に一瞬の魅力を切り取っていくのかが見えてくる。

今回は、1泊2日の滞在で在本さんが抱いた式根島の印象に加え、
来訪者の長期滞在を可能にするコワーキングスペース、
〈式根島コワーキングスペース〉を運営する下井勝博さんと
旅先での仕事を可能にする“ワーケーション”について語ってもらった。

地域でのインタビューは
“仲良し”の秘訣…!?
奥底にある本当の声を聞きたくて

苦手だった文章を書くことと向き合った連載

コロカルのこの連載は、スタートから6年が過ぎた。
日頃から出版に関わり、ライターとしても活動をしている自分にとっては、
文章を書くことの鍛錬の場でもある。

連載が始まったのは長年勤めていた出版社を辞めて独立したばかりの頃。
最初は自分の暮らしや地域の人々について
どのように書いたらいいのかわからず困惑していた。

出版社で働いていた頃は、編集部や会社といった
組織の考えにそった匿名性の高い内容の文章を書くことが多かったため、
まったく異なる領域に踏み込んだ感覚があった。
もともと美術系の高校・大学に進学し、絵ばかり描いていて、
文章を書く経験は少なかったし、本を読むのも苦手だったこともあり、
書くことにコンプレックスがつきまとっていた。

2年前に自宅とは別に仕事場を設けた。取材で出かける以外はひとり部屋にこもって編集や執筆を続ける。

2年前に自宅とは別に仕事場を設けた。取材で出かける以外はひとり部屋にこもって編集や執筆を続ける。

最初のうちは連載記事に1週間を費やしたこともあった。
取材で収録したインタビューの音声起こしを始めれば、
途中で眠くなってしまって、なかなか前に進められず3日間をかけてしまったり。
つい長く話を聞いてしまって、とにかくそれを端から端まですべて文字に起こしていた。
こうしてできた大量の音声起こしの原稿を解読するのに、またも時間を費やし、
さらにはその中から骨子を見つけ出すのに2、3日使ってしまい……。

仕上がった原稿の多くは長文。
コロカルの担当編集さんに「また、大作ですね」と言われることもしばしばだった。
要点をシンプルに伝えられない自分に、もどかしさが募った。

連載でもっとも執筆に時間がかかったのは、南インドの出版社〈タラブックス〉の編集者が来日したときのシンポジウムをまとめた記事。タラブックスみたいな本づくりをしたいと思っていたので、思い入れがありすぎて長文になってしまった。

連載でもっとも執筆に時間がかかったのは、南インドの出版社〈タラブックス〉の編集者が来日したときのシンポジウムをまとめた記事。タラブックスみたいな本づくりをしたいと思っていたので、思い入れがありすぎて長文になってしまった。

わが家の冬の恒例行事!
家庭でできる味噌仕込みのレシピ

試行錯誤を繰り返しできた、
わが家の味噌レシピ

津留崎徹花さんが伊豆に移住する前から続けている味噌仕込みも、
今年で10年目。この10年でいろいろな変化がありましたが
味噌仕込みは津留崎家の冬の恒例行事となっています。
少し手間はかかりますが、意外と簡単にできるという味噌づくり。
この冬、試してみてはいかがでしょう?

熊本〈橙書店〉の田尻久子さんに聞く
日常のなかの第3の場所

本業は、〈橙書店〉の店主です

熊本に〈橙書店(だいだいしょてん)〉あり。
本好きの人たちの間では、そんなふうにさえ言われる。
名だたる詩人や作家が信頼を寄せ、
かの村上春樹が、秘密の朗読会を開いたこともある。

〈橙書店〉の前身である雑貨と喫茶の店〈orange〉がオープンしたのは2001年。
〈orange〉の隣の空き店舗を借り増し、〈橙書店〉が誕生したのは08年のこと。
そして16年の熊本地震をきっかけに、〈橙書店 オレンジ〉として
現在の場所へ移転。今に至る。

古い雑居ビルの2階にある、70平方メートルほどの広さの店内。

古い雑居ビルの2階で、バレエ教室として使われていた70平方メートルほどのフロアを改修した。

店内には、店主の田尻久子さんが選んだ新刊が主に置かれている

扱っているのは主に新刊で、店主の田尻久子さんが1冊1冊、丁寧に選んだ本が並ぶ。書店の向かいの部屋にはギャラリーも。

店主の田尻久子さんは忙しい。
なぜなら〈橙書店〉は、書店であると同時に喫茶店でもあり、
展示会などを行うギャラリーも併設している。
熊本発の文芸誌『アルテリ』の編集室も担っていて
最近では、絵本などの発行元になることもある。
田尻さんは、そのすべてにまつわる膨大な業務やら雑用やらをこなし、
自ら、エッセイも書く。

平日の昼下がり、〈橙書店〉を訪ねると、店にはすでに何組かのお客さんがいて、
田尻さんは喫茶の注文をとったり、厨房でコーヒーを淹れたり。
本を選び終えたお客さんに呼ばれて会計をして、雑談をして。
厨房に戻って手際よく洗いものをしたかと思えば、
合間に販売用のレジ袋の束にハンコを押し続けていたりする。
とにかく手が休まることがない。

田尻さんの「普段の1日」はどんな感じですか? と聞くと、

「午前中、店に来る前に喫茶用の買い出しをして、
仕込みのある日はカレーをつくったりケーキをつくったり。
11時半に店を開けてからは、
接客の合間に本の発注をしたり、『アルテリ』の発送をしたり。
自宅はここから車で20分ほどの場所にあるのですが、
帰宅後は、やり残した仕事とか原稿とか。
日付が変わる前に寝るってことはないかなぁ」

書店の店主、喫茶店のマスター、編集、執筆……
いろんな顔があって大変ですね、と返すと少し間があって、田尻さんは言う。
「いや、本業は〈橙書店〉の店主です」

橙書店と描かれた細長い看板。

ビルの階段室の入り口に設けられた細長い看板が目印。

住み続けて10年、
古い家を直しながら快適に暮らす

農家にとって大切な冬時間、どう過ごす?

穏やかな冬の日が続いています。
毎年1、2月は〈HOMEMAKERS CAFE(ホームメイカーズカフェ)〉の営業を
冬季休業としてお休みさせていただき、
いつもより少しゆっくりとした時間を過ごしています。
私たち農家にとって大切な休息期間です。

休息といっても、ぐーたらしてるわけではなく、
ここぞとばかりにやりたいことをしています。
山歩きや岩登りにでかけたりすることもあれば、
家の気になっていた場所の片づけをしたり。

それからちょっと話がそれますが、新年早々、
庭で鳴き続けていたチビ猫を保護することになり、そのお世話をしたり(笑)。

毎日うちから眺めている「大麻山(たいまさん)」を登りました。山の上から自分たちの家や畑が見える〜。

毎日うちから眺めている「大麻山(たいまさん)」を登りました。山の上から自分たちの家や畑が見える〜。

新年早々、家の庭で保護したチビ猫ちゃん。お世話の日々。

新年早々、家の庭で保護したチビ猫ちゃん。お世話の日々。

そして、この冬は少し大きな改装工事をしています。

私たちが暮らしている家は曾祖父ちゃんの代に建てられた築130年以上の古い家です。
木造の農村民家。ここに住み始めた頃、
家の一部をカフェとしてオープンするために大規模な工事をしました。
ほぼすべての部屋の床をめくってシロアリの駆除、基礎の補強工事をし、
お風呂や洗面所、トイレを新しく設置、大きな本棚をつくったり。

2013年の家の改修工事。自宅の一部をカフェとして改修しました。

2013年の家の改修工事。自宅の一部をカフェとして改修しました。

あれからもうすぐ10年、壁を塗ったり、レイアウト替えしたり、
少しずつ手を入れながら住み続けてきました。

住み続けていると、もっとこうだったらいいのになぁという部分が見えてきます。
家って毎日毎日過ごす場所で、ごはんをつくったり食べたり、
パソコン仕事をしたり、書きものをしたり、映画を見たり、洗濯をしたり、
とにかくいろんなことをしています。
ここに収納棚があったらいいのになぁ、この作業台がもっと広かったらいいのになぁ、
冷蔵庫こっち向きのほうが便利だよなぁとか、そういう小さな思いがいっぱい。

ま、でも不便なことにも慣れてしまって、慣れてしまってというか
なんだかんだとごまかしながら日々は過ぎていきます。

いやいや、家に対する「もっとこうしたい」という思いは大事にすべきだと思うんです。
もちろん工事の内容によってはお金がかかるので
そこはやりくりが必要だし、時間もパワーも必要。
だけど、よいしょして、家を直していく。
自分たちがより快適に過ごせる場所に家を育てていくことが、
私たちにとっては最高の楽しみだったりします。

譲ってもらった古材でキッチンの作業台をつくります。

譲ってもらった古材でキッチンの作業台をつくります。

新しくできた作業台になんだなんだと寄ってくる猫のヨーダ(2019年夏に保護して一緒に暮らしてます)。

新しくできた作業台になんだなんだと寄ってくる猫のヨーダ(2019年夏に保護して一緒に暮らしてます)。

昔ながらの農家の暮らしを伝えたい。
古家を改修した
渡辺正美さんとの本づくり

撮影:渡辺正美

ご近所の農家さんがずっと温めていた本の企画

私が行っている小さな出版活動のなかで、
昨年、立ち上げたレーベル〈ローカルブックス〉は、
地域の仲間で協力し合って本をつくる取り組みで、いま新刊を制作中だ。
シリーズ3冊目となる著者は、私が住む岩見沢市に隣接する
美唄(びばい)市の農家・渡辺正美さん。
住まいを2014年に本格的に改修したドキュメントを一冊にまとめたいと考えている。

渡辺正美さん。年齢を聞くと「80代の人にはまだまだ若いねって言われるよ!」と笑顔。

渡辺正美さん。年齢を聞くと「80代の人にはまだまだ若いねって言われるよ!」と笑顔。

渡辺さんに出会ったのは、私が北海道に移住して間もない9年ほど前のこと。
友人が営む有機野菜を販売するお店で、渡辺さんの野菜を買うようになり、
その後、畑を訪ねるようになった。

大根やネギ、白菜など、さまざまな野菜とともに、ブルーベリーも育てていて、
夏に子どもたちと一緒に実を摘ませてもらったこともある。
木で熟したブルーベリーは格別。
東京で食べていた頃は生だとちょっと渋いと思っていたのだが、
味が濃くて酸っぱさのなかにも甘みがあった。

木によって味が違うブルーベリー。真っ黒く熟した実をいただく。

木によって味が違うブルーベリー。真っ黒く熟した実をいただく。

渡辺さんはときどきわが家にやってきて、楽しいイベントを開いてくれた。
お正月には、庭で餅つきの会を開いてくれたり、節分には鬼の格好で現れたり。
日本で伝統的に行われていた行事を後世に伝えたい、
そんな思いを常に持って活動をしていた。

庭先で行った餅つき。近所のおじいちゃんおばあちゃんや子どもたちが集まった。

庭先で行った餅つき。近所のおじいちゃんおばあちゃんや子どもたちが集まった。

節分に昭和時代のスキーを履いて鬼のお面をかぶって現れたことも。

節分に昭和時代のスキーを履いて鬼のお面をかぶって現れたことも。

家が変わると、暮らしが変わる。
リノベーションした古民家、
実際に暮らし始めて感じること

家のリノベーションで何が変わる?

移住した伊豆下田で古民家を取得し、
リノベーションして暮らし始めた津留崎さん一家。
キッチンをつくり変えたことで起きた
意外な気持ちの変化や、薪ストーブのメリットなど
新しい暮らしの実感をリアルにお伝えします。

北海道・東川町の天然水で淹れる
〈奥泉〉の中国茶

中国茶に最適の水を求めて

北海道のほぼ中央に位置し、旭川市に隣接する東川町。
子育てや起業などの支援のほか、
写真やクラフトを通じたまちづくりといったさまざまな取り組みが功を奏し、
近年は移住者が増加。それにともない雑貨店やカフェなど個人店が徐々に増え、
まちとしての魅力も高まっている。

その市街地の外れに、斉藤裕樹さんと奥泉富士子さん夫婦が営む
中国茶専門店〈奥泉(おくいずみ)〉がある。
2016年に札幌市・円山で店を構え、2020年1月に東川町へ移住して移店。
札幌での経営は軌道に乗っていたものの、あえて地方への移住を決断した。

斉藤裕樹さんと奥泉富士子さん。ふたりの穏やかな人柄とやさしい笑顔に和まされる。

斉藤裕樹さんと奥泉富士子さん。ふたりの穏やかな人柄とやさしい笑顔に和まされる。

富士子さんはきっかけのひとつに“水”をあげる。

「私たちが店で扱っている〈武夷岩茶(ぶいがんちゃ)〉はとても繊細で、
水が違うだけで味や香りが変わってきます。
同じ茶葉でも淹れる地域によって表情が変わるくらい、水に大きく左右されるんです。
北海道各地を見て回るたび、
持参した武夷岩茶の茶葉を現地の水で淹れて飲み比べていたのですが、
東川町はなんといっても水がおいしいのが決め手でした」(富士子さん)

裕樹さんも「武夷岩茶は白亜紀の時代に地殻変動で隆起してできた岩場で
栽培されるのですが、その岩肌から豊富な栄養分を吸い上げるんです。
東川町の水はミネラルに富んでいて、
うちで扱う岩茶と相性が良かったのが大きかったですね」と言う。

店名の〈奥泉〉は富士子さんの旧姓で、漢字で響きがいいことから名づけたそう。

店名の〈奥泉〉は富士子さんの旧姓で、漢字で響きがいいことから名づけたそう。

「東川町は北海道で唯一上水道施設がなく、
大雪山系から湧き出す天然の地下水を生活用水として利用しています。
ちょっとかためなんですけど甘みがあるんですよね。
季節によっても水の味は変わるので、お茶の出方も微妙に変わります」(富士子さん)

お茶本来の魅力を最大限に引き出すため、より良質な水を求めて移住を決めた。
東川町は自分たちの仕事に対して志を高く持ち、真摯に向き合っているからこそ、
ようやくたどり着いた新天地なのだ。

瀬戸内海の冬の楽しみ、
牡蠣とレモンとオリーブオイル

小豆島でおいしい牡蠣を楽しめる理由

ここ数年、冬にとても楽しみにしていることがあります。
それは、牡蠣! です。

小豆島の牡蠣って有名なの? となると思うので、
その理由を書いておこうと思います。

ここ数年、冬になると楽しみにしている牡蠣を楽しむ会。庭で焼き牡蠣。

ここ数年、冬になると楽しみにしている牡蠣を楽しむ会。庭で焼き牡蠣。

加熱用の牡蠣はしっかり加熱しないとお腹を壊してしまうことがあります。まずは牡蠣のことをよく知っている人と楽しみましょう。

加熱用の牡蠣はしっかり加熱しないとお腹を壊してしまうことがあります。まずは牡蠣のことをよく知っている人と楽しみましょう。

日本国内で流通している牡蠣は、大きく分けて
夏が旬の「岩牡蠣(イワガキ)」と、
冬が旬の「真牡蠣(マガキ)」の2種類です。

私たちが楽しみにしているのは、冬の牡蠣、真牡蠣。
この真牡蠣の産地として有名なのは、北海道、三陸(岩手県、宮城県)、
伊勢(三重県)、広島県など。瀬戸内海では、広島県だけじゃなくて、
岡山県や兵庫県、香川県でも真牡蠣の養殖が行われています。

小豆島では牡蠣を養殖している人はいませんが、
近くの漁師さんから牡蠣を直接仕入れて販売しているところがあって、
新鮮な牡蠣を手に入れることができるんです。
香川県の志度(しど)の牡蠣、岡山県の日生(ひなせ)の牡蠣を販売されています。
瀬戸内海つながり!

海から引き上げられた牡蠣。まだ生きています。

海から引き上げられた牡蠣。まだ生きています。

殻についた汚れや藻などをきれいに洗ってくれます。

殻についた汚れや藻などをきれいに洗ってくれます。

産地が近いというのはすごく重要なことで、なんといっても新鮮な牡蠣を楽しめる!
数時間前まで海の中で生きていた牡蠣。
貝や魚、それから私たちが育てている野菜に関しても、
新鮮な状態であるというのは“おいしさ”に直結してます。
これが小豆島でおいしい牡蠣を楽しめるひとつめの理由。

小豆島の北側にある道の駅、大坂城残石記念公園で殻付きの牡蠣を販売しています。季節限定なので要問い合わせ。

小豆島の北側にある道の駅、大坂城残石記念公園で殻付きの牡蠣を販売しています。季節限定なので要問い合わせ。

それからもうひとつの理由は、牡蠣を食べるときに
絶対必要(だと個人的には思ってます)な「レモン」があること。
もちろん小豆島で育った農薬を使っていないレモンです。

最近は、鍋に日本酒と牡蠣を入れて、酒蒸しにして食べるのにはまっているのですが、
殻を開いて牡蠣の身にたっぷりレモン果汁をしぼって身を食べる、
そして殻の中に残った牡蠣の汁&レモン果汁を飲みほす。
くーーー! これが最高においしい。
磯の味とレモンの酸味が合わさって、もうおいしいとしか言えない。
レモンを惜しげなく使えるのがうれしい。

この日は、牡蠣の下にキャベツの外葉を敷いて白ワインで蒸しました。

この日は、牡蠣の下にキャベツの外葉を敷いて白ワインで蒸しました。

さらにもうひとつ、小豆島産のエキストラヴァージンオリーブオイル。
オリーブオイルは、友人がオリーブを育てて、実を収穫し、搾油したもの。
蒸し牡蠣にレモン果汁をかけて、さらにオリーブオイルをたらします。
オリーブオイルの香りがまた合うんです!

蒸した牡蠣にレモンとオリーブオイルをかけていただきます。

蒸した牡蠣にレモンとオリーブオイルをかけていただきます。

蒸し牡蠣+レモン果汁+オリーブオイル、この完璧な組み合わせに
さらに白ワインを合わせる! 
これが最近の冬の楽しみ。むふふ。

画家MAYA MAXXが
自由が利かないなかで描いた、
シカの連作

1か月半、利き手が思うように動かせない状態に

それは突然の出来事だった。
昨年11月、美流渡(みると)に住む画家のMAYA MAXXさんが
この地で創業100年以上となる〈つつみ百貨店〉のシャッターに
絵を描こうとしていたときのことだった。

シャッターを水で洗ってから白いペンキを塗っていたとき、
バタンと大きな音とともにMAYAさんが足場台から転落した。
足場台は1メートルくらいの高さであったが、顔面と肩を打ったようで、
そのまま数分間動けなくなってしまった。
塗装を手伝っていた私は、オロオロしながらその場にいることしかできなかった。

しばらくして、MAYAさんがゆっくりと起き上がったものの、
右肩と腕がひどく痛む様子だった。
私は運転が苦手なので、病院に車で連れて行ってくれる人を急いで探した。
幸いご近所さんが助けてくれることになり、
美流渡から車で20分ほどの市街地にある整形外科へと向かった。
車内でMAYAさんは、穏やかに世間話をしていたので、少し安心したのを覚えている。

昨年は夏から秋にかけて、閉校した美流渡中学校の窓に打ち付けられた板に絵を描いた。高所での作業も多かったが事故なく終わった。

昨年は夏から秋にかけて、閉校した美流渡中学校の窓に打ち付けられた板に絵を描いた。高所での作業も多かったが事故なく終わった。

雪が降る前の最後の作業として取り組もうとしたのが、〈つつみ百貨店〉のシャッターだった。人口減少で商店が数えるほどしかなくなるなか、地域のためにずっと店を開け続けている。

雪が降る前の最後の作業として取り組もうとしたのが、〈つつみ百貨店〉のシャッターだった。人口減少で商店が数えるほどしかなくなるなか、地域のためにずっと店を開け続けている。

診察してもらったところ、右肩の脱臼と骨折だった。
関節から外れた部分を元に戻してもらい、翌日に詳しく検査。
1か月半ほどバストバンドと三角巾で肩を固定することとなった。
右手の動かせる範囲は手首から先だけ。
手が上がらないため、上着を羽織ったりするだけでも大変な状況となってしまった。

そんななかにあっても、MAYAさんは歩みを止めようとはしなかった。
骨折から3日後には、新十津川町図書館で開催中だった絵本原画展で
ギャラリートークを行った。翌週には札幌の高校で講演会を、
さらには地元の小学校で絵を描くワークショップも実施。
絵が思うように描けない状況のなかで、
イベントがあったほうが気が紛れると語っていた。

トークを行うMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。

トークを行うMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。

地元の小学校で開催したワークショップ。

地元の小学校で開催したワークショップ。

手が動かせる範囲は限られていたが、それでも制作は行われた。
まず取り組んだのは粘土。手で握れるくらいの大きさに粘土を丸め、
ペンギンのような形をつくり、先の尖ったヘラで毛の一本一本を表していった。
毎日つくり続け、その数は30体以上にもなった。

ペンギンやリスを形づくった。手首から先を細かく動かして毛並みを表現した。

ペンギンやリスを形づくった。手首から先を細かく動かして毛並みを表現した。

次に絵画の制作も行われた。
完成に至らないままアトリエに置かれていた
240×120センチメートルのパネル作品の制作を再開したのだ。

このパネルは、移住してきてすぐに取りかかったもので、
夏の青々とした緑や秋から冬へと向かう薄暗い森を想起させるような
抽象形態が描かれていた。その上から、自由の効かない右手と、
利き手でない左手をゆっくりゆっくりと動かし、シカを描いていった。

『Deer in the Forest 1』2021

『Deer in the Forest 1』2021

「右手を上にあげることはできないけれど、
床に画面を置いて自分が動けば、画面の隅々まで描くことができる」

紫色の空間で木立の間からこちらを見るシカには胴体が描かれていなかった。
筆のタッチは、まるで小声でささやくように、か細く、静かだ。
MAYAさんは、この描き方を“骨折画法”と呼ぶようになっていた。

『Deer in the Forest 2』2021

『Deer in the Forest 2』2021

好きなことを軸に、
暮らす・働くを変えていく。
自転車の聖地・伊豆大島を舞台にした
スポーツ×ワーケーション

スポーツに特化したワーケーションサービス「WithWork」とは

11月のある日、伊豆大島は澄み切った空が広がる快晴だったが、
かなり強い風が吹いていた。
その風を受けながら、右手に海、左手には約2万年もの大地の記憶が刻まれた
〈地層大切断面〉が続く景色を、複数の自転車が駆け抜けていく。

〈地層大切断面〉の前を通過する参加者。

〈地層大切断面〉の前を通過する参加者。

スポーツ庁が行う「スポーツによるグローバルコンテンツ創出事業」として
新たに立ち上げられた「WithWork」。
そのサービス内容のひとつであるサイクリングの参加者たちは、
すでに20日間近くこの島に滞在していて、みんなで走るのは今日が2回目。
同じ趣味を持つ人同士、仲良くなるのは早いようで、
休憩ポイントでも和気あいあいとした雰囲気が漂っていた。

この日は休日とあって、同サイクリングには多くの人が参加。

この日は休日とあって、同サイクリングには多くの人が参加。

サイクリングイベントの途中で、島の南にある、ノスタルジックな風情の波浮(はぶ)港のまちを訪れた参加者たち。

サイクリングイベントの途中で、島の南にある、ノスタルジックな風情の波浮(はぶ)港のまちを訪れた参加者たち。

新しい暮らし方、新しい働き方が社会に定着しつつあるなか、
頻繁に聞くようになった言葉が、ワーケーション。
“Work”と“Vacation”の造語で、観光地やリゾート地など
非日常的な環境でリモートワークを行いながら、余暇も満喫する過ごし方だ。

ワーケーションにおける余暇の部分の楽しみ方は、もちろん人それぞれだが、
WithWorkは多様化する趣味のなかでも、不動の人気を持つスポーツに特化。
好きなスポーツを存分に楽しめる地域に長期的な滞在をしながら、仕事を行い、
地域ともつながることができる会員制のサービスだ。

WithWorkの特筆すべきメリットは、
ワーケーションを実践するユーザーと受け入れ側となる地域の双方にとって、
プラスの効果が期待できる点だ。
たとえば受け入れ側は、主に観光地やリゾート地が想定されるが、
オフシーズンや平日はどうしても来訪者が少なくなってしまう。

一方、ユーザーのメインは都市部のテレワーカーが想定されるが、
観光のオフシーズンを有効に活用する。
つまり、従来型のワーケーションがレジャー、
観光の途中に働くものであるケースが多いのに比べて、
WithWorkは観光の一環ではなく、より日常的な利用を促進することができる。
そしてユーザーとしては趣味のスポーツを
贅沢な環境で毎日楽しめることが最大のメリットだ。

そのモニターツアーの舞台として選ばれたのが、伊豆大島。
伊豆諸島のなかで最も北に位置し、竹芝客船ターミナルから高速ジェット船だと、
約1時間45分でアクセスできる東京の離島だ。

世界遺産と同様に、ユネスコが推し進めているジオパークに認定されていて、
ダイナミックな地形や自然環境は、サイクリストの間でも聖地とみなされている。
事実、2016年には「アジア選手権ロードレース」と
「全日本選手権ロードレース」が開催され、
2017年からは「全日本マスターズ選手権」の舞台にもなっているのだ。