連載
posted:2022.2.8 from:熊本県熊本市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
writer profile
Tami Okano
岡野民
おかの・たみ●編集者、ライター。北海道生まれ。北海道と東京育ち。建築やインテリア、暮らしまわりのデザインを主に扱う。ライフワークは住宅取材。家と住み手の物語をたどること。雑誌での仕事に『暮しの手帖』『Casa BRUTUS』『BRUTUS』居住空間学など。
photographer profile
Yoshikazu Shiraki
白木世志一
しらき・よしかず●商業スチルカメラマン。大学で写真を学んだ後、ローカル雑誌の編集を経て、2007年よりフリーランス、現在に至る。熊本県熊本市育ち。https://yoshikazushiraki.com/
熊本に〈橙書店(だいだいしょてん)〉あり。
本好きの人たちの間では、そんなふうにさえ言われる。
名だたる詩人や作家が信頼を寄せ、
かの村上春樹が、秘密の朗読会を開いたこともある。
〈橙書店〉の前身である雑貨と喫茶の店〈orange〉がオープンしたのは2001年。
〈orange〉の隣の空き店舗を借り増し、〈橙書店〉が誕生したのは08年のこと。
そして16年の熊本地震をきっかけに、〈橙書店 オレンジ〉として
現在の場所へ移転。今に至る。
店主の田尻久子さんは忙しい。
なぜなら〈橙書店〉は、書店であると同時に喫茶店でもあり、
展示会などを行うギャラリーも併設している。
熊本発の文芸誌『アルテリ』の編集室も担っていて
最近では、絵本などの発行元になることもある。
田尻さんは、そのすべてにまつわる膨大な業務やら雑用やらをこなし、
自ら、エッセイも書く。
平日の昼下がり、〈橙書店〉を訪ねると、店にはすでに何組かのお客さんがいて、
田尻さんは喫茶の注文をとったり、厨房でコーヒーを淹れたり。
本を選び終えたお客さんに呼ばれて会計をして、雑談をして。
厨房に戻って手際よく洗いものをしたかと思えば、
合間に販売用のレジ袋の束にハンコを押し続けていたりする。
とにかく手が休まることがない。
田尻さんの「普段の1日」はどんな感じですか? と聞くと、
「午前中、店に来る前に喫茶用の買い出しをして、
仕込みのある日はカレーをつくったりケーキをつくったり。
11時半に店を開けてからは、
接客の合間に本の発注をしたり、『アルテリ』の発送をしたり。
自宅はここから車で20分ほどの場所にあるのですが、
帰宅後は、やり残した仕事とか原稿とか。
日付が変わる前に寝るってことはないかなぁ」
書店の店主、喫茶店のマスター、編集、執筆……
いろんな顔があって大変ですね、と返すと少し間があって、田尻さんは言う。
「いや、本業は〈橙書店〉の店主です」
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〈橙書店〉には数多くの常連客がいて、根強いファンが全国にいる。
それは、田尻さんが選ぶ本への信頼そのものだし、
〈橙書店〉という場所に流れる時間の、居心地のよさゆえだろう。
ここは心の拠り所、と言う人もいる。
「そう言ってもらえるのは、とてもうれしいですよね。
うちじゃなくても、そういう心の拠り所になるような場所って
どこかしら必要だと思うんです。
学校でも職場でも家でもない場所。
サードプレイスという概念がありますけど、
どこであれ、その人にとって居心地がよく、
理由や役割がなくても行ける場所って大事ですよ」
〈橙書店〉のその居心地は、
自分ではなく、本がつくっているのだと田尻さん。
「本が人を引き寄せる。それに、本をよく読む人って、
自分で何かを考えたい人が多いと思うんです。
自分の頭で考えるのって、大変だし、つらい。
思考停止しているほうが楽、ってこともあると思う。
でも、本を読むことを通して、思考を停止させずにいよう、という人が
ここに集まり、私とだけではなく、お客さん同士で話をしていたりする。
そうやって、自分で考え、自分が本当に思っていることを話すことで
生きることが少し楽になるってこともある」
生きることが少し楽になる場所。
それは、とくに今の10代や20代の若い子にこそ、
必要じゃないかと感じることもあると言う。
「今の社会は、同調圧力が強いでしょ。
みんなと同じでなければならない、と思わされているうちに、
みんなと同じがいいって思い始めてしまう。
それは彼らのせいではなくて、
そうじゃないとイジメられたり、
社会からはじき出されてしまうのが恐ろしいから。
でも、本を読むことで、
同世代の友だちや学校の先生から得る情報だけに頼るのではなく、
自分の頭で考えるようになる。
それに子どもだって、やっぱり、
普段、四六時中会っている人には、言いづらいこともある。
言いづらいことを言える、居心地のいい第3の場所が
若い子の“日常のなか”にないのは、キツイと思う」
声のトーンは柔らかだけれど、思いはブレずに、まっすぐ話す。
押しつけがましさなんてものは微塵もなく、
察しもいいから、話していると、不思議な安心感がある。
田尻さんと話がしたくて来る人がいるというのも、よくわかる。
「基本的に人見知りだし、本来、人との会話は必要としないタイプで
だからこそ本屋になったのに。
まさかこんなに人と話すことになるとは(笑)」
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〈橙書店〉が編集室を担っている『アルテリ』は、
思想史家・渡辺京二さんの声かけで、熊本にゆかりのある書き手たちが参加し、
「何にも縛られない、自由な書き手のささやかな発信の場でありたい」という
気持ちを込めてつくられた文芸誌だ。
2016年の創刊号から田尻さんも寄稿している。
錚々たる書き手を束ねる編集室。本と人を、時には人と人をつなぐ
田尻さんの在り方は、いま地方で必要とされている
「ローカルなコミュニティのハブ」の理想型にも見える。
目指してました?
「そんなの、ぜんぜん目指してなかったですよ!
精力的に活動、なんてメディアで紹介されていたりすると、
私のことをよく知る人たちはみんな、ぜんぜん違う! って大笑いです。
朗読会だって、何だって、どれもこれも、
自分で企画しているわけじゃないんです。
巻き込まれているんです。関わりがどんどん増えて、
すっかり、やり手なおばちゃんだと思われているんですけど
『アルテリ』も、巻き込まれているんです!」
あまりに巻き込まれることが増えた時期には
無意識に「めんどくさい、めんどくさい」と口にしていたらしく、
常連のお客さんから
「最近、めんどくさいしか言ってないよ、よくないよ」と言われ、
反省したくらいだと田尻さんは笑う。
「つい、めんどくさいって言っちゃうけど、ありがたいんです。
やっぱり、渡辺京二さんの存在は大きいし、
『アルテリ』がなかったら、自分で文章を書くこともなかったと思います」
「文章は…… これも、めんどくさいって言っちゃったら
読んでくださった方に失礼だから、うまく言い替えたいんですけど、
なんて言えばいいんだろう……
作家は、書くことで息をしている人もいる。
私は書かなくても息ができるし、むしろ読むことで息をしてきたから、
そんな私が書くっていうのは、今でも、モヤっとするんですよね。
楽しんで書く余裕なんてなくて、
いつも、夏休みの宿題みたいに追いつめられて書いてます」
3冊目の『橙書店にて』では、
お客さんのことを書くことに対する戸惑いやプレッシャーもあったというが、
田尻さんがここで、たくさんの人の日常を見守り、
たくさんの人生と、そこにしかない物語を愛おしんできたことがわかる。
こんな書店が、こんな眼差しが、
自分の住んでいるまちや隣人にあったら、
どんなに幸せだろうかと胸がいっぱいになる。
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田尻さんは、熊本で生まれ育った。
熊本を離れなかったのは、
「単純に、出るきかっけがなかったから。
大学進学を機に地元を離れる人が多いけれど、私は家庭の事情で大学も行けなかったし、
そのまま地元の企業に就職したから。本当にそれだけです。
熊本に執着はなかったし、正直、出たくなかったわけでもない。
でも、この年になって思うのは、
仮に東京なりどこか都会に出たとしても、息苦しかったと思うんですよね。
熊本には海も山もあって、少し車を走らせれば圧倒的な自然がある。
実は、そういう環境に支えられていることも多いのかもしれません」
移転前を含め、田尻さんが店を始めて20年あまり。
本好きに信頼を寄せられ、常連客に頼られ、
熊本文学の拠点にもなっている場所を続けていくことに、
使命感みたいなものを感じることはありますか、と聞くと、
「最近ね、常連のお客さんに何回か立て続けに、
これからは筋肉よ。筋肉を付けないとダメよって言われて、
なんでみんなそんなに私の筋肉を気にしてくれるんだろうって
不思議に思っていたのだけれど、
みんな、自分よりも先に死んでもらったら困るって思ってくれているみたい。
この店がなくなったら困る。
死なずとも、この店は2階だから、
階段を登れなくなるとマズイでしょ、みたいな。
ありがたいですよね」
「熊本に〈カリガリ〉という店があるんですけど、
水俣病を告発する会の拠点になった店で、店主の松浦豊敏さんが亡くなって、
一度閉店したんです。そしたら、それまで〈カリガリ〉に通っていた人が
行く店を失い困っちゃって。
連れ合いの磯あけみさんは、72歳でまた新しい店をつくったんです。
磯さんがあの歳でがんばったのを見て、
もしかして、私、70歳になっても辞められないのか!? って(笑)、
なんとなくね、そういうことは思います」
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