石川・奥能登の磁力。震災から二年、それでも人が集まる土地。

だらぼち音楽祭アイキャッチ
01
能登の祭は死なない。石川「だらぼち音楽祭」が証明したこと
2026年5月16日。能登町で「だらぼち音楽祭」が開催された。復興半ばのこの土地に、ヒップホップのレジェンドたちが集まった。もともと能登は、とても祭の数が多い土地。集落ごとに祭があり、その数はよく知られているものだけでも百を超えるという。震災や豪雨災害を経て、能登の里山の魅力を最大限に感じられる青い海を見下ろす高台で、音楽を軸とした新たな祭が生まれた。主催者の一人で能登に拠点を置く辻野実さんに開催に至った想いと、今後の展望を聞いた。
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だらぼち音楽祭のステージの様子
02
時代を変えるものは、いつも規格外れから生まれる 文・荏開津広
能登との縁は、地震よりも前からあった。金沢滞在、ノルウェーのアーティストとの偶然の接点、ミラーボールの回る宿——点と点が繋がるように積み重なってきた縁が、2026年5月の「だらぼち音楽祭」で一本の線になった。DJでキュレーター、大学教員でもある筆者が、能登で目撃したものを綴る。
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03
誰も取りこぼさない。NPO法人ガクソーが守る珠洲の居場所〈海浜あみだ湯〉〈みんなのいえ〉
珠洲市の中心部に位置する、温浴施設〈 海浜あみだ湯〉。窓から海を見渡せる湯船とアットホームな待合場で、約40年地元の人たちに愛されてきた。そして、子供から大人まで、誰のことも取りこぼさずに手を差し伸べる場として震災後に再び動きだした〈 みんなのいえ〉。どちらも〈 NPO法人ガクソー〉という組織を立ち上げた新谷健太さんと北澤晋太郎さんをはじめとしたメンバーが運営している。地震と豪雨を経て、地元に寄り添い、皆の拠り所として大切にされている場を切り盛りする彼らが大切にしている想いとは。
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スズレコードセンターの内観
04
忘れるために、撮る。石川・珠洲を記録し続ける〈スズレコードセンター〉
能登半島地震と豪雨被害を経て、2024年後半に誕生したスズレコードセンター。震災後の風景と復興していく変化を写真や映像で記録すること、そして、古い町の写真を住民から預かることを主としている機関だ。運営しているのは、奥能登国際芸術祭をきっかけに珠洲で結成された一般社団法人サポートスズ。プロジェクトリーダーは震災前に珠洲に移住してきた西海一紗さん。珠洲へやってきたきっかけから、スズレコードセンターが担うもの、そして今後の活動についてじっくりと聞いた。
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【プレゼントあり】大空襲で途絶えた「ゴーフル」は、なぜ復活できたのか?神戸銘菓の99年の物語

ハイカラな神戸人が愛した、薄焼きクリームサンド

〈神戸風月堂〉は、1897年(明治30年)創業。この年に、現在も本店がある神戸・元町に欧風建築の店を構えた。当時の神戸は、いち早く西洋文化が流れ込む港町。外国人居留地や洋館の風景のなかで、人々は新しい食文化にも親しんでいた。

そうした時代の空気のなかで、〈神戸風月堂〉はシュークリームやワッフル、マロングラッセ、さらにはフランス式アイスクリームなど、当時としては先進的な洋菓子を次々と手がけた。

のちに看板商品となる「ゴーフル」が生まれたのは1927年。フランスの焼き菓子のおいしさを引き立てつつ、和菓子の長所も取り入れながら研究された末、「日本独自の洋菓子」として完成した。

当時のゴーフルは1枚ずつ表裏を返しながら手焼きし、クリームを職人が均等に塗り広げていたため、1日に作れるのはわずか800枚ほど。薄焼き生地にクリームを挟んだ軽い食感の洋菓子は珍しく、新しいもの好きで“ハイカラ”な神戸人の心をつかんだ。

焼け跡に残った一缶が、復活の鍵に

ゴーフル誕生から20年足らずの1945年、神戸は大きな空襲に見舞われる。元町一帯は焼け野原となり、〈神戸風月堂〉本店も全壊。ゴーフルの製造に関わる資料や機械も、そのほとんどが失われた。

長年培ってきた技術や記録も焼失し、ゴーフルの存続そのものが危ぶまれる状況の中、奇跡的に残されたものがあった。それが、二代目社長・吉川進の妻が疎開先へ持ち出していたゴーフル缶だ。焼失を免れたその缶は、当時のゴーフルの姿を伝える、ほぼ唯一の手がかりだった。お菓子の大きさや焼き型、缶のデザインなどをもとに、失われた商品の姿を少しずつ復元。菓子職人たちは、残された記憶と経験を頼りに試作を重ね、ゴーフルの味を取り戻した。やがて1951年頃から、〈神戸風月堂〉の再建が本格的に始まり、ゴーフルの製造も再開。

戦前と変わらない味わいとデザインでゴーフルを復活させた背景には、神戸の文化を次代へ受け継ぎたいという使命感と、戦災を乗り越えようとする人々へ変わらぬ親しみと安心を届けたいという強い思いがあった。

さらに二代目・吉川社長は「代表商品を一つに絞り、全力で育てる」方針を掲げ、ゴーフルを神戸風月堂復活の中心商品に据える。その後、製造技術の改良と全国展開も相まって、「神戸銘菓ゴーフル」として広く認知されることにつながったのだった。

神戸の暮らしに根づいた「ゴーフル」という存在

戦後復興とともに、ゴーフルは神戸を代表する洋菓子として定着していく。食べ終えた後の缶は、裁縫箱や小物入れとして再利用され、「関西の家庭に一缶はある」と言われるほど、暮らしの中に溶け込んでいった。

さらに全国では、「神戸土産」や「百貨店で買える贈答菓子」として、お中元やお歳暮といった季節のご挨拶や、手みやげとしても定番の進物菓子として広く浸透。特に、地元・神戸の人々にとっては「子どもの頃から家にあったお菓子」「帰省土産といえばゴーフル」など、暮らしの記憶と結びついたお菓子として語られることも少なくない。

長年愛され続けてきた理由のひとつが、ゴーフル缶のデザイン。落ち着いた茶色は、焼き菓子の香ばしさや温もりを思い起こさせる色。港町・神戸のハイカラな気風と調和する、モダニズムの美意識を反映している。進物にふさわしい品格を備えつつ、当時の住環境(木造建築や木製家具)にも自然と溶け込むように、という考えのもと採用された。

包装紙には、神戸ポートタワーや神戸海洋博物館、北野異人館、南京町、神戸大橋など、神戸を象徴する風景をデザイン。お菓子を通じて神戸の街を知ってほしいという願いが込められている。

次の100年へ。毎年進化するゴーフルの限定缶

1927年に誕生したゴーフルは、2027年に100周年という大きな節目を迎える。

その記念すべき年に向けて95周年を迎えた2022年から「ゴーフル100周年プロジェクト」がスタート。100周年を迎える2027年まで、毎年限定デザインのアニバーサリー商品を展開している。

ゴーフルの次の100年に向けて。〈神戸風月堂〉はこれからも伝統を守りながら、新しい世代にも愛されるブランドを目指している。

5月5日は、神戸風月堂が1980年(昭和55年)に記念日登録した「ゴーフルデー」。この日が広く知られ、毎年全国でみんなが「おいしい!」とゴーフルを頬張ること。それが、〈神戸風月堂〉の描く次の100年の夢だ。

子どもの頃に食べた味として、帰省の手みやげとして、あるいは戸棚の小物入れとして。「ゴーフル」はこれからも、人々の暮らしのそばにあり続けるだろう。

プレゼントキャンペーン実施中

「ゴーフル」プレゼントキャンペーン

コロカルのInstagramでは、〈神戸風月堂〉の名物「ゴーフル」を10名様にプレゼントするキャンペーンを実施中です。詳しくはInstagramの投稿をご確認ください。

応募期間:2026/6/18(木)〜6/30(火)
応募方法:STEP 1:colocal公式Instagramアカウント(@colocal_jp)をフォロー
     STEP 2:投稿に「いいね」をする

誰も取りこぼさない。NPO法人ガクソーが守る珠洲の居場所〈海浜あみだ湯〉〈みんなのいえ〉

似た者同士が、同じ時期に珠洲へ来た

金沢美術工芸大学を卒業した新谷健太さんが珠洲へやってきたのは2017年4月。珠洲の地域おこし協力の選考を通過し、美大の同級生と共に一軒家を購入して珠洲へ移住。ゲストハウスを運営したり、他の仕事をする中で、〈海浜あみだ湯〉に常連客として通うことになった。

北澤晋太郎さんは、東京の大学を卒業後、オンラインサロンを運営する会社に就職。規模拡大するにつれ当初描いていた方向性にギャップを感じ事業を売却。そして、高校時代からずっと心に残っていた中沢新一氏の著書で見つけた「さしすせそから始まる土地には神が宿っている」という言葉に誘われるように、珠洲へ2017年7月に移住した。

左:北澤晋太郎さん 右:新谷健太さん
左:北澤晋太郎さん 右:新谷健太さん

「僕もシンケン(新谷さんの愛称)も同じような時期に珠洲へ来て、似たようなことを考えていたんです。彼はアーティストであり政治に関心があった。僕は政治学科を卒業していると同時にアートの手法について関心がある。視点は異なるんだけど同じ対象を見ていたんです」(北澤さん)

その後、2019年には、額縁屋さんの跡地を借りて拠点とし、前身となる中田文化額装店を始動。さらに仲間が集い2021年〈NPO法人ガクソー〉が誕生した。

NPO法人ガクソーが発刊する独自の文芸誌『額装』より、ガクソー発足前夜の写真
NPO法人ガクソーが発刊する独自の文芸誌『額装』より、ガクソー発足前夜の写真

好きな場所を、消したくなかった

新谷さんも北澤さんも常連客として海浜あみだ湯へ通っていた。先代は高齢のため後継者を探していた時期であり、二人に白羽の矢がたった。北澤さんの実家は長野で温泉宿を営んでいたこと、新谷さんは大学時代に金沢の銭湯でアルバイト経験があり、二人とも公衆浴場の掃除やボイラーには馴染みがあったため、時々手伝ったりしていたそう。

「だんだんと先代があみだ湯を切り盛りするのが難しい姿を見るようになりました。その頃、ちょうど僕らに引き継ぎたいという話をいただいて。冗談半分、本心半分という感じで、聞き流すこともできたかもしれないけど、好きなあみだ湯がそのまま続いて欲しいと思ったし、ぼくらの知識と体力でなんとか継承できそうだと考えて、引き継ぐ決断をしました」(新谷さん)

「そこからは、先代の動きを見て覚えるという感じ。35年間動いてきたからおじいちゃんの体は全ての動きを覚えてて、言葉で教えることができなくても、動きを見てれば僕らは理解できたんです。それと、常連客の人から昔話を聞いて、どんなサービスがあったとかそういうことも教えてもらいました。そうやって、シンケンと二人で仕事を覚えてシフトを組んで切り盛りするようになったのが、地震の少し前。『来年からは忙しくなるなぁ』と話していたら、翌日に地震が起きました」(北澤さん)

あみだ湯
あみだ湯ロビー

地震後いち早く開放した〈あみだ湯〉

地震発生からしばらくの間、当然水道は止まったまま。被災者がお風呂に入ることはままならない。その時、〈あみだ湯〉は建物の倒壊も免れたことも幸いし、いち早くお風呂を開放した。

「〈あみだ湯〉は井戸水を汲み上げて温めています。だから水道の復旧がされなくてもお湯を沸かすことができました。薪を使っているから燃料も確保できましたし。地元の業者さんの迅速な修繕作業もあって、1月19日にお風呂を温めて皆さんに開放しました。皆さんホッと一息ついていらっしゃった。地震前は常連さんがほとんどだったんですが、これを境に珠洲の人全員が来たんじゃないかと思うほど、多くの方にお越しいただきました」(新谷さん)

現在まで、避難が続いている方へは、無料でお風呂を提供することが続いているという。

また多くの町の人が訪れたことで、コミュニティスペースとしても大きな役割を果たした。居間のような空気感に包まれた待合スペースは、人が集まりゆっくり談笑できる貴重な憩いの場となった。

あみだ湯番台
地元の学生もお手伝いで番台に立つ。
あみだ湯休憩所

「〈あみだ湯〉のお湯は、空き家を解体したり、地震で倒壊した家屋の木材を薪として使っています。地震のあと、運ばれる量も増えていますね。それを割って薪にして焚べて。だからお湯加減も日々違う。この町の誰か、知っている人かもしれない方のお家だった柱からお湯をいただいてるという感覚もまた特別。時には弔いでもあって。重油などの化石燃料を使わず、木材だけを燃やしているので環境負荷も低い。色々な意味で、〈あみだ湯〉の存在はユニークかもしれません」(新谷さん)

お湯を沸かす木材
運び込まれた家屋の木材の中には、子供の身長が刻まれた家族の思い出を感じさせるものも。

運び込まれた家屋の木材の中には、子供の身長が刻まれた家族の思い出を感じさせるものも。

必要だからやる。〈みんなのいえ〉が照らすもの

〈あみだ湯〉と並行して、NPO法人ガクソーが手掛けることの一つに、2026年4月に再スタートを切った〈みんなのいえ〉がある。朝8時から翌朝2時という長い営業時間で、各時間帯で町の人が気軽に立ち寄れる場所を提供している。

みんなのいえ

「奥の部屋では、私が中高生や浪人生に勉強を教えています。学童の延長であり、不登校の子どものケアであり、珠洲から進学する際の塾であり。どうして勉強するんだっけというようなところから一緒に考えたり。小学生はシンケンと一緒に絵を描いたり工作したり写真を撮ったりキャッチボールしたりという活動もやっています。

これは地震があろうがなかろうが、社会に必要なことじゃないかと思っていたんです。塾を掲げてるわけでもない場所で、言ってみれば野良の教育支援。子どもたちのケア事業というイメージです。〈あみだ湯〉も、ビジネスや経営権の譲渡と言えばなんだか堅苦しいものに感じますけど、引き継げる環境にたまたまいた我々が手を挙げたわけです。

町の皆の大切な場を存続していくためが一番。僕らの考えは、そういう社会への関わり方って大事だよねっていうのが全ての根幹にあるんです。もちろん潤沢な資金なんてないし、どっちかといえば貧乏(笑)。貧乏でボランティアしたり、ギリギリ採算取れるかなと細かく計算したりとか。そこで地震が起きて、2次避難先の金沢でも教育支援をしていました。ようやくこの春、この建物を再建できたところです」(北澤さん)

〈みんなのいえ〉の表の大きな柱は、〈あみだ湯〉でアルバイトをしている高校生の倒壊した自宅の柱を再利用。〈あみだ湯〉同様、珠洲の人の想いが詰まった場所となっている。

みんなの家で勉強をする子どもたち
みんなのいえ

珠洲はその昔、繁華街であり多様なナイトライフが存在していた土地。それに反し、震災後の現在は、深夜まで空いてる飲食店はとても少なく、気軽に飲みに入れるお店もない。だからこそ、子どもたちへの学習支援が終わった後の22時以降は大人たちが立ち寄れる空間へと切り替わる。

「いま勉強を見てる子たちの親御さんが顔を出してくれることもありますよ。地元の名士と呼ばれるような人もいます。でも、ここでは肩書きを外して飲んで喋る。そういう時間も大人こそ大切だと思います。そこから何が生まれるかというようなビジネスとか合理性とかそういうことではなくて。人と人との付き合いで、それ以上でも以下でもなく、むしろそれが必要だと思うんです」(北澤さん)

〈あみだ湯〉も〈みんなのいえ〉も、どちらも珠洲の町におけるコモンスペースとして、再び走り始めた。〈あみだ湯〉は新谷さん、〈みんなのいえ〉は北澤さんのカラーがより出ているとはいえ、皆で運営するスタイルは変わらない。お互いが何を考えてるかも自然とわかるのだという。

「どちらも根底にある気持ちは同じだから」(新谷さん)

これからも珠洲に根付くみんなにとっての居場所を守り続けていく。

メインビジュアル

Information

あみだ湯
海浜あみだ湯

住所:石川県珠洲市野々江町ナ部5番地3|地図
TEL:0768-82-6275
料金:大人500円 中学生300円 小学生150円 幼児70円 サウナ無料開放(期間限定)
営:14:00〜21:00
休:水・木

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Day1|11:30|〈イカの駅つくモール〉

空港を出たら早速腹ごしらえを兼ねて、〈イカの駅つくモール〉を目指す。巨大なイカのモニュメントが目印だ。イカの漁獲量日本一であり日本百景でもある九十九湾に面していて、土産物店とレストランが併設されている。レストランで提供されているメニューは、どれもイカから作られた魚醤「いしり」を使ったもの。能登の魚による海鮮丼はもちろん、いしりを使ったラーメンやカレーといったユニークなメニューも。まろやかな塩味とイカのトッピングがされたこの地ならではの逸品を味わいたい。

Information

イカの駅つくモール

住所:石川県鳳珠郡能登町字越坂18字18番1|地図
TEL:0768-74-1399
営:9:30〜17:00
休:水

Day1|13:00|〈見附島〉

ご飯を食べたら珠洲へ向けてドライブスタート。まず初めに向かうのは、能登のシンボルであり観光名所としても愛されてきた見附島だ。穏やかな海にそびえ立つ大きな岩は、高さ約28メートル。弘法大師が佐渡から能登へ渡る時に見つけたと言われている。地震により南東側半分が崩壊し、さらに、岩に生えていた木々が枯れるなど形が変化するも、その迫力は変わらない。気持ちの良い風と太陽に照らされキラキラと輝くビーチを散歩しながら、能登の自然を感じたい。

Information

見附島

石川県珠洲市宝立町鵜飼|地図

Day1|14:00|〈スズレコードセンター〉

珠洲の変化をさまざまな視点で記録し展示している〈スズレコードセンター〉は、珠洲の町をより深く知ることができる貴重な場所。〈道の駅すずなり〉へ向かう途中に位置しているため、観光客にもアクセスしやすいスポットだ。1階は駄菓子屋を兼ね地元の子供たちも訪れる。展示スペースは主に2階で、誰でも無料で鑑賞が可能。震災からの復興の記録はもちろんのこと、数十年前の珠洲の姿などのアーカイブに触れたい。

Information

スズレコードセンター

住所:石川県珠洲市飯田町11-79-1|地図
営:10:00-17:00 ※夏季は変更の可能性あり。WEBサイトをご確認ください。
休:火・水

Day1|15:00|〈道の駅すずなり〉

〈スズレコードセンター〉から車で数分のところにあるのが、珠洲観光の中心的役割を果たす〈道の駅すずなり〉。珠洲産のフードやお土産を求めて立ち寄りたい。里山里海の恵みによる野菜や海鮮、能登産の塩を使ったスイーツなどが販売されている。また、珠洲焼きの器やタンブラーなども購入可能。ソフトクリームは地元の人にも人気で、季節ごとのフレーバーも登場する。

Information

道の駅すずなり

住所:石川県珠洲市野々江町シの部15番地|地図
TEL:0768-82-4688
営:10:00〜17:00
休:水

Day1|16:00|〈DOYAコーヒー〉

ブレイクにはコーヒーを。だらぼち音楽祭も主催した辻野実さんが手がけている〈DOYAコーヒー〉は、目の前でドリップされるコーヒーや、海洋深層水で8時間以上かけて抽出したコールドブリューが人気。テイクアウトはもちろん、店内でゆっくり寛ぐならフードも一緒に。NOTO BURRITOは能登町のブリなどの魚を麹と味噌で仕上げたヘルシーな味わい。季節のフルーツジュースも喉を潤してくれる。

DOTAコーヒー
ゆっくり寛ぐ店内というより、会話が始まりやすいスタンドスタイルのコーヒー店に。

Information

DOYAコーヒー

住所:石川県鳳珠郡能登町宇出津ム15|地図
営:11:00〜18:00
休:火

Day1|17:30|〈宝寿し〉

能登の海鮮を味わうならお寿司は外せない。〈宝寿し〉は県外からも、その味を楽しみに訪れる常連さんがいる名店。地元の魚介を中心としたおまかせ握りは、分厚く切られたネタが食べ応えがあり、寿司下駄からこぼれ落ちそうなほどに贅沢に盛り付けられ、お腹も心も満たされる。能登を訪れたら必ず立ち寄りたい。

Information

宝寿司

住所:石川県鳳珠郡能登町町字宇出津新1-206-1|地図
TEL:0768-62-0430
営:17:00〜21:00
休:不定休


Day2|10:00|〈石川県輪島漆芸美術館〉

二日目は、午前中に輪島エリアを回りたい。まずは、輪島の中心部に位置する輪島塗をはじめとした漆芸品を展示している〈石川県輪島漆芸美術館〉へ。広い館内には、輪島塗が作られる全工程を一つ一つ展示解説しているコーナーや、どのように発展し現代へ伝わってきたかを展示。漆芸品の魅力をしっかりと学べる美術館となっている。1階ミュージアムショップで輪島塗のお土産品や図録などの購入を。

Information

石川県輪島漆芸美術館

住所:石川県輪島市水守町四十苅11番地|地図
TEL:0768-22-9788
営:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休:12月29日〜12月31日、展示替え期間
※修繕工事のため臨時休館となる可能性がございます。
ご来館の際は、公式ウェブサイト、SNSをご確認ください。

Day2|11:30|〈mebuki-芽吹-〉

ランチには、〈mebuki-芽吹-〉に立ち寄ろう。能登地震の後、輪島市内でミシュラン一つ星を獲得したフレンチの名店〈ラトリエ・ドゥ・ノト〉のシェフでもある池端隼也氏が、共に炊き出しを行なっていた地元飲食店のシェフたちに声をかけてスタート。和食、中華料理店、ラーメン店など様々なジャンルの調理人たちが集まり、和食を中心とした創作料理がいただける。夜は居酒屋として、日中は能登の海と山の幸を使ったプレート御膳のランチがメイン。自身の店が再開できない間の活動として参加しているシェフが多いそう。美味しいご飯をいただいて、食から能登をサポートしよう。

Information

mebuki-芽吹-

住所:石川県輪島市マリンタウン6-1|地図
TEL:0768-23-4567
営:11:30〜14:30(L.O13:30)/月〜金、18:00〜22:00(L.O21:00)/月〜土
休:日(不定休あり)
※予約可

Day2|13:00|国道249海岸線

輪島から珠洲へと向かう海岸線が国道249号。ここに、地震で海底が隆起したことで新しい陸地が生まれたダイナミックな風景が続いている。元々の道路やトンネルが地震の影響で割れたり崩れたため、誕生した陸地に新道を通し、旧道の復旧作業が行われている。新道を走る時、Googleマップを見ると海の上を走行中であることがわかる。海側から断崖絶壁であったであろう崖を見上げることに。日本中、ここでしか見られない貴重な自然現象と驚異の絶景を眺めながらドライブしたい。

海岸線

Information

国道249海岸線

石川県輪島市町野町曽々木ア|地図

Day2|14:00|〈能登パン〉

海岸線を走っていると目の前に現れる一軒家。地元の人から愛されているパン屋〈能登パン〉だ。珠洲産の天然塩を使用したパンをはじめ、自家製の具材、そして無添加生地により作られている。ハンドメイドのケーキや地元産季節のフルーツを使ったジャムなども販売。また、店内には日本海を一望できるイートインスペースも併設。

Information

能登パン

住所:石川県鳳珠郡能登町藤波27-123-4|地図
TEL:0768-84-5120
営:9:00〜18:00
休:水

Day2|15:00|〈マルガージェラート能登本店〉

そしておやつには、ジェラートを食べよう。里山の田園風景の中に見つけた憩いのジェラート店〈マルガージェラート〉は、国内外のコンクールで数々の賞を受賞してきたジェラートマエストロで、”世界一のジェラテリア”と称される能登出身の柴野大造氏が手がけている。奥能登の生乳をはじめ、地元産のフルーツや、能登で作られた塩を使ったりと地元の恵みを閉じ込めたジェラートが並ぶ。

Information

マルガージェラート能登本店

住所:石川県鳳珠郡能登町字瑞穂163-1|地図
TEL:0768-67-1003
営:11:00〜17:00
休:水、年末年始

忘れるために、撮る。石川・珠洲を記録し続ける〈スズレコードセンター〉

映像制作者が珠洲へやってきた理由

西海一紗さんが珠洲へやってきたきっかけは、2023年に開催された奥能登国際芸術祭に関わるためだった。当時東京の映像制作会社でCM制作などを行なっていたが、どこか違う土地で暮らしてみたいという思いが募っていた頃、たまたま芸術祭のスタッフ募集を見つけたことから応募。具体的にリサーチを進めると、それまでの人生で見たことのない景色や空気感が広がり、開拓しごたえがありそうだと珠洲に興味を持ったそう。

「初めて珠洲に来たのは、芸術祭スタッフ採用面接の時。それまで一度も来たことがなかったのですが、車でちょうど橋に差し掛かった時、黒瓦の屋根と青い海が広がっている風景に感動して、ここに住みたいとごくごく自然に思いました」

珠洲の第一印象をそう振り返った西海さん。面接も上手くいき、住むところもトントン拍子に決まった。

スズレコードセンターでプロジェクトリーダーを務める西海一紗さん

「私としては、移住というより引っ越しちゃおうという感じ。すごく軽い気持ちでやってきました。芸術祭スタッフの仕事は、作品の管理やメンテナンスをはじめ、地域とアーティストを繋いだり進行管理などをしていました。東京の制作会社ではプロダクションマネージャー部に在籍していたので、それの芸術祭版という感じで前職の経験も活かせました」

怒涛の準備におわれた芸術祭、その後はこの地での暮らしにどのようなプランを描いていたのだろうか。

「芸術祭が終わったら、まずは自分が撮りたいものを撮ろうと考えていました。それとゲストハウスも面白いと思ったり、いろんな可能性を考えてましたね。ようやく芸術祭の後片付けが終わったところでお正月を迎えて、今年は自分のやってみたいことをしようと考えていた矢先に地震が起きました」

離れるつもりだった。でも珠洲で記録係に

「地震後10日間は珠洲にいたんですが、その後は一時実家のある北海道に避難していました。その時にテレビで能登の映像が流れて、何もかもが壊れている状況にあらためて驚かされました。私が好きだった風景も、撮りたいと思った光景もなくなっていて、もう戻れないと思ったんです。

でも、片付けのために戻ったら、珠洲も春を迎えてものすごく花が咲いてたんです。こんなに地震でグチャグチャになってるのに、花は咲くんだって。桜もあるし、道端にもたくさん咲いてて。すごく前向きな空気が流れていることを感じました。

海も変わらずすごく綺麗で。最初は片付けが終わったら帰ろうと思っていたけど、もうちょっといたいなって。でもその後豪雨がやってきて、もうダメかもとかなり落ち込んだのですが、芸術祭の後に立ち上がったプロジェクトもあったり、片付けたりしているうちに、2024年が過ぎていきました」

スズレコードセンターでプロジェクトリーダーを務める西海一紗さんが撮影した写真
スズレコードセンターで開催されたレコードフェアのポスター
震災後も、あの頃と変わらず麦わら帽子で自転車を漕ぐおじいちゃんがいた。その姿に、西海さんは勇気づけられた。

珠洲にとどまった西海さんは、芸術祭の流れで奥能登珠洲ヤッサープロジェクトに携わる。これはスズレコードセンター立ち上げのきっかけに。

「芸術祭の時に、私が担当していた仕事の一つに記録係があり、作品の制作過程などを撮影してインスタにアップしたり、発信担当でもあったんです。ヤッサープロジェクトでも発信を続けていきたいから、珠洲の記録係として動いてほしいと打診されました。すごいスピードで風景とか人の気持ちも変化して行っていたので、これは記録しなきゃと個人的にも思っていたので、参加することに。様々な個人の視点で記録活動を試みるスズレコードセンターがスタートしました」

道の駅のそば、フラットな記録の場所「スズレコ」

スズレコードセンターは、車通りの多い道沿いに拠点を構えた。当初はもう少し奥まった旧図書館が候補地だったが、西海さんたっての希望で、珠洲の中でも賑わう〈道の駅すずなり〉へ向かう途中に位置する現在の場所に決まったそう。

「交通の便が良くて人目に触れる場所を意識しました。私も移住者だからわかるのですが、最初に入っていく時に近寄り難いコミュニティになってしまっていたら、スズレコードセンターの役目は果たせないと思ったんです。できるだけフラットで開けている場所がいいと思っていました。

県外から来る方にもわかりやすいし、地域の人も散歩の途中に立ち寄ってくれます。家から古い写真が出てきたけれどどうしたらいいかとか、昔の写真が見たいとか、いつも生えないところから菜の花が出て咲いてるから写真を撮りにきてほしいとか、写真や記録に関係することならば、地震のことだけではなく、どんなことも受けて入れています」

スズレコードセンターの外観
スズレコードセンターの内観
スズレコードセンターの内観

西海さんが奥能登国際芸術祭の運営に注力していた頃、終わったら好きなものを撮ろうと考えていたはず。スズレコードセンターで記録係としての活動は、当初思い描いたものと少し異なるのではないだろうか。

「そうですね、地震があって豪雨があって、私も心が折れそうになって。だからスズレコードセンターが立ち上がり、私が撮りたいものを撮り終えたら、珠洲を離れようと思っていました。それが、実際に始めてみると、自分もまだここに居たいなと思った。それは、スズレコの活動が面白くなってきちゃったことと、関わっていく中で生まれた関係性があって、仲間が増えていってると感じたからだと思います。

活動が始まった時は、一人で記録を任されているようでひとりぼっちだと思ったし「これだけが珠洲じゃないんだけどな」という罪悪感をずっと抱えていたんです。ですが、レコードフェアという12組それぞれが自分の周りの能登を記録した展示を開催したら、皆それぞれの視点で撮っていて、個人の視点が集まることで幅ができたり、町の記憶が生まれていくんだなと実感して。私は私に見えてるものを撮り続けて行けばいいんだと自信が芽生えてきました。その気持ちの変化が大きかったと思います。徐々に珠洲の町への愛着が復活して、もう少しここでの景色を見続けたいと思うようになったんです」

カメラが心のキャパシティを空ける

現在、西海さんは四季に沿って自主映画の撮影を続けている。地震や豪雨など大きな災害による町の変化の中で暮らし、西海さんが珠洲を見つめる視点とはどのようなものなのだろうか。

「記録係として色々な風景を撮っているときは、忘れたくなくてシャッターを切っていました。でもだんだんと、忘れないときついと思うようにもなっていました。転機になったのは、地震後に半年ほど暮らした友人の家を出る時。すごく好きな家だったんです。そこを出なくてはいけない時に、部屋や床を撮影しまくったんです。そうしたら、いつか思い出したい時にはこれを見ればいいし、こんなに撮ったからもう忘れちゃおうって思えたんです。撮影が自分の心のキャパシティを空けていく行為だと実感しました。」

その気づきが、今制作中の映像につながっている。珠洲の四季を追いかけたドキュメンタリー的なフィクション。珠洲でたまたま出会った俳優の齋藤紫乃さんに協力してもらい、彼女が珠洲で暮らしているという設定で撮影している。

「私が暮らしていた場所や関わっているコミュニティ、よく立ち寄るお店に実際に紫乃さんに入って生活してもらい、セルフドキュメンタリーではなくて、分身というか自分とも関わっている紫乃さんを撮影するというレイヤーを加え、フィクションでありドキュメンタリー要素もある作品になりました。

完全なドキュメンタリーで撮ってしまうと、”被災地の珠洲”が前面に出て、私が見ている珠洲とは少しズレがある。もっと日常的で地震の前から続いている暮らしの風景がここにはあって、それを見せるためにはフィクションの要素を入れる方が表現できると考えました。四季を全て撮り終えて1本にまとめ劇場公開したいと思っています」

スズレコードセンターでプロジェクトリーダーを務める西海一紗さんの自主制作映画のワンシーン

スズレコードセンターとして記録すること、そして西海さんの視点で珠洲を見つめた作品を完成させることと並行し、次の奥能登国際芸術祭の準備もスタートするのだろうか。

「まだ開催時期が決定しているわけではないのですが、これまで3年おきだったので数年内に開催されるだろうと思っています。2026年に入ってから、芸術祭の仕事をしたいと移住してきた方がいますし、スズレコに来た方が珠洲に住んでみたいということもあります。いろんな珠洲を知ってもらいたいし、新しく来てくれた方々と一緒に、時にはフォローして、次の芸術祭までバトンを渡せたらいいなと思っています」

スズレコードセンターでプロジェクトリーダーを務める西海一紗さん

Information

スズレコードセンターの外観
スズレコードセンター

珠洲や奥能登のこれからを考えレコード(記録)していく機関。町の写真や映像を資料をデジタルデータで保管し、珠洲の現在も撮影していく参加型アーカイブプロジェクト。
住所:石川県珠洲市飯田町11-79-1|地図
営:11:00~18:00
休:火・水
HP:https://okunoto-archive.jp/

Profile

スズレコードセンターでプロジェクトリーダーを務める西海一紗さん
西海 一紗

さいかい・かずさ/北海道出身。2022年に珠洲市に移住し、奥能登国際芸術祭の運営に関わる。現在は、スズレコードセンターでプロジェクトリーダーを担当するほか、能登の風景をおさめる自主映画の制作を続けている。

時代を変えるものは、いつも規格外れから生まれる 文・荏開津広

文・荏開津広

音楽の娯しみ方のひとつを超え、イベントとして楽しみにしている人も多い、音楽フェスティヴァルーーかくいう自分、かつてはクラブDJで今ではキュレーションやディレクションをしながら大学で教鞭をとる人間の、これまでの音楽的生活、忘れられない幾つかの瞬間は音楽フェスという場と時間と切り離せない。

26年5月の或る日、能登半島の先端?石川県鳳珠郡能登町で開催された「だらぼち音楽祭」は、自分にとって決定的な音楽フェスのひとつ、もしくは主催者の方のいう「祭り」の瞬間になった。

個人的な話になるが、自分が「だらぼち音楽祭」を知ったのは今年のまだ早い春、“ミラーボールの回る宿”こと能登町の「土とDISCO」に伺った際。でも、能登が気になったのは、2022年、金沢21世紀美術館の仕事でほぼ1ヶ月1人で金石というかわいい町に滞在し関係者の方にその先の半島に連れて行ってもらってから。その再訪のプランについてその方に電話した数日後に地震が起きた。

その後すぐ、横浜の自分の知り合いのある現代美術作家は、それまで話していた作家としてのプランを変更しヴォランティアへ出かけて行った(今でも彼女は能登で活動を続けている)。そのことに強い印象を受けた。でも、地震があったから「能登が特別」なのではもちろんない。

昨年に別のプロジェクトを通じて会ったノルウェイのアーティスト/デザイナーT-Michaelは、T-Wabisatoというアーティスト・イン・レジデンスのプロジェクトを偶然にも能登で進めていた。自分も関わるだろう。能登ではないけれど新しくできた知性溢れる友人がギャラリーを金沢に開くという話もある。でも、金沢から能登に惹きつけられるのは自分個人特有の事情、というのでもない。

豊かな緑に囲まれた「里山ステージ」のヘッドライナー、THA BLUE HERBのILL-BOSSTINOの自らいう「無骨な語り」が進めていくステージで「だらぼちって良い言葉」だと言っていた。自分も賛成で、時代を変えるアート/イノヴェーション(敢えてこの言葉使ってます)は「だらぼち」的姿勢から生まれる可能性が高いと考える。改めて考えるまでもなく、既存の価値や能率重視の規格/企画とかにパッとそぐわないものが新しい美である。

だらぼち音楽祭の設営の風景
だらぼち音楽祭を楽しむ人たち

まだ少ししか知らないけれど、まず能登という土地の自然と風景自体に先端の、いうならある種の異形の美さえ許容するおおらかさを感じる。それは、若い頃に日本のヒップホップ/ストリートカルチャーが生まれてきた現場に立ち会ってきた自分の経験則から見え聞こえる、反転して生まれる美といっていい。そのおおらかで鋭い感受性は、能登と日本の代表的な都のひとつ金沢という町との距離とも関係がある気もする。

自分が最も好きな DJのうちの1人DJ KENSEIのサウンドの蜃気楼のような?しかしブラックネスに満ちたプレイ、彼らの人生と分かち難い真のライヴ音楽を聴かせるバンドSOFT、「さんピンCAMP」以前から存じ上げている刃頭さんの太いビーツ、「里海ステージ」の海の絶景、風の匂い、星空、偶然会った京都の友だち家族(!)、初めて見る出演者のライヴ/パフォーマンス、そして夕方に動き始めたキリコ(!)、すべて絶対に自分は忘れないだろう経験になった。

だらぼち音楽祭のステージの様子

先ほど能登には自分の個人的な理由で魅かれているのではないと記した。でも、グローバルとかいう言葉のイメージに欺かれず、偶然の遠近法というか、「縁」の積み重ねに気がつくことが、結局、替えの効かない自分の生きられた時間になり、かけがえないアートへ導いてくれるのでは?とも思う。簡単に取り替えられない価値、それが根本にそれぞれ個人の「祭り」、「カルチャー」、そして「目的地」となり暮らしや生き様やライフを彩っていくのではないだろうか。

きっとまたすぐに自分は能登に戻るだろう。

Profile

荏開津広(えがいつ・ひろし)

東京生まれ。東京の黎明期のクラブでDJを、以後主にストリート・カルチャーの領域で国内外にて活動。2010年以後、批評的な活動が増加。主な活動にキュレーション、ディレクション、構成・執筆など。高山明Port Bのヒップホップ ・スクール「ワーグナー・プロジェクト」、「磯崎新と大分の広場」、「アート×イノベーション シンポジウム at 京都大学」などの音楽監督。NHK「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」他。立教大学兼任講師。

能登の祭は死なない。石川「だらぼち音楽祭」が証明したこと

「帰ってこんでいい」と言われた町を離れて

辻野実さんは、能登町で生まれ育ち大学進学を機に大阪へ、その後東京や金沢で仕事をしたのち、コロナ禍に地元へと戻ってきた。現在はウェブデザインを手がける傍ら、能登町にスタンド珈琲店〈DOYAコーヒー〉を経営している。

辻野さん

「僕が10代だった頃、進学先を決める時に周りの大人からは、能登には仕事がないから、地元から出て就職することを勧められていました。帰ってこんでいいわって若者を送り出してるような感じ。祭がある時だけ帰ってくればいいからと(笑)。当時はインターネット環境もほとんどないし、『Boon』や『Cool Trans』などの雑誌を読んでは都会への憧れが募っていたので、高校を卒業して町を出ることは自然な流れでした」

進学先は大阪。辻野さんはブレイクダンスをしたり、DJをしたりとヒップホップカルチャーに傾倒していく。

「ヒップホップは、人の真似はカッコ悪いというカルチャー。だから、自分が何者なのか、どんなバックグラウンドを持っているかアイデンティティを鮮明にする必要があります。その時に、自分のオリジンをすごく意識するようになりました。

僕の場合は能登出身ということが良かった。周りに同郷も見当たらなかったし、わりと簡単に差別化になって。その時に初めて故郷を誇れたと思います。能登の祭をはじめとした文化、僕らが当たり前だと思って育ってきたものは他の地域ではそうではなく。地元カルチャーに対するアプローチは、僕の生き方として如実に出ているらしく、能登を見直すきっかけになりました」

学生生活を終え、辻野さんはそのまま大阪で就職するも数年後に大阪支社がクローズ。それと同時に、2007年能登地震が発生した。「なんとなく実家の近くに戻っていた方がいいかな」という考えもあり、そのタイミングで金沢へと移動し、災害情報を自治体のホームページや防災無線などに流せるシステムを販売する会社に転職した。

営業マンとしてシステムを販売するうちに、既存のものを営業する仕事よりも、自分自身で全てを構築したりデザインしたりできる仕事をしたいとプログラミングやデザインをいちから勉強し、ウェブデザイナーとして2012年に独立する。

ヒップホップが教えてくれた、地元という武器

金沢でデザイン事務所を立ち上げていた辻野さんに転機が訪れる。たまたま家族で祭に参加するために能登に帰省した時のこと。幼い時の賑わいの記憶とは異なり、参加している人の少なさに気がつくと同時に新聞のある記事が目に留まったのだ。

「新聞に”消滅可能都市”という言葉を見つけて、その中に能登町がランクインしていたんです。その時、すごくムカついたんですよ。当時すでに僕が通っていた保育園とか小学校とか中学も高校も全て統廃合によってなくなっていました。それなのに町まで無くなるのかと。ヒップホップは自分のアイデンティティをレペゼンするカルチャーだというのに、自分が通ってきた何もかもがなくなると言われてることに腹が立ったんです。

※「レペゼン」は英語の「represent(リプレゼント)」に由来する言葉で、「〜を代表する」「〜を象徴する」という意味のヒップホップ・ストリートカルチャー発祥のスラング。

その時に僕は、過疎問題にアプローチすると決めたんです。過疎とは地域の誇りを失ったことだと定義して、地元をかっこいいと自信を持って言うことができるならば、それは過疎ではなくなると考えました。すでにデザインの仕事をスタートさせていたので、何気ない景色も視点を変えればカッコよく見えることを伝えられると。それが、僕が立ち上げた〈NOTONOWILD〉というサイトです」

辻野さんの狙いは成功し、Tシャツを作ったり〈NOTONOWILD〉を活動を通じて、能登の新しい側面を見せることができたという。

「一番面白かったのは、金沢の感度の高い人たちが、〈NOTONOWILD〉のグッズをピックアップしてくれて、能登ってかっこいいと言ってくれたことなんです。同じ石川県でも、能登出身というと馬鹿にされることも結構あって、だからこそ、ゲームチェンジできた瞬間だと感じました。

ただ、発信する自分は能登の外にいるというやり方に、このままでいいのかな?という疑問も自分の中には生まれていたんです。コロナ禍に入り、ウェブの仕事は場所を選ばないし、実家の近くで育児を手伝って欲しい気持ちも重なり、地元に帰ることにしました。そしてウェブの仕事と並行して、〈DOYAコーヒー〉を立ち上げたんです」

DOTAコーヒー
ゆっくり寛ぐ店内というより、会話が始まりやすいスタンドスタイルのコーヒー店に。

「能登では、挨拶の最初に「どうや?」って相手に聞くんですよ。最近どう?みたいな意味です。そのコミュニケーションをそのまま店名にしました。店を始めたのは、コーヒーを作りたいということではなく、場を作りたかったから。喫茶店とか定食屋ってその町の文化を育てると思うんですよ。それがコロナ禍で軒並み閉店してしまっていました。

小さな町なのに1杯500円のコーヒーなんて売れるのかと僕も周りも思っていたけれど、すぐにみなさんに来ていただけるお店になりました。きっとみんな、集まれる場に飢えていたんでしょうね。だから、ここからもっと面白いことできるなと思った矢先、2024年元日の能登半島地震が起きたんです」

能登半島地震と豪雨災害が変えた景色

「僕は地元の消防団にも所属しているので、地震が起きた直後から、救助に避難支援に走り回り、正直あんまり記憶がない。目の前のことで精一杯でした。ただ、自分の気持ちとして不思議な感覚も経験しました。元日の夜に、その日できる救助を終えてふと空を見上げたら、星がすごく綺麗だったんです。家も道も全てがめちゃくちゃなのに、綺麗だと思う心が残ってるなんて、人間ってすごいなって。この時の景色や気持ちは今でも覚えています。その後は、この地震後の状況からなんとかするぞと。

〈NOTONOWILD〉や、〈DOYAコーヒー〉のアカウントから物資援助のお願いして届けていただいたり、それまでに構築してきた仕事や関係性など全てが点と点が繋がった瞬間でした。おかげで物資の供給拠点も1日で構築できたんです。出来ることを出来る人がやる、そういう時期でしたね。

よく役場や自治体の機動力を指摘する人がいますけど、役場は役場で大変な状況の中すごくしっかりやってるんです。だからまずは自助。周りに対して自分が出来ることを粛々とやっていくことが大切だと思います。幸い僕はそれが出来る状況だったしキャラクターだったし、だから取り組んでいただけなんです。ストリートの助け合いというか、このエリアの困りごとに、自分たちが出来ることにアプローチする。水道が復旧しはじめて、炊き出しを縮小していくタイミングが一区切りになりました」

さらに能登半島は地震から半年後、豪雨災害にも見舞われる。

「本当に、なんで能登半島の真上に線状降水帯?って思いましたよ。二つの災害を経て、生き死にの段階をなんとか乗り越えたのが2025年。道路などインフラの整備も完全ではありませんが、能登はいま、ようやく心を癒していくというフェーズに入ったところだと思います」

「だらぼち音楽祭」が、僕たちの復興のかたち

「これまでの間、多くの方が能登に助けに来てくれた。恩返しがしたくて、その想いを形にしたのが、だらぼち音楽祭です。誰かの力に頼って開催するのではなく、自分たちの力で始めようと考えました」

音楽祭の主催者は3人。それぞれが、能登町、狼煙町(のろしまち)、能登島と住むエリアは離れている。能登半島は祭が盛んだったけれど、それぞれの町で開催してきた歴史があるからこそ、この音楽祭は、広域に分かれるメンバーが手を繋いで一つのものを立ち上げるという形にこだわった。
「だらぼち」とは能登半島の方言で、要領は良くなくても真っ正直に生きる人を指す。開催までの道のりは、広域だけに、前例がないだけに、困難もあったが、自分たちで立ち上げていく姿は、まさに言葉通りだ。

「僕ら3人は、それぞれにDJをやったりしていて、元々は音楽つながり。震災前にもフェスを開催しようと思っていたほど。能登は各所に祭があって自分の祭にプライドがあるからこそ、隣町と仲良くなれないこともあった。だからこそ僕らが主催するものは、広域の人たちが手を取り合って作るものにしたかった。祭の要素はあるけれど、神様を降ろしてくるような祭ではなくて、音楽祭という形にしたら僕らでも作り上げられるのではないかと考えました。

愛知県の『橋の下世界音楽祭』を参考に、手作り感があって、土着のカルチャーを表現できて、ステージで繰り広げられる演奏を見るのではなくて、その場所に音楽が溶け込んでいて、時間も空間も演出していくイメージ。だからこそ、空間の音を任せられるという意味で、アーティスト選びも慎重に考えて、結果、ベストを超えるような素晴らしいアーティストの方々が出演してくださいました」

海が見えるだらぼち音楽祭会場
ゆったりと流れる時間と気持ちのいい空と海とが抜ける高台で、地元のフードと共に来場者に新鮮な景色を見せた。
だらぼち音楽祭

だらぼち音楽祭は、午前中から夜まで、里山ステージ、里海ステージ、だらぼちディスコと名付けられた3つの会場で開催された。ヨシハルヨシダやタテタカコのステージに始まり、切腹ピストルズやNatti Nuts、そして辻野氏が10代でそのリリックに出会い衝撃を受けたというTHA BLUE HERBなど、錚々たるメンツが集結。「県外からも多くの方が来場してくださいました。僕らが能登で大好きな海と山の両方を味わえる場所を会場に選んだので、来てくれた方も自然の中に溶け込むような形で音楽を楽しんでもらえたと思います」

ボルテージが高まった会場を辻野さんは振り返る。

「今日、俺に果たせることはここまでだ、精一杯やったよ。あとはあなたたちだよ。」とILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)が言った時は、本当に鳥肌が立って、僕の中学生の息子にも刺さりまくってましたね。どの出演者の方も、みなさん神がかったパフォーマンスで、あの場にいられたことを主催者ながら心から感謝しています。

あの日、アーティストの方皆さんに”能登は素晴らしい”とたくさんの強いメッセージをもらって、僕たちを肯定してもらったことが、本当に嬉しかったし自信に繋がった。震災が起きてどうやって生きていこうかと誰もが考えていたから、すごく勇気をもらいました。こうした瞬間を続けていくことが、次に繋がっていくんじゃないかと実感しました」

辻野さん
能登に新たな祭が生まれた瞬間だと、辻野さんをはじめ来場者の多くが認知したという。

今回のだらぼち音楽祭は、新しい能登の側面を見せたが、これからの能登について、辻野さんが描く未来とはどんなものだろうか。

「復興という言葉の再定義からスタートすることが必要だと考えています。災害によって壊れてしまったものがある状態に戻り、そこからさらに盛んになっていくことを想定する言葉ですが、過疎地においてはそれは違うと思うんです。実際震災後にさらに人口が流出していますから。

そうなると、僕たちが能登に住むことを好んで選び、誇りを持って楽しく暮らしている姿こそが復興だと思うんです。物質的ではなく、心豊かに暮らしている姿を見せることが大切で、だらぼち音楽祭を開催したこともその一貫。だからこそ、アップデートして来年もまた僕たちの手で開催することが、能登の人の心も、県外から訪れてくれる方、出演してくれるアーティストの方に対しても、さらなる復興の姿を見せる機会になると思っています」

Information

だらぼち音楽祭のロゴ
だらぼち音楽祭

能登半島地震からの創造的復興を目指し、2026年5月16日に石川県能登町の「Heart & Beer 日本海倶楽部」で初開催された音楽イベントです。地元の方々が主体となって企画・運営し、音楽や地域の伝統・食を通じて能登に新たな「目的地」を創ることを目的としている。
HP:https://darabochi.com/
Instagram:@darabochi.fes

Profile

辻野実

つじの・みのる/能登町出身。デザインプロダクションSCARAMANGA .inc と、 DOYACOFFEE​​を経営。だらぼち音楽祭共同主催者の一人。
HP:https://scaramanga.jp
  https://notonowild.com

実はスキーもヒップホップダンスもプロ級!?兵庫・養父市「やっぷー」の意外すぎる素顔

Profiel

やっぷーとやっぴー
やっぷー

兵庫県最高峰の山、氷ノ山(ひょうのせん)のブナの森に住む「妖精」。ブナやどんぐり、くるみなど木の実が大好き。のんびり屋でおっとりした性格だが、スキー・スノボはプロ級の腕前。普段はお友達の「やっぴー」と一緒に養父市の魅力を日本中に広めている。

のんびり屋な妖精の、意外なアクティブライフ

森の中のやっぷー
休日は自然の中で過ごすやっぷー

――今日はよろしくお願いします!やっぷーはとてもマイペースだとお聞きしました。普段はどのように過ごしているのでしょうか。
やっぷー:よろしくぷ〜! そうなんだぷ〜、朝寝坊と昼寝が大好きでいつも周囲からワンテンポずれてしまうような、のんびり屋だぷ〜。最近はだんだん暑くなってきたから、養父市を流れる大屋川でよく遊んでいるぷ〜。きれいで冷たい水の中を、川のお魚たちと一緒にスイスイ泳ぐのは、すっごく気持ちがよくて最高ぷ〜!

――普段から養父市の豊かな自然を満喫しているのですね。のんびりした日常の一方で、スキーやスノーボードが大得意だという噂も。
やっぷー:氷ノ山育ちだから冬のアクティビティは大得意。雪の上に立つと、まるでキャラが変わったようにかっこよく滑れちゃうんだぷ〜!

スキーを滑るやっぷー
スキーが得意なやっぷー

――他に最近ハマっていることはありますか?
やっぷー:実は今、「ヒップホップダンス」に猛烈にハマっているんだぷ〜。地域の元気な子どもたちと一緒に、音楽に合わせてノリノリでステップを踏みながら、いっぱいいい汗を流しているぷ〜。

――スキーだけでなくダンスまで! 様々なことにチャレンジしているやっぷーですが、今後やってみたいことはありますか?
やっぷー:今ハマっているヒップホップダンスをもう少〜し極めて、いつか動画を「TikTok」にアップしてみたいんだぷ〜。キレキレのダンスで、画面の向こうのみんなをメロメロに魅了しちゃうのが今の夢だぷ〜。世界中のみんなに届くように一生懸命練習するから、やっぷーのダンスデビューを楽しみにしていてほしいぷ〜!

ご当地キャラEXPOで踊るやっぷー
ご当地キャラEXPOでは他のキャラクターたちと一緒にダンスも披露

養父市の豊かな自然がギュッと詰まっているんだぷ〜

棚田に移る氷ノ山とやっぷー
棚田に反射した「逆さ氷ノ山」。5月上旬の田植え前には撮影スポットとして人気

――アクティブな一面を見せてくれたやっぷーですが、頭のとんがりや、首に巻いているマフラーもすごく印象的です。何か秘密があるのでしょうか?
やっぷー:実はやっぷーの身体は、養父市の豊かな自然がギュッと詰まっているんだぷ〜。全体は自然の緑の豊かさを表すグリーンで、頭のとんがりは「氷ノ山(ひょうのせん)」、首元のマフラーは名瀑「天滝(てんだき)」の清らかな水の流れ、そして手足は「妙見杉(みょうけんすぎ)」を表しているんだぷ〜。

――やっぷーが思う、養父市の一番の自慢はやはり、自然ですか?
やっぷー:そうだぷ〜、養父市は「兵庫県でナンバーワン」の自然が3つもあるのが自慢だぷ〜。

――兵庫県ナンバーワンが3つも! ぜひ教えてください
やっぷー:1つ目は、兵庫県最高峰の山「氷ノ山」。標高は1,510メートルで、近畿地方でもトップクラスの自然の宝庫だぷ〜。
2つ目は、落差98メートルと県下一を誇る「天滝」。「日本の滝100選」にも選ばれている名所だぷ〜。
そして3つ目は、国の天然記念物にも指定されている「樽見の大桜(たるみのおおさくら)」。県下最大のエドヒガン桜で、樹齢はなんと1,000年を超えると言われているぷ〜。
地元のみんなからは「仙桜(せんざくら)」とも呼ばれて親しまれているんだぷ〜!

――どれも圧倒的なスケールですね。
やっぷー:春夏秋冬で違う表情が楽しめるこの大自然こそが、みんなに一番伝えたい養父市の宝物なんだぷ〜。

目標は世界。応援してくれるみんなの笑顔を原動力に

地域のお祭りに出演するやっぷー
地域のお祭りに出演するやっぷー

――大好きな養父市のために、日々イベントなどで大活躍されています。活動の中で一番嬉しいと感じる瞬間はどんなときですか?
やっぷー:一番嬉しいのは、地域のイベントでみんなが「やっぷー!」って名前を呼んで、笑顔で握手や記念撮影をしてくれることだぷ〜。夏の暑い日は大変だけど、みんなの笑顔を見ると一気に元気になっちゃうぷ〜。最近は市外から来てくれた人が「いつも応援してるよ」って声をかけてくれることも増えて、本当に感激しているぷ〜。

――これからの目標や、展望を教えてください。
やっぷー:日本を飛び出して、世界へ向かって大きく羽ばたくことだぷ〜。もっとたくさんの人に、養父市のすばらしい魅力をお届けしたいと思っているぷ〜。

――最後に、読者のみなさんへメッセージをお願いします。
やっぷー:養父市は、雄大な山や美しい滝など、豊かな大自然に囲まれたとっても素敵な町なんだぷ〜。養父市を盛り上げるために一生懸命がんばるから、応援よろしくぷ〜!

“地域を盛り上げる力”を競う。「世界ご当地キャラグランプリ」が初開催、コロカル賞も

地方創生の新たな一歩のきっかけに

世界各地で地域を盛り上げる「ご当地キャラ」。彼らの日々の地道な活動を可視化し、地域活性化の原動力へと変えるイベント「世界ご当地キャラグランプリ」が開催される。現在はエントリー受付中で、投票期間は2026年7月7日(火)から12月13日(日)まで。4月上旬のエントリー開始からわずか数日で、早くも国内外から約200キャラが参戦を表明し、持続可能な地域振興を目指す新たな試みとして注目を集めている。

地域に貢献しているキャラクターが日の目を浴びるグランプリ

開催の背景にあるのは、一般社団法人日本ご当地キャラクター協会をはじめとした実行委員会の「単なる人気投票ではなく、地域のために一生懸命活動するキャラクターを評価したい」という強い思いだ。従来の大会では知名度の高い人気キャラばかりが注目されがちで、地域に貢献していても評価されにくい側面があった。そこで本グランプリでは、約半年にわたるWEB投票と、リアルイベントでの現地投票を連動させた「応援評価システム」を導入。彼らが活動する地での触れ合いや盛り上がりを重視し、地域貢献度を評価する仕組みとなっている。

コロカル編集部が選ぶ「コロカル賞」も

また、Webマガジン『colocal(コロカル)』も本イベントの趣旨に賛同し「コロカル賞」を設置。以下の3つの軸を元に編集部がリサーチ取材し、「最も地域を愛し、愛されているキャラクター」を選定する。

1.地域貢献度: 地元の地場産業や観光への具体的な寄与。
2.地域密着度: 地元住民との交流頻度や、伝統行事への参加姿勢。
3.編集部視点: 独自性のあるストーリーや、地域資源の活かし方のセンス。
この賞には、地域で活動する真摯な姿が全国に届いていなかったキャラクターをピックアップし、今後の活動へのモチベーションを高めてほしいという願いが込められている。

また、コロカル賞以外にも様々な副賞が用意されており、今後も増えていく予定だ。各賞を予想しながら、皆さんもぜひお気に入りのキャラクターを見つけて応援してほしい。

Information

世界ご当地キャラグランプリ

開催スケジュール:
● エントリー期間: 4月上旬〜
● WEB応援投票期間: 7月7日12:00〜12月4日23:59
● リアル(現地)応援投票期間: 9月〜12月(全国複数カ所で開催。イベント初日〜最終日終了1時間前まで)
● 現地応援会場(予定):千葉市、群馬県、彦根市、羽生市、泉佐野市
● 総合ランキング集計期間: 7月7日〜12月13日
公式WEBサイト:https://charagp.com
問い合わせ:世界ご当地キャラグランプリ 事務局(info@charagp-mail.com)

新潟に行ったら食べたい、地元で愛される銘菓3選|ニッポンおやつ図鑑

雪遊びの思い出を、ひとくちのパイに。〈木村屋〉のつぼんこ

つぼんこ

新潟県十日町市に店を構える老舗〈木村屋〉。このお店の人気商品として愛されているのが、パイ菓子「つぼんこ」です。名前の由来は、かつて子どもたちが足で雪を固めて作った雪玉をぶつけ合って遊んだ冬の遊びから。コロンとした丸みを帯びた形と、雪ん子をあしらったパッケージが愛らしく、食べる前につい手にとって眺めてしまいます。

こだわりは、職人がひとつひとつ手作業で丁寧に折り重ねるパイ生地。何度も生地を折り重ねて焼き上げることで、幾重にも重なるサクサクとした食感に。パイ生地を割ると、中から現れるのはコクのある黄身餡と、一粒贅沢に入った栗。ひと口頬張れば、優しい甘さと、サクサク、ホクホクとした食感が口いっぱいに広がります。

懐かしい冬の風景に思いを馳せて作られたつぼんこ。雪深い十日町の景色を想いながら、温かいお茶と一緒にゆっくりと味わいたいお菓子です。

Information

お菓子処 木村屋

住所:新潟県十日町市駅通り98番地1
電話番号:025-752-2280(駅通り本店)
HP:https://tokamachi-kimuraya.com/

伸びる飴が話題、長岡名物〈長命堂飴舗〉の飴もなか

飴もなか

新潟県長岡市で大正元年に創業し、100年以上愛され続けている老舗〈長命堂飴舗〉(ちょうめいどうあめほ)。この店の看板商品が「飴もなか」です。

一見すると普通の最中のようですが、割ってみると中からとろ〜りと伸びる水飴が溢れ出てきます。見た目のインパクトからSNSなどでも話題を呼び、長岡でもすぐに売り切れてしまう人気のお菓子。新潟産のもち米を使って香ばしく焼き上げられた皮と、あっさりとした甘さの水飴との組み合わせは、シンプルながらも計算し尽くされた絶妙なバランス。

「失敗苦心を重ねて完成させた」という初代の想いが詰まったこのお菓子は、全国菓子大博覧会でも名誉金賞を受賞するなど、折り紙付きの名品。

長命堂の「おいしいお菓子をひとつひとつ丁寧に」というモットーの通り、昔から変わらない製法で、職人が一つ一つ手仕事で丁寧に仕上げています。時代が変わっても変わらない素朴な味わいは、長岡の歴史が詰まった唯一無二の銘菓です。

Information

長命堂飴舗

住所:新潟県長岡市殿町2-1-2
電話番号:0258-35-1211
HP:https://amemonaka.jp/
Instagram:@amemonaka_

新潟県民の定番おやつ、〈亀田製菓〉のサラダホープ

サラダホープ

新潟の米菓文化を語る上で、〈亀田製菓〉の「サラダホープ」抜きには語れません。1961年に亀田製菓から発売されて以来、60年以上愛され続けるロングセラー商品。看板商品の「ハッピーターン」や「柿の種」よりも長い歴史を持っています。

それなのに県外で「サラダホープ」をあまり見かけないのには理由があります。発売当初は全国で販売されていましたが、あまりの人気で売り切れが続出。生産体制を整えるために新潟限定(一部店舗を除く)の商品として販売されるようになりました。それ以来、新潟県民のおやつや帰省した際の定番土産として定着しています。魅力は、サクサクとした軽快な食感と、もち米本来の旨みを引き立てる絶妙な塩加減。お米を知り尽くしたメーカーが追求した、飽きのこない味わいは、一度食べ始めると止まらないクセになるお菓子です。

最近では、定番のうま塩味に加え、枝豆やカレーといったバラエティ豊かなフレーバーも展開されており、選ぶ楽しさも広がりました。日常の風景に溶け込むこの新潟のスタンダードは、子供から大人まで、世代を超えて親しまれています。

Information

亀田製菓株式会社

住所:新潟県新潟市江南区亀田工業団地3丁目1番1号
電話番号:025-382-2111
HP:https://www.kamedaseika.co.jp/
IG:kameda_jp

新潟県・長岡で歴史散歩。摂田屋と出雲崎をめぐる旅。

摂田屋の豪商が残した芸術建築〈旧機那サフラン酒本舗〉

長岡駅の隣、宮内駅が最寄りの摂田屋は、古くから醸造業が盛んな「醸造の町」。お酒に味噌、醤油など、今でも続く蔵が多くあり、町を歩くと、発酵の香りがふわりと漂います。

まず訪れたのは、この地域のシンボルになっている〈旧機那サフラン酒本舗〉。明治20年に創業し、全国で薬用酒として流行したお酒の製造所跡地です。サフランという花と蜂蜜、丁子、桂皮、甘草などの植物を調合したお酒で、その人気はあの養命酒と並ぶほどだったといいます。

看板には大きな「サフラン酒」の文字

敷地内に現存している建物や庭園は全て国登録有形文化財に登録されており、今でも市民によって保全活動が続けられています。中でも、注目すべきは全国でもトップレベルの大きさを誇る鏝絵(こてえ)。名前の通り、左官が壁を塗る「こて」で図柄を立体的に描く技法で、かつて事務所として使われていた建物の外観には、色鮮やかな動物たちが大胆に描かれています。

立体的に見えるのが特徴の鏝絵。動物たちが今にも動き出しそう。

これらの建築物は、サフラン酒で財を成した創業者の吉澤仁太郎が築いたもの。豪快な人柄だったという彼が「世間をあっと言わせたい」という遊び心で作ったというから驚きです。鏝絵以外にも鯉が泳ぐ庭園や「趣味で花火を打ち上げたところ、近くの寺に落ちて全焼してしまった」と言う逸話からも、彼の豪快で華やかな人柄が滲み出ています。

 新潟最古の酒蔵を知る〈吉乃川 酒ミュージアム 醸蔵〉

次に訪れたのは、新潟一の歴史を誇る酒蔵〈吉乃川〉。醸造の町、摂田屋の歴史はここから始まりました。創業は 天文17年(1548年)。470年以上も、この地でお酒を作り続けています。

敷地内に2019年にオープンしたのが〈酒ミュージアム 醸蔵〉。蔵の歴史や酒造りの工程を知ることができる他、試飲コーナーがあったり、グッズを購入できたりと、吉乃川を五感で体験できるスポットです。

約100年前に建てられた倉庫を改装して作った、〈酒ミュージアム 醸蔵〉。

地元の方曰く、新潟のお酒は繊細なため、手首のスナップを使って顎を上げずに飲むのがコツ。こうすることで舌の真ん中で存分に日本酒の旨みを感じることができるんだそう。これから新潟のお酒を飲むときは、試してみたい!

お地蔵さまが目印。長岡の名物醤油〈越のむらさき〉

摂田屋を歩いているとひときわ目をひくのが、大きく屋号が書かれた煉瓦の煙突。江戸時代から続く老舗醤油蔵〈越のむらさき〉です。看板商品の「特選かつおだし 越のむらさき」は、かけるだけではなく、煮物やつゆとしても使える万能調味料。地元民には定番の「ソウル調味料」です。

「第一回長岡市都市景観賞」を受賞した社屋。

目印は、ボトルのラベルに描かれた愛らしい「こしのじぞう」。店先には、江戸時代から旅人の道しるべとして座り続けてきた本物のお地蔵さまが祀られており、今も摂田屋を優しく見守っています。

出雲崎の海岸線に立ち並ぶ、妻入りの街並み

摂田屋を後にして向かったのは、日本海に面する出雲崎町。江戸幕府の直轄地「天領」で、佐渡からの金銀が陸揚げされた北前船の寄港地として栄えた町です。今では県内で2番目に人口が少ない町ですが、当時の人口密度は日本トップクラスだったといいます。

その名残ともいえるのが、「妻入り(つまいり)」と呼ばれる建築様式の家。限られた土地に多くの人が住めるようにするため、そして当時は間口の幅が税の基準になっていたことから、間口を抑え奥へと伸びるつくりが広がりました。

そうして生まれたのが、海岸線に沿って約3.6kmも続く妻入りの街並み。晴れた冬の日に路地を歩くと、前には雪の積もった山が、家々の間からは日本海が見える、出雲崎ならではの景色を堪能することができます。

かつての暮らしを知るため、〈北国街道 妻入り会館〉へ。ここは当時の建築様式を再現した施設で、外から眺めるだけではわからない内部を見学できます。玄関口から海側にあるお勝手場までが繋がっている「通し土間」は港町ならでは。

普段は、季節に合わせた展示が行われたり、街歩きの休憩処としても使われています。

出雲崎の偉人、良寛ゆかりの地を巡る。

出雲崎を語る上で欠かせないのが、僧侶・歌人の良寛(りょうかん)。この地で生まれた良寛は、裕福な家庭ながらも出家し、自然や子どもたちとの交流を好みました。また、多くの歌や漢詩を残し、今でも多くの人に親しまれています。

良寛を偲んで、生家の跡地に建てられたのが〈良寛堂〉。日本海をバックに素朴なお堂が建っており、中に展示されている自筆の詩は必見。晴れた日には良寛の母の故郷、佐渡島も見えるというこの場所で、良寛の石像が海の向こうを見つめるように鎮座しています。

日本海を一望できる絶景スポット

町歩きの最後は、高台にある〈良寛と夕日の丘公園〉へ。妻入りの街並みと、目の前に広がる日本海、そしてその先に浮かぶ佐渡島を一望できる絶景スポットです。

先ほど歩いた海岸線の街並みを上から見下ろすことで、海と山に挟まれた狭い平地に妻入りの家々が密集して並んでいる様子がよく分かります。

「にいがた景勝百選」の一位にも選ばれたこの場所は、名前の通り県内屈指の夕日の名所。タイミングがよければ、良寛と子どもたちの石像が夕日に照らされる様子も見れるんだそう。


街を歩くと見えてくる、人々の営み。歴史を知ることで、今も変わらぬ町並みの中に長岡で続いてきた暮らしを感じる旅でした。

旅の中で出会ったグルメは「コロカル編集部の食いしん坊日記」で紹介中。
併せてチェックしてみてください。

編集部員が選ぶ、新潟・長岡エリアに行ったら食べてほしいグルメ4軒|コロカル編集部の食いしん坊日記

新潟はラーメン大国! 生姜醤油ラーメンで体ぽかぽか。

お米のイメージが強い新潟ですが、全国屈指の「ラーメン県」でもあるんです。新潟濃厚味噌ラーメン、燕背脂ラーメンなどの「新潟5大ラーメン」を筆頭に、土地の風土を生かした個性豊かなラーメンが独自の進化を遂げています。その一つ、長岡を代表するラーメンが「長岡生姜醤油ラーメン」。 生姜を効かせた濃口のスープが特徴で、食べるとじんわり体が温まる、 県内でも雪深い長岡地域ならではのラーメンです。今回訪れたのは、〈ラーメンあおきや 喜多町店〉。 90席ある広い店舗にも関わらず、土日は列ができるほど人気の名店です。

生姜醤油ラーメンという名前から、さぞ生姜のパンチが強いのだろうと少しドキドキしながらスープを口に運ぶと。意外にも口当たりはさっぱりとしており、マイルドな醤油の旨味が口いっぱいに広がります。けれど、後から生姜の風味がしっかりと追いかけてきて「確かにこれは生姜醤油ラーメン!」と納得の味。中太のストレート麺に、トッピングの海苔もアクセントになり、あっという間にするすると食べ切ってしまいました。初めて体験した、本場の生姜醤油ラーメン。また食べたくなる、クセになる一杯でした。

醤油の香りに誘われて〈江口だんご〉でひと休み。

長岡市摂田屋地区は、自然豊かで水がきれいなことから、お酒や醤油、味噌作りなどが栄えてきた醸造の街。現在は、古い建物を活かしながら、再開発が進み、街歩きにぴったりのエリアです。このエリアの街歩きで必ず立ち寄りたいのが〈江口だんご〉。店先から漂う香ばしい香りに誘われて、ついつい足が向いてしまいます。このお店は、摂田屋の老舗醤油蔵〈越のむらさき〉の創業者の旧邸宅を改築した店舗。名物のみたらし団子にもその醤油が使われています。店先にはベンチもあるので、焼きたてのお団子をその場で頬張るのがオススメ!また、奥の店内を覗くと、笹だんごや大福など手土産用の和菓子も販売されていました。今回同行してくれた長岡地域振興局職員の方の「いちご大福も絶品なんです!」という言葉に、ついついこちらもお買い上げ。

摂田屋の夜は、発酵レストラン〈WILLOW HOUSE〉で。

発酵文化が色濃く残る摂田屋で、古民家を改装して2024年にオープンしたレストラン〈WILLOW HOUSE〉。発酵をテーマに、地のものを活かしたメニューを提供しています。今回いただいたのは「薪火と発酵コース」。料理は、隠し味に醤油や味噌が使われていたり、調味料にも麹が使われていたりと前菜からデザートまで、じっくりと発酵の魅力を堪能できます。 さらに、天然酵母を使ったパンはなんと食べ放題!しかも、薪火を使って焼き上げているというから驚きです。 種類も豊富で、そのおいしさについついおかわりしてしまいます。

ドリンクも侮ることなかれ。ノンアルコールも発酵メニューが充実しており、 お酒を飲む人も、そうでない人も楽しめるのが嬉しいポイントです。普段はお酒一択の私も、この日はクラフトコーラにもチャレンジ。素敵な空間でゆっくりと食事を楽しんだ、いい夜でした。

小千谷にきたら、へぎそばを食べよう。

長岡市から少し足を伸ばしてやってきたのは小千谷市〈わたや本店〉。ここは100年以上、名物の「へぎそば」を作り続けている老舗です。古くからお祝いの席で親しまれてきた郷土料理で、「へぎ」と呼ばれる四角い木の器に盛り付けられていることが名前の由来。 岩手のわんこそばといい、へぎそばといい、器で料理の名前がつくのが面白い。そばは一口サイズで綺麗に並べられており、それを一玉ずつつゆにつけて食べるのが小千谷スタイル。

へぎそば
絹のように盛り付けられたそばが美しい。

さっそくすすってみると、コシが強くツルッとした食感に驚きます。この独特な食感の秘密は、生地に練り込まれている海藻の「ふのり」。実はこのふのりは、江戸時代から作られてきた高級麻織物「小千谷縮」にも使われていたもの。ユネスコ無形文化遺産にも登録されており、さらっとした着心地の良さゆえに夏の着物の素材として大名御用達だったと言われています。 その糸を整えるための糊として、ふのりは欠かせない存在でした。

そばも織物も、どちらも同じ素材が支えてきたという話を聞き「やっぱり食には土地の色が出るんだなあ」と改めてしみじみ。小千谷の歴史に思いを馳せながら、最後の一口までじっくり味わいました。

わたや本店
外観からも歴史を感じる。

どの料理も土地の気候や歴史と紐づいており、「なるほど!」の連続だった人生初の新潟旅。滞在はたったの2日間でしたが、帰る頃にはもう新潟が恋しくなっていました。
次はどこで何を食べようかな?

長崎県民なら知っている?『和・華・蘭』の歴史を感じる銘菓3選|ニッポンおやつ図鑑

五島列島の念仏踊りの熱気を伝える。〈はたなか〉の治安孝行(ちゃんここ)

ちゃんここ

大正元年、五島列島福江島で饅頭店として創業した〈はたなか〉。現在は、お菓子作りだけでなく「観光ビルはたなか」としてレストランや宴会場も運営し、島の人々にとって親しみ深い存在となっています。そんな老舗が60年以上守り続ける看板商品が、五島を代表する銘菓「治安孝行(ちゃんここ)」です。

一度聞いたら忘れられない、そのユニークな名前は、島に800年前から伝わる念仏踊り「チャンココ」(県指定無形民俗文化財)が由来となっています。語源はカネの音の「チャン」と太鼓の音「ココ」。先祖の霊を鎮め、家内安全の祈りを込めて踊られる、五島の夏の風物詩です。毎年お盆の時期になると、花傘を被り、腰みのをつけた踊り子たちが太鼓を叩きながら踊る様子が島の各所で見られます。コロンとした俵型は、踊り手が首から提げる太鼓を模したものなのだそう。

きな粉がたっぷりまぶされたもちもちの求肥の中には、職人が丁寧に練り上げたあんこがぎっしり。かつて天皇陛下へ献上され、全国菓子博覧会でも名誉総裁賞に輝いた、五島が誇る正真正銘の銘菓です。

ちゃんここのポップ

実はこの「治安孝行」、島外の実店舗ではなかなかお目にかかれない希少な一品。今回、商品を購入したアンテナショップ〈日本橋長崎館〉でも、「交渉の末、ようやく入荷!」というポップが添えられていました。島の歴史がぎゅっと詰まった、出会えたらラッキーな五島のおやつです。オンラインでも販売されているので、ぜひ食べてみてください。
(※日本橋長崎館は2026年4月1日〜5月31日にリニューアル工事のため一時休館予定。)

Information

御菓子司はたなか

住所:長崎県五島市中央町7番地20|地図電話番号:0959-72-3346
HP:https://www.hatanaka.cc/
Instagram:@chankoko_hatanaka

中国文化を感じる、長崎県民のソウルフード。〈福建〉のよりより

よりより

日本三大中華街の一つがある長崎で古くから愛され続けている「よりより」は、小麦粉の生地をねじって油で揚げた、中国発祥のお菓子。「麻花兒(マファール)」や「唐人巻」など様々な呼び名がありますが、2本の生地をよりあわせて作られることから、地元では「よりより」の愛称ですっかり定着しています。長崎では学校給食にも登場するほど身近な存在で、県民のソウルフードともいえる食べ物です。

今回、アンテナショップに並ぶ、数あるよりよりの中から手に取ったのは、中華街で70年以上続く老舗〈福建〉のもの。おいしさの秘密は、中国の伝統的な饅頭作りにも使われる、自然発酵させた熟成生地「老麺(ろうめん)」。これを一本一本職人の手で編み上げ、大豆油で揚げることで小麦本来の旨みを引き出しています。

よりよりのポップ

最大の特徴は、なんといってもその独特な歯ごたえ。アンテナショップのポップにも「歯の弱い方はお気をつけください」と注意書きがあるほどの硬さです。ボリボリとした食感と、さっぱりとした優しい甘さはクセになること間違いなし。商品ごとに違う「硬さ」を食べ比べして、自分好みのよりよりを探してみるのも楽しみのひとつかもしれません。異国の文化が街に溶け込み、日常のおやつとして根付いた、長崎の歴史を感じる一品です。

Information

福建

住所:長崎県長崎市出島町4-13|地図
電話番号:095-823-1036
HP:https://fukken-nagasaki.jp/

殿様が愛した、黄金のお菓子。〈平戸 蔦屋〉のカスドース

カスドース

かつて海外交通の拠点として栄え、南蛮貿易の幕が開いた長崎県平戸市。文亀2年に創業した〈平戸 蔦屋〉は、江戸時代に平戸藩主・松浦家の御用菓子司を務めた、九州最古とも言われる歴史ある菓子店です。

看板商品の「カスドース」は、長崎に伝えられた南蛮文化のひとつ。ポルトガルの家庭で食べられてきた伝統的なお菓子で、長崎名物カステラよりも早くポルトガルの宣教師から伝えられたとも言われています。名前の由来は、カステラの「カス」にポルトガル語で甘いという意味の「ドース」。卵や砂糖が最高の贅沢品だった当時、殿様しか口にできない“幻の菓子”と呼ばれていました。

保存料は一切使わず、厳選した長崎県産の新鮮な卵を使い、丸2日間かけて手作業で仕上げられているカスドース。一口大のカステラをたっぷりの卵黄にくぐらせ、沸騰した糖蜜で揚げ煮にし、仕上げにグラニュー糖をまぶして作られます。糖蜜で揚げる工程は、冷蔵設備がない時代に日持ちを良くするための先人たちの知恵。第十代平戸藩主・松浦熈(ひろむ)が町民のために編纂したお菓子図鑑『百菓之図』にもその姿が描き残されており、古くからこの地で愛されてきたことが分かります。

シャリッとした砂糖の食感のあとに広がる、濃厚なコクと贅沢な甘み。黄金色に輝くその姿は、まるで宝石のよう。特別なティータイムに、一切れずつ大切にいただきたい一品です。

Information

つたや總本家

住所:長崎県平戸市戸石川町953-5|地図
電話番号:0950-22-2360
HP:https://www.hirado-tsutaya.jp/

青森で愛され続けるロングセラー銘菓3選|ニッポンおやつ図鑑

1970年発売、旅人に愛された伝統の味。〈ラグノオささき〉の茶屋の餅

1884年、弘前で小さな餅屋として創業した〈ラグノオささき〉は、現在も青森を代表する定番土産を数多く手がけています。そんな同社が1970年に発売し、今なお幅広い世代に愛され続けているロングセラー商品が「茶屋の餅」。

その名前は、かつてみちのくの峠越えに挑む旅人たちが、道中の茶屋で味わった餅菓子に由来しています。竹皮柄のパッケージには、笠を被って歩く旅人や、わらぶき屋根の茶屋で休息をとる人々の姿が描かれており、当時の情景を今に伝えています。
袋を開けると、並んでいるのは、指の跡がへこみとなってつくほど柔らかな一口大の餅。きな粉の香ばしい香りがふわっと広がります。とろけるような口当たりのなかで、餅に練り込まれたくるみのカリッとした食感が心地よいアクセントに。

いっぷくの時間によく似合う、気取らない優しさが詰まったお菓子です。

Information

ラグノオささき

住所:青森県弘前市大字百石町9番地|地図
電話番号:0172-35-0353
HP:https://www.rag-s.com/
Instagram:@ragueneau_official

 

青森の豊かな恵みを一番シンプルに。〈アップルアンドスナック〉のアップルスナック

青森県田舎館村で、りんごチップスだけを作り続けている菓子メーカー〈アップルアンドスナック〉を知っていますか?

レトロなフォントデザインが可愛い「アップルスナック」の袋を開けると、生のりんごをそのままスライスして揚げたチップスが。驚くほど軽く、口に入れるとパリパリ、サクサクとした軽快な食感は、一度食べ始めると止まらなくなるほど。独自の「減圧フライ製法」で仕上げられているため、油っぽさはなく、噛むほどにりんごの爽やかな甘酸っぱさと、素材本来の優しい甘さが広がります。

今回、コロカル編集部が手に入れたのは、赤い袋の「サン津軽」と黄色の袋の「とき」。他にも「サンむつ」、「早生ふじ」など品種ごとのラインナップが発売されており、りんご王国の層の厚さを感じます。また、袋の裏面に種類ごとに異なるキャラクターが描かれているのもポイント。こうした遊び心に、手に取るたびに楽しい気持ちにさせられます。

“まっすぐ作れば…まっすぐ伝わる”。そんな信念のもと、添加物や保存料を使わず手間をかけて作る「体を想うお菓子」には、作り手の誠実さが詰まっています。
青森の豊かな恵みを一番シンプルな形で受け取る、贅沢なスナック。

Information

アップルアンドスナック

住所:青森県南津軽郡田舎館村大字川部字上船橋50-10|地図
電話番号:0172-26-5360
HP:https://www.applesnack.com/
Instagram:@applesnack_official__ig

素材を楽しむ、中泊の味。〈中里はとむぎ工房〉のはとむぎかりんとう 

美容や健康に良いとされ、古くから薬用としても使われてきたはとむぎ。青森県中泊町では、品種改良を一切行わずに受け継がれてきた貴重な在来種「中里在来」が今も大切に栽培されています。

この希少なはとむぎを使用して作られているのが〈中里はとむぎ工房〉の「はとむぎかりんとう」です。

このお菓子の魅力は、ボリボリ、ザクザクとした食感。一般的なかりんとうに比べて生地がぎゅっと詰まっており、噛むほどにはとむぎの素朴な旨みが広がります。甘さは控えめで、はとむぎの風味を主役にするための、絶妙な味付けです。

原料はシンプルで、保存料などの添加物は不使用。その日の気温や湿度に合わせて粉と水の配合を微調整するなど、製造工程にも作り手のこだわりを感じます。

素朴ながらも丁寧に作り込まれた味わいは、一度食べ始めると止まらなくなるはず。

土地の恵みがそのまま形になった、優しいお菓子です。

Information

中里はとむぎ工房

住所:青森県北津軽郡中泊町大字福浦字浦島32|地図
電話番号:0173-57-4735