下町・門前仲町で 驚きのアジフライに出合う あなたのまちの焼酎ハイボール アテ探し旅

全国で、思わずその場で缶を開けたくなるほど魅力的な
「焼酎ハイボールのお供」を見つけるこの連載。
今回は、酒ライターの岩瀬大二さんがアテンドする、
東京・門前仲町編です。

下町生まれの焼酎ハイボールと合うのは、やはり下町グルメか

深川不動堂と富岡八幡宮。
下町を代表するふたつの寺社から広がる賑わい。
祭りがあって、店が集まって、
昔から賑わいがあった門前町は、次第に新たな活気が集まり、
通称「もんなか」となって、さらなる賑わいを見せている。

深川不動堂、富岡八幡宮。ふたつの名所があれば門前町が発展するのは必然。皇居大手門から東京駅、日本橋を通り江東区を横断する永代(えいたい)通りとも交わり、昔から開けた場所。人も商売も集まってくる。

深川不動堂、富岡八幡宮。ふたつの名所があれば門前町が発展するのは必然。皇居大手門から東京駅、日本橋を通り江東区を横断する永代(えいたい)通りとも交わり、昔から開けた場所。人も商売も集まってくる。

永代通り沿い、門前の参道、一歩入った路地には、
昔ながらの和菓子屋、食事処から、その道の通人も足繁く訪れる酒場の名店に、
きらりと光るイタリアンやスパニッシュの店が揃う。
でも“ひしめく”感じや喧騒という感じでもない。
どこか、落ち着きがあって、ふだんのくらしもあって。
元気がほしければ元気を、癒しを求めれば癒しを与えてくれる、
なんとも不思議な場所でもある。

門前町ならではの風景、昭和の面影を残しながら、建物をよく見れば目新しいカフェや店も多く、その混在が今のもんなかの魅力をつくっているようだ。

門前町ならではの風景、昭和の面影を残しながら、建物をよく見れば目新しいカフェや店も多く、その混在が今のもんなかの魅力をつくっているようだ。

今日の焼酎ハイボールのアテ探しは、ここ、もんなかでの差し入れ探し。
友人のミュージシャンが東西線沿線のスタジオで、
収録を終えてひと息ついたところで乾杯、という予定。
まだちょっと時間がありそう、ということで、
ぶらりと深川不動堂にご挨拶をして、酒場へ。

向かうのは〈だるま〉
創業50年を超える下町酒場で、酒場ツウには横長の“変形コの字カウンター”
としてもおなじみの名店だ。

年季の入った、いかにも下町の酒場という雰囲気だが、流れるBGMは先代が好きだったジャズ。入口のCD棚を見ればビリー・ジョエルやイーグルスにボビー・コールドウェルなんていうあの頃の洋楽も並んでいた。

年季の入った、いかにも下町の酒場という雰囲気だが、流れるBGMは先代が好きだったジャズ。入口のCD棚を見ればビリー・ジョエルやイーグルスにボビー・コールドウェルなんていうあの頃の洋楽も並んでいた。

先代から引き継ぐ定番、アレンジ、姉妹の新しい味。さらりと書いたメニューからも歩みを感じられる。

先代から引き継ぐ定番、アレンジ、姉妹の新しい味。さらりと書いたメニューからも歩みを感じられる。

うれしいのは宝焼酎のチューハイが楽しめること。
店を切り盛りするのは、理(あや)さん、真(まさ)さんの姉妹。
おふたりとも高校時代からお店を手伝い、
先代であるお父様がなくなった2009年から店を継いだ。

その歩みはアテからも感じられる。
「お酒が飲める煮込みを目指しました」と理さんが笑う、
名物の牛モツにこみはその象徴のひとつ。
色は濃い目だが味は甘やかでスッキリ。
先代の信頼関係のおかげで仕入れられたモツは肉感もたっぷりで、
そこに煮込みでは珍しい玉ねぎを入れたり、
スープの味わいを変えていったのは姉妹の試行錯誤。
豊富なアテ、一品料理の数々は、
「先代から変わらないもの、少し変えていったもの、
私たちが考えたものとありますね」(理さん)。

同じような出汁、スープでもいいような料理だが、まったく味わいが違う、煮込みと肉豆腐。手間をかけ、趣向を変える。ボリュームもたっぷり。

同じような出汁、スープでもいいような料理だが、まったく味わいが違う、煮込みと肉豆腐。手間をかけ、趣向を変える。ボリュームもたっぷり。

お客さんも先代からの常連に加え、週末は、若い人たちでもにぎわうという。
この日も、まだ日が沈まない開店早々に、ツワモノだけど親切な常連さんのなかに、
初登場と思しき若いおひとり男子が混じり、いい距離感で活気が増していく。
そこに、注文すれば返ってくる、
「は~い、チューハイいっぱーつ」という、
先代が自然に発し、今や名物となっているかけごえが軽やかに響く。
下町のコール&レスポンス。

飲む岩瀬さん

いるだけで、呑むだけで、まちの歩みや人の移り変わりを感じることができる。
やっぱり、そんな酒場が好きだ。

闇市から始まったといわれる辰巳新道。焼鳥、もつ焼き、オーセンティックなバーにナチュールワインと、50メートルほどの路地に30件をこえる新旧の酒場が集う魅惑の迷宮。

闇市から始まったといわれる辰巳新道。焼鳥、もつ焼き、オーセンティックなバーにナチュールワインと、50メートルほどの路地に30件をこえる新旧の酒場が集う魅惑の迷宮。

〈OFF KINOSAKI〉料理人 谷垣亮太朗さん ローカルを掘って掘って、 湧き出てきた魅力をひと皿に込めて

推薦人

野村友里さん

野村友里

eatrip 料理人

Q. その方を知ったきっかけは?

以前から知っていてくれたようで、数年前の森道市場のときに声をかけていただきました。

Q. 推薦の理由は?

兵庫の城崎温泉という、なかなか辿りつけない地に、わざわざ行きたくなるお店とコミュニティを築きあげて勢いがあるから。

たっぷり飲んで、ガッツリ食べる。料理家も愛するビストロが温泉街に

城崎温泉は非常に歴史のある温泉地だが、
観光客や移住者などに対して開けた空気を感じる。
7つの外湯文化や約80軒ある旅館を大切にしつつ、
変わりゆくツーリズムに対して柔軟な姿勢は、ローカルの手本となっている。

カランコロンと下駄の音を響かせ外湯へ向かう観光客。冬の松葉ガニを目当てに、城崎温泉は平日も賑わっていた。

カランコロンと下駄の音を響かせ外湯へ向かう観光客。冬の松葉ガニを目当てに、城崎温泉は平日も賑わっていた。

宿で食事をして外で湯に浸かるという、「部屋食外湯」スタイルが城崎温泉の特徴だが、
インバウンドの影響もあり、
近年では「素泊まり外食」も滞在中の選択肢のひとつになっている。
ここ数年で城崎は知る人ぞ知る美食のまちになっていて、
ハイシーズンは8割が外国人客で席が埋まるというビストロ〈OFF KINOSAKI〉は、
そのニュースタイルに迎合しているのだ。
旅館の和室で正座していただく、少量多種の会席料理とは真逆の、
たっぷり飲んでガッツリ食べるビストロの醍醐味といえる自由なスタイルが、
城崎温泉に新たな価値をもたらしている。

より遠くの人に自分たちの取り組みを伝えられたら

2013年から豊岡駅近くで〈WOLF DINER〉というビストロを営んでいた谷垣さん。
但馬地域(兵庫県北部)の農家や生産者との連携や対話をしながら
お店づくりをしていたなかで、
城崎温泉が「温泉と文学」を軸に新しい変化を遂げようとしている時期と重なり、
より遠くの人に自分たちの取り組みを伝えられると考えた。

「いろんな人たちが城崎に来て、なにかが渦巻いていて、
これから新しいことが起こるんじゃないかとずっと間近で見ていたんです。
豊岡の駅前の場所もすごく好きだったのですが、思い切って移転に踏み切りました。
城崎に観光で来る、より遠くの人に
自分たちがやろうとしていることを伝えられるんじゃないかと思ったんです」

2018年、元は旅館で当時倉庫になっていた場所を見つけた。
温泉街のメインストリートから1本奥まった場所で、
当時はさほど人通りは多くなかったが、小川が流れ、桜並木が美しい場所だった。

「後ろが山なので湿気が多く、飲食店の友人たちからは『飲食店には向いていない場所』
と言われていましたが、城崎国際アートセンターの元館長の田口幹也さんだけは唯一
『いや、大丈夫じゃない?』と。
今思うと田口さんの自宅の近所にビストロがほしいという
私情が入っていたと思うんですけど(笑)。
実際は、山側をワインセラーにすることで湿度の問題はむしろいい方向に働きました」

春は店内からでも桜並木が望める。奥には気鋭の芸術家・新城大地郎氏の書が飾られている。

春は店内からでも桜並木が望める。奥には気鋭の芸術家・新城大地郎氏の書が飾られている。

OFFが人気の理由は、旬の新鮮な食材とそれを生かした調理法にある。
野菜、魚、肉、乳製品、調味料。
谷垣さんはあらゆる生産者の声に耳を傾け、素材のおいしさを引き出す調理を施していく。
豊岡から城崎へお店が移転したことで、
よりいっそう京丹後の生産者と距離が近くなったという。
たとえば、京丹後のオーガニックファーム〈SORA農園〉や、
ジャージー牛の乳製品を製造する〈ミルク工房そら〉は仲のいい生産者のひとり。
谷垣さんの創作にもいい影響を及ぼしている。

〈Oriori〉代表・藤川かん奈さん みんなで笑って助け合う、 地域という名の学校を

Next Commons Lab/paramitaを率いて、
地方からポスト資本主義的な新しい社会をつくることを目指す林篤志さんが推薦するのは、
山形県遊佐町で着物や反物からプロダクトを制作する〈Oriori〉の代表、藤川かん奈さんです。

推薦人

林篤志さん

林篤志

Next Commons Lab/paramita
代表

Q. その方を知ったきっかけは?

プロジェクトをご一緒したことがきっかけ。

Q. 推薦の理由は?

地域おこし協力隊として活動された後、ヴィンテージ織物や着物のブランドを立ち上げ、その後は地域の高校魅力化プロジェクトなど教育分野にも積極的に関わっている方です。まさに地域の顔として、かん奈さんによって多くの人が巻き込まれ、彼女を通じて新たなプロジェクトや取り組みが次々と動き出しています。その一方で、周りの皆がいつも楽しそうにしています。不思議な魅力で、次世代のローカルを牽引する人です。

遊佐の土地と人に、恋に落ちて

山形県の形はよく、人の横顔にたとえられる。その「おでこ」に位置する最北部の遊佐町は、
日本海と鳥海山という雄大な自然をのぞむ、人口1万3000人弱の小さなまちだ。

京都で生まれ育った藤川かん奈さんは、移住して10年ほど経つこの遊佐町で、
ヴィンテージ反物・着物をリメイクするブランド〈Oriori〉を立ち上げ、
廃校の危機に瀕した公立高校の魅力化を図り、豊かさを享受するだけではない
まちづくり・人づくりを実践している。

山形県と秋田県をまたいでそびえる鳥海山。手前は、遊佐町唯一の公立高校である遊佐高校。

山形県と秋田県をまたいでそびえる鳥海山。手前は、遊佐町唯一の公立高校である遊佐高校。

縁もゆかりもない遊佐町にたどり着いた経緯を尋ねると、
「高3のとき、国連に入りたいと思ったんです」と語り始めた。
なぜ国連から遊佐町になったのか、そこには壮大な冒険と発見があった。

「大学進学後、世界の貧困について知らなければいけないと思い、
バックパックひとつで発展途上国を旅していました。
だけど、どうして貧困が起こるのか考えても無力感しかわかず、
私にできることなんてないとショックを受けていたのですが、
あるとき全然違う問いがバーンと降ってきたんです。
電気も水道も整っていないような環境で、裸足で着るものさえ満足にないのに、
どうしてこの人たちは笑顔なんだろう。何が彼らを生かしているんだろうって。
そしてその答えは、ひとつしかないと思いました。
地域の助け合いが、この人たちを笑顔にしているんだって」

対して、京都市内の一軒家で生まれ育った自分は、ご近所さんの名前もほとんど知らない。
玄関を開けようとして、誰かが通りを歩いている気配を感じたら、
扉の内側で通り過ぎるのをじっと待つような生活だった。

「もしこの村が経済発展したら、今みたいな温かさや助け合いがなくなって、
私が育ったようなよそよそしいところになってしまうのかもしれない……。
そんな想像をしたら、やばい! と思って。
それから旅をやめて、国連に入りたい気持ちもすこーんとどこかに行っちゃって、
地元の京都で現代の日本に合った温かいコミュニティをつくろうと思ったんです」

地元に戻って立ち上げたのが、「笑学校(しょうがっこう)」という地域コミュニティ。
京都市内の寺や廃校になった学校、あるいは鴨川の河川敷などを教室に見立て、
年齢を問わず先生にも生徒にもなれる学校の“校長先生”になったのだ。

「たとえば、紙飛行機について長年研究しているおじいさんが先生になって、
めちゃくちゃ飛ぶ紙飛行機のつくり方を教えたり、
マイケル・ジャクソンが大好きな小学4年生の男の子がダンス講座をやったり。
好きをこじらせてセミプロみたいになっちゃった人を発掘して、声をかけていったんです。
学校という名前をつけたのは、教員一家で私自身も先生になりたかったから」

「教育」は藤川さんのライフワークといえるような軸になっていくのだが、
その話はまた追って。
大学卒業後も企業などに属さず、
多世代のコミュニティづくりに奮闘する藤川さんの活動に感銘を受けた人が、
遠く山形にいた。

「山形大学の学生だったんですけど、
東北の学生50人くらいを集めてソーシャルキャンプをするから、
講師として来てほしいってお誘いを受けたんです。
そのとき初めて、山形の庄内地方を訪れました」

2泊3日の滞在には、恋愛というおまけもついていた。
そこで出会った地元の男性に恋をしてしまったのだ。そして2週間後には移住を決意。
3年続けてきた笑学校は、自分がいなくなっても、
地域の人たちのつながりがすでにできているから心配ないと思えたのも大きかった。

〈PARADI〉井上祖人さん、有紀さん “共存共栄”の城崎で、パンを軸に まちにひらけた店づくりを

PR会社〈HOW〉の代表で、国内外を飛び回る小池美紀さんが推薦するのは
城崎温泉にて2022年9月にオープンしたベーカリー〈PARADI〉の
井上祖人さん、有紀さんご夫妻です。

推薦人

小池美紀さん

小池美紀

HOW inc.

Q. その方を知ったきっかけは?

仕事でもプライベートでも足繁く通う城崎温泉の知人から、同じ兵庫でギャラリーと茶寮を営む〈井上茶寮〉の名前を聞いていました。特に興味を惹かれたのは、ある時、城崎の〈OFF KINOSAKI〉にあったフライヤー。井上茶寮ギャラリースペースのアーティストインレジデンスの告知でした。私が現在、東京と沖縄の2拠点生活をするなかで、個人的にも追いかけている今村能章が展示をするというものでした。

その後、井上茶寮が城崎に〈PARADI〉というペストリー&コーヒーショップをオープンし、交流が生まれました。彼らの幅広い活動を知るにつれ、底知れぬ活動に興味を寄せています。

Q. 推薦の理由は?

フレンチのシェフやパティシエとして修業を積まれた井上祖人さん。
大学職員からフランスに移住し、ミュージアムで働いていた井上有紀さん。

ふたりの活動は、現在展開する年数回のアーティスト・イン・レジデンスと並行して国内外のアーティストや作家の展覧会を企画する〈M1997〉(的形)、お茶やカヌレ型を使った羊羹などのスイーツを展開する〈井上茶寮〉(的形)、焼きたてのペストリーやコーヒーを提供する〈PARADI〉(城崎)。

お茶やお菓子、パッケージに至るまでおいしいのに加え、いつ見てもすてきなプロダクトは、デザインの文脈に通じるところがあります。実際にデザイン関係者のファンも多く、私は今年、インテリアの発表会で彼らにケータリングを依頼しました。味だけでなく、しつらえの美しさにも感動しました。
また、今年は、コペンハーゲンのベーカリーで短期留学をされており、出張の際にも彼らの活動を拝見しました。デザインの都コペンハーゲンでの滞在を経た彼らの今後の活動に注目しています。

待望のパン屋さんが、城崎にできた

晴れたと思ったら、鈍色の雲が広がり、冷たい雨が降ったり止んだりする。
そんな日本海沿岸特有の不安定な天気が、
この城崎温泉というまちの冬の風物詩だったりする。

瀬戸内に面する的形から豊岡市城崎に移住し、
2度目の冬を迎えた井上祖人(そひと)さん、有紀(ゆき)さん夫妻は、
「ここのところいつもこんな天気ですよ」と話す。
その“こともなさげ”といった雰囲気で、彼らがいかにこのまちに馴染んでいるかを知れた。

山陰地方には、「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉がある。冷たい雨雪が降れば降るほど温泉も心地いい。

山陰地方には、「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉がある。冷たい雨雪が降れば降るほど温泉も心地いい。

祖人さんと有紀さんは、
同じ兵庫県でも城崎とは北と南の関係にある、的形という地で
和菓子店〈井上茶寮〉と、
アーティストインレジデンス〈M1997〉を営む。
港まちに溶け込む、築114年の庄屋をリノベーションしたお店は、
土日だけの営業にかかわらず、お客さんが後を絶たない。

札幌市や大阪市の名だたるレストランで修業してきた祖人さんと、
大学職員を経てパリの美術館で勤務した経験を持つ有紀さん。
井上茶寮とM1997は、ふたりの経験を生かした唯一無二の場だ。

井上茶寮の外観。撮影:間澤智大

井上茶寮の外観。(撮影:間澤智大)

井上茶寮の内観。撮影:間澤智大

井上茶寮の内観。(撮影:間澤智大)

M1997の展示室。撮影:間澤智大

M1997の展示室。(撮影:間澤智大)

ふたりが城崎を訪れたのは6年ほど前のこと。
〈OFF KINOSAKI〉をオープンしたばかりの料理人・谷垣亮太朗さんに
会いに行ったのがきっかけだった。
そこでさまざまな“城崎人”を紹介してもらったことで、
地域コミュニティの温かさや、観光客と地元住民のバランスの良さに惹かれ、
城崎への移住を考えるなかで運良く物件の話が耳に入り、
住居兼店舗として開業することを決めた。

定期的に手入れがされている状態のいい空き家を取得・リノベーションし、1階を店舗、2階を住居として利用。

定期的に手入れがされている状態のいい空き家を取得・リノベーションし、1階を店舗、2階を住居として利用。

「やるなら井上茶寮とは違う業態で、
城崎に滞在する価値を高められるような店舗を目指したかったんです」(有紀さん)

井上茶寮としてのポップアップ出店を経て、OFF KINOSAKIの3軒隣に、
2022年10月、ペイストリーショップ〈PARADI〉をオープンした。

〈OFF KINOSAKI〉、ポップアップスペース〈MMM〉の並びにできた〈PARADI〉。

〈OFF KINOSAKI〉、ポップアップスペース〈MMM〉の並びにできた〈PARADI〉。

名物は「クロワッサン」(290円)。香ばしいクラスト(外側)と、弾力あるクラム(内側)のコントラストが芸術的! 噛みしめるほどに北海道産小麦のほんのりとした甘みとバターの芳醇な香りが鼻を抜ける。「うちのクロワッサンは、割ると生地が切れずにもっちりと伸びるんですよ」と祖人さん。昼前に行けば焼きたてが買えるかも。

名物は「クロワッサン」(290円)。香ばしいクラスト(外側)と、弾力あるクラム(内側)のコントラストが芸術的! 噛みしめるほどに北海道産小麦のほんのりとした甘みとバターの芳醇な香りが鼻を抜ける。「うちのクロワッサンは、割ると生地が切れずにもっちりと伸びるんですよ」と祖人さん。昼前に行けば焼きたてが買えるかも。

イートインはワンドリンク制。コーヒーやカフェラテのほか、井上茶寮のアイスティーや自家製コンブチャも。

イートインはワンドリンク制。コーヒーやカフェラテのほか、井上茶寮のアイスティーや自家製コンブチャも。

井上茶寮の看板商品の「カヌレ羊羹」はPARADIでも扱いがある。贈答用としても人気が高い。

井上茶寮の看板商品の「カヌレ羊羹」はPARADIでも扱いがある。贈答用としても人気が高い。

店内は賑々しく、平日にもかかわらず多くのお客さんが訪れていた。
スイーツとコーヒーとともに写真を撮り合う外国人観光客。
カップル温泉旅行だろうか。大きなバッグでやってきて、
お目当てのパンを買いホクホク顔の彼女と、それをやさしく見守る彼氏。
休憩時間に颯爽とパンを買っていく旅館の従業員は常連だそうだ。
甘いものを前に、人は自然と笑顔になる。

「基本的には地元の方が7割で、観光客は季節によって変動があります。
眼の前が桜並木なので、桜の時期は混み合いますね。
地元の人に来てもらうお店になることを最初から意識しています」(有紀さん)

美術家 深澤孝史さん 歴史や文化、 そして人々の思いを 地域に深くダイブしてアートにする

〈アートフロントギャラリー〉代表の北川フラムさんが推薦したのは、
〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉など、
日本のローカルを舞台に作品を発表する美術家・深澤孝史さんです。

推薦人

北川フラムさん

北川フラム

アートフロントギャラリー・
アートディレクター

Q. その方を知ったきっかけは?

東日本大震災で被災した東北の子どもたちを〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ〉で受け入れた際、実によく動き楽しくさせた。停電など、スクランブルがかかった際、アクシデンタルな事態に適格な人間として記憶に残った。

Q. 推薦の理由は?

以降、奥能登国際芸術祭、内房総アートフェスなどに参加してもらったが、そのひとつひとつで地域を読み込み、地域の人たちの中に入って優れた仕事をしてくれた。

特に〈大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024〉では、2年間秋山郷に入り、7人のアーチストと共に、地域を浮かびあがらせる作品展示『アケヤマ -秋山郷立大赤沢小学校-』を、2020年に廃校になった小学校で行った。これは地域住民、美術関係者、民俗学関係者だけでなく一般の観客にもその深さ、楽しさが伝わり、多くの人が自然と人間のかかわりの大切さを知ったと思う。

縁もゆかりもなかった札幌で、なぜ彼は制作を行うのか

11月下旬。
札幌市にある天神山緑地はうっすらと雪化粧をして、冬の訪れを告げた。

緑地の敷地内には、アーティストインレジデンスである
〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉があり、
美術家の深澤孝史さんも、かつて制作活動を行うときに
スペースを借りていたことがあると話す。

「大きいものをつくるときに、広い場所が必要だったので。
いま、作業はほぼ札幌市内の自宅で行っています」

札幌市が運営する、〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉。滞在だけでなく、市民の交流場所としても利用されている。

札幌市が運営する、〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉。滞在だけでなく、市民の交流場所としても利用されている。

滞在中アーティストの作品などが展示されるスペースもある。

滞在中アーティストの作品などが展示されるスペースもある。

山梨県に生まれ、静岡県の大学に進学し、卒業後も浜松市に8年ほど居住していた深澤さん。
移住のきっかけは、〈札幌国際芸術祭2014〉に参加したときに出会った奥さまだ。

「僕の活動の場所が国内を転々とするので、
札幌出身在住の妻の拠点に合わせようという軽い気持ちで移り住みました。
実際、地方への移動は結構大変なのですが、気持ちのいいまちです」

札幌市内でありながら自然豊かで、空気が澄んでいる天神山緑地。

札幌市内でありながら自然豊かで、空気が澄んでいる天神山緑地。

深澤さんがこれまで参加してきたグループ展やアートプロジェクトは、
活動年表にするだけでもずらりと長く、その場所も日本全国に広がっている。
それぞれの地域に根差し、土地の歴史を学び、人と交わりながら
“一緒に作品をつくっていく”のが深澤さんのやり方だ。

「教員免許を取って、大学卒業後に浜松の定時制高校で非常勤を務めながら、
〈NPO法人クリエイティブサポートレッツ(現在は認定NPO法人)〉に
関わるようになったのですが、
それが、いまの活動のベースになっているかもしれないです」

フィリックス・コンランさん、日本での暮らしは、 クリエイティブにどんな影響を 与えてくれそうですか?

日本のクラフトマンシップに学ぶこと

インテリア雑貨や家具のセレクトショップ〈ザ・コンランショップ〉が、
1994年に新宿でオープンして今年30年になる。
創業者テレンス・コンラン卿の孫である、フィリックス・コンランさんは2024年春、
豊かな自然環境に魅了されて奈良県東吉野村に居を移し、
古民家の改修と家具の制作を手がけるデザインスタジオ〈HA PARTNERS〉を立ち上げた。

「何事にも丁寧に取り組む日本のクラフトマンシップ、
卓越したこだわりに深く惹かれています。
この“忍耐”と“細部へのこだわり”という哲学は、
私がいま学ぶべきものであると思うのです」

終の住まいとオフィスの移転先に、
イギリスのカントリーサイドのバートン・コートを選んだテレンス氏と、
言語も文化も異なる東吉野に活動の場を移したフィリックスさんの姿はどこか重なる。
そして、東吉野への移住については
「ほかの親族が唖然としても、祖父は理解してくれたと思います」と
2020年に亡くなったテレンス氏を偲ぶ。

「祖父が亡くなり、彼との関わりはより深まったと思います。
彼が生きていたときは、現在起きている出来事について話していました。
でも今は、彼がしてきたことを振り返ることができます。
彼と一緒に仕事をした人たちを通してね。
だから、私は彼の考え方や、世界で起きたことに対して、
どうナビゲートしていったのかを知ることで、
タイミングよくインスピレーションを得ることができています。
今こそ私は彼から学んでいるのです」

フィリックスさんにとってテレンス・コンラン氏はどういう存在だったのだろうか。
すぐれた経営の師匠か、メンター(先生)か、あるいは“いいおじいちゃん”か?

「祖父は、なぜそれが好きなのか、どのようにつくられているのか、
どうすればそれを改良できるのかを理解することの大切さを教えてくれた人。
加えて、生涯にわたる好奇心と革新への意欲を私に植えつけてくれた、
メンター的存在でした。
たしかに彼はビジネス界で名を馳せた優秀なビジネスマンではありましたが、
私と祖父の関係はごく個人的なものでした」

ビバンダム(日本では一般的に「ミシュランマン」と呼ばれることが多い)の収集家であったテレンス氏。その1体が東吉野のフィリックスさんのオフィスにあった。「日本の空港で税関を通れるか(爆発物と間違われないか)気が気じゃなかったよ!」

ビバンダム(日本では一般的に「ミシュランマン」と呼ばれることが多い)の収集家であったテレンス氏。その1体が東吉野のフィリックスさんのオフィスにあった。「日本の空港で税関を通れるか(爆発物と間違われないか)気が気じゃなかったよ!」

テレンス氏が収集していた19台のブガッティ・ペダルカーのうちの1台。これらはテレンス氏の自邸でありオフィスのバートン・コートの玄関ホールの壁に飾られていたもの。

テレンス氏が収集していた19台のブガッティ・ペダルカーのうちの1台。これらはテレンス氏の自邸でありオフィスのバートン・コートの玄関ホールの壁に飾られていたもの。

北の横丁をめぐる ディープな八戸案内。 あなたのまちの焼酎ハイボール
アテ探し旅

全国で、思わずその場で缶を開けたくなるほど魅力的な
「焼酎ハイボールのお供」を見つけるこの連載。
今回は、青森県八戸市にUターン移住し、
八戸市の情報を発信するウェブメディア『はちまち』の編集長も務める
ライターの栗本千尋さんがアテンドします。

酒好きの多い北の酒場でアテを探す

八戸の横丁からこんにちは。
2020年に青森県八戸市へUターンした、ライターの栗本千尋です。

すでに酒場を堪能して“いい気分”状態なのだが、
まずは八戸のことを紹介していきたい。

青森県はおおまかに津軽地方、下北地方、南部地方にエリア分けされ、
それぞれに異なるカルチャーが根づいているのだが、
八戸市はこのうちの南部地方にあたる。
県の南東部に位置し、太平洋に面するため漁業が盛んだが、
農業や畜産業も行われ、さまざまな食べ物が集まるため、
食通にはたまらないまちだ。

しかも、八戸には酒好きが多い。
中心街には8つの横丁が張り巡らされ、さまざまな酒場を楽しむことができる。

そんなわけで、酒場帰りに撮ってもらった写真を見たら、
普段あまり笑わない私もいい笑顔をしていた。

さて、時を戻して、昼頃からの様子をお届けしたい。

取材班が八戸にやってきたので、まず案内したのが種差海岸。

なかでも種差天然芝生地は、波打ち際まで天然芝が広がる
全国的にも珍しい場所だ。

なんでも、海水面の変動や隆起によって
海底が地上に現れた地形で、「海成段丘」と呼ばれるらしい。
ゴツゴツした黒い岩肌に、緑色をした芝生のコントラストが美しい。

司馬遼太郎は著書『街道をゆく』のなかで、
「どこかの天体から人がきて地球の美しさを
教えてやらねばならないはめになったとき、
一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした」
と評した。そんな場所が地元にあるなんて!

この風光明媚な種差海岸から、市街地エリアへ向かう。

フィリックス・コンランさん、 東吉野での暮らしはいかがですか?

「都会が恋しくなることはないですか?」

そんな少し意地悪な質問をすると、
「絶対にそれはないですね」とフィリックス・コンランさんは笑う。
そして、都会暮らしから田舎暮らしへの移行をこう表現する。

「これまで、都会暮らしにストレスや疲れを感じていました。
平和な村の暮らしのほうがずっと好きなんです。
それでもこの小さな村では毎日膨大なやるべきことがあって、
『あぁやらなきゃ』と焦燥感を抱くこともあります。
そんなときこそ、愛犬と散歩にでかけるのですが、突然、
別の“肺”がそこにあるかのように深呼吸ができて、
より頭がクリアになるのを感じるのです。常にリセットされているようなものですね」

〈SUZUKI〉ジムニーとフィリックス・コンランさん。

愛車は〈SUZUKI〉ジムニーのフィリックス・コンランさん。

憧れだった日本での暮らしは築150年の古民家とともに

〈ザ・コンランショップ〉の創設者で実業家の、テレンス・コンラン卿の孫として生を受け、
ロンドン、シドニー、ニューヨーク、ロサンゼルスといった
経済の中心地での活動を経て、
フィリックスさんは、幼少期からの憧れだった日本の田舎暮らしを手に入れた。
場所は、山々と3本の川に囲まれた自然豊かな立地で、
ノスタルジックなまち並みを残す奈良県東吉野村だ。

ここでフィリックスさんは、デザインスタジオ〈HA PARTNERS〉を立ち上げ、
建築とプロダクトのデザイナーとして、
古民家のリノベーションなどを手がけていく。

一緒に来日したフィリックスさんのパートナー、エミリー・スミスさんは、
東吉野の中心人物になりつつある。
彼女の母は日本で生まれ育ったこともあり、
自身のルーツである日本への興味と理解を深めていったことも、
フィリックスさんの背中を押した。

イギリスでドキュメンタリー映像制作の仕事をしていたエミリーさんは、
東吉野で地域おこし協力隊に就任。
東吉野の野山に自生する山菜やきのこの種類の多さやおいしさに魅了され、
豊かな自然とその産物をInstagram(@down2forage)で県内外や海外へ発信していたが、
ついに移住半年で〈東吉野きのこ協会〉を立ち上げたのだ。

11月1日から開催される、村在住の36組のクリエイターによる
オープンアトリエと作品展示、『はじまりの東吉野オープンアトリエ』にも参加予定。
活動の幅を徐々に広げている。

地元のお祭りのステージで日本語の歌謡曲を披露するエミリーさん。

地域のコーラス隊に参加し、地元のお祭りのステージで日本語の歌謡曲を披露するエミリーさん(左)。

そんなフィリックスさんとエミリーさんが暮らすのは、
村の中心部である小川から車で15分ほどの集落にある築150年の古民家だ。

招かれて入った先にはまず広い土間。前の住民が煮炊きをしていたかまども残されていた。
そして、和室には、フィリックスさんがデザインした照明とソファが鎮座する。

床の間にはフィリックスさんの父親の古い友人だというアーティスト、
デビッド・バンドの絵が飾られている。
「私がオーストラリアで生まれたときから、いつもデビッドのアートが家にありました。
だから私にとって、この絵は故郷のようなもの」とフィリックスさん。
この絵は、フェリックスさんが以前経営していたデザイン・スタジオのロゴに
インスピレーションを得たもので、フィリックスさんの原点を表した場所だ。

料理が好きだというふたりのこだわりのキッチンは、クリエーションの舞台であり、
実験室でもある。畑で採れた野菜や、
エミリーさんが採ってきた山菜やきのこをふたりで調理しては舌鼓を打つ毎日。
調理道具も調味料も和洋さまざまなものを取り揃えている。

「山菜やきのこを文化や食の伝統のなかで
長い間大切にしてきた日本人が好きなんです」とエミリーさん。

フィリックスさんは和食も好きで、とりわけ蕎麦がお気に入り。
すでにいきつけのお店もあるそうだ。

〈Forest house〉外観

彼らは、もともと家だった敷地の最も古い部分で、
85年前に牛舎に改築された場所のリノベーションに着手している。
東吉野や日本の伝統的な素材を使った新居、通称〈Forest house〉を建築中だ。
旧家の梁を残して新しく生まれ変わろうとしているが、
「忘れ去られた古い建物を現代的で魅力的な家に生まれ変わらせる」のだと、
フィリックスさんは改修の目的を話す。

コンラン家のDNAともいえる目利きの技。
それが生きたフィリックスさんのプランはこのとおりだ。

① 玄関からシンボルツリーである柿の木が見えるように窓を配置する。いわゆる借景の考え方。

② 床材は部屋ごとに吉野桧と吉野杉の木製ブロックを使い分け、バスルームは緑色のタイルを敷き詰める。また、屋根には金属を用いている。

③ ごくプライベートな空間以外ドアをつくらず、フローリングの種類や段差でゆるく部屋を区切る。

④ 自分たちで裁断した巨大な岩をテーブルにする。

⑤ キッチンとは別にアウトドアキッチンを設ける。日本の土間に着想を得たアウトドアキッチンで、料理好きで人を招くのが好きなふたりが和気あいあいと料理できる環境に。

⑥ リビングスペースの中心に現代的な囲炉裏をデザインする。

ご近所の方々や友人を招いて、ホームパーティーをすることも。〈丹生川上神社〉の鳥居からインスピレーションを得た東屋は、フィリックスさんが友人の手を借りて、地元の木材を使用し建てたもの。「日本の美しい建物、美しい木材への愛と感謝、敬意を示しています」とフィリックスさん。

ご近所の方々や友人を招いて、ホームパーティーをすることも。〈丹生川上神社〉の鳥居からインスピレーションを得た東屋は、フィリックスさんが友人の手を借りて、地元の木材を使用し建てたもの。「日本の美しい建物、美しい木材への愛と感謝、敬意を示しています」とフィリックスさん。

フィリックス・コンランさん、 奈良県東吉野村で、 なにをしているんですか?

モダンデザイン&ファニチャー界の巨匠の回顧展が開催中

2024年10月12日から2025年1月5日まで、東京ステーションギャラリーにて
『Terence Conran: Making Modern Britain
(テレンス・コンラン モダン・ブリテンをデザインする)』が開催されている。

本展は、〈ザ・コンランショップ〉の創業者で実業家・デザイナーの、
テレンス・コンラン氏(1931〜2020年)がデザインした食器やテキスタイル、
家具などの初期プロダクトから、発想の源でもあった愛用品、著書、写真、映像まで
300点以上集めた回顧展。

彼のモットーである「Plain, Simple, Useful(無駄なくシンプルで機能的)」
という思考に触れながら「デザインとはなにか」を考える機会となりそうだ。

バートン・コート自邸内の仕事部屋、2004年撮影 Photo: David Garcia / Courtesy of the Conran family

バートン・コート自邸内の仕事部屋、2004年撮影 Photo: David Garcia / Courtesy of the Conran family

ザ・コンランショップの紙袋、1980年代、デザイン・ミュージアム/テレンス・コンラン・アーカイヴ蔵 Courtesy of the Design Museum / Courtesy of the Conran family

ザ・コンランショップの紙袋、1980年代、デザイン・ミュージアム/テレンス・コンラン・アーカイヴ蔵 Courtesy of the Design Museum / Courtesy of the Conran family

「祖父は生前、日本に生まれたかったと言っていました。
日本が大好きで、人々の技術に対する情熱と献身に深い感銘を受けたそうです」

そう話すのは、テレンス・コンラン卿の孫で、
自身も家具やプロダクトのデザイナーとして活躍するフィリックス・コンランさんだ。
実はフィリックスさんが現在暮らすのは、住民1500名ほどの小さな村、奈良県東吉野村。
パートナーのエミリー・スミスさんと2匹の犬とともに2024年4月に移住した。
そんな稀代のデザイナーを祖父に持つ青年の新天地での挑戦を追った。

酒飲みらしさ全開!  新潟市古町で出合う「半身揚げ」と 名物豚汁で奇跡のコラボが実現 あなたのまちの焼酎ハイボール アテ探し旅

全国で思わずその場で缶を空けたくなるほど魅力的な
「焼酎ハイボールのお供」を見つけるこの連載。
今回は、新潟県新潟市にUターン移住し〈上古町の百年長屋SAN〉の副館長を務める、
金澤李花子さんがアテンドします。

金澤李花子さん

新潟市の中心市街地・新潟古町で、市民からこよなく愛されるアテを探す

古くから北前船や開港五港の港まちとして、
日本の東と西を結ぶ物流の重要拠点の役割を果たしたこの場所。
外からの客人を迎える機会が多かったことから
飲食店が多く立ち並び、美食と美酒を武器にして
切磋琢磨しながら、今もなお食文化が昇華され続けるエリアがある。

それが今回案内する、新潟市古町だ。

信濃川の河口がある新潟市は、人口80万人が暮らす政令指定都市。中心市街地には商業ビルや高層マンションもありながらも、全国で水田面積が一番広い市町村として、米どころ・新潟を代表するエリアだ。

信濃川の河口がある新潟市は、人口80万人が暮らす政令指定都市。中心市街地には商業ビルや高層マンションもありながらも、全国で水田面積が一番広い市町村として、米どころ・新潟を代表するエリアだ。

古町は、古町通を中心としたまちの呼び名である。
前述の物流拠点という地の利から
明治時代には人口が日本一だった古町は、
JR東京駅から上越新幹線に乗って2時間ほど
終点駅の新潟駅から、公共交通機関で10分ほどの場所にある。

左側が古町のある「新潟島」と呼ばれるエリア。中央の信濃川と右奥の日本海によって、上から見るとひとつの島のように見えることからそう呼ばれるようになった。さらに左奥にはうっすらと、世界文化遺産に登録された金山を有す佐渡島がある。

左側が古町のある「新潟島」と呼ばれるエリア。中央の信濃川と右奥の日本海によって、上から見るとひとつの島のように見えることからそう呼ばれるようになった。さらに左奥にはうっすらと、世界文化遺産に登録された金山を有す佐渡島がある。撮影:飯山福子

その昔、船で新潟に行き来していた多くの商人たちは、
長い旅の道中、一定期間この古町に滞在して飲食を楽しんでいたそうだ。

そんな彼らを出迎えることから育まれたもてなしの文化が、
かつての日本三大花街をつくり
今でもこのまちに美食家がはるばる足を運ぶ理由でもある。

もてなすための料亭もさることながら、
そんな文化を支える地元民のための飲食店もまた
しのぎを削り合っている。

今回焼酎ハイボールのアテとしてご紹介する2店舗は、
どちらも地元民から愛されるローカルグルメの専門店。

ちょっと食には口うるさい市民の代表として(笑)、
大好きなアテを求めて、まずはあの暖簾を目指そう。

庶民の味方は、暖簾系居酒屋!

建物の半分が緑に覆われた〈鳥専門店 せきとり〉。

建物の半分が緑に覆われた〈鳥専門店 せきとり〉。

昭和34年創業、今年で65年目になる。

昭和34年創業、今年で65年目になる。

まずは、にいがた名物「半身揚げ」の元祖である〈鳥専門店 せきとり〉へ。

昭和34年の創業当時からこの場所で鳥専門店を営んでいるが、
新潟で鳥? という方も多いのではないだろうか。

「祖父が創業した鳥専門店ですが、元はこの場所に養鶏場があったんです。
当時、養鶏は親族が経営していて、
それだけでやっていくには難しい時代になってきたということで
祖父が試しに鶏一羽を半分にして油で揚げたのが、今でも続く半身揚げです」

そう話してくれたのは、3代目店主の関雅仁(せき・まさひと)さん。
もともと養鶏場だったからできる鳥の豪快な使い方に、納得だ。

この半身揚げは、いわゆる唐揚げとは異なり、味付けがカレー味で、
スパイシーで大きいのが特徴だ。だが、なぜカレー味なのか。

味付けはカレースパイスと塩のみ。揚げる直前にさっと味をつけて油で揚げるだけ。

味付けはカレースパイスと塩のみ。揚げる直前にさっと味をつけて油で揚げるだけ。

「半身揚げをカレー味にしたのも創業当時からで、祖父のアイデアです。
カレーは学校給食で馴染みの味で、みんな好きだからだと聞いています」

実は、新潟市は総務省の家計調査で、
1世帯あたりのカレールウの年間支出金額と購入数量が全国1位の、
カレー大好きという県民性がある。
※家計調査(ふたり以上の世帯)品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2020年~2022年の平均)による。

確かに、私も週に一度以上はカレーを食べるし、
カレーライスの翌日に、カレー蕎麦にいっちゃうな……
と、65年前の初代のマーケティング力に驚く。
今では市民の大好物になっている半身揚げのほかに、
全国的にはあまり知られていない、もうひとつの人気のメニューがある。

それが、この「蒸し鶏」。

秘伝のスープで半身を30分かけて煮る。煮詰まっていくスープが半身に染み込んで、ジューシーな仕上がりに。

秘伝のスープで半身を30分かけて煮る。煮詰まっていくスープが半身に染み込んで、ジューシーな仕上がりに。

蒸し鶏キャベツ

半身揚げより蒸し鶏派という常連さんもいるほど、根強い人気を誇るメニューで、
店でいただくときには千切りキャベツを一緒に頼んで
鶏を煮ていたスープに浸して食べるのがツウな食べ方だ。

店内の様子

メニュー。

名物の半身揚げ・蒸しは、時価。

日本唐揚協会が主催する〈全国からあげグランプリ 半身揚げ部門〉では
13年連続で金賞を受賞し、ご当地グルメとして全国区の知名度となったせきとり。

3代目としてお店を続けているなかで、大切にしていることをうかがうと、

「やっぱり、この味を守りながら続けていくことですね。
遠方にこの味を送りたいと言ってくださるお客様もいらっしゃるので
通販でお届けができるようにもしています。
より多くの方が手軽にどこでもこの味を召しあがれるように。
冷凍だからおいしくないね、なんて言われないようにしたいなと(笑)」

控えめに実直に、おいしいものをおいしい状態で届けたいと語る姿は
地元民にとって頼もしく、ありがたく、かっこいい職人の背中だった。

関さんが着用しているTシャツなど、店内で販売している〈せきとり〉ロゴグッズも、ファン心をくすぐる。

関さんが着用しているTシャツなど、店内で販売している〈せきとり〉ロゴグッズも、ファン心をくすぐる。

勝手に作る商店街サンド: まるでシーガイアのように そそり立つチキン南蛮サンド完成! 宮崎市・若草通商店街編

商店街サンドとは

〈商店街サンド〉とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチをつくってみる企画。
必ずといっていいほどおいしいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる、一石二鳥の企画なのだ。

宮崎県宮崎市が舞台!

今回やってきたのは宮崎県宮崎市。
まちなかにはヤシの木があちこちに見え、まさに南国!

空港からも近い県庁や定番の観光スポット・青島神社では、
南国の木々に囲まれていてとても宮崎らしい光景を見ることができる。

宮崎県庁。九州で唯一、戦前から残る県庁舎だそう。繁華街からも近い場所にあります。

宮崎県庁。九州で唯一、戦前から残る県庁舎だそう。繁華街からも近い場所にあります。

宮崎市の定番観光スポットのひとつ、青島神社。島全体が境内とも言われ、熱帯・亜熱帯植物に囲まれ神秘的! 島へは橋がかかっていて、徒歩で渡れます。

宮崎市の定番観光スポットのひとつ、青島神社。島全体が境内とも言われ、熱帯・亜熱帯植物に囲まれ神秘的! 島へは橋がかかっていて、徒歩で渡れます。

青島神社までの道には「鬼の洗濯岩」と呼ばれる奇岩の景色が広がり、こちらも圧巻!

青島神社までの道には「鬼の洗濯岩」と呼ばれる奇岩の景色が広がり、こちらも圧巻!

自然のエネルギーあふれる宮崎市にはほかにも、
まちなかに厳かに鎮座する宮崎神社や一大リゾート施設のシーガイアがあったり、
足を伸ばせば古代ロマンあふれる古墳群などを見たりすることができる。

海沿いにそびえ建つリゾート施設のシーガイア。そこだけ嘘みたいに大きくて驚く!

海沿いにそびえ建つリゾート施設のシーガイア。そこだけ嘘みたいに大きくて驚く!

そんな宮崎市には、商店街がたくさん集まる賑やかなエリアがある。

これまたヤシが並び南国感ただようメインストリート「橘通り」、
通称“ニシタチ”と呼ばれ郷土料理店や居酒屋が集まる「西橘通り・中央通り」、
生活用品やファッションが集まる「一番街・若草通り」など。

そのなかでも今回は、若草通り周辺に絞って商店街サンドをつくってみることにした。

若草通商店街。歴史は長く、宮崎市民に深く愛されているという通り。

若草通商店街。歴史は長く、宮崎市民に深く愛されているという通り。

ファッション系のお店や、気軽に寄れそうな食事処がチラホラ。

ファッション系のお店や、気軽に寄れそうな食事処がチラホラ。

若草通商店街は、ファッションからグルメまで、幅広いジャンルのお店が並ぶ商店街だ。

細道がおもしろい!

歩いてみると、ところどころに散策甲斐のある横道が通っていることに気づく。

もっとも目を引いたのは「楽しいお買い物 文化ストリート」の看板がある細道。
時代を感じさせるデザインの看板に、思わず胸がキュンとなる。

昔はこの細い道の中にたくさんお店が並んだのだろう。

こういう入り口があったら入りたくなっちゃいますよね!

こういう入り口があったら入りたくなっちゃいますよね!

時が止まってしまった通り。魚屋さんがあったんだな。

時が止まってしまった通り。魚屋さんがあったんだな。

この文化ストリートにはかつてレコード店や化粧品屋、呉服屋、靴屋などの
日用品店のほかに、鮮魚店やお肉屋、八百屋、お菓子屋なんかもあったようだ。

その当時なら、このストリートだけで商店街サンドが完成したかもしれない。

細道のなかにはいい雰囲気の飲食店がまだ残っているところも。

細道のなかにはいい雰囲気の飲食店がまだ残っているところも。

宮崎の代表的なグルメ、チキン南蛮の発祥のお店〈味のおぐら〉も発見!

宮崎の代表的なグルメ、チキン南蛮の発祥のお店〈味のおぐら〉も発見!

彼ら、彼女たちはどう表現した? 文化人が愛した船旅

船旅への愛情表現を通じて、船旅の楽しさを知る

1990年頃、バブルの影響もあって海外旅行への機運が高まっていた時代。
日本籍の大型客船が誕生し、クルーズ旅行は一部の富裕層のものから、
頑張れば手が届く憧れとなった時代でもある。
優雅で刺激的なクルーズ船旅は、数多くの文化人からも愛され、
クルージングを楽しむ様子は作品を通してうかがい知ることができる。

今回は5名の作家や脚本家、イラストレーター、フォトグラファーのエッセイや著作から、
船旅への愛情表現を紹介する。
詩的で独特な表現を通して、船旅の真のよさを感じてもらいたい。

物見遊山は楽しいけれど、移動は疲れるというのが旅ならば、
船旅は、旅にあって旅にあらずと言い切れます。
移動のあいだののんびりとした時空間、
浮き世の憂を、丸ごと全部陸に置いてきぼりにしてきてやったぞぉ、という快感! 
たまりません。
(宮部みゆき『波』掲載『なんでもありの船の旅』新潮社刊より)

ミステリー作家の宮部みゆきさんが〈ふじ丸〉に乗り、
小笠原クルーズを初体験した紀行文。
ふじ丸は2013年に引退し、2021年にはスクラップとなってしまっただけに、
今や貴重な体験記だ。
その内容はデラックスルームをひとり占めし、
クジラありカジノあり機関室見学から冷凍庫探険まで。
まさしく“なんでもありの”船の旅を軽快に綴る。

人には惚れてみよ、船にはのってみよ。
360度の水平線から登って沈む太陽、白い雲、青い海、
24時間変化に富んだ揺り籠。
たまらんです、たまらんです。
ああ、もう、乗りたい! 船が呼んでいる!
(杉浦日向子『杉浦日向子ベスト・エッセイ』掲載『日経おとなのOFF』より)

オシャレにもグルメにも美容にも収集にも興味がないという文筆家・杉浦日向子さんの、
唯一の道楽は「船旅」なのだとか。
ギャラの換算は、「船何泊分」で考えるというから筋金入りの船好きだ。
NHK『お江戸でござる』レギュラー撮りの関係で、
6日以内の国内ショートクルーズが多かったそうだが、
2度のがんの手術後に南太平洋クルーズへ出かけたという。
最期まで船を愛していた人柄が偲ばれる。

私はアラスカクルーズで船旅に目覚めてから、
郵船クルーズの「飛鳥」や
その後継船の「飛鳥」でよく船旅をするようになりました。
長い航海になると、乗った時は別々だった人たちが、
船を降りる頃にはたいてい長年の知り合いのようになっています。
つくづくクルーズは友だちをつくるにはもってこいの場だなと感じています。
(橋田壽賀子『旅といっしょに生きてきた』祥伝社刊より)

夫婦で船に乗り互いにじっくり向き合うことにより、喧嘩をすることがあっても、
逃げも隠れもできないし、海の上だから、嫌なことを水に流すのは簡単かも……
と、夫婦での船旅参加を提唱する脚本家の橋田壽賀子さん。
ご自身も、世界一周クルーズ、南極クルーズ、南米クルーズと4度のクルーズ旅を
経験しているのだとか。旅の準備、持ち物や船上での人付き合いの話は、
現代にも通じるものあり。乗る前に読みたい1冊だ。

船旅は愉しい。それはめちゃくちゃに愉しいといってもいい。
素敵な人と出会い、コックさんご自慢の最高の料理を味わい、
海という自然の中に身を任せながら、連夜のパーティーで盛り上がる。
そこではあらゆる愉しみがよりどりみどりなのである。
(中略)
ナーンにもしない。ただひたすら遊ぶ。
こんなぜいたくな時間の過ごし方が船旅の豊かさなのだろう。
(石郷岡まさお『船旅への誘い クルージング讃歌』東京書籍刊より)

1990年に〈にっぽん丸〉3代目の初航海に参加した
フォトグラファーの石郷岡まさおさんが写真を、
イラストレーター柳原良平さんが文章を寄せた、『船旅への誘い クルージング讃歌』。
そのあとがきに記されているのは、クルーズ船に対する石郷岡さんの熱い思い。
スナップフォトのような軽やかな写真からも船の魅力がひしひしと伝わってくる。

今、家にいて、こうして文章を書いていて、一息入れて目をつぶり、
静かな甲板の上でデッキチェアにもたれて
海の音だけが聞こえてくる情景を思い出すと、
ああまた船に乗りたいなァと思えてくる。
キャプテンのパーティーやカジノを思い出しても
私はさして船に乗りたい気持にはなってこない。
何もしないもの憂げな甲板でのひとときが私には魅力なのだ。
(柳原良平『船旅への誘い クルージング讃歌』東京書籍刊より)

時は平成元年。クルーズ元年ともいえる、日本籍の大型客船の相次ぐデビュー。
国内外問わずクルージングに魅了され続けてきたイラストレーター・柳原良平さんが、
仲間たちとともににっぽん丸の初航海へ。
食事、バーはもちろん、甲板でぼんやりと過ごしたかと思えば、
船内プログラムにも顔を出し、客人との会話を楽しむなど、船を使いこなす技はお見事。
「楽しませてもらおうと思うのではなく、楽しんでやるぞと思って船に乗ってほしい」
という氏の言葉が思い返される。

クルーズ船で有明からまずは別府へ、 そして佐世保へ。 港をつないでいく旅

船上から見た港まちは、味わい深い

港まちにとって、クルーズ船の初寄港はとても大きなニュースらしい。
そのことを知ったのも〈クイーン・エリザベス〉での船旅がきっかけだった。

5月上旬。英国〈キュナード〉社の大型客船クイーン・エリザベスが、
大分・別府と長崎・佐世保に初寄港(佐世保は初停泊)した。

船上から見た別府のまち。白い船は大阪行きの〈さんふらわぁ号〉。

船上から見た別府のまち。白い船は大阪行きの〈さんふらわぁ号〉。

先に寄港したのは別府。早朝にもかかわらず、埠頭で「Welcome to Beppu」と手書きの看板を掲げる人がいる。巨大な船舶をひと目見ようと大勢の市民が待っていた。

先に寄港したのは別府。早朝にもかかわらず、埠頭で「Welcome to Beppu」と手書きの看板を掲げる人がいる。巨大な船舶をひと目見ようと大勢の市民が待っていた。

別府港に碇泊したクイーン・エリザベス。

別府港に碇泊したクイーン・エリザベス。

別府では入港セレモニー、佐世保では〈クイーン・エリザベスフェスティバル〉が行われ、
旅客船ターミナルは歓迎ムードに包まれた。

別府でのセレモニーの様子。大分県国際観光船誘致促進協議会長の長野恭紘別府市長(左から3番目)とアウレリアーノ・マッツェッラ船長(中央)ら関係者が挨拶し、港章の交換が行われた。

別府でのセレモニーの様子。大分県国際観光船誘致促進協議会長の長野恭紘別府市長(左から3番目)とアウレリアーノ・マッツェッラ船長(中央)ら関係者が挨拶し、港章の交換が行われた。

佐世保港では、佐世保市のご当地キャラクター・バーガーボーイとボコちゃんが出迎えてくれたほか、地元の高校生によるバトントワリングの演舞や、ゴスペルコンサート、地元企業による出店で、初寄港・初停泊を歓迎した。

佐世保港では、佐世保市のご当地キャラクター・バーガーボーイとボコちゃんが出迎えてくれたほか、地元の高校生によるバトントワリングの演舞や、ゴスペルコンサート、地元企業による出店で、初寄港・初停泊を歓迎した。

初めてその土地に寄港をすると、寄港地から盾や記念品が贈呈されるという慣習がある。
船内の一角に、それらの品物が博物館のように納められているのだが、
世界各国の贈り物のなかで、ひときわ存在感を放つ、
日本の伝統工芸品の数々を見ることができる。
広島港の記念品はしゃもじ、神戸港は高砂人形、
秋田港は本荘ごてんまりといった品々が並び、
世界中を旅してきたクイーン・エリザベスの軌跡と、
寄港地の名産・特産を知ることができるスペースは一見の価値ありだ。
今回の旅を経て、別府市の竹細工と、佐世保市の三川内焼の記念品も加わるのだという。

日本の伝統工芸品が集合する一角。バー〈コモドアー・クラブ〉へ行く通路にあり、多くの客が目にする。

日本の伝統工芸品が集合する一角。バー〈コモドアー・クラブ〉へ行く通路にあり、多くの客が目にする。

別府と佐世保に共通することは、どちらも陸地からは行きにくいところで、
空港からバスやレンタカーで1時間ほど移動することになる。
インバウンドの観光客がもともと多い両市だが、
ダイレクトに2000人から3000人が寄港地にアクセスするクルーズ船は、
インパクトも大きい。

近年ではクルーズ船客を呼び込もうと、国際ターミナルの新設や整備改修、
多言語対応が進んでおり、
別府港は2011年に大型旅客船が接岸可能な旅客船ふ頭が利用開始され、
佐世保港も2015年に国際ターミナルビルを改修し、
〈葉港テラス〉という愛称がつけられた。
他県に目を向けると、2020年に金沢港クルーズターミナル、
東京・有明に東京国際クルーズターミナルがオープン。
隻数も増え、今後ますます“日本のローカル巡りは船旅で”という需要が高まるといえそうだ。

クイーン・エリザベス乗船記  美しき洋上の女王で日本をめぐる

やっぱり船でないと!

筆者はこれまで、『コロカル』の取材先や旅先で大小さまざまな船に乗船してきた。
何なら、すすんで海路を選んですらいた。
博多港から五島列島へ行く深夜便のフェリー、長崎は佐世保の九十九島クルーズ、
竹芝客船ターミナルから大島や式根島へ行くジェットフォイルやフェリー、
北欧や欧州でのクルージングも経験した。

大海原に繰り出していく冒険感、ゆったりと流れる船上の時間、
陸地が見えたときのささやかな喜び。
船旅が好きな理由はいくつもあるが、
とどのつまりは、どんな場所のどんな船からでも、
海上からの景色は忘れ難い美しさで、
それは船でないと経験できないからだろう。

長いコロナ禍が明け、国内外の渡航も規制がなくなった。
久方ぶりの船旅に思いを馳せていた矢先に、
〈クイーン・エリザベス〉に乗る機会を得た。
別府、釜山(韓国)、佐世保、清水に寄港する初夏の10日間の船旅だという。
これが渡りに船か。

こうして私はクイーン・エリザベスに乗る。
初めに言っておくと、これがなんともすばらしい体験だった!
今回の特集のタイトル「船旅礼賛」は、私の心からの気持ちだ。

洋上の女王 クイーン・エリザベスに乗る

5月某日、出港日。乗船の2時間前に到着すると
有明の東京国際客船ターミナルにはすでにクイーン・エリザベスが碇泊していた。
英国女王エリザベス2世に命名された、世界で最も有名な豪華客船だ。

クイーン・エリザベス

船体のデザインは、非常に「船らしい船」だ。
サントリー社「アンクルトリス」の生みの親である
イラストレーター・柳原良平氏が
好んで〈クイーン・エリザベス〉や〈クイーン・エリザベス2〉を
モチーフにしたと聞いていたが、
その流れを組むこの3代目のクイーン・エリザベスもまた、
気品ある佇まいが非常に美しかった。

外観からして巨大だとは思っていたが、
この船が12階建てだと知ったのは船内のエレベーターに乗ってからだった。
2000人超の乗客と約1000人のクルーが10日間以上生活できる、
洋上の移動式ホテル、いや、ここで生活を送るのであれば“まち”だ。
ショップがあり、カフェやバーがあり、アートギャラリーや図書館があり、
トレーニングジムがある。船内では乗客同士すれ違いざまに軽く会釈をしつつ、
プライベートが尊重されるこの感じは、町内会のコミュニティに近いのだと思った。
非日常の環境のなかで、好きに飲食をしたり体を動かしたりと日常を感じられるのは、
船旅のいいところだった。

現行の3代目クイーン・エリザベスは2010年に就航。
初代クイーン・エリザベスの、1930年代のアール・デコを基調とした
落ち着きのある雰囲気に、
タイタニック号の流れをくむ英国伝統の格調の高さを感じさせる。

エリザベス女王乗船の記録が博物館のように展示されている。

エリザベス女王乗船の記録が博物館のように展示されている。

細やかな装飾が美しい大階段。

細やかな装飾が美しい大階段。

注目したのは床。タイルや大理石、カーペット、フローリングなど、
場所によって素材やデザインが細かく変えられ、
パブリックスペースには扉があまり取り付けられていない船内では、
床のデザインの切り替えが空間の区切りのような役割とリズムをもたらす。

廊下のカーペット。直線的で左右対称な図案はアール・デコスタイルを象徴する意匠だ。

廊下のカーペット。直線的で左右対称な図案はアール・デコスタイルを象徴する意匠だ。

船内中央の吹き抜けの、寄木細工製の大きなレリーフも見事だ。
ひと目で上質さや高貴さが伝わるレリーフを中央に据えつつ、
そこまでの動線となる床や階段、手すり、調度品など、
細部にわたって塵ひとつなく磨き上げられている。

船内のシンボル、寄木細工でできた大きなレリーフは、エリザベス女王の甥で世界的な彫刻家・デビッド・リンリーの作品。

船内のシンボル、寄木細工でできた大きなレリーフは、エリザベス女王の甥で世界的な彫刻家・デビッド・リンリーの作品。

ライブラリーの天井はステンドグラス。

ライブラリーの天井はステンドグラス。

そして伝統を重んじるスタイルでもある。
珍しいことに現在でも等級制を維持しており、
キャビン(客室)は大きく4つのカテゴリーに分かれ、
それぞれ専用のメイン・ダイニングを有する。
だが、それも堅苦しいものではなく、メイン・ダイニング以外のカフェや
たいていのレストランはどのカテゴリーでも利用可能なのだ。

 伝統を重んじつつ、この軽やかさも魅力。日当たりのよいカフェスペース〈ガーデン・ラウンジ〉にはポップアート界の奇才・Mr. Brainwash の特注壁画が。

伝統を重んじつつ、この軽やかさも魅力。日当たりのよいカフェスペース〈ガーデン・ラウンジ〉にはポップアート界の奇才・Mr. Brainwash の特注壁画が。

どうやって申し込む? 船内の過ごし方は? クルーズ初心者に捧げる、船旅AtoZ


知っておきたい、クルーズ船のあれこれ

移動手段であり、ホテルでもあり、まちでもあるクルーズ船。
今まで空や陸の旅しか体験していない人は、
クラシカルなのに新しい! と、驚くかもしれない。

今回は、クルーズ船にまつわるあれこれを、AからZのキーワードで紹介。
未知の世界だったクルーズ船の旅が少しでもクリアになればうれしい。

Agency or Official site(旅行代理店か公式サイトか)
クルーズ旅行を申し込む際には公式サイトの直予約などの個人手配のほかに、
代理店を通じて申し込むことも多い。
代理店の場合は、クルーズアドバイザー認定試験に合格した「クルーズコンサルタント」や
「スペシャリスト」による事前説明会があると、初めての方も安心。

Boarding(乗船)
いざ、乗船。以下はクイーン・エリザベスのケース。
乗船券に記載されている乗船時間に合わせてターミナルへ向かう。
オンラインチェックインで事前に顔写真やパスポートナンバー、
クレジットカードなどの登録を済ませておくとスムーズだ。

さらにクイーン・エリザベスのような外国船舶に乗船する場合は、
日本発着の国内クルーズであってもパスポートが必要となる。
飛行機同様、残存期間が下船日より6か月以上あることが必須なので、期限を要チェック。
渡航先によってはビザ(訪問国査証)や場合によっては予防接種証明書が必要な場合も。

また、乗船前にターミナルで荷物は預けておくことができるので、
ラゲージタグの印刷・荷物への貼り付けも忘れずに。

Crews(乗務員)
これから一緒に数日間過ごす乗務員たち。
クイーン・エリザベスの場合、
サービス料(ホテル・ダイニングサービス料)は自動的に加算される。
また、特別なサービスを受けたスタッフヘのチップは直接本人に渡すことができる。
日本発着のクルーズであれば、日本語応対スタッフが常駐しており、
快適で贅沢な旅をサポートしてくれる。

Dance(ダンス)
社交ダンスデビューは洋上でいかが?
クルーズ船ではドレスアップしてソシアルダンス(社交ダンス)を
楽しむ機会が非常に多くある。
ダンスを習っていたらより楽しめるが、事前にレクチャータイムがある船も。
ドレスコード指定や、テーマが設定されていることもあり、非日常の空間に心も踊る。
パートナーとともに忘れられない滞在を。

部屋に届いた招待状(クイーン・エリザベス)

マスカレード・パーティー(仮面武道会)に「ブラック&ホワイト」のドレスコード指定のパーティーのお知らせ(クイーン・エリザベス)。

Event(船内イベント)
船内では昼夜問わずさまざまな催しが行われ、暇をしている時間がない。
クイーン・エリザベスで1日に行われるイベントやアクティビティはおよそ80〜100。
クイズイベントや映画鑑賞、交流の場(おひとり様の集い、禁酒友の会、合唱の時間など)
参加は任意なので、大々的なイベントが行われているすきにバーでゆっくり過ごす……
なんてオトナなひとときも大いにアリ。

海なし県でも旨い魚がある理由とは? 情熱とエンタメ溢れる 〈大宮市場〉へ! あなたのまちの焼酎ハイボール アテ探し旅

抜群の旨みを持つマグロが埼玉にあった!

焼酎ハイボールのアテ探し旅。
今回はさいたま市北区の〈大宮総合食品地方卸売市場〉通称〈大宮市場〉へ。
こちらはプロだけではなく、一般の来場者も購入可能。
場内ならではの空気感のなかで、
目利きのガイドで市場の魚を買えるというのは贅沢だ。
そして、買い物を楽しんでいると発見が。
いわゆる海なし県といわれる埼玉の市場だけど、
情熱とエンタメ溢れる“だからこそ”の魅力があったのだ。

魚市場と青果市場からなる〈大宮市場〉(大宮総合食品地方卸売市場)

魚市場と青果市場からなる〈大宮市場〉は、埼玉県内の市場では最大の規模と取扱高を誇る。水産と青果の二本柱のほか、関連する精肉、包装、日用品から、飲食料品なども豊富で、一日いても飽きなさそう。

まずは市場の華ともいうべきマグロ。
この市場の歴史とともに歩んできた〈丸長〉へ。
見事な手さばきとともに、マグロの豆知識を流ちょうに、
落語の名人芸のような調子で話すのは2代目の長川順一さん。

市場の入口側にあり入りやすい雰囲気の〈丸長〉。

市場の入口側にあり入りやすい雰囲気の〈丸長〉だが、一歩足を踏み入れればピリッとしたプロの仕事場という緊張感も。ただ、この空気感に触れられるのも市場場内に踏み込む喜び。

マグロのプロにしてしゃべりのプロ? 仕事場をステージにしてしまうかのような代表の長川さん。

マグロのプロにしてしゃべりのプロ? 仕事場をステージにしてしまうかのような長川さん。第3土曜日の一般向けイベントでは解体ショーも行う。実は市場の副理事長。来場者に喜んでもらえる施策にも取り組んでいる(右は著者)。

「今切っているのはインドマグロ。南アフリカのケープタウンから来たやつね。
インドマグロの生息範囲は南アフリカからオーストラリアのインド洋。
本マグロは北半球、ニューヨークからアイルランドがいい漁場だ。
長崎、沖縄、和歌山、地中海のトルコやマルタあたりは養殖があって、
あまり知られてないけど11~2月あたりに出る、
チリのバチマグロは抜群の風味と脂の質よ。
これ食べた人が必ず言うのは、『こんなの食べたことない!』
気に入ったんで自分たちで直接買い付けたんだ」

宝の山ともいうべきマグロの冷凍貯蔵庫。

宝の山ともいうべきマグロの冷凍貯蔵庫。自家用車何台か分のストック。「中はマイナス40度。扉を閉めて10分、15分作業をします。だから、あなた方と違って肌がコーティングされちゃって寒さなんか感じないんだよ(笑)」(長川さん)

ノコギリでカット

マグロを捌く道具も目の前で見られる。

マグロを捌く道具も目の前で見られる。薪を割るナタの改良版をはじめ、魚というより木工所、林業を思わせるような錯覚に陥る。

さらに部位それぞれの味わいの違いや、冬と夏の性質の違いから適した食し方など、
マグロ愛、魚愛が止まらない。
マグロと焼酎ハイボールの相性は抜群!
と以前も書いたけれど、プロの情熱的な話を聞きながらだと、
どんなマグロのどんな部位を合わせようかと気分もアガる。

長川さんの笑顔

「酒と合わせるの? いやぁ、いいねえ。私も飲むの好きなんで(笑)」
と長川さんの笑顔もなんだかうれしい。

ということで、おすすめいただいたなかから
ケープタウン沖の脂多め、赤身多めの2種をセレクト。

マグロを手際よくカット

すると「うちだけじゃなくていろいろ回るんでしょ。ほかのところも案内するよ」
とうれしい提案。

市場内の業者は商売がたきとまではいわないけれど、
ライバル関係にあるのではと勝手に思っていたのだが、
「今はそういう時代じゃないからね」と長川さん。
1986年(昭和61年)の市場マップを奥から取り出してくれて、
「この頃に比べたら、今は仲卸業者も半分ぐらいに減ったかな。
だから、守っていくためには助け合って。
それにそのほうがお客さんもうれしいでしょ。
いい生屋(上質な鮮魚を扱う卸)を紹介するよ」

確かに、目利きたちが手を取り合って、市場内で、ワンストップで提供してくれる。
プロの特権かとおもいきや、一般来場者でも歓迎とのこと。
アテ探しの楽しさがますます膨らむ。

シェアキッチンや 長年愛される町中華、主婦の食堂まで 「まちで愛されるごはん屋さん」 をチェック!


今月のテーマ 「まちで愛されるごはん屋さん」

地元の人の行きつけの店。

この言葉にグッとくる人も少なくないのではないでしょうか。
ガイドブックや口コミサイトでよく見かけるお店とはひと味ちがい、
常連客に混じって食べるメニューはおいしさ以上の特別な何かがあります。

今回はまちで長く愛される町中華や、
現代らしいシェアキッチンスタイルのお店、地元の主婦が運営するお店など
その土地で「愛されてるごはん屋さん」をご紹介。
実際に住んでいる人たちが通う“お墨付きのお店”は必見です。

【福島県耶麻郡猪苗代町】
「食事に楽しさを。まちに元気を」個性派ぞろいの店主が集うシェアキッチン!

JR磐越西線の猪苗代駅。
そこから磐梯山のふもとまで伸びる中央商店街。
その最奥部に〈ななかまど食堂〉があります。
曜日と時間帯によってお店が変わるシェアキッチン。
食事はもちろん、楽しい出会いがたくさん生まれます。

〈ななかまど食堂〉のシンボルマークは猪苗代町のまちの木であるナナカマドがモチーフ。1週間で「七つの竈(かまど)」という意味も込められています。

〈ななかまど食堂〉のシンボルマークは猪苗代町のまちの木であるナナカマドがモチーフ。1週間で「七つの竈(かまど)」という意味も込められています。

飲食店を始めてみたいという人のチャレンジスペースになっているこの店は、
本当にたくさんのジャンルのお食事が楽しめます。
2022年6月1日のオープン以来、お蕎麦屋さん、カフェ、カレー屋さん、
焼肉屋さん、牛丼屋さん、居酒屋さん、ワインバー、スナックなど、
たくさんのお店が営業し、卒業していきます。

昨年卒業して会津若松市にお店を構えた〈きちんとごはん虹〉のカツ丼。

昨年卒業して会津若松市にお店を構えた〈きちんとごはん虹〉のカツ丼。

現役営業していて、平日の3日間を担当する〈二択のしづや〉のカレーラーメン。

現役営業していて、平日の3日間を担当する〈二択のしづや〉のカレーラーメン。

春に卒業し、喜多方市でお店を出す〈ソラノネcaféさん〉のスパイスカレープレート。

春に卒業し、喜多方市でお店を出す〈ソラノネcaféさん〉のスパイスカレープレート。

「今度新しく始まるお店は何の店だろう?」「どんな人がやるのかな?」
そんな思いを馳せながら、ワクワクと暖簾をくぐる。
それが〈ななかまど食堂〉の特製スパイスです。

常連さんのなかには、
「同じ場所にあるのに、違う店をたくさん回っているみたい(笑)」
なんていう方もいます。
みなさんも来ていただければ、きっと気に入るお店が見つかります。

〈ななかまど食堂〉外観。

〈ななかまど食堂〉外観。

SNSなどで日々更新される店舗情報をチェックしながら、足を運んでみてください!

information

map

ななかまど食堂

住所:福島県耶麻郡猪苗代町新町4931-1

TEL:050-3095-7497

MAIL:info@awre.co.jp

Web:シェアキッチン ななかまど食堂

photo & text

遠藤孝行 えんどう・たかゆき

福島県の会津に位置する「猪苗代町」で地域おこし協力隊をしています。もともと東京でエンジニアをしていたこともあり、ITのノウハウを活かして「ふるさと納税」と「猪苗代湖の環境保全」を担当しております。現在、協力隊3年目となり、情報発信・教育・観光事業を主とした株式会社アウレを起業しました。

【北海道】
〈浜の母ちゃん食堂〉北海道・羅臼産の味覚を堪能あれ!

今回紹介するのが、
町内の飲食店減少の対策として立ち上げられた〈浜の母ちゃん食堂〉。
羅臼に在住する主婦たちが立ち上げた
「Join-Rausu美活塾」に所属する方々が運営している食堂です。

営業は10名様以上の団体のお客様から予約があったときのみとなっていて、
取材でお邪魔させていただいたときのメニューはこちら。
もちろん海産物はすべて知床羅臼の海で獲れたものばかりです!

撮影日のメニューはこちら。

撮影日のメニューはこちら。

・羅臼昆布ごはん
・スケソ鍋
・刺身(ボタンエビ、タコ、サクラマス、ブリ、ウニ)
・ホタテ稚貝のかき揚げ
・宗八カレイの甘酢あんかけ
・キンキの半身焼き
・羅臼昆布チップス
・茶碗蒸し

メニューはその時々で替わります。
町内にはほかにももちろん飲食店はありますが、
特別感の味わえる〈浜の母ちゃん食堂〉を体験してみるのもおすすめします!

今の時期だと、貴重なエゾバフンウニ、サクラマス、スケソウダラ、
春から夏にかけては脂がたっぷり乗ったサケ(トキシラズ)などが旬となってきます!
先述のとおり、営業は事前の団体様(10名様以上)でのご予約時のみとなっています。

information

浜の母ちゃん食堂

FAX:0153-87-4002

MAIL:kanae59@icloud.com

※ご予約はメールまたはFAXにて受付。

profile

近藤雨 こんどう・あめ

今年5月より、北海道羅臼町の地域おこし協力隊に着任し、まちの魅力発信などの仕事をしています。出身は大分県です。ドラマ『北の国から 遺言編』のロケ地である羅臼に住んでみたいと思ったのが何よりの応募理由でした(笑) 大分とはいろんな面で異文化なことがあり、だからこその視点で情報発信をしたいと思っています。
Instagram:@kondo_ame

“豊かな人間力が育まれる環境”で 子育てしてみませんか? 離島と親子をつなぐウェブメディア 『シマ育コミュニティ』へ

10年以上、離島を取材し続けてきた『ritokei』による姉妹メディア

1万4000以上の島からなる島国・日本。
そのうち、北海道・本州・四国・九州・沖縄本島のほか、
人が生活をしている「有人離島」が416島ある。

有人離島の魅力や情報を発信しようと2010年に、
編集長を務める鯨本(いさもと)あつこさんが仲間とともに立ち上げたのが
NPO法人離島経済新聞社が運営するウェブサイト『ritokei(リトケイ)』だ。

ウェブ上での情報発信のほか、年に4回、タブロイド紙『季刊ritokei』も発行しながら、
それぞれの島で受け継がれてきた固有の文化や自然、暮らしの情報などを紹介している。

タブロイド紙『季刊ritokei』。

タブロイド紙『季刊ritokei』。

そんな『ritokei』が、2023年9月30日に「子育て」をテーマに据えた
新しいメディア『シマ育コミュニティ(シマイクコミュニティ)』をオープン。
離島の子育て環境を紹介する記事や、島の人と直接交流できるオンライン勉強会により、
より良い子育て環境を探す親子と、日本の島々をつないでいる(※)。

※2023年度は子どもたちを取り巻く社会課題を解決することを目的とした
日本財団の「子どもサポートプロジェクト」の助成をもとに実施

シマ育コミュニティビジュアル

ではなぜ、『ritokei』は子育てに特化する取り組みを始めたのだろうか。
その背景には、子育てをとりまく日本社会の問題と離島ならではの問題がある。

近年、政府も子育て支援に積極的に取り組むなど、
人口減や少子高齢化対策は、喫緊の課題となっている。
それは離島にとってはより深刻なものだ。

戦後の日本が人口増加に向かう頃、
すでに人口減が始まっていた離島では、島の存続自体に直結する大問題となっている。

離島地域を10年以上見つめてきた鯨本さんは、
今回「子育て」に特化したメディアの立ち上げに込めた思いをこのように話す。

「島に住む人や関わる人が増えなければ、価値ある文化や営みは消えてしまいます。
そこで、どうすればいいかと考えたときに最も重要なのが子育てです。
リトケイでは医療や産業など、さまざまな課題にフォーカスしてきましたが、
島の未来にとって、最優先事項である子育て層の増加に貢献できるよう、
島と子育て層をつなぐメディアを立ち上げました」

シマ育コミュニティ

「人間本来の子育て」をシマで

メディア名でもある『シマ育』という言葉には、
住民同士互いに支え合う地域共生コミュニティを指す「シマ」のなかで、
多様な人と関わり、自然や文化に触れ、
そして人間力を「育む」という意味が込められている。

そのようなシマでの子育てを、鯨本さんは「人間本来の子育て」だと感じている。
かつては日本中に存在していたものだが、
現代では失われつつあることが「日本社会が抱える問題」だと鯨本さんはいう。

一方、海で隔てられる島々には「人間本来の子育てが残っている」と気づいた鯨本さん。
離島で子育てをする魅力について、大きくふたつ挙げている。
ひとつは、子育てが「親と子に閉じた1対1」にならないこと。

「2023年の冬に発行した『季刊ritokei vol.44』では、2020年発行の32号に続いて、
島の子育てを特集し、発達心理学者の根ヶ山光一(ねがやまこういち)先生に
お話をうかがいました。
根ヶ山先生は、子育てに親以外の人が積極的に関わることを意味する
『アロマザリング』を推奨している方です。

最近は、子育ては親だけが行うような風潮もありますが、
本来、子育ては子どもをとりまく地域社会の人々が多様に関わり行われるもの。
島の人々は、基本的に、
地域社会のなかで人と支えあう価値観を持っているため、
子どもを島(=社会)のまんなかに放ちやすい環境ともいえます。
もちろん、島によってもいろんな環境はありますが、
私が知る限り、島では『子育ては親だけが行うものだ』という空気に、
ふれたことがありません。

私自身、子どもを連れて離島を取材したこともありますが、
島の子どもではない我が子にも、島の方々は温かい目を向けてくださいます。
『子ども』という存在がものすごく尊ばれる世界なのです」

そして、もうひとつの魅力が
「生きる力が養われる環境がある」ことだと、鯨本さんは話す。

「こちらも『季刊ritokei vol.44』の取材で、〈家族・保育デザイン研究所〉の
代表理事を務める汐見稔幸(しおみとしゆき)先生と、
〈森のようちえん&冒険学校〉を立ち上げた中能孝則(なかよくたかのり)先生に、
島の子育て環境の何がいいのかをうかがいました。

おふたりから返ってきたのが、島には生きる力が養われる環境があるということ。
その生きる力というのは、非認知的能力とも言われています。
汐見先生いわく、チーム力やリーダーシップ力、人を励ますのが上手い、
上手に失敗する。そういった力が生きていくために必要です。

大手IT企業が、どのような能力を持った人が
いい仕事をしているのか研究したところ、
認知能力にあたる学力で得られる能力や数値化できる能力を持っている人よりも、
非認知的能力を持っている人が圧倒的に多かったという結果を発表していました。
島の場合は、その非認知的能力が養われやすい環境があるんです。

なぜかというと、単純に不便だから。
もともと、都市部のように何でも揃う環境ではなく、
大きい台風が来たら2週間ぐらい物流が止まることもあります。
『ない』という状況があるからこそ、
共助力を発揮して、周りの人と何かを貸し借りしたりと、
各々が工夫して、どうにかやっていく。
そのとき、その場にいる人たちと連携して何かをやり遂げる機会が多いため、
日常のなかで、リーダーシップ力やチーム力が養われるのです」

離島留学のパンフレット

移住して魅了された! 「わたしのまちの魅力」


今月のテーマ 「まちの魅力」

本連載に寄稿してくれる全国各地にお住まいのみなさんは
生まれ故郷から移住した人ばかり。
今回は、実際に住んでみて気づいた「まちの魅力」を紹介します。

自然豊かなまちや人のあたたかさを感じられるまち、
利便性の高いまち、半世紀ぶりに生まれ変わる様子を楽しめるまちなど、
それぞれの地域の魅力について教えてもらいました。

新生活に向けて準備をはじめている人も少なくないはず。
先輩移住者たちのように、
新しく住むまちでわくわくするような「まちの魅力」を発見してみてください。

【北海道羅臼町】
世界自然遺産 知床羅臼は、日本で唯一無二の場所!

2月5日、羅臼は「流氷初日」を迎えました。
はたして、流氷を生で見たことのある人はどれくらいいるでしょうか?
ちなみに私は羅臼に来てはじめて見ました。

正直、はじめは流氷なんて氷の塊が海に浮かんでいるだけだろうと
考えていましたが、実際体験すると見飽きることがなかったです‼︎ (笑) 
特に朝日が昇る少し前から日の出の数分間に見られる
コーラルピンクのような空の色と流氷のグラデーションがすごい。
空と流氷がコラボしたかのような景色は本当に美しいです。

世界自然遺産である羅臼町にはこの季節、
オオワシやオジロワシなどの希少な鳥たちが飛び交っています。
運が良ければ、トドや冬はあまり見ることができない
シャチたちを観察することもできます!

私が羅臼に住みたいと思った理由のひとつがこの自然環境にあります。
正直、地元である九州に住んでいると夏は気温が高すぎるため、
秋との違いが感じられず「四季」というものを
体験できなくなってきたような感覚がありました。
日本の最北東端である知床エリアの羅臼町にはそれぞれの季節に
はっきりとした違いがあり、その時々の風景を楽しめると思います。

日本の自然が持つ魅力を全力で感じられる場所、
それが知床にある羅臼町だと思います。

profile

近藤雨 こんどう・あめ

今年5月より、北海道羅臼町の地域おこし協力隊に着任し、まちの魅力発信などの仕事をしています。出身は大分県です。ドラマ『北の国から 遺言編』のロケ地である羅臼に住んでみたいと思ったのが何よりの応募理由でした(笑) 大分とはいろんな面で異文化なことがあり、だからこその視点で情報発信をしたいと思っています。
Instagram:@kondo_ame

【コロカルSNS連動企画】みんなの思う「これぞ、ご当地パン」大集合! 

2月の特集『会いに行きたいパンがある。』はご覧いただけましたか?
今回のパン特集にちなみ、 instagramX(旧Twitter)
コロカル公式アカウントを通して、
みなさまから「これぞ! ご当地パン」というイチオシパンを募集しました。

どれも個性的で、編集部も知らなかったパンも多数ありました。
あらためて、投稿いただいたみなさまありがとうございます。
そんななかでも、編集部が「会いに行きたい!」と思ったパンを厳選。
北から順にご紹介します!

青森県・工藤パン〈イギリストースト〉

ご当地パンとして有名な〈イギリストースト〉は、
しっとりふわふわのパンにマーガリンと砂糖というベーシックな味のみならず、
限定商品をふくめてたくさんのパリエーションがあるのが楽しいですね。
工藤パン公式サイトでは230種類を超える歴代のラインナップを見ることができます。

岩手県・福田パン〈コッペパン〉

1948年(昭和23年)創業、盛岡のソウルフードというべきご当地パン。(写真提供:cdtrkdさん/@cdtrkd )

1948年(昭和23年)創業、盛岡のソウルフードというべきご当地パン。(写真提供:cdtrkdさん/@cdtrkd

「どこか懐かしさを感じる」と地元の方からのコメントがありましたが、
地元でない人でも、確かに、ノスタルジーを感じます。
〈福田パン〉については特集『会いに行きたいパンがある。』でも
取り上げていますので、まだという方はぜひご一読を。

注文すると、目の前で具材を塗ってくれる。詳しくは、特集『会いに行きたいパンがある。』へ。

注文すると、目の前で具材を塗ってくれる。詳しくは、特集『会いに行きたいパンがある。』へ。

秋田県・たけや製パンの〈アベックトースト〉

1951年(昭和26年)創業の秋田の製パン業界をリードする老舗〈たけや製パン〉。定番なのがこの〈アベックトースト〉。(写真提供:にっぽん食べる旅/@umaimon888 )

1951年(昭和26年)創業の秋田の製パン業界をリードする老舗〈たけや製パン〉。定番なのがこの〈アベックトースト〉。(写真提供:にっぽん食べる旅/@umaimon888

2種類の味を合わせているから「アベック」なのだとか。時代を感じますね。
投稿者の方から「コスパ最高」とありますが、
日常的に食べるものだから、コスパも重要ですよね。
サンドされてる食パンにはマーガリンとジャムがそれぞれ半分ずつ塗られており、
どうやって食べ進めるかについて話が盛り上がることがあるそうです。

新潟県・中川製パン所〈カステラサンド〉

1952年(昭和27)創業の歴史を刻むご当地パン。(写真提供:YOSABEIさん/@yosabei_sado )

1952年(昭和27)創業の歴史を刻むご当地パン。(写真提供:YOSABEIさん/@yosabei_sado

投稿写真は、佐渡の「あめやの桟橋」でしょうか。
ご当地パンはその土地の景色と一緒に味わいたいですね。
カステラサンドのオリジナルTシャツ(?)まであるとは……。
気になるお味は、素朴な甘さとのこと。
佐渡に行ったらぜひ、食べてみたいと思います。

まちの未来は自分でつくる 福島県大熊町に生まれた 〈学び舎 ゆめの森〉が目指すもの

すべては2011年3月17日に始まった

2023年、〈学び舎 ゆめの森〉が福島県大熊町に開校した。
小学校・中学校に相当する義務教育学校と、
認定こども園、預かり保育、学童保育を一体にした町立の学び舎だ。

東日本大震災後、町民の避難を余儀なくされていた同町にとっては、
12年ぶりとなる待望の教育機関の再開。

会津若松市に避難していた義務教育学校8名の児童生徒に加え、
園児や移住者も含めた合計39名がこの場所で時間をともに過ごしている
(2023年12月現在)。

構内図。同じ形の教室はなく、ユニークな形のスペースで構成されている。

構内図。同じ形の教室はなく、ユニークな形のスペースで構成されている。

図書ひろばを中心に、特徴的な形の11のエリアによって構成される校舎では、
年齢の違う子どもたちが自由に行き来している。
抜け道や隠れ家のような場所もあり、大人でもわくわくさせられる空間だ。

いたるところに本が置かれている校舎内。こども園のエリアには絵本や紙芝居が充実している。

いたるところに本が置かれている校舎内。こども園のエリアには絵本や紙芝居が充実している。

こうした施設や、学習のペースを個々に合わせる
「学びの個別最適化」といった環境に惹かれた教育移住による転入学も多く、
移住を検討している家族の見学や教育関係者などの視察が後を絶たないという。

全国でも先進的な学び舎が、なぜ大熊町に誕生したのか。
GM(ゼネラルマネジャー:校長・園長)の南郷市兵(いっぺい)さんに聞くと、
「ゆめの森の鼓動が鳴り始めたのは、2011年3月17日だったと私は思っている」
と話してくれた。

 2023年に同校のGMに就任した南郷さんは、文部科学省で東日本大震災後の教育復興を担当。副校長として福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校の立ち上げにも寄与した。

2023年に同校のGMに就任した南郷さんは、文部科学省で東日本大震災後の教育復興を担当。副校長として福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校の立ち上げにも寄与した。

東日本大震災が発生した2011年3月11日の翌日、
大熊町民は、着の身着のままで避難した。
何年にも渡り避難が続くとは、誰も思っていなかったからだ。

しかし状況は一変。まちには当分住めないことがわかった2011年3月17日、
町長と教育長が話し合いの場をもち、
「まずは学校をどこに避難させるか決めよう。
学校を受け入れてくれる場所が見つかったら、町民をその土地へ避難させよう」
と避難先を探し始めたのだという。

子どもたちの学びの場を最優先にしようとした同町の英断。
「大熊町は、もともと子どもを大事にしてくれるまちだった」と南郷さん。
だからこそ今のゆめの森の環境が育まれてきたのだとうなずける。

◯年◯組という教室はなく、違う学年の児童・生徒が一緒に行う授業も多い。写真は図書ひろばで行われた帰りの会の様子。席は決まっていないため、各々が好きな場所に座っている。

◯年◯組という教室はなく、違う学年の児童・生徒が一緒に行う授業も多い。写真は図書ひろばで行われた帰りの会の様子。席は決まっていないため、各々が好きな場所に座っている。

大熊町の避難を受け入れたのは、福島県会津若松市。
震災直後は、約700人の子どもが仮校舎に通った。
着の身着のまま避難した彼らには、教科書も、ランドセルも机もない。
そんな状況で、学校に必要なものは何なのか、
行事は何のためにやるのか、
朝の会も帰りの会も部活動も、何が子どもにとって必要で幸せなのか、
徹底的に問うたのだという。

日直もいないため、帰りの会では、その日司会をしたいと思った子どもが自然と前に立ち、会を始める。

日直もいないため、帰りの会では、その日司会をしたいと思った子どもが自然と前に立ち、会を始める。

「震災が起こった頃は、日本の学校もひとつの曲がり角を迎えていました。
そうしたときに、東北で今まで通りの教育をやっていても復興は見込めません。
新しい取り組みが生まれ、東北の学校の復興が、
今の日本の学校のあるべき姿を指し示したというところはあったと思います。

原発の被害を受けたまちがどうしたら復興できるかというのは、
教科書には書いていないし、誰も答えを持っていなかった。
テストで100点をとれる子どもを育てられたとして、
その子がその答えをつくり出せるかというと、
決してそうではなかったというのは誰の目にも明らかだったと思うんですよね。

じゃあ何を育てればいいのかということを、学校現場の人たちは真剣に考えたし、
先生だけではなく子どもたち自身も地域に飛び出して行って、
まちを復興させたいという想いでいろんな活動を始めた。
それが現在の探究学習を形づくっていったわけです」

タブレット端末を活用し、時間割を自分で決められる曜日があるほか、テストの日もひとりひとりが個別に決める。自分のペース、自分の選択で、学びを深めていくことができるのが魅力だ。

タブレット端末を活用し、時間割を自分で決められる曜日があるほか、テストの日もひとりひとりが個別に決める。自分のペース、自分の選択で、学びを深めていくことができるのが魅力だ。

少しずつ耕すまちの未来 福島県・大熊町 〈あまの川農園〉の 軽やかな歩み

自然や生き物を第一に考える農園

福島県の太平洋沿岸、「浜通り」に位置する大熊町は、
2011年3月11日に発生した東日本大震災に起因した
東京電力福島第一原子力発電所の事故により、
全域が「避難指示区域」および「警戒区域」となった。
全町民11505人が避難生活を余儀なくされたが、
震災から約8年後の2019年にはまちの一部である「大川原地区」と「中屋敷地区」、
2022年にはかつてのまちの中心部だった
「下野上地区を含む特定復興再生拠点」の避難指示も解除され、
新しいにぎわいを生み出すための整備が進んでいる。

JR大野駅西口の「大野駅西交流エリア」では、2024年12月オープン予定の産業交流施設・商業施設・広場等の大規模工事が行われている(2023年12月現在)。

JR大野駅西口の「大野駅西交流エリア」では、2024年12月オープン予定の産業交流施設・商業施設・広場等の大規模工事が行われている(2023年12月現在)。

この大熊町で、2023年3月から農業を始めたのが、フランス出身のブケ・エミリーさん。
イラストレーターとしても活躍しながら1.7ヘクタールの農地を借り、
果樹やハーブ、根菜などの栽培を始めた。

「ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリー、じゃがいも、カラント、コウゾ、ミント、
ラベンダー、ドングリ……何でも、いろいろ植えています。
何がうまくいくかいかないか、やってみることが大事ですよね」

田んぼだった場所には麦を植えてみた。梅雨前には収穫できる想定だ。

田んぼだった場所には麦を植えてみた。梅雨前には収穫できる想定だ。

農業は独学。「自然や生き物を大事にしたい」という想いがあり、
農薬や化学肥料を使わない自然農法やパーマカルチャーの情報を
インターネットで集めながら取り組んできた。

「農薬は使いません。だから今年できたじゃがいもは小さかったけど、悪いことじゃない」とエミリーさん。土地のありのままの力でできるものを育てるのが、
あまの川農園の魅力だ。

「農園を通じて、自分の周りの自然とか、
食べているものを大事にすることを伝えられたらと思っています。
自然は私たちがいなくても大丈夫だけれど、
私たちは自然がないと生きられないから。
作物や土にかかった農薬は簡単に消えるものではないですからね」

日本最大級の商店街〈大須商店街〉で、 人気名古屋メシを探せ! あなたのまちの焼酎ハイボール アテ探し旅

個性的な名古屋メシは、焼酎ハイボールに合うのか!?

焼酎ハイボールのアテ探し旅。
回を重ねて、相性が良さそうと予想できるもの、
冒険かなと思いながら思わぬ喜びが得られたものなど、
いろいろな体験を重ねることができた。
そのなかで、相性が良さそう、でも実際は冒険?
と思いを巡らせていたのが“名古屋メシ”だ。

伝統と新しさが感じられる赤味噌を使った酒場メニューや、
意外な食材の組み合わせによって生まれる、
ちょっと想像の斜め上を行くB級グルメの数々が、
焼酎ハイボールを待っている……ような気がしていた。
ということで、向かうのは〈大須商店街〉。
さて、どんな不思議な出合いが待っているのか。

名古屋駅から地下鉄で10分ほど。徳川家康によって岐阜から移設された大須観音を中心に東西南北に広がる商店街。商店がひしめくメイン通りだけでも8本を数え、のんびり歩いたら1日がかり。徳川時代から寺町として発展。大正元年から娯楽、歓楽街として繁栄し、時代の新風を巻き込みながら現在に至る。秋葉原、大阪・日本橋とならぶ日本三大電気街でもある。

名古屋駅から地下鉄で10分ほど。徳川家康によって岐阜から移設された大須観音を中心に東西南北に広がる商店街。商店がひしめくメイン通りだけでも8本を数え、のんびり歩いたら1日がかり。徳川時代から寺町として発展。大正元年から娯楽、歓楽街として繁栄し、時代の新風を巻き込みながら現在に至る。秋葉原、大阪・日本橋とならぶ日本三大電気街でもある。

大須商店街は総称というか愛称で、その実態は大須観音を中心とした、
8つの振興組合からなる実に大きな商店群だ。
東京だと浅草寺を中心とした、浅草エリアをイメージするとわかりやすいだろうか。
グルメ、服飾、日用品、雑貨、娯楽、サブカルなどなど、
名古屋の伝統的な食文化から流行までが混在し、
観音様ならではの明るい賑わいがあり、
でも、どこかカオスな空気感もある。
旅酒人とすればなんともワクワクさせられる場所だ。

伝統と新しさが融合した赤味噌の酒場メニュー

まずは、ということで向かったのは〈矢場とん〉。
名古屋独自の食“みそかつ”を全国区にした人気店だが、
ここ大須店は、〈昔の矢場とん〉という名の酒場感たっぷりな店で、
売りはみそ串かつとみそおでん。

大須観音から歩みを始めればすぐに目に入る〈昔の矢場とん〉。

大須観音から歩みを始めればすぐに目に入る〈昔の矢場とん〉。

名前通り昔ながらの雰囲気を見せつつ、内装には気鋭のアーティストのイラストも飾られ、いい具合の混沌。

名前通り昔ながらの雰囲気を見せつつ、内装には気鋭のアーティストのイラストも飾られ、いい具合の混沌。

矢場とん広報部で味噌ソムリエでもある片山武士さんに聞けば、
「戦後、矢場とんが創業した1947(昭和22)年頃、
名古屋の屋台では赤味噌を使った土手焼、土手煮が人気で、
そこに串かつを入れたところ好評で、それがのちに、味噌かつへと進化していきました。
そこで、温故知新といいますか、
あえて味噌かつのルーツを掘り下げていったのがこの店です」

入社のきっかけは矢場とんの社会人野球チームへの入部。それまでは「とんかつには塩でした」と笑う片山さんだが、入社以来、矢場とんの味噌かつにはまり、味噌ソムリエも取得。自社にとどまらず「名古屋の文化としての味噌かつ」を発信するべく奮闘中。

入社のきっかけは矢場とんの社会人野球チームへの入部。それまでは「とんかつには塩でした」と笑う片山さんだが、入社以来、矢場とんの味噌かつにはまり、味噌ソムリエも取得。自社にとどまらず「名古屋の文化としての味噌かつ」を発信するべく奮闘中。

酒場×味噌の基本中の基本であるメニューにフォーカスしつつ、
次の主力になりそうな角煮や玉子なども加え、
まさに古きを知りつつ新しさも楽しめる場所。
そういえばと思い出したのは、矢場とんのみそかつのみそタレ。
ほかの店の味噌とちょっと違うな、という感覚があって。

それを尋ねると片山さんは笑顔で、
「そうなんです。まず甘さは控えめです。甘みがあるかなぁぐらいの感じ。
そしてドロッとしたものが多いなか、さらっとしています」

これは、味噌かつにかけるものをつくったのではなく、
土手鍋、土手煮にかつをつけた感覚を大切にしているからだそう。
原点の追求、こだわりだったわけだ。
それでも味わいが深いというのも特徴。理由は出汁にあった。
「普通の味噌だれの出汁は、カツオや昆布といった魚介。
これを味噌に溶かし込んでいき、ドロっと仕上げます。
ですが、矢場とんは、まず出汁のベースが豚肉。
かたいスジを煮込んで、煮込んで、凝縮し、
そこにこだわりの豆味噌を溶かし込んでいきます」

なるほど、タレというよりスープ感覚。
さらりとしたなかに豚肉のコクと旨みも感じられる。
さすが味噌が食文化に溶け込む名古屋、愛知ならではのこだわりだなと
感心していたところで、片山さんからうれしいひと言。
「だから、焼酎ハイボールにも合いますよ」
ニヤリと自信の笑顔。にぎわう店内を見れば、
月曜の昼からいろいろなお酒とともに楽しむ人たちを見て、早く自分も味わいたいと、
テイクアウトで袋に入れてもらった、串かつとみそおでんを二度見してしまうのだった。

みそおでんの大根(320円)、たまご(160円)、豚角煮(320円)とロース串かつ(4本640円)。大根は味噌をかける、ではなく、しみしみで芯から味わい深く、たまごはしっかり煮込まれながらもとろり半熟。

みそおでんの大根(320円)、たまご(160円)、豚角煮(320円)とロース串かつ(4本640円)。大根は味噌をかける、ではなく、しみしみで芯から味わい深く、たまごはしっかり煮込まれながらもとろり半熟。

淡路島の民宿〈南海荘〉で焼く 圧巻のバゲットとカンパーニュ。 14年の日進月歩

パンのおいしい民宿が、南あわじにある

2012年夏に淡路島の南端、南あわじ市の〈南海荘〉のご主人・竹中淳二さんを訪ね、
イタリアンがおいしい民宿の秘密を密着取材した。
この様子はコロカルのエリアマガジンで公開されている。

当時から竹中さんの地産イタリアンとワインのペアリングは抜群のセンスだったが、
この12年間で進化しているのが、
コース料理の序盤と終盤に料理のおともとしてサーブされるバゲットとカンパーニュだ。
より芳醇に、より余韻が長く。
単体で食べたとき、白身の魚と合わせたとき、ジビエと合わせたときで印象が変わるが、
特に皿に残った濃厚な旨みのソースを拭ったバゲットの旨さたるや!

2015年に食事処の和室から離れで食べるというスタイルに変え、
より非日常感を味わえるようになったが、
和の装いのシンプルな個室で、箸で食べるイタリアンがこれほどまでに印象的なのも、
バゲットとカンパーニュという名脇役がいるからだ。
そんなパンを生み出す竹中さんに、南海荘流のバゲットとカンパーニュの極意を聞いた。

「パンをたくさん食べてほしい」

「『パンがおいしい』って言ってもらえるのはうれしいですね。
料理やソースと一緒にパンを食べてもらうことで
味わいがいっそう膨らむように考えています。だからたくさん食べてほしいんです」
今日自家製のパンを提供するフレンチやイタリアンは珍しくないが、
竹中さんのパンにはコース料理にもみられる一貫した哲学や美学を感じられる。

竹中さんが自分でパンを焼き始めたのは2010年頃のこと。
それまでもパンを焼いた経験はあったものの、
農家の橘真さんが育てた小麦を炒ってバゲットを焼いてみたことで
開眼したのだという。
同時期に洲本市でパンや菓子を焼く〈アムリタン〉のチカコさんが、
レーズン酵母で焼いたパンを食べさせてくれたことも大きかった。
「そのパンが本当においしくて衝撃的で。
チカさんから本を借りて参考にしながら
レーズン酵母を起こしてパンを焼きました。
当然最初からうまくは焼けませんでしたが、とても楽しかったのを覚えています」

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そこから創作意欲がむくむくと湧き、パンづくりにのめり込んでいった。
地元産にこだわってつくり始めた玄米米粉のバゲットは、
もっちりとしすぎる傾向にあるので、
米の品種や小麦との配合を工夫しながら試作を続けてきた。
天気や気温で微妙に変わる水分量や酵母種の量も
「感覚だよりなところがあって、細かくは気にしていない」と笑いつつ、
料理人の勘と試作の手応えでレシピをつくりあげた。

淡路島の食のプロフェッショナルたち
(竹中さんにとっては「友人」でもある)から知見を得て、
それを竹中さん流にアレンジできてしまうのだ。
宿でパンを出すようになってから13年。今もレシピはほとんど変わらないのだという。

ほぼ完成型かと思われたパンづくりだったが、そこからブレイクスルーが起きた。
きっかけはコロカルのエリアマガジンで南海荘を撮影した写真家の在本彌生さんが
埼玉の天然酵母のパン屋〈タロー屋〉の本を竹中さんに献本したことだった。

「その本を読んでタロー屋さんが野菜や果物で酵母を起こしているのを知り
やってみたくなったんです」
2016年頃のことだった。「酵母で淡路らしさを出せるかも」とすぐさま取り入れた。

さまざまな果実を試すなかで、特にお気に入りの酵母は、梨と柿。
地元の産直やご近所から仕入れた柿で起こした酵母でパンを焼くと、
チーズのような乳酸発酵の香りがしたそうだ。
「柑橘も特徴が出ておいしいのですが、僕はこのふたつが好き。
梨と柿は同じような乳酸発酵の風味が出るのでおもしろいですよね」

この冬は柚子と金柑で酵母を起こした。
柚子酵母のカンパーニュは、
開栓したてのオリーブオイルのようなフレッシュな酸味とビターな後味が印象的だ。

金柑の酵母を起こすところ。「なるべく自然のもので起こしたい」というのが竹中さんのこだわり。夏場は3日ほどで酵母が起こるが、冬場は1週間以上かけてじっくりと様子を見ていく。

金柑の酵母を起こすところ。「なるべく自然のもので起こしたい」というのが竹中さんのこだわり。夏場は3日ほどで酵母が起こるが、冬場は1週間以上かけてじっくりと様子を見ていく。

元気に発酵中。果物を多く入れれば入れるほど発酵は早いそうだが、「量は計らず感覚」なのだという。

元気に発酵中。果物を多く入れれば入れるほど発酵は早いそうだが、「量は計らず感覚」なのだという。

竹中さんがイタリアンのコースで提供するのは、
主に玄米米粉のバゲットとカンパーニュの2種類(日によってはフォカッチャも)
バゲットは、その日近所の漁港であがった魚のカルパッチョと合わせて3皿目に出される。
南海荘のイタリアンコースは竹中さんのオリジナリティ溢れる構成で、
1皿目に1貫の握り寿司、2皿目にすまし汁と懐石料理的な前菜が続くのだが、
次が鮮魚のカルパッチョだと和からイタリアンへ一足飛びになってしまうものを、
玄米バゲットの存在があるから和のトーンを残したまま、
ゲラデーションのように本格的なイタリアンへ移行していくのだ。

一方カンパーニュはコースの中頃、
強い風味を持ったメイン級の素材とともに提供される。
あるときはカンパーニュのパン粉で揚げた鹿肉のカツ、
またあるときは〈3年とらふぐ〉の白子のソテーが乗せられ軽やかな日本ワインと一緒に。

そして終盤、魚料理と一緒にまた玄米バゲットが添えられてくる。
「ほんまパンを食べてもらうコースですね」と竹中さんは笑う。
2012年の取材当時も、美食家たちがこの竹中さんのイタリアン目がけて
全国からやってくると評判の宿だった。
行かないと味わえないというのが、淡路島にわざわざ足をはこぶ理由になっている。
すなわち、このパンに惹かれて来るのだ。

竹中さんは、ふとパンの奥深さを感じるときがあるという。
「おいしいパンを焼くための要素が無限にありすぎて、
その日その日でこんな感じかーと自然任せなんです。
だから、ゴールが“これ”というのがない。おいしかったらそれでいいんですよ。
気にしていることといえば口溶けですね。
口の中で団子にならないようにと気を使っています」