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写真家・川内倫子
移住先の千葉で
見つけたものとは?

ローカルシフト
vol.002

posted:2021.8.10   from:千葉県富津市  genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  さまざまな分野の第一線で活躍するクリエイターの視点から、
ローカルならではの価値や可能性を捉えます。

writer profile

Masae Wako

輪湖雅江

わこ・まさえ●編集者、ライター。建築誌、女性誌の編集者を経てフリーランスに。活動範囲はインテリア、日本美術、手仕事など。雑誌『Casa BRUTUS』連載「古今東西かしゆか商店」の番頭としてローカル行脚中。好きなものは音楽と仕事。

photographer profile

Satoshi Nagare

永禮 賢

ながれ・さとし●青森県生まれ、東京都在住。広告・雑誌・書籍・作品制作などで活動中。2020年、n.s.photographs設立。
https://nsphotographs.jp

田舎暮らしを、後押ししたもの

「毎日この景色を目にするたびに、豊かだなと思います。
緑の木々、川の流れ、燃えるような夕焼け。
家にいるだけで、写真を撮りたくなる瞬間がたくさんやってくるんです」

小さな生き物や草花など日常のなにげない光景から、
生命力に満ちた祭りや儀式まで、
やさしく真摯な目で世界を撮り続けている写真家・川内倫子さん。
長く都内で暮らしていた川内さんが、千葉県に移住したのは2017年。
豊かな自然が残る環境と、東京まで車で1時間という利便性。
両方を備えた土地を見つけ、大きな窓がある気持ちのいい家を新築した。

川内さんのご自宅の大きな窓。

周囲の自然を取り込むように、大きな開口部がふんだんに設けられた川内さんのご自宅。

「結婚、出産、引っ越し。
人生最大の変化がいっぺんにやってきたんです」

移住を決めたいちばんのきっかけは結婚だった。
田舎暮らしにはずっと憧れていたけれど、
ひとりでは不便だし心もとない。

「一緒に田舎暮らしを楽しめるパートナーが
いつかできたらいいな、とは思っていました。
夫は自然が好きなうえ、
小屋を建てたり、庭を整えたりという“生きる力”も持っている。
価値観は同じ。すぐに引っ越しを決めました」

ご主人が手作りした子ども用の小屋。

広い庭には、ご主人が手作りした子ども用の小さな小屋も。室内には、デスクやロフトも完備。

時代の流れも移住の後押しになった。

「10年くらい前は、東京に住んでいないと仕事に不利、
みたいな気分もありましたし、何より、
フイルムの現像所が近くにないと仕事にならなかった時期もありました。
でも今は、ネットがあればものはすぐ届くし、
地方であることの支障はほぼないですよね」

とはいえ、生活は一変。
子どもができ、家族と過ごす時間が長くなったことで、
限られたなかで、できることを効率的に進める習慣がついた。

廊下にはほかの作家の作品も。

ほかの作家の作品が飾られた廊下。

「夜中までだらだら過ごすということも、なくなりましたね……」

ふと川内さんが言葉を止めた瞬間、
開け放った窓から、さらさらと流れる川の音が聞こえてくる。
なんて気持ちがいいんだろう。

「ね? せせらぎが聞こえると、
家での会話もちょっとなごやかになるんです」

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川の近くで暮らす喜び

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どうしても、自然が必要だった

「住むなら川のそば。それが最優先の条件でした」と川内さん。

「家から川が見えるかどうかわからないまま下見に来たら、
どこかから、せせらぎが聴こえてきて。
あっ!と、直感で、この場所に住むことを決めました」

庭に佇む川内さん

都内で暮らしていたときもずっと川のそばを選んでいた。

「ある部屋を内見に行ったとき、ドアを開けた瞬間、
玄関から窓を通してズドーンと一直線に川が見えた。
一目惚れです。そこから10年、多摩川を眺めながら暮らしました。
そういえば、大阪で育った実家のそばにも川がありました。
流れのそばに暮らす気持ちよさを、
無意識に求めていたのかもしれないですね」

リビングの先に広がるテラス。

リビングの先に広がるテラス。その向こうには川が流れている。

長い間、窓からの景色に助けられていた、と川内さんは言う。

「ひとり暮らしだと、自分が出す物音かテレビの音しか聞こえない。
自分以外のものの気配を感じられないことで
精神的に苦しくなってしまったときもありました。
でも、川が流れているのを見ると、
ああ、物事は常にちゃんと流れていると思える。
自然や、移りゆくものが近くにあるとわかるだけで、心が軽くなったんです」

テラスから川を見る。

テラスから川を見る。

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クリエイションは変わったのか?

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この土地で、写真を撮る喜び

昔から都市の喧騒よりも自然のほうが好きだった。
天気のいい日は川の近くまで降りていって
水や緑や光の写真を飽きずに撮っているだけで心が満たされる。

庭の一角では、シイタケを自家栽培。

庭の一角では、シイタケを自家栽培。

「撮りたくなる自然がすぐ近くにあることは、
田舎暮らしの大きな魅力でもあるけれど、
移住する前と今とで、好きなものや興味の対象に変化はないんです。
被写体に向かう時の姿勢や目線も、変わっていないと思います。
ただ、私の好きそうなもの、たとえば虫や草花を
娘や夫が私より先に見つけてくれるようになりました。
よく“子どもみたいな目線だね”“よくそんな小さなものを見つけられるね”
と言われますが、今はその被写体を、彼らが教えてくれる。
そのくらいの、ささやかな変化です」

2階は、自身の作品を展示したアトリエ。

2階は、自身の作品を展示したアトリエ。ここにも周囲の自然を切り取るピクチャーウインドウが。

どんな被写体に対しても集中し、
その姿をきちんと見ることが必要だ、と川内さんは言う。

「自分が関心をよせた物事としっかり向き合うことで、
自分が肉体を持って、今、ここに生きていることを確認できる。
撮影する、作品をつくるという行為を通して、
自分の存在を検証できるのが、写真の大きな魅力だと思います」

アトリエに置かれた書架。

アトリエに置かれた書架。

「と同時に、私にとって、写真を撮ることの醍醐味は
外へ出かけて体を動かして体験するということ。
そういう意味で、
いろんな地方へ出かけて撮影するのは大きな楽しみですね」

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第二の故郷との出合いとは?

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「もうひとつの居場所」に出合う

「熊本は、特別です」

特に好きな地域はありますか? 
そう尋ねたらすぐにこう返ってきた。きっかけは『あめつち』。
2008年から2013年まで、毎年熊本に足を運び、
阿蘇山の野焼きを撮影した作品集だ。

野焼きとは、毎年3月頃、
原野に火をつけて枯れた草を一気に焼き払う風習。
阿蘇山に広がる美しい草原は、自然のままの姿では決してなく、
人々が野焼きを続けることで、何百年もかけてつくってきたものなのだ。

「何回撮っても飽きない。
毎年、阿蘇に行って野焼きを撮影することが、
あの頃の自分には、とても大切なことになっていきました」

作品集『あめつち』より。

作品集『あめつち』より。(撮影:川内倫子)

熊本に通い始めて出合ったのが、熊本市にある小さな書店〈橙書店〉。
店主の田尻久子さんと仲良くなった。

「どんどん熊本が好きになって、
“熊本の人と結婚したいな”とか、“ひとりで移住してこようかな”と、
久子さんに話したのを覚えています。冗談でもなんでもなく、
このまちに住めばいつでも店に通えるって思ったんですよね」

ダイニングで話す川内さん

阿蘇の雄大な自然があり、そのすぐ横に、
文化が残る小さなまちがあって、大好きな店と大好きな友人がいる。

「大切な“もうひとつの居場所”ができたような気がしたんです。
そうして野焼きの撮影を5年ほど続け、
写真集の素材としては十分に撮りきった頃、
“これが完成したら、もう通う理由がなくなっちゃう”と
急にものすごく寂しくなって。
そんなときに出会ったのが熊本出身の夫。
同じ頃、熊本市現代美術館からも個展の誘いがあり、
熊本との縁が途切れなくなりました」

冬の阿蘇を撮った川内さんの写真

作品集『あめつち』より。(撮影:川内倫子)

「直感って大事ですよね」

実は、野焼きを撮り始めたきっかけは、
夢に阿蘇の景色が出てきたことだった。

「どこなのかなぁと思っていたら、
少し経った頃にテレビで阿蘇の特集をしていて。
“夢で見た場所が本当にあったんだ!”
と検索したところ、阿蘇の野焼きにたどり着いたんです。
以前に雑誌か何かで写真を見て、無意識に覚えていたのかもしれません。
野焼きも昔から撮りたいと思っていたテーマだったので、
“キーがふたつ重なった。これは動かなきゃ!”と直感し
半年後の3月、熊本へ向かいました。
その直感が、今の豊かな暮らしにつながっている。
自分が無意識に求めていた場所へ、
体ごと飛び込んでみることが大事だったんだなと思います。
今では、熊本が第二の故郷になりました」

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“ご近所”で撮った写真集

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地元だからこそ撮れた、愛おしいもの

直感に従って行動し、熊本という第二の故郷を見つけた川内さん。

「たぶん大事なのは、自分にとって大切な“キー”がふってきたときに、
それを見逃さないこと。
そして、心が弱っていると見逃してしまったりもすると思うので、
ちゃんと受け止められる健康なメンタルと、
すぐ行動できる柔軟性を持っていることですよね」

最新刊『Des oiseaux(On birds)』。

8月中旬発売予定の最新刊『Des oiseaux(On birds)』(HeHe)。

そんな川内さんも、昨年の緊急事態宣言時は、いつもより時間に余裕ができ、
数年前にフランスの出版社からオファーされていた“宿題”に着手した。
それは、鳥をテーマにした1冊の写真集をつくること。
家の近所をぐるぐるとパトロールしたところ、
クリーニング店、コンビニ、ガソリンスタンド、牛小屋など、
あちこちにツバメの巣があることに気がついた。

餌を求めて空をさまよう親ツバメと、口を大きく開けて待つ小さなヒナ。
巣づくりから子育てを経て、ヒナが巣立っていくまでの期間を、
川内さんは静かにやさしく、見守るように撮り続けた。

「ツバメの巣って、都心では探すのも難しいですよね。
それがここなら、近所をひと巡りしただけですぐ出合える。
ああ、やっぱり今の暮らしは豊かなんだな、とあらためて思いました」

川内邸には、鳥を象ったアイテムが多い。

川内邸には、鳥を象ったアイテムがそこここに。

世の中が少しずつ動き出した今、
仕事が続いたり出張に行ったりしたあとは、家で1日をゆっくり過ごす。
緑を見て、川の音を聞く。洗濯をして自分で料理をして、
窓から木々が見えるお風呂に入ってリセットする。

季節の移ろいを間近に感じられる空間。

季節の移ろいを間近に感じられる空間。遠くに聞こえる川のせせらぎが耳に心地いい。

「この家と環境は、私自身を整えてくれる場所ですし、
小さな娘にとっての、財産になればいいなとも思います。
豊かな自然をたくさん感じてほしい。
記憶に残らなくてもいいんです。
緑の景色と川のせせらぎの音は、
きっと無意識のうちに刻まれていると思うから」

Creator profile

RINKO KAWAUCHI 
川内倫子

かわうち・りんこ●写真家。1972年滋賀県生まれ。2001年、写真集『うたたね』『花火』(ともにリトルモア)で、第27回木村伊兵衛写真賞を受賞。代表作に、阿蘇山の野焼きや神事の儀式などを捉えた『あめつち』『照度 あめつち 影を見る』(青幻舎)。作品は〈東京都写真美術館〉ほか、〈カルティエ財団美術館〉や〈サンフランシスコ近代美術館〉などに収められている。

Web:川内倫子オフィシャルウェブサイト

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