「恩返しをしたい」東日本大震災の経験を、能登の復興に

東日本大震災の記憶が、珠洲への道を開く

伊藤拓海さんは、2025年の秋に珠洲市の地域おこし協力隊に採用され、移住を果たした。移住を考えたきっかけは、災害ボランティアとして珠洲を訪れたことだ。

「珠洲の中でも震源地に近かった大谷町で、ボランティア活動をしていました。その時に親しくなった高齢のご夫婦がいます。一緒に道路の土砂を掃いたり、片付けをしたり、畑仕事を手伝ったりしたのですが、お二人の温かさに私の方が支えられることも多く、ますますこの地で何か活動して行きたいと思うようになりました」

「滞在時に目にした素晴らしい景色や食の魅力に、惹きつけられました」

伊藤さんの出身は福島県白河市。10歳の時に東日本大震災に遭い、生き方に大きな影響を与えた。

「当時、全国から多くの方が支援に来てくださり、色々な面で助けていただきました。被災して、人と人の繋がりや、自然とどう向き合うのか、そういったことを常に考えて生きてきたと思います。高校生まで、県の防災マップ制作に参加したり、被災者を代表して国会議事堂でスピーチをしたり、ずっと自然災害の脅威に向き合ってきました」

災害ボランティアから移住へ

地震と豪雨被害の後、2024年10月に初めて能登へ向かった。東日本大震災を経験している伊藤さんだが、目の前に広がっていた光景は、故郷のそれとは異なるものだったという。

「能登は里山里海と言われるので山と海の距離がとても近いのが特徴。そのため山で崩れた土砂がそのまま海へ流れ込んでいる場所がたくさんありました。

支援の数が圧倒的に少なく、ボランティアもぽつりぽつり。災害の大きさを改めて感じ、無力感に飲み込まれそうになりました。貢献したいなんて、僕にできることなどないのではないかと」

しかしその後も、伊藤さんは定期的に能登へ足を運び続けた。

2025年3月、まず東京から金沢へ拠点を移した。現地へ通いやすくなり、地域の人々と触れ合う機会を増やし、本格的に移住のタイミングを伺う準備期間としたかったからだ。

「東京でブランドコンサルティングの仕事をしていたので、金沢に移り住んだ時から、アートや音楽などさまざまなクリエイターとコラボレーションして被災地の魅力を発信するクリエイティブレーベルの運営を始めました。移住後は、コミュニティの再建や情報発信などを担当する地域おこし協力隊の活動と、二足の草鞋を履いているところ。ゆくゆくは、アートを通した復興に携わりたいと考えています」

被災地支援の形を、アップデートする

伊藤さんが運営するクリエイティブレーベル〈beatfic experiment〉は、NPOではなく法人として活動している。これには、伊藤さんの強い思いが表れている。

「非営利の選択肢は取らないと決めていました。ボランティアに携わる方々のお話を聞いたり、NPOの在り方なども調べたところ、運営側が金銭的な理由で疲弊してしまう例も珍しくありませんでした。災害地へ出向くためには交通費もかかり、炊き出しにも費用がかかります。

だからこそ、資本が循環する形の支援のあり方を模索したいと考えて法人としました。私たちの活動が、もしまた他の地域で大きな災害が起きたときに役立つように、いま珠洲で直面している課題を少しでもいい方向に持っていけるよう、力を注いでいるところです」

珠洲には被災以外にも人口流出など、山積する課題がある。しかし伊藤さんは、珠洲は魅力的で、ポジティブなことに溢れていると明るく語る。

「能登いちばんの魅力は、昔、集落とは皆こういう姿だったのではないか、と思わせる景色が広がっていることです。良い意味で経済的な進化を遂げていなくて、自給自足のような暮らしが根付き、自然と人とのバランスが心地いい。非効率な部分はありますけどそれさえも楽しめる。被災してもなお自然のことを思って生きる人間の強さを感じられる場所は、おそらく世界中で能登だけじゃないでしょうか」

Information

伊藤拓海

いとう・たくみ/福島県出身、〈beatfic experiment〉代表。2025年秋から珠洲に住む。珠洲市地域おこし協力隊として情報発信などの仕事を担当する傍ら、音楽や美術、デザインや料理といったクリエイション活動によって地域復興を支える会社を運営している。
HP:https://www.beatfic.jp/

蔵にミラーボール、里山に音楽を。能登に新しいサードプレイスを持ち込んだ女将の物語

金沢出身、東京暮らし、そして能登へ。遠回りした末の移住

田村早苗さんは、2023年から能登町で民宿&カルチャースペース〈土とDISCO〉を運営している。築100年はあろうかという蔵付き、山付きの大きな古民家を購入し、宿泊できる2部屋と、地元の人も立ち寄れるカフェ兼ミュージックバー、そして土壁の蔵にミラーボールを設置しクラブも併設している。

能登町
田村さんが好きな自然と音楽から、民宿&カルチャースペース〈土とDISCO〉と命名した。

田村さんは、石川県金沢市の出身。しかし、Uターン移住の意識はないのだそう。

「将来的にゲストハウスをやってみたいと大学時代からぼんやりと考えていました。ただ、それを石川に戻ってやろうという意識はありませんでした。18歳で親元を離れ、東京での暮らしもあったし、バックパッカーとして海外旅行もしていたので、場所はどこでもよかったんです」

会社員生活をしながら資金を貯め、ゲストハウスをやると決心した田村さん。

「他と比較したら一番馴染みがあるから、という理由で石川が候補に。フラットな視点で話を聞こうと思って、東京で開催されていた石川県主催の移住フェアに参加したんです。

たまたま、能登の人が登壇していて、ふと面白いかもしれないって思って。すぐに能登に飛んで、その時に泊まった宿が、前のオーナーが切り盛りしていたこの古民家でした」

「絶対帰らない!」古民家リノベーションの1年半

いろいろな物件を見て回った田村さんだったが、最終的には、能登を訪れた一番最初に泊まった古民家と縁があった。購入できてからは、リノベーションの日々。

「実際に古民家で暮らすと、思っていた以上に大変なこともありました。現在の住宅のような断熱材や調湿材が使われていないので、冬は寒いし夏はジメジメする。とても広いので掃除も大変。

東京に戻ろう、という話が夫婦で出たぐらいだったんですが、私にも意地があって(笑)『絶対帰らない!』と言い張ってなんとか進めてきた感じです。

状況が変化してきたのが、1年半が経過したとき。友達が増えていくなかで、お家開きパーティをやったんです。マルシェも開いてライブもやって、100人近くが来てくれて大盛況。そこから、カフェも開きたいとアクセルを踏めるようになりました」

昼はカフェ、夜はミュージックバーとして営業。宿泊者の食事も提供し、みんなが集える部屋。

そんな矢先に能登半島地震が起こる。

「地震の直後は、もちろんいろいろ考えることもあったのですが、なんというか自分の中のハングリー精神というか『これはもう、能登を面白くしてやるぞ!』という気持ちが湧いてきたんです。ゲストハウスに加えて、カフェなどの飲食店の顔、さらにアーティスト・イン・レジデンスとして国内外のアーティストに泊まってもらい、作品を残すことも始めました。

あとは地元の人も参加しやすいワークショップを開いたり。面白い人たちが集まって交流し、そこから何かが生まれていくという形ができて、今ではすごく充実しています」

蔵の壁は、一部が地震で剥がれるもそのままに、クラブ空間へ。
ミラーボールが回り始めたらボルテージも一気に上がる。

山菜、発酵食、ミラーボール。能登の新しい暮らし方

自分の中にある理想を実現するために奮闘してきた田村さん。リノベーションはまだまだ続いていくというが、これからの〈土とDISCO〉の展望をどのように描いているのだろうか。

「この古民家をここまでケアしてこれたことは、自分でも誇るべきところで自信にもなってきています。これからは、地震を経て能登観光の新しい形が必要だと思っています。能登には新しい面白いことがあるよ、と積極的に伝えていきたい。

また、春は毎日山菜を採りに山にも入りますし、発酵食品の素晴らしい伝統も残っているので、自然と戯れながら暮らしています。こうした里山暮らしは本当に魅力的。

そこに、ミュージックバーやクラブという音楽との接点を作りました。『能登で音楽と言ったら〈土とDISCO〉』と思っていただけるような、そんな場所に育てていきたい。伝統と自然による新しいカルチャーミックスを楽しむために能登を訪れたいという人が増えたら本望です」

Information

田村早苗

たむら・さなえ/石川県金沢市出身、民宿&カルチャースペース〈土とDISCO〉オーナー。2023年に能登に移住。自身が暮らす古民家で、カフェやミュージックバーの営業と宿泊施設を運営する。土壁による大きな蔵はクラブとしてDJブースやミラーボールを設置、定期的にイベントを開催中。
HP:https://tsuchi-disco.com/

「絶対に無理だと思っていた」。コシノヒロコが兵庫・芦屋での二拠点生活を実現した理由

芦屋への憧れは20代から。自然の中で日本の美を学びたかった

コシノさんは大阪・岸和田出身。一見、芦屋には接点がないように思えるが、実は20代の頃からたびたび足を運び、この街に特別な憧れを抱いていたという。

「親しい友人であり取引先でもあった方が芦屋のハイランドに住んでいたので、友人たちみんなでよく訪ねていました。夏にはバーベキューをして、お庭のプールに飛び込んだりね。

芦屋は自然豊かで季節が感じられるうえに、都会に出るにも時間がかからないですし、洗練されていますから。国内でもレアな土地ですよね。さらに景観ルールが厳しく、かっこいい家ばかりで、誰でも住めるわけじゃない。お金持ちがこぞって住みたがるイメージで、芦屋の暮らしは憧れでした」。

その後、海外のコレクションに参加しはじめるのと時期を同じくして、芦屋に自邸を建てる。

コシノヒロコ
コシノヒロコ

「当時は東京に住んでいましたが、海外で日本人デザイナーとして活動していくなかで、都会だけで暮らしていて日本のよさが本当にわかるのかしら、と考えるようになったんです。

欧米の競合相手には思いつかない、自分ならではのデザインコンセプトをつくりたかった。そのために、芦屋で自然とともに暮らしたいと思いました」。

デザイナーとして、日本の美意識に向き合う必要があると考えたのだ。

「私は、歌舞伎や文楽など和物好きの祖父の影響を受けて日本文化はよくわかっているつもりだったけれど、大阪の街なかで育ったので、自然との直接的な接点はあまりなかったんですよ。でも日本の文化をあらためて学び直すと、衣食住やそのしつらえ、おもてなしに至るまで、自然が反映されているでしょう。

着物だと、模様のテーマは大体、四季の自然にちなんでいる。洋服でも、春になって黒ばっかり着るわけにいかないっていうのが日本の感性だと思うのよ。だから、自然のなかで四季を感じながら暮らしていくのが強みになると考えました」。

思いついたら形にする。「精神的なリッチさ」を大切に

そうして、「20代の頃は絶対に無理だと思っていた」という芦屋暮らしを実現させたコシノさん。背景にはデザイナーであり経営者である彼女の手腕と、バイタリティ溢れる考え方がある。


「芦屋で理想の家を建てるには巨額のお金が必要で、当然ローンを組むので、周囲からも『難しいんじゃないか』という声はありました。でも、なんとかなると思って希望に満ち溢れていたから、不安はなかった。なんとかなるというのは、ただ待ってるだけじゃだめ。考えなきゃいけないよね。

それで思いついたのがライセンスビジネス。洋服だけでなく食器やタオルなど生活に関わるものをデザインして、ライフスタイルと一緒にトータルで提案しました。それから海外でのブランドの売上も高まって、ローンを返し終えることができました。

自分では、世間でいう『お金持ち』 という感覚はないんです。でも、精神的な意味での“リッチさ”は大切にしています。コンサバティブにならずに思いついたアイデアを形にしていくし、そのために持っているお金を使います。そうすることで、結果的にまたお金もついてくるんです」

挑戦的なマインドは芦屋の邸宅の設計を安藤忠雄氏に依頼したことにも表れている。氏はコシノさんと同世代で、同じ大阪出身。二人は若い頃から親交があった。

「当時は安藤さんもまだ今ほど有名ではなかったんです。この家を設計する際にいろいろなアイデアを試し、存分にやりたいことをやって、その後の仕事につなげていきました。住みやすい家ではなかったのだけど、挑戦に満ちていて、デザインの重要性が感じられるようなつくりでしょう。彼が運命を切り開いたきっかけの建築の一つになりました」。

東京で仕事、芦屋でアート。二拠点が創作に幅と奥行きをもたらす

現在は、都内と芦屋の二拠点で生活しているコシノさん。毎週末、芦屋に滞在しては、長唄のお稽古をして、アトリエで絵を描くのが日課だ。デザインと仕事は東京で、アートや趣味は芦屋で、と考えている。

コシノヒロコの芦屋のアトリエ
コシノさんの制作風景。ギャラリーと同じく芦屋にある住まいに併設されているアトリエにて。

「東京はものすごい情報量で、大阪にいた頃より仕事がしやすい。メディアの数も圧倒的に多いのは東京なので、拠点を持っておくのは大切だと思いますね。

でも逆に、東京のようにいろいろな情報が入ってくる場所だと、絵はあまり描けない。芦屋には自然があるので、気分を切り替えられていいですね。落ち着いてから、ここでコンクリートの壁に囲まれて、グレーの世界で想像をたくましくすると、自由な色や形が出てくるんです。

私は大阪で育って、関西のよさを知りながら東京でも仕事をして、パリを始めとする海外にも何度も足を運び、自然豊かな芦屋にも拠点を持った。各地を行き来した経験を活かしてものづくりをしているから、幅や奥行きが出るんです」。

画材
アトリエには、画材や作風の異なるさまざまな作品が並ぶ。

複数拠点を維持し、常に移動する生活に、苦労はないのだろうか。

「お金もかかるし、飛行機で行き来するのはもちろん大変です。特に始めの頃は、時間をつくれないときもありました。でも、自分の家があるとどうにか帰ろうと思うのよね。

そのうち、安藤建築をもっと活かすべきだと考えて、ギャラリーとして一般公開を始めました。芦屋は意外と文化的な催しが少ないから、最近は年に4回ギャラリーでピアノコンサートを開催して、展示作品もよく入れ替えています。

それから、若い頃からもっと絵を描きたいと思っていたけれど場所がなかったので、ギャラリーとは別で、大きなアトリエをつくりました。地方にアトリエを持って東京を中心に発表するというクリエイターは増えているんじゃない?

こちらにはわんちゃんもいるからね。やっぱり毎週帰ってきたいと思いますよ」。

コシノヒロコと愛犬のルビー
新緑輝くお庭で愛犬のルビーちゃんと。

Profile

コシノヒロコ

1937年、大阪府岸和田生まれ。ブランド〈HIROKO KOSHINO〉や数多くのファッションアイテムを手がける一方、アーティストとしての絵画制作活動にも情熱を傾け、2013年には自身の作品発表の場として「KHギャラリー芦屋」をオープン。

今年2026年5月26日からは、半世紀以上のキャリアと多岐にわたる創作活動を同時代的な視点から捉え直す展覧会『(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO』が開催中。コシノが名誉館長となり伝統芸能からサブカルチャーまで、日本の文化を幅広く紹介するYouTubeチャンネル「日本のカルチャーMUSEUM」もスタート。

Instagram:@koshinohiroko_official

Information


『(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO ー新説/真説 コシノヒロコー』

会期:2026年5月26日(火)〜7月26日(日)
会場:東京都現代美術館
住所:東京都江東区三好4丁目1-1|地図

北海道で出会い、兵庫・豊岡へ。UターンとIターンで始めたピーマン農家の生活

夫婦で選んだ、豊岡という土地

能勢明宏さんは、豊岡市のお米農家の出身。20代の頃は、ホテルの和食調理で働いていた。

「京都で住んで働いていた中で、田舎のほうがお米がおいしいな、ということに気がついて。その頃から農業をやりたい気持ちが強まり、当時働いていた飲食店で農業部門への異動を希望しました」。

しばらくして、将来的に地元・豊岡で農家を始めることを見越し、北海道の大規模農家で働き始める。

「実家が農家だったこともあり、大体の作業やトラクターの扱いはわかっていましたが、もっと栽培管理や経営を学びたいと思うようになりました。実際、大規模農家で働くことで小規模農家にも活かせるような効率的な方法を学べましたし、有機農業に取り組んでいる農家だったので、持ち帰れることが多かったと思います」。

そこで旭川市出身の能勢理絵さんと出会い、数年後、二人は夫婦で豊岡に移住した。

「私は、北海道の旭川で生まれ育ち、農業に従事していたわけでもないので、豊岡に移住して農家をやるとは思ってもみませんでした」と妻の理絵さん。

「実際に豊岡に来てまず驚いたのは山の近さでした。瓦屋根の家並みも北海道では見かけないので、少しタイムスリップしたみたいだな、と思ったり。道はカーブが多く、コンビニも少ないなど発見はいろいろありましたが、自然のなかでゆったり子育てできる環境はいいなと感じました」

能勢さん夫妻が農作業する様子
左から、能勢 明宏さん、理絵さん。

農業スクールから始まった、二人三脚のピーマン農家

移住後、新規就農にあたっては豊岡市の支援制度を活用した。

「『農業スクール』という1年間の研修で、お米や野菜の栽培基礎を学びながら、自分に合う作物を少しずつ考えていきました。

そのなかで出会ったのが、地域の農家さんが育てたピーマン。ひと口食べた瞬間、肉厚でジューシーで、それでいて甘みがしっかりあって。他の産地のものとはまったく違うおいしさに驚きました。“おいしい野菜を作りたい”という思いがずっとあったので、このピーマンでやってみようと自然に決まりました。

とはいえ、すぐに形になるわけではなくて。地域の農業法人に相談したり、豊岡農業改良普及センターにアドバイスをもらったりしながら、一つずつ準備を積み重ねていきました。

そうした支えがあったからこそ、不安よりも“やってみよう”という気持ちの方が大きかったように思います」。

能勢さんのピーマンハウス
能勢さんのハウス。現在は二人三脚でピーマンを育て、手が足りないときにはアルバイトとして理絵さんのママ友に手を借りることも。

知らない人に頼らなくていい、豊岡の子育て支援

一方、旭川から豊岡へIターンしてきた理絵さんは、移住当初、豊岡に知り合いが一人もいない状態からのスタート。戸惑いや不安があったという。

「最初はお試しで2年間住める市営住宅に住んでいたので、その間に少しでも知り合いをつくろうと思って、住民のみなさんに声をかけていました(笑)。子育ても、自分の両親に頼れない分、市の支援やママ友とのつながりに助けられながらやってきましたね」。

理絵さんが特に「ありがたかった」と話すのは「豊岡市ファミリーサポートセンター」の仕組みだ。「子育てを応援してほしい人(おねがい会員)」と「応援したい人(まかせて会員)」を市がつなぐ制度で、送迎や一時預かりなどを地域で支え合う。

「近所の方がサポートしてくださるので、知らない人に頼む不安もなくて。移住して間もない頃は心細さもありましたが、こうした仕組みや人とのつながりに支えられて、少しずつ暮らしに慣れていきました」。

明宏さんも、こう続ける。

「こんな山奥ですけど、20分くらいで海にも行けるんです。夫婦でアジ釣りにハマったこともありました。遊ぶスポットも意外と多いですし、京都にもすぐ行ける距離感。とてもいい場所だと思います。妻にも支えてもらいながら、これからもおいしいピーマン作りを続けていきたいです」。

能勢さん夫妻

Profile

能勢明宏、理絵

豊岡市在住。夫・明宏さんは地元豊岡からのUターン、妻・理絵さんは北海道旭川市からのIターンで豊岡へ。市の農業スクールをきっかけにピーマン農家として就農し、現在はハウスで栽培しながら3人の子どもを育てる。

農村から邸宅街へ。芦屋はいかにして「憧れの街」になったのか?文・鈴木淳史

文・鈴木淳史

『家どこですか?』と聞かれて、『芦屋です』と答える。『セレブ!』という反応を飽きるほど浴びてきた。高級住宅地という言葉を飛び越えて、今やセレブなんていう陳腐な言葉で括られる。

母方の祖父母が芦屋に住み始めて約80年。赤ん坊の頃から芦屋には遊びに来ていたらしいが、芦屋へと引っ越したのは5歳。当時の記憶は確かでは無いが、セレブなんて言葉は浸透していない時代で、5歳の幼稚園児は高級住宅地という言葉もピンときていなかったはず。ただ、ひとつ言えるのは昔も今も住みやすいということ。穏やか緩やか、のんびりのどか。だからこそ、セレブ=お金持ちの単なる高級住宅地という着地は、とても居心地悪い。

知ってるつもりで深く知ろうとしなかった芦屋の歴史を、来年で50歳の学年というエエ歳でもあるので、様々な歴史文献を参考にして紐解いてみることにした。ある意味、パンドラの箱を開けちゃう気分。

まずは明治22年(1889年)、打出(うちで)村・芦屋村・三条村・津知(つじ)村という四つの村が合併して精道(せいどう)村が発足したところから話を進めたい。明治時代になっても江戸時代から続く農村漁村風景が広がる場所だったらしく、芦屋市という地名になったのも昭和15年(1940年)。78歳の母親は未だに市役所や税務署や警察署がある阪神芦屋駅付近を精道村と呼ぶ。そんな村がなぜ人気の街へと進化したのか。

住宅開発の大きなきっかけは鉄道。明治7年(1874年)、大阪神戸間に 現在のJR東海道本線である官設(かんせつ)鉄道が開通した。で、大正2年(1913年)、ようやく芦屋駅が開設。明治38年(1905年)には、阪神電鉄が開業して芦屋停留場と打出停留場が開設される。大正9年(1920年)には、現在の阪急電鉄である阪神急行電鉄の神戸線が開通して芦屋川停留場も開設。一方、その頃の大阪は日本一の大都市で工業が発達したものの、大気汚染と水質の悪化に悩まされていた。なので桃源郷のように眩い光の輝きを放つ芦屋地域には、大阪と近距離ということもあり、高島屋創業家・朝日新聞創業者・八馬財閥家といった企業家がこぞって邸宅を構えていく。セレブや高級住宅地という言葉にピンとこない私でも子供の頃から御屋敷という言葉には馴染みがある。いわゆる成金的なお金持ちでは無く、一種の品の良さを感じていた。

開園したころの芦屋遊園地
開園したころの芦屋遊園地。
城山から望む芦屋市街地
城山から望む芦屋市街地。

芦屋に移り住んだ人々の多くは上流階級で、大阪は船場(※心斎橋周辺に広がる江戸時代から続く商業地区)の商人が主体とも言われている。跡継ぎを重視した起業家や商人にとって、子育てに最適な芦屋を住処に選ぶのはごく普通のことだったのかも知れない。また起業家や商人は、国際貿易港として栄える神戸近隣の芦屋に住み始めたことで洋風文化にも触れて、和洋折衷の独自の文化を育んでいく。

その様子を見事に描いたのが、昭和18年(1943年)に発表された谷崎潤一郎【明治19年(1886年)〜昭和40年(1965年)】の小説『細雪』。谷崎自身も芦屋に居を構えていたことがあり、芦屋市には谷崎潤一郎記念館も建てられている。阪急芦屋川駅の駅前にある商店街には、谷崎が懇意にしていた和菓子屋『杵屋』が現在もあり、谷崎公認の和菓子『細雪物語』は芦屋市民にとっては欠かせないお土産品。

余談だが、通学する山手中学校の下校時に生徒たちがコンビニで買い食いをする中、私は杵屋の和菓子で買い食いしていたのも懐かしい話。

ちなみに『細雪』についてもう少し記述するならば、登場人物の四姉妹の末っ子である妙子は、いわゆるモダンガールとして描かれた。流行語的に言うならばモガ。芦屋を含む阪神地域には、「阪神間モダニズム」という言葉もあり、近代的という意味合いも持つモダンは芦屋にとって最重要キーワード。

芦屋には当時のトップクラスの建築家が手がけたモダンな邸宅が建ち並ぶが、その最たるものが、近代建築三大巨匠のひとりフランク・ロイド・ライトが設計した旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館)。しかし、ただモダンな邸宅が建ち並んだわけではない。主に接客に使用される洋の空間と日常生活の場としての和の空間を兼ね備えた和洋館という独特の建築であった。単なる西洋住宅では無く、和の文化にも昇華させた芦屋人たち。

そういや単なる平屋である山手町の我が家も玄関入ってすぐに西洋的な応接間があったが、すぐ横は和の畳部屋であったことも思い出す。そうそう、阪神淡路大震災まで山手町で暮らした私にとって、同じ山手町の坂に佇む旧山邑邸は日常の観慣れた風景でしかなかった。なので、大人になってから調べれば調べるほど立派な建物であったことがわかり、今更ながら感銘を受けている。

他にも旧松山家住宅松濤館(芦屋市立図書館打出分室)・芦屋仏教会館・旧芦屋郵便局電話事務室(芦屋モノリス)・芦屋警察署など、大正時代から昭和時代初期に建てられた歴史的建造物が多数存在する。芦屋警察署は阪神芦屋駅すぐ目の前にあるが、あまりにもモダンで洒落た入り口というか門構えに、初めて観た知り合いは尋常じゃ無く感激する。私には子供の頃から観慣れた風景過ぎるのだが、確かにありふれた警察署の堅苦しい威圧感は全く無い。芦屋ならではの景観に知り合いが感激するのには他にも理由がある。

芦屋は景観を損なわないために屋外の広告物に対して条例があり、映画館・パチンコ・ラブホテルといった派手な娯楽施設も一切無い。コンビニやチェーン店の一部では、本来のショップカラーよりも抑えた店構えも見受けられる。誤解のないように書いておくと、それらは規制されたというより、芦屋のモダンなムードに敬意を払った礼儀正しさや気品に倣っている。

芦屋の歴史で忘れてはならない歴史も書き留めたい。

大正12年(1923年)の関東大震災。震災から逃れようと東京より多くの人々が関西に移ってきたが、その際に環境の良い芦屋も選ばれ、多くの財界人や文化人が邸を構えた。なので東京生まれ江戸っ子の谷崎然り、芦屋には江戸文化も根付いている。谷崎が愛した杵屋も東京で修業した職人であるため、江戸風和菓子である。また鰻屋も、上方は商人が多かったので、腹を割って話すということから腹開きが多い。しかし、芦屋は武士が多かった江戸文化を吸収したことで、切腹を連想させる腹開きでは無く背開きが多い。

大震災でいうと避けて通れない平成7年(1995年)の阪神淡路大震災。上方も江戸も相通じるのは人情。セレブや高級という言葉に捉われがちな芦屋も紛れもない人情の街。三代に渡って芦屋市民を支える上塚耳鼻咽喉科の上塚院長が、高速道路も倒壊した悲惨な状況の芦屋市街を視察に来ていた大阪の救急車を発見して、運転手を説き伏せ、芦屋と大阪の救急奔走ルートを切り拓いた話は、芦屋市民でも知っている人は少ない。どの街も勿論そうだが、芦屋という街も人の情によって間違いなく成り立っている。

芦屋という街は、何故これほどまで財界人や文化人を始め多くの人々を惹きつけるのか。JR芦屋駅前にモンテメール芦屋という昭和55年(1980年)開業の商業施設がある。モンテメールとはフランス語で山と海という意味。私も小学生の時から中学生の時まで在籍した芦屋少年少女合唱団では、こんな歌が歌われている。

『モンテメール 山と海の街 芦屋我が街』

未だに口ずさむ歌。てか、この歌詞に芦屋の全てが詰まっている。明治の農村漁村時代と或る意味変わらず、今も阪神芦屋駅からは芦屋川を繋ぐかの様な山と海を共に眺められる。人はお金を持とうが持たまいが、自然を何処かで欲している。心の安息を求めて芦屋に辿り着くのは如何にも必然ではなかろうか。

そう誰が何と言おうと、芦屋は山と海の街なのだ。

Information

鈴木淳史
鈴木淳史

1978年生まれ。芦屋在住のライター、インタビュアー。ABCラジオ『真夜中のカルチャーBOY』のパーソナリティと構成も担当。
X:@suzudama14

参考文献:『芦屋 あしやを歩く本』(株式会社コミニケ出版)

画像提供:芦屋市

安心できる町でのびのびと暮らしたい。イスラエルから兵庫・豊岡へ、家族5人の移住物語

のどかで、安心できる場所を条件に

「イスラエルは情勢が不安定で。空襲警報が鳴り、シェルターに逃げなあかん毎日。 そんな生活から逃れるために、日本へ引っ越すことを決めました。なので、国内でも特に静かに過ごせそうな場所を探しましたね」。

そう話すのは、歳國真由子さん。一家は、大阪出身の真由子さんとイスラエル出身の夫・ガジット・バラックさん、3人の子どもたちの5人家族だ。

大阪で生まれ育った真由子さんが日本を離れたのは約25年前のこと。フィリピンでバラックさんと出会い、彼の母国であるイスラエルへ移り住んだ。その後はそれぞれの仕事に伴い海外を転々とし、結婚・出産を経て再びイスラエルで暮らすようになる。豊岡への移住は、家族にとって初めての日本での暮らしとなった。

歳国真由子さん、ガジット・バラックさん
左から、夫のバラックさん、妻の真由子さん。

移住先を探すうえで重視したのは、「静かに暮らせること」と「自然災害のリスクが比較的少ないこと」だった。

「都市のほうが災害があったときのインパクトが大きいので、私の出身地である関西を中心に、のどかなエリアをリサーチしていきました」。

もともと豊岡のことはほとんど知らなかったという真由子さん。たまたま大学時代の友人から教わったのをきっかけに候補地にした。

「調べてみると豊岡には豊かな自然があり、ハザードマップを確認しても災害の影響を受けにくそう。都会からほどよく距離があって、子どもたちとのびのび暮らすイメージができたんです」。

海外からでも進められた移住準備

一家が豊岡を選んだ理由の一つに、移住サポートの手厚さがある。

「『豊岡 移住』と検索したら充実したウェブサイトがヒットして。連絡した翌日には市役所の担当者とオンラインでミーティングができました。夫が希望していた空き家物件も、まちのリフォーム会社の方とのコミュニケーションもスムーズ。当時はまだイスラエルに住んでいたにもかかわらず、トントン拍子で移住の準備が進みました」。

豊岡の移住支援は、ポータルサイト「飛んでるローカル豊岡」から確認ができる。実際に移住を経験した市民が案内人を務める移住相談窓口や、移住に関わる下見や空き家の改修、引越しなどにかかる費用を補助する制度の紹介され、一家のような海外からの移住者にとっても心強い仕組みだった。

「関西の別のエリアとも比較しましたが、豊岡ほど受け入れ体制が整っているところはなかなかなかったですね。相談窓口だけでなく、空き家情報や補助制度もわかりやすくまとまっていて。海外に住んでいる状況でも『ここなら移住できそう』と思えたのは大きかったですね」。

毎晩のようにパソコンの前に並び、空き家サイトとハザードマップを見比べながら候補を絞っていった。現在の住まいと出会ったのは豊岡市の空き家サイトで、実際に下見に訪れたのは、あたり一面が雪に覆われた冬の日だった。

「川が流れていて、森が綺麗で、離れのある大きな空き家も気に入りました。冬だったのですが、雪が積もっても家の前にある水路に流すことができ、不動産屋さんも『大事なポイントやよ』と教えてくれて。移住サポートのおかげもあってここで暮らすイメージができ、この場所に決めました」。

自然と人のあたたかさに惹かれて

夫のバラックさんは、お住まいの地域や豊岡の魅力をこう話す。

「すぐ近くの森や川が美しく、夏は竹野エリアのビーチで遊んだり、冬はスキーをしたり、自然や四季とのコネクションを感じられるのがいいですね。ずっと都会で暮らしてきたこともあり、新鮮でありがたい経験として楽しんでいます。

のんびりしているけれど不便はなく、近所の人々もみんなフレンドリーで、温かく迎えてくれました。いつもお裾分けをくれたり、手助けをしてくれたりします」。

畑で野菜収穫する様子
ご近所さんの畑で野菜の収穫をする様子。

生活スタイルの違いも、自然に受け入れてもらえた。

「夫はアメリカ時間で、私はヨーロッパ時間でリモートワークをしているので、朝、子どもたちを学校に送り出したら午前中は一度寝ています。でも近所の人たちは早起きだから、午前中にピンポンを鳴らしてお裾分けをしてくださるんです(笑)。総会があったタイミングで事情を話したら、みなさんすぐに理解してくださって。地域の当番や集まりも『午前中の役割はしなくていいよ』と気を遣ってくれたり、本当にあたたかい方ばかりです。地域のみなさんのやさしさを日々感じながら暮らしています」。

移住前は「田舎ってどうなんだろう」と不安もあったと真由子さんは言う。

「でも豊岡に来て、心配する必要なかったな、と思うくらい満たされています。日本ってどこへ行っても不自由がない。こんなにゆっくりのんびり過ごせる場所が、こんなに近くにあったんだって。毎日何もかもがありがたいと感じています」

歳国真由子さん、ガジット・バラックさん

Profile

歳國 真由子、ガジット・バラック

真由子さんはプロダクトローカリゼーションのフリーランスとして、バラックさんはハイテクスタートアップ企業の管理職として、それぞれリモートで働く。異なるタイムゾーンで仕事をしながら、豊岡で5人の新しい生活を送っている。

温泉地・別府に眠る空き家を、“暮らす宿”へ再生。中長期滞在プロジェクト〈TOJIHAUS〉

温泉と仕事、暮らしが自然につながる滞在

大分県別府市で、空き家を活用した中長期滞在拠点〈TOJIHAUS PROJECT〉が始動した。手がけるのは、全国各地で空き家再生や宿泊事業を展開する株式会社エンジョイワークス。別府市内に点在する空き家をリノベーションし、複数泊を想定した“暮らすように滞在する宿”として再生していく。

日本有数の温泉地として知られる別府市。一方で、市内には1万2000戸を超える空き家が存在し、空き家率は全国平均を上回る約18%にのぼるという(2018年:住宅土地統計調査)。今回のプロジェクトでは、そうした空き家を面的に活用しながら、温泉とともにある日常を体験できる新たな滞在の形を提案する。

〈TOJIHAUS〉の特徴は、単なる宿泊施設ではなく、“暮らしの延長”として滞在できる点にある。対象となる物件は、温泉を引き込んだ住宅、あるいは徒歩圏に共同浴場や温泉施設がある場所を選定。朝に湯へ浸かり、仕事をし、街へ出て、また温泉へ向かう。そんな別府らしい生活リズムを滞在の中に組み込んでいる。

空間設計では、既存建築の素材感を活かしながら、ワークスペースや生活機能を整備。仕事と暮らしをシームレスにつなぐ、“ちょうどいい滞在空間”を目指している。

今後は、地域住民や滞在者が交わる交流拠点「センターハウス(仮)」の整備も予定。別府市が掲げる「新湯治・ウェルネス」の考え方とも連携しながら、空き家活用にとどまらない、新しい滞在文化の創出を目指している。

Information

TOJIHAUS PROJECT

住所:大分県別府市|地図
HP:https://tojihaus.jp/
Instagram:@tojihaus_official

新潟・糸魚川、通年人口2人の集落に泊まる。「一村貸し」という滞在をかなえる宿〈堂道〉

限界集落から生まれた、余白を活かす宿泊のかたち

新潟県糸魚川市の山間にある集落・市野々(いちのの)。かつては多くの人が暮らしていたこの地も、いまでは通年人口わずか2人となった。この地で始まったのが、集落全体を宿として捉える「一村貸し」という新しい滞在のかたちだ。築200年を超える古民家を拠点に、集落そのものに滞在するような体験ができる。

集落・市野々
通年人口2人の集落・市野々。山間に田畑が広がる風景。

風景の中にある暮らしを体感する

滞在中は、地域の案内人とともに集落を歩き、米づくりや雪仕事、味噌づくりやそば打ちなど、この土地の暮らしに触れていく。湧き水を汲み、森を歩き、田畑に広がる風景を眺めることができる。

古民家宿〈堂道〉を拠点に

滞在の拠点となるのは、築200年を超える古民家宿〈堂道〉。かつての屋号を引き継いだこの建物は、囲炉裏のある広間や土間のキッチンなど、雪深い地域の暮らしを感じさせる造りが残されている。過度に手を加えることなく、時間の蓄積をそのまま受け継いだ空間だ。

「地域風景」を未来へつなぐ

取り組みの背景にあるのは、「地域風景」を次世代へつなぐという考え方。暮らしと風景が結びついた景色には、それぞれ理由がある。例えば、道端に咲く菊の花も、田んぼの法面に巣を作るネズミを防ぐための工夫から生まれた風景。その積み重ねが集落を形づくってきた。一村貸しは、その文脈ごと滞在者に手渡す試みでもある。

集落をまるごと宿とすることで見えてくるのは、土地に根ざした時間のあり方。観光とは異なる距離感で、その場所の営みに触れる滞在がここにある。

菊の花
道端に咲く菊の花も、田んぼの法面に巣を作るネズミを防ぐための工夫から生まれた風景。

Information

宿屋〈堂道〉

住所:新潟県糸魚川市市野々792|地図HP:https://den-tou.jpInstagram:@dentou.jp

長崎・東彼杵町の「みせ・ひと・こと・もの」をつなぐローカルメディア「くじらの髭」

東彼杵町の今を伝えるローカルメディア

長崎県東彼杵町の情報を発信するウェブメディア「くじらの髭」。地元の有志で結成された一般社団法人〈東彼杵ひとこともの公社〉が運営し、町の「みせ」「ひと」「こと」「もの」をテーマに、人や店、文化、風景などを取材記事として紹介している。

大村湾に面した東彼杵町は、かつて長崎街道の宿場町として栄えた場所。くじらの髭では、こうした町の背景を踏まえながら、地元で新しく始まった店や取り組み、地域の人々の活動を丁寧に発信している。

〈東彼杵ひとこともの公社〉代表理事の森一峻さん
〈東彼杵ひとこともの公社〉代表理事の森一峻さん。東彼杵町を拠点に地域の文化づくりに取り組む。

海辺や旧米倉庫を活用した地域の拠点

記事の発信だけでなく、地域の空間を活かした拠点づくりにも取り組んでいる。「くじらの髭」は、千綿地区の旧米倉庫を活用した交流施設〈sorrisoriso 千綿第三瀬戸米倉庫〉や、大村湾を望む場所にある地域交流の場〈uminoわ〉などが活動拠点だ。これらの空間ではイベントや食にまつわる企画などが行われ、町の人と訪れる人が自然に交わる機会が生まれている。

商品づくりを通して地域の魅力を発信

メディア運営と並行して、東彼杵町の魅力を伝える商品づくりにも取り組んでいる。町の特産であるそのぎ茶を使った商品や、地域の菓子店と共同開発したお菓子などを販売。地元の素材や文化を活かしたプロダクトを通して、地域の魅力を届けている。オンラインストアではお茶や雑貨などのセレクト商品も展開し、地域の作り手と外の世界をつなぐ役割も担う。

「CHANOKO」の手がけるくじら最中
東彼杵町土産 「CHANOKO」の手がけるくじら最中。

地域の人や文化に光を当てながら、町の価値を再発見していくこと。小さな町の日常や活動を積み重ねて伝えていくことが、地域の新しい魅力の発見にもつながっている。

Information

〈sorrisoriso 千綿第三瀬戸米倉庫〉
一般社団法人東彼杵ひとこともの公社

住所:長崎県東彼杵郡東彼杵町瀬戸郷1303-1|地図TEL:0957-20-1883HP:https://kujiranohige.com/オンラインストア:https://kujiranohige.stores.jp/

泥にまみれ、未来を耕す。棚田を守る女子サッカーチーム「FC越後妻有」

日本の心と技術が編みなす、棚田の風景

日本有数の米どころとして知られる新潟は、全国でも屈指の棚田面積を誇る県。農林水産省が優れた棚田を認定する「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~」では、新潟県から全国最多となる36地区が選ばれている。新潟といえば、米や日本酒。“こめどころ”を支えているのが、この棚田の風景だ。

棚田の風景が美しいのは、山の斜面に田んぼがただ並んでいるからではない。そこには、水を均等に巡らせる精巧な水管理や、整えられた畦(あぜ)や石積みなど、長い年月をかけて培われてきた精緻な農業技術の粋、同時に、畦のラインを整え、周囲の山並みと調和するように田んぼをつくるという、日本人ならではの美意識があるからこそ。また、カエル、メダカ、タガメ、野鳥などの豊かな生態系を支え、さまざまな役割を担っている。山間部の多い日本において、日本人の原風景として、愛される存在でもある。

新潟県にはいくつか美しい棚田があるが、なかでも十日町市を中心とした越後妻有(えちごつまり)エリアにある「星峠の棚田」は、季節によって様々な表情を見せる棚田として有名だ。春は、雪解けとともに水が張られた田んぼが、空を映す「水鏡」となる。夏は青々とした稲が風に揺れ、秋には黄金色の穂が実り、冬は深い雪に包まれる。大小およそ200枚の水田が、まるで魚の鱗のように山の斜面に広がる景観は、四季折々の表情を見せながら、一年を通して里山の美しさを感じさせてくれる場所だ。

しかし今、この絶景は危機に瀕している。

棚田は急峻な地形にあるため大型機械が入りにくく、多くの作業を人の手に頼らざるを得ない。担い手の高齢化も重なり、維持が難しくなった田んぼは、少しずつ耕作放棄地へと姿を変えてしまうことも少なくない。

さらに、人の手が入らなくなると畦や水路は雨や雪解け水によって崩れやすくなる。草木が生い茂り、モグラなどの生き物が土を掘ることで、田んぼを支える土の構造も次第に弱っていく。水を引き、水を貯める仕組みが壊れてしまえば、棚田としての機能は失われてしまうのだ。

一度荒れた田を元に戻すのは、容易ではない。地域の宝であるこの風景を守るため、地域に貢献する若者たちがいる。それが女子サッカーチーム「FC越後妻有」だ。

棚田で働き、地域に生きるサッカー選手たち

左上から時計回りに、元井淳監督、三井愛里沙選手、藤井円香選手、大矢千尋選手、大平友紀子選手、和田美優選手、山下由衣選手。

女子サッカーチーム「FC越後妻有」の母体は、越後妻有エリアで開催される「大地の芸術祭」を運営するNPO法人越後妻有里山協働機構。監督・元井淳さんは、チーム設立の背景をこう話す。

「過疎は、若い女性の都市流出から始まる、と言われています。女性が地域に残らなければ、コミュニティそのものが維持できなくなる。そこで、サッカーを通じて若者を地域に迎え入れて地域課題の担い手になってもらうというアイデアが生まれ、2015年に『大地の芸術祭』から派生したプロジェクトとして立ち上がったと聞いています」

このチームの特徴は、選手たちがNPOの職員として働きながら活動していること。彼女たちの一日は、いわゆる「企業スポーツ」のアスリートとは根本から異なる。

朝は、それぞれの配属先へ。棚田で農業に携わる者もいれば、「大地の芸術祭」の運営サポートやツアーの企画、観光施設や食堂の運営など、業務は多岐にわたる。日中は地域活動にどっぷりと浸かったのち、夕方以降や週末にサッカーの練習や試合に臨む。まさに二足のわらじ、いや五足、六足のわらじとも言える生活だ。

先祖の想いを繋ぐ、棚田の里親制度

彼女たちの活動の柱の一つが、400年以上前から受け継がれてきたこの風景を守るために、棚田を守る仕組みとして生まれた「まつだい棚田バンク」。NPOスタッフや地域の人々、そしてFC越後妻有の選手たちが、耕作を担い、地域外の人々がオーナー(里親)として出資し、保全を支援するという制度である。オーナーには秋に収穫された新米が届けられるほか、田植えや稲刈りを体験するイベントも用意されている。

「平地の効率的な大規模農業と比較すれば、棚田での米作りは合理的とは言えません。機械が入らない場所は手作業になりますし、収益性だけを考えれば割に合わないことばかりです」と元井監督は言う。

それでも彼女たちが田んぼに立ち続けるのは、そこに地域の人々のある思いを感じているから。

「この地域の方々は、決してお金のためだけに棚田を守ってきたのではありません。先祖から受け継いできた大切な土地を、自分の代で絶やしてはいけない。その一念で、過酷な労働を続けてきたんです。活動当初は、外部から来た若者たちが農業を行うことに対して、冷ややかな視線が向けられることもありました。でも、雨の日も風の日も、選手たちが本気で泥にまみれ、額に汗して働く姿を地域住民は見てくれていたのでしょうね。『本気でやってくれている』、そんな認識が広まったとき、地域の人も認めてくれるようになりました」

FC越後妻有の選手たちと地域の人々が、一年間かけて慈しむように育てたコシヒカリは、「大地の米」という名のブランド米として世に送り出される。この地域特有の昼夜の寒暖差と粘土質の土壌が生み出す、豊かな甘みと粘りが特徴のコシヒカリだ。

この米は、選手たちが作品の管理運営を担う〈越後妻有里山現代美術館 MonET〉のミュージアムショップで購入できるほか、〈まつだい「農舞台」フィールドミュージアム〉内の〈越後まつだい里山食堂〉でも味わうことができる。地域の旬の食材をふんだんに使ったおかずとともにいただく一膳は、この土地でしか出会えない贅沢なひとときを届けてくれる。


売り上げの一部は棚田保全の活動資金として再び地域へ還元される。この米を食べ、購入することは、越後妻有の美しい風景を守る循環の輪に加わることでもあるのだ。

里山の暮らしとともにあるサッカークラブ

元井監督は、なでしこリーグなどでの指導経験を経てこのチームに来た。

「FC越後妻有がユニークな活動をしていることは知っていました。ただ監督の話をもらったときは、京都に住んでいたので断ろうと思っていたんです(笑)」

しかし、この地域で見た光景が、その考えを変えたと言う。

「これまでJリーグやなでしこリーグの世界に身を置いてきましたが、そこでは常に『地域貢献活動』という言葉がついて回っていました。でも私は、その言葉にずっと違和感を抱いていたんです。本当に地域の一部として存在していれば、わざわざ『貢献』などと言う必要はないはずですから。越後妻有では選手たちが文字通り地域の中で暮らし、働き、生きている。その姿を見たとき、これこそが自分がやりたいスポーツの姿だと思いました。この活動を絶やしてはいけないと感じ、十日町に来ることを決めたんです」

元井監督は選手たちの「引退後」のキャリアについても、この独自の形態が大きな意味を持つと説く。 

「一般的なスポーツ選手は、企業に所属し会社員として働くことになりますが、企業で任される仕事は、責任の軽い単純作業であることが少なくありません。それでは引退後に社会へ出た際、キャリアとして通用しにくい。一方で、FC越後妻有が担うのは、自分の仕事の先に誰がいるのか、誰を笑顔にしているのかが直接見える仕事です。ただ、うちの選手たちは慣れない作業に涙しながら、泥にまみれて仕事をすることもありますが(笑)。ここで培った力は、サッカーを引退した後の人生において、どんな場所でも通用する武器になるはずです」

軽トラックで集まる、地域のサポーターたち

チームのホームゲームが行われる会場には、独特の光景がある。駐車場に並ぶのは、軽トラック。観客の多くは、地元のおじいちゃん、おばあちゃん。彼らは芸術祭の運営や地域の活動を通して出会った人たちだ。

「試合の日には、地域の人たちがたくさん来てくれますよ。サッカーを見に来たというより、私たちを応援しに来てくれている感じです」

取材中、そんな話をしていると、大平選手が「おじいちゃんたち、呼びましょうか?」と声をかけてくれた。すると、ほどなくしてサポーターの佐藤達夫さんと、佐藤竹二さんが駆けつけてくれた。

左から、サポーターの佐藤達夫さん、佐藤竹二さん。

「選手のみんなに呼ばれたら、どんなときでもすぐに駆けつけますよ」。そう笑う竹二さんは、こう続ける。

「私は、2021年に親の介護のために十日町に戻ってきました。ある日、外から元気な女性たちの声が聞こえるので何だろうと思ったら、彼女たちが練習していたんです。それからFC越後妻有を応援するようになりました。正直、サッカーのルールはよく分からんのですよ(笑)。でも彼女たちは孫のような存在です。近くで練習し、仕事をし、言葉を交わす。彼女たちが一生懸命走っている姿を見ると、自分たちも元気をもらえるんです」

応援の仕方も、この地域ならではだ。

「応援旗やタオル、横断幕などのグッズはもちろん、応援歌まであるんですよ。十日町で退職された学校の先生がギターで演奏してくれて、試合前やハーフタイムにみんなで歌う。サッカーに応援歌という文化はないので、相手チームにはいつも驚かれています(笑)」

チームの目標は北信越リーグ優勝。しかし、それだけがゴールではない。「おじいちゃんおばあちゃんの笑顔を創り出す」というチームのコンセプト通り、「地域の人たちに愛されるチームでありたい」と大矢千尋選手は言う。

「芸術祭や農業を通して地域の人と関わり、『応援したい』と思ってもらえるチームになることが大事だと、選手同士でもよく話しています。活動を続けていく中で、自分たちだけでなく『地域のみんなで一緒に優勝したい』という想いが強くなりました。支えてもらっている分、たくさん恩返ししたいです」 

元井監督も同じ思いだ。

「このクラブでは、選手たちが地域の生活の中に入り込んでいます。地域の人の日常の中に存在している。『家族』『孫のようだ』と言ってもらえる関係は、本来あるべき姿。形だけの地域貢献ではなく、もっと深いところでつながっている。それが『大地の芸術祭』や『棚田バンク』であり、僕たちの活動です」

「棚田バンク」の活動をきっかけにサッカーに興味を持つ人もいれば、サッカーをきっかけに、田植えや稲刈りに協力してくれる地域の人の姿を見ることも少なくない。気づけば、今では彼女たちの存在そのものが、人と人をゆるやかにつなぐ地域のハブのような存在になっていたのだ。

棚田の風景とともに生きるサッカーチーム。越後妻有で始まったこの挑戦は、スポーツと地域の新しい関係を、今日も力強く描き続けている。

Information

FC越後妻有

新潟県十日町市を拠点に活動する女子サッカー実業団チーム。「大地の芸術祭」から派生し、2015年に発足。選手はNPO法人の職員として、棚田の保全作業や芸術祭の運営に携わりながら、農業とサッカー、大地の芸術祭の「三刀流」でトップリーグ昇格を目指す。現在、新規加入選手募集を募集中。興味のある方は、練習参加や就業体験、ご質問など、ご用件をご記載の上、下記メールアドレスまでご連絡を。
メール:fc-echigotsumari@tsumari-artfield.comInstagram: @fc.echigotsumariX:@fcechigotsumari

Information

にいがた棚田ネット

新潟県内の棚田地域では、棚田の保全活動や棚田を舞台としたイベントなど、独自の活動が行われています。興味のある方は、以下のURLをチェック。
HP:https://www.pref.niigata.lg.jp/site/tanadanet/

仕事も人生も、青森で再設計。3人の女性が語るUIターンの選択「青森とわたしのこれから会議」

多様な働き方や女性の活躍が進んでいるいま、ライフイベントや価値観の変化により、暮らしや働き方を見直したいと考えている女性も多いのではないでしょうか。

「都会の生活もいいけれど、地域のあたたかさや地元の安心感が恋しくなってきた」「自然と向き合いながら、自分らしいライフスタイルを築きたい」「家族や親族の近くで暮らす安心感を得たい」といった思いからUIターンを意識する人も少なくありません。

一方で、移住となると仕事探しや収入、暮らしのリアルなど、不安は尽きないもの。そんな悩みを抱える女性に向けた交流イベントが「青森とわたしのこれから会議」。青森県にUIターンした先輩たちの実体験を聞きながら、地元の人と直接話せるこの場は、漠然とした不安を“自分ごと”として整理するきっかけにもなります。

第1回は2025年11月に開催され、こちらの記事でその様子をレポートしました。

第2回は2026年1月24日(土)、東京・赤坂にある〈東北cafe&dining トレジオンポート〉で開催されました。登壇した3名の女性のUIターン物語を紹介します。

転職してUターン。太田真季さんの場合

弘前市にあるウェブコンサルティング会社〈株式会社コンシス〉で働く太田真季さん。五所川原市出身の太田さんは、高校卒業後に弘前大学へ進学。大学時代は地元の経営者など、まちの大人と学生が交流するプロジェクトへ積極的に参加していました。

「実は、現在勤めている会社の代表も、私の大学の先生だったんです。まちの大人たちからの『一度は青森の外に出てみて視野を広げたらいいんじゃない?』というアドバイスや都会へのあこがれもあり、県外での就職を目指すようになりました」

大学卒業後、東京・六本木に本社がある大手人材派遣企業に就職し、営業職として関東のオフィスで働きました。いつかは地元に戻るつもりで、上京してからも移住イベントに参加するなど、自分のペースで情報を集めていたという太田さん。具体的に移住を考えたきっかけを話してくれました。

「あるとき、私の祖父が体調を崩したのですが、すぐ駆けつけられないことにモヤモヤして……。そんななか仙台への異動の打診があり、同じ東北なら青森に戻りたいと思ったんです」

「いまがそのタイミングだ」と考え、24歳のときにUターンを決意。大学時代の恩師である代表とのつながりから、いまの会社に採用に至り、現在はWebサイトの制作や、県内企業のコンサルティング、地域貢献のプロジェクトなどに奔走しています。

かつての同級生と結婚し、昨年は念願のマイホームも完成。充実したUターンライフを送っています。

広々としたマイホームを持てるのも地元青森だからこそ。(写真提供:太田真季)

またUターンしてからは、おすそ分けが多くて食生活が豊かだという太田さん。

「おばあちゃんがりんご農家なので、先日もりんごひと箱と、腕ぐらいの太さのある長芋を5本もらいました(笑)。家の裏に家庭菜園があるので、夏になるとそこで採れるナスやズッキーニ、ジャガイモやネギも大量にもらいますね。採れたての野菜を焼いてバーベキューすると最高です! 野菜や果物がたくさんもらえて、家計はとても助かっています」

太田さんの祖母の家庭菜園。(写真提供:太田真季)
田んぼの中をディーゼル車〈走れメロス号〉が走るのは、五所川原ならではの風景。(写真提供:太田真季)

秋はりんごの収穫時期で手伝いに行くことが多く、普段はパソコンに向かって仕事をしているので、畑に行くだけでデジタルデトックスになるとのこと。

IT企業で働きながら、地元の自然の豊かさを噛みしめている太田さんでした。

起業してUターン。冨岡未希さんの場合

Uターンしてサウナ事業を起業した冨岡未希さん。むつ市出身の冨岡さんですが、父親が転勤族だったため、青森県内での引っ越しを繰り返しました。

「環境が頻繁に変わる体験を通して、子どもながらに『地域によって空気感が違うんだな』とか、『それぞれの場所にいいところがあるな』と感じていました。地方で育つと『何もない』と言う方もいますが、私の場合は転勤族として客観的に地域を見る機会があったため、それぞれの場所に魅力を感じていました」

大学進学を機に上京し、卒業後はホテル業界、航空業界でキャリアを重ねていきました。一方で、責任の重さや多忙な生活から、 心身のバランスを崩してしまった時期も。

「客室乗務員として、お客様に接客することにやりがいを感じていたのですが、訓練部の教官に任命され、人を指導・評価する立場になったとき、その重圧に耐えきれず、心身に不調をきたしました。休職の期間中に青森市にある〈まちなか温泉〉でサウナに出合ったことが、のちの起業につながる大きな転機となりました」

コロナ禍で兼業や地方からの出社も認められるようになり、復職後は、東京を拠点にフライト業務に就きつつ、休日に青森へ戻ってサウナ事業を運営する生活を始めました。

夏には青々とした緑に囲まれながらサウナを楽しめます。(写真提供:冨岡未希)

「4日間フライトし、8日間は青森で過ごすというサイクルで働いていました。ところがコロナ禍が明けてフライトの回数が増え、青森に滞在できる時間が短くなってしまったため『もっと青森にいる時間を増やしたい』と強く思うようになり、航空会社を退職して、青森へ完全にUターンしました」

会社の制度を利用することで、段階的に青森での生活と事業を軌道にのせる“ゆるやかな移住”を実現させた冨岡さん。現在は〈UNITED AOMORI (ユナイテッドアオモリ)〉の屋号で、 軽トラックを改造した移動式サウナ事業を展開中。海や山、雪景色といった青森の自然とサウナをかけ合わせた体験は、 県内外から注目を集めています。

平屋貸し切りサウナ〈ゆな青ベース〉も運営。(写真提供:冨岡未希)
冬のサウナでは雪の中へダイブ!(写真提供:冨岡未希)

「私にとって理想の接客は『田舎のおばあちゃんのあたたかさ』なのですが、そのようなおもてなしが自然に存在する青森の環境に満足しています。青森には、すでにすばらしい資源がたくさんあるので、それをどう生かすかを考えるのが、いまは楽しいですね」

移住当初は不安もありましたが、 人とのつながりが少しずつ広がり、 いまではラジオ番組のパーソナリティとしても活動しています。

ラジオパーソナリティとしても活躍する冨岡さん。(写真提供:冨岡未希)

さまざまな人との出会いを大切にしながら暮らしている様子でした。

Iターンして転職。佐藤宣子さんの場合

最後は、弘前へIターンして、現在は弘前駅にある観光案内所で働く佐藤宣子さんです。

東京都板橋区出身の佐藤さんは、自転車で荷物を届けるメッセンジャーとして働いていました。佐藤さんが初めて弘前を訪れたきっかけは、青森県出身の友人から誘われて参加したサイクルイベント〈ツール・ド・弘前〉でした。

「当時は弘前の読み方すら知らず、恥ずかしながら『ひろまえ』かと思っていました(笑)。岩木山の存在も知りませんでしたが、サイクリング中に見た、リンゴが実る景色と雄大な岩木山の姿に大きな衝撃を受けたんです」

弘前の景色にひと目惚れした佐藤さんは、その後3年ほど弘前に通い続けた末に、Iターン移住を決めました。

「移住して最初に取り組んだのが、りんご農園でのアルバイトでした。“実すぐり”という、中心の実だけを残してほかを摘み取る作業です。勤務地は山奥にあり、当時はまだ車を持っていなかったため、急な上り坂を自転車を押しながら片道11キロ以上かけて通勤していました(笑)」

山奥のりんご畑までの道のりを自転車で!(写真提供:佐藤宣子)

その後、市役所での短期の事務作業や八甲田山荘、アウトドアショップの勤務などを経て現在はJR弘前駅にある観光案内所で働いています。

休日は登山やキャンプなどアウトドアを楽しむ佐藤さん。(写真提供:佐藤宣子)

山登りが好きだという黒石市出身の男性と意気投合し、結婚。休日は登山、スキー、カヤック、自転車、バードウォッチングなど、アウトドア活動をアクティブに楽しんでいるといいます。最近は電車旅の楽しさに目覚め、五能線などを利用して県内各地を巡っているそう。

最近は電車での県内旅行や、まち歩きがお気に入り。(写真提供:佐藤宣子)
まぐろが有名な大間での一枚。(写真提供:佐藤宣子)

「住んでみて合わなかったら戻ればいい」と気楽な気持ちで移住をしたという佐藤さん。10年経ったいまも住み続けていますが、弘前市の魅力とは?

「まち並みの先に岩木山が見える光景は、10年経ったいまも見るたびに感動します。歴史的な建物が過度に観光地化されず、ごく自然にそこにあるのもいい。中心部はコンパクトで、スーパーや病院、コンビニなどが徒歩圏内に揃っていて住みやすい一方で、少し離れれば海や山、温泉といったアウトドアスポットにすぐアクセスできる環境も魅力です」

まち並みの向こうに見える岩木山と夫。(写真提供:佐藤宣子)

まったく縁のなかった弘前ですが、いまでは観光客を案内するまでに。新天地での生活をアクティブに楽しんでいました。

3つのテーマについてのクロストーク

それぞれのUIターンストーリーを聞いたあとは、3つのテーマについてクロストークが繰り広げられました。

テーマ①「移住にあたって、悩んだことや迷い、葛藤はありませんでしたか?」

ファシリテーターを務めたのは、青森市出身のフリーアナウンサー、千葉真由佳さん。

「当時、仕事が好きでやりがいもあったので悩みました。いまとなっては、あのときが最善のタイミングだったと考えています。移住した年に、同級生だった現在の夫と再会し、結婚や新居の購入につながったため、まったく後悔していないです」(太田さん)

「私の場合は、いきなり東京の仕事を辞めて帰ることに不安を感じたので、航空会社での仕事を続けながら青森で起業する2拠点生活を選択しました。辞めるときは周囲から『もったいない』と言われることも多かったですが、自分の意志を優先しましたね」(冨岡さん)

「弘前の景色にひと目惚れした衝撃が強く、東京でのメッセンジャーの仕事をやり切ったという達成感があったため、次のステップへ進むことしか考えていませんでした。家族も『合わなかったら戻ってくればいい』と移住を応援してくれました」(佐藤さん)

テーマ②「移住前の暮らしと、移住後の暮らしを比べてどうですか?」

「以前は埼京線の満員電車で吐きそうになるほどのストレスを感じていましたが、現在は車で15分ほどの距離を、車内でひとりカラオケを楽しみながら快適に通勤しています(笑)。

通勤時間が短縮されたことで余暇が増え、ランニングやマラソンに挑戦したり、自宅の庭で気軽にバーベキューを楽しんだりしています。収入は関東時代より減少しましたが、家にかかるコストや物価が安いため、生活が苦しくなったという感覚はないですね」(太田さん)

家の庭で友人たちとバーベキューするのが夏の定番。(写真提供:太田真季)

「心身の不調を経験した東京時代と比べると、精神的な充足感があります。朝起きてカーテンを開け、八甲田山を眺めたり空気を吸ったりするだけで最高な気持ちになります。東京の刺激を恋しく思うことはなく、未だに回りきれていない青森の自然や温泉を巡ることで、毎日が忙しく充実しています」(冨岡さん)

蓬田村の海水浴場近くでのサウナ。(写真提供:冨岡未希)

「桜の名所、弘前公園の近くという好立地でありながら、破格の安さで暮らせています。目的を持って出かけるだけでなく、近所の公園を散歩するような余白のある時間を贅沢に楽しんでいます」(佐藤さん)

テーマ③「移住する際の準備や情報収集などで役に立ったことは?」

「上京した年から、県などが主催するイベントに継続的に参加していました。 IT業界に特化した移住イベントに参加したことで、同じように移住を考えている同業者のネットワークができ、現在もSNSなどで交流が続いています」(太田さん)

終始なごやかな雰囲気でクロストークが行われました。

「有楽町の〈青森暮らしサポートセンター〉へ通い、パンフレットを読んだりセミナーに参加したりしていました。青森関連のインフルエンサーをフォローするだけでなく、『青森に帰りたい』とSNSで発信し続けたところ、芋づる式に現地の人からリアルな情報が届くように。

県が交通費を助成する先輩起業家を訪ねるツアーに参加し、実際に現地で事業を行っている人々の話を直接聞けたことが役立ちました」(冨岡さん)

「直感を信じながら、仕事の情報や物件情報をひたすらインターネットで調べました。仕事についてはハローワークのサイトなどで情報を収集していました」(佐藤さん)

青森食材満載のランチとスイーツで歓談

3名の登壇者のお話とトークセッションのあとは、ランチとスイーツを食べながらの歓談タイム。会場となった〈東北cafe&dining トレジオンポート〉が、この日のために青森食材を使った特別なランチプレートをつくってくれました。

青森のモチーフをちりばめたランチョンマットに、青森食材を使った「大人のランチプレート」。
会話に花が咲き、会場は笑顔に包まれました。
参加者同士の交流も行われ、あっという間に仲良しに。

参加者は青森県出身者だけでなく、旅行で訪れてから青森が好きになった人も。自身の状況や移住後のことなどを、ゲストに相談していました。

スイーツタイムには、りんごを使ったオリジナルパフェが登場。

ランチとスイーツを楽しみながらの歓談を終えたあとは、未来の自分へ手紙や、アンケートを記入する時間が設けられました。UIターンにかける思いをしたためた手紙は、1か月後くらいを目処に、自宅へ届くというサプライズがあります。

みなさん真剣に手紙をしたためていました。

参加者からは、次のような感想が寄せられました。

「漠然とUターンしたいと考えていましたが、みなさんのお話を聞いてきっかけやタイミングは人それぞれであること、起業や転職などいろんなパターンがあることを知り、イメージが広がりました。明るい未来に希望を持てたので、次のステップが楽しみになりました」

「具体的なUIターンの話を聞いて、地元の良さにあらためて気づきました。イベントに参加したのは初めてだったのですが、勇気を出して一歩踏み出してよかったです」

最後はみんなで記念撮影。

青森へのUIターンに興味を持ったら「あおぐら」へ!

今回のイベントに限らず、青森県へのUIターンに興味を持ったら〈青森暮らしサポートセンター〉、通称「あおぐら」へ。東京交通会館の〈ふるさと回帰支援センター・東京〉内にある、青森県の移住にまつわる総合相談窓口です。青森での仕事や暮らし、各種移住イベントなどの情報を得ることができます。

Information

青森暮らしサポートセンター 

住所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館8F(ふるさと回帰支援センター・東京内)
Web:青森暮らしサポートセンター

11月に開催された第1回イベントについてはこちらの記事で↓

転職、フリーランス、起業。 3人の女性が青森に UIターンした理由とは? 「青森とわたしのこれから会議」

「瀬戸内オリーブ基金」 設立25周年記念式典 「学びの島・豊島から考える 環境教育の未来」

香川県の〈豊島〉に大量の産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」を契機として2000年に設立された「瀬戸内オリーブ基金」。設立25周年を迎え、2025年11月8日に「瀬戸内オリーブ基金設立25周年記念式典」が開催された。連載第四回目となる今回は、これまでの活動を振り返るとともに、事件の学びを未来へつなぐ「環境教育の大切さ」を共有し合った式典の様子を詳しくお伝えする。
(「豊島事件」についてはVol.2、「瀬戸内オリーブ基金」についてはVol.3へ)

設立25周年の節目に、過去と未来を考える式典

設立25周年の節目に、過去と未来を考える式典

会場に集まったのは、今も〈豊島〉で事件を語り継ぐ島民、解決に尽力した弁護団、長年取材を続けてきたメディア、そして「瀬戸内オリーブ基金」の活動を支えてきた企業や団体、個人のサポーターたち。
それぞれ異なる立場で「豊島事件」と向き合ってきた人々が、一堂に会した。

式典のテーマは「学びの島・豊島から考える環境教育の未来」。
事件から得られた教訓を改めて整理し、そこで得た教訓を、環境教育という形にして次の世代へ伝えていくことが示された。会場には、これまでの歩みを分かち合ってきた人々の静かな共感と、新たな仲間を迎えた前向きな空気が漂い、参加者それぞれが〈豊島〉と自分自身の立ち位置を重ね合わせる一日となった。

「100万本の植樹を目指す」発起人・安藤忠雄さんや柳井正さんからのメッセージ

「瀬戸内オリーブ基金」が設立されたのは2000年。発起人となったのが、世界的な建築家・安藤忠雄さんと、「豊島事件」の弁護団長だった弁護士・中坊公平さん。そして2001年4月、安藤さんが「瀬戸内オリーブ基金」への支援を求め手紙をしたためたのが、株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正さんだった。

2001年、豊島を視察する柳井さんと安藤さん

2001年、豊島を視察する柳井さんと安藤さん

安藤さんからの申し出を受けて、柳井さんはすぐに〈豊島〉を訪れ、その年の7月にはユニクロ梅田店に、「瀬戸内オリーブ基金」への支援を募る募金箱を設置した。この募金箱を通じた支援は、累計4億円を超え(2024年12月末時点)、初期の活動の中心であった植樹(オリーブの木を含む)は17万本に達している。
式典では、「瀬戸内オリーブ基金」の設立時から活動に関わってきた株式会社ユニクロのシェルバ英子さんと安藤忠雄建築研究所の十河完也さんが、「瀬戸内オリーブ基金」が設立された経緯や25年の歩みを年表で振り返る場面があった。十河さんは、「安藤は100歳まで現役でがんばる。100万本の植樹を目指すと話している」と、今でも変わらぬ安藤さんの熱い想いを語った。

2001年7月、ユニクロ梅田店に最初の募金箱が設置された時の安藤さん(左)と故・中坊弁護士(右)

2001年7月、ユニクロ梅田店に最初の募金箱が設置された時の安藤さん(左)と故・中坊弁護士(右)

式典では安藤さん、柳井さんからの祝辞をおさめたビデオメッセージが映し出された。「瀬戸内オリーブ基金」の礎を築いた両者からのメッセージは、参加者に設立当初の想いを思い出させ、これからの活動に向けて気持ちを新たにさせる、力強い励ましとなった。

25周年に寄せた安藤忠雄さんのビデオメッセージ

25周年に寄せた安藤忠雄さんのビデオメッセージ

安藤忠雄さんからのメッセージ
「中坊さんと柳井さんの想いがつながって基金ができた。瀬戸内に100万本のオリーブの木を植えたいと宣言をしていますが、今後この思いが子供たちに引き継がれていけば達成できるのではないか。美しい瀬戸内海と人間がともに生きてきたことを残していきたい」

株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長、柳井正さんからのビデオレター

株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長、柳井正さんからのビデオレター

柳井正さんからのメッセージ
「うちがやるなら他の企業に負けないように、我々の活動としてやろうと思った。だから全店舗に募金箱を設置することにした。今後もオリーブ基金に意義ある活動をしていってもらいたい」

「瀬戸内オリーブ基金」にとっての大きな一歩。現・元香川県知事からのメッセージ

「瀬戸内オリーブ基金」理事長の岩城裕さんが、香川県知事の池田豊人さんと、元・香川県知事の真鍋武紀さんから届いた祝辞を代読した。

「豊島事件」において、香川県は長い間「行政に非はない」という立場を崩さず、住民・弁護団とは厳しく対立した。香川県が謝罪をするまでに要した歳月は四半世紀。その歴史を思えば、現職と元職、二人の知事から祝辞が届いたことは、過去を乗り越えて新たな時代へと基金が進む象徴的な出来事と言える。岩城さんが発した「両名から祝辞をいただけたことは、基金にとって大きな一歩であります」という一言には、これまでの長い道のりへの思いが込められていた。

香川県知事 池田豊人さん

香川県知事 池田豊人さん
「瀬戸内海の環境を未来へつなぐ皆様方のたゆみない活動に対し、感謝申し上げます。瀬戸内海そしてそこに浮かぶ島々は香川の財産であり世界の財産です。瀬戸内オリーブ基金がこれからも、人と自然の共生を育てる灯りとして希望の種をまき続けてくださることを願っています。香川県も瀬戸内の美しい自然を守り、持続可能な地域づくりを進めてまいります。」

真鍋元香川県知事の祝辞を読み上げる岩城理事長

真鍋元香川県知事の祝辞を読み上げる岩城理事長

元・香川県知事 真鍋武紀さん
「この基金は、歴史と伝統文化を有し風光明媚な瀬戸内海を子孫に継承していくためその環境保全と再生に取り組む活動に助成するとともに、環境教育活動を熱心に実践してきた結果、多くの人々の環境意識の向上と瀬戸内海の緑化と再生に多くの成果を上げてきました。関係者の皆様の熱意とたゆまぬ努力に敬意を表します。」

豊島事件を語り継ぐ。解決に尽力した専門家とメディアが果たした役割

ゲストによる特別講演では、「豊島事件」を教訓とした未来への課題が提示された。

これまで国内外で行ってきた公害や化学物質による環境汚染調査について紹介する熊本学園大学教授・中地重晴さん

これまで国内外で行ってきた公害や化学物質による環境汚染調査について紹介する熊本学園大学教授・中地重晴さん

一人目の登壇者は熊本学園大学教授の中地重晴さん。日本における公害や化学物質による環境汚染の歴史と現状を分析してきたスペシャリストであり、住民側に立つ研究者として「豊島事件」の最終解決にも尽力した。1994年から事件に関わり、2017年廃棄物の撤去が完了した後も、まだ残る地下水汚染の浄化を見守り続けてきた。2025年には地域医療・福祉分野で優れた功績を挙げた人物を表彰する「若月賞」を受賞している。
「この先重要なのは、『豊島事件』の教訓を生かした環境教育と、住民が問題を理解して積極的に活動していくこと。オリーブ基金の活動を通して、島外からも力を合わせて努力を続ける必要がある」と、未来への展望を語った。

当時を振り返りながら、熱のこもった講演をする元「豊島事件」弁護団副団長の大川真郎さん

当時を振り返りながら、熱のこもった講演をする元「豊島事件」弁護団副団長の大川真郎さん

続いて「豊島事件」弁護団の元副団長の大川真郎さんが登壇。2025年6月に上梓した書籍『よみがえる美しい島 産廃不法投棄とたたかった豊島の五〇年』の出版記念講演でもある。
1993年に公害調停に立ち上がってから、最初はどのメディアにも取り上げられず悲惨な状況だったこと。誰もが香川県には勝てないと思っていた時に、弁護団長・中坊さんが「本当に最後まで闘うのか」と住民に覚悟を問い、それに応えた一人ひとりの決意が固い結束を生んだこと。そしてその揺るぎない団結が世論を動かし、勝利を勝ち取った軌跡を熱弁した。

〈豊島〉産業廃棄物不法投棄跡地にある「豊島のこころ資料館」。廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さんは、訪れた人々に事件を語り継いでいる

〈豊島〉産業廃棄物不法投棄跡地にある「豊島のこころ資料館」。廃棄物対策豊島住民会議の事務局長・安岐正三さんは、訪れた人々に事件を語り継いでいる

「国が動き、法律も変わった。大量消費、大量廃棄を変えようと、国民の考え方も変わった。これは〈豊島〉住民が主体的に取り組んだことの結晶なんです。今後、豊島を環境学習の“学びの島”にしていくため一番大事なことは、できるだけ多くの人に〈豊島〉に来てもらい、事件のことを知ってもらうこと。これを続けるために、『瀬戸内オリーブ基金』の活動が絶対に必要です」と、力のこもった大川さんの言葉に、目頭が熱くなる参加者の姿も見られた。

また、大川さんの講演の中でも強調されたのが、メディアの力だ。新聞を始めとするメディアが「豊島事件」を取り上げ始めたことで、世の中が事件の存在に気づき、〈豊島〉の外からも行く末を見守る人々が出てきた。そのことがやがて世論を変え、事件を解決に導いた。会場で配布されたパンフレットの巻末には、16名の記者たちが寄稿した「メディアが見た豊島事件」という文集が綴じられている。

山陽新聞の編集委員・影山美幸さん。高松支局の記者として「豊島事件」を追い続けた

山陽新聞社総務局局次長・影山美幸さん。高松支局の記者として「豊島事件」を追い続けた

そのメディアの一人が、山陽新聞社総務局局次長・影山美幸さん。1998年〜2000年まで、高松支局の記者として「豊島事件」を追い続けた人物で、2000年6月の調停成立の時にもコラムを書いた。式典で配られた「25周年記念冊子」に寄稿したコラムの中で、影山さんは「豊島が教えてくれたこと」と題し、こんなことを綴っている。

“人間は弱く、国も自治体も間違える。法律も完全ではない。間違ったら改め、過ちから学ばなければならない。自分が出したごみの行方に思いをはせることができる人は、未来を考えることができる。(中略)私利私欲でなく、次世代のためにと立ち上がり、行動した豊島の人たちのことを伝え続けたいと思う。”
(「25周年記念冊子」巻末付録「メディアが見た豊島事件」より)

広がる環境教育の輪。4つのサポーター企業が実践中の取り組みを語る

「瀬戸内オリーブ基金」はこれまで多くの法人サポーターに支えられてきた。

「地域と社会が育む、環境教育のこれから〜企業・教育機関とともに描く協働のかたち〜」と題した、トークセッションでは、「瀬戸内オリーブ基金」を支援する法人サポーター企業の代表や、助成を受けて環境教育を実践する団体が集まり、それぞれの立場で感じている“環境教育の重要性”を語り合った。

トークセッションの様子。左から、ファシリテーターとして登壇したシェルバ英子さん(株式会社ユニクロ)、池内正晴さん(学校法人聖パウロ学園)、本宮炎さん(NPO法人三段峡-太田川流域研究会)、村石百香さん(株式会社大創産業)、岡田恵治さん(株式会社ファーストリテイリング)

トークセッションの様子。左から、ファシリテーターとして登壇したシェルバ英子さん(株式会社ユニクロ)、池内正晴さん(学校法人聖パウロ学園)、本宮炎さん(NPO法人三段峡-太田川流域研究会)、村石百香さん(株式会社大創産業)、岡田恵治さん(株式会社ファーストリテイリング)

登壇したのは、村石百香さん(株式会社大創産業)、池内正晴さん(学校法人聖パウロ学園)、岡田恵治さん(株式会社ファーストリテイリング)の法人サポーター3名と、「瀬戸内オリーブ基金」の助成先団体から本宮炎さん(NPO法人三段峡-太田川流域研究会)、ファシリテーターとして、「瀬戸内オリーブ基金」運営委員のシェルバ英子さん(株式会社ユニクロ)。

学校法人聖パウロ学園は、2018年から「瀬戸内オリーブ基金」の法人サポーターとして支援していたが、近年は、生徒たちに向けた環境教育に力を注いでいる。中学1年生が実際に〈豊島〉を訪れ、産廃跡地の見学や海岸清掃に参加したり、2025年からは同じく法人サポーターである東レ株式会社と共に、同社の滋賀工場でグループワークを行うなど、新たな取組みも始まった。池内さんは〈豊島〉での実習について、「教科書やインターネットではなく、現場を見ることで生徒たちが受けるインパクトは大きい。ショックが大きいぶん『自分たちになにができるかな?』と、生徒たちが自分事として考えることができるようになっているのを感じます」

実際に現場を訪れることの重要性は、株式会社ファーストリテイリングの岡田さんも感じていた。
ユニクロとGUでは全国の店舗に「瀬戸内オリーブ基金」の募金箱を設置している。募金のゆくえを正しく理解する場として、従業員による〈豊島〉でのボランティア活動を毎年実施している。「自分の言葉でお客様に取り組みを伝えられることが重要で、そのために現場体験は大切だと考えています」と岡田さんは話す。

2024年から「瀬戸内オリーブ基金」の法人サポーターとなった株式会社大創産業でも、社員とその家族が一緒に〈豊島〉を訪問し、オリーブ収穫などのボランティアを行うなどの活動を実施。企業として環境学習に取り組む意義について、村石さんは、このように話した。「私が期待しているのは、環境学習を通して得た気づきが、社員一人一人の具体的なアクションに繋がっていくことです。ひとりの従業員が意識し始めれば、それが他の社員やお客様にも伝播していくのではないかと思います。社会貢献をしている素敵なNPO法人を支援していることを伝えていくことで、社員が自社のことを誇りに持ってくれることへも繋がると思っています」

「瀬戸内オリーブ基金」の助成を受けるNPO法人三段峡は、フィールドでの環境学習プログラムを運営しながら、植林された森を自伐林業を通じて持続可能な天然林に変えていく「渓畔林再生プロジェクト」に取り組む。本宮さんは、環境学習のバトンを未来へ繋いでいく“次世代”の人材を育成している人物だ。「次の世代が環境に関する学びを人々へ伝えられる、伝道師的な人材を育てていきたい。そのためオリーブ基金さんの支援は現場の力になる」と話し、環境教育を続けるには、社会全体の力が必要不可欠であることを訴えた。

それぞれの活動実例を語る登壇者たち

それぞれの活動実例を語る登壇者たち

環境教育を継続していくにあたり、「瀬戸内オリーブ基金」が掲げたのは次の3つのキーワード。
1. 「豊島事件」の教訓を伝え続ける
2. 地球の未来を考えられる人を育てる
3. with fun

自然を壊すのは簡単だが、再生させるのは難しい。だからこそ、地球の未来に想像力を持って行動できる、次世代の指針となるような人を育てていきたい。そして、その学びを停滞させず続けていくためには「楽しさ(fun)」の要素も必要だ。

ファシリテーターを務めていたシェルバさんは「『豊島事件』は環境教育だけではなく、平和教育にも繋がる。世界に目を向けるきっかけをオリーブ基金が提供したい。助成先の活動のことももっと知ってもらえるようにする」と、今後の展望を語り、セッションを締めくくった。

「豊島事件」と向き合ってきた人たちの想いや歩みを、これからの未来へ受け継いでいくこと。そして、目の前の自然の尊さを知り、自分が出したごみの行方にまで思いを巡らせること。環境を守る大切さを自分の問題として伝えられる人を育てること。
環境教育は、豊かな地球を守るために、世代から世代へと手渡されていく、終わりのないバトンリレーのようなものだ。

このリレーを支えているのが、活動を資金面で支える法人サポーター、教育の現場で学びを広げる学校法人、そして、その支援を受けて実際に環境保全に取り組む助成団体。
「瀬戸内オリーブ基金」を中心に、次の世代へとバトンをつなぐ、前向きな循環が生まれている。

「瀬戸内オリーブ基金」の未来。次の25年に掲げる3つの目標と新しい取り組み

〈豊島〉には継続的にボランティアスタッフを派遣。10月には個人/法人サポーターが参加できるオリーブ収穫祭も行われた

〈豊島〉には継続的にボランティアスタッフを派遣。10月には個人/法人サポーターが参加できるオリーブ収穫祭も行われた

式典の最後には「瀬戸内オリーブ基金」の未来について語られた。次の25年に向けて、すでに新しい企画も動き出しているという。

「豊島事件」の歩みを記録する書籍の出版
「豊島事件」の弁護団および住民運動の30年の歩みを記録した書籍の制作。2024年の春から取り組んでおり、完成に近づいている。2026年度の出版に向け、現在まとめ作業を進めている。

法人サポーターとの新たな協働

写真提供:株式会社大創産業

写真提供:株式会社大創産業

法人サポーターである、株式会社大創産業が運営するStandard Products では、〈豊島〉で収穫されたオリーブを使ったスキンケアシリーズを2025年11月にリリースした。身近なプロダクトを通して、「瀬戸内オリーブ基金」や〈豊島〉の存在を周知していく狙いだ。

新しいロゴマークの誕生

新しいロゴマーク

式典のフィナーレでは、新しいロゴマークがお披露目された。「平和と知恵」という花言葉のあるオリーブと、瀬戸内海の自然の豊かさを示すスナメリがデザインされており、株式会社ファーストリテイリングより無償提供された。

また今後は、①日本で一番応援したくなる環境NPOになる、②日本で一番ユーザーフレンドリーな助成団体になる、③日本で一番働きやすい環境NPOになる、という3つの目標を掲げ、これまで以上に活動の透明性と、発信活動に注力していくと岩城さんは話す。PayPayで募金活動が可能になり、より多くの人々が活動を支援することもできるようになった。

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

瀬戸内の自然がこれからも引き継がれていくように、そして同じような悲劇が二度と起こらないように。〈豊島〉での植樹活動やストーリーテリングはもちろん、教訓を生かした環境教育にもさらなる力を注いでいかなくてはいけない。「瀬戸内オリーブ基金」はすでに新たな一歩を踏み出している。

2026年の現在、世界的なSDGsへの意識の高まり、気候変動への危機感など、日本における環境リテラシーは高まりつつある。
しかし、そうした流れの背後には、豊島事件の経験が静かに息づいている。島民が声を上げ、弁護団の支えを受けながら闘い、日本の法律や社会の仕組みを変え、大量消費・大量廃棄のあり方を見直すきっかけをつくった。
「瀬戸内オリーブ基金」が取り組む環境教育は、「豊島事件」の教訓を一人一人の心に届けるとともに、決して途絶えさせてはいけないものなのだ。

「瀬戸内オリーブ基金」が守る瀬戸内海の自然という鏡に、自分自身の日常を映してみる。
目の前の景色は美しいだろうか。自分の行動が、この景色を壊していないだろうか。

個人の意識の一つ一つはやがてあの瀬戸内海に、そして地球全体の環境へと広がり、時を超えて未来へ繋がるはずだ。「瀬戸内オリーブ基金」の25年の歩みを知り、自分も新たな一歩を踏み出せたようだった。

※記事内の写真の一部は、取材先より提供していただきました。

information

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

「豊島事件」を教訓に 次世代へ美しいふるさとを託す

香川県の〈豊島〉に大量の産業廃棄物が不法投棄された「豊島事件」。この事件を教訓とすべく、「瀬戸内オリーブ基金」は今新たな試みを開始した。連載第3回となる今回は、「瀬戸内オリーブ基金」の25年にわたる歩みを振り返り、現在取り組んでいる活動とこれからの展望について話を伺った。
(「豊島事件」についてはVol.2の記事へ)

島民の想いと希望をオリーブに込めて

【瀬戸内海が持つ環境的・文化的・歴史的価値を見直し、植樹活動によって破壊された自然を回復し、「美しいふるさと」瀬戸内海を次の世代に引き継ぐ】

この目的を実現させるために「瀬戸内オリーブ基金」が、設立されたのは2000年11月のこと。

「安藤さん、豊島のゴミを処理するだけではダメだ。かつての緑豊かな島に戻さなければならない」

「豊島事件」公害調停を闘った弁護士・中坊公平さんが以前から付き合いのあった建築家・安藤忠雄さんにこう声がけをした。安藤さんは、阪神・淡路大震災の復興への取り組み『ひょうごグリーンネットワーク』という被災地の緑化活動を続けており、植樹についてのノウハウを持っている、うってつけの人物でもあった。中坊さんは、〈豊島〉の問題を〈豊島〉のみととらえず、日本の「環境破壊を見ないふりして成立してきた社会」の負の象徴であると位置づけ、瀬戸内の自然を取り戻すことこそが、日本の、そして世界の人々の環境に対する意識を変えるきっかけになると考えた。

第1回の記念植樹式の様子(提供:廃棄物対策豊島住民会議)

第1回の記念植樹式の様子(提供:廃棄物対策豊島住民会議)

2000年11月15日、〈豊島〉で開催された第1回の記念植樹式では、中坊さんと安藤さんが豊島の小中学生とともに、オリーブの苗木1000本を植樹。「瀬戸内オリーブ基金」は、瀬戸内の里山・里海を守る活動を支援し、100万本の木を植える目標を掲げる。現在は、ユニクロをはじめ、様々な企業や個人が支援をしている。

「排出事業者が廃棄物を委託する際の責任の明確化と、不法投棄の未然防止を目的に実施される『マニフェスト制度』の導入により、不法投棄が社会的に非難される行為として認識されるようになったのは、『豊島事件』が社会に与えた大きな影響です」と語るのは、弁護団の一人として豊島事件の公害調停に関わり、現在は、同基金の理事長をつとめる岩城裕さん。その一方で、豊島住民たちの粘り強い闘いが一部で「住民エゴ」と批判されることもあったそう。しかし、想像してみてほしい。もし豊島住民たちの小さな、そして長い闘いがなかったならば、現代も、効率と利益を最優先する経済原理に基づいた、ゴミが大量に廃棄される社会のままだったかもしれないことを。

「我々『瀬戸内オリーブ基金』のビジョンは、人と自然が共存する持続可能な社会を目指すことです」

現在、「瀬戸内オリーブ基金」は、4つのプログラムを軸に活動をしている。

オリーブの樹と豊かな自然の象徴、スナメリをモチーフにした「瀬戸内オリーブ基金」のスタッフユニフォーム

オリーブの樹と豊かな自然の象徴、スナメリをモチーフにした「瀬戸内オリーブ基金」のスタッフユニフォーム

1. 【助成プログラム】
「瀬戸内オリーブ基金」の理念に賛同する、法人・個人サポーターからの寄付金を元に、瀬戸内海エリアの環境保全と再生に取り組む団体に、原資となる資金を助成。瀬戸内海エリアの環境保全と再生を目指す。
現在までに3億円以上の資金助成を行ってきた。豊かな環境を日本のふるさととして次世代に引き継ぐことを目的に、瀬戸内の山・森・川・海や、そこに生きる生きものを守る活動に加え、未来を担う世代が環境について学び、考える機会をつくる取り組みを支援している。

2. 【ゆたかなふるさと100年プロジェクト】
廃棄物の不法投棄によって荒廃した〈豊島〉の処分地の植生を、本来の豊かさを取り戻すことを目指し、自然の営みに寄り添いながら、その回復の過程を手助けする取り組み。「瀬戸内オリーブ基金」の運営委員でもある岡山大学院環境生命自然科学研究科・嶋一徹教授のサポートのもと活動している。
今もなお、処分地には地下水問題が残るため、香川県が管理をし、モニタリングを続けている。将来的に豊島住民の手に戻った後、どのような手助けが有効かを検証しながら、処分地周辺の同じような環境で植生を回復させるための実証実験兼事業を行っている。
ちなみに豊島の中で、植生が破壊された面積は285,000平方メートル、現在までの植生回復活動の実績は3,980平方メートルである。

3. 【ゆたかな海プロジェクト】
「瀬戸内オリーブ基金」では2009年度から、海洋プラごみ問題の解決に取り組んできた。近年では、楽しみながら環境問題に向き合えるように、チーム対抗のゴミ拾い競技「スポGOMI」を開催するなど、企業ボランティアとともに豊島でも海洋清掃に取り組んでいる。2024年からは、瀬戸内海の食物連鎖の頂点にいるスナメリをテーマとした環境学習会も行っている。

4. 【豊島事件語り継ぎプロジェクト】
近年特に力を入れているプロジェクト。事件の経緯や背景を伝える〈豊島のこころ資料館〉の整備をはじめ、「豊島事件」の教訓をアーカイブ化し、残す取り組みを進めてきた。2019年からは「豊島事件」の語り継ぎを取り入れた環境教育も開始。小学生から大人まで幅広い世代を対象に「豊島事件」の学びを伝えている。長い闘争の歴史を語れる人たちが高齢化している課題もあり、世代を問わず多くの方に事件を知ってもらうためにYouTube動画作成などを通じて資料保存と活用にも力を注いでいる。ちなみにこれらの動画は岩城理事長が脚本を書いたそうだ。

豊かな島の自然景観の原状回復、その現場へ

今回、コロカルチームは〈豊島〉を訪れ、実際に「瀬戸内オリーブ基金」の活動を見せていただいた。
「ゆたかなふるさと100年プロジェクト」では、住民や学生、法人など多くのボランティアらとともに、処分地背後の尾根(南側)で植生回復事業を行う。この場所を〈ゆたかなふるさと再生の森〉と命名し、元の植生を再現した見本園の整備や、地元の小中学生との植樹活動などを通じ、攪乱された処分地の再生を一歩ずつ進めている。

1970年代にガラス原料の珪砂を採取するため表土が全面的に除去されたが、産業廃棄物は投入されなかった場所。自然植生を回復させる活動を行う嶋教授は右から4人目

1970年代にガラス原料の珪砂を採取するため表土が全面的に除去されたが、産業廃棄物は投入されなかった場所。自然植生を回復させる活動を行う嶋教授は右から4人目

「自然を取り戻す方法はいくつかあると思います。例えば東京の夢の島。あそこはかつて、ゴミ捨て場でしたが今は立派な公園ですよね。それも緑が戻っていると言えると思います。しかし豊島の住民が考えているのは、新しく緑を造成するのではなく、元通りの自然に戻してほしいということ」と、嶋教授。

40年近く放置されてきた土地は一見すると緑が生い茂って豊かな自然に回復されたように見えるが、住民は「元通りの自然ではない」と言う。それは一体、何が違うのか。
「調査してみたら、植物の多様性が非常に乏しいのです。表土が残された、もしくは堆積した場所では樹木が生育しているけれど、処分地やその周辺のように表土がほとんど残っていない場所は、いつまでも雑草が繁茂して遷移が全く進んでいません。このまま100年、200年放置したら、元通りに戻るかもしれないけれど、私たちが『少しだけ手を加える』介入をすることで、遷移の流れに沿って植生の回復が少し早く進むようにしているのです」

実施中の取り組みの中で最も労力のかかる作業の一つは、やっと土地に侵入できた小さい実生を残しつつ、林床に日差しが届くように、繁茂した雑草を人手で除去する作業。これを3年程度続けると、雑草の生育が少しおさまってくるそうだ。それと同時に、元来の植生が良好に回復している場所の表土を移植し、その表土に含まれる種が発芽出来るように環境を整える。こうした作業の繰り返しによって、多種多様な植生が早く定着できるようにしていく。

「全部芽が出なくてもいいです。たまたま芽が出た植物のうち、その立地環境に合ったものが残ってくれたらいいんです。ゆくゆくは風や鳥などの動物によって運ばれた種子が自然に発芽し、定着できる環境整備を行っています」

あくまで人が自然を造成するのではなく、「手助け」することで自然の回復力を活かして植生を元に戻すのだ。地道な作業の繰り返しだが、それを支えてくれる企業のボランティアにも支えられ、その規模は毎年少しずつ拡大している。

壊すのは一瞬、取り戻すには100年以上。「豊島事件」は、一度破壊された自然を回復させるには途方もない時間と多くの労力がかかることを教えてくれている。

再生を目指す土地の実生の生残率・樹高成長・種の多様性などをモニタリングし分析する

再生を目指す土地の実生の生残率・樹高成長・種の多様性などをモニタリングし分析する

「瀬戸内オリーブ基金」を支えるサポーターが楽しめる体験も

「瀬戸内オリーブ基金」は、理念に賛同し、「私たちに何かできることはないか」と声をかけてくれた多くの個人や企業・団体の存在に支えられている。彼らが「サポーター」となり、年会費などによる寄付やボランティアで活動を支える。法人サポーターの企業の中には、環境教育の一環として豊島でのボランティアへ参加し、現地で体験してきたことを社員間で発表するなど、学びの共有が行われている。その結果、社会貢献活動への意識が向上しているという。

2025年10月24日には、サポーター向けの『オリーブ収穫祭』が開催された。

オリーブ収穫祭でオリーブの実を摘む参加者。環境教育の一環として参加者を募るサポート企業も多い

オリーブ収穫祭でオリーブの実を摘む参加者。環境教育の一環として参加者を募るサポート企業も多い

〈豊島〉で栽培しているのは、2000年以降、全国から集まった寄付金によって植えられたオリーブ。成長にあわせた間伐などを経て、現在は約600本が大切に管理されている。このオリーブ収穫体験とともに、〈豊島のこころ資料館〉、かつての不法投棄の現場、そして〈ゆたかなふるさと再生の森〉を見学した。

収穫されたオリーブは24時間以内に島内の小さな搾油場で搾られ、エキストラバージンオリーブオイルや、そのオイルを使った石鹸や美容オイルとして商品化し、主に島内のお土産店や美術館で販売。売り上げは瀬戸内エリアの自然を守る活動に使われている。

収穫されたオリーブは24時間以内に島内の小さな搾油場で搾られ、エキストラバージンオリーブオイルや、そのオイルを使った石鹸や美容オイルとして商品化し、主に島内のお土産店や美術館で販売。売り上げは瀬戸内エリアの自然を守る活動に使われている。

参加したサポーターは、「オリーブの実を丁寧に摘み取る作業はとても楽しかったです。『豊島事件』への学びを深め、自然と人の共生や環境保護の大切さ、そして『瀬戸内オリーブ基金』の活動の一端を間近に感じることができました。一部の社員だけでなく、家族や友人にも〈豊島〉に行ってほしい」と、語った。

活動を支える次世代の力

「瀬戸内オリーブ基金」の事務局メンバー。左から松澤千穂さん、清水萌さん、塩川ゆうりさん

「瀬戸内オリーブ基金」の事務局メンバー。左から松澤千穂さん、清水萌さん、塩川ゆうりさん

「瀬戸内オリーブ基金」設立から25年、これまで様々な人材がこの活動に関わってきた。そして、現在、事務局の中心となるのは「3人娘」と、地元の人からも愛されている3名の女性。それぞれがそれぞれの想いやきっかけを持ち、そしてライフステージに合わせた持続可能なスタイルで、「瀬戸内オリーブ基金」の活動を支えている。

塩川ゆうりさんは、自然の中で働きたいと仕事を探している時に「瀬戸内オリーブ基金」と出会った。3年間〈豊島〉に住んだのち、現在は結婚して埼玉に移り、リモートで事務局の仕事をしつつ、定期的に〈豊島〉に通っている。
清水萌さんは父親が弁護団の一員(清水善朗弁護士)だったこともあり、幼い頃から〈豊島〉を訪れていたが、当時は事件について深く知ることはなかったという。改めて「豊島事件」について学び、子どもの頃に可愛がってくれていた島の人たちが、ふるさとを取り戻すために闘っていた事実を知ったことが、活動に関わるきっかけとなった。今は結婚し、子育てをしながら週に1、2回、岡山から船で〈豊島〉まで通っている。
そして、3名の中で一番新しいメンバー、石川県出身の松澤千穂さん。昔から夢だった自然や環境保全に関わる仕事がしたい、島で暮らしてみたいと思い立ち、2025年1月に〈豊島〉へ移住。現在、3名の事務局の中では唯一の島暮らしとなる。

様々な経歴ののち「瀬戸内オリーブ基金」に関わることになった皆さんを惹きつける、この仕事のやりがいは何なのか。
「『豊島事件』を遠くで起きた事として終わらせてほしくなくて、自分にも起こりうることだと知ってもらいたいんです。島外の子どもたちが〈豊島〉に学習に来て、その思いが伝わった時に、やっていて良かったなと思います」と塩川さん。

オリーブ収穫祭で参加者へオリーブオイルができるまでの工程を説明する塩川さん。オリーブの維持管理には地元の方との密なコミュニケーションが欠かせない

オリーブ収穫祭で参加者へオリーブオイルができるまでの工程を説明する塩川さん。オリーブの維持管理には地元の方との密なコミュニケーションが欠かせない

また、島の人たちとの関わりも活動の原動力だと3人は話す。
小さい島だからこそ、都会とは違った親密な人間関係を築くことができ、困り事は親身になってくれるし、農作物をいただくなど、交流もよくある。しかし、彼女らが生活を共にしている島民は、「豊島事件」で傷ついた人、戦った人たちだということを忘れてはならない。世間を騒がせた事件であることから様々な批判も受け、それでも一生懸命島を守った人たちなのだ。ふとした会話の中で、その葛藤の歴史を口にした島の方が涙を流す場面もあるという。だからこそ、常に誠実なコミュニケーションを心がけ、「私たちに何ができるか、何が求められているか」を模索している。

「応援してくださる島のみなさんのために、『豊島事件』を風化させたくない。今後、この学びを活かせるよう、次世代へ教訓として伝えていきたい」
と、3名は声を揃える。しかし現実には、豊島事件に当事者として関わってきた方々の高齢化も進み、どうこの教訓を伝えていくか試行錯誤を重ねている。島の中で様々な意見もある。「教訓を伝える」と言っても、当事者の語りを遺したり、当時の資料の収集・劣化対策の作業に加え、環境教育としての学びを体系化する取り組みも同時進行し、これまで以上に多くの協力者の支えが必要だと感じているという。

「活動への理解が深まり、応援してくださる方が一人でも増えるよう、支え合う仲間たちとこれからも頑張っていきたい」
島民の心に寄り添う若い力が大きな推進力となり、瀬戸内海の豊かな自然を未来へつなぐ活動は今日も、そしてこれからも続いていく。

支援の形は、個人でも法人でも、オンラインから自分に合ったタイミングで選ぶことが可能だ。 瀬戸内海の自然を次世代へつなぐために。あなたに合った方法で、この活動を支えてみてはいかがだろうか。
「瀬戸内オリーブ基金」の支援はこちらから
https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

香川県の豊島

information

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瀬戸内オリーブ基金

所在地:香川県小豆郡土庄町豊島家浦3837-4

Web:https://www.olive-foundation.org/

Instagram:https://www.instagram.com/olive_foundation/

瀬戸内オリーブ基金を支援する:https://congrant.com/project/olivefoundation/20593

ゼロから未来をつくっていく。富岡町で動き出した若きプレイヤーたち

福島県の海沿い約100kmに及ぶ地域は「浜通り」と呼ばれていて、そのちょうど真ん中あたりにあるのが双葉郡富岡町。太平洋に面しているので気候は穏やかで、夏には気持ちのいい浜風が吹き、冬は晴れる日も多い。全町避難を経験した東日本大震災からまもなく15年。一度は静まり返ったこの町で、新しい未来を作ろうと奮闘する若い世代が増えている。
どんな人たちがいて、どんなプロジェクトが動き出しているのか。今回は富岡町出身で、現在は南相馬市を拠点に観光業を立ち上げた日下あすかさんにコンタクト。彼女のガイドで、富岡町のかっこいいプレイヤーたちに会いに行った。

浜通りをロードトリップの聖地に。自由気ままなキャンピングカーの旅をつくる
/一般社団法人コトづくり代表理事 日下あすかさん

コルドバンクスというキャンピングカーに乗って、日下さんは富岡駅前にやってきた。7人乗りの車内には広いテーブルやキッチン、5名まで寝られる設備も完備されていて、予想以上に広くて快適だ。

一般社団法人コトづくり代表理事 日下あすかさん

日下さんは富岡町の夜ノ森(よのもり)地区出身。東京の隈研吾建築都市設計事務所で約3年間勤務した後、「浜通りに人を呼びたい」と福島県へUターン。2025年2月から南相馬市で、キャンピングカーを軸にした観光事業をスタートした。

キャンピングカーの中でお話を聞かせてくれた日下あすかさん。東京の建築事務所勤務を経て福島県へUターン。2025年2月に一般社団法人コトづくりを立ち上げた。

キャンピングカーの中でお話を聞かせてくれた日下あすかさん。東京の建築事務所勤務を経て福島県へUターン。2025年2月に一般社団法人コトづくりを立ち上げた。

「設計事務所で働いているときに、富岡町と同じく震災後の原発事故で全町避難になってしまった浪江町の駅前開発を担当したんです。気合いを入れて取り組みましたが、建築の力だけでは町に人を呼び戻すことは難しいと痛感した。こっちに戻ってきて、自分が現地で“人を呼べる人”になろうと思ったんです」

現在取り組んでいるのは、キャンピングカーで巡る浜通りのツアー事業。北は宮城県との県境である新地町から、南は〈スパリゾートハワイアンズ〉で有名ないわき市まで、約100kmもある浜通り。キャンピングカーで車中泊しながら巡れば、各地の見どころが繋がる。日下さんは各町の観光スポットにRVパークを作り、よりその観光コンテンツが楽しめるようにした。実際に周るモデルコースを作ってモニターツアーを開催し、来年度からはいよいよキャンピングカーのレンタル業もスタートする。

「浜通りはロードトリップに最適なんです。大きな道が3本通っているのですが、天気の良い日は海沿いの浜街道を走ったり、秋は山側の山麓線で紅葉を楽しんだり。各町の魅力的なスポットはもちろんですが、まだ知られていないスポットも発見できるかもしれません」

日下さんが富岡町のお気に入りスポットに連れて行ってくれるという。その時に通ったのが、JR富岡駅の横に新しくできた「汐橋(うしおばし)」。国道6号線から浜街道に向かう道路は海に向かってアーチ形に延びていて、車で走ると目の前が海と空でいっぱいになる。富岡町に来たらぜひ走ってみてほしいと日下さん。

到着したのはこぢんまりとした漁港だった。窓を開けると目線の先には海だけが広がる。日下さんが豆を挽き、コーヒーを淹れてご馳走してくれた。こんな特等席で静かな漁港の景色を楽しみながら、温かいコーヒーがいただけるのもキャンピングカーの魅力の一つ。

「キャンピングカーなら、こうして好きな場所で車を停めて、食事やお茶を楽しむことができる。観光で訪れる方にも、このような楽しみ方をしていただきたいんです。キャンピングカーで来る人が増えたらスポット名がついて、ここでお店を開こうかなという人が出てくるかもしれない。そうなったらもう狙っていた通り。短いスパンでもとにかく人を呼んできて、町を体験してもらえる機会を作りたいです」

一般社団法人コトづくり代表理事 日下あすかさん

福島県にUターンして気づいたのは、富岡町には美しい景色と豊かな時間があるということ。
「夜ノ森地区には有名な桜のトンネルもありますし、富岡駅近くにはこの海の景色もある。特に海は震災があったからこそ、特別な景色に変わったんじゃないかなと思います。このエリアは、震災だけを切り取って見ると、悲しい場所のように映ってしまうかもしれません。しかし実際には、震災をきっかけに新しい観光コンテンツが生まれ、少しずつ広がってきました。震災前から受け継がれてきた風景や文化、そして今この土地に芽吹いている新しい観光のかたち。その両方を体感しに、ぜひこの地を訪れてほしいと思います。この美しい町を未来へつないでいくために、これからも自分にできることを考えながら、一歩ずつ取り組んでいきたいです」

取材者情報

日下あすか

一般社団法人コトづくり:https://www.kotozukuri.com/

Instagram:@asuka.kusaka

将来的には世界のトップブランドに。桜の名所・夜ノ森で誕生したデニムブランド
/YONOMORI DENIM 小林 奨さん

次に訪れたのは日下さんが生まれた夜ノ森地区で、2022年に誕生したリメイクデニムのブランド〈YONOMORI DENIM〉のショップ。創業者の小林奨さんは日下さんの同級生だ。

「小学校の担任の先生誰だっけ?」と、昔話に花が咲く日下さんと小林さん。「同い年で地元で起業して頑張っている奨くんみたいな存在は、とっても心強いですし、一緒になにかできたらと思います」と日下さん。お互いに地元を盛り上げようと奮闘する強力な同志だ。

「小学校の担任の先生誰だっけ?」と、昔話に花が咲く日下さんと小林さん。「同い年で地元で起業して頑張っている奨くんみたいな存在は、とっても心強いですし、一緒になにかできたらと思います」と日下さん。お互いに地元を盛り上げようと奮闘する強力な同志だ。

震災後、全町避難で関東に引っ越した小林さん。東京で社会人になりアパレル会社で販売員として働くなかで、業界が抱える大量生産・大量廃棄の問題を知る。環境に配慮したブランドや取り組みをしたいという思いと、地元の雇用を創出したいという思いが重なり、夜ノ森で〈YONOMORI DENIM〉を立ち上げた。

もともとはサッカーをやっていたが、怪我で引退。次に好きだったのがファッションだったという小林さん。起業もいつかはしたいと思っていたそうだ。

もともとはサッカーをやっていたが、怪我で引退。次に好きだったのがファッションだったという小林さん。起業もいつかはしたいと思っていたそうだ。

「地元がすごく好きなんです。県外に出てその思いが一段と強くなりました。僕は不便な生活に魅力を感じるみたいで、関東だと何でも苦労せず手に入っちゃうのが面白くなかったんですよね(笑)」

〈YONOMORI DENIM〉で扱うのは、リーバイスの名デニム、501のみ。東京の協力会社(株式会社ヤマサワプレス)が廃棄寸前のデニムを回収、それをYONOMORI DENIMで洗浄・解体などをし、パーツごとに加工。また〈One-o-Five〉というブランド名で、古着デニムをリメイクしたパンツやジャケット、小物なども販売。
「将来的には職人ブランドとして、世界中で『デニムと言えば〈YONOMORI DENIM〉だよね』と言われる存在になりたいです。小さなアトリエから始まった……というストーリーで」

デニムを選んだのは老若男女、世代問わずで履けるほど丈夫な素材だから。たとえパンツとして履けなくなっても、たくさんの端切れを合わせれば新しい服や小物に生まれ変わる。それはたくさんの人の力が集まれば、富岡町が復活するという思いにも繋がっている。

「一度は誰もいなくなってしまったけれど、新しい人がやってくればまた新しい富岡町ができる。ここはゼロから挑戦できる町です。僕は新しいアイデアを持ってこの町に来てくれる人の活動や思想を、手助けできる環境を作れたらいいと思っています」

YONOMORI DENIM

取材先情報

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YONOMORI DENIM

住所:福島県双葉郡富岡町本岡清水前122−17

営業時間:平日10:00~14:00、土日12:00〜16:00

Instagram:@yonomori_denim

富岡の美味を知ってほしい。富岡産ワインと地元食材を楽しむワイナリーレストラン。
/とみおかワイナリー 根本綾乃さん

富岡町にはワイナリーがある。海が見える場所に広がる畑には、震災前の町民の数と同じ1万6000本のブドウの苗木が植えられており、畑を見守るように〈とみおかワイナリー〉の醸造所が建っている。

とみおかワイナリー

代表の遠藤秀文さんは富岡町出身。震災後、ふるさとを元気づけようと、長年の夢だったワイナリーを作ることにした。2016年4月からプロジェクトをスタートし、想いに賛同した仲間たちと200本の苗木を植える。資金を出し合って毎年数百本ずつ増やしていき、3年目に初めて数十キロのブドウを収穫。山梨県のワイナリーの協力のもと、最初のワインが完成した。

「ブドウ畑の作業はボランティアも募集していて、県外からもたくさん来られるんだそうです。自分が関わったワインには愛着が湧くし、町にとっては一つのコミュニティになっていると思います」と、案内してくれた日下さんは話す。

「ブドウ畑の作業はボランティアも募集していて、県外からもたくさん来られるんだそうです。自分が関わったワインには愛着が湧くし、町にとっては一つのコミュニティになっていると思います」と、案内してくれた日下さんは話す。

現在は富岡町の気候に合う品種も分かり、白ブドウはシャルドネやソーヴィニヨン・ブラン、アルバリーニョ、赤ぶどうはメルローを栽培。今年からは自社の醸造所が稼働し始め、100%富岡産のワインを醸造中だ。ブドウ栽培と醸造を担当する細川順一郎マネージャーは「いまはフレッシュな早飲みタイプがメインですが、今年からは深い味わいのワインにも挑戦しています。ブドウの樹齢が上がれば品質も変わってくるので、楽しみにしていただきたいです」と話す。

醸造所の2階にはレストラン〈ラレス〉がある。〈とみおかワイナリー〉のワインが飲めるのはもちろん、常磐ものの魚介類を使った料理が美味しいと評判だ。360度ガラス張りの店内からは、海の前に広がるブドウ畑や常磐線の線路などが一望できる。

とみおかワイナリー

「コース料理や単品でピザやパスタ、アクアパッツァなどもご用意しています。海風の影響かうちのワインはほんのり塩味を感じる味わいが特徴なんです。常磐もののヒラメなど、白身のお魚ととっても相性が良いんですよ」と、教えてくれたのは、キッチンで働く根本さん。

「富岡町は食材が豊富で、お魚も野菜もお米もとっても美味しいです。地元食材が扱えて、ワインのことも勉強できるなんて、私にぴったりの職場だ!と思いました」と目を輝かせる根本さん。

「富岡町は食材が豊富で、お魚も野菜もお米もとっても美味しいです。地元食材が扱えて、ワインのことも勉強できるなんて、私にぴったりの職場だ!と思いました」と目を輝かせる根本さん。

今年3月に入社したという根本さんは21歳の新米料理人。このレストランを職場に選んだのは、地元を盛り上げたいという思いからだった。
「都会に出てお料理をするよりも、復興を頑張っている地元で自分もなにかできたらと言う夢がずっとあって。そのために地産地消を大事にしたかったので、このレストランはぴったりだと思いました」

富岡町は食材豊かな土地。野菜は朝早くからシェフが市場に買い出しに行って、福島県産のものを仕入れている。魚介類は主にいわき市の久之浜漁港を中心に、シェフが仕入れる自慢の常磐ものだ。
「富岡町は自然豊かですし、海が近くにあるってすごく素敵なことだと思います。海を眺めながら仕事ができるのは幸せです。富岡町の農家さんは皆さんとても暖かく、『野菜持っていき〜』って分けてくださったりします。今は実家の田村市から通っているのですが、いずれは引っ越したいですね」

いつか自分のレシピで、常磐ものの魚料理を作るのが根本さんの夢。ワインと一緒に味わえるのが楽しみだ。

とみおかワイナリー 根本綾乃さん

取材先情報

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とみおかワイナリー

住所:福島県双葉郡富岡町小浜反町36-1

営業時間:

レストラン ラレス

平日ランチ 11:00〜15:00(L.O.14:00)

土日祝ランチ 10:30〜15:30(L.O.14:30)

ディナー(予約必須) 17:00〜21:00(L.O.20:00)

定休日:水曜

ワイン&ギフト テルース

10:00〜17:00

定休日:火・水曜

Web:https://tomioka-winery.jp/

Instagram:@tomioka.wine.2016

アートは町の見え方を変えてくれる。宮島達男さん新美術館プロジェクトも進行中
/NPO法人インビジブル 日向志帆さん

最後に訪れたのは、アートの力で富岡町を動かす〈NPO法人インビジブル〉の日向志帆さん。大学でコミュニティデザインを専攻していた日向さんは、自らを「ぶらんなー(造語)」と呼び、ぶらぶらと外から町にやってきた人間が、その町でどんな変化を起こせるのかを研究。なかでも「地域と教育」に関心があり、富岡町でも主に子供たちと関わってきたそう。

今年3月に大学を卒業し、4月から本格的に富岡町で暮らし始めた日向志帆さん。プロジェクトで関わる子供たちからも愛称の「おひな」と呼ばれているそう。

今年3月に大学を卒業し、4月から本格的に富岡町で暮らし始めた日向志帆さん。プロジェクトで関わる子供たちからも愛称の「おひな」と呼ばれているそう。

インビジブルが行っているのは、町内に唯一ある富岡町立小中学校にアーティストや職人などが“転校生”としてやってきて、校内で子供たちと交流する「PinSプロジェクト」や、夜ノ森地区で秋口と春先に開催される「夜の森ピクニック」、富岡駅近くの月の下と名がつく交差点脇のスペースを拠点とした「月の下アートセンター」という文化活動など。どれもアートをきっかけにした、住民巻き込み型プロジェクトだ。

なかでも町民の期待を集めているのが、現代美術家の宮島達男さんの「時の海 – 東北」プロジェクト。宮島さんが3000人の人たちと対話しながら創り上げる《Sea of Time – TOHOKU》という作品を展示する美術館が富岡町にできるというものだ。日向さんは地元住民が立ち上げた「《時の海 – 東北》美術館を応援する会」の運営事務局として、定期的に住民のみんなと集まり、美術館建設予定地で草刈りや芋煮をしたり、美術館ができたらやりたいことのアイデア出しなどを行いながら、完成までの時間を住民みんなで温めている。

「アートには地域の見方を変えてくれる力があると思います。例えば以前、影絵師の川村亘平斎さんと影を写しながら夜ノ森を練り歩くイベントをやったんです。除染によって更地になった夜ノ森の町には余計なものがないから、影がくっきり浮かび上がって。本当に生きているみたいに見えて、そこから歌ができたり、昔話を語る人が出てきたりということがあった時に、何もないことをネガティブではなくて、“余白”として捉えることができた。正しさみたいな指標では測らないということが、この富岡町にとってすごい大事なことなんじゃないかと思っています」

この町に来て、自分のロールモデルになるような先輩プレイヤーにたくさん会うことができたという日向さん。自分のような“ぶらんなー(造語)”が新たに町に来たらうれしいと話す。
「自分のプロジェクトを頑張っている先輩や、アイデアを形にするために一緒に悩んでくれる大人が身近にいること、それが富岡町の自慢ですね。自分が何者でなくても、富岡町で出会った人々は、まちの一員として受け入れてくれました。この町への関わり方として、やりたいこととか目的すらも町に来てから探すくらいの余白があってもいいんじゃないかと思います」

NPO法人インビジブル 日向志帆さん

富岡町が大好きで、町の未来を作ろうとそれぞれのステージで奮闘する若きプレイヤーたち。まずはキャンピングカーを借りて周ってみるのもいいかもしれない。

取材先情報

NPO法人インビジブル

information

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富岡町移住定住相談窓口『とみおかくらし情報館』(運営:一般社団法人とみおかプラス)

住所:福島県双葉郡富岡町大字小浜字中央338

営業時間:10:00〜17:00(土日も開館)

休館日:年末年始、GW、お盆、メンテナンス日等

(休館日はHPをご確認ください)

WEB:https://www.tomioka-iju.jp/

Instagram:@tomioka_iju

転職、フリーランス、起業。 3人の女性が青森に UIターンした理由とは? 「青森とわたしのこれから会議」

多様なライフスタイルを描けるようになった現代、
どこで暮らすのか、どう働くのか、その選択肢が広がっています。
「いずれは自分の生まれ故郷へ帰って働きたい」
「自然豊かな土地で暮らしたい」など、
地方へのUIターンを意識する人もいるでしょう。

でも、いざUIターンするとなると、どうやって仕事を探せばいいの?
所得が極端に下がってしまうのでは? など、不安に感じることは多いはず……。
そんなときは、地元の人たちに話を聞くのが近道!

「青森とわたしのこれから会議」ロゴ

11月16日(日)、青森県にUIターンした先輩のリアルな体験談を聞くイベント
「青森とわたしのこれから会議」が、内幸町にあるアンテナショップ
〈八戸都市圏交流プラザ 8base(エイトベース)〉で開催されました。
登壇した3名の女性のUIターン物語を紹介します。

次回は2026年1月24日(土)に開催予定。
申込フォームはこちら

転職してUターン。佐々木芽さんの場合

青森市にある建築会社〈日野建ホーム〉で働く佐々木芽さん

青森市にある建築会社〈日野建ホーム〉で働く佐々木芽さん。
中学までは弘前市、高校からは青森市で過ごした佐々木さんは、
高校卒業後、希望する学科へ進学するために上京しました。

2年間東京で学び、新卒で家電量販店に入社。約4年勤めたのちに転職し、
不動産掲載サイトの営業アシスタントと事務サポートとして働き始めます。

「転職後しばらくは幸福度が高かったのですが、
毎日、満員電車に揺られて通勤することに少しずつ嫌気がさしてきたんです。
自宅から職場まで片道1時間、往復で2時間。これが何十年も続くのか……? と」

転職から4年、佐々木さんが28歳くらいのときに移住を意識し始め、
約1年かけてUターンの準備をしました。
転職先は、県の就職情報サイトや大手の転職サイトから情報収集し、
接客と営業の経験を生かして地元の企業で働きたいとの思いから、
青森市の日野建ホームへ入社。現在はホームアドバイザーとして活躍しています。

これまで家電や不動産の仕事をしてきた佐々木さん。「住まいに関することに興味があるんです」(写真提供:佐々木芽)

これまで家電や不動産の仕事をしてきた佐々木さん。「住まいに関することに興味があるんです」(写真提供:佐々木芽)

自宅から車で約10分の場所に職場があり、
通勤は以前と比べるととても快適だと話す佐々木さん。
ごはんをつくったり、宅建の資格をとるための勉強をしたり、
自由に使える時間が増えたといいます。

「いまはお客さまのご要望を聞いて、理想の家づくりをアドバイスする仕事をしています。
『佐々木さんが担当してくれてよかった』と言っていただけたときはうれしかったですね。
東京では何千人もいる大きな企業に勤めていましたが、
いまは十数人の小さな会社なので、コミュニケーションもとりやすいです」

お客さんからいただいたという柿を、干し柿に。(写真提供:佐々木芽)

お客さんからいただいたという柿を、干し柿に。(写真提供:佐々木芽)

高校生のとき写真部だったという佐々木さん。カメラを片手に出かけることも。(写真提供:佐々木芽)

高校生のとき写真部だったという佐々木さん。カメラを片手に出かけることも。(写真提供:佐々木芽)

休日には、カフェ巡りをしたり、趣味のカメラを楽しんだり。

「私が高校生の頃にはなかったような、個人経営のおしゃれな飲食店や
イベントも増えています。SNSで調べて、休日に出かけるのも楽しみのひとつです」

佐々木さんは青森ライフを満喫しているようです。

横浜町の菜の花畑をバックに。(写真提供:佐々木芽)

横浜町の菜の花畑をバックに。(写真提供:佐々木芽)

フリーランスとしてUターン。栗本千尋さんの場合

フリーライターの栗本千尋さん

続いては、コロカルでもライターとして活躍するフリーライターの栗本千尋さん。
八戸市出身・在住で、Uターン後に3人目のお子さんを出産しています。

旅行系の専門学校に進学し、東京でのひとり暮らしを満喫。
その後、旅行会社や編集プロダクション、
映像関連会社での勤務を経てフリーライターに。
憧れていた雑誌の仕事もできるようになり、充実した生活を送っていましたが、
いつからUターンを意識するようになったのでしょうか。

「東京で同郷の人と結婚したので、いずれは地元に帰るのかな……と、
ぼんやり考えていました。
夫は渋谷の飲食店に勤めていて、いずれ独立したいと話していたのですが、
東京で店を持つことがイメージできず、地元でならできるんじゃないかと。
でも東京での暮らしは大好きだったので、なかなか踏み切れなかったですね」

28歳で第1子、30歳で第2子を出産し、生活は一変。
ぼんやりと考えていたことが現実味を帯びてきました。

「夫の帰りは深夜なので、当時はほぼワンオペ育児をしていて、
東京での子育てに限界を感じるようになりました。
電車やバスに乗るのにも周囲に気を使いますし、
ベビーカーで出かけてエレベーターを待っていて、何往復も見送った末、
両手に子どもとベビーカーを抱えて、泣きながら階段を駆け上がったことも……。
東京での子育ては、いつも謝っていたし、泣いていた気がします。
誰の目も気にする必要のない場所で暮らしたいと思うようになりました」

そうした経験を経て、第1子が小学校に上がるまでには地元へ帰ろうと、
期限を決めたそう。
地元へ帰ってから3年間は夫の実家で2世帯同居し、
その間に、3人目のお子さんも出産。

夏になると親戚で集まり、プールやバーベキューをするのが定番。「このときはプールがなかったのでタライに入れました(笑)」(写真提供:栗本千尋)

夏になると親戚で集まり、プールやバーベキューをするのが定番。「このときはプールがなかったのでタライに入れました(笑)」(写真提供:栗本千尋)

義母の両親が米農家だったため、田んぼで遊んだことも。(写真提供:栗本千尋)

義母の両親が米農家だったため、田んぼで遊んだことも。(写真提供:栗本千尋)

また、コロナ禍で予定より遅れたものの、
2024年には夫の迪(いたる)さんがビストロ〈NOMUU(ノムウ)〉をオープン。
築80年以上の中古物件を購入し、自宅兼店舗にしました。

DIYでリノベーションする様子(写真提供:栗本千尋)

写真提供:栗本千尋

「予算の都合で、床や壁、棚、キッチンに洗面台まで自分たちでDIYしました。
そのぶん愛着が湧いています。東京に住んだままだったら、
家を買ったりお店を出したりする想像すらできなかったので、
地元に戻ってきてよかったと思っています」

お店を出す夢や、自然と触れながらの子育てなどを、地元で叶えていました。

Iターンして起業。永井温子さんの場合

Iターンして起業した永井温子さん

最後は、Iターンして起業した永井温子さんです。

福島県郡山市出身の永井さんは、弘前大学への進学のため弘前市へ。
当初は「何もない」と思い込んでいたという永井さんですが、
徐々に弘前への印象が変化していきました。

「私の地元は福島県の郡山市で、明治維新のあとに大きくなった新しいまちなんです。
歴史的なまち並みや伝統工芸が少なかったので、
それらが豊富にある弘前に魅力を感じました」

大学卒業後は、新卒でフリーペーパーを発行する関東の企業に就職。
2年ほど勤めたのちに転職し、広告代理店の営業として食品メーカーなどを担当しました。

震災関係のシンポジウムに参加した際に、
地域おこし協力隊制度を活用したローカルベンチャー育成プロジェクト
〈Next Commons Lab(ネクストコモンズラボ)弘前〉のコーディネーターと出会い、
「いつか東北で自分の会社をつくりたい」という夢を叶えるため、
弘前への移住を考えるようになったといいます。

「このプロジェクトは一般的な協力隊のように
自治体の臨時職員として雇用されるのではなく、
業務委託契約で個人事業主として委託費をもらいます。
各隊員にパートナー企業が設定され、
アドバイスを受けながら事業をつくっていくというものです。
この制度を活用して、弘前へIターンすることにしました」

2ヘクタールの畑でりんごを栽培(写真提供:永井温子)

写真提供:永井温子

当時の永井さんのミッションは、りんご農家を増やすための事業をつくること。
最初の1年間はりんご畑を手伝ったり、商品開発のお手伝いをしたりしましたが、
その後は会社を立ち上げ、2ヘクタールほどの畑でりんごを育てて、
ジュースに加工しています。

永井さんが運営する〈ヒビノス林檎園〉のりんごジュースは、今回のイベントでも提供されました。特徴的なロゴのデザインも永井さんが自ら手がけています。

永井さんが運営する〈ヒビノス林檎園〉のりんごジュースは、今回のイベントでも提供されました。特徴的なロゴのデザインも永井さんが自ら手がけています。

休日に趣味である「スティールパン」(ドラム缶からつくられた打楽器)を、大自然をバックに演奏する永井さん。(写真提供:永井温子)

休日に趣味である「スティールパン」(ドラム缶からつくられた打楽器)を、大自然をバックに演奏する永井さん。(写真提供:永井温子)

永井さんは、津軽地域の郷土料理を伝える「津軽あかつきの会」にも所属。
なんとこの会がきっかけとなり、結婚したそう。

「『祝言料理の再現をしたいからモデルをしてくれないか』と声をかけられ、
当時つき合っていた夫に聞いたところ、快諾してくれました。
『でも、うちら籍入れてないね、祝言を上げるんだったら結婚しといたほうがいいね』
みたいな。順番が逆だったんですが、祝言料理のために入籍しました(笑)」

津軽あかつきの会での祝言料理の再現の様子。(photo:Shintaro Tsushima)

津軽あかつきの会での祝言料理の再現の様子。(photo:Shintaro Tsushima)

さらに、来年にはご両親が定年を迎えるため、
弘前に引っ越してくることも決まっているんだとか。
来年からの暮らしにワクワクしている様子の永井さんでした。

3つのテーマについてのクロストーク

それぞれのUIターンストーリーを聞いたあとは、
3つのテーマについてクロストークが繰り広げられました。

テーマ①「移住を決意するときの心境は? 決め手はなんでしたか?」

ファシリテーターを務めたのは、青森市出身のフリーアナウンサー、千葉真由佳さん。

ファシリテーターを務めたのは、青森市出身のフリーアナウンサー、千葉真由佳さん。

「社内に地方創生の広告を展開する部署があり、その取り組みを見るうちに
『地方で働くのもありかもしれない』と思うようになりました。
私はひとりっ子なので、いずれは両親の介護も視野に入れなくてはなりません。
将来の生活を考えたときに、地元のほうが、負担が少ないのではないかと思ったんです」
(佐々木さん)

「東京での子育てに限界を感じていたあるとき、
帰省中に八戸の中心街にある〈マチニワ〉の噴水で
子どもたちがずぶ濡れになって遊んでいました。
ひとりのおばあさんが近づいてきて注意されるかもしれないと身構えたのですが、
『拭くのもってらんだが?』とハンカチを差し出してくれたんです。
ここでは子育てすることが許されるんだと感じて移住を決意しました」(栗本さん)

八戸市の中心街にある〈マチニワ〉。最初は手足だけのつもりが、最終的にはずぶ濡れになりがち。(写真提供:栗本千尋)

八戸市の中心街にある〈マチニワ〉。最初は手足だけのつもりが、最終的にはずぶ濡れになりがち。(写真提供:栗本千尋)

「何かひとつが決め手になったわけではなく、いろいろな要因が重なり、
移住の流れに身を任せていったようなイメージです。
もともと、いずれ東北に戻りたいなと思っていたんですが、
そのきっかけは、東京から弘前へ戻ったとき、弘前駅のエスカレーターを降りながら
『あぁ帰ってきた』って思ったんですよね。故郷以外の場所で、
『帰ってきた』と思える場所ができたんだ、と実感しました」(永井さん)

テーマ②「移住する際の準備や情報収集などで役に立ったことは?」

「母に話したところ、市の広報誌から情報を集めてくれて、
就職活動のための交通費の助成があることを教えてくれました。
ほかにも青森県の移住関連のウェブサイトを見たり、有楽町の東京交通会館にある
〈青森暮らしサポートセンター〉で話を聞いたりしました」(佐々木さん)

「青森とわたしのこれから会議」クロストーク

「私も青森暮らしサポートセンターで相談にのってもらいました。
移住にまつわる情報をたくさんもらえたほか、
その後もメールでサポートしてくれたので心強かったです」(栗本さん)

「私は今日のような移住に関するイベントや、
地域おこし協力隊のイベントなどに参加するようにしていました。
そこで意気投合した人も弘前に移住していて、いまでも仲がいいです」(永井さん)

テーマ③「移住前の暮らしと、移住後の暮らしを比べてどうですか?」

「青森とわたしのこれから会議」クロストーク

「給与面は、5~6万円くらい下がるだろうなと覚悟していましたが、
前職と同じくらいのお給料をいただいています。
新車のローンと合わせても、東京で暮らしていた頃の家賃と同じくらい。
青森に帰ってきてからお金の使い方が変わり、
収支のバランスに納得感のある生活ができていると思います」(佐々木さん)

「ちょうど新型コロナウイルスの流行でリモート化が進んだので、
仕事は問題なく続けられています。東京にいた頃は、
子どもに対して叱ったりフォローしたりと、ひとり何役もしていたのですが、
八戸には子どもたちの祖父母もいるので、いろいろな役割から解放された気がします」
(栗本さん)

「青森とわたしのこれから会議」クロストーク

「まだ自分に役員報酬をたくさん払えないのでだいぶ収入は減りましたが、
あまりお金を使うタイプではないので、生活がガラッと変わったわけではありません。
弘前では4万円台の家賃で、6部屋もある一軒家に住んでいます。
物々交換の文化が残っているので、野菜農家さんから野菜をよくいただき、
代わりにりんごをお渡ししています」(永井さん)

ランチとスイーツで歓談

トークセッションのあとは、ランチとスイーツを食べながらの歓談タイム。
津軽鉄道のストーブ列車で食べられる「ストーブ弁当」をオマージュし、
会場となった8baseが、この日のために特別なランチボックスをつくってくれました。

青森のモチーフをちりばめたデザインに包まれたランチボックス、りんごジュースやシードルなど、青森ならではのドリンクが振る舞われました。

青森のモチーフをちりばめたデザインに包まれたランチボックス、りんごジュースやシードルなど、青森ならではのドリンクが振る舞われました。

八戸産の菊芋や、五戸町産のあべ鶏など、八戸圏域の食材を用いて特別につくられたメニュー。八戸の郷土料理であるせんべい汁もセットに。

八戸産の菊芋や、五戸町産のあべ鶏など、八戸圏域の食材を用いて特別につくられたメニュー。八戸の郷土料理であるせんべい汁もセットに。

楽しい歓談タイム。ゲストに話を聞いたり、参加者同士でもおしゃべりに花が咲いていました。

楽しい歓談タイム。ゲストに話を聞いたり、参加者同士でもおしゃべりに花が咲いていました。

参加者は青森県出身者をはじめ、パートナーが青森出身の方、
旅行で訪れてから青森が好きになり移住を考えている方、
年明けにはIターンすることを決めている方などさまざま。
自身の状況や移住後のことなどを、ゲストに相談していました。

「青森とわたしのこれから会議」ランチタイム

スイーツタイムに提供された、りんごのタルト。

スイーツタイムに提供された、りんごのタルト。

ランチとスイーツを楽しみながらの歓談を終えたあとは、
未来の自分への手紙や、アンケートを記入する時間が設けられました。

この日のために特別につくられた便箋と封筒。切手風シールも青森がモチーフ。

この日のために特別につくられた便箋と封筒。切手風シールも青森がモチーフ。

UIターンにかける思いをしたためた手紙は、
1か月後くらいを目処に自宅へ届くというサプライズの仕掛けが。
この時間を思い出しながら、あらためて考えるきっかけになるかもしれません。

イベントの参加者からは、次のような感想が寄せられました。

「東京では待機児童の問題もありますが、
青森では希望する保育園にすぐ入れると聞いて安心しました。
逆に、保育園に入れずに自然に触れながら育てることにも憧れます」

「イベントに参加したことで、青森へ移住しようと考えている仲間が
ほかにもこんなにいるんだなと知ることができて、心強く思いました」

みんなで記念撮影。

みんなで記念撮影。

第2回は、来年1月24日(土)、
赤坂の〈東北cafe&dining トレジオンポート〉にて開催されます。
申し込みは1月9日(金)まで。
当日はゲストや参加者同士だけではなく、移住相談窓口
〈青森暮らしサポートセンター〉の女性の相談員ともお話することができます。

いつか青森にUIターンしたいと考えている人は、参加してみては。
より具体的に未来が描ける機会になりそうです。

第2回のゲスト登壇者についてはこちらの記事で紹介しています。

information

青森とわたしのこれから会議

対象:青森県へのUIターンに関心のある女性

定員:各回20名(応募多数の場合は抽選)

参加費:無料(会場までの交通費等は自己負担)

問い合わせ:info(半角アットマーク)colocal.jp(「青森とわたしのこれから会議」事務局)

主催:青森県

イベント申込フォーム「青森とわたしのこれから会議」

 

第2回

日時:2026年1月24日(土)11:30~14:00(11:15受付)

場所:東北cafe&dining トレジオンポート(東京都港区赤坂3-12-18)

ゲスト:太田真季さん、冨岡未希さん、佐藤宣子さん

応募締め切り:2026年1月9日(金)23:59

 

【当日タイムスケジュール】

11:15 受付

11:30 オープニング

11:40 ゲスト紹介・クロストーク

12:20 ランチ交流タイム

13:00 スイーツ&お茶歓談タイム

13:40 クロージング

14:00 終了

※内容や時間配分が多少変わる可能性があります

青森へのUIターンに興味を持ったら「あおぐら」へ!

〈青森暮らしサポートセンター〉通称「あおぐら」

今回のイベントに限らず、青森県へのUIターンに興味を持ったら
〈青森暮らしサポートセンター〉、通称「あおぐら」へ。
東京交通会館の〈ふるさと回帰支援センター・東京〉内にある、
青森県の移住に関する総合相談窓口です。
青森での仕事や暮らし、各種移住イベントなどの情報を得ることができます。

information

map

青森暮らしサポートセンター

住所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館8F(ふるさと回帰支援センター・東京内)

Web:青森暮らしサポートセンター

1月に開催された第2回イベントについてはこちらの記事で↓

仕事も人生も、青森で再設計。3人の女性が語るUIターンの選択「青森とわたしのこれから会議」

【見逃し配信あり】 “ホスピタリティの力”で 地域を変える。星野リゾートの 人材育成と魅力の秘密 コロカルアカデミーVol.7

日本のローカルの魅力を発信する「コロカル」は、新たなウェビナー講義シリーズ「コロカルアカデミー」の第7回を開催しました。ゲストには、ご自身も青森県出身である青森屋 by 星野リゾート総支配人の須道玲奈さんをお迎えしました。須道さんには、星野リゾートの人材育成・採用戦略から、ホスピタリティの哲学と現場での実践、地方での観光マーケティングや共創の工夫まで幅広いテーマで語っていただきました。
見逃し配信を視聴したい方はこちらからお申し込みください。

▶︎視聴登録はこちら

須道 玲奈

須道 玲奈(すどう・れいな)
青森県出身。青森屋 by 星野リゾート 初の女性総支配人。
青森を“もっと多くの人に知ってもらいたい”という思いから星野リゾートに入社。サービスや広報業務を経験し、石川県の「界 加賀」でも総支配人を歴任。2023年より青森屋の総支配人に就任。
地元の魅力を磨き上げ、「青森のファンを全国に増やす」ことを目指して奮闘中。

星野リゾートという唯一無二の物語

星野リゾートという唯一無二の物語

まず初めに須道さんからお話があったのは、星野リゾートのベースとなるテーマやビジョン、そしてブランドについて。
「世界に通用するホテル運営会社」になるというビジョンを掲げ、「旅を楽しくする」をテーマに、さまざまなコンセプトの施設を手がける星野リゾート。
星野リゾートは従来のホテル経営と異なり、運営に特化した会社であるということも話題に上がりました。それぞれのブランドに明確な物語を持った星野リゾートの宿泊施設。
ベースとなるビジョンやテーマがありながら、ブランドや地域ごとに明確な物語を打ち出すことで、働く人の意識や行動にも変化が生まれるのかもしれません。
そして須道さんが総支配人を務める「青森屋」は、青森の文化を「のれそれ=目一杯」表現する温泉宿として日々運営されているそうです。

採用はマッチング

採用はマッチング

次にお話があったのは、星野リゾートの人材戦略と新卒採用について。
何かを組織し、実際に動かすには、「人」が必要です。星野リゾートの宿泊施設で働くスタッフの皆さんはどこか明るくて、前向きで、主体的。そんな人材の多くをどのようにして、発掘・採用しているのか。須道さんはその鍵を「マッチング」として表現されていました。
価値観や組織文化を理解してもらい、お互いをよく知るための労力を惜しまない姿勢が印象的でした。その結果として多様でかつ主体性のある、この場所で働きたいと思う人材と出会えるようです。
また新卒採用の仕組みについても、学生が自分のタイミングで選考に参加できるシステムをはじめ、学生ファーストでフレキシブルに変化している点が印象的でした。採用姿勢には、その会社の哲学や価値観が如実に表れると感じます。

戦略としての組織文化

戦略としての組織文化

お話はいよいよ核心の「スタッフのモチベーション」に関する話題に。
須道さんから話があったのは、星野リゾート独自の組織文化や、社内での取り組みについて。フラットな組織文化のお話や日本流のもてなしを基軸としたお客さんとの関わり方の仕組み、キャリアパスに関して立候補を集う制度や、新たなサービスを生み出すための「魅力会議」についてなど、アイデアの種になりそうなお話が沢山ありました。

魅力会議の様子

そして全体に通ずるのはやはり、「人に対する信頼と配慮」。スタッフは当然ですが、一人ひとりにその人生があり、生き方があります。
星野リゾートの施策は、一人ひとりの良さやアイデアに目を向ける仕組みになっているからこそ、「自分も組織のためになりたい」というモチベーションを生み出すことが可能なのかもしれません。

地域というブランド

1室限定 ねぶた尽くしの客室「青森ねぶたの間

マネジメントに関する話題も挟みながら、最終的に話題に上がったのは地域について。
地域というテーマでは、青森屋で一室限定で「青森ねぶたの間」を用意するなど、その土地を深く味わうことができる、個性的で魅力的な取り組みがなされています。
須道さんの根幹にある、青森を広めたいというモチベーションと、人や地域を丁寧にめざし、その良さを引き出す星野リゾートのマネジメントの強みが双方向的に影響を与えながら、青森屋という素晴らしい宿泊施設が日々運営されているのだろうと感じました。

人を見つめ、組織を見つめ、地域を見つめる

今回の須道さんのお話を聴いて、一番強く感じたのは「見つめること」の大切さです。
星野リゾートは取り組みとして、人材に向き合い、地域に向き合っています。それは新卒採用のあり方から、魅力会議などの組織制度、さらにその地域固有の文化を取り入れたブランドづくりまで、一貫しているように思えます。
同時に須道さんというお人自体もまた、きっと日々の現場でスタッフさん一人ひとりの存在に目をかけ、耳を傾け、向き合う方なのだろうということも感じました。
システムとしても、マネジメントとしても、人や地域を「見つめる姿勢」を徹底していく。そのまっすぐな眼差しこそが、一つひとつの仕事の正確さや美しさに繋がり、結果として、「ホスピタリティ」という固有の価値の創造につながるはずです。
目に見えて皆感じるのに、いざ説明しようとするとわかりにくい「ホスピタリティ」や「おもてなし」という言葉。そんな捉えどころはないけれど、組織やサービスを生み出す上で大切な考え方をつかむきっかけとなる講座になったのではないでしょうか。
講座本編終了後のQ&Aでは、雇用の確保についてや魅力会議についてのより具体的な話など、話題が盛りだくさんでした。
旅やお宿が好きな人、ホスピタリティ溢れる場所づくりに憧れる人、人材育成や組織づくりに関心がある人など、多くの方におすすめです。

見逃し配信を視聴したい方はぜひ、こちらからお申し込みください。

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湯治文化を未来へ。千年の温泉街・ 俵山に「まちごと旅館」が誕生

千年続く温泉地に新たな息吹を

山口県長門市にある湯治場〈俵山温泉〉は、古くから「西の横綱」と称される名湯として知られてきた。その地で2025年10月10日、まち全体を一つの宿に見立てた新しい宿泊モデル「俵山まちごと旅館」が誕生した。

運営を担う株式会社俵山クリエイトは、旧町湯「川の湯」を受付棟として機能を集約し、宿泊者がまちを歩きながら湯に浸かり、地域と交わる“まちごと滞在”を提案。このプロジェクトは、地域・行政・民間企業・金融機関が連携し、温泉街の再生を進める官民協働の取り組み。地域法人と事業会社が役割を分担する二層構造によって、短期的な観光振興にとどまらない長期的な地域再生を見据えている。

湯治の暮らしを現代の旅へ

千年以上の歴史を持つ俵山温泉には、いまも2つの共同浴場「町の湯」と「白猿の湯」が残り、昔ながらの外湯文化が息づいている。宿泊者には滞在中(チェックイン〜翌日15時まで)に何度でも利用できる「入浴手形」が渡され、まち歩きと湯めぐりを通して土地の空気に自然と溶け込むことができる。単なる宿泊ではなく、まちの暮らしそのものを体験する仕組みは、観光と地域の日常のあいだに新たな接点を生み出している。

湯治を終えた人々が置いていったという松葉づえ。その数が、このまちで多くの人が元気を取り戻してきた証として、静かに語りかける。

湯治を終えた人々が置いていったという松葉づえ。その数が、このまちで多くの人が元気を取り戻してきた証として、静かに語りかける。

湯治宿の趣を残しながら、新たな受け入れ体制へ

宿泊対象施設は「保養旅館 京家」(8室)と「泉屋旅館」(1室)。いずれも伝統的な湯治宿の趣を残しつつ、マットレスの導入など快適性を高めるリニューアルを実施した。老舗旅館を残しながら宿泊受け入れ機能を横串で束ねるこのモデルは、個々の施設の負担を減らし、まち全体のブランド力を高める仕組みでもある。湯治文化を次の世代へと受け継ぎながら、観光と暮らしの新しい共生モデルを提示している。

information

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住所:山口県長門市俵山5153番地

アクセス:JR「長門湯本駅」からバスで約30分、「俵山温泉」下車

予約サイト:https://www.chillnn.com/198a114032dfc

Instagram:@tawarayama_machigoto_ryokan

奈良・吉野檜の香りに包まれる。 地産地消サウナ「kupu sauna」 誕生

木と人を再びつなぐ、家具メーカーの挑戦

1928年創業、100 年経っても世界の定番として愛される木工家具づくりを目指す〈マルニ木工〉が、新たなプロジェクトとして「kupu sauna(クプ サウナ)」を発表した。

フィンランド語で「ドーム」を意味する“kupu”の名の通り、やわらかに人を包み込むハーフドーム型のサウナは、地元・奈良県吉野産の檜を贅沢に使い、家具メーカーならではの木工技術と審美眼を活かして生まれたものだ。

このプロジェクトの背景にあるのは、木材調達のグローバル化が進む中で、改めて日本の森に目を向けた同社の姿勢。家具の枠を超え、林業と地域の未来を見据えた新たなものづくりのかたちとして、檜の香りと木の温もりを暮らしに取り戻す試みである。

吉野檜×北欧の知恵が生む“包まれる空間”

「kupu sauna」は、伝統的なバレルサウナの構造をハーフドーム型へと進化させ、熱と蒸気を効率的に循環させる設計を採用。樹齢を重ねた吉野檜の板を一枚ずつはめ込む独自の工法により、高い気密性と耐久性を実現した。檜の香りが時間とともに広がり、空間全体が柔らかく包み込むような体験を演出。下段ベンチの取り外しや連結モジュールによる拡張性など、家具の発想を取り入れた自由度の高い構造も特徴だ。

ハーフドーム型構造が空間の一体感と心地よさを生む

ハーフドーム型構造が空間の一体感と心地よさを生む

地域の森をめぐる、サウナを起点とした循環

使用される吉野檜は、古くから日本の風呂文化を支えてきた木材。北欧で人気のアスペン材に近い特性を持ち、香りや肌触り、湿熱との相性に優れている。地域の森の恵みを活かすことで、林業者・製材業者・デザイナーが協働する“地産地消の循環”がここに生まれる。プロダクトデザインは、フィンランドでの留学経験を持つデザイナー・熊野亘が担当。檜の質感、光の反射、音の静けさまでを設計に落とし込み、自然と人が交わる“人生の質を高める空間”としてのサウナを描き出した。

デザイナーの熊野亘。北欧のサウナ文化を背景に、日本の木工技術と融合した空間デザインを生み出した。

デザイナーの熊野亘。北欧のサウナ文化を背景に、日本の木工技術と融合した空間デザインを生み出した。

information

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お披露目イベント

会期:2025年10月16日〜11月9日

会場:maruni tokyo(東京都中央区東日本橋3-6-13)

問い合わせ:03-3667-4021

青森食材のおいしいごはんを囲んで UIターンした“先輩”とおしゃべり。 「青森とわたしのこれから会議」

暮らし方や働き方の選択肢が多い分、悩みや迷いも多い現代の女性たち。
ちょっと立ち止まって、いまの自分を見つめ直し、
“これから”についてもう少し考えてみようかな……
と思っている人も少なくないかもしれません。

そんな女性にぴったりの交流イベント「青森とわたしのこれから会議」では、
青森県にUIターンした先輩のリアルな体験談を
ランチやスイーツを楽しみながら聞くことができます。
今年11月16日(日)と来年1月24日(土)の2日間、東京で開催。
どんな先輩たちに会えるのか、ハッシュタグとともにご紹介します!

申込フォームはこちら

【Iターン】
弘前市でりんごをテーマに起業した永井温子さん

りんごを収穫する作業中。

りんごを収穫する作業中。

福島県出身の永井温子さんは弘前大学卒業後、一度は東京の大手広告代理店に就職。
「いつかは東北で地域に関わる仕事がしたい」という大学時代からの夢を叶えるため、
2019年に弘前市へIターン。地域おこし協力隊を経て、
現在はりんごをテーマにした農業関連企業〈Ridun(リズン)〉を立ち上げています。

#Iターン #弘前市在住  #福島県出身 #起業 #DINKS

【Uターン】
青森市でこれまでの経験を生かして働く佐々木芽さん

Uターン後は趣味のカメラを片手に出かけることも。

Uターン後は趣味のカメラを片手に出かけることも。

佐々木芽さんは、東京都内の短大を卒業後、不動産関連企業などに勤務。
30代が近づいた頃、育児や介護など将来の生活を考え、2019年に青森市へUターン。
無垢材、漆喰、自然素材を使った住宅設計を得意とする〈日野建ホーム〉へ入社し、
現在は接客と営業の業務経験を生かして、ホームアドバイザーとして活躍しています。

#Uターン #青森市出身 #青森市在住 #転職 #単身

【Uターン】
八戸市で子育てしながら、ライターを続ける栗本千尋さん

お店には子どもたちが顔を出すことも。

お店には子どもたちが顔を出すことも。

八戸市出身のライター栗本千尋さんは、
東京の編集プロダクションやフリーライターとして実績を積むなか、
地元で子育てしたいと考え、家族とともに2020年にUターン。
移住後、3人目を出産し、子育てをしながらライターの仕事を続けています。
2024年、夫とともに八戸市内で〈NOMUU(ノムウ)〉という
ビストロをオープンしました。

#Uターン #八戸市出身 #八戸市在住 #リモートワーク #子育て

第1回は、日比谷OKUROJIにある、八戸圏域の魅力を発信する〈8 base(エイトベース)〉で開催。

第1回は、日比谷OKUROJIにある、八戸圏域の魅力を発信する〈8 base(エイトベース)〉で開催。

11月のイベントでは、以上の3人が登壇。
来年1月には、以下の3人が登壇予定です。

【Uターン】
弘前市のIT企業へ転職、週末は農業を手伝う太田真季さん

りんご畑で農作業することも。

りんご畑で農作業することも。

五所川原市出身の太田真季さんは、弘前大学卒業後、大手の人材系ウェブ広告会社に就職。
祖父が体調を崩したことをきっかけに移住を意識するようになり、
2018年に五所川原へUターン。地元のウェブコンサル会社〈コンシス〉に転職し、
最近では祖父母の農業も手伝っています。
Uターン後、青森で結婚し、新居も構えました。

#Uターン #五所川原市出身 #五所川原市在住 #転職 #IT #兼業農家 #DINKS

【Uターン】
青森市でサウナ事業を起業した冨岡未希さん

岩木山を望みながら“ととのう”ことも。

岩木山を望みながら“ととのう”ことも。

むつ市生まれ、八戸市育ちの冨岡未希さんは、大学進学を機に上京。
都会暮らしで疲れた心身をサウナでリセットできた体験から、
「これを青森に伝えたい!」と、2023年に青森市へUターン。
移動式サウナを提供する〈UNITED AOMORI〉を立ち上げ、
つがる市のキャンピングカーをベースに、青森ヒバの内装、五戸町製のストーブなど、
青森にこだわったサウナカーで事業を展開しています。

#Uターン #むつ市出身 #青森市在住 #起業 #単身

【Iターン】
弘前市観光案内所で働きながら、アウトドアを楽しむ佐藤宣子さん

東北の山を登山するのが休日の楽しみ。

東北の山を登山するのが休日の楽しみ。

東京都生まれの佐藤宣子さんは、自転車ツーリングイベント参加のため訪れた
弘前のまちにひと目惚れし、数年後にIターン。
現在は弘前市観光案内所で見どころの紹介や観光コースの提案などを行っています。
休日はキャンプやカヤック、登山、スキー、自転車など、
アウトドアを楽しむ日々を送っているそう。

#Iターン #東京都出身 #弘前市在住 #転職 #DINKS

第2回は東北の食材をふんだんに使った料理を味わえる、赤坂の〈東北cafe&dining トレジオンポート〉で開催。

第2回は東北の食材をふんだんに使った料理を味わえる、赤坂の〈東北cafe&dining トレジオンポート〉で開催。

2回のイベントでファシリテーターを務めるのは、
青森県出身のフリーアナウンサー、千葉真由佳さん。
キャリアコンサルタントの資格も持つ千葉さんが、
みなさんのUIターン前後と「これから」を深掘りします。

青森県産食材を使ったランチ、スイーツやドリンクも!

第1回登壇者・永井さんが手がけるりんごジュース〈ヒビノス林檎園〉もご用意!

第1回登壇者・永井さんが手がけるりんごジュース〈ヒビノス林檎園〉もご用意!

イベントでは、青森県産食材を使ったランチとスイーツ&ドリンク、お土産をご用意。
UIターンを具体的にイメージできていなくても参加OK。
ランチやお茶を楽しみながら、ゲストと一緒に“これから”について考えてみませんか?

information

青森とわたしのこれから会議

対象:青森県へのUIターンに関心のある女性

定員:各回20名(応募多数の場合は抽選)

参加費:無料(会場までの交通費等は自己負担)

問い合わせ:info(半角アットマーク)colocal.jp(「青森とわたしのこれから会議」事務局)

主催:青森県

イベント申込フォーム「青森とわたしのこれから会議」

 

第1回

日時:2025年11月16日(日)11:30~14:00(11:15受付)

場所:8base(東京都千代田区内幸町1-7-1 日比谷OKUROJI)

ゲスト:佐々木芽さん、栗本千尋さん、永井温子さん

応募締め切り:2025年10月31日(金)23:59

 

第2回

日時:2026年1月24日(土)11:30~14:00(11:15受付)

場所:東北cafe&dining トレジオンポート(東京都港区赤坂3-12-18)

ゲスト:太田真季さん、冨岡未希さん、佐藤宣子さん

応募締め切り:1次 2025年11月28日(金)23:59/2次 2026年1月9日(金)23:59

 

【当日タイムスケジュール】

11:15 受付

11:30 オープニング

11:40 ゲスト紹介・クロストーク

12:20 ランチ交流タイム

13:00 スイーツ&お茶歓談タイム

13:40 クロージング

14:00 終了

※内容や時間配分が多少変わる可能性があります

青森へのUIターンに興味を持ったら「あおぐら」へ!

今回のイベントに限らず、青森県へのUIターンに興味を持ったら
〈青森暮らしサポートセンター〉、通称「あおぐら」へ。
東京交通会館の〈ふるさと回帰支援センター・東京〉内にある、
青森県の移住にまつわる総合相談窓口です。
青森での仕事や暮らし、各種移住イベントなどの情報を得ることができます。

information

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青森暮らしサポートセンター 

住所:東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館8F(ふるさと回帰支援センター・東京内)

Web:青森暮らしサポートセンター

北の宝、北海道の自然環境を守る NPO法人サロンルンカムイの 気になる活動

2023年に設立された、北海道・弟子屈町(てしかがちょう)の自然保護・環境保護を目的としたNPO法人弟子屈自然共生協会「サロルンカムイ」。特別記念物である丹頂鶴、弟子屈町に生息する野鳥・絶滅危惧種や、屈斜路湖、釧路川をはじめとするダイナミックで美しい自然環境を保護する活動を行っている。

TAMATEBAKO AYNU

「サロルンカムイ」は、書家・美術家である川邊りえこが設立。そんな彼女が弟子屈に開設した「TAMATEBAKO AYNU」には、7つのゲストルームと、誰もが集える大きな応接スペースが備えられ、まるでシェアハウスのような場になっている。

「TAMATEBAKO」の庭の池。

「TAMATEBAKO」の庭の池。

AI化によりどんどん便利になる現代。「サロルンカムイ」では、多少遠回りでも未来につながるための営みを続ける、アイヌ文化のライフスタイルについて発信。2025年8月末にはアイヌ村ともいわれる平取町二風谷より、平取アイヌ文化保存会 食文化部長、貝澤美和子先生を迎え「アイヌ伝統料理の宴」を。札幌大学教授の本田優子先生による「アイヌの食文化」の講演を2日間にわたって主催した。

自然、植物、道具、現象、あらゆる存在に宿る魂を持つ霊的存在=カムイの信仰に基づき、カムイに感謝し共存するのがアイヌの生き方。食事ひとつとってもシンプルで無駄がなく、物も情報も過多な現代人にとって学びの宝庫といえる。

大地の恵みと共生し、自然のいち部として生きる知恵に支えられているアイヌ民族は、必要以上に採らず、次の世代や他の生き物のために残すことで自然の循環を守ってきた。未熟な作物を無駄にせず、自然との調和を大切にする暮らしの知恵はまさに目から鱗。

ちなみに弟子屈町の圧倒的な北海道の自然の美しさを守りたい気持ちに誰もがなる、屈斜路エコツアーズーは、屈斜路湖や釧路川源流のカヌー体験、自然体験ができるので併せておすすめ。まだ見ぬ北海道の扉を開く、サロルンカムイの活動は以下のリンクにて参照。

information

サロルンカムイ

“ホスピタリティの力”で地域を変える。星野リゾートの人材育成と魅力の秘密| コロカルアカデミー Vol.7開催決定

地域の暮らしや文化に根ざした新しい学びの場「コロカルアカデミー」の第7回を開催します。主催は、日本各地のローカルの魅力を発信し続けるWebマガジン「コロカル」です。

今回は、「旅を楽しくする」をテーマに、旅の様々な過ごし方に合わせた滞在を提案する「星野リゾート」をフィーチャー。コロカル編集部でも話題になっているのが、星野リゾートのユニークな採用・人材育成の仕組み。その根底には「スタッフ一人ひとりの想いやアイデアこそがサービスの源」という明確な哲学があります。

年齢や所属にとらわれず、誰もが自由に発言できる“フラットな組織文化”が魅力。月に一度開かれる「魅力会議」では、フロントも清掃スタッフも垣根なく、宿泊体験をより良くするためのアイデアを出し合い、実際にサービスとして形にしています。

今回のゲストは、「青森屋 by 星野リゾート」総支配人の須道玲奈(すどう・れいな)さん。青森県出身で、同施設初の女性総支配人かつ県内出身者という、新しいロールモデルです。

本セミナーでは、須道さんの経験をもとに、
・星野リゾートの人材育成・採用戦略
・ホスピタリティの哲学と現場での実践
・地方での観光マーケティングや共創の工夫

といったリアルなお話を通じて、組織や地域を超えて活かせるヒントをお届けします。

この60分間は、あなたの「地域を見る視点」や「組織づくりのヒント」にきっと変化をもたらすはず。地方での仕事に関心がある方、観光業の裏側を知りたい方、そして「人を育てる」立場にあるすべての方におすすめのセッションです。ぜひご参加ください。

【概要】
コロカルアカデミー Vol.7
「“ホスピタリティの力”で地域を変える。星野リゾートの人材育成と魅力の秘密」
日時:2025年11月5日(水)15:00〜16:00(14:50開場)
形式:Zoomウェビナー
費用:無料(要事前申込)
募集期間:2025年10月31日(金)12:00まで
※後日見逃し配信あり

【コロカルアカデミーとは】
ローカルを舞台に活躍する人々のリアルな情報を通して、日本の魅力を再定義するウェビナーシリーズです。地域を活性化させるために働きたい方、ローカルでビジネスを始めたい方、自治体や企業で地域創生に携わる方に向けて、新たなヒントを提供します。

いままでのコロカルアカデミーはこちら

登壇者は、地域の文化資産や資源を掘り起こし、その価値を世界に伝える新しいリーダーたち。ローカルビジネスにおける強みと課題、問題解決のプロセス、未来を変える次の一手についてもリスナーの皆さんと一緒に考えていきます。

【本セミナーで学べること】
●星野リゾートの人材育成・採用戦略
●現場で実践されるホスピタリティの哲学
●地方リゾート運営における課題と創意工夫
●地域と連携した雇用・集客・観光施策

【こんな方におすすめ】
●観光・ホスピタリティ業界に関心のある方
●地方創生、地域活性に携わる自治体・企業関係者
●人材育成や組織文化づくりに関心のあるビジネスパーソン
●星野リゾートの取り組みに興味のある学生

【登壇者プロフィール】

園部健二

須道 玲奈(すどう・れいな)
青森県出身。青森屋 by 星野リゾート 初の女性総支配人。
青森を“もっと多くの人に知ってもらいたい”という思いから星野リゾートに入社。サービスや広報業務を経験し、石川県の「界 加賀」でも総支配人を歴任。2023年より青森屋の総支配人に就任。
地元の魅力を磨き上げ、「青森のファンを全国に増やす」ことを目指して奮闘中。

杉江宣洋

杉江宣洋(すぎえ・のぶひろ)
コロカル編集長/MAGAZINEHOUSE CREATIVE STUDIO ブランディングプロデューサー
1997年マガジンハウスに入社。『anan』編集部を経て、2008年『BRUTUS』配属、10年同誌副編集長に。『BRUTUS』では「居住空間学」(インテリア特集)「音楽と酒」シリーズなどをヒット企画に育てた実績を持つ。また、「桑田佳祐」「山下達郎」「松本隆」「スタジオジブリ」などの特集も担当。2022年Hanako編集長就任。2025年より現職。

【注意事項】
・本イベントはオンライン開催です。
・音声や映像の乱れが生じる場合があります。
・録画・録音・再配信はご遠慮ください。

申込締切:2025年10月31日(金)12:00
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【見逃し配信あり】 『俳優・小林涼子が挑む、地域×農業×福祉の現場。肩書を越えて働く時代へ』 コロカルアカデミーVol.5

日本のローカルの魅力を発信する「コロカル」は、ウェビナー講義シリーズ「コロカルアカデミー」の第5回を9月3日に開催しました。ゲストは、俳優でありながら株式会社AGRIKO代表取締役として活動する小林涼子さん。

小林さんは、芸能の世界で順調にキャリアを重ねる一方で、20代の頃には将来への葛藤を抱え、「自分は何をしたいのか」を模索し続け、新潟での米づくりに出会います。家族の体調不良を機に「このままでは、地域の農業は立ち行かなくなる」、そうした危機感から、2021年、農業と福祉を軸にした株式会社AGRIKOを創業。アクアポニックス農法を導入した都市型の屋上ファームや、新潟での稲作、障がい者とともに働く農福連携など、「地域課題」を解決しながら「都市と地方をつなぐ」挑戦を続けています。
今回はそんな、俳優という肩書きにとどまらず、現場に根を張り、土地の可能性を育てる姿勢を大切にする小林さんに、地域の現場から見えるリアルな課題と可能性について、存分に語って頂きました。

見逃し配信を視聴したい方はこちらからお申し込みください。
▶︎https://form.run/@colocal05

小林涼子(こばやし・りょうこ)

小林涼子(こばやし・りょうこ)

俳優/株式会社AGRIKO代表取締役
農林水産省 食料・農業・農村政策審議会 食糧部会臨時委員
子役として芸能活動を開始し、連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)など数々のドラマや映画に出演。2014年から農業に携わり、2021年に株式会社AGRIKOを設立。現在は稲作やアクアポニックス農法による都市型農園を展開し、地域の福祉とも連携した持続可能な農のあり方を模索している。ラジオナビゲーターや講演活動など、ジャンルを超えてパラレルキャリアを体現する存在。

俳優から農業へ向かった「お米」との出会い

俳優 美味しいを守る

まず小林さんからお話があったのは、ご自身の俳優としてのキャリアから、どのようにして農業と出会い、そして会社の設立に至ったのか、という経緯について。
俳優業で駆け抜けた10代、20代を過ごし、少し疲れを感じてしまったころ、家族のすすめでふと出会った新潟の棚田。そこでの農業のお手伝いで味わった汗をかくことやお米を食べること、その美味しさや楽しさが小林さんの農業の原体験でした。
そんな中、小林さんは、農家さんの人手不足の現状を知り、コロナ禍を経て、「このままでは、美味しいものを食べ続けられる未来が失われてしまう」という現実に向き合うようになったそうです。
自分一人が“お手伝い”という立場で、すべてを担える力はなかった。だからこそ、一人ではなく、「組織」としてできることがあるのではないか。そうしてたどり着いたのが、株式会社AGRIKOの立ち上げです。

「農福(ノウフク)」という事業/生き方

Mission

そんな株式会社AGRIKOは、農業と福祉の連携を軸に掲げ、活動を進めています。
10代や20代のころは、俳優業に没頭し、全力投球していた小林さん。それでも自分が思うようにキャリアが進まず、売れていく同世代の俳優の背中を見ながら、空回りしている感覚があったそうです。
「障がい」とは人それぞれで、一言では語れませんが、障がいと健常は、私たちが思うほど明確に線を引けるものではない。野心もあり、心身ともに元気だった自分がある日にふと立ち止まってしまったように、人生につまずき、心が疲れてしまう人は決して少なくない。誰もが生きづらさを感じる時代に、誰もが安心して暮らせる社会をつくること。それは、かつての自分自身のためでもあり、私たちみんなにとって必要なことではないか。
小林さんにとって、「農福」とは事業であると同時に、生き方そのものなのだろうと、その優しい語りの中に感じる確かな覚悟が伝わってきました。

食をめぐる日本の現状と限界集落について

日本の現状

改めて、日本の食は今、どのような状況なのかについてのお話もありました。日本が人口減少社会を迎えながら、農業従事者は、更に高齢化が進んでおり、2023年時点における基幹的農業事業者は116万人ほど。さらに食料自給率※は、カロリーベースで38%。先進国の中では、最も低い水準だそうです。
こうした中、農村にはおのずと限界集落が生まれていきます。食物を生み出すには、当然、人の手が必要です。にもかかわらず、人の手が足りない、届かない地域がある。
ショッキングな数字や事実が並びましたが、そんな中、小林さんはどのようにして、この課題に向き合っているのか。話は更に本格的になっていきます。

※食料自給率にはカロリーベースと生産額ベースがあり、それぞれ数値が異なります。* データは、それぞれ調査年が異なるため、厳密な一致はありません。

「都市農業」の可能性と多面性

Aquaponics System

東京における農業は、土地の面積に課題があるなかで、お話に出たのは、アクアポニックス(水産養殖×水耕栽培)というあり方。魚とバクテリアと植物によるシステムの輪は、確かな新しい農業の可能性を感じます。

都市農業の多様な機能(6つの機能)

先日の東京都主催の「TOKYO農業フォーラム2025 ~エコな農業が創るエシカルな東京~」の基調講演でも語られていた「都市農業の可能性」について、今回も小林さんならではの視点で、都市農業が持つ大きなポテンシャルについてお話がありました。

さらに会社として進めている、さまざまな実例(食材販売、サポーターズ(子育て世代の女性たちの雇用)の仕組み、障がい者雇用のアドバイスや雇用継続支援、食育イベントなど)を交えながら、農業や、農業に関する事業が持つポテンシャルについて語っていただき、最終的には、都市と地方をつなぐ、食の可能性についてのお話まで広がりました。
どのプロダクトや商品も可愛くて、洗練されていて、ワクワクする農業の姿が、そこにはありました。

生きること・食べること・楽しむこと

さまざまな実例

小林さんのお話を伺っていて、一番感じたことは、「食べることと生きることとの繋がり」、そしてそれらを「楽しむことの大切さ」です。
私たちは日々、食べることで生きています。食物は私たちの生活に必須で、だからこそその問題に対して、課題が生まれた時、大きな混乱が起きてしまいがちです。取り組むべき課題が深刻であることに疑いはありません。
ですが同時に、そうした課題を「誰かが解決してくれる」と静観するのではなく、自分で動き、しかもそれを仲間と共に広げ、大きなムーブメントを明るく生み出すのが小林さんにしかできないあり方だったのだろうと感じます。
都市と地方、消費者と生産者、健常者と障がい者。私たちは二項対立で物事を捉えがちですが、そこにある課題・テーマは、同じ「共に生きること」であり、それは単なる二項対立から離れ、みんながそれぞれの場所で、連帯しながら、ゆっくり取り組んでいくことなのかもしれないと、小林さんのお話を伺っていて、感じました。そのためには、単に眉をしかめ、難しい顔をして取り組むのではなく、小林さんのように、あるいは、今日のお写真で出てきたイベントに参加する子どもたちのように、笑顔で、前向きに取り組んでいくことこそが、課題解決の「隠し味」なのかもしれません。

トークセッションでは、『社会的な課題を“自分ごと”として捉えるとは?』をテーマに、小林さんのこれまでの背景や体験を、より具体的に掘り下げつつ、Q&Aでは、農福連携のあり方などについて、より具体的な話題も盛りだくさんでした。

食に関心がある方、障がいのあり方と社会のあり方に関心がある方、前向きに社会課題に取り組みたい方、パラレルなキャリア形成に関心がある方、多くの方にお勧めです。
見逃し配信を視聴したい方はぜひ、こちらからお申し込みください。
▶︎視聴登録はこちら

株式会社AGRIKOのサイトもぜひチェックしてみてください!
https://farm.agriko.net/company

グランプリはどこだ? 食でめぐる農泊体験 『滞在プランコンテスト』結果発表

コンテストで見えた、日本の旅のかたち

〈JTB〉が2025年6〜7月に実施した「地域の滞在プランコンテスト」の結果が、9月1日の表彰式で発表された。対象は、農林水産省が選定した「農泊インバウンド受入促進重点地域」の40ヵ所。食関連消費の拡大をテーマに滞在プランを募集し、グランプリ1地域・優秀賞2地域・企業賞5地域が選出された。受賞地域には、プランのPR・伴走支援や協賛企業によるブラッシュアップ支援も提供される。

グランプリに輝いた笛吹市「富士山を越えてめぐる農の恵み」

グランプリを獲得したのは、山梨県・笛吹市農泊観光ツーリズム推進協議会のプラン「富士山を越えてめぐる農の恵み〜世界農業遺産の地で味わう、人と自然の共生の知恵〜」。山梨と静岡をまたぐ農業体験を基盤に、自然や歴史、文化を物語として伝える構成と、少人数・通年の受け入れや流通の多様化といった仕組みが評価対象となった。

各地で描かれる「食と暮らし」の物語

優秀賞には、石川県白山市の白峰林泊協議会による「自然の聖地『白山』いのちの水を巡る旅」と、三重県大紀町地域活性化協議会の「熊野古道伊勢路〜巡礼・食旅〜」が選ばれた。いずれも地域の資源を活かし、食や文化を深く体験できるプランである。

企業賞には、沖縄県おおぎみツーリズム地域協議会、京都府南丹市美山エコツーリズム推進協議会、香川県てしま農泊推進協議会、愛知県田原市農泊推進協議会、新潟県寺泊広域まちづくり協議会の5地域が選出された。

多様な地域が独自の食文化や暮らしを提案し、農泊の未来に新たな広がりを見せている。地域の挑戦を後押しするこのコンテストは、旅を通じて人と土地をつなぎ直し、その魅力を次の世代へと伝えていくための場となっている。

優秀賞

企業賞

企業賞:沖縄県大宜味村「よんな~沖縄・アグリ&アドベンチャートラベル in 大宜味

企業賞:沖縄県大宜味村「よんな~沖縄・アグリ&アドベンチャートラベル in 大宜味
長寿の里・大宜味村で、自然とともに生きる人々の食や文化を体験する農泊の旅。

企業賞:京都府南丹市美山町「米がつなぐ暮らし〜美山から伏見、米文化をめぐる旅」

企業賞:京都府南丹市美山町「米がつなぐ暮らし〜美山から伏見、米文化をめぐる旅」
かやぶきの里に息づく循環型の暮らしから、日本人の米文化を考える旅。

企業賞:香川県豊島(土庄町)「瀬戸内・豊島『水がつなぐ島の物語』

企業賞:香川県豊島(土庄町)「瀬戸内・豊島『水がつなぐ島の物語』」
瀬戸内の小島で、再生された自然と人の営みをたどり、水がつなぐ暮らしを体感する。

企業賞:愛知県田原市「Salt Voyage 海が結ぶ塩の道」

企業賞:愛知県田原市「Salt Voyage 海が結ぶ塩の道」
渥美半島を巡り、海と結びついた塩づくりの文化と味を体感する旅。

企業賞:新潟県長岡市寺泊「『旨味』と『技』を識る、職魂に触れる寺泊ガストロノミープラン」

企業賞:新潟県長岡市寺泊「『旨味』と『技』を識る、職魂に触れる寺泊ガストロノミープラン」
寺泊の海の幸と漁師や料理人、燕三条の職人技が紡ぐ“旨味の物語”をめぐる旅。

information

地域の滞在プランコンテスト2025

●グランプリ:笛吹市農泊観光ツーリズム推進協議会(山梨県)
●優秀賞:白峰林泊協議会(石川県)/大紀町地域活性化協議会(三重県)
●企業賞:おおぎみツーリズム地域協議会(沖縄県)/南丹市美山エコツーリズム推進協議会(京都府)/てしま農泊推進協議会(香川県)/田原市農泊推進協議会(愛知県)/寺泊広域まちづくり協議会(新潟県)

主催:株式会社JTB

協力:農林水産省

俳優・小林涼子が挑む、 地域×農業×福祉の現場。 肩書を越えて働く時代へ| コロカルアカデミー Vol.5 開催決定

地域の暮らしや文化に根ざした新しい学びの場、「コロカルアカデミー」の第5回が開催されます。主催は、日本各地のローカルの魅力を伝え続けるWebマガジン「コロカル」。

今回のゲストは4歳で芸能界デビューを果たし、数々のドラマや映画で存在感を示してきた俳優・小林涼子さん。順調にキャリアを重ねる一方で、20代の頃には将来への葛藤を抱え、「自分は何をしたいのか」を模索し続けたといいます。そんな時期に出合ったのが、新潟での米づくり。自然の豊かさと、地域に根ざした暮らしに触れた経験が、彼女の価値観を大きく変えていきました。

「このままでは、地域の農業は立ち行かなくなる」、そうした危機感から、2021年、小林さんは農業と福祉を軸にした株式会社AGRIKOを創業。都市での屋上農園やアクアポニックス農法の導入、新潟での稲作、障がい者とともに働く循環型ファームの運営など、「地域課題」を解決しながら「都市と地方をつなぐ」挑戦を続けています。

俳優という肩書にとどまらず、現場に根を張り、土地の可能性を育てる姿勢は、ローカルの未来を考える私たちに多くの示唆を与えてくれるはず。

今回の「コロカルアカデミー Vol.5」では、そんな小林さんをゲストに迎え、株式会社AGRIKOの活動について、そして地域の現場から見えるリアルな課題と可能性を語っていただきます。

後半には、コロカル編集長・杉江宣洋との対談セッションも実施。「地域と都市」「福祉とビジネス」をどうつなぎ、新たなキャリアや文化を生み出せるのかを深掘りします。

地域、福祉、農業、そしてこれからの働き方に関心のあるすべての方へ。未来のロールモデルと出会う1時間を、ぜひご一緒ください。

【概要】
コロカルアカデミー Vol.5
「俳優・小林涼子が挑む、地域×農業×福祉の現場から。肩書を越えて働く時代へ」
日時:2025年9月3日(水)15:00〜16:00(14:50開場)
※見逃し配信あり
形式:Zoomウェビナー
費用:無料(要事前申込)
お申し込みは終了いたしました。
※本ウェビナーにご参加いただいた方、また事前申し込みをいただいた方には、後日見逃し配信のご案内をお送りします。当日ご都合がつかない場合も、ぜひお気軽にお申し込みください。

【コロカルアカデミーとは】
ローカルを舞台に活躍する人々のリアルな情報を通して、日本の魅力を再定義するウェビナーシリーズです。地域を活性化させるために働きたい方、ローカルでビジネスを始めたい方、自治体や企業で地域創生に携わる方に向けて、新たなヒントを提供します。

いままでのコロカルアカデミーはこちら

登壇者は、地域の文化資産や資源を掘り起こし、その価値を世界に伝える新しいリーダーたち。ローカルビジネスにおける強みと課題、問題解決のプロセス、未来を変える次の一手についてもリスナーの皆さんと一緒に考えていきます。

【本ウェビナーで学べること】
●株式会社AGRIKO立ち上げの背景とビジョン
●限界集落での挑戦と、望まれる農業とは?
●循環型農福連携ファームと“アクアポニックス農法”の可能性
●地方と都市をつなぐ「農」の役割

【こんな方におすすめ】
●地域×福祉×農業に関心のある方
●新しい働き方、パラレルキャリアに興味のある方
●食や農、循環型社会のあり方に問題意識を持つ方
●ローカルビジネスや社会起業に関心のある方

【登壇者プロフィール】

小林涼子

小林涼子(こばやし・りょうこ)
俳優/株式会社AGRIKO代表取締役
農林水産省 食料・農業・農村政策審議会 食糧部会臨時委員
子役として芸能活動を開始し、連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)など数々のドラマや映画に出演。2014年から農業に携わり、2021年に株式会社AGRIKOを設立。現在は稲作やアクアポニックス農法による都市型農園を展開し、地域の福祉とも連携した持続可能な農のあり方を模索している。ラジオナビゲーターや講演活動など、ジャンルを超えてパラレルキャリアを体現する存在。

杉江宣洋

杉江宣洋(すぎえ・のぶひろ)
コロカル編集長/MAGAZINEHOUSE CREATIVE STUDIO ブランディングプロデューサー
1997年マガジンハウスに入社。『anan』編集部を経て、2008年『BRUTUS』配属、10年同誌副編集長に。『BRUTUS』では「居住空間学」(インテリア特集)「音楽と酒」シリーズなどをヒット企画に育てた実績を持つ。また、「桑田佳祐」「山下達郎」「松本隆」「スタジオジブリ」などの特集も担当。2022年Hanako編集長就任。2025年より現職。

【注意事項】
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