連載
posted:2022.1.19 from:北海道岩見沢市、札幌市 genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
それは突然の出来事だった。
昨年11月、美流渡(みると)に住む画家のMAYA MAXXさんが
この地で創業100年以上となる〈つつみ百貨店〉のシャッターに
絵を描こうとしていたときのことだった。
シャッターを水で洗ってから白いペンキを塗っていたとき、
バタンと大きな音とともにMAYAさんが足場台から転落した。
足場台は1メートルくらいの高さであったが、顔面と肩を打ったようで、
そのまま数分間動けなくなってしまった。
塗装を手伝っていた私は、オロオロしながらその場にいることしかできなかった。
しばらくして、MAYAさんがゆっくりと起き上がったものの、
右肩と腕がひどく痛む様子だった。
私は運転が苦手なので、病院に車で連れて行ってくれる人を急いで探した。
幸いご近所さんが助けてくれることになり、
美流渡から車で20分ほどの市街地にある整形外科へと向かった。
車内でMAYAさんは、穏やかに世間話をしていたので、少し安心したのを覚えている。
昨年は夏から秋にかけて、閉校した美流渡中学校の窓に打ち付けられた板に絵を描いた。高所での作業も多かったが事故なく終わった。
雪が降る前の最後の作業として取り組もうとしたのが、〈つつみ百貨店〉のシャッターだった。人口減少で商店が数えるほどしかなくなるなか、地域のためにずっと店を開け続けている。
診察してもらったところ、右肩の脱臼と骨折だった。
関節から外れた部分を元に戻してもらい、翌日に詳しく検査。
1か月半ほどバストバンドと三角巾で肩を固定することとなった。
右手の動かせる範囲は手首から先だけ。
手が上がらないため、上着を羽織ったりするだけでも大変な状況となってしまった。
そんななかにあっても、MAYAさんは歩みを止めようとはしなかった。
骨折から3日後には、新十津川町図書館で開催中だった絵本原画展で
ギャラリートークを行った。翌週には札幌の高校で講演会を、
さらには地元の小学校で絵を描くワークショップも実施。
絵が思うように描けない状況のなかで、
イベントがあったほうが気が紛れると語っていた。
トークを行うMAYAさん。ジャケットの下はバストバンドでしっかりと手が固定されている。
地元の小学校で開催したワークショップ。
手が動かせる範囲は限られていたが、それでも制作は行われた。
まず取り組んだのは粘土。手で握れるくらいの大きさに粘土を丸め、
ペンギンのような形をつくり、先の尖ったヘラで毛の一本一本を表していった。
毎日つくり続け、その数は30体以上にもなった。
ペンギンやリスを形づくった。手首から先を細かく動かして毛並みを表現した。
次に絵画の制作も行われた。
完成に至らないままアトリエに置かれていた
240×120センチメートルのパネル作品の制作を再開したのだ。
このパネルは、移住してきてすぐに取りかかったもので、
夏の青々とした緑や秋から冬へと向かう薄暗い森を想起させるような
抽象形態が描かれていた。その上から、自由の効かない右手と、
利き手でない左手をゆっくりゆっくりと動かし、シカを描いていった。
『Deer in the Forest 1』2021
「右手を上にあげることはできないけれど、
床に画面を置いて自分が動けば、画面の隅々まで描くことができる」
紫色の空間で木立の間からこちらを見るシカには胴体が描かれていなかった。
筆のタッチは、まるで小声でささやくように、か細く、静かだ。
MAYAさんは、この描き方を“骨折画法”と呼ぶようになっていた。
『Deer in the Forest 2』2021
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以前にMAYAさんはこんなことを語っていた。
「熱が出たり気分が晴れないときにも描く。そのときにしか描けないものがあるから」
創作とは不思議なものだと思う。
何もかもが健全で満たされた状態が良いというわけでもない。
不自由ななかにこそ、表現の新たな領域が開かれる可能性があるのかもしれない。
MAYAさんはいつどんなときも、描き続けている。
岩見沢市立図書館で1月16日まで、MAYAさんの絵本『おらんちゃん』の原画展が開催された。
12月半ば過ぎに肩を固定していたバンドが外れた。
今年は雪の到来が遅かったが、MAYAさんの完治を待っていたかのように
あたりが真っ白になっていった。
「骨折中に雪が降らないでいてくれて、本当にありがたいと思いました。
そして、人の情けが身に染みました」
閉校した校舎も雪に包まれた。
車が運転できなかった1か月半。通院やイベント出演など
出かける際には、近所の人たちが代わるがわる車を出した。
そんなとき、東京にいたときより
人と人との距離の近さをMAYAさんは感じたのだという。
その後もしばらくシカを描き続けてきたが、あるとき筆が止まった。
個展に向けて連作として10枚描く予定だったが、骨折していた状態の描き方を
自分がトレースしているような気持ちになったからだという。
「連作として描ける枚数というのは、
もしかしたら最初から決まっているのかもしれないね」
制作中のシカの連作。
それ以前に描いていた、四季の変化に呼応しながら色彩が波立つように広がる作品とも、
夏に校舎の窓板に赤と青で描かれた動植物とも違う、
本当にいっときだけ現れた表現だった。
シカの連作は、1月19日から札幌で開催される
『みんなとMAYA MAXX展』で公開となる。
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