計画で終わらせない地方創生。「実現」まで伴走する、さとゆめの思想と実践|コロカルアカデミー Vol.11

地域の暮らしや文化に根ざした新しい学びの場「コロカルアカデミー」。
その第11回となる今回は、地域創生を“理念”ではなく“事業”として成立させ続けてきた実践者、株式会社さとゆめ 代表取締役社長 嶋田 俊平さんをゲストに迎えます。

「すべての人がふるさとに誇りを持ち、ふるさとの力になれる社会をつくる。」

このビジョンを“言葉”にとどめず、計画から実装、そして継続可能な事業として地域に根づかせる。本セミナーでは、さとゆめがこれまで手がけてきた数々のプロジェクトを手がかりに、地域創生コンサルティングの本質を掘り下げます。なぜさとゆめは、実現までやり切れるのか。

嶋田さんが一貫して大切にしてきたのは、
●「計画」ではなく「実現」まで責任を持つこと
●ミッション・ビジョンを“旗”として掲げ続けること

山梨県小菅村

山梨県小菅村で展開する、「700人の村がひとつのホテルに」という発想から生まれた分散型ホテル〈NIPPONIA 小菅 源流の村〉、そして JR東日本 との共同事業「沿線まるごとホテル」プロジェクト。いずれも、地域の資源・人・関係性を丁寧に編み直し、“心が動く体験”を起点に事業を成立させてきた実例です。

「沿線まるごとホテル」プロジェクト

本セミナーでは、
●さとゆめ立ち上げの背景と、これまでの歩み
●さとゆめとは何か。地方創生コンサルティングの思想
●理想と現実のギャップに、どう向き合ってきたか
●「ふるさと=情緒が形成された場所」という独自の定義
●小さな組織だからこそ、ムーブメントを目指す理由

といったテーマを軸に、“地域で事業をつくる”ための思考と覚悟を共有します。

さらに、
●仲間の集め方・採用の考え方
●人を惹きつける力の源泉
●「沿線まるごとホテル」プロジェクトにおける視点と裏側

など、これから地域に関わる仕事をしたい人にとって、実践的なヒントが詰まった時間となるはずです。

◼️概要
コロカルアカデミー Vol.11
「計画で終わらせない地方創生。「実現」まで伴走する、さとゆめの思想と実践」
日時:2026年3月4日(水)15:00〜16:00(14:50開場)
応募締切:2026年3月3日(火)11:59
形式:Zoomウェビナー
参加費:無料(要事前申込)
※お申し込みいただいた方には、後日見逃し配信のご案内をお送りします。
当日ご参加が難しい方も、ぜひお気軽にお申し込みください。

▶︎お申し込みはこちら

◼️コロカルアカデミーとは
ローカルを舞台に活躍する人々のリアルな情報を通して、日本の魅力を再定義するウェビナーシリーズです。地域を活性化させるために働きたい方、ローカルでビジネスを始めたい方、自治体や企業で地域創生に携わる方に向けて、新たなヒントを提供します。

いままでのコロカルアカデミーはこちら

登壇者は、地域の文化資産や資源を掘り起こし、その価値を世界に伝える新しいリーダーたち。ローカルビジネスにおける強みと課題、問題解決のプロセス、未来を変える次の一手についてもリスナーの皆さんと一緒に考えていきます。

◼️こんな方におすすめ
●地方創生・観光・まちづくりに携わる自治体・企業関係者
●地域を舞台に、事業やプロジェクトを立ち上げたい方
●コンサルティングやプロデュースの仕事に関心がある方
●ミッション・ビジョンを軸にした組織づくりを学びたい方
●「想い」を「事業」に変えるプロセスを知りたい学生・若手社会人

【登壇者プロフィール】

嶋田 俊平

嶋田 俊平(しまだ・しゅんぺい)
株式会社さとゆめ 代表取締役CEO
京都大学大学院農学研究科森林科学専攻修了。環境系シンクタンク勤務を経て、2013年に株式会社さとゆめを設立。地方創生の戦略策定から商品開発、販路開拓、店舗立ち上げ、観光事業運営まで、地域に一気通貫で伴走する事業プロデュースを行う。
山梨県小菅村「NIPPONIA 小菅 源流の村」、JR東日本との「沿線まるごと」事業、HISとの「Destination Create Project」など、全国各地で多数のプロジェクトを手がける。

杉江宣洋

杉江宣洋(すぎえ・のぶひろ)
コロカル編集長/MAGAZINEHOUSE CREATIVE STUDIO ブランディングプロデューサー
1997年マガジンハウスに入社。『anan』編集部を経て、2008年『BRUTUS』配属、10年同誌副編集長に。『BRUTUS』では「居住空間学」(インテリア特集)「音楽と酒」シリーズなどをヒット企画に育てた実績を持つ。また、「桑田佳祐」「山下達郎」「松本隆」「スタジオジブリ」などの特集も担当。2022年Hanako編集長就任。2025年より現職。

【注意事項】
・本イベントはオンライン開催です。
・音声や映像の乱れが生じる場合があります。
・録画・録音・再配信はご遠慮ください。

申込締切:2026年3月3日(火)11:59
▶︎お申し込みはこちら

※お申し込みいただいた方には、後日見逃し配信のご案内をお送りします。当日ご参加が難しい場合も、ぜひお気軽にお申し込みください。

「豊島事件」を教訓に 次世代へ美しいふるさとを託す

香川県の〈豊島〉に大量の産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」。この事件を教訓とすべく、「瀬戸内オリーブ基金」は今新たな試みを開始した。連載第3回となる今回は、「瀬戸内オリーブ基金」の25年にわたる歩みを振り返り、現在取り組んでいる活動とこれからの展望について話を伺った。
(「豊島事件」についてはVol.2の記事へ)

島民の想いと希望をオリーブに込めて

【瀬戸内海が持つ環境的・文化的・歴史的価値を見直し、植樹活動によって破壊された自然を回復し、「美しいふるさと」瀬戸内海を次の世代に引き継ぐ】

この目的を実現させるために「瀬戸内オリーブ基金」が、設立されたのは2000年11月のこと。

「安藤さん、豊島のゴミを処理するだけではダメだ。かつての緑豊かな島に戻さなければならない」

「豊島事件」公害調停を闘った弁護士・中坊公平さんが以前から付き合いのあった建築家・安藤忠雄さんにこう声がけをした。安藤さんは、阪神・淡路大震災の復興への取り組み『ひょうごグリーンネットワーク』という被災地の緑化活動を続けており、植樹についてのノウハウを持っている、うってつけの人物でもあった。中坊さんは、〈豊島〉の問題を〈豊島〉のみととらえず、日本の「環境破壊を見ないふりして成立してきた社会」の負の象徴であると位置づけ、瀬戸内の自然を取り戻すことこそが、日本の、そして世界の人々の環境に対する意識を変えるきっかけになると考えた。

第1回の記念植樹式の様子(提供:廃棄物対策豊島住民会議)

第1回の記念植樹式の様子(提供:廃棄物対策豊島住民会議)

2000年11月15日、〈豊島〉で開催された第1回の記念植樹式では、中坊さんと安藤さんが豊島の小中学生とともに、オリーブの苗木1000本を植樹。「瀬戸内オリーブ基金」は、瀬戸内の里山・里海を守る活動を支援し、100万本の木を植える目標を掲げる。現在は、ユニクロをはじめ、様々な企業や個人が支援をしている。

「排出事業者が廃棄物を委託する際の責任の明確化と、不法投棄の未然防止を目的に実施される『マニフェスト制度』の導入により、不法投棄が社会的に非難される行為として認識されるようになったのは、『豊島事件』が社会に与えた大きな影響です」と語るのは、弁護団の一人として豊島事件の公害調停に関わり、現在は、同基金の理事長をつとめる岩城裕さん。その一方で、豊島住民たちの粘り強い闘いが一部で「住民エゴ」と批判されることもあったそう。しかし、想像してみてほしい。もし豊島住民たちの小さな、そして長い闘いがなかったならば、現代も、効率と利益を最優先する経済原理に基づいた、ゴミが大量に廃棄される社会のままだったかもしれないことを。

「我々『瀬戸内オリーブ基金』のビジョンは、人と自然が共存する持続可能な社会を目指すことです」

現在、「瀬戸内オリーブ基金」は、4つのプログラムを軸に活動をしている。

オリーブの樹と豊かな自然の象徴、スナメリをモチーフにした「瀬戸内オリーブ基金」のスタッフユニフォーム

オリーブの樹と豊かな自然の象徴、スナメリをモチーフにした「瀬戸内オリーブ基金」のスタッフユニフォーム

1. 【助成プログラム】
「瀬戸内オリーブ基金」の理念に賛同する、法人・個人サポーターからの寄付金を元に、瀬戸内海エリアの環境保全と再生に取り組む団体に、原資となる資金を助成。瀬戸内海エリアの環境保全と再生を目指す。
現在までに3億円以上の資金助成を行ってきた。豊かな環境を日本のふるさととして次世代に引き継ぐことを目的に、瀬戸内の山・森・川・海や、そこに生きる生きものを守る活動に加え、未来を担う世代が環境について学び、考える機会をつくる取り組みを支援している。

2. 【ゆたかなふるさと100年プロジェクト】
廃棄物の不法投棄によって荒廃した〈豊島〉の処分地の植生を、本来の豊かさを取り戻すことを目指し、自然の営みに寄り添いながら、その回復の過程を手助けする取り組み。「瀬戸内オリーブ基金」の運営委員でもある岡山大学院環境生命自然科学研究科・嶋一徹教授のサポートのもと活動している。
今もなお、処分地には地下水問題が残るため、香川県が管理をし、モニタリングを続けている。将来的に豊島住民の手に戻った後、どのような手助けが有効かを検証しながら、処分地周辺の同じような環境で植生を回復させるための実証実験兼事業を行っている。
ちなみに豊島の中で、植生が破壊された面積は285,000平方メートル、現在までの植生回復活動の実績は3,980平方メートルである。

3. 【ゆたかな海プロジェクト】
「瀬戸内オリーブ基金」では2009年度から、海洋プラごみ問題の解決に取り組んできた。近年では、楽しみながら環境問題に向き合えるように、チーム対抗のゴミ拾い競技「スポGOMI」を開催するなど、企業ボランティアとともに豊島でも海洋清掃に取り組んでいる。2024年からは、瀬戸内海の食物連鎖の頂点にいるスナメリをテーマとした環境学習会も行っている。

4. 【豊島事件語り継ぎプロジェクト】
近年特に力を入れているプロジェクト。事件の経緯や背景を伝える〈豊島のこころ資料館〉の整備をはじめ、「豊島事件」の教訓をアーカイブ化し、残す取り組みを進めてきた。2019年からは「豊島事件」の語り継ぎを取り入れた環境教育も開始。小学生から大人まで幅広い世代を対象に「豊島事件」の学びを伝えている。長い闘争の歴史を語れる人たちが高齢化している課題もあり、世代を問わず多くの方に事件を知ってもらうためにYouTube動画作成などを通じて資料保存と活用にも力を注いでいる。ちなみにこれらの動画は岩城理事長が脚本を書いたそうだ。

豊かな島の自然景観の原状回復、その現場へ

今回、コロカルチームは〈豊島〉を訪れ、実際に「瀬戸内オリーブ基金」の活動を見せていただいた。
「ゆたかなふるさと100年プロジェクト」では、住民や学生、法人など多くのボランティアらとともに、処分地背後の尾根(南側)で植生回復事業を行う。この場所を〈ゆたかなふるさと再生の森〉と命名し、元の植生を再現した見本園の整備や、地元の小中学生との植樹活動などを通じ、攪乱された処分地の再生を一歩ずつ進めている。

1970年代にガラス原料の珪砂を採取するため表土が全面的に除去されたが、産業廃棄物は投入されなかった場所。自然植生を回復させる活動を行う嶋教授は右から4人目

1970年代にガラス原料の珪砂を採取するため表土が全面的に除去されたが、産業廃棄物は投入されなかった場所。自然植生を回復させる活動を行う嶋教授は右から4人目

「自然を取り戻す方法はいくつかあると思います。例えば東京の夢の島。あそこはかつて、ゴミ捨て場でしたが今は立派な公園ですよね。それも緑が戻っていると言えると思います。しかし豊島の住民が考えているのは、新しく緑を造成するのではなく、元通りの自然に戻してほしいということ」と、嶋教授。

40年近く放置されてきた土地は一見すると緑が生い茂って豊かな自然に回復されたように見えるが、住民は「元通りの自然ではない」と言う。それは一体、何が違うのか。
「調査してみたら、植物の多様性が非常に乏しいのです。表土が残された、もしくは堆積した場所では樹木が生育しているけれど、処分地やその周辺のように表土がほとんど残っていない場所は、いつまでも雑草が繁茂して遷移が全く進んでいません。このまま100年、200年放置したら、元通りに戻るかもしれないけれど、私たちが『少しだけ手を加える』介入をすることで、遷移の流れに沿って植生の回復が少し早く進むようにしているのです」

実施中の取り組みの中で最も労力のかかる作業の一つは、やっと土地に侵入できた小さい実生を残しつつ、林床に日差しが届くように、繁茂した雑草を人手で除去する作業。これを3年程度続けると、雑草の生育が少しおさまってくるそうだ。それと同時に、元来の植生が良好に回復している場所の表土を移植し、その表土に含まれる種が発芽出来るように環境を整える。こうした作業の繰り返しによって、多種多様な植生が早く定着できるようにしていく。

「全部芽が出なくてもいいです。たまたま芽が出た植物のうち、その立地環境に合ったものが残ってくれたらいいんです。ゆくゆくは風や鳥などの動物によって運ばれた種子が自然に発芽し、定着できる環境整備を行っています」

あくまで人が自然を造成するのではなく、「手助け」することで自然の回復力を活かして植生を元に戻すのだ。地道な作業の繰り返しだが、それを支えてくれる企業のボランティアにも支えられ、その規模は毎年少しずつ拡大している。

壊すのは一瞬、取り戻すには100年以上。「豊島事件」は、一度破壊された自然を回復させるには途方もない時間と多くの労力がかかることを教えてくれている。

再生を目指す土地の実生の生残率・樹高成長・種の多様性などをモニタリングし分析する

再生を目指す土地の実生の生残率・樹高成長・種の多様性などをモニタリングし分析する

「瀬戸内オリーブ基金」を支えるサポーターが楽しめる体験も

「瀬戸内オリーブ基金」は、理念に賛同し、「私たちに何かできることはないか」と声をかけてくれた多くの個人や企業・団体の存在に支えられている。彼らが「サポーター」となり、年会費などによる寄付やボランティアで活動を支える。法人サポーターの企業の中には、環境教育の一環として豊島でのボランティアへ参加し、現地で体験してきたことを社員間で発表するなど、学びの共有が行われている。その結果、社会貢献活動への意識が向上しているという。

2025年10月24日には、サポーター向けの『オリーブ収穫祭』が開催された。

オリーブ収穫祭でオリーブの実を摘む参加者。環境教育の一環として参加者を募るサポート企業も多い

オリーブ収穫祭でオリーブの実を摘む参加者。環境教育の一環として参加者を募るサポート企業も多い

〈豊島〉で栽培しているのは、2000年以降、全国から集まった寄付金によって植えられたオリーブ。成長にあわせた間伐などを経て、現在は約600本が大切に管理されている。このオリーブ収穫体験とともに、〈豊島のこころ資料館〉、かつての不法投棄の現場、そして〈ゆたかなふるさと再生の森〉を見学した。

収穫されたオリーブは24時間以内に島内の小さな搾油場で搾られ、エキストラバージンオリーブオイルや、そのオイルを使った石鹸や美容オイルとして商品化し、主に島内のお土産店や美術館で販売。売り上げは瀬戸内エリアの自然を守る活動に使われている。

収穫されたオリーブは24時間以内に島内の小さな搾油場で搾られ、エキストラバージンオリーブオイルや、そのオイルを使った石鹸や美容オイルとして商品化し、主に島内のお土産店や美術館で販売。売り上げは瀬戸内エリアの自然を守る活動に使われている。

参加したサポーターは、「オリーブの実を丁寧に摘み取る作業はとても楽しかったです。『豊島事件』への学びを深め、自然と人の共生や環境保護の大切さ、そして『瀬戸内オリーブ基金』の活動の一端を間近に感じることができました。一部の社員だけでなく、家族や友人にも〈豊島〉に行ってほしい」と、語った。

活動を支える次世代の力

「瀬戸内オリーブ基金」の事務局メンバー。左から松澤千穂さん、清水萌さん、塩川ゆうりさん

「瀬戸内オリーブ基金」の事務局メンバー。左から松澤千穂さん、清水萌さん、塩川ゆうりさん

「瀬戸内オリーブ基金」設立から25年、これまで様々な人材がこの活動に関わってきた。そして、現在、事務局の中心となるのは「3人娘」と、地元の人からも愛されている3名の女性。それぞれがそれぞれの想いやきっかけを持ち、そしてライフステージに合わせた持続可能なスタイルで、「瀬戸内オリーブ基金」の活動を支えている。

塩川ゆうりさんは、自然の中で働きたいと仕事を探している時に「瀬戸内オリーブ基金」と出会った。3年間〈豊島〉に住んだのち、現在は結婚して埼玉に移り、リモートで事務局の仕事をしつつ、定期的に〈豊島〉に通っている。
清水萌さんは父親が弁護団の一員(清水善朗弁護士)だったこともあり、幼い頃から〈豊島〉を訪れていたが、当時は事件について深く知ることはなかったという。改めて「豊島事件」について学び、子どもの頃に可愛がってくれていた島の人たちが、ふるさとを取り戻すために闘っていた事実を知ったことが、活動に関わるきっかけとなった。今は結婚し、子育てをしながら週に1、2回、岡山から船で〈豊島〉まで通っている。
そして、3名の中で一番新しいメンバー、石川県出身の松澤千穂さん。昔から夢だった自然や環境保全に関わる仕事がしたい、島で暮らしてみたいと思い立ち、2025年1月に〈豊島〉へ移住。現在、3名の事務局の中では唯一の島暮らしとなる。

様々な経歴ののち「瀬戸内オリーブ基金」に関わることになった皆さんを惹きつける、この仕事のやりがいは何なのか。
「『豊島事件』を遠くで起きた事として終わらせてほしくなくて、自分にも起こりうることだと知ってもらいたいんです。島外の子どもたちが〈豊島〉に学習に来て、その思いが伝わった時に、やっていて良かったなと思います」と塩川さん。

オリーブ収穫祭で参加者へオリーブオイルができるまでの工程を説明する塩川さん。オリーブの維持管理には地元の方との密なコミュニケーションが欠かせない

オリーブ収穫祭で参加者へオリーブオイルができるまでの工程を説明する塩川さん。オリーブの維持管理には地元の方との密なコミュニケーションが欠かせない

また、島の人たちとの関わりも活動の原動力だと3人は話す。
小さい島だからこそ、都会とは違った親密な人間関係を築くことができ、困り事は親身になってくれるし、農作物をいただくなど、交流もよくある。しかし、彼女らが生活を共にしている島民は、「豊島事件」で傷ついた人、戦った人たちだということを忘れてはならない。世間を騒がせた事件であることから様々な批判も受け、それでも一生懸命島を守った人たちなのだ。ふとした会話の中で、その葛藤の歴史を口にした島の方が涙を流す場面もあるという。だからこそ、常に誠実なコミュニケーションを心がけ、「私たちに何ができるか、何が求められているか」を模索している。

「応援してくださる島のみなさんのために、『豊島事件』を風化させたくない。今後、この学びを活かせるよう、次世代へ教訓として伝えていきたい」
と、3名は声を揃える。しかし現実には、豊島事件に当事者として関わってきた方々の高齢化も進み、どうこの教訓を伝えていくか試行錯誤を重ねている。島の中で様々な意見もある。「教訓を伝える」と言っても、当事者の語りを遺したり、当時の資料の収集・劣化対策の作業に加え、環境教育としての学びを体系化する取り組みも同時進行し、これまで以上に多くの協力者の支えが必要だと感じているという。

「活動への理解が深まり、応援してくださる方が一人でも増えるよう、支え合う仲間たちとこれからも頑張っていきたい」
島民の心に寄り添う若い力が大きな推進力となり、瀬戸内海の豊かな自然を未来へつなぐ活動は今日も、そしてこれからも続いていく。

支援の形は、個人でも法人でも、オンラインから自分に合ったタイミングで選ぶことが可能だ。 瀬戸内海の自然を次世代へつなぐために。あなたに合った方法で、この活動を支えてみてはいかがだろうか。
「瀬戸内オリーブ基金」の支援はこちらから
https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

香川県の豊島

information

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

モデル・阿久津ゆりえさんが おすすめする、群馬県民から愛される ローカルグルメスポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、モデル・阿久津ゆりえさんが登場。
地元民から愛されるローカルグルメスポットを教えていただきました。

地元の定番といえば〈おおぎやラーメン〉

〈おおぎやラーメン〉は、私の地元のど定番ラーメンショップ。少ししょっぱい味噌ラーメンは、太めのちぢれ麺がスープによく絡んで癖になる!餃子と半ライスはぜひ一緒に食べてほしいです。
私は〈おおぎやラーメン〉を食べて大きくなりました。

information

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おおぎやラーメン 安中本店

住所:群馬県安中市安中1-2314-1

家族でシェアした楽しい思い出〈富士久食堂〉

何を食べても間違いない、昔ながらの町食堂〈富士久食堂〉。
小さい頃に家族でよく通っていて、 ボリューム満点の定食系やオムライス、 カツ丼などみんなで色々と頼んでシェアした楽しい思い出があります。

information

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富士久食堂

住所:群馬県高崎市中里見町121

Instagram:@fujikyu.shokudo

群馬県民御用達〈登利平〉のお弁当

〈楽園〉

〈登利平〉のお弁当は群馬に来たら外せません。
甘しょっぱい秘伝のたれが染み染みの薄くスライスされた鶏肉と、ぎゅうぎゅうに敷き詰められたご飯(こちらもたれが染み染み)は冷めても美味しい!
シンプルながらにノスタルジーを感じさせてくれる群馬県民御用達のお弁当。松と竹の2種類あるのですが、おすすめは“竹”弁当です。

information

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登利平

住所:群馬県前橋市六供町1-18-6

動画はこちらから!

profile

阿久津ゆりえ

群馬県出身。Gunn’s所属のファッションモデル。多くのCMをはじめ、雑誌や広告、MV等の出演やアパレルブランドとのコラボ商品を発売したり、群馬県の観光特使を務めたりと幅広く活躍している。またFMぐんまのラジオ番組でメインパーソナリティーを務めた経験も。明るく自然体な人柄に、男女問わず幅広い年代から共感を得ている。

Instagram:@yurie__a

白神山地− 授かり、頂く山 〜縄文より続く原生の森~

旅の始まり

自宅のある長野から車でトボトボと北上し、弘前までやってきた。
今年一番の寒波により冬の到来を思わせる冷たい雨が静かに降り、濡れた路面が街の灯りを映していた。
先週まで滞在していた小笠原諸島との気温差は30度。山はおそらく雪だろう。
宿の近くでふらりと入った居酒屋では、賑やかな津軽三味線のライブが行われていた。その力強い音色が郷土料理と日本酒、外の寒さが混ざり合う。その瞬間、北にやって来たと体の奥が切り替わるような感覚があった。

弘前の夜の街

弘前の夜の街

弘前の夜の街

ふらっと入った居酒屋「あどはだり」

ふらっと入った居酒屋「あどはだり」

津軽三味線を演奏する女将の田辺美幸(東日流賀乃)さんと小山内薫さん。

津軽三味線を演奏する女将の田辺美幸(東日流賀乃)さんと小山内薫さん。

弘前の夜の街

紅葉の白神山地へ

白神山地は秋田県と青森県にまたがる広大な山林地帯。標高200メートルから1250メートル級の山々が連なり、深い谷と尾根が複雑に入り組んでいる。あまりにも険しい環境ゆえに、人は容易に入ることができなかった。道という道もなく、産業化社会の文明からの限りない隔たりがこの山の魅力である。

弘前から西目屋村へ向かう途中、右手に見える岩木山はやはり雪景色をまとい、山肌は標高が上がるにつれて色を変えていく。津軽白神湖を横目に山深くへと入ると、空気は澄み、森の匂いが濃くなる。

まずは手始めに「ブナ散策道」で白神山地のブナ林を歩く。その後はシンボルツリーである「白神いざないツリー」から津軽峠へ、そして高倉森を縦走するコースへと、トレッキングの深さを上げていった。さらに、深浦町へ移動して十二湖を歩き、最後に秋田県藤里町の滝や渓谷を巡り、岳岱自然観察教育林を歩いた。

ブナの巨木が連なる森に足を踏み入れると、空気が変わった。ブナの葉が作り出す黄色や赤のフィルターを通した光が柔らかく森を包み、乾きすぎず湿りすぎない澄んだ空気が流れている。足元には厚い腐葉土が広がっていた。「緑のダム」と呼ばれるこの土がスポンジのように雨水を蓄え、清らかな沢を生み出している。ブナは多くの実をつけ、ツキノワグマやカモシカ、小鳥たちを養う。倒木も土に還り、次の世代の苗床となる。静かでありながら、成熟した分厚い生命の循環そのものがここに息づいている。そう確かに感じられる森だった。
(現在、道の崩壊や土砂崩れなどの影響で「暗門の滝」など行けない箇所が多くあった。しかしそれは、この地がそれだけ深い場所であり、容易には人を寄せ付けない原生の姿を今も保っている証でもあるのだろう。)

青森県西目屋村・津軽峠より

青森県西目屋村・津軽峠より

青森県西目屋村・大川白神橋より

青森県西目屋村・大川白神橋より

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・高倉森縦走ルート

青森県西目屋村・高倉森縦走ルート

青森県深浦町・十二湖 沸壺池の清水

青森県深浦町・十二湖 沸壺池の清水

青森県深浦町・十二湖 落口の池

青森県深浦町・十二湖 落口の池

青森県深浦町・十二湖 沸壺の池

青森県深浦町・十二湖 沸壺の池

青森県深浦町・十二湖 青池

青森県深浦町・十二湖 青池

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・岳岱自然観察教育林

秋田県藤里町・岳岱自然観察教育林

青森県西目屋村・マザーツリー後継 白神いざないツリー

青森県西目屋村・マザーツリー後継 白神いざないツリー

世界の遺産となった原生のブナ林

白神山地が世界自然遺産に登録されたのは1993年12月。日本で最初の世界自然遺産登録だった(屋久島と同時登録)。
登録の決め手となったのは、「東アジア最大級の原生的なブナ林が残されている」という点である。
日本には他にもブナ林はあるが、これほど広範囲で人為の影響を受けていない森は白神山地だけである。しかも植生が単純化せずに太古のまま維持されている。540種を超える植物、貴重なクマゲラやイヌワシなど94種の鳥類、ニホンカモシカやツキノワグマなど35種の哺乳類、約2200種の昆虫が生息している。この豊かな生態系が、人の手が入らないまま維持されてきたこと。それが白神山地の本質的価値なのである。
総面積は約13万ヘクタール。そのうち約1万7千ヘクタールが世界自然遺産の登録地域となっている。核心地域と緩衝地域に分けられており、中心部である核心地域は人為の影響をほとんど受けていないため、保全上影響を及ぼす恐れのある行為は禁止され、入山も規制されている。

世界の遺産となった原生のブナ林

山の中では積雪のため、様々な動物の存在を確かめることができた。ツキノワグマの足跡

山の中では積雪のため、様々な動物の存在を確かめることができた。ツキノワグマの足跡

ニホンザルの足跡

ニホンザルの足跡

誕生と人との歩み

白神山地の誕生は一帯に見られる地層からわかる。大半が2000万年前以降、日本海ができた頃に堆積した砂や泥、海底火山灰や溶岩である。それらが200万年前に隆起を始め、侵食を繰り返し、数十万年前に現在のような急峻な山容になった。
ブナ林は3000万年前には北極周辺に存在していたとされ、7万年前から始まった氷河期の影響で本州中部や九州まで南下したが、温暖になった12000年から8000年前に再び北上し、この地を覆った。
森には栗や胡桃が実り、人も暮らすようになり道具や土器などが作られた。こうして1万年間続く縄文時代が始まり、人々は山麓に集落を作り、山の恵みを得て暮らしてきた。(白神山地では多くの縄文土器や土偶が発見されている)
時代は巡り、この深い森は江戸時代には津軽藩と秋田藩の境界となり、明治以降は国有林として管理されてきた。昭和に入り世界中で森林伐採が進むが険しい地形ゆえにその手が及ばず、原生の姿を保ち続けることができた。
しかし1970年代、青森県と秋田県を結ぶ青秋林道の建設計画が持ち上がる。貴重な原生林を貫く大規模な林道建設に対し、自然保護運動が高まる中、1982年に林道計画は着工したが1990年には中止。そして1993年、白神山地は世界自然遺産に登録された。開発の危機を乗り越え、守られた原生林。それは人々の声と行動が生み出した奇跡でもあった。

青森県深浦町・日本キャニオン 1200万年前頃に海底火山から噴出した礫(れき)や火山灰が堆積した岩石(シリカ含有量が多い酸性凝灰岩主体)が大規模地滑りで露出した断崖。脆い火山灰質の地層が浸食を受け峡谷景観を形づくった。地滑りの地学的特性が異なる環境を作り出し、その結果、さまざまな植物種がその環境に適応した形で存在するといわれており、白神山地の地形の成り立ちを見ることが出来る。

青森県深浦町・日本キャニオン 1200万年前頃に海底火山から噴出した礫(れき)や火山灰が堆積した岩石(シリカ含有量が多い酸性凝灰岩主体)が大規模地滑りで露出した断崖。脆い火山灰質の地層が浸食を受け峡谷景観を形づくった。地滑りの地学的特性が異なる環境を作り出し、その結果、さまざまな植物種がその環境に適応した形で存在するといわれており、白神山地の地形の成り立ちを見ることが出来る。

1万年前のブナの葉の化石。青森県西目屋村・白神山地ビジターセンター

1万年前のブナの葉の化石。青森県西目屋村・白神山地ビジターセンター

青森県深浦町一本松遺跡出土の板状土偶(縄文時代中期5000年前)。 深浦町歴史民俗資料館

青森県深浦町一本松遺跡出土の板状土偶(縄文時代中期5000年前)。 深浦町歴史民俗資料館

青森県深浦町・千畳敷海岸。緑色凝灰岩(グリーンタフ)からなる海底の波食台が、1793年(寛政4年)の西津軽地震で 数メートル隆起してできた隆起波食棚。

青森県深浦町・千畳敷海岸。緑色凝灰岩(グリーンタフ)からなる海底の波食台が、1793年(寛政4年)の西津軽地震で 数メートル隆起してできた隆起波食棚。

青森県深浦町・見入観音。かつて観音様が山の中から現れた(見入った)という言い伝えに由来している。創建には二つの説があり、一つは平安時代の高僧である智証大師(円仁)による開山という説、もう一つは康永3年(1344年)に行円和尚によって開山され、藤原氏家が開基したという説がある。

青森県深浦町・見入観音。かつて観音様が山の中から現れた(見入った)という言い伝えに由来している。創建には二つの説があり、一つは平安時代の高僧である智証大師(円仁)による開山という説、もう一つは康永3年(1344年)に行円和尚によって開山され、藤原氏家が開基したという説がある。

青森県西目屋村・岩谷観音。岩木川沿いの洞窟に存在する御堂。江戸時代の藩政時代に落馬で亡くなった愛馬を憐れんだ唐牛三左衛門が、岩壁の洞窟にお堂を建てて馬の霊を弔ったことが由来。

青森県西目屋村・岩谷観音。岩木川沿いの洞窟に存在する御堂。江戸時代の藩政時代に落馬で亡くなった愛馬を憐れんだ唐牛三左衛門が、岩壁の洞窟にお堂を建てて馬の霊を弔ったことが由来。

目屋マタギの伝承を受け継ぐ

縄文時代から、劇的に変わりゆく時代の中でもここの自然は守られてきた。それは人との関係が変わらず続いてきたということでもある。その形が今も残っている。それがマタギの存在だ。
東北地方で猟師や狩人を指すマタギとは、簡単に言えば「山の恵みで生活してきた人々」である。厳しい掟を守り、自然を知り尽くし、資源を守り伝えてきた人たち。
僕は西目屋村に住む目屋マタギの継承者である小池幸雄さんに山を案内してもらうことになった。
目屋マタギは、今や津軽白神湖(ダム)に沈んでしまった集落・砂子瀬を拠点に活動していた。彼らは山の地形を熟知し、動物の習性を読み、自然の声を聞き分けることができた。
神奈川県出身の小池さんは、弘前大学で探検部に所属していた頃、青秋林道問題で取材に来た人を道なき山へ案内する手伝いとしてマタギの工藤光治氏と出会った。
「山に入ると、その知識や技に驚かされた。幼少から自分の中に自然保護や動物愛護の意識があったが、それが如何に薄っぺらい妄想であったかに気づかされた。守るだけが正義だと思っていたが、共に生きているということ。授かり、頂く、ということが私の中にはなかった」と当時のことを話す。
その体験がきっかけで、小池さんは卒業後に工藤光治氏に弟子入りした。
目屋マタギの一年は、残雪期の「クマ撃ち」から始まる。4月下旬から5月上旬の長くて2週間、山奥のマタギ小屋を拠点にクマを探す。運よく授かれば皮を剥ぎ解体する。その際、山の神に祈り、天国に送る儀式を行う。授からない場合でも執着をしない。執着をすることを「押しマタギ」と呼び、嫌った。
マタギとは人を指す言葉ではない。クマを撃つこと自体もマタギという。「動物が憎いから撃つのではなく、生きる上で必要だから撃つ。動物を撃つたびに心を鬼にする。次に撃つときもまた鬼になる。『又鬼』と書いてマタギという」と師の工藤光治氏から教わったという。

クマ撃ちの後は春の山菜採り、夏にはマスやイワナの魚捕り、秋はキノコ採り、冬は鴨やノウサギなどの狩猟と、サイクルが続く。それぞれの行程には作法や掟があり、それらは口伝で伝承されてきた。「山があれば生きていける。掟は簡単に言えば欲張らないこと。授かる時期やタイミングには必ず旬があり、その時期だけ必要な量を頂く」。
小池さんは師匠たちと共に“この文化を絶やしたくない”という想いで、マタギの伝承とガイドを兼ねた「マタギ舎」を2000年に設立した。
「私ごときがマタギと言って良いのかどうか。マタギ文化は奥深く、まだ学ばねばならないことはたくさんあるが、なんとかこれを守り伝えていくことが重要だと思っている。しかし自然は急激に変化している。人の価値観も同じく…」と後継者不足の現状を憂いていた。彼らは現在、マタギ文化を伝える傍ら、環境省と青森県自然保護課から委託を受け、自然遺産地域の巡視業務を行っている。師である工藤光治氏は高齢のために引退。工藤茂樹氏と小池さんが最後の目屋マタギとして活動している。

津軽白神ダム。この下に砂小瀬の集落が沈んでいる。

津軽白神ダム。この下に砂小瀬の集落が沈んでいる。

山の中、巨木の中でクマ棚を見上げる小池さん。

山の中、巨木の中でクマ棚を見上げる小池さん。

クマ棚。ツキノワグマがブナの木に登り、実を食べ、枝を落とした後。

クマ棚。ツキノワグマがブナの木に登り、実を食べ、枝を落とした後。

わさびの葉を見つけ、口にする小池さん。「醤油に漬けると美味しいんだよ」と。

わさびの葉を見つけ、口にする小池さん。「醤油に漬けると美味しいんだよ」と。

クマを授かった時に行う「サカサガワの儀式」。皮を、頭と尻尾が身と逆に、身についた方が下になるようにして二人で持つ。呪文を唱えながら、皮を上下させる、この儀式を「サカサガワ(逆皮)ヲキセル」という。この世とあの世は逆さになっており、皮と身体を逆さにすることで、クマが迷わず成仏できるように行う儀式である。

クマを授かった時に行う「サカサガワの儀式」。皮を、頭と尻尾が身と逆に、身についた方が下になるようにして二人で持つ。呪文を唱えながら、皮を上下させる、この儀式を「サカサガワ(逆皮)ヲキセル」という。この世とあの世は逆さになっており、皮と身体を逆さにすることで、クマが迷わず成仏できるように行う儀式である。

マタギ小屋

マタギ小屋

目屋マタギの小池幸雄さん。「マタギ舎」では様々なツアーがあり、山の中での貴重な体験ができる。

目屋マタギの小池幸雄さん。「マタギ舎」では様々なツアーがあり、山の中での貴重な体験ができる。

目屋マタギの小池幸雄さん。「マタギ舎」では様々なツアーがあり、山の中での貴重な体験ができる。

そして学問へ 白神学という希望

そしてある日、小池さんと大学時代の友人だという、弘前大学白神自然環境研究センターの中村剛之教授を訪ねた。
2010年に研究所として設立されたこのセンターは、白神山地の保全と持続的利用を目的とし、生態系の研究、環境教育、地域連携を三本柱として活動している。昆虫の研究が専門の中村教授は、設立当初から白神の生態を調査研究し続けている。
「小池君は探検部で、僕は昆虫サークルだった。お互いこのような大人になるとは思ってもいなくて、ただ山を楽しんでいた。卒業後は弘前を出て色々な場所で研究活動を行ってきたが、ここの自然は他の世界自然遺産のように特別なものではない。日本のどこにでもある自然が昔のまま残っている。しかし、それが非常に意味深いと思っている。この自然の誕生から生態系、そこで生きてきた人の歴史や文化、そして現在の変化等を研究し、それを生徒や地元の人に伝えている」。
弘前大学では、これを「白神学」という独自の教育プログラムとして展開している。白神山地の自然・文化・歴史を総合的に学ぶ学問だ。生態学や地質学だけでなく、マタギ文化や縄文文化、林業の歴史、環境保全の取り組みなど、この地域に関わるあらゆる要素を統合的に学ぶ。フィールドワークを重視し、実際に森に入り、植生や生態を観察し、地域の人々と対話することで、白神山地を「知識」ではなく「体験」として理解することを目指している。
「現在は多くの子どもたちと森に出て行き、フィールドワークを行い、さまざまなシンポジウムにも参加している。大学の講義では毎年130名ほどの受講生がいるが、生徒たちをはじめ地元の人がここの場所や自然のことを理解してもらえるよう、活動を続けている」と話す。
普遍的な自然だからこそ、教育として人や地域を選ばない。自然のあり方や人との共生の歴史、そして現在の問題が学問として成立していることは、概念や意識を育て、やがて、新たな活動が生まれる事につながるだろう。

弘前大学の中村剛之教授。昆虫学、特にハエ目・ガガンボなどの分類学・系統分類学が専門。世界自然遺産・白神山地を主なフィールドに、地域の生物多様性調査、保全のための研究を行う。市民参加型の蛾相解明や環境教育にも注力し、白神山地の貴重な自然の解明と継承に貢献している。

弘前大学の中村剛之教授。昆虫学、特にハエ目・ガガンボなどの分類学・系統分類学が専門。世界自然遺産・白神山地を主なフィールドに、地域の生物多様性調査、保全のための研究を行う。市民参加型の蛾相解明や環境教育にも注力し、白神山地の貴重な自然の解明と継承に貢献している。

「白神山地の研究を始めて15年になるが、毎年変化し続けている。南方にしか生息しない昆虫は頻繁に発見し生態も常に変わり続けている。そして、今一番問題なのがニホンジカの繁殖による食害。この地域では長い間生息していなかったニホンジカが昨今急増し植物を食べている。ブナ林の林相が変わるのも時間の問題。あと、ナラの樹がカシノナガキクイムシによって枯れるナラ枯れ被害が酷い。」と白神の現状を九州のブナ林の様子と比較して解説してくれた。

「白神山地の研究を始めて15年になるが、毎年変化し続けている。南方にしか生息しない昆虫は頻繁に発見し生態も常に変わり続けている。そして、今一番問題なのがニホンジカの繁殖による食害。この地域では長い間生息していなかったニホンジカが昨今急増し植物を食べている。ブナ林の林相が変わるのも時間の問題。あと、ナラの樹がカシノナガキクイムシによって枯れるナラ枯れ被害が酷い。」と白神の現状を九州のブナ林の様子と比較して解説してくれた。

生態調査のために捕獲された昆虫を分別し整理をしている。作業を手伝っている横山裕正さん。

生態調査のために捕獲された昆虫を分別し整理をしている。作業を手伝っている横山裕正さん。

「白神学」の教科書にレポートなど。一般の方には弘前大学生協で販売している。

「白神学」の教科書にレポートなど。一般の方には弘前大学生協で販売している。

縄文の記憶を辿る

旅の終盤、僕は秋田県と青森県内に数多く点在する縄文遺跡を巡った。これらは2021年に世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」として一部が登録されている。
遺跡を歩き、土偶の愛らしい表情を眺めていると、当時の人々の心が届いてくるようで、時間の感覚がなくなり暮らしが見えてきそうになった。縄文人は今と変わらないこのブナ林の中で、栗やトチの実、クマやイノシシなど山の恵みを必要なだけ授かり、頂き、感謝して暮らしていただろう。その関係性は農耕の渡来まで1万年以上も続き、争いもなかったという。だから今、白神の森は原生のまま残ることができたのだ。
マタギもまた、その縄文以来の精神や知恵を受け継いでいると言える。自然を所有や管理の対象とするのではなく、自然の一部として共に生きる。その哲学が、この地には太古から今も息づいているのだ。

秋田県・大湯環状列石遺跡。

秋田県・大湯環状列石遺跡。

秋田県・桂の沢遺跡出土の遮光器土偶(縄文時代晩期)。秋田県伊勢堂岱縄文館

秋田県・桂の沢遺跡出土の遮光器土偶(縄文時代晩期)。秋田県伊勢堂岱縄文館

青森県是川石器時代遺跡出土の合掌土偶(縄文時代後期)。青森県是川縄文館

青森県是川石器時代遺跡出土の合掌土偶(縄文時代後期)。青森県是川縄文館

授かり、頂く

旅の最後、マタギ舎の小池さん自宅にお邪魔させてもらった。山に入る道具を見せてもらい、現代における自然と共にある暮らしに触れることができた。
ここの自然は、日本のどこにでもあった自然。という教授の言葉を思い出し、麓ではどこを見ても日本の原風景が広がっていた。縄文時代から変わらない森は、人が一万年以上も続けてきた自然との向き合い方を静かに伝えてくれる場所だった。ブナの大木が重なり合う森の奥は薄暗く、しかし光が差し込むと表情は変わり、柔らかな黄や赤が煌めいていた。沢を流れる水の音、腐葉土の匂い、冷たい風。人の手がほとんど入らずに守られてきた森は、ただ美しいだけではなく、歩くたびにすべてがこの土地の長い時間をそのまま抱えているように感じられた。
これまで日本の世界自然遺産を巡ってきたが、それぞれの場所で出会った人々は、立場は違えど皆が同じ想いを抱いていた。
今、地球規模で自然が急速に変わりゆく中での絶滅してゆく植生や生態、観光と環境のバランスなど、それぞれの場所でさまざまな取り組みや活動があった。
自然を守るとは、人間が自然の外側から保護することではない。本来の姿である自然の一部として生き、関係性を深め、信頼し、次の世代へ手渡していくことなのだ。そして遺産とは、過去の遺物ではない。未来への約束である。この継承こそが、本当の意味での遺産ではないだろうか。
授かり、感謝して頂く—
最後の旅である白神山地は静かに教えてくれた。

「まっすぐな木を見つける事が本当に難しい。山では何にでも使える。」とマタギにとって1番大切な杖を説明してくれた。冬用は先がヘラのようになっている。

「まっすぐな木を見つける事が本当に難しい。山では何にでも使える。」とマタギにとって1番大切な杖を説明してくれた。冬用は先がヘラのようになっている。

案内された寝室の壁にはツキノワグマの毛皮が。

案内された寝室の壁にはツキノワグマの毛皮が。

紅葉の白神山地へ

紅葉の白神山地へ

青森県西目屋村・りんごの樹と岩木山。

青森県西目屋村・りんごの樹と岩木山。

秋田県藤里町・横倉の棚田

秋田県藤里町・横倉の棚田

青森県西目屋村

青森県西目屋村

青森県西目屋村

青森県西目屋村

釣瓶落峠

釣瓶落峠

美しく、豊かな島で起こった 「豊島事件」とは

香川県の〈豊島〉に国内最大の有害産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」。この事件を契機として、瀬戸内海エリアの美しい自然環境を守り、再生することを目的に2000年から活動をしているのが「瀬戸内オリーブ基金」。連載第2回目は、基金の立ち上げのきっかけとなった、「豊島事件」について紹介する。「豊島事件」は現代社会が抱える大量生産・大量消費・大量廃棄の時代を象徴する事件であり、この島の住民たちによる“闘い”が、日本の環境政策を大きく変えることになった。

瀬戸内海に浮かぶ豊かで美しい島〈豊島〉。

「ツツジの花が咲いた美しい山に登り、花見をしながら、重箱に入ったお弁当を食べる。帰りには、広がる砂浜、豊かな潮だまりで水遊びをし、魚や車エビやアサリをたくさん採ってカラになった重箱に詰めてお土産にして。島の北側には〈水ケ浦〉という白砂青松の景勝地があって、島外からも、子どもたちが遠足にやってくるような、住民自慢の場所でした。〈豊島〉は、その名の通り、豊かな島でした」(安岐正三さん)

世界中から多くの人が訪れ、アートの島とも言われる〈豊島〉。船が島に近づくにつれ、穏やかな瀬戸内海を背に、眩い緑に包まれた小さな島が見えてくる。その美しい景色に、心躍り、フェリーを降りると澄んだ空気とゆったり流れる島時間に包まれる。行き交う人たちはみなキラキラした笑顔を見せている。島の中央には〈檀山(だんやま)〉がそびえ、降り注ぐ雨が豊かな土壌を育み、離島では珍しく水が豊かで古くから稲作やみかん栽培が行われ、オリーブ畑も広がっている。

〈豊島〉の海の玄関口、岡山・香川方面や直島・犬島・小豆島とフェリーで結ぶ寄港地、家浦港。緑に覆われた山、そして白砂の海水浴場も見られる

〈豊島〉の海の玄関口、岡山・香川方面や直島・犬島・小豆島とフェリーで結ぶ寄港地、家浦港。緑に覆われた山、そして白砂の海水浴場も見られる

この島を囲む地域は1934年、日本初の国立公園として瀬戸内海国立公園の一部に指定され、風光明媚な島として知られていた。先に語られた光景は、今年75歳となる廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さんが子供の頃の話。しかし、1980年代から1990年代までのあいだ、〈豊島〉は「ゴミの島」とも言われ、島の北西端の〈水ケ浦〉は、日本最大級の有害産業廃棄物の不法投棄事件の現場だったとは想像がつかないだろう。

事件摘発から35年以上が経ち、若い世代で「豊島事件」を知る者は少なくなってきた。今、目の前に広がる緑あふれる景色、その背後には、理不尽にも瀬戸内海の離島が都会のゴミを押し付けられ、苦難な道のりを歩んだ住民の長年にわたる闘争と並々ならぬ努力があった。当事者として活動を続けている安岐さんに事件の経緯と“闘い”についてお話を伺った。

1965年頃、島の北西端の土地を所有していた業者が山を切り崩し始め、鋳型材料となる山の土や、ガラス原料となる海岸沿いの砂を採取し販売を始めた。島の景勝地の一つの土と砂が大量に運び出され、住民の誇りでもある風景は大きく変わり、「砂浜が失われ浅瀬のアマモ(海藻)場も喪失した」と安岐さん。

1975年、その業者は、自然を壊し、資源を奪いきったあとの土地を利用すべく、有害産業廃棄物処理の許可申請を香川県に提出。地域住民はそれに猛反対したが、香川県は1978年に、「ミミズの養殖のために行う無害な産業廃棄物の処理」の名目で許可した。しかし、業者は、フェリーを改造した大型の運搬船を使って、許可外の産業廃棄物である自動車の解体クズ(シュレッダーダスト)や廃油、汚泥等、水銀や鉛などを含む有害な産業廃棄物を大量に持ち込み、連日、埋立てと野焼きを繰り返していく。

ゴミ船を家浦港に接岸し、産廃を陸揚げ。産廃を山盛りにしたダンプカーが日に何台も島内を走った。現場では野焼きが連日行われ、有毒な黒煙が立ち上る

ゴミ船を家浦港に接岸し、産廃を陸揚げ。産廃を山盛りにしたダンプカーが日に何台も島内を走った。現場では野焼きが連日行われ、有毒な黒煙が立ち上る

「ただ一つ言えることは、この処分場には〈豊島〉で出したゴミはひとかけらもなかったんです。一粒もないということです。業者は〈豊島〉の誇りであり、国民共有の財産でもある国立公園を破壊して全部金(かね)に変えた。そして、さらに金もうけをするために、人が最も嫌がるものを持ち込んだ。それは六価クロムや有機水銀などが含まれる有害な産業廃棄物でした」

住民たちの豊かで穏やかな暮らしは失われ、野焼きによって発生した有害物質の影響で、健康診断では児童の約1割が気管支系障害をもつようになった(全国平均の10倍の数値)。反対運動を行った自治会副会長は喘息悪化によって亡くなったという。

「島を守るため、我々はデモもやりました。差し止め訴訟もやりました。香川県知事にも会いに行きましたし、警察にも国会にも行きました。それでもどうにもならない……、止めることはできなかった。その野焼きが、1990年11月に止まったんです。摘発したのは香川県ではなく、兵庫県警でした。ようやく青い空が見えるようになった、星が見えるようになった、臭いがしなくなった」

これでようやく事件の解決の兆しがみられるかと思われたが、そうはいかなかった。

膨大な量の廃棄物が放置され、有害物質を含む水が海に流出。また、事件報道による風評被害で〈豊島〉の産業、観光業が壊滅的影響を受けた。代々漁業を生業としていた安岐さんも、処分地近くの沖合でハマチの養殖をしていたが、廃業を余儀なくされた。
「業者が摘発されたのが1990年11月。そこから時効まで3年でした。私たち住民は公民館の畳が擦り減るまで、何度も議論を重ねました。我々は県を相手取って闘うのか、それとも今まで通り陳情請願で行くのか。何度もお願いに行ったが、何も聞き入れられなかった。それなら公害紛争処理法に基づく公害調停で闘おうと住民合意で決まりました」

住民と弁護団による過酷すぎる闘争

高さ3m×幅3.3mもある、不法投棄された有害産業廃棄物の断面で剥ぎ取って樹脂で固めた標本。そのスケール感に生々しさと恐ろしさを感じる

高さ3m×幅3.3mもある、不法投棄された有害産業廃棄物の断面で剥ぎ取って樹脂で固めた標本。そのスケール感に生々しさと恐ろしさを感じる

しかし、お金はない。時間もツテもない。いろいろな弁護士を訪ね歩くも誰も引き受けてくれない。ただ一人だけ、最後に残ったのが元・日弁連の会長だった中坊公平氏だ。中坊氏は「最後まで闘う」という住民の決意を聞き、無報酬で引き受けた。住民たちは島をあげて、香川県の責任を認めさせ原状回復を求めるため、1993年11月に香川県と業者、排出事業者等を相手取った公害調停を国に申請し、同時に世論の理解と支援を得るために住民運動を展開した。

1996年9月20日銀座での抗議キャラバンの様子。写真提供:廃棄物対策豊島住民会議、撮影:小林 惠

1996年9月20日銀座での抗議キャラバンの様子。写真提供:廃棄物対策豊島住民会議、撮影:小林 惠

香川県庁前で延べ550日(150日間連続抗議を含む)にわたる抗議の立ちっ放しを皮切りに、考えうる限りの闘いを繰り広げた。
「県庁が開いている時は梅の花が咲いても、桜の花が咲いても抗議をやめん。小さな街宣カーを買って香川県内を100カ所以上回り、座談会もやる。夜行バスで上京し、東京・銀座で産廃を提げて抗議のキャラバンをするなど、中坊公平弁護士の指揮のもと、徹底的にやりました」
それは過酷すぎる草の根の闘いでもあり、住民たちの「ふるさとを取り戻す」ための決意でもある。その行動力に人々の心は動かされ、新聞・テレビなどマスコミやジャーナリストからも取材を受け、大量生産・大量消費・大量廃棄社会を象徴する社会問題として注目を浴びることになった。

安岐さんの口から堰を切ったように当時の話が溢れ出る。「豊島事件」の経緯と教訓を後世に伝えるために作られた資料館〈豊島のこころ資料館〉には、高さ3メートルにも及ぶ産廃の地層の剥ぎ取り標本が残されており、見るものすべての胸を締め付ける。「なぜ、何も悪いことをしていない島の住民がこれほどまでに苦しまなければならなかったのか」という理不尽は、怒りとやり場のない悔しさを残すのみだった。住民が守りたかったのは、島の一部の環境だけではなく、家族や仲間と過ごす平穏な日常だったはずだ。理不尽な業者や杜撰な行政を相手に、粘り強い抗議活動を続けた住民たちの心中を察すると、ただただ言葉を失う。

廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さん

約50年ものあいだ、住民運動の中心となり、活動を続ける安岐正三さん。同じ過ちが繰り返されないよう、語り継いでいる

1997年の夏に香川県と豊島住民が中間合意を結び、2000年6月6日、公害調停で香川県知事が謝罪し、原状回復の合意が成立。最終合意まで25年。その時までにすでに公害調停に名を連ねた申請者549人のうち69人が死亡しており、島の高齢化が急速に進行していた。

「私たちが叫び続けた願いは世論を動かし、支持の輪を広げ、正しいことだったと認められました。暗闇の中を光明を求めて一歩ずつ前に進めてきましたが、これからは〈豊島〉が自然と調和する元の姿に戻るように、前を向かなくてはいけないと強く思いました」
そして公害調停が合意されたその年、建築家の安藤忠雄氏と「豊島事件」弁護団長の中坊公平氏が呼びかけ人となり「瀬戸内オリーブ基金」を設立した。この事件は〈豊島〉だけの問題でないと広く市民に知らせる契機とするために。

廃棄物の処理は当初の予定を5年以上オーバーして、2017年に最後の船が出て行った。しかしそれでもこの問題は終わらなかった。業者は、想像以上に悪質で、穴を掘って地中深くに汚染されたドラム缶を隠していたのだ。再調査と撤去が行われ、取り残し廃棄物616トンの処理が完了したのは2019年7月のこと。産廃の総量は90万トンを超え、野焼きにより嵩が減り最終的に正確な数値はわからないが、100万トン以上が不法投棄されていたと言われている。地下水の浄化は今も抱えている問題で、「排水基準(工場排水レベル)」は達成されたものの、未だ「環境基準(水道水レベル)」には達しておらず、これを達成するまでこれからまだ数十年単位で、モニタリングが続けられる。豊島住民の元にこの土地が返還されるまで、まだまだ長い年月がかかる。

美しいふるさとを取り戻し後世へ伝える

かつては岩の上まで産廃が積み上がっていた処分場跡地。植生の再生、砂浜や潮だまりの復活など少しずつ生態系回復に向かい進んでいる

かつては岩の上まで産廃が積み上がっていた処分場跡地。植生の再生、砂浜や潮だまりの復活など少しずつ生態系回復に向かい進んでいる

「最終合意からもいろいろありました。(産廃処理中に、処理施設では)爆発事故も火災も起こりました。(2013年には)中坊さんも亡くなり、時間も過ぎていった。しかし、廃棄物の撤去作業を続ける中で、徐々に海がよみがえってきました。あれだけ磯焼けしていた海にアマモが茂り、緑の絨毯みたいになった。アマモが茂ったら、イカが産卵のために帰ってきた。その卵が成長して、また沖へ出て3年経ったらまた戻って来る。循環する生態系が復活したんです。そんな自然の奇跡を目の当たりにした時、ふと思ったんです。我々にとってこの事件は一体何だったのだろう、と。運び込まれた産業廃棄物を撤去させること。それが着地点ではないのではないか」

「豊島事件」は、私たちの社会が目先の利益を追い続け、生産・消費・廃棄を繰り返していると、取り返しのつかない結果を招くことを多くの人に知らせることになった。また、廃棄物処理法改正、マニフェスト制度導入、リサイクル関連法の成立を促し、産業廃棄物の不法投棄の厳罰化や、排出者責任の考え方の広がりにも大きく寄与した。

廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さん

処分場跡地に立つ安岐正三さん。100万トンを超える産業廃棄物は撤去されたが、豊かな自然を取りもどすにはまだまだ時間がかかる

「元の自然に戻すには、膨大な時間と労力がかかります。第2、第3の〈豊島〉を作らないためには、自分の目で見て、耳で聞いて、頭で考えて行動すること。教育が大切です。自分の代で解決できなくても、次世代により良い環境を残すことが財産であり、私たちの責務だと思っています」

「豊島事件」は、決して過去の、あるいは遠い島だけの出来事ではない。私たちが日々の生活の中で、安さや便利さを優先して行う行動の裏側で、目に見えていないだけで、どこかの誰かが犠牲となっているかもしれない。自分の購買活動や、何気ないゴミの出し方の中に、反省すべき点はないだろうか。現地を訪れ、当事者の声を聞くことで、初めて事件が「自分事」として心に刻まれた。

環境教育で資料館を訪れた子どもたちからのメッセージ。「豊島事件」は決して過去のものではないと伝え続けている

環境教育で資料館を訪れた子どもたちからのメッセージ。「豊島事件」は決して過去のものではないと伝え続けている

「人間は忘れやすい、でも、忘れたらあかん。住民の高齢化が進み、物言わず亡くなっていく方もさらに増えています。私には伝える責任がある。命ある限り、この事件を語り継ぐ活動を続けます」と、安岐さんは決意を語る。

〈金だけ・今だけ・自分だけ〉という、目先の利益を追う刹那的な考え方が「豊島事件」を象徴するように多くの犠牲を生んだ。ここから学びを得て、行動に移すのは次世代を生きる者たちだ。私たちはこの島の豊かさ・美しさと、その背景にある痛みを忘れてはならない。未来や他者に対する想像力こそが、第2、第3の〈豊島〉を作らないための最大の防波堤となるのではないだろうか。

「瀬戸内オリーブ基金」呼びかけ人、安藤忠雄氏からのメッセージ

オリーブの植樹や豊かな海を取り戻すプロジェクト、環境保護団体への助成など、多岐にわたる活動をするために、2000年に立ち上げた「瀬戸内オリーブ基金」。その呼びかけ人であり、地域と活動を共にした建築家の安藤忠雄氏からメッセージをいただいた。

安藤忠雄氏

撮影:閑野欣次

瀬戸内オリーブ基金25周年に寄せて
中坊公平さん、河合隼雄さんとともにスタートさせた瀬戸内オリーブ基金が設立25周年ということで、思えばずいぶん長く続けて来られたものだと思います。
ここまで地道に植樹活動や環境問題への取り組みを続けて来られたのは、ユニクロの柳井さんをはじめとして、多くの方々が長きにわたりサポートして下さったお陰です。
かつて海外から訪れた多くの人々を魅了した、瀬戸内海の豊かな自然環境を取り戻し、世界に誇れる美しいふるさととして、次の時代を生きる子どもたちに残していく──設立当初から掲げている目標に向けては、まだまだ道半ばです。瀬戸内を自然と人間が共存する豊かな地域へと再生していくため、これからも頑張っていきたいと思います。

安藤忠雄

安藤氏が世界中から尊敬される建築家である理由の一つには、さまざまな社会や環境の問題にコミットし、継続的に活動を続けていることが挙げられる。

大阪で生まれ育った安藤氏は、子どもの頃に瀬戸内の海で泳ぎ遊んだ。凪いだ瀬戸内海に浮かぶ緑の島は、安藤氏の原風景のひとつ。その〈豊島〉で、産廃問題に長年関わってきた、弁護士の中坊公平氏から「ゴミを取り除くだけじゃだめだ。〈豊島〉を昔のような緑あふれる島に戻したい」という切実な願いを聞き、中坊氏とともに「瀬戸内オリーブ基金」立ち上げの呼びかけ人となった。

豊かな自然は簡単に失われてしまう、その象徴となった「豊島事件」の記憶とともに、蘇りつつある自然を次世代に繋ぐためのメッセージとして、中坊氏の提案のもと、安藤氏が一緒に植えたのが「1000年生きる」と言われるオリーブ。それは、美しいふるさとを守るために闘った〈豊島〉の人々の熱い思いと希望を象徴している。

平和の象徴であり、「1000年生きる」と言われるオリーブ

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

東京都・小笠原諸島― 境界が溶ける島、今を生きる旅

変容への航海

薄曇りの肌寒い秋の朝、東京竹芝桟橋から乗船した小笠原諸島父島行きの「おがさわら丸」は人で賑わっていた。
これまで乗ってきたフェリーとは、どこか雰囲気が違う。
それもそのはずだ。この船は東京・竹芝を出港し24時間かけて父島へ行き、3泊4日停泊した後、24時間かけて東京・竹芝へ戻る。つまりは全ての人が往復するには最低5泊6日かかるのだ。しかも小笠原諸島へは他に交通手段はなく、この船でしか行けない。
出航すると、大都会のビル群から船は離れ、レインボーブリッジをくぐり、東京湾を南下する。
両サイドに房総半島と三浦半島が見えていたが、次第に太平洋の大海原へ抜けると、船は大きな揺れを伴いながら進んでいく。
夜が深まるにつれ、陸の灯が遠のき、空と海が同じ色になる。
大きな揺れの中で携帯の電波も完全に途切れ、24時間の航海は色々なものから揺さぶられ切り離されていくような時間だった。
これは移動ではなく、まさに「変容」。きっとこれから降り立つ別世界に適応する為の儀式であるのだ。
翌朝、目を覚ますとちょうど夜明け前。甲板に出ると360度海の中、朝日が昇り虹が出た。カツオドリが船を先導するように現れ、父島列島が見えてきた。
東京都心から1000㎞離れた太平洋上に点在する島々。それはまるで時の流れの外にある存在のようだった。

レインボーブリッジを越え、東京湾を南下する。

レインボーブリッジを越え、東京湾を南下する。

海ほたるの横を通過。

海ほたるの横を通過。

朝日が昇った後の虹。

朝日が昇った後の虹。

カツオドリが父島列島へ先導してくれる。

カツオドリが父島列島へ先導してくれる。

父島に着岸したおがさわら丸。

父島に着岸したおがさわら丸。

島の呼吸

桟橋に降り立った瞬間、塩と草木の匂いが混じり合い、生ぬるい湿度が肌にまとわりつく。太陽は既に高く、日差しは強く暑い。
父島の港・二見湾は、切り立つ崖と深い入り江の地形が船を包み込んでいる。
この島は「おがさわら丸」で運ばれてくる物資が命綱だ。米も野菜も、手紙も、すべてがこの船と共にやってくる。入港日はスーパーや商店、食堂が人で溢れるが、出港している間は閉店し街は閑散としていた。
島の人には「幾つの航海で来ているの?」とよく聞かれた。1航海が5泊6日、島には3泊4日であり、僕は2航海の予定で訪れた。
ところが島に着いた瞬間に台風が発生し、おがさわら丸は早々に東京・竹芝へ帰って行った。母島行きの船も連日欠航。島のリズム全てが天気と海=航海状況に委ねられている。いわばそれが島の呼吸そのものなのだ。僕も予約していた海のツアーは全て中止になり、予定が白紙になったが、日々、その日の島の呼吸に全てを任せて過ごすことにした。結果的に旅は順調で海や山へ深く入ることもでき、途中には父島から2時間船に乗って母島へも渡ることができた。

父島・大神山公園から望む二見港。おがさわら丸とははじま丸。

父島・大神山公園から望む二見港。おがさわら丸とははじま丸。

タコノキ。小笠原諸島の固有種。海岸から山の中まで生息している。

タコノキ。小笠原諸島の固有種。海岸から山の中まで生息している。

父島・長崎展望台。父島にはたくさん展望台があり、どれも絶景が望める。

父島・長崎展望台。父島にはたくさん展望台があり、どれも絶景が望める。

父島・製氷海岸でシュノーケリング。枝サンゴとミズクラゲ

父島・製氷海岸でシュノーケリング。枝サンゴとミズクラゲ

母島・北港でシュノーケリング。

母島・北港でシュノーケリング。

母島・乳房山より沖港を望む。

母島・乳房山より沖港を望む。

父島・ウェザーステーション展望台より夕暮れを望む。

父島・ウェザーステーション展望台より夕暮れを望む。

母島・鮫ヶ崎展望台より

母島・鮫ヶ崎展望台より

現在進行形の進化

父島も母島も島を巡ればビーチや登山道がありシュノーケリングや登山ができる。しかし世界遺産エリアの立ち入り禁止区域の中では、認定ガイドの同行が義務付けられているルート(森林生態系保護地域・南島・石門)がある。台風の影響で海のツアーが無くなったので山のツアーへ参加した。
小笠原諸島が世界自然遺産に登録されたのは2011年。登録の決め手は大陸から一度も陸続きになったことのない海洋島という地質的特性から「独自の進化を遂げた生態系」が評価され、中でもカタツムリをはじめとする固有種の多さがあった。約4800万年前、火山活動によって太平洋の海底から隆起して生まれた小笠原諸島。その後も大陸と隔絶されたまま、独自の生態系を育んできた。風や波で辿り着きこの隔離環境の中で育まれた生命は、大陸とは異なる道を歩み、やがて進化の縮図と呼ばれるほど多様な固有種を生み出した。生息する植物では約36%、陸産貝類(カタツムリ)では約94%、昆虫では約28%が固有種である。さらに鳥類にも独自の進化を遂げた種が多くカラスやスズメなどは棲んでいない。登山道の脇には見慣れない木々が生い茂る。タコノキ、ムニンヒメツバキ、ノヤシ、マルハチ。世界のどこにもいない固有の植物たち。母島では小さく透明なカタツムリ、オガサワラオカモノアラガイに出会った。天敵がいなく湿度の高い雲霧林に生育するため乾燥に耐える必要がなくなり、進化の中で殻が退化したこの小さな命もまた、太古から続く系譜の末裔だ。母島で案内してくれたガイドの宮川五葉さんは福岡出身。沖縄での生物研究を経て東京都レンジャーとして母島へ移住し、今はガイドとして活動している。「ここは4800万年前から生まれた独自の生態バランスで、天敵のいない進化が続いてきた。しかし200年前に人間がやってきて外来種が増え、固有種が脅かされている。それを守るための試みや研究をレンジャー時代に行ってきた。今も進化は変化の途中であり、それを訪れた人に伝え知ってもらいたい」と話していた。そう、ここのもう一つの特徴は、今も変化の途上にあることだ。人類がもたらした外来種の影響による生態系の変化、そして保全活動の試み。さらには西之島では2013年より海底火山が噴火し島が拡大し続けている。そこでは今まさに新たに生まれつつある大地の形成と生態系の始まりを見ることができる。小笠原諸島は過去から未来へ向けて、現在進行形の進化を映し出す島々なのである。

エコツアーガイド「irie isle(アイリーアイル)」の宮川五葉さん

エコツアーガイド「irie isle(アイリーアイル)」の宮川五葉さん

父島・東平サンクチュアリの湿性高木林。マルハチやオガサワラビロウなど固有種が生い茂る。

父島・東平サンクチュアリの湿性高木林。マルハチやオガサワラビロウなど固有種が生い茂る。

小笠原諸島固有種のオガサワラオカモノアラガイ。天然記念物であり絶滅危惧II類。殻が退化した。父島では絶滅したと言われている。

小笠原諸島固有種のオガサワラオカモノアラガイ。天然記念物であり絶滅危惧II類。殻が退化した。父島では絶滅したと言われている。

小笠原諸島固有種のムニンシラガゴケ

小笠原諸島固有種のムニンシラガゴケ

小笠原諸島固有種のノヤシ

小笠原諸島固有種のノヤシ

ボニンブルーに溶け入る

台風も落ち着き、海に出られる日がついにやってきた。待ちに待ったイルカに会えるツアーに参加する。小型のボートに乗り込み海に出るとボニンブルーといわれる独特の青さに埋もれる。火山の隆起と石灰岩で形成されている島の地質を間近に見ながらイルカを探す旅が始まる。世界には約90種のイルカ・クジラがいるが、小笠原では24種がこれまでに記録されており、イルカに関しては父島と母島の周辺海域には、ミナミハンドウイルカとハシナガイルカが主に確認されている。船を走らせる道中、無人島の南島へ上陸し、兄島では海に潜り珊瑚に触れ、道中アオウミガメにも出会った。そして遂に船首の左側に背びれがいくつか見えた。舵を切り近付くとハシナガイルカとミナミハンドウイルカだ。マスクをつけてガイドの指示に従い海へ飛び込んだ。透き通った海の中で、イルカたちが光を受けて踊るように泳いでいる。1頭が群れから外れこちらに向かってきて、すぐ目の前で旋回した。こちらを観てキューキューと声が海の中で聞こえる。その目は澄んでいて、どこか人間の目に似ていた。息を合わせ、同じリズムで泳ぐと境界が消えるように感じた。この青い海に自分の身体が溶けていくような瞬間だった。
ガイドの海那さんはイルカと呼吸を合わせて泳いでいた。「ずっとドルフィントレーナーを目指して勉強してきたけど、小笠原で野生のイルカに会った時に涙が出た。卒業後、迷いなく移住しこの仕事に就いた。ずっと居たい、そしてツアーで出会った人がまた戻ってきてほしい」。船長の航星さんも語る。「学生時代にダイビングで初めてここに来たけど、海の青さに惹かれた。自分が感動したことを届けたいと強く思って移住した。その頃は知る人ぞ知る場所だった。世界遺産になって知名度は上がり訪れる人は増えたけど、海の環境はそんなに変わらない。交通が難しい場所だからこそ限られた人しか来ないし、だからこの環境がある。このまま変わらないでほしい」

エコツアーガイド「竹ネイチャーアカデミー」の航星さん。

エコツアーガイド「竹ネイチャーアカデミー」の航星さん。

石灰岩のカルスト地形。

石灰岩のカルスト地形。

島ができる際に海底火山の噴火で生じた枕状溶岩。

島ができる際に海底火山の噴火で生じた枕状溶岩。

無人島の南島、鮫池。

無人島の南島、鮫池。

南島には1000年前に絶滅したカタツムリ「ヒロベソカタマイマイ」「アナカタマイマイ」「チチジマカタマイマイ」の半化石がたくさん転がっている。この場所がかつて湿地だったという事を示す。

南島には1000年前に絶滅したカタツムリ「ヒロベソカタマイマイ」「アナカタマイマイ」「チチジマカタマイマイ」の半化石がたくさん転がっている。この場所がかつて湿地だったという事を示す。

南島扇池。「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形。かつてはドーム天井がある洞窟状の島だったという。

南島扇池。「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形。かつてはドーム天井がある洞窟状の島だったという。

兄島・キャベツビーチでシュノーケリング。

兄島・キャベツビーチでシュノーケリング。

ハシナガイルカの群れ

ハシナガイルカの群れ

泳ぐミナミハンドウイルカ。

泳ぐミナミハンドウイルカ。

臆病ではなく人懐っこい陽気な性格。人間の5、6歳くらいの知能があると言われている。

臆病ではなく人懐っこい陽気な性格。人間の5、6歳くらいの知能があると言われている。

イルカ

イルカ

イルカ

イルカ

イルカ

夜の未知なる領域

日が沈む頃になると、薄明かりの空にオオコウモリが飛び交い、闇が落ちると島は別の顔を見せる。ある夜、僕はグリーンペペと呼ばれる光るキノコがあると聞いて探しに出かけた。森の中をウロウロしていると、突然一人の男が現れた。トミーG(富田浩生)さんというガイドさん。「キノコは今の条件では出てないよ。代わりにもっとすごいものを見せてあげる!」と案内され、彼は土を掘り出しそこにブラックライトを当てた。すると蛍光色に光るものが浮かび上がった。「タカクワカグヤヤスデという名前だけど、昨年僕が見つけたんだ。小笠原では初めての発見で、DNA鑑定すると沖縄より香港の種に近いとの事。まだ色々とわからない事が多くて、今後研究が進むと、どこの種がどんな経路で島に入って来たのか?はたまた固有種か?等詳しい事はこれからわかって来るので楽しみですね!もし固有亜種等になればとトミーGヤスデと呼ばれる可能性も!」。と笑っていた。トミーGさんは30年前に父島に来たという。「サーフィンをしている友達がここに来ていて遊びに来た。先輩がイルカと泳ぐツアーなど今の小笠原の遊びのベースとなるツアーガイドを立ち上げたのでそこでガイドを始め、独立した。ツアーに参加した観光客が明らかに変化するのを観て、ここの自然はすごいと思った。30年が経ち、住む人も来る人もこの場所を感じるより考える事が多くなったと思う。いま観たヤスデのように此処には未知な世界が溢れている。ここを訪れる人にはもっと全てを感覚で捉えてほしい」と語る。その後、オガサワラオオコウモリが群れでいる場所へ案内してもらったが、その数とエネルギーには驚いた。島唯一の哺乳類だが、かつては絶滅したと考えられ観られる生き物ではなかった。現在は生息数が増加し、夕暮れになると飛んでいるのを観ることが出来る。昼の喧騒が消え、夜の生命たちの時間が流れる。人が眠りにつく時、僕たちには知り得ない島の鼓動が始まっていた。

日が沈む頃、活動を始める小笠原固有種のオガサワラオオコウモリ。小笠原諸島固有種であり唯一の哺乳類。天然記念物。絶滅危惧IB類 (EN)。

日が沈む頃、活動を始める小笠原固有種のオガサワラオオコウモリ。小笠原諸島固有種であり唯一の哺乳類。天然記念物。絶滅危惧IB類 (EN)。

タカクワカグヤヤスデ。ブラックライトを当てて観察しているのは、ダメージを与えないため。刺激を与えると自然発光します。

タカクワカグヤヤスデ。ブラックライトを当てて観察しているのは、ダメージを与えないため。刺激を与えると自然発光します。

刺激を与えると自然発光と一瞬蓄光する個体もありますが、沖縄の物よりも光が強いのではないか?ともいわれている。小笠原での発見は初であり、情報公開も今回が初になる。

刺激を与えると自然発光と一瞬蓄光する個体もありますが、沖縄の物よりも光が強いのではないか?ともいわれている。小笠原での発見は初であり、情報公開も今回が初になる。

オガサワラオオコウモリ。赤いライト以外で照らしてはいけない決まりがある。

オガサワラオオコウモリ。赤いライト以外で照らしてはいけない決まりがある。

オガサワラオオコウモリ

エコツアーガイド「Tommy G World」のトミーG(富田浩生)さん

エコツアーガイド「Tommy G World」のトミーG(富田浩生)さん

誰のものでもなかった島

山でも海でも島を巡っていると、どこかで必ず「戦争の跡」に出会う。いたる所にある防空壕、沈んだ戦艦。草に覆われたトーチカ、錆びついた大砲など。熱帯植物の根に抱かれ、静かに時を止めている遺構がこの島の歴史を語り続けている。けれども、ここの歴史は戦争だけではない。小笠原諸島はそもそも”誰のものでもなかった島”だった。
人と島の歴史の始まりは石器が発見されている事から太古より存在していた。1593年に小笠原貞頼が八丈島南東で無人島を発見して品々を持ち帰り、徳川家康より「小笠原島」の名を賜ったと伝えられているが記録は残っていない。記録としては1675年には政府による最初の探検調査として嶋谷市左衛門率いる32名が上陸して地図を制作している。そして1830年、欧米人とハワイ系の人々23人がこの無人島に上陸し定住を始めた。彼らは畑を耕し、魚を獲り、寄港する捕鯨船に食料や水を提供して暮らした。一方、日本人は1862年に江戸幕府の移民計画により38人が移住。当時はどの国も統治しない島で、人種も言葉も異なる人々が助け合いながら生きていた。そこには国境も権力も存在しなかった。
やがて明治政府が小笠原諸島の領有を宣言。1876年に正式に日本領となった。先に移住していた欧米系の住民は日本人へ帰化した。その後、日本本土では出来ない砂糖きびや綿花、バナナなどの農業や捕鯨等が盛んになるが20世紀に入り小笠原諸島は戦略的要衝として注目される。軍事施設が築かれ、戦時中は前線地として島民は全員が本土へ強制疎開させられ、住民はいなくなった。
終戦後、小笠原諸島はアメリカの統治下に置かれ、1968年にようやく日本へ返還。強制疎開から23年という長い時間を経てこの島に人々は戻り、失われた生活を取り戻していった。その後は1972年に国立公園、2011年に世界自然遺産として登録され、小笠原諸島は重要な自然の宝庫として再び新しい段階に入った。(このような歴史は父島のビジターセンターや母島のロース記念館で知る事ができる。)

境浦に沈んでいる戦跡「濱江丸」。太平洋戦争中の昭和19年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、この父島に漂着・座礁した。

境浦に沈んでいる戦跡「濱江丸」。太平洋戦争中の昭和19年、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、この父島に漂着・座礁した。

小港平射砲台。戦跡ツアーに参加すると観ることが出来る。

小港平射砲台。戦跡ツアーに参加すると観ることが出来る。

三日月山の弾薬庫跡。

三日月山の弾薬庫跡。

当時の器や瓶の残骸。

当時の器や瓶の残骸。

目の前の未来

歴史は今も続いている。人がもたらした外来種の増加、気候変動、観光と環境のバランス。島の人々は日々その課題と向き合っている。30年前に都の職員として小笠原に赴任してきた鈴木創さんは、仕事を辞めて友人と3人でNPO法人「小笠原自然文化研究所」を立ち上げた。「当時、この島の自然の保全研究拠点となる自然史博物館のような施設をつくりたかった」。その後、幻の鳥であるアカガシラカラスバト(天然記念物)の絶滅回避のための活動を行う。調査すると島じゅうに猫が溢れていた。かつて人が持ち込み野生化した猫が、固有生物の生存を脅かしていたのだ。猫の捕獲を始め、捕獲した野生化猫は1000キロの海を越えて東京都獣医師会が受け入れ、馴化の後で新たな飼い主に引き取られた。「今日を見過ごせば、明日には失われる...という気持ちで走り続けて、気がつけば25年が経っていた」と話す。現在も猫の捕獲は続いている。目の前のやるべきことに取り組み続けて、アカガシラカラスバトは街でも観られるほどになった。人が持ち込んだものは猫だけではない。ヤギやトカゲなどの生物、アカギなどの植物など、生命力の強い外来種が繁殖し、長い時間をかけて育まれた繊細な生態系のバランスを崩している。「この島のような海洋島の進化は、偶然辿り着いた生き物たちが長い年月をかけて編み上げた関係性であり、それぞれ固有種には壮大な物語がある。閉ざされたこの島ではその過程が分かりやすく観られる。地史的にも今まさに産声を上げた島もあれば、数千万年の時を重ねた島もある。太古から今に至る時間軸がここにあり、壊れかけの「今」を乗り越えた固有種たちが、今後、新たにどんな物語や関係を築いてゆくのかはわからない。しかし、とにかく出来る事は、いま絶やさずに残すことです。」自分たちの生きる時代に進化の物語が途絶えさせたくないという切迫した気持ちが伝わってきた。絶滅危惧種を守るための地道な調査、絶やさないための取り組み、試行錯誤が島の人の手によって続けられている。すべてはこの島の未来を形づくる営みだ。彼らは目の前の自然と同じく今を最大に生きていた。これが数百年後には進化の形として残ることになるだろう。

「小笠原自然文化研究所」創設者の1人である鈴木創さん。二見湾を見ながら地形や生態系を説明してくれた。

「小笠原自然文化研究所」創設者の1人である鈴木創さん。二見湾を見ながら地形や生態系を説明してくれた。

アカガシラカラスバト。絶滅危惧ⅠA類

アカガシラカラスバト。絶滅危惧ⅠA類

猫を捕らえるカゴが島内ではいくつも見られる。

猫を捕らえるカゴが島内ではいくつも見られる。

境界が見えない文化と時間

島にはどこか国境のない空気感がある。それは上記の歴史上からハワイや欧米人と日本人の文化が融合しているからだ。現在も欧米系の血を引く人々が住んでいるが、彼らのことを「ボニンアイランダー」、島の事は「ボニンアイランド」と言われている。島の言葉としてある「ムニン」「ボニン」は、「無人」という日本語を欧米系の人が発音したことから来ている。逆に固有種の植物「ヤロード」の名前は「Yellow Wood」を日本人が発音した事で定着した。
街もどこか異国のような雰囲気があり、そこに暮らす人々の肌は黒く笑顔は明るかった。そんな街の中にハワイアンフードのお弁当屋さんがあった。オーナーの宮川竜典さんは200年前の1830年に捕鯨船でここに辿り着いた最初の欧米人の子孫だという。「ここで生まれて育ってずっとサーフィンをしている。ハワイにも5年行っていた。帰ってきたら島も変わりつつあり全てが商売ベースになって住みにくく感じることもある。けど、“ この島は自分次第で楽園にできる” って祖父が言っていた。変化に左右されず、過去や未来に捉われず、とにかく今を楽しむことですね」と話す。その言葉に、ここでは言葉も文化も時間も、境界がすべてが溶け合っていると感じた。先代から引き継ぐこの島の根源的な在り方と自由を見た気がする。

Hawaiian Food Shack “Nolly`s”のオーナー宮川竜典さん。

Hawaiian Food Shack “Nolly`s”のオーナー宮川竜典さん。

ハワイアンポケチラシ弁当

ハワイアンポケチラシ弁当

今を生きるということ

旅もいよいよ最終日になり出航の日。港には多くの人が集まっていた。宮川竜典くんは僕にレイを編んでくれていた。出港の際にレイを海に投げ、それが浜に辿り着くと島に戻って来られるという言い伝えがあるという。“この島は誰もが簡単に来ることが出来ない“という事実を最後に垣間見る。そう、船に乗っているすべての人は選ばれてこの島に来ていたのだ。
おがさわら丸の甲板には旅人たちが並び、岸壁には島の人々が手を振っている。太鼓のリズムで船が岸を離れると、一斉に人々は船に向かって走り出し、乗客はレイを投げる。さらにたくさんの小型船がフェリーを追いかけてきて、沖合まで盛大に見送ってくれた。島と旅人の見えない繋がりが見えた気がする。

出航の日。港には多くの人が集まっていた

出航の日。港には多くの人が集まっていた

出航の日。港には多くの人が集まっていた

乗客はレイを投げる

乗客はレイを投げる

この島では旅人ともたくさん出会った。特殊な交通事情の為か面白い旅人がたくさんいた。その中でも往復路が同じ2航海で島に着き、母島への移動や参加したツアーも一緒になった中村奈津子さんがいた。
「旅が終われば結婚します。その前にイルカに会って声を聞きたかった。彼らは陽気で、自由で、穏やかで。ただ今を生きることを楽しんでいるように感じた。この旅はイルカが泳ぐような旅だった。」と話していた。彼女も僕と同じく台風の影響で全てのスケジュールが見えなくなった旅の始まり。しかし様々な出会いや流れが生まれ、旅は自ずと進んでいた。振り返ると予定など決めてなくても全てが良い時間だった。この島の生命たちと同じように常に最良なバランスで成り立ち、今日という未来へ繋がっていたのだ。

中村奈津子さん

船が島を出て、旅が終わるように日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた。ある者は水平線を眺め、ある者は仲間と語り合い、ある者は静かに目を閉じていた。小笠原諸島という島は、過去も未来も全ての時間が同時に存在している場所だった。4800万年前の火山の記憶も、200年前に辿り着いた人々の足跡も、数十年後に生まれるかもしれない新しい種の可能性も、全てが「今」という瞬間の中に息づいている。そしてその「今」を全力で生きる人々の姿が、この島の本質を教えてくれた。計画通りにいかない旅の中で、未来は予測するものではなく、今この瞬間を生きることで創られていくものなのだとわかった。小笠原諸島は、そのことを体現し続ける島なのである。

日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた

日が沈む中、船の甲板では各々が自由に過ごしていた

北海道・知床―海と大地、 動物と人間の狭間に立って

海から始まる旅 地の果てに向かって

旅の始まりは、船の上だった。遠ざかる本州を背に甲板に立ち、潮風に吹かれながら見渡すと日本海の水平線が広がっている。海鳥が旋回し、波が陽を反射してきらめいていた。
やがて港が近づき、フェリーは大地へと接岸した。車に乗り込み、長い道を東へと走り出す。
これから向かうのは「知床」。“大地の突き出た場所”という意味を持つアイヌ語の「シリエトク」が語源と言われている。
まるで世界の果てであるようなその名の地へ向かって、広大な大地の中を進んだ。
本州では感じることのできない奥行きを視覚以外の感覚で受け取りながら道東に入ると、人の気配は一気に薄れ、代わりに野生の気配が濃くなる。日が暮れ、真っ暗な牧草地を抜ける道の先に、濃い影を落とす半島が現れた。
知床半島──その入り口、斜里町の温泉宿にたどり着いた。

フェリー甲板から日本海の水平線を望む

フェリー甲板から日本海の水平線を望む

斜里温泉湯元館

地形が語る旅の在り方

知床半島形成の歴史は地形や岩石に刻まれている。半島先端の知床岬や右の東側、羅臼は海底火山活動に由来する古い溶岩に覆われているが、半島中央を背骨のように貫く知床連山や左の西側、斜里町ウトロはその古い地層の上に陸上火山に由来する新しい溶岩が覆っている。約25万年前にはほぼ現在の半島が形作られたと言われているが、度重なる火山活動と流氷の浸食により、現在の険しくも美しい断崖の地形が出来たのだ。
旅のコースは西側の斜里町を縦断し峠を越えて東側の羅臼町へ。走るだけで道路沿いには滝や川、岬があり、知床五湖やカムイワッカ湯の滝など深い自然環境のバックカントリーへ容易に入り込むことができ、知床峠を超えた羅臼町では根室海峡沖に国後島を望む事ができる。
観光バスの団体客、ライダーにキャンパーや登山家、ネイチャーカメラマン等──ここには実に多様な旅人が集まり、それぞれの知床を見つけようとしていた。
僕も10日間をかけて車でゆっくりと巡った。ウトロから峠を越え、羅臼のキャンプ場を拠点に海と山のあいだを往復するように滞在した。

雨上がりの斜里町の1本道。

雨上がりの斜里町の1本道。

知床五湖。湖面には綺麗に知床連山が映り込んでいた。

知床五湖。湖面には綺麗に知床連山が映り込んでいた。

ウトロ発のクルーズ船から望む知床半島の断崖。

ウトロ発のクルーズ船から望む知床半島の断崖。

ネイチャーガイドと共に歩いて辿り着いた滝。「男の涙」

ネイチャーガイドと共に歩いて辿り着いた滝。「男の涙」

プユニ岬から望む夕日に染まるウトロ市街。

プユニ岬から望む夕日に染まるウトロ市街。

温泉が流れるカムイワッカ湯の滝。アイヌ語で「神の水」を意味する。4つの滝を登り、温泉の滝壺に入る事ができる。

温泉が流れるカムイワッカ湯の滝。アイヌ語で「神の水」を意味する。4つの滝を登り、温泉の滝壺に入る事ができる。

月明かりの夜、知床峠より羅臼岳を望む。

月明かりの夜、知床峠より羅臼岳を望む。

知床峠の夜明け。

知床峠の夜明け。

知床峠より羅臼方面へ。海の向こうには国後島が望む。

知床峠より羅臼方面へ。海の向こうには国後島が望む。

夕陽の木漏れ日の森の中、よく見るとエゾシカがいた。

夕陽の木漏れ日の森の中、よく見るとエゾシカがいた。

羅臼発のホエールウォッチング船「ネイチャークルーズ」より望むマッコウクジラの背びれと国後島。

羅臼発のホエールウォッチング船「ネイチャークルーズ」より望むマッコウクジラの背びれと国後島。

根室海峡沖の国後島より満月がのぼる。

根室海峡沖の国後島より満月がのぼる。

世界が認めた生命の宝庫

2005年、知床は世界自然遺産に登録された。その価値・特徴をわかりやすく説明すると三つの点──「流氷がもたらす海の恵み」「サケ類がのぼる川が結ぶ海と陸のつながり」「海と川と森が支える貴重な野生動物」だ。
流氷から始まる命の循環はオホーツク海に押し寄せる流氷が栄養をもたらし、春にプランクトンを爆発的に増やす。小魚やオキアミがそれを食べ、サケやマスが成長し、秋には川を遡上して命を繋ぐ。その恵みをヒグマやワシ、野鳥などが食し、森の肥料となる。海と森をつなぐ食物連鎖の輪が、ここでは今も途切れることなく続いている。この生態系は海と陸の相互関係の顕著な見本であると共に、海洋性及び陸上性の多くの種、つまりは生物多様性を育んでいる。
ヒグマが日本で唯一海辺から山域まで途切れる事なく生息出来る事やシマフクロウなどの希少種の存在、多くのサケ科魚類やトドや鯨類などの海洋哺乳類、希少な海鳥類等の生息地である事、これら全てが世界的に見ても知床は重要な地域であるのだ。
僕も旅の中、クジラに海鳥やエゾシカの群れ、駆けるキタキツネにオジロワシやシマフクロウの雄大な飛翔、そして遠くにはヒグマの姿を見た。貴重な野生動物が日常に溶け込み、共に生きていることを実感する瞬間だった。

エゾシカ

エゾシカ

シマフクロウ

シマフクロウ

ヒグマ

ヒグマ

オジロワシ

オジロワシ

キタキツネ

キタキツネ

ウミウ

ウミウ

マッコウクジラ

マッコウクジラ

移り変わる文化と共生の歴史

北海道に人が住み始めたのは約2万年前と言われ、知床半島にも多くの遺跡が発見されている。縄文時代の貝塚や土器は、この地で人が森と海の恵みを享受していた証である。本州で農耕が始まった弥生時代にも、この地では狩猟採集が続き、「続縄文文化」と呼ばれる独自の道を歩んだ。その後、7〜12世紀には本州から鉄や織物などの影響を受けて発展した「擦文文化」が北海道全域で展開するが、知床半島を含むオホーツク海沿岸には北方からの影響を受け、独自の「オホーツク文化」を築いた。さらに羅臼町のトビニタイ遺跡からは、この擦文文化とオホーツク文化が交わり生まれた「トビニタイ文化」の痕跡も発見されている。
やがてこれらの文化は擦文文化に吸収され1つとなり、13世紀には「アイヌ文化」へと続く時代となった。アイヌ文化の動物や自然をカムイ(神)として崇める信仰は、オホーツク文化からの影響とも言われている。
そして18世紀の江戸時代には、本州からやってきた和人の進出により漁業が営まれるようになる。大正時代になると農業を目的とした入植者による開拓は進むが、厳しい自然は人を退け知床半島は完全に開発されることなく現代まで至った。知床はこのように太古から人が自然や野生動物と共生した暮らしを近代に至るまで続けてきた世界でも非常に貴重な文化の移り変わりが残る場所なのである。これらの痕跡は斜里町の知床博物館と羅臼町の郷土資料館で触れる事ができ、いくつかの遺跡にも訪れた。

斜里町・朱円周堤墓群。縄文時代のお墓。土器や石器、石棒、飾り玉などの他、炭化した繊維片が見つかっている。

斜里町・朱円周堤墓群。縄文時代のお墓。土器や石器、石棒、飾り玉などの他、炭化した繊維片が見つかっている。

斜里町ウトロのオロンコ岩。先住民族「オロッコ族」がこの岩の上に住んでいたという伝説がある。

斜里町ウトロのオロンコ岩。先住民族「オロッコ族」がこの岩の上に住んでいたという伝説がある。

人と自然を繋ぐ人々

海での記憶を語り継ぐ船長

知床にはウトロや羅臼から出るクルーズ船ツアーが多くある。道路が通っていない岬を目指し、独特な地形や野生動物を海から間近で観察できるツアーが人気だ。僕は出会った人からの紹介で元漁師の野田克也さんが自らの漁船で知床岬まで連れていってくれるツアーに参加した。仰ぐようにそびえる断崖の真横をかすめるように進める漁船からは、季節によってはトドやヒグマ、オジロワシや海鳥たちの姿を海から間近に望むことができる。
「昔、この海は漁師で溢れていた。でも地球の環境が変わり、海も変わった。漁師が減る中で私も卒業したが、海に出るといつも凄いなぁって見ていたこの景色や体験、これを多くの人に届けて行きたい。」
野田さんの言葉と船を操る腕からは、海と共に生きてきた人だけが持つ重みを湛えていた。

「知床らうすリンクル」の代表であり船長の野田克也さん。今や数ある漁船小型クルーズの先駆者。半島の行き止まりである相泊港から出航している。

「知床らうすリンクル」の代表であり船長の野田克也さん。今や数ある漁船小型クルーズの先駆者。半島の行き止まりである相泊港から出航している。

迫力満点の断崖の真横を運行してくれるのは小型の漁船ならでは。

迫力満点の断崖の真横を運行してくれるのは小型の漁船ならでは。

ウトロ側とは違う切り立つ岩の地形の間を進んで行く。

ウトロ側とは違う切り立つ岩の地形の間を進んで行く。

オオセグロカモメの群れに手が届きそうなくらいの近さ。

オオセグロカモメの群れに手が届きそうなくらいの近さ。

元漁師の舵捌きが素晴らしく、海のアトラクションとしても楽しめた。

元漁師の舵捌きが素晴らしく、海のアトラクションとしても楽しめた。

知床岬

知床岬

人間のいない場所で過ごす野生のヒグマを海から観察。クルーズの目玉になっている。4、5月には合わせてトドも見られる。

人間のいない場所で過ごす野生のヒグマを海から観察。クルーズの目玉になっている。4、5月には合わせてトドも見られる。

森の中で歩みを続けるネイチャーガイド

オンネベツ川の鮭マス遡上観測所に行った際、鮭の遡上には出会えなかったがネイチャーガイドの佐藤雅子さんと出会う事ができた。カメラを持っていたので声をかけると話が弾み、数日後に原生林を案内してくれた。彼女は北海道出身だが知床に魅了され移住し、やがて仕事を辞めてガイドとなった。知床の魅力はやはり野生動物であり、いつも出会いを探して森の中を歩き続けている彼女は、動物との距離感について話してくれた。
「人はこの地で野生の動物と長い年月をかけて距離感を築いてきた。中でも生態系の頂点であるヒグマは人との距離感を最もわかっている知性の高い動物。臆病であり積極的に人を襲ってくる生き物ではなく、むしろ距離をとってくれる動物。しかし、近づきすぎるとその関係を壊してしまう。人がここに訪れ、自然の中に入る時には古来より続く野生動物との距離やルールを徹底しなければならない。私自身も写真を撮りたく近づく傾向があるから意識して気をつけなければならない。」知床には多くの観光客が訪れ、野生動物の写真を撮る為にしつこく追いかけたりする事で彼らは非常にストレスを感じていると彼女は話す。さらには餌をあげる人もいて、それらがバランスを崩す一つの要因となり、やがて悲劇をもたらす事に繋がる。それが本当に悲しいと言っていた。案内してくれた森の中では野生のキタキツネのネズミの捕食を見る事が出来、エゾリスやたくさんの野鳥も見る事が出来た。森を抜けるとそこには断崖とオホーツク海の大海原に落ちる滝の絶景が待っていた。

ズームレンズを片手に、気配を感じながらゆっくりと森の中を歩く佐藤雅子さん。「知床とこぼうず」という屋号で活動している。

ズームレンズを片手に、気配を感じながらゆっくりと森の中を歩く佐藤雅子さん。「知床とこぼうず」という屋号で活動している。

ネズミの巣をほじくるキタキツネ

ネズミの巣をほじくるキタキツネ

アカゲラ。色のデザインが素晴らしい。

アカゲラ。色のデザインが素晴らしい。

あたま隠して尻隠さずのエゾリス

あたま隠して尻隠さずのエゾリス

ドングリを拾い、動物の話を始めてくれた。

ドングリを拾い、動物の話を始めてくれた。

森を抜けると現れたオホーツク海と断崖の絶景。

森を抜けると現れたオホーツク海と断崖の絶景。

「男の涙」という滝に到着。

「男の涙」という滝に到着。

自然との距離を伝え続ける人々

知床財団の挑戦

知床を訪れる人に、知床の自然構造や野生動物との関わり方や距離感などを様々なアプローチで伝えてくれる重要な施設がある。斜里町の「知床自然センター」、羅臼町の「知床羅臼ビジターセンター」だ。
現場を運営する知床財団は、斜里町と羅臼町など関係行政と連携し、知床の自然管理、ヒグマ対策、訪れる人々へのレクチャーなどの活動を行っている。
その活動の主軸のひとつは財団創設のきっかけとなった「しれとこ100平方メートル運動」である。1977年、厳しい自然のため入植者が離れた開拓跡地にリゾート開発計画が持ち上がった。当時の斜里町長はそれを止めるべく、知床国立公園内の開拓跡地保全と原生林再生を目指し「しれとこ100平方メートル運動」を開始。乱開発の危機にあった開拓跡地の買い取りに必要な寄付を募った。
この運動は全国から多くの賛同を得て、2010年にはほぼ全ての土地を買い取ることができた。現在は「100平方メートル運動の森・トラスト」として、その土地に原生の森と生態系の再生を目指した取り組みを続けている。運動地の一部には、訪れた人は誰でも歩けるコースがあり、再生の現場を案内して貰った。
財団の山本幸さんは「多くの人が簡単に野生動物の生息する深い自然にアクセスして触れることができる知床はかなり稀な場所。それ故に訪れる人は自然や野生動物との正しい距離を知る必要がある。自然と人間の領域を知り学ぶ事。知床はそれを体感できる場所としての価値がある。私たちはそのバランスを維持し、継承し続けていかなければならない」と話してくれた。
これまで、日本の世界自然遺産を巡る中で、環境を守り継承する人達や団体と出会って来たが、これほどの組織規模で活動運営が出来る事には希望があった。ここがモデルケースとなり全国へ同じような活動の波が広がれば良い。

知床財団の山本幸さん。知床の自然に魅了され何度も訪れ、神奈川県より移住してきた。現在は知床財団事業部長を務め様々な活動を企画し行っている。

知床財団の山本幸さん。知床の自然に魅了され何度も訪れ、神奈川県より移住してきた。現在は知床財団事業部長を務め様々な活動を企画し行っている。

開拓の森での森林再生風景。まるで芸術作品のように様々な試みが森の中に点在していた。

開拓の森での森林再生風景。まるで芸術作品のように様々な試みが森の中に点在していた。

「シカの食害をモニタリングするために設けた柵」柵の中はシカの食害が無いので外との比較を行い、シカの食害の影響をモニタリングする。

「シカの食害をモニタリングするために設けた柵」柵の中はシカの食害が無いので外との比較を行い、シカの食害の影響をモニタリングする。

倒木を積み上げて製作した鹿よけの柵。この中には白樺が根付いているらしい。

倒木を積み上げて製作した鹿よけの柵。この中には白樺が根付いているらしい。

動物の視点で伝える物語

知床財団と活動を共にする絵本作家のあかしのぶこさんとも出会う事ができた。京都出身の彼女が知床に移住したのは二十五年前。野生動物を観察し絵本を描きたかった彼女が直面したのは、観光客の増加でゴミや餌によりヒグマが人里に現れるという現実だった。知床財団のボランティア募集をきっかけに自然センターで働く傍ら、観光客への注意喚起としてヒグマとの距離を伝える紙芝居を始めた。やがてその続編として彼女の代表作となる絵本「しれとこのきょうだいヒグマ ヌプとカナのおはなし」が完成し、知床のヒグマの親子の目線で人間との関係を描いた作品が財団から発刊された。「動物目線になって作品を描いているのは、人間の概念を外してこの世界を見たらどう見えるのかをイメージすると全然違う世界が見えてくる。色んな動物になることで様々な答えが投げ掛けられる」と語る。新作「しれとこのみずならがはなしてくれたこと」は斜里町の100平方メートル運動を題材に、ミズナラの樹の目線で開拓と森の再生を描いている。

あかしのぶこさん。森と海が望める制作アトリエにて。

あかしのぶこさん。森と海が望める制作アトリエにて。

森と海が望める制作アトリエにて。

様々な動物の視点になれる絵本の可能性を信じて、世界の様々な見え方を想像し描き続けている。

様々な動物の視点になれる絵本の可能性を信じて、世界の様々な見え方を想像し描き続けている。

しれとこ100平方メートル運動を題材に財団の山本幸さんと一緒に制作し、財団より発刊された。

しれとこ100平方メートル運動を題材に財団の山本幸さんと一緒に制作し、財団より発刊された。

未来へ繋ぐ記憶の継承者たち

そして、知床財団がサポートする団体に、「知床自然愛護少年団」がある。地元の大人が主体となり、子どもたちに自然の中で安全に楽しく遊ぶ知識や技術を伝える活動団体だ。1971年、当時の町長が自然が濃すぎる知床で子供達が安全に外で遊ぶ機会がなくなる事を懸念し設立した。
設立当時に1期生として入団していた横内正元さんが現在の団長として活動している。「子どもたちには森や海、川で思いっきり遊んでほしい。自然の中で五感を使って感じてほしい。その記憶を残すことが自然を守ることや共生していくことに繋がる」と話していた。団員が大人になり、今はその子ども達の世代が昔と同じように知床の自然に触れ、自然との関係性を築いている。時代や世代が移り変わりゆく中でも、こうして自然との共生のあり方が受け継がれているのだ。その子供たちは全部の活動が楽しいと話していた。

海や川で獲ったり食べたり。毎年、開拓時代の小屋で当時の暮らしを体験し、寝泊まりをする行事も行っている。写真は団長の横内正元さん。団員の石本朔也(さくや)さん、石本蒼唯(あおい)さん、石本和真(かずま)さん。

海や川で獲ったり食べたり。毎年、開拓時代の小屋で当時の暮らしを体験し、寝泊まりをする行事も行っている。写真は団長の横内正元さん。団員の石本朔也(さくや)さん、石本蒼唯(あおい)さん、石本和真(かずま)さん。

海から大地へ 循環する生命の物語

旅の終盤、羅臼町のサシルイ川の煌めく水面の中を覗くと、数匹のサケが遡上していた。例年より遅いというが、海へと旅立った命が再びこの川に戻ってきている。
海から大地へ、過去から未来へ、大人から子供へ、この知床では海と森、動物と人、それぞれが長い時間の中で築き上げられてきた循環があり、その繊細な距離とバランスを見ることのできる貴重な場所だった。

夕暮れになるといつもカモメが飛び交っていた。

夕暮れになるといつもカモメが飛び交っていた。

海からの光が斜面の森を照らしている。

海からの光が斜面の森を照らしている。

漁港も静まり。

漁港も静まり。

何かを伝えるかのように川の水面が煌めいていた。

何かを伝えるかのように川の水面が煌めいていた。

その中を覗いてみると、鮭が流れに逆らって泳いでいた。

その中を覗いてみると、鮭が流れに逆らって泳いでいた。

そして、知床は教えてくれた。生命とは循環であり、共生とは距離であり、未来とは記憶の継承からの創造であることを。この半島で出会った人々は皆、自然と人間の間に立ち、その境界線を守り続けており、見せてくれた。彼らの想いと行動が、原始からの記憶を現代に繋ぎ、そして未来へと手渡していく。知床(シリエトク)──名前の通り、ここは確かに地の果てかもしれない。しかし同時に、生命の物語が始まる場所でもあるのだろう。

滝を登るサクラマス。清里町さくらの滝。

滝を登るサクラマス。清里町さくらの滝。

【見逃し配信あり】 建築からまちを変える。藤原徹平さんが描く、地域の風景と暮らしの未来 | コロカルアカデミー Vol.8

日本のローカルの魅力を発信する「コロカル」は、新たなウェビナー講義シリーズ「コロカルアカデミー」の第8回を開催しました。今回のテーマは「建築とまちづくり」。

ゲストには、元・隈研吾建築都市設計事務所の設計室長として数々の国内外プロジェクトを牽引し、現在は〈フジワラテッペイアーキテクツラボ〉を主宰。さらに、横浜国立大学大学院Y-GSA准教授として後進の育成にも尽力されている建築家・藤原徹平さんをお迎えしました。

藤原さんが手がけるのは、単なる建物ではありません。その周囲に広がるランドスケープや、人々の営みまでを含めた「地域の風景」そのものをデザインする仕事です。今回は、そんな藤原さんが大切にしている〈場所の哲学〉について、じっくりと語っていただきました。

見逃し配信を視聴したい方は、以下よりお申し込みください。

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藤原 徹平(ふじわら・てっぺい)

藤原 徹平(ふじわら・てっぺい)

建築家/株式会社フジワラテッペイアーキテクツラボ主宰/横浜国立大学大学院Y-GSA准教授/一般社団法人ドリフターズインターナショナル理事

横浜生まれ。横浜国立大学にて建築学、都市計画、映画批評を学ぶ。大学院修了後、隈研吾建築都市設計事務所にて国内外100以上のプロジェクトに設計室長として携わる。2012年より横浜国立大学に着任。並行してフジワラテッペイアーキテクツラボを主宰し、建築、都市開発、ランドスケープデザイン、アートプロジェクトなど、領域横断的に活動している。主なプロジェクトに、小浜ヴィレッジ、クルックフィールズなど。

場所の未来をひらく営み

場所の未来をひらく

講座は、普段から大学で教鞭を執る藤原さんによる、軽やかな自己紹介から始まりました。

自らを「場所の専門家」と語る藤原さん。活動の軸にあるのは、常に「根っこ」に目を向ける姿勢だといいます。

その眼差しは、自分自身にも、プロジェクトにも、そして土地や場所そのものにも向けられています。

藤原さんが語る「根っこ」と対極にあるのが、「ハコ」や「ハコモノ」という言葉。つくられた建物が土地と結びついていない状態を揶揄する表現だといいます。

そうではなく、土地と建築を結びつけ、その土地が本来持つポテンシャルを生かすこと。建築とランドスケープを弁証的(対立する概念を取り入れ、より高次の理解や解決へ導くこと)に絡み合わせながら、その場所ならではの風景を立ち上げていく。

温和な語り口の奥に、内側からにじむ強い哲学が感じられ、講座への期待が高まっていきます。

「ゆっくりつくる」ことを選んで

場所の未来をひらく

隈研吾建築都市設計事務所で13年間の経験を積んだ後、藤原さんは独立の道を選びました。

その背景にあったのは、「止まれない状況の中で、創造性を発揮するのは難しい」という実感だったそうです。

そうした思いから、「止まること」を一つのテーマに掲げて歩み始めたのが、フジワラテッペイアーキテクツラボ(FUJIWALABO)でした。

同ラボが手がけるのは、単なる建築設計にとどまりません。ランドスケープのデザインまで含め、場所全体を捉え直すアプローチを特徴としています。

建築を小さくすれば庭が大きくなり、建築を大きくすれば庭が小さくなる。

敷地という動かせない条件の中に、建築と庭の関係性を持ち込み、場所をより動的に捉え直していく。その視座は、聞く者に新鮮な刺激を与えます。

設計とは、単に建物の構成を考えることではありません。

場所特有の風や光、佇まいといった要素を丁寧に読み取り、詳細なリサーチを踏まえた上で基本構想を練り上げていく。その姿勢は、極めて物質的でありながら、同時に形而上学的でもある、不思議な営みに映ります。

さらに印象的だったのは、こうした「構想を練ること」自体を設計とは切り分け、契約として成立させている点です。このアプローチそのものが、非常に新鮮に感じられました。

土地の可能性を考えるためのアプローチ「ファイブサイト」

プロジェクトは5つの土地(サイト)に建つ

企画や規模が先に決まってしまうと、そこに本当に建つべきものが見えなくなってしまう。

そう語る藤原さんは、設計に入る前段階である「基本構想フェーズ」を何よりも大切にしているといいます。

一つのプロジェクトがどのような場所に立ち上がるのか。その考え方を説明するために紹介されたのが、「5つのサイト(ファイブサイト)」という視点でした。

具体的な内容については講座本編に譲りますが、図からも分かるように、プロジェクトは単なる予算や企画だけで決まるものではありません。

さまざまな想いや状況、環境に拘束されながらも、複数のサイトが重なり合うことで、その場所ならではの何かが立ち現れてくる。そんな示唆に富んだ話が展開されました。

私たちが日々進めている大小さまざまなプロジェクトもまた、単一のロジックだけで押し切れるほど単純ではありません。多様な利害や想い、状況を踏まえながら進められているという事実を、改めて認識させられます。

具体事例から見えてくる、場所づくりの実践

ここからは、藤原さんが実際に手がけた具体的な事例をもとに、話はより実践的な内容へと進んでいきます。

まず紹介されたのは、千葉県木更津市にあるクルックフィールズ。

「農」「食」「アート」「エネルギー」が一体となったこの場所では、水の流れを変えるために土や石の形を組み替え、新たな土地のあり方をつくり直してきました。

環境を見つめ直し、整え、再生していく。そのプロセスは、設計というよりも、一から土地を編み直す営みに近いものとして語られます。

すり鉢、土塁、ホックニー。

風景を気持ちよくするために稜線をデザインし、「ナチュラルに気持ちいいこと」を大切にする。その一つひとつの言葉やフレーズから、藤原さん独自の哲学が立ち上がってきます。

続いて紹介されたのが、鹿児島県の小さな港町・小浜につくられた「小浜ヴィレッジ」。

会社やパン屋などが入るキャンパスを地域に開くにあたり、プロジェクトデザインをあえてゆっくりと進めていったといいます。

土地の宝探しをしながら、銀行や社員も含め、関係者全員が納得できる形を模索していく。

使われていない土地を、どのようなビジョンで育てていくのか。完成後も街の中心となる広場として活動を仕掛けていく。その課題意識と視点は、地域創生を考えるうえでも多くの示唆を与えてくれました。

まとめ|場所の思想を見いだすということ

「歩きながら考える」。

これはQ&Aの中で、藤原さんがふと口にした言葉です。ローカルな場所について考える際の、大きなヒントになる一言だと感じました。

新しい建物や事業を立ち上げるとき、当初抱いていた想いや思想は、現実の予算や納期の中で押し込められてしまうことも少なくありません。

しかし、土地や場所の「根っこ」にこだわり、何度も立ち返り続けることでしか実現できないプロジェクトづくりがある。藤原さんの話を通じて、そんな可能性を強く感じさせられました。

講座本編終了後のQ&Aでは、街を歩くときに意識していることや、契約の方法にまで踏み込んだ具体的な話題も展開されました。

まちづくりに関心のある方、建物とその周辺との関係性について考えたい方、プロジェクトに哲学的・思想的な視点を取り入れたい方に、ぜひおすすめしたい内容です。

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ミュージシャン・YONCEさんが おすすめする、茅ヶ崎らしさを 感じるおすすめスポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、ミュージシャン・YONCEさんが登場。
地元・茅ヶ崎らしさを感じられるおすすめスポットを教えていただきました。

背筋を正してくれる〈寒川神社〉

〈寒川神社〉

厄除けの神様を祀っている〈寒川神社〉は、幼い頃からほぼ毎年お詣りしている場所です。優しく背筋を正してくれるようなところで、お参りの時期でなくてもぜひ足を運ぶ価値があると思います。

information

map

寒川神社

住所:神奈川県高座郡寒川町宮山3916

茅ヶ崎の文化拠点の一つ〈MOKICHI TRATTORIA〉

熊澤酒造さんの蔵を利用したイタリアンレストラン〈Mokichi Trattoria〉。気鋭の作家やアーティストの作品が展示されるギャラリーでもあり、複合的なカルチャーを発信する素敵な場所でおすすめです。

information

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MOKICHI TRATTORIA

住所:神奈川県茅ヶ崎市香川7-10-7

Instagram:@mokichi_trattoria

店名も味も素敵な〈楽園〉

〈楽園〉

名前も最高な〈楽園〉。ここのラクサがとてもおいしくて、ぜひ一度食べてみてほしいおすすめスポットです。

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楽園

住所:神奈川県茅ヶ崎市浜見平3-1 ブランチ茅ヶ崎2 1F

Instagram:@rakuen.to.oyoyo

動画はこちらから!

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YONCE

2019年、デビューからわずか4年で地元・横浜スタジアムでの3万人動員のワンマンを実現し、2021年に活動休止を発表。2025年6月に活動を再開し、復活の横浜アリーナ2Daysはソールドアウトを記録した6人組ロックバンドSuchmosのボーカリスト。歌唱する楽曲は自身のバンドのみにとどまらず、2022年にはフジテレビ系ドラマ「エルピス—希望、あるいは災い—」の主題歌「Mirage」を、Mirage Collectiveのボーカルとして歌唱。2023年5人組ロックバンド「Hedigan's」を結成。

グローバル企業は、地域とどう向き合えるのか。ユニクロが続けてきた 「事業と社会」の接続 |コロカルアカデミー Vol.10

地域の暮らしや文化に根ざした新しい学びの場「コロカルアカデミー」は、今回で第10回を迎えます。主催は、日本各地のローカルの魅力を発信し続けるWebマガジン「コロカル」です。

今回のテーマは、「Global to Local, Local to Global」。世界を舞台に事業を展開する一方で、各地の現場に深く入り込み、グローバルとローカルを行き来しながら、事業と社会課題の両立を実践してきたユニクロ。その歩みをひもときます。

ゲストにお迎えするのは、シェルバ英子さん(ユニクロ サステナビリティマーケティング 部長)。2001年の入社以来、24年にわたりサステナビリティ領域を一貫して担当し、ユニクロの社会貢献活動を、現場の実装レベルで見つめ、支えてきた方です。

Global × Local が一体となる現場

ユニクロではこれまで、「Global is local, Local is global」という考え方を掲げ、各国・各地域のチームとグローバルヘッドクオーターが一体となって、ものづくりや業務の改革を進めてきました。

店舗やECに寄せられる世界中のお客様の声を起点に、ローカルで確かなニーズがあり、同時に世界にも通じる商品をつくっていく。その循環を、ニューヨーク、ロンドン、パリ、上海、東京などに広がるR&D拠点や、長年信頼関係を築いてきた生産パートナー、グローバルな店舗網と会員基盤が支えています。

SNSをきっかけに世界的な人気を集めた「ラウンドミニショルダーバッグ」は、そうした循環を象徴する存在のひとつ。ローカルな使い方や声が瞬く間に世界へと広がり、結果として1,400万点以上が販売されるヒットにつながりました。

その思想が「地域」に向かったとき ― 瀬戸内という現場

この Global to Local / Local to Global の考え方は、商品開発にとどまらず、サステナビリティの実践にも通じています。その象徴的な取り組みが、2001年から四半世紀にわたり支援を続けてきた瀬戸内オリーブ基金です。

日本最大規模の産業廃棄物不法投棄事件「豊島事件」をきっかけに生まれたこの基金は、瀬戸内というひとつの地域で、自然環境の再生と未来への継承に向き合い続けてきました。

ユニクロは、店頭募金という仕組みを通じて、単に支援する立場にとどまるのではなく、地域の現場と長く関係を結び、活動に伴走する道を選んできました。

瀬戸内オリーブ基金の原点となったオリーブの植樹に込められた「これまでの25年」。そして、瀬戸内海の未来を象徴するスナメリに託された「これからの25年」。

グローバルな企業の思想が、地域という具体的な場所で、どのように根づき、続いてきたのか。そのプロセスを、シェルバさんの言葉を通してたどります。

このセミナーで考えたいこと

本セミナーでは、
・グローバルとローカルを切り離さず、どうつないできたのか
・ユニクロと瀬戸内オリーブ基金
・サステナビリティを理念に終わらせず、実装し続けるために何が必要なのか(企業が地域と「続ける」ために必要なこと)
といった問いを、ユニクロの実践を手がかりに考えていきます。

世界と地域を往復しながら働くこと。その先に、どんな未来が描けるのか。地域創生やサステナビリティ、グローバルビジネスに関心のある方にとって、静かに視野が広がる60分になるはずです。

【概要】
コロカルアカデミー Vol.10
グローバル企業は、地域とどう向き合えるのか。ユニクロが続けてきた「事業と社会」の接続
日時:2026年2月4日(水)15:00〜16:00(14:50開場)
形式:Zoomウェビナー
費用:無料(要事前申込)
募集期間:2026年1月30日(金)12:00
※後日見逃し配信あり

【コロカルアカデミーとは】
ローカルを舞台に活躍する人々のリアルな情報を通して、日本の魅力を再定義するウェビナーシリーズです。地域を活性化させるために働きたい方、ローカルでビジネスを始めたい方、自治体や企業で地域創生に携わる方に向けて、新たなヒントを提供します。

いままでのコロカルアカデミーはこちら

登壇者は、地域の文化資産や資源を掘り起こし、その価値を世界に伝える新しいリーダーたち。ローカルビジネスにおける強みと課題、問題解決のプロセス、未来を変える次の一手についてもリスナーの皆さんと一緒に考えていきます。

【本セミナーで学べること】
●企業が地域と長期的な関係を築くための考え方
●瀬戸内オリーブ基金に見る、環境再生の実践プロセス
●募金・参加型施策を「地域の力」に変える設計
●CSRで終わらせない、共創型サステナビリティの条件

【こんな方におすすめ】
●地域創生・環境・観光に携わる自治体・企業関係者
●サステナビリティ/CSR/ESGを担当する方
●ローカルと企業の関係性に関心のある方
●NPO・NGO・地域活動に関わる方
●学生・若手プロフェッショナル

【登壇者プロフィール】

森本聡子

シェルバ 英子(しぇるば・えいこ)
株式会社ユニクロ サステナビリティマーケティング 部長
大学卒業後、外資系アパレル企業などを経て、2001年ファーストリテイリングに入社。同年に発足した、現在のサステナビリティ部の前身「社会貢献室」に配属され、以降24年にわたりサステナビリティ領域を一貫して担当。「全商品リサイクル活動(現:RE.UNIQLO)」や「ユニクロ東北復興応援プロジェクト」、「Clothes for Smiles」など、数々の社会貢献・環境プロジェクトの立ち上げに参画。2020年より、サステナビリティの情報発信を担当。

杉江宣洋

杉江宣洋(すぎえ・のぶひろ)
コロカル編集長/MAGAZINEHOUSE CREATIVE STUDIO ブランディングプロデューサー
1997年マガジンハウスに入社。『anan』編集部を経て、2008年『BRUTUS』配属、10年同誌副編集長に。『BRUTUS』では「居住空間学」(インテリア特集)「音楽と酒」シリーズなどをヒット企画に育てた実績を持つ。また、「桑田佳祐」「山下達郎」「松本隆」「スタジオジブリ」などの特集も担当。2022年Hanako編集長就任。2025年より現職。

【注意事項】
・本イベントはオンライン開催です。
・音声や映像の乱れが生じる場合があります。
・録画・録音・再配信はご遠慮ください。

※お申し込みいただいた方には、後日見逃し配信のご案内をお送りします。
当日ご参加が難しい場合も、ぜひお気軽にお申し込みください。

変わりゆくまちに思いを馳せながら、 のんべえの聖地・立石を飲み歩き。 あなたのまちの焼酎ハイボール アテ探し旅

のんべえの聖地、立石が変わる
いや、もう変わりつつある。

大規模な再開発により、数年前から、
多くの名物酒場が立ち退きを始めた。

大衆酒場の聖地、立石

昭和の高度経済成長で、工場が林立し、
そこで働く労働者の元気と癒しを提供してきたまち。

1000円でべろべろに酔える「せんべろ」の迷宮として、
全国の酒場ファンから熱い支持を受け続けてきた、
歴史や物語がしみ込んだ街並みがなくなるのだ。

大衆酒場の聖地、立石

京成立石駅の北口には、大きなクレーン車が停まっており、
周りは白い工事壁に覆われている。
北口にはタワーマンションと商業施設、
葛飾区役所の新合同庁舎もやってくる。

寂しさを募らせながら、踏切に立って南口側をみれば、
「立石仲見世商店街」は健在だった。
立石をのんべえたちの聖地にした中心地は、やはりこの通り。

立石仲見世商店街

1931(昭和6)年に開設された京成立石駅。それから産業・交通の要所として発展。第二次世界大戦の空襲で被災した浅草周辺から移住してきた人々が、故郷を懐かしんで名付けたとも言われる「立石仲見世商店街」は、繁栄とせんべろの中心地だった。このエリアも2年後から再開発がはじまる。

昼でもほの暗い仲見世を入ってすぐにある
立役者的存在の店、もつ焼きの〈宇ち多゛〉は
平日の15時で、もうぎゅうぎゅう。
店の中から酒場好きの静かな熱気が漏れてくる。

立石といえば、もつ焼きの〈宇ち多゛〉。平日の明るい時間からこの盛り上がり様

立石といえば、もつ焼きの〈宇ち多゛〉。平日の明るい時間からこの盛り上がり様

その様子を横目で見ながら、〈丸忠蒲鉾店〉へ立ち寄る。
家呑み用におでんをテイクアウトするのだ。
店の前ではおでんが湯気を立てる。

丸忠蒲鉾店

「立石仲見世商店街」の中にある〈丸忠蒲鉾店〉。自家製のさつま揚げ、おでん種を販売していて、店先では日高さんが一年中おでんを炊いている。

「立石仲見世商店街」の中にある〈丸忠蒲鉾店〉。自家製のさつま揚げ、おでん種を販売していて、店先では日高さんが一年中おでんを炊いている。

「うちは、蒲鉾店。練り物からのいい出汁がしみ込むのよ」
と、店主の日高幸子(ゆきこ)さん。
ベースの出汁は大量の昆布。これに鰹節、塩と砂糖。
醤油はいれない。

「いわゆる関東炊きではないんですよ。
私は東京生まれなんだけど、お父さん(旦那さん)が四国。
こだわりが強くて、この出汁になりました」。

出汁だけをいただく

出汁だけをいただく。香りがやわらかい。
味わえば塩辛さはなく、きれいな甘さ。
昆布の風味に、練り物からのいい脂が混じり、
柔らかいけれど輪郭はボケずに、味はしっかり決まっている。
後味はスッキリだ。
この出汁だけで焼酎ハイボールと合わせたい。
やわらかい甘味と焼酎が手を取り合い、
炭酸とともにすーっときれいな余韻に導いてくれそうだ。

お店の自慢の一つは大根

お店の自慢の一つは大根。
2日がかりでじっくり、この出汁をしみこませる。
「手間がかかっているので1個、240円。
でも、食べて、なるほどと思っていただければ……」
たっぷりのあさりと長ネギが入ったあさり天もそそられる。
あさりの旨味も出汁に染みていき、それがまたあさり天に還ってくる。

立石の繁栄を見続けてきた幸子さん。
「浅草の仲見世にも負けないぐらい人が溢れていたわよ。
ほんとかうそか観光バスが来たなんてね。
この時間は夜の買い物で、通りはいっぱいだったわね」。
浅草寺のお清めの煙が、立石ではおでんの湯気か。

2年後に南口も再開発が進む予定。
おでんの味を競う、息子さんの人気の酒場〈二毛作〉は、もう移転している。
「場所のことも、蒲鉾屋を続けるかもわからないけど、
娘は続けるので、(隣で酒場〈おでんの丸忠〉を営む)、
おでんは、私が動ける範囲はやりたい。
なかなかない味だと思うので」

「このあたりのお客さんは優しくてね。店を始めたころは、今日のはしょっぱかったよ、なんて教えてくれて。育てられましたね」と幸子さん。息子さんは、立石のおでん酒場の名店と称される〈二毛作〉の店主(以前は隣にあったが、すでに移転)。「息子は息子で自分の味を作りたくてがんばっています。でも負けないわよ(笑)」

「このあたりのお客さんは優しくてね。店を始めたころは、今日のはしょっぱかったよ、なんて教えてくれて。育てられましたね」と幸子さん。息子さんは、立石のおでん酒場の名店と称される〈二毛作〉の店主(以前は隣にあったが、すでに移転)。「息子は息子で自分の味を作りたくてがんばっています。でも負けないわよ(笑)」

富山で生まれ、富山を撮る。 坂本欣弘監督が語る 『無明の橋』と故郷の風景

富山県立山町に伝わる「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」を題材にした映画『無明の橋』。本作を手がけたのは、富山県出身の坂本欣弘監督。生まれ育った土地の風景や、人々の温かさ、そして儀式との出会い。三作続けて富山を舞台に撮り続けてきた監督に、故郷への思いと今回の制作背景を伺った。

生まれ育った富山。離れて初めて気づいた「景色の力」

富山で生まれ、高校卒業までを過ごした坂本欣弘監督。大学時代に東京へ移り住んだことで、故郷の景色の美しさにようやく気づいたという。

『無明の橋』

「高校生の頃は、地元の景色を意識したことがほとんどなかったんです。でも、東京で暮らしたあとに帰ると、立山連峰がこんなにきれいだったのか、空ってこんなに広いんだとか、海が近いんだとか……全部が新鮮に見えました」

現在の暮らしは、海まで徒歩3分。漁港がある射水市の内川沿いに住み、少し車を走らせれば山にもすぐ行ける場所にある。

「駅からは近いのに、海にもすぐ出られて。山と海がこんなに近い土地って、実はあまりないんじゃないかなと思います。幼少期の記憶として強く残っているのは海。富山市内からも自転車で行ける距離だった、少年時代の遊び場でもあった場所です。子どもの頃は当たり前だったけれど、大人になって初めてその価値に気づいたんですよね。映画の舞台として富山を選ぶ理由には、そうした風景が持つ力が大きい。富山は、360度どこを切っても絵になるとよく言われるのですが、山脈、連峰、雪景色……立山連峰に夕日があたる瞬間は、本当に息をのむ美しさがあります」

作品づくりに宿る、富山の風土と人の温かさ

坂本監督がこれまでの三作、『真白の恋』『もみの家』『無明の橋』で富山を舞台に撮り続けてきたのは、単なる地元という理由だけではない。

坂本欣弘

「富山の人って、とにかく温かい。今回も立山町の方々に本当に助けられました。『無明の橋』では主人公が“都会から富山にやって来る”という設定のため、あえて地元の人々の描写は控え目ですが、それでも現場には富山の空気がしっかり流れていました。映画を支えてくれているのは地域の人たちの存在があってこそ」

過去作では富山の人々の暮らしや行事、濃密な人間関係を丁寧に描いてきた。たとえば食卓、料理、獅子舞などの伝統行事。監督自身が育ってきた生活の匂いが、作品の温かさにつながっている。

『無明の橋』

「田舎の濃さっていうんですかね。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなが一つの行事に集まってくる。この光景はやっぱり映画を通して残したいと思いました。都会と比べて冷たい、温かいという単純な話ではなく、富山の風土が持つ温度そのものが映画の空気になる感じですかね」

「布橋灌頂会」との出合い。生まれ変わりの儀式をどう映画にするか

『無明の橋』は、富山・立山町 芦峅寺(あしくらじ)に古くから伝わる女性のための“生まれ変わりの儀式”「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」を題材にしている。江戸時代に信仰の山「立山」への登拝が許されなかった女性達が、白装束姿で白い布が敷かれた橋を渡る極楽往生を願うもので、監督自身、この儀式を知ったのは比較的最近のことだという。

『無明の橋』

「普段は布のない橋を歩けますが、儀式の日に白い布が敷かれると、まったく違う表情を見せるんです。映画化に向けて最も大変だったのは、この儀式の正しい再現。コロナ禍もあり長らく開催されていなかったんです。そして儀式を執り行う僧侶は、普段富山県外に住んでいる方。儀式に対して地域の人が抱いている神聖な思いを傷つけないように、何度も取材し、許可を取り、スケジュールを調整して僧侶の方々に参加していただきました」

『無明の橋』

映画をつくる背景には、監督自身の喪失の経験も影響している。

「かつて親しくしていた先輩との突然の別れがあり、あのとき感じたことがずっと自分の中に残っていました。ご家族から手紙を預かった直後の出来事で、その経験をいつか作品として向き合いたいと心のどこかで思っていたんです。今回の儀式のテーマには、その記憶と共鳴するものがありました」

『無明の橋』

生と死、喪失と再生。富山の地に息づく文化が、監督の個人的な記憶と重なり、今回の物語が生まれている。

富山から世界へ。これから描きたい“地方の現実”と次世代へのメッセージ

これまで三作にわたり富山を撮り続けてきた坂本監督。次のテーマとして見えてきたのは、地方が抱えるこれからの課題だと語る。

坂本欣弘

「富山はコンパクトシティ化が進んでいて、中心部以外はどんどん空洞化している。住んでいるとその変化を日々感じます。自分ごとに感じるようになったのは、父親として子供を育てて、地域の未来を現実的に考えるようにもなったことから。子どもたちが大きくなったとき、地元はどうなっているんだろう、どこで暮らしていくんだろうって思ったんです。その不安と向き合ったとき、映画で社会的な問題を描く必要性も感じ始めました」

一方で、映画文化そのものを若い世代に届けたいという思いも強く持っている。

「自分が学生の頃に観て衝撃を受けた作品が、今の自分を形作っている。『無明の橋』が、誰かの人生に影響を与える一本になってくれたら嬉しいですね」

『無明の橋』

富山という土地の美しさ、故郷に宿る温度、変わりゆく地方の現実。そこにある風景や人の温度を見つめながら、坂本監督はこれからも丁寧に作品づくりと向き合っていく。

profile

坂本欣弘(さかもと・よしひろ)

富山県出身の映画監督。大学進学を機に東京へ移り、卒業後に富山へ戻る。以降、故郷を舞台にした作品づくりを続け、『真白の恋』『もみの家』を発表。最新作『無明の橋』では、立山町に伝わる「布橋灌頂会」を題材に、生と再生を静かに描き出す。

information

『無明の橋』

2025年12月19日(金)新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座ほか全国公開

https://mumyonohashi.com/

15年前、3歳だった愛娘を亡くした由起子は、心に癒えぬ傷を背負いながら、今もその罪の意識から逃れられずにいた。ある日、とある絵画を偶然目にして心を奪われた彼女は、駆り立てられるように、その絵が描く舞台の地へと足を運ぶ。

立山連峰を望む橋のたもと。様々な想いを抱えた女性が集うその場所で、由起子は不思議なひとときを過ごすことになるのだった───。

編集長が選ぶ、鹿児島県に行ったら 食べてほしいグルメ5軒 コロカル編集部の食いしん坊日記

日本全国に点在する郷土料理やB級グルメ、旬の食材を使った料理など、コロカル編集部があちこち巡り、おすすめを見つけました。今回は編集長Sが選んだ、鹿児島県に行ったら食べてほしいグルメ5軒をご紹介します。

鹿児島県に行ったら、レンタカーでGO!

鹿児島県を巡ってきました。今回の最大の目的は、いちき串木野にある〈白石酒造〉という焼酎蔵。自分たちの畑で育てた芋で、焼酎造りをする。砂地で育てた芋なのか、粘土質土壌で育てた芋なのか、同じ品種の芋でも、焼酎になったときに、明らかに酒質が異なり、テロワールを感じさせる。自然栽培農業と焼酎造りが密接につながっている蔵は、日本全国探しても、そうそうないのだが、これがそうやすやすとできないことを、現地に行って、身にしみて理解ができた。とともに、日本の酒造りの未来って、ここにこそあるんじゃないのかな、と感じさせる。熱く、優しく、噛み締めるように、焼酎造りを語る5代目当主・白石貴史さんの言葉は、名言ばかりで、また機会があったら、記事にしたいと思う。

鹿児島は、空港から市内が少々とおいのだけど、そこにこそ、行くべきスポットが多々ある。朝便でついたら向かうは〈大黒屋〉。メニューは、3品のみ。手打ち十割のそばと、美味しい汁に浸して食べる天麩羅。旅の始まり、エネルギーを注入するには、最高の一杯だ。

鹿児島は、魚天国だ!

陶芸家・野口悦士さんの工房を訪ねた。そこで待っていたのは、野口さん手作りのカブの浅漬けサラダ。野口さんの器に盛られ、見栄えも味も絶品だったのだが、そこに現れたのが、〈橋本水産〉の橋本隆介さんがわざわざ持ってきてくれたちらし寿司。そして、超新鮮なキビナゴとタカエビのお刺身。師走の旅のはずなのに、新年会みたいな!翌日のランチは、鰹節の聖地・枕崎へ。街中、鰹節の香りに包まれる中、俄然胃の働きが活発になる。枕崎港の市場メシ〈いちふく〉で青もの定食。しび(キハダマグロの幼魚)の刺し身とカツオの腹皮を焼いたものに、カツオのタタキも頼んじゃって。この腹皮が最高で、ごはんに合うのはもちろん、いつかきっと、焼酎お湯割り、ビール、日本酒にも!絶対に楽しみたい!

お菓子天国だ、鹿児島は!

ふくれ、かるかんなどなど、味わい、歯ごたえなど、様々に楽しませてくれる鹿児島のお菓子たち。そんな中、行くたびに必ず食べるのが〈平田屋〉のぢゃんぼ餅。見た目はこってり?なのだけど、爽やかな後味で、1皿、2皿……。桜島を眼の前に、お皿がどんどん進みます。今回、初めて買ったのは、〈つるや菓子舗〉のよもぎ餅。これまで食べたことがない食感、ほどよい甘さとかすかな苦味。鹿児島のお菓子は、本当に奥深き。どちらも、軽やかな腹持ちで、おやつにぴったりです。

帰りの飛行機、ギリギリまで楽しむのが、鹿児島の旅。

空港へ向かうまでに、少しでも時間があったなら、〈おでんの掌〉も絶対だ。豆もやし、春菊、とんこつがオススメだが、味が染みた豆腐も美味だし、チューリップ唐揚げも!しっかりと胃袋を鹿児島色に染めて、東京へと戻るのです。「あああ、腹いっぱい」のコメントは、幸せなため息。鹿児島は、そんなため息が街中に溢れているのです。

青森県を代表するブランド米。 あおもり米〈青天の霹靂〉の おいしさの理由を探る

国内有数の米の産地である青森県。県内で生産される“あおもり米”の主力品種は、〈青天の霹靂〉〈はれわたり〉〈まっしぐら〉の3つがあります。今回は、2015年にデビューした、青森県を代表するブランド米〈青天の霹靂〉の登場です。

五つ星お米マイスターに聞いた!
あおもり米〈青天の霹靂〉の魅力

まずは、青森県三沢市に本社があり、米卸業を行う株式会社PEBORAの取締役で、「五つ星お米マイスター」の認定を受けている川村敦子さんにお話を聞きました。

川村敦子さんは、ペットボトルに精米をボトリングした〈PeboRa(ペボラ)〉をはじめ、日本のお米を世界に発信する米卸業を行う、青森県三沢市の株式会社PEBORA取締役。日本に476人しかいない(※2022年9月30日時点)「五つ星お米マイスター」の認定者。

川村敦子さんは、ペットボトルに精米をボトリングした〈PeboRa(ペボラ)〉をはじめ、日本のお米を世界に発信する米卸業を行う、青森県三沢市の株式会社PEBORA取締役。日本に476人しかいない(※2022年9月30日時点)「五つ星お米マイスター」の認定者。

〈青天の霹靂〉は、これまでになかったネーミングや青色をベースにしたパッケージデザインで、2015年に鮮烈なデビューを果たしました。お米のプロから見て、〈青天の霹靂〉はどんなお米なのでしょうか?川村さんによると、3品種の中で最も厳しい基準が設けられているのが〈青天の霹靂〉だといいます。

「作付地域や栽培農家の登録制が設けられ、青森県内でも限られたエリア・農家しか生産できません。農薬の使用回数を通常の1/2以下にすること、土壌診断に基づく土壌改良を行うこと、玄米タンパク質含有率6.4%以下など、厳しい栽培基準や出荷基準をクリアしたお米だけが流通できます。

玄米タンパク質含有率を下げることで、炊飯時にたっぷり吸水でき、甘みや粘りのバランスがとれた食味が良いお米になるといわれています。〈青天の霹靂〉は慣行栽培での農薬の使用回数より1/2以下に節減して栽培されているため、減農薬栽培といえます」

さらに、味わいにもこんな特徴が。

「しっかりとした粒感と、適度な粘りが特徴。しつこくないあっさりとした甘さなので、飽きがこない、食べやすいお米です。炊き上がりもきれいで、お米も輝いて見えます。

炊き上がりの粒感がしっかりしているので、汁気に負けないおいしさがあり、カレーや丼ものなどとの相性も抜群です」

PEBORAが運営するお米の専門店〈KOMEKUUTO八戸店〉で提供している、「豚の角煮 わっぱ膳」(1,480円)。

PEBORAが運営するお米の専門店〈KOMEKUUTO八戸店〉で提供している、「豚の角煮 わっぱ膳」(1,480円)。

〈青天の霹靂〉は、店頭でも購入可能です。

information

map

KOMEKUUTO八戸店

住所:青森県八戸市田向2-14-10

電話:0178-51-6070

営業時間:10:00〜19:00

定休日:第1・3水曜 ※変更あり

Instagram:@5910hachinohe

あおもり米〈青天の霹靂〉を
つくる人に会いに

続いて、〈青天の霹靂〉を生産している米農家さんのもとへ。青森でも昔からおいしい米どころと知られている、黒石市で米づくりを行うアグリーンハートを訪ねました。津軽平野に面し、東には八甲田連邦を望む場所で〈青天の霹靂〉を有機栽培しています。

アグリーンハートは、GLOBALG.A.P. 認証、有機JAS認証、ノウフクJASを取得する日本唯一の農業法人。代表の佐藤拓郎さんは、農業だけでなく、シンガーソングライター、テレビやラジオなどでも活躍しています。

アグリーンハートは、GLOBALG.A.P. 認証、有機JAS認証、ノウフクJASを取得する日本唯一の農業法人。代表の佐藤拓郎さんは、農業だけでなく、シンガーソングライター、テレビやラジオなどでも活躍しています。

アグリーンハートの代表を務める佐藤拓郎さんは、黒石市の農家の6代目。もともと志していたのはプロミュージシャンでしたが、高校3年生の頃に実家の経営が破綻し、高校卒業と同時に就農したといいます。

「当時、実家も競売にかけられてしまったのですが、それでも父親が農業を継続すると決断し、親戚中に頭を下げて借金して。私が高校卒業のタイミングだったので、もうやるしかないと、嫌々ながら家業を手伝うようになりました」

アグリーンハート

借金の返済のため徐々に栽培面積を広げるなか、過労で倒れてしまった佐藤さん。その経験から働き方を見直すようになり、家族経営をやめて、2017年に法人化へ舵を切ります。

また、それまでの慣行栽培から、有機栽培に切り替えることに。これには、アグリーンハートが取得しているノウフクJASとの強い結びつきがありました。

「病気をした親族に障がいがあり、農業での障がい者雇用の可能性を模索したんです。当時、試しにほうれん草を穫って洗う作業をしてもらったときに、僕のできる量の半分くらいしかできなかった。でもそれなら、倍の値段で売れるものをつくれたらいいのではないかと、行き着いたのが有機栽培だったんです」

佐藤さんは、“奇跡のりんご”で知られる木村秋則さんとのテレビ共演をきっかけに、「支配ではなくケアする」農法を学びました。別の田んぼでは自然農法での米づくりも行っています。

佐藤さんは、“奇跡のりんご”で知られる木村秋則さんとのテレビ共演をきっかけに、「支配ではなくケアする」農法を学びました。別の田んぼでは自然農法での米づくりも行っています。

現在では、有機栽培の技術を用いて〈青天の霹靂〉を生産しています。化学肥料を使わずに出荷基準である「タンパク含有量6.4%以下」を叶えるのは非常に難しいため、有機栽培で〈青天の霹靂〉を生産しているのは、県内でアグリーンハートのみ。

こうした生産のハードルの高さはあるものの、有機栽培は高温障害による農作物の被害が出にくく、これからの農業の可能性を広げてくれる農法だと、佐藤さんは話します。

「稲は食物の中でも比較的早く成長する部類ですが、葉温が35度以上になると光合成をしなくなってしまうんです。今は温暖化が進んで稲が育ちにくい環境になっていますよね。それが、有機農業だと、光合成で作るべきエネルギーを根から吸わせることができるんです」

そのため、なにより土づくりが重要。地上ではなく地下にアプローチして、まず微生物のいる土をつくることから始めました。アグリーンハートでは、青森県の陸奥湾のホタテ養殖から出る残渣を活用し、堆肥を与えています。

陸奥湾のホタテ養殖の残渣のうち13%をアグリーンハートの農地で活用しているそう。

陸奥湾のホタテ養殖の残渣のうち6〜7%をアグリーンハートの農地で活用しているそう。

「ホタテを養殖するときにカゴに付着する、海藻類や藻類、フジツボなどの海洋生物の残渣を活用します。豊富なミネラルを根から吸うので、うちの〈青天の霹靂〉はうまいですよ」

佐藤さんの妻で取締役の真澄さんが、従業員のみなさんの〈青天の霹靂〉の塩おむすびをつくると聞きつけ、事務所へ向かうことに。

炊き立てアツアツのご飯を握っていく。真澄さんは三つ星お米マイスター取得者。

炊き立てアツアツのご飯を握っていく。真澄さんは三つ星お米マイスター取得者。

佐藤さん曰く、「化学肥料を使うと、日が出たときに強制的に栄養を吸収させるので、米が縦に伸びてから横に太るのですが、うちの米はストレスがかからないので、縦と横にちょっとずつ伸びていき、丸くなるから粒立ちがいいんです」とのこと。

確かに見た目は縦長というよりも、ふくよかで丸みがあります。

きゅうりとなすの浅漬けを一緒に。

きゅうりとなすの浅漬けを一緒に。

従業員のみなさんで、「いただきます」

従業員のみなさんで、「いただきます」

人数分以上あったおむすびが、あっという間になくなりました。

人数分以上あったおむすびが、あっという間になくなりました。

“子どもたちの未来に希望をつくり、地球に感謝される農業をする”ことを理念に掲げているアグリーンハート。

「誰が食べるか、というところまでを考えて生産していきたい」と、話す佐藤さんが印象的でした。休耕地の再生や自然栽培など、さまざまな挑戦を続けるアグリーンハートは、豊かな食文化を子どもたちにつないでいます。

取材先情報

株式会社アグリーンハート

料理家・冷水希三子さんに聞いた
〈青天の霹靂〉でに合うレシピ
「ハーブたっぷり油林鶏」

最後に、雑誌やWEBなどで活躍中の料理家・冷水希三子さんに、〈青天の霹靂〉に合うレシピを教えてもらいました 。食べ応えがあるので、夕食にぜひどうぞ。

料理家・冷水希三子さん

「粘りとキレのバランスがよく、やや硬さもありつぶれにくい〈青天の霹靂〉は、エスニックっぽいメニューとも相性がいいですね。しっかり食べたい夕食には、『ハーブたっぷり油林鶏』を合わせてみては。最後にハーブたっぷりのタレをかければ、さっぱりと食べられます」

■ハーブたっぷり油林鶏

ハーブたっぷり油林鶏

【材料(2~3人分)】
鶏もも肉…1枚
片栗粉…適量
油…適量

(A)
黒酢…大さじ2
濃口醤油…大さじ1
水…大さじ2強
砂糖…小さじ1
パクチー…2株
イタリアンパセリ…10g
長ネギ…15cm
生姜…1片
粉唐辛子…適量
ごま油…大さじ1

【つくり方】
② Aのハーブと香味野菜はみじん切りにして、他の材料と混ぜ合わせ、タレをつくる。
②鶏もも肉に片栗粉をつけて、フライパンに1cmくらい油を入れて両面カリッと焼く。
③ ②の鶏もも肉を切って皿に盛り、1のタレをかける。好みできゅうりスライスや焼きなすを添えてもよい。

鶏もも肉を上手に焼くコツは、両面がカリッときつね色になるまで弱火でじっくり揚げ焼きにすること。カリッとジューシーなお肉が、酸味のあるタレとハーブで爽やかに。ご飯が何杯でも食べられそうな一品です。

「ほかにも白身のお刺身や蒸し魚、鶏肉、ポークソテー、ハーブ、きのこ、などの食材が、上品なキレと硬めの米に合いそう。粘りが強すぎないので、パラパラ食感のチャーハンができます。リゾットやパエリアにもおすすめです」

取材者情報

冷水 希三子

料理にまつわるコーディネート、スタイリング、レシピ制作を中心に、書籍、雑誌、広告などの仕事をしている。

Instagram:@kincocyan

もっとあおもり米を身近に!

全3回にわたり、あおもり米の魅力を紹介してきました。生産者のみなさんに共通していたのは、食を通じて子どもたちの未来を守りたいという思い。これまで県内で消費されることが多かったあおもり米ですが、今後は首都圏をはじめ別の地域で見かけることも増えるかもしれません。生産者の思いが詰まったお米を、ぜひ手にとってみてくださいね。

information

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青森県県産品販売・輸出促進課

住所:青森市長島1丁目1-1

問い合わせ:kensanhin@pref.aomori.lg.jp

Instagram:@aomori_no_okome

フリーアナウンサー・直川貴博さん がおすすめする、福島県の 絶景スポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、2017年から2025年3月末まで福島中央テレビのアナウンサーとして活躍し、現在はフリーアナウンサー・直川貴博さんが登場。
福島県のおすすめ絶景スポットを教えていただきました。

江戸時代にタイムスリップしたような〈大内宿〉

〈大内宿〉

茅葺き屋根の住宅が建ち並ぶかつての宿場町がそのまま残っている〈大内宿〉。その光景を前にすると、まるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚になり、どこを切り取っても映えます!全国放送でも取り上げられる名物の「ねぎ蕎麦」はもちろんですが、私は「しんごろう」がおすすめです!半つきにした米を丸めて竹串にさし、じゅうねん味噌を塗って焼いて食べるもので、甘じょっぱくておいしいんです。

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大内宿

住所:福島県南会津郡下郷町大内

コンサートも楽しめる〈あぶくま洞〉

〈あぶくま洞〉

悠久の時を経て大自然が作り出した鍾乳洞。洞内にはホールもあり、クリスマスなどにはコンサートが開かれることもあります。ぜひ現地で体感してみていただきたいです。鍾乳洞ならではのグルメもあり、「見て!食べて!」楽しめます。

information

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あぶくま洞

住所:福島県田村市滝根町菅谷字東釜山1

Instagram:@abukumado

桜が咲き競う圧巻の風景〈夜ノ森の桜並木〉

福島第一原発からも程近く、長らく全町避難を余儀なくされた浜通りにある「夜の森」。2キロ以上にわたり道路両側から桜が咲き競う様子は圧巻です。この桜並木のそばで月に1週間だけオープンする美容院を、ディレクターとして取材したこともあり、私にとっても大切な場所になりました。

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夜の森の桜並木

住所:福島県双葉郡富岡町字夜の森南4

動画はこちらから!

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Takahiro Nougawa 
直川貴博

2017年4月から福島中央テレビのアナウンサーとして活躍。2025年4月よりフリーアナウンサーとして、日本テレビ「Oha!4 NEWS LIVE」のメインキャスターや、「news every.」のキャスターを務める。また古巣となった福島中央テレビの「ゴジてれChu!」にも引き続きレギュラーで出演するほか、福島関連のイベントや講演会に登壇するなど、東京と福島の二拠点で活動中。

島民がガイドする、何度でも楽しい 豊島のディープな魅力

香川県の豊島に大量の産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」をきっかけに、瀬戸内海エリアの美しい自然環境を守り、再生することを目的として、2000年からNPO法人として活動をしている「瀬戸内オリーブ基金」。2025年に設立から25年を迎えた。まずは「瀬戸内オリーブ基金」の本拠地、香川県・豊島をご紹介。アートの島として全世界から観光客が訪れるこの島だが、楽しみ方はアートのみにあらず。今回は豊島在住の「瀬戸内オリーブ基金」事務局の松澤千穂さんに、島民ならではのオススメのスポットを案内していただいた。

松澤千穂さん

松澤千穂さん:メーカー勤務、シンガポール暮らし、地元・金沢の市場でECサイト立ち上げやインバウンド向けの体験型観光提案など、さまざまな職歴を経て「瀬戸内オリーブ基金」へ。昔から自然や環境保全にも興味があり、いつかは島暮らしがしたいという夢を叶えるため、豊島へ2025年1月に移住。

魔法の手から生まれる豊島土産〈soe farm〉

魔法の手から生まれる豊島土産〈soe farm〉

高知県出身の副田祥子さん。関西に長年住んだ後、岡山県の海の玄関口・宇野に移り住み、農業法人で働いていた経験を生かして、2012年頃から瓶詰め作りを開始。宇野と豊島の2拠点生活を経て、豊島へ移住した。現在はすべての加工品を豊島で製作。豊島レモンを使ったレモンジャム、イチゴジャム、柑橘のジャム……。スモモや梅など島の果実と相談しながら最もいいタイミングで仕上げる。また、地元漁師さんから仕入れた素材で作る海苔の佃煮や、副田さんが養蜂しているニホンミツバチのハチミツを使ったマスタードの瓶詰めなど、調味料も販売している。商品は「自分が好きなもの、食べたいものばかり」と副田さん。友人の紹介やつながりのある生産者さんから人間関係を重視した仕入れで、島の素材を最大限に生かす。「県外の方へのお土産にはマスト!ジャムも調味料も素材を生かした味わいや組み合わせが絶妙。ジャムは数あれど、副田さんが作り出すものは別物」と、松澤さんは話す。

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soe farm

Instagram:@soefarm

島食材×スパイスで味わう異国の味〈ARUEI〉

島食材×スパイスで味わう異国の味〈ARUEI〉

島の裏路地、古民家が連なる住宅街に猫が描かれた赤い看板が目に留まる。オーナーの中野志保子さんは東京都出身。2014年に移住し、島のレストランで3年半勤務した後独立し、2018年に現在の店舗を開業した。スペインやトルコで地中海料理を学んだ中野さん。オリーブ、イチジクなど地中海と共通の食材があり、豊島はトルコの島とも雰囲気がよく似ていると話す。豊島の食材をハーブやスパイスを使用した料理は風味のある味わい。食材は地元生産者との直接取引や自身の畑で採れたものを使用。年間通して採れるものは決まっているが、収穫時期や質量はその年にならないと分からないので、お店のコースメニューは日替わりだ(夜のみ)。提供しているパンは、フランス人のパン職人が岡山県で栽培している有機の麦を購入し、自家製酵母で焼き上げる。「いつも違う食材、違う味わいで楽しませてくれます」と、松澤さん。

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〈ARUEI〉

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦2320

電話:080-3243-2792

営業時間:18:00〜(事前予約制)

定休日:不定休(インスタグラムにて告知)

Web:https://aruei.stores.jp/

Instagram:@aruei_

豊島のお父さんが作る島唯一の手延べそうめん〈川東製麺所〉

豊島のお父さんが作る島唯一の手延べそうめん〈川東製麺所〉

川東幸治さんが豊島でそうめんを作り始めたのは約45年前。以前は採石場で重機オペレーターとして働いていたが一念発起し、そうめん製造で有名な小豆島の知人から技術指導を受けて、豊島で製造を開始した。全自動で管理された工場の中で作られるそうめんとは異なり、手作りのそうめんは天候・温度・湿度に応じた調整が必要。手間を省かず、教わった通りの製法を厳格に守ること、12時から14時ごろまでの時間帯を見極め、天日乾燥を基本とし、品質の安定に努めている。そうめんは冬場が製造シーズン。朝3時から夕方5〜6時まで、1日14〜15時間もの長時間作業が続く。オフシーズンの春から秋にかけては、そうめんの販売と工場に併設している民泊の運営、さらに夫婦で食事処「碧い空」も経営している。当時2軒あったそうめん製造所も、今では川東さんのみ。
「とにかく美味しいそうめんを食べてほしい。2分ゆがいたらすぐ食べる!時間が勝負」と、川東さんは話す。

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川東製麺所、民泊「川東さん家」

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦986

電話:0879-68-2117

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食事処・観光農園「碧い空」

住所:香川県小豆郡土庄町豊島唐櫃614

電話:090-4337-3789

営業時間:11:00〜15:00

定休日:不定休(火曜・雨天定休)

あるものを活かし、島暮らしを体感〈結-YUI-〉

あるものを活かし、島暮らしを体感〈結-YUI-〉

県外・海外での経験を経て、「日本と海外をつなぐ仕事をしたい」と考えていた高松市出身のオーナー夛田敦さん。瀬戸内の島々を回った際に、豊島の自然とアートが共存する雰囲気に惹かれたことに加え、外国人を中心とした観光客は多いが、宿泊場所が不足している状況を知り、姉とともに宿を開業した。古民家をリノベーションし、アートを目当てに島を巡る外国人旅行客にもフィットした設えに。豊島の暮らしを感じつつも快適に過ごすことができる空間作りがなされている。2017年、庭園が美しい一棟貸しの宿〈結-AKEDA〉をオープンし、翌年には2つ目の宿〈結-ISHIYA〉を開業。かつて石材業を営んでいた邸宅、〈結-ISHIYA〉の敷地内にある作業場は〈結-YUI Gallery & Café+Bar〉として、おやつや軽食、自家製ドリンク、ナチュラルワインやクラフトビールなどが楽しめるほか、オリジナル商品や定期的にギャラリーでの展示も行い、島民や旅人のコミュニティスペースとしても機能する。「豊島の産業廃棄物問題の歴史を踏まえて、ビジネスを通じた持続可能な地域貢献をしたい。スクラップアンドビルドではなく既存の空き家やリソースを活用して、私たちにもできることを考えたい」と、2024年より「瀬戸内オリーブ基金」の法人サポータに加入。今後も利益の一部を地域に還元する仕組みづくりを進めたいと語った。

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結-AKEDA

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦1017

Web:https://yui-teshima.com/stay/akeda/

Instagram:@yuiteshimaofficial

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結-ISHIYA

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦2163

Web:https://yui-teshima.com/

Instagram:@yuiteshimaofficial

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結-YUI Gallery & Café+Bar

住所:香川県小豆郡土庄町豊島家浦2163

定休日:火曜・水曜・木曜休、不定休 ※12~2月は冬期休業(インスタグラムにて告知)

Instagram:@yui.gallery_cafebar

引き継ぎたい島のモノをレスキューする〈古道具みるく〉

引き継ぎたい島のモノをレスキューする〈古道具みるく〉

地域の過疎高齢化に伴った空き家問題から発生する大量の家財道具の処分、解体される家屋に残った貴重な古道具など、「次世代に残したいモノや素材」を自分たちの手で引き継いでいきたい。そんな思いで豊島に住む有志が始めた無人販売所「古道具みるく」。豊島はかつて酪農が栄えたこともあり「ミルクの島」とも呼ばれていた。そんな歴史を残す、甲生地区にある元集乳所跡を利用し、島内で不要になったものを持ち寄ったり持ち帰ったりすることができる場所作りをしている。普段は無人でオープンしているため、気に入ったものを見つけた人が募金箱にドネーションするスタイルだ。洋服や古布、人形、食器、カゴ、調度品までメンバーがセレクトした品々が並ぶ。店舗に置かれたノートには、ここを訪れた方からのメッセージがぎっしり。物が手に入りにくく、捨てにくい島だからこそ大切にされてきた物品が世界に羽ばたいていく。

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古道具みるく

住所:香川県土庄町豊島甲生932-5

定休日:年中無休(オープンデイはインスタグラムにて告知)

Instagram:@teshima_vintage

島に来たらココも!ベストビュー&癒しのスポット

豊かな島と書いて豊島。面積 14.5 ㎢、人口約700人の島の中央にそびえるのは、標高約340メートルの檀山。降り注ぐ雨を山が蓄え、麓の集落では現在まで枯れたことがないという水がこんこんと湧き出ている。瀬戸内の島では珍しく、豊富な水を利用した稲作が盛んに行われ、かつては酪農や漁業でも栄えたという。また豊島では、加工がしやすく火に強い「豊島石」が採れ、古くから石の島としても知られている。資源に恵まれた島の自然美溢れるスポットを、松澤さんおすすめコメントとともにご紹介。

「晴れた日には瀬戸内海の多島美と四国本土を見渡すことができる、檀山岡崎公園展望台。眼下には私の住んでいる甲生地区が見えます。ベンチにゆっくり腰をかけて景色を眺めるだけで清々しい気分に」

「晴れた日には瀬戸内海の多島美と四国本土を見渡すことができる、檀山岡崎公園展望台。眼下には私の住んでいる甲生地区が見えます。ベンチにゆっくり腰をかけて景色を眺めるだけで清々しい気分に」

「家浦八幡神社には室町時代に豊島石で造られた、香川県内で最古の鳥居があり、石段を登ると別世界に入っていくような趣があります。恒例の秋祭りは島らしいあたたかみがあり、これからもずっと残ってほしい伝統です」

「家浦八幡神社には室町時代に豊島石で造られた、香川県内で最古の鳥居があり、石段を登ると別世界に入っていくような趣があります。恒例の秋祭りは島らしいあたたかみがあり、これからもずっと残ってほしい伝統です」

「檀山の中腹にあるスダジイの森。山一帯が信仰の対象であったため、まとまった規模で現存しているとか。一面大木に覆われ、まるで太古の森に迷い込んだかのよう。樹齢250年の大木は樹木医により現在治療中」

「檀山の中腹にあるスダジイの森。山一帯が信仰の対象であったため、まとまった規模で現存しているとか。一面大木に覆われ、まるで太古の森に迷い込んだかのよう。樹齢250年の大木は樹木医により現在治療中」

「四国や瀬戸大橋を望むことができる甲生地区の夕日。ここは私が住んでいる、豊島の中で最も小さな集落で人口は70人ほど。夕方からは人がほとんどいないので、ビール片手に夏の夕暮れにベンチでのんびりするのが最高です」

「四国や瀬戸大橋を望むことができる甲生地区の夕日。ここは私が住んでいる、豊島の中で最も小さな集落で人口は70人ほど。夕方からは人がほとんどいないので、ビール片手に夏の夕暮れにベンチでのんびりするのが最高です」

そして「瀬戸内オリーブ基金」の設立当初の2001年から、基金の想いに共感し、支援を続けてきたユニクロのオリジナルグッズが作れるサービス「UTme!」で、基金設立から25周年を記念した、オリーブ基金Tシャツ、スウェットシャツ、バッグの販売がスタート。中でもスウェットシャツは、オリーブ基金の発起人の一人で、建築家の安藤忠雄氏によるデザインで、ここでしか手に入らない貴重なグッズだ。
UTme!商品1点につき、100円が基金へ寄付され、集められた寄付金は、瀬戸内海の美しい自然を守り、次世代へとつないでいくための活動に役立てられる。
2025年12月9日より、UTme!サービスのある全ユニクロ店舗(39店舗)、UTme!オンラインストアにて購入可能。「瀬戸内オリーブ基金」が気になったら、まずはグッズの購入で支援を始めてみよう。

特設サイトリンク:https://utme.uniqlo.com/tips/19592/

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

K-1ファイター・大久保琉唯さんが おすすめする、栃木県の 心も体も整うスポット3選!

日本やグローバルで活躍するナビゲーターにご登場いただき、地元や別荘などの拠点がある土地のおすすめスポットを紹介してもらう本企画。

今回は、K-1ファイター・大久保琉唯さんが登場。
地元栃木県の心も体も整うスポットを教えていただきました。

頑張った思い出の詰まった〈宇都宮市水道山の階段〉

試合前には、友達やたくさんの人と一緒にここで頑張った思い出のある場所。普段のトレーニングでも使っていて、パワースポットです。

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宇都宮市水道山の階段

住所:栃木県宇都宮市中戸祭町2841

地下水掛け流しの水風呂が気持ちいい〈宝湯〉

〈宝湯〉

外観と内装がレトロな銭湯。値段もリーズナブルで入りやすいです。地下水をかけ流しにした水風呂が特徴で、栃木の中でも質がいい銭湯のひとつだと思っています。

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宝湯

住所:栃木県宇都宮市若草1-9-5

Instagram:@takarayu_utsunomiya

宇都宮市を一望するなら〈八幡山公園〉

毎年初日の出を見に行く場所。本当に綺麗に見えるんです。花見の時期には屋台が出たり、ゴーカートに乗れるとこもあるので、小さい頃はよく遊んでいました。そして八幡山公園の敷地内にある宇都宮タワー。ここから宇都宮市を一望できるところも好きな理由のひとつです。

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八幡山公園

住所:宇都宮市塙田5-1-1

動画はこちらから!

profile

Rui OKubo 
大久保琉唯

K-1ファイター。K-1ジム・ウルフ TEAM ASTER所属。初代Krushフライ級王者。K-1 WORLD MAX 2024 世界最強決定トーナメント準優勝、K-1甲子園2021 -55kg王者、K-1甲子園2021 東日本予選 -55kg優勝など、数々の実績を持つ。

【見逃し配信あり】 “ホスピタリティの力”で 地域を変える。星野リゾートの 人材育成と魅力の秘密 コロカルアカデミーVol.7

日本のローカルの魅力を発信する「コロカル」は、新たなウェビナー講義シリーズ「コロカルアカデミー」の第7回を開催しました。ゲストには、ご自身も青森県出身である青森屋 by 星野リゾート総支配人の須道玲奈さんをお迎えしました。須道さんには、星野リゾートの人材育成・採用戦略から、ホスピタリティの哲学と現場での実践、地方での観光マーケティングや共創の工夫まで幅広いテーマで語っていただきました。
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須道 玲奈

須道 玲奈(すどう・れいな)
青森県出身。青森屋 by 星野リゾート 初の女性総支配人。
青森を“もっと多くの人に知ってもらいたい”という思いから星野リゾートに入社。サービスや広報業務を経験し、石川県の「界 加賀」でも総支配人を歴任。2023年より青森屋の総支配人に就任。
地元の魅力を磨き上げ、「青森のファンを全国に増やす」ことを目指して奮闘中。

星野リゾートという唯一無二の物語

星野リゾートという唯一無二の物語

まず初めに須道さんからお話があったのは、星野リゾートのベースとなるテーマやビジョン、そしてブランドについて。
「世界に通用するホテル運営会社」になるというビジョンを掲げ、「旅を楽しくする」をテーマに、さまざまなコンセプトの施設を手がける星野リゾート。
星野リゾートは従来のホテル経営と異なり、運営に特化した会社であるということも話題に上がりました。それぞれのブランドに明確な物語を持った星野リゾートの宿泊施設。
ベースとなるビジョンやテーマがありながら、ブランドや地域ごとに明確な物語を打ち出すことで、働く人の意識や行動にも変化が生まれるのかもしれません。
そして須道さんが総支配人を務める「青森屋」は、青森の文化を「のれそれ=目一杯」表現する温泉宿として日々運営されているそうです。

採用はマッチング

採用はマッチング

次にお話があったのは、星野リゾートの人材戦略と新卒採用について。
何かを組織し、実際に動かすには、「人」が必要です。星野リゾートの宿泊施設で働くスタッフの皆さんはどこか明るくて、前向きで、主体的。そんな人材の多くをどのようにして、発掘・採用しているのか。須道さんはその鍵を「マッチング」として表現されていました。
価値観や組織文化を理解してもらい、お互いをよく知るための労力を惜しまない姿勢が印象的でした。その結果として多様でかつ主体性のある、この場所で働きたいと思う人材と出会えるようです。
また新卒採用の仕組みについても、学生が自分のタイミングで選考に参加できるシステムをはじめ、学生ファーストでフレキシブルに変化している点が印象的でした。採用姿勢には、その会社の哲学や価値観が如実に表れると感じます。

戦略としての組織文化

戦略としての組織文化

お話はいよいよ核心の「スタッフのモチベーション」に関する話題に。
須道さんから話があったのは、星野リゾート独自の組織文化や、社内での取り組みについて。フラットな組織文化のお話や日本流のもてなしを基軸としたお客さんとの関わり方の仕組み、キャリアパスに関して立候補を集う制度や、新たなサービスを生み出すための「魅力会議」についてなど、アイデアの種になりそうなお話が沢山ありました。

魅力会議の様子

そして全体に通ずるのはやはり、「人に対する信頼と配慮」。スタッフは当然ですが、一人ひとりにその人生があり、生き方があります。
星野リゾートの施策は、一人ひとりの良さやアイデアに目を向ける仕組みになっているからこそ、「自分も組織のためになりたい」というモチベーションを生み出すことが可能なのかもしれません。

地域というブランド

1室限定 ねぶた尽くしの客室「青森ねぶたの間

マネジメントに関する話題も挟みながら、最終的に話題に上がったのは地域について。
地域というテーマでは、青森屋で一室限定で「青森ねぶたの間」を用意するなど、その土地を深く味わうことができる、個性的で魅力的な取り組みがなされています。
須道さんの根幹にある、青森を広めたいというモチベーションと、人や地域を丁寧にめざし、その良さを引き出す星野リゾートのマネジメントの強みが双方向的に影響を与えながら、青森屋という素晴らしい宿泊施設が日々運営されているのだろうと感じました。

人を見つめ、組織を見つめ、地域を見つめる

今回の須道さんのお話を聴いて、一番強く感じたのは「見つめること」の大切さです。
星野リゾートは取り組みとして、人材に向き合い、地域に向き合っています。それは新卒採用のあり方から、魅力会議などの組織制度、さらにその地域固有の文化を取り入れたブランドづくりまで、一貫しているように思えます。
同時に須道さんというお人自体もまた、きっと日々の現場でスタッフさん一人ひとりの存在に目をかけ、耳を傾け、向き合う方なのだろうということも感じました。
システムとしても、マネジメントとしても、人や地域を「見つめる姿勢」を徹底していく。そのまっすぐな眼差しこそが、一つひとつの仕事の正確さや美しさに繋がり、結果として、「ホスピタリティ」という固有の価値の創造につながるはずです。
目に見えて皆感じるのに、いざ説明しようとするとわかりにくい「ホスピタリティ」や「おもてなし」という言葉。そんな捉えどころはないけれど、組織やサービスを生み出す上で大切な考え方をつかむきっかけとなる講座になったのではないでしょうか。
講座本編終了後のQ&Aでは、雇用の確保についてや魅力会議についてのより具体的な話など、話題が盛りだくさんでした。
旅やお宿が好きな人、ホスピタリティ溢れる場所づくりに憧れる人、人材育成や組織づくりに関心がある人など、多くの方におすすめです。

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【見逃し配信あり】 『ラーメン文化を通じて、土地の食材を生かし店舗と地域を繋ぐ』 コロカルアカデミーVol.9

日本のローカルの魅力を発信する「コロカル」は、新たなウェビナー講義シリーズ「コロカルアカデミー」の第9回を開催しました。

今回は、「ラーメン文化の未来」をテーマに、ゲストには、全国津々浦々のラーメンを年間600杯以上食べ歩き、ラーメン業界のカルチャーを明るく軽やかに牽引し続けている森本聡子さんをお迎えしました。
森本さんのこれまでの経験をもとに、ラーメン女子博を始めとした独創的なイベントの数々と、その企画背景や裏側、ラーメン文化と地方創生の関係、食とカルチャーの融合について、セミナーでたっぷり語っていただきました。
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森本聡子(もりもと・さとこ)

森本聡子(もりもと・さとこ)
株式会社RamenSwitch 代表取締役。「女性が1人でもラーメンを楽しめるカルチャーを広めたい」という思いから食べ歩きを始めて22年。現在は年間600杯以上を食す「ラーメン女史」として活動。「ラーメン女子会」を主催し、大型イベント「ラーメン女子博」「LIVE AZUMA 東北拉麺屋台村」「Setouchi Contemporary」ではラーメンプロデューサーを歴任。累計動員数は100万人を超える。

「ラーメン」を〇〇〇として見る

「ラーメン」を〇〇〇として見る

ラーメンを「食」や「一過性のブーム」としてではなく、カルチャーとして、そして地域を動かす力として捉え、育ててきた森本さん。ラーメンは、“食”であると同時に、人の生き方や街の空気、関係性まで映し出す存在だと感じていたという視点から、これまで考えたことのなかったラーメンの新たな捉え方が、おぼろげながらも立ち上がってきます。
そんな森本さんから提示されたのは、「ラーメンを〇〇〇として見る」という、なぞなぞのようなひとつの問い。キーワードは移動とのこと。さあ、どんなお話が始まるのでしょうか。

掛け算で生まれる新しいカルチャー

掛け算で生まれる新しいカルチャー

掛け算で生まれる新しいカルチャー

導入として森本さんからお話があったのは、ご自身のライフヒストリー。ラーメンにのめり込み、ラーメン女子になり、そんなラーメン女子から、ラーメンをお仕事にして、新たなラーメンカルチャーを牽引するようになるまでのお話を伺いました。「ラーメンの仕事だけは絶対にしない」と決めていた森本さんのお話は、私たちのキャリアプランニングにも多くのヒントを与えてくれる内容でした。

そこから話題はカルチャーの創出という具体的な話題に。ラーメンを仕事にすると決めてから、森本さんが考えてきたのが、「ラーメン×○○○」という掛け合わせ。
ラーメン単体ではなく、音楽、ファッション、アート、ものづくり、地域、ジェンダー。ラーメンと何かと掛け合わせた瞬間に、ラーメンは“新しいカルチャー”として立ち上がると感じていたとのこと。確かに、ラーメンは私たちの日々の中にある日常食。そこにアートやファッション、地域やジェンダーといった現代文化にまつわるものを掛け算するだけで一気に見える景色が広がります。掛け算の大事さ自体は、多くのビジネス書やキャリアに関する書籍などでも目にするかもしれませんが、ここで掛け算の相手になっているのは、「ラーメン」。そこに掛け合わされるものが現代的でポップであればあるほど、そのギャップに独特の面白さが宿るのかもしれません。
ラーメンは完成された文化だからこそ、外側とつなぐことで、まだ見えていない可能性が開いていく。森本さんの活動の軸が見えてきます。

ラーメンイベント戦略と実態を大公開

ラーメンイベント戦略と実態を大公開

ラーメンイベント戦略と実態を大公開

次に話題に上がったのは、実際のラーメンイベントの数々。森本さんが手がけてきた「ラーメン女子博」「LIVE AZUMA 東北拉麺屋台村」「Setouchi Contemporary」などを事例として扱いつつ、ラーメンイベントの実情と裏側についても、徹底的に深掘りしていただきました。
講座内では、首都圏イベントではなく、地方イベントにこそ活路があるという視点を、明確なロジックとともに説明していただきつつ、『入場者数に対して、どのようなラーメン販売予測値を立てるのか?』に関する計算式なども含めたリアルな数字も含めて、教えていただくことができました。
こうして話を聞いていると、森本さんの並々ならぬラーメンへの情熱が、森本さんのビジネスのセンスや能力に裏打ちされたものだからこそ、説得力を持って、たくさんの人を巻き込み、大きなイベントの数々を成功させてこられたのだなと感じました。

ラーメンイベントで大切にしていること

ラーメンイベントで大切にしていること

ラーメンイベントで大切にしていること

ラーメンを一時の熱狂に終わらせずに、より長い目でラーメンに対する視点を参加者に持ってもらうこと。食べた瞬間で終わるのではなく、「また来たい」「あの街に行ってみたい」「あの店を思い出す」。そんな余韻をどう残すかが重要だと語る森本さん。
確かに私たちはイベントを立ち上げようとしたとき、そこに吹く最大瞬間風速のようなものばかり気にして、参加者の中にどんな想いが生まれ、それがどう育っていくのか、という視点を忘れがちかもしれません。しかし森本さんは、ご自身のラーメンへの想いを基軸に、よりロングタームな関係性に落とし込んで、他にはない独自性を持つイベントを生み出してきました。

まとめ|ラーメンは……

まとめ|ラーメンは……

地方創生との関わりなどもお話しいただきつつ、最初の〇〇に対する答えとして、最後に森本さんが提示されたのは、「ラーメンは最短距離で地方を動かすスイッチ」ということば。
ラーメンという国民食、みんなから愛されているものを基軸にしつつ、そこに新しい掛け算を施していくことで、たくさんのローカルな場所や新しい分野に可能性を生み出していく。
そこにあるのは、まさしく「ロマン」と「そろばん」の掛け算。今回、森本さんのお話を伺っていて一番驚いたのは、「本当の愛は数字と共にある」ということです。
私たちは、好きを仕事にしたり、好きを基軸にしたプロジェクトを考えようとすることも多いですが、熱意だけが先行して、うまくいかないことも多々あると思います。しかし、森本さんのラーメンに対する向き合い方を見ていると、本当に何かを好きになるということは、その好きなことと真剣に向き合い、数字や結果から逃げずに、好きなもののポテンシャルを信じてやり抜くことにあるのではないかと感じました。
そうした「好き」に対する態度は、私たちがローカルに目を向け、唯一無二の土地と場所を広げようとする際にも役立つ視点ではないでしょうか。

講座本編終了後のQ&Aでは、まだ知られていない土地の食品等を広げるにあたって誰に向けての発信を意識するべきかなど、より具体的な話題も盛りだくさんでした。
ラーメンが好きな人はもちろん、イベントの運営に関心がある方、好きなことや熱意とビジネスとの関係を考えたい方など、多くの方におすすめです。

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3年連続で最高評価“特A”を 獲得した青森県のお米。 2023年デビューのあおもり米 〈はれわたり〉って?

国内有数の米の産地である青森県。県内で生産される“あおもり米”の主力品種は、〈青天の霹靂〉〈はれわたり〉〈まっしぐら〉の3つがあります。今回は、3年連続(2022年は参考品種として)で最高評価“特A”を獲得した青森県のブランド米で、2023年に全国デビューした、新たなあおもり米〈はれわたり〉についてご紹介。

五つ星お米マイスターに聞いた!
あおもり米〈はれわたり〉の魅力

まずは、青森県三沢市に本社があり、米卸業を行う株式会社PEBORAの取締役で、「五つ星お米マイスター」の認定を受けている川村敦子さんにお話を聞きました。

川村敦子さんは、ペットボトルに精米をボトリングした〈PeboRa(ペボラ)〉をはじめ、日本のお米を世界に発信する米卸業を行う、青森県三沢市の株式会社PEBORA取締役。日本に476人しかいない(※2022年9月30日時点)「五つ星お米マイスター」の認定者。

川村敦子さんは、ペットボトルに精米をボトリングした〈PeboRa(ペボラ)〉をはじめ、日本のお米を世界に発信する米卸業を行う、青森県三沢市の株式会社PEBORA取締役。日本に476人しかいない(※2022年9月30日時点)「五つ星お米マイスター」の認定者。

2009年に育成をスタートし、13年かけて開発された〈はれわたり〉は、2023年に全国デビューしました。お米のプロから見て、どんなお米なのでしょうか?

「3品種の中で〈青天の霹靂〉は作付けできる地域が限られていますが、〈はれわたり〉はそれ以外の地域でも栽培できる品種です。食味ランキングで最高位の特Aを3年連続取得するなど、あおもり米を牽引する存在としても期待されています。

粒感は大きめでみずみずしく、ふんわりした食感のお米なので食べやすく、お米の甘さが口の中でじゅわーっと広がります」

〈はれわたり〉のおいしい食べ方について川村さんは、「ほどよい粘りがあるので、おにぎりにしてもふっくら。さっぱりとした魚料理のほか、魚卵や塩辛などのシンプルな食材もおすすめです」と、おすすめしてくれました。

PEBORAが運営するお米の専門店〈KOMEKUUTO八戸店〉に併設するカフェレストランでは、「紅子と紅鮭 わっぱ膳」(1,680円)を提供しています。

PEBORAが運営するお米の専門店〈KOMEKUUTO八戸店〉に併設するカフェレストランでは、「紅子と紅鮭 わっぱ膳」(1,680円)を提供しています。

〈はれわたり〉は、店頭でも購入可能です。

取材先情報

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KOMEKUUTO八戸店

住所:青森県八戸市田向2-14-10

電話:0178-51-6070

営業時間:10:00〜19:00

定休日:第1・3水曜 ※変更あり

Instagram:@5910hachinohe

あおもり米〈はれわたり〉を
つくる人に会いに

続いて、〈はれわたり〉を生産している米農家さんのもとへ。八戸市出身の久保沢卓さん、麻美さん夫妻は2023年、MARBLE FARM(マーブルファーム)の屋号で新規就農しました。〈はれわたり〉を栽培しているのは、八戸市の南郷島守地域。丘陵地に囲まれた島守盆地は、新井田川が近くを流れ、冷涼な気候条件のもと、雑穀を中心とした農業が行われてきました。初夏には盆地を覆うように幻想的な朝もやがかかることでも知られています。

屋号のマーブルファームは島守弁で“守る” という意味がある“まぶる”に由来。「自然豊かなこの景色を守っていきたい」と、願いを込めたそう。

屋号のマーブルファームは島守弁で“守る” という意味がある“まぶる”に由来。「自然豊かなこの景色を守っていきたい」と、願いを込めたそう。

お米の栽培には十分な日光と水、稲穂が垂れる登熟期の寒暖差が欠かせません。特に島守地域は、イワナやヤマメなどが棲むきれいな水が田んぼに流れ込み、盆地なので昼と夜の寒暖差も十分。お米の栽培に適している地域です。

お米の栽培に適している地域

未経験から農家になったおふたりですが、なぜお米をつくることにしたのでしょうか。

「わが家には子どもがふたりいるのですが、子どもたちの食をめぐる環境について疑問を抱いたことがきっかけです。毎日口にするものなので、農薬を使わず、子どもたちに自信を持って食べてもらえるようなお米をつくりたいと考えて就農しました」(麻美さん)

「2023年のデータによると、日本のカロリーベースの食料自給率が38%、主食用穀物自給率は63%だそうです。このままだと、お米すらも輸入することになる時代がくるかもしれないと、危機感を覚えました。

今は約3ヘクタールの田んぼで、種まきから収穫まで、無農薬・有機栽培の米づくりをしています。 自然の力を最大限に生かしたこの栽培方法は、手間と時間がかかりますが、安心で安全、そしてなによりも生命力に満ちたお米をお届けしたいという想いから、この農法を選びました」(卓さん)

久保沢卓さん、麻美さん夫妻

マーブルファームが〈はれわたり〉を栽培し始めたのは2025年から。2024年に、〈はれわたり〉の新米を買って食べてみたところ、青森県産米の品種の中では粘りが強く、特においしいと感じ、この品種を育てることを決めました。

「〈はれわたり〉は、もちもちとしたやわらかい食感と、ほどよい甘みが特徴です。特に魚の塩焼き、煮物など、素材の味を活かした和食と相性が良いと思います。また、冷めてもおいしいので、おにぎりにもおすすめです」(麻美さん)

〈はれわたり〉は、もちもちとしたやわらかい食感と、ほどよい甘みが特徴

田んぼの近くにある〈舘のやかた〉を借りて、ちょうどお昼休憩をするというので、食事風景を見せてもらうことに。

食事風景を見せてもらうことに

「今日は、〈はれわたり〉に合う和食を用意しました。八戸エリアの郷土料理である『せんべい汁』と、塩漬けの梅干しにします。炊飯器がないので、土鍋でご飯を炊きましょうか」(麻美さん)

土鍋でおいしいご飯を炊く方法を麻美さんに教えてもらいました。

【つくり方】
①お米を正確に計量し、やさしく研ぐ。最初の水はすぐに捨て、お米が水を吸い込む前に手早く行う。

②研いだお米は、別のボウルなどに移し、水に浸す。お米1合に対して、水は200〜250mlが目安。浸水時間の目安は、夏場は30分、冬場は1時間。
※土鍋に直接浸水させると、土鍋が水を吸いすぎてひび割れの原因になることがあるため注意。

③浸水させたお米と水を土鍋に入れる。蓋をして、強めの中火にかける。火加減は、炎が鍋底に当たるくらいが目安。

④沸騰するまでの時間は、土鍋の大きさやお米の量によって異なるが、10分程度を目安に。蓋から蒸気が出てきたり、カタカタと音がしたりしたら沸騰のサイン。

⑤沸騰したら、すぐに弱火にして、そのまま10分~15分炊く。土鍋から聞こえるパチパチという音が小さくなってきたら、水分がなくなってきた合図。
※おこげを作りたい場合は、火を止める直前に10秒ほど強火にすると良い。

⑥火を止めたら、蓋を開けずに10分~15分蒸らす。この蒸らしの時間が非常に重要なので、蓋は絶対に開けないように。

⑦蒸らしが終わったら蓋を開け、しゃもじで底からご飯をやさしく混ぜる。余分な水分を飛ばすことで、ひと粒ひと粒が立った、つやつやのご飯に。

炊きあがりました!つやつやに輝いています。

炊きあがりました!つやつやに輝いています。

せんべい汁と、塩漬けの梅干しと合わせていただきます。

せんべい汁と、塩漬けの梅干しと合わせていただきます。

茅葺屋根の古民家〈舘のやかた〉は、囲炉裏や土間、和室、台所などがあり、誰でも借りることができます。(有料)

茅葺屋根の古民家〈舘のやかた〉は、囲炉裏や土間、和室、台所などがあり、誰でも借りることができます。(有料)

マーブルファームが見つめているのは、子どもたちの未来。健やかに成長してほしいという思いのもと、ひとり親家庭へお米の無料お渡し会なども開催しています。
また同時に、次の世代へ、豊かな農地を引き継ぎたいという思いもあると久保沢卓さん。

「今年から耕作放棄地を復活させたのですが、一度山に戻してしまった農地を復活させるのは、すごく大変なんです。農地は農地の状態で、ちゃんと次の世代に引き継いでいかなきゃならない。

私たちが『無農薬・有機栽培で米づくりをしている』というと、農薬や化学肥料を使っている農家さんを悪く言っているように聞こえてしまうかもしれないのですが、そうではありません。慣行栽培でも、どんな品種やどんな作物であっても、農業をしていること自体が次の世代のためになると思います」(卓さん)

「ぺろりと食べました」のポーズ。

「ぺろりと食べました」のポーズ。

最後に、「今後のあおもり米に期待することは?」と問いかけてみると……。

「気候の変化によって、西日本ではどんどん米がつくりづらくなっていると聞きました。これまで青森県は寒くて米の栽培が難しかったのですが、気候の変化や品種の改良によって、これからもっとおいしいお米の産地になり得るんじゃないかと、期待しています」(卓さん)

ふたりの就農したタイミングと同じ2023年に全国デビューした〈はれわたり〉。2025年の収穫で、マーブルファームの〈はれわたり〉の新米が食べられるようになりました。

取材先情報

マーブルファーム

Instagram:@marble_farm88

料理家・冷水希三子さんに聞いた
〈はれわたり〉に合うレシピ
「アサリと豚肉のバジルココナッツ煮こみ」

最後に、雑誌やWEBなどで活躍中の料理家・冷水希三子さんに、〈はれわたり〉に合うレシピを教えてもらいました 。手が込んだように見えて実は工程が少ない、昼食におすすめのメニューです。

料理家・冷水希三子さん

「ふっくらとしていて粘りがあり、甘みもある〈はれわたり〉にはソースがよく絡むので、汁気のあるメニューがおすすめ。昼食のシチュエーションなら、『アサリと豚肉のバジルココナッツ煮こみ』はいかがでしょうか。カレー粉を使っていないのに、手軽にカレーのような味わいになりますよ」(冷水さん)

■アサリと豚肉のバジルココナッツ煮こみ

アサリと豚肉のバジルココナッツ煮こみ

【材料(2~3人分)】
アサリ…200g
豚肉…120g
バジル…1パック
油…小さじ2
塩…少々
生姜スライス…5枚
赤唐辛子…1本
酒…50ml
ココナッツミルク…100ml
レモン…好みで
※写真は2倍の分量でつくっています。

【つくり方】
①アサリは砂抜きして洗う。豚肉はひと口大に切って軽く塩を振る。
②鍋に油を入れ豚肉を炒める。色が変わってきたらアサリと生姜スライスと種を取り除いた赤唐辛子、酒を加え、強火でアサリの口が開くまで煮る。
③ ②にココナッツミルクを加え1~2分煮て塩味が足りないようなら足す。
④火を消し、バジルを加えひと混ぜする。
⑤器に盛り、好みでレモンを絞って食べる。

アサリと豚肉の旨みが溶け出したスープに、バジルの風味が加わり、ほんのり甘みのあるお米によく合います。ゴロゴロの具材で、満足度の高いランチになりました。

他にも〈はれわたり〉は、ハンバーグ、角煮、カレー、天つゆで食べる天ぷら、ぶりの照り焼きなど、汁気のあるメニューと合わせるのがおすすめだそう。

「ソースがよく絡み、米の甘さがより旨みを引き立ててくれます。もっちりしていてやわらかいので、パリパリの海苔を巻いたおにぎりや、お弁当にも」

取材者情報

冷水 希三子

料理にまつわるコーディネート、スタイリング、レシピ制作を中心に、書籍、雑誌、広告などの仕事をしている。

Instagram:@kincocyan

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青森県県産品販売・輸出促進課

住所:青森市長島1丁目1-1

問い合わせ:kensanhin@pref.aomori.lg.jp

Instagram:@aomori_no_okome

ラーメン文化を通じて、土地の食材を生かし店舗と地域を繋ぐ| コロカルアカデミー Vol.9開催決定

地域の暮らしや文化に根ざした新しい学びの場「コロカルアカデミー」の第9回を開催します。主催は、日本各地のローカルの魅力を発信し続けるWebマガジン「コロカル」です。

今回は、「ラーメン文化の未来」をテーマに、ラーメン業界の新しいムーブメントを作り出してきた 森本聡子さんをゲストにお迎えします。全国600杯以上のラーメンを食べ歩き、ラーメン業界のカルチャーを牽引する森本さんのユニークな取り組みについて深掘りします。

森本さんは、女性に向けたラーメンイベント「ラーメン女子博」を立ち上げ、音楽イベント「LIVE AZUMA 東北拉麺屋台村」や「Setouchi Contemporary」などでラーメンプロデューサーを歴任し、累計動員数は100万人を突破。これらのイベントを通じて、女性でも気軽にラーメンを楽しめる文化を広めてきました。また、ラーメンに関連するジュエリーブランド「ZURU+」や、ラーメン専用の日本酒(クラフトSAKE)のプロデュースなど、多岐にわたる活動を展開しています。

今回のセミナーでは、森本さんの経験をもとに、
●ラーメン女子博を通じたイベントの裏側
●ラーメン文化と地方創生の関係
●食とカルチャーの融合

といったテーマについてお話しいただきます。地域の魅力をラーメンを通じて発信する方法や、食文化を活用した地域活性化の可能性について学べる機会。

さらに、編集長杉江が深掘りしたいのが、伝統的な地域食材を活用することで、捨てられがちな食材を活かし、地域の店舗とつなげていく取り組みです。地域の一店舗だけではサポートできない部分を、他の店舗との連携で一気に広げ、地域全体を元気にする方法についても伺います。

地方創生に興味がある方、食文化を通じて地域を盛り上げたい方、ラーメン業界に携わる方におすすめのセッションです。ぜひご参加ください

【概要】
コロカルアカデミー Vol.9
「ラーメン文化を通じて、土地の食材を生かし店舗と地域を繋ぐ」
日時:2026年1月15日(木)15:00〜16:00(14:50開場)
形式:Zoomウェビナー
費用:無料(要事前申込)
募集期間:2026年1月8日(木)12:00まで
※後日見逃し配信あり

【コロカルアカデミーとは】
ローカルを舞台に活躍する人々のリアルな情報を通して、日本の魅力を再定義するウェビナーシリーズです。地域を活性化させるために働きたい方、ローカルでビジネスを始めたい方、自治体や企業で地域創生に携わる方に向けて、新たなヒントを提供します。

いままでのコロカルアカデミーはこちら

登壇者は、地域の文化資産や資源を掘り起こし、その価値を世界に伝える新しいリーダーたち。ローカルビジネスにおける強みと課題、問題解決のプロセス、未来を変える次の一手についてもリスナーの皆さんと一緒に考えていきます。

【本セミナーで学べること】
●ラーメン文化を通じた地方創生の可能性
●食とカルチャーの融合による地域の魅力発信
●女性向けイベントの企画と運営の実際

【こんな方におすすめ】
●食文化を通じた地域活性化に興味がある方
●ラーメン業界で活躍したい方
●地域創生に携わる自治体・企業関係者
●森本聡子さんの取り組みに興味がある方

【登壇者プロフィール】

森本聡子

森本聡子(もりもと・さとこ)
株式会社RamenSwitch 代表取締役。「女性が1人でもラーメンを楽しめるカルチャーを広めたい」という思いから食べ歩きを始めて22年。現在は年間600杯以上を食す“ラーメン女史“として活動。「ラーメン女子会」を主催し、大型イベント「ラーメン女子博」「LIVE AZUMA 東北拉麺屋台村」「Setouchi Contemporary」ではラーメンプロデューサーを歴任。累計動員数は100万人を超える。

杉江宣洋

杉江宣洋(すぎえ・のぶひろ)
コロカル編集長/MAGAZINEHOUSE CREATIVE STUDIO ブランディングプロデューサー
1997年マガジンハウスに入社。『anan』編集部を経て、2008年『BRUTUS』配属、10年同誌副編集長に。『BRUTUS』では「居住空間学」(インテリア特集)「音楽と酒」シリーズなどをヒット企画に育てた実績を持つ。また、「桑田佳祐」「山下達郎」「松本隆」「スタジオジブリ」などの特集も担当。2022年Hanako編集長就任。2025年より現職。

【注意事項】
・本イベントはオンライン開催です。
・音声や映像の乱れが生じる場合があります。
・録画・録音・再配信はご遠慮ください。

コロカルアカデミー with 佐賀 ~自分らしい拠点をつくり、 地域を盛り上げるには~

現在、日本の地域の魅力を発信するウェブメディア「コロカル」と佐賀県がタッグを組み、拠点づくりや地域創生をテーマとした全4回のセミナーシリーズ「コロカルアカデミー with 佐賀」をスタートさせました。
地域を元気にしたいという思いはあるものの、学ぶ機会や行動のきっかけを見つけられずにいる。そんな方々に向けて、自分らしい形で地域に関わるヒントを得られる新しいスタイルの学びの場です。

初回となる2025年11月8日の第1回を特別公開。建築の枠を超え、シェアハウスや地域づくりを通じて都市と地方をつなぐ活動を続けてきた建築家のクマタイチさんと、コロカル編集長の杉江宣洋が登壇。「自分らしい拠点をつくり、地域を盛り上げるには」をテーマに、講義やワークショップを通して多彩な視点が交わされる濃密な時間となりました。

クマタイチ

profile

kumataichi
クマタイチ

TAILAND主宰

建築家。1985年東京都生まれ。

TAILAND主宰。隈研吾建築都市設計事務所パートナー

2014年 シュツットガルト大学マスターコース修了

2016年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了 工学博士

2017年-2020年 SHoP Architects勤務

2020年- 隈研吾建築都市設計事務所勤務

2020年 TAILAND設立

2022年「SHAREtenjincho」グッドデザイン賞受賞

「歩ける街」佐賀の大きな魅力

佐賀市は平らで移動がしやすい「歩ける町」

佐賀県は平坦で移動がしやすい。その特徴により、「歩ける街」としての魅力が際立つといいます。
歩ける街では、日常の中で自然と人やお店に出会える仕掛けがつくりやすく、コミュニティがひらけ、拡散する土壌が整っています。
冒頭から建築家ならではの視点を展開するクマタイチさん。考えてみれば、私たちは店や住まいを建てるとき、その土地を前提にしています。具体的には、土地によって特有の個性があり、コミュニティのかたちにも当然影響を与えるものです。しかし、それに気づかないまま進めてしまうことも多いのかもしれません。
加えて、佐賀県は、九州各地へのアクセスも良ければ国際線空港もあります。にもかかわらず、福岡のような都市型のスピード感とは違って流れる時間は、すこしゆるやかで、余白があり、だからこそ移住した人が新しい挑戦を始めたり、地域創生にコミットできるアイデアがおもいつきやすい面白さがあるのかもしれません。総称して、クマさんは、佐賀県を「磁場」がある場所と語ります。

クマタイチさんの手がけた佐賀の事例「鍋島オーベルジュ」

佐賀県鹿島市 富久千代酒造のオーベルジュ

次にお話があったのは、クマさんが佐賀県で手がけた代表的なプロジェクト「鍋島オーベルジュ」について。この施設は、佐賀県鹿島市の重要伝統的建築物保存地区である肥前浜宿に佇む古民家を、地元の銘酒「鍋島」を醸造する富久千代酒造のオーベルジュ(宿泊と食事を楽しめる施設)へと改修したものです。

「お酒づくりの現場に立ちこめる“湯気”や“香り”をイメージし、空間には円形の照明を浮かべています。木組みが美しい古民家の力強さに、透明感ある現代的なデザインを重ねることで、“伝統と現代が共存する場”を表現しました」とクマさんは語ります。

2階の客室は既存の土壁を残し、落ち着いた闇を創造

また、「道が一本違うだけで風景は変わるし、五年前にできたことと今できることは違う」と話すその視点には、長年現場に向き合ってきた建築家ならではの深みが感じられました。

イベントの参加者にも、最初は地域の交流拠点として意図された建物が、いつの間にか単なる“箱”になってしまう例を見聞きしたことがある人も多かったはずです。
新しい挑戦をする際には、こちら側の意図や狙いも重要ですが、それと同じくらい「なぜここでやるのか?」「この場所だからこそできることは何か?」と問い続ける目線が欠かせないことを、改めて考えさせられる事例でした。

そのほかにも、「SHAREtsuboya」「SHAREyamabukicho」「SHORTsuido」「BANRAI HANTEN」といった、クマさんが手がけてきた多彩なプロジェクトについて、話を伺うことができました。それぞれの地域の特徴を活かし、新たな場をつくり、コミュニティの動きを生み出していく実践に触れたことで、土地の個性を見極めながら地域を盛り上げるための具体的な手法や視点を学ぶ貴重な機会となりました。

「場所選び」について

1階には台湾ダイナー「BANRAI HANTEN」とコーヒースタンド「Stroll_In」が入る

今回の講座で特に心に残った話題のひとつが「場所選び」という視点です。
土地にはそれぞれ独自の磁力や記憶が宿り、それを感じ取ったうえで、自分との相性を確かめることが重要だとクマさんは語ります。そのためには、実際に現地へ足を運び、繰り返し訪れることが欠かせません。

これは、冒頭で佐賀を「歩きやすい街」と形容したクマさんならではの、場所と身体感覚を重視したアプローチにも通じます。私たちはしばしば、事業内容やコンセプトから入りがちですが、本来は「この土地とどう向き合い、どんな対話を生むのか」という、場所との“関係性”が出発点になるべきなのかもしれません。

講座を通じて語られた物語や事例には、建築と地域をつなぐクマさんの哲学が一貫して流れていました。地域創生や地域おこしに取り組むうえで、私たちにも大きな示唆を与えてくれる内容です。

場所と人が交差するということ

佐賀県を案内してくれた坂田和馬さんと名尾和紙の6代目の谷口祐次郎さん

セミナーを通して繰り返し語られたのは、「場所」と「人」との対話というテーマでした。これは単なる意識の問題ではなく、その土地自体が持つ条件や性質が前提となっています。たとえば佐賀県には、九州の交通の要衝としての役割や、都市圏にはない余白、そして「歩ける街」として人と人が自然に出会える空間が存在しています。

環境を踏まえたうえで、さらに具体的な土地の選定が必要になります。駅前なのか、山間部なのか。商店街との距離はどうか……といった視点から、事業や場づくりの展開を描いていくことができるのです。テーマやプランを持ちつつも、場所と向き合いながら柔軟に考える姿勢が重要だといえます。

そして、忘れてはならないのが「人」の存在です。その土地に住む人々がいて、そこに新たな挑戦を持ち込んだときに、その行為が受け入れられるか、広がりを持つかは、人を頼り、つながりを育む姿勢にかかっています。場所と人との関係性を紡ぎ続けることこそが、新しい拠点や活動の土台になるのです。

大盛況となった「コロカルアカデミー with 佐賀」。地域創生に関心を持ち、自分のアイデアを深めたい方、佐賀をはじめとするローカルの未来に関わりたい方は、次回以降の開催もぜひチェックしてみてください。新たな視点や出会いが、ここからきっと生まれるはずです。

今回ご紹介した内容に興味を持ってくださった方は、ぜひ「コロカルアカデミー with佐賀」第3回にもご参加ください。
詳細・お申し込みはこちらからご覧いただけます。
https://colocalacademy-with-saga.hp.peraichi.com

「何もないのが、いい。 だけど面白くなる予感」 天竺鼠・川原克己さんが帰る場所。 鹿児島・大崎町の思い出とこれから

日本やグローバルで活動する方々に、地元や拠点のおすすめスポットを紹介してもらうこの企画。

今回登場いただくのは、お笑い芸人・天竺鼠の川原克己さん。ふるさとPR大使も務めている鹿児島県大崎町について、「何もないのがいい」と語る川原さんに、地元での思い出や自身のアート活動、お気に入りのスポットをご紹介していただきました。

ー故郷である鹿児島県大崎町は、川原さんにとってどんなところですか?

「なんもないところ。正直、頻繁に帰りたいと思うことはあまりないんです。最初にテレビに出たとき、ナスビをかぶってボケてたのを両親や祖父母が見て、おばあちゃんに『かわいそう、早く帰っておいで』って言われたときくらいかな、思い出深い帰省は。それ以降は基本、仕事で帰るのがほとんど。でも大崎町のYouTube撮影など、きっかけがあれば自然と足が向く。帰りたいというより、呼ばれて帰る感じですね。

帰るとやっぱりパワーをもらえるんですよね。地元って不思議で、離れてみて初めて土地の力に気づくというか。大阪や東京での生活が長くなったけど、大崎町に戻ると、生まれた場所だからこそ感じるエネルギーがある。だから僕にとっては、心の充電ができる、パワーの源みたいな存在です」

ー東京で暮らしていて、ふと地元を思い出す瞬間はありますか?

「お酒が好きなので、芋焼酎を飲んでいるときですね。千鳥の大悟さんに連れていってもらったおしゃれなバーで『鹿児島の芋で一番くせぇやつください』って頼んだことがあって(笑)。先輩には『川原、やめてくれ』って突っ込まれましたけど。あの瞬間に地元を思い出しました。鹿児島の焼酎ってクセが強いけど、それがまたいい。飲むたびに、大崎町や鹿児島の空気を思い出すんですよね」

ー笑いの感覚をにじませた独自の油絵に加え、場そのものを仕立てる発想力にも長けている川原さん。大崎町のYouTube「大崎町役場」では、自身のアート活動にフォーカスした動画を投稿していますが、きっかけはどこからでしょうか?

「最初は大崎町の方から『壁画を描いてほしい』と依頼があったのが始まり。アートの街じゃないのに、急に『川原君に頼もう』となったらしく。でもファンの方が大崎町へ訪れたときに何もないよりは、作品があったほうがフォトスポットとして楽しめるし、地元にもお金が落ちる。そういう発想が広がって、YouTubeで大崎町の取り組みや僕の制作を紹介するようになったんです。結果的に、帰るきっかけや地元とのつながりを持ち直す場にもなりました」

「大阪や東京で個展をすると、お客さんもアートを見ることに慣れているから、作品をどう受け取るかも洗練されてるんです。でも大崎町みたいな田舎だと、みんな“変な空間”に慣れていない。だからこそ、いい意味で違和感を持ってもらえる場所にしたいと思うんです。人間って普段使ってない脳みそがほとんどだって言うじゃないですか。その一部をちょっとでも突けたら、面白い子どもや変な大人が育っていくかもしれない。地元でつくるときは、そんな意識が強いですね。

ギャラリーは、僕が通っていた小学校のすぐそばにできるんです。昔は女性用の下着屋さんがあった場所で、建物を解体したあともブラをつけたマネキンが何体も残っていて。それも一部残してもらってるんですよ。子どもの頃に毎日通った道沿いに、自分の作品を見てもらえる空間ができるのはすごく特別。地元の子どもたちにとってもちょっとした刺激になればいいなと思っています」

今年、大崎町に川原さんのアートギャラリーが誕生する

ーこれから大崎町や鹿児島でやってみたいこと、地域と一緒に実現したいことはありますか?

「やっぱり“もっと変な街”にしていきたいんですよね。壁画だけじゃなくて、銅像でもなんでもいいから、町のあちこちに違和感のあるものを置いてみたい。普通に暮らしてると気づかないけど、ふとしたときに『あれ何だ?』って思わせる存在があると面白いと思うんです。そうやって少しずつ、地元の人や子どもたちの想像力を刺激できたらいいなと。町が前のめりで挑戦してくれているから、僕も一緒にもっと変えていけるんじゃないかなって感じています」

川原さんのアートでまちを盛り上げる!名スポット3選

①大崎町のギャラリー(年内完成予定)
②大崎町のガソリンスタンド
③大崎郵便局

動画はこちらから!

取材後に川原さんが食べていた鹿児島の銘菓とは⁉︎

profile

Katsumi Kawahara 
川原克己

お笑いコンビ『天竺鼠』のボケ担当。2018年から開催し始めた絵画の個展では、総動員数2万人を超える。物語17編を描いた絵本「ららら」や「ぬり絵本」なども出版。さらにMV 監督・演出家として「幽霊失格 /クリープハイプ」「 嗚呼、麗しき人生/ C&K」「ひとりぼっちの唄 / TAK-Z&GADORO」を手掛ける。

お米のプロや生産者に聞いた、 青森県で最も作られている お米〈まっしぐら〉の魅力

米の産地というと、新潟県や北海道、秋田県などをイメージする人が多いかもしれませんが、実は青森県も米の食料自給率が300%超えと、国内有数の米の産地。県内で生産される“あおもり米”の主力品種は、〈青天の霹靂〉〈はれわたり〉〈まっしぐら〉の3つがあります。今回は、2006年にデビューし、青森県で最も作られているお米〈まっしぐら〉についてご紹介。

五つ星お米マイスターに聞いた!
あおもり米〈まっしぐら〉の魅力

まずは、青森県三沢市に本社があり、米卸業を行う株式会社PEBORAの取締役で、「五つ星お米マイスター」の認定を受けている川村敦子さんにお話を聞きました。

川村敦子さんは、ペットボトルに精米をボトリングした〈PeboRa(ペボラ)〉をはじめ、日本のお米を世界に発信する米卸業を行う、青森県三沢市の株式会社PEBORA取締役。日本に476人しかいない(※2022年9月30日時点)「五つ星お米マイスター」の認定者。

川村敦子さんは、ペットボトルに精米をボトリングした〈PeboRa(ペボラ)〉をはじめ、日本のお米を世界に発信する米卸業を行う、青森県三沢市の株式会社PEBORA取締役。日本に476人しかいない(※2022年9月30日時点)「五つ星お米マイスター」の認定者。

2006年にデビューし、青森県で最も作られているお米〈まっしぐら〉。お米のプロから見て、どんな特徴のお米なのでしょうか?

「稲の病気である“いもち病”に強く、収量が安定するため、現在では青森県の看板品種となっています。県内全域で作付けされ、最も多く生産されています。やわらかすぎず硬すぎず、万人受けする食感と粒感だと思います。あっさりとした甘みで、何にでも合いますよ」

〈まっしぐら〉のおすすめの食べ方について、「万能なお米なので、卵かけご飯のようにシンプルにお米を味わうのはもちろん、チャーハンのように炒める食べ方でも幅広く相性がいいと思います」と、川村さん。

PEBORAが運営するお米の専門店〈KOMEKUUTO 八戸店〉には、炊きたてのご飯と本格的な日本茶が楽しめるカフェレストランも併設。ここで提供している中から、〈まっしぐら〉に合うメニューを紹介してもらいました。「卵かけご飯」880円。なんとご飯はおかわり1杯無料! 米は月替わり。

PEBORAが運営するお米の専門店〈KOMEKUUTO 八戸店〉には、炊きたてのご飯と本格的な日本茶が楽しめるカフェレストランも併設。ここで提供している中から、〈まっしぐら〉に合うメニューを紹介してもらいました。「卵かけご飯」880円。なんとご飯はおかわり1杯無料!米は月替わり。

〈まっしぐら〉は、店頭でも購入可能です。

information

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KOMEKUUTO八戸店

住所:青森県八戸市田向2-14-10

電話:0178-51-6070

営業時間:10:00〜19:00

定休日:第1・3水曜 ※変更あり

Instagram:@5910hachinohe

あおもり米〈まっしぐら〉を
つくる人に会いに

続いて、〈まっしぐら〉を生産している米農家さんのもとへ。五所川原市の成田収聴(しゅうき)さんは、津軽平野を縦断する五所川原の中里広域農道、通称「こめ米(まい) ロード」に面して広がる田んぼで〈まっしぐら〉を栽培しています。

成田収聴(しゅうき)さん

農家さんから見てで、〈まっしぐら〉はどんな品種なのでしょうか?

「〈まっしぐら〉は病気や倒伏に強く、天候に左右されにくいので、品質が安定していて収量を確保しやすいのが特徴です。農家にとってはつくりやすく安定的に販売しやすい、頼れるお米。私たちはできるだけ農薬を減らしながらも、安定した収量を確保できるように工夫しながら栽培しています」

津軽平野は昼夜で寒暖差があり、水害なども比較的少ないエリアなので米づくりに適している場所。

津軽平野は昼夜で寒暖差があり、水害なども比較的少ないエリアなので米づくりに適している場所。

成田さんは、祖父母から続く米農家の3代目ですが、もともと農家を継ぐつもりはなかったといいます。

「幼い頃から親や祖父母が農作業をしている姿を見てきましたし、たびたび手伝わされてきました。それが嫌だったので、家を離れて、絶対に別の仕事に就くぞ!と(笑)。県内の大学を卒業後、パンクやロック音楽を学ぶためにカナダのトロントに5年ほど住み、帰国後も東京でDJ活動をしていました」

現在も米農家をするかたわら、デザインや動画の編集、「GAMEBOY」名義でのDJ活動を行っています。

現在も米農家をするかたわら、デザインや動画の編集、「GAMEBOY」名義でのDJ活動を行っています。

家業を継ぐのを避けていた成田さんが、農家になることを意識するようになったのは、2011年の東日本大震災後のボランティア活動がきっかけでした。震災直後に福島へ行った際、田んぼの壊滅的な状況を見て危機感を覚えました。

「そのとき、かつてあんなに嫌だった田んぼが、自分の中で原風景になっていて、創作活動にも影響を与えてくれていたことに気づきました。親も歳をとってきているし、家の田んぼは大丈夫なのだろうかと考えるようになったんです」

翌年Uターンすると、家業を手伝うようになった成田さん。農業を始めてから、「自然に生かされている」と実感するようになったそう。

成田収聴(しゅうき)さん

「もちろん稲が育つようにいろいろ手助けしますが、人間のできることは限られています。太陽とか水とか、自然の強さによって育つんですよね。そのお米を食べて、エネルギーにして、また稲が育つための手助けをして、循環する。そういう自然の循環の中に自分がいる心地良さがだんだんわかってきたんです」

私たちが日々、当たり前のように口にしているお米は、こうした農家さんの営みに支えられています。

これからお昼休憩だという成田さんに、農家さんごはんを見せていただくことに。

「〈まっしぐら〉は、お米の粒が白くツヤがあって、炊きあがりも粒立ちがよく、時間が経ってもおいしいです。粘りが控えめなので丼や寿司にも使いやすいのも特徴のひとつ。今日は、わっぱのお弁当箱にご飯を用意して、スーパーで納豆と塩漬けすじこを買ってきました」

太宰治も愛したと言われる「すじこ納豆」

五所川原市内の金木町出身の文豪、太宰治も愛したと言われる「すじこ納豆」。食べ方は人によって違うようですが、成田さんはすじこの粒がバラバラになるまで混ぜる派。

「その名の通りすじこと納豆をかけ合わせただけのシンプルなものですが、お米とともに永劫食べ続けたいと思わせる魅力があると思います」

太宰治も愛したと言われる「すじこ納豆」

就農して10年以上の成田さんですが、まだまだ父の背中を追っていると話します。

「父は何十年も米農家をやってきたから、米の状態を見ただけで、『ちょっと水分が足りていないな』とかがわかるんですよね。もう70歳を過ぎているんですけど、よく動くし、筋肉もあって。今は米の栽培も父親の比重が大きいんですが、これからもっと自分が引き継いでいけたらと思っています」

米の状態を見ただけで、『ちょっと水分が足りていないな』とかがわかる

かつての自分のように、お子さんが田んぼを訪れることも。今は田んぼよりも虫を見るのに夢中とのことですが、お子さんにとっても、ここが原風景になるのではないでしょうか。

「子どもには、農業に限らず自分の好きなことを自由にやってほしい」と話す一方で、若い人にどんどん農業に挑戦してほしいとも。

「ドローンやAI制御など、機械や技術が発展して、農業はやりやすくなってきています。昔の農家さんよりも自由な時間が増えているので、私のように半農半Xの可能性が増えています。もし農家になりたい若い人がいたら応援していきたいですね」

そう話す成田さんの思いを胸に、田んぼを後にしました。

取材先情報

成田収聴さん

料理家・冷水希三子さんに聞いた
〈まっしぐら〉に合うレシピ
「しらすの出汁玉じめ」

最後に、雑誌やWEBなどで活躍中の料理家・冷水希三子さんに、〈まっしぐら〉に合う食材を使ったレシピを教えてもらいました 。卵を使った、朝に食べたいおかずです。

料理家・冷水希三子さん

「粘りが少なくあっさりしている〈まっしぐら〉には、お米の風味を立たせる『しらすの出汁玉じめ』を。スクランブルエッグをつくる要領で、最後に出汁をかけるので、出汁巻き玉子よりも簡単です」

■しらすの出汁玉じめ

しらすの出汁玉じめ

【材料(1〜2人分)】
しらす…12g
卵…2個
万能ネギなどの香味野菜…少々
砂糖…ひとつまみ
かつお昆布出汁…80ml
薄口醤油…少々
油…小さじ2

【つくり方】
①ボウルに卵を割り入れ、しらすと香味野菜、砂糖ひとつまみを加えて混ぜる。
②小さなフライパンに油を入れ、強火で①を混ぜながら半熟状に焼く。
③出汁を加え1分ほど煮たら、最後に醤油で味をととのえる。

汁ごとご飯にのせて食べると、出汁の旨みと一緒に味わうことができます。簡単な手順でさっとつくれるうえに、リッチな気分になれるメニューです。

ほかにも、〈まっしぐら〉のに合うおかずについて、「梅干し、焼き魚、漬物、卵料理、お浸しなど、米の風味を立たせる食材が合います」と冷水さん。粒感がしっかりしているので、炊き込みご飯にしても出汁を吸い込んでくれるのだそうです。ぜひお試しを!

取材者情報

冷水 希三子

料理にまつわるコーディネート、スタイリング、レシピ制作を中心に、書籍、雑誌、広告などの仕事をしている。

Instagram:@kincocyan

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青森県県産品販売・輸出促進課

住所:青森市長島1丁目1-1

問い合わせ:kensanhin@pref.aomori.lg.jp

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