画家MAYA MAXXが
自由が利かないなかで描いた、
シカの連作
1か月半、利き手が思うように動かせない状態に
それは突然の出来事だった。
昨年11月、美流渡(みると)に住む画家のMAYA MAXXさんが
この地で創業100年以上となる〈つつみ百貨店〉のシャッターに
絵を描こうとしていたときのことだった。
シャッターを水で洗ってから白いペンキを塗っていたとき、
バタンと大きな音とともにMAYAさんが足場台から転落した。
足場台は1メートルくらいの高さであったが、顔面と肩を打ったようで、
そのまま数分間動けなくなってしまった。
塗装を手伝っていた私は、オロオロしながらその場にいることしかできなかった。
しばらくして、MAYAさんがゆっくりと起き上がったものの、
右肩と腕がひどく痛む様子だった。
私は運転が苦手なので、病院に車で連れて行ってくれる人を急いで探した。
幸いご近所さんが助けてくれることになり、
美流渡から車で20分ほどの市街地にある整形外科へと向かった。
車内でMAYAさんは、穏やかに世間話をしていたので、少し安心したのを覚えている。

昨年は夏から秋にかけて、閉校した美流渡中学校の窓に打ち付けられた板に絵を描いた。高所での作業も多かったが事故なく終わった。

雪が降る前の最後の作業として取り組もうとしたのが、〈つつみ百貨店〉のシャッターだった。人口減少で商店が数えるほどしかなくなるなか、地域のためにずっと店を開け続けている。
診察してもらったところ、右肩の脱臼と骨折だった。
関節から外れた部分を元に戻してもらい、翌日に詳しく検査。
1か月半ほどバストバンドと三角巾で肩を固定することとなった。
右手の動かせる範囲は手首から先だけ。
手が上がらないため、上着を羽織ったりするだけでも大変な状況となってしまった。
そんななかにあっても、MAYAさんは歩みを止めようとはしなかった。
骨折から3日後には、新十津川町図書館で開催中だった絵本原画展で
ギャラリートークを行った。翌週には札幌の高校で講演会を、
さらには地元の小学校で絵を描くワークショップも実施。
絵が思うように描けない状況のなかで、
イベントがあったほうが気が紛れると語っていた。

トークを行うMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。

地元の小学校で開催したワークショップ。
手が動かせる範囲は限られていたが、それでも制作は行われた。
まず取り組んだのは粘土。手で握れるくらいの大きさに粘土を丸め、
ペンギンのような形をつくり、先の尖ったヘラで毛の一本一本を表していった。
毎日つくり続け、その数は30体以上にもなった。

ペンギンやリスを形づくった。手首から先を細かく動かして毛並みを表現した。
次に絵画の制作も行われた。
完成に至らないままアトリエに置かれていた
240×120センチメートルのパネル作品の制作を再開したのだ。
このパネルは、移住してきてすぐに取りかかったもので、
夏の青々とした緑や秋から冬へと向かう薄暗い森を想起させるような
抽象形態が描かれていた。その上から、自由の効かない右手と、
利き手でない左手をゆっくりゆっくりと動かし、シカを描いていった。

『Deer in the Forest 1』2021
「右手を上にあげることはできないけれど、
床に画面を置いて自分が動けば、画面の隅々まで描くことができる」
紫色の空間で木立の間からこちらを見るシカには胴体が描かれていなかった。
筆のタッチは、まるで小声でささやくように、か細く、静かだ。
MAYAさんは、この描き方を“骨折画法”と呼ぶようになっていた。

『Deer in the Forest 2』2021
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