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移住ではなく、冒険の旅が始まる。
美流渡を拠点に活動を始めた
画家MAYA MAXX

うちへおいでよ!
みんなでつくるエコビレッジ
vol.121

posted:2020.9.23  from:北海道岩見沢市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

東京と北海道の行き来が難しくなるなかでの決断

この連載で何度か紹介してきた、20年来の友人である画家のMAYA MAXXさんが、
7月中旬、ついに私の暮らす岩見沢市の美流渡(みると)に引っ越した。
昨年末に東京で会ったときに、大きな作品が思う存分描けるスペースが
あったらいいのではないかという話が持ち上がり、
ちょうど私が仕事場として使っている住居の向かいが空いていたことから、
アトリエをこの地につくるプロジェクトが始まった。

1月に入りMAYAさんは美流渡を訪れて改装を検討。
4戸が1棟に入る築40年の長屋の2戸分をアトリエとし、
1戸は事務所と倉庫、そしてもう1戸は住居とすることに決め、
長沼町に拠点を持つ大工〈yomogiya〉の中村直弘さんに改修を依頼した。

古い長屋のブロック塀をカットして2戸をつないだ。中央で手を振るのが中村さん。

古い長屋のブロック塀をカットして2戸をつないだ。中央で手を振るのが中村さん。

その後、状況は一変。
新型コロナウイルスの感染が広がり緊急事態宣言が出され、
予定していた来道も諦めざるを得なくなった。
そのため、ときどきオンラインでつなぎながら、改修を進めていくことになった。

そして、あれはいつ頃のことだったろうか。
MAYAさんと電話で話していたときだ。

東京での感染拡大が深刻さを増し、
個展やイベントの予定が立て続けに中止や延期となるなかで、
MAYAさんは東京を引き払い、美流渡に引っ越そうと思うと話してくれた。
当初は、2拠点で制作をしようと考えていたが、
東京と北海道を気軽に往復できる状況ではなくなってしまったため、
どちらかひとつを選択することにしたのだ。

緊急事態宣言が出る少し前から、MAYAさんは借りていたアトリエではなく自宅で制作を始めた。制作できるスペースはわずか6畳ほどだった。MAYA MAXX制作日誌より。

やむを得ない決断ではあったが、これによって歯車が回り出したように思えた。
コロナ禍という自分ではどうにもならない状況を
ただ受け入れるしかなかった数か月から、
引っ越しというトピックスが生まれたことで、
いま、やるべきことがクリアになる感覚がMAYAさんの中にあったのではないか。

移動の日は、緊急事態宣言が解除されてから1か月ほどたった頃と決め、
美流渡に来てから2週間は近隣のみなさんとの接触は控えることとした。

壁と床を貼り終えたアトリエ。もとあった柱が残っていて回廊のようなイメージがある。

壁と床を貼り終えたアトリエ。もとあった柱が残っていて回廊のようなイメージがある。

MAYAさんがやってきたとき、改修は終わっていなかった。
yomogiyaの中村さんは、施主にも積極的に
改修に参加をしてもらおうと考える大工さん。
施工費をリーズナブルに抑えるためもあって、
壁塗りなどはMAYAさんと私たち(といっても夫!)が行うこととなった。

壁を塗り終わらなければ、電気ガス水道などの設備も入れられないため、
MAYAさんは私が使っていた仕事場に仮住まいして作業を進めた。

アトリエの奥側は窓がない、電灯を設置するまでは業務用のライトを頼りにペンキを塗っていった。

アトリエの奥側は窓がない、電灯を設置するまでは業務用のライトを頼りにペンキを塗っていった。

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MAYAさんの驚くべき働きぶり…!

Page 2

作業を始めてみて、これは予想以上に時間を要するものだということがわかった。
MAYAさんはアトリエのペンキ塗りを担当。
ペンキをつけたローラーは壁に擦り込むように塗っていかないとムラになるため、
相当の力を使う作業だった。
しかも、1度塗りではフラットな白色にならないことから3層重ねることにした。

事務所とMAYAさんの住まいは、塗壁材を塗ることとなり、
大工の経験のある夫が担当した。
塗壁は、水で練った剤が乾燥するまでの時間に、
壁面の区画を一気に塗らないと色の違いが出てしまう。
しかも均一に塗るためには技術も必要なため、ペンキとはまた違った苦労があった。

塗壁の際にヤスリをかけるMAYAさん。細部まで手間を惜しまない。

塗壁の際にヤスリをかけるMAYAさん。細部まで手間を惜しまない。

朝から日が暮れるまで作業を行い、それから設備のすべてが入るまでに約1か月。

「窓のない奥のアトリエを、業務用のライトで照らしながらペンキで塗るのは、
本当に大変でした。電気がついたとき、
灯はこんなに大事なものだったのかとあらためて気がついたよ。
次に水が出るようになって、そしてガスが使えて。
いままで当たり前だったものが、いろんな人のおかげで使えていることが、
よくわかりました」

真っ白に塗られたアトリエ。

真っ白に塗られたアトリエ。

台所も使えず、お風呂も私の家に入りにくるなど、
キャンプ生活のような不便な時間を過ごしたが、MAYAさんはいつも前向きだった。

「東京での生活は、絵を描いて家事をやったらそれで終わり。
時間を持てあまし気味だったんだよね。
こっちに来たら、やることはいくらでもある。
毎日、体を使ってクタクタになって寝る。そういう暮らしをしてみたかったんだ」

「いままでで一番大きな面積を塗ったね!」とMAYAさん。これまで数々の絵画を制作してきたが、この壁ほどに大きなものはなかったという。

「いままでで一番大きな面積を塗ったね!」とMAYAさん。これまで数々の絵画を制作してきたが、この壁ほどに大きなものはなかったという。

MAYAさんと毎日接していくなかで、その“働きっぷり”には何度も驚かされた。
ペンキの缶が空になってしまい、追加が来るまで数日待たなければならいときがあった。
そんな日も休まずに、近所で陶芸ができる施設で器づくりを行ったり、
設備が入って汚れている床をこまめに掃除したり。

引っ越し直前でさえも、同じ形の段ボールに
水をイメージしたシリーズを無数に描いたり、
青い馬のドローイングを描いたりしていたのだった。

美流渡には陶芸家や木工作家なども住んでおり、栗沢工芸館という制作・展示スペースもある。この施設を利用してMAYAさんは陶芸制作も開始した。

美流渡には陶芸家や木工作家なども住んでおり、栗沢工芸館という制作・展示スペースもある。この施設を利用してMAYAさんは陶芸制作も開始した。

「絵は色を塗ったら、乾き待ちの時間が長いんだよね。
その“待ち”の時間をどうするかをいつも考えている」

MAYAさんは、この“待ち”の時間でさえも、つねに何かを生み出している。
何事にも精魂込めて取り組むMAYAさんを前にして、私たち家族にも変化が起こった。

夫はアトリエ改修を手伝い、
現在はMAYAさんのパネルづくりやわが家の整備に精を出す。
私もMAYAさんとのプロジェクトを推進するために
調整や連絡役となっており忙しくさせてもらっている。
それぞれがそれぞれの役割を見出していて、
いままで滞っていたものが、スッと流れ出したかのような気分がするのだ。

MAYAさんがデザインしたTシャツの背中には、「体を使う 心を使う 魂を磨く」と描かれている。

MAYAさんがデザインしたTシャツの背中には、「体を使う 心を使う 魂を磨く」と描かれている。

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移住ではなく、“冒険の旅”

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MAYAさんという中心ができて、ハッと気づいたこと

「このアトリエにペンキを塗るのも片づけるのも大変だったけど、、、
この広さと
この静けさと
この自由さをはじめて手に入れた喜び
描いてますよ~」

制作が本格的に始まった9月初旬、MAYAさんはFacebookにこんな投稿をした。

縦240センチの作品を描き始めたMAYAさん。これをまずは10枚描き上げたいのだという。

縦240センチの作品を描き始めたMAYAさん。これをまずは10枚描き上げたいのだという。

故郷の今治から大学時代に上京。
1993年にMAYA MAXXという名で、東京で作品発表を始めてから、
ニューヨーク、京都、そして再び東京へ。
約30年のあいだ各地で制作を続けてきたが、このような広いスペースを
自分の手でつくったのは、意外にも今回が初めてだったのだ。

9月中旬には、地域のみなさんへ向けたアトリエのお披露目会を開催。
アトリエの一角には、コロナ禍によって中止になった個展
(新宿・ビームスジャパン〈Bギャラリー〉)で発表予定だった新作を展示。
また、事務所にしようと思っていたスペースが、
予想以上に美しい仕上がりとなったため、青い馬シリーズを展示することとした。

アトリエに展示したのはロールスクリーンに描いた新作。巻き取って広げられる構造から「現代の掛け軸」となればと考えた。

アトリエに展示したのはロールスクリーンに描いた新作。巻き取って広げられる構造から「現代の掛け軸」となればと考えた。

まるで絵画のような窓、そして風合いのある塗壁。事務所として使うだけでは惜しいくらいの仕上がりだったため、ギャラリー空間として使用。

まるで絵画のような窓、そして風合いのある塗壁。事務所として使うだけでは惜しいくらいの仕上がりだったため、ギャラリー空間として使用。

コロナ禍より描き続けている青い馬シリーズ。美流渡に来て、このモチーフをキャンバスに大きく描いた。

コロナ禍より描き続けている青い馬シリーズ。美流渡に来て、このモチーフをキャンバスに大きく描いた。

私はこれらの展示を見て、新たな目が開かれる思いがした。
アトリエの隣に展示スペースがあって、
作家がベストな状態で作品を展示できるとすれば、
ここに観客のみなさんを招き入れて、北海道への旅と
唯一無二の作品に出会うという貴重な体験を提案できるのではないかと思った。

何より作品のある空間があって、MAYAさんがこの地にいることによって、
これまで自分の中でバラバラにあった点が、ひとつに集約されるような感覚があった。

バラバラな点とは、この連載のテーマである
「エコビレッジづくり」のヒントとなるような活動をしている
各地の人々やスペースのことである。

そもそも、「北海道にエコビレッジをつくったらいいんじゃないの?」と
提案してくれたのはMAYAさんだった。
あれがいつだったかは定かではないが、おそらく6、7年ほど前のことだったと思う。
当時、北海道に移住したものの、この地で自分は何をしていくのかが
見出せない時期だった。

ふと何気ない会話の中からエコビレッジという言葉を聞いたときに、
なぜだかわからないが素直に「よし、やってみよう」と思ったことを覚えている。
そのための一歩として岩見沢市に山を買い、次には古家を見つけて、
市街地から過疎地へ転居。
その間、多くの人々と知り合って、私の世界は大きく広がった。

壁面の窓だった部分にも絵を描く。

壁面の窓だった部分にも絵を描く。

今後の活動としてMAYAさんと相談しているのは、アトリエを月1回開放する日を設け、
周辺の森の整備や語らいの場をつくっていくこと。

「これは移住ではなくて、冒険の旅だね!」

移住というと、そこに腰を据えて終の住処をつくっていく印象があるが、
MAYAさんは軽快なフットワークで、つねに変化を遂げている。
いまギャラリーとして活用しているスペースも、
きっとまた新たな使い方のアイデアが湧いて別の展開が起こるかもしれない。

また、これからやってくる豪雪地帯での暮らしでも、
体を存分に使い切りたいと意気込んでいる。

エコビレッジと、この拠点づくりがどうリンクしていくのか、
いまは予想もつかないが、MAYAさんを核にして、これまで知り合った人々と
つながり合うことができるんじゃないかという可能性を感じる。
点から線、それが面になったときに、そのときにこそ
エコビレッジというかたちが浮かび上がってくるのではないかと、
私は密かに思っている。

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