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連載

東京都・小笠原諸島―
境界が溶ける島、今を生きる旅

日本が誇る、美しく勇壮な世界自然遺産を巡る旅
vol.005

posted:2026.1.14   from:東京都小笠原諸島  genre:旅行

PR 公益財団法人 東京観光財団

〈 この連載・企画は… 〉  写真家・山内悠の視点で切り撮る、世界自然遺産で出会う「没入できる自然」の旅。
旅をして、その時間、その場所に立つことで深く紡がれていくストーリー、自然の絶景がもたらす新たな視点。
世界自然遺産の光景とともに、訪れた人がその地に没入し体験した物語をたどります。

山内 悠

profile

Yu Yamauchi

山内 悠

やまうちゆう●1977年兵庫県生まれ。自然の中に⻑期間滞在し、自然と人間の関係性から世界の根源的なありようを探求している。14歳の時に独学で写真をはじめ、スタジオアシスタントを経て制作活動を本格化。富士山七合目にある山小屋に600日間滞在し雲上の来光の世界を撮り続け、雲の上の暮らしと体験から制作した作品『夜明け』(赤々舎) を 2010 年に発表。2014 年にはその滞在していた山小屋の主人に焦点をあて、山での日々から人間が包含する内と外の対話を著した書籍『雲の上に住む人』(静山社) を刊行。2020年には、5年をかけてモンゴル全土を巡り各地で形成される時間や空間から多元的な世界構造などを探求した作品『惑星』(⻘幻舎) を発表した。そして 2023年春、屋久島に9年通い単身で森の中で1 ヶ月近く過ごしながら自然との距離感を探り続けた作品「自然 JINEN」(青幻舎)を発表する。 ⻑野県を拠点に国内外で展覧会を開催し続けている。

変容への航海

薄曇りの肌寒い秋の朝、東京竹芝桟橋から乗船した小笠原諸島父島行きの「おがさわら丸」は人で賑わっていた。
これまで乗ってきたフェリーとは、どこか雰囲気が違う。
それもそのはずだ。この船は東京・竹芝を出港し24時間かけて父島へ行き、3泊4日停泊した後、24時間かけて東京・竹芝へ戻る。つまりは全ての人が往復するには最低5泊6日かかるのだ。しかも小笠原諸島へは他に交通手段はなく、この船でしか行けない。
出航すると、大都会のビル群から船は離れ、レインボーブリッジをくぐり、東京湾を南下する。
両サイドに房総半島と三浦半島が見えていたが、次第に太平洋の大海原へ抜けると、船は大きな揺れを伴いながら進んでいく。
夜が深まるにつれ、陸の灯が遠のき、空と海が同じ色になる。
大きな揺れの中で携帯の電波も完全に途切れ、24時間の航海は色々なものから揺さぶられ切り離されていくような時間だった。
これは移動ではなく、まさに「変容」。きっとこれから降り立つ別世界に適応する為の儀式であるのだ。
翌朝、目を覚ますとちょうど夜明け前。甲板に出ると360度海の中、朝日が昇り虹が出た。カツオドリが船を先導するように現れ、父島列島が見えてきた。
東京都心から1000㎞離れた太平洋上に点在する島々。それはまるで時の流れの外にある存在のようだった。

レインボーブリッジを越え、東京湾を南下する。

レインボーブリッジを越え、東京湾を南下する。

海ほたるの横を通過。

海ほたるの横を通過。

朝日が昇った後の虹。

朝日が昇った後の虹。

カツオドリが父島列島へ先導してくれる。

カツオドリが父島列島へ先導してくれる。

父島に着岸したおがさわら丸。

父島に着岸したおがさわら丸。

島の呼吸

桟橋に降り立った瞬間、塩と草木の匂いが混じり合い、生ぬるい湿度が肌にまとわりつく。太陽は既に高く、日差しは強く暑い。
父島の港・二見湾は、切り立つ崖と深い入り江の地形が船を包み込んでいる。
この島は「おがさわら丸」で運ばれてくる物資が命綱だ。米も野菜も、手紙も、すべてがこの船と共にやってくる。入港日はスーパーや商店、食堂が人で溢れるが、出港している間は閉店し街は閑散としていた。
島の人には「幾つの航海で来ているの?」とよく聞かれた。1航海が5泊6日、島には3泊4日であり、僕は2航海の予定で訪れた。
ところが島に着いた瞬間に台風が発生し、おがさわら丸は早々に東京・竹芝へ帰って行った。母島行きの船も連日欠航。島のリズム全てが天気と海=航海状況に委ねられている。いわばそれが島の呼吸そのものなのだ。僕も予約していた海のツアーは全て中止になり、予定が白紙になったが、日々、その日の島の呼吸に全てを任せて過ごすことにした。結果的に旅は順調で海や山へ深く入ることもでき、途中には父島から2時間船に乗って母島へも渡ることができた。

父島・大神山公園から望む二見港。おがさわら丸とははじま丸。

父島・大神山公園から望む二見港。おがさわら丸とははじま丸。

タコノキ。小笠原諸島の固有種。海岸から山の中まで生息している。

タコノキ。小笠原諸島の固有種。海岸から山の中まで生息している。

父島・長崎展望台。父島にはたくさん展望台があり、どれも絶景が望める。

父島・長崎展望台。父島にはたくさん展望台があり、どれも絶景が望める。

父島・製氷海岸でシュノーケリング。枝サンゴとミズクラゲ

父島・製氷海岸でシュノーケリング。枝サンゴとミズクラゲ

母島・北港でシュノーケリング。

母島・北港でシュノーケリング。

母島・乳房山より沖港を望む。

母島・乳房山より沖港を望む。

父島・ウェザーステーション展望台より夕暮れを望む。

父島・ウェザーステーション展望台より夕暮れを望む。

母島・鮫ヶ崎展望台より

母島・鮫ヶ崎展望台より

現在進行形の進化

父島も母島も島を巡ればビーチや登山道がありシュノーケリングや登山ができる。しかし世界遺産エリアの立ち入り禁止区域の中では、認定ガイドの同行が義務付けられているルート(森林生態系保護地域・南島・石門)がある。台風の影響で海のツアーが無くなったので山のツアーへ参加した。
小笠原諸島が世界自然遺産に登録されたのは2011年。登録の決め手は大陸から一度も陸続きになったことのない海洋島という地質的特性から「独自の進化を遂げた生態系」が評価され、中でもカタツムリをはじめとする固有種の多さがあった。約4800万年前、火山活動によって太平洋の海底から隆起して生まれた小笠原諸島。その後も大陸と隔絶されたまま、独自の生態系を育んできた。風や波で辿り着きこの隔離環境の中で育まれた生命は、大陸とは異なる道を歩み、やがて進化の縮図と呼ばれるほど多様な固有種を生み出した。生息する植物では約36%、陸産貝類(カタツムリ)では約94%、昆虫では約28%が固有種である。さらに鳥類にも独自の進化を遂げた種が多くカラスやスズメなどは棲んでいない。登山道の脇には見慣れない木々が生い茂る。タコノキ、ムニンヒメツバキ、ノヤシ、マルハチ。世界のどこにもいない固有の植物たち。母島では小さく透明なカタツムリ、オガサワラオカモノアラガイに出会った。天敵がいなく湿度の高い雲霧林に生育するため乾燥に耐える必要がなくなり、進化の中で殻が退化したこの小さな命もまた、太古から続く系譜の末裔だ。母島で案内してくれたガイドの宮川五葉さんは福岡出身。沖縄での生物研究を経て東京都レンジャーとして母島へ移住し、今はガイドとして活動している。「ここは4800万年前から生まれた独自の生態バランスで、天敵のいない進化が続いてきた。しかし200年前に人間がやってきて外来種が増え、固有種が脅かされている。それを守るための試みや研究をレンジャー時代に行ってきた。今も進化は変化の途中であり、それを訪れた人に伝え知ってもらいたい」と話していた。そう、ここのもう一つの特徴は、今も変化の途上にあることだ。人類がもたらした外来種の影響による生態系の変化、そして保全活動の試み。さらには西之島では2013年より海底火山が噴火し島が拡大し続けている。そこでは今まさに新たに生まれつつある大地の形成と生態系の始まりを見ることができる。小笠原諸島は過去から未来へ向けて、現在進行形の進化を映し出す島々なのである。

エコツアーガイド「irie isle(アイリーアイル)」の宮川五葉さん

エコツアーガイド「irie isle(アイリーアイル)」の宮川五葉さん

父島・東平サンクチュアリの湿性高木林。マルハチやオガサワラビロウなど固有種が生い茂る。

父島・東平サンクチュアリの湿性高木林。マルハチやオガサワラビロウなど固有種が生い茂る。

小笠原諸島固有種のオガサワラオカモノアラガイ。天然記念物であり絶滅危惧II類。殻が退化した。父島では絶滅したと言われている。

小笠原諸島固有種のオガサワラオカモノアラガイ。天然記念物であり絶滅危惧II類。殻が退化した。父島では絶滅したと言われている。

小笠原諸島固有種のムニンシラガゴケ

小笠原諸島固有種のムニンシラガゴケ

小笠原諸島固有種のノヤシ

小笠原諸島固有種のノヤシ

ボニンブルーに溶け入る

台風も落ち着き、海に出られる日がついにやってきた。待ちに待ったイルカに会えるツアーに参加する。小型のボートに乗り込み海に出るとボニンブルーといわれる独特の青さに埋もれる。火山の隆起と石灰岩で形成されている島の地質を間近に見ながらイルカを探す旅が始まる。世界には約90種のイルカ・クジラがいるが、小笠原では24種がこれまでに記録されており、イルカに関しては父島と母島の周辺海域には、ミナミハンドウイルカとハシナガイルカが主に確認されている。船を走らせる道中、無人島の南島へ上陸し、兄島では海に潜り珊瑚に触れ、道中アオウミガメにも出会った。そして遂に船首の左側に背びれがいくつか見えた。舵を切り近付くとハシナガイルカとミナミハンドウイルカだ。マスクをつけてガイドの指示に従い海へ飛び込んだ。透き通った海の中で、イルカたちが光を受けて踊るように泳いでいる。1頭が群れから外れこちらに向かってきて、すぐ目の前で旋回した。こちらを観てキューキューと声が海の中で聞こえる。その目は澄んでいて、どこか人間の目に似ていた。息を合わせ、同じリズムで泳ぐと境界が消えるように感じた。この青い海に自分の身体が溶けていくような瞬間だった。
ガイドの海那さんはイルカと呼吸を合わせて泳いでいた。「ずっとドルフィントレーナーを目指して勉強してきたけど、小笠原で野生のイルカに会った時に涙が出た。卒業後、迷いなく移住しこの仕事に就いた。ずっと居たい、そしてツアーで出会った人がまた戻ってきてほしい」。船長の航星さんも語る。「学生時代にダイビングで初めてここに来たけど、海の青さに惹かれた。自分が感動したことを届けたいと強く思って移住した。その頃は知る人ぞ知る場所だった。世界遺産になって知名度は上がり訪れる人は増えたけど、海の環境はそんなに変わらない。交通が難しい場所だからこそ限られた人しか来ないし、だからこの環境がある。このまま変わらないでほしい」

エコツアーガイド「竹ネイチャーアカデミー」の航星さん。

エコツアーガイド「竹ネイチャーアカデミー」の航星さん。

石灰岩のカルスト地形。

石灰岩のカルスト地形。

島ができる際に海底火山の噴火で生じた枕状溶岩。

島ができる際に海底火山の噴火で生じた枕状溶岩。

無人島の南島、鮫池。

無人島の南島、鮫池。

南島には1000年前に絶滅したカタツムリ「ヒロベソカタマイマイ」「アナカタマイマイ」「チチジマカタマイマイ」の半化石がたくさん転がっている。この場所がかつて湿地だったという事を示す。

南島には1000年前に絶滅したカタツムリ「ヒロベソカタマイマイ」「アナカタマイマイ」「チチジマカタマイマイ」の半化石がたくさん転がっている。この場所がかつて湿地だったという事を示す。

南島扇池。「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形。かつてはドーム天井がある洞窟状の島だったという。

南島扇池。「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形。かつてはドーム天井がある洞窟状の島だったという。

兄島・キャベツビーチでシュノーケリング。

兄島・キャベツビーチでシュノーケリング。

ハシナガイルカの群れ

ハシナガイルカの群れ

泳ぐミナミハンドウイルカ。

泳ぐミナミハンドウイルカ。

臆病ではなく人懐っこい陽気な性格。人間の5、6歳くらいの知能があると言われている。

臆病ではなく人懐っこい陽気な性格。人間の5、6歳くらいの知能があると言われている。

イルカ

イルカ

イルカ

イルカ

イルカ

夜の未知なる領域

日が沈む頃になると、薄明かりの空にオオコウモリが飛び交い、闇が落ちると島は別の顔を見せる。ある夜、僕はグリーンペペと呼ばれる光るキノコがあると聞いて探しに出かけた。森の中をウロウロしていると、突然一人の男が現れた。トミーG(富田浩生)さんというガイドさん。「キノコは今の条件では出てないよ。代わりにもっとすごいものを見せてあげる!」と案内され、彼は土を掘り出しそこにブラックライトを当てた。すると蛍光色に光るものが浮かび上がった。「タカクワカグヤヤスデという名前だけど、昨年僕が見つけたんだ。小笠原では初めての発見で、DNA鑑定すると沖縄より香港の種に近いとの事。まだ色々とわからない事が多くて、今後研究が進むと、どこの種がどんな経路で島に入って来たのか?はたまた固有種か?等詳しい事はこれからわかって来るので楽しみですね!もし固有亜種等になればとトミーGヤスデと呼ばれる可能性も!」。と笑っていた。トミーGさんは30年前に父島に来たという。「サーフィンをしている友達がここに来ていて遊びに来た。先輩がイルカと泳ぐツアーなど今の小笠原の遊びのベースとなるツアーガイドを立ち上げたのでそこでガイドを始め、独立した。ツアーに参加した観光客が明らかに変化するのを観て、ここの自然はすごいと思った。30年が経ち、住む人も来る人もこの場所を感じるより考える事が多くなったと思う。いま観たヤスデのように此処には未知な世界が溢れている。ここを訪れる人にはもっと全てを感覚で捉えてほしい」と語る。その後、オガサワラオオコウモリが群れでいる場所へ案内してもらったが、その数とエネルギーには驚いた。島唯一の哺乳類だが、かつては絶滅したと考えられ観られる生き物ではなかった。現在は生息数が増加し、夕暮れになると飛んでいるのを観ることが出来る。昼の喧騒が消え、夜の生命たちの時間が流れる。人が眠りにつく時、僕たちには知り得ない島の鼓動が始まっていた。

日が沈む頃、活動を始める小笠原固有種のオガサワラオオコウモリ。小笠原諸島固有種であり唯一の哺乳類。天然記念物。絶滅危惧IB類 (EN)。

日が沈む頃、活動を始める小笠原固有種のオガサワラオオコウモリ。小笠原諸島固有種であり唯一の哺乳類。天然記念物。絶滅危惧IB類 (EN)。

タカクワカグヤヤスデ。ブラックライトを当てて観察しているのは、ダメージを与えないため。刺激を与えると自然発光します。

タカクワカグヤヤスデ。ブラックライトを当てて観察しているのは、ダメージを与えないため。刺激を与えると自然発光します。

刺激を与えると自然発光と一瞬蓄光する個体もありますが、沖縄の物よりも光が強いのではないか?ともいわれている。小笠原での発見は初であり、情報公開も今回が初になる。

刺激を与えると自然発光と一瞬蓄光する個体もありますが、沖縄の物よりも光が強いのではないか?ともいわれている。小笠原での発見は初であり、情報公開も今回が初になる。

オガサワラオオコウモリ。赤いライト以外で照らしてはいけない決まりがある。

オガサワラオオコウモリ。赤いライト以外で照らしてはいけない決まりがある。

オガサワラオオコウモリ

エコツアーガイド「Tommy G World」のトミーG(富田浩生)さん

エコツアーガイド「Tommy G World」のトミーG(富田浩生)さん

誰のものでもなかった島

山でも海でも島を巡っていると、どこかで必ず「戦争の跡」に出会う。いたる所にある防空壕、沈んだ戦艦。草に覆われたトーチカ、錆びついた大砲など。熱帯植物の根に抱かれ、静かに時を止めている遺構がこの島の歴史を語り続けている。けれども、ここの歴史は戦争だけではない。小笠原諸島はそもそも”誰のものでもなかった島”だった。
人と島の歴史の始まりは石器が発見されている事から太古より存在していた。1593年に小笠原貞頼が八丈島南東で無人島を発見して品々を持ち帰り、徳川家康より「小笠原島」の名を賜ったと伝えられているが記録は残っていない。記録としては1675年には政府による最初の探検調査として嶋谷市左衛門率いる32名が上陸して地図を制作している。そして1830年、欧米人とハワイ系の人々23人がこの無人島に上陸し定住を始めた。彼らは畑を耕し、魚を獲り、寄港する捕鯨船に食料や水を提供して暮らした。一方、日本人は1862年に江戸幕府の移民計画により38人が移住。当時はどの国も統治しない島で、人種も言葉も異なる人々が助け合いながら生きていた。そこには国境も権力も存在しなかった。
やがて明治政府が小笠原諸島の領有を宣言。1876年に正式に日本領となった。先に移住していた欧米系の住民は日本人へ帰化した。その後、日本本土では出来ない砂糖きびや綿花、バナナなどの農業や捕鯨等が盛んになるが20世紀に入り小笠原諸島は戦略的要衝として注目される。軍事施設が築かれ、戦時中は前線地として島民は全員が本土へ強制疎開させられ、住民はいなくなった。
終戦後、小笠原諸島はアメリカの統治下に置かれ、1968年にようやく日本へ返還。強制疎開から23年という長い時間を経てこの島に人々は戻り、失われた生活を取り戻していった。その後は1972年に国立公園、2011年に世界自然遺産として登録され、小笠原諸島は重要な自然の宝庫として再び新しい段階に入った。(このような歴史は父島のビジターセンターや母島のロース記念館で知る事ができる。)

境浦に沈んでいる戦跡「濱江丸」。太平洋戦争中の昭和19年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、この父島に漂着・座礁した。

境浦に沈んでいる戦跡「濱江丸」。太平洋戦争中の昭和19年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、この父島に漂着・座礁した。

小港平射砲台。戦跡ツアーに参加すると観ることが出来る。

小港平射砲台。戦跡ツアーに参加すると観ることが出来る。

三日月山の弾薬庫跡。

三日月山の弾薬庫跡。

当時の器や瓶の残骸。

当時の器や瓶の残骸。

目の前の未来

歴史は今も続いている。人がもたらした外来種の増加、気候変動、観光と環境のバランス。島の人々は日々その課題と向き合っている。30年前に都の職員として小笠原に赴任してきた鈴木創さんは、仕事を辞めて友人と3人でNPO法人「小笠原自然文化研究所」を立ち上げた。「当時、この島の自然の保全研究拠点となる自然史博物館のような施設をつくりたかった」。その後、幻の鳥であるアカガシラカラスバト(天然記念物)の絶滅回避のための活動を行う。調査すると島じゅうに猫が溢れていた。かつて人が持ち込み野生化した猫が、固有生物の生存を脅かしていたのだ。猫の捕獲を始め、捕獲した野生化猫は1000キロの海を越えて東京都獣医師会が受け入れ、馴化の後で新たな飼い主に引き取られた。「今日を見過ごせば、明日には失われる…という気持ちで走り続けて、気がつけば25年が経っていた」と話す。現在も猫の捕獲は続いている。目の前のやるべきことに取り組み続けて、アカガシラカラスバトは街でも観られるほどになった。人が持ち込んだものは猫だけではない。ヤギやトカゲなどの生物、アカギなどの植物など、生命力の強い外来種が繁殖し、長い時間をかけて育まれた繊細な生態系のバランスを崩している。「この島のような海洋島の進化は、偶然辿り着いた生き物たちが長い年月をかけて編み上げた関係性であり、それぞれ固有種には壮大な物語がある。閉ざされたこの島ではその過程が分かりやすく観られる。地史的にも今まさに産声を上げた島もあれば、数千万年の時を重ねた島もある。太古から今に至る時間軸がここにあり、壊れかけの「今」を乗り越えた固有種たちが、今後、新たにどんな物語や関係を築いてゆくのかはわからない。しかし、とにかく出来る事は、いま絶やさずに残すことです。」自分たちの生きる時代に進化の物語が途絶えさせたくないという切迫した気持ちが伝わってきた。絶滅危惧種を守るための地道な調査、絶やさないための取り組み、試行錯誤が島の人の手によって続けられている。すべてはこの島の未来を形づくる営みだ。彼らは目の前の自然と同じく今を最大に生きていた。これが数百年後には進化の形として残ることになるだろう。

「小笠原自然文化研究所」創設者の1人である鈴木創さん。二見湾を見ながら地形や生態系を説明してくれた。

「小笠原自然文化研究所」創設者の1人である鈴木創さん。二見湾を見ながら地形や生態系を説明してくれた。

アカガシラカラスバト。絶滅危惧ⅠA類

アカガシラカラスバト。絶滅危惧ⅠA類

猫を捕らえるカゴが島内ではいくつも見られる。

猫を捕らえるカゴが島内ではいくつも見られる。

境界が見えない文化と時間

島にはどこか国境のない空気感がある。それは上記の歴史上からハワイや欧米人と日本人の文化が融合しているからだ。現在も欧米系の血を引く人々が住んでいるが、彼らのことを「ボニンアイランダー」、島の事は「ボニンアイランド」と言われている。島の言葉としてある「ムニン」「ボニン」は、「無人」という日本語を欧米系の人が発音したことから来ている。逆に固有種の植物「ヤロード」の名前は「Yellow Wood」を日本人が発音した事で定着した。
街もどこか異国のような雰囲気があり、そこに暮らす人々の肌は黒く笑顔は明るかった。そんな街の中にハワイアンフードのお弁当屋さんがあった。オーナーの宮川竜典さんは200年前の1830年に捕鯨船でここに辿り着いた最初の欧米人の子孫だという。「ここで生まれて育ってずっとサーフィンをしている。ハワイにも5年行っていた。帰ってきたら島も変わりつつあり全てが商売ベースになって住みにくく感じることもある。けど、“ この島は自分次第で楽園にできる” って祖父が言っていた。変化に左右されず、過去や未来に捉われず、とにかく今を楽しむことですね」と話す。その言葉に、ここでは言葉も文化も時間も、境界がすべてが溶け合っていると感じた。先代から引き継ぐこの島の根源的な在り方と自由を見た気がする。

Hawaiian Food Shack “Nolly`s”のオーナー宮川竜典さん。

Hawaiian Food Shack “Nolly`s”のオーナー宮川竜典さん。

ハワイアンポケチラシ弁当

ハワイアンポケチラシ弁当

今を生きるということ

旅もいよいよ最終日になり出航の日。港には多くの人が集まっていた。宮川竜典くんは僕にレイを編んでくれていた。出港の際にレイを海に投げ、それが浜に辿り着くと島に戻って来られるという言い伝えがあるという。“この島は誰もが簡単に来ることが出来ない“という事実を最後に垣間見る。そう、船に乗っているすべての人は選ばれてこの島に来ていたのだ。
おがさわら丸の甲板には旅人たちが並び、岸壁には島の人々が手を振っている。太鼓のリズムで船が岸を離れると、一斉に人々は船に向かって走り出し、乗客はレイを投げる。さらにたくさんの小型船がフェリーを追いかけてきて、沖合まで盛大に見送ってくれた。島と旅人の見えない繋がりが見えた気がする。

出航の日。港には多くの人が集まっていた

出航の日。港には多くの人が集まっていた

出航の日。港には多くの人が集まっていた

乗客はレイを投げる

乗客はレイを投げる

この島では旅人ともたくさん出会った。特殊な交通事情の為か面白い旅人がたくさんいた。その中でも往復路が同じ2航海で島に着き、母島への移動や参加したツアーも一緒になった中村奈津子さんがいた。
「旅が終われば結婚します。その前にイルカに会って声を聞きたかった。彼らは陽気で、自由で、穏やかで。ただ今を生きることを楽しんでいるように感じた。この旅はイルカが泳ぐような旅だった。」と話していた。彼女も僕と同じく台風の影響で全てのスケジュールが見えなくなった旅の始まり。しかし様々な出会いや流れが生まれ、旅は自ずと進んでいた。振り返ると予定など決めてなくても全てが良い時間だった。この島の生命たちと同じように常に最良なバランスで成り立ち、今日という未来へ繋がっていたのだ。

中村奈津子さん

船が島を出て、旅が終わるように日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた。ある者は水平線を眺め、ある者は仲間と語り合い、ある者は静かに目を閉じていた。小笠原諸島という島は、過去も未来も全ての時間が同時に存在している場所だった。4800万年前の火山の記憶も、200年前に辿り着いた人々の足跡も、数十年後に生まれるかもしれない新しい種の可能性も、全てが「今」という瞬間の中に息づいている。そしてその「今」を全力で生きる人々の姿が、この島の本質を教えてくれた。計画通りにいかない旅の中で、未来は予測するものではなく、今この瞬間を生きることで創られていくものなのだとわかった。小笠原諸島は、そのことを体現し続ける島なのである。

日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた

日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた

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