長くいると居心地の良さがわかってくる。奈良は、人の距離感がちょうどいいまち

学生時代、大和郡山で出合った藍染

2022年春に、奈良市北之庄町で〈INDIGO CLASSIC〉を開業した小田さん。工房へ入ると藍染液が発酵した独特の香りが漂っていて、小田さんの手はしっかりと藍色に染まっていた。藍を育て染料をつくる「藍師」の仕事から、染色を行う「染師」まで、全てを一貫してやっているのは業界でも珍しい。

〈INDIGO CLASSIC〉の小田大空さん
Tシャツを染める。藍染液は褐色に見えるが、染めると鮮やかな藍色になる。

奈良市は小田さんの地元。初めて藍染の技術に触れたのは、奈良市の隣であり、かつて城下町として染物業が盛んだった大和郡山市にある、藍染め体験施設〈箱本館「紺屋」〉でのことだった。

「実際に藍染体験をしてみて、面白いなと思いました。藍染のプロダクト自体はもともと好きだったんですが、染めの工程にも興味を持つようになりました」

大阪で2年間社会人を経験し、藍染を学ぶため徳島へ移住。藍染には、藍の葉からつくられる「蒅(すくも)」という染料を使うが、徳島には日本で唯一、藍の栽培から蒅づくり、染めの工程までを一貫して行うチームがいた。彼らに感銘を受けた小田さんは、自分も同じスタイルで独立すると決意する。徳島で開業することも考えた。が、最終的に地元である奈良に戻った理由とは。

〈INDIGO CLASSIC〉の小田大空さん
小田大空さん。爪の先まで藍色に染まっている。

「自分の地元である奈良市周辺には、栽培から染めまで一貫して行う藍染の文化はなかったからこそ、ライバルもいないということ。長い目で見たら、ここでしっかりと土台をつくったほうがいいと思ったんです」

農業振興地域に指定されている、のどかな北之庄町

結果的に、奈良を選んだことで理想の環境が見つかった。

藍染の原料となる葉の収穫は年に一度。1年分の染料をつくるためには10トン以上の生葉が必要だ。もちろん広大な畑がなくてはならないが、条件に合う農地はなかなか見つからなかった。

農地は余っていても、知らない人には貸さないというオーナーも多いが、小田さんは幸運にも、身内が持っていた北之庄町で畑を借りることができた。工房も畑のすぐ横に構えることができ、徒歩1分以内ですべてが完結する絶好の環境に恵まれた。

北之庄町は、奈良県では数少ない「農業振興地域」に指定されているエリア。長期にわたって農業を守り、未来の食料生産を支えるために整備されているため、のどかな田園風景が残っている。

「北之庄町はすごくいい場所だと思います。帰ってくるまで知らなかったんですが、このまちの農地を建築用の土地に変えるとなると、申請にものすごい時間がかかるんです。だから新しい建物はほとんど建たない。畑が広がるのんびりとした雰囲気が好きですね。社会人の時に都会で暮らしていて、『二度とこういうところには住まん!』と思っていたので(笑)。ゆったりと過ごせるこのまちのほうが、自分に合っていると思います」

借りている畑は全部で60アール(約6,000平方メートル)。サッカー場より少し小さいくらいの広さ。

ご近所にはここで長く暮らす先人たちも多いが、心地よい距離感で接してくれるのも暮らしやすいという。

「全然干渉されませんし、過剰に評価やジャッジもされることもなくてすごく楽です。奈良の人って気質が穏やかで、相手の距離感に合わせるのが上手な人が多い気がします。だから外から移り住んでも、ストレスがないんですよ。京都や大阪みたいにわかりやすい良さではなく、1ヶ月くらい過ごすとじわじわ居心地の良さを感じてくる。奈良はそんな場所ですね」

昨年長野県から移住してきたというスタッフの女性も、小田さんの話に頷きながら「自分がよそ者だと感じないくらい、ここの生活に馴染んでいます」と話してくれた。

古いものを美しいと思う感性が自然と育まれる土地

ほかの移住者との横のつながりも広がっている。小田さんが彼らと触れ合っていて感じるのは「目が肥えた、感度の高い人が多い」ということ。

「古いものを美しいと思うセンスがあるからだと思います。例えば建築や木工関係の人だったら、新しい建物を建てるより、古い町家を改修して残していきたいというような。そういう感覚を持っている人が、奈良には集まってくるんでしょうね」

創業してから、2026年の今年で5年目を迎える。伝統工芸である藍染めを生業にしていくことは、決して簡単なことではない。最初の半年でキャッシュアウトの危機を迎えたが、必死の営業でOEM事業を軌道にのせ、現在は東京のアパレルメーカーからの発注や、靴下や麻布など、地元ブランドの製品の染色も担当している。

「伝統工芸へのニーズは減っていますが、この工芸を『残していこう』という想いを持って、ニーズをつくっていくのが大事だと思っています。とはいえ、藍染を崇高なものだとは思っていなくて。僕はあくまでも“染める”という仕事を真面目にやっている。それが今の僕のスタンスです」

Profile

〈INDIGO CLASSIC〉の小田大空さん
小田大空

おだ・おおぞら/奈良県奈良市生まれ。藍師・染師。2020年に徳島で藍染を学び、2022年春にUターン。〈INDIGO CLASSIC〉を開業。藍の栽培から染料作り、染色まで全ての工程を一貫して行う。

Information

〈INDIGO CLASSIC〉の店舗の外観
INDIGO CLASSIC

「普段と美」という理念のもと、伝統的な藍染で作り上げるファクトリーブランド。生地の染色はもちろん、パターンや縫製までオリジナルで行う。
Instagram:@indigo_classic_nara
HP:https://indigoclassic-jpn.com/

夏の風物詩を届ける。大和郡山と金魚養殖の歴史を紐解く

大和郡山の金魚の歴史は、初代藩主・柳沢吉里からはじまった

〈やまと錦魚園〉の水槽

大和郡山での金魚養殖の歴史は、なんと約300年!その長い歴史の中で、創業100年を超える〈やまと錦魚園〉を巡りながら、金魚の町として発展した歴史を辿った。

〈やまと錦魚園〉園内には40種以上の金魚が飼育されており、養殖、小売、全国への卸しも行っている。併設している〈郡山金魚資料館〉には、〈やまと錦魚園〉の創業者・嶋田正治が集めた金魚関連の資料が多くある。江戸時代にまとめられたという、日本最古の金魚飼育本『金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)』も展示されている。

金魚が大和郡山に伝わったのは江戸時代中期。柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が初代郡山藩主となるべく甲斐の国(山梨県)からやってきた時に、観賞用として持ち込んだのが最初だと言われている。

当時の金魚は、いわば芸術品のような扱い。品種ごとに形、大きさ、色などの基準があり、それによって一匹の価値が決められていた。江戸時代の後半には、造り手が自慢の金魚を出品する品評会が行われており、裕福な人々がアートを買うように、金魚に投資することで、金魚産業は発展してきた。

〈やまと錦魚園〉三代目の嶋田輝也さん
〈やまと錦魚園〉三代目の嶋田輝也さんは業界歴40年のベテラン。

大和郡山では明治維新後、職を失った藩士や農家の副業として金魚養殖が広まる。 当時の郡山藩主だった柳澤保申(やなぎさわやすのぶ)が、産業を惜しみなく援助したこともその後ろ盾となった。

「大和郡山は水環境も整っていますし、京都や大阪といった消費地が近かったという地の利も、金魚養殖の発展に関係していたでしょうね」と話すのは、三代目として〈やまと錦魚園〉を切り盛りする嶋田輝也さん。こうした恵まれた環境や養殖技術は今も受け継がれており、大和郡山には現在も20軒の金魚養殖場がある。

子どもたちに夏の風物詩を届けたい

観賞魚として人気の「イエローコメット」
観賞魚として人気の「イエローコメット」

大和郡山で有名なのは一番身近な「和金」という品種。縁日の金魚すくいでおなじみの、オレンジ色の金魚だ。この日も園内の養殖池には、1万5000匹もの和金が元気よく泳いでいて、これから夏が近づくにつれ、全国のお祭りへ向けた出荷が増える。

金魚養殖の様子
気持ちよさそうに泳ぐ和金。ここから全国へ旅立っていく。

「金魚は夏の風物詩ですし、子どもたちが一番最初に触れる生き物になることも多いのではないでしょうか。金魚を通して、命に触れる体験を届け続けられたらなと思います」と、嶋田さんは話す。金魚養殖は、私たちがどこか懐かしく思う、日本の夏の思い出を守り続けているのだ。

御金魚帖を片手に“金魚ストリート”を歩いてみよう

〈柳町商店街〉・通称「金魚ストリート」のユニークな水槽
ユニークな形の水槽があちこちに。こちらは改札の形をした水槽。

かつての城下町に広がる〈柳町商店街〉。通称「金魚ストリート」と呼ばれるこの商店街には、マンホールや郵便ポスト、灰皿、お店の看板など、金魚モチーフのものがあちこちに置かれている。各店の店先にはそれぞれ異なる品種が泳ぐ水槽があり、その数は30種類以上。暑い夏のまち歩きに、清涼感を届けてくれるようだ。

まち歩きをさらに楽しくしてくれるのが、 御朱印帳ならぬ「御金魚帖」。商店街を巡りながら、お店の軒先で18種類のスタンプ(もちろん金魚モチーフ)を集めることができる。

豊臣秀長デザインの「御金魚帖」
「御金魚帖」は加盟店で購入可能。こちらは豊臣秀長デザイン。金魚すくいの袋に入っているのもユニーク。
老舗和菓子屋〈本家菊屋〉の、豊臣秀長をモチーフにした金魚スタンプ
老舗和菓子屋〈本家菊屋〉で押せる、豊臣秀長をモチーフにした愛らしい金魚スタンプ。

商店街は端から端までゆっくり歩いても10分ほどの長さ。城下町らしい古い建物があちこちに残り、町家をリノベーションした飲食店や、秀吉ゆかりの「御城之口餅(おしろのくちもち)」を販売する〈本家菊屋〉など見どころも多い。

小さい頃に行った夏祭りの記憶が蘇るような、どこか懐かしい時間が流れる大和郡山の城下町。この夏は、ひとときの涼しさと愛らしい金魚たちに会いに、のんびりと出かけてみてはいかがだろうか。

Information

〈やまと錦魚園〉の外観
やまと錦魚園

1926年(昭和元年)に創業した金魚養殖・販売所。40種以上の金魚を養殖し、店頭では金魚の販売も行っている。
住所:奈良県大和郡山市新木町107
TEL:0743-52-3418
Instagram:@yamto_kingyoen

Information

〈やまと錦魚園〉に併設されている〈郡山金魚資料館〉の内観
郡山金魚資料館

〈やまと錦魚園〉に隣接する資料館。江戸時代から現代までの文献や、さまざまな種類の金魚も展示されている。
住所:奈良県大和郡山市新木町107
TEL:0743-52-3418

Information

柳町商店街の看板
柳町商店街

郡山城のお膝元にある商店街。「金魚ストリート」として、30店舗以上のお店で金魚を展示、「御金魚帖」のスタンプラリーが楽しめる
住所:奈良県大和郡山市柳3-37
Instagram:@kingyostreet_yanagimachi

「はじまりの地・奈良」は知れば知るほど面白い

01
豊臣秀吉の最強バディ・豊臣秀長の統治からはじまった、大和郡山の城下町
2026年放送のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公として脚光を浴びている、豊臣秀長。奈良県大和郡山市は、兄・豊臣秀吉が天下統一において最重要と考えた地であり、秀長が人生最後に統治したまちだった。カリスマ的な人間力を持っていたと言われる秀長は、どのように大和郡山を治めていったのか。今回は「豊臣兄弟!」で時代考証を担当した、駿河台大学・黒田基樹教授の話をもとに、秀長の軌跡を辿る。
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02
日本の柑橘のはじまり「大和橘」は奈良県にあり。現代の人々をも魅了する、いにしえの香りとは
日本の固有種で『万葉集』にも登場する古来の柑橘、「橘」(たちばな)。みかん類やゆずなどが渡来する遥か昔から日本に息づく、“はじまり”の柑橘だ。一時は絶滅寸前だったが、奈良の地で「大和橘(やまとたちばな)」として復活させたのが「なら橘プロジェクト推進協議会」。会長を務める城健治さんに、「大和橘」の歴史や、“永遠に香る”と言われる唯一無二の魅力について語ってもらった。
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03
日本はじまりの書『古事記』と『日本書紀』を紐解けば、奈良県はもっと面白い
奈良時代に編纂された2つの歴史書『古事記』と『日本書紀』。その中で、初代天皇・神武天皇がはじめて都をつくった“日本のはじまりの地”として奈良県は登場する。なぜ日本のはじまりの地を奈良県に選んだのか。國學院大學・渡邉卓准教授に、『古事記』と『日本書紀』に描かれた奈良県の姿を紐解いていただき、書物にゆかりのある実在のスポットも教えてもらった。
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美意識が根付く土地。シトウレイの地元、石川県・加賀エリアのとっておきスポット3選

加賀が誇る、圧倒的センスの聖地〈PHAETON〉

「石川の中でも、いや日本でも、いや世界でも一番美意識が研ぎ澄まされた、加賀が誇るセレクトショップです。オーナーの坂矢悠詞人(さかや よしひと)さんのセンスも知識も幅広く、毎回その知見に圧倒されています。坂矢さんが構想した空間は、建築のしつらえに至るまで徹底されているんです。石や茅葺、光源の取り入れ方、水の使い方......。レベルが違います。その圧倒的なセンスと美意識に触れると、自分の小ささを感じて、謙虚にもっと学んでいこうって気持ちになれるんですよね。
ちなみに、隣接する紅茶専門店〈TEATON〉でいただける紅茶とグルテンフリーのスイーツも美味しいのでぜひ」

Information

PHAETON

2010年、坂矢悠詞人氏が開業。現在は北陸各地に系列店を構え、雑誌『大勉強』も刊行するセレクトショップ。
住所:石川県加賀市伊切町い239|地図
TEL:0761-74-1881
営:11:00〜18:00
休:火(不定休あり)
Instagram:@phaeton_smart_clothes
HP:https://www.phaeton-co.com/

Information

TEATON

〈PHAETON〉に隣接する紅茶専門店。お茶とグルテンフリーのスイーツが楽しめる。店内利用は会員制、テイクアウトは自由に利用可。
住所:石川県加賀市伊切町い239|地図
TEL:0761-75-7535
営:11:00〜18:00
休:火(不定休あり)
Instagram:@t_e_a_t_o_n
HP:https://www.teaton-co.com/

一皿ごとに「美しさ」が宿るイノベーティブレストラン〈SHÓKUDŌ YArn〉

撮影:Bungo Kimura、Autoreserve

「美意識へのこだわりが群を抜いているイノベーティブレストラン。お食事はもちろん、器や空間づくりといった細部にまでこだわりが感じられて、まるで茶席に招かれたかのように、トータルで『美しさ』を鑑賞する時間を楽しめます。

メニューは謎かけというか、ちょっと独特のギャグが挟まれているのも、ご愛敬ということで(笑)。ちなみにシェフは高校の先輩なんです。地元の加賀市ではなく小松市にあるのですが、ぜひ足を延ばしてみてください」

Information

SHÓKUDŌ YArn

シェフ夫妻がイタリア・スペインの星付き店で修業後、2015年に開業したイノベーティブレストラン。
住所:石川県小松市吉竹町1-37-1|地図
TEL:0761-58-1058
営:火〜土(詳細はHPの予約サイトを参照)
休:日・月
*営業日・時間は席種により異なります。
Instagram:@shokudo_yarn
HP:https://shokudo-yarn.com/

建築美と約110万冊の蔵書を楽しむ〈石川県立図書館〉

「こんなに素敵な図書館は全国どこを探してもないと思います。円形の書架やゆるやかなスロープが連なる設計で、建築好きの人にとってはたまらないはず。本好きにとっては、約110万冊もの圧倒的な蔵書があるので歩いているだけでワクワクします。気になる本をいくつか手に取って、好きな場所で読んで…一生ここで過ごしたい(笑)!

でも私がいちばん感動するのは、こういう文化的な施設を県立でつくっているという事実そのものなんです。そこに石川の文化レベルの豊かさを感じます」

Information

石川県立図書館

2022年、旧金沢大学工学部跡地に開館。設計は仙田満氏、蔵書数は北陸最大級を誇る。
住所:石川県金沢市小立野2-43−1|地図
TEL:076-223-9565
営:閲覧エリア9:00〜19:00、文化交流エリア9:00〜21:00 / 土日祝9:00〜18:00
休:月曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始、特別整理期間
HP:https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/

Profile

シトウレイ

シトウレイ/加賀生まれ、東京在住。早稲田大学卒業。日本を代表するストリートスタイルフォトグラファー、ジャーナリスト。『何を着るか、ではなく、どう着るか』をモットーに毎シーズン世界各国のコレクションへと赴く。ランウェイ・オフランウェイ問わず、本人の審美眼に適ったスナップフォトを発信中。YouTube「シトウレイチャンネルNEW!!!」も配信中。
Instagram:@reishito

日本の柑橘のはじまり「大和橘」は奈良県にあり。現代の人々をも魅了する、いにしえの香りとは

大和郡山市で価値を見出された古代の柑橘

「大和橘(やまとたちばな)」の果実

奈良県内の飲食店や土産屋で度々名前を目にする柑橘、「大和橘」。200万年前から存在する日本最古の固有種で、日本に自生する柑橘の原種でもある。ほろ苦くてスパイシーな、唯一無二の香りを放つこの果実が、なぜこれまで広く知られていなかったのか。この香りの魅力を教えてもらうべく「なら橘プロジェクト推進協議会」会長の城(じょう)健治さんを訪ねた。

「なら橘プロジェクト推進協議会」会長の城健治さん
「なら橘プロジェクト推進協議会」会長の城健治さん

かつて銀行員だった城さんが「大和橘」と出合ったのは、地元・奈良県大和郡山(やまとこおりやま)市のお土産品をつくるプロジェクトに参画した時のこと。

「老舗和菓子屋〈本家菊屋〉の二十六代目が『大和橘』という柑橘がある、と教えてくれたんですわ。プロジェクトのメンバーは20名くらいいましたけど、誰も知りませんでしたね」

城さんが調べてみると、「大和橘」は奈良と深い繋がりを持つ果実であることがわかった。 奈良で編纂された『日本書紀』の中では、その香りの強さを「非時香実(ときじくかぐこのみ)」=「永遠に香る果実」と表現している。 入浴が貴重だった平城京の時代、女性たちは実を袖に入れるなどして、香水代わりに愛用していたという。人々を魅了する香りとして親しまれた背景もあり、『万葉集』には72首もの歌に「大和橘」が登場する。また神護景雲(じんごけいうん)2年(768年) に、創建された春日大社に、創建当時からお供えされたのもこの果実。それから1200年以上のあいだ、毎年春日祭では今も変わらず奉納され続けている。

「大和橘」の苗木
「大和橘」の苗木

奈良との深い縁と、その歴史の重みに感銘を受けた城さんは、この実を奈良の地に復活させ、地域資源として活用することを決意した。まずは絶滅の危機に瀕していた「大和橘」の数を増やさなければいけないと、北葛城郡(きたかつらぎぐん)の廣瀬大社から枝を譲り受ける。別の植物の切り口に密着させて結合させて育てる「接(つ)ぎ木」という方法で、未経験から栽培をスタート。2011年、ついに「なら橘プロジェクト推進協議会」が動き出した。

「これは日本のトリュフだよ」人々を惹きつける魅惑の香り

「大和橘」の香りは凛とした佇まいと強さがある。直径3cmほどの実を少しかじると、いつまでも香りの余韻が口の中に残り続ける。香りだけでなく味わいも特徴的で、柑橘らしい酸の中に、苦味とスパイスが混じったような複雑さを持つ。

しかしこの独特な味わいの強さが、地元では受け入れられなかった。城さんは完成した「大和橘」を持って、飲食店を十数軒回るも、「ほろ苦い」「すっぱい」「種が多い」などと評価は散々。「えらいこっちゃ」と焦った城さんは、奈良県の農業試験場に相談し、この個性を生かしてもらうために、県内のミシュランシェフたちのもとへ持っていくことにした。これが「大和橘」の未来を開く大きなきっかけとなる。

「シェフたちは絶賛してくれました。『なんでこんなに反応が違うんや』と思って聞いてみると、日本では好まれないこの“苦味”が、ヨーロッパでは赤ワインの渋味と同じように、美味しさの要素になるんや、と言うんです。『大和橘』は、海外の食文化の視点があるほうが評価されるんや、とわかった瞬間でした」

これを境に風向きが変わる。東京のレストランで採用されたほか、初めて自分たちで手掛けたプロダクト「大和橘こしょう」が食のコンペティションで最優秀賞を獲得。「大和橘」の評判は食の世界を中心に拡散されていった。

さらに「大和橘」の香りのポテンシャルに引き込まれた1人が、2026年6月25日に開業した〈星のや奈良監獄〉をはじめ、星野リゾート全体の総料理長を務める浜田統之(はまだのりゆき)シェフだ。

「大和橘」の葉
「大和橘」の葉にも山椒のようなスパイシーな香りがある。

「浜田シェフは『大和橘』の葉っぱを特に気に入っていて『これは日本のトリュフです』と、言わはりました。ヨーロッパの人は料理を楽しんだ後、残る香りでお酒を飲む。大和橘の葉には、まさにトリュフと同じように、消えずにずっと残り続ける強い香りの魅力がある、とこう言わはるわけです」

そのうちに〈中川政七商店〉や〈奈良醸造〉といった、地元企業とのつながりもできてきた。

「〈中川政七商店〉さんは自社商品に使ってくださるだけでなく、メーカーさんを紹介してくれて、その香りを活かしたシャンプーなどいろいろな製品が生まれました。〈奈良醸造〉の代表・浪岡安則(なみおかやすのり)さんは醸造所を建てる前から畑に来てくれていて、絶対に『大和橘』のビールを造らせてください、と言ってくれていましたね」

大和橘の香りを、もう一度“日本の香り”にしたい

さまざまな業界から高く評価され、声がかかるようになった「大和橘」。今後も生産量は増やしていく予定だが、城さんにはビジネスを大きくしたいという願望よりも、別の夢があるという。

「『日本の香りはなんですか?』と質問されたら、難しくて答えに困りますよね。僕はいつか、この『大和橘』の香りを、“日本の香り”だと言いたいんですわ。『古事記』にも『日本書紀』にも載っているし、神社とのゆかりもある。長い長い歴史を持つ、日本固有の柑橘ですからね」

「なら橘プロジェクト推進協議会」会長の城健治さん
「大和橘」に出会って人生が変わった、と話す城さん。

2026年、78歳になった城さん。夢の景色を見るまで「長生きしなあかん」と笑顔で語る。

「人生の晩年に『大和橘』に出合って、こんなプロジェクトに関われたことを幸せに思います。ちょっと若返った気分です」

世界から奈良へ人々を呼び寄せる、いにしえの柑橘の香り。奈良に来たらぜひ、「大和橘」の香りを体験してほしい。

Information

なら橘プロジェクト推進協議会

準日本固有の最古の柑橘「大和橘(やまとたちばな)」を守り広めるため、2012年より活動する団体。神社・寺院や学校・畑への植樹をはじめ、食品や精油など大和橘を活用した商品開発にも取り組む
HP:https://ytachibana.official.ec/
Instagram:https://www.instagram.com/yamato_tachibana_/

※記事内には一部ご提供いただいた写真を使用しています

かつて海だった場所を、車で走る。能登・国道249号の絶景

海底隆起は4メートル。大迫力のパノラマを車で走行

能登半島の日本海沿いを走る国道249号。Googleマップを見ながら車を走らせると時折、海の上を走行していることがある。もちろん海を走っているわけではない。現在の国道249号は、旧道の補修工事が続く一方、能登半島地震で隆起した新しい陸地に新道が開通しており、車はそこを走っている。

「能登半島地震では、海底が4メートル隆起しました。新しい陸地が生まれたわけですが、これだけの規模で新しい陸地が生まれたのは初めての出来事です」

日本はもちろんのこと、世界でも大規模な地震は起きているが、今回のような海底隆起による陸地の誕生は珍しい。

「能登半島沿岸は、比較的浅い海が続いていたこと、断層が半島の陸地に近い位置だったことから、地震が起きたことで海底が隆起して海面に出てきました。一般的に離水(りすい)と呼ばれる現象です。海底から離れ陸に上がる。つまり水から離れるという意味です。

隆起した部分が積み上がっていくと崖になり、崖には離水層を確認することができます。そして、たびたび隆起することで階段のように隆起が積み重なる海岸段丘と呼ばれる崖が出来上がります。能登半島の断崖絶壁も海岸段丘によるものです。太古の昔にもたびたび同じエリアで離水が起きるほどの規模で地震が繰り返されていたと考えられます」

石川県の面積が拡大。海底隆起は日本の歴史にも記録されている

新道を走行していると、突如現れる断崖絶壁。もともとは海に迫り出していて見えなかった部分を道路上から見上げることができる。聳え立つ崖はどことなく白い。

「海底では岩に生物が付着していて、陸に上がったことで死滅しその残骸が白化します。白いことは、そこが昔海底だったというマーカーになるという研究論文も発表されています」

能登・国道249号線の絶景

国土地理院の公表値では、能登半島地震後の地図更新の結果、石川県の面積が約4.7km²増加した。能登半島地震による海岸隆起が面積増加の要因の一つと考えられている。大昔に同じような現象は起きているのだろうか。

「1923年の関東大震災の後に三浦半島あたりで陸が生まれたという記録や、同じ関東地震で江戸時代に起きた元禄地震では、房総半島付近で6メートルの隆起があったという記録も残っています。また、松尾芭蕉が『奥の細道』で風光明媚な入り江として描いた象潟(きさかた)も、その後の1804年の地震で隆起し、陸地へと姿を変えました。長い歴史の中では、こうしたことは起きたことがある現象です」

海底隆起が生んだ道は2029年春までの期間限定

地震により地盤が隆起する時、そのスピードはどのぐらいなのだろうか。

「国土地理院では連続的に地面の高さをモニタリングできるGNSSというシステムを各地に配置しているのですが、それによると、数十秒のうちに4メートル、ダダダっと隆起したようです」

観測以来初めての現象を前に、地理のプロフェッショナルでも、その現象には驚きを隠せなかったそう。

「隆起を目の当たりにするというのは、正直、大きな驚きでした。貴重な自然現象でもあり、世界中でその場を実際に訪れ見ることができるのも稀です」

その場を車で走ると、自然の壮大さと底知れぬ力を体感できるはずだ。しかし、この光景を見られるのは今のうちかもしれない。国道249号の迂回路は、土砂崩れで通行できなくなったトンネルを避けるため、隆起した海岸線の上に整備された復興ルート。国土交通省は2029年春までの本復旧を目指しており、その後この道を走れるかどうかは未定となっている。

能登・国道249号線の絶景

Information

国道249号(隆起海岸の迂回路区間)


区間:石川県輪島市〜珠洲市(日本海沿岸)
※2029年春までの期間限定ルート(本復旧後の通行可否は未定)

サイクリングで能登ガイド。里山に魅せられた環境コンサルの移住物語

思い描いた自給自足が、能登にあった

大阪府出身で大学院で環境学を修めた小山さんは、仕事で東京や小笠原に住み、生態学や環境学のスペシャリストとして働いた。自然と人の距離が近く、自給自足に近い暮らしを営みたいと移住を模索していた時に出会ったのが、能登島だ。

「たまたま能登島で開催されていた『うれし!たのし!島流し!』という能登島の暮らしを体験するツアーの存在を知り、家族で参加しました。主催者の人と仲良くなったり、島の美しい景色やおいしいご飯にすっかり魅了されてしまいました」

それまで雪深い地域で暮らしたことがなかった小山さんは、冬の能登を再訪してから移住を決断。しかし、具体的な仕事については考えていなかったのだそう。

「僕の場合は、とにかく移住することを一番に考えていたんです。仕事はどうにでもなるんじゃないかと思っていました」

自然豊かな里山里海の能登を選んだのは、専門である環境に関する仕事を念頭に置いていたのだろうか?

「それも全く。むしろ全然違う仕事でいいと思っていました。小笠原に住んでいた時に、ある程度仕事に達成感もあったので。それより、自給自足的な暮らしに興味がありました。能登では、日々の食卓に並ぶものの多くが、この地域で採れたもの。魚や野菜をもらったりすることも多く、思い描いた暮らしを実現しています」

地域おこし協力隊から事業へ。能登島サイクリングツアーが生まれるまで

仕事は後から、と考えた小山さん。最初は、能登島の地域おこし協力隊で観光にまつわる仕事を始め、3年間の任期中に自分の事業を確立することを目指した。

「自分が移住するきっかけになった島流しツアーの運営に回ったり、能登の日本酒をプロデュースしたり。そして能登島の景色がすごくおすすめなのでそれを体験できるものはないかと考えて、島を巡るサイクリングツアーを企画しました。海外の方にすごく楽しんでいただき、事業化につながりました。世界中からお客さんが参加してくれたのですが、特にフランスの方が多かったんです」

能登DMC合同会社マネージャーの小山基さん・五十嵐一晴氏撮影

石川県はフランスとの観光交流が盛んで、現地に石川県の広報担当者が常駐していることから、フランスの旅行代理店とのつながりが生まれた。

「『生態学者が案内するサイクリングツアー』としてパンフレットに掲載されて、参加者も順調に増えていきました。ちょっと大げさなんですけど(笑)」

コロナ禍にインバウンド客が減ったが、仲間と会社を作り外国人客を受け入れる体制を整えた。コロナ禍が落ち着くと客足も徐々に回復していったという。しかしそこで、能登半島地震が起きた。

地震を経てもなお心が動かされる、美しい里山の景色

「地震後にショックを受けたことは、移住のきっかけにもなった里山の風景が変わってしまったこと。山や田んぼの緑に、海と空の青、そして連なった黒瓦のコントラストが本当に美しいと思っていたんです。けれど、黒瓦はその重さのために地震の時に家をつぶしてしまったこともあり、新しく建てられる家には用いられないケースが多いんです。

田んぼがひび割れてしまって水を張れなくなったり、畑も荒地になり、農業を再開する人も少なかったり。美しい景色を見てもらいたくてツアーを組んでいたので、その魅力も伝えづらくなってしまった部分もあります」

それでもなお、能登の自然に魅了されていると小山さん。

「毎朝ランニングをしているのですが、湖のように平らで鏡のような海の向こうに朝日がふわっと昇ってきます。周りを真っ赤に染める朝焼けの美しさは、移住してからずっと変わることがありません」

能登の風景

これからの展望についても聞いた。

「能登は食の自給率がとても高いのですが、仕事と娯楽の自給率は低いと感じています。観光業による事業拡大はもちろんなのですが、地元の大人が遊べる空間やイベントも増やしたい。

これまでもDJイベントを主催したり、『だらぼち音楽祭』を共同代表の一人として立ち上げたり、トレイルランをしてきたので、遊び場の充実にも貢献したいですね。あたたかい人、おいしいご飯、里山里海といった能登の魅力に、さらにカルチャーが加わったら、能登はもっと面白くなっていくと思います」

能登DMC合同会社マネージャーの小山基さん・五十嵐一晴氏撮影

Profile

小山基

こやま・はじめ/大阪府出身。能登DMC合同会社CMO。2015年に移住。能登島サイクリングツアーをはじめ、能登半島の魅力を伝える観光プランを企画運営するほか、震災を経て里海保全の取り組みも行う。

美しいものを見極める感覚は、石川県で育まれた。シトウレイが語る故郷

温泉街で過ごした、放課後の日常

―シトウさんの故郷は、石川県加賀市・山中温泉の近くだそうですね。

「家にもお風呂はあったのですが、学校帰りには友達と総湯(共同浴場)へ行くのが当たり前でした。私が住んでいた頃は、年間1000円で入り放題のカードがあって。学校が終わると一度家に荷物を置いて、友達と温泉へ向かうんです。おばあちゃんたちもいる湯けむりの中で恋愛話をしたり、湯上がりに牛乳を飲んだり。今思えば、本当にぜいたくな放課後でした」

―高校卒業後は東京へ。当時は地元を離れることに迷いはなかったのでしょうか。

「高校生のころは、東京への憧れしかありませんでしたね。早く地元を出たい!という気持ちでいっぱいでした。東京は何を見ても刺激的で、地元を恋しいと思うことはなかった。でも、10年ほど経って帰省するようになると、故郷の見え方が少しずつ変わっていったのを覚えています」

「急須は?」東京で気づいた、お茶の文化

―東京で暮らし始めてから、改めて「地元らしいな」と感じたことはありましたか?

「一番大きかったのは、お茶ですね。実家には急須があるのが当たり前で、時間になったら家族でお茶を飲むんです。和菓子を食べて、おしゃべりをして、またそれぞれの時間に戻る。それがごく普通の日常でした。上京して、友人の家でペットボトルのお茶を出されたときは、思わず『急須は?』と聞きそうになって!家でもペットボトルのお茶を飲むんだ、って驚きました(笑)。私にとってお茶は、誰かと一緒に飲むものだったんです」

―そんなに意外な出来事だったんですね。

「今思い返すと、お茶を飲んでひと息つく文化が、家庭の中にも自然とあったんだと思います。お茶を淹れて、家族で少し話をして、またそれぞれの作業に戻る。あのお茶の時間が、自然と家族で顔を合わせて話す時間になっていたんですよね」

 3歳のシトウさん。カメラ好きの父が撮影したもの。

美意識を育てる、石川という土地

―石川は工芸やアートなど、文化的な土壌が豊かな土地という印象があります。  

「大人になってから、地元にはそうした文化を育んできた環境があったんだと気づきました。帰省すると、美術館やギャラリー、古着屋さんによく足を運びます。〈PHAETON(フェートン)〉のようなセレクトショップもそうですし、お茶や工芸もそう。一つのことを時間をかけて深めていく人が多い土地なんです」  

―そんな石川で育ったからこそ、今になって気づいたことはありますか?

「子どもの頃から『どうせ食べるなら、おいしいものを選びなさい』という感覚がありました。100円だからじゃなくて、150円でもこちらのほうがおいしいなら、そっちを選ぶ。旬のものを食べることも、ごく当たり前でした」 

―食べ物に対する感覚も、小さい頃から育まれていたんですね。

「そうですね。子どもの頃から『あそこのお寿司はおいしい』『こっちはちょっと違うよね』なんて普通に話していました(笑)」 

 金沢駅前にて。帰省のたびに、故郷の豊かさをあらためて感じるという。

―最後に、シトウさんにとって石川とは、どんな場所ですか?  

「一言で言うなら、誇りですね。18歳の頃だったら、きっとそうは言えなかったと思います。でも今は、そこで生まれ育ったことを本当によかったと思っています。昔は早く東京へ行きたくて仕方なかったけれど、帰るたびに『こんなに豊かな場所だったんだ』と感じるんです。私にとって石川は、自分の感覚や価値観を育ててくれた、大切な故郷。仕事でも、月に一度でも帰れるような機会があったらうれしいですね。能登半島地震もあったからこそ、石川のために何かできることがあれば、いつでも力になりたいと思っています」

Profile

シトウレイ

シトウレイ/加賀生まれ、東京在住。早稲田大学卒業。日本を代表するストリートスタイルフォトグラファー、ジャーナリスト。『何を着るか、ではなく、どう着るか』をモットーに毎シーズン世界各国のコレクションへと赴く。ランウェイ・オフランウェイ問わず、本人の審美眼に適ったスナップフォトを発信中。YouTube「シトウレイチャンネルNEW!!!」も配信中。
Instagram:@reishito

輪島塗を支える「塗師屋」という仕事とこれから

総合プロデューサーにして文化人。塗師屋という仕事

田谷昂大さんは、江戸時代から続く塗師屋家業を、2024年に父から引き継いだ。

能登半島地震を経て、輪島塗を取り巻く環境は変わり、田谷さん自身も、能登半島地震後に会社の代表となり、大きな不安を抱えたという。

「この状況下で会社を継続していけるのか不安で仕方がなく、悩みに悩みました。それでも引き継ぎ、やらなければという思いを駆り立てたのは、支えてくれたお客様の声や、会社のメンバー、何より家族がいたからだと思います」

輪島塗を作る職人はもちろんのこと、塗師屋(ぬしや)にとっても地震は大きな変化をもたらした。

田谷漆器店 田谷昂大社長

塗師屋とは、現代に当てはめるとセールスマンであり営業担当であり、時にはマーケティングにも該当する、輪島塗独自の文化として引き継がれてきた役割だ。

江戸時代は、輪島塗を担いで東へ西へと売り歩き、情報の伝達係としても信頼されていた。西へ出向けば、東の情報が聞きたいからと、購入してもらうだけではなく、自宅に招かれもてなしを受ける存在。茶道も華道も嗜み、文化人として慕われていた。

「移動方法は違えど、現代も全国各地へ伺い、時には海外へも出向き、自分自身の見聞も広がりますし、なかなか面白い仕事です。塗師屋は完成したものを売るだけではなくて、お客様の要望を職人に伝える役割もあります。

イメージで語るお客様と、専門的な視点で見ている職人との間に立ち、適切な翻訳をすることが求められます。私も仕事を始めた当初は、うまく伝えられずに苦心したこともあります。適切な橋渡しをするためには、塗師屋に知識と教養が備わっていることが大切です。私もお茶のお稽古を継続していますし、文化的な学びに終わりはないとも感じます」

震災でバラバラになった工房と、それでも回り続ける分業制

輪島塗は、木材から形を掘り起こす木地作りに始まり、成形や磨き、塗りなど、ひとつの製品が完成するまでに100近い工程に及び、工程ごとに職人が異なる分業制で成り立っている。

「木を削る工程といっても、箸を作るのかお椀を作るのかで職人は違いますし、蒔絵と呼ぶ絵付けの技法があるんですが、そこでもモダンな絵をつけるのが得意な人もいれば、古典的な絵が得意な職人もいます。だから何を作るかによって、同じパートでも携わる職人が異なるんです」

関わる人数が多いだけに、震災後の制作状況は混乱したのではないだろうか。

「地震発生後、3〜4か月後には出荷していたんですが、制作の流れは以前とかなり変わりました。それまでは職人全員が工房に出社してきて、ものを広げて次々自分の仕事をしていってました。しかし震災で集まる場がなくなってしまったので、みんなバラバラの場所で自分の仕事をしています。

やはりある程度の広さを確保して作る方が効率がいいのですが、それが叶わない。だから、ありがたいことに受注はいただくのですが、現在も生産が追い付いてない、という状況です」

そこで導入したのが、トレーラーハウス工房だ。

工房のほか、商談を行うショールームや、会議室、倉庫などにも、トレーラーハウスを活用している。

「建築資材の高騰や不足、大工さんが能登半島に来づらい状況など、街全体の復興との兼ね合いもあり、プレハブや仮施設を建設する方が時間がかかりそうでした。トレーラーハウスなら、運んできて設置すればすぐに使えますから、都合が良かった。

ゆくゆくは、本社を新しく建てたいと思いますが、5年10年先の話になると思います。僕らが最終的に建てたい本社には、輪島塗を楽しんでもらえる空間も入れていきたい。輪島塗を作っている様子や、検品や梱包しているシーンもお客様が見学して行けるようにしたいと思っています」

行商から迎商へ。輪島塗が能登に人を呼ぶ

「震災前と後では、輪島塗の捉え方が、私自身一番変わりました。震災を経て思うのは、行商だけではなく能登にお越しいただき購入いただく迎商の重要性、内側を見つめる視点が大切だと感じています。

能登地震の前は、99%石川県外の方がお客様であり、我々は関東、関西、海外と、どこへでも行商に出向いていました。ですが、輪島塗は、僕らの商材であると同時に、能登に観光客を呼び込んでくれるコンテンツだということに気がついたんです。

輪島に来て輪島塗を購入すると、器を使うときに旅先での思い出が蘇り、お客様の食卓をより豊かにすると思います。さらに、輪島に来ていただけたなら、他の産業に対しても貢献できる。人を呼び込む存在としての輪島塗という役目がある。そう強く思うようになりました」

田谷社長は輪島塗をモノ消費からコト消費へと繋げていくことも試みている。田谷漆器店の金沢店では、漆器を販売するだけでなく、輪島塗で食事をいただけるレストランを併設。また、輪島塗のバリエーションも、広がり続けているのが面白いところ。

「輪島塗は洋食とマッチしづらいと思われがちなので、絵柄のないモダンなデザインの製品も揃えています。まずはそこから手に取られる方が多いのですが、使い始めると、だんだんと伝統的な和柄をご要望される方が増えていくんです」

「モダンを入り口にクラシックな魅力まで知っていただけることは、私どもも嬉しい限りです。これからは、輪島塗を入り口に、観光のきっかけとして捉えていただき、多くの方に能登半島へお越しいただきたい。その思いで、これからの輪島塗を盛り上げていきたいと思っています」

Information

田谷昂大

田谷漆器店代表取締役。石川県輪島市生まれ。成城大学卒業後、24歳で田谷漆器店に入社。2024年より現職。レストラン兼ギャラリーのプロデュースをはじめ、バイデン元米大統領に贈られたコーヒーカップや、サッカー日本代表・田中碧選手の2026年W杯着用レガースなど、特別な輪島塗を数多く手掛けている。

Information

田谷漆器店

住:石川県輪島市杉平町蝦夷穴55の6
営:08:30〜17:30
休:土・日・祝

【プレゼントあり】山を越え、海を渡った能登の工芸品。輪島塗と珠洲焼のロマン

塗師屋(ぬしや)という職業が、輪島塗を全国へ広めた

輪島塗は石川県輪島市において発展していった漆器。木から形を作って漆を塗り、装飾を施した華やかな存在だ。江戸時代に大きく発達した漆器産地として広く知られているが、その起源は室町時代にさかのぼるとされ、江戸時代には現在の漆器作りに連なる材料の使用が確認されている。

その工程は細かく分かれ、木地作りに始まり、下地、塗り、沈金や蒔絵といった装飾まで、それぞれに専門の職人が従事する分業制で、ひとつの製品に大勢が関わっているのが特徴だ。

「木地作りだけでも製法により4つの業種に分かれていますし、各分野における工程も複雑かつ多数に分かれ、漆を塗る工程においては下地付け、研ぎ、塗りというように細かな分担を行います。長く分業制が引き継がれることにより、生産性を高めつつ専門性が磨かれてきました」(石川県輪島漆芸美術館学芸員・寺尾藍子さん)

現在、全国的にも高級漆器として知られる輪島塗は、江戸後期から昭和に至るまで、素封家や商家によって晴れの日を彩る食器として買い揃えられていった経緯がある。輪島塗の膳椀を持っていることが家格を表すことにもつながり、酒器や重箱、裁縫箱などの実用品も広く求められた。

「輪島塗が全国へ広がった背景に、塗師屋(ぬしや)という漆器作りを統括し販売を担う役割があったことは大きな意味があります。能登半島の地理的要因も影響し、廻船業の発達に伴い広く漆器が移出されると、塗師屋たちはそれぞれの得意先の地域へ、受注や納品のために旅しました。各地の行商の見聞は、顧客たちにとって貴重な土産になったに違いありません。塗師屋自身も顧客の期待に応えられるよう文化修業に励み教養を身につけました。丈夫かつ美しいという輪島塗の存在以外にも、塗師屋が情報を伝える役目も果たしていたことが、輪島塗が広まった要因だと思います」(寺尾さん)

幻の古陶・珠洲焼。海路で日本を渡り、500年後に蘇る

広域な商圏を誇ったことは、珠洲市一帯を中心に作られていた珠洲焼も同じだ。やはり海を使って日本海を北上、沿岸地域から出土している事実からも販路拡大に能登半島という地理が影響していたことだろう。

珠洲焼資料館に展示される、海から出土した珠洲焼・五十嵐一晴氏撮影
山を越え、海を渡った能登の工芸品。輪島塗と珠洲焼のロマン

珠洲焼は、輪島塗よりも誕生の歴史はかなり古く、1100年代にはすでに作られていたことが出土品から分かっている。しかし一度途絶え、その存在自体が発見されたのは戦後のことだ。

昭和30年代ごろ、珠洲市内のあちこちで窯跡が見つかり、各家庭に眠っていたグレーの大きな壺や甕の正体が調べられた。その結果、かつて珠洲で盛んに作られていた焼き物だったことが判明する。さらに驚くべきことに、新潟や秋田、遠くは北海道でも珠洲焼が出土しており、海路を使って日本海沿岸へと広く販売されていたことが明らかになった。

「珠洲焼は平安時代の末期に奥能登が京都の九条家の荘園となったことで、その荘園経営の産物として生まれました。しかし室町時代に入り公家の力が衰退すると、後ろ盾を失った珠洲焼は時代の変化に適応できないまま途絶えてしまいました」(珠洲焼作家・篠原敬さん)

一度姿を消した珠洲焼だったが、長い時を経て蘇る。珠洲独自の工芸品であると分かったことが、復活のきっかけに。

「復活の背景には、地元郷土史家たちの地道な探究、そして1960〜70年代ころに、若者の間に奥能登を訪れるという秘境観光の流行が重なったことがあります。せっかく来てくれた方に、ここでしか買えない土産物を用意したいという行政の意向もあり、その願いを担うべく珠洲焼陶芸家を目指した1人の若者の熱意によって復活が叶いました」(篠原さん)

珠洲焼たる特徴も「珠洲の土を使い、釉薬を施さず灰黒色と表現されるグレーの色に焼き込むもの」とあらためて定義された。

「色を求めて、陶土に含まれている鉄分が酸化しないよう焼成する技法は時間も燃料も過分に必要とするため、大量生産には向かず、非効率的な焼き物だと言えます。でもそこが希少な存在でもあり、魅力です」(篠原さん)

珠洲焼は珠洲市〈道の駅すずなり〉でも購入できる。


輪島塗と珠洲焼。それぞれ趣は異なるが、能登半島を代表する伝統工芸品として、実際に手に取り、その魅力に触れてみたい。

プレゼントキャンペーン実施中

コロカルのプレゼントキャンペーン

コロカルのInstagramでは、輪島塗ペア箸、珠洲焼ビアジョッキを計10名様プレゼントするキャンペーンを実施中です。詳しくはInstagramの投稿をご確認ください。

応募期間:2026/7/14(火)〜7/27(月)
応募方法:STEP 1:colocal公式Instagramアカウント(@colocal_jp)をフォロー
     STEP 2:投稿に「いいね」をする

Information

石川県輪島漆芸美術館

住所:石川県輪島市水守町四十苅11番地|地図
TEL:0768-22-9788
営:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休:12月29日〜12月31日、展示替え期間
※修繕工事のため臨時休館の可能性あり。ご来館の際は、公式ウェブサイト、SNSをご確認ください

Information

珠洲焼資料館

住所:石川県珠洲市蛸島町1-2-563|地図
TEL:0768-82-6200
能登半島地震の影響により、当面の間臨時休館中

「恩返しをしたい」東日本大震災の経験を、能登の復興に

東日本大震災の記憶が、珠洲への道を開く

伊藤拓海さんは、2025年の秋に珠洲市の地域おこし協力隊に採用され、移住を果たした。移住を考えたきっかけは、災害ボランティアとして珠洲を訪れたことだ。

「珠洲の中でも震源地に近かった大谷町で、ボランティア活動をしていました。その時に親しくなった高齢のご夫婦がいます。一緒に道路の土砂を掃いたり、片付けをしたり、畑仕事を手伝ったりしたのですが、お二人の温かさに私の方が支えられることも多く、ますますこの地で何か活動して行きたいと思うようになりました」

「滞在時に目にした素晴らしい景色や食の魅力に、惹きつけられました」

伊藤さんの出身は福島県白河市。10歳の時に東日本大震災に遭い、生き方に大きな影響を与えた。

「当時、全国から多くの方が支援に来てくださり、色々な面で助けていただきました。被災して、人と人の繋がりや、自然とどう向き合うのか、そういったことを常に考えて生きてきたと思います。高校生まで、県の防災マップ制作に参加したり、被災者を代表して国会議事堂でスピーチをしたり、ずっと自然災害の脅威に向き合ってきました」

災害ボランティアから移住へ

地震と豪雨被害の後、2024年10月に初めて能登へ向かった。東日本大震災を経験している伊藤さんだが、目の前に広がっていた光景は、故郷のそれとは異なるものだったという。

「能登は里山里海と言われるので山と海の距離がとても近いのが特徴。そのため山で崩れた土砂がそのまま海へ流れ込んでいる場所がたくさんありました。

支援の数が圧倒的に少なく、ボランティアもぽつりぽつり。災害の大きさを改めて感じ、無力感に飲み込まれそうになりました。貢献したいなんて、僕にできることなどないのではないかと」

しかしその後も、伊藤さんは定期的に能登へ足を運び続けた。

2025年3月、まず東京から金沢へ拠点を移した。現地へ通いやすくなり、地域の人々と触れ合う機会を増やし、本格的に移住のタイミングを伺う準備期間としたかったからだ。

「東京でブランドコンサルティングの仕事をしていたので、金沢に移り住んだ時から、アートや音楽などさまざまなクリエイターとコラボレーションして被災地の魅力を発信するクリエイティブレーベルの運営を始めました。移住後は、コミュニティの再建や情報発信などを担当する地域おこし協力隊の活動と、二足の草鞋を履いているところ。ゆくゆくは、アートを通した復興に携わりたいと考えています」

被災地支援の形を、アップデートする

伊藤さんが運営するクリエイティブレーベル〈beatfic experiment〉は、NPOではなく法人として活動している。これには、伊藤さんの強い思いが表れている。

「非営利の選択肢は取らないと決めていました。ボランティアに携わる方々のお話を聞いたり、NPOの在り方なども調べたところ、運営側が金銭的な理由で疲弊してしまう例も珍しくありませんでした。災害地へ出向くためには交通費もかかり、炊き出しにも費用がかかります。

だからこそ、資本が循環する形の支援のあり方を模索したいと考えて法人としました。私たちの活動が、もしまた他の地域で大きな災害が起きたときに役立つように、いま珠洲で直面している課題を少しでもいい方向に持っていけるよう、力を注いでいるところです」

珠洲には被災以外にも人口流出など、山積する課題がある。しかし伊藤さんは、珠洲は魅力的で、ポジティブなことに溢れていると明るく語る。

「能登いちばんの魅力は、昔、集落とは皆こういう姿だったのではないか、と思わせる景色が広がっていることです。良い意味で経済的な進化を遂げていなくて、自給自足のような暮らしが根付き、自然と人とのバランスが心地いい。非効率な部分はありますけどそれさえも楽しめる。被災してもなお自然のことを思って生きる人間の強さを感じられる場所は、おそらく世界中で能登だけじゃないでしょうか」

Information

伊藤拓海

いとう・たくみ/福島県出身、〈beatfic experiment〉代表。2025年秋から珠洲に住む。珠洲市地域おこし協力隊として情報発信などの仕事を担当する傍ら、音楽や美術、デザインや料理といったクリエイション活動によって地域復興を支える会社を運営している。
HP:https://www.beatfic.jp/

バイト先から、楽曲制作の原風景まで。眞名子 新が語る3つの神戸

青春時代を過ごしたバイト先〈オールドスパゲティファクトリー 神戸店〉

大学3年間働いたバイト先です。ハーバーランドの煉瓦倉庫内にあるスパゲティ屋さんで、おかわり自由の大きなパンや豪華な内装が有名です。

一時期は週6〜7でシフトに入っていて、毎日パスタを食べていました。いろいろなメニューがありますが、おすすめは「青ネギとキノコのペペロンチーニ」です。学生時代を過ごした思い出の場所なので、神戸に帰ると今でもふと食べたくなります。

Information

オールドスパゲティファクトリー 神戸店

住所:兵庫県神戸市中央区東川崎町1-5-5|地図
営:月〜金 11:00〜15:00(LO14:30)/17:00〜21:00(LO20:30)、土日祝 11:00〜22:00(LO21:00)
TEL:078-360-3911
休:無
Instagram:@old_spaghetti_factory_kobe_

楽曲が生まれた〈須磨海岸〉

夕暮れ時の須磨海岸

音楽を始めた大学生の頃、曲を作るために海を見に行こうと須磨海岸へ向かいました。神戸の中心部から電車で20分ほど、山と海が近くに迫る須磨ならではの景色が広がる場所です。

そこで生まれたのが、1stフルアルバム『野原では海の話を』に収録されている"海の一粒"という曲。ただぼうっと海の向こうを眺めるのってすごくいいですよね。

Information

須磨海岸

住所:兵庫県神戸市須磨区若宮町1-3-1|地図

地元の日々を思い出す〈木幡駅〉

大学生まで暮らしていた地元の最寄り駅です。赤い車体が印象的な神戸電鉄が走り、神戸の中心部・三宮までは約40分。30分に1本ほどの路線で、幼い頃から廃線の噂もありましたが、田舎で暮らす僕たちにとってはなくてはならない存在で、今も変わらず走り続けています。

夏になると、駅の近くの田んぼからカエルの大合唱が聞こえてきます。それくらい自然豊かな場所なんですよね。新開地(神戸の中心部に近いターミナル駅)から木幡駅へ向かう電車に揺られていると、森を抜けたり街を見下ろしたりと、色々な景色が広がります。

僕にとっては、「神戸らしさ」というより、地元で過ごした日々そのものを思い出す場所です。

Information

木幡駅

住所:兵庫県神戸市西区押部谷町木津字居垣内54-2|地図

Profile

眞名子 新

まなこ・あらた/シンガーソングライター。1997年神戸生まれ、神戸育ち。2016年から「神戸のあらた」として活動を開始。ルーツであるフォークやカントリーをベースに、ギターと声というシンプルなスタイルでのフォーキーな楽曲が魅力。2026年6月17日に新アルバム「良くなった動物」をリリース。
Instagram:@manakoarata

蔵にミラーボール、里山に音楽を。能登に新しいサードプレイスを持ち込んだ女将の物語

金沢出身、東京暮らし、そして能登へ。遠回りした末の移住

田村早苗さんは、2023年から能登町で民宿&カルチャースペース〈土とDISCO〉を運営している。築100年はあろうかという蔵付き、山付きの大きな古民家を購入し、宿泊できる2部屋と、地元の人も立ち寄れるカフェ兼ミュージックバー、そして土壁の蔵にミラーボールを設置しクラブも併設している。

能登町
田村さんが好きな自然と音楽から、民宿&カルチャースペース〈土とDISCO〉と命名した。

田村さんは、石川県金沢市の出身。しかし、Uターン移住の意識はないのだそう。

「将来的にゲストハウスをやってみたいと大学時代からぼんやりと考えていました。ただ、それを石川に戻ってやろうという意識はありませんでした。18歳で親元を離れ、東京での暮らしもあったし、バックパッカーとして海外旅行もしていたので、場所はどこでもよかったんです」

会社員生活をしながら資金を貯め、ゲストハウスをやると決心した田村さん。

「他と比較したら一番馴染みがあるから、という理由で石川が候補に。フラットな視点で話を聞こうと思って、東京で開催されていた石川県主催の移住フェアに参加したんです。

たまたま、能登の人が登壇していて、ふと面白いかもしれないって思って。すぐに能登に飛んで、その時に泊まった宿が、前のオーナーが切り盛りしていたこの古民家でした」

「絶対帰らない!」古民家リノベーションの1年半

いろいろな物件を見て回った田村さんだったが、最終的には、能登を訪れた一番最初に泊まった古民家と縁があった。購入できてからは、リノベーションの日々。

「実際に古民家で暮らすと、思っていた以上に大変なこともありました。現在の住宅のような断熱材や調湿材が使われていないので、冬は寒いし夏はジメジメする。とても広いので掃除も大変。

東京に戻ろう、という話が夫婦で出たぐらいだったんですが、私にも意地があって(笑)『絶対帰らない!』と言い張ってなんとか進めてきた感じです。

状況が変化してきたのが、1年半が経過したとき。友達が増えていくなかで、お家開きパーティをやったんです。マルシェも開いてライブもやって、100人近くが来てくれて大盛況。そこから、カフェも開きたいとアクセルを踏めるようになりました」

昼はカフェ、夜はミュージックバーとして営業。宿泊者の食事も提供し、みんなが集える部屋。

そんな矢先に能登半島地震が起こる。

「地震の直後は、もちろんいろいろ考えることもあったのですが、なんというか自分の中のハングリー精神というか『これはもう、能登を面白くしてやるぞ!』という気持ちが湧いてきたんです。ゲストハウスに加えて、カフェなどの飲食店の顔、さらにアーティスト・イン・レジデンスとして国内外のアーティストに泊まってもらい、作品を残すことも始めました。

あとは地元の人も参加しやすいワークショップを開いたり。面白い人たちが集まって交流し、そこから何かが生まれていくという形ができて、今ではすごく充実しています」

蔵の壁は、一部が地震で剥がれるもそのままに、クラブ空間へ。
ミラーボールが回り始めたらボルテージも一気に上がる。

山菜、発酵食、ミラーボール。能登の新しい暮らし方

自分の中にある理想を実現するために奮闘してきた田村さん。リノベーションはまだまだ続いていくというが、これからの〈土とDISCO〉の展望をどのように描いているのだろうか。

「この古民家をここまでケアしてこれたことは、自分でも誇るべきところで自信にもなってきています。これからは、地震を経て能登観光の新しい形が必要だと思っています。能登には新しい面白いことがあるよ、と積極的に伝えていきたい。

また、春は毎日山菜を採りに山にも入りますし、発酵食品の素晴らしい伝統も残っているので、自然と戯れながら暮らしています。こうした里山暮らしは本当に魅力的。

そこに、ミュージックバーやクラブという音楽との接点を作りました。『能登で音楽と言ったら〈土とDISCO〉』と思っていただけるような、そんな場所に育てていきたい。伝統と自然による新しいカルチャーミックスを楽しむために能登を訪れたいという人が増えたら本望です」

Information

田村早苗

たむら・さなえ/石川県金沢市出身、民宿&カルチャースペース〈土とDISCO〉オーナー。2023年に能登に移住。自身が暮らす古民家で、カフェやミュージックバーの営業と宿泊施設を運営する。土壁による大きな蔵はクラブとしてDJブースやミラーボールを設置、定期的にイベントを開催中。
HP:https://tsuchi-disco.com/

【地元の人はここで食べる】ビストロ〈OFF KINOSAKI〉の店主に聞く、兵庫県・城崎温泉で立ち寄りたい2軒

朝風呂のあとに頬張りたい〈PARADI〉の焼き立てペイストリー

城崎温泉の温泉街を歩いていると、バターの甘い香りに誘われる。〈PARADI〉は、〈OFF〉からすぐの場所にあるペイストリーショップだ。

兵庫県夢前町産の無農薬小麦を使ったカンパーニュやライブレッドをはじめ、旬の野菜やチョコレート、スパイスを取り入れたペイストリー、手土産にもぴったりな焼き菓子が並ぶ。

「朝風呂に入って、温泉街を散歩して、〈PARADI〉へ行くのが最高です」と谷垣さん。

朝時間のおともにぜひ味わいたいのが、ブラウンシュガーをたっぷりとまぶしたカルダモンロール。じゅわっと広がるバターのコクに、甘く爽やかなカルダモンの香りが重なり合う逸品だ。

目の前を流れる大谿川(おおたにがわ)の景色を眺められるテラス席もおすすめ。温泉街で過ごす心地よい一日の始まりにもってこいの一軒だ。

撮影:Alexandra Mocanu

Information

PARADI

住所: 兵庫県豊岡市城崎町湯島538|地図
営:9:00〜16:00
休:木曜
Instagram:@paradi_kinosaki

但馬の恵みを握る、城崎温泉の名店〈をり鶴〉

城崎温泉の中心部に店を構える〈をり鶴〉は、1942年の創業以来、三代にわたって暖簾を守り続けてきた老舗寿司店。

ここで味わえるのは、日本海の新鮮な魚介や但馬牛など、但馬の豊かな食の恵み。脂ののった魚にはわさびの清々しい香りを、繊細な白身やイカには塩の旨みを添えるなど、素材に合わせた細やかな仕事が光る。

谷垣さんも「何を食べてもハズレなし。城崎に来たら外せない一軒です」と太鼓判を押す。

温泉で心も体もほぐれたあとに、寿司を心ゆくまで味わう。そんな旅先ならではのぜいたくな時間をかなえてくれる場所だ。

城崎温泉の「をり鶴」の寿司

Information

をり鶴

住所:兵庫県豊岡市城崎町湯島396|地図
電話:0796-32-2203
営:11:00〜13:30、17:00〜21:00(LO 20:00)
休:火曜、第2・4水曜(臨時休業あり)
Instagram:@worizuru.kinosaki

教えてくれた人

Information

谷垣亮太朗

たにがき・りょうたろう/25歳で東京・中目黒にダイニングバー〈谷垣〉をオープン。その後、兵庫県へ拠点を移し〈Tanigaki〉として再スタートする。店舗を双子の 兄に託したのち、自身はダイナー〈WOLF〉を立ち上げる。現在は城崎温泉で〈OFF〉を営み、地域の日常と旅人が交わる場をつくっている。

OFF

住所:兵庫県豊岡市城崎町湯島536|地図
電話:0796-21-9083
営:11:00〜15:00、18:00〜21:00
※夜営業は木、金、土のみ
休:月曜
Instagram:@off.kinosaki

海も山もすぐそこに。シンガーソングライター・眞名子 新の音楽を彩る神戸の風景

“神戸のあらた”から眞名子 新へ

ー最近、地元に帰ることはありますか?

「ライブのときに帰るくらいですね。移動などで慌ただしくて実家にも寄れないので、母にはライブに来てもらって。軽く目配せくらいはします(笑)」

ー地元でライブするのはどんな気分ですか?

「すごくうれしいです。2026年6月も僕が人生で初めてライブをした〈VARIT.〉でワンマンをやりました。大学の4年間はここで毎月のようにライブさせてもらってて。オーナーの南出渉さんは自分の親みたいな存在なので、会うと気恥ずかしい気持ちになりますね」

神戸VARITでライブをする眞名子新さん
撮影:キシノユイ

ー当時のアーティスト名は、“神戸のあらた”だったんですよね?

「そうです(笑)。インパクトがあるし、“神戸の”って付けたら地元の方が応援してくれるんじゃないかと、兄と相談して決めました。結構気に入ってたんですが、上京を機に本名に戻しちゃいました」

海と山に囲まれて育った

ー神戸が恋しくなることってありますか?

「僕はいまも多摩川とか、外に行って曲作りをすることが多いんですけれど、自然が恋しいのかなって思います。大学まで過ごしたのが木幡駅というローカル線の小さな駅で、すごく田舎だったんです。明石川が流れていて、山や田んぼ、ちっちゃい生き物がいっぱいいたり。神戸の街も山と海が近いので、歩いて行けるのがすごい好きでした。そんな場所で育ったので、自然の中にいるのが落ち着くんだと思います」

ー地元での思い出のエピソードはありますか?

「高校生の時、毎日チャリで森を抜けて、20分かけて駅まで通ってたんです。結構アップダウンが多い道だったんですが、電動自転車なのに『筋トレや!』と思ってわざと電源を切って走ったりしていました。サッカー部だったんで(笑)。チャリを漕いでいる途中は歌ったり、歯笛を吹きまくったりしていましたね」

インタビューを受ける眞名子新さん

感性の根源にある地元の記憶

ー楽曲はお兄さんと共同制作なんですよね。

「音楽を始めて数曲作ったところで、作詞に苦戦する時期が続いてて。たまたま兄に相談したら、メロディにバチッと当たる歌詞を書いてくれたので『え、すご』ってなって(笑)。それからずっと一緒に作っています。兄も自分と同じ地元の風景や思い出を共有しているから、呼吸が合うんだろうなと思います」

ーアルバム『野原では海の話を』収録曲「出自」は、まさに木幡駅に帰って感じたことをもとに制作されたというエピソードがありますよね。

「自分のルーツを見て曲を作りたいなと思って、原点に立ち返ったというか。久しぶりに木幡駅に降り立った時は懐かしい気持ちになったし、ここで育っていくなかで見た風景や、聞いていた自然の音が、いま自分たちが『いいな』と思うものの根源にあるんだろうなって感じて、大事にしたいと思いました」

ー6月17日にリリースされたアルバム「良くなった動物」は、どんな雰囲気ですか?

「石崎元弥さんという方にパーカッションやバンジョー、マンドリンでバンドに入っていただいて、自分が表現したかったカントリー的なサウンドに仕上がりました。優しさや温かみをより強く感じていただけると思います。タイトル通り、演奏も歌詞も音も“良くなった”アルバムです」

シンガーソングライターの
眞名子新

ー最後に、眞名子さんにとって“地元”とは?

「誰でもあるものだけど、自分にしかないもの、ですかね。もちろん神戸出身の人は世の中にたくさんいるけれど、それぞれ見ていた景色、過ごした時間、思い出は違う。だから同じ土地でも、一人ひとり違う“地元”というのがあるんだと思います」

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眞名子新さんのプロフィール画像
眞名子 新

まなこ・あらた/シンガーソングライター。1997年神戸生まれ、神戸育ち。2016年から「神戸のあらた」として活動を開始。ルーツであるフォークやカントリーをベースに、ギターと声というシンプルなスタイルでのフォーキーな楽曲が魅力。2026年6月17日に新アルバム「良くなった動物」をリリース。
Instagram:@manakoarata

【地元の人はここで食べる】〈TANE〉店主に聞く、大分県別府エリアでほっとひと息できる3軒

どんな気分の日にも寄りそう、〈喫茶Pirica〉で体にやさしい味わいを

別府駅から徒歩8分、〈喫茶Pirica〉は地元の人から旅行者まで、いつも多くの人でにぎわう人気店だ。

毎朝土鍋で炊いたごはんでつくるおむすび定食にスパイスカレー、季節のパフェにビーガン対応のスイーツまで。どんな気分の日にも応えてくれるラインナップがうれしい。

「土地と人とのつながりと、心地よいおいしさを大切にしたい」という店主の想いから、地元の有機食材やフェアトレードコーヒー、無添加の伝統調味料など素材選びにも妥協がない。

「友達の家にいるようにくつろいでいただけたら」。そう話す店主の河野時人(はると)さんの言葉どおり、ここにはあたたかな時間が流れている。

「優しさに甘えて食べすぎてしまうので、ご注意を」と、〈TANE〉の太田豊茂さん。旅の途中に、心も体もやさしく満たされる一軒だ。

Information

喫茶Pirica

住所:大分県別府市北浜1-14-15 ホテルニューツルタ1F|地図
営:金・土・日 8時〜18時(L.O.17時30分)、月・火・水 10時〜17時(L.O.16時30分)
休:木曜
Instagram:@pirica_kissa

旅のおみやげはここで決まり。豊富な焼き菓子が揃う〈工房あめのちはれ〉

豊後高田市の集落に、小さな焼き菓子店〈工房あめのちはれ〉はある。営業は週3日のみ、それでもおよそ60種類の焼き菓子が棚に並ぶ。

人気No.1の「全粒ポリポリ」や米粉グラノーラ、フルーツロールからチョコサンドまで、そのラインナップは驚くほど豊か。グルテンフリーにビーガン対応、身体にやさしい素材へのこだわりが、棚いっぱいに並んでいる。どれにしようか迷う時間もまた、ここでしか味わえない楽しさだ。

「いつも種類が多くて、選ぶのがとても楽しい。ついついカゴいっぱいに」と太田さん。どんな相手にも喜んでもらえて、贈り物にも重宝しているという。

旅の合間の小休憩に、あるいは誰かへのおみやげを探しに。集落の小さな工房へ、少し遠回りする価値がある。

Information

工房あめのちはれ

住所: 大分県豊後高田市草地1802|地図
電話:090-5211-3297
営:木・金・土 11時〜16時
休:月曜・火曜・水曜・日曜(夏季休業、冬季休業あり)
Instagram:@ame.no_ti.hare

小さな珈琲店〈Cafe 一雨(いちう)〉で静けさに包まれる贅沢時間を

別府駅から徒歩4分の〈Cafe 一雨〉。女性の店主が一人で切り盛りする、小さな珈琲店だ。ここでは朝9時から夜7時まで、学校前の学生も仕事帰りの人も、それぞれのペースでふらりと立ち寄っていく。

「1組1〜2名様、3名様以上はお断りしています」という店主のスタイルが、この空間の静けさを守っている。自家焙煎の豆で淹れるドリップコーヒーやエスプレッソを、誰にも急かされずゆっくりと。おともには、外はさっくり中はホロホロの絶品スコーンもぜひ。

太田さんは「丁寧に淹れたコーヒーに、ホッと救われています」と話す。地元の人たちが日常のひと息に使うこの店は、旅の思い出に浸りながらくつろぐのにちょうどいい。

Information

Cafe一雨

住所:大分県別府市駅前本町6-11|地図
営:9時〜11時、13時〜19時
休:木曜、金曜
Instagram:@cafeichiu.beppu

Information

太田豊茂

おおた・とよしげ/京都府うまれ。オーガニック野菜の卸、パタゴニア勤務を経て、食と環境への関心からインドへ。現地を行き来しながら南インド料理を修業し、2018年に別府に南インドカレー店〈TANE〉を開く。

Information

TANE

住所:大分県別府市駅前本町10-2|地図
電話:080-3950-3457
営:11時〜16時
休:不定休
Instagram:@tane_toyo