連載
posted:2018.8.23 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
東京から北海道に移住して以来、“衣食住”に関するものは、
できるかぎり自分たちの手でつくったり、
つくり手の顔が見えるものを買ったりしたいと思うようになった。
“食”については、近隣に田畑も多く、知り合いの農家さんから
野菜や米を分けてもらうようにしている。
“住” については、一から家を建てるのは難しいが、
古家を夫が手直ししたり、手づくりの家具を使ったりしている。
手の温もりが感じられるものとの暮らしにもっとシフトしていきたいと思いながら、
難しさを感じていたのは“衣”についてだ。
ときおり手編みをしたり、ミシンを踏んだりするものの十分な時間はとれず、
服の多くはファストファッション。
職人の手によるこだわりの服を着てみたいと憧れつつも、
子どもを抱っこしたりするとすぐに汚れてしまうことから、
大量生産されたものを消極的な気持ちで着ていたのだった。
そんななかで新しい視野が開けるような出会いがあった。
8月3~5日、わたしの住む岩見沢の山あいで
『うさと in 美流渡(みると)の森』が開催された。
〈うさと〉とは、タイ在住の服飾デザイナー、
さとううさぶろうさんがデザインした服のこと。
素材となる布のほとんどは手紡ぎ、天然染め、手織り。
コットン、ヘンプ、シルクがメインで、
タイ東北部イサン地方に暮らす女性たちの手で織られている。
村々で織られた布はチェンマイの地域グループや個人によって縫製され、
日本に送られ各地で販売されている。
会場に入ってみて、まず驚いたのは生地の色の豊かさだ。
森の木々や大地の色を感じさせるようなやさしい色合いのグラデーションが
部屋いっぱいに広がっている。
手に取って見ていくと、スクエアな布の形を生かしたワンピースや
民族衣装をアレンジしたムササビパンツなどがあり、一点一点が個性的。
手織りの布をふんだんに使っているものの、試着してみると
重さを感じさせず、体にフッとなじんでくれるのだった。
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この山荘で展示会を企画したのは、うさとのコーディネーターであるやまだひろこさん。
彼女は約25年のあいだ太極拳に関わり、神奈川や東京で教室を開く傍らで、
1年ほど前からコーディネーターとしても活動している。
きっかけとなったのは、吉岡敏朗監督のドキュメンタリー映画
『つ・む・ぐ 織人は風の道をゆく』を見たことだった。
「暮らしのなかでできるだけケミカルなものをなくしたいと思っていましたが、
洋服は盲点だったことに気がつきました」
映画の冒頭では、うさとの服の生みの親、さとううさぶろうさんが、
なぜこのような服づくりをすることになったのかが語られていく。
当時、さとうさんはブリュッセルでオートクチュールを手がけるデザイナーだったが
「このままでは地球は持たない、ほかにするべきことがあるのではないか」
という想いが浮かび、布を探す旅へ出かけたという。
旅のなかでタイの農村部へと赴き、女性たちが糸をつむぎ、
それを草木で染め、機織りをして生まれる布に出会い
「着ただけで命の息吹が感じられる洋服づくり」に村人とともに没頭した。
この映画では3つのストーリーが、うさとの服を通じてゆるやかに連鎖していく。
やまださんにとってとくに印象的だったのは、
ふたつ目のストーリーに登場する医師の船戸崇史さんと患者さんたちの姿だった。
船戸さんは、がん患者を在宅で看取る手伝いをしたいと船戸クリニックを開業。
あるときこのクリニックのホールでファッションショーやコンサートなどが企画され、
がん患者たちがうさとの服に身を包み、観客の前に登場するシーンを
カメラはとらえていた。
「命の最後がキラキラとしているのを見たとき、魂に響くものを感じました」
この映画を見たあと、さっそくうさとの服を取り扱う京都の本部に連絡をとり、
研修を受けてコーディネーターとなった。
今回を含めこれまで3度の展示会を手がけている。
太極拳の師範と服の販売は、まったく違う活動のように思えるが、
根っこの部分で共通するものがあるという。
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「麻痺してしまった“感覚”を元に戻したいと思っています」
大量生産、大量消費社会のなかで、人間が本来持っていた自然とつながり合う力や
自然のエネルギーを感じる感覚が薄れていっているのではないか。
太極拳を通じて、こうした力を感じてもらいたい。
さらにうさとの服を身にまとって、心と体が解放されるような感覚を味わってほしいと、
やまださんは考えている。
麻痺してしまった“感覚”を蘇らせること。
それがどんなことなのか言葉で説明するのは難しいが、
展示会とともにやまださんが開いた太極拳の体験レッスンに参加してみて、
大きく納得するものがあった。
まず、山荘の脇にある森の中で体の気の流れをよくする
ウォーミングアップをしたあとに、下腹の内部にある「丹田」に
気を溜めることをイメージしながら立禅(立って行う瞑想法)を行った。
次に、腕を振る気功スワイショウ(腰を落として腕を振る気功)をしてから
太極拳の基本動作を学んだ。
体の使い方がわからず戸惑いながらの体験だったが、
終わったあと、いままで体験したことのない爽快感を味わった。
例えるならば、森の木々のさわやかな空気がフッと体のなかを駆け抜けたような、
そんな心地よさが感じられたのだった。
やまださんは幼少期、病弱だったこともあり、
治療を受けながらの暮らしが続いたという。
9歳になってようやく健康を手に入れ、念願だったバレエを始めた。
練習は厳しく先生の言うことは絶対という世界に身を置きつつ、
20代後半からは並行して母がやっていた太極拳の教室にも通うようになった。
バレエというスポ根の世界とまったく対照的だった太極拳の世界。
ここで、やまださんに大きな変化が訪れたそうだ。
もっとも変わった点は“人脈”。
知り合ったのは、前時代とは異なる価値観を見つけようとする人々だった。
そして、教室の生徒や友人たちは、やまださんがうさとの展示会を開こうとすると、
すぐにサポートにのりだしてくれたという。
「何も言わなくても服の魅力が伝わるんです。
いまわたしたちは本当の自分を取り戻す時代に
さしかかっているんじゃないかって思っているの」
会場となった森の山荘は、JR岩見沢駅から車で30分ほどの山の中と
決してアクセスはよくない。
また大きな告知もしておらず、地元新聞での紹介以外はほとんど口コミ。
にもかかわらず、3日間の展示会には約150名の人たちが訪れ、
予想外の大きな反響があった。
しかも、来場者の7割がうさとの服を初めて見る人たちだったという。
「普段から空気のいい自然が豊かなところに住んでいるので、
服のクオリティの高さはすぐ理解してもらえました」
やまださんが語るように、たしかに美流渡の森の風景と、
うさとの服は不思議なほど似合っていた。
わたし自身もうさとの服を身につけてみるなかで、
漠然と手づくりのものに囲まれた暮らしがしたいと思っていた理由を、
自分のなかではっきりと自覚することにつながった。
こうして原稿を書いたり、日々本をつくったりしているわたしにとって、
もっとも重要なことは、“感覚”を研ぎすますことなのだ。
やまださんは、毎月1度、神奈川から美流渡にやってきて、
太極拳の教室を開くことに決めたという。
また、来年の6月には、ふたたびこの地でうさとの展示会も計画中だ。
自分の“感覚”をさらに研ぎすますチャンスが、
ご近所で継続的に開催されることが本当にうれしい。
美流渡の森には、人を惹きつける何かがあるように思えてならない。
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