連載
posted:2025.3.7 from:千葉県鴨川市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
南房総の鋸南町に移住した筆者が、房総半島に移住してユニークな活動を展開する人々を訪ね、
彼らがどのように地域に根ざした活動を行っているのかを取材。これからのカルチャーを育んでいくための場や
地域内外の人々が交流する機会をつくる、その可能性を探ります。
writer profile
Masaharu Kuramochi
倉持政晴
くらもち・まさはる●1975年大阪生まれ、京都~千葉~兵庫~東京育ち。2023年より地域おこし協力隊の制度を利用して千葉県安房郡鋸南町へ移住。現在は房総半島拠点の企画制作プロジェクト〈区区往来(まちまちおうらい)〉を主宰。2021年に閉館した〈アップリンク渋谷〉(旧名:UPLINK FACTORY)では1999年から 2020年までイベントの企画を担当し、国内外の独立系文化やアンダーグラウンド文化に焦点を当てたさまざまなイベントを開催した。バンド〈黒パイプ〉のボーカル。最近のDJ名義は「memeくらげ」。青林工藝舎の隔月漫画誌アックスにて「ル・デルニエ・クリの人びと」を連載中。
区区往来
2月某日の朝、ふらりと立ち寄った鴨川シーワールドは大いに賑わっていました。
この日は鴨川市民であれば無料で入館できるという、年に1度の優待日だったのです。
チケット売り場でそのことを知ったとき、
渋谷でイベントスペースの運営に携わっていた頃の感覚が急に蘇って
「そうそう、暦の上ではもっとも日数の少ない2月は
売り上げを立てるのが大変だから、集客で成り立っている場所はどこだって
お客さんに向けたさまざまな仕掛けを試みる月でもあるんだよなー」
などといやらしいことを考えてしまいました。
市政が始まった日を記念する太っ腹な周年イベントだということも知らずに……。
さて、鋸南町で暮らしている僕がどうして朝からこのあたりを散歩していたかというと、
この近くにある場所に前日から滞在し、
制作に関わったイベントを2日間にわたって開催していたからなのです。
鴨川シーワールドの前を走る国道「外房黒潮ライン」を横断し、
海岸防風林を抜けた先にある「伊南房州通往還(いなんぼうしゅうつうおうかん)」
というかっこいい名前の街道に沿って、
安房鴨川(あわかもがわ)駅方面に向かって少し歩けば、進行方向右側に
なんだか学校の校門を思わせるオールドスクールなスライド式鉄製門扉と、
その奥に広がる庭園風の空間が目に入ります。
南房総エリアではお馴染みのカナリーヤシの木を見上げつつ
その門の中に足を踏み入れ、花木や果樹や菜園がひしめくその敷地内を進んでいくと、
やがて眼前に立派な茅葺き屋根の建物と古い蔵が建ち並ぶ、
広場のような空間が姿を現します。
そう、ここが〈鴨川スーパーナチュラルデラックス〉。
この土地で明治期より酒造業を営んでいた家の母屋と蔵が残された広々とした敷地が、
2022年9月より、イベントやワークショップのための
新しいスペースとして生まれ変わったのです。
〈鴨川スーパーナチュラルデラックス〉の母屋(左)と蔵(右)。
ライブ会場として使われることの多い蔵にかけられた暖簾には、デザインユニット〈生意気〉によるお馴染みの目玉ロゴが。目玉に口はないが、〈西麻布スーパーデラックス〉に思い出がある人には「お帰りなさい」と言う声が聞こえてくるのではないか。
「極端にいえば、東京では1か月でやっていたことを
2年かけてまだやれてないくらいなんですよ。
昔のスケジュールを見ると1か月に30個のイベントをやっていたからね(笑)。
帰る時間に朝日を見るようなことが多かったし、
東京タワー越しに昇ってくる朝日を見ながら
“僕はこれから寝るんだけどね!”っていつも思ってたよね。
外房は朝日が昇るのが早いから、久しぶりに朝の時間を楽しめるというか、
海から上がってくる太陽を見て“これからまた1日が始まるんだ”っていう
新鮮な気持ちになれるんだよね。海の近くで暮らすことができるのはうれしい。
夜も、特に冬はめっちゃ星が見えるからね」と、
マイク・クベックさんは楽しそうに話します。
母屋にはバーカウンターが併設されていて、年季ものの梅ジュースや地域の食材を用いたナチュラルな飲み物を楽しめる。
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さまざまな分野のクリエイターたちが集まるシェアオフィスでありつつ
即興演奏のライブイベントも行われていた〈麻布十番デラックス〉(1998~2005年)、
そのイベント機能のみを拡張させ独立したイベントスペースとして運営されていた
〈西麻布スーパーデラックス〉(2002~2019年)で
ディレクターを務めていたマイクさんは、さらにその続きを展開するために、
ここ南房総エリアでスーパーナチュラルデラックスの運営をスタートさせたのです。
麻布十番にあったシェアオフィス〈デラックス〉。現在のスーパーナチュラルデラックスへと至るマイクさんのクリエイティブ・ディレクターとしての冒険の出発点はこんな場所だった。この倉庫風の建物は取り壊されてもう存在しない。
マイクさんは港区、僕は渋谷区という大まかなエリアの違いはあったものの、
アーティストたちを中心に共通の友人知人が多かったですし、
それぞれのハコの中から同時期に東京という巨大都市を
定点観測的に見つめてきたという似通った体験をしてきたからなのか、
彼が活動の拠点を六本木エリアから南房総エリアへと移したことを知った際には、
驚きはしたものの「なるほど、そうきたか」と妙に納得したことを覚えています。
世界各地で演奏活動を展開する音楽家たちが身を寄せるベニューは大都市に必ず存在し、スーパーデラックスはその東京代表と呼べる場所だった。メインストリームの枠には収まりきらない尖った表現を扱う都心部のイベントスペースとしては、200人以上の観客を収容できたその広さもまた希少だった。(撮影:大八木宏武)
「東京の頃は、音楽とか映像とかダンスとか
いわゆる“アート”のディレクションをしていたわけなんだけど、
そういったパフォーミングアーツ(舞台芸術)だけじゃないところまで
広げていきたいんだよね。農家さんとか漁師さんとか大工さんとか、
そういう生活に根本的に必要なものまで。
民藝じゃないけど、こっちだったらそれができそうな気がして。
毎日の生活に近い部分と表現との、いいコラボレーションがもっとできたら
おもしろいんじゃないかって思っていて。
季節ごとの食べ物もあるし、そういう意味ではフルスペクトル(五感すべて)に
アピールするものだってできちゃうかもしれない」
麻布十番~西麻布時代のマイクさんの“現場”に何度も足を運んできた人間のひとりとして、
スーパーナチュラルデラックスでは確かに、
この土地の時間の流れやこちらの人々のライフスタイルにチューニングを合わせた、
新しい実験が展開されているように感じられます。
ミュージシャンやパフォーマーたちの名前と、
地域の生産者や個人経営のお店や工房の名前が並列にラインナップされる
「Super夜市」のような、イベントとマーケットのハイブリッド的なあり方は、
その実験の成功例といえるかもしれません。
田舎の夜は早いが「Super夜市」は日が落ちてからの雰囲気もとてもいい。地域の生産者やアーティストの話を聞きながら食べ物や作品を手に取るプロセスもまた楽しい。蔵の中でフリーライブが行われることもある。次回「Super夜市」は4月5日(土)開催。(撮影:畑中美亜子)
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西麻布スーパーデラックスの閉店は、発表から4か月後という急なものでした。
その理由は、テナントとして入っていたビルの取り壊しが始まる時期が
契約更新後の期間と重なることが、直前に判明したからなのだそうです。
しかし、実はマイクさんはそれ以前から
東京と地方の2拠点のイメージを思い描いていたのだと言います。
「スーパーデラックスをやりながら、地方でもうちょっと
スローペースなレジデンスもできないかっていうアイデアがあって、
2015年くらいからわりと真剣に検討していたんですよ。
だから、2016~2017年は九州へ行ったりとか、けっこう動いていたんですよね。
そのときもこっち(南房総エリア)に1回来てるし。
でも、いまも似たような状況ではあるんだけど、
スーパーデラックスのことで毎日忙しくて踏み切れなかったんだよね。
やりたいなと思いながらなかなか時間が取れなくて。
もっと人に任せちゃえばよかったんだけど、それが性格的にできないタイプで(笑)。
タイミング的にコロナでこっちに来たと思われてるんだけど、実は全然関係なくて。
実際はそれよりひと足早かった。いずれにせよコロナ禍でイベントはできないから、
それで仕事ができなくなったことには変わりないんだけど、
そういう意味ではタイミング的にラッキーだったなっていう気はするんですけどね」
日が落ちて蔵と母屋に明かりが灯り始めると、いよいよまちなかにあるとは思えないような隠れ里ムードが高まっていく。
マイクさんは結果的に、西麻布スーパーデラックスの閉店がきっかけとなって
活動の拠点を移すことになったわけですが、
その行き先がなぜ南房総エリアであったかというと、こちらに住んでいる知人より、
以前からイベント企画の相談を受けていたために何度も鴨川に足を運んでいたということ、
その流れで現在スーパーナチュラルデラックスとして運営されている物件と
出合ってしまったことが決め手になったのだそう。
そして、2012年からすでに南房総市で〈パーマカルチャー安房〉としての
活動を展開していた友人のフィル・キャッシュマンさんと
この場所でできそうなことをいろいろと話しているなかで、
「とてもおもしろい場所だし、一緒にできるんだったらやろうよ」と意気投合し、
この場所がふたりを中心に共同運営されることとなりました。
蔵の前に置かれたアースオーブンを使ってフィルさんが焼く“天然酵母生地のフワフワもちもちカリッカリッ”なピザは、スーパーナチュラルデラックスでは定番の人気メニュー。
僕たちの周辺にいた近い世代の友人知人たちの多くが、
震災後、あるいはコロナ禍のタイミングで東京を離れていったことを思えば、
このディレイというものはやはり僕たちが
場所の運営に関わり続けていた人間だったから生じたものなのでしょう。
では、マイクさんが新しい環境で思い描いている今日的なクリエイティブの実践の場とは、
果たしてどのようなものなのでしょうか。
「敷地が広いからこそメンテナンスや季節ごとにやらなきゃいけない仕事が多いし、
1~2年目はまだそのサイクルを把握できていなかったというのもあって。
3年目になってやっと少しずつ地域内でも交流が始められたかなっていうのはある。
これからはもう少し近くにいる人たちとコラボしながら
いろいろなことができたらいいなあとは思っていて。
それプラス海外だね。それはいままでずっとやってきたことだし、
ここの写真を海外のアーティストに見せるとすごく来たがってくれる。
蔵の中の音の鳴り方が良かったりとか、
まちなかにあるけど敷地内は静かだという特殊な環境があるから、
超ローカルと超日常的なもの、そして海外のアーティストとのコラボレーションが
もっとうまくやれたらいいなと思ってるんですよね」
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西麻布スーパーデラックスは六本木エリアという立地もそうですが、
特に音楽イベントに関しては、マイクさんのディレクションによって
海外のアーティストと国内のアーティストのコラボレーションが起こりやすい場所でした。
イベントごとにその場内を埋める観客の国籍のバランスが変化するような、
地下なのにまるで国際空港のような佇まいをした空間だったのです。
鴨川市の海側に位置するスーパーナチュラルデラックスを、
マイクさんは港のような場所にしたいのだと言います。
昨年には、オーストラリアのサウンドアーティスト/作曲家ジェイムス・ハリックさんと
能声楽家の青木涼子さんが、スーパーナチュラルデラックスに滞在して制作した
パフォーマンス作品が、各国からキュレーターやディレクター、アーティストが集まる
〈横浜国際舞台芸術ミーティング(YPAM)〉で初演されました。
アーティストの作品制作と発表が、それぞれ異なる“港”で行われるという事例も
すでに起こり始めています。
ジェイムス・ハリックさんと青木涼子さんの滞在制作時には、スーパーナチュラルデラックスの母屋が撮影スタジオとしても使われた。
「滞在制作には力を入れていきたいですね。
人を迎えるための準備のひとつひとつがすごく大変だけど、
せっかく来てくれるんだったらゆっくりしてほしいというのもある。
ツアーの一環としてやって来て、14時に会場入りしてサウンドチェックして、
ライブが終わったらすぐに別のまちに移動しちゃう……みたいなことは、
僕としてはもうあまりやりたいことじゃない。
ライブをやるだけだったら、ほかにもいろいろな場所があるからね。
それよりも、ここを体験してもらって、
何かしら反響し合うようなことが起こるのが僕的には望ましいこと」
確かに、海外のイベントに招かれた際にいつも感心させられるのは、
出演者や関係者に対するホスト側のホスピタリティの高さです。
本番前には、その土地でいつも食べられている料理が並ぶ食卓を関係者一同で囲んだり、
イベント終了後はそのまま会場併設の宿泊施設やオーガナイザーの家に
泊まらせてもらえたり、オフの時間にはよそからやってきた僕たちを
彼らが自慢したい地元の名店や名所に連れて行ってくれたり。
イベントという非日常的な時間だけではなく、たとえ短い時間であっても
こうやって日常をともに過ごすプロセスが、
ひとつのものを一緒につくっているという気持ちをより高めてくれるものです。
ところが、いざ自分が東京のハコの人間としてホスト側に回ったときに、
彼らがしてくれたような十分なもてなしをこちらができないことが
心にずっとひっかかっていました。
と、ここで話を再び冒頭の2月某日へと戻します。
鴨川シーワールドから滞在先のスーパーナチュラルデラックスに帰ると、
すぐにイベントの開演時間が迫っていました。
「安房にて」と題されたこのライブイベントの目玉は、
大正期に鋸南町をたびたび訪れていたという詩人・西條八十が、
鋸南町の海や浜辺をイメージの源泉として詩を書いた童謡『かなりや』と
幻の楽曲『安房にて』を、その100年後の鋸南町に暮らす移住者である
安藤巴さんと楠瀬亮さんを中心とする4人の音楽家たちが、
いまの感覚で捉え直し、演奏するというものでした。
安房とは鴨川市と鋸南町を含む南房総エリア内の3市1町の古くからの地域名です。
ライブ会場となった蔵の中で、ストーブを囲みながらその日につくられたばかりの曲を練習する出演者たち。左から安藤巴、楠瀬亮、角銅真実、宮坂遼太郎。
この日のライブはソールドアウト。
そのアナウンスをSNSで開始したタイミングで、
校門風のエントランス前で周囲をきょろきょろと見回していた
ご高齢の男性に声をかけられました。
「あのう、スーパー?なんとかデラックス? っていうのは、ここですか?」と。
お話をうかがっているうちに、この方は『かなりや』『安房にて』の作曲者である
成田為三と同じ北秋田市のご出身で、
千葉県袖ヶ浦市に長く暮らされているということがわかりました。
「新聞記事で知って、なんだか懐かしい気持ちになりましてね。
どうしても来たかったんです」
ローカルとローカルが直結するポイントは
中央の外側に置くことだってできるんじゃないか。
そんな思いを抱いて南房総エリアにやって来た僕にとって、
それはとてもうれしい出来事でした。
もちろん、急遽座席をひとつ増やしてご入場いただきました。
立ち見が出るほどの盛況となったライブイベント「安房にて」。2日目は主催者の「安藤巴と楠瀬亮」のふたりの演奏で幕を開けた。地域内のみならず都内からのお客さんを集められるのは、やはり都心から近い南房総エリアが持つ強みといえるだろう。
「東京のあのスピードというのは、
やっぱり人数がいるからこそできることでもあるんだよね。
周りにスタッフとか手伝える人とか、同じことを実現したい気持ちのある人たちが
たくさんいて。よくわからないけど協力したい! という気持ちで関わり始めて、
いまは重要なポジションに就いているような人たちも
ちょこちょこいたりするじゃないですか、東京って。
いまの環境では、そういった20代前半の層が非常に少ない。
高校を卒業すると地域を一度出てしまうし、
戻って来たとしてもブランクができてしまっていたりして。
でも、ここを一緒に動かすチームを見つけられたら、そんなに無理せず
いい感じで、よりいろいろなことができるんじゃないかなと思ってるんだよね」
東京時代に培われた実験精神と国境を超えたマッチング機能をそのままに、
スーパーナチュラルデラックスがインディペンデントとしては
大き過ぎず小さ過ぎない規模で南房総エリアの中に存在することの重要性は、
きっとこれから次第に強まっていくことでしょう。
ここは東京のすぐ近くにありながら、アイデアやクリエイティブを
とれたての鮮度抜群の状態で相手に届けることができる
数少ない場所のひとつなのですから。
鴨川シーワールドをご一緒した出演者のひとり、角銅真実さんが水槽の中に浮かぶ巨大なマンボウを見てすぐに描いた絵が、その数時間後にステッカーとして物販コーナーに置かれていたことを僕は見逃しませんでした。
information
鴨川スーパーナチュラルデラックス
住所:千葉県鴨川市西町1040
Web:SuperDeluxe
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