連載
posted:2022.3.9 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
3月11日が近づいてくると、思うことがある。
私は何かできたことがあったのだろうかと。
とても抽象的で捉えどころがないのだが、何かこのままの状態ではいけないような、
そんなザワザワとした感覚が湧き起こってくる。
その感覚は、これまでは重苦しさが伴っていたのだけれど、ほんの少しだけ今年は違う。
小さな決意のようなものが、胸に灯っている。
振り返れば11年前。
東京で激しい揺れを体験し、その後に福島第一原発の事故を知った。
当時、5か月だった息子を抱え恐怖に慄き、
京都、北海道、沖縄とさまざまな場所に身を寄せた。
いったんは東京に戻ったものの、関東一帯にもホットスポットができていて、
ここで子育てするのは難しいと感じ、当時育児休暇をとっていた勤め先の出版社に、
復帰後は在宅勤務をしたいと申し出た。
勤務地として希望したのは、夫の実家のあった北海道岩見沢市。
ラッキーなことにOKとなり、震災から4か月後に移住した。
東京を脱出できた大きな安堵感とともに、居心地の悪いザラザラした気持ちが残った。
当時住んでいた小金井市では、
子どもが安心して暮らせる未来をつくりたいと活動をする人々がたくさんいて、
講演会の開催や議会への提案などが活発に行われていた。
震災後、わずかな期間ではあったけれど、それらの活動に関わらせてもらい、
不安な気持ちを共有でき、どんなに救われたかわからない。
私が北海道へ移住することを、みんな応援してくれたのは本当にうれしかったけれど、
同時に自分だけがよければいいのか? と自問自答した。
さらには在宅勤務で同僚には不便を感じさせただろうし、
ハードワークのなかで心身の不調を感じ辞めていく同僚に
気持ちを寄せることもできなかった。
やり切れなさが積み重なっていったなかで、7年くらい前のことだと思うが、
当時京都に住んでいた20年来の友人でもある画家のMAYA MAXXさんが、
「みっちゃん、エコビレッジを北海道につくったら」と提案してくれた。
エコビレッジがあれば東京の友人たちを招く拠点になるかもしれないと思い、
やってみたいと考えるようになった。
そのとき私は、岩見沢市にいながら東京のほうばかりを向いていた。
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エコビレッジづくりは、まったく雲をつかむようなものであったけれど、
2016年にこれをテーマにコロカルで連載を始めた。
エコビレッジづくりのための土地を探して山も買った。
同時期に、仲間とともに、岩見沢市の山あいの地域をPRする団体
〈みる・とーぶ〉をつくった。
この活動では、地域一帯を紹介する地図をつくったり、
ものづくりをする人が多い地域だったので作品展を開催したり。
「あったらいいな」と思うけれど、これまで実現しなかったことをかたちにしてきた。
やがて3年前に旧・美流渡(みると)中学校が閉校し、
その校舎をどうやったら活用できるのかの話し合いの場を
みる・とーぶで設けるようになった。
そんな折、MAYAさんが一昨年に美流渡地区に移住。
大きな推進力となり、校舎活用プロジェクトが始まった。
活用プロジェクトのひとつとして、昨年秋には
『みんなとMAYA MAXX展』と『みる・とーぶ展』を実施。
このとき私は目が見開かれる思いがした。
準備期間中には、閉校してから1階の窓に打ち付けられていた板(40枚以上もある!)に
MAYAさんが中心となって、みんなで絵を描いた。
そして伸び放題になっていた草を刈り、校舎をピカピカに磨いていった。
展覧会開催中には、わずか330人しかいない集落に
トータルで1000人もの来場者があり、
地域のつくり手の作品を多くの人が購入してくれた。
準備から開催まで、協力してくれる人がひとり、またひとりと増えていって、
幸せな高揚感のなかで展覧会は幕を閉じた。
「絵には人の気持ちが集まってくるんだよね」
MAYAさんがあるとき語った。本当にそのとおりになっていると思った。
これまで美術専門の編集者として、美術展開催などにも関わってきたけれど、
これほどまでにアートの力を感じたことはなかった。
同時に、いままで心血を注いできた東京の出版社などから受けてきた仕事に、
わずかながら「距離感」を感じ始めていることにも気がついた。
美術関連の仕事もチームを組んでやっていて、
いいものができたとき、その喜びをみんなで分かち合ってきた。
出版社に勤めていたときはなおのこと、同僚とは苦楽をともにしてきた。
けれど、ときどき心を疲れさせていたのは、そのすべてが数字に還元されてしまうこと。
編集した本がどのくらい売れたのか、どのくらい利益が上がったのかが問われ、
その根底には別の会社との競い合いがあった。
そして、つくったものは瞬く間に忘れ去られ、
次の仕事に取りかからなければならなかった。
そのループのなかで、心も体もカラカラに乾いていったように思う。
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これまでみる・とーぶの活動は、本業の空いた時間で取り組んできたけれど、
今年は違う。
できれば『みんなとMAYA MAXX展』と『みる・とーぶ展』を
年3回、季節ごとにやりたいと考え、毎日のように準備を進めている。
今年やっていきたいのは互いの気持ちを寄せ合って、
頼ったり頼られたりするような場面を増やしていくことだ。
例えばメンバーは子育て世代が多く、土・日・祝日は
子どもと一緒に活動することが多くなる。
それならば、子どもを見守ってくれる、頼れる地域の人にも
集まってもらえたらいいんじゃないかと考えたり。
また、活動日は夜ごはんをみんなで食べられたら、家に帰って寝るだけなので、
気が楽なんじゃないかと考えたり。
ワークショップの企画も、近しいメンバーが喜んでくれるかな? と
顔を思い浮かべながら立てている。
職業柄、展覧会のクオリティーを高めることに邁進してしまうのだが、
もちろんそれは大事だけれど、向かう先は、これまでとは違う。
数字に還元されたり、競い合ったりせず、関わったメンバーそれぞれが、
少しでもハッピーな気持ちに向かっていけたらと願うこと。
「それこそがエコビレッジなんじゃないの?」
今年の目標をMAYAさんに話したとき、そんな答えが返ってきた。
あのとき京都で何気なく話したエコビレッジの正体が、
いまようやくおぼろげながらかたちを帯びてきているように感じられる。
エコビレッジといえば、自給自足的な暮らしを一緒に行う
村のようなものを想像していたけれど、頼ったり頼られたりして、
みんなが安らかな気持ちで過ごせる場所であればいいのかもしれない。
そしてまさか、エコビレッジづくりを提案したMAYAさん本人が、
同じ地域に移住して、ともに活動をしているなんて(!)。
震災がなければ、私は東京から移住することはなかった。
まるで想像もしない人生の展開であったけれど、
いま、この地域でみんなと一緒に喜びを(ときには悲しみも!)
分かち合いながら生きていきたいと、本気で思う。
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