〈こうち二段階移住〉 “ずっと住みたい”場所を 見つけてほしい! 高知が新たな移住サポート制度を スタート

ふたつのステップを踏んで、安心して移住を

引っ越しには、期待と不安がつきもの。
新しい土地への移住となれば、なおさらです。
移住経験者にアンケートをとったところ、
6組に1組が移住地を去ったという結果(※)もあるそうです。

いま高知県で、そんな移住者の不安を減らし、
サポートしていく「二段階移住」という取り組みが始まっています。
二段階移住とは、ふたつのステップを踏み「ずっと住み続けたい」と
思える場所を見つけ、移住するというもの。

【こうち二段階移住 PR動画】下調べもせずに憧れと勢いだけで地方移住決めた夫婦の話、聞く?

第1段階目では都市部の環境に近い高知市に物件を借りて滞在し、
そこを拠点に県内を巡って自分に合った場所を見つけ、
第2段階目で本格的に移住をするということを薦めています。
またその間には、移住専門スタッフや補助金制度などのサポートも得られます。

神奈川県から高知県吾川郡いの町へ移住した小野義矩さんは
「実際に移住して暮らしてみないとわからないことは沢山あります。
インターネットを活用して調べても、
移住前に全ての不安・心配事がなくなることは恐らくないです。
多かれ少なかれ、あらゆる面で大都市圏とのギャップは感じるでしょう」とコメント。

高知市全景

高知市全景

高知市市街。まちなかを路面電車が走る。

高知市市街。まちなかを路面電車が走る。

また、大阪府から高知県室戸市へ移住し、現在はサラリーマン漁師として
椎名大敷組合に勤務する多田満さんは
「私はサーフィンつながりで知り合いがたくさんいたので、
家も仕事も紹介してもらえましたが、
知り合いが少ないとなかなか難しいと思うので、
紹介してもらえるような知り合いをつくっておくといいと思います」とアドバイス。

——ということは、とにかく現地に足を運び、
地域の人たちと知り合い、ギャップをなくしていくことが大切になりそう。
高知への移住を考えている方は、ぜひ二段階移住のサポートを活用して
このステップを踏んでみてはいかがでしょうか?
そこで、実際に高知へ移住した方の体験談をご紹介します。

※移住経験者対象790名(全国4,800名うち移住経験者790名)平成30年10月調査実施:株式会社読売連合広告社調べ

宿毛市へUターン移住した〈kino shoe works〉木下藤也さん。

宿毛市へUターン移住した〈kino shoe works〉木下藤也さん。

お腹を空かせる暇がない!
幸せすぎる「おすそ分け文化」

今月のテーマ 「おすそ分け文化」

まちで暮らせば「買う」が中心になりがちな食べ物も、
地方に目を向ければ、多くの人が「育てる」「採る」ことで食べ物を得ています。
さらには「もらう」といったパターンも、一部の地域では日常的。

自家栽培の採れたて野菜、フルーツ、大量の魚介、狩猟したお肉。
普段使いの野菜から高級食材まで「食べて!」と分け与えてくれる、太っ腹なご近所さん。
都会に住む人にとっては、うらやましすぎる食事情です。

今回は、日本各地に暮らす皆さんから、
地域の特色が垣間見える「おすそ分け文化」を教えてもらいました。

※今回の「おすそ分け」とは、従来の「いただき物を分け与える」の意味以外に、
自家栽培品などを分ける意味も含みます。

【島根県隠岐の島町】 いただいたやさしさは、“恩送り”でお返し

隠岐の島のおすそ分け文化は、ひと言「すごい」です。
魚、貝、海藻、野菜、果物、お米、お蕎麦……。
春夏秋冬それぞれの、海の幸と山の幸をいただく日々。
おすそ分けレベルではないでしょう……! ということが幾度となく訪れました。

最初は、ある種の修業でもありました(笑)。
大量のメカブをキッチンで細かく刻んで、ネバネバ地獄から抜け出せなくなったり、
サザエの身を力ずくでとっていたら、疲れて食べる元気をなくしたり、
魚をどうにか捌いたときには、シンクが大惨事になってしまったり。

そんな状態でしたが、地域の方たちからいろいろなことを教えてもらい、
おかげさまで、自分なりにはひと通りのことができるようになりました。
成長させてもらったなぁと、ただただ感謝しています。

高級食材のカメノテ。磯の岩肌に固着する甲殻類の一種。最高においしいです。島に移住したての頃、「隠岐の人は亀の手を食べるんよ〜」という冗談を本気にして、びっくりしました(笑)。

高級食材のカメノテ。磯の岩肌に固着する甲殻類の一種。最高においしいです。島に移住したての頃、「隠岐の人は亀の手を食べるんよ〜」という冗談を本気にして、びっくりしました(笑)。

お返しをしようとしても、引き換えにまたいただいてしまうので、
「これはもう、物ではお返しできないのだ」と悟り、
そして、「見返りなんて求めていないのだ」と気がつきました。

だから、「地域おこし協力隊」を誠心誠意全うすることと、
いただいたやさしさを、ほかの人に渡していく“恩送り” をすることで、
お返しをしていこうと決めました。

物よりも、「やさしさをもらって、やさしくなれる」
その循環こそが本当にうれしいものなのです。

いただいた鮮魚のお刺身。

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五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

小松理虔さん
外に出たからこそわかった
「ローカルのおもしろがり方」
福島県いわき市の
ローカルアクティビストってどんな人?

ローカルでアクティブするってどういうことだろう?

福島県いわき市小名浜。人口も面積も福島県で一番大きいいわき市の、中心街のひとつ。
県内最大の港である小名浜港や魚市場、
県内外にファンを持つ環境水族館〈アクアマリンふくしま〉や、
最近は県内最大規模となる商業施設〈イオンモールいわき小名浜〉が
オープンしたことでも話題になった。
そんな小名浜で「ローカルアクティビスト(地域活動家)」と名乗り活動しているのが、
小松理虔(こまつ・りけん)さんだ。

海の前に立つ理虔さん

実は、いわき市で地域づくり――いわゆるまちづくり的な活動――をしている人で、
理虔さんを知らない人はほとんどいないのではないかと思われるほど、
地元では有名人だったりする。
だがおそらく、地元の人たちのなかでも、「理虔さん像」はさまざまだろう。
地元・小名浜の魚屋さんを会場にした飲み会「さかなのば」を開催している人、だったり、
東京電力福島第一原子力発電所沖まで釣り船を出し、釣りを楽しんだあと、
釣った魚の放射線量を測る活動「うみラボ」をやっている人、だったり、
はたまた、昨年2018年に出版した初の単著『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞した、
なんかすごい人なんじゃないか、とか……。

福島のメディアで働いていた時に、一度ローカルに失望した

「賞を取る前と取ったあとで、全然何も変わってないんですよ」と人懐っこく笑う理虔さん。
ラジオのDJになりたかったという少し大きめの声はよく通る。
新卒で勤めた福島のテレビ局では、取材や番組制作だけでなく、
ナレーションも務めたというのも納得だ。

そのテレビ局には、大学を卒業した2003年4月から丸3年勤務したが、
その頃にローカルというものが一時期嫌になったという。

「ローカルのテレビニュースは連続性がない。地域のイベントや祭りに行って、
参加者にコメントを取ってたった1分の枠を埋めるようなことばかりをやって
何の意味があるのかと」

それでいて特権階級のように、
会社の名刺ひとつでどんな立場の人にも取材に行けるという境遇にも違和感を覚えていた。
「いくら大きな取材をしてもそれはあくまでも会社の看板。
自分の力ではないから成功体験を積めない」と感じた理虔さんはテレビ局を辞め、
なんと単身上海へ。

上海を選んだ理由は、大学時代に関心を持って中国の勉強をしていて
中国語をある程度話せたことと、日本語教師としての勤務先があったこと、
そして、特に当時の中国は、日本にはない勢いがあり、
自身の力を試すことのできる環境であったからだった。

仕事中の理虔さん

稲刈り直前に大型台風接近!
2年目の米づくりで感じたこと

稲刈りはどうする? 究極の選択

伊豆下田に移住して、念願の米づくりを始めた津留崎さん一家。
昨年は手で田植えをし、稲刈りから天日干しまで
すべて自分たちの手で行いました。
2年目の今年もそうするつもりだったのが、
なんと稲刈りを目前に大型台風が到来。
今年は自分たちでつくったお米を食べられるのか……?

小豆島の「太鼓まつり」に想う。
自分たちが暮らす土地を
愛するということ

今年で7回目の参加。「太鼓まつり」で感じたこと

10月、台風19号が日本各地に大きな被害をもたらしました。
ニュースで見ていてその範囲の広さに驚いています。
私たちが暮らす西日本は、今回の台風では被害を受けませんでしたが、
昨年の夏の集中豪雨では大きな被害を受け、
いまだにいつもの暮らしを取り戻せてない方が多くいます。

本当に日本全国いたるところで、地震や台風、大雨の被害が
現在進行形で起こっています。

代々受け継いできた土地、家で暮らし続けること、
それは当たり前のようでいて、実はとても難しいことなのかもしれません。
ある日突然やってくる大きな災害で、一瞬にして
いままでの暮らしが壊れてしまうこともあります。

地方では高齢化と人口減少によってじわりじわりと家や畑が荒れていき、
いつしか集落の維持ができなくなってしまうこともあります。
私たちが暮らす集落も他人事ではありません。
何十年、何百年と暮らし続け、つくりあげてきた風景、文化が残っていることは
奇跡的なことであり、すごい財産なんだなとあらためて感じています。

10月中旬、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われます。

10月中旬、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われます。

太鼓まつりの前日は宵祭りとして、地区内の家々を太鼓台がまわります。子どもたちもおばあちゃんたちも太鼓台が来るのを楽しみに待ちます。

太鼓まつりの前日は宵祭りとして、地区内の家々を太鼓台がまわります。子どもたちもおばあちゃんたちも太鼓台が来るのを楽しみに待ちます。

先日、小豆島では各地で「太鼓まつり」が行われました。
秋の収穫を感謝する行事として、小豆島内にある6つの八幡神社で毎年開催され、
太鼓台を奉納します。

10月11日から10月16日にかけて、小豆島の各地区で太鼓台が奉納されます。10月14日は土庄八幡神社のお祭り。

10月11日から10月16日にかけて、小豆島の各地区で太鼓台が奉納されます。10月14日は土庄八幡神社のお祭り。

八幡さんのひとつ、池田亀山八幡宮の太鼓まつりを観覧するために
いまでも使われている石垣「池田の桟敷(さじき)」は、
江戸時代につくられたとされていて、そんな時代から太鼓まつりは続いています。

太鼓台には子どもたちが乗り、太鼓をたたき続けます。

太鼓台には子どもたちが乗り、太鼓をたたき続けます。

乗り子の子どもたち。10月に入ってから毎日練習してきました。

乗り子の子どもたち。10月に入ってから毎日練習してきました。

首都圏で暮らしながら 山口県とつながりを持つ方々を紹介する YY!ターンカレッジ・公開講座

山口県の特産品を使った料理も登場!

山口への移住に興味があるけれど、きっかけが見出せない人の背中をちょっと押す。
そんな、山口県の暮らしと仕事の魅力を伝えるトークセッション
「YY! ターンカレッジ」。
UでもJでもIでもなくYYターン? と思うかもしれませんが、
「やまぐち」のY、「わいわい楽しい暮らし」のYを組み合わせた、
山口県へのUJIターンを意味するキャッチフレーズです。
今回は「YY! ターンカレッジ」の公開講座が
11月2日(土)に東京・有楽町の交通会館で開かれます。

過去3回のカレッジでは、農業、漁業に挑戦したいと考える人向け講座、
山口で事業を始めたいと考える人向け講座、
山口でのリアルな子育て事情をテーマにした講座が開かれてきました。
今回のテーマは「山口と東京」。首都圏に暮らしながら山口県とつながりを持ち、
さまざまな活動をしているゲスト5名を招きます。

トークゲストのひとり、西村郁江さんは、岩国市出身で東京在住。
「いわくに まるごとasoviva!」を主宰し、
生まれ育った岩国市にある廃校になった小学校や、
西村さんの祖父母が営んでいたドライブイン跡を拠点に、
毎年映画イベントなどを開催しています。
西村さんの目指す、大人も子どもも一緒に遊び、
岩国と人がつながる未来へ続く場所づくりとは?

西村郁江さん

西村郁江さん

また、萩市出身で鎌倉在住の守永江里さんは、
幼少期より母親に教えてもらった家庭料理を基盤に、
数店舗の日本料理屋で調理を学んだ後、
現在は萩市の姉妹都市である鎌倉市を拠点に
萩の家庭で食べられている料理を提供しています。
山口県萩市でも定期的に食イベント開催しており、
地方と地方の二拠点生活についてもうかがえそうです。
今回会場では、守永さんのお料理をご用意します。

守永江里さん

守永江里さん

山口と接点がある人から、これまでなかった人まで、
まずはこの「YY! ターンカレッジ」に参加して、経験者のリアルな声に耳を傾け、
あなたの「山口県とのつながり方」について、
自分の将来像を描いてみてはいかがでしょうか。
お申し込みはこちらから。

information

map

「YY! ターンカレッジ・公開講座」

日時:2019年11月2日(土) 11:30~14:00

場所:東京都千代田区有楽町2−10-1東京交通会館ビル3F・グリーンルーム

参加費:無料

予約:要予約

定員:60名

Web:https://www.ymg-uji.jp/koukaikouza2019/

予約:https://pro.form-mailer.jp/fms/8eccfede180368

美流渡と青梅の2拠点で
木工作品をつくる〈遊木童〉の
波乱万丈の人生

上美流渡の森で制作する木工作家

この連載も今回で99回目。スタートして約4年が過ぎた。
編集者として20年ほど“文章”というものに関わってきたが、
実は執筆にはずっと苦手意識を持っており、
月に2回の更新はもがきつつ苦しみつつということも多かった。

けれど幸いなことに、書くネタに困ったことはなかった。
わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)をはじめとする山あいの地域は、
人口は700人にも満たないが、個性あふれる人々が多いし、
毎月何かしらのイベントも開催されており、
これらすべてを紹介できないもどかしさを
いつも感じているような状態だった(200回までネタには困らなそう)。

そんな状態の中で、以前からずっと紹介したいと思っていたのは
木工作家の五十嵐茂さんだ。
3年前から地域PR活動として〈みる・とーぶ〉という展覧会を
札幌などで開催しており、その参加者のひとりではあったが、
彼のこれまでの歩みについて腰を据えて聞く機会はなかった。

そろそろ秋の気配が感じられるようになった9月、
わたしは上美流渡にある五十嵐さんのアトリエを訪ねて、本当に驚いた。
これまでさまざまな移住者を紹介してきたが、
これほどまでに波乱万丈な人生があっただろうかと言いたくなるような、
強い衝撃を受けたのだった。

五十嵐茂さんと妻の恵美子さん。後ろの小屋は恵美子さんが続けている機織りの制作小屋。

五十嵐茂さんと妻の恵美子さん。後ろの小屋は恵美子さんが続けている機織りの制作小屋。

北海道と東京・青梅にアトリエがあり、行き来をしながら
木工作品の制作を行う五十嵐さんの第一印象は、寡黙で控えめ。
長年にわたり黙々と木工作品をつくってきた人物だと想像していたのだが、
それは私の思い込みだった。

取材で訪ねて最初に彼がしてくれた話は、
2014年にサンタクロースの格好をして舞踏をするという、
短編映画の主演を務めたことについてだった。

「ラッシュアワーの時間に西荻窪の駅前ロータリーで踊りました。
暗黒舞踏を踊るのはこのときが初めてだったけど、監督に
このままやっていけば1年でプロになれるって言われましたね(笑)」

アーティストがJR西荻窪駅付近に滞在し、このまちを舞台に作品を制作、発表するプロジェクト「西荻レヂデンス」の企画によって制作された短編映画。小鷹拓郎監督による『西荻サンタクロース』は、まちにサンタクロースが実在するという設定で、五十嵐さん扮する白塗りのサンタクロースが登場し、骨のようなプレゼントを行き交う人に配布した。

アーティストがJR西荻窪駅付近に滞在し、このまちを舞台に作品を制作、発表するプロジェクト「西荻レヂデンス」の企画によって制作された短編映画。小鷹拓郎監督による『西荻サンタクロース』は、まちにサンタクロースが実在するという設定で、五十嵐さん扮する白塗りのサンタクロースが登場し、骨のようなプレゼントを行き交う人に配布した。

また、国立奥多摩美術館というインディペンデントなアートスポットで行われた、
路上生活者によるダンスグループ〈新人Hソケリッサ!〉のトークイベントで
司会をしたこともあるのだという。
イベントをきっかけに路上生活者のみなさんと意気投合し、
青梅の自宅に彼らを泊めた日のことを、懐かしそうに語ってくれた。

「ホームレスになったとき、最初の晩が一番辛いんだって。
線路に飛び込むか、段ボールを敷いて寝るか、そのどちらかだと誰もが考えるそうです」

こんなふうに、五十嵐さんの口からは、
わたしの想像がすぐには及ばないような話が次々と飛び出していった。

舞踏の演技の様子を手振り身振りで説明してくれた。

舞踏の演技の様子を手振り身振りで説明してくれた。

大きな家から小さな家へ……!?
移住から2年半。再び家探し、始まる

「予算はないけど夢はある」
家探しの旅

移住先探しの旅を経て、伊豆下田に移住した津留崎さん一家。
念願叶って広い庭のある大きな家に暮らしていますが
実際、暮らし始めるとそこには「理想」と「現実」のギャップが……。
そして再び、家探しが始まりました。
その理由は? そして今度はどんな家を探すのでしょう?

人がつながり、コトが始まる場所。
〈カフェ鎌倉美学〉に
まちの老若男女が集まる理由とは?

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

老若男女が集うコミュニケーションカフェ

鎌倉駅の西口は、地元住民から「裏駅」と呼ばれている。
鶴岡八幡宮へと連なる小町通りなどがあり、
観光客で賑わう駅の東側が正面口であることに対して、
西側は、鎌倉の裏口というわけだ。

この裏駅から延びる御成通り商店街は、近年続々と新店がオープンし、
少しずつその様相が変わり始めているものの、
のんびりしたローカルムード漂う商店街として、
地元民から観光客までに広く親しまれている。

この商店街を数分歩くと、〈カフェ鎌倉美学〉と書かれた赤い看板が見えてくる。
まだこの辺りに飲食店が数えるほどしかなかったいまからちょうど10年前、
オーナーの湊 万智子さんが、それまで勤めていた
鎌倉のケーブルテレビを退職して開いたお店だ。

「コミュニケーションカフェ」という冠がつけられた鎌倉美学には、
性別や世代、職種などを超えて老若男女が集い、
地元住民から観光客までが気軽に語らえるお店として、
いまではまちに欠かせない存在だ。

カフェ鎌倉美学の店主・湊万智子さん

この鎌倉美学では、しばしば音楽イベントや作品の展示などが行われ、
若手アーティストたちの表現の場にもなっており、
また、ここで間借り営業をしたことがきっかけで、
後に飲食店を構えることになる人や、鎌倉に移住してきたあと、
このお店を通じて地域コミュニティとの関わりを深める人なども多く、
まちで新たな活動を始める人たちのはじまりの場所にもなっている。

多くの人たちから「マチコさん」と慕われ、
常連客から観光客、スタッフまでが垣根を超えてつくる大きな輪の
求心力となっている鎌倉美学のオーナー、湊さんを訪ねた。

カフェ鎌倉美学外観

家族と、仲間と、
豊かで楽しい食卓のある暮らし

7年経って、驚くほど変わった生き方

小豆島で暮らし始めてもうすぐ丸7年経ちます。
うひょ〜、7年!
30代で引っ越してきた私たち夫婦は、気づけば40代になりました。
盛りだくさんの毎日が積み重なって、
小豆島に引っ越してきたのはもうずっとずっと昔のような気がします。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

7年経ってもいまだに私たちは「移住者」で、雑誌の取材などでも
「どうして移住されたのですか?」と聞かれることがしばしばあります。
なんでだっけ?(笑)

名古屋で暮らしていた頃どんなことを考えて移住を決めたのか、
どんな気持ちだったのか、もう遠い記憶です。
ただやっぱり当時のことを思い出そうとすると、
いろんな思いや出来事が頭の中に浮かび出てきます。

30代前半、都会で子どもを育てながら働いていた私は、
それなりに満たされてはいたけれど、なにか悶々としていました。
自分が何をしたいのか、どんな生き方をしたいのか、ずっと考えていました。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

この連載「小豆島日記」の最初の回に、私はこんなことを書いています。

消費するために働いてお金を稼ぐ、そういう生き方じゃなくて、
生きること自体を働くことにしよう。
暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる時間、
ごはんを家族そろって食べる時間を持とう。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

ポートランドのDIY精神に刺激を受け
ものづくりの喜びを分かち合う、
〈RINNE〉プロジェクト始動

写真提供:RINNE

廃材にクリエイティブな価値を見出し循環させたい

今回は、2020年春、東京・台東区に拠点がオープンするという
新しいプロジェクトについて紹介してみたい。

プロジェクト名は〈RINNE(りんね)〉。
生命が無限に転生を繰り返すという
「輪廻(りんね)」の思想が言葉の由来になっており、
モノを捨てることなくクリエイティブな価値を見出し
循環させていこうとするプロジェクトだ。

その第1弾として、不要なモノを素材にして、お酒を飲みながら
ワイワイものづくりを楽しむバーの立ち上げが計画されている。

RINNEの活動を知ったきっかけは、このプロジェクトのメンバーであり、
コミュニケーションデザイナーの山中緑さんと東京で約半年ぶりに再会したことだ。

札幌在住だった緑さんは、昨夏、娘さんとふたりでポートランドへ電撃移住。
住まいも仕事も決めずに現地に向かった彼女は、
この移住を“冒険の旅”と名づけ、さまざまな暮らしの挑戦を行っていった。

ハプニングを乗り越えつつ住まいを見つけたり、娘さんの学校を探したり。
Facebookで発信される日々の挑戦にわたしは引き込まれ、
昨冬の一時帰国のタイミングに合わせ、
わたしの住む美流渡(みると)で彼女にお話会を開いてもらったこともある。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

今年の6月、たまたまわたしの上京予定と彼女の帰国のタイミングが重なって、
東京で会うことができて驚いたことがある。
たった半年のあいだに、緑さんのまわりでは、
新しいプロジェクトがたくさん始まっており、その中でも、
これから本格始動するというRINNEプロジェクトに、大きな興味を持ったのだった。

わたしが移住した岩見沢の山あいの美流渡地区は、過疎化が進み、空き家も多い。
これらの家の中には生活道具が残されていたり、
倒壊の危険のある古家はどんどん壊されているのだが、
廃材として捨ててしまうには惜しいものも多く、
なんとか活用する手段はないのだろうかと、つねづね感じており、
このプロジェクトがヒントになるのではと感じたからだ。

RINNEプロジェクトのアイデアの源泉になったのは、
ポートランドにある〈SCRAP PDX〉と〈DIY BAR〉という取り組みだ。
緑さんは、日々の暮らしのなかで、なぜポートランドが「世界の先端」と言われ、
「クリエイティブシティ(創造都市)」と言われるのか、その秘密を探っていた。
そんななかで大きな刺激を受けたものがこのふたつだったという。

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

SCRAP PDXは非営利の団体で、紙製品や布、文房具など、
クリエイティブな素材になりうる、ありとあらゆるモノが
集められたショップを運営している。
仕入れは売れ残りの商品や余った材料など寄付によってまかなわれていて、
ボランティアが仕分けを行っている。

緑さんの娘さんは、ここに入ったとたん「宝の山だ」と狂喜乱舞したそうで、
誰もが何かがつくりたくなってくる、
そんなワクワクした気分になれる場所なのだという。

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

もうひとつのDIY BARは、クラフトビールなどポートランドらしい飲み物を飲みながら、
和気あいあいとした雰囲気のなかでものづくりを楽しめる場所。

「わたしはもともとの真面目な性格と、デザイナーとしての変な意識(プライド?)で、
気持ち肩に力が入った気がしたけれど、それがだんだん、
どんどん“どうでもよくなって”いって、さまざまな手法を試したくなる!」

緑さん革小物づくりをこのバーで体験し、そんな感覚を覚えたという。

〈山里カフェ Mui〉
猟師である女性オーナーが
自ら猟をするジビエカフェ

年間100頭以上を狩猟し、自ら解体してカフェで提供

木の陰で息をひそめる、その女性が見つめる先には獣道が続く。

「勢子(せこ)と呼ばれる別働隊と猟犬が、追い込んでくる獲物をこうやって待ち伏せて、
通りかかった瞬間に銃で撃つんです」と教えてくれた。

いわゆる「巻き狩り」という伝統的な狩猟法で、
愛知県豊田市の山間部にある足助(あすけ)地区では、
多いときで10数人のハンターが集まり、この猟を行っている。
捕獲した山の恵みは、参加者全員で山分けするのが、昔からの習わしだ。

清水潤子さんは、猟師歴5年目。散弾銃が使える第一種銃猟免許に加えて、
わな猟、網猟免許も持ち、巻き狩りだけでなく単独でも猟を行い、
年間100頭以上の鳥獣を狩猟。
自ら解体、調理を行い、豊田市内の足助地区で営む〈山里カフェMui〉で、
ジビエ料理のランチとして提供している。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

「イノシシ 捕る 資格」と、検索したのが始まり

「実は、結婚直後に、末期がんと診断されて。
私は新潟県長岡市の田舎育ちなので、
主人が『自然豊かなところで過ごせば、少しでも良くなるのでは』と考え、
間伐体験や米づくり体験など、いろいろな場所へ連れて行ってくれたんです」

最初は、横になって見学しているだけだったが、徐々に病状が回復。

「本当に、奇跡的に良くなったんです! 当時を知る人からは、
久しぶりに会うと『しぶといな~(笑)』ってからかわれます」

この足助地区を訪れたのも、米づくり体験がきっかけだった。
参加するたびに、地元農家の人たちからは、
イノシシによる農業被害について話を聞いていた。
昼食に登場するのも、イノシシ料理が中心。
そんなある日の昼休みに、目の前をイノシシが走り抜けた。

「それを見た農家の方が、『誰かとってくれ!』って口走ったんです。
しかしそこにいたのは、地域外からの参加者ばかり。
私たちのような“よそ者”にまで頼まなければならないほど、深刻な問題なんだと痛感して。
スマホで、『イノシシ 捕る 資格』と検索したら、狩猟免許のことが出てきて、
すぐに主人と、もうひとりの参加者と3人で申し込んだんです」

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

こうして、わな猟の免許を取得したのは2014年。
そのことを足助の農家の人たちに伝えると、
すぐに「今、罠にイノシシがかかっているけど来ないか?」という誘いの電話が。
1時間ほど車を走らせ、山の中に到着すると、大きなイノシシがかかっていた。

「最後に、ヤリを喉に突き刺してしとめるのですが、
ワイヤーが切れてこっちに突進してくるんじゃないかという恐怖心と、
返り血を浴びたときの罪悪感は、今でも忘れられません。
大切な命をいただいているのだからこそ、『無駄にしてはいけない』と強く思うのです」

駆除されたイノシシやシカの約9割が、埋設されている

猟友会に参加し、狩猟の現場に出るようになり、あらためて感じた問題がふたつある。
ひとつは、いわゆる鳥獣による農作物被害の深刻さだ。
豊田市では、イノシシやシカなどによる鳥獣被害が、
年間約1.2億円(豊田市産業部農政課「平成29年豊田市鳥獣被害状況調査結果」)に及び、
農家の人たちを悩ませている。

一方で、そういった有害鳥獣として駆除されたイノシシやシカは、
全国平均で約9割も、利用されることなく埋設されている。
ハクビシンやアライグマなどの小動物にいたっては、ほとんどが廃棄されているという。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

「有害鳥獣といえど、命の重みに違いはありません。
せめて、最後までおいしく食べてあげたいと、
ちょうど募集中だった『三河の山里起業実践者』という制度に、
ジビエ料理を出すカフェのプランを提出したんです」

「三河の山里起業実践者」とは、愛知県の三河山間地域で起業に挑戦する人を支援し、
移住・定住を促進する県の事業。
清水さんのプランは見事採用となり、
当時暮らしていた愛知県刈谷市から足助地区への移住を決意。
すでに足助で購入してあった築150年の古民家を改装してジビエカフェを開く夢が、
現実のものとして動き出した。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。

〈船波製麺所〉
家族でつくる小豆島手延べそうめん

撮影:牧浦知子

身近にある小さな製麺所でつくられる、島の特産品

小豆島では昔から、島のあちこちにある小さな製麺所で
「そうめん」がつくられています。
その歴史は長く、約400年前の江戸時代はじめから。
「冬の農閑期に家族で生産できる」と考えた島の人が、
三輪(奈良県)でそうめんの製造技術を学び、
小豆島に持ち帰ったのが始まりとされています。

そして現在、小豆島の手延べそうめんは、
奈良県「三輪そうめん」、兵庫県「播州そうめん」に並ぶ
日本三大そうめんのひとつなんです。

小豆島に引っ越してきてからは、そうめんをよく食べるようになりました。担々麺にしたり、野菜をのせたり、いろいろアレンジします。

小豆島に引っ越してきてからは、そうめんをよく食べるようになりました。担々麺にしたり、野菜をのせたり、いろいろアレンジします。(撮影:牧浦知子)

うちのすぐ近所にもそうめんの製麺所が何軒かあります。
製麺所というととても大きな感じがしますが、
小豆島の製麺所は家族で運営している小さなところが多く、
自宅のすぐ隣に工場があったりします。

乾燥中のそうめん。

乾燥中のそうめん。

集落の中にぽつぽつと小さな製麺所がある感じが私はとても好きです。
そうめんを干してるところがちらりと見えたり、機械の音がしたり、
小豆島らしい風景のひとつだなぁと思います。

そうめんづくり現役の機械たち。そうめんをつくる機械ってかっこいいな。

そうめんづくり現役の機械たち。そうめんをつくる機械ってかっこいいな。

人の手で麺を細く延ばしていく手延べそうめん。

人の手で麺を細く延ばしていく手延べそうめん。

そんな製麺所のひとつ、中山の千枚田の中にある〈船波(ふなば)製麺所〉さんから
Webサイトをつくりたいと相談を受けたのをきっかけに、この春から夏に何度か訪れて
写真を撮らせてもらったり話を聞かせてもらったりしました。

中山地区でそうめんづくりをされている〈船波製麺所〉のみなさん。

中山地区でそうめんづくりをされている〈船波製麺所〉のみなさん。(撮影:牧浦知子)

千枚田を見渡す場所に船波製麺所があります。

千枚田を見渡す場所に船波製麺所があります。(撮影:牧浦知子)

写真でまちが楽しくなる。
写真家MOTOKOさんが語る
〈ローカルフォト〉の力

地域でプロジェクトを続ける
写真家との対談

伊豆下田に家族で移住したフォトグラファーの津留崎徹花さん。
下田で撮影した写真を展示する写真展を開き、
写真家のMOTOKOさんを迎えてトークイベントを開催。
そのMOTOKOさんが各地で展開するプロジェクト
〈ローカルフォト〉とは。

アーティストが開く地域の可能性。
夕張でプロジェクトを行う
永岡大輔さんと山口一樹さんの挑戦とは

画像提供:ニュー浴場プロジェクト

そこに住む人々の記憶を掘り起こそうとする試み

わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区は、もともと炭鉱があった場所だ。
炭鉱で働いた人たちが住んでいた炭鉱住宅がいまでも残っているし、
活況を呈した当時の様子を知る住民もいる。
東京で暮らしていた頃は、炭鉱は過去にあった
どこか遠い出来事のように感じていたのだが、ここに住んでいると、
まちの個性をつくった重要なものであると、強く実感するようになった。

そんななかで、産炭地として全国に知られる夕張で、
独自のプロジェクトを行っているふたりがゲストとなった
アーティストトークに参加した。

8月末、アーティスト・イン・レジデンス事業を行う
〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉で、
「アーティストがみた北海道と炭鉱・夕張とはなにか。」をテーマとし、
アーティストの永岡大輔さんと、
写真家でありキュレーターでもある山口一樹さんが、
これまで行ってきた活動について語ってくれた。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

まず活動を語ったのは山口さんだ。
3年半前から夕張に移住し、現在は市の職員として働きつつ、
本を出版したりイベントを企画したりなど多彩な活動を展開している。

山口さんが夕張を初めて訪ねたのは6年前。
当時、新潟大学の学生だった山口さんは、北海道をめぐるなかで
夕張駅で野宿をしようとしたことがあった。
そのとき地元の人が「うちにとめてあげるよ」と言ってくれて、
初めて炭鉱住宅に泊まり、銭湯につかる体験をした。

「激アツのお風呂に近所のみなさんが順々に入っていって、
なんなんだろうこれはと。とてつもないコミュニティの力を感じました」

その後2年間夕張に通い、地域おこし協力隊としてこの地で暮らすこととなった。
児童館のない夕張で、子どもの居場所づくりなどの活動を行いつつ、
同時並行で歴史を掘り起こす取り組みも続けていった。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは2冊の本の制作に携わった。
1冊は『ヤマを伝える』。
元炭鉱マンで画家の宮城七郎さんが描いた、炭鉱の労働と暮らしの絵をはじめ、
当時の記憶をたどる写真と解説文で構成されたものだ。

「その時代、その場所を生きた人にしか出せない空気感や感覚、
想いがあると感じました。いま夕張には、みんなが共通して
大事にできるようなものってそんなにないように感じていたので、
共通の財産をつくりたいと思いました」

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

もう1冊が、今年の3月に刊行した『暮らしと創造』という本だ。
夕張に長く住み、手芸や短歌、絵といった
ものづくりを楽しんできた6名にスポットをあて、
その作品やポートレートを収録したもの。

「夕張に来たときから、財政破たんをしたまちで暮らす人たちの
豊かさとはいったいなんだろうと考えてきました。
ひとりひとりをフィーチャーしていくと、
自分の目の前で大事にしてつくったものの延長線上にこのまちがある。
そんなことを実感して、そこから本が生まれていきました」

このほか山口さんは、9月に地域で戦争体験をした人に話を聞いて、
その記憶と手記を紹介するような展覧会も企画していた。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

新鮮野菜たっぷり素麺!
〈HOMEMAKERS〉のまかない

採れたての野菜と地元の食材でつくる、最高のごちそう

8月後半の雨続きで涼しい日が続き、
すっかり夏が終わってしまったかと思っていたのですが、やっぱりまだ暑い。
時折、吹き抜ける秋の風を感じつつも、
じりじりと照りつける太陽が汗を吹き出させる畑作業の日々です。

9月上旬、ひたすらにんじんの種をまく。暑い~。

9月上旬、ひたすらにんじんの種をまく。暑い~。

生食できるかぼちゃ、コリンキー! まだまだ夏野菜が元気。

生食できるかぼちゃ、コリンキー! まだまだ夏野菜が元気。

畑では、モロヘイヤ、ツルムラサキなど夏後半の野菜が採れ始めてます。秋に採れるように植えたピーマンももうすぐ収穫。

畑では、モロヘイヤ、ツルムラサキなど夏後半の野菜が採れ始めてます。秋に採れるように植えたピーマンももうすぐ収穫。

そんな残暑厳しい9月上旬のある日。
今日の〈HOMEMAKERS〉まかないは何にしようかなあ。
「そうだ、今日は素麺にしよう!」

小豆島は昔から素麺の生産が盛んで、島のあちこちに小さな製麺所があります。
ご近所さんや知り合いにも何人か素麺屋さんがいるので、
いただいたり買ったりして、常に細麺、太麺、両方のストックがあります。
なので、暑い日のまかないではちょくちょく素麺が登場します。

近所のお素麺屋さんがつくった太麺素麺。

近所のお素麺屋さんがつくった太麺素麺。

細麺に比べて太麺は食べ応えがあります。でもつるっとした食感なのでどんどん食べられる!

細麺に比べて太麺は食べ応えがあります。でもつるっとした食感なのでどんどん食べられる!

素麺といっても、素麺+めんつゆ+薬味(ねぎ、生姜)だけじゃもの足りない~。
HOMEMAKERSのまかない素麺は、野菜たっぷり&肉あり、卵あり! 
今日は太麺にしましょ。HOMEMAKERSのまかないづくりスタートです。

まずは料理に使う野菜を集めます。
たくさん収穫できて余っているものや、
形が悪かったり傷があったりして出荷できないもの。
それから初もの(今シーズン初めて採れたもの)を
誰よりも早く自分たちのまかないで使ったりします。味見です。

まかないで使う野菜たち。

まかないで使う野菜たち。

この日は、8月末から採れ始めたツルムラサキ、
夏の間ずっと採れ続けているズッキーニ、ピーマン、ナス、オクラ、
春に収穫して保管してある赤玉ねぎ、あると安心なネギ。
それから今年初めて育てたメロンを使いました。

まかないは、たくちゃん(夫)が主につくります(私は手伝い)。
この夏は、畑を手伝いにきてくれている渡辺宣くん(せんくん)が
たくちゃんと一緒にまかないをつくってくれています。

「この野菜はどうしようか?」と相談しながらまかないづくり。

「この野菜はどうしようか?」と相談しながらまかないづくり。

ピーマンと赤玉ねぎの肉みそ炒めをつくります。すでにいい匂い~。

ピーマンと赤玉ねぎの肉みそ炒めをつくります。すでにいい匂い~。

下田に移住して2年半。
あらためて振り返る、
わが家の暮らし、何が変わった?

移住で変化した8つのこと

津留崎さん一家が伊豆下田に移住して2年半。
移住前から続けてきた連載もスタートから3年が経ち、
5歳だった娘も8歳に。
いまの暮らしは東京での暮らしと何が変わったのか?
あらためて振り返ってみました。

わたしのまちの「夏祭り」
能登の壮大な祭りから、
知られざる小さな祭りまで

今月のテーマ 「わたしのまちの夏祭り」

日本各地で開催される、さまざまな「夏祭り」。
〈青森ねぶた祭り〉〈京都祇園祭〉〈高知よさこい祭り〉など、
全国的によく知られる夏祭りを筆頭に、
地元住民だけが参加する、知られざる小さな祭りもたくさん開催されています。
そういう祭にこそ、地域の特色が色濃く反映されていたりするものです。

今回は、日本各地に暮らす皆さんから、
地域住民が楽しみにしている、大小さまざまな夏祭りを紹介してもらいました。

【岩手県一関市】 手描きあんどんに思いを込めて

私のまちの夏祭りは、穏やかに楽しむ“美術展”のようなお祭りです。
名前は〈摺沢水晶あんどん祭り〉。

手づくりあんどん

今から33年前、お盆の時期に弔いの思いを込めて、
六角形のあんどんをまちに飾ったのが始まりだといわれています。
あんどんの形が六角形なのは、この摺沢の地が水晶の産地だったことに由来します。

このお祭りの、もうひとつの特徴は、
六角形の和紙に住民が「絵」を描き、その絵をあんどんにして、まち中に飾るところにあります。
7月になると、子どもも大人も「今年はどんな絵を描こうか」と頭を捻り、
思い思いの絵を描きます。

あんどん絵を描く子どもたち

私も子どもの頃、下手ながらあんどん絵を描いた思い出があります。
というのも、あんどん絵を描くと、まちで使える商品券がもらえるのです。
その商品券を使って、まちの本屋さんで欲しい漫画を買う。
それもまた、あんどん祭りのワンシーンのような気がします。

そんな現金な子も、絵が得意な子も、当日は描いた絵があんどんとして灯されるので、
家族や友だちと見に行き、各地区で行われる縁日に寄って帰ります。
ゆっくりと穏やかな時間が流れる、小さな芸術祭が私のまちの夏の祭りです。

摺沢水晶あんどん祭りの開催の様子

information

map

摺沢水晶あんどん祭り

開催場所:岩手県一関市大東町摺沢 摺沢商店街

開催期間:毎年8月13日~15日

Facebook:https://www.facebook.com/surisawa.andonfes/

photo & text

櫻井 陽 さくらい・よう

岩手県一関市出身。2016年よりUターンで一関市の地域おこし協力隊に着任し、農業分野の地域団体の活動支援を行う。好きな食べ物はカレー。趣味の硬式テニスをやらないと病にかかる体質。2017年より一関で楽しく暮らしたい20代のための地域団体〈TAKU。(たくまる)〉を発足し、各々がまちを楽しむためのさまざまな企画を実施する。

長沼の人々との出会いで
大きな一歩を踏み出した
自由な小学校づくり

撮影:佐々木育弥

説明会開催を繰り返すなかから具体化した設立場所

自分たちの手で、わが子や自分が“学ぶ場”をつくれたら楽しいんじゃないだろうか。
人口400人に満たない岩見沢市の美流渡(みると)地区に移住してから、
私はこう考えるようになった。

この考えが芽生えたのは、過疎地に住んでみて、
歩いて通える児童館がないことや習い事の選択肢が少ないことが挙げられる。
しかも今春には息子が通っていた小学校が閉校となり、
当たり前にあると思っていたものがなくなるという現実に直面し、
学校についてあらためて見直す機会を得たことも理由のひとつ
(現在、子どもはスクールバスでもう少し大きな小学校に通っている)。

そして、「ないなら自分たちでつくってみよう」という気持ちが自然にわきあがって、
ワークショップを開催したり、旧校舎の活用方法を模索したりと、
さまざまなプロジェクトが生まれていった。

昨年は、農家の阿部恵さんの畑で「トシくんと畑で英会話」を企画。農作業しながら子どもたちが英会話を学ぶというワークショップ。

昨年は、農家の阿部恵さんの畑で「トシくんと畑で英会話」を企画。農作業しながら子どもたちが英会話を学ぶというワークショップ。

自分がこうした活動するようになって、
ほかの地域ではどんな動きがあるのかに関心を持つようになった。
道内でも、さまざまな学びの場をつくる動きが展開されているのだが、
なかでも注目しているのは〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の活動だ。

「森のようちえん」やフリースクールよりも、学校法人の認可を受ける小学校設立は
かなりハードルが高いのではないかと考えてしまうが、
個人の想いが集まれば設立も夢ではない、
そんな勇気をこの会の活動は与えてくれている。

わたしが小学校をつくる会の活動を知ったのは、昨年5月のこと。
札幌で開催された説明会に参加したのがきっかけだ。
以来、何度か説明会に参加し、その様子は以前もリポートしたが、
いま、さらなる展開が起こっているので、今回それについて紹介したい。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の説明会の様子。説明会ではグループディスカッションの時間を設け、教育や学校に対する意見交換の場もつくられた。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の説明会の様子。説明会ではグループディスカッションの時間を設け、教育や学校に対する意見交換の場もつくられた。

会の母体は、1980年代から活動し、現在認定NPO法人となった
〈北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会〉。
新しい教育提案とその実現を目指そうとする組織で、
このNPOに関わる細田孝哉さんと吉野正敏さんが、
既存の公教育とは異なる価値観を持つ小学校をつくりたいという活動を長年続けてきた。

吉野正敏さん(左)と細田孝哉さん(右)。吉野さんは札幌のフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事。細田さんは札幌にある養護学校の教員。

吉野正敏さん(左)と細田孝哉さん(右)。吉野さんは札幌のフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事。細田さんは札幌にある養護学校の教員。

これまで活動は思うように広まらなかったが、
吉野さんが運営を手がけるフリースクールでボランティアを行い、
学校教育に以前から興味を持っていた綿谷千春さんが、
昨年、小学校づくりのメンバーに参加。
彼女がSNSで説明会開催を呼びかけたことで、学校教員や子を持つ親など、
さまざまな立場の人が、この活動を知ることとなった。

昨年末には、わたしが住む岩見沢市でも説明会を開催してもらった。

昨年末には、わたしが住む岩見沢市でも説明会を開催してもらった。

説明会で語られたことのひとつは、どんな学校をつくりたいのか。
和歌山にある〈きのくに子どもの村学園〉をモデルにしており、テストや宿題、
学年の壁もなく、子どもが主体的に学べる場をつくっていきたいと語られた。
また、懸案事項として挙げられたのが設立場所で、
旧校舎などの利用を検討中とのことだった。

理想の夫婦の関係性!?
鎌倉・材木座の家具屋〈STOVE〉と
ギャラリーカフェ〈John〉が育む
緩やかなつながり

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

家具屋〈STOVE〉と、ギャラリーカフェ〈John〉がある材木座は、以前に本連載でも紹介したお好み焼き屋〈かたつむり〉をはじめ、新しい飲食店やショップのオープンが続き、近年盛り上がりを見せている。

家具屋〈STOVE〉と、ギャラリーカフェ〈John〉がある材木座は、以前に本連載でも紹介したお好み焼き屋〈かたつむり〉をはじめ、新しい飲食店やショップのオープンが続き、近年盛り上がりを見せている。

夫婦が営むふたつのお店

個人事業主として働く人も少なくない鎌倉のまちでは、ふたりでお店を切り盛りしたり、
共に事業を営んでいる夫婦と出会う機会もしばしばある。

公私ともにパートナーの関係を築くことの楽しさや喜びがある反面、
その距離感の近さ、接している時間の長さなどから、
難しい点も多々あろうことは想像に難くないが、
東京から鎌倉に移り住んだ石川隼さんと有理子さんは、
夫婦で働くということに対して、新しい視点をもたらしてくれるような、
ユニークな働き方を昨年から続けている。

内装や家具の設計の仕事を続けてきた隼さんと、
クリエイターのマネジメント業を営んできた有理子さんは昨年、
鎌倉の海沿いのまち・材木座に、
〈STOVE〉と〈John〉という隣り合うふたつのお店を、
それぞれが別々にオープンさせたのだ。

建具屋の倉庫として使われていた物件を改装したSTOVE。

建具屋の倉庫として使われていた物件を改装したSTOVE。

オリジナルやヴィンテージの家具、日用雑貨などを扱うSTOVEと、
さまざまなクリエイターが展示を行うカフェ併設のギャラリーJohn。
それぞれが個人で続けてきた仕事の延長線上で店舗を持つに至ったふたりは、
現在も本職を続けながら、自らのお店に立つというワークスタイルを実践している。

ひとつの店舗を共に営むのではなく、それぞれが独立した空間を持ち、
緩やかにつながりながら、お互いに影響を与え合う。
STOVEとJohnの間には、まさに夫婦ならではの関係性が築かれているように見える。
開店からちょうど1年を迎え、地域におけるハブにもなりつつある
STOVEとJohnを営むふたりを訪ね、材木座のお店に足を運んだ。

有理子さんが営むカフェ&ギャラリーJohnは、STOVEのすぐ隣にある。

有理子さんが営むカフェ&ギャラリーJohnは、STOVEのすぐ隣にある。

畑とカフェと、時々ネコ。
小豆島〈HOMEMAKERS〉の
盛りだくさんな夏!

畑仕事と週5のカフェ営業で大忙し!

夏が駆け抜けていきます。
気がつけば8月も後半です。

この夏、私たち〈HOMEMAKERS〉は
普段は週2日(金、土曜日)しか開けていないカフェを、
週5日営業に増やしてがんばってきました。
どうしてカフェの営業日を増やしたかについては、こちらを読んでみてください。

7月19日〜8月17日は週5日(火〜土曜日)カフェを営業。8月後半からはいつもどおり金、土曜の営業。

7月19日〜8月17日は週5日(火〜土曜日)カフェを営業。8月後半からはいつもどおり金、土曜の営業。

カフェからの眺め。この日はとても夏らしい日だった。

カフェからの眺め。この日はとても夏らしい日だった。

畑仕事とカフェ営業、それはそれは毎日バタバタとしていました(笑)。
さて、どんなふうに毎日を過ごしてきたかというと……。

まず、朝5時。この時間だともうすっかり明るくなっているのですが、
まだ太陽が出ていないので、日中と比べたらとても涼しいです。
この時間から農作業を始めます。

私はひたすら生姜畑のメンテナンスをしていました。草抜き、追肥、土寄せ。
朝の静かな時間に黙々とする農作業は、作業というより癒やしというか。

朝5時台から、黙々と生姜に追肥。

朝5時台から、黙々と生姜に追肥。

山の向こうから太陽が出てきます。暑くなる〜。

山の向こうから太陽が出てきます。暑くなる〜。

7時前に家に戻って身支度と朝ごはん。
もうこの時間になると太陽がのぼって、どんどん暑くなっていきます。

8時、カフェのスタッフが順番にやってきます。
仕込みと掃除。私もみんなと一緒に掃除をしたり、
メニューを更新したり、SNSでお知らせしたり。
カフェは10時オープンです。

朝8時からカフェオープン準備。仕込みと掃除。

朝8時からカフェオープン準備。仕込みと掃除。

9時、畑のスタッフがやってきます。
真夏の昼間でも外作業がんばれるよチームは、灼熱の畑に果敢に出動していきます
(しんどすぎる環境なのにがんばってくれて本当に感謝しています)。

毎週火曜、金曜は野菜の収穫&出荷作業をしています。
カフェのすぐ隣にある野菜の出荷作業スペースには
どんどん収穫した野菜が集まってきます。

カフェを営業している横で野菜の出荷作業。
収穫してきた野菜はカフェでももちろん使いますし、販売用として並びます。
この農業とカフェが同時並行して動いている感じがとてもいいなあと感じていました。

収穫したポップコーン用のトウモロコシ。色がなんとも美しい。

収穫したポップコーン用のトウモロコシ。色がなんとも美しい。

収穫した野菜をカフェに並べて販売。

収穫した野菜をカフェに並べて販売。

「夢リスト」が少しずつ実現。
伊豆に移住したカメラマンが叶えたこと

移住していろいろな夢が叶ってる……!?

約10年前に書いた「わたしの夢リスト」。
気づいたらそのうち大部分が実現していた……!
伊豆下田に移住した津留崎徹花さんは、
移住という夢を叶えたあとも、
自然な流れでやりたいことを実現していました。
そんな徹花さんのトークイベントが、下田で開催されます。

〈HOMEMAKERS〉のリユースカップ
でスペシャルなドリンクを!

まずは自分たちでできることから、始めてみよう!

小豆島は夏真っ盛りです。
連日35度を超える暑い日が続いています。

夏になると冷たい飲みものを飲みたくなるわけですが、
うちのカフェでも、ジンジャーエールやダイダイレモンソーダ、
梅ソーダ、それからアイスコーヒーなど
冷たいドリンクがよく注文されるようになります。

今年の夏は〈瀬戸内国際芸術祭2019〉が開催されているし、
きっと冷たいドリンクのテイクアウトが増えるだろうなぁと思い、
夏が始まる前からテイクアウト用のカップについて考えていました。

この夏はカフェの営業日を増やして、火~土曜の週5日オープンしてます。

この夏はカフェの営業日を増やして、火~土曜の週5日オープンしてます。

1回使ったきりで捨てられてしまうプラスチックカップをやめたいなぁと。

天然素材の土に還るコップにしようか。
金属製のふたがついてるガラス瓶にしようか。

いろいろ調べて考えました。
使い捨てないこと、繰り返し使いたくなること、
でも価格がそんなに高くなりすぎないこと。

夏の新メニュー、ファラフェルサンド。野菜はすべて自分たちが育てたもの。

夏の新メニュー、ファラフェルサンド。野菜はすべて自分たちが育てたもの。

ドリンクとサンドメニューはお持ち帰りできます。

ドリンクとサンドメニューはお持ち帰りできます。

私たちはこの夏、〈HOMEMAKERS〉のリユースカップをつくることにしました。
リユースカップとは、使い終わったあと、
洗って繰り返し使うことができるカップです。
屋外での利用を考えて、軽くて割れにくいポリプロピレン製のものにすることに。

〈HOMEMAKERS〉オリジナルデザインのリユースカップ。自家製のジンジャーエールとハニーダイダイソーダが入ってます。

〈HOMEMAKERS〉オリジナルデザインのリユースカップ。自家製のジンジャーエールとハニーダイダイソーダが入ってます。

リユースカップは使用後に回収しなければ再利用できません。
うちでドリンクをテイクアウトした場合、どこで回収するのか。
勝手に妄想すると、地域内で、たとえば小豆島内の飲食店やホテル、
観光地で共通のリユースカップを使って、
港やお店などに回収ボックスを設置、洗浄して、
また各店舗で再利用するなんてことができたらおもしろい。

地域全体で使い捨てを減らして、ゴミを減らすことができる。
でもいきなりそんな大きなことはできないし、まずはうちで始めてみようと。
テイクアウトされたものの回収は難しいので、
それなら捨てずに持ち帰って繰り返し使いたくなるようなものにしようと、
オリジナルのデザインのものをつくることにしました。

使うのが楽しくなるカップ。
キャンプや外でのイベントなんかで使えるカップ。
スペシャルなドリンクを飲みたくなるカップ。

“釣りガール”が営むゲストハウス
〈Daja(ダジャ)〉に泊まる。
シュノーケリングも魅力の南伊豆の旅

下田の隣町、南伊豆への
ショートトリップ

伊豆下田で暮らす津留崎さん一家が
友人家族とともにお隣の南伊豆へ1泊2日の旅へ。
知る人ぞ知るシュノーケリングスポット「ヒリゾ浜」で遊んだあとは、
元地域おこし協力隊の“釣りガール”が営むゲストハウスへ。
細い路地が入り組んだ集落にある
小さな宿のオーナーの思いとは。