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そんなモノと向き合った数か月。
笑えますが、その後しばらくのあいだ
放心状態になってしまいました(1か月くらい立ち直れなかった……)。
夫はいつもと変わらない様子だったので、
きっと私にとって特別苦手な分野だったのかもしれません。
そしてその後、自分のなかでちょっとした変化が起こりました。
以前よりもモノの存在を意識するようになったのです。
「なにをいまさら?」と思う方も多いと思います。
だってもうずっと以前から断捨離やミニマリストが世間を賑わせ
定着しつつあるのですから。
もちろん私にも、そうした知識や意識がなかったわけではありません。
本も読んだし断捨離も何度もしました。
それでも、以前よりは意識するようになったとはいえ、
やはりモノを溜め込んでしまうのです。
いまの世の中は消費をあおる広告や戦略にあふれ、
年々それが加速しているように思います。
携帯を開けば「今日買うとお得ですよ!」というクーポンが
頻繁に届く(もうアプリ全部消そうかな……)。
Instagramを見たいだけなのに、
なんだかすてきな商品がいちいち誘惑してくる……。
しかも店舗に足を運ぶ必要もなく、たったワンクリックだけで
翌日には届いてしまうのです。
意識的に生きていない限り、その便利さと誘惑に
流されてしまう仕組みがこの社会にはあります。
そうして次第に不要なモノたちが家の中を侵食し始めるのですが、
しまい込んでいると案外気づかないで生活できてしまう。
今回、新居の片づけにしてもわが家の引っ越しにしても、
それらの忘れ去られたモノたちが一気に噴出したわけです。
いわば隠れていた敵が一気に攻めてきた! というぐらい、
私にとっては辛かった。
モノに日々支配され、思考がどんどん鈍くなり、
体力も精神力も奪われる……(自分のせいですが)。
便利っていうのは時に人を不幸にするのですね。
便利っていったい、何だろう……。
さて、そんな辛い経験をしたおかげで、
いままでにないほどモノを意識するようになったのですが、
たとえば何かモノを買おうというとき、
そのモノの出口を想像するようになりました。
この先どれくらいの期間使うのだろうか。
不要になったら処分するのが大変じゃないだろうか?
誰かが喜んでもらってくれるだろうか、
それとも何かに再利用できるだろうか、燃やせる? 土に還る? など。
そう考えるようになったことで、
以前よりもモノを買うことを躊躇するようになりました。