〈地域おこし協力隊〉の
皆さんに質問!
実際に、どんな活動をしているの?

今月のテーマ 「地域おこし協力隊として、こんな活動をしています!」

4月の〈このまちのくらしとけしき〉の連載では、
地域おこし協力隊のみなさんに、どんなキッカケで入隊したのかを尋ねました。
では、協力隊になって、どんな活動をしているのでしょう? 

さまざまな思いのなかで、一歩踏み出した新しい暮らしは、実際にどうなのか? 
どんな課題を感じ、どんなアクションを起こしたのか? 
今後、どんなことに取り組んでいくのか? 

各地で暮らすなかで得た思い、これまでのできごとを教えてもらいました。

【島根県隠岐の島町】 地域と、移住者の、架け橋となれるように

私は、島のなかでも特に過疎高齢化が進んでいる
「布施」という地区の活性化を担っています。
具体的なミッションはありませんが、
だからこそ、自分のアイデアをひとつずつ実現していくことにやりがいを感じています。

1年目は、あえて“何でも屋”になって、地域の実態を知ることに注力しました。
そのなかで、まず必要なのは“モノ”や“カネ”よりも、“ヒト”だと感じ、
2年目からは、布施の関係人口の創出をメインに活動を行うことに。

なにもかもが新鮮で、まるで長い旅をしていたかのような1年目。今は、同じ景色を見て“自分の故郷”のように感じられるようになりました。東京生まれのため、“故郷”への憧れを抱いていた頃には想像できなかった心境の変化です。

なにもかもが新鮮で、まるで長い旅をしていたかのような1年目。今は、同じ景色を見て“自分の故郷”のように感じられるようになりました。東京に生まれ、“故郷”への憧れを抱いていた頃には想像できなかった心境の変化です。

事業のなかで、「布施の美しい四季と暮らし」を広めるための素材が必要になり、
島の日常を切りとってもらうべく、写真家さんを招聘。
私が布施でもらったやさしさや、自然のパワーが、
そのままかたちになったような写真の数々に感激し、
これを多くの人に広めなければ……という使命感を強くしてくれました。

地域でなにかあるらしい……! と噂を聞けば参加して、皆さんの会話の中からカケラを拾い集めるように、地域を“知る”ことに費やしました。どこへ行っても温かく受け入れてくださるのでうれしかったです。

地域でなにかあるらしい……! と噂を聞けば参加して、皆さんの会話のなかからカケラを拾い集めるように、地域を“知る”ことに費やしました。どこへ行っても温かく受け入れてくださるのでうれしかったです。

また、人を呼び込むためには“場”も必要だと感じ、
「空き家を活用した場づくり」にも挑戦中です。
そして、地域おこし協力隊の最終年度の今年は、布施の「暮らし体験ツアー」も行うことに。

関東圏ではまだ認知度が低い「隠岐の島」を少しでも知ってもらえるようにと、関東でのイベントに参加したり、ときには自分で企画も行いました。

関東圏ではまだ認知度が低い「隠岐の島」を少しでも知ってもらえるようにと、関東でのイベントに参加したり、ときには自分で企画も行いました。

知らない土地で、初めてのことばかり。
価値観の違いもあり、おもしろい反面、大変なことも多いですが、
「島での豊かな暮らしを求めている人」と
「若い力を求めている地域」との架け橋になれるよう、挑戦し続けたいです!

* * * * *

具体的な活動内容はこちらでご紹介! ぜひのぞいてみてくださいね。

島暮らしとヨガのできる古民家 Danaの家

暮らし体験ツアー〈しまびとごっこ〉

布施地区の四季、美しい自然、島民の暮らしを綴ったPR動画

布施地区のInstagram

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五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

みんなで野草を食べてみよう!
自然豊かな伊豆、
身近な山で野草を学ぶ

恵まれた環境だからできること

以前から野草に興味があったという津留崎徹花さん。
移住して暮らす下田だったら、身近な山で学べるのでは?
そう考えた徹花さん、友人たちと一緒に
野草を摘んで食べる会を開くことに。
みんなで野草を探し、料理して食べる。
意外にも食べられる野草、けっこうあるんです!

移住を決断する前のトライアル!
田舎暮らしの“二拠点生活”
〈いとしまシェアハウス〉で
始めてみませんか?

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

私たちが住む福岡県糸島市の集落も緑がどんどんと濃くなり、
カエルの鳴き声も、虫の音も、爽やかな初夏を感じさせる季節となりました。

冬の間、茶色い景色をずっと見てきたので(もちろんそれはそれで美しいのですが)、
初夏のこの眩しいほどの緑がうれしくてうれしくて! 
海も透きとおるように青く、これからやってくる夏にワクワクしています。

空を美しく映し出した棚田の散歩、海や川での水遊び、池で冷やしたスイカ割り、
今年はどこまでできるかなあ。

もうすぐこんな棚田の景色が見られます。

もうすぐこんな棚田の景色が見られます。

さて、“移住”はちょっとハードルが高いけれど、
こんな田舎での生活を体験してみたいなあと思っている人に、
我が家からひとつ提案があります。

便利な都心と自然豊かな里山、どちらも楽しめる二拠点生活(デュアルライフ)を
いとしまシェアハウスで始めてみませんか? 

我が家は築80年の古民家で、水道なし、湧き水暮らしという田舎暮らしですが、
福岡市内から電車1本で約50分、空港からも電車で約1時間という好アクセス。

お米の自給率も100%!

お米の自給率も100%!

この〈いとしま二拠点暮らし〉プロジェクトでは、まちと糸島を行き来しながら、
月に好きな日数だけ我が家に滞在してもらい、
田舎の楽しさを感じてもらいながら、
新しい生き方の実験をしてもらいたい、と思っています。

というのも最近、
日本のトップ企業による、終身雇用が難しくなったというニュースが話題になりました。
今までの「安定した働き方」や「堅実な生き方」のロールモデルが崩れていくなか、
仕事や拠点を複数持ちながら、変化する社会を自分らしく生きていこうと
挑戦する人が増えているような気がします。

そういう挑戦を、我が家をスタートにしてもらえたらうれしいなあ、
そのサポートができたらなあ、そんな気持ちもありました。
(まさに、我が家にはそういった暮らしや生き方をする仲間がたくさんいるからです)

さまざまな挑戦を続けるシェアハウスのメンバーたち。

さまざまな挑戦を続けるシェアハウスのメンバーたち。

「動きながら住む」に興味のある 人々のためのイベント 「つくばVAN泊」 SDGs未来都市・つくば市が、 テクノロジーと理想の生活を考える

つくば市の壮大なチャレンジに注目!

最近よく耳にする、「SDGs」をご存知ですか?
SDGsとは、経済・社会・環境の三側面における持続可能な開発のこと。
茨城県つくば市は、2018年に政府に選ばれた、「SDGs未来都市」29都市のひとつで、
SDGsの目標達成に向けて「つくば市未来構想」を策定中です。
そのSDGsの観点もあり、
新しいライフスタイルとしての「バンライフ(#vanlife)」が年々注目を集めています。

Instagram上で約400万件がタグ付けされている、
注目のキーワード「#vanlife」。
ミニマル世代と呼ばれる若者たちの間では、
都市部の高騰する家賃に対抗する手段として家をもたない“アドレスホッパー”が増加中。
場所に捉われることなく生活を送るということが
当たり前になる日もそう遠くはないはずです。

場所に捉われない生き方「バンライフ」がSNSで話題。必要な機能をシェアでまかなえる時代になってきたというのも後押しになっています。

場所に捉われない生き方「バンライフ」がSNSで話題。必要な機能をシェアでまかなえる時代になってきたというのも後押しになっています。

そんな実証実験のような生活を送るバンライファーたちとともに
未来の暮らしを考えるイベントを発案しました。それが「つくばVAN泊」。
春分の日である3月21日(祝・木)と22日(金)の2日間にわたり、
茨城県つくば市中央公園に隣接する広場
「SEKISHO INNOVATION PARK(仮称)」にて、
つくば市の主催で開催されました。

「つくばVAN泊」の様子。

「つくばVAN泊」の様子。

昔話のような光景をつないでいく。
小豆島「肥土山農村歌舞伎」

地元の人たちでつくりあげる農村歌舞伎

長い長い5月の連休が終わりました。
小豆島は瀬戸内国際芸術祭の春会期開催中ということもあり、
この10連休は島内を走る路線バスは満員、ホテルも満室、
観光スポットには人がいっぱい、渋滞が起こったりと、それはそれは賑やかでした。

小豆島の肥土山(ひとやま)で暮らす私たちにとって
ゴールデンウィークといえば、そうです! 「肥土山農村歌舞伎」です。
毎年5月3日に行われる伝統行事で、江戸時代から300年以上も続いています。
令和元年となった今年の5月3日にも無事に歌舞伎が奉納されました。

毎年5月3日は新緑がとても美しい。

毎年5月3日は新緑がとても美しい。

農村歌舞伎というのは、その字のとおり農村で行われる歌舞伎。
その年の豊作を祈願し、神社にある舞台で、そこで暮らす人々が歌舞伎を奉納します。
役者はもちろん、化粧や衣装、大道具、小道具の準備、
それから諸々の段取りなどもすべて地元の人が行います。
まさに地域の、地域による、地域のための歌舞伎です。

練習のときに舞台を開いて大道具を設置するのもひと苦労。

練習のときに舞台を開いて大道具を設置するのもひと苦労。

お世話になる地域の人たちに「お願いします」「ありがとうございました」と挨拶する子どもたち。

お世話になる地域の人たちに「お願いします」「ありがとうございました」と挨拶する子どもたち。

肥土山農村歌舞伎は、肥土山自治会が主催していています。
自治会の中には6つの組があって、年ごとに順番に歌舞伎の担当をします
(全体の段取りやお弁当の準備などとても大変な仕事です)。

化粧をしてくれるのは、近所のお姉さん。

化粧をしてくれるのは、近所のお姉さん。

舞台に立つ役者を支えてくれる人たちがたくさんいます。

舞台に立つ役者を支えてくれる人たちがたくさんいます。

今年も役者として出演したたくちゃん(夫)のかつらを調整してくれるのは、近所の友だち。

今年も役者として出演したたくちゃん(夫)のかつらを調整してくれるのは、近所の友だち。

私たちが小豆島に引っ越してきて、最初に歌舞伎に関わらさせてもらったのが2013年、
下組(しもぐみ)が担当の組でした。それから、場中組(ばなかぐみ)、
向組(むかいぐみ)、岡組、東組、石原組とまわって、今年はまた下組。
6年経って、歌舞伎の担当組が一周まわった。

きっと外の人からみたら、担当組がどの組であろうと
何も違いを感じないと思いますが、組ごとに十八番(おはこ)の演目があったり、
少しずつ段取りの仕方が違ったり、中心に立つ人も変わったりして、
ここで暮らす人としてはだいぶ違います。
一周まわって、あの初めて歌舞伎に参加したときの感じをなんとなく思い出しました。

6年前、当時5歳だったいろは(娘)。ひとつ年下の子と一緒に歌舞伎の演目の間に舞をしました。

6年前、当時5歳だったいろは(娘)。ひとつ年下の子と一緒に歌舞伎の演目の間に舞をしました。

6年ぶりに共演したふたり。今年は子ども歌舞伎に出演。

6年ぶりに共演したふたり。今年は子ども歌舞伎に出演。

ユネスコ認定世界ジオパークの
伊豆半島。地元住人が教える
下田の「ジオサイト巡り」

身近に「地球」を感じる暮らし

2018年に、日本では9つ目となる
ユネスコ世界ジオパークに認定された伊豆半島。
下田に移住した津留崎さんは、身近な暮らしのなかで
地球のダイナミックさが感じられるといいます。
今回は観光スポットとしても人気を集める伊豆のジオサイトを、
地元目線でご紹介します。

心穏やかに“ゆるゆる”できる場所。
〈廃材エコヴィレッジ〉を訪ねて

絵描きから万華鏡作家、そして廃材エコヴィレッジへ

神奈川県の藤野は、いつか訪ねてみたいと思っていた場所だった。
東京駅からJR中央本線で1時間半。
わたしの住む北海道からはかなり遠いが、芸術家が多数住み、
市民発電所〈藤野電力〉や地域通貨を推し進める〈トランジション藤野〉をはじめ、
持続可能な社会や暮らしをデザインする〈パーマカルチャーセンタージャパン〉といった、
ローカルならではのコミュニティづくりを目指す活動で知られている地域だ。

相模原市に位置する藤野地区。四方を山々に囲まれ豊かな川と湖があるエリア。

相模原市に位置する藤野地区。四方を山々に囲まれ豊かな川と湖があるエリア。

これらさまざまな取り組みのなかで、私が以前から注目していたのが
〈廃材エコヴィレッジゆるゆる〉だ。
その理由のひとつは、北海道にエコビレッジをつくりたいと
これまでさまざまなコミュニティを連載で紹介してきたが、
この場所は飛び抜けて個性的に感じられ、一度この目で見たいと思っていたからだった。

また、この場所の村長であり、万華鏡作家でもある傍嶋飛龍さんが、
実は高校でお世話になった恩師の息子さんというつながりも
興味を抱くきっかけとなっていた。

4月19日、仕事の関係で上京したタイミングに合わせて、
ついに廃材エコヴィレッジを訪ねることができた。
藤野駅から車で15分ほど。くねくねと曲がる山道を奥へと進んでいくと、
たった11軒の集落・綱子地区があり、そこに廃材エコヴィレッジはあった。

傍嶋飛龍さんは1976年生まれ。24歳で千葉から藤野に移住。現在は綱子地区で暮らしている。

傍嶋飛龍さんは1976年生まれ。24歳で千葉から藤野に移住。現在は綱子地区で暮らしている。

翌日に控えた「タイコマツリ」というイベントの準備で忙しい日ではあったが、
傍嶋さんは椅子に座ってゆったりとした様子でインタビューに応えてくれた。
このエコヴィレッジをつくるずっと以前(20年以上前?)に、
私は傍嶋さんが描いた絵を見たこともあって、
今回は、幼い頃から現在までの道のりをまずは聞いてみたいと思っていた。

「小学2年生くらいまで、席に座っていられない、落ち着きのない子で、
絵ばっかり描いていました」

傍嶋さんの絵画。おもちゃ箱をひっくり返したようにさまざまなモチーフが描かれているが、同時に色彩が心地よいリズムをつくり出している。

傍嶋さんの絵画。おもちゃ箱をひっくり返したようにさまざまなモチーフが描かれているが、同時に色彩が心地よいリズムをつくり出している。

学校では勉強についていけなかったが、父からは
「得意なことがひとつあれば生きていける」と教えられたという。

やがて美術大学に進学。大学院在学中に制作した絵画が、
第1回池田満寿夫芸術賞展で大賞を受賞するなど評価を受けた。
卒業後に千葉から藤野に移住し、仕事をしながら制作活動を続けていたが、
2009年に絵描きを辞める決意したという。

「万華鏡づくりも始めていましたし、なんでもありの音楽活動もしていて。
得意だった絵にこだわるんじゃなくて、
もっと自由な気持ちになりたいと思いました。人生がアートだと」

傍嶋さんの万華鏡。陶器やガラスなどさまざまな素材で制作されている。(写真提供:傍嶋飛龍)

傍嶋さんの万華鏡。陶器やガラスなどさまざまな素材で制作されている。(写真提供:傍嶋飛龍)

太陽光パネルで
目指せ、エネルギー100%自給!
〈いとしまシェアハウス〉の
オフグリッド計画・その1

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

エネルギーの自給を目指す我が家では、
シェアメイトひとりにつき1枚、モバイルソーラーチャージャーを配布し、
そのエネルギーでスマートフォンを充電する取り組みを行っています。
※過去記事はこちらから。

そして今回、ついに家で使うすべてのエネルギー自給100%を目指し、
太陽光発電システムを導入することになりました! きゃー! 

足場をつくり、その上で作業します。

足場をつくり、その上で作業します。

今回はその第一歩として、駐車場の屋根を葺き替え、
そこに18枚の太陽光パネルを設置することになりました。

この太陽光パネルは1枚で275ワット発電するので、
18枚で約5キロワットの発電量になります。
これは、標準的な家庭の電気消費量を十分まかなえる電気量だそうです。

今まで私たちが持っていた大きめの設置型太陽光パネルが50ワットなので、それの約99倍。
いつも使っているスマホ充電用の
折りたたみ式太陽光発電機が20ワットと考えると、約247倍。
すごいパワーです! 

屋根の葺き替えは、大工インレジデンスのメンバーとして我が家に住んでいる、プロの大工ふみよくんがあっという間にやってくれました。

屋根の葺き替えは、大工インレジデンスのメンバーとして我が家に住んでいる、プロの大工ふみよくんがあっという間にやってくれました。

まずは、強風でトタンが吹き飛ばされ、穴だらけになった駐車場の屋根を葺き替えます。
1枚10キロある太陽光パネルは、18枚で合計180キロ。
屋根材は、この重さに耐えられるものをセレクトしました。

すっかり屋根の準備ができたら、さっそく太陽光パネルを設置していきます。

すっかり屋根の準備ができたら、さっそく太陽光パネルを設置していきます。

子育て世代を応援する
暮らしづくり複合施設
〈みちくさくらす〉が新宿にオープン

2019年2月1日、奥神楽坂と呼ばれるエリアに、
子どもの笑い声が漏れる、かわいらしい空間が誕生しました。

その空間の名前は〈みちくさくらす〉。

〈みちくさくらす〉外観

「共働き家庭の小学生が安心して過ごせる空間を」
との想いから生まれたこの場所は、2階は子どもの教室、
1階は飲食店として営業できるシェアキッチンになっています。

両フロアとも、レンタルスペースとしての利用も可能。
夏休み頃の始動を目指し、子ども向け講座や教室の準備もしているそう。
現在は土曜をカフェ、日曜はお弁当屋さんとしても営業中です。

この場所をつくったのは、
現在、0歳と3歳の姉妹を子育て中の、並木義和さん・優さん夫婦。
ふたりが情報収集に動き出したのは昨年(2018年)1月。
義和さんは平日、会社に勤めながら、優さんは次女を身ごもりながら、
約1年という短い期間で完成までこぎ着けました。

並木ご一家

時間や体力が十分でない状況のなか、どのように
〈みちくさくらす〉オープンまでの道のりを歩んだのか、また、
「もともとこの地域にほとんど知り合いがいなかった」と振り返るおふたりは、
どのようにして地域との関わりをつくっていったのか、お話をうかがいました。

放課後に子どもが集まる場所を

1階のシェアキッチン

自分のお店を持ちたい人が誰でも利用できる、1階のシェアキッチン。

「放課後に子どもが集まる“場”を、私たちでつくってみない?」

優さんがそんな提案を義和さんに持ちかけたのは、2017年の年末のこと。
きっかけは、その年の頭に行った、世田谷区から新宿区への引っ越しでした。

「世田谷区には、子どもを連れて遊びに行けるお店や場所がたくさんあり、
とても暮らしやすかったんです。でも新宿区には、公共の施設以外、
そういった場所がほとんどありませんでした。
オフィスが多いまちなので仕方ないんですけどね」(優さん)

並木優さん

こうした施設の少なさは、いずれ小学生になる娘さんの
「放課後の過ごし方」を考えたとき、不安の種となりました。
並木さん夫婦は共働きで、祖父母も遠方に住んでいるため、
公立の学童クラブか民間の教室、塾などに通わせることになりますが、
前者は狭いスペースに定員以上の人数がひしめき合うような状態、
後者は高額な費用がかかり自由度が低いなど、子どもにとって
いい環境ではなさそうでした。

こうした声を、ほかの共働き家庭の小学生ママさんたちからも聞くようになり、
優さんのなかで「自分たちがその場所をつくれないだろうか」との思いが
日に日に増していったそう。

ディスプレイされた花

「おそらく、原風景には、私の実家で祖母と母がやっていた
学習塾の光景があったように思います。
離れの建物に、ピアノと黒板、子どもの学習机が置いてあって、
そこに子どもが集まってきて祖母がおやつを出すんです。
物心つかないころから、その空間でよく遊んでいたので、
『子どもが集まる場を自分たちでつくる』アイデアは、
とても自然に生まれました」(優さん)

1階のテーブル席で寛ぐ並木さん一家

もともとふたりとも建築の仕事に携わっており、「いつか自分たちで場をつくりたいね」
と話していたため、義和さんはすんなりと優さんの提案を受け入れたそう。

「僕の実家は転勤が多かったので、もともと、人が集まる場に漠然とした
憧れがありました。妻の実家で、塾だったスペースを見せてもらったときにも
『すてきだな』と思っていたので、彼女の提案にすぐに同意しました」(義和さん)

〈地域おこし協力隊〉の
皆さんに質問!
どんなキッカケで入隊したの?

今月のテーマ 「こんなキッカケで、地域おこし協力隊になりました」

高齢化、人口減少が進む日本各地で、
意欲的に地域協力活動を行う都市住民を受け入れ、
彼らのニーズに応えながら、地域力の維持や強化に協力してもらう――
そんな目的をもって2009年に制度化された、〈地域おこし協力隊〉。

総務省によれば、2018年は5359人もの隊員が全国の自治体に所属し、
地域を盛り上げるべく活動しているようです。

「協力隊に興味はあるけれど、どんなキッカケで入隊するんだろう……?」
と、なかなか一歩踏み出せずにいる方も意外と多いのでは? 

そこで今回は、実際に地域おこし協力隊の皆さんから、
協力隊を志すことになったキッカケを教えてもらいました。

【岩手県一関市】 初めて、地元の将来が明るく見えたワークショップ

地元の「一関」にも、おもしろい人がいる。
自分も何か一緒にできることがあるのでは? 
そう思ったのが、地域おこし協力隊になったキッカケでした。

それまでは被災した沿岸地域のボランティアや、それに携わる業務をしていました。
ふと思ったのが、沿岸地域は深刻な状況ではあるものの、
さまざまな支援があり、復興を目指す気運で地域に活気があるけれど、
高校を出るまで暮らしていた一関には、こんな活気はない。

地元の一ノ関駅前の商店街。

地元の一ノ関駅前の商店街。

そのときは、そう思い込んでいました。
ですが、一関で行われた、“地域おこし”がテーマのワークショップに
たまたま参加したところ、
地元で活躍されている社長や、同じ志を持つ同世代の人と出会いました。

“地域おこし”がテーマのワークショップにて。

彼らと話していると、地元を悲観するということはまったくなく、
「こうしたらおもしろそう!」というアイデアが次々と出てきて、
ワクワクしたのを覚えています。

このとき初めて、地元の将来が明るく見えた気がしました。
その後、自分の働き方について考えるタイミングがあり、
私は一関の協力隊に飛び込みました。

ワークショップで出会った方とは、今でもさまざまな場面でご一緒させてもらっています。

ワークショップで出会った方とは、今でもさまざまな場面でご一緒させてもらっています。

協力隊になって3年。
ワークショップで出会った仲間、そして、協力隊になってから出会った仲間とともに、
あの日語り合った明るい一関の未来を目指し、一歩一歩活動を続けています。

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櫻井陽 さくらい・よう

岩手県一関市出身。2016年よりUターンで一関市の地域おこし協力隊に着任し、農業分野の地域団体の活動支援を行う。好きな食べ物はカレー。趣味の硬式テニスをやらないと病にかかる体質。2017年より一関で楽しく暮らしたい20代のための地域団体〈TAKU。(たくまる)〉を発足し、各々がまちを楽しむためのさまざまな企画を実施する。

【島根県隠岐の島町】 地方に暮らす人々の、生きる強さと、真のやさしさを感じて

私の場合は、地域おこし協力隊のネガティブな噂を聞いたり、
おかたいイメージの行政に所属することへの抵抗感があったりして、
正直なところ、まさか自分が協力隊になるとは思ってもみませんでした。

一度訪れてから、ずっと心に残り続けていた御神木「乳房杉」のある集落に住めることに。勝手に乳房杉が私を呼んでくれたような気持ちになりました。

一度訪れてから、ずっと心に残り続けていた御神木「乳房杉」のある集落に住めることに。勝手に乳房杉が私を呼んでくれたような気持ちになりました。

大学卒業後はOLをしていましたが、東京での生き方への違和感を払拭できず、
自分なりの答えを見つけたくて各地を旅していました。

衣食住にまつわることを自分たちで何とかするような地方の暮らし方に触れるたび、
人々の生きる強さと、真のやさしさを感じて、衝撃が走ったのを覚えています。

そのうちに、私には自然のなかで暮らすことが合っていると確信し、
漠然と憧れていた島への移住を決意。
暮らすならここ! と思ったのが隠岐の島町でした。

当時持っていた理想の移住先のイメージは、「四季を感じられる」「山や田畑などの日本の原風景がある」「伝統文化が残っている」「田舎すぎず都会すぎず」そんな島でした。

当時持っていた理想の移住先のイメージは、「四季を感じられる」「山や田畑などの日本の原風景がある」「伝統文化が残っている」「田舎すぎず都会すぎず」そんな島でした。

移住するにあたって、仕事と家も希望に近づけたいと考えていたところ、
仲よくなった協力隊の友人に、次年度の募集があることを教えてもらいました。
自分の願望と募集条件がぴたっと重なり、
「これは私のための仕事だ!」と直感的に感じ、応募。
こんなふうにして、流れ着いた先が協力隊でした。

結局、1番大切なのは人とのご縁。「この人と一緒に働きたい!」と思う担当者さんに出会えたことが決め手に。地域からの信頼も厚い方だからこそ、私もすっと溶け込めたのだと思います。

結局、一番大切なのは人とのご縁。「この人と一緒に働きたい!」と思う担当者さんに出会えたことが決め手に。地域からの信頼も厚い方だからこそ、私もすっと溶け込めたのだと思います。

理想のライフスタイルを目指しながら活動させていただけることになり、
「ご縁の国しまね」でのご縁を信じてよかったと思っています。

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五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

下田の干物がトートバッグに。
〈Himono bag〉の販売で生まれた、
新たなつながり。

干物愛あふれるトートバッグ

伊豆下田に移住してから、干物のおいしさに開眼した
カメラマンの津留崎徹花さん。
干物を撮影するうちに、バッグにしたらかわいいかも? と思いつき
ついに、自分でつくってしまいました。
それほどおいしい干物屋さんとの出会いや
〈Himono bag〉が生まれるまでのストーリーです。

まちの空気を変えた
カレー屋さん〈ばぐぅす屋〉。
美流渡に20年ぶりに新店舗がオープン

バックパックひとつ抱えて、住み始めた北海道

わたしが引っ越してきた岩見沢市の山間の美流渡(みると)は、過疎化が進む地域だ。
人口はわずかに400人。小さなスーパーも1年ほど前に閉店し、
残る商店も数えるほどとなっている。

そんなこの地区で、昨年なんと20年ぶりに新店舗がオープンした。
スープカレーとスパイスカレーのお店〈ばぐぅす屋〉だ。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

お店が始まってからというもの、わが家は毎週のように通っており、
この連載で早く紹介したいと思いつつ、ずいぶん時間が過ぎてしまった。

お店を切り盛りするのは、山岸槙(こずえ)さん。
接客から調理までほとんどひとりでこなし、3人の子どもを抱えるお母さんでもある。
きっと忙しい毎日を送っているんじゃないかと思って、
取材をずっとためらっていたのだった。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

昨年12月、雪が降る季節を迎えてばぐぅす屋は冬期休業に入った。
それから約5か月、北海道にもようやく春の兆しが感じられるようになった4月中旬、
2年目のスタートを切ることになり、このタイミングで
山岸さんにじっくりと話を聞く機会をつくってもらうことにした。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

山岸さんは大阪府出身。夫の実家である北海道岩見沢市に移住をしたのは25歳の頃。
きっかけは高校3年生のときに十勝の陸別町にある牧場で、
酪農体験をしながら1か月過ごしたことだ。初めての体験が数多くあり、
いつか北海道に住んでみたいと思うようになったという。

「一番感激したのは、道路に寝転んだこと。
ずっと都会で暮らしていたので、こんなことできるんだって(笑)」

高校卒業後はブティックで働きつつも、自分の進むべき道が見出せず
思い悩む日々を送っていたという。
このとき仕事とともにバンド活動もしており、
ある楽器に出会ったことが人生の歯車を動かすきっかけとなった。

「オーストラリアのアボリジニの楽器“ディジュリドゥ”の音に惹かれて。
自然を思わせるような音色で北海道を思い出しました」

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

このとき山岸さんは23歳だった。
「自分に何かきっかけを与えないと変わることはできないのではないか」と考え、
北海道で暮らそうと決意。荷物はバックパックひとつとディジュリドゥだけ。
以前に酪農を体験した牧場にひとまず身を寄せ、
そこから世界はだんだんに広がっていった。

数か月後に北見へ拠点を移し、働きながら夜はクラブでライブ活動を行った。
やがて、本場でディジュリドゥを学びたいという気持ちが募り、
1年ほどお金を貯めてオーストラリアへ旅立った。
3か月の滞在で、楽器の勉強とともに、さまざまな地域を訪ね、
ときには現地で知り合った友人が持つ山で2週間、
テント暮らしをしたこともあったという。

「本当に濃い時間を過ごしました」

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。

プロの大工直伝!
初心者でもつくれる
簡単DIY術、教えます

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

いきなりですが皆さん、ホームセンターには
DIY初心者にうれしい便利なサービスがあるって知っていますか? 
例えば、

・購入した木材を希望の大きさにカットしてもらえる:

1カット10円~50円程度(無料のところもあり)

・インパクトドライバーや丸ノコなど、工具の貸し出しをしてくれる:

2泊3日200円~500円程度

どちらも有料ではありますが、
工具を持っていないけれどDIYを楽しみたい! という方や、
初心者でカットが苦手、という方には魅力的なサービスではないでしょうか。
そのときのためだけに工具を揃えなくていいのも、経済的でうれしいところ。

今回はこのサービスを活用しながら、手軽にできるDIYを紹介します。

セカンドシーズン!大工インレジデンス

DIYを教えてくれるのは、いとしまシェアハウスで行う
大工技術と暮らしの物々交換プロジェクト〈大工インレジデンス〉に参加する
ユニークな大工たち。
大工インレジデンスについてはこちらの記事をどうぞ! 

初心者編、中級者編とあるので、お楽しみに! 

講師プロフィール

プロの大工、ふみよ。

【ふみよ】
リフォーム大工を5年経験したプロの大工。
足場づくり、屋根の葺き替え、雨漏り修理、ウッドデッキづくり、なんでも来い。
とにかく施工のスピードが速く、みんなから頼りにされている実力者。
ただし普段はゆるキャラ。

KiKi 千住東の家を運営する、ちーぼー。

【ちーぼー】
美大で4年間みっちりとプロダクトデザインを学び、
今は仕事でDIYなどのワークショップに携わる。
パートナーと東京の築90年の平屋を7か月かけて改修。
自宅兼イベントスペース〈KiKi 千住東の家〉を運営。
写真撮影&廃材でかっこいいものをつくるのが得意。

〈HOMEMAKERS〉7年目。
4月の畑は賑やかで大忙し!

新規就農して7年目、農業で生計を立てる

今年もまた春がやってきました。
日に日に畑や山の新緑パワーが増してます。
あー、まぶしい黄緑!

春の畑はトウ立ちして花を咲かせたアブラナ科の野菜たちで花畑のよう。

春の畑はトウ立ちして花を咲かせたアブラナ科の野菜たちで花畑のよう。

私たち家族は2012年秋に小豆島に引っ越してきて、
2013年の春から本格的に農業を始めました。
気づけば、7年目! びっくりです。

なんとなく5年というのがひとつの節目でした。
5年経っても、ちゃんと野菜を育てることができていなかったら、
生計を立てられていなかったらやばいのかなぁと。
その5年というのは、私たちが新規就農したときから受けていた
青年就農給付金(今は農業次世代人材投資資金に名前が変わっています)が終わり、
助成金なしで自分たちの収入だけで生きていかなければならなくなるタイミング。

とりあえずその節目を過ぎて、変わらずいまも農業しています。
ということで、なんとか生計としては成り立つようになりました。

玉ねぎ畑。今年は玉ねぎが豊作!

玉ねぎ畑。今年は玉ねぎが豊作!

新玉ねぎ〜。ここまで大きく育てられたのは今年が初めて。

新玉ねぎ〜。ここまで大きく育てられたのは今年が初めて。

4月は私たちにとって1年で一番大変な時期です。
メインで育てている生姜の植えつけ作業はあるし、そのほかの夏野菜の準備もあるし。
とにかく冬野菜の片づけと新たな植えつけ作業が続きます。

生姜の植えつけ作業。

生姜の植えつけ作業。

畑作業だけじゃなくて、毎年5月3日に開催される地元の伝統行事
「肥土山(ひとやま)農村歌舞伎」の稽古も毎晩のようにあり、
畑仕事が終わって、急いで夜ごはん食べて、歌舞伎の稽古。ふぅ。

高知の生姜農家さんから分けてもらった種生姜。

高知の生姜農家さんから分けてもらった種生姜。

ひとつずつ生姜の向きを確認して植えていきます。

ひとつずつ生姜の向きを確認して植えていきます。

そんなやること満載の畑のことを知っていたかのように、
先週はいろんな地域から友人や知り合いが手伝いに来てくれました。
普段は3〜4人で畑作業をしていますが、このときは10人くらいで作業。
冬野菜を片づけたり、生姜を植えたり、収穫・出荷を手伝ってもらったり、
常にバタバタしていて大変でしたが、賑やかな1週間でした。

冬野菜の片づけ。みんなのおかげであっという間に終わりました。

冬野菜の片づけ。みんなのおかげであっという間に終わりました。

私の地元、岡崎(愛知)から手伝いに来てくれた〈檸檬〉のふたりとたくちゃん(夫)。すてきなスケッチを残していってくれました。

私の地元、岡崎市(愛知県)を中心に活動しているユニット〈檸檬〉のふたりとたくちゃん(夫)。すてきなスケッチを残していってくれました。

〈くまもとアートポリス〉で
生まれ変わる、南阿蘇鉄道・高森駅

新しく生まれ変わる、南阿蘇鉄道の駅

熊本県では1988年から〈くまもとアートポリス〉事業という
取り組みが行われています。
くまもとアートポリスとは熊本県の豊かな自然や歴史、風土を生かしながら
後世に残る文化的資産として優れた建築物をつくり、
人々の都市文化、建築文化への関心を高め、
地域の活性化や熊本独自の豊かな生活空間を創造することを目的とした取り組みです。

このプロジェクト事業により、現在まで県内各地に
100軒以上の建築物がつくられています。
そして、その事業を活用して南阿蘇鉄道の始発・終着駅である
高森駅が新しく生まれ変わるべく、
昨年からくまもとアートポリス事業が進められてきました。

南阿蘇鉄道の駅舎を借りて営業する〈ひなた文庫〉にとっても
この取り組みは今後の営業にも大いに関わること。
沿線地域や村の活性化につながる事業でもあり、関心を寄せています。

そしてこのたび、ついに高森駅のグランドデザインの公表会が行われました。
設計者の発表と説明が行われる第1部と、これから変わる高森駅を想像しながら
実際に南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗ってみる第2部の2部構成で行われました。
私はひなた文庫の営業を終えてから第2部のみ参加しましたが、
とても心に残る体験でしたので、そのことを今回はお話しようと思います。

そもそもくまもとアートポリスとはどんな事業かというと、
建築物や景観整備、パブリックアートの分野などで生活に関わる施設を対象に
県や市町村、民間が参加し、環境デザインの質の向上を図り、
地域の活性化や後世に残る文化的資産をつくることを目指した事業です。

この事業の特徴は、実施にあたってコミッショナー制度が取り入れられていること。
コミッショナーが国内外から適性を判断して建築家を推薦したり、
設計競技を実施してそのプロジェクトに最適な設計者を選びます。

初代コミッショナーは磯崎新さんが務められ、
現在は伊東豊雄さんが第3代目に就任されており、
これまで世界的にも有名な建築家の方々が
コミッショナーとして設計者を選定しています。

今回対象となる高森駅は南阿蘇鉄道唯一の有人駅で、
南阿蘇鉄道の本社もこの駅に置かれています。
運転士の皆さんも高森駅に常駐されており、
駅の中では記念切符やお土産を買うことができます。

高森駅では名産品や復興応援グッズも販売されています。

高森駅では名産品や復興応援グッズも販売されています。

しかし現在、3年前に起きた熊本地震の影響で
南阿蘇鉄道は高森駅と中松駅間での部分運転となっています。

そこで第三セクターの南阿蘇鉄道へ出資する高森町が主体となり、
4年後と言われる全線復旧に向けて沿線地域の創造的復興の一環として、
くまもとアートポリスを利用して高森駅周辺を対象に
「定住」「観光」「防災」の3つのキーワードで
グランドデザインを募集することになりました。

〈アルテピアッツァ美唄〉の
「こころを彫る授業」で感じた
やすらぎと安心感

“答え”のない授業に取り組んで

わたしの住んでいる岩見沢市からもっとも近い美術館は、
美唄市にある〈安田侃(かん)彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄〉。
東京から移住して、ちょっぴり残念に思うことは、美術館や企画展の数が少ないこと。
アートとデザインが専門の編集者としては、東京にいたときのように、
いろいろな作品を見ておきたいと感じることもあるが、
そんなわたしの心をスッと落ち着かせてくれるのがアルテピアッツァ美唄という場所だ。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

展示スペースとして利用されているのは、
1981年に閉校となった栄小学校の校舎と体育館。
そして、建物の周囲に広がる野外スペースには、
山や木々をバックに彫刻作品が立ち並んでいる。

アルテとはイタリア語で芸術。ピアッツァとは広場。
大理石の産地として知られるイタリアのピエトラサンタで制作を続ける
彫刻家・安田侃さんが、生まれ故郷である美唄市に
1992年にオープンさせたスペースだ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

彫刻とともにある四季折々の景色は本当に美しく、幾度もこの場所を訪ねてきたが、
3月30日に行われた講座「小学生のためのこころを彫る授業」に
息子を参加させたことで、安田さんの彫刻に対して、
また新しい面が見えてくるような機会となった。

この「こころを彫る授業」は2007年からスタートしたもので、
毎月第1土曜・日曜に主に大人を対象に開催されており、
2012年からは今回のような小学生のための授業も開かれている。

講座を担当する美術館スタッフの影山宏明さんによると、
「小学生のためのこころを彫る授業」が始まったきっかけは、
「たくさんの子どもたちに、心と体で彫刻に接して、
1日を通してアルテピアッツァ美唄の魅力や楽しみ方を知ってもらおう」
と考えたことだという。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

この日集まった小学生は、2年生から6年生まで15名。

「今日は石を彫って、目に見えない心を表現してください」
まず、影山さんは子どもたちにそう語りかけ、制作が始まった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

「こころを彫る」とはいったい何か。
大人であれば、手が止まってしまう“難問”のように感じてしまうが、
子どもたちは躊躇せずに、いっせいに石を彫り始めた。
いままで体験したことのない大理石という素材や道具を使えるということに
夢中になっているかのようだった。

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた。

石は丸みを帯びていてハンマーでノミをたたいて削ろうとすると、
すべって転がってしまうことがあったり、
ヤスリで削ろうとしても、表面はかたくてなかなか平にならなかったり。

「道具の使い方に慣れてくると、形を変えたりできるようになります。
辛抱強くやっているとスベスベにしたりもできます。
だんだん形が見えてきて、きっとワクワクしてくるはずです」

思うようにいかない子どもたちに、影山さんはやさしく語りかけていた。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。

環境にやさしい“洗剤なし”生活!
シャンプー、洗顔、
どうしてる?

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

桜が咲き始めると、新しい季節になんだかワクワクしませんか。

いとしまシェアハウスの集落には
海が見下ろせる絶景のお花見スポットがあるのですが、
菜の花と桜が同時に咲いて、まるで桃源郷のようになります。
圧倒的な美しさ! 

花見シーズンの糸島には、トタン屋根を吹き飛ばすほどの激しい“春の嵐”がやってきます。葉桜にならない前に、なにかにつけてシェアメイトと花見へ。今年はあと何回、この景色が楽しめるかなあ。

花見シーズンの糸島には、トタン屋根を吹き飛ばすほどの激しい“春の嵐”がやってきます。葉桜にならない前に、なにかにつけてシェアメイトと花見へ。今年はあと何回、この景色が楽しめるかなあ。

さて、前回の記事、たくさんの方に興味を持っていただけたようで、とてもうれしいです。
あのあと、読者の方から「シャンプーやお風呂はどうしているのでしょう?」
という質問をいくつかいただいたので、
今回のテーマは“シャンプー&石鹸を使わない”お風呂事情です! 

シャンプーは「湯シャン」で!
湯シャン歴5年の私が実感したこと

上下水道のない我が家、生活排水は自分たちの畑や田んぼに流れ出るため、
化学的なシャンプーなどが使えません。

そこで私は5年前から、ぬるま湯で髪の毛をやさしく洗う
「お湯シャンプー」略して「湯シャン」をとり入れています。
タモリさんや福山雅治さんも実践されているというこの方法、
ご存知の方も多いのではないでしょうか。

今回は、いとしまシェアハウスの春の日常を写真でご紹介。晴れた日は納屋の漆喰塗りをします!

今回は、いとしまシェアハウスの春の日常を写真でご紹介。晴れた日は納屋の漆喰塗りをします!

私が湯シャンを始めたのは、髪の毛ツヤツヤのシェアメイトに
「湯シャンがいいよ!」とオススメされたことがきっかけでした。

その頃から、

・オーガニックシャンプー&リンスがお高くて、経済的にしんどい

 (しかも結構な頻度で買わないといけない)

・石鹸シャンプーは髪がきしんで苦手

 (実家では石鹸シャンプーで育ちましたが、使い心地が好きじゃなかった)

などなど、洗髪方法の悩みを抱えていたのですが、
シェアメイトの髪がとてもきれいで説得力があった(もちろん臭いもなし)こともあり、
「これは試してみる価値がありそう!」と思ったのです。

ちょうど使っていたシャンプーが少なくなっていたので、
シャンプーの回数を減らし、少しずつお湯だけの洗髪方法に切り替えていきました。

学生合宿で納屋のリノベーション。

学生合宿で納屋のリノベーション。

小豆島の素麺工場を改修した
ギャラリーショップ〈うすけはれ〉

山に囲まれた、すてきな建物を生かしたお店

小豆島にあるほとんどの地区(集落)は海岸線沿いにあって、
集落のどこかから海を眺めることができます。
島暮らしといったらやっぱり海がすぐそばにあって、
家の窓から海が見える! くらいの暮らしを想像しますよね。

そんななかで、私たちが暮らす肥土山(ひとやま)とお隣の中山は、
山に囲まれた海の見えない場所にあります。
小豆島の海とは違う魅力を感じられるエリアで、棚田が広がり、
農村歌舞伎や虫送りという伝統文化がいまも残っています。
今日はその中山にある〈うすけはれ〉というお店のことを書きます。

小豆島の真ん中にある中山地区。4月から田植えが始まります。

小豆島の真ん中にある中山地区。4月から田植えが始まります。

木々に囲まれた静かな場所に〈うすけはれ〉はあります。

木々に囲まれた静かな場所に〈うすけはれ〉はあります。

うすけはれは、中山地区の山の中にあります。
お店の周りは木々に囲まれていて、一度夜に行ったことがあるのですが、
真っ暗すぎてびっくりしました。
お店を運営するのは、うえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。
道代ちゃんが生まれ育った小豆島に帰ってきて、
2017年5月にうすけはれをオープンされました。

年に数回企画展を開催。私が訪れた2019年3月末には「しましましまのてしごと展」を開催中でした。

年に数回企画展を開催。私が訪れた2019年3月末には「しましましまのてしごと展」を開催中でした。

お店を運営するうえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。

お店を運営するうえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。

小豆島では素麺の製造が昔から盛んなのですが、
もともと素麺工場だった建物を改修してお店にしています。
こんなすてきな建物をどうやって見つけたんだろうと聞いたら、
町の運営する空き家バンクでみつけたそうです。

たまたま出会ったその建物。立地的にお客さんが来てくれるかどうかよりも、
この建物ならいいお店にできそうだなと思って決めたそう。
素麺工場の横には家があって、ふたりはそこで暮らしています。

お店の名前の由来についてはこんなふうにWebサイトに書いてありました。

暮らし始めてしばらくすると近所の方が様子を見によく顔を見せてくれるようになり、
この場所のことを「うすけ」と呼んでいることを知りました。
「うすけ」とは、昔ここの場所が素麺工場として使われていた時の屋号で
漢字では「宇助」と書きます。
店を構える際、変わらずこの場所を慣れ親しんだ名前で呼んでほしいという思いがあり、
うすけに「けはれ」という言葉を足して「うすけはれ」という屋号にしました。

「けはれ」とは「ハレ=非日常」、「ケ=日常」を足した意味で、
うすけの日常も非日常も楽しんでいただきたいという思いを込めています。

天井に残されている素麺工場のファン。

天井に残されている素麺工場のファン。

下田のまちを灯し続ける
食堂〈Table TOMATO〉と
イベント「風待ちテーブル」のこと

まちの文化を発信するお店のストーリー

伊豆下田に移住して2年が経った津留崎さん。
移住したのとほぼ同時期にオープンしたお店〈Table TOMATO〉は
伊豆の食材を使ったおいしい料理が食べられるだけでなく、
さまざまな人が集まる場になっています。
そのお店を義父から引き継いだ店主の思いとは。
そして、そのTable TOMATOで、新たにイベントもスタートしました。

鳥取・湯梨浜町にある本屋 〈汽水空港〉が リニューアルオープン!

「空港」という名の通り、様々な人が行き交う古書店

鳥取県の湯梨浜町は東郷湖そばの本屋〈汽水空港〉が、
2018年7月に再オープンを果たしました! 
2016年10月の鳥取県中部地震以来しばらく休業していましたが、
セルフビルドで新たにお店を増築。
店内には木材の爽やかな香りがあふれています。

徳永直、森鴎外らの古書

徳永直、森鴎外らの古書も並ぶ。

グラシン紙が巻かれた新刊

古書と区別できるよう、新刊にはグラシン紙が巻かれスタンプが押してある。

〈汽水空港〉は買取を行う古本屋であり、新刊も販売するお店。
新刊は衣食住やものづくり、カウンターカルチャーなど、
生きていく上での視野を広げてくれる本が並びます。

各種リトルプレス

鳥取、島根などのリトルプレスも扱う。

そして〈汽水空港〉の特徴の一つとなっているのがZINEのコーナー! 
表紙がずらりと並ぶディスプレイにわくわく、選ぶのが楽しくなります。

『野崎が行く!』

『野崎が行く!』のシリーズ1〜6。

たとえば旅行ZINE『野崎が行く!』はつい手にとってしまうシュールさ。
新刊書店にはない発見があります。
お店からすぐの古着屋〈朴訥〉店主・笹本佳奈さんの
写真集も置いてあるなど、山陰地方の作品も大充実です。

長野県への移住のきっかけは? 
2拠点暮らしと地域おこし協力隊、
それぞれの信州ライフ

山々に抱かれた豊かな自然、健康長寿を育む食文化、首都圏からのほどよい距離感。
そんな理由から「最も移住したい県」といわれる長野県。

地方暮らしやI・J・Uターンをサポートする
〈ふるさと回帰支援センター〉の移住希望地域ランキングでは、
2017、2018年と2年連続で長野県が1位。
さらに宝島社発行『田舎暮らしの本』(2019年2月号)では、
13年連続、長野県が1位をキープしています。

移住のきっかけは何だったのか、移住先でどんな日々を送っているのか。
長野県のアンテナショップ〈銀座NAGANO〉を経由し、
自分らしい信州暮らしを楽しんでいる移住者を訪ねました。

コワーキングスペース&カフェバー〈hammock〉を運営する
松本大地さんの場合

長野県東北部に位置する東御(とうみ)市の「海野宿(うんのじゅく)」。
新幹線や車での都心へのアクセスも便利で、観光地・軽井沢にもほど近い、
江戸時代初期に中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿駅として栄えた宿場町です。
いまなお伝統的な家並みが保存され、1986年には「日本の道百選」に、
1987年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

そんなまち並みの一角にある古民家を改修し、
2018年にコワーキングスペース兼カフェバー〈hammock〉をオープンした
株式会社〈La Terra〉代表の松本大地さん。
東京でWeb制作会社を経営するなかで、
長野県との2拠点生活を考えるようになりました。

「一番の理由は雇用ですね。
IT業界のベンチャー企業はなかなか人材が定着しづらいので、
会社として何かおもしろくて魅力的な取り組みが必要だと考えていました。
それに、人材の奪い合いが激しい東京よりも、
地方のほうが定着率がよいのではないかとも思いました」

そこで、大好きなスノーボードができて、妻の祖父母も暮らす
長野県にサテライトオフィスを設けようと考え、利用したのが
「おためしナガノ」という長野県の制度。

ITを活用した事業を行いたい人が最大約6か月間“おためし”で
長野県に住みながら仕事をする機会を得られるもので、
銀座NAGANOでの説明会に参加し、1年間考えた結果、応募を決めました。

「『おもしろそうだから長野県に行ってみよう』という熱が1年間冷めず、
頭の中のイメージがよりリアルになりましたし、
やはり行政が合同の企業説明会を開いてくれるといったバックアップがあることは、
採用面でも心強く感じました」

おためし期間中は、東御市商工会内の事務所を借りて事業に取り組み、
その縁から海野宿の古民家の紹介を受けることに。
人が集まる場づくりにも興味があったことから、hammockのオープンに至りました。

古民家を改修した〈hammock〉。取材時はちょうど「海野宿ひな祭り」が開催中で、家々の軒先に古いひな壇が飾られていた。

古民家を改修した〈hammock〉。取材時はちょうど「海野宿ひな祭り」が開催中で、家々の軒先に古いひな壇が飾られていた。

「東京から来たIT企業が海野宿に事務所を構えるという
話題づくりの面もありましたが、ここに来るからには
地域に役立つことをすべきという思いが強くありました。
住民も観光客も気軽に立ち寄れ、
お茶やお酒が飲める場所がほしいという声が多かったので、
それならカフェバーがいいかなと。
コワーキングスペースは、自分たちの事業にも役立ちますしね」

観光客がほっとひと息つけるカフェスペース。

観光客がほっとひと息つけるカフェスペース。

オフィススペースでは自社スタッフのほか、コワーキング利用者も。制作スタッフは長野県で採用し、ゼロからWebデザイナーとして教育した4人が勤務している。

オフィススペースでは自社スタッフのほか、コワーキング利用者も。制作スタッフは長野県で採用し、ゼロからWebデザイナーとして教育した4人が勤務している。

2拠点での事業展開は、いろいろな変化をもたらしました。

「長野県で行政関連の仕事ができ、それが実績となって
東京で仕事の幅も広がりました。一番大きな変化は、仕事への姿勢かもしれません。
東京では『大手からの仕事を受注して、人材を多く雇って会社を大きくしたい』
という思いだったのに、長野県に来てからは
『よい人材を得てしっかりと教育し、仲間を増やして長く仕事を続けていきたい』
という感覚が強くなりました」

また2拠点生活は自然と自分を切り替えるスイッチになっていることも、
仕事の拡大につながっているのかもしれません。

「人柄がいいのが一番の長野県の魅力ですね。
環境面でもストレスが少なく、東京よりはるかに仕事がしやすいです。
心にも余裕が生まれて、僕は東京にいるときよりも
話しかけられやすい雰囲気になっていると思いますよ(笑)」

現在は、長野県南部の伊那市で、宿泊もできる
新たなコワーキング施設をつくるプロジェクトも進行中。
長野県内でさらに活動の拠点を広げ、人材育成や社員教育に力を入れていく予定です。

人口14000人の小さなまち、
岡山県和気町に移住者が集まるワケ

移住者が増えている和気町で夢を語る人たち

東京から郷里の岡山県にUターンしたのが2006年のこと。
地方で新しく雑誌を始めたとあって、その後いろいろな人たちと知り合うことになった。

2011年の東北大震災以降は、
都心部から岡山に移住してきた人たちと知り合う機会がやたらと多かったように思う。
ぼくの守備範囲にひっかかってくる人たちなので、
グラフィックデザイナーやカメラマンといった
クリエイターの類が大方だったのだが、しかし、岡山への移住は
そういった一部の人たちの間だけで流行っている現象でもなかった。

移住先としての人気度をはかる調査やアンケートでは、
岡山県はたいてい五本の指に入っているのだという。
よくぞ気づいたなと思う。
十種競技の個々の競技では、どれもやっと3位に入れるかどうかなのに、
総合では常に優勝を争う位置にある、それがぼくの岡山のイメージだ。

つまりは、全般的に印象が薄くて
そのよさにはなかなか気づかないだろうと思っていたわけだ。
実際のところ、岡山というところは実に住みやすい。
地味に、しみじみと住み心地がよいのだ。

岡山で移住の話になると、近頃その町の名前が真っ先に挙がる。
岡山県南東部に位置する和気町である。
町の面積144平方キロメートルは神奈川県の川崎市とほぼ同じ。
ところが人口となると、和気町の約14000人に対して、
川崎市は約151万6000人(ともに2018年10月)。
あまりに差がありすぎて、なんの比較をしているのかさえわからなくなりそうだ。

和気町を車で5分も走れば「それもそのはず」と納得する。
中心部の小盆地を除けば、町の大半が山、川、田畑なのである。
この自然豊かなまちに、過去3年間で約300人が
主に東京や大阪といった都市圏から移り住んでいるという。

300人という数字はとりたてて騒ぐほどではないかもしれない。
しかし、人口の割合からすれば、これが結構な数字に違いないのだ。
なにせ川崎市では3万5000人に相当するのだから。

2016年に東京からこの和気町に移住してきた下鳥夫妻とお会いした。
自宅は和気町が営む、平屋戸建の町営住宅。
リビングは梁がむき出しの造りで、天井が高く、開放感がある。
南側の大きな窓からは春の日が射し込み、室内も明るい。
幼いふたりの子どもたちのはしゃぐ声がこの家のBGMだ。

奥さんの春恵さんがハートの形をしたカップに入った紅茶を出してくれた。
「いい家ですね」と声をかけると、
「ここ、すごく気に入ってるんですよ」と明るい声で言った。

「東京では豊洲のマンションに住んでいたんですけど、
隣や下の階にいつも気を遣っていました。
子どもにはあれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメって。
でも、ここでは子どもは放置状態、誰にも気を遣わなくっていいから楽です」

東京の仲間がいるからこそ
暮らしていける。
北海道に移住してわかる、東京の大切さ

東京に降り立ったタイミングできた、仕事の依頼

3か月ぶりに訪ねた東京は、早咲きの桜が咲いていた。
いつもより余裕をもって、今回の滞在は1週間。
このタイミングで、普段、本づくりの仕事を
一緒にしている仲間を訪ねたいと考え上京した。

新千歳空港から羽田空港へ降り立って、
執筆と編集の依頼がきた会社を訪ねる道すがら、不思議なことが起こった。
携帯電話が鳴ったので何気なく出てみると、
いままで仕事をしたことのない雑誌からの依頼だった。

それから数時間後に、今度は私が東京の出版社に勤めていた頃からお世話になっている
デザイナーさんからの電話があり、ある本の編集をしてくれないかと頼まれた。
どちらも、わたしが東京にいることは知らないはずなのに、
絶妙なタイミングで連絡が入り、ラッキーなことに
滞在中に打ち合わせもできたのだった。

思い返せば、東京から北海道に移住して8年。
最初の4年間は、東京の出版社に籍を置きつつ、
北海道で在宅勤務というかたちで仕事をすることができた。
その後、独立したわけだが、遠方にもかかわらず、
東京の仲間が私に仕事の依頼をずっとし続けてくれていている。

羽田空港からモノレールに乗ると、わたしはつい写真を撮りたくなる。空も建物もみんなグレートーンでおもしろいと感じる。まるで旅行者のような感覚が芽生えている。

羽田空港からモノレールに乗ると、わたしはつい写真を撮りたくなる。空も建物もみんなグレートーンでおもしろいと感じる。まるで旅行者のような感覚が芽生えている。

今回、上京したとたんにかかってきた2件の電話は、
東京の人たちがこうしてつながりをずっと絶やさず持ってくれているからこそ、
北海道で家族5人がつつがなく暮らしているという事実を再認識させてくれた。

この連載では、北海道での暮らしを中心に書いてきたのだが、
実はわたしが毎日多くの時間を費やしているのは、
東京の仲間たちから依頼を受けた仕事。
大都会とのつながりが一家の経済を支えているわけだが、
そのことをいままでキチンと触れていなかったことに気づかされた。
そこで今回は、上京中に会った東京の仲間たちについて書いてみたいと思った。

子どもは3人。上のふたりはお留守番だが、第三子は一緒に上京している。打ち合わせにも同行させているが、1歳半を過ぎて、だんだんやんちゃになってきた。

子どもは3人。上のふたりはお留守番だが、第三子は一緒に上京している。打ち合わせにも同行させているが、1歳半を過ぎて、だんだんやんちゃになってきた。

手軽に始められる“洗剤なし”生活!
食器洗い、洗濯、
どんな方法があるの?

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

山の中腹の集落で暮らす我が家は、
上下水道が通っていないため、普段は湧き水暮らし。
自分たちが出した生活排水がそのまま畑や田んぼに流れ込むため、
化学的な洗剤などが使えない環境にあります。

糸島の菜の花畑。

自分たちが環境に与えた影響がダイレクトに自分たちに返ってくる場所だからこそ、
自分が食べたら嫌なものは外に出さない、というのが我が家のルールです。

生活排水はそのまま自分たちの米を育てる棚田へ。

生活排水はそのまま自分たちの米を育てる棚田へ。

ただ、化学的な洗剤を使わない暮らしについては
「汚れが落ちないんじゃない?」と不安に思う方も多いと思います。
でも、大丈夫。我が家で実践する方法は、

・汚れが落ちて

・お肌にやさしく

・環境にもよく

・さらに経済的!  

・我慢しなくてOK! 

という取り組みばかり。

もちろん、合う、合わないはあるかなと思いますが、
気軽に暮らしに取り入れられるものがあると思うので、気負わず覗いてみてください。
今の暮らしをちょっとだけ変えてみたいな、という方の参考になったらうれしいです。

糸島の海。