伊豆下田に移住して5年。
暮らし、仕事、地域との関わりは
どう変わった?

あらためて振り返る、
下田での5年の日々

伊豆下田に移住してちょうど5年が経つ津留崎さん一家。
その間、いろいろな出来事がありました。
暮らしは、働き方は、地域との関わり方は、どう変わっていったのか。
よかったこと、難しいと感じたことなど、
5年間の移住生活を振り返ってみました。

いもので、この4月で伊豆下田に移住して丸5年となります。
丸5年??? こないだ移住してきたばかりな感じだけど……
というのが正直な感想です。
時の経つのは早いもの、というのをいまさらながら実感しています。

そんなこの5年間、いろんなコトや出会いがありました。
暮らしも、仕事も、そして地域との関わり方も随分と変わりました。
あらためて考えてみると、本当に縁に恵まれて
ここまでやってきたと感じます。
そして、この春からはいろいろと変化がありそうです。

その変化については、はっきりとする次回以降に書くとして、
今回は「下田移住丸5年」という節目に、
「暮らし」「仕事」「地域との関わり」がどう変わっていったのか? 
振り返ってみたいと思います。

移住に興味はあるけど、実際、どれくらいで落ち着くものなのか? 
移住してからの暮らしって? 仕事って? 
地域との関わりってどんな感じなの? 
という方の参考になったら幸いです。

移住1年目 
仕事を決めずに移住……どうなった?

車に荷物をたくさん積んで移住先の家に到着

移住してきました!

移住先を探してあちらこちらを巡った結果、行きついた伊豆下田。
当初の移住先のイメージは「山」だったのですが、
なぜだか移住を決めたのは海にほど近い下田で、
しかも海水浴場から徒歩圏内という立地の家。
すべてが新鮮で、少し時間ができると徒歩か自転車で海に行ってました。

浜辺に置いた自転車

知り合った方に野菜や魚介類をいただくこともあり
(いまでも相変わらずいただいているのですが……)、
本当にありがたかったです。

おすそ分けしてもらった伊勢海老

そして、人との縁ができていけば、
そこから自分を必要としている仕事が見つかるのではないか? 
という思いで、仕事を決めずに移住してきたので、
当初はほぼ仕事をしていませんでした。

4月に移住してきて、自宅の片づけやら修繕などで
忙しくしていたのですが、しばらくすると
だんだんとやることが尽きてくる。

そんな頃に、知り合った飲食店〈TableTOMATO〉の
店主・山田真由美さんに誘われて、
数日間バイトとしてお店に立つことになりました。

山田真由美さんの本業はライターでしたが、
故郷のまちなかがどんどん寂しくなっていく状況に、
自分ができることはないのか? と模索した結果、
お父様が営まれていたブティックの店舗を引き継いで
飲食店にすることを決意し、わが家の移住とほぼ時を同じくして出店。

これが下田での初めての仕事であり、
ここでいまにも続く人脈が始まったようにも感じます。

〈TableTOMATO〉の店先に立つ津留崎さん

働いたのは、下田のまちが最もにぎわう「黒船祭り」のタイミング。

そんなTable TOMOTOが縁となって、この年の秋から、
いまも続く〈高橋養蜂〉の仕事が始まりました。

出会った養蜂家の高橋鉄兵さん
「ミツバチが安心して飛び回れる環境づくりを手伝ってほしい」
と、とてもありがたいお誘いを受けたものの、
当時の自分は草刈り機すらろくに扱えない田舎暮らし初心者。

はたして役に立つのだろうか? と
不安がないわけではなかったのですが、
なにしろ高橋さんの夢が壮大で、すてきすぎるし、
そんな夢に参加できるなんてすばらしいではないか? ということで、
ありがたくお手伝いすることになりました。

養蜂場で働く様子

ここで働くようになり「田舎暮らしスキル」を習得! 習うより慣れろ、ですね。

[ff_assignvar name="nexttext" value="学童保育がない!ならどうする?"]
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移住2年目 
念願の「米づくり」をスタート

田植えの様子

移住したら米づくりしたいと考えていたのですが、
地域の人からの信用がないと
田んぼを借りることは難しいと聞いていたので、
しばらくはできないだろうと思っていました。

でも、高橋養蜂で知り合った米農家〈南伊豆米店〉の
「稲作支援制度」を利用して、田んぼを借りて
米づくりを始めることになったのです。
何もかも初めての経験。
大変だったけど、田んぼに浸かっているのが楽しく、
夢中になって作業をしていました。

田んぼでレクチャーを受ける

南伊豆米店の中村大軌さん(左)にいろいろと教えてもらいました。感謝。

また、この年の春に、東京でひとり暮らしをしていた
僕の母親が下田に移住。
わが家から徒歩3分の小さな平屋の一軒家に暮らし始めました。
娘は近くに大好きなおばあちゃんが引っ越してきてうれしそうだったし、
母も喜んでいたので、この決断は本当によかったと感じています。

津留崎さんの母と娘が下田の海を散歩中

移住して想定外だったことのひとつが、
この年入学した娘の小学校に「学童保育」がなかったことでした
(ちなみに、いまはあります。
下田への移住をお考えの共働きの方、ご安心を)。

わが家は共働きで、しかも東京の仕事がメインの
カメラマンの妻は、出張に出ることもしばしば。
あたり前に学童保育がある、と思っていたのですが、
それは都市部の感覚だったのだと反省。

仕組みがないのであれば、娘が学校から帰ってくる昼過ぎには
自分が家にいられるようにすればよいのだ、ということで、
自宅でできる仕事を考え始めました。

そんな頃、知人に
「東京で建築やってたんだよね? 
工務店をやってる友人が人を探しているけど会ってみる?」
と、高橋養蜂で知り合った方からお声がかかりました。

工務店の仕事じゃ自宅作業ってわけにはいかないかな……
とは思ったものの、会ってみて自宅作業について聞くと、すんなりOK! 
でも、東京でずっとやってきた建築には
自分もそれなりにこだわりがあり、
あまり質の低い建築の仕事はしたくない……とも感じていました。
そこで、いくつか手がけた物件を見せていただくと、すごく質が高い!

ということで、いまもお手伝いしている工務店
〈山本建築〉での仕事を始めたのです。

パソコン作業中の横で娘さんが宿題中

学童保育がないなら自宅でできる仕事を……と考えたのですが、
結果としては娘との時間を長く持つことができてよかった、
と感じています。

[ff_assignvar name="nexttext" value="下田の海に持ち上がった大規模計画とは…?"]
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移住3年目 
移住して知った、地方から見る視点

2年目の米づくりは、伊豆に上陸して大きな被害をもたらした
2度の大型台風の影響で、天日干しをあきらめました。
そんな天候の影響からか米の収量もずいぶん減り、
あらためて自然の厳しさ、作物を育てる難しさを痛感。

そして、この年に下田の海で、ある計画が持ち上がり、
「地方」と「東京」をあらためて考えるキッカケとなったのです。

決して広くない下田市には美しい海水浴場が9つもあり、
そんな海水浴場がにぎわう「夏の観光」があって成り立つ地域。
その海に高さ250メートルの巨大な洋上風車を
50基から100基も建てるという計画が持ち上がったのです。

洋上風力発電の事業計画を伝える伊豆新聞紙面

洋上風力発電の事業計画が浮上。

巨大な風車が眼前にそびえたつ海水浴場? 
このまちの観光は、経済はどうなってしまうのだろうか? 
このまちの暮らしにだいぶ慣れてきて、
長く暮らしたいと思っていたときだったので、
計画を知ったときは驚きました。

でも、地元の人にとって必要な事業なのであれば
致し方ないと感じたもののの、
計画しているのは東京の外資系企業で、
そこでつくられた電気はこの地で使われることはなく、
海底ケーブルで運ばれていくというのです。

釈然としない思いをSNSでつぶやいていたら、
やはり同じような思いの地域の人たちとつながっていき、
あらたな人間関係が生まれるキッカケとなりました。
反対の声が大きかったからか、いまのところ計画はストップしています。

東京に暮らしていたら、無条件に「再生可能エネルギー」に
賛成していたのでしょうが、大規模に開発される側にいると
まったく違う意見となることを身をもって知りました。
誰のためのどんな計画なのか? 表面だけを見るのではなく、
さまざまな視点で深く考えていきたいと、
強く感じるようになった出来事でした。

下田の海の夕日

[ff_assignvar name="nexttext" value="地域であらたな活動も…!"]
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移住4年目 
コロナ禍の地方はどうだった? 
良い点、悪い点。

いまも続くコロナ禍がこの年の春から始まりました。
直前に突然決まった3月からの一斉休校。
わが家の場合、不幸中の幸いというか、
東京の仕事がキャンセルとなった妻が自宅にいることになったので
対応できました。

午後は退屈そうにしている娘とあちこちの海に行ったり、
意外と楽しい日々を送っていた記憶があります
(密にならない遊び場、海や山がいくらでもあることが、
すごくありがたかったです)。

砂浜に絵を描く津留崎さんの娘さん

ただ、やるせないこともありました。
1回目の緊急事態宣言の頃、
地方では県外ナンバーの車が嫌がらせを受けるという話が流れ、
やはり、この地でも地元の人たちの「県外ナンバー」に対する
冷ややかな視線を感じるようになったのです。

わが家の車は東京のナンバーのままだったので、
車に「下田在住です」という表示をつけて走っていました。
人から人へ感染するウイルス、
重症化のリスクが高い高齢者が多い地方……ということで、
しょうがないのでしょうが、
その「排他的な感情の高まり」がなんとも悲しかったです。

移住してから、地方の「人のつながりの濃さ」や
「コミュニティの小ささ」に心地よさを感じていたのですが、
こうした難しい面もあることを思い知りました。

下田の海

そんな、この年の春、またひとつありがたい活動を始めました。
「下田ファン」を増やすための下田市公認Facebookページ
WITH SHIMODA」にて、週に1度
「下田のいま」を伝える記事を書かせてもらうことになったのです。

ほかの多くの地方自治体と同じく、
人口減少・少子高齢化に悩まされている下田市。
さらには主幹産業の観光業はコロナ禍の影響をもろに受けています。

そんなときだからこそ、下田の魅力を発信して
ファンを増やそうではないか、と計画されました。
こうして市が力を入れる発信に協力できるというのは
本当に光栄なことです。

記事を書くようになり、必然的にこの地で精力的に
活動をしている方々とお会いするようになりました。
そして、この発信が少しでもまちのためになるにはどうすべきか? と
文章を書いていたので、随分と地域のことを知り、
考えるようになったと思います。

下田市での「子ども食堂」の様子

コロナ禍で多くの学校行事が中止となっている子どもたちを元気づけたいと「子ども食堂」を企画した、市内で飲食店を経営する徳島一信さんと、市内寿司店の若大将・植松隆二さん。こうした方々の活動に目を向けるようになりました。

[ff_assignvar name="nexttext" value="猟師免許の試験を受けたら…?"]
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移住5年目 
わな猟師免許取得! そして古民家取得! 
セルフリノベの日々

移住前から、農業の獣害について見聞きしていたのですが、
移住して知った現状は想像以上でした。
わが家の田んぼも被害にあったこともありました。
とにかくシカ、イノシシが多いのです……。

猟師の減少がその原因のひとつにあると言われています。
このまま増え続けたら、地域の農業は立ち行かなくなってしまうのでは? 
自分にできることは何だろうか? 
そんな意識を持ち始めた頃、猟師さんと知り合い、
少しだけその活動のお手伝いをすることに。

その方にわなの猟師免許を取ることをすすめられ、
試験を受けたら……合格!
(勉強すればほとんど受かるような試験です)
免許を取ってから忙しくなってしまい、
結局なにもやれていないのですが、落ち着いたら
しっかり活動して農地を守っていきたいです。

わなにかかったシカ

わなにかかった美しいシカ。命の重みを感じながら、ありがたくその肉をいただきました。新鮮な自然の肉のおいしさには毎度感動します。

そして、この年、この連載でもしつこいほどに書いた変化がありました。
移住してから暮らしていたのは賃貸物件でしたが、
この年に念願の古民家を取得したのです。
6月から自分たちでリノベーションを始めて、
年末に工事がひと通り終わったので、賃貸物件を引き払い、
引っ越しました。

津留崎さんがリノベーションした古民家

自分たちで古民家をリノベーションしたのは大変でしたが、
とてもいい経験で、すばらしい家族の思い出です。

木材を設計図に合わせて切り出す様子

……と、移住してからの5年間の歩みを振り返ってみました。
我ながら、本当にさまざまな経験をしたと感じます。
おそらくあのまま東京で暮らしていたら、
こんなに「濃い」年月を過ごすことはなかったのでしょう。
移住の決断はかなり悩みましたが、本当によかったと感じています。

次の5年間が終わるのは、娘が中学を卒業する頃です。
その頃、どんな暮らしになっているのか? 
何の仕事をしているか? 
地域とはどんな関わりを持っているのか? 
まったく想像できません。

まあ、想像できないから楽しいのではないか、と前向きに
「想像できないこれから」を楽しんでいきたいと思います。

稲刈り後の田んぼで記念撮影する津留崎さん一家

text & photograph

津留崎鎮生 Shizuo Tsurusaki
つるさき・しずお●1974年東京生まれ東京育ち。大学で建築を学ぶ。その後、建築家の弟子、自営業でのカフェバー経営、リノベーション業界で数社と職を転々としながらも、地方に住む人々の暮らしに触れるにつれ「移住しなければ!」と思うように。移住先探しの旅を経て2017年4月に伊豆下田に移住。この地で見つけたいくつかの仕事をしつつ、家や庭をいじりながら暮らしてます。Facebook Instagram

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