連載
posted:2026.1.16 from:青森県・秋田県 genre:旅行
PR 公益財団法人 東京観光財団
〈 この連載・企画は… 〉
写真家・山内悠の視点で切り撮る、世界自然遺産で出会う「没入できる自然」の旅。
旅をして、その時間、その場所に立つことで深く紡がれていくストーリー、自然の絶景がもたらす新たな視点。
世界自然遺産の光景とともに、訪れた人がその地に没入し体験した物語をたどります。


profile
Yu Yamauchi
山内 悠
やまうちゆう●1977 年兵庫県生まれ。自然の中に⻑期間滞在し、自然と人間の関係性から世界の根源的なありようを探求している。14歳の時に独学で写真をはじめ、スタジオアシスタントを経て制作活動を本格化。富士山七合目にある山小屋に600日間滞在し雲上の来光の世界を撮り続け、雲の上の暮らしと体験から制作した作品『夜明け』(赤々舎) を 2010 年に発表。2014 年にはその滞在していた山小屋の主人に焦点をあて、山での日々から人間が包含する内と外の対話を著した書籍『雲の上に住む人』(静山社) を刊行。2020年には、5年をかけてモンゴル全土を巡り各地で形成される時間や空間から多元的な世界構造などを探求した作品『惑星』(⻘幻舎) を発表した。そして 2023年春、屋久島に9年通い単身で森の中で1 ヶ月近く過ごしながら自然との距離感を探り続けた作品「自然 JINEN」(青幻舎)を発表する。 ⻑野県を拠点に国内外で展覧会を開催し続けている。
自宅のある長野から車でトボトボと北上し、弘前までやってきた。
今年一番の寒波により冬の到来を思わせる冷たい雨が静かに降り、濡れた路面が街の灯りを映していた。
先週まで滞在していた小笠原諸島との気温差は30度。山はおそらく雪だろう。
宿の近くでふらりと入った居酒屋では、賑やかな津軽三味線のライブが行われていた。その力強い音色が郷土料理と日本酒、外の寒さが混ざり合う。その瞬間、北にやって来たと体の奥が切り替わるような感覚があった。

弘前の夜の街


ふらっと入った居酒屋「あどはだり」

津軽三味線を演奏する女将の田辺美幸(東日流賀乃)さんと小山内薫さん。

白神山地は秋田県と青森県にまたがる広大な山林地帯。標高200メートルから1250メートル級の山々が連なり、深い谷と尾根が複雑に入り組んでいる。あまりにも険しい環境ゆえに、人は容易に入ることができなかった。道という道もなく、産業化社会の文明からの限りない隔たりがこの山の魅力である。
弘前から西目屋村へ向かう途中、右手に見える岩木山はやはり雪景色をまとい、山肌は標高が上がるにつれて色を変えていく。津軽白神湖を横目に山深くへと入ると、空気は澄み、森の匂いが濃くなる。
まずは手始めに「ブナ散策道」で白神山地のブナ林を歩く。その後はシンボルツリーである「白神いざないツリー」から津軽峠へ、そして高倉森を縦走するコースへと、トレッキングの深さを上げていった。さらに、深浦町へ移動して十二湖を歩き、最後に秋田県藤里町の滝や渓谷を巡り、岳岱自然観察教育林を歩いた。
ブナの巨木が連なる森に足を踏み入れると、空気が変わった。ブナの葉が作り出す黄色や赤のフィルターを通した光が柔らかく森を包み、乾きすぎず湿りすぎない澄んだ空気が流れている。足元には厚い腐葉土が広がっていた。「緑のダム」と呼ばれるこの土がスポンジのように雨水を蓄え、清らかな沢を生み出している。ブナは多くの実をつけ、ツキノワグマやカモシカ、小鳥たちを養う。倒木も土に還り、次の世代の苗床となる。静かでありながら、成熟した分厚い生命の循環そのものがここに息づいている。そう確かに感じられる森だった。
(現在、道の崩壊や土砂崩れなどの影響で「暗門の滝」など行けない箇所が多くあった。しかしそれは、この地がそれだけ深い場所であり、容易には人を寄せ付けない原生の姿を今も保っている証でもあるのだろう。)

青森県西目屋村・津軽峠より

青森県西目屋村・大川白神橋より

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・世界遺産の径ブナ林散策道

青森県西目屋村・高倉森縦走ルート

青森県深浦町・十二湖 沸壺池の清水

青森県深浦町・十二湖 落口の池

青森県深浦町・十二湖 沸壺の池

青森県深浦町・十二湖 青池

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・峨瓏の滝

秋田県藤里町・岳岱自然観察教育林

青森県西目屋村・マザーツリー後継 白神いざないツリー
白神山地が世界自然遺産に登録されたのは1993年12月。日本で最初の世界自然遺産登録だった(屋久島と同時登録)。
登録の決め手となったのは、「東アジア最大級の原生的なブナ林が残されている」という点である。
日本には他にもブナ林はあるが、これほど広範囲で人為の影響を受けていない森は白神山地だけである。しかも植生が単純化せずに太古のまま維持されている。540種を超える植物、貴重なクマゲラやイヌワシなど94種の鳥類、ニホンカモシカやツキノワグマなど35種の哺乳類、約2200種の昆虫が生息している。この豊かな生態系が、人の手が入らないまま維持されてきたこと。それが白神山地の本質的価値なのである。
総面積は約13万ヘクタール。そのうち約1万7千ヘクタールが世界自然遺産の登録地域となっている。核心地域と緩衝地域に分けられており、中心部である核心地域は人為の影響をほとんど受けていないため、保全上影響を及ぼす恐れのある行為は禁止され、入山も規制されている。


山の中では積雪のため、様々な動物の存在を確かめることができた。ツキノワグマの足跡

ニホンザルの足跡
白神山地の誕生は一帯に見られる地層からわかる。大半が2000万年前以降、日本海ができた頃に堆積した砂や泥、海底火山灰や溶岩である。それらが200万年前に隆起を始め、侵食を繰り返し、数十万年前に現在のような急峻な山容になった。
ブナ林は3000万年前には北極周辺に存在していたとされ、7万年前から始まった氷河期の影響で本州中部や九州まで南下したが、温暖になった12000年から8000年前に再び北上し、この地を覆った。
森には栗や胡桃が実り、人も暮らすようになり道具や土器などが作られた。こうして1万年間続く縄文時代が始まり、人々は山麓に集落を作り、山の恵みを得て暮らしてきた。(白神山地では多くの縄文土器や土偶が発見されている)
時代は巡り、この深い森は江戸時代には津軽藩と秋田藩の境界となり、明治以降は国有林として管理されてきた。昭和に入り世界中で森林伐採が進むが険しい地形ゆえにその手が及ばず、原生の姿を保ち続けることができた。
しかし1970年代、青森県と秋田県を結ぶ青秋林道の建設計画が持ち上がる。貴重な原生林を貫く大規模な林道建設に対し、自然保護運動が高まる中、1982年に林道計画は着工したが1990年には中止。そして1993年、白神山地は世界自然遺産に登録された。開発の危機を乗り越え、守られた原生林。それは人々の声と行動が生み出した奇跡でもあった。

青森県深浦町・日本キャニオン 1200万年前頃に海底火山から噴出した礫(れき)や火山灰が堆積した岩石(シリカ含有量が多い酸性凝灰岩主体)が大規模地滑りで露出した断崖。脆い火山灰質の地層が浸食を受け峡谷景観を形づくった。地滑りの地学的特性が異なる環境を作り出し、その結果、さまざまな植物種がその環境に適応した形で存在するといわれており、白神山地の地形の成り立ちを見ることが出来る。

1万年前のブナの葉の化石。青森県西目屋村・白神山地ビジターセンター

青森県深浦町一本松遺跡出土の板状土偶(縄文時代中期5000年前)。 深浦町歴史民俗資料館

青森県深浦町・千畳敷海岸。緑色凝灰岩(グリーンタフ)からなる海底の波食台が、1793年(寛政4年)の西津軽地震で 数メートル隆起してできた隆起波食棚。

青森県深浦町・見入観音。かつて観音様が山の中から現れた(見入った)という言い伝えに由来している。創建には二つの説があり、一つは平安時代の高僧である智証大師(円仁)による開山という説、もう一つは康永3年(1344年)に行円和尚によって開山され、藤原氏家が開基したという説がある。

青森県西目屋村・岩谷観音。岩木川沿いの洞窟に存在する御堂。江戸時代の藩政時代に落馬で亡くなった愛馬を憐れんだ唐牛三左衛門が、岩壁の洞窟にお堂を建てて馬の霊を弔ったことが由来。
縄文時代から、劇的に変わりゆく時代の中でもここの自然は守られてきた。それは人との関係が変わらず続いてきたということでもある。その形が今も残っている。それがマタギの存在だ。
東北地方で猟師や狩人を指すマタギとは、簡単に言えば「山の恵みで生活してきた人々」である。厳しい掟を守り、自然を知り尽くし、資源を守り伝えてきた人たち。
僕は西目屋村に住む目屋マタギの継承者である小池幸雄さんに山を案内してもらうことになった。
目屋マタギは、今や津軽白神湖(ダム)に沈んでしまった集落・砂子瀬を拠点に活動していた。彼らは山の地形を熟知し、動物の習性を読み、自然の声を聞き分けることができた。
神奈川県出身の小池さんは、弘前大学で探検部に所属していた頃、青秋林道問題で取材に来た人を道なき山へ案内する手伝いとしてマタギの工藤光治氏と出会った。
「山に入ると、その知識や技に驚かされた。幼少から自分の中に自然保護や動物愛護の意識があったが、それが如何に薄っぺらい妄想であったかに気づかされた。守るだけが正義だと思っていたが、共に生きているということ。授かり、頂く、ということが私の中にはなかった」と当時のことを話す。
その体験がきっかけで、小池さんは卒業後に工藤光治氏に弟子入りした。
目屋マタギの一年は、残雪期の「クマ撃ち」から始まる。4月下旬から5月上旬の長くて2週間、山奥のマタギ小屋を拠点にクマを探す。運よく授かれば皮を剥ぎ解体する。その際、山の神に祈り、天国に送る儀式を行う。授からない場合でも執着をしない。執着をすることを「押しマタギ」と呼び、嫌った。
マタギとは人を指す言葉ではない。クマを撃つこと自体もマタギという。「動物が憎いから撃つのではなく、生きる上で必要だから撃つ。動物を撃つたびに心を鬼にする。次に撃つときもまた鬼になる。『又鬼』と書いてマタギという」と師の工藤光治氏から教わったという。
クマ撃ちの後は春の山菜採り、夏にはマスやイワナの魚捕り、秋はキノコ採り、冬は鴨やノウサギなどの狩猟と、サイクルが続く。それぞれの行程には作法や掟があり、それらは口伝で伝承されてきた。「山があれば生きていける。掟は簡単に言えば欲張らないこと。授かる時期やタイミングには必ず旬があり、その時期だけ必要な量を頂く」。
小池さんは師匠たちと共に“この文化を絶やしたくない”という想いで、マタギの伝承とガイドを兼ねた「マタギ舎」を2000年に設立した。
「私ごときがマタギと言って良いのかどうか。マタギ文化は奥深く、まだ学ばねばならないことはたくさんあるが、なんとかこれを守り伝えていくことが重要だと思っている。しかし自然は急激に変化している。人の価値観も同じく…」と後継者不足の現状を憂いていた。彼らは現在、マタギ文化を伝える傍ら、環境省と青森県自然保護課から委託を受け、自然遺産地域の巡視業務を行っている。師である工藤光治氏は高齢のために引退。工藤茂樹氏と小池さんが最後の目屋マタギとして活動している。

津軽白神ダム。この下に砂小瀬の集落が沈んでいる。

山の中、巨木の中でクマ棚を見上げる小池さん。

クマ棚。ツキノワグマがブナの木に登り、実を食べ、枝を落とした後。

わさびの葉を見つけ、口にする小池さん。「醤油に漬けると美味しいんだよ」と。

クマを授かった時に行う「サカサガワの儀式」。皮を、頭と尻尾が身と逆に、身についた方が下になるようにして二人で持つ。呪文を唱えながら、皮を上下させる、この儀式を「サカサガワ(逆皮)ヲキセル」という。この世とあの世は逆さになっており、皮と身体を逆さにすることで、クマが迷わず成仏できるように行う儀式である。

マタギ小屋


目屋マタギの小池幸雄さん。「マタギ舎」では様々なツアーがあり、山の中での貴重な体験ができる。
そしてある日、小池さんと大学時代の友人だという、弘前大学白神自然環境研究センターの中村剛之教授を訪ねた。
2010年に研究所として設立されたこのセンターは、白神山地の保全と持続的利用を目的とし、生態系の研究、環境教育、地域連携を三本柱として活動している。昆虫の研究が専門の中村教授は、設立当初から白神の生態を調査研究し続けている。
「小池君は探検部で、僕は昆虫サークルだった。お互いこのような大人になるとは思ってもいなくて、ただ山を楽しんでいた。卒業後は弘前を出て色々な場所で研究活動を行ってきたが、ここの自然は他の世界自然遺産のように特別なものではない。日本のどこにでもある自然が昔のまま残っている。しかし、それが非常に意味深いと思っている。この自然の誕生から生態系、そこで生きてきた人の歴史や文化、そして現在の変化等を研究し、それを生徒や地元の人に伝えている」。
弘前大学では、これを「白神学」という独自の教育プログラムとして展開している。白神山地の自然・文化・歴史を総合的に学ぶ学問だ。生態学や地質学だけでなく、マタギ文化や縄文文化、林業の歴史、環境保全の取り組みなど、この地域に関わるあらゆる要素を統合的に学ぶ。フィールドワークを重視し、実際に森に入り、植生や生態を観察し、地域の人々と対話することで、白神山地を「知識」ではなく「体験」として理解することを目指している。
「現在は多くの子どもたちと森に出て行き、フィールドワークを行い、さまざまなシンポジウムにも参加している。大学の講義では毎年130名ほどの受講生がいるが、生徒たちをはじめ地元の人がここの場所や自然のことを理解してもらえるよう、活動を続けている」と話す。
普遍的な自然だからこそ、教育として人や地域を選ばない。自然のあり方や人との共生の歴史、そして現在の問題が学問として成立していることは、概念や意識を育て、やがて、新たな活動が生まれる事につながるだろう。

弘前大学の中村剛之教授。昆虫学、特にハエ目・ガガンボなどの分類学・系統分類学が専門。世界自然遺産・白神山地を主なフィールドに、地域の生物多様性調査、保全のための研究を行う。市民参加型の蛾相解明や環境教育にも注力し、白神山地の貴重な自然の解明と継承に貢献している。

「白神山地の研究を始めて15年になるが、毎年変化し続けている。南方にしか生息しない昆虫は頻繁に発見し生態も常に変わり続けている。そして、今一番問題なのがニホンジカの繁殖による食害。この地域では長い間生息していなかったニホンジカが昨今急増し植物を食べている。ブナ林の林相が変わるのも時間の問題。あと、ナラの樹がカシノナガキクイムシによって枯れるナラ枯れ被害が酷い。」と白神の現状を九州のブナ林の様子と比較して解説してくれた。

生態調査のために捕獲された昆虫を分別し整理をしている。作業を手伝っている横山裕正さん。

「白神学」の教科書にレポートなど。一般の方には弘前大学生協で販売している。
旅の終盤、僕は秋田県と青森県内に数多く点在する縄文遺跡を巡った。これらは2021年に世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」として一部が登録されている。
遺跡を歩き、土偶の愛らしい表情を眺めていると、当時の人々の心が届いてくるようで、時間の感覚がなくなり暮らしが見えてきそうになった。縄文人は今と変わらないこのブナ林の中で、栗やトチの実、クマやイノシシなど山の恵みを必要なだけ授かり、頂き、感謝して暮らしていただろう。その関係性は農耕の渡来まで1万年以上も続き、争いもなかったという。だから今、白神の森は原生のまま残ることができたのだ。
マタギもまた、その縄文以来の精神や知恵を受け継いでいると言える。自然を所有や管理の対象とするのではなく、自然の一部として共に生きる。その哲学が、この地には太古から今も息づいているのだ。

秋田県・大湯環状列石遺跡。

秋田県・桂の沢遺跡出土の遮光器土偶(縄文時代晩期)。秋田県伊勢堂岱縄文館

青森県是川石器時代遺跡出土の合掌土偶(縄文時代後期)。青森県是川縄文館
旅の最後、マタギ舎の小池さん自宅にお邪魔させてもらった。山に入る道具を見せてもらい、現代における自然と共にある暮らしに触れることができた。
ここの自然は、日本のどこにでもあった自然。という教授の言葉を思い出し、麓ではどこを見ても日本の原風景が広がっていた。縄文時代から変わらない森は、人が一万年以上も続けてきた自然との向き合い方を静かに伝えてくれる場所だった。ブナの大木が重なり合う森の奥は薄暗く、しかし光が差し込むと表情は変わり、柔らかな黄や赤が煌めいていた。沢を流れる水の音、腐葉土の匂い、冷たい風。人の手がほとんど入らずに守られてきた森は、ただ美しいだけではなく、歩くたびにすべてがこの土地の長い時間をそのまま抱えているように感じられた。
これまで日本の世界自然遺産を巡ってきたが、それぞれの場所で出会った人々は、立場は違えど皆が同じ想いを抱いていた。
今、地球規模で自然が急速に変わりゆく中での絶滅してゆく植生や生態、観光と環境のバランスなど、それぞれの場所でさまざまな取り組みや活動があった。
自然を守るとは、人間が自然の外側から保護することではない。本来の姿である自然の一部として生き、関係性を深め、信頼し、次の世代へ手渡していくことなのだ。そして遺産とは、過去の遺物ではない。未来への約束である。この継承こそが、本当の意味での遺産ではないだろうか。
授かり、感謝して頂く—
最後の旅である白神山地は静かに教えてくれた。

「まっすぐな木を見つける事が本当に難しい。山では何にでも使える。」とマタギにとって1番大切な杖を説明してくれた。冬用は先がヘラのようになっている。

案内された寝室の壁にはツキノワグマの毛皮が。



青森県西目屋村・りんごの樹と岩木山。

秋田県藤里町・横倉の棚田

青森県西目屋村

青森県西目屋村

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