この美しい「棚田」を守るために――
小さなビジネスで
耕作放棄地を救え!

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

田植えの季節になりましたね! 
6月初旬は毎日田植えをするので、
昼間は限界まで体を動かして、夜は泥のように眠る日々。

田植え作業のあとって、なぜだかプールのあとのように深い眠気がやってくるんですよね。
おかげで夜はPC作業中に寝落ちしてしまうほど。
(この疲れ、なんだかんだで嫌いじゃないですけどね(笑))

というわけで、今も絶賛田植え後に原稿を書いているので、
まだ外は明るいのに、すでに眠気がMAXでやってきております。
どうか最後までおつき合いくださいませ。

田んぼの中でいろんな生き物を見つける子どもたち。

田んぼの中でいろんな生き物を見つける子どもたち。

裸足で田植えをすると、水中の生き物の動きや、泥の不思議な感触、さまざまな刺激によって脳が活性されるような気がします。

裸足で田植えをすると、水中の生き物の動きや、泥の不思議な感触、さまざまな刺激によって脳が活性されるような気がします。

さて、今回のテーマは「小さなビジネスで、地域が抱える課題と向き合う」です。

いとしまシェアハウスの田んぼがあるのは、
山の勾配に沿った、ユニークな形の田んぼが連なる棚田エリア。

水面に映り込む空、ふわふわと飛び回るホタルたち、カエルの大合唱。
こういう風景を見て「美しい棚田のあるところに移住してみたい」と
思っている方、多いのではないでしょうか。
私もそのうちのひとりでした。

移住して6年、変化する棚田の風景に毎日癒され、
この風景に心から惚れ込んでいます。

田植え前の、鏡のような棚田。1年に数日しか見られないこの景色は、住人だからこそ見られる特権。

田植え前の、鏡のような棚田。1年に数日しか見られないこの景色は、住人だからこそ見られる特権。

ところが、実際に住んでみると、
この美しい棚田が大きな課題を抱えていることがわかりました。
棚田の担い手不足が深刻化しているのです。

若者たちは皆、まちに出て働いているため、集落にある棚田管理のほとんどは
平均年齢65歳以上の高齢の方が担っていますが、後継者が見つかりません。

棚田は昼夜の温度差が大きいこと、水源に近く水がきれいなことなどから、
おいしいお米が育つといわれていますが、
平坦地の水田に比べると「労力2倍、収量半分」といわれるほど生産性が低く、
ビジネスとして回していくのは非常に難しい仕組みなのです。

水面に映り込む雲がきれい。

水面に映り込む雲がきれい。

田んぼの面積が小さく、収穫量が少ないこと、大型の機械が入れられないこと、
石垣を守るために除草剤は使わず、こまめに草刈りをしなければならないこと……。

こういう理由から、大規模農業が広まった1970年代から棚田の耕作放棄は加速、
今や日本の棚田は、全盛期の約4割が失われてしまったといわれています。

私たちの集落でも、田んぼを手放す人たちが増えてきました。
耕作放棄地が増えると、景観が損なわれるだけでなく、
荒れた土地に野生動物たちが下りてきて、石垣を崩したり、畑の作物を荒らしたり……。
その影響で、さらに耕作放棄が進むという悪循環も起きています。

大きく育った稲の苗。

大きく育った稲の苗。

確かに「食料の生産」だけの面から見たら、棚田は非効率かもしれません。
けれど、里山の棚田にはたくさんの“役割”があるのです。

・大雨の際に自然のダムの役割を果たし、増水を抑えて土砂災害を防ぐ

・水が地中にゆっくり浸透し、不純物をろ過することで、美しい地下水を蓄える

・土の水路やあぜ道には絶滅危惧種などの生き物が多く生息し、生物多様性が守られる

・美しい景観で人の心を癒す力がある

生きた化石、カブトエビ。田んぼの雑草を食べてくれるうえに、泥をかき混ぜて水を濁らせ、光を遮ることで雑草の発芽を防いでくれます。

生きた化石、カブトエビ。田んぼの雑草を食べてくれるうえに、泥をかき混ぜて水を濁らせ、光を遮ることで雑草の発芽を防いでくれます。

里山にとって、棚田はかけがえのない存在です。
けれど本来、棚田は日々の暮らしのそばで活用されてこそ、成り立つもの。
ライフスタイルや働き方、物の価値が変わり、
棚田の必要性を感じられなくなってしまった現代で、
その文化を守っていくことは簡単ではありません。
お金も稼げないし、手間も時間もかかるからです。

糸島の棚田。

そして、一度手放され、荒れた田んぼに
以前の生態系が戻ってくるまでには、長い時間が必要になります。
それがよくわかっているからこそ、
地元の人たちは1年でも「休めない」と、棚田での米づくりを続けています。
今、里山の棚田はそうやってふんばる地域の人たちの思いだけで
なんとか回っている状態ですが、それもいつまで保てるかはわかりません。

山が荒れれば、その先にあるまちにもいつか影響が出てきます。
土砂崩れ、洪水、川の氾濫……。
最近よく聞くこういった災害も、里山の荒廃が関係しているともいわれています。

手遅れになる前に、今ある棚田だけでもなんとか守っていかないと! 
それが、棚田の問題を目の当たりにしたこの場所で、強く思ったことでした。

無事田植えが終わって、達成感でいっぱい!

無事田植えが終わって、達成感でいっぱい!

そこで、この課題を解決すべく、去年からスタートしたのが〈棚田のオーナー制度〉です。

耕作放棄地を増やさず、棚田を管理していくには、
そこに小さなビジネスをつくることが欠かせません。

例えば、棚田を所有する農家の生活が守られるように、
ビジネスで小さくとも保障する、というイメージでしょうか。
農家が「儲かる」ということよりも、
棚田に関わる「時間やキッカケをつくる」ためのものです。

小豆島の虫送り、
農業と暮らしが里山の風景をつくる

美しい棚田の風景に思うこと

もうすぐ7月。「虫送り」の季節です。

虫送りは、火手(ほて)とよばれるたいまつに火を灯し、
田んぼのあぜ道をみんなで歩いて虫よけと豊作を祈願する行事。
映画『八日目の蝉』にも出てくるのですが、
小豆島といえばこれでしょ、と言ってもいいくらい美しくて神秘的な光景です。

中山の虫送り(2014年撮影、以下同じ年の虫送り風景)。

中山の虫送り(2014年撮影、以下同じ年の虫送り風景)。

火手に火をつけてもらって田んぼのあぜ道を列になって歩いていきます。

火手に火をつけてもらって田んぼのあぜ道を列になって歩いていきます。

列になって火が動いていくのがとても美しい。

列になって火が動いていくのがとても美しい。

火手を持って20分くらい歩いていきます。

火手を持って20分くらい歩いていきます。

江戸時代から続くと言われている小豆島の虫送りは、
いまは肥土山(ひとやま)地区と中山地区で行われています。
毎年、肥土山の虫送りは「半夏生(はんげしょう)」の日(7月2日頃)、
中山の虫送りは7月の第1土曜日に行われます。

今年(2019年)は、7月2日(火)に肥土山虫送り、
7月6日(土)に中山虫送りが行われます。
タイミングがあえば、ぜひ小豆島を訪れて見てほしい行事です。

いまから5年前、2014年の中山千枚田の風景。

いまから5年前、2014年の中山千枚田の風景。

7月の棚田は黄緑色の稲がとにかく美しい。

7月の棚田は黄緑色の稲がとにかく美しい。

その虫送りの舞台となる中山の棚田に先日行ってきました。
4月末から5月頭にかけて田んぼに植えられた稲がだいぶ大きくなっていて、
夏に向けて緑がどんどん濃くなっていきます。
本当に美しいところだなぁと思います。

今年の中山千枚田風景。奥に見える小さな建物は、「中山湯船の水 共同洗場」。

今年の中山千枚田風景。奥に見える小さな建物は、「中山湯船の水 共同洗場」。

共同の洗場で洗濯をする近所のおばあちゃん。昔はみんなここで洗濯したり、野菜を洗ったりしたそう。

共同の洗場で洗濯をする近所のおばあちゃん。昔はみんなここで洗濯したり、野菜を洗ったりしたそう。

絶えることなく流れる中山の湧き水。

絶えることなく流れる中山の湧き水。

移住して2年目の
米づくりがスタート。
田植えでの新たなつながりや気づき

2年目の田植え、
一番変わったことは……?

伊豆下田で暮らす津留崎さん夫妻が
移住してやりたかったことのひとつが「米づくり」。
昨年それが実現し、2年目となる米づくりが今年もスタート。
6月初旬に行った田植えは、昨年とは何が変わった? 
そして、そこで得られた気づきとは。

富山県で独自に進化!
幸せをシェアする
「かまぼこ」を掘り下げてみる

かまぼこには“板”がない、それが富山の常識

いきなり私ごとだが、20年ほど前に神奈川県から石川県にIターンで移住してきた経験を持つ。
最初の頃は、あっち(神奈川)では見たこともなかった食材が、
こっち(石川)のスーパーにはたくさん並んでいたり、
一方、あっちのスーパーではどこでも買えたものが、
こっちではどこにも売っていなかったり、そんなことに戸惑っていた。

だが、そう言いつつも、暮らしてみないとわからない
食文化の違いを知ることができたことで、ワクワクもしていた。
そしてそれは、独自の文化がしっかりと根づいている、
北陸のおもしろさを知った瞬間でもあった。

その代表のひとつが「かまぼこ」だ。
神奈川には〈小田原かまぼこ〉があり、かまぼこといえば“板”かまぼこが当たり前。
これは全国でも同じだと思っていたが、板かまぼこを石川で見かけることは少ない。
そのかわりに売られているのが、赤いうずを巻いた、板にのっていないかまぼこ。
赤いうずは、青色や黄色いもの、そして昆布になっているものもあって、
かまぼこというよりは、ナルトのようでもある。

富山や石川でおなじみの、板のないかまぼこ。(写真提供:梅かま)

富山や石川でおなじみの、板のないかまぼこ。(写真提供:梅かま)

石川に住み始めてすぐに
「どうやら、この辺りではかまぼこの常識が違うらしい」ということはわかってきた。
周りには富山出身の人間も多く、そんな話をすると、
「富山のかまぼこはもっとすごいゾ!」と教えられて、
富山のかまぼこ店をのぞきに行ったこともあった。
そのときに見た華やかな店先に、度肝を抜かれたことは今も鮮明に覚えている。
「これが全部かまぼこなのか?」と。

トラム(路面電車)が頻繁に発着する富山駅。

トラム(路面電車)が頻繁に発着する富山駅。

北陸新幹線が2015年に開通し、
同時に新しくなった富山駅構内のショッピング街へ行ってみた。
ここにはかまぼこを専門に扱うショップが3軒ほどあり、
それぞれの店先は、以前にも増して華やかになっている。

富山駅にある〈梅かま きときと市場 とやマルシェ店〉。

富山駅にある〈梅かま きときと市場 とやマルシェ店〉。

かわいらしいかまぼこは、旅行者のお土産に人気。小さくて手頃なものがよく売れているそうだ。

かわいらしいかまぼこは、旅行者のお土産に人気。小さくて手頃なものがよく売れているそうだ。

店頭には、大きな鯛を中心に据え、
縁起物をかたどったかまぼこの盛り合わせが、存在感を示している。

鯛も立派だが、値段も立派!

鯛も立派だが、値段も立派!

それにしても、なぜこのようにデコレーションされたかまぼこが富山では盛んなのか? 
無性に気になってきた。

ワインを熟成させるように、
美流渡で作品をつくりたい。
アーティスト、ニコラ・ブラーさん

(c)Nicolas Boulard

作品設置のために岩見沢で土地を探し始めて

「岩見沢の山で買えるところありますか? 
土地を購入したいというアーティストがいるんです」

3月、札幌のトークイベントに招かれて、自分がつくった本
『山を買う』などの出版活動について話をさせてもらったとき、
参加者から、こんな質問を投げかけられたことがあった。

質問をしてくれたのは、20年ほど北海道で
アーティスト・イン・レジデンスの活動を続ける
NPO法人〈S-AIR〉の代表・柴田 尚さん。

柴田さんは、フランス人アーティストのニコラ・ブラーさんから
「作品を恒久設置するための場所を岩見沢で探すことはできないか?」
と相談されていたのだという。
ブラーさんは、このときすでに4~5月に北海道に滞在する予定を組んでいる
とのことで、柴田さんは土地探しの糸口をなんとか見つけようと、
私のトークに参加してくれたようだった。

Nuancier Finement Boisé 2007 (c)Nicolas Boulard
ブラーさんはワインの製造方法や伝統的な制度を見直し、再解釈するような作品を制作しており、サンフランシスコ近代美術館での作品展示など、欧米のアートシーンで活躍している。

Nuancier Finement Boisé 2007 (c)Nicolas Boulard
ブラーさんはワインの製造方法や伝統的な制度を見直し、再解釈するような作品を制作しており、サンフランシスコ近代美術館での作品展示など、欧米のアートシーンで活躍している。

柴田さんの話によるとブラーさんが必要としているのは、
100平方メートルほどの土地だという。
生家は7代続くシャンパン生産者。
これまでワインとチーズに関連した美術作品をつくってきた彼は、
今回のプロジェクトで、岩見沢に自分が住む家のコピーとなる
建造物を設置したいと考えているとのことだった。

プランの全貌ははっきりとわからなかったが、
とにかくブラーさんが来道したときには、
わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区を案内する約束をした。

ニコラ・ブラー(Nicolas Boulard)さん。1976年にランスで生まれ、現在は、パリ近郊のクラマールを拠点に活動。“移動”に興味を持ち、世界各地を訪ねている。

ニコラ・ブラー(Nicolas Boulard)さん。1976年にランスで生まれ、現在は、パリ近郊のクラマールを拠点に活動。“移動”に興味を持ち、世界各地を訪ねている。

4月末、柴田さんと一緒にブラーさんが美流渡へやってきた。
土地探しの参考になればと、この地に移住してきた人たちが、
どのように住まいを見つけたのかを聞いてまわることにした。

岩見沢の山間に位置するこの場所は、過疎化が進み、
空き家や空き地が点在しており、住まいを見つけることは
そんなに難しくない(古家が多くて、相当な手直しは必要になるけれど……)。

美流渡付近の土地の状況をリサーチ。左端が柴田さん。右のふたりが古家を改修している吉崎祐季さんと上井雄太さん。

美流渡付近の土地の状況をリサーチ。左端が柴田さん。右のふたりが古家を改修している吉崎祐季さんと上井雄太さん。

しかし、実際に土地を購入しているケースはそれほど多くないように思う。
たとえば、この日訪ねた上美流渡にある〈マルマド舎〉。
地域おこし推進員だったふたりが、古家を自ら改修して
ゲストハウスをオープン予定のここは、
土地は市の所有で、それを借り受けるかたちになっている。

この一帯の土地の多くは、元炭鉱街であったため、
閉山後に市が管理することとなったそうだ。

また、わたしの住む美流渡地区では地主さんが広い土地を所有していて、
何人もの住人がその土地を借りて暮らしている。
市でも地主さんの所有でも土地代は驚くほど安い。
大きさや条件によって違うようだが、おそらく年間で数千円から数万円のレベルなので、
わざわざ購入するというケースは少ないのではないかと思う。

ただ、個人の所有であれば、購入できる可能性もあるんじゃないかと、
地元の人たちはブラーさんに語っていた。

(c)Nicolas Boulard ブラーさんは、美流渡地区の写真を撮ってまわっていた。豪雪地帯ということもあり、崩れかけた家が点在している。

(c)Nicolas Boulard ブラーさんは、美流渡地区の写真を撮ってまわっていた。豪雪地帯ということもあり、崩れかけた家が点在している。

こうした状況を聞いていくなかで、ブラーさんは、
ひとつ気に入った場所が見つかったようだ。
それは、美流渡地区にたった1軒ある〈コーローカフェ〉の
向かいにある建物の脇にある小さな空き地。

「川の音が聞こえて、風景も美しい」

ブラーさんは何度も頷きながら、たくさんの写真を撮っていた。

(c)Nicolas Boulard 美流渡にある小高い丘まであがって見下ろすと、まちの風景が広がる。

(c)Nicolas Boulard 美流渡にある小高い丘まであがって見下ろすと、まちの風景が広がる。

移住イベント 〈「私と三浦」関わり方のレシピ〉 を開催。神奈川県三浦市を知って、 お試し移住へトライ

〈三浦トライアルステイ〉に先駆けてプレイベントを開催

6月15日(土)に、神奈川県三浦市などが主催する
移住イベント〈「私と三浦」関わり方のレシピ〉が開催されます!

「自然が豊かな場所で子どもを育てたい」
「都心に遠くない場所に拠点を持ちたい」
「生き方や働き方など、自分の理想の暮らしを実現できる場所に住みたい」という人には、
特にオススメのイベントです。

ミネシンゴさん。出版社「アタシ社」代表。美容文藝誌「髪とアタシ」発行人/編集長。2017年11月に生活拠点と事務所を三浦市三崎に移転。三崎の蔵書室「本と屯」店主。イベントの第1部で三浦のリアルな住み心地を語るゲストのひとり。

ミネシンゴさん。出版社「アタシ社」代表。美容文藝誌「髪とアタシ」発行人/編集長。2017年11月に生活拠点と事務所を三浦市三崎に移転。三崎の蔵書室「本と屯」店主。イベントの第1部で三浦のリアルな住み心地を語るゲストのひとり。

馬場未織さん。建築ライター。2007年より「平日は東京、週末は南房総の里山で暮らす」二地域居住を実践、2011年NPO法人南房総リパブリック設立。イベントの第2部で二拠点生活の心得や、関係人口から見た三浦の魅力を紹介。

馬場未織さん。建築ライター。2007年より「平日は東京、週末は南房総の里山で暮らす」二地域居住を実践、2011年NPO法人南房総リパブリック設立。イベントの第2部で二拠点生活の心得や、関係人口から見た三浦の魅力を紹介。

当日は、「関係人口」「移住者」の切り口でゲストを招きトークショーを実施。
それぞれの視点から見えるリアルな三浦を知ることができます。

國光博敏さん。オテルドゥミクニで修業し数々のお店で研鑽を積む。「身体はすべて食べたものから出来ている」として真摯に調理を行う。三浦市の小網代で定期的にイベントを開催。

國光博敏さん。〈オテルドゥミクニ〉で修業し数々のお店で研鑽を積む。「身体はすべて食べたものから出来ている」として真摯に調理を行う。三浦市の小網代で定期的にイベントを開催。

加えて、「三浦Food」を食べられる交流会も開催。
自身も三浦の関係人口であるフレンチシェフ・國光博敏さんが
「三浦Food」3品を振舞います。
絶品のお料理に舌鼓を打ちながら、三浦に関わる人々とのつながりがつくれます。

ワカモノ集え! 「地方創生ワカモノ会合」で 地域を元気にするヒントを見つけよう

7月13日には長野にてコロカル編集長が講演

“地域で活躍する”、“地域を元気にする”ヒントが見つかる「地方創生ワカモノ会合」を、
G20関係閣僚会合と連動して全国8か所で開催します。
あなたがいま住んでいる地域や気になっている地域には、
どのような可能性、未来があるのか。
また、その地域でどのように活躍できるのか、どう関わっていけるのか。
この会合に参加して、そのヒントを見つけてみてはいかがでしょうか。

こちらが、全8回のラインナップ。

「スマート農業で、地域は変わる」

2019年 5月25日(土)新潟…終了

「ファイナンス×スタートアップで、地域は変わる」

2019年 6月1日(土)福岡…終了

「ICTで、地域は変わる」

2019年 6月30日(日)つくば

「環境×観光で、地域は変わる」

2019年 7月13日(土)長野

「働き方改革×起業で、地域は変わる」

2019年 8月4日(土)松山

「観光で、地域は変わる」

2019年 8月27日(火)・28(水)札幌

「ヘルステックで、地域は変わる」

2019年 9月29日(日)岡山

「SDGsで、地域は変わる」

2019年 11月9日(土)名古屋

小豆島の神浦地区で過ごす1日、
「生産者と暮らしに出会う旅」vol.8

オリーブを育て、ものづくりをする夫婦のアトリエへ

私は写真を撮ることが好きで、5年ほど前から島で暮らす友人たちと一緒に
〈小豆島カメラ〉という活動をしています。
日々の暮らしのなかで出会う景色や人の写真を撮って、
WebサイトやSNSなどで発信しています。

その小豆島カメラの活動のひとつとして、2014年の秋から続けているのが
「生産者と暮らしに出会う旅」シリーズ。
その名の通り、オリーブやそうめん、醤油などの島の生産者さんや
島で暮らす人々に会いに行くツアーで、年に1、2回開催してます。
その8回目が、今年の6月2日に開催されました。

小豆島カメラ企画の8回目となる「生産者と暮らしに出会う旅」。

小豆島カメラ企画の8回目となる「生産者と暮らしに出会う旅」。

参加者の皆さんには毎回オリンパスのミラーレス一眼カメラを貸し出します。

参加者の皆さんには毎回オリンパスのミラーレス一眼カメラを貸し出します。

カメラを持って小豆島の集落の中を歩きます。

カメラを持って小豆島の集落の中を歩きます。

毎回半年くらい前から、次の旅は何しようか? 
誰に会いに行こうか? と小豆島カメラメンバーで話し合います。
基本的には自分たちが行きたいところ、会いたい人のところへ。

「今度ここ行ってみたいよね」
「こんな体験できたらいいよね」
と候補をあげていき、生産者さんに相談します。
行きたい場所も、会いたい人もほんとに尽きない。

今回は、三都半島の神浦(こうのうら)という集落へ。
そこで暮らす〈テマトカ〉の高野真也さん、夕希子さんご夫婦の
アトリエ兼住居を訪ねました。

高野さんたちは、2年ほど前に小豆島に引っ越してきて、
オリーブを栽培し、オリーブオイルやオリーブ茶などをつくっています。
奥さんのゆっこさんは、オリーブの木で雑貨やアクセサリーを
つくったりもしています(テマトカさんについては
〈テマトカ〉小豆島に移住して、オリーブを育てる夫婦」もぜひ読んでみてください)。

〈テマトカ〉さんのアトリエ兼住居。

〈テマトカ〉さんのアトリエ兼住居。

古い家を改修したアトリエ。

古い家を改修したアトリエ。

古い家を改修したアトリエは本当にすてきな空間で、
この場所に来られただけでうれしくなってしまいます。
テンション上がりつつ、準備を進めて、参加者の皆さんの到着を待ちました。

今回は島外からの参加者の方がたくさんいました。

今回は島外からの参加者の方がたくさんいました。

カメラの使い方講座からスタート。

カメラの使い方講座からスタート。

「生産者と暮らしに出会う旅」では、毎回参加者の皆さんに
ミラーレス一眼カメラを貸し出しています。
小豆島カメラメンバーも使っているオリンパスさんのカメラです。

ただ歩くだけだと見落としてしまうことも、カメラを持ちながら
何かないかなぁと思って歩くと、発見や出会いがたくさんあって、
気づけば1時間くらいあっという間に過ぎてしまいます。
お話し好きで笑顔がすてきすぎるおばあちゃんに出会えたり、
商店で手づくりのところてんをいただいたり、浜辺を歩いて流木を拾ったり。

集落を歩いているとお墓参りにきていたおばあちゃんに遭遇。話しながらモデルになってもらいます。

集落を歩いているとお墓参りにきていたおばあちゃんに遭遇。話しながらモデルになってもらいます。

とにかく笑顔がすてきでした。

とにかく笑顔がすてきでした。

浜辺を歩いて流木を拾います。

浜辺を歩いて流木を拾います。

ミツバチとヤギによる
「循環型農園」とは?
地域が幸せになる耕作放棄地再生計画

楽園への道を切り拓く決め手はヤギ?

伊豆下田に移住し、養蜂場で働く津留崎さん。
獣害被害が深刻な耕作放棄地を再生させ
「ミツバチの楽園」をつくろうとしていますが、数々の問題が……。
そこで課題を解決すべく登場したのが、ヤギ。
さて、そのアイデアとは?

5つのレシピ、教えます!
傷んだ梅も余さず使いきる、
私の“簡単”梅仕事

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

梅干しに梅シロップ、梅ジャムに梅肉エキス……
梅仕事の季節がやってきましたね! 
我が家は毎年、田植えと時期がかぶって大忙し。
みなさんも、そろそろ梅の準備を始めている頃ではないでしょうか。

梅の木収穫の風景。

我が家は毎年、無農薬・無肥料の梅をオンラインで販売しています。
糸島の湧き水と、豊かな土ですくすくと育ち、野生味あふれる味わいで、
毎年完売する大人気の梅なのですが……今年は稀に見る不作の年! 

こういった果樹類は、

・実なりがよく、たくさん収穫できる“表年”

・収穫量が少なくなる“裏年”

が、だいたい交互にやってくるといわれています。
去年豊作の“表年”だったので、今年は収量がちょっと下がるかなあ? 
なんてのんきに構えていたのですが……

もう! びっくりするくらい! 
ない! 

梅がない!

梅がない!! 

葉っぱだけの梅の木!

1本の木にひとつも実がついてない! なんて木も。
これ、本当に梅の木よね……? 
(いやいや、毎年たっぷり梅を収穫している立派な梅の木のはず)

貴重な梅の実を収穫します。

どうしちゃったのでしょうか、今年は。
確かに暖冬で、梅の花はだいぶ早くに咲いていたけれど、
そのときに受粉がうまくいかなかったのでしょうか。

ご近所さんも「ここに嫁いできて、一番梅がなっていない」と驚いていたし、
熊本の梅農家のお友だちも、前年の半分程度の収量なのだそう。
みなさんの周りでは、どうでしょう? 

今年はスーパーにもあまり梅が出回っていないと聞きますし、
手に入れた貴重な梅は、多少傷があるものでも大事に使いたいですよね。

というわけで今回は、梅の状態別・オススメの仕込み方をご紹介します。

上美流渡地区の古家に
画家のMAYA MAXXが描いた絵。
そこに込められた想いとは?

1年半かかって改修した古家に、命が吹き込まれた

画家であり、数々の絵本も描いているMAYA MAXXが、
今年も再び北海道にやってきてくれた。

MAYA MAXXとはわたしが東京の出版社で働いている頃に
雑誌の取材を通じて知り合った。
以来、約20年、ずっとわたしと家族を見守ってくれていて、
人生のターニングポイントになるようなきっかけをいつもつくってくれている。

北海道に移住してからも、わが家のことを気にかけてくれていて、
2016年2017年には、わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区で
ワークショップを開催してくれた。

〈庭ビル〉でワークショップをするMAYA MAXX。

〈庭ビル〉でワークショップをするMAYA MAXX。

今回の来道では、札幌とその近郊のこども園などでも絵を描くワークショップが開かれた。

今回の来道では、札幌とその近郊のこども園などでも絵を描くワークショップが開かれた。

今年のゴールデンウィークは、札幌の〈庭ビル〉にあるギャラリーで
『みんなと絵本とMAYA MAXX』という展覧会が開催されることになり、
MAYA MAXXは1週間ほど北海道に滞在することになった。
庭ビルの企画でイベントやワークショップの予定は目白押しだったが、
合間をぬって、わざわざ美流渡にも足を延ばしてくれた。

今回、美流渡を訪ねてくれることになって、
わたしはMAYA MAXXにひとつお願いをさせてもらったことがある。
これまで子どもに向けた絵を描くワークショップを開催してもらっていたが、
ここにMAYA MAXXが来てくれた“証”のようなものを
残してもらいたいという想いをずっと持っていた。

ちょうどよいタイミングで、地域のPRプロジェクトをわたしとともにやっている
吉崎祐季さんと上井雄太さんが改修をしていた
〈マルマド舎〉の第1期工事がようやく終ろうとしていたため、
ここに絵を描いてもらうのはどうだろうかとわたしは考えた。

地域おこし推進員として活動をしていた吉崎さんと上井さんが改修を続けていた〈マルマド舎〉。2階に丸い窓があったことから、この名前がつけられた。

地域おこし推進員として活動をしていた吉崎さんと上井さんが改修を続けていた〈マルマド舎〉。2階に丸い窓があったことから、この名前がつけられた。

上美流渡地区にあるマルマド舎は、ここが炭鉱街として栄えた時代に
料亭として使われていた築60年以上の古家。
ふたりにとって古家の本格的な改修は初めて。
1年半、凍えるような吹雪の日も夏の暑い盛りの日も、慣れない作業を続け、
いまようやく新たなスタートラインに立つことになった。

吉崎さんと上井さんは、ゲストハウスやイベントスペースとして
この空間を活用していきたいと考えており、ここにMAYA MAXXの絵があったら、
さらに生き生きとした場となるんじゃないだろうか、わたしはそんな期待を持っていた。

扉を入ってすぐの土間の壁に絵を描いてもらうことになった。

扉を入ってすぐの土間の壁に絵を描いてもらうことになった。

家のことをする、穏やかな
〈HOMEMAKERS〉の日常

お金を稼ぐための仕事ばっかりになってない?

ゴールデンウィークの連休が終わり、農村歌舞伎や運動会などの春の行事も終わり、
少し落ち着いた5月下旬。
見て見ぬふりをしていた家のあれこれに向き合い、ひとつずつ済ませていっています。
今日はそんな、なんてことはない普通の日のことを書きます。

暖かくなり、植物たちがいっせいに動き出します。ちょっと気を抜くとすぐ雑草だらけになる庭。

暖かくなり、植物たちがいっせいに動き出します。ちょっと気を抜くとすぐ雑草だらけになる庭。

5月は露地いちごの収穫シーズンです。
露地いちごというのは加温したビニールハウスの中で育てられたいちごではなく、
露地(外)で育ったいちご。うちでは育ててないのですが、
近所のお母さんがいっぱい採れたからとおすそ分けしてくれました。

もういまでこそ慣れましたが、基本的にこういうときにいただく量というのは、
スーパーでパック売りされてる量とは全然違います。今回は大きなボール山盛り1杯。
さぁ、ジャムをつくろう!
洗いながら、傷んでいるものは除けて、
小さな露地いちごのヘタをひとつずつ落としていきます。

近所のお母さんからいただいたボールいっぱいの露地いちご。

近所のお母さんからいただいたボールいっぱいの露地いちご。

娘と一緒にいちごジャムづくり。

娘と一緒にいちごジャムづくり。

ジャムをつくるというのは時間のかかる作業ですが、なんとも幸せな時間なんです。
ただ黙々といちごのヘタを落としたり、
マーマレードジャムだったら皮をむいて刻んだり、
そういう単純作業を繰り返していくと、きれいになった素材が積み上がります。
その素材の美しいこと! 眺めてるだけでうれしくなる。

それを鍋に入れて、砂糖や柑橘果汁などをあわせて炊きます。
ガラス瓶に移して、煮沸消毒したら完成。

あー、冷蔵庫にジャムがあるとうれしいんですよね。
うちはパンに塗ったり、ヨーグルトに混ぜたりして食べるので、
すぐなくなってしまいます。なくなっても、
なんとなくスーパーで買う気になれず、また次につくる機会を待ちます。

ヘタを落としてきれいになったいちごたち。

ヘタを落としてきれいになったいちごたち。

できたてのいちごジャムで朝ごはん。

できたてのいちごジャムで朝ごはん。

〈地域おこし協力隊〉の
皆さんに質問!
実際に、どんな活動をしているの?

今月のテーマ 「地域おこし協力隊として、こんな活動をしています!」

4月の〈このまちのくらしとけしき〉の連載では、
地域おこし協力隊のみなさんに、どんなキッカケで入隊したのかを尋ねました。
では、協力隊になって、どんな活動をしているのでしょう? 

さまざまな思いのなかで、一歩踏み出した新しい暮らしは、実際にどうなのか? 
どんな課題を感じ、どんなアクションを起こしたのか? 
今後、どんなことに取り組んでいくのか? 

各地で暮らすなかで得た思い、これまでのできごとを教えてもらいました。

【島根県隠岐の島町】 地域と、移住者の、架け橋となれるように

私は、島のなかでも特に過疎高齢化が進んでいる
「布施」という地区の活性化を担っています。
具体的なミッションはありませんが、
だからこそ、自分のアイデアをひとつずつ実現していくことにやりがいを感じています。

1年目は、あえて“何でも屋”になって、地域の実態を知ることに注力しました。
そのなかで、まず必要なのは“モノ”や“カネ”よりも、“ヒト”だと感じ、
2年目からは、布施の関係人口の創出をメインに活動を行うことに。

なにもかもが新鮮で、まるで長い旅をしていたかのような1年目。今は、同じ景色を見て“自分の故郷”のように感じられるようになりました。東京生まれのため、“故郷”への憧れを抱いていた頃には想像できなかった心境の変化です。

なにもかもが新鮮で、まるで長い旅をしていたかのような1年目。今は、同じ景色を見て“自分の故郷”のように感じられるようになりました。東京に生まれ、“故郷”への憧れを抱いていた頃には想像できなかった心境の変化です。

事業のなかで、「布施の美しい四季と暮らし」を広めるための素材が必要になり、
島の日常を切りとってもらうべく、写真家さんを招聘。
私が布施でもらったやさしさや、自然のパワーが、
そのままかたちになったような写真の数々に感激し、
これを多くの人に広めなければ……という使命感を強くしてくれました。

地域でなにかあるらしい……! と噂を聞けば参加して、皆さんの会話の中からカケラを拾い集めるように、地域を“知る”ことに費やしました。どこへ行っても温かく受け入れてくださるのでうれしかったです。

地域でなにかあるらしい……! と噂を聞けば参加して、皆さんの会話のなかからカケラを拾い集めるように、地域を“知る”ことに費やしました。どこへ行っても温かく受け入れてくださるのでうれしかったです。

また、人を呼び込むためには“場”も必要だと感じ、
「空き家を活用した場づくり」にも挑戦中です。
そして、地域おこし協力隊の最終年度の今年は、布施の「暮らし体験ツアー」も行うことに。

関東圏ではまだ認知度が低い「隠岐の島」を少しでも知ってもらえるようにと、関東でのイベントに参加したり、ときには自分で企画も行いました。

関東圏ではまだ認知度が低い「隠岐の島」を少しでも知ってもらえるようにと、関東でのイベントに参加したり、ときには自分で企画も行いました。

知らない土地で、初めてのことばかり。
価値観の違いもあり、おもしろい反面、大変なことも多いですが、
「島での豊かな暮らしを求めている人」と
「若い力を求めている地域」との架け橋になれるよう、挑戦し続けたいです!

* * * * *

具体的な活動内容はこちらでご紹介! ぜひのぞいてみてくださいね。

島暮らしとヨガのできる古民家 Danaの家

暮らし体験ツアー〈しまびとごっこ〉

布施地区の四季、美しい自然、島民の暮らしを綴ったPR動画

布施地区のInstagram

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五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

みんなで野草を食べてみよう!
自然豊かな伊豆、
身近な山で野草を学ぶ

恵まれた環境だからできること

以前から野草に興味があったという津留崎徹花さん。
移住して暮らす下田だったら、身近な山で学べるのでは?
そう考えた徹花さん、友人たちと一緒に
野草を摘んで食べる会を開くことに。
みんなで野草を探し、料理して食べる。
意外にも食べられる野草、けっこうあるんです!

移住を決断する前のトライアル!
田舎暮らしの“二拠点生活”
〈いとしまシェアハウス〉で
始めてみませんか?

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

私たちが住む福岡県糸島市の集落も緑がどんどんと濃くなり、
カエルの鳴き声も、虫の音も、爽やかな初夏を感じさせる季節となりました。

冬の間、茶色い景色をずっと見てきたので(もちろんそれはそれで美しいのですが)、
初夏のこの眩しいほどの緑がうれしくてうれしくて! 
海も透きとおるように青く、これからやってくる夏にワクワクしています。

空を美しく映し出した棚田の散歩、海や川での水遊び、池で冷やしたスイカ割り、
今年はどこまでできるかなあ。

もうすぐこんな棚田の景色が見られます。

もうすぐこんな棚田の景色が見られます。

さて、“移住”はちょっとハードルが高いけれど、
こんな田舎での生活を体験してみたいなあと思っている人に、
我が家からひとつ提案があります。

便利な都心と自然豊かな里山、どちらも楽しめる二拠点生活(デュアルライフ)を
いとしまシェアハウスで始めてみませんか? 

我が家は築80年の古民家で、水道なし、湧き水暮らしという田舎暮らしですが、
福岡市内から電車1本で約50分、空港からも電車で約1時間という好アクセス。

お米の自給率も100%!

お米の自給率も100%!

この〈いとしま二拠点暮らし〉プロジェクトでは、まちと糸島を行き来しながら、
月に好きな日数だけ我が家に滞在してもらい、
田舎の楽しさを感じてもらいながら、
新しい生き方の実験をしてもらいたい、と思っています。

というのも最近、
日本のトップ企業による、終身雇用が難しくなったというニュースが話題になりました。
今までの「安定した働き方」や「堅実な生き方」のロールモデルが崩れていくなか、
仕事や拠点を複数持ちながら、変化する社会を自分らしく生きていこうと
挑戦する人が増えているような気がします。

そういう挑戦を、我が家をスタートにしてもらえたらうれしいなあ、
そのサポートができたらなあ、そんな気持ちもありました。
(まさに、我が家にはそういった暮らしや生き方をする仲間がたくさんいるからです)

さまざまな挑戦を続けるシェアハウスのメンバーたち。

さまざまな挑戦を続けるシェアハウスのメンバーたち。

「動きながら住む」に興味のある 人々のためのイベント 「つくばVAN泊」 SDGs未来都市・つくば市が、 テクノロジーと理想の生活を考える

つくば市の壮大なチャレンジに注目!

最近よく耳にする、「SDGs」をご存知ですか?
SDGsとは、経済・社会・環境の三側面における持続可能な開発のこと。
茨城県つくば市は、2018年に政府に選ばれた、「SDGs未来都市」29都市のひとつで、
SDGsの目標達成に向けて「つくば市未来構想」を策定中です。
そのSDGsの観点もあり、
新しいライフスタイルとしての「バンライフ(#vanlife)」が年々注目を集めています。

Instagram上で約400万件がタグ付けされている、
注目のキーワード「#vanlife」。
ミニマル世代と呼ばれる若者たちの間では、
都市部の高騰する家賃に対抗する手段として家をもたない“アドレスホッパー”が増加中。
場所に捉われることなく生活を送るということが
当たり前になる日もそう遠くはないはずです。

場所に捉われない生き方「バンライフ」がSNSで話題。必要な機能をシェアでまかなえる時代になってきたというのも後押しになっています。

場所に捉われない生き方「バンライフ」がSNSで話題。必要な機能をシェアでまかなえる時代になってきたというのも後押しになっています。

そんな実証実験のような生活を送るバンライファーたちとともに
未来の暮らしを考えるイベントを発案しました。それが「つくばVAN泊」。
春分の日である3月21日(祝・木)と22日(金)の2日間にわたり、
茨城県つくば市中央公園に隣接する広場
「SEKISHO INNOVATION PARK(仮称)」にて、
つくば市の主催で開催されました。

「つくばVAN泊」の様子。

「つくばVAN泊」の様子。

昔話のような光景をつないでいく。
小豆島「肥土山農村歌舞伎」

地元の人たちでつくりあげる農村歌舞伎

長い長い5月の連休が終わりました。
小豆島は瀬戸内国際芸術祭の春会期開催中ということもあり、
この10連休は島内を走る路線バスは満員、ホテルも満室、
観光スポットには人がいっぱい、渋滞が起こったりと、それはそれは賑やかでした。

小豆島の肥土山(ひとやま)で暮らす私たちにとって
ゴールデンウィークといえば、そうです! 「肥土山農村歌舞伎」です。
毎年5月3日に行われる伝統行事で、江戸時代から300年以上も続いています。
令和元年となった今年の5月3日にも無事に歌舞伎が奉納されました。

毎年5月3日は新緑がとても美しい。

毎年5月3日は新緑がとても美しい。

農村歌舞伎というのは、その字のとおり農村で行われる歌舞伎。
その年の豊作を祈願し、神社にある舞台で、そこで暮らす人々が歌舞伎を奉納します。
役者はもちろん、化粧や衣装、大道具、小道具の準備、
それから諸々の段取りなどもすべて地元の人が行います。
まさに地域の、地域による、地域のための歌舞伎です。

練習のときに舞台を開いて大道具を設置するのもひと苦労。

練習のときに舞台を開いて大道具を設置するのもひと苦労。

お世話になる地域の人たちに「お願いします」「ありがとうございました」と挨拶する子どもたち。

お世話になる地域の人たちに「お願いします」「ありがとうございました」と挨拶する子どもたち。

肥土山農村歌舞伎は、肥土山自治会が主催していています。
自治会の中には6つの組があって、年ごとに順番に歌舞伎の担当をします
(全体の段取りやお弁当の準備などとても大変な仕事です)。

化粧をしてくれるのは、近所のお姉さん。

化粧をしてくれるのは、近所のお姉さん。

舞台に立つ役者を支えてくれる人たちがたくさんいます。

舞台に立つ役者を支えてくれる人たちがたくさんいます。

今年も役者として出演したたくちゃん(夫)のかつらを調整してくれるのは、近所の友だち。

今年も役者として出演したたくちゃん(夫)のかつらを調整してくれるのは、近所の友だち。

私たちが小豆島に引っ越してきて、最初に歌舞伎に関わらさせてもらったのが2013年、
下組(しもぐみ)が担当の組でした。それから、場中組(ばなかぐみ)、
向組(むかいぐみ)、岡組、東組、石原組とまわって、今年はまた下組。
6年経って、歌舞伎の担当組が一周まわった。

きっと外の人からみたら、担当組がどの組であろうと
何も違いを感じないと思いますが、組ごとに十八番(おはこ)の演目があったり、
少しずつ段取りの仕方が違ったり、中心に立つ人も変わったりして、
ここで暮らす人としてはだいぶ違います。
一周まわって、あの初めて歌舞伎に参加したときの感じをなんとなく思い出しました。

6年前、当時5歳だったいろは(娘)。ひとつ年下の子と一緒に歌舞伎の演目の間に舞をしました。

6年前、当時5歳だったいろは(娘)。ひとつ年下の子と一緒に歌舞伎の演目の間に舞をしました。

6年ぶりに共演したふたり。今年は子ども歌舞伎に出演。

6年ぶりに共演したふたり。今年は子ども歌舞伎に出演。

ユネスコ認定世界ジオパークの
伊豆半島。地元住人が教える
下田の「ジオサイト巡り」

身近に「地球」を感じる暮らし

2018年に、日本では9つ目となる
ユネスコ世界ジオパークに認定された伊豆半島。
下田に移住した津留崎さんは、身近な暮らしのなかで
地球のダイナミックさが感じられるといいます。
今回は観光スポットとしても人気を集める伊豆のジオサイトを、
地元目線でご紹介します。

心穏やかに“ゆるゆる”できる場所。
〈廃材エコヴィレッジ〉を訪ねて

絵描きから万華鏡作家、そして廃材エコヴィレッジへ

神奈川県の藤野は、いつか訪ねてみたいと思っていた場所だった。
東京駅からJR中央本線で1時間半。
わたしの住む北海道からはかなり遠いが、芸術家が多数住み、
市民発電所〈藤野電力〉や地域通貨を推し進める〈トランジション藤野〉をはじめ、
持続可能な社会や暮らしをデザインする〈パーマカルチャーセンタージャパン〉といった、
ローカルならではのコミュニティづくりを目指す活動で知られている地域だ。

相模原市に位置する藤野地区。四方を山々に囲まれ豊かな川と湖があるエリア。

相模原市に位置する藤野地区。四方を山々に囲まれ豊かな川と湖があるエリア。

これらさまざまな取り組みのなかで、私が以前から注目していたのが
〈廃材エコヴィレッジゆるゆる〉だ。
その理由のひとつは、北海道にエコビレッジをつくりたいと
これまでさまざまなコミュニティを連載で紹介してきたが、
この場所は飛び抜けて個性的に感じられ、一度この目で見たいと思っていたからだった。

また、この場所の村長であり、万華鏡作家でもある傍嶋飛龍さんが、
実は高校でお世話になった恩師の息子さんというつながりも
興味を抱くきっかけとなっていた。

4月19日、仕事の関係で上京したタイミングに合わせて、
ついに廃材エコヴィレッジを訪ねることができた。
藤野駅から車で15分ほど。くねくねと曲がる山道を奥へと進んでいくと、
たった11軒の集落・綱子地区があり、そこに廃材エコヴィレッジはあった。

傍嶋飛龍さんは1976年生まれ。24歳で千葉から藤野に移住。現在は綱子地区で暮らしている。

傍嶋飛龍さんは1976年生まれ。24歳で千葉から藤野に移住。現在は綱子地区で暮らしている。

翌日に控えた「タイコマツリ」というイベントの準備で忙しい日ではあったが、
傍嶋さんは椅子に座ってゆったりとした様子でインタビューに応えてくれた。
このエコヴィレッジをつくるずっと以前(20年以上前?)に、
私は傍嶋さんが描いた絵を見たこともあって、
今回は、幼い頃から現在までの道のりをまずは聞いてみたいと思っていた。

「小学2年生くらいまで、席に座っていられない、落ち着きのない子で、
絵ばっかり描いていました」

傍嶋さんの絵画。おもちゃ箱をひっくり返したようにさまざまなモチーフが描かれているが、同時に色彩が心地よいリズムをつくり出している。

傍嶋さんの絵画。おもちゃ箱をひっくり返したようにさまざまなモチーフが描かれているが、同時に色彩が心地よいリズムをつくり出している。

学校では勉強についていけなかったが、父からは
「得意なことがひとつあれば生きていける」と教えられたという。

やがて美術大学に進学。大学院在学中に制作した絵画が、
第1回池田満寿夫芸術賞展で大賞を受賞するなど評価を受けた。
卒業後に千葉から藤野に移住し、仕事をしながら制作活動を続けていたが、
2009年に絵描きを辞める決意したという。

「万華鏡づくりも始めていましたし、なんでもありの音楽活動もしていて。
得意だった絵にこだわるんじゃなくて、
もっと自由な気持ちになりたいと思いました。人生がアートだと」

傍嶋さんの万華鏡。陶器やガラスなどさまざまな素材で制作されている。(写真提供:傍嶋飛龍)

傍嶋さんの万華鏡。陶器やガラスなどさまざまな素材で制作されている。(写真提供:傍嶋飛龍)

太陽光パネルで
目指せ、エネルギー100%自給!
〈いとしまシェアハウス〉の
オフグリッド計画・その1

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

エネルギーの自給を目指す我が家では、
シェアメイトひとりにつき1枚、モバイルソーラーチャージャーを配布し、
そのエネルギーでスマートフォンを充電する取り組みを行っています。
※過去記事はこちらから。

そして今回、ついに家で使うすべてのエネルギー自給100%を目指し、
太陽光発電システムを導入することになりました! きゃー! 

足場をつくり、その上で作業します。

足場をつくり、その上で作業します。

今回はその第一歩として、駐車場の屋根を葺き替え、
そこに18枚の太陽光パネルを設置することになりました。

この太陽光パネルは1枚で275ワット発電するので、
18枚で約5キロワットの発電量になります。
これは、標準的な家庭の電気消費量を十分まかなえる電気量だそうです。

今まで私たちが持っていた大きめの設置型太陽光パネルが50ワットなので、それの約99倍。
いつも使っているスマホ充電用の
折りたたみ式太陽光発電機が20ワットと考えると、約247倍。
すごいパワーです! 

屋根の葺き替えは、大工インレジデンスのメンバーとして我が家に住んでいる、プロの大工ふみよくんがあっという間にやってくれました。

屋根の葺き替えは、大工インレジデンスのメンバーとして我が家に住んでいる、プロの大工ふみよくんがあっという間にやってくれました。

まずは、強風でトタンが吹き飛ばされ、穴だらけになった駐車場の屋根を葺き替えます。
1枚10キロある太陽光パネルは、18枚で合計180キロ。
屋根材は、この重さに耐えられるものをセレクトしました。

すっかり屋根の準備ができたら、さっそく太陽光パネルを設置していきます。

すっかり屋根の準備ができたら、さっそく太陽光パネルを設置していきます。

子育て世代を応援する
暮らしづくり複合施設
〈みちくさくらす〉が新宿にオープン

2019年2月1日、奥神楽坂と呼ばれるエリアに、
子どもの笑い声が漏れる、かわいらしい空間が誕生しました。

その空間の名前は〈みちくさくらす〉。

〈みちくさくらす〉外観

「共働き家庭の小学生が安心して過ごせる空間を」
との想いから生まれたこの場所は、2階は子どもの教室、
1階は飲食店として営業できるシェアキッチンになっています。

両フロアとも、レンタルスペースとしての利用も可能。
夏休み頃の始動を目指し、子ども向け講座や教室の準備もしているそう。
現在は土曜をカフェ、日曜はお弁当屋さんとしても営業中です。

この場所をつくったのは、
現在、0歳と3歳の姉妹を子育て中の、並木義和さん・優さん夫婦。
ふたりが情報収集に動き出したのは昨年(2018年)1月。
義和さんは平日、会社に勤めながら、優さんは次女を身ごもりながら、
約1年という短い期間で完成までこぎ着けました。

並木ご一家

時間や体力が十分でない状況のなか、どのように
〈みちくさくらす〉オープンまでの道のりを歩んだのか、また、
「もともとこの地域にほとんど知り合いがいなかった」と振り返るおふたりは、
どのようにして地域との関わりをつくっていったのか、お話をうかがいました。

放課後に子どもが集まる場所を

1階のシェアキッチン

自分のお店を持ちたい人が誰でも利用できる、1階のシェアキッチン。

「放課後に子どもが集まる“場”を、私たちでつくってみない?」

優さんがそんな提案を義和さんに持ちかけたのは、2017年の年末のこと。
きっかけは、その年の頭に行った、世田谷区から新宿区への引っ越しでした。

「世田谷区には、子どもを連れて遊びに行けるお店や場所がたくさんあり、
とても暮らしやすかったんです。でも新宿区には、公共の施設以外、
そういった場所がほとんどありませんでした。
オフィスが多いまちなので仕方ないんですけどね」(優さん)

並木優さん

こうした施設の少なさは、いずれ小学生になる娘さんの
「放課後の過ごし方」を考えたとき、不安の種となりました。
並木さん夫婦は共働きで、祖父母も遠方に住んでいるため、
公立の学童クラブか民間の教室、塾などに通わせることになりますが、
前者は狭いスペースに定員以上の人数がひしめき合うような状態、
後者は高額な費用がかかり自由度が低いなど、子どもにとって
いい環境ではなさそうでした。

こうした声を、ほかの共働き家庭の小学生ママさんたちからも聞くようになり、
優さんのなかで「自分たちがその場所をつくれないだろうか」との思いが
日に日に増していったそう。

ディスプレイされた花

「おそらく、原風景には、私の実家で祖母と母がやっていた
学習塾の光景があったように思います。
離れの建物に、ピアノと黒板、子どもの学習机が置いてあって、
そこに子どもが集まってきて祖母がおやつを出すんです。
物心つかないころから、その空間でよく遊んでいたので、
『子どもが集まる場を自分たちでつくる』アイデアは、
とても自然に生まれました」(優さん)

1階のテーブル席で寛ぐ並木さん一家

もともとふたりとも建築の仕事に携わっており、「いつか自分たちで場をつくりたいね」
と話していたため、義和さんはすんなりと優さんの提案を受け入れたそう。

「僕の実家は転勤が多かったので、もともと、人が集まる場に漠然とした
憧れがありました。妻の実家で、塾だったスペースを見せてもらったときにも
『すてきだな』と思っていたので、彼女の提案にすぐに同意しました」(義和さん)

〈地域おこし協力隊〉の
皆さんに質問!
どんなキッカケで入隊したの?

今月のテーマ 「こんなキッカケで、地域おこし協力隊になりました」

高齢化、人口減少が進む日本各地で、
意欲的に地域協力活動を行う都市住民を受け入れ、
彼らのニーズに応えながら、地域力の維持や強化に協力してもらう――
そんな目的をもって2009年に制度化された、〈地域おこし協力隊〉。

総務省によれば、2018年は5359人もの隊員が全国の自治体に所属し、
地域を盛り上げるべく活動しているようです。

「協力隊に興味はあるけれど、どんなキッカケで入隊するんだろう……?」
と、なかなか一歩踏み出せずにいる方も意外と多いのでは? 

そこで今回は、実際に地域おこし協力隊の皆さんから、
協力隊を志すことになったキッカケを教えてもらいました。

【岩手県一関市】 初めて、地元の将来が明るく見えたワークショップ

地元の「一関」にも、おもしろい人がいる。
自分も何か一緒にできることがあるのでは? 
そう思ったのが、地域おこし協力隊になったキッカケでした。

それまでは被災した沿岸地域のボランティアや、それに携わる業務をしていました。
ふと思ったのが、沿岸地域は深刻な状況ではあるものの、
さまざまな支援があり、復興を目指す気運で地域に活気があるけれど、
高校を出るまで暮らしていた一関には、こんな活気はない。

地元の一ノ関駅前の商店街。

地元の一ノ関駅前の商店街。

そのときは、そう思い込んでいました。
ですが、一関で行われた、“地域おこし”がテーマのワークショップに
たまたま参加したところ、
地元で活躍されている社長や、同じ志を持つ同世代の人と出会いました。

“地域おこし”がテーマのワークショップにて。

彼らと話していると、地元を悲観するということはまったくなく、
「こうしたらおもしろそう!」というアイデアが次々と出てきて、
ワクワクしたのを覚えています。

このとき初めて、地元の将来が明るく見えた気がしました。
その後、自分の働き方について考えるタイミングがあり、
私は一関の協力隊に飛び込みました。

ワークショップで出会った方とは、今でもさまざまな場面でご一緒させてもらっています。

ワークショップで出会った方とは、今でもさまざまな場面でご一緒させてもらっています。

協力隊になって3年。
ワークショップで出会った仲間、そして、協力隊になってから出会った仲間とともに、
あの日語り合った明るい一関の未来を目指し、一歩一歩活動を続けています。

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櫻井陽 さくらい・よう

岩手県一関市出身。2016年よりUターンで一関市の地域おこし協力隊に着任し、農業分野の地域団体の活動支援を行う。好きな食べ物はカレー。趣味の硬式テニスをやらないと病にかかる体質。2017年より一関で楽しく暮らしたい20代のための地域団体〈TAKU。(たくまる)〉を発足し、各々がまちを楽しむためのさまざまな企画を実施する。

【島根県隠岐の島町】 地方に暮らす人々の、生きる強さと、真のやさしさを感じて

私の場合は、地域おこし協力隊のネガティブな噂を聞いたり、
おかたいイメージの行政に所属することへの抵抗感があったりして、
正直なところ、まさか自分が協力隊になるとは思ってもみませんでした。

一度訪れてから、ずっと心に残り続けていた御神木「乳房杉」のある集落に住めることに。勝手に乳房杉が私を呼んでくれたような気持ちになりました。

一度訪れてから、ずっと心に残り続けていた御神木「乳房杉」のある集落に住めることに。勝手に乳房杉が私を呼んでくれたような気持ちになりました。

大学卒業後はOLをしていましたが、東京での生き方への違和感を払拭できず、
自分なりの答えを見つけたくて各地を旅していました。

衣食住にまつわることを自分たちで何とかするような地方の暮らし方に触れるたび、
人々の生きる強さと、真のやさしさを感じて、衝撃が走ったのを覚えています。

そのうちに、私には自然のなかで暮らすことが合っていると確信し、
漠然と憧れていた島への移住を決意。
暮らすならここ! と思ったのが隠岐の島町でした。

当時持っていた理想の移住先のイメージは、「四季を感じられる」「山や田畑などの日本の原風景がある」「伝統文化が残っている」「田舎すぎず都会すぎず」そんな島でした。

当時持っていた理想の移住先のイメージは、「四季を感じられる」「山や田畑などの日本の原風景がある」「伝統文化が残っている」「田舎すぎず都会すぎず」そんな島でした。

移住するにあたって、仕事と家も希望に近づけたいと考えていたところ、
仲よくなった協力隊の友人に、次年度の募集があることを教えてもらいました。
自分の願望と募集条件がぴたっと重なり、
「これは私のための仕事だ!」と直感的に感じ、応募。
こんなふうにして、流れ着いた先が協力隊でした。

結局、1番大切なのは人とのご縁。「この人と一緒に働きたい!」と思う担当者さんに出会えたことが決め手に。地域からの信頼も厚い方だからこそ、私もすっと溶け込めたのだと思います。

結局、一番大切なのは人とのご縁。「この人と一緒に働きたい!」と思う担当者さんに出会えたことが決め手に。地域からの信頼も厚い方だからこそ、私もすっと溶け込めたのだと思います。

理想のライフスタイルを目指しながら活動させていただけることになり、
「ご縁の国しまね」でのご縁を信じてよかったと思っています。

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五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

下田の干物がトートバッグに。
〈Himono bag〉の販売で生まれた、
新たなつながり。

干物愛あふれるトートバッグ

伊豆下田に移住してから、干物のおいしさに開眼した
カメラマンの津留崎徹花さん。
干物を撮影するうちに、バッグにしたらかわいいかも? と思いつき
ついに、自分でつくってしまいました。
それほどおいしい干物屋さんとの出会いや
〈Himono bag〉が生まれるまでのストーリーです。

まちの空気を変えた
カレー屋さん〈ばぐぅす屋〉。
美流渡に20年ぶりに新店舗がオープン

バックパックひとつ抱えて、住み始めた北海道

わたしが引っ越してきた岩見沢市の山間の美流渡(みると)は、過疎化が進む地域だ。
人口はわずかに400人。小さなスーパーも1年ほど前に閉店し、
残る商店も数えるほどとなっている。

そんなこの地区で、昨年なんと20年ぶりに新店舗がオープンした。
スープカレーとスパイスカレーのお店〈ばぐぅす屋〉だ。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

お店が始まってからというもの、わが家は毎週のように通っており、
この連載で早く紹介したいと思いつつ、ずいぶん時間が過ぎてしまった。

お店を切り盛りするのは、山岸槙(こずえ)さん。
接客から調理までほとんどひとりでこなし、3人の子どもを抱えるお母さんでもある。
きっと忙しい毎日を送っているんじゃないかと思って、
取材をずっとためらっていたのだった。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

昨年12月、雪が降る季節を迎えてばぐぅす屋は冬期休業に入った。
それから約5か月、北海道にもようやく春の兆しが感じられるようになった4月中旬、
2年目のスタートを切ることになり、このタイミングで
山岸さんにじっくりと話を聞く機会をつくってもらうことにした。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

山岸さんは大阪府出身。夫の実家である北海道岩見沢市に移住をしたのは25歳の頃。
きっかけは高校3年生のときに十勝の陸別町にある牧場で、
酪農体験をしながら1か月過ごしたことだ。初めての体験が数多くあり、
いつか北海道に住んでみたいと思うようになったという。

「一番感激したのは、道路に寝転んだこと。
ずっと都会で暮らしていたので、こんなことできるんだって(笑)」

高校卒業後はブティックで働きつつも、自分の進むべき道が見出せず
思い悩む日々を送っていたという。
このとき仕事とともにバンド活動もしており、
ある楽器に出会ったことが人生の歯車を動かすきっかけとなった。

「オーストラリアのアボリジニの楽器“ディジュリドゥ”の音に惹かれて。
自然を思わせるような音色で北海道を思い出しました」

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

このとき山岸さんは23歳だった。
「自分に何かきっかけを与えないと変わることはできないのではないか」と考え、
北海道で暮らそうと決意。荷物はバックパックひとつとディジュリドゥだけ。
以前に酪農を体験した牧場にひとまず身を寄せ、
そこから世界はだんだんに広がっていった。

数か月後に北見へ拠点を移し、働きながら夜はクラブでライブ活動を行った。
やがて、本場でディジュリドゥを学びたいという気持ちが募り、
1年ほどお金を貯めてオーストラリアへ旅立った。
3か月の滞在で、楽器の勉強とともに、さまざまな地域を訪ね、
ときには現地で知り合った友人が持つ山で2週間、
テント暮らしをしたこともあったという。

「本当に濃い時間を過ごしました」

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。