人がつながり、コトが始まる場所。
〈カフェ鎌倉美学〉に
まちの老若男女が集まる理由とは?

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

〈カフェ鎌倉美学〉がある御成通り商店街。ここ数年、新店が次々とオープンし、地元民に加えて観光客の往来も増えている。

老若男女が集うコミュニケーションカフェ

鎌倉駅の西口は、地元住民から「裏駅」と呼ばれている。
鶴岡八幡宮へと連なる小町通りなどがあり、
観光客で賑わう駅の東側が正面口であることに対して、
西側は、鎌倉の裏口というわけだ。

この裏駅から延びる御成通り商店街は、近年続々と新店がオープンし、
少しずつその様相が変わり始めているものの、
のんびりしたローカルムード漂う商店街として、
地元民から観光客までに広く親しまれている。

この商店街を数分歩くと、〈カフェ鎌倉美学〉と書かれた赤い看板が見えてくる。
まだこの辺りに飲食店が数えるほどしかなかったいまからちょうど10年前、
オーナーの湊 万智子さんが、それまで勤めていた
鎌倉のケーブルテレビを退職して開いたお店だ。

「コミュニケーションカフェ」という冠がつけられた鎌倉美学には、
性別や世代、職種などを超えて老若男女が集い、
地元住民から観光客までが気軽に語らえるお店として、
いまではまちに欠かせない存在だ。

カフェ鎌倉美学の店主・湊万智子さん

この鎌倉美学では、しばしば音楽イベントや作品の展示などが行われ、
若手アーティストたちの表現の場にもなっており、
また、ここで間借り営業をしたことがきっかけで、
後に飲食店を構えることになる人や、鎌倉に移住してきたあと、
このお店を通じて地域コミュニティとの関わりを深める人なども多く、
まちで新たな活動を始める人たちのはじまりの場所にもなっている。

多くの人たちから「マチコさん」と慕われ、
常連客から観光客、スタッフまでが垣根を超えてつくる大きな輪の
求心力となっている鎌倉美学のオーナー、湊さんを訪ねた。

カフェ鎌倉美学外観

家族と、仲間と、
豊かで楽しい食卓のある暮らし

7年経って、驚くほど変わった生き方

小豆島で暮らし始めてもうすぐ丸7年経ちます。
うひょ〜、7年!
30代で引っ越してきた私たち夫婦は、気づけば40代になりました。
盛りだくさんの毎日が積み重なって、
小豆島に引っ越してきたのはもうずっとずっと昔のような気がします。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

カフェメンバー、ファームメンバーそろって集合写真。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

いま採れる野菜はこんな感じです。夏の暑さが落ち着き、みずみずしい葉物野菜が採れ始めました。

7年経ってもいまだに私たちは「移住者」で、雑誌の取材などでも
「どうして移住されたのですか?」と聞かれることがしばしばあります。
なんでだっけ?(笑)

名古屋で暮らしていた頃どんなことを考えて移住を決めたのか、
どんな気持ちだったのか、もう遠い記憶です。
ただやっぱり当時のことを思い出そうとすると、
いろんな思いや出来事が頭の中に浮かび出てきます。

30代前半、都会で子どもを育てながら働いていた私は、
それなりに満たされてはいたけれど、なにか悶々としていました。
自分が何をしたいのか、どんな生き方をしたいのか、ずっと考えていました。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

畑の隅に植えられている栗の木から落ちた栗を収穫。

この連載「小豆島日記」の最初の回に、私はこんなことを書いています。

消費するために働いてお金を稼ぐ、そういう生き方じゃなくて、
生きること自体を働くことにしよう。
暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる時間、
ごはんを家族そろって食べる時間を持とう。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗は食べるのにすごい手間がかかります。ひとつずつ鬼皮をむいて渋皮をむいて。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

栗ごはーん! お米も栗も私たちが暮らす小豆島肥土山産。

ポートランドのDIY精神に刺激を受け
ものづくりの喜びを分かち合う、
〈RINNE〉プロジェクト始動

写真提供:RINNE

廃材にクリエイティブな価値を見出し循環させたい

今回は、2020年春、東京・台東区に拠点がオープンするという
新しいプロジェクトについて紹介してみたい。

プロジェクト名は〈RINNE(りんね)〉。
生命が無限に転生を繰り返すという
「輪廻(りんね)」の思想が言葉の由来になっており、
モノを捨てることなくクリエイティブな価値を見出し
循環させていこうとするプロジェクトだ。

その第1弾として、不要なモノを素材にして、お酒を飲みながら
ワイワイものづくりを楽しむバーの立ち上げが計画されている。

RINNEの活動を知ったきっかけは、このプロジェクトのメンバーであり、
コミュニケーションデザイナーの山中緑さんと東京で約半年ぶりに再会したことだ。

札幌在住だった緑さんは、昨夏、娘さんとふたりでポートランドへ電撃移住。
住まいも仕事も決めずに現地に向かった彼女は、
この移住を“冒険の旅”と名づけ、さまざまな暮らしの挑戦を行っていった。

ハプニングを乗り越えつつ住まいを見つけたり、娘さんの学校を探したり。
Facebookで発信される日々の挑戦にわたしは引き込まれ、
昨冬の一時帰国のタイミングに合わせ、
わたしの住む美流渡(みると)で彼女にお話会を開いてもらったこともある。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

美流渡のお話会の様子。緑さんは、「これまでのいろんな概念が壊され、常識が覆され、そして刺激を受け、ショックとともに自由になって元気になっている気がする」とポートランドでの日々を語ってくれた。

今年の6月、たまたまわたしの上京予定と彼女の帰国のタイミングが重なって、
東京で会うことができて驚いたことがある。
たった半年のあいだに、緑さんのまわりでは、
新しいプロジェクトがたくさん始まっており、その中でも、
これから本格始動するというRINNEプロジェクトに、大きな興味を持ったのだった。

わたしが移住した岩見沢の山あいの美流渡地区は、過疎化が進み、空き家も多い。
これらの家の中には生活道具が残されていたり、
倒壊の危険のある古家はどんどん壊されているのだが、
廃材として捨ててしまうには惜しいものも多く、
なんとか活用する手段はないのだろうかと、つねづね感じており、
このプロジェクトがヒントになるのではと感じたからだ。

RINNEプロジェクトのアイデアの源泉になったのは、
ポートランドにある〈SCRAP PDX〉と〈DIY BAR〉という取り組みだ。
緑さんは、日々の暮らしのなかで、なぜポートランドが「世界の先端」と言われ、
「クリエイティブシティ(創造都市)」と言われるのか、その秘密を探っていた。
そんななかで大きな刺激を受けたものがこのふたつだったという。

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

〈SCRAP PDX〉の店内。シールや包装紙などあらゆる素材が集められている。(写真提供:RINNE)

SCRAP PDXは非営利の団体で、紙製品や布、文房具など、
クリエイティブな素材になりうる、ありとあらゆるモノが
集められたショップを運営している。
仕入れは売れ残りの商品や余った材料など寄付によってまかなわれていて、
ボランティアが仕分けを行っている。

緑さんの娘さんは、ここに入ったとたん「宝の山だ」と狂喜乱舞したそうで、
誰もが何かがつくりたくなってくる、
そんなワクワクした気分になれる場所なのだという。

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

〈DIY BAR〉。ものづくりをしながら食べたり飲んだり。店員さんもフレンドリーで、つくった作品をほめてくれることも。(写真提供:RINNE)

もうひとつのDIY BARは、クラフトビールなどポートランドらしい飲み物を飲みながら、
和気あいあいとした雰囲気のなかでものづくりを楽しめる場所。

「わたしはもともとの真面目な性格と、デザイナーとしての変な意識(プライド?)で、
気持ち肩に力が入った気がしたけれど、それがだんだん、
どんどん“どうでもよくなって”いって、さまざまな手法を試したくなる!」

緑さん革小物づくりをこのバーで体験し、そんな感覚を覚えたという。

〈山里カフェ Mui〉
猟師である女性オーナーが
自ら猟をするジビエカフェ

年間100頭以上を狩猟し、自ら解体してカフェで提供

木の陰で息をひそめる、その女性が見つめる先には獣道が続く。

「勢子(せこ)と呼ばれる別働隊と猟犬が、追い込んでくる獲物をこうやって待ち伏せて、
通りかかった瞬間に銃で撃つんです」と教えてくれた。

いわゆる「巻き狩り」という伝統的な狩猟法で、
愛知県豊田市の山間部にある足助(あすけ)地区では、
多いときで10数人のハンターが集まり、この猟を行っている。
捕獲した山の恵みは、参加者全員で山分けするのが、昔からの習わしだ。

清水潤子さんは、猟師歴5年目。散弾銃が使える第一種銃猟免許に加えて、
わな猟、網猟免許も持ち、巻き狩りだけでなく単独でも猟を行い、
年間100頭以上の鳥獣を狩猟。
自ら解体、調理を行い、豊田市内の足助地区で営む〈山里カフェMui〉で、
ジビエ料理のランチとして提供している。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

この秋から猟に出ることを目指し、現在訓練中の猟犬・ベリー(メス・4か月)と一緒に山へ。

「イノシシ 捕る 資格」と、検索したのが始まり

「実は、結婚直後に、末期がんと診断されて。
私は新潟県長岡市の田舎育ちなので、
主人が『自然豊かなところで過ごせば、少しでも良くなるのでは』と考え、
間伐体験や米づくり体験など、いろいろな場所へ連れて行ってくれたんです」

最初は、横になって見学しているだけだったが、徐々に病状が回復。

「本当に、奇跡的に良くなったんです! 当時を知る人からは、
久しぶりに会うと『しぶといな~(笑)』ってからかわれます」

この足助地区を訪れたのも、米づくり体験がきっかけだった。
参加するたびに、地元農家の人たちからは、
イノシシによる農業被害について話を聞いていた。
昼食に登場するのも、イノシシ料理が中心。
そんなある日の昼休みに、目の前をイノシシが走り抜けた。

「それを見た農家の方が、『誰かとってくれ!』って口走ったんです。
しかしそこにいたのは、地域外からの参加者ばかり。
私たちのような“よそ者”にまで頼まなければならないほど、深刻な問題なんだと痛感して。
スマホで、『イノシシ 捕る 資格』と検索したら、狩猟免許のことが出てきて、
すぐに主人と、もうひとりの参加者と3人で申し込んだんです」

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

木の陰などで待ち伏せ、猟犬に追われ獲物が逃げてきたら、銃を構える。

こうして、わな猟の免許を取得したのは2014年。
そのことを足助の農家の人たちに伝えると、
すぐに「今、罠にイノシシがかかっているけど来ないか?」という誘いの電話が。
1時間ほど車を走らせ、山の中に到着すると、大きなイノシシがかかっていた。

「最後に、ヤリを喉に突き刺してしとめるのですが、
ワイヤーが切れてこっちに突進してくるんじゃないかという恐怖心と、
返り血を浴びたときの罪悪感は、今でも忘れられません。
大切な命をいただいているのだからこそ、『無駄にしてはいけない』と強く思うのです」

駆除されたイノシシやシカの約9割が、埋設されている

猟友会に参加し、狩猟の現場に出るようになり、あらためて感じた問題がふたつある。
ひとつは、いわゆる鳥獣による農作物被害の深刻さだ。
豊田市では、イノシシやシカなどによる鳥獣被害が、
年間約1.2億円(豊田市産業部農政課「平成29年豊田市鳥獣被害状況調査結果」)に及び、
農家の人たちを悩ませている。

一方で、そういった有害鳥獣として駆除されたイノシシやシカは、
全国平均で約9割も、利用されることなく埋設されている。
ハクビシンやアライグマなどの小動物にいたっては、ほとんどが廃棄されているという。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

緑色の大きな屋根の古民家が山里カフェMui。

「有害鳥獣といえど、命の重みに違いはありません。
せめて、最後までおいしく食べてあげたいと、
ちょうど募集中だった『三河の山里起業実践者』という制度に、
ジビエ料理を出すカフェのプランを提出したんです」

「三河の山里起業実践者」とは、愛知県の三河山間地域で起業に挑戦する人を支援し、
移住・定住を促進する県の事業。
清水さんのプランは見事採用となり、
当時暮らしていた愛知県刈谷市から足助地区への移住を決意。
すでに足助で購入してあった築150年の古民家を改装してジビエカフェを開く夢が、
現実のものとして動き出した。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。

猟師の先輩にもらった、20年前のシカの剥製。角が左右に広がっているのは、山がきれいに手入れされていた証。現在のシカは、角が上に真っ直ぐ伸びているそう。

〈船波製麺所〉
家族でつくる小豆島手延べそうめん

撮影:牧浦知子

身近にある小さな製麺所でつくられる、島の特産品

小豆島では昔から、島のあちこちにある小さな製麺所で
「そうめん」がつくられています。
その歴史は長く、約400年前の江戸時代はじめから。
「冬の農閑期に家族で生産できる」と考えた島の人が、
三輪(奈良県)でそうめんの製造技術を学び、
小豆島に持ち帰ったのが始まりとされています。

そして現在、小豆島の手延べそうめんは、
奈良県「三輪そうめん」、兵庫県「播州そうめん」に並ぶ
日本三大そうめんのひとつなんです。

小豆島に引っ越してきてからは、そうめんをよく食べるようになりました。担々麺にしたり、野菜をのせたり、いろいろアレンジします。

小豆島に引っ越してきてからは、そうめんをよく食べるようになりました。担々麺にしたり、野菜をのせたり、いろいろアレンジします。(撮影:牧浦知子)

うちのすぐ近所にもそうめんの製麺所が何軒かあります。
製麺所というととても大きな感じがしますが、
小豆島の製麺所は家族で運営している小さなところが多く、
自宅のすぐ隣に工場があったりします。

乾燥中のそうめん。

乾燥中のそうめん。

集落の中にぽつぽつと小さな製麺所がある感じが私はとても好きです。
そうめんを干してるところがちらりと見えたり、機械の音がしたり、
小豆島らしい風景のひとつだなぁと思います。

そうめんづくり現役の機械たち。そうめんをつくる機械ってかっこいいな。

そうめんづくり現役の機械たち。そうめんをつくる機械ってかっこいいな。

人の手で麺を細く延ばしていく手延べそうめん。

人の手で麺を細く延ばしていく手延べそうめん。

そんな製麺所のひとつ、中山の千枚田の中にある〈船波(ふなば)製麺所〉さんから
Webサイトをつくりたいと相談を受けたのをきっかけに、この春から夏に何度か訪れて
写真を撮らせてもらったり話を聞かせてもらったりしました。

中山地区でそうめんづくりをされている〈船波製麺所〉のみなさん。

中山地区でそうめんづくりをされている〈船波製麺所〉のみなさん。(撮影:牧浦知子)

千枚田を見渡す場所に船波製麺所があります。

千枚田を見渡す場所に船波製麺所があります。(撮影:牧浦知子)

写真でまちが楽しくなる。
写真家MOTOKOさんが語る
〈ローカルフォト〉の力

地域でプロジェクトを続ける
写真家との対談

伊豆下田に家族で移住したフォトグラファーの津留崎徹花さん。
下田で撮影した写真を展示する写真展を開き、
写真家のMOTOKOさんを迎えてトークイベントを開催。
そのMOTOKOさんが各地で展開するプロジェクト
〈ローカルフォト〉とは。

アーティストが開く地域の可能性。
夕張でプロジェクトを行う
永岡大輔さんと山口一樹さんの挑戦とは

画像提供:ニュー浴場プロジェクト

そこに住む人々の記憶を掘り起こそうとする試み

わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区は、もともと炭鉱があった場所だ。
炭鉱で働いた人たちが住んでいた炭鉱住宅がいまでも残っているし、
活況を呈した当時の様子を知る住民もいる。
東京で暮らしていた頃は、炭鉱は過去にあった
どこか遠い出来事のように感じていたのだが、ここに住んでいると、
まちの個性をつくった重要なものであると、強く実感するようになった。

そんななかで、産炭地として全国に知られる夕張で、
独自のプロジェクトを行っているふたりがゲストとなった
アーティストトークに参加した。

8月末、アーティスト・イン・レジデンス事業を行う
〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉で、
「アーティストがみた北海道と炭鉱・夕張とはなにか。」をテーマとし、
アーティストの永岡大輔さんと、
写真家でありキュレーターでもある山口一樹さんが、
これまで行ってきた活動について語ってくれた。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

まず活動を語ったのは山口さんだ。
3年半前から夕張に移住し、現在は市の職員として働きつつ、
本を出版したりイベントを企画したりなど多彩な活動を展開している。

山口さんが夕張を初めて訪ねたのは6年前。
当時、新潟大学の学生だった山口さんは、北海道をめぐるなかで
夕張駅で野宿をしようとしたことがあった。
そのとき地元の人が「うちにとめてあげるよ」と言ってくれて、
初めて炭鉱住宅に泊まり、銭湯につかる体験をした。

「激アツのお風呂に近所のみなさんが順々に入っていって、
なんなんだろうこれはと。とてつもないコミュニティの力を感じました」

その後2年間夕張に通い、地域おこし協力隊としてこの地で暮らすこととなった。
児童館のない夕張で、子どもの居場所づくりなどの活動を行いつつ、
同時並行で歴史を掘り起こす取り組みも続けていった。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは2冊の本の制作に携わった。
1冊は『ヤマを伝える』。
元炭鉱マンで画家の宮城七郎さんが描いた、炭鉱の労働と暮らしの絵をはじめ、
当時の記憶をたどる写真と解説文で構成されたものだ。

「その時代、その場所を生きた人にしか出せない空気感や感覚、
想いがあると感じました。いま夕張には、みんなが共通して
大事にできるようなものってそんなにないように感じていたので、
共通の財産をつくりたいと思いました」

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

もう1冊が、今年の3月に刊行した『暮らしと創造』という本だ。
夕張に長く住み、手芸や短歌、絵といった
ものづくりを楽しんできた6名にスポットをあて、
その作品やポートレートを収録したもの。

「夕張に来たときから、財政破たんをしたまちで暮らす人たちの
豊かさとはいったいなんだろうと考えてきました。
ひとりひとりをフィーチャーしていくと、
自分の目の前で大事にしてつくったものの延長線上にこのまちがある。
そんなことを実感して、そこから本が生まれていきました」

このほか山口さんは、9月に地域で戦争体験をした人に話を聞いて、
その記憶と手記を紹介するような展覧会も企画していた。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

新鮮野菜たっぷり素麺!
〈HOMEMAKERS〉のまかない

採れたての野菜と地元の食材でつくる、最高のごちそう

8月後半の雨続きで涼しい日が続き、
すっかり夏が終わってしまったかと思っていたのですが、やっぱりまだ暑い。
時折、吹き抜ける秋の風を感じつつも、
じりじりと照りつける太陽が汗を吹き出させる畑作業の日々です。

9月上旬、ひたすらにんじんの種をまく。暑い~。

9月上旬、ひたすらにんじんの種をまく。暑い~。

生食できるかぼちゃ、コリンキー! まだまだ夏野菜が元気。

生食できるかぼちゃ、コリンキー! まだまだ夏野菜が元気。

畑では、モロヘイヤ、ツルムラサキなど夏後半の野菜が採れ始めてます。秋に採れるように植えたピーマンももうすぐ収穫。

畑では、モロヘイヤ、ツルムラサキなど夏後半の野菜が採れ始めてます。秋に採れるように植えたピーマンももうすぐ収穫。

そんな残暑厳しい9月上旬のある日。
今日の〈HOMEMAKERS〉まかないは何にしようかなあ。
「そうだ、今日は素麺にしよう!」

小豆島は昔から素麺の生産が盛んで、島のあちこちに小さな製麺所があります。
ご近所さんや知り合いにも何人か素麺屋さんがいるので、
いただいたり買ったりして、常に細麺、太麺、両方のストックがあります。
なので、暑い日のまかないではちょくちょく素麺が登場します。

近所のお素麺屋さんがつくった太麺素麺。

近所のお素麺屋さんがつくった太麺素麺。

細麺に比べて太麺は食べ応えがあります。でもつるっとした食感なのでどんどん食べられる!

細麺に比べて太麺は食べ応えがあります。でもつるっとした食感なのでどんどん食べられる!

素麺といっても、素麺+めんつゆ+薬味(ねぎ、生姜)だけじゃもの足りない~。
HOMEMAKERSのまかない素麺は、野菜たっぷり&肉あり、卵あり! 
今日は太麺にしましょ。HOMEMAKERSのまかないづくりスタートです。

まずは料理に使う野菜を集めます。
たくさん収穫できて余っているものや、
形が悪かったり傷があったりして出荷できないもの。
それから初もの(今シーズン初めて採れたもの)を
誰よりも早く自分たちのまかないで使ったりします。味見です。

まかないで使う野菜たち。

まかないで使う野菜たち。

この日は、8月末から採れ始めたツルムラサキ、
夏の間ずっと採れ続けているズッキーニ、ピーマン、ナス、オクラ、
春に収穫して保管してある赤玉ねぎ、あると安心なネギ。
それから今年初めて育てたメロンを使いました。

まかないは、たくちゃん(夫)が主につくります(私は手伝い)。
この夏は、畑を手伝いにきてくれている渡辺宣くん(せんくん)が
たくちゃんと一緒にまかないをつくってくれています。

「この野菜はどうしようか?」と相談しながらまかないづくり。

「この野菜はどうしようか?」と相談しながらまかないづくり。

ピーマンと赤玉ねぎの肉みそ炒めをつくります。すでにいい匂い~。

ピーマンと赤玉ねぎの肉みそ炒めをつくります。すでにいい匂い~。

下田に移住して2年半。
あらためて振り返る、
わが家の暮らし、何が変わった?

移住で変化した8つのこと

津留崎さん一家が伊豆下田に移住して2年半。
移住前から続けてきた連載もスタートから3年が経ち、
5歳だった娘も8歳に。
いまの暮らしは東京での暮らしと何が変わったのか?
あらためて振り返ってみました。

わたしのまちの「夏祭り」
能登の壮大な祭りから、
知られざる小さな祭りまで

今月のテーマ 「わたしのまちの夏祭り」

日本各地で開催される、さまざまな「夏祭り」。
〈青森ねぶた祭り〉〈京都祇園祭〉〈高知よさこい祭り〉など、
全国的によく知られる夏祭りを筆頭に、
地元住民だけが参加する、知られざる小さな祭りもたくさん開催されています。
そういう祭にこそ、地域の特色が色濃く反映されていたりするものです。

今回は、日本各地に暮らす皆さんから、
地域住民が楽しみにしている、大小さまざまな夏祭りを紹介してもらいました。

【岩手県一関市】 手描きあんどんに思いを込めて

私のまちの夏祭りは、穏やかに楽しむ“美術展”のようなお祭りです。
名前は〈摺沢水晶あんどん祭り〉。

手づくりあんどん

今から33年前、お盆の時期に弔いの思いを込めて、
六角形のあんどんをまちに飾ったのが始まりだといわれています。
あんどんの形が六角形なのは、この摺沢の地が水晶の産地だったことに由来します。

このお祭りの、もうひとつの特徴は、
六角形の和紙に住民が「絵」を描き、その絵をあんどんにして、まち中に飾るところにあります。
7月になると、子どもも大人も「今年はどんな絵を描こうか」と頭を捻り、
思い思いの絵を描きます。

あんどん絵を描く子どもたち

私も子どもの頃、下手ながらあんどん絵を描いた思い出があります。
というのも、あんどん絵を描くと、まちで使える商品券がもらえるのです。
その商品券を使って、まちの本屋さんで欲しい漫画を買う。
それもまた、あんどん祭りのワンシーンのような気がします。

そんな現金な子も、絵が得意な子も、当日は描いた絵があんどんとして灯されるので、
家族や友だちと見に行き、各地区で行われる縁日に寄って帰ります。
ゆっくりと穏やかな時間が流れる、小さな芸術祭が私のまちの夏の祭りです。

摺沢水晶あんどん祭りの開催の様子

information

map

摺沢水晶あんどん祭り

開催場所:岩手県一関市大東町摺沢 摺沢商店街

開催期間:毎年8月13日~15日

Facebook:https://www.facebook.com/surisawa.andonfes/

photo & text

櫻井 陽 さくらい・よう

岩手県一関市出身。2016年よりUターンで一関市の地域おこし協力隊に着任し、農業分野の地域団体の活動支援を行う。好きな食べ物はカレー。趣味の硬式テニスをやらないと病にかかる体質。2017年より一関で楽しく暮らしたい20代のための地域団体〈TAKU。(たくまる)〉を発足し、各々がまちを楽しむためのさまざまな企画を実施する。

長沼の人々との出会いで
大きな一歩を踏み出した
自由な小学校づくり

撮影:佐々木育弥

説明会開催を繰り返すなかから具体化した設立場所

自分たちの手で、わが子や自分が“学ぶ場”をつくれたら楽しいんじゃないだろうか。
人口400人に満たない岩見沢市の美流渡(みると)地区に移住してから、
私はこう考えるようになった。

この考えが芽生えたのは、過疎地に住んでみて、
歩いて通える児童館がないことや習い事の選択肢が少ないことが挙げられる。
しかも今春には息子が通っていた小学校が閉校となり、
当たり前にあると思っていたものがなくなるという現実に直面し、
学校についてあらためて見直す機会を得たことも理由のひとつ
(現在、子どもはスクールバスでもう少し大きな小学校に通っている)。

そして、「ないなら自分たちでつくってみよう」という気持ちが自然にわきあがって、
ワークショップを開催したり、旧校舎の活用方法を模索したりと、
さまざまなプロジェクトが生まれていった。

昨年は、農家の阿部恵さんの畑で「トシくんと畑で英会話」を企画。農作業しながら子どもたちが英会話を学ぶというワークショップ。

昨年は、農家の阿部恵さんの畑で「トシくんと畑で英会話」を企画。農作業しながら子どもたちが英会話を学ぶというワークショップ。

自分がこうした活動するようになって、
ほかの地域ではどんな動きがあるのかに関心を持つようになった。
道内でも、さまざまな学びの場をつくる動きが展開されているのだが、
なかでも注目しているのは〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の活動だ。

「森のようちえん」やフリースクールよりも、学校法人の認可を受ける小学校設立は
かなりハードルが高いのではないかと考えてしまうが、
個人の想いが集まれば設立も夢ではない、
そんな勇気をこの会の活動は与えてくれている。

わたしが小学校をつくる会の活動を知ったのは、昨年5月のこと。
札幌で開催された説明会に参加したのがきっかけだ。
以来、何度か説明会に参加し、その様子は以前もリポートしたが、
いま、さらなる展開が起こっているので、今回それについて紹介したい。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の説明会の様子。説明会ではグループディスカッションの時間を設け、教育や学校に対する意見交換の場もつくられた。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の説明会の様子。説明会ではグループディスカッションの時間を設け、教育や学校に対する意見交換の場もつくられた。

会の母体は、1980年代から活動し、現在認定NPO法人となった
〈北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会〉。
新しい教育提案とその実現を目指そうとする組織で、
このNPOに関わる細田孝哉さんと吉野正敏さんが、
既存の公教育とは異なる価値観を持つ小学校をつくりたいという活動を長年続けてきた。

吉野正敏さん(左)と細田孝哉さん(右)。吉野さんは札幌のフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事。細田さんは札幌にある養護学校の教員。

吉野正敏さん(左)と細田孝哉さん(右)。吉野さんは札幌のフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事。細田さんは札幌にある養護学校の教員。

これまで活動は思うように広まらなかったが、
吉野さんが運営を手がけるフリースクールでボランティアを行い、
学校教育に以前から興味を持っていた綿谷千春さんが、
昨年、小学校づくりのメンバーに参加。
彼女がSNSで説明会開催を呼びかけたことで、学校教員や子を持つ親など、
さまざまな立場の人が、この活動を知ることとなった。

昨年末には、わたしが住む岩見沢市でも説明会を開催してもらった。

昨年末には、わたしが住む岩見沢市でも説明会を開催してもらった。

説明会で語られたことのひとつは、どんな学校をつくりたいのか。
和歌山にある〈きのくに子どもの村学園〉をモデルにしており、テストや宿題、
学年の壁もなく、子どもが主体的に学べる場をつくっていきたいと語られた。
また、懸案事項として挙げられたのが設立場所で、
旧校舎などの利用を検討中とのことだった。

理想の夫婦の関係性!?
鎌倉・材木座の家具屋〈STOVE〉と
ギャラリーカフェ〈John〉が育む
緩やかなつながり

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

家具屋〈STOVE〉と、ギャラリーカフェ〈John〉がある材木座は、以前に本連載でも紹介したお好み焼き屋〈かたつむり〉をはじめ、新しい飲食店やショップのオープンが続き、近年盛り上がりを見せている。

家具屋〈STOVE〉と、ギャラリーカフェ〈John〉がある材木座は、以前に本連載でも紹介したお好み焼き屋〈かたつむり〉をはじめ、新しい飲食店やショップのオープンが続き、近年盛り上がりを見せている。

夫婦が営むふたつのお店

個人事業主として働く人も少なくない鎌倉のまちでは、ふたりでお店を切り盛りしたり、
共に事業を営んでいる夫婦と出会う機会もしばしばある。

公私ともにパートナーの関係を築くことの楽しさや喜びがある反面、
その距離感の近さ、接している時間の長さなどから、
難しい点も多々あろうことは想像に難くないが、
東京から鎌倉に移り住んだ石川隼さんと有理子さんは、
夫婦で働くということに対して、新しい視点をもたらしてくれるような、
ユニークな働き方を昨年から続けている。

内装や家具の設計の仕事を続けてきた隼さんと、
クリエイターのマネジメント業を営んできた有理子さんは昨年、
鎌倉の海沿いのまち・材木座に、
〈STOVE〉と〈John〉という隣り合うふたつのお店を、
それぞれが別々にオープンさせたのだ。

建具屋の倉庫として使われていた物件を改装したSTOVE。

建具屋の倉庫として使われていた物件を改装したSTOVE。

オリジナルやヴィンテージの家具、日用雑貨などを扱うSTOVEと、
さまざまなクリエイターが展示を行うカフェ併設のギャラリーJohn。
それぞれが個人で続けてきた仕事の延長線上で店舗を持つに至ったふたりは、
現在も本職を続けながら、自らのお店に立つというワークスタイルを実践している。

ひとつの店舗を共に営むのではなく、それぞれが独立した空間を持ち、
緩やかにつながりながら、お互いに影響を与え合う。
STOVEとJohnの間には、まさに夫婦ならではの関係性が築かれているように見える。
開店からちょうど1年を迎え、地域におけるハブにもなりつつある
STOVEとJohnを営むふたりを訪ね、材木座のお店に足を運んだ。

有理子さんが営むカフェ&ギャラリーJohnは、STOVEのすぐ隣にある。

有理子さんが営むカフェ&ギャラリーJohnは、STOVEのすぐ隣にある。

畑とカフェと、時々ネコ。
小豆島〈HOMEMAKERS〉の
盛りだくさんな夏!

畑仕事と週5のカフェ営業で大忙し!

夏が駆け抜けていきます。
気がつけば8月も後半です。

この夏、私たち〈HOMEMAKERS〉は
普段は週2日(金、土曜日)しか開けていないカフェを、
週5日営業に増やしてがんばってきました。
どうしてカフェの営業日を増やしたかについては、こちらを読んでみてください。

7月19日〜8月17日は週5日(火〜土曜日)カフェを営業。8月後半からはいつもどおり金、土曜の営業。

7月19日〜8月17日は週5日(火〜土曜日)カフェを営業。8月後半からはいつもどおり金、土曜の営業。

カフェからの眺め。この日はとても夏らしい日だった。

カフェからの眺め。この日はとても夏らしい日だった。

畑仕事とカフェ営業、それはそれは毎日バタバタとしていました(笑)。
さて、どんなふうに毎日を過ごしてきたかというと……。

まず、朝5時。この時間だともうすっかり明るくなっているのですが、
まだ太陽が出ていないので、日中と比べたらとても涼しいです。
この時間から農作業を始めます。

私はひたすら生姜畑のメンテナンスをしていました。草抜き、追肥、土寄せ。
朝の静かな時間に黙々とする農作業は、作業というより癒やしというか。

朝5時台から、黙々と生姜に追肥。

朝5時台から、黙々と生姜に追肥。

山の向こうから太陽が出てきます。暑くなる〜。

山の向こうから太陽が出てきます。暑くなる〜。

7時前に家に戻って身支度と朝ごはん。
もうこの時間になると太陽がのぼって、どんどん暑くなっていきます。

8時、カフェのスタッフが順番にやってきます。
仕込みと掃除。私もみんなと一緒に掃除をしたり、
メニューを更新したり、SNSでお知らせしたり。
カフェは10時オープンです。

朝8時からカフェオープン準備。仕込みと掃除。

朝8時からカフェオープン準備。仕込みと掃除。

9時、畑のスタッフがやってきます。
真夏の昼間でも外作業がんばれるよチームは、灼熱の畑に果敢に出動していきます
(しんどすぎる環境なのにがんばってくれて本当に感謝しています)。

毎週火曜、金曜は野菜の収穫&出荷作業をしています。
カフェのすぐ隣にある野菜の出荷作業スペースには
どんどん収穫した野菜が集まってきます。

カフェを営業している横で野菜の出荷作業。
収穫してきた野菜はカフェでももちろん使いますし、販売用として並びます。
この農業とカフェが同時並行して動いている感じがとてもいいなあと感じていました。

収穫したポップコーン用のトウモロコシ。色がなんとも美しい。

収穫したポップコーン用のトウモロコシ。色がなんとも美しい。

収穫した野菜をカフェに並べて販売。

収穫した野菜をカフェに並べて販売。

「夢リスト」が少しずつ実現。
伊豆に移住したカメラマンが叶えたこと

移住していろいろな夢が叶ってる……!?

約10年前に書いた「わたしの夢リスト」。
気づいたらそのうち大部分が実現していた……!
伊豆下田に移住した津留崎徹花さんは、
移住という夢を叶えたあとも、
自然な流れでやりたいことを実現していました。
そんな徹花さんのトークイベントが、下田で開催されます。

〈HOMEMAKERS〉のリユースカップ
でスペシャルなドリンクを!

まずは自分たちでできることから、始めてみよう!

小豆島は夏真っ盛りです。
連日35度を超える暑い日が続いています。

夏になると冷たい飲みものを飲みたくなるわけですが、
うちのカフェでも、ジンジャーエールやダイダイレモンソーダ、
梅ソーダ、それからアイスコーヒーなど
冷たいドリンクがよく注文されるようになります。

今年の夏は〈瀬戸内国際芸術祭2019〉が開催されているし、
きっと冷たいドリンクのテイクアウトが増えるだろうなぁと思い、
夏が始まる前からテイクアウト用のカップについて考えていました。

この夏はカフェの営業日を増やして、火~土曜の週5日オープンしてます。

この夏はカフェの営業日を増やして、火~土曜の週5日オープンしてます。

1回使ったきりで捨てられてしまうプラスチックカップをやめたいなぁと。

天然素材の土に還るコップにしようか。
金属製のふたがついてるガラス瓶にしようか。

いろいろ調べて考えました。
使い捨てないこと、繰り返し使いたくなること、
でも価格がそんなに高くなりすぎないこと。

夏の新メニュー、ファラフェルサンド。野菜はすべて自分たちが育てたもの。

夏の新メニュー、ファラフェルサンド。野菜はすべて自分たちが育てたもの。

ドリンクとサンドメニューはお持ち帰りできます。

ドリンクとサンドメニューはお持ち帰りできます。

私たちはこの夏、〈HOMEMAKERS〉のリユースカップをつくることにしました。
リユースカップとは、使い終わったあと、
洗って繰り返し使うことができるカップです。
屋外での利用を考えて、軽くて割れにくいポリプロピレン製のものにすることに。

〈HOMEMAKERS〉オリジナルデザインのリユースカップ。自家製のジンジャーエールとハニーダイダイソーダが入ってます。

〈HOMEMAKERS〉オリジナルデザインのリユースカップ。自家製のジンジャーエールとハニーダイダイソーダが入ってます。

リユースカップは使用後に回収しなければ再利用できません。
うちでドリンクをテイクアウトした場合、どこで回収するのか。
勝手に妄想すると、地域内で、たとえば小豆島内の飲食店やホテル、
観光地で共通のリユースカップを使って、
港やお店などに回収ボックスを設置、洗浄して、
また各店舗で再利用するなんてことができたらおもしろい。

地域全体で使い捨てを減らして、ゴミを減らすことができる。
でもいきなりそんな大きなことはできないし、まずはうちで始めてみようと。
テイクアウトされたものの回収は難しいので、
それなら捨てずに持ち帰って繰り返し使いたくなるようなものにしようと、
オリジナルのデザインのものをつくることにしました。

使うのが楽しくなるカップ。
キャンプや外でのイベントなんかで使えるカップ。
スペシャルなドリンクを飲みたくなるカップ。

“釣りガール”が営むゲストハウス
〈Daja(ダジャ)〉に泊まる。
シュノーケリングも魅力の南伊豆の旅

下田の隣町、南伊豆への
ショートトリップ

伊豆下田で暮らす津留崎さん一家が
友人家族とともにお隣の南伊豆へ1泊2日の旅へ。
知る人ぞ知るシュノーケリングスポット「ヒリゾ浜」で遊んだあとは、
元地域おこし協力隊の“釣りガール”が営むゲストハウスへ。
細い路地が入り組んだ集落にある
小さな宿のオーナーの思いとは。

閉校した美流渡の小中学校を活用して
〈森の学校 ミルト〉をつくりたい!

北海道教育大学岩見沢校との協働で生まれた、新しいプロジェクト

今年の春、わたしが住む美流渡(みると)地区にあった小中学校が閉校となった。
閉校前の生徒の数は、小中合わせてわずか18名。
学校をなんとか存続させたいという地域の想いもあったのだが、
今後は入学者がいない年もあると予想されることもあり、閉校が決まったのだった。

小学校の全校生徒は7名だったが、教室には元気いっぱいの声が響き渡っていた。(撮影:佐々木育弥)

小学校の全校生徒は7名だったが、教室には元気いっぱいの声が響き渡っていた。(撮影:佐々木育弥)

昨年より閉校に関するPTAの話し合いが何度も行われた。
わたしの息子が小学校に通っていたため、
この話し合いに参加していたのだが、そのたびに
「当たり前にあった学校が地域から姿を消すこととはいったいどんなことなのだろう?」
「校舎は今後どのようになっていくのだろう?」と疑問がわいた。

そこで、学校の施設を管理する教育委員会の職員や校長先生に、
今後の校舎利用の方針について尋ねてみたりもしたが、
検討中ということで展望は開けていない状態だった。

小学校の閉校式の様子。開校から115年ということで、115個の風船を飛ばして学校とのお別れをした。(撮影:佐々木育弥)

小学校の閉校式の様子。開校から115年ということで、115個の風船を飛ばして学校とのお別れをした。(撮影:佐々木育弥)

そんななか、地域のPRなどで日頃から活動をともにしている仲間と、
機会があるごとに、学校利用について語り合ってきたが、
なかなかアイデアを実行に移すことができないでいた。
細々と続けている地域PRの活動ですら本業との両立が難しくて手薄になっており、
学校の活用プランまで手が回らないというのが現状で、
気がつけば春になり、閉校を迎えることになってしまった。

校舎1階の窓には板が取りつけられ、雑草もどんどん大きく育ち
閑散とした風景が広がるようになった。
そして、市街地の学校へと通うことになった生徒の家族数名が、
この地域を離れていくこととなった。

閉校後の小学校の校舎。玄関や1階の窓には板が貼られ、ひっそりと静まり返っている。

閉校後の小学校の校舎。玄関や1階の窓には板が貼られ、ひっそりと静まり返っている。

わたしは校舎の脇を通り過ぎるたびに、
見て見ぬ振りをしていてはいけないのではないかという思いが募っていった。
また、息子に荒んでいく学校を見せたくないという気持ちもあった。

こうした悶々とした気持ちを抱えていたときに、
北海道教育大学岩見沢校の教授・宇田川耕一先生から、
計画中のプロジェクトへ協力してほしいという依頼があった。

そのプロジェクトとは「万字線プロジェクト」という名称の教育プログラム。
万字線とは、岩見沢の山あいがかつて炭鉱街として栄えた時代に、
主に石炭輸送のためにつくられた鉄道路線のことで、
わたしが住む美流渡地区をはじめ各地に駅があった(1985年に全線廃止)。

教育大では、現在過疎化が進んでいるこの地域で、学生がリサーチを行い、
必要とされる拠点づくりなどの企画やイベントを実施し、
そのプロモーションも行うという一連の体験を通して、
実践的な課題解決に取り組める人材を育てるプログラムを行おうと考えていた。

宇田川先生は、芸術・スポーツビジネス専攻の教授。毎年1年生を美流渡に引率し、フィールドワークも行っている。こうしたつながりから「万字線プロジェクト」が生まれていった。

宇田川先生は、芸術・スポーツビジネス専攻の教授。毎年1年生を美流渡に引率し、フィールドワークも行っている。こうしたつながりから「万字線プロジェクト」が生まれていった。

宇田川先生の話を聞いていくなかで、わたしはハッとひらめいたことがあった。
「万字線プロジェクト」のひとつの目玉として、
炭鉱街として栄えた時代に多くの生徒でにぎわっていた美流渡の小中学校を、
学生の手によって復活させるというプログラムにしてはどうかと提案した。

北海道教育大学岩見沢校は、市内では唯一の大学で、
芸術、スポーツ、それをつなぐビジネスという専攻が集まっているという特徴を持つ。
美流渡をはじめとする岩見沢の山あいには、
工芸家やアーティスト、ミュージシャンなども住んでおり、
移住者によってスポーツのアクティビティも増えていることから、
この大学の専攻との親和性も高いとわたしは思っていた。

宇田川先生は「それはおもしろいですね」と目を輝かせてくれ、
わたしが学校復活のアイデアの大枠を書くことになった。

プロジェクトの最初に書いたプラン。

プロジェクトの最初に書いたプラン。

名づけたタイトルは「森の学校 ミルトをつくろう」。
学生たちが炭鉱街としてにぎわった歴史を探り、
こうしたなかからイベントや施設利用の企画を生み出し、
活動全体を外に向かって発信していく、
リサーチ・アクション・プレゼンテーションを行う
ラボスペースのようになればと考えた。

そして、わたしの構想をもとに、宇田川先生が
7月の毎週土曜日に3回連続でセミナーを行うことを計画してくれた。

セミナーで話をする宇田川耕一先生(中央)。

セミナーで話をする宇田川耕一先生(中央)。

夏休みの自由研究にも!
「藁納豆づくり」から「太陽光発電」
まで田舎暮らしの“DIY”3本立て

こんにちは! 
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

我が家では今まで、暮らしのなかのあらゆるものを
「自分たちでつくってみる」という実験をしてきました。
きな粉、ヨーグルト、椅子、テーブル、小屋、発電機……。

今まで「買う」だけだったものを、手を動かしてつくってみると、
それをつくってくれていた人への感謝の気持ちが生まれたり、
自分でやってみた ! という達成感が、ささやかな自信を持たせてくれます。

糸島の青い海

新しい挑戦をするなら、ぜひ夏休みに!

「DIY、やってみたいけれど、普段は忙しくて」という人でも、
「夏休みならちょっと挑戦してみようかな」と思ってもらえるかな? と思い、
過去に評判がよかった3つの「DIY」をご紹介したいと思います。
夏休みの自由研究に、お子さんと挑戦してみるのもオススメです!

藁からつくる! 天然の納豆菌がいきる「藁苞(わらづと)納豆」

手づくり藁苞納豆!

昔々納豆は、藁によってつくられていたこと、知っていましたか? 
藁とは、田んぼで収穫した稲の、米の部分をとり除いた茎のこと。
藁の中には天然の納豆菌が住んでいるため、
昔の人はその藁を活用して納豆をつくっていました。

納豆ができる仕組みは以下の通り。

(1)稲の藁を使った藁苞に、蒸した大豆を入れる

(2)納豆菌が大豆を餌にして大豆の中で増える

(3)納豆ができる

いとしまシェアハウスの田んぼで収穫した稲藁。

納豆の誕生説は多数ありますが、
「聖徳太子が馬の飼料として残った煮豆を藁で包んでおいたら、できあがった」
「煮豆を藁で包んで保存しておいたら、いい香りがしてきた」など、
どれも藁に付着していた納豆菌による自然発酵がキッカケになっているそうです。

そして実は、藁と大豆には密接な関係がありました。
昔は田んぼで稲を育て、田んぼの畔で大豆を育てるのが一般的だったのです。

これは、大豆が空気中の窒素をかためて地面に流し込む習性があるため。
米の生育には窒素が必要なのですが、この大豆由来の窒素が天然の肥料となり、
田んぼを豊かにしていたんですね。
こうして同じ場所で育ったふたつのものが掛け合わされてできたのが、納豆なのです。

稲刈り時期の風景。

ちなみにスーパーで出回っている納豆は、人工的に培養された納豆菌を使っているので、
天然の納豆菌とはパワーが違います。
藁納豆の濃厚な豆の味わいと、とろける舌触り。
一度食べたら、その力強い味わいにやみつきになるはず! 

昨年、我が家で開催した納豆づくりワークショップでは、
一番下は2歳から、一番上は90歳まで、たくさんの方が参加してくれました!

藁苞納豆づくりワークショップの風景。

「蒸した大豆に納豆菌をふりかけるんですか?」という質問がありましたが、
藁にいる天然の納豆菌を使うので、使う材料は
我が家の田んぼでつくった無農薬無肥料のお米の藁と、無農薬の大豆のみ。

【用意するもの】

・藁(長くて丈夫なもの)

・大豆

・大きな鍋

・ホッカイロまたは湯たんぽ

・紙製の米袋、なければ新聞紙

・毛布

まずは納豆を入れるための「藁苞」をつくります。
藁の中央と端を紐で結んだら、半分に折り返して紐で仮止めします。

藁苞づくりの様子

藁苞には手刈り・天日干しをした丈夫で長い藁が必要です。最近は機械化や高齢化が進み、こういった高品質の藁を手に入れるのも難しくなっていると聞きました。

藁苞ができたら、納豆菌以外の菌を殺菌するために熱湯消毒します。

藁苞を熱湯消毒

納豆菌はほかの雑菌に比べて熱に強く、100度以上でも死滅しないのだとか!

その間に、藁苞に入れる大豆を蒸します。
ひきわり納豆をつくる場合は、蒸しあがった大豆を細かくカット。

藁苞の殺菌と、大豆の下準備が同時に終わるようにし、
蒸し大豆ができたら、熱々のうちに藁苞へ入れます。
もたついて温度が下がると雑菌が発生しやすくなるので、
手早く、ささっと入れるのがポイント。

藁苞に大豆を入れ藁で蓋をするようにして結ぶ

藁苞に大豆を入れたら、折り返した片方の藁で蓋をするようにして結びます。

藁で蓋をしたら、紙製の米袋やタオル、ホッカイロや湯たんぽで
ふた晩保温して、できあがり。

出来た納豆を試食中

食べ比べをして人気があったのが、ひきわり納豆。ひきわりのほうが納豆菌が豆の奥まで食い込んで、より“納豆らしい”味がします。

今はなかなか見ることができなくなってしまった藁苞納豆、楽しくつくってみませんか?
興味のある方は、こちらから納豆づくりキットが購入できますよ。

大豆2種類を食べ比べ! 無農薬大豆の藁苞納豆づくりキット

地域存続の鍵になる?
若い地域プレイヤーを育む
“未来への投資”のお話。

こんにちは!
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

食べることが大好きな学生シェアメイト“がんちゃん”が
この夏、旅に出ることになりました。
我が家で「料理人になりたい!」という夢を見つけた彼は、
料理の勉強をすべく修業先を探すことになったのです。

(集落で採れるビワをオンラインで販売し、旅の資金も自分で稼いでいました。
なんという成長! うれしい……)

がんちゃんがシェアハウスに住むことになったキッカケは、去年夏の学生合宿。
そこで我が家の暮らしに惚れ込み、内定を断り、
大学を休学してまで住人になってくれたのです。

納屋のDIYも学生さんたちと一緒に。

納屋のDIYも学生さんたちと一緒に。

住人になった彼が企画した学生合宿では、
これまでに20名以上の学生が参加してくれました。
教えることもたくさんありましたが、学生たちの瑞々しい感性や、
今の時代を反映した新しい価値観に、私たちが学ぶ場面も多く、
とにかく刺激的な時間でした。

そしてあらためて、「シェアハウスを長く続けていくためには、若手の存在が不可欠だ!」
ということに気がついたのです。

過去の学生合宿の参加者には、その後〈地域おこし協力隊〉になったメンバーも。

過去の学生合宿の参加者には、その後〈地域おこし協力隊〉になったメンバーも。

私の住む場所は、平均年齢65歳以上の集落。
周りはおじいちゃん、おばあちゃんばかりです。
こういう環境にいると30代の私もつい「自分たちは若者」と錯覚しがちですが、
今のまま何も行動しなかったら、私もシェアハウスもあっという間に年をとってしまいます。
それはマズい! 

里山は自然豊かで暮らしやすいけれど、最先端の情報や価値観を得にくい環境です。
だからこそ、世の中の人たちがどんなことを考え、
どんなものを求めているかを感じとって、変化していかないと、
人はまちに流れ出てしまうばかりです。

今回は、どうやったらこの場所に若い人たちを呼び、次世代のメンバーを育成していくか。
私たちシェアハウスが意識的に取り組んでいることについてお話ししたいと思います。

小樽で布地を制作するブランド
〈Aobato〉と、ハンドプリントの
絵本づくりに挑戦!

北海道だからこそできる絵本を、手刷りでつくりたい

岩見沢の山あいの人口わずか400人ほどの美流渡(みると)地区で、
小さな出版活動を始めてから1年が過ぎた。
制作したのは2冊の本とポストカード。
新刊がなかなか増えない状態が続いていたが、
ある出会いによって新しい道が開けるようなできごとがあった。

〈milvus(ミルバス)〉という染めとプリントの工房を開き、
〈Aobato(アオバト)〉というブランドを展開している
小菅和成さん、岩本奈々さんとの出会いが、それだ。

3年前に札幌から小樽に移住し、染めと印刷の工房を開いた小菅和成さん、岩本奈々さん。〈milvus〉という名前はトンビの学名からとったもの。「トンビの染物屋」という日本の昔話が由来となった。ブランド名〈Aobato〉は小樽の「市の鳥」がアオバトであることからつけられた。(写真提供:Aobato)

3年前に札幌から小樽に移住し、染めと印刷の工房を開いた小菅和成さん、岩本奈々さん。〈milvus〉という名前はトンビの学名からとったもの。「トンビの染物屋」という日本の昔話が由来となった。ブランド名〈Aobato〉は小樽の「市の鳥」がアオバトであることからつけられた。(写真提供:Aobato)

2年ほど前から、わたしはイタドリという植物をモチーフにした
絵本の制作を行っていた。黒い紙をちぎって形を表現したもので、
内容はほぼ完成していたのだが、印刷をどうするかでずっと思い悩んでいた。
これまで北海道という土地ならではの本をつくりたいと試行錯誤をしてきたのだが、
印刷については道外の価格が安いネット印刷を頼っており、
それが心のどこかで引っ掛かっていたのだ。

印刷も北海道でできないだろうか。
一般的なオフセット印刷ではなく、もっと手仕事を生かす方法はないのだろうか。

プリンタで簡易出力して製本したイタドリのダミー絵本。上へ上へと伸びる茎と、大きく広がる葉を、切り絵で表現した。文章はバイリンガルで表記。近所に住む農家の友人で、以前に英会話のワークショップをともに企画したトシくんが翻訳をしてくれた。

プリンタで簡易出力して製本したイタドリのダミー絵本。上へ上へと伸びる茎と、大きく広がる葉を、切り絵で表現した。文章はバイリンガルで表記。近所に住む農家の友人で、以前に英会話のワークショップをともに企画したトシくんが翻訳をしてくれた。

そんなことを考えるようになったとき、岩本さんから、
わたしがつくった『山を買う』という本を買いたいという連絡をもらった。
送付の手続きをして、ふと彼女のFacebookを開いてみたところ、
色とりどりの美しい手ぬぐい作品を発見したのだった。

このとき岩本さんのお仕事はまったく知らなかったのだが、わたしは思わず……
「手刷りで絵本制作をしたいと思っているのですが、相談に乗ってもらえませんか?」
とメッセージした。岩本さんは快諾してくれて、昨年から少しずつ
イタドリの絵本についてのアイデア交換をするようになっていった。

シルクスクリーンとは、スクリーンにインクが通過する部分としない部分をつくって柄を刷る版画技法。Aobatoの展示会では、この技法を体験するワークショップが開催されることもある。(写真提供:Aobato)

シルクスクリーンとは、スクリーンにインクが通過する部分としない部分をつくって柄を刷る版画技法。Aobatoの展示会では、この技法を体験するワークショップが開催されることもある。(写真提供:Aobato)

オリーブと山岳霊場と醤油蔵と。
瀬戸内国際芸術祭と併せて楽しみたい、
小豆島の旅

アートとともに小豆島の旅を楽しんで!

今年、瀬戸内の島々では4回目となる
〈瀬戸内国際芸術祭2019〉(以下、瀬戸芸)が開催されています。
3年に1度、瀬戸内海の12の島とふたつの港を舞台に開催される
現代アートのお祭りです。

開催期間は、春会期、夏会期、秋会期と3つに分かれていて、
7月19日から夏会期が始まりました。
今年の瀬戸内の夏は、いつもに増して賑やかになりそうです。

ワン・ウェンチー(王文志)さんによる『小豆島の恋』。竹でできた大きな作品の中に入れます。

ワン・ウェンチー(王文志)さんによる『小豆島の恋』。竹でできた大きな作品の中に入れます。

小豆島でもたくさんの作品が公開されています。
島のあちこちに点在していて、全部回ろうとしたら
2、3日はかかるんじゃないかなぁ。それも車がある前提で。

例えば、田浦半島にある『愛のボラード』を見に行って、
大部地区の『国境を越えて・波』を見に行こうと思うと、車で約1時間かかります。
バスだと乗り継いで行かないといけないのでもっとかかります。
小豆島はきっとみなさんの想像以上に広い島です(笑)。

広島市立大学芸術学部有志のみなさんによる『潮耳荘』。波や船の音を拾い集め建物の中に響かせる。

広島市立大学芸術学部有志のみなさんによる『潮耳荘』。波や船の音を拾い集め建物の中に響かせる。

フリオ・ゴヤさんによる『自然の目「大地から」』。古民家の敷地内にある2本のイブキの木を利用してつくられたツリーハウス。

フリオ・ゴヤさんによる『自然の目「大地から」』。古民家の敷地内にある2本のイブキの木を利用してつくられたツリーハウス。

作品をたくさん見ることを目的にしてしまうと疲れてしまうと思うので、
見に行く作品の数を絞りつつ、作品だけじゃなくて、その周りにある
小豆島の風景や食べもの、歴史なども楽しんでいただけたらいいのかなと。

先日、島を案内する機会があって、久しぶりに小豆島ならではの場所を巡ったのですが、
あらためて小豆島っておもしろい要素が盛りだくさんだなと思いました。
瀬戸芸作品と併せて楽しみたい小豆島、例えばこんなことです。

まずは、オリーブ。
島のあちこちにオリーブの木が植えられているので、
どこに行っても見かけると思いますが、遠くからなんとなく見るだけじゃなくて、
ぜひオリーブ畑の中を歩いてみてください。

勝手に大切なオリーブ畑には入れないですが、
オリーブ公園など一般の人に公開しているところもあります。
オリーブの木々の間を歩く、それだけで島の空気を感じられるんじゃないかと思います。
もし気になるオリーブ農園があれば、生産者さんに直接お願いしたら、
畑を案内してくれるかもしれません。

オリーブ畑の散策はそれだけで気持ちいい。

オリーブ畑の散策はそれだけで気持ちいい。

初夏のオリーブの木には緑色の小さな実がたくさんついています。

初夏のオリーブの木には緑色の小さな実がたくさんついています。

お金がかからず、豊かな食生活!
地域での“いただきもの生活”と
手づくりのお返し

「田舎暮らしは食べものに困らない」
は本当?

伊豆下田に移住した津留崎さん一家。
移住前から、地方では食べものに困らない、という話を
たびたび聞き、半信半疑に思っていた妻の徹花さん。
ところがそんな「うまいハナシ」が
現実に起きるようになったといいます。
うらやましくなるような下田での食生活、
そして津留崎家に起きた変化とは……?

〈うさと〉の服展示販売会に、
地域の作家による『みる・とーぶ展』。
岩見沢の山あいで何が起こっている?

森のなかに立つ、山荘で開催された〈うさと〉の服 展示会

6月末からの1週間、わたしのまわりではイベントが目白押しだった。
わたしと地元の仲間で続けている地域PRプロジェクト〈みる・とーぶ〉のイベントと、
上美流渡(かみみると)にある〈美流渡の森の山荘〉で行われたイベントがあり、
さまざまな人の交流が生まれていった。

まずひとつ目は、美流渡の森の山荘で6月28日から4日間開催された
「うさとの服 展示販売会」。
〈うさと〉とは、タイ在住の服飾デザイナー、さとううさぶろうさんデザインによる、
手紡ぎ、天然染め、手織りの布でつくられた服のこと。
着ごこちのよい服のファンは全国におり、うさとのコーディネーターを務める人々が
各地で展示会を企画、販売する活動を行っている。

美流渡の森の山荘に飾られた〈うさと〉の服。布の素材は、コットン、ヘンプ、シルクの3種類。布はタイの農村に住む女性たちを中心に織られている。(写真提供:やまだひろこ)

美流渡の森の山荘に飾られた〈うさと〉の服。布の素材は、コットン、ヘンプ、シルクの3種類。布はタイの農村に住む女性たちを中心に織られている。(写真提供:やまだひろこ)

美流渡の展示会は、神奈川県在住のやまだひろこさんがコーディネーターとなった。
会場となった山荘のオーナーである中川文江さんと以前から交友があり、
月1回、神奈川から美流渡へやってきて太極拳の講座を開いている師範でもある。

今年は昨年に続き2回目。服の販売だけでなく、
東京から江戸小紋の型彫り職人も訪れ、作品展と体験ワークショップも開催。
また、この地域から〈コーローカフェ〉や、
アフリカ太鼓の奏者でマクラメアクセサリーの販売も行っている
〈らんだ屋〉も出店した。

このほか会期中の29日には、秩父在住のカゴ作家の長谷川美和子さんによる
クルミの皮を使った花カゴづくりのワークショップもあって、
昨年にも増してにぎわいを見せていた。

やまだひろこさん(左)と〈美流渡の森の山荘〉のオーナー、中川文江さん(右)。中川さんは地域で人気の森のパン屋〈ミルトコッペ〉の女将でもある。

やまだひろこさん(左)と〈美流渡の森の山荘〉のオーナー、中川文江さん(右)。中川さんは地域で人気の森のパン屋〈ミルトコッペ〉の女将でもある。

花カゴづくりのワークショップ。クルミの皮を編んでつくった。

花カゴづくりのワークショップ。クルミの皮を編んでつくった。

会場となった美流渡地区は、人口わずか400人ほどの集落。
岩見沢の駅から車で30分と決してアクセスのよい場所ではないが、
この展示会の吸引力には目を見張るものがあり、
4日間の開催で200人を超える来場者があったという。

「自然とともに暮らしているからこそ、
うさとの服の魅力が伝わるのかもしれません」(やまださん)

うさとの服

美流渡の森の山荘では、7月7日に「美流渡の森 2019夏 サロンコンサート」も行われた。ピアノ、バイオリン、声楽など音楽家が集まり、アットホームなコンサートが開催された。

美流渡の森の山荘では、7月7日に「美流渡の森 2019夏 サロンコンサート」も行われた。ピアノ、バイオリン、声楽など音楽家が集まり、アットホームなコンサートが開催された。

ハッカ、ドクダミ、ビワの種!
身近な野草で
手づくり「虫除け&虫刺され薬」

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

田舎に住んで一番最初に受ける洗礼、それは「虫刺され」です。
田舎暮らしを始めて気づいたことなのですが、
虫たちは今までになかった“新しい血”が大好き。
私はここに住んでもう6年も経つので全然狙われませんが、
住み始めたばかりのメンバーたちには、嬉々として襲いかかります。

裸足で行う田んぼ作業は、蚊にとって絶好のチャンス!

裸足で行う田んぼ作業は、蚊にとって絶好のチャンス!

福岡に引っ越してきて驚いたのですが、こちらの蚊は関東の2倍くらいの大きさ。
腫れ方も、それはそれはたいしたものなのです。

今回は、そんなパワフルな虫たちと楽しく(?)共存していくために、
身近に生えている野草を使ってつくる「虫除け&虫刺され薬」を紹介します。
もはや田舎暮らしの、夏の “必須アイテム” と言っても間違いないでしょう。

爽やかな香りが虫除けに! 
リラックス効果もある、和ハッカの「虫除けスプレー」

和ハッカ。

我が家の庭にたくましく生える和ハッカ。
これに含まれるメントールという成分は、清涼感のある強い香りが特徴で、
虫たちはこの香りが大嫌いなため、防虫効果があります。
和ハッカはミント類のなかでもメントールの含有量が特に多いとされ、効果も絶大。

というわけで、この和ハッカを使って「虫除けスプレー」をつくります。
和ハッカは洗って瓶にパンパンに詰め、
アルコール(ホワイトリカーでもOK)をひたひたに入れます。
2週間程度冷暗所で保存したらできあがり。

和ハッカは洗っておきます。

リラックス効果もあり、クーラーは使いたくないけれど、
体感温度を下げたいときのリフレッシュとしても使っています。
(虫たち、こんな爽やかな香りが嫌いなんて信じられない!)

和ハッカを瓶に詰めてアルコールをひたひたに注ぎます。

生の和ハッカが手に入らない、という方には
お手軽にネットで買えるハッカ油が◎。

ハッカ油5~10滴と、無水エタノール10ミリリットルを振って混ぜ、
そこに水(精製水がベター)90ミリリットルを混ぜれば、虫除けスプレーの完成! 
ハッカ油はかなり強力なので、数滴で十分の効果あり。
(入れすぎると痛いくらいです!)

ハッカ油はポリスチレンを溶かす作用があるので、
ポリスチレン製ボトルはさけ、ガラス製のスプレーボトルがオススメです。

手づくりすれば、1本50円以下とコスパがいいので、ぜひお試しあれ! 
網戸に吹きかければ、爽やかな空気を楽しみながら、蚊の進入を防げちゃいます。
生ゴミ周りのコバエや、夏場のゴキブリ対策にも効果があるそうです。