「瀬戸内オリーブ基金」 設立25周年記念式典 「学びの島・豊島から考える 環境教育の未来」

香川県の〈豊島〉に大量の産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」を契機として2000年に設立された「瀬戸内オリーブ基金」。設立25周年を迎え、2025年11月8日に「瀬戸内オリーブ基金設立25周年記念式典」が開催された。連載第四回目となる今回は、これまでの活動を振り返るとともに、事件の学びを未来へつなぐ「環境教育の大切さ」を共有し合った式典の様子を詳しくお伝えする。
(「豊島事件」についてはVol.2、「瀬戸内オリーブ基金」についてはVol.3へ)

設立25周年の節目に、過去と未来を考える式典

設立25周年の節目に、過去と未来を考える式典

会場に集まったのは、今も〈豊島〉で事件を語り継ぐ島民、解決に尽力した弁護団、長年取材を続けてきたメディア、そして「瀬戸内オリーブ基金」の活動を支えてきた企業や団体、個人のサポーターたち。
それぞれ異なる立場で「豊島事件」と向き合ってきた人々が、一堂に会した。

式典のテーマは「学びの島・豊島から考える環境教育の未来」。
事件から得られた教訓を改めて整理し、そこで得た教訓を、環境教育という形にして次の世代へ伝えていくことが示された。会場には、これまでの歩みを分かち合ってきた人々の静かな共感と、新たな仲間を迎えた前向きな空気が漂い、参加者それぞれが〈豊島〉と自分自身の立ち位置を重ね合わせる一日となった。

「100万本の植樹を目指す」発起人・安藤忠雄さんや柳井正さんからのメッセージ

「瀬戸内オリーブ基金」が設立されたのは2000年。発起人となったのが、世界的な建築家・安藤忠雄さんと、「豊島事件」の弁護団長だった弁護士・中坊公平さん。そして2001年4月、安藤さんが「瀬戸内オリーブ基金」への支援を求め手紙をしたためたのが、株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正さんだった。

2001年、豊島を視察する柳井さんと安藤さん

2001年、豊島を視察する柳井さんと安藤さん

安藤さんからの申し出を受けて、柳井さんはすぐに〈豊島〉を訪れ、その年の7月にはユニクロ梅田店に、「瀬戸内オリーブ基金」への支援を募る募金箱を設置した。この募金箱を通じた支援は、累計4億円を超え(2024年12月末時点)、初期の活動の中心であった植樹(オリーブの木を含む)は17万本に達している。
式典では、「瀬戸内オリーブ基金」の設立時から活動に関わってきた株式会社ユニクロのシェルバ英子さんと安藤忠雄建築研究所の十河完也さんが、「瀬戸内オリーブ基金」が設立された経緯や25年の歩みを年表で振り返る場面があった。十河さんは、「安藤は100歳まで現役でがんばる。100万本の植樹を目指すと話している」と、今でも変わらぬ安藤さんの熱い想いを語った。

2001年7月、ユニクロ梅田店に最初の募金箱が設置された時の安藤さん(左)と故・中坊弁護士(右)

2001年7月、ユニクロ梅田店に最初の募金箱が設置された時の安藤さん(左)と故・中坊弁護士(右)

式典では安藤さん、柳井さんからの祝辞をおさめたビデオメッセージが映し出された。「瀬戸内オリーブ基金」の礎を築いた両者からのメッセージは、参加者に設立当初の想いを思い出させ、これからの活動に向けて気持ちを新たにさせる、力強い励ましとなった。

25周年に寄せた安藤忠雄さんのビデオメッセージ

25周年に寄せた安藤忠雄さんのビデオメッセージ

安藤忠雄さんからのメッセージ
「中坊さんと柳井さんの想いがつながって基金ができた。瀬戸内に100万本のオリーブの木を植えたいと宣言をしていますが、今後この思いが子供たちに引き継がれていけば達成できるのではないか。美しい瀬戸内海と人間がともに生きてきたことを残していきたい」

株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長、柳井正さんからのビデオレター

株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長、柳井正さんからのビデオレター

柳井正さんからのメッセージ
「うちがやるなら他の企業に負けないように、我々の活動としてやろうと思った。だから全店舗に募金箱を設置することにした。今後もオリーブ基金に意義ある活動をしていってもらいたい」

「瀬戸内オリーブ基金」にとっての大きな一歩。現・元香川県知事からのメッセージ

「瀬戸内オリーブ基金」理事長の岩城裕さんが、香川県知事の池田豊人さんと、元・香川県知事の真鍋武紀さんから届いた祝辞を代読した。

「豊島事件」において、香川県は長い間「行政に非はない」という立場を崩さず、住民・弁護団とは厳しく対立した。香川県が謝罪をするまでに要した歳月は四半世紀。その歴史を思えば、現職と元職、二人の知事から祝辞が届いたことは、過去を乗り越えて新たな時代へと基金が進む象徴的な出来事と言える。岩城さんが発した「両名から祝辞をいただけたことは、基金にとって大きな一歩であります」という一言には、これまでの長い道のりへの思いが込められていた。

香川県知事 池田豊人さん

香川県知事 池田豊人さん
「瀬戸内海の環境を未来へつなぐ皆様方のたゆみない活動に対し、感謝申し上げます。瀬戸内海そしてそこに浮かぶ島々は香川の財産であり世界の財産です。瀬戸内オリーブ基金がこれからも、人と自然の共生を育てる灯りとして希望の種をまき続けてくださることを願っています。香川県も瀬戸内の美しい自然を守り、持続可能な地域づくりを進めてまいります。」

真鍋元香川県知事の祝辞を読み上げる岩城理事長

真鍋元香川県知事の祝辞を読み上げる岩城理事長

元・香川県知事 真鍋武紀さん
「この基金は、歴史と伝統文化を有し風光明媚な瀬戸内海を子孫に継承していくためその環境保全と再生に取り組む活動に助成するとともに、環境教育活動を熱心に実践してきた結果、多くの人々の環境意識の向上と瀬戸内海の緑化と再生に多くの成果を上げてきました。関係者の皆様の熱意とたゆまぬ努力に敬意を表します。」

豊島事件を語り継ぐ。解決に尽力した専門家とメディアが果たした役割

ゲストによる特別講演では、「豊島事件」を教訓とした未来への課題が提示された。

これまで国内外で行ってきた公害や化学物質による環境汚染調査について紹介する熊本学園大学教授・中地重晴さん

これまで国内外で行ってきた公害や化学物質による環境汚染調査について紹介する熊本学園大学教授・中地重晴さん

一人目の登壇者は熊本学園大学教授の中地重晴さん。日本における公害や化学物質による環境汚染の歴史と現状を分析してきたスペシャリストであり、住民側に立つ研究者として「豊島事件」の最終解決にも尽力した。1994年から事件に関わり、2017年廃棄物の撤去が完了した後も、まだ残る地下水汚染の浄化を見守り続けてきた。2025年には地域医療・福祉分野で優れた功績を挙げた人物を表彰する「若月賞」を受賞している。
「この先重要なのは、『豊島事件』の教訓を生かした環境教育と、住民が問題を理解して積極的に活動していくこと。オリーブ基金の活動を通して、島外からも力を合わせて努力を続ける必要がある」と、未来への展望を語った。

当時を振り返りながら、熱のこもった講演をする元「豊島事件」弁護団副団長の大川真郎さん

当時を振り返りながら、熱のこもった講演をする元「豊島事件」弁護団副団長の大川真郎さん

続いて「豊島事件」弁護団の元副団長の大川真郎さんが登壇。2025年6月に上梓した書籍『よみがえる美しい島 産廃不法投棄とたたかった豊島の五〇年』の出版記念講演でもある。
1993年に公害調停に立ち上がってから、最初はどのメディアにも取り上げられず悲惨な状況だったこと。誰もが香川県には勝てないと思っていた時に、弁護団長・中坊さんが「本当に最後まで闘うのか」と住民に覚悟を問い、それに応えた一人ひとりの決意が固い結束を生んだこと。そしてその揺るぎない団結が世論を動かし、勝利を勝ち取った軌跡を熱弁した。

〈豊島〉産業廃棄物不法投棄跡地にある「豊島のこころ資料館」。廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さんは、訪れた人々に事件を語り継いでいる

〈豊島〉産業廃棄物不法投棄跡地にある「豊島のこころ資料館」。廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さんは、訪れた人々に事件を語り継いでいる

「国が動き、法律も変わった。大量消費、大量廃棄を変えようと、国民の考え方も変わった。これは〈豊島〉住民が主体的に取り組んだことの結晶なんです。今後、豊島を環境学習の“学びの島”にしていくため一番大事なことは、できるだけ多くの人に〈豊島〉に来てもらい、事件のことを知ってもらうこと。これを続けるために、『瀬戸内オリーブ基金』の活動が絶対に必要です」と、力のこもった大川さんの言葉に、目頭が熱くなる参加者の姿も見られた。

また、大川さんの講演の中でも強調されたのが、メディアの力だ。新聞を始めとするメディアが「豊島事件」を取り上げ始めたことで、世の中が事件の存在に気づき、〈豊島〉の外からも行く末を見守る人々が出てきた。そのことがやがて世論を変え、事件を解決に導いた。会場で配布されたパンフレットの巻末には、16名の記者たちが寄稿した「メディアが見た豊島事件」という文集が綴じられている。

山陽新聞の編集委員・影山美幸さん。高松支局の記者として「豊島事件」を追い続けた

山陽新聞社総務局局次長・影山美幸さん。高松支局の記者として「豊島事件」を追い続けた

そのメディアの一人が、山陽新聞社総務局局次長・影山美幸さん。1998年〜2000年まで、高松支局の記者として「豊島事件」を追い続けた人物で、2000年6月の調停成立の時にもコラムを書いた。式典で配られた「25周年記念冊子」に寄稿したコラムの中で、影山さんは「豊島が教えてくれたこと」と題し、こんなことを綴っている。

“人間は弱く、国も自治体も間違える。法律も完全ではない。間違ったら改め、過ちから学ばなければならない。自分が出したごみの行方に思いをはせることができる人は、未来を考えることができる。(中略)私利私欲でなく、次世代のためにと立ち上がり、行動した豊島の人たちのことを伝え続けたいと思う。”
(「25周年記念冊子」巻末付録「メディアが見た豊島事件」より)

広がる環境教育の輪。4つのサポーター企業が実践中の取り組みを語る

「瀬戸内オリーブ基金」はこれまで多くの法人サポーターに支えられてきた。

「地域と社会が育む、環境教育のこれから〜企業・教育機関とともに描く協働のかたち〜」と題した、トークセッションでは、「瀬戸内オリーブ基金」を支援する法人サポーター企業の代表や、助成を受けて環境教育を実践する団体が集まり、それぞれの立場で感じている“環境教育の重要性”を語り合った。

トークセッションの様子。左から、ファシリテーターとして登壇したシェルバ英子さん(株式会社ユニクロ)、池内正晴さん(学校法人聖パウロ学園)、本宮炎さん(NPO法人三段峡-太田川流域研究会)、村石百香さん(株式会社大創産業)、岡田恵治さん(株式会社ファーストリテイリング)

トークセッションの様子。左から、ファシリテーターとして登壇したシェルバ英子さん(株式会社ユニクロ)、池内正晴さん(学校法人聖パウロ学園)、本宮炎さん(NPO法人三段峡-太田川流域研究会)、村石百香さん(株式会社大創産業)、岡田恵治さん(株式会社ファーストリテイリング)

登壇したのは、村石百香さん(株式会社大創産業)、池内正晴さん(学校法人聖パウロ学園)、岡田恵治さん(株式会社ファーストリテイリング)の法人サポーター3名と、「瀬戸内オリーブ基金」の助成先団体から本宮炎さん(NPO法人三段峡-太田川流域研究会)、ファシリテーターとして、「瀬戸内オリーブ基金」運営委員のシェルバ英子さん(株式会社ユニクロ)。

学校法人聖パウロ学園は、2018年から「瀬戸内オリーブ基金」の法人サポーターとして支援していたが、近年は、生徒たちに向けた環境教育に力を注いでいる。中学1年生が実際に〈豊島〉を訪れ、産廃跡地の見学や海岸清掃に参加したり、2025年からは同じく法人サポーターである東レ株式会社と共に、同社の滋賀工場でグループワークを行うなど、新たな取組みも始まった。池内さんは〈豊島〉での実習について、「教科書やインターネットではなく、現場を見ることで生徒たちが受けるインパクトは大きい。ショックが大きいぶん『自分たちになにができるかな?』と、生徒たちが自分事として考えることができるようになっているのを感じます」

実際に現場を訪れることの重要性は、株式会社ファーストリテイリングの岡田さんも感じていた。
ユニクロとGUでは全国の店舗に「瀬戸内オリーブ基金」の募金箱を設置している。募金のゆくえを正しく理解する場として、従業員による〈豊島〉でのボランティア活動を毎年実施している。「自分の言葉でお客様に取り組みを伝えられることが重要で、そのために現場体験は大切だと考えています」と岡田さんは話す。

2024年から「瀬戸内オリーブ基金」の法人サポーターとなった株式会社大創産業でも、社員とその家族が一緒に〈豊島〉を訪問し、オリーブ収穫などのボランティアを行うなどの活動を実施。企業として環境学習に取り組む意義について、村石さんは、このように話した。「私が期待しているのは、環境学習を通して得た気づきが、社員一人一人の具体的なアクションに繋がっていくことです。ひとりの従業員が意識し始めれば、それが他の社員やお客様にも伝播していくのではないかと思います。社会貢献をしている素敵なNPO法人を支援していることを伝えていくことで、社員が自社のことを誇りに持ってくれることへも繋がると思っています」

「瀬戸内オリーブ基金」の助成を受けるNPO法人三段峡は、フィールドでの環境学習プログラムを運営しながら、植林された森を自伐林業を通じて持続可能な天然林に変えていく「渓畔林再生プロジェクト」に取り組む。本宮さんは、環境学習のバトンを未来へ繋いでいく“次世代”の人材を育成している人物だ。「次の世代が環境に関する学びを人々へ伝えられる、伝道師的な人材を育てていきたい。そのためオリーブ基金さんの支援は現場の力になる」と話し、環境教育を続けるには、社会全体の力が必要不可欠であることを訴えた。

それぞれの活動実例を語る登壇者たち

それぞれの活動実例を語る登壇者たち

環境教育を継続していくにあたり、「瀬戸内オリーブ基金」が掲げたのは次の3つのキーワード。
1. 「豊島事件」の教訓を伝え続ける
2. 地球の未来を考えられる人を育てる
3. with fun

自然を壊すのは簡単だが、再生させるのは難しい。だからこそ、地球の未来に想像力を持って行動できる、次世代の指針となるような人を育てていきたい。そして、その学びを停滞させず続けていくためには「楽しさ(fun)」の要素も必要だ。

ファシリテーターを務めていたシェルバさんは「『豊島事件』は環境教育だけではなく、平和教育にも繋がる。世界に目を向けるきっかけをオリーブ基金が提供したい。助成先の活動のことももっと知ってもらえるようにする」と、今後の展望を語り、セッションを締めくくった。

「豊島事件」と向き合ってきた人たちの想いや歩みを、これからの未来へ受け継いでいくこと。そして、目の前の自然の尊さを知り、自分が出したごみの行方にまで思いを巡らせること。環境を守る大切さを自分の問題として伝えられる人を育てること。
環境教育は、豊かな地球を守るために、世代から世代へと手渡されていく、終わりのないバトンリレーのようなものだ。

このリレーを支えているのが、活動を資金面で支える法人サポーター、教育の現場で学びを広げる学校法人、そして、その支援を受けて実際に環境保全に取り組む助成団体。
「瀬戸内オリーブ基金」を中心に、次の世代へとバトンをつなぐ、前向きな循環が生まれている。

「瀬戸内オリーブ基金」の未来。次の25年に掲げる3つの目標と新しい取り組み

〈豊島〉には継続的にボランティアスタッフを派遣。10月には個人/法人サポーターが参加できるオリーブ収穫祭も行われた

〈豊島〉には継続的にボランティアスタッフを派遣。10月には個人/法人サポーターが参加できるオリーブ収穫祭も行われた

式典の最後には「瀬戸内オリーブ基金」の未来について語られた。次の25年に向けて、すでに新しい企画も動き出しているという。

「豊島事件」の歩みを記録する書籍の出版
「豊島事件」の弁護団および住民運動の30年の歩みを記録した書籍の制作。2024年の春から取り組んでおり、完成に近づいている。2026年度の出版に向け、現在まとめ作業を進めている。

法人サポーターとの新たな協働

写真提供:株式会社大創産業

写真提供:株式会社大創産業

法人サポーターである、株式会社大創産業が運営するStandard Products では、〈豊島〉で収穫されたオリーブを使ったスキンケアシリーズを2025年11月にリリースした。身近なプロダクトを通して、「瀬戸内オリーブ基金」や〈豊島〉の存在を周知していく狙いだ。

新しいロゴマークの誕生

新しいロゴマーク

式典のフィナーレでは、新しいロゴマークがお披露目された。「平和と知恵」という花言葉のあるオリーブと、瀬戸内海の自然の豊かさを示すスナメリがデザインされており、株式会社ファーストリテイリングより無償提供された。

また今後は、①日本で一番応援したくなる環境NPOになる、②日本で一番ユーザーフレンドリーな助成団体になる、③日本で一番働きやすい環境NPOになる、という3つの目標を掲げ、これまで以上に活動の透明性と、発信活動に注力していくと岩城さんは話す。PayPayで募金活動が可能になり、より多くの人々が活動を支援することもできるようになった。

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

瀬戸内の自然がこれからも引き継がれていくように、そして同じような悲劇が二度と起こらないように。〈豊島〉での植樹活動やストーリーテリングはもちろん、教訓を生かした環境教育にもさらなる力を注いでいかなくてはいけない。「瀬戸内オリーブ基金」はすでに新たな一歩を踏み出している。

2026年の現在、世界的なSDGsへの意識の高まり、気候変動への危機感など、日本における環境リテラシーは高まりつつある。
しかし、そうした流れの背後には、豊島事件の経験が静かに息づいている。島民が声を上げ、弁護団の支えを受けながら闘い、日本の法律や社会の仕組みを変え、大量消費・大量廃棄のあり方を見直すきっかけをつくった。
「瀬戸内オリーブ基金」が取り組む環境教育は、「豊島事件」の教訓を一人一人の心に届けるとともに、決して途絶えさせてはいけないものなのだ。

「瀬戸内オリーブ基金」が守る瀬戸内海の自然という鏡に、自分自身の日常を映してみる。
目の前の景色は美しいだろうか。自分の行動が、この景色を壊していないだろうか。

個人の意識の一つ一つはやがてあの瀬戸内海に、そして地球全体の環境へと広がり、時を超えて未来へ繋がるはずだ。「瀬戸内オリーブ基金」の25年の歩みを知り、自分も新たな一歩を踏み出せたようだった。

※記事内の写真の一部は、取材先より提供していただきました。

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

TOUCH JAPAN JOURNEY まだ見ぬ日本の美しい景色と 洗練された体験、新しい旅へ

LEXUSが提案する日本・再発見の旅〈TOUCH JAPAN JOURNEY by LEXUS〉はLEXUSに搭乗しながら、日本を巡るトリップツアー。日本、そして海外ゲストが楽しむこの旅の一部を実況中継。

TJJの屋久島トリップのパートナーは、LEXUSのBEV(電気自動車)専用モデルの〈RZ〉。屋久島の春田浜、ソニックカッパー〈4Y5〉カラーが、朝陽に照らされ、美しく輝く。

TJJの屋久島トリップのパートナーは、LEXUSのBEV(電気自動車)専用モデルの〈RZ〉。屋久島の春田浜、ソニックカッパー〈4Y5〉カラーが、朝陽に照らされ、美しく輝く。

クルマに乗り込み、シートにカラダを沈める。はやる気持ちをおさえて、そっと目を閉じる。これからはじまる旅の光景を想像しながら。子供の頃、遠足前の夜のような高揚感。

初めて見る、初めて体験する、初めて味わう。知床・阿寒、奥入瀬・十和田、屋久島、若狭……、いまだ掘り起こされていない日本の地域の魅力を存分に楽しむプログラムを、LEXUSのハンドルを握って巡る。

このプログラム〈TOUCH JAPAN JOURNEY by LEXUS〉は、主にLEXUSオーナーを対象にしたプログラム。各ツアーごとに用意される車種も様々。地域で選ぶか、ツアー内容で選ぶか、いつか体験したいと思っていたLEXUSの車種から選ぶか。日本在住のオーナーだけでなく、国外オーナーが応募可能な旅もある。LEXUSというアイコンを通じて、世界に日本の魅力を発信しているのだ。

トレッキングを始めて、たった5分でも、壮大な屋久島の森に圧倒される。

トレッキングを始めて、たった5分でも、壮大な屋久島の森に圧倒される。

自然の潤い。みずみずしさの奥にある島の体温を感じる。

自然の潤い。みずみずしさの奥にある島の体温を感じる。

道々で、猿たちがゆったりと毛づくろい。西部林道では、鹿たちも観ることができる。

道々で、猿たちがゆったりと毛づくろい。西部林道では、鹿たちも観ることができる。

屋久島は、温帯と亜熱帯両方の魚種が生息しており、多種多様な魚を釣ることができる。

屋久島は、温帯と亜熱帯両方の魚種が生息しており、多種多様な魚を釣ることができる。

釣った魚は、刺し身にして、のちほど食べる。最高の贅沢だ。

釣った魚は、刺し身にして、のちほど食べる。最高の贅沢だ。

屋久杉で様々な創作を続ける、岳南さんの工房にも訪れた。

屋久杉で様々な創作を続ける、岳南さんの工房にも訪れた。

鹿児島の地元焼酎蔵〈本坊酒造〉の「屋久島伝承蔵」。ジャパニーズウイスキーの貯蔵庫や焼酎造りの現場を見学。

鹿児島の地元焼酎蔵〈本坊酒造〉の「屋久島伝承蔵」。ジャパニーズウイスキーの貯蔵庫や焼酎造りの現場を見学。

今回、同行したのは、モンゴルからのゲスト。大草原と砂漠。横に横に、と広がる雄大な景色の中で暮らす人々が訪れたのは屋久島。1600〜1500万年前にマグマが隆起して生まれたこの島は、長い年月のあいだ、豊かな太陽光と豊富な雨量に恵まれ、縦に縦に伸びる美しい緑の島となった。壮大な自然の中で育ったモンゴルのゲストたちにとっても、きっと初めての景色だったのだろう、ツアーの間の興奮はさめることがなかった。

屋久島は、豊富な降水量を活かした水力発電、現地のメーカーで送配電も行うなど、カーボンニュートラルな電力自給率99.6%を実現。再生可能エネルギーで成り立つ島をゲストとともに巡ったのは、BEV(バッテリー式電気自動車)専用車〈LEXUS RZ450e〉。環境に配慮する暮らしについて体感することができるのも、この旅の魅力の一面だ。

今回のツアーは、〈sankara hotel & spa 屋久島〉の専属ガイドが案内。白谷雲水峡での軽トレッキング、千尋の滝、大川の滝、瀬切展望台所、西部林道、永田いなか浜、焼酎蔵、海釣り……。さらに〈sankara hotel & spa 屋久島〉では、地元で穫れる魚介を中心にした素晴らしいディナーと、ラグジュアリーな滞在を満喫。〈samana hotel Yakushima〉では、島の人々も愛する、超軟水のとろとろの湯に癒されて。圧倒的な緑の大自然と癒やしのアクティビティ体験は、一生の宝ものになった様子だ。

〈sankara hotel & spa 屋久島〉のインフィニティプール。屋久島の水質は軟水の中でもトップクラスの超軟水。サウナの水風呂としても利用でき、極上のディープリラックスが体験できる。

〈sankara hotel & spa 屋久島〉のインフィニティプール。屋久島の水質は軟水の中でもトップクラスの超軟水。サウナの水風呂としても利用でき、極上のディープリラックスが体験できる。

〈sankara hotel & spa 屋久島〉のゲストルーム。大自然の中の最高のラグジュアリー。

〈sankara hotel & spa 屋久島〉のゲストルーム。大自然の中の最高のラグジュアリー。

細かな部分まで”居心地”が追求されている。

細かな部分まで”居心地”が追求されている。

ゲストハウスの後ろには、荘厳な山々。眼の前には、海。屋久島でしか味わえない、壮大な世界観。

ゲストハウスの後ろには、荘厳な山々。眼の前には、海。屋久島でしか味わえない、壮大な世界観。

旅の疲れを癒やす。屋久島の自然素材とアーユルヴェーダをかけあわせ、心身を美しく整える。

旅の疲れを癒やす。屋久島の自然素材とアーユルヴェーダをかけあわせ、心身を美しく整える。

ダイニング〈okas〉で夕食を。屋久島そして九州の大地が育んだ素材をふんだんに。オープンキッチンで。

ダイニング〈okas〉で夕食を。屋久島そして九州の大地が育んだ素材をふんだんに。オープンキッチンで。

鹿児島県鹿屋の中山黒牛を使ったメイン料理。炭火でじっくりと焼き上げた肉は、驚くほどやわらかく、さっぱりと。

鹿児島県鹿屋の中山黒牛を使ったメイン料理。炭火でじっくりと焼き上げた肉は、驚くほどやわらかく、さっぱりと。

スイーツには、このツアーのために用意された、嬉しい装飾が。

スイーツには、このツアーのために用意された、嬉しい装飾が。
〈TOUCH JAPAN JOURNEY〉は、地域とのサスティナブルな関係を築きながら、旅で得たゲストの声や車両データを今後の車両開発や地域と連携した将来のインフラ開発などにも役立てていくという。カーボンニュートラル、サスティナビリティ、様々な社会課題についても考える機会を与えてくれるツアー。ぜひ一度体験して欲しい。

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問い合わせ先
レクサスインフォメーションデスク
0800-500-5577(受付時間9:00〜17:00、年末年始を除く)

TEL:052-728-0906 (平日10時~17時)

https://lexus.jp/
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これまでのツアーには、トヨタ自動車九州宮田工場見学や富士スピードウェイでのサーキット&オフロード走行の旅、日本の名ドライブウェイ巡りなど。通年プランからライトプランまでラインナップ、自分に合った旅のスタイルが見つけられる。

募集中の旅を見る

「豊島事件」を教訓に 次世代へ美しいふるさとを託す

香川県の〈豊島〉に大量の産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」。この事件を教訓とすべく、「瀬戸内オリーブ基金」は今新たな試みを開始した。連載第3回となる今回は、「瀬戸内オリーブ基金」の25年にわたる歩みを振り返り、現在取り組んでいる活動とこれからの展望について話を伺った。
(「豊島事件」についてはVol.2の記事へ)

島民の想いと希望をオリーブに込めて

【瀬戸内海が持つ環境的・文化的・歴史的価値を見直し、植樹活動によって破壊された自然を回復し、「美しいふるさと」瀬戸内海を次の世代に引き継ぐ】

この目的を実現させるために「瀬戸内オリーブ基金」が、設立されたのは2000年11月のこと。

「安藤さん、豊島のゴミを処理するだけではダメだ。かつての緑豊かな島に戻さなければならない」

「豊島事件」公害調停を闘った弁護士・中坊公平さんが以前から付き合いのあった建築家・安藤忠雄さんにこう声がけをした。安藤さんは、阪神・淡路大震災の復興への取り組み『ひょうごグリーンネットワーク』という被災地の緑化活動を続けており、植樹についてのノウハウを持っている、うってつけの人物でもあった。中坊さんは、〈豊島〉の問題を〈豊島〉のみととらえず、日本の「環境破壊を見ないふりして成立してきた社会」の負の象徴であると位置づけ、瀬戸内の自然を取り戻すことこそが、日本の、そして世界の人々の環境に対する意識を変えるきっかけになると考えた。

第1回の記念植樹式の様子(提供:廃棄物対策豊島住民会議)

第1回の記念植樹式の様子(提供:廃棄物対策豊島住民会議)

2000年11月15日、〈豊島〉で開催された第1回の記念植樹式では、中坊さんと安藤さんが豊島の小中学生とともに、オリーブの苗木1000本を植樹。「瀬戸内オリーブ基金」は、瀬戸内の里山・里海を守る活動を支援し、100万本の木を植える目標を掲げる。現在は、ユニクロをはじめ、様々な企業や個人が支援をしている。

「排出事業者が廃棄物を委託する際の責任の明確化と、不法投棄の未然防止を目的に実施される『マニフェスト制度』の導入により、不法投棄が社会的に非難される行為として認識されるようになったのは、『豊島事件』が社会に与えた大きな影響です」と語るのは、弁護団の一人として豊島事件の公害調停に関わり、現在は、同基金の理事長をつとめる岩城裕さん。その一方で、豊島住民たちの粘り強い闘いが一部で「住民エゴ」と批判されることもあったそう。しかし、想像してみてほしい。もし豊島住民たちの小さな、そして長い闘いがなかったならば、現代も、効率と利益を最優先する経済原理に基づいた、ゴミが大量に廃棄される社会のままだったかもしれないことを。

「我々『瀬戸内オリーブ基金』のビジョンは、人と自然が共存する持続可能な社会を目指すことです」

現在、「瀬戸内オリーブ基金」は、4つのプログラムを軸に活動をしている。

オリーブの樹と豊かな自然の象徴、スナメリをモチーフにした「瀬戸内オリーブ基金」のスタッフユニフォーム

オリーブの樹と豊かな自然の象徴、スナメリをモチーフにした「瀬戸内オリーブ基金」のスタッフユニフォーム

1. 【助成プログラム】
「瀬戸内オリーブ基金」の理念に賛同する、法人・個人サポーターからの寄付金を元に、瀬戸内海エリアの環境保全と再生に取り組む団体に、原資となる資金を助成。瀬戸内海エリアの環境保全と再生を目指す。
現在までに3億円以上の資金助成を行ってきた。豊かな環境を日本のふるさととして次世代に引き継ぐことを目的に、瀬戸内の山・森・川・海や、そこに生きる生きものを守る活動に加え、未来を担う世代が環境について学び、考える機会をつくる取り組みを支援している。

2. 【ゆたかなふるさと100年プロジェクト】
廃棄物の不法投棄によって荒廃した〈豊島〉の処分地の植生を、本来の豊かさを取り戻すことを目指し、自然の営みに寄り添いながら、その回復の過程を手助けする取り組み。「瀬戸内オリーブ基金」の運営委員でもある岡山大学院環境生命自然科学研究科・嶋一徹教授のサポートのもと活動している。
今もなお、処分地には地下水問題が残るため、香川県が管理をし、モニタリングを続けている。将来的に豊島住民の手に戻った後、どのような手助けが有効かを検証しながら、処分地周辺の同じような環境で植生を回復させるための実証実験兼事業を行っている。
ちなみに豊島の中で、植生が破壊された面積は285,000平方メートル、現在までの植生回復活動の実績は3,980平方メートルである。

3. 【ゆたかな海プロジェクト】
「瀬戸内オリーブ基金」では2009年度から、海洋プラごみ問題の解決に取り組んできた。近年では、楽しみながら環境問題に向き合えるように、チーム対抗のゴミ拾い競技「スポGOMI」を開催するなど、企業ボランティアとともに豊島でも海洋清掃に取り組んでいる。2024年からは、瀬戸内海の食物連鎖の頂点にいるスナメリをテーマとした環境学習会も行っている。

4. 【豊島事件語り継ぎプロジェクト】
近年特に力を入れているプロジェクト。事件の経緯や背景を伝える〈豊島のこころ資料館〉の整備をはじめ、「豊島事件」の教訓をアーカイブ化し、残す取り組みを進めてきた。2019年からは「豊島事件」の語り継ぎを取り入れた環境教育も開始。小学生から大人まで幅広い世代を対象に「豊島事件」の学びを伝えている。長い闘争の歴史を語れる人たちが高齢化している課題もあり、世代を問わず多くの方に事件を知ってもらうためにYouTube動画作成などを通じて資料保存と活用にも力を注いでいる。ちなみにこれらの動画は岩城理事長が脚本を書いたそうだ。

豊かな島の自然景観の原状回復、その現場へ

今回、コロカルチームは〈豊島〉を訪れ、実際に「瀬戸内オリーブ基金」の活動を見せていただいた。
「ゆたかなふるさと100年プロジェクト」では、住民や学生、法人など多くのボランティアらとともに、処分地背後の尾根(南側)で植生回復事業を行う。この場所を〈ゆたかなふるさと再生の森〉と命名し、元の植生を再現した見本園の整備や、地元の小中学生との植樹活動などを通じ、攪乱された処分地の再生を一歩ずつ進めている。

1970年代にガラス原料の珪砂を採取するため表土が全面的に除去されたが、産業廃棄物は投入されなかった場所。自然植生を回復させる活動を行う嶋教授は右から4人目

1970年代にガラス原料の珪砂を採取するため表土が全面的に除去されたが、産業廃棄物は投入されなかった場所。自然植生を回復させる活動を行う嶋教授は右から4人目

「自然を取り戻す方法はいくつかあると思います。例えば東京の夢の島。あそこはかつて、ゴミ捨て場でしたが今は立派な公園ですよね。それも緑が戻っていると言えると思います。しかし豊島の住民が考えているのは、新しく緑を造成するのではなく、元通りの自然に戻してほしいということ」と、嶋教授。

40年近く放置されてきた土地は一見すると緑が生い茂って豊かな自然に回復されたように見えるが、住民は「元通りの自然ではない」と言う。それは一体、何が違うのか。
「調査してみたら、植物の多様性が非常に乏しいのです。表土が残された、もしくは堆積した場所では樹木が生育しているけれど、処分地やその周辺のように表土がほとんど残っていない場所は、いつまでも雑草が繁茂して遷移が全く進んでいません。このまま100年、200年放置したら、元通りに戻るかもしれないけれど、私たちが『少しだけ手を加える』介入をすることで、遷移の流れに沿って植生の回復が少し早く進むようにしているのです」

実施中の取り組みの中で最も労力のかかる作業の一つは、やっと土地に侵入できた小さい実生を残しつつ、林床に日差しが届くように、繁茂した雑草を人手で除去する作業。これを3年程度続けると、雑草の生育が少しおさまってくるそうだ。それと同時に、元来の植生が良好に回復している場所の表土を移植し、その表土に含まれる種が発芽出来るように環境を整える。こうした作業の繰り返しによって、多種多様な植生が早く定着できるようにしていく。

「全部芽が出なくてもいいです。たまたま芽が出た植物のうち、その立地環境に合ったものが残ってくれたらいいんです。ゆくゆくは風や鳥などの動物によって運ばれた種子が自然に発芽し、定着できる環境整備を行っています」

あくまで人が自然を造成するのではなく、「手助け」することで自然の回復力を活かして植生を元に戻すのだ。地道な作業の繰り返しだが、それを支えてくれる企業のボランティアにも支えられ、その規模は毎年少しずつ拡大している。

壊すのは一瞬、取り戻すには100年以上。「豊島事件」は、一度破壊された自然を回復させるには途方もない時間と多くの労力がかかることを教えてくれている。

再生を目指す土地の実生の生残率・樹高成長・種の多様性などをモニタリングし分析する

再生を目指す土地の実生の生残率・樹高成長・種の多様性などをモニタリングし分析する

「瀬戸内オリーブ基金」を支えるサポーターが楽しめる体験も

「瀬戸内オリーブ基金」は、理念に賛同し、「私たちに何かできることはないか」と声をかけてくれた多くの個人や企業・団体の存在に支えられている。彼らが「サポーター」となり、年会費などによる寄付やボランティアで活動を支える。法人サポーターの企業の中には、環境教育の一環として豊島でのボランティアへ参加し、現地で体験してきたことを社員間で発表するなど、学びの共有が行われている。その結果、社会貢献活動への意識が向上しているという。

2025年10月24日には、サポーター向けの『オリーブ収穫祭』が開催された。

オリーブ収穫祭でオリーブの実を摘む参加者。環境教育の一環として参加者を募るサポート企業も多い

オリーブ収穫祭でオリーブの実を摘む参加者。環境教育の一環として参加者を募るサポート企業も多い

〈豊島〉で栽培しているのは、2000年以降、全国から集まった寄付金によって植えられたオリーブ。成長にあわせた間伐などを経て、現在は約600本が大切に管理されている。このオリーブ収穫体験とともに、〈豊島のこころ資料館〉、かつての不法投棄の現場、そして〈ゆたかなふるさと再生の森〉を見学した。

収穫されたオリーブは24時間以内に島内の小さな搾油場で搾られ、エキストラバージンオリーブオイルや、そのオイルを使った石鹸や美容オイルとして商品化し、主に島内のお土産店や美術館で販売。売り上げは瀬戸内エリアの自然を守る活動に使われている。

収穫されたオリーブは24時間以内に島内の小さな搾油場で搾られ、エキストラバージンオリーブオイルや、そのオイルを使った石鹸や美容オイルとして商品化し、主に島内のお土産店や美術館で販売。売り上げは瀬戸内エリアの自然を守る活動に使われている。

参加したサポーターは、「オリーブの実を丁寧に摘み取る作業はとても楽しかったです。『豊島事件』への学びを深め、自然と人の共生や環境保護の大切さ、そして『瀬戸内オリーブ基金』の活動の一端を間近に感じることができました。一部の社員だけでなく、家族や友人にも〈豊島〉に行ってほしい」と、語った。

活動を支える次世代の力

「瀬戸内オリーブ基金」の事務局メンバー。左から松澤千穂さん、清水萌さん、塩川ゆうりさん

「瀬戸内オリーブ基金」の事務局メンバー。左から松澤千穂さん、清水萌さん、塩川ゆうりさん

「瀬戸内オリーブ基金」設立から25年、これまで様々な人材がこの活動に関わってきた。そして、現在、事務局の中心となるのは「3人娘」と、地元の人からも愛されている3名の女性。それぞれがそれぞれの想いやきっかけを持ち、そしてライフステージに合わせた持続可能なスタイルで、「瀬戸内オリーブ基金」の活動を支えている。

塩川ゆうりさんは、自然の中で働きたいと仕事を探している時に「瀬戸内オリーブ基金」と出会った。3年間〈豊島〉に住んだのち、現在は結婚して埼玉に移り、リモートで事務局の仕事をしつつ、定期的に〈豊島〉に通っている。
清水萌さんは父親が弁護団の一員(清水善朗弁護士)だったこともあり、幼い頃から〈豊島〉を訪れていたが、当時は事件について深く知ることはなかったという。改めて「豊島事件」について学び、子どもの頃に可愛がってくれていた島の人たちが、ふるさとを取り戻すために闘っていた事実を知ったことが、活動に関わるきっかけとなった。今は結婚し、子育てをしながら週に1、2回、岡山から船で〈豊島〉まで通っている。
そして、3名の中で一番新しいメンバー、石川県出身の松澤千穂さん。昔から夢だった自然や環境保全に関わる仕事がしたい、島で暮らしてみたいと思い立ち、2025年1月に〈豊島〉へ移住。現在、3名の事務局の中では唯一の島暮らしとなる。

様々な経歴ののち「瀬戸内オリーブ基金」に関わることになった皆さんを惹きつける、この仕事のやりがいは何なのか。
「『豊島事件』を遠くで起きた事として終わらせてほしくなくて、自分にも起こりうることだと知ってもらいたいんです。島外の子どもたちが〈豊島〉に学習に来て、その思いが伝わった時に、やっていて良かったなと思います」と塩川さん。

オリーブ収穫祭で参加者へオリーブオイルができるまでの工程を説明する塩川さん。オリーブの維持管理には地元の方との密なコミュニケーションが欠かせない

オリーブ収穫祭で参加者へオリーブオイルができるまでの工程を説明する塩川さん。オリーブの維持管理には地元の方との密なコミュニケーションが欠かせない

また、島の人たちとの関わりも活動の原動力だと3人は話す。
小さい島だからこそ、都会とは違った親密な人間関係を築くことができ、困り事は親身になってくれるし、農作物をいただくなど、交流もよくある。しかし、彼女らが生活を共にしている島民は、「豊島事件」で傷ついた人、戦った人たちだということを忘れてはならない。世間を騒がせた事件であることから様々な批判も受け、それでも一生懸命島を守った人たちなのだ。ふとした会話の中で、その葛藤の歴史を口にした島の方が涙を流す場面もあるという。だからこそ、常に誠実なコミュニケーションを心がけ、「私たちに何ができるか、何が求められているか」を模索している。

「応援してくださる島のみなさんのために、『豊島事件』を風化させたくない。今後、この学びを活かせるよう、次世代へ教訓として伝えていきたい」
と、3名は声を揃える。しかし現実には、豊島事件に当事者として関わってきた方々の高齢化も進み、どうこの教訓を伝えていくか試行錯誤を重ねている。島の中で様々な意見もある。「教訓を伝える」と言っても、当事者の語りを遺したり、当時の資料の収集・劣化対策の作業に加え、環境教育としての学びを体系化する取り組みも同時進行し、これまで以上に多くの協力者の支えが必要だと感じているという。

「活動への理解が深まり、応援してくださる方が一人でも増えるよう、支え合う仲間たちとこれからも頑張っていきたい」
島民の心に寄り添う若い力が大きな推進力となり、瀬戸内海の豊かな自然を未来へつなぐ活動は今日も、そしてこれからも続いていく。

支援の形は、個人でも法人でも、オンラインから自分に合ったタイミングで選ぶことが可能だ。 瀬戸内海の自然を次世代へつなぐために。あなたに合った方法で、この活動を支えてみてはいかがだろうか。
「瀬戸内オリーブ基金」の支援はこちらから
https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

香川県の豊島

information

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

モデル・阿久津ゆりえさんが おすすめする、群馬県民から愛される ローカルグルメスポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、モデル・阿久津ゆりえさんが登場。
地元民から愛されるローカルグルメスポットを教えていただきました。

地元の定番といえば〈おおぎやラーメン〉

〈おおぎやラーメン〉は、私の地元のど定番ラーメンショップ。少ししょっぱい味噌ラーメンは、太めのちぢれ麺がスープによく絡んで癖になる!餃子と半ライスはぜひ一緒に食べてほしいです。
私は〈おおぎやラーメン〉を食べて大きくなりました。

information

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おおぎやラーメン 安中本店

住所:群馬県安中市安中1-2314-1

家族でシェアした楽しい思い出〈富士久食堂〉

何を食べても間違いない、昔ながらの町食堂〈富士久食堂〉。
小さい頃に家族でよく通っていて、 ボリューム満点の定食系やオムライス、 カツ丼などみんなで色々と頼んでシェアした楽しい思い出があります。

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富士久食堂

住所:群馬県高崎市中里見町121

Instagram:@fujikyu.shokudo

群馬県民御用達〈登利平〉のお弁当

〈楽園〉

〈登利平〉のお弁当は群馬に来たら外せません。
甘しょっぱい秘伝のたれが染み染みの薄くスライスされた鶏肉と、ぎゅうぎゅうに敷き詰められたご飯(こちらもたれが染み染み)は冷めても美味しい!
シンプルながらにノスタルジーを感じさせてくれる群馬県民御用達のお弁当。松と竹の2種類あるのですが、おすすめは“竹”弁当です。

information

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登利平

住所:群馬県前橋市六供町1-18-6

動画はこちらから!

profile

阿久津ゆりえ

群馬県出身。Gunn’s所属のファッションモデル。多くのCMをはじめ、雑誌や広告、MV等の出演やアパレルブランドとのコラボ商品を発売したり、群馬県の観光特使を務めたりと幅広く活躍している。またFMぐんまのラジオ番組でメインパーソナリティーを務めた経験も。明るく自然体な人柄に、男女問わず幅広い年代から共感を得ている。

Instagram:@yurie__a

白神山地− 授かり、頂く山 〜縄文より続く原生の森~

旅の始まり

自宅のある長野から車でトボトボと北上し、弘前までやってきた。
今年一番の寒波により冬の到来を思わせる冷たい雨が静かに降り、濡れた路面が街の灯りを映していた。
先週まで滞在していた小笠原諸島との気温差は30度。山はおそらく雪だろう。
宿の近くでふらりと入った居酒屋では、賑やかな津軽三味線のライブが行われていた。その力強い音色が郷土料理と日本酒、外の寒さが混ざり合う。その瞬間、北にやって来たと体の奥が切り替わるような感覚があった。

弘前の夜の街

弘前の夜の街

弘前の夜の街

ふらっと入った居酒屋「あどはだり」

ふらっと入った居酒屋「あどはだり」

津軽三味線を演奏する女将の田辺美幸(東日流賀乃)さんと小山内薫さん。

津軽三味線を演奏する女将の田辺美幸(東日流賀乃)さんと小山内薫さん。

弘前の夜の街

紅葉の白神山地へ

白神山地は秋田県と青森県にまたがる広大な山林地帯。標高200メートルから1250メートル級の山々が連なり、深い谷と尾根が複雑に入り組んでいる。あまりにも険しい環境ゆえに、人は容易に入ることができなかった。道という道もなく、産業化社会の文明からの限りない隔たりがこの山の魅力である。

弘前から西目屋村へ向かう途中、右手に見える岩木山はやはり雪景色をまとい、山肌は標高が上がるにつれて色を変えていく。津軽白神湖を横目に山深くへと入ると、空気は澄み、森の匂いが濃くなる。

まずは手始めに「ブナ散策道」で白神山地のブナ林を歩く。その後はシンボルツリーである「白神いざないツリー」から津軽峠へ、そして高倉森を縦走するコースへと、トレッキングの深さを上げていった。さらに、深浦町へ移動して十二湖を歩き、最後に秋田県藤里町の滝や渓谷を巡り、岳岱自然観察教育林を歩いた。

ブナの巨木が連なる森に足を踏み入れると、空気が変わった。ブナの葉が作り出す黄色や赤のフィルターを通した光が柔らかく森を包み、乾きすぎず湿りすぎない澄んだ空気が流れている。足元には厚い腐葉土が広がっていた。「緑のダム」と呼ばれるこの土がスポンジのように雨水を蓄え、清らかな沢を生み出している。ブナは多くの実をつけ、ツキノワグマやカモシカ、小鳥たちを養う。倒木も土に還り、次の世代の苗床となる。静かでありながら、成熟した分厚い生命の循環そのものがここに息づいている。そう確かに感じられる森だった。
(現在、道の崩壊や土砂崩れなどの影響で「暗門の滝」など行けない箇所が多くあった。しかしそれは、この地がそれだけ深い場所であり、容易には人を寄せ付けない原生の姿を今も保っている証でもあるのだろう。)

青森県西目屋村・津軽峠より

青森県西目屋村・津軽峠より

青森県西目屋村・大川白神橋より

青森県西目屋村・大川白神橋より

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・高倉森縦走ルート

青森県西目屋村・高倉森縦走ルート

青森県深浦町・十二湖 沸壺池の清水

青森県深浦町・十二湖 沸壺池の清水

青森県深浦町・十二湖 落口の池

青森県深浦町・十二湖 落口の池

青森県深浦町・十二湖 沸壺の池

青森県深浦町・十二湖 沸壺の池

青森県深浦町・十二湖 青池

青森県深浦町・十二湖 青池

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・岳岱自然観察教育林

秋田県藤里町・岳岱自然観察教育林

青森県西目屋村・マザーツリー後継 白神いざないツリー

青森県西目屋村・マザーツリー後継 白神いざないツリー

世界の遺産となった原生のブナ林

白神山地が世界自然遺産に登録されたのは1993年12月。日本で最初の世界自然遺産登録だった(屋久島と同時登録)。
登録の決め手となったのは、「東アジア最大級の原生的なブナ林が残されている」という点である。
日本には他にもブナ林はあるが、これほど広範囲で人為の影響を受けていない森は白神山地だけである。しかも植生が単純化せずに太古のまま維持されている。540種を超える植物、貴重なクマゲラやイヌワシなど94種の鳥類、ニホンカモシカやツキノワグマなど35種の哺乳類、約2200種の昆虫が生息している。この豊かな生態系が、人の手が入らないまま維持されてきたこと。それが白神山地の本質的価値なのである。
総面積は約13万ヘクタール。そのうち約1万7千ヘクタールが世界自然遺産の登録地域となっている。核心地域と緩衝地域に分けられており、中心部である核心地域は人為の影響をほとんど受けていないため、保全上影響を及ぼす恐れのある行為は禁止され、入山も規制されている。

世界の遺産となった原生のブナ林

山の中では積雪のため、様々な動物の存在を確かめることができた。ツキノワグマの足跡

山の中では積雪のため、様々な動物の存在を確かめることができた。ツキノワグマの足跡

ニホンザルの足跡

ニホンザルの足跡

誕生と人との歩み

白神山地の誕生は一帯に見られる地層からわかる。大半が2000万年前以降、日本海ができた頃に堆積した砂や泥、海底火山灰や溶岩である。それらが200万年前に隆起を始め、侵食を繰り返し、数十万年前に現在のような急峻な山容になった。
ブナ林は3000万年前には北極周辺に存在していたとされ、7万年前から始まった氷河期の影響で本州中部や九州まで南下したが、温暖になった12000年から8000年前に再び北上し、この地を覆った。
森には栗や胡桃が実り、人も暮らすようになり道具や土器などが作られた。こうして1万年間続く縄文時代が始まり、人々は山麓に集落を作り、山の恵みを得て暮らしてきた。(白神山地では多くの縄文土器や土偶が発見されている)
時代は巡り、この深い森は江戸時代には津軽藩と秋田藩の境界となり、明治以降は国有林として管理されてきた。昭和に入り世界中で森林伐採が進むが険しい地形ゆえにその手が及ばず、原生の姿を保ち続けることができた。
しかし1970年代、青森県と秋田県を結ぶ青秋林道の建設計画が持ち上がる。貴重な原生林を貫く大規模な林道建設に対し、自然保護運動が高まる中、1982年に林道計画は着工したが1990年には中止。そして1993年、白神山地は世界自然遺産に登録された。開発の危機を乗り越え、守られた原生林。それは人々の声と行動が生み出した奇跡でもあった。

青森県深浦町・日本キャニオン 1200万年前頃に海底火山から噴出した礫(れき)や火山灰が堆積した岩石(シリカ含有量が多い酸性凝灰岩主体)が大規模地滑りで露出した断崖。脆い火山灰質の地層が浸食を受け峡谷景観を形づくった。地滑りの地学的特性が異なる環境を作り出し、その結果、さまざまな植物種がその環境に適応した形で存在するといわれており、白神山地の地形の成り立ちを見ることが出来る。

青森県深浦町・日本キャニオン 1200万年前頃に海底火山から噴出した礫(れき)や火山灰が堆積した岩石(シリカ含有量が多い酸性凝灰岩主体)が大規模地滑りで露出した断崖。脆い火山灰質の地層が浸食を受け峡谷景観を形づくった。地滑りの地学的特性が異なる環境を作り出し、その結果、さまざまな植物種がその環境に適応した形で存在するといわれており、白神山地の地形の成り立ちを見ることが出来る。

1万年前のブナの葉の化石。青森県西目屋村・白神山地ビジターセンター

1万年前のブナの葉の化石。青森県西目屋村・白神山地ビジターセンター

青森県深浦町一本松遺跡出土の板状土偶(縄文時代中期5000年前)。 深浦町歴史民俗資料館

青森県深浦町一本松遺跡出土の板状土偶(縄文時代中期5000年前)。 深浦町歴史民俗資料館

青森県深浦町・千畳敷海岸。緑色凝灰岩(グリーンタフ)からなる海底の波食台が、1793年(寛政4年)の西津軽地震で 数メートル隆起してできた隆起波食棚。

青森県深浦町・千畳敷海岸。緑色凝灰岩(グリーンタフ)からなる海底の波食台が、1793年(寛政4年)の西津軽地震で 数メートル隆起してできた隆起波食棚。

青森県深浦町・見入観音。かつて観音様が山の中から現れた(見入った)という言い伝えに由来している。創建には二つの説があり、一つは平安時代の高僧である智証大師(円仁)による開山という説、もう一つは康永3年(1344年)に行円和尚によって開山され、藤原氏家が開基したという説がある。

青森県深浦町・見入観音。かつて観音様が山の中から現れた(見入った)という言い伝えに由来している。創建には二つの説があり、一つは平安時代の高僧である智証大師(円仁)による開山という説、もう一つは康永3年(1344年)に行円和尚によって開山され、藤原氏家が開基したという説がある。

青森県西目屋村・岩谷観音。岩木川沿いの洞窟に存在する御堂。江戸時代の藩政時代に落馬で亡くなった愛馬を憐れんだ唐牛三左衛門が、岩壁の洞窟にお堂を建てて馬の霊を弔ったことが由来。

青森県西目屋村・岩谷観音。岩木川沿いの洞窟に存在する御堂。江戸時代の藩政時代に落馬で亡くなった愛馬を憐れんだ唐牛三左衛門が、岩壁の洞窟にお堂を建てて馬の霊を弔ったことが由来。

目屋マタギの伝承を受け継ぐ

縄文時代から、劇的に変わりゆく時代の中でもここの自然は守られてきた。それは人との関係が変わらず続いてきたということでもある。その形が今も残っている。それがマタギの存在だ。
東北地方で猟師や狩人を指すマタギとは、簡単に言えば「山の恵みで生活してきた人々」である。厳しい掟を守り、自然を知り尽くし、資源を守り伝えてきた人たち。
僕は西目屋村に住む目屋マタギの継承者である小池幸雄さんに山を案内してもらうことになった。
目屋マタギは、今や津軽白神湖(ダム)に沈んでしまった集落・砂子瀬を拠点に活動していた。彼らは山の地形を熟知し、動物の習性を読み、自然の声を聞き分けることができた。
神奈川県出身の小池さんは、弘前大学で探検部に所属していた頃、青秋林道問題で取材に来た人を道なき山へ案内する手伝いとしてマタギの工藤光治氏と出会った。
「山に入ると、その知識や技に驚かされた。幼少から自分の中に自然保護や動物愛護の意識があったが、それが如何に薄っぺらい妄想であったかに気づかされた。守るだけが正義だと思っていたが、共に生きているということ。授かり、頂く、ということが私の中にはなかった」と当時のことを話す。
その体験がきっかけで、小池さんは卒業後に工藤光治氏に弟子入りした。
目屋マタギの一年は、残雪期の「クマ撃ち」から始まる。4月下旬から5月上旬の長くて2週間、山奥のマタギ小屋を拠点にクマを探す。運よく授かれば皮を剥ぎ解体する。その際、山の神に祈り、天国に送る儀式を行う。授からない場合でも執着をしない。執着をすることを「押しマタギ」と呼び、嫌った。
マタギとは人を指す言葉ではない。クマを撃つこと自体もマタギという。「動物が憎いから撃つのではなく、生きる上で必要だから撃つ。動物を撃つたびに心を鬼にする。次に撃つときもまた鬼になる。『又鬼』と書いてマタギという」と師の工藤光治氏から教わったという。

クマ撃ちの後は春の山菜採り、夏にはマスやイワナの魚捕り、秋はキノコ採り、冬は鴨やノウサギなどの狩猟と、サイクルが続く。それぞれの行程には作法や掟があり、それらは口伝で伝承されてきた。「山があれば生きていける。掟は簡単に言えば欲張らないこと。授かる時期やタイミングには必ず旬があり、その時期だけ必要な量を頂く」。
小池さんは師匠たちと共に“この文化を絶やしたくない”という想いで、マタギの伝承とガイドを兼ねた「マタギ舎」を2000年に設立した。
「私ごときがマタギと言って良いのかどうか。マタギ文化は奥深く、まだ学ばねばならないことはたくさんあるが、なんとかこれを守り伝えていくことが重要だと思っている。しかし自然は急激に変化している。人の価値観も同じく…」と後継者不足の現状を憂いていた。彼らは現在、マタギ文化を伝える傍ら、環境省と青森県自然保護課から委託を受け、自然遺産地域の巡視業務を行っている。師である工藤光治氏は高齢のために引退。工藤茂樹氏と小池さんが最後の目屋マタギとして活動している。

津軽白神ダム。この下に砂小瀬の集落が沈んでいる。

津軽白神ダム。この下に砂小瀬の集落が沈んでいる。

山の中、巨木の中でクマ棚を見上げる小池さん。

山の中、巨木の中でクマ棚を見上げる小池さん。

クマ棚。ツキノワグマがブナの木に登り、実を食べ、枝を落とした後。

クマ棚。ツキノワグマがブナの木に登り、実を食べ、枝を落とした後。

わさびの葉を見つけ、口にする小池さん。「醤油に漬けると美味しいんだよ」と。

わさびの葉を見つけ、口にする小池さん。「醤油に漬けると美味しいんだよ」と。

クマを授かった時に行う「サカサガワの儀式」。皮を、頭と尻尾が身と逆に、身についた方が下になるようにして二人で持つ。呪文を唱えながら、皮を上下させる、この儀式を「サカサガワ(逆皮)ヲキセル」という。この世とあの世は逆さになっており、皮と身体を逆さにすることで、クマが迷わず成仏できるように行う儀式である。

クマを授かった時に行う「サカサガワの儀式」。皮を、頭と尻尾が身と逆に、身についた方が下になるようにして二人で持つ。呪文を唱えながら、皮を上下させる、この儀式を「サカサガワ(逆皮)ヲキセル」という。この世とあの世は逆さになっており、皮と身体を逆さにすることで、クマが迷わず成仏できるように行う儀式である。

マタギ小屋

マタギ小屋

目屋マタギの小池幸雄さん。「マタギ舎」では様々なツアーがあり、山の中での貴重な体験ができる。

目屋マタギの小池幸雄さん。「マタギ舎」では様々なツアーがあり、山の中での貴重な体験ができる。

目屋マタギの小池幸雄さん。「マタギ舎」では様々なツアーがあり、山の中での貴重な体験ができる。

そして学問へ 白神学という希望

そしてある日、小池さんと大学時代の友人だという、弘前大学白神自然環境研究センターの中村剛之教授を訪ねた。
2010年に研究所として設立されたこのセンターは、白神山地の保全と持続的利用を目的とし、生態系の研究、環境教育、地域連携を三本柱として活動している。昆虫の研究が専門の中村教授は、設立当初から白神の生態を調査研究し続けている。
「小池君は探検部で、僕は昆虫サークルだった。お互いこのような大人になるとは思ってもいなくて、ただ山を楽しんでいた。卒業後は弘前を出て色々な場所で研究活動を行ってきたが、ここの自然は他の世界自然遺産のように特別なものではない。日本のどこにでもある自然が昔のまま残っている。しかし、それが非常に意味深いと思っている。この自然の誕生から生態系、そこで生きてきた人の歴史や文化、そして現在の変化等を研究し、それを生徒や地元の人に伝えている」。
弘前大学では、これを「白神学」という独自の教育プログラムとして展開している。白神山地の自然・文化・歴史を総合的に学ぶ学問だ。生態学や地質学だけでなく、マタギ文化や縄文文化、林業の歴史、環境保全の取り組みなど、この地域に関わるあらゆる要素を統合的に学ぶ。フィールドワークを重視し、実際に森に入り、植生や生態を観察し、地域の人々と対話することで、白神山地を「知識」ではなく「体験」として理解することを目指している。
「現在は多くの子どもたちと森に出て行き、フィールドワークを行い、さまざまなシンポジウムにも参加している。大学の講義では毎年130名ほどの受講生がいるが、生徒たちをはじめ地元の人がここの場所や自然のことを理解してもらえるよう、活動を続けている」と話す。
普遍的な自然だからこそ、教育として人や地域を選ばない。自然のあり方や人との共生の歴史、そして現在の問題が学問として成立していることは、概念や意識を育て、やがて、新たな活動が生まれる事につながるだろう。

弘前大学の中村剛之教授。昆虫学、特にハエ目・ガガンボなどの分類学・系統分類学が専門。世界自然遺産・白神山地を主なフィールドに、地域の生物多様性調査、保全のための研究を行う。市民参加型の蛾相解明や環境教育にも注力し、白神山地の貴重な自然の解明と継承に貢献している。

弘前大学の中村剛之教授。昆虫学、特にハエ目・ガガンボなどの分類学・系統分類学が専門。世界自然遺産・白神山地を主なフィールドに、地域の生物多様性調査、保全のための研究を行う。市民参加型の蛾相解明や環境教育にも注力し、白神山地の貴重な自然の解明と継承に貢献している。

「白神山地の研究を始めて15年になるが、毎年変化し続けている。南方にしか生息しない昆虫は頻繁に発見し生態も常に変わり続けている。そして、今一番問題なのがニホンジカの繁殖による食害。この地域では長い間生息していなかったニホンジカが昨今急増し植物を食べている。ブナ林の林相が変わるのも時間の問題。あと、ナラの樹がカシノナガキクイムシによって枯れるナラ枯れ被害が酷い。」と白神の現状を九州のブナ林の様子と比較して解説してくれた。

「白神山地の研究を始めて15年になるが、毎年変化し続けている。南方にしか生息しない昆虫は頻繁に発見し生態も常に変わり続けている。そして、今一番問題なのがニホンジカの繁殖による食害。この地域では長い間生息していなかったニホンジカが昨今急増し植物を食べている。ブナ林の林相が変わるのも時間の問題。あと、ナラの樹がカシノナガキクイムシによって枯れるナラ枯れ被害が酷い。」と白神の現状を九州のブナ林の様子と比較して解説してくれた。

生態調査のために捕獲された昆虫を分別し整理をしている。作業を手伝っている横山裕正さん。

生態調査のために捕獲された昆虫を分別し整理をしている。作業を手伝っている横山裕正さん。

「白神学」の教科書にレポートなど。一般の方には弘前大学生協で販売している。

「白神学」の教科書にレポートなど。一般の方には弘前大学生協で販売している。

縄文の記憶を辿る

旅の終盤、僕は秋田県と青森県内に数多く点在する縄文遺跡を巡った。これらは2021年に世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」として一部が登録されている。
遺跡を歩き、土偶の愛らしい表情を眺めていると、当時の人々の心が届いてくるようで、時間の感覚がなくなり暮らしが見えてきそうになった。縄文人は今と変わらないこのブナ林の中で、栗やトチの実、クマやイノシシなど山の恵みを必要なだけ授かり、頂き、感謝して暮らしていただろう。その関係性は農耕の渡来まで1万年以上も続き、争いもなかったという。だから今、白神の森は原生のまま残ることができたのだ。
マタギもまた、その縄文以来の精神や知恵を受け継いでいると言える。自然を所有や管理の対象とするのではなく、自然の一部として共に生きる。その哲学が、この地には太古から今も息づいているのだ。

秋田県・大湯環状列石遺跡。

秋田県・大湯環状列石遺跡。

秋田県・桂の沢遺跡出土の遮光器土偶(縄文時代晩期)。秋田県伊勢堂岱縄文館

秋田県・桂の沢遺跡出土の遮光器土偶(縄文時代晩期)。秋田県伊勢堂岱縄文館

青森県是川石器時代遺跡出土の合掌土偶(縄文時代後期)。青森県是川縄文館

青森県是川石器時代遺跡出土の合掌土偶(縄文時代後期)。青森県是川縄文館

授かり、頂く

旅の最後、マタギ舎の小池さん自宅にお邪魔させてもらった。山に入る道具を見せてもらい、現代における自然と共にある暮らしに触れることができた。
ここの自然は、日本のどこにでもあった自然。という教授の言葉を思い出し、麓ではどこを見ても日本の原風景が広がっていた。縄文時代から変わらない森は、人が一万年以上も続けてきた自然との向き合い方を静かに伝えてくれる場所だった。ブナの大木が重なり合う森の奥は薄暗く、しかし光が差し込むと表情は変わり、柔らかな黄や赤が煌めいていた。沢を流れる水の音、腐葉土の匂い、冷たい風。人の手がほとんど入らずに守られてきた森は、ただ美しいだけではなく、歩くたびにすべてがこの土地の長い時間をそのまま抱えているように感じられた。
これまで日本の世界自然遺産を巡ってきたが、それぞれの場所で出会った人々は、立場は違えど皆が同じ想いを抱いていた。
今、地球規模で自然が急速に変わりゆく中での絶滅してゆく植生や生態、観光と環境のバランスなど、それぞれの場所でさまざまな取り組みや活動があった。
自然を守るとは、人間が自然の外側から保護することではない。本来の姿である自然の一部として生き、関係性を深め、信頼し、次の世代へ手渡していくことなのだ。そして遺産とは、過去の遺物ではない。未来への約束である。この継承こそが、本当の意味での遺産ではないだろうか。
授かり、感謝して頂く—
最後の旅である白神山地は静かに教えてくれた。

「まっすぐな木を見つける事が本当に難しい。山では何にでも使える。」とマタギにとって1番大切な杖を説明してくれた。冬用は先がヘラのようになっている。

「まっすぐな木を見つける事が本当に難しい。山では何にでも使える。」とマタギにとって1番大切な杖を説明してくれた。冬用は先がヘラのようになっている。

案内された寝室の壁にはツキノワグマの毛皮が。

案内された寝室の壁にはツキノワグマの毛皮が。

紅葉の白神山地へ

紅葉の白神山地へ

青森県西目屋村・りんごの樹と岩木山。

青森県西目屋村・りんごの樹と岩木山。

秋田県藤里町・横倉の棚田

秋田県藤里町・横倉の棚田

青森県西目屋村

青森県西目屋村

青森県西目屋村

青森県西目屋村

釣瓶落峠

釣瓶落峠

美しく、豊かな島で起こった 「豊島事件」とは

香川県の〈豊島〉に国内最大の有害産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」。この事件を契機として、瀬戸内海エリアの美しい自然環境を守り、再生することを目的に2000年から活動をしているのが「瀬戸内オリーブ基金」。連載第2回目は、基金の立ち上げのきっかけとなった、「豊島事件」について紹介する。「豊島事件」は現代社会が抱える大量生産・大量消費・大量廃棄の時代を象徴する事件であり、この島の住民たちによる“闘い”が、日本の環境政策を大きく変えることになった。

瀬戸内海に浮かぶ豊かで美しい島〈豊島〉。

「ツツジの花が咲いた美しい山に登り、花見をしながら、重箱に入ったお弁当を食べる。帰りには、広がる砂浜、豊かな潮だまりで水遊びをし、魚や車エビやアサリをたくさん採ってカラになった重箱に詰めてお土産にして。島の北側には〈水ケ浦〉という白砂青松の景勝地があって、島外からも、子どもたちが遠足にやってくるような、住民自慢の場所でした。〈豊島〉は、その名の通り、豊かな島でした」(安岐正三さん)

世界中から多くの人が訪れ、アートの島とも言われる〈豊島〉。船が島に近づくにつれ、穏やかな瀬戸内海を背に、眩い緑に包まれた小さな島が見えてくる。その美しい景色に、心躍り、フェリーを降りると澄んだ空気とゆったり流れる島時間に包まれる。行き交う人たちはみなキラキラした笑顔を見せている。島の中央には〈檀山(だんやま)〉がそびえ、降り注ぐ雨が豊かな土壌を育み、離島では珍しく水が豊かで古くから稲作やみかん栽培が行われ、オリーブ畑も広がっている。

〈豊島〉の海の玄関口、岡山・香川方面や直島・犬島・小豆島とフェリーで結ぶ寄港地、家浦港。緑に覆われた山、そして白砂の海水浴場も見られる

〈豊島〉の海の玄関口、岡山・香川方面や直島・犬島・小豆島とフェリーで結ぶ寄港地、家浦港。緑に覆われた山、そして白砂の海水浴場も見られる

この島を囲む地域は1934年、日本初の国立公園として瀬戸内海国立公園の一部に指定され、風光明媚な島として知られていた。先に語られた光景は、今年75歳となる廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さんが子供の頃の話。しかし、1980年代から1990年代までのあいだ、〈豊島〉は「ゴミの島」とも言われ、島の北西端の〈水ケ浦〉は、日本最大級の有害産業廃棄物の不法投棄事件の現場だったとは想像がつかないだろう。

事件摘発から35年以上が経ち、若い世代で「豊島事件」を知る者は少なくなってきた。今、目の前に広がる緑あふれる景色、その背後には、理不尽にも瀬戸内海の離島が都会のゴミを押し付けられ、苦難な道のりを歩んだ住民の長年にわたる闘争と並々ならぬ努力があった。当事者として活動を続けている安岐さんに事件の経緯と“闘い”についてお話を伺った。

1965年頃、島の北西端の土地を所有していた業者が山を切り崩し始め、鋳型材料となる山の土や、ガラス原料となる海岸沿いの砂を採取し販売を始めた。島の景勝地の一つの土と砂が大量に運び出され、住民の誇りでもある風景は大きく変わり、「砂浜が失われ浅瀬のアマモ(海藻)場も喪失した」と安岐さん。

1975年、その業者は、自然を壊し、資源を奪いきったあとの土地を利用すべく、有害産業廃棄物処理の許可申請を香川県に提出。地域住民はそれに猛反対したが、香川県は1978年に、「ミミズの養殖のために行う無害な産業廃棄物の処理」の名目で許可した。しかし、業者は、フェリーを改造した大型の運搬船を使って、許可外の産業廃棄物である自動車の解体クズ(シュレッダーダスト)や廃油、汚泥等、水銀や鉛などを含む有害な産業廃棄物を大量に持ち込み、連日、埋立てと野焼きを繰り返していく。

ゴミ船を家浦港に接岸し、産廃を陸揚げ。産廃を山盛りにしたダンプカーが日に何台も島内を走った。現場では野焼きが連日行われ、有毒な黒煙が立ち上る

ゴミ船を家浦港に接岸し、産廃を陸揚げ。産廃を山盛りにしたダンプカーが日に何台も島内を走った。現場では野焼きが連日行われ、有毒な黒煙が立ち上る

「ただ一つ言えることは、この処分場には〈豊島〉で出したゴミはひとかけらもなかったんです。一粒もないということです。業者は〈豊島〉の誇りであり、国民共有の財産でもある国立公園を破壊して全部金(かね)に変えた。そして、さらに金もうけをするために、人が最も嫌がるものを持ち込んだ。それは六価クロムや有機水銀などが含まれる有害な産業廃棄物でした」

住民たちの豊かで穏やかな暮らしは失われ、野焼きによって発生した有害物質の影響で、健康診断では児童の約1割が気管支系障害をもつようになった(全国平均の10倍の数値)。反対運動を行った自治会副会長は喘息悪化によって亡くなったという。

「島を守るため、我々はデモもやりました。差し止め訴訟もやりました。香川県知事にも会いに行きましたし、警察にも国会にも行きました。それでもどうにもならない……、止めることはできなかった。その野焼きが、1990年11月に止まったんです。摘発したのは香川県ではなく、兵庫県警でした。ようやく青い空が見えるようになった、星が見えるようになった、臭いがしなくなった」

これでようやく事件の解決の兆しがみられるかと思われたが、そうはいかなかった。

膨大な量の廃棄物が放置され、有害物質を含む水が海に流出。また、事件報道による風評被害で〈豊島〉の産業、観光業が壊滅的影響を受けた。代々漁業を生業としていた安岐さんも、処分地近くの沖合でハマチの養殖をしていたが、廃業を余儀なくされた。
「業者が摘発されたのが1990年11月。そこから時効まで3年でした。私たち住民は公民館の畳が擦り減るまで、何度も議論を重ねました。我々は県を相手取って闘うのか、それとも今まで通り陳情請願で行くのか。何度もお願いに行ったが、何も聞き入れられなかった。それなら公害紛争処理法に基づく公害調停で闘おうと住民合意で決まりました」

住民と弁護団による過酷すぎる闘争

高さ3m×幅3.3mもある、不法投棄された有害産業廃棄物の断面で剥ぎ取って樹脂で固めた標本。そのスケール感に生々しさと恐ろしさを感じる

高さ3m×幅3.3mもある、不法投棄された有害産業廃棄物の断面で剥ぎ取って樹脂で固めた標本。そのスケール感に生々しさと恐ろしさを感じる

しかし、お金はない。時間もツテもない。いろいろな弁護士を訪ね歩くも誰も引き受けてくれない。ただ一人だけ、最後に残ったのが元・日弁連の会長だった中坊公平氏だ。中坊氏は「最後まで闘う」という住民の決意を聞き、無報酬で引き受けた。住民たちは島をあげて、香川県の責任を認めさせ原状回復を求めるため、1993年11月に香川県と業者、排出事業者等を相手取った公害調停を国に申請し、同時に世論の理解と支援を得るために住民運動を展開した。

1996年9月20日銀座での抗議キャラバンの様子。写真提供:廃棄物対策豊島住民会議、撮影:小林 惠

1996年9月20日銀座での抗議キャラバンの様子。写真提供:廃棄物対策豊島住民会議、撮影:小林 惠

香川県庁前で延べ550日(150日間連続抗議を含む)にわたる抗議の立ちっ放しを皮切りに、考えうる限りの闘いを繰り広げた。
「県庁が開いている時は梅の花が咲いても、桜の花が咲いても抗議をやめん。小さな街宣カーを買って香川県内を100カ所以上回り、座談会もやる。夜行バスで上京し、東京・銀座で産廃を提げて抗議のキャラバンをするなど、中坊公平弁護士の指揮のもと、徹底的にやりました」
それは過酷すぎる草の根の闘いでもあり、住民たちの「ふるさとを取り戻す」ための決意でもある。その行動力に人々の心は動かされ、新聞・テレビなどマスコミやジャーナリストからも取材を受け、大量生産・大量消費・大量廃棄社会を象徴する社会問題として注目を浴びることになった。

安岐さんの口から堰を切ったように当時の話が溢れ出る。「豊島事件」の経緯と教訓を後世に伝えるために作られた資料館〈豊島のこころ資料館〉には、高さ3メートルにも及ぶ産廃の地層の剥ぎ取り標本が残されており、見るものすべての胸を締め付ける。「なぜ、何も悪いことをしていない島の住民がこれほどまでに苦しまなければならなかったのか」という理不尽は、怒りとやり場のない悔しさを残すのみだった。住民が守りたかったのは、島の一部の環境だけではなく、家族や仲間と過ごす平穏な日常だったはずだ。理不尽な業者や杜撰な行政を相手に、粘り強い抗議活動を続けた住民たちの心中を察すると、ただただ言葉を失う。

廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さん

約50年ものあいだ、住民運動の中心となり、活動を続ける安岐正三さん。同じ過ちが繰り返されないよう、語り継いでいる

1997年の夏に香川県と豊島住民が中間合意を結び、2000年6月6日、公害調停で香川県知事が謝罪し、原状回復の合意が成立。最終合意まで25年。その時までにすでに公害調停に名を連ねた申請者549人のうち69人が死亡しており、島の高齢化が急速に進行していた。

「私たちが叫び続けた願いは世論を動かし、支持の輪を広げ、正しいことだったと認められました。暗闇の中を光明を求めて一歩ずつ前に進めてきましたが、これからは〈豊島〉が自然と調和する元の姿に戻るように、前を向かなくてはいけないと強く思いました」
そして公害調停が合意されたその年、建築家の安藤忠雄氏と「豊島事件」弁護団長の中坊公平氏が呼びかけ人となり「瀬戸内オリーブ基金」を設立した。この事件は〈豊島〉だけの問題でないと広く市民に知らせる契機とするために。

廃棄物の処理は当初の予定を5年以上オーバーして、2017年に最後の船が出て行った。しかしそれでもこの問題は終わらなかった。業者は、想像以上に悪質で、穴を掘って地中深くに汚染されたドラム缶を隠していたのだ。再調査と撤去が行われ、取り残し廃棄物616トンの処理が完了したのは2019年7月のこと。産廃の総量は90万トンを超え、野焼きにより嵩が減り最終的に正確な数値はわからないが、100万トン以上が不法投棄されていたと言われている。地下水の浄化は今も抱えている問題で、「排水基準(工場排水レベル)」は達成されたものの、未だ「環境基準(水道水レベル)」には達しておらず、これを達成するまでこれからまだ数十年単位で、モニタリングが続けられる。豊島住民の元にこの土地が返還されるまで、まだまだ長い年月がかかる。

美しいふるさとを取り戻し後世へ伝える

かつては岩の上まで産廃が積み上がっていた処分場跡地。植生の再生、砂浜や潮だまりの復活など少しずつ生態系回復に向かい進んでいる

かつては岩の上まで産廃が積み上がっていた処分場跡地。植生の再生、砂浜や潮だまりの復活など少しずつ生態系回復に向かい進んでいる

「最終合意からもいろいろありました。(産廃処理中に、処理施設では)爆発事故も火災も起こりました。(2013年には)中坊さんも亡くなり、時間も過ぎていった。しかし、廃棄物の撤去作業を続ける中で、徐々に海がよみがえってきました。あれだけ磯焼けしていた海にアマモが茂り、緑の絨毯みたいになった。アマモが茂ったら、イカが産卵のために帰ってきた。その卵が成長して、また沖へ出て3年経ったらまた戻って来る。循環する生態系が復活したんです。そんな自然の奇跡を目の当たりにした時、ふと思ったんです。我々にとってこの事件は一体何だったのだろう、と。運び込まれた産業廃棄物を撤去させること。それが着地点ではないのではないか」

「豊島事件」は、私たちの社会が目先の利益を追い続け、生産・消費・廃棄を繰り返していると、取り返しのつかない結果を招くことを多くの人に知らせることになった。また、廃棄物処理法改正、マニフェスト制度導入、リサイクル関連法の成立を促し、産業廃棄物の不法投棄の厳罰化や、排出者責任の考え方の広がりにも大きく寄与した。

廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さん

処分場跡地に立つ安岐正三さん。100万トンを超える産業廃棄物は撤去されたが、豊かな自然を取りもどすにはまだまだ時間がかかる

「元の自然に戻すには、膨大な時間と労力がかかります。第2、第3の〈豊島〉を作らないためには、自分の目で見て、耳で聞いて、頭で考えて行動すること。教育が大切です。自分の代で解決できなくても、次世代により良い環境を残すことが財産であり、私たちの責務だと思っています」

「豊島事件」は、決して過去の、あるいは遠い島だけの出来事ではない。私たちが日々の生活の中で、安さや便利さを優先して行う行動の裏側で、目に見えていないだけで、どこかの誰かが犠牲となっているかもしれない。自分の購買活動や、何気ないゴミの出し方の中に、反省すべき点はないだろうか。現地を訪れ、当事者の声を聞くことで、初めて事件が「自分事」として心に刻まれた。

環境教育で資料館を訪れた子どもたちからのメッセージ。「豊島事件」は決して過去のものではないと伝え続けている

環境教育で資料館を訪れた子どもたちからのメッセージ。「豊島事件」は決して過去のものではないと伝え続けている

「人間は忘れやすい、でも、忘れたらあかん。住民の高齢化が進み、物言わず亡くなっていく方もさらに増えています。私には伝える責任がある。命ある限り、この事件を語り継ぐ活動を続けます」と、安岐さんは決意を語る。

〈金だけ・今だけ・自分だけ〉という、目先の利益を追う刹那的な考え方が「豊島事件」を象徴するように多くの犠牲を生んだ。ここから学びを得て、行動に移すのは次世代を生きる者たちだ。私たちはこの島の豊かさ・美しさと、その背景にある痛みを忘れてはならない。未来や他者に対する想像力こそが、第2、第3の〈豊島〉を作らないための最大の防波堤となるのではないだろうか。

「瀬戸内オリーブ基金」呼びかけ人、安藤忠雄氏からのメッセージ

オリーブの植樹や豊かな海を取り戻すプロジェクト、環境保護団体への助成など、多岐にわたる活動をするために、2000年に立ち上げた「瀬戸内オリーブ基金」。その呼びかけ人であり、地域と活動を共にした建築家の安藤忠雄氏からメッセージをいただいた。

安藤忠雄氏

撮影:閑野欣次

瀬戸内オリーブ基金25周年に寄せて
中坊公平さん、河合隼雄さんとともにスタートさせた瀬戸内オリーブ基金が設立25周年ということで、思えばずいぶん長く続けて来られたものだと思います。
ここまで地道に植樹活動や環境問題への取り組みを続けて来られたのは、ユニクロの柳井さんをはじめとして、多くの方々が長きにわたりサポートして下さったお陰です。
かつて海外から訪れた多くの人々を魅了した、瀬戸内海の豊かな自然環境を取り戻し、世界に誇れる美しいふるさととして、次の時代を生きる子どもたちに残していく──設立当初から掲げている目標に向けては、まだまだ道半ばです。瀬戸内を自然と人間が共存する豊かな地域へと再生していくため、これからも頑張っていきたいと思います。

安藤忠雄

安藤氏が世界中から尊敬される建築家である理由の一つには、さまざまな社会や環境の問題にコミットし、継続的に活動を続けていることが挙げられる。

大阪で生まれ育った安藤氏は、子どもの頃に瀬戸内の海で泳ぎ遊んだ。凪いだ瀬戸内海に浮かぶ緑の島は、安藤氏の原風景のひとつ。その〈豊島〉で、産廃問題に長年関わってきた、弁護士の中坊公平氏から「ゴミを取り除くだけじゃだめだ。〈豊島〉を昔のような緑あふれる島に戻したい」という切実な願いを聞き、中坊氏とともに「瀬戸内オリーブ基金」立ち上げの呼びかけ人となった。

豊かな自然は簡単に失われてしまう、その象徴となった「豊島事件」の記憶とともに、蘇りつつある自然を次世代に繋ぐためのメッセージとして、中坊氏の提案のもと、安藤氏が一緒に植えたのが「1000年生きる」と言われるオリーブ。それは、美しいふるさとを守るために闘った〈豊島〉の人々の熱い思いと希望を象徴している。

平和の象徴であり、「1000年生きる」と言われるオリーブ

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

東京都・小笠原諸島― 境界が溶ける島、今を生きる旅

変容への航海

薄曇りの肌寒い秋の朝、東京竹芝桟橋から乗船した小笠原諸島父島行きの「おがさわら丸」は人で賑わっていた。
これまで乗ってきたフェリーとは、どこか雰囲気が違う。
それもそのはずだ。この船は東京・竹芝を出港し24時間かけて父島へ行き、3泊4日停泊した後、24時間かけて東京・竹芝へ戻る。つまりは全ての人が往復するには最低5泊6日かかるのだ。しかも小笠原諸島へは他に交通手段はなく、この船でしか行けない。
出航すると、大都会のビル群から船は離れ、レインボーブリッジをくぐり、東京湾を南下する。
両サイドに房総半島と三浦半島が見えていたが、次第に太平洋の大海原へ抜けると、船は大きな揺れを伴いながら進んでいく。
夜が深まるにつれ、陸の灯が遠のき、空と海が同じ色になる。
大きな揺れの中で携帯の電波も完全に途切れ、24時間の航海は色々なものから揺さぶられ切り離されていくような時間だった。
これは移動ではなく、まさに「変容」。きっとこれから降り立つ別世界に適応する為の儀式であるのだ。
翌朝、目を覚ますとちょうど夜明け前。甲板に出ると360度海の中、朝日が昇り虹が出た。カツオドリが船を先導するように現れ、父島列島が見えてきた。
東京都心から1000㎞離れた太平洋上に点在する島々。それはまるで時の流れの外にある存在のようだった。

レインボーブリッジを越え、東京湾を南下する。

レインボーブリッジを越え、東京湾を南下する。

海ほたるの横を通過。

海ほたるの横を通過。

朝日が昇った後の虹。

朝日が昇った後の虹。

カツオドリが父島列島へ先導してくれる。

カツオドリが父島列島へ先導してくれる。

父島に着岸したおがさわら丸。

父島に着岸したおがさわら丸。

島の呼吸

桟橋に降り立った瞬間、塩と草木の匂いが混じり合い、生ぬるい湿度が肌にまとわりつく。太陽は既に高く、日差しは強く暑い。
父島の港・二見湾は、切り立つ崖と深い入り江の地形が船を包み込んでいる。
この島は「おがさわら丸」で運ばれてくる物資が命綱だ。米も野菜も、手紙も、すべてがこの船と共にやってくる。入港日はスーパーや商店、食堂が人で溢れるが、出港している間は閉店し街は閑散としていた。
島の人には「幾つの航海で来ているの?」とよく聞かれた。1航海が5泊6日、島には3泊4日であり、僕は2航海の予定で訪れた。
ところが島に着いた瞬間に台風が発生し、おがさわら丸は早々に東京・竹芝へ帰って行った。母島行きの船も連日欠航。島のリズム全てが天気と海=航海状況に委ねられている。いわばそれが島の呼吸そのものなのだ。僕も予約していた海のツアーは全て中止になり、予定が白紙になったが、日々、その日の島の呼吸に全てを任せて過ごすことにした。結果的に旅は順調で海や山へ深く入ることもでき、途中には父島から2時間船に乗って母島へも渡ることができた。

父島・大神山公園から望む二見港。おがさわら丸とははじま丸。

父島・大神山公園から望む二見港。おがさわら丸とははじま丸。

タコノキ。小笠原諸島の固有種。海岸から山の中まで生息している。

タコノキ。小笠原諸島の固有種。海岸から山の中まで生息している。

父島・長崎展望台。父島にはたくさん展望台があり、どれも絶景が望める。

父島・長崎展望台。父島にはたくさん展望台があり、どれも絶景が望める。

父島・製氷海岸でシュノーケリング。枝サンゴとミズクラゲ

父島・製氷海岸でシュノーケリング。枝サンゴとミズクラゲ

母島・北港でシュノーケリング。

母島・北港でシュノーケリング。

母島・乳房山より沖港を望む。

母島・乳房山より沖港を望む。

父島・ウェザーステーション展望台より夕暮れを望む。

父島・ウェザーステーション展望台より夕暮れを望む。

母島・鮫ヶ崎展望台より

母島・鮫ヶ崎展望台より

現在進行形の進化

父島も母島も島を巡ればビーチや登山道がありシュノーケリングや登山ができる。しかし世界遺産エリアの立ち入り禁止区域の中では、認定ガイドの同行が義務付けられているルート(森林生態系保護地域・南島・石門)がある。台風の影響で海のツアーが無くなったので山のツアーへ参加した。
小笠原諸島が世界自然遺産に登録されたのは2011年。登録の決め手は大陸から一度も陸続きになったことのない海洋島という地質的特性から「独自の進化を遂げた生態系」が評価され、中でもカタツムリをはじめとする固有種の多さがあった。約4800万年前、火山活動によって太平洋の海底から隆起して生まれた小笠原諸島。その後も大陸と隔絶されたまま、独自の生態系を育んできた。風や波で辿り着きこの隔離環境の中で育まれた生命は、大陸とは異なる道を歩み、やがて進化の縮図と呼ばれるほど多様な固有種を生み出した。生息する植物では約36%、陸産貝類(カタツムリ)では約94%、昆虫では約28%が固有種である。さらに鳥類にも独自の進化を遂げた種が多くカラスやスズメなどは棲んでいない。登山道の脇には見慣れない木々が生い茂る。タコノキ、ムニンヒメツバキ、ノヤシ、マルハチ。世界のどこにもいない固有の植物たち。母島では小さく透明なカタツムリ、オガサワラオカモノアラガイに出会った。天敵がいなく湿度の高い雲霧林に生育するため乾燥に耐える必要がなくなり、進化の中で殻が退化したこの小さな命もまた、太古から続く系譜の末裔だ。母島で案内してくれたガイドの宮川五葉さんは福岡出身。沖縄での生物研究を経て東京都レンジャーとして母島へ移住し、今はガイドとして活動している。「ここは4800万年前から生まれた独自の生態バランスで、天敵のいない進化が続いてきた。しかし200年前に人間がやってきて外来種が増え、固有種が脅かされている。それを守るための試みや研究をレンジャー時代に行ってきた。今も進化は変化の途中であり、それを訪れた人に伝え知ってもらいたい」と話していた。そう、ここのもう一つの特徴は、今も変化の途上にあることだ。人類がもたらした外来種の影響による生態系の変化、そして保全活動の試み。さらには西之島では2013年より海底火山が噴火し島が拡大し続けている。そこでは今まさに新たに生まれつつある大地の形成と生態系の始まりを見ることができる。小笠原諸島は過去から未来へ向けて、現在進行形の進化を映し出す島々なのである。

エコツアーガイド「irie isle(アイリーアイル)」の宮川五葉さん

エコツアーガイド「irie isle(アイリーアイル)」の宮川五葉さん

父島・東平サンクチュアリの湿性高木林。マルハチやオガサワラビロウなど固有種が生い茂る。

父島・東平サンクチュアリの湿性高木林。マルハチやオガサワラビロウなど固有種が生い茂る。

小笠原諸島固有種のオガサワラオカモノアラガイ。天然記念物であり絶滅危惧II類。殻が退化した。父島では絶滅したと言われている。

小笠原諸島固有種のオガサワラオカモノアラガイ。天然記念物であり絶滅危惧II類。殻が退化した。父島では絶滅したと言われている。

小笠原諸島固有種のムニンシラガゴケ

小笠原諸島固有種のムニンシラガゴケ

小笠原諸島固有種のノヤシ

小笠原諸島固有種のノヤシ

ボニンブルーに溶け入る

台風も落ち着き、海に出られる日がついにやってきた。待ちに待ったイルカに会えるツアーに参加する。小型のボートに乗り込み海に出るとボニンブルーといわれる独特の青さに埋もれる。火山の隆起と石灰岩で形成されている島の地質を間近に見ながらイルカを探す旅が始まる。世界には約90種のイルカ・クジラがいるが、小笠原では24種がこれまでに記録されており、イルカに関しては父島と母島の周辺海域には、ミナミハンドウイルカとハシナガイルカが主に確認されている。船を走らせる道中、無人島の南島へ上陸し、兄島では海に潜り珊瑚に触れ、道中アオウミガメにも出会った。そして遂に船首の左側に背びれがいくつか見えた。舵を切り近付くとハシナガイルカとミナミハンドウイルカだ。マスクをつけてガイドの指示に従い海へ飛び込んだ。透き通った海の中で、イルカたちが光を受けて踊るように泳いでいる。1頭が群れから外れこちらに向かってきて、すぐ目の前で旋回した。こちらを観てキューキューと声が海の中で聞こえる。その目は澄んでいて、どこか人間の目に似ていた。息を合わせ、同じリズムで泳ぐと境界が消えるように感じた。この青い海に自分の身体が溶けていくような瞬間だった。
ガイドの海那さんはイルカと呼吸を合わせて泳いでいた。「ずっとドルフィントレーナーを目指して勉強してきたけど、小笠原で野生のイルカに会った時に涙が出た。卒業後、迷いなく移住しこの仕事に就いた。ずっと居たい、そしてツアーで出会った人がまた戻ってきてほしい」。船長の航星さんも語る。「学生時代にダイビングで初めてここに来たけど、海の青さに惹かれた。自分が感動したことを届けたいと強く思って移住した。その頃は知る人ぞ知る場所だった。世界遺産になって知名度は上がり訪れる人は増えたけど、海の環境はそんなに変わらない。交通が難しい場所だからこそ限られた人しか来ないし、だからこの環境がある。このまま変わらないでほしい」

エコツアーガイド「竹ネイチャーアカデミー」の航星さん。

エコツアーガイド「竹ネイチャーアカデミー」の航星さん。

石灰岩のカルスト地形。

石灰岩のカルスト地形。

島ができる際に海底火山の噴火で生じた枕状溶岩。

島ができる際に海底火山の噴火で生じた枕状溶岩。

無人島の南島、鮫池。

無人島の南島、鮫池。

南島には1000年前に絶滅したカタツムリ「ヒロベソカタマイマイ」「アナカタマイマイ」「チチジマカタマイマイ」の半化石がたくさん転がっている。この場所がかつて湿地だったという事を示す。

南島には1000年前に絶滅したカタツムリ「ヒロベソカタマイマイ」「アナカタマイマイ」「チチジマカタマイマイ」の半化石がたくさん転がっている。この場所がかつて湿地だったという事を示す。

南島扇池。「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形。かつてはドーム天井がある洞窟状の島だったという。

南島扇池。「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形。かつてはドーム天井がある洞窟状の島だったという。

兄島・キャベツビーチでシュノーケリング。

兄島・キャベツビーチでシュノーケリング。

ハシナガイルカの群れ

ハシナガイルカの群れ

泳ぐミナミハンドウイルカ。

泳ぐミナミハンドウイルカ。

臆病ではなく人懐っこい陽気な性格。人間の5、6歳くらいの知能があると言われている。

臆病ではなく人懐っこい陽気な性格。人間の5、6歳くらいの知能があると言われている。

イルカ

イルカ

イルカ

イルカ

イルカ

夜の未知なる領域

日が沈む頃になると、薄明かりの空にオオコウモリが飛び交い、闇が落ちると島は別の顔を見せる。ある夜、僕はグリーンペペと呼ばれる光るキノコがあると聞いて探しに出かけた。森の中をウロウロしていると、突然一人の男が現れた。トミーG(富田浩生)さんというガイドさん。「キノコは今の条件では出てないよ。代わりにもっとすごいものを見せてあげる!」と案内され、彼は土を掘り出しそこにブラックライトを当てた。すると蛍光色に光るものが浮かび上がった。「タカクワカグヤヤスデという名前だけど、昨年僕が見つけたんだ。小笠原では初めての発見で、DNA鑑定すると沖縄より香港の種に近いとの事。まだ色々とわからない事が多くて、今後研究が進むと、どこの種がどんな経路で島に入って来たのか?はたまた固有種か?等詳しい事はこれからわかって来るので楽しみですね!もし固有亜種等になればとトミーGヤスデと呼ばれる可能性も!」。と笑っていた。トミーGさんは30年前に父島に来たという。「サーフィンをしている友達がここに来ていて遊びに来た。先輩がイルカと泳ぐツアーなど今の小笠原の遊びのベースとなるツアーガイドを立ち上げたのでそこでガイドを始め、独立した。ツアーに参加した観光客が明らかに変化するのを観て、ここの自然はすごいと思った。30年が経ち、住む人も来る人もこの場所を感じるより考える事が多くなったと思う。いま観たヤスデのように此処には未知な世界が溢れている。ここを訪れる人にはもっと全てを感覚で捉えてほしい」と語る。その後、オガサワラオオコウモリが群れでいる場所へ案内してもらったが、その数とエネルギーには驚いた。島唯一の哺乳類だが、かつては絶滅したと考えられ観られる生き物ではなかった。現在は生息数が増加し、夕暮れになると飛んでいるのを観ることが出来る。昼の喧騒が消え、夜の生命たちの時間が流れる。人が眠りにつく時、僕たちには知り得ない島の鼓動が始まっていた。

日が沈む頃、活動を始める小笠原固有種のオガサワラオオコウモリ。小笠原諸島固有種であり唯一の哺乳類。天然記念物。絶滅危惧IB類 (EN)。

日が沈む頃、活動を始める小笠原固有種のオガサワラオオコウモリ。小笠原諸島固有種であり唯一の哺乳類。天然記念物。絶滅危惧IB類 (EN)。

タカクワカグヤヤスデ。ブラックライトを当てて観察しているのは、ダメージを与えないため。刺激を与えると自然発光します。

タカクワカグヤヤスデ。ブラックライトを当てて観察しているのは、ダメージを与えないため。刺激を与えると自然発光します。

刺激を与えると自然発光と一瞬蓄光する個体もありますが、沖縄の物よりも光が強いのではないか?ともいわれている。小笠原での発見は初であり、情報公開も今回が初になる。

刺激を与えると自然発光と一瞬蓄光する個体もありますが、沖縄の物よりも光が強いのではないか?ともいわれている。小笠原での発見は初であり、情報公開も今回が初になる。

オガサワラオオコウモリ。赤いライト以外で照らしてはいけない決まりがある。

オガサワラオオコウモリ。赤いライト以外で照らしてはいけない決まりがある。

オガサワラオオコウモリ

エコツアーガイド「Tommy G World」のトミーG(富田浩生)さん

エコツアーガイド「Tommy G World」のトミーG(富田浩生)さん

誰のものでもなかった島

山でも海でも島を巡っていると、どこかで必ず「戦争の跡」に出会う。いたる所にある防空壕、沈んだ戦艦。草に覆われたトーチカ、錆びついた大砲など。熱帯植物の根に抱かれ、静かに時を止めている遺構がこの島の歴史を語り続けている。けれども、ここの歴史は戦争だけではない。小笠原諸島はそもそも”誰のものでもなかった島”だった。
人と島の歴史の始まりは石器が発見されている事から太古より存在していた。1593年に小笠原貞頼が八丈島南東で無人島を発見して品々を持ち帰り、徳川家康より「小笠原島」の名を賜ったと伝えられているが記録は残っていない。記録としては1675年には政府による最初の探検調査として嶋谷市左衛門率いる32名が上陸して地図を制作している。そして1830年、欧米人とハワイ系の人々23人がこの無人島に上陸し定住を始めた。彼らは畑を耕し、魚を獲り、寄港する捕鯨船に食料や水を提供して暮らした。一方、日本人は1862年に江戸幕府の移民計画により38人が移住。当時はどの国も統治しない島で、人種も言葉も異なる人々が助け合いながら生きていた。そこには国境も権力も存在しなかった。
やがて明治政府が小笠原諸島の領有を宣言。1876年に正式に日本領となった。先に移住していた欧米系の住民は日本人へ帰化した。その後、日本本土では出来ない砂糖きびや綿花、バナナなどの農業や捕鯨等が盛んになるが20世紀に入り小笠原諸島は戦略的要衝として注目される。軍事施設が築かれ、戦時中は前線地として島民は全員が本土へ強制疎開させられ、住民はいなくなった。
終戦後、小笠原諸島はアメリカの統治下に置かれ、1968年にようやく日本へ返還。強制疎開から23年という長い時間を経てこの島に人々は戻り、失われた生活を取り戻していった。その後は1972年に国立公園、2011年に世界自然遺産として登録され、小笠原諸島は重要な自然の宝庫として再び新しい段階に入った。(このような歴史は父島のビジターセンターや母島のロース記念館で知る事ができる。)

境浦に沈んでいる戦跡「濱江丸」。太平洋戦争中の昭和19年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、この父島に漂着・座礁した。

境浦に沈んでいる戦跡「濱江丸」。太平洋戦争中の昭和19年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、この父島に漂着・座礁した。

小港平射砲台。戦跡ツアーに参加すると観ることが出来る。

小港平射砲台。戦跡ツアーに参加すると観ることが出来る。

三日月山の弾薬庫跡。

三日月山の弾薬庫跡。

当時の器や瓶の残骸。

当時の器や瓶の残骸。

目の前の未来

歴史は今も続いている。人がもたらした外来種の増加、気候変動、観光と環境のバランス。島の人々は日々その課題と向き合っている。30年前に都の職員として小笠原に赴任してきた鈴木創さんは、仕事を辞めて友人と3人でNPO法人「小笠原自然文化研究所」を立ち上げた。「当時、この島の自然の保全研究拠点となる自然史博物館のような施設をつくりたかった」。その後、幻の鳥であるアカガシラカラスバト(天然記念物)の絶滅回避のための活動を行う。調査すると島じゅうに猫が溢れていた。かつて人が持ち込み野生化した猫が、固有生物の生存を脅かしていたのだ。猫の捕獲を始め、捕獲した野生化猫は1000キロの海を越えて東京都獣医師会が受け入れ、馴化の後で新たな飼い主に引き取られた。「今日を見過ごせば、明日には失われる...という気持ちで走り続けて、気がつけば25年が経っていた」と話す。現在も猫の捕獲は続いている。目の前のやるべきことに取り組み続けて、アカガシラカラスバトは街でも観られるほどになった。人が持ち込んだものは猫だけではない。ヤギやトカゲなどの生物、アカギなどの植物など、生命力の強い外来種が繁殖し、長い時間をかけて育まれた繊細な生態系のバランスを崩している。「この島のような海洋島の進化は、偶然辿り着いた生き物たちが長い年月をかけて編み上げた関係性であり、それぞれ固有種には壮大な物語がある。閉ざされたこの島ではその過程が分かりやすく観られる。地史的にも今まさに産声を上げた島もあれば、数千万年の時を重ねた島もある。太古から今に至る時間軸がここにあり、壊れかけの「今」を乗り越えた固有種たちが、今後、新たにどんな物語や関係を築いてゆくのかはわからない。しかし、とにかく出来る事は、いま絶やさずに残すことです。」自分たちの生きる時代に進化の物語が途絶えさせたくないという切迫した気持ちが伝わってきた。絶滅危惧種を守るための地道な調査、絶やさないための取り組み、試行錯誤が島の人の手によって続けられている。すべてはこの島の未来を形づくる営みだ。彼らは目の前の自然と同じく今を最大に生きていた。これが数百年後には進化の形として残ることになるだろう。

「小笠原自然文化研究所」創設者の1人である鈴木創さん。二見湾を見ながら地形や生態系を説明してくれた。

「小笠原自然文化研究所」創設者の1人である鈴木創さん。二見湾を見ながら地形や生態系を説明してくれた。

アカガシラカラスバト。絶滅危惧ⅠA類

アカガシラカラスバト。絶滅危惧ⅠA類

猫を捕らえるカゴが島内ではいくつも見られる。

猫を捕らえるカゴが島内ではいくつも見られる。

境界が見えない文化と時間

島にはどこか国境のない空気感がある。それは上記の歴史上からハワイや欧米人と日本人の文化が融合しているからだ。現在も欧米系の血を引く人々が住んでいるが、彼らのことを「ボニンアイランダー」、島の事は「ボニンアイランド」と言われている。島の言葉としてある「ムニン」「ボニン」は、「無人」という日本語を欧米系の人が発音したことから来ている。逆に固有種の植物「ヤロード」の名前は「Yellow Wood」を日本人が発音した事で定着した。
街もどこか異国のような雰囲気があり、そこに暮らす人々の肌は黒く笑顔は明るかった。そんな街の中にハワイアンフードのお弁当屋さんがあった。オーナーの宮川竜典さんは200年前の1830年に捕鯨船でここに辿り着いた最初の欧米人の子孫だという。「ここで生まれて育ってずっとサーフィンをしている。ハワイにも5年行っていた。帰ってきたら島も変わりつつあり全てが商売ベースになって住みにくく感じることもある。けど、“ この島は自分次第で楽園にできる” って祖父が言っていた。変化に左右されず、過去や未来に捉われず、とにかく今を楽しむことですね」と話す。その言葉に、ここでは言葉も文化も時間も、境界がすべてが溶け合っていると感じた。先代から引き継ぐこの島の根源的な在り方と自由を見た気がする。

Hawaiian Food Shack “Nolly`s”のオーナー宮川竜典さん。

Hawaiian Food Shack “Nolly`s”のオーナー宮川竜典さん。

ハワイアンポケチラシ弁当

ハワイアンポケチラシ弁当

今を生きるということ

旅もいよいよ最終日になり出航の日。港には多くの人が集まっていた。宮川竜典くんは僕にレイを編んでくれていた。出港の際にレイを海に投げ、それが浜に辿り着くと島に戻って来られるという言い伝えがあるという。“この島は誰もが簡単に来ることが出来ない“という事実を最後に垣間見る。そう、船に乗っているすべての人は選ばれてこの島に来ていたのだ。
おがさわら丸の甲板には旅人たちが並び、岸壁には島の人々が手を振っている。太鼓のリズムで船が岸を離れると、一斉に人々は船に向かって走り出し、乗客はレイを投げる。さらにたくさんの小型船がフェリーを追いかけてきて、沖合まで盛大に見送ってくれた。島と旅人の見えない繋がりが見えた気がする。

出航の日。港には多くの人が集まっていた

出航の日。港には多くの人が集まっていた

出航の日。港には多くの人が集まっていた

乗客はレイを投げる

乗客はレイを投げる

この島では旅人ともたくさん出会った。特殊な交通事情の為か面白い旅人がたくさんいた。その中でも往復路が同じ2航海で島に着き、母島への移動や参加したツアーも一緒になった中村奈津子さんがいた。
「旅が終われば結婚します。その前にイルカに会って声を聞きたかった。彼らは陽気で、自由で、穏やかで。ただ今を生きることを楽しんでいるように感じた。この旅はイルカが泳ぐような旅だった。」と話していた。彼女も僕と同じく台風の影響で全てのスケジュールが見えなくなった旅の始まり。しかし様々な出会いや流れが生まれ、旅は自ずと進んでいた。振り返ると予定など決めてなくても全てが良い時間だった。この島の生命たちと同じように常に最良なバランスで成り立ち、今日という未来へ繋がっていたのだ。

中村奈津子さん

船が島を出て、旅が終わるように日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた。ある者は水平線を眺め、ある者は仲間と語り合い、ある者は静かに目を閉じていた。小笠原諸島という島は、過去も未来も全ての時間が同時に存在している場所だった。4800万年前の火山の記憶も、200年前に辿り着いた人々の足跡も、数十年後に生まれるかもしれない新しい種の可能性も、全てが「今」という瞬間の中に息づいている。そしてその「今」を全力で生きる人々の姿が、この島の本質を教えてくれた。計画通りにいかない旅の中で、未来は予測するものではなく、今この瞬間を生きることで創られていくものなのだとわかった。小笠原諸島は、そのことを体現し続ける島なのである。

日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた

日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた

北海道・知床―海と大地、 動物と人間の狭間に立って

海から始まる旅 地の果てに向かって

旅の始まりは、船の上だった。遠ざかる本州を背に甲板に立ち、潮風に吹かれながら見渡すと日本海の水平線が広がっている。海鳥が旋回し、波が陽を反射してきらめいていた。
やがて港が近づき、フェリーは大地へと接岸した。車に乗り込み、長い道を東へと走り出す。
これから向かうのは「知床」。“大地の突き出た場所”という意味を持つアイヌ語の「シリエトク」が語源と言われている。
まるで世界の果てであるようなその名の地へ向かって、広大な大地の中を進んだ。
本州では感じることのできない奥行きを視覚以外の感覚で受け取りながら道東に入ると、人の気配は一気に薄れ、代わりに野生の気配が濃くなる。日が暮れ、真っ暗な牧草地を抜ける道の先に、濃い影を落とす半島が現れた。
知床半島──その入り口、斜里町の温泉宿にたどり着いた。

フェリー甲板から日本海の水平線を望む

フェリー甲板から日本海の水平線を望む

斜里温泉湯元館

地形が語る旅の在り方

知床半島形成の歴史は地形や岩石に刻まれている。半島先端の知床岬や右の東側、羅臼は海底火山活動に由来する古い溶岩に覆われているが、半島中央を背骨のように貫く知床連山や左の西側、斜里町ウトロはその古い地層の上に陸上火山に由来する新しい溶岩が覆っている。約25万年前にはほぼ現在の半島が形作られたと言われているが、度重なる火山活動と流氷の浸食により、現在の険しくも美しい断崖の地形が出来たのだ。
旅のコースは西側の斜里町を縦断し峠を越えて東側の羅臼町へ。走るだけで道路沿いには滝や川、岬があり、知床五湖やカムイワッカ湯の滝など深い自然環境のバックカントリーへ容易に入り込むことができ、知床峠を超えた羅臼町では根室海峡沖に国後島を望む事ができる。
観光バスの団体客、ライダーにキャンパーや登山家、ネイチャーカメラマン等──ここには実に多様な旅人が集まり、それぞれの知床を見つけようとしていた。
僕も10日間をかけて車でゆっくりと巡った。ウトロから峠を越え、羅臼のキャンプ場を拠点に海と山のあいだを往復するように滞在した。

雨上がりの斜里町の1本道。

雨上がりの斜里町の1本道。

知床五湖。湖面には綺麗に知床連山が映り込んでいた。

知床五湖。湖面には綺麗に知床連山が映り込んでいた。

ウトロ発のクルーズ船から望む知床半島の断崖。

ウトロ発のクルーズ船から望む知床半島の断崖。

ネイチャーガイドと共に歩いて辿り着いた滝。「男の涙」

ネイチャーガイドと共に歩いて辿り着いた滝。「男の涙」

プユニ岬から望む夕日に染まるウトロ市街。

プユニ岬から望む夕日に染まるウトロ市街。

温泉が流れるカムイワッカ湯の滝。アイヌ語で「神の水」を意味する。4つの滝を登り、温泉の滝壺に入る事ができる。

温泉が流れるカムイワッカ湯の滝。アイヌ語で「神の水」を意味する。4つの滝を登り、温泉の滝壺に入る事ができる。

月明かりの夜、知床峠より羅臼岳を望む。

月明かりの夜、知床峠より羅臼岳を望む。

知床峠の夜明け。

知床峠の夜明け。

知床峠より羅臼方面へ。海の向こうには国後島が望む。

知床峠より羅臼方面へ。海の向こうには国後島が望む。

夕陽の木漏れ日の森の中、よく見るとエゾシカがいた。

夕陽の木漏れ日の森の中、よく見るとエゾシカがいた。

羅臼発のホエールウォッチング船「ネイチャークルーズ」より望むマッコウクジラの背びれと国後島。

羅臼発のホエールウォッチング船「ネイチャークルーズ」より望むマッコウクジラの背びれと国後島。

根室海峡沖の国後島より満月がのぼる。

根室海峡沖の国後島より満月がのぼる。

世界が認めた生命の宝庫

2005年、知床は世界自然遺産に登録された。その価値・特徴をわかりやすく説明すると三つの点──「流氷がもたらす海の恵み」「サケ類がのぼる川が結ぶ海と陸のつながり」「海と川と森が支える貴重な野生動物」だ。
流氷から始まる命の循環はオホーツク海に押し寄せる流氷が栄養をもたらし、春にプランクトンを爆発的に増やす。小魚やオキアミがそれを食べ、サケやマスが成長し、秋には川を遡上して命を繋ぐ。その恵みをヒグマやワシ、野鳥などが食し、森の肥料となる。海と森をつなぐ食物連鎖の輪が、ここでは今も途切れることなく続いている。この生態系は海と陸の相互関係の顕著な見本であると共に、海洋性及び陸上性の多くの種、つまりは生物多様性を育んでいる。
ヒグマが日本で唯一海辺から山域まで途切れる事なく生息出来る事やシマフクロウなどの希少種の存在、多くのサケ科魚類やトドや鯨類などの海洋哺乳類、希少な海鳥類等の生息地である事、これら全てが世界的に見ても知床は重要な地域であるのだ。
僕も旅の中、クジラに海鳥やエゾシカの群れ、駆けるキタキツネにオジロワシやシマフクロウの雄大な飛翔、そして遠くにはヒグマの姿を見た。貴重な野生動物が日常に溶け込み、共に生きていることを実感する瞬間だった。

エゾシカ

エゾシカ

シマフクロウ

シマフクロウ

ヒグマ

ヒグマ

オジロワシ

オジロワシ

キタキツネ

キタキツネ

ウミウ

ウミウ

マッコウクジラ

マッコウクジラ

移り変わる文化と共生の歴史

北海道に人が住み始めたのは約2万年前と言われ、知床半島にも多くの遺跡が発見されている。縄文時代の貝塚や土器は、この地で人が森と海の恵みを享受していた証である。本州で農耕が始まった弥生時代にも、この地では狩猟採集が続き、「続縄文文化」と呼ばれる独自の道を歩んだ。その後、7〜12世紀には本州から鉄や織物などの影響を受けて発展した「擦文文化」が北海道全域で展開するが、知床半島を含むオホーツク海沿岸には北方からの影響を受け、独自の「オホーツク文化」を築いた。さらに羅臼町のトビニタイ遺跡からは、この擦文文化とオホーツク文化が交わり生まれた「トビニタイ文化」の痕跡も発見されている。
やがてこれらの文化は擦文文化に吸収され1つとなり、13世紀には「アイヌ文化」へと続く時代となった。アイヌ文化の動物や自然をカムイ(神)として崇める信仰は、オホーツク文化からの影響とも言われている。
そして18世紀の江戸時代には、本州からやってきた和人の進出により漁業が営まれるようになる。大正時代になると農業を目的とした入植者による開拓は進むが、厳しい自然は人を退け知床半島は完全に開発されることなく現代まで至った。知床はこのように太古から人が自然や野生動物と共生した暮らしを近代に至るまで続けてきた世界でも非常に貴重な文化の移り変わりが残る場所なのである。これらの痕跡は斜里町の知床博物館と羅臼町の郷土資料館で触れる事ができ、いくつかの遺跡にも訪れた。

斜里町・朱円周堤墓群。縄文時代のお墓。土器や石器、石棒、飾り玉などの他、炭化した繊維片が見つかっている。

斜里町・朱円周堤墓群。縄文時代のお墓。土器や石器、石棒、飾り玉などの他、炭化した繊維片が見つかっている。

斜里町ウトロのオロンコ岩。先住民族「オロッコ族」がこの岩の上に住んでいたという伝説がある。

斜里町ウトロのオロンコ岩。先住民族「オロッコ族」がこの岩の上に住んでいたという伝説がある。

人と自然を繋ぐ人々

海での記憶を語り継ぐ船長

知床にはウトロや羅臼から出るクルーズ船ツアーが多くある。道路が通っていない岬を目指し、独特な地形や野生動物を海から間近で観察できるツアーが人気だ。僕は出会った人からの紹介で元漁師の野田克也さんが自らの漁船で知床岬まで連れていってくれるツアーに参加した。仰ぐようにそびえる断崖の真横をかすめるように進める漁船からは、季節によってはトドやヒグマ、オジロワシや海鳥たちの姿を海から間近に望むことができる。
「昔、この海は漁師で溢れていた。でも地球の環境が変わり、海も変わった。漁師が減る中で私も卒業したが、海に出るといつも凄いなぁって見ていたこの景色や体験、これを多くの人に届けて行きたい。」
野田さんの言葉と船を操る腕からは、海と共に生きてきた人だけが持つ重みを湛えていた。

「知床らうすリンクル」の代表であり船長の野田克也さん。今や数ある漁船小型クルーズの先駆者。半島の行き止まりである相泊港から出航している。

「知床らうすリンクル」の代表であり船長の野田克也さん。今や数ある漁船小型クルーズの先駆者。半島の行き止まりである相泊港から出航している。

迫力満点の断崖の真横を運行してくれるのは小型の漁船ならでは。

迫力満点の断崖の真横を運行してくれるのは小型の漁船ならでは。

ウトロ側とは違う切り立つ岩の地形の間を進んで行く。

ウトロ側とは違う切り立つ岩の地形の間を進んで行く。

オオセグロカモメの群れに手が届きそうなくらいの近さ。

オオセグロカモメの群れに手が届きそうなくらいの近さ。

元漁師の舵捌きが素晴らしく、海のアトラクションとしても楽しめた。

元漁師の舵捌きが素晴らしく、海のアトラクションとしても楽しめた。

知床岬

知床岬

人間のいない場所で過ごす野生のヒグマを海から観察。クルーズの目玉になっている。4、5月には合わせてトドも見られる。

人間のいない場所で過ごす野生のヒグマを海から観察。クルーズの目玉になっている。4、5月には合わせてトドも見られる。

森の中で歩みを続けるネイチャーガイド

オンネベツ川の鮭マス遡上観測所に行った際、鮭の遡上には出会えなかったがネイチャーガイドの佐藤雅子さんと出会う事ができた。カメラを持っていたので声をかけると話が弾み、数日後に原生林を案内してくれた。彼女は北海道出身だが知床に魅了され移住し、やがて仕事を辞めてガイドとなった。知床の魅力はやはり野生動物であり、いつも出会いを探して森の中を歩き続けている彼女は、動物との距離感について話してくれた。
「人はこの地で野生の動物と長い年月をかけて距離感を築いてきた。中でも生態系の頂点であるヒグマは人との距離感を最もわかっている知性の高い動物。臆病であり積極的に人を襲ってくる生き物ではなく、むしろ距離をとってくれる動物。しかし、近づきすぎるとその関係を壊してしまう。人がここに訪れ、自然の中に入る時には古来より続く野生動物との距離やルールを徹底しなければならない。私自身も写真を撮りたく近づく傾向があるから意識して気をつけなければならない。」知床には多くの観光客が訪れ、野生動物の写真を撮る為にしつこく追いかけたりする事で彼らは非常にストレスを感じていると彼女は話す。さらには餌をあげる人もいて、それらがバランスを崩す一つの要因となり、やがて悲劇をもたらす事に繋がる。それが本当に悲しいと言っていた。案内してくれた森の中では野生のキタキツネのネズミの捕食を見る事が出来、エゾリスやたくさんの野鳥も見る事が出来た。森を抜けるとそこには断崖とオホーツク海の大海原に落ちる滝の絶景が待っていた。

ズームレンズを片手に、気配を感じながらゆっくりと森の中を歩く佐藤雅子さん。「知床とこぼうず」という屋号で活動している。

ズームレンズを片手に、気配を感じながらゆっくりと森の中を歩く佐藤雅子さん。「知床とこぼうず」という屋号で活動している。

ネズミの巣をほじくるキタキツネ

ネズミの巣をほじくるキタキツネ

アカゲラ。色のデザインが素晴らしい。

アカゲラ。色のデザインが素晴らしい。

あたま隠して尻隠さずのエゾリス

あたま隠して尻隠さずのエゾリス

ドングリを拾い、動物の話を始めてくれた。

ドングリを拾い、動物の話を始めてくれた。

森を抜けると現れたオホーツク海と断崖の絶景。

森を抜けると現れたオホーツク海と断崖の絶景。

「男の涙」という滝に到着。

「男の涙」という滝に到着。

自然との距離を伝え続ける人々

知床財団の挑戦

知床を訪れる人に、知床の自然構造や野生動物との関わり方や距離感などを様々なアプローチで伝えてくれる重要な施設がある。斜里町の「知床自然センター」、羅臼町の「知床羅臼ビジターセンター」だ。
現場を運営する知床財団は、斜里町と羅臼町など関係行政と連携し、知床の自然管理、ヒグマ対策、訪れる人々へのレクチャーなどの活動を行っている。
その活動の主軸のひとつは財団創設のきっかけとなった「しれとこ100平方メートル運動」である。1977年、厳しい自然のため入植者が離れた開拓跡地にリゾート開発計画が持ち上がった。当時の斜里町長はそれを止めるべく、知床国立公園内の開拓跡地保全と原生林再生を目指し「しれとこ100平方メートル運動」を開始。乱開発の危機にあった開拓跡地の買い取りに必要な寄付を募った。
この運動は全国から多くの賛同を得て、2010年にはほぼ全ての土地を買い取ることができた。現在は「100平方メートル運動の森・トラスト」として、その土地に原生の森と生態系の再生を目指した取り組みを続けている。運動地の一部には、訪れた人は誰でも歩けるコースがあり、再生の現場を案内して貰った。
財団の山本幸さんは「多くの人が簡単に野生動物の生息する深い自然にアクセスして触れることができる知床はかなり稀な場所。それ故に訪れる人は自然や野生動物との正しい距離を知る必要がある。自然と人間の領域を知り学ぶ事。知床はそれを体感できる場所としての価値がある。私たちはそのバランスを維持し、継承し続けていかなければならない」と話してくれた。
これまで、日本の世界自然遺産を巡る中で、環境を守り継承する人達や団体と出会って来たが、これほどの組織規模で活動運営が出来る事には希望があった。ここがモデルケースとなり全国へ同じような活動の波が広がれば良い。

知床財団の山本幸さん。知床の自然に魅了され何度も訪れ、神奈川県より移住してきた。現在は知床財団事業部長を務め様々な活動を企画し行っている。

知床財団の山本幸さん。知床の自然に魅了され何度も訪れ、神奈川県より移住してきた。現在は知床財団事業部長を務め様々な活動を企画し行っている。

開拓の森での森林再生風景。まるで芸術作品のように様々な試みが森の中に点在していた。

開拓の森での森林再生風景。まるで芸術作品のように様々な試みが森の中に点在していた。

「シカの食害をモニタリングするために設けた柵」柵の中はシカの食害が無いので外との比較を行い、シカの食害の影響をモニタリングする。

「シカの食害をモニタリングするために設けた柵」柵の中はシカの食害が無いので外との比較を行い、シカの食害の影響をモニタリングする。

倒木を積み上げて製作した鹿よけの柵。この中には白樺が根付いているらしい。

倒木を積み上げて製作した鹿よけの柵。この中には白樺が根付いているらしい。

動物の視点で伝える物語

知床財団と活動を共にする絵本作家のあかしのぶこさんとも出会う事ができた。京都出身の彼女が知床に移住したのは二十五年前。野生動物を観察し絵本を描きたかった彼女が直面したのは、観光客の増加でゴミや餌によりヒグマが人里に現れるという現実だった。知床財団のボランティア募集をきっかけに自然センターで働く傍ら、観光客への注意喚起としてヒグマとの距離を伝える紙芝居を始めた。やがてその続編として彼女の代表作となる絵本「しれとこのきょうだいヒグマ ヌプとカナのおはなし」が完成し、知床のヒグマの親子の目線で人間との関係を描いた作品が財団から発刊された。「動物目線になって作品を描いているのは、人間の概念を外してこの世界を見たらどう見えるのかをイメージすると全然違う世界が見えてくる。色んな動物になることで様々な答えが投げ掛けられる」と語る。新作「しれとこのみずならがはなしてくれたこと」は斜里町の100平方メートル運動を題材に、ミズナラの樹の目線で開拓と森の再生を描いている。

あかしのぶこさん。森と海が望める制作アトリエにて。

あかしのぶこさん。森と海が望める制作アトリエにて。

森と海が望める制作アトリエにて。

様々な動物の視点になれる絵本の可能性を信じて、世界の様々な見え方を想像し描き続けている。

様々な動物の視点になれる絵本の可能性を信じて、世界の様々な見え方を想像し描き続けている。

しれとこ100平方メートル運動を題材に財団の山本幸さんと一緒に制作し、財団より発刊された。

しれとこ100平方メートル運動を題材に財団の山本幸さんと一緒に制作し、財団より発刊された。

未来へ繋ぐ記憶の継承者たち

そして、知床財団がサポートする団体に、「知床自然愛護少年団」がある。地元の大人が主体となり、子どもたちに自然の中で安全に楽しく遊ぶ知識や技術を伝える活動団体だ。1971年、当時の町長が自然が濃すぎる知床で子供達が安全に外で遊ぶ機会がなくなる事を懸念し設立した。
設立当時に1期生として入団していた横内正元さんが現在の団長として活動している。「子どもたちには森や海、川で思いっきり遊んでほしい。自然の中で五感を使って感じてほしい。その記憶を残すことが自然を守ることや共生していくことに繋がる」と話していた。団員が大人になり、今はその子ども達の世代が昔と同じように知床の自然に触れ、自然との関係性を築いている。時代や世代が移り変わりゆく中でも、こうして自然との共生のあり方が受け継がれているのだ。その子供たちは全部の活動が楽しいと話していた。

海や川で獲ったり食べたり。毎年、開拓時代の小屋で当時の暮らしを体験し、寝泊まりをする行事も行っている。写真は団長の横内正元さん。団員の石本朔也(さくや)さん、石本蒼唯(あおい)さん、石本和真(かずま)さん。

海や川で獲ったり食べたり。毎年、開拓時代の小屋で当時の暮らしを体験し、寝泊まりをする行事も行っている。写真は団長の横内正元さん。団員の石本朔也(さくや)さん、石本蒼唯(あおい)さん、石本和真(かずま)さん。

海から大地へ 循環する生命の物語

旅の終盤、羅臼町のサシルイ川の煌めく水面の中を覗くと、数匹のサケが遡上していた。例年より遅いというが、海へと旅立った命が再びこの川に戻ってきている。
海から大地へ、過去から未来へ、大人から子供へ、この知床では海と森、動物と人、それぞれが長い時間の中で築き上げられてきた循環があり、その繊細な距離とバランスを見ることのできる貴重な場所だった。

夕暮れになるといつもカモメが飛び交っていた。

夕暮れになるといつもカモメが飛び交っていた。

海からの光が斜面の森を照らしている。

海からの光が斜面の森を照らしている。

漁港も静まり。

漁港も静まり。

何かを伝えるかのように川の水面が煌めいていた。

何かを伝えるかのように川の水面が煌めいていた。

その中を覗いてみると、鮭が流れに逆らって泳いでいた。

その中を覗いてみると、鮭が流れに逆らって泳いでいた。

そして、知床は教えてくれた。生命とは循環であり、共生とは距離であり、未来とは記憶の継承からの創造であることを。この半島で出会った人々は皆、自然と人間の間に立ち、その境界線を守り続けており、見せてくれた。彼らの想いと行動が、原始からの記憶を現代に繋ぎ、そして未来へと手渡していく。知床(シリエトク)──名前の通り、ここは確かに地の果てかもしれない。しかし同時に、生命の物語が始まる場所でもあるのだろう。

滝を登るサクラマス。清里町さくらの滝。

滝を登るサクラマス。清里町さくらの滝。

ミュージシャン・YONCEさんが おすすめする、茅ヶ崎らしさを 感じるおすすめスポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、ミュージシャン・YONCEさんが登場。
地元・茅ヶ崎らしさを感じられるおすすめスポットを教えていただきました。

背筋を正してくれる〈寒川神社〉

〈寒川神社〉

厄除けの神様を祀っている〈寒川神社〉は、幼い頃からほぼ毎年お詣りしている場所です。優しく背筋を正してくれるようなところで、お参りの時期でなくてもぜひ足を運ぶ価値があると思います。

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寒川神社

住所:神奈川県高座郡寒川町宮山3916

茅ヶ崎の文化拠点の一つ〈MOKICHI TRATTORIA〉

熊澤酒造さんの蔵を利用したイタリアンレストラン〈Mokichi Trattoria〉。気鋭の作家やアーティストの作品が展示されるギャラリーでもあり、複合的なカルチャーを発信する素敵な場所でおすすめです。

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MOKICHI TRATTORIA

住所:神奈川県茅ヶ崎市香川7-10-7

Instagram:@mokichi_trattoria

店名も味も素敵な〈楽園〉

〈楽園〉

名前も最高な〈楽園〉。ここのラクサがとてもおいしくて、ぜひ一度食べてみてほしいおすすめスポットです。

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楽園

住所:神奈川県茅ヶ崎市浜見平3-1 ブランチ茅ヶ崎2 1F

Instagram:@rakuen.to.oyoyo

動画はこちらから!

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YONCE

2019年、デビューからわずか4年で地元・横浜スタジアムでの3万人動員のワンマンを実現し、2021年に活動休止を発表。2025年6月に活動を再開し、復活の横浜アリーナ2Daysはソールドアウトを記録した6人組ロックバンドSuchmosのボーカリスト。歌唱する楽曲は自身のバンドのみにとどまらず、2022年にはフジテレビ系ドラマ「エルピス—希望、あるいは災い—」の主題歌「Mirage」を、Mirage Collectiveのボーカルとして歌唱。2023年5人組ロックバンド「Hedigan's」を結成。

ゼロから未来をつくっていく。富岡町で動き出した若きプレイヤーたち

福島県の海沿い約100kmに及ぶ地域は「浜通り」と呼ばれていて、そのちょうど真ん中あたりにあるのが双葉郡富岡町。太平洋に面しているので気候は穏やかで、夏には気持ちのいい浜風が吹き、冬は晴れる日も多い。全町避難を経験した東日本大震災からまもなく15年。一度は静まり返ったこの町で、新しい未来を作ろうと奮闘する若い世代が増えている。
どんな人たちがいて、どんなプロジェクトが動き出しているのか。今回は富岡町出身で、現在は南相馬市を拠点に観光業を立ち上げた日下あすかさんにコンタクト。彼女のガイドで、富岡町のかっこいいプレイヤーたちに会いに行った。

浜通りをロードトリップの聖地に。自由気ままなキャンピングカーの旅をつくる
/一般社団法人コトづくり代表理事 日下あすかさん

コルドバンクスというキャンピングカーに乗って、日下さんは富岡駅前にやってきた。7人乗りの車内には広いテーブルやキッチン、5名まで寝られる設備も完備されていて、予想以上に広くて快適だ。

一般社団法人コトづくり代表理事 日下あすかさん

日下さんは富岡町の夜ノ森(よのもり)地区出身。東京の隈研吾建築都市設計事務所で約3年間勤務した後、「浜通りに人を呼びたい」と福島県へUターン。2025年2月から南相馬市で、キャンピングカーを軸にした観光事業をスタートした。

キャンピングカーの中でお話を聞かせてくれた日下あすかさん。東京の建築事務所勤務を経て福島県へUターン。2025年2月に一般社団法人コトづくりを立ち上げた。

キャンピングカーの中でお話を聞かせてくれた日下あすかさん。東京の建築事務所勤務を経て福島県へUターン。2025年2月に一般社団法人コトづくりを立ち上げた。

「設計事務所で働いているときに、富岡町と同じく震災後の原発事故で全町避難になってしまった浪江町の駅前開発を担当したんです。気合いを入れて取り組みましたが、建築の力だけでは町に人を呼び戻すことは難しいと痛感した。こっちに戻ってきて、自分が現地で“人を呼べる人”になろうと思ったんです」

現在取り組んでいるのは、キャンピングカーで巡る浜通りのツアー事業。北は宮城県との県境である新地町から、南は〈スパリゾートハワイアンズ〉で有名ないわき市まで、約100kmもある浜通り。キャンピングカーで車中泊しながら巡れば、各地の見どころが繋がる。日下さんは各町の観光スポットにRVパークを作り、よりその観光コンテンツが楽しめるようにした。実際に周るモデルコースを作ってモニターツアーを開催し、来年度からはいよいよキャンピングカーのレンタル業もスタートする。

「浜通りはロードトリップに最適なんです。大きな道が3本通っているのですが、天気の良い日は海沿いの浜街道を走ったり、秋は山側の山麓線で紅葉を楽しんだり。各町の魅力的なスポットはもちろんですが、まだ知られていないスポットも発見できるかもしれません」

日下さんが富岡町のお気に入りスポットに連れて行ってくれるという。その時に通ったのが、JR富岡駅の横に新しくできた「汐橋(うしおばし)」。国道6号線から浜街道に向かう道路は海に向かってアーチ形に延びていて、車で走ると目の前が海と空でいっぱいになる。富岡町に来たらぜひ走ってみてほしいと日下さん。

到着したのはこぢんまりとした漁港だった。窓を開けると目線の先には海だけが広がる。日下さんが豆を挽き、コーヒーを淹れてご馳走してくれた。こんな特等席で静かな漁港の景色を楽しみながら、温かいコーヒーがいただけるのもキャンピングカーの魅力の一つ。

「キャンピングカーなら、こうして好きな場所で車を停めて、食事やお茶を楽しむことができる。観光で訪れる方にも、このような楽しみ方をしていただきたいんです。キャンピングカーで来る人が増えたらスポット名がついて、ここでお店を開こうかなという人が出てくるかもしれない。そうなったらもう狙っていた通り。短いスパンでもとにかく人を呼んできて、町を体験してもらえる機会を作りたいです」

一般社団法人コトづくり代表理事 日下あすかさん

福島県にUターンして気づいたのは、富岡町には美しい景色と豊かな時間があるということ。
「夜ノ森地区には有名な桜のトンネルもありますし、富岡駅近くにはこの海の景色もある。特に海は震災があったからこそ、特別な景色に変わったんじゃないかなと思います。このエリアは、震災だけを切り取って見ると、悲しい場所のように映ってしまうかもしれません。しかし実際には、震災をきっかけに新しい観光コンテンツが生まれ、少しずつ広がってきました。震災前から受け継がれてきた風景や文化、そして今この土地に芽吹いている新しい観光のかたち。その両方を体感しに、ぜひこの地を訪れてほしいと思います。この美しい町を未来へつないでいくために、これからも自分にできることを考えながら、一歩ずつ取り組んでいきたいです」

取材者情報

日下あすか

一般社団法人コトづくり:https://www.kotozukuri.com/

Instagram:@asuka.kusaka

将来的には世界のトップブランドに。桜の名所・夜ノ森で誕生したデニムブランド
/YONOMORI DENIM 小林 奨さん

次に訪れたのは日下さんが生まれた夜ノ森地区で、2022年に誕生したリメイクデニムのブランド〈YONOMORI DENIM〉のショップ。創業者の小林奨さんは日下さんの同級生だ。

「小学校の担任の先生誰だっけ?」と、昔話に花が咲く日下さんと小林さん。「同い年で地元で起業して頑張っている奨くんみたいな存在は、とっても心強いですし、一緒になにかできたらと思います」と日下さん。お互いに地元を盛り上げようと奮闘する強力な同志だ。

「小学校の担任の先生誰だっけ?」と、昔話に花が咲く日下さんと小林さん。「同い年で地元で起業して頑張っている奨くんみたいな存在は、とっても心強いですし、一緒になにかできたらと思います」と日下さん。お互いに地元を盛り上げようと奮闘する強力な同志だ。

震災後、全町避難で関東に引っ越した小林さん。東京で社会人になりアパレル会社で販売員として働くなかで、業界が抱える大量生産・大量廃棄の問題を知る。環境に配慮したブランドや取り組みをしたいという思いと、地元の雇用を創出したいという思いが重なり、夜ノ森で〈YONOMORI DENIM〉を立ち上げた。

もともとはサッカーをやっていたが、怪我で引退。次に好きだったのがファッションだったという小林さん。起業もいつかはしたいと思っていたそうだ。

もともとはサッカーをやっていたが、怪我で引退。次に好きだったのがファッションだったという小林さん。起業もいつかはしたいと思っていたそうだ。

「地元がすごく好きなんです。県外に出てその思いが一段と強くなりました。僕は不便な生活に魅力を感じるみたいで、関東だと何でも苦労せず手に入っちゃうのが面白くなかったんですよね(笑)」

〈YONOMORI DENIM〉で扱うのは、リーバイスの名デニム、501のみ。東京の協力会社(株式会社ヤマサワプレス)が廃棄寸前のデニムを回収、それをYONOMORI DENIMで洗浄・解体などをし、パーツごとに加工。また〈One-o-Five〉というブランド名で、古着デニムをリメイクしたパンツやジャケット、小物なども販売。
「将来的には職人ブランドとして、世界中で『デニムと言えば〈YONOMORI DENIM〉だよね』と言われる存在になりたいです。小さなアトリエから始まった……というストーリーで」

デニムを選んだのは老若男女、世代問わずで履けるほど丈夫な素材だから。たとえパンツとして履けなくなっても、たくさんの端切れを合わせれば新しい服や小物に生まれ変わる。それはたくさんの人の力が集まれば、富岡町が復活するという思いにも繋がっている。

「一度は誰もいなくなってしまったけれど、新しい人がやってくればまた新しい富岡町ができる。ここはゼロから挑戦できる町です。僕は新しいアイデアを持ってこの町に来てくれる人の活動や思想を、手助けできる環境を作れたらいいと思っています」

YONOMORI DENIM

取材先情報

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YONOMORI DENIM

住所:福島県双葉郡富岡町本岡清水前122−17

営業時間:平日10:00~14:00、土日12:00〜16:00

Instagram:@yonomori_denim

富岡の美味を知ってほしい。富岡産ワインと地元食材を楽しむワイナリーレストラン。
/とみおかワイナリー 根本綾乃さん

富岡町にはワイナリーがある。海が見える場所に広がる畑には、震災前の町民の数と同じ1万6000本のブドウの苗木が植えられており、畑を見守るように〈とみおかワイナリー〉の醸造所が建っている。

とみおかワイナリー

代表の遠藤秀文さんは富岡町出身。震災後、ふるさとを元気づけようと、長年の夢だったワイナリーを作ることにした。2016年4月からプロジェクトをスタートし、想いに賛同した仲間たちと200本の苗木を植える。資金を出し合って毎年数百本ずつ増やしていき、3年目に初めて数十キロのブドウを収穫。山梨県のワイナリーの協力のもと、最初のワインが完成した。

「ブドウ畑の作業はボランティアも募集していて、県外からもたくさん来られるんだそうです。自分が関わったワインには愛着が湧くし、町にとっては一つのコミュニティになっていると思います」と、案内してくれた日下さんは話す。

「ブドウ畑の作業はボランティアも募集していて、県外からもたくさん来られるんだそうです。自分が関わったワインには愛着が湧くし、町にとっては一つのコミュニティになっていると思います」と、案内してくれた日下さんは話す。

現在は富岡町の気候に合う品種も分かり、白ブドウはシャルドネやソーヴィニヨン・ブラン、アルバリーニョ、赤ぶどうはメルローを栽培。今年からは自社の醸造所が稼働し始め、100%富岡産のワインを醸造中だ。ブドウ栽培と醸造を担当する細川順一郎マネージャーは「いまはフレッシュな早飲みタイプがメインですが、今年からは深い味わいのワインにも挑戦しています。ブドウの樹齢が上がれば品質も変わってくるので、楽しみにしていただきたいです」と話す。

醸造所の2階にはレストラン〈ラレス〉がある。〈とみおかワイナリー〉のワインが飲めるのはもちろん、常磐ものの魚介類を使った料理が美味しいと評判だ。360度ガラス張りの店内からは、海の前に広がるブドウ畑や常磐線の線路などが一望できる。

とみおかワイナリー

「コース料理や単品でピザやパスタ、アクアパッツァなどもご用意しています。海風の影響かうちのワインはほんのり塩味を感じる味わいが特徴なんです。常磐もののヒラメなど、白身のお魚ととっても相性が良いんですよ」と、教えてくれたのは、キッチンで働く根本さん。

「富岡町は食材が豊富で、お魚も野菜もお米もとっても美味しいです。地元食材が扱えて、ワインのことも勉強できるなんて、私にぴったりの職場だ!と思いました」と目を輝かせる根本さん。

「富岡町は食材が豊富で、お魚も野菜もお米もとっても美味しいです。地元食材が扱えて、ワインのことも勉強できるなんて、私にぴったりの職場だ!と思いました」と目を輝かせる根本さん。

今年3月に入社したという根本さんは21歳の新米料理人。このレストランを職場に選んだのは、地元を盛り上げたいという思いからだった。
「都会に出てお料理をするよりも、復興を頑張っている地元で自分もなにかできたらと言う夢がずっとあって。そのために地産地消を大事にしたかったので、このレストランはぴったりだと思いました」

富岡町は食材豊かな土地。野菜は朝早くからシェフが市場に買い出しに行って、福島県産のものを仕入れている。魚介類は主にいわき市の久之浜漁港を中心に、シェフが仕入れる自慢の常磐ものだ。
「富岡町は自然豊かですし、海が近くにあるってすごく素敵なことだと思います。海を眺めながら仕事ができるのは幸せです。富岡町の農家さんは皆さんとても暖かく、『野菜持っていき〜』って分けてくださったりします。今は実家の田村市から通っているのですが、いずれは引っ越したいですね」

いつか自分のレシピで、常磐ものの魚料理を作るのが根本さんの夢。ワインと一緒に味わえるのが楽しみだ。

とみおかワイナリー 根本綾乃さん

取材先情報

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とみおかワイナリー

住所:福島県双葉郡富岡町小浜反町36-1

営業時間:

レストラン ラレス

平日ランチ 11:00〜15:00(L.O.14:00)

土日祝ランチ 10:30〜15:30(L.O.14:30)

ディナー(予約必須) 17:00〜21:00(L.O.20:00)

定休日:水曜

ワイン&ギフト テルース

10:00〜17:00

定休日:火・水曜

Web:https://tomioka-winery.jp/

Instagram:@tomioka.wine.2016

アートは町の見え方を変えてくれる。宮島達男さん新美術館プロジェクトも進行中
/NPO法人インビジブル 日向志帆さん

最後に訪れたのは、アートの力で富岡町を動かす〈NPO法人インビジブル〉の日向志帆さん。大学でコミュニティデザインを専攻していた日向さんは、自らを「ぶらんなー(造語)」と呼び、ぶらぶらと外から町にやってきた人間が、その町でどんな変化を起こせるのかを研究。なかでも「地域と教育」に関心があり、富岡町でも主に子供たちと関わってきたそう。

今年3月に大学を卒業し、4月から本格的に富岡町で暮らし始めた日向志帆さん。プロジェクトで関わる子供たちからも愛称の「おひな」と呼ばれているそう。

今年3月に大学を卒業し、4月から本格的に富岡町で暮らし始めた日向志帆さん。プロジェクトで関わる子供たちからも愛称の「おひな」と呼ばれているそう。

インビジブルが行っているのは、町内に唯一ある富岡町立小中学校にアーティストや職人などが“転校生”としてやってきて、校内で子供たちと交流する「PinSプロジェクト」や、夜ノ森地区で秋口と春先に開催される「夜の森ピクニック」、富岡駅近くの月の下と名がつく交差点脇のスペースを拠点とした「月の下アートセンター」という文化活動など。どれもアートをきっかけにした、住民巻き込み型プロジェクトだ。

なかでも町民の期待を集めているのが、現代美術家の宮島達男さんの「時の海 – 東北」プロジェクト。宮島さんが3000人の人たちと対話しながら創り上げる《Sea of Time – TOHOKU》という作品を展示する美術館が富岡町にできるというものだ。日向さんは地元住民が立ち上げた「《時の海 – 東北》美術館を応援する会」の運営事務局として、定期的に住民のみんなと集まり、美術館建設予定地で草刈りや芋煮をしたり、美術館ができたらやりたいことのアイデア出しなどを行いながら、完成までの時間を住民みんなで温めている。

「アートには地域の見方を変えてくれる力があると思います。例えば以前、影絵師の川村亘平斎さんと影を写しながら夜ノ森を練り歩くイベントをやったんです。除染によって更地になった夜ノ森の町には余計なものがないから、影がくっきり浮かび上がって。本当に生きているみたいに見えて、そこから歌ができたり、昔話を語る人が出てきたりということがあった時に、何もないことをネガティブではなくて、“余白”として捉えることができた。正しさみたいな指標では測らないということが、この富岡町にとってすごい大事なことなんじゃないかと思っています」

この町に来て、自分のロールモデルになるような先輩プレイヤーにたくさん会うことができたという日向さん。自分のような“ぶらんなー(造語)”が新たに町に来たらうれしいと話す。
「自分のプロジェクトを頑張っている先輩や、アイデアを形にするために一緒に悩んでくれる大人が身近にいること、それが富岡町の自慢ですね。自分が何者でなくても、富岡町で出会った人々は、まちの一員として受け入れてくれました。この町への関わり方として、やりたいこととか目的すらも町に来てから探すくらいの余白があってもいいんじゃないかと思います」

NPO法人インビジブル 日向志帆さん

富岡町が大好きで、町の未来を作ろうとそれぞれのステージで奮闘する若きプレイヤーたち。まずはキャンピングカーを借りて周ってみるのもいいかもしれない。

取材先情報

NPO法人インビジブル

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富岡町移住定住相談窓口『とみおかくらし情報館』(運営:一般社団法人とみおかプラス)

住所:福島県双葉郡富岡町大字小浜字中央338

営業時間:10:00〜17:00(土日も開館)

休館日:年末年始、GW、お盆、メンテナンス日等

(休館日はHPをご確認ください)

WEB:https://www.tomioka-iju.jp/

Instagram:@tomioka_iju

フリーアナウンサー・直川貴博さん がおすすめする、福島県の 絶景スポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、2017年から2025年3月末まで福島中央テレビのアナウンサーとして活躍し、現在はフリーアナウンサー・直川貴博さんが登場。
福島県のおすすめ絶景スポットを教えていただきました。

江戸時代にタイムスリップしたような〈大内宿〉

〈大内宿〉

茅葺き屋根の住宅が建ち並ぶかつての宿場町がそのまま残っている〈大内宿〉。その光景を前にすると、まるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚になり、どこを切り取っても映えます!全国放送でも取り上げられる名物の「ねぎ蕎麦」はもちろんですが、私は「しんごろう」がおすすめです!半つきにした米を丸めて竹串にさし、じゅうねん味噌を塗って焼いて食べるもので、甘じょっぱくておいしいんです。

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大内宿

住所:福島県南会津郡下郷町大内

コンサートも楽しめる〈あぶくま洞〉

〈あぶくま洞〉

悠久の時を経て大自然が作り出した鍾乳洞。洞内にはホールもあり、クリスマスなどにはコンサートが開かれることもあります。ぜひ現地で体感してみていただきたいです。鍾乳洞ならではのグルメもあり、「見て!食べて!」楽しめます。

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あぶくま洞

住所:福島県田村市滝根町菅谷字東釜山1

Instagram:@abukumado

桜が咲き競う圧巻の風景〈夜ノ森の桜並木〉

福島第一原発からも程近く、長らく全町避難を余儀なくされた浜通りにある「夜の森」。2キロ以上にわたり道路両側から桜が咲き競う様子は圧巻です。この桜並木のそばで月に1週間だけオープンする美容院を、ディレクターとして取材したこともあり、私にとっても大切な場所になりました。

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夜の森の桜並木

住所:福島県双葉郡富岡町字夜の森南4

動画はこちらから!

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Takahiro Nougawa 
直川貴博

2017年4月から福島中央テレビのアナウンサーとして活躍。2025年4月よりフリーアナウンサーとして、日本テレビ「Oha!4 NEWS LIVE」のメインキャスターや、「news every.」のキャスターを務める。また古巣となった福島中央テレビの「ゴジてれChu!」にも引き続きレギュラーで出演するほか、福島関連のイベントや講演会に登壇するなど、東京と福島の二拠点で活動中。

島民がガイドする、何度でも楽しい 豊島のディープな魅力

香川県の豊島に大量の産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」をきっかけに、瀬戸内海エリアの美しい自然環境を守り、再生することを目的として、2000年からNPO法人として活動をしている「瀬戸内オリーブ基金」。2025年に設立から25年を迎えた。まずは「瀬戸内オリーブ基金」の本拠地、香川県・豊島をご紹介。アートの島として全世界から観光客が訪れるこの島だが、楽しみ方はアートのみにあらず。今回は豊島在住の「瀬戸内オリーブ基金」事務局の松澤千穂さんに、島民ならではのオススメのスポットを案内していただいた。

松澤千穂さん

松澤千穂さん:メーカー勤務、シンガポール暮らし、地元・金沢の市場でECサイト立ち上げやインバウンド向けの体験型観光提案など、さまざまな職歴を経て「瀬戸内オリーブ基金」へ。昔から自然や環境保全にも興味があり、いつかは島暮らしがしたいという夢を叶えるため、豊島へ2025年1月に移住。

魔法の手から生まれる豊島土産〈soe farm〉

魔法の手から生まれる豊島土産〈soe farm〉

高知県出身の副田祥子さん。関西に長年住んだ後、岡山県の海の玄関口・宇野に移り住み、農業法人で働いていた経験を生かして、2012年頃から瓶詰め作りを開始。宇野と豊島の2拠点生活を経て、豊島へ移住した。現在はすべての加工品を豊島で製作。豊島レモンを使ったレモンジャム、イチゴジャム、柑橘のジャム……。スモモや梅など島の果実と相談しながら最もいいタイミングで仕上げる。また、地元漁師さんから仕入れた素材で作る海苔の佃煮や、副田さんが養蜂しているニホンミツバチのハチミツを使ったマスタードの瓶詰めなど、調味料も販売している。商品は「自分が好きなもの、食べたいものばかり」と副田さん。友人の紹介やつながりのある生産者さんから人間関係を重視した仕入れで、島の素材を最大限に生かす。「県外の方へのお土産にはマスト!ジャムも調味料も素材を生かした味わいや組み合わせが絶妙。ジャムは数あれど、副田さんが作り出すものは別物」と、松澤さんは話す。

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soe farm

Instagram:@soefarm

島食材×スパイスで味わう異国の味〈ARUEI〉

島食材×スパイスで味わう異国の味〈ARUEI〉

島の裏路地、古民家が連なる住宅街に猫が描かれた赤い看板が目に留まる。オーナーの中野志保子さんは東京都出身。2014年に移住し、島のレストランで3年半勤務した後独立し、2018年に現在の店舗を開業した。スペインやトルコで地中海料理を学んだ中野さん。オリーブ、イチジクなど地中海と共通の食材があり、豊島はトルコの島とも雰囲気がよく似ていると話す。豊島の食材をハーブやスパイスを使用した料理は風味のある味わい。食材は地元生産者との直接取引や自身の畑で採れたものを使用。年間通して採れるものは決まっているが、収穫時期や質量はその年にならないと分からないので、お店のコースメニューは日替わりだ(夜のみ)。提供しているパンは、フランス人のパン職人が岡山県で栽培している有機の麦を購入し、自家製酵母で焼き上げる。「いつも違う食材、違う味わいで楽しませてくれます」と、松澤さん。

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〈ARUEI〉

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦2320

電話:080-3243-2792

営業時間:18:00〜(事前予約制)

定休日:不定休(インスタグラムにて告知)

Web:https://aruei.stores.jp/

Instagram:@aruei_

豊島のお父さんが作る島唯一の手延べそうめん〈川東製麺所〉

豊島のお父さんが作る島唯一の手延べそうめん〈川東製麺所〉

川東幸治さんが豊島でそうめんを作り始めたのは約45年前。以前は採石場で重機オペレーターとして働いていたが一念発起し、そうめん製造で有名な小豆島の知人から技術指導を受けて、豊島で製造を開始した。全自動で管理された工場の中で作られるそうめんとは異なり、手作りのそうめんは天候・温度・湿度に応じた調整が必要。手間を省かず、教わった通りの製法を厳格に守ること、12時から14時ごろまでの時間帯を見極め、天日乾燥を基本とし、品質の安定に努めている。そうめんは冬場が製造シーズン。朝3時から夕方5〜6時まで、1日14〜15時間もの長時間作業が続く。オフシーズンの春から秋にかけては、そうめんの販売と工場に併設している民泊の運営、さらに夫婦で食事処「碧い空」も経営している。当時2軒あったそうめん製造所も、今では川東さんのみ。
「とにかく美味しいそうめんを食べてほしい。2分ゆがいたらすぐ食べる!時間が勝負」と、川東さんは話す。

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川東製麺所、民泊「川東さん家」

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦986

電話:0879-68-2117

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食事処・観光農園「碧い空」

住所:香川県小豆郡土庄町豊島唐櫃614

電話:090-4337-3789

営業時間:11:00〜15:00

定休日:不定休(火曜・雨天定休)

あるものを活かし、島暮らしを体感〈結-YUI-〉

あるものを活かし、島暮らしを体感〈結-YUI-〉

県外・海外での経験を経て、「日本と海外をつなぐ仕事をしたい」と考えていた高松市出身のオーナー夛田敦さん。瀬戸内の島々を回った際に、豊島の自然とアートが共存する雰囲気に惹かれたことに加え、外国人を中心とした観光客は多いが、宿泊場所が不足している状況を知り、姉とともに宿を開業した。古民家をリノベーションし、アートを目当てに島を巡る外国人旅行客にもフィットした設えに。豊島の暮らしを感じつつも快適に過ごすことができる空間作りがなされている。2017年、庭園が美しい一棟貸しの宿〈結-AKEDA〉をオープンし、翌年には2つ目の宿〈結-ISHIYA〉を開業。かつて石材業を営んでいた邸宅、〈結-ISHIYA〉の敷地内にある作業場は〈結-YUI Gallery & Café+Bar〉として、おやつや軽食、自家製ドリンク、ナチュラルワインやクラフトビールなどが楽しめるほか、オリジナル商品や定期的にギャラリーでの展示も行い、島民や旅人のコミュニティスペースとしても機能する。「豊島の産業廃棄物問題の歴史を踏まえて、ビジネスを通じた持続可能な地域貢献をしたい。スクラップアンドビルドではなく既存の空き家やリソースを活用して、私たちにもできることを考えたい」と、2024年より「瀬戸内オリーブ基金」の法人サポータに加入。今後も利益の一部を地域に還元する仕組みづくりを進めたいと語った。

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結-AKEDA

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦1017

Web:https://yui-teshima.com/stay/akeda/

Instagram:@yuiteshimaofficial

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結-ISHIYA

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦2163

Web:https://yui-teshima.com/

Instagram:@yuiteshimaofficial

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結-YUI Gallery & Café+Bar

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦2163

定休日:火曜・水曜・木曜休、不定休 ※12~2月は冬期休業(インスタグラムにて告知)

Instagram:@yui.gallery_cafebar

引き継ぎたい島のモノをレスキューする〈古道具みるく〉

引き継ぎたい島のモノをレスキューする〈古道具みるく〉

地域の過疎高齢化に伴った空き家問題から発生する大量の家財道具の処分、解体される家屋に残った貴重な古道具など、「次世代に残したいモノや素材」を自分たちの手で引き継いでいきたい。そんな思いで豊島に住む有志が始めた無人販売所「古道具みるく」。豊島はかつて酪農が栄えたこともあり「ミルクの島」とも呼ばれていた。そんな歴史を残す、甲生地区にある元集乳所跡を利用し、島内で不要になったものを持ち寄ったり持ち帰ったりすることができる場所作りをしている。普段は無人でオープンしているため、気に入ったものを見つけた人が募金箱にドネーションするスタイルだ。洋服や古布、人形、食器、カゴ、調度品までメンバーがセレクトした品々が並ぶ。店舗に置かれたノートには、ここを訪れた方からのメッセージがぎっしり。物が手に入りにくく、捨てにくい島だからこそ大切にされてきた物品が世界に羽ばたいていく。

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古道具みるく

住所:香川県土庄町豊島甲生932-5

定休日:年中無休(オープンデイはインスタグラムにて告知)

Instagram:@teshima_vintage

島に来たらココも!ベストビュー&癒しのスポット

豊かな島と書いて豊島。面積 14.5 ㎢、人口約700人の島の中央にそびえるのは、標高約340メートルの檀山。降り注ぐ雨を山が蓄え、麓の集落では現在まで枯れたことがないという水がこんこんと湧き出ている。瀬戸内の島では珍しく、豊富な水を利用した稲作が盛んに行われ、かつては酪農や漁業でも栄えたという。また豊島では、加工がしやすく火に強い「豊島石」が採れ、古くから石の島としても知られている。資源に恵まれた島の自然美溢れるスポットを、松澤さんおすすめコメントとともにご紹介。

「晴れた日には瀬戸内海の多島美と四国本土を見渡すことができる、檀山岡崎公園展望台。眼下には私の住んでいる甲生地区が見えます。ベンチにゆっくり腰をかけて景色を眺めるだけで清々しい気分に」

「晴れた日には瀬戸内海の多島美と四国本土を見渡すことができる、檀山岡崎公園展望台。眼下には私の住んでいる甲生地区が見えます。ベンチにゆっくり腰をかけて景色を眺めるだけで清々しい気分に」

「家浦八幡神社には室町時代に豊島石で造られた、香川県内で最古の鳥居があり、石段を登ると別世界に入っていくような趣があります。恒例の秋祭りは島らしいあたたかみがあり、これからもずっと残ってほしい伝統です」

「家浦八幡神社には室町時代に豊島石で造られた、香川県内で最古の鳥居があり、石段を登ると別世界に入っていくような趣があります。恒例の秋祭りは島らしいあたたかみがあり、これからもずっと残ってほしい伝統です」

「檀山の中腹にあるスダジイの森。山一帯が信仰の対象であったため、まとまった規模で現存しているとか。一面大木に覆われ、まるで太古の森に迷い込んだかのよう。樹齢250年の大木は樹木医により現在治療中」

「檀山の中腹にあるスダジイの森。山一帯が信仰の対象であったため、まとまった規模で現存しているとか。一面大木に覆われ、まるで太古の森に迷い込んだかのよう。樹齢250年の大木は樹木医により現在治療中」

「四国や瀬戸大橋を望むことができる甲生地区の夕日。ここは私が住んでいる、豊島の中で最も小さな集落で人口は70人ほど。夕方からは人がほとんどいないので、ビール片手に夏の夕暮れにベンチでのんびりするのが最高です」

「四国や瀬戸大橋を望むことができる甲生地区の夕日。ここは私が住んでいる、豊島の中で最も小さな集落で人口は70人ほど。夕方からは人がほとんどいないので、ビール片手に夏の夕暮れにベンチでのんびりするのが最高です」

そして「瀬戸内オリーブ基金」の設立当初の2001年から、基金の想いに共感し、支援を続けてきたユニクロのオリジナルグッズが作れるサービス「UTme!」で、基金設立から25周年を記念した、オリーブ基金Tシャツ、スウェットシャツ、バッグの販売がスタート。中でもスウェットシャツは、オリーブ基金の発起人の一人で、建築家の安藤忠雄氏によるデザインで、ここでしか手に入らない貴重なグッズだ。
UTme!商品1点につき、100円が基金へ寄付され、集められた寄付金は、瀬戸内海の美しい自然を守り、次世代へとつないでいくための活動に役立てられる。
2025年12月9日より、UTme!サービスのある全ユニクロ店舗(39店舗)、UTme!オンラインストアにて購入可能。「瀬戸内オリーブ基金」が気になったら、まずはグッズの購入で支援を始めてみよう。

特設サイトリンク:https://utme.uniqlo.com/tips/19592/

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

K-1ファイター・大久保琉唯さんが おすすめする、栃木県の 心も体も整うスポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、K-1ファイター・大久保琉唯さんが登場。
地元栃木県の心も体も整うスポットを教えていただきました。

頑張った思い出の詰まった〈宇都宮市水道山の階段〉

試合前には、友達やたくさんの人と一緒にここで頑張った思い出のある場所。普段のトレーニングでも使っていて、パワースポットです。

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宇都宮市水道山の階段

住所:栃木県宇都宮市中戸祭町2841

地下水掛け流しの水風呂が気持ちいい〈宝湯〉

〈宝湯〉

外観と内装がレトロな銭湯。値段もリーズナブルで入りやすいです。地下水をかけ流しにした水風呂が特徴で、栃木の中でも質がいい銭湯のひとつだと思っています。

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宝湯

住所:栃木県宇都宮市若草1-9-5

Instagram:@takarayu_utsunomiya

宇都宮市を一望するなら〈八幡山公園〉

毎年初日の出を見に行く場所。本当に綺麗に見えるんです。花見の時期には屋台が出たり、ゴーカートに乗れるとこもあるので、小さい頃はよく遊んでいました。そして八幡山公園の敷地内にある宇都宮タワー。ここから宇都宮市を一望できるところも好きな理由のひとつです。

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八幡山公園

住所:宇都宮市塙田5-1-1

動画はこちらから!

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Rui OKubo 
大久保琉唯

K-1ファイター。K-1ジム・ウルフ TEAM ASTER所属。初代Krushフライ級王者。K-1 WORLD MAX 2024 世界最強決定トーナメント準優勝、K-1甲子園2021 -55kg王者、K-1甲子園2021 東日本予選 -55kg優勝など、数々の実績を持つ。

【見逃し配信あり】 “ホスピタリティの力”で 地域を変える。星野リゾートの 人材育成と魅力の秘密 コロカルアカデミーVol.7

日本のローカルの魅力を発信する「コロカル」は、新たなウェビナー講義シリーズ「コロカルアカデミー」の第7回を開催しました。ゲストには、ご自身も青森県出身である青森屋 by 星野リゾート総支配人の須道玲奈さんをお迎えしました。須道さんには、星野リゾートの人材育成・採用戦略から、ホスピタリティの哲学と現場での実践、地方での観光マーケティングや共創の工夫まで幅広いテーマで語っていただきました。
見逃し配信を視聴したい方はこちらからお申し込みください。

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須道 玲奈

須道 玲奈(すどう・れいな)
青森県出身。青森屋 by 星野リゾート 初の女性総支配人。
青森を“もっと多くの人に知ってもらいたい”という思いから星野リゾートに入社。サービスや広報業務を経験し、石川県の「界 加賀」でも総支配人を歴任。2023年より青森屋の総支配人に就任。
地元の魅力を磨き上げ、「青森のファンを全国に増やす」ことを目指して奮闘中。

星野リゾートという唯一無二の物語

星野リゾートという唯一無二の物語

まず初めに須道さんからお話があったのは、星野リゾートのベースとなるテーマやビジョン、そしてブランドについて。
「世界に通用するホテル運営会社」になるというビジョンを掲げ、「旅を楽しくする」をテーマに、さまざまなコンセプトの施設を手がける星野リゾート。
星野リゾートは従来のホテル経営と異なり、運営に特化した会社であるということも話題に上がりました。それぞれのブランドに明確な物語を持った星野リゾートの宿泊施設。
ベースとなるビジョンやテーマがありながら、ブランドや地域ごとに明確な物語を打ち出すことで、働く人の意識や行動にも変化が生まれるのかもしれません。
そして須道さんが総支配人を務める「青森屋」は、青森の文化を「のれそれ=目一杯」表現する温泉宿として日々運営されているそうです。

採用はマッチング

採用はマッチング

次にお話があったのは、星野リゾートの人材戦略と新卒採用について。
何かを組織し、実際に動かすには、「人」が必要です。星野リゾートの宿泊施設で働くスタッフの皆さんはどこか明るくて、前向きで、主体的。そんな人材の多くをどのようにして、発掘・採用しているのか。須道さんはその鍵を「マッチング」として表現されていました。
価値観や組織文化を理解してもらい、お互いをよく知るための労力を惜しまない姿勢が印象的でした。その結果として多様でかつ主体性のある、この場所で働きたいと思う人材と出会えるようです。
また新卒採用の仕組みについても、学生が自分のタイミングで選考に参加できるシステムをはじめ、学生ファーストでフレキシブルに変化している点が印象的でした。採用姿勢には、その会社の哲学や価値観が如実に表れると感じます。

戦略としての組織文化

戦略としての組織文化

お話はいよいよ核心の「スタッフのモチベーション」に関する話題に。
須道さんから話があったのは、星野リゾート独自の組織文化や、社内での取り組みについて。フラットな組織文化のお話や日本流のもてなしを基軸としたお客さんとの関わり方の仕組み、キャリアパスに関して立候補を集う制度や、新たなサービスを生み出すための「魅力会議」についてなど、アイデアの種になりそうなお話が沢山ありました。

魅力会議の様子

そして全体に通ずるのはやはり、「人に対する信頼と配慮」。スタッフは当然ですが、一人ひとりにその人生があり、生き方があります。
星野リゾートの施策は、一人ひとりの良さやアイデアに目を向ける仕組みになっているからこそ、「自分も組織のためになりたい」というモチベーションを生み出すことが可能なのかもしれません。

地域というブランド

1室限定 ねぶた尽くしの客室「青森ねぶたの間

マネジメントに関する話題も挟みながら、最終的に話題に上がったのは地域について。
地域というテーマでは、青森屋で一室限定で「青森ねぶたの間」を用意するなど、その土地を深く味わうことができる、個性的で魅力的な取り組みがなされています。
須道さんの根幹にある、青森を広めたいというモチベーションと、人や地域を丁寧にめざし、その良さを引き出す星野リゾートのマネジメントの強みが双方向的に影響を与えながら、青森屋という素晴らしい宿泊施設が日々運営されているのだろうと感じました。

人を見つめ、組織を見つめ、地域を見つめる

今回の須道さんのお話を聴いて、一番強く感じたのは「見つめること」の大切さです。
星野リゾートは取り組みとして、人材に向き合い、地域に向き合っています。それは新卒採用のあり方から、魅力会議などの組織制度、さらにその地域固有の文化を取り入れたブランドづくりまで、一貫しているように思えます。
同時に須道さんというお人自体もまた、きっと日々の現場でスタッフさん一人ひとりの存在に目をかけ、耳を傾け、向き合う方なのだろうということも感じました。
システムとしても、マネジメントとしても、人や地域を「見つめる姿勢」を徹底していく。そのまっすぐな眼差しこそが、一つひとつの仕事の正確さや美しさに繋がり、結果として、「ホスピタリティ」という固有の価値の創造につながるはずです。
目に見えて皆感じるのに、いざ説明しようとするとわかりにくい「ホスピタリティ」や「おもてなし」という言葉。そんな捉えどころはないけれど、組織やサービスを生み出す上で大切な考え方をつかむきっかけとなる講座になったのではないでしょうか。
講座本編終了後のQ&Aでは、雇用の確保についてや魅力会議についてのより具体的な話など、話題が盛りだくさんでした。
旅やお宿が好きな人、ホスピタリティ溢れる場所づくりに憧れる人、人材育成や組織づくりに関心がある人など、多くの方におすすめです。

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「何もないのが、いい。 だけど面白くなる予感」 天竺鼠・川原克己さんが帰る場所。 鹿児島・大崎町の思い出とこれから

日本やグローバルで活動する方々に、地元や拠点のおすすめスポットを紹介してもらうこの企画。

今回登場いただくのは、お笑い芸人・天竺鼠の川原克己さん。ふるさとPR大使も務めている鹿児島県大崎町について、「何もないのがいい」と語る川原さんに、地元での思い出や自身のアート活動、お気に入りのスポットをご紹介していただきました。

ー故郷である鹿児島県大崎町は、川原さんにとってどんなところですか?

「なんもないところ。正直、頻繁に帰りたいと思うことはあまりないんです。最初にテレビに出たとき、ナスビをかぶってボケてたのを両親や祖父母が見て、おばあちゃんに『かわいそう、早く帰っておいで』って言われたときくらいかな、思い出深い帰省は。それ以降は基本、仕事で帰るのがほとんど。でも大崎町のYouTube撮影など、きっかけがあれば自然と足が向く。帰りたいというより、呼ばれて帰る感じですね。

帰るとやっぱりパワーをもらえるんですよね。地元って不思議で、離れてみて初めて土地の力に気づくというか。大阪や東京での生活が長くなったけど、大崎町に戻ると、生まれた場所だからこそ感じるエネルギーがある。だから僕にとっては、心の充電ができる、パワーの源みたいな存在です」

ー東京で暮らしていて、ふと地元を思い出す瞬間はありますか?

「お酒が好きなので、芋焼酎を飲んでいるときですね。千鳥の大悟さんに連れていってもらったおしゃれなバーで『鹿児島の芋で一番くせぇやつください』って頼んだことがあって(笑)。先輩には『川原、やめてくれ』って突っ込まれましたけど。あの瞬間に地元を思い出しました。鹿児島の焼酎ってクセが強いけど、それがまたいい。飲むたびに、大崎町や鹿児島の空気を思い出すんですよね」

ー笑いの感覚をにじませた独自の油絵に加え、場そのものを仕立てる発想力にも長けている川原さん。大崎町のYouTube「大崎町役場」では、自身のアート活動にフォーカスした動画を投稿していますが、きっかけはどこからでしょうか?

「最初は大崎町の方から『壁画を描いてほしい』と依頼があったのが始まり。アートの街じゃないのに、急に『川原君に頼もう』となったらしく。でもファンの方が大崎町へ訪れたときに何もないよりは、作品があったほうがフォトスポットとして楽しめるし、地元にもお金が落ちる。そういう発想が広がって、YouTubeで大崎町の取り組みや僕の制作を紹介するようになったんです。結果的に、帰るきっかけや地元とのつながりを持ち直す場にもなりました」

「大阪や東京で個展をすると、お客さんもアートを見ることに慣れているから、作品をどう受け取るかも洗練されてるんです。でも大崎町みたいな田舎だと、みんな“変な空間”に慣れていない。だからこそ、いい意味で違和感を持ってもらえる場所にしたいと思うんです。人間って普段使ってない脳みそがほとんどだって言うじゃないですか。その一部をちょっとでも突けたら、面白い子どもや変な大人が育っていくかもしれない。地元でつくるときは、そんな意識が強いですね。

ギャラリーは、僕が通っていた小学校のすぐそばにできるんです。昔は女性用の下着屋さんがあった場所で、建物を解体したあともブラをつけたマネキンが何体も残っていて。それも一部残してもらってるんですよ。子どもの頃に毎日通った道沿いに、自分の作品を見てもらえる空間ができるのはすごく特別。地元の子どもたちにとってもちょっとした刺激になればいいなと思っています」

今年、大崎町に川原さんのアートギャラリーが誕生する

ーこれから大崎町や鹿児島でやってみたいこと、地域と一緒に実現したいことはありますか?

「やっぱり“もっと変な街”にしていきたいんですよね。壁画だけじゃなくて、銅像でもなんでもいいから、町のあちこちに違和感のあるものを置いてみたい。普通に暮らしてると気づかないけど、ふとしたときに『あれ何だ?』って思わせる存在があると面白いと思うんです。そうやって少しずつ、地元の人や子どもたちの想像力を刺激できたらいいなと。町が前のめりで挑戦してくれているから、僕も一緒にもっと変えていけるんじゃないかなって感じています」

川原さんのアートでまちを盛り上げる!名スポット3選

①大崎町のギャラリー(年内完成予定)
②大崎町のガソリンスタンド
③大崎郵便局

動画はこちらから!

取材後に川原さんが食べていた鹿児島の銘菓とは⁉︎

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Katsumi Kawahara 
川原克己

お笑いコンビ『天竺鼠』のボケ担当。2018年から開催し始めた絵画の個展では、総動員数2万人を超える。物語17編を描いた絵本「ららら」や「ぬり絵本」なども出版。さらにMV 監督・演出家として「幽霊失格 /クリープハイプ」「 嗚呼、麗しき人生/ C&K」「ひとりぼっちの唄 / TAK-Z&GADORO」を手掛ける。

湯治文化を未来へ。千年の温泉街・ 俵山に「まちごと旅館」が誕生

千年続く温泉地に新たな息吹を

山口県長門市にある湯治場〈俵山温泉〉は、古くから「西の横綱」と称される名湯として知られてきた。その地で2025年10月10日、まち全体を一つの宿に見立てた新しい宿泊モデル「俵山まちごと旅館」が誕生した。

運営を担う株式会社俵山クリエイトは、旧町湯「川の湯」を受付棟として機能を集約し、宿泊者がまちを歩きながら湯に浸かり、地域と交わる“まちごと滞在”を提案。このプロジェクトは、地域・行政・民間企業・金融機関が連携し、温泉街の再生を進める官民協働の取り組み。地域法人と事業会社が役割を分担する二層構造によって、短期的な観光振興にとどまらない長期的な地域再生を見据えている。

湯治の暮らしを現代の旅へ

千年以上の歴史を持つ俵山温泉には、いまも2つの共同浴場「町の湯」と「白猿の湯」が残り、昔ながらの外湯文化が息づいている。宿泊者には滞在中(チェックイン〜翌日15時まで)に何度でも利用できる「入浴手形」が渡され、まち歩きと湯めぐりを通して土地の空気に自然と溶け込むことができる。単なる宿泊ではなく、まちの暮らしそのものを体験する仕組みは、観光と地域の日常のあいだに新たな接点を生み出している。

湯治を終えた人々が置いていったという松葉づえ。その数が、このまちで多くの人が元気を取り戻してきた証として、静かに語りかける。

湯治を終えた人々が置いていったという松葉づえ。その数が、このまちで多くの人が元気を取り戻してきた証として、静かに語りかける。

湯治宿の趣を残しながら、新たな受け入れ体制へ

宿泊対象施設は「保養旅館 京家」(8室)と「泉屋旅館」(1室)。いずれも伝統的な湯治宿の趣を残しつつ、マットレスの導入など快適性を高めるリニューアルを実施した。老舗旅館を残しながら宿泊受け入れ機能を横串で束ねるこのモデルは、個々の施設の負担を減らし、まち全体のブランド力を高める仕組みでもある。湯治文化を次の世代へと受け継ぎながら、観光と暮らしの新しい共生モデルを提示している。

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住所:山口県長門市俵山5153番地

アクセス:JR「長門湯本駅」からバスで約30分、「俵山温泉」下車

予約サイト:https://www.chillnn.com/198a114032dfc

Instagram:@tawarayama_machigoto_ryokan

栃木・大谷町に、アートと食の複合施設「大谷グランド・センター」が開業 YOSHIROTTENによる初の常設展示も

大谷に誕生するアートと食の拠点

2026年1月、栃木県宇都宮市大谷町に「大谷グランド・センター」が開業。昭和期に親しまれた複合施設「山本園大谷グランドセンター」をリノベーションしたこの施設では、アートと食が融合する新たな体験が用意されている。

アートプロデュースを手がけるのは「ArtSticker」を運営するThe Chain Museum。空間全体を「気づきのトリガー」として再生し、まちを再び活気ある場所として開くことを目指す。

旧「山本園大谷グランドセンター」外観

旧「山本園大谷グランドセンター」外観
大谷石の岩山に抱かれるように建つ歴史ある複合施設。2025年秋、アートと食の拠点として再生される。

YOSHIROTTEN、初の常設展示に挑む

本施設のアートスペースで常設展示を行うのは、欧米ラグジュアリーブランドともコラボレーションし注目を集めるアーティストYOSHIROTTEN。彼にとって初の常設展示となる本作では、大谷でのフィールドリサーチで収集した素材を音や映像に落とし込み、岩山と呼応するインスタレーションを展開する。季節や時間の移ろいによって表情が変化し、自然とアートが溶け合う空間を体感できる。

食とともにひらかれる土地の魅力

〈大谷グランド・センター〉にはレストランも併設。栃木出身で「LIFE」オーナーシェフの相場正一郎氏と、スイーツ界の名匠・江森宏之氏がタッグを組み、この土地ならではの一皿を提供する。

フランク・ロイド・ライトも愛した大谷石の産地で、アートと食が織りなす体験を通じて、大谷の自然や歴史に新たな光を当てる。

アートと食が交わる新しい施設

アートと食が交わる新しい施設
大谷グランド・センターには、栃木出身のシェフとパティシエによるレストランも併設。土地の魅力を五感で体験できる。

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大谷グランド・センター

所在地:栃木県宇都宮市大谷町1396-29

アクセス:JR「宇都宮」駅より車で約30分/関東バス「大谷観音前」下車すぐ

開業:2026年1月5日

施設内容:アートスペース、レストラン・カフェ、ショップ

公式サイト:https://oya-grand-center.com

銀座のワインバー〈パ・ロワン〉店長・高山南美さんがおすすめする、 静岡県の穴場スポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、銀座のワインバー〈パ・ロワン〉店長・高山南美さんが登場。
地元静岡県でお酒と美味しいご飯が楽しめる、穴場スポットを教えていただきました。

幼少期からの思い出の地〈用宗海岸〉

子どもの頃からこの海岸で育ちました。夏には毎日泳ぎに行き、夕日や朝日を見ながら散歩をして、夜には浜辺で焚き火を囲んだ思い出深い場所です。最近はビールを片手に海を散歩するのが好き。
用宗海岸から徒歩5分ほどの場所にある漁港直営〈どんぶりハウス〉さんの「生しらす丼」がおすすめです。

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用宗海岸

住所:静岡県静岡市駿河区用宗4-17

いつもおすすめしてしまう〈お燗と中華 華音〉

お燗と中華 華音

東京のお客様から聞かれるといつもおすすめするのが美味しい中華が楽しめる〈お燗と中華 華音〉。大好きな熱燗で飲む、日本酒のセレクトも素晴らしいお店です。

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お燗と中華 華音

住所:静岡県静岡市葵区梅屋町4-12

Instagram:@okan_to_chuka_hanaoto

ワイン愛を感じる〈caravin〉

母も好きで親子でお世話になっているお店です。ナチュラルワインのご縁で繋がった素敵なビストロ。東京での試飲会やイベントにも頻繁にいらしていて、ワイン愛をいつも感じます。

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caravin

住所:静岡県静岡市葵区鷹匠2-25-17

Instagram:@bistrocaravin

動画はこちらから!

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Minami Takayama 
高山南美

2022年9月10日オープンした〈pas loin(パ・ロワン)〉の店長。新富町の〈bistro simba〉が手がけるスタンディングスタイルのワインバーで、店名はフランス語で「遠くない」の意味。

広島の温泉宿〈江田島荘〉が世界に 羽ばたく。「ミシュランガイド ホテルセレクション2025」に選出

世界的ガイドで評価された、島の小さな温泉宿

広島県江田島市にある温泉宿〈江田島荘〉が、2025年10月8日(フランス・パリ時間)に発表された「ミシュランガイド ホテルセレクション2025」に選出された。宿泊体験の質を国際的に評価する同ガイドでは、「旅の目的になる宿」であること、優れた建築・デザイン、快適なサービスなど、厳選された5つの基準を満たす宿のみが掲載される。

同館は2024年、「World Luxury Hotel Awards 2024」で国内唯一の最高位も受賞しており、今回の選出は、その実力がさらに国際的に認められた証といえる。

新料理長を迎え、食の魅力もさらに進化

〈江田島荘〉では今春、新料理長として倉地 大を迎えた。倉地はイタリアの星付きレストランで研鑽を積み、国内の一流ホテルやレストランで料理長を歴任。地元食材を活かした四季折々のコース料理で、滞在体験をさらに豊かにしている。

全室オーシャンビューの客室と、源泉かけ流しの天然温泉、そして瀬戸内の恵みを映す料理。島の自然と調和した空間が、訪れる人を包み込むように迎える。

地域とともに歩む、温泉宿の未来

2021年の開業以来、江田島荘は小さな温泉宿として成長を続けてきた。2025年には、広島県勢として初めて「日本秘湯を守る会」に加盟。温泉文化の継承や観光による地域の活性化にも積極的に取り組んでいる。

国際的評価を追い風に、島の湯宿は次のステージへと歩みを進めている。

「訪れる人にとって“もう一つの我が家”となる宿を目指している」と阿部直樹総支配人。

「訪れる人にとって“もう一つの我が家”となる宿を目指している」と阿部直樹総支配人。

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江田島荘

住所:広島県江田島市能美町中町4718

受賞:「ミシュランガイド ホテルセレクション2025」選出

開業:2021年7月

公式サイト:https://etajimasou.jp

Instagram:@etajimasou

パリの大学院生・ルイスが、 インフルエンサー・ジェセと巡る、 長崎・壱岐島の1泊2日旅【Day1】

夏休みに日本へやってきたパリの大学院生ルイスさん。今回は、InstagramやTikTokで活躍するジェセさんを旅の相棒に、1泊2日で長崎の離島、壱岐島へ!

Day1
10:00 博多港
11:30 壱岐芦辺港着
12:00 小島神社
14:00 鬼凧工房平尾(鬼凧色付け体験)
15:00 龍蛇神社
16:00 平山旅館

9月の残暑のなか、羽田空港で待ち合わせをしていたのは、パリの大学院に通いながらSNSで現地の暮らしを発信するルイスさんと、TikTokやInstagramで活躍するジェセさん。博多空港に向かうとのことですが、単なる福岡旅行ではないようで……。

11:30 博多港から壱岐芦辺港へ

福岡・博多空港に到着したルイスさんとジェセさん。空港から地下鉄で約10分の場所にある博多港へ向かいます。

今回の旅先は、長崎県の離島・壱岐島。九州本土と対馬の中間に位置し、古くから神話が伝わる島として知られています。島内には神社や遺跡・古墳をはじめ、元寇にまつわる史跡、城跡や砲台跡など、多くの歴史的スポットが点在。時代ごとに重要な拠点として発展してきた島です。

博多港から高速船でわずか1時間。辿り着いたのは、壱岐島の玄関口「芦辺港」。港を抜けると、漁船が行き交うのどかな港町が2人を歓迎してくれました。

左から、ジェセさん、ルイスさん。雨予報を覆して、晴天の中「壱岐芦辺港」に到着。

左から、ジェセさん、ルイスさん。雨予報を覆して、晴天の中「壱岐芦辺港」に到着。

12:00 神秘的な“海に浮かぶ神社”

古来より多くの神社が残る壱岐島。その数は小さな祠も合わせて約1000ともいわれています。

そんな島の中で最初に訪れたのは、壱岐の神秘を象徴する「小島神社」。満潮時にはまるで海に浮かぶように見え、干潮になると参道が姿を現す不思議な神社です。その姿から「壱岐のモン・サン・ミシェル」とも呼ばれています。

潮の満ち引きが鍵を握るため、訪れる前には干潮時間のチェックをお忘れなく。

タイミングに恵まれて、海の上に現れる一本道を歩いて参拝。

タイミングに恵まれて、海の上に現れる一本道を歩いて参拝。

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小島神社

住所:長崎県壱岐市芦辺町諸吉二亦触1969

TEL:0920-45-1263

14:00 〈鬼凧工房 平尾〉 で島の伝統工芸を体験

壱岐の伝統工芸品「鬼凧(おんだこ)」の絵付け体験ができると聞きつけ、「鬼凧工房 平尾」へ。

「鬼凧」は、子どもの健やかな成長や無病息災を願う“魔よけの縁起物”として、島の家庭の玄関や屋外に掲げられる、壱岐を象徴する凧です。

工房では、長年技を受け継いできた職人の指導のもと、鬼凧の絵付けを体験。配色に決まりはなく、思い思いの色で自由に仕上げることができます。

ルイスさんは大胆な緑を使って力強い表情を、ジェセさんはお手本に忠実に。2人は黙々と筆を動かしていました。

完成した鬼凧は、世界にひとつだけの特別な作品。「パリに帰ったら家に飾ります」とルイスさん。壱岐の伝統と人の温もりが息づく、旅の忘れられないおみやげになりました。

赤・黄・緑・橙の食紅を使って鬼の顔を描く。

赤・黄・緑・橙の食紅を使って鬼の顔を描く。

色を塗る前の「鬼凧」。

色を塗る前の「鬼凧」。

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鬼凧工房 平尾

住所:長崎県壱岐市芦辺町箱崎本村触536

TEL:0920-45-0718

HP:https://ondako.jp/

Instagram:@ondako_kobo

15:00 「龍蛇神社」で“龍の伝説”をたどる

次に向かったのは、龍神が祀られる「龍蛇神社」。海を見下ろす絶景に立つ神社で、出雲神社より「龍蛇神」を迎えて祀られたと伝わる、壱岐のパワースポットです。

神社の眼下に広がる龍蛇浜には、まるで龍の鱗のような薄い石が幾重にも重なり、神秘的。近くの壱岐神社では、龍蛇神社の御朱印もいただくことができ、旅の記念に訪れる人も多いのだとか。

壱岐の海を一望しながら参拝ができる。

壱岐の海を一望しながら参拝ができる。

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龍蛇神社

住所:長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦

16:00 平山旅館。島の味と温泉で癒されて

今回のお宿は、湯本エリアの老舗「平山旅館」。到着すると、女将の平山真希子さんが「ぜひ見せたい場所があります」と案内してくれたのは、畑と平飼い養鶏場。ここでは、ウニの殻、腐葉土、温泉の鉄分、海藻などを堆肥にして完全無農薬で野菜を育てています。

平山旅館の畑で野菜を育てる大久保律子さん、通称「りっちゃん」に大きなオクラをもらう2人。

平山旅館の畑で野菜を育てる大久保律子さん、通称「りっちゃん」に大きなオクラをもらう2人。

「平山旅館の特徴は、なんといっても壱岐の食材をふんだんに楽しめる『島産島消』スタイルの会席料理です。畑や養鶏場で収穫した野菜や卵、壱岐の旬の魚や地元産食材をお出ししています」と真希子さん。

お品書きを見ると、それはそれは長いこと。次々と運ばれてくる料理を見てあまりの量の多さに「食べきれるかな…?」と心配する2人。でも安心を。平山旅館では、食べ残しはすべて養鶏場の鶏に食べさせることで、残り物ゼロを実現。食べる人も鶏も、島の自然の恵みを無駄なく味わえる、サステナブルな会席なのです。

平山旅館で楽しめるのは、島の食材を生かした料理だけではありません。実は、1700年以上の歴史を誇る、湯本温泉の発祥地に建つ温泉宿でもあるんです。「日本書紀」に登場する神功皇后が三韓出兵の折にこの湯を発見し、我が子・応神天皇に産湯として使わせたという伝説も。歴史と神話が息づく特別な温泉です。

また選りすぐりの温泉宿だけが会員になれる「日本秘湯を守る会」にも登録されており、その質の高さは折り紙つき。大浴場には露天風呂があり、温泉の蒸気を使った蒸し風呂や水風呂も完備。さらに宿泊者は、2つの貸切露天風呂を無料で利用することができ、贅沢なひとときを満喫できます。

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奥壱岐の千年湯 平山旅館

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触77番地

TEL:0920-43-0016

2日目を読む

パリの大学院生・ルイスが、 インフルエンサー・ジェセと巡る、 長崎・壱岐島の1泊2日旅【Day2】

夏休みに日本へやってきたパリの大学院生ルイスさん。今回は、InstagramやTikTokで活躍するジェセさんを旅の相棒に、1泊2日で長崎の離島、壱岐島へ!

Day2
09:00 平山旅館
10:00 辰ノ島
13:00 双六古墳
14:00 壱岐市立一支国博物館
15:00 原の辻遺跡

9:00 平山旅館で迎える、心が満たされる朝

朝は、和の朝食でスタート。まず目を引くのは、色鮮やかに盛り付けられたサラダ。自家農園で朝摘みされた旬の野菜は、甘みが強く、朝からたっぷりいただけます。ボリューム満点の朝食には、壱州豆腐や壱岐納豆、干物、など島の恵みがふんだんに使われています。昨夜の会食同様、量が多めなのは「お腹いっぱい食べてほしい」という女将・真希子さんの優しさから。

実は前日のディナー中に、「残ったお刺身は、朝食で漬け丼にできますよ」とそっと教えてもらっていた2人。朝からこんな贅沢なひとときを楽しめるなんて、と楽しんでいました。

朝からこのボリューム!平山旅館の心づくしのサービスに元気が湧きます。朝採り卵と特製の燻製醤油で、卵かけご飯に。

朝からこのボリューム!平山旅館の心づくしのサービスに元気が湧きます。朝採り卵と特製の燻製醤油で、卵かけご飯に。

壱岐名物「壱州豆腐」。大豆の使用量が多く、濃厚で自然な甘みが特徴。平山旅館自家製の甘い「壱岐ゆべし」と一緒にどうぞ。

壱岐名物「壱州豆腐」。大豆の使用量が多く、濃厚で自然な甘みが特徴。平山旅館自家製の甘い「壱岐ゆべし」と一緒にどうぞ。

前夜の刺身が漬け丼に変身。女将の心遣いがうれしい、島ならではの朝のごちそう。

前夜の刺身が漬け丼に変身。女将の心遣いがうれしい、島ならではの朝のごちそう。

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奥壱岐の千年湯 平山旅館

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触77番地

TEL:0920-43-0016

10:00 エメラルドグリーンの海に出合える「辰ノ島」

朝食を終えた2人が向かったのは、勝本港から船で約10分の無人島「辰ノ島」。国定公園にも指定される自然豊かな島で、上陸すると目の前に広がるのは、宝石のように透き通ったエメラルドグリーンの海。
北へ進むと、高さ約60mの断崖絶壁「蛇ケ谷」や、神秘的な洞窟「羽奈毛崎」「鬼の足跡」など、探検気分を味わえるスポットも。


13:00 双六古墳 ― 古代ロマンを感じる時間

実は、長崎県全体の約6割にあたる280基以上の古墳が点在している壱岐島。中でも前方後円墳として島内最大級の「双六古墳」へ。

標高100mほどの丘陵に築かれた巨大古墳は、全長91m、後円部の直径43m、高さ10m。石室からは当時の副葬品も発見されており、古代から大陸との交流があったことを物語っています。

国の重要文化財・考古資料に指定されている「双六古墳」。

国の重要文化財・考古資料に指定されている「双六古墳」。

14:00 〈一支国博物館 〉で島の歴史をひもとく

続いて2人が訪れたのは、壱岐の歴史を深く知ることができる「壱岐市立一支国(いきこく)博物館」です。壱岐は弥生時代、「一支国」と呼ばれ、中国の歴史書『魏志倭人伝』にも登場する重要な地。長崎県内で確認された遺跡のうち、約13%が壱岐から発見されているといいます。

館内では、古代の交易や生活、神話や祭りなど、島の文化を多角的に紹介。「なりきりコーナー」では、弥生時代の衣装を体験でき、ルイスさんとジェセさんも実際に着用。2人ともすっかりなりきって楽しんでいました。

古代の衣装を身にまとい、すっかり弥生人になりきる2人。

古代の衣装を身にまとい、すっかり弥生人になりきる2人。

15:00 弥生の息吹を感じる「原の辻遺跡」

旅の最後に訪れたのは、「原の辻遺跡(はるのつじいせき)」。ここは弥生時代の国「一支国」の王都とされ、国の特別史跡にも指定される重要な遺跡です。

広大な敷地に高床式の建物が復元され、まるで2,000年前の時代へタイムスリップしたような気分に。

「原の辻遺跡」は、古代の人々の生活や文化を肌で感じられる貴重なスポット。ルイスさんとジェセさんにとっても、壱岐の歴史を体感する旅の締めくくりにふさわしい場所となりました。

弥生時代〜古墳時代の初めにかけて形成された多重環濠集落。約1km四方に広がっている。

弥生時代〜古墳時代の初めにかけて形成された多重環濠集落。約1km四方に広がっている。

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原の辻遺跡

住所:長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触1092−1

TEL:0920-45-2065

こんちゃらごあす・おやっとさー・ きばいやんせ!吉本芸人・ありんくりんが挑戦する、九州の方言

SNSでの総再生約200万回!(2025年10月時点)コロカルの人気動画企画、ありんくりんの方言講座。
今回は九州の方言早口言葉、イントネーション講座、方言クイズにチャレンジしました!

宮崎の方言早口言葉

ちょっとちょっかいだしちょらんでちゃっちゃとちゃんとしちょかんね!
(そんな余計なことしてないですぐしなさい)


鹿児島のイントネーション講座

・こんちゃらごあす(こんにちは)
・あったらしか(もったいない)
・おやっとさー(お疲れ様)
・うんにゃ(いいえ)
・きばいやんせ(頑張って)


鹿児島の方言クイズ

・かごむ(しゃがむ)
・てそい(めんどくさい)
・もじょか(かわいい)
・こけけけ(ここに来い)
・とぜんね(寂しい)

profile

ありんくりん

沖縄県出身、2014年に、ひがりゅうたとクリスで結成。コンビ名は方言で「あれもこれも」。『お笑いバイアスロン2018』(琉球朝日放送)優勝。『新春!Oh笑い O-1グランプリ』(沖縄テレビ)2019年、2020年、2022年優勝。現在冠ラジオ『ありんくりんのヨーガクナイト』(RBC琉球放送)、「友近ありんくりんのい~あんべぇ」(沖縄テレビ)に出演中。

Instagram

ひがりゅうた:https://www.instagram.com/arinkrin.higa710/?hl=ja

クリス:https://www.instagram.com/chris_arinkrin/

YouTube:https://www.youtube.com/channel/UC-JBOEI9NRCis8p_han0xww

方言の読み聞かせも!沖縄 「バンタカフェ by 星野リゾート」 で海を眺めながら楽しむ、 秋の読書会

沖縄の自然と文化が出合う読書空間

「読者より著者が多い」と言われるほど出版活動が盛んな土地、沖縄。読谷村の「バンタカフェ by 星野リゾート」では、2025年9月20日(土)〜11月9日(日)の期間、読書の秋を楽しむイベント「よんなー BOOKdays」を開催する。浜辺へと続く広大な敷地を舞台に、海風を感じながら本と向き合う時間を提案する企画だ。

イベント期間中は、県内の作家や民話、レシピ本など、沖縄の文化が息づく書籍を中心にラインナップ。カフェ内の様々なエリアに設置された本箱から自由に本を手に取り、海を見渡すテラス、木陰、砂浜など、お気に入りの場所でゆったりと読書を楽しむことができる。

週末には古本市や方言の読み聞かせも

週末には、県内の古書店や棚主型書店によるブックフェアを開催。地元でしか出会えない本や、独自の棚づくりを楽しむことができる。また、沖縄の方言「しまくとぅば」での読み聞かせ会も予定されており、失われつつある言葉の文化に触れる機会にもなる。

さらに、カフェメニューには本に見立てたオリジナルスイーツ「ブックレープ」が登場。クレープの生地を“ページ”に見立て、具材を重ねたユニークなスイーツで、読書と甘い時間を楽しめる。

自然と本を通して、土地を味わう

バンタカフェは、崖地と海辺をつなぐランドスケープが特徴的な場所。海風や波の音を感じながら本を読むという体験は、自然と文化をつなぐ時間そのものだ。イベントを通じて、訪れる人が沖縄の風土や言葉、暮らしの奥深さに触れるきっかけとなるだろう。

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よんなー BOOKdays

期間:2025年9月20日(土)〜11月9日(日)

場所:バンタカフェ by 星野リゾート(沖縄県中頭郡読谷村儀間560)

アクセス:那覇空港から車で約60分、またはリムジンバスで約90分

ビール醸造家、川村洋平さん推薦! 香川県でふっと心がゆるむ スポット3選

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、Hobo Brewingのビール醸造家、川村洋平さんが登場。
クラフトビール工場の立ち上げのお仕事で2年ほど住んでいた、香川県にあるふっと心がゆるむスポットを教えていただきました。

島の穏やかさを感じられる〈Teshima Factory〉

家浦港から徒歩すぐの場所にできた複合施設の〈Teshima Factory〉。ここに併設されているブルワリーの立ち上げに携わらせていただきました。素晴らしいロケーションなので、ビールを飲んで島のゆったりとした時の流れを感じながら過ごせると思います。

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Teshima Factory

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦889

Instagram:@teshimafactory

気持ちのいい空間〈本屋ルヌガンガ〉

〈本屋ルヌガンガ〉は高松に住んでいた時によく立ち寄っていたインディペンデントな本屋さん。本のセレクトはもちろん、朝10時からやっていて、コーヒーも飲める、とても気持ちのいい空間です。

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本屋ルヌガンガ

住所:香川県高松市亀井町11-13

Instagram:@lunuganga_books

元気になれるおばんざいやさん〈番や〉

よく行っていたおばんざいやさん〈番や〉。地元ならではのメニューや、瀬戸内の魚種の豊かさを感じさせてくれる刺身など、ここにしかない一品料理を提供しています。主に日本酒や焼酎を飲んでいました。なによりうれしいのは、締めのちらし寿司と口直しのフルーツが振る舞われること。

気持ちのいい先輩(お母さまたち)につくってもらえるご飯とお酒は、それだけで素晴らしく、いつも元気になって帰れる場所です。

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番や

住所:香川県高松市内町6-18

動画はこちらから!

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Yohei Kawamura 
川村洋平

2015年 Hobo Brewingとしてファントムブルワーの活動を開始。2019年 札幌とポートランドの姉
妹都市提携60周年記念ビール「SAPPORTLANDERʼS」を醸造。
2020年 合同会社Hobo Brewing Co. を設立した。