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いまも続くコロナ禍がこの年の春から始まりました。
直前に突然決まった3月からの一斉休校。
わが家の場合、不幸中の幸いというか、
東京の仕事がキャンセルとなった妻が自宅にいることになったので
対応できました。
午後は退屈そうにしている娘とあちこちの海に行ったり、
意外と楽しい日々を送っていた記憶があります
(密にならない遊び場、海や山がいくらでもあることが、
すごくありがたかったです)。
ただ、やるせないこともありました。
1回目の緊急事態宣言の頃、
地方では県外ナンバーの車が嫌がらせを受けるという話が流れ、
やはり、この地でも地元の人たちの「県外ナンバー」に対する
冷ややかな視線を感じるようになったのです。
わが家の車は東京のナンバーのままだったので、
車に「下田在住です」という表示をつけて走っていました。
人から人へ感染するウイルス、
重症化のリスクが高い高齢者が多い地方……ということで、
しょうがないのでしょうが、
その「排他的な感情の高まり」がなんとも悲しかったです。
移住してから、地方の「人のつながりの濃さ」や
「コミュニティの小ささ」に心地よさを感じていたのですが、
こうした難しい面もあることを思い知りました。
そんな、この年の春、またひとつありがたい活動を始めました。
「下田ファン」を増やすための下田市公認Facebookページ
「WITH SHIMODA」にて、週に1度
「下田のいま」を伝える記事を書かせてもらうことになったのです。
ほかの多くの地方自治体と同じく、
人口減少・少子高齢化に悩まされている下田市。
さらには主幹産業の観光業はコロナ禍の影響をもろに受けています。
そんなときだからこそ、下田の魅力を発信して
ファンを増やそうではないか、と計画されました。
こうして市が力を入れる発信に協力できるというのは
本当に光栄なことです。
記事を書くようになり、必然的にこの地で精力的に
活動をしている方々とお会いするようになりました。
そして、この発信が少しでもまちのためになるにはどうすべきか? と
文章を書いていたので、随分と地域のことを知り、
考えるようになったと思います。
コロナ禍で多くの学校行事が中止となっている子どもたちを元気づけたいと「子ども食堂」を企画した、市内で飲食店を経営する徳島一信さんと、市内寿司店の若大将・植松隆二さん。こうした方々の活動に目を向けるようになりました。