連載
posted:2017.12.29 from:東京都板橋区 genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
credit
協力:ブルーシープ
いま、わたしが転居を計画中の岩見沢の山里で、“森の出版社”を始めてみたい。
そんな想いを、この連載で以前に書いたことがある。
その構想の源になったのは、〈タラブックス〉という小さな出版社の活動だ。
南インドのチェンナイにあり、手漉きの紙に手刷り、手製本による
工芸品のような美しい絵本を生み出す出版社として、その名を知られている。
長年、出版を行うのは都会がベストという固定観念を持っていたのだが、
これらの本を眺めているうちに、過疎化が進む山間部でも、
印刷工房をつくって出版活動ができるんじゃないか?
という可能性が感じられるようになったのだ。
タラブックスの活動を深く知るようになったのは、つい最近のこと。
きっかけは、板橋区立美術館で開催中のタラブックスの展覧会に、
長年仕事をともにしてきた仲間が関わっており、
準備段階から話を聞いていたことによる。
さらに、7月に玄光社より刊行された書籍『タラブックス』を読み、
出版社の様子を詳しく知ることができた。
しかも、タラブックスのことをもっと知りたいと思っていた矢先、
展覧会を手がけていた仲間から、関連企画として行うシンポジウムの
資料づくりや司会のサポートをしてほしいと頼まれ、
実際にタラブックスの編集者に会えるという、すばらしい機会がやってきたのだ!
シンポジウムのテーマは「世界を変える本づくり」。
パネリストはこの出版社の編集者、ギータ・ウォルフさんと
V・ギータさん(ふたりのギータと呼ばれている)に加え日本から7名が参加。
日本のパネリストも個性的な本づくりに関わっていることもあり、
開催前から注目度は高く、定員300名の会場は事前予約でいっぱいとなった。
11月28日、東京都港区の〈コクヨホール〉でシンポジウムが開催され、
まずウォルフさんの基調講演が行われた。
20分と短いものではあったが、タラブックスがどんな視点で
本づくりを行っているのかが多角的に語られていった。
Page 2
タラブックスといえば、工芸品のような美しさを放つ“ハンドメイド本”に、
ついつい目が奪われるが、実はさまざまなタイトルのうちの20パーセントほど。
ウォルフさんが重視していたのは、こうしたアウトプットされたかたちよりも、
誰とどのように本をつくるかだ。
「インドには、非常に多くの言語があり、多くの民族がいます。
そのうえ、カースト(階級)があって人々のあいだには分断があります。
そのためインドの典型的な読者像を捉えることはできないし、
多様性というのはとても重要なんです」
こうした考えに基づき、絵本はもちろんのこと、
環境や経済などをテーマにした本や、ジェンダーなど社会の課題を扱う本など、
さまざまなコンテンツを出版しているという。
なかでもタラブックスが、特に革新的といえるのが民俗画家との協働だ。
「インドにはさまざまな少数民族がいます。
こういう人たちのアートを本というかたちに展開したのは、
わたしたちがパイオニアだと思っています」
インドの少数民族たちは、布であったり、家の壁面であったり、
さまざまなところに絵を描いてきた。ある地域では、砂を用いており、
時間とともに消えてしまうも絵もあったりする。
そのためタラブックスでは、こうしたアートを
どうやったら本というかたちにできるのかを常に模索してきた。
何より大切なのは、画家たちの伝統的な表現を、そのまま本にするのではなく、
過去と向き合い現代の文脈とどう結びつけるのか。
また、民俗画家に本の冊数に合わせて印税を支払うという
著作権の概念を伝えたことも画期的なことだったそうだ。
他者と向き合い、対話をし、理解を深め合う。
こうした眼差しは、タラブックスという組織全体にも貫かれている。
組織はハンドメイドの印刷工房を含めても40名ほどで、
むやみに規模の拡大をすることはない。
「そばに机を並べて仕事をしているので、部門を超えてすぐに情報共有ができます。
そして、できるかぎり他人の意見に耳を傾け、
フラットな関係をつくりたいと思っています」
月に1度はミーティングを行い、誰もが考えを発言できる機会をつくっている。
また、働く人々には住宅を提供し、子どもがいる家庭であれば、
教育費をまかなえるようにしているという。
「タラブックスという活動を通じて、持続可能なモデルをつくりたいと思っています。
フェアな賃金を払い、ともに地域社会のなかで暮らしていけるようにする。
わたしたちはひとつの村の仲間のようなものなんです」
こうした理想を追い求めるために、常に試行錯誤の日々が続く現状であると、
ウォルフさんは基調講演の最後を締めくくった。
「出版社として20年以上も生き残っているということを考えれば、
わたしたちは“成功した”と言えるのかもしれません。
けれど、来月の支払いは気がかりですし、新刊を出すか再版をするかなど、
いつも難しい判断を迫られているんですよ」
Page 3
基調講演に続いて行われたシンポジウムの第1部では、ふたりのギータに加え、
ブックコーディネーターの内沼晋太郎さん、
〈コクヨ アーツ&クラフツ〉の北野嘉久さん、
タラブックスと一緒に本づくりを行った齋藤名穂さん、
板橋区立美術館副館長の松岡希代子さん、
装丁家であり、書籍『タラブックス』の著者である矢萩多聞さんの7名が登壇した。
タラブックスの絵本はいかにして生まれるのか、
その企画から完成までの過程を丁寧に見ていこうというのが、第1部のテーマだ。
最初の話題としてとりあげられたのが、
民俗画家と初めてつくった『インドのどうぶつ』。
専門の調査員とともに1年をかけて各地を巡り、さまざまな民俗画家の描いた
ゾウやトラといった動物の絵を収録し1冊にまとめたものだ。
インドでは民俗画家の作品はまちの市場などで売られ、
取るに足らないものと捉えられることも多いそうだが、
タラブックスはこれらに豊かな芸術性を見出したのだった。
「重要なのは少数民族の捉えている世界観が、わたしたちとは違うということです。
たとえば、彼らは森林から必要以上に資源を取ってきたりはしない。
彼らの観点は特別なもので、わたしたちの生活を
見つめ直すことにつながります」(V・ギータ)
本という形式に落とし込むためにタラブックスがもっとも重視しているのは“対話”だ。
民俗画家たちとどんな物語をつくりあげるのか、
また彼らに本づくりの意義を感じてもらうためにも、徹底的に話し合いを繰り返す。
また、本づくりのプロセスの一貫として、民俗画家とともにワークショプも行っている。
自らのアートについて語らう機会を設けることによって、新たな気づきが生まれ、
それが本づくりにも反映されていくという。
Page 4
対話のなかから生まれる本づくりを実際に体験した日本人がいる。
そのひとりが、建築家でありデザイナーでもある齋藤名穂さんだ。
いまから4年前、ウォルフさんが講師となった「夏のアトリエ」(板橋区立美術館)を
齋藤さんが受講したのがはじまりだった。この講座を企画した松岡さんによると、
「本のかたちを追求する」という5日間のプログラムの最後に、ウォルフさんは
「参加した全員と仕事をしたい。講師と受講者という立場から、
編集者とアーティストという関係になって、つき合いを深めていきたい。
どうぞみなさんインドに来てください」と語ったのだという。
この講座から3か月後、齋藤さんはタラブックスの社屋にある、
ゲストが滞在できるスペースで、約3か月間、本づくりに取り組んだ。
「最初の数日間は、タラブックスの本を眺めたり、
まちを歩いたり、スタッフと話したりしました。
そして、5日目に本のプランを提案しました」(齋藤さん)
齋藤さんは、日本であらかじめプランを立てることはしなかったという。
現地の人々やまちに触れるなかから思いついたのは、
南インドの“キッチンを旅する”というアイデアだった。
滞在後もメールなどでやりとりは続けられ、今回のふたりのギータの来日に合わせ、
本がついに完成。3年以上の歳月が費やされた。
齋藤さんとの本づくりには驚かされる点が多い。
それは、ウォルフさんが「夏のアトリエ」参加者全員に声をかけ、
出版実績のない齋藤さんと、つくる企画が決まっていないのにもかかわらず、
本づくりを計画したところだ。
無名の著者との本づくりは、果たして“売れる”ものとなるのか判断がつかず、
日本の出版界では実現しにくいものといえる。
パネリストのひとり、内沼さんからは
「才能をどのように見抜くのか」という質問があった。
「民俗画家との仕事でも同じですが、誰でもまず誘うということが重要です。
それに才能は誰にでもあると思いますし、
その人が持っているものの中で、わたしたちが伝えたいものを
いかに見出すことができるのかが大切なんです」(ウォルフさん)
「才能というものは想定外のところにあるのですよ。
著者が対話にオープンな人であればあるほど、物事は自然にうまく進んでいきます。
そして、ゆっくりと物事は進めなければなりません。
強制的に成長させようとすると、必ずどこかで失敗してしまう。
本は必ず正しい方向にいくと思っているから時間をかけるんです」(V・ギータさん)
誰にでも門戸を開くという精神がタラブックスにはある。
これは基調講演でも強調された、本のコンテンツは
多様でなければならないという考えがもとになっている。
独自の出版活動を行う矢萩さん、内沼さん、北野さんは、
タラブックスの意見に大いに賛同し、第1部の締めくくりに、こんな感想を寄せた。
「世の中には炊きたてのご飯のように湯気が出ている本と、
まったく湯気の出ていない冷え切った本がある。
最初から内容を決めてかかったものっておもしろくないですよね。
当初あった企画から、どんどん変わって違うものができる。
そういう本はできあがったとき、きっと本から
湯気が出ているんじゃないかと思います」(矢萩さん)
「タラブックスのおふたりは、本というものを信じている。
信じてじっくりやっていけば、最後はいい本ができるという話に
勇気をもらいました」(内沼さん)
「今日、話を聞いて、タラブックスの本を扱う本屋さんは、
おそらく活動に共感しているパートナーのような存在なのではないでしょうか。
ぼくらの出版もそうありたいと思いました」(北野さん)
Page 5
休憩をはさんで行われた第2部では、タラブックスという出版社のあり方や
社会との関係がテーマとなった。
日本側のパネリストは、第1部でも登壇した内沼さん、矢萩さんとともに、
元新聞記者でアフロヘアがトレードマークの稲垣えみ子さんと、
「一冊入魂」の本づくりを続ける〈ミシマ社〉の代表・三島邦弘さんが加わった。
最初の話題となったのは、タラブックスが
なぜ“ハンドメイド本”をつくるようになったのか。
ウォルフさんは、その理由を「偶然の産物」と語る。
1995年に、タラブックスはフランクフルトで開催されたブックフェアに参加。
このとき『はらぺこライオン』という本の2ページだけ印刷したサンプルを制作した。
そのサンプルは、当時、インドでデジタルプリンタが普及していなかったため、
知り合いに頼んで、設備が小規模でも印刷できる
シルクスクリーンの技法を使ったものだった。
ブックフェアで、そのサンプルを見たカナダの出版社は、
彼女に8000部の注文をしたという。
「わたしたちはオフセット印刷でこの本をつくるつもりでしたが、
シルクスクリーンでつくってほしいと言われました。
注文がきて本当にうれしかったんですが、我に返ったとき
『手刷りで8000部なんて、どうやってつくるの?』と思いました。
自分たちもまったく想像ができませんでした」(ウォルフさん)
そこからテスト印刷を依頼した知人とともに試行錯誤が始まった。
場所を借り、一緒に印刷を手伝ってくれる人を探し、
手漉きの紙をつくってくれる製紙工場を訪ね……。
8か月かけて8000部がようやく完成。それがハンドメイド本のはじまりとなった。
タラブックスは、その後、数々のハンドメイド本を手がけるようになった。
矢萩さんは、「日本でも、これまで限定特装版やアートブックとして、
趣向を凝らした本はつくられてきたが、タラブックスのすごいところは、
手の届く価格で、かなりの部数をつくっているところにある」と指摘。
ほかのパネリストからも、手づくりの意味について意見があがった。
「ネット印刷を使えば、デジタル入稿で誰でもある程度の品質の、
均質な印刷物がつくれる時代になりました。
ウェブメディアや電子書籍なども一般的になったいま、
“メディア”として均質な紙の本をつくる意味は、相対的に薄れてきていると思います。
タラブックスは『本を信じる』という根元のところで、
“もの”として本をつくろうとしているのだろうと思いました」(内沼さん)
「内沼さんが言うように、印刷技術がデジタル化され、分業化が進んでいって、
つくり手たちの魂を入れる機会がないままものができてしまうようになっています。
けれどタラブックスのように人が手でつくっていたら、
工程のひとつひとつで“魂が落ちる”ことがないのかなと思いました」(三島さん)
ハンドメイドの本は、海外でも大きな注目を集め、
それが新しい販路の開拓につながった。
日本でも、2012年に『夜の木』が出版されたのを皮切りに、
『水の生きもの』や『世界のはじまり』などのハンドメイド本に加え、
オフセット印刷の本の翻訳出版も行われている。
第2部の後半で話題となったのは、海外への視野を持ちながら
本をいかに売っていくかだ。
「販売は非常に難しい問題です。今回のような展覧会の機会も非常に重要ですし、
プレゼンテーションのための動画制作なども積極的に行っています。
また、インターネットを使って本を広める活動をすることで、
ニッチな市場を開拓できるという可能性もあると思います」(ウォルフさん)
販路の開拓は得意ではないというウォルフさんは、
ぜひ日本のパネリストにも意見を聞いてみたいと語った。
「インドと日本の状況はかなり違うと思いますが、日本でいえば、
薄利多売でないと成り立たない出版システムが50年前につくられました。
けれど、人口減、低成長という時代に生きているぼくたちは、
新しい本の売り方を考えていかなければいけない時代にきています。
そのひとつの方法として、ミシマ社では、卸売業者を介さずに
直接本屋さんに卸すというやり方をとろうとしています。
また、実験的に一部のシリーズは、本屋さんに“買い切り”をお願いしたり、
読者へ向けて出版社を応援してもらうためのサポーター制度をつくったりしています。
こうやったらうまくいくという答えがない時代。とにかくいろんな手を日々打っていて、
ぼくはおもしろい時代にいるなと思ってやっています」(三島さん)
Page 6
では、シンポジウムのテーマとなった
「世界を変える本づくり」とはいったい何であるか。
その手掛かりとなるキーワードを語ってくれたのは、第1部に登壇した松岡さんだった。
「タラブックスは、規模が小さいからこそ、
プロジェクトをフレキシブルにかたちにできます。
また、南インドのチェンナイから発信していることも重要です。
インドの中心地ではない、周辺に位置するからこその自由さが感じられるのです。
実は、わたしが勤めている板橋区立美術館も本当に小さくて、東京の隅にある。
でも、そういうところであるがゆえに、実はできることはたくさんあって、
最近わたしはそれを『すみっこ力』とか『はじっこ力』という言葉で
発信しようかなと思っています」(松岡さん)
「松岡さんのお話に感銘を受けました。展覧会に近隣の皆さんや学生たちが来て、
わたしたちのやっていることを発見してくれることはとても重要なこと。
出版社は、本が世界中を旅してほしいと思っているのです。
これは価値観を共有し、世界全体の文化的なネットワークをつくることにつながります。
小さな組織のネットワークではありますが、とてもパワフルな世界です。
標準的なものばかりが本屋に並ぶのではなく、
多様であっていいのです」(ウォルフさん)
また、出版社ではなく著者という立場でこのシンポジウムに参加した
稲垣さんからも、ヒントとなる発言があった。
「本がきっかけになって、いろいろな人がつながって、
みんなが幸せになっていくというのがタラブックスなんじゃないか。
だから、売れたからといって規模を大きくしない、そこにまったくブレがない。
それがタラブックスの本の強さにつながっているんだと思いましたね」(稲垣さん)
約4時間にわたって行われたシンポジウムには、数々の興味深い話題があり、
ほんのわずかしかここで紹介できないのは残念でならないが、
全体として確信できたのは、本づくりは希望にあふれているという点だ。
パネリストの誰一人として、出版不況だから本が売れないと嘆く人はおらず、
「だからこそ工夫が生まれておもしろい」と笑顔で答えた姿が印象的だった。
そして、「はじっこ」に位置する世界中の小さな組織が互いにつながり、
ネットワークが強固になっていくことで、新たな世界が立ち上がるのではないか、
まさにそれこそが「世界を変える本づくり」なのではないかと思うことができた。
パネリストの言葉に、わたしも大いに背中を押された。
いま計画中の“森の出版社”は、まさに辺境の地が舞台。
でも、「だからこそ」できることがある。
シンポジウムを聞いてわきあがった熱い気持ちを、極寒の北の大地で燃やしながら、
コツコツと本づくりをやっていきたいと思った。
information
世界を変える美しい本
インド・タラブックスの挑戦
会期:2017年11月25日(土)~2018年1月8日(月・祝)
会場:板橋区立美術館(東京都板橋区赤塚5-34-27)
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜(1月8日は祝日のため開館)、12月29日~1月3日
約300点の原画や資料を通して絵本の紹介を行うとともに、本がつくられる過程や民俗画家の制作の様子をとらえた映像なども上映。
Feature 特集記事&おすすめ記事