連載
〈 この連載・企画は… 〉
〈ザ・コンランショップ〉の創業者テレンス・コンランさんの孫で、
デザイナーのフィリックス・コンランさんが、奈良県東吉野村に移住。
村の人々にも支えられ、充実したジャパン・ライフを楽しみつつ、古民家をリノベーションしたり、
家具をつくったり、ホテルを手がけたり。そんな彼が見つめる日本のローカルの未来は。
writer profile
Yu Ebihara
海老原 悠
えびはら・ゆう●コロカルエディター/ライター。生まれも育ちも埼玉県。地域でユニークな活動をしている人や、暮らしを楽しんでいる人に会いに行ってきます。人との出会いと美味しいものにいざなわれ、西へ東へ全国行脚。
photographer profile
Kazuki Nakamori
中森一輝
なかもり・かずき●三重県名張市出身。大阪で10年のサラリーマン経験後、地元名張市にUターン。フォトグラファーの傍ら、地方行政のまちづくり事業や企業ブランディングなど、多岐にわたるプロジェクトに携わり、広報PR・進行管理などの業務も担っている。
「都会が恋しくなることはないですか?」
そんな少し意地悪な質問をすると、
「絶対にそれはないですね」とフィリックス・コンランさんは笑う。
そして、都会暮らしから田舎暮らしへの移行をこう表現する。
「これまで、都会暮らしにストレスや疲れを感じていました。
平和な村の暮らしのほうがずっと好きなんです。
それでもこの小さな村では毎日膨大なやるべきことがあって、
『あぁやらなきゃ』と焦燥感を抱くこともあります。
そんなときこそ、愛犬と散歩にでかけるのですが、突然、
別の“肺”がそこにあるかのように深呼吸ができて、
より頭がクリアになるのを感じるのです。常にリセットされているようなものですね」
〈ザ・コンランショップ〉の創設者で実業家の、テレンス・コンラン卿の孫として生を受け、
ロンドン、シドニー、ニューヨーク、ロサンゼルスといった
経済の中心地での活動を経て、
フィリックスさんは、幼少期からの憧れだった日本の田舎暮らしを手に入れた。
場所は、山々と3本の川に囲まれた自然豊かな立地で、
ノスタルジックなまち並みを残す奈良県東吉野村だ。
ここでフィリックスさんは、デザインスタジオ〈HA PARTNERS〉を立ち上げ、
建築とプロダクトのデザイナーとして、
古民家のリノベーションなどを手がけていく。
一緒に来日したフィリックスさんのパートナー、エミリー・スミスさんは、
東吉野の中心人物になりつつある。
彼女の母は日本で生まれ育ったこともあり、
自身のルーツである日本への興味と理解を深めていったことも、
フィリックスさんの背中を押した。
イギリスでドキュメンタリー映像制作の仕事をしていたエミリーさんは、
東吉野で地域おこし協力隊に就任。
東吉野の野山に自生する山菜やきのこの種類の多さやおいしさに魅了され、
豊かな自然とその産物をInstagram(@down2forage)で県内外や海外へ発信していたが、
ついに移住半年で〈東吉野きのこ協会〉を立ち上げたのだ。
11月1日から開催される、村在住の36組のクリエイターによる
オープンアトリエと作品展示、『はじまりの東吉野オープンアトリエ』にも参加予定。
活動の幅を徐々に広げている。
そんなフィリックスさんとエミリーさんが暮らすのは、
村の中心部である小川から車で15分ほどの集落にある築150年の古民家だ。
招かれて入った先にはまず広い土間。前の住民が煮炊きをしていたかまども残されていた。
そして、和室には、フィリックスさんがデザインした照明とソファが鎮座する。
床の間にはフィリックスさんの父親の古い友人だというアーティスト、
デビッド・バンドの絵が飾られている。
「私がオーストラリアで生まれたときから、いつもデビッドのアートが家にありました。
だから私にとって、この絵は故郷のようなもの」とフィリックスさん。
この絵は、フェリックスさんが以前経営していたデザイン・スタジオのロゴに
インスピレーションを得たもので、フィリックスさんの原点を表した場所だ。
料理が好きだというふたりのこだわりのキッチンは、クリエーションの舞台であり、
実験室でもある。畑で採れた野菜や、
エミリーさんが採ってきた山菜やきのこをふたりで調理しては舌鼓を打つ毎日。
調理道具も調味料も和洋さまざまなものを取り揃えている。
「山菜やきのこを文化や食の伝統のなかで
長い間大切にしてきた日本人が好きなんです」とエミリーさん。
フィリックスさんは和食も好きで、とりわけ蕎麦がお気に入り。
すでにいきつけのお店もあるそうだ。
彼らは、もともと家だった敷地の最も古い部分で、
85年前に牛舎に改築された場所のリノベーションに着手している。
東吉野や日本の伝統的な素材を使った新居、通称〈Forest house〉を建築中だ。
旧家の梁を残して新しく生まれ変わろうとしているが、
「忘れ去られた古い建物を現代的で魅力的な家に生まれ変わらせる」のだと、
フィリックスさんは改修の目的を話す。
コンラン家のDNAともいえる目利きの技。
それが生きたフィリックスさんのプランはこのとおりだ。
① 玄関からシンボルツリーである柿の木が見えるように窓を配置する。いわゆる借景の考え方。
② 床材は部屋ごとに吉野桧と吉野杉の木製ブロックを使い分け、バスルームは緑色のタイルを敷き詰める。また、屋根には金属を用いている。
③ ごくプライベートな空間以外ドアをつくらず、フローリングの種類や段差でゆるく部屋を区切る。
④ 自分たちで裁断した巨大な岩をテーブルにする。
⑤ キッチンとは別にアウトドアキッチンを設ける。日本の土間に着想を得たアウトドアキッチンで、料理好きで人を招くのが好きなふたりが和気あいあいと料理できる環境に。
⑥ リビングスペースの中心に現代的な囲炉裏をデザインする。
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フィリックスさんたちには東吉野にお気に入りの場所があるというので案内してもらった。
まずは、〈丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)〉の中社。
水神を奉る神社として675年に創祀された長い歴史を持つ。
樹齢800〜1000年を超える大杉や、
水神のシンボル、龍がおわす滝が霊験あらたかであると年中参る人が跡を絶たない。
この神社に、フィリックスさんは移住して半年で20回以上は訪れているという。
「空気が澄んでいてとても気持ちがいい場所。
大木に触れるといつも新しい気持ちになります」
そして、もう1か所は家の裏手。生い茂る野生のチャノキや、シダ科植物、
ゴロゴロとした岩場を抜けると、ささやかな川に出る。
ここはフィリックスさんとエミリーさんの秘密基地だ。
「毎日この川に歓迎されているのを感じます」というフィリックスさんに、
エミリーさんは「車の音も人の声も聞こえない。ここは本当に静かで落ち着くんです」
と野鳥や虫の音、川のせせらぎに耳を傾けた。
フィリックスさんとエミリーさんが快適なジャパン・ライフを過ごせているのも、
地域住民の影響が大きい。
特に、フィリックス邸の隣に住む91歳の梅本さんは
“畑の師匠”としてご近所づき合いをしている。
彼らいわく「梅本さんは驚くほど働きもの」とのこと。
まめに農作物の世話をする梅本さんに農業のいろはを教わりつつ、
郷土料理のレシピを教わったり、
お互いに手料理を持ち寄ったりと、いい関係を築けているのも、
フィリックスさんたちが郷(さと)に馴染む姿勢を梅本さんは間近で見ているからだろう。
梅本さんは、日本語がめきめきと上達し積極的に話かけてくれるエミリーさんを、
ときには友人として、ときには孫を見るような目で見守りつつ、
過疎の村に新たに灯りが点ったことを喜んでいる。
フィリックスさんたちからは、村を変えなければという
イノベーティブな意気込みではなく、大好きなこの村を、古民家を、
年月をかけて存続させていきたいという思いを感じる。
〈Forest house〉は初めて手がける本格的な古民家改修ということで
実験的な試みでありつつ、
東吉野という小さく密なコミュニティに腰を据えて挑む決心の表れだろう。
ひと組のカップルが居を移したことで、
すぐに大きくそのまちの風景や経済が変わるわけではない。
ましては、デザイナーがすべてを動かすわけではない。
ただ、地元のおばあちゃんに話し相手ができたり、
廃墟寸前だった民家がデザインのちからで生き返ることが、
ほかのクリエイターの刺激になったり、村の魅力がSNSを通じて世界に伝わっていったり。
こうした積み重ねで「東吉野モデル」ができるのだと思わせてくれるのであった。
profile
Felix Conran
フィリックス・コンラン
建築・プロダクトデザイナー。1994年生まれ。祖父テレンス・コンラン卿の影響を受け、幼少期からものづくり、そして日本への興味を持つ。2018年に父とともに家具とインテリアのブランド〈Maker&Son〉をイギリスにて創業。さらには、イギリスを拠点とし、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどにオリジナルデザインの家具の会社〈HA HOUSE〉を設立した。2023年に日本各地を3か月ほど旅した際に東吉野村を訪れたことをきっかけに、パートナーと2匹の犬とともに2024年4月東吉野村に移住。
Instagram:@felixconran
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