子育て世代を応援する
暮らしづくり複合施設
〈みちくさくらす〉が新宿にオープン

2019年2月1日、奥神楽坂と呼ばれるエリアに、
子どもの笑い声が漏れる、かわいらしい空間が誕生しました。

その空間の名前は〈みちくさくらす〉。

〈みちくさくらす〉外観

「共働き家庭の小学生が安心して過ごせる空間を」
との想いから生まれたこの場所は、2階は子どもの教室、
1階は飲食店として営業できるシェアキッチンになっています。

両フロアとも、レンタルスペースとしての利用も可能。
夏休み頃の始動を目指し、子ども向け講座や教室の準備もしているそう。
現在は土曜をカフェ、日曜はお弁当屋さんとしても営業中です。

この場所をつくったのは、
現在、0歳と3歳の姉妹を子育て中の、並木義和さん・優さん夫婦。
ふたりが情報収集に動き出したのは昨年(2018年)1月。
義和さんは平日、会社に勤めながら、優さんは次女を身ごもりながら、
約1年という短い期間で完成までこぎ着けました。

並木ご一家

時間や体力が十分でない状況のなか、どのように
〈みちくさくらす〉オープンまでの道のりを歩んだのか、また、
「もともとこの地域にほとんど知り合いがいなかった」と振り返るおふたりは、
どのようにして地域との関わりをつくっていったのか、お話をうかがいました。

放課後に子どもが集まる場所を

1階のシェアキッチン

自分のお店を持ちたい人が誰でも利用できる、1階のシェアキッチン。

「放課後に子どもが集まる“場”を、私たちでつくってみない?」

優さんがそんな提案を義和さんに持ちかけたのは、2017年の年末のこと。
きっかけは、その年の頭に行った、世田谷区から新宿区への引っ越しでした。

「世田谷区には、子どもを連れて遊びに行けるお店や場所がたくさんあり、
とても暮らしやすかったんです。でも新宿区には、公共の施設以外、
そういった場所がほとんどありませんでした。
オフィスが多いまちなので仕方ないんですけどね」(優さん)

並木優さん

こうした施設の少なさは、いずれ小学生になる娘さんの
「放課後の過ごし方」を考えたとき、不安の種となりました。
並木さん夫婦は共働きで、祖父母も遠方に住んでいるため、
公立の学童クラブか民間の教室、塾などに通わせることになりますが、
前者は狭いスペースに定員以上の人数がひしめき合うような状態、
後者は高額な費用がかかり自由度が低いなど、子どもにとって
いい環境ではなさそうでした。

こうした声を、ほかの共働き家庭の小学生ママさんたちからも聞くようになり、
優さんのなかで「自分たちがその場所をつくれないだろうか」との思いが
日に日に増していったそう。

ディスプレイされた花

「おそらく、原風景には、私の実家で祖母と母がやっていた
学習塾の光景があったように思います。
離れの建物に、ピアノと黒板、子どもの学習机が置いてあって、
そこに子どもが集まってきて祖母がおやつを出すんです。
物心つかないころから、その空間でよく遊んでいたので、
『子どもが集まる場を自分たちでつくる』アイデアは、
とても自然に生まれました」(優さん)

1階のテーブル席で寛ぐ並木さん一家

もともとふたりとも建築の仕事に携わっており、「いつか自分たちで場をつくりたいね」
と話していたため、義和さんはすんなりと優さんの提案を受け入れたそう。

「僕の実家は転勤が多かったので、もともと、人が集まる場に漠然とした
憧れがありました。妻の実家で、塾だったスペースを見せてもらったときにも
『すてきだな』と思っていたので、彼女の提案にすぐに同意しました」(義和さん)

〈地域おこし協力隊〉の
皆さんに質問!
どんなキッカケで入隊したの?

今月のテーマ 「こんなキッカケで、地域おこし協力隊になりました」

高齢化、人口減少が進む日本各地で、
意欲的に地域協力活動を行う都市住民を受け入れ、
彼らのニーズに応えながら、地域力の維持や強化に協力してもらう――
そんな目的をもって2009年に制度化された、〈地域おこし協力隊〉。

総務省によれば、2018年は5359人もの隊員が全国の自治体に所属し、
地域を盛り上げるべく活動しているようです。

「協力隊に興味はあるけれど、どんなキッカケで入隊するんだろう……?」
と、なかなか一歩踏み出せずにいる方も意外と多いのでは? 

そこで今回は、実際に地域おこし協力隊の皆さんから、
協力隊を志すことになったキッカケを教えてもらいました。

【岩手県一関市】 初めて、地元の将来が明るく見えたワークショップ

地元の「一関」にも、おもしろい人がいる。
自分も何か一緒にできることがあるのでは? 
そう思ったのが、地域おこし協力隊になったキッカケでした。

それまでは被災した沿岸地域のボランティアや、それに携わる業務をしていました。
ふと思ったのが、沿岸地域は深刻な状況ではあるものの、
さまざまな支援があり、復興を目指す気運で地域に活気があるけれど、
高校を出るまで暮らしていた一関には、こんな活気はない。

地元の一ノ関駅前の商店街。

地元の一ノ関駅前の商店街。

そのときは、そう思い込んでいました。
ですが、一関で行われた、“地域おこし”がテーマのワークショップに
たまたま参加したところ、
地元で活躍されている社長や、同じ志を持つ同世代の人と出会いました。

“地域おこし”がテーマのワークショップにて。

彼らと話していると、地元を悲観するということはまったくなく、
「こうしたらおもしろそう!」というアイデアが次々と出てきて、
ワクワクしたのを覚えています。

このとき初めて、地元の将来が明るく見えた気がしました。
その後、自分の働き方について考えるタイミングがあり、
私は一関の協力隊に飛び込みました。

ワークショップで出会った方とは、今でもさまざまな場面でご一緒させてもらっています。

ワークショップで出会った方とは、今でもさまざまな場面でご一緒させてもらっています。

協力隊になって3年。
ワークショップで出会った仲間、そして、協力隊になってから出会った仲間とともに、
あの日語り合った明るい一関の未来を目指し、一歩一歩活動を続けています。

photo & text

櫻井陽 さくらい・よう

岩手県一関市出身。2016年よりUターンで一関市の地域おこし協力隊に着任し、農業分野の地域団体の活動支援を行う。好きな食べ物はカレー。趣味の硬式テニスをやらないと病にかかる体質。2017年より一関で楽しく暮らしたい20代のための地域団体〈TAKU。(たくまる)〉を発足し、各々がまちを楽しむためのさまざまな企画を実施する。

【島根県隠岐の島町】 地方に暮らす人々の、生きる強さと、真のやさしさを感じて

私の場合は、地域おこし協力隊のネガティブな噂を聞いたり、
おかたいイメージの行政に所属することへの抵抗感があったりして、
正直なところ、まさか自分が協力隊になるとは思ってもみませんでした。

一度訪れてから、ずっと心に残り続けていた御神木「乳房杉」のある集落に住めることに。勝手に乳房杉が私を呼んでくれたような気持ちになりました。

一度訪れてから、ずっと心に残り続けていた御神木「乳房杉」のある集落に住めることに。勝手に乳房杉が私を呼んでくれたような気持ちになりました。

大学卒業後はOLをしていましたが、東京での生き方への違和感を払拭できず、
自分なりの答えを見つけたくて各地を旅していました。

衣食住にまつわることを自分たちで何とかするような地方の暮らし方に触れるたび、
人々の生きる強さと、真のやさしさを感じて、衝撃が走ったのを覚えています。

そのうちに、私には自然のなかで暮らすことが合っていると確信し、
漠然と憧れていた島への移住を決意。
暮らすならここ! と思ったのが隠岐の島町でした。

当時持っていた理想の移住先のイメージは、「四季を感じられる」「山や田畑などの日本の原風景がある」「伝統文化が残っている」「田舎すぎず都会すぎず」そんな島でした。

当時持っていた理想の移住先のイメージは、「四季を感じられる」「山や田畑などの日本の原風景がある」「伝統文化が残っている」「田舎すぎず都会すぎず」そんな島でした。

移住するにあたって、仕事と家も希望に近づけたいと考えていたところ、
仲よくなった協力隊の友人に、次年度の募集があることを教えてもらいました。
自分の願望と募集条件がぴたっと重なり、
「これは私のための仕事だ!」と直感的に感じ、応募。
こんなふうにして、流れ着いた先が協力隊でした。

結局、1番大切なのは人とのご縁。「この人と一緒に働きたい!」と思う担当者さんに出会えたことが決め手に。地域からの信頼も厚い方だからこそ、私もすっと溶け込めたのだと思います。

結局、一番大切なのは人とのご縁。「この人と一緒に働きたい!」と思う担当者さんに出会えたことが決め手に。地域からの信頼も厚い方だからこそ、私もすっと溶け込めたのだと思います。

理想のライフスタイルを目指しながら活動させていただけることになり、
「ご縁の国しまね」でのご縁を信じてよかったと思っています。

photo & text

五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

下田の干物がトートバッグに。
〈Himono bag〉の販売で生まれた、
新たなつながり。

干物愛あふれるトートバッグ

伊豆下田に移住してから、干物のおいしさに開眼した
カメラマンの津留崎徹花さん。
干物を撮影するうちに、バッグにしたらかわいいかも? と思いつき
ついに、自分でつくってしまいました。
それほどおいしい干物屋さんとの出会いや
〈Himono bag〉が生まれるまでのストーリーです。

まちの空気を変えた
カレー屋さん〈ばぐぅす屋〉。
美流渡に20年ぶりに新店舗がオープン

バックパックひとつ抱えて、住み始めた北海道

わたしが引っ越してきた岩見沢市の山間の美流渡(みると)は、過疎化が進む地域だ。
人口はわずかに400人。小さなスーパーも1年ほど前に閉店し、
残る商店も数えるほどとなっている。

そんなこの地区で、昨年なんと20年ぶりに新店舗がオープンした。
スープカレーとスパイスカレーのお店〈ばぐぅす屋〉だ。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

ゾウの絵ののれんが目印。居酒屋だった店舗を改装してオープン。

お店が始まってからというもの、わが家は毎週のように通っており、
この連載で早く紹介したいと思いつつ、ずいぶん時間が過ぎてしまった。

お店を切り盛りするのは、山岸槙(こずえ)さん。
接客から調理までほとんどひとりでこなし、3人の子どもを抱えるお母さんでもある。
きっと忙しい毎日を送っているんじゃないかと思って、
取材をずっとためらっていたのだった。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

山岸槙さん。料理のほか編み物も得意。

昨年12月、雪が降る季節を迎えてばぐぅす屋は冬期休業に入った。
それから約5か月、北海道にもようやく春の兆しが感じられるようになった4月中旬、
2年目のスタートを切ることになり、このタイミングで
山岸さんにじっくりと話を聞く機会をつくってもらうことにした。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

美流渡地区に隣接する奈良町に山岸さんの住まいがある。愛犬がお出迎え。

山岸さんは大阪府出身。夫の実家である北海道岩見沢市に移住をしたのは25歳の頃。
きっかけは高校3年生のときに十勝の陸別町にある牧場で、
酪農体験をしながら1か月過ごしたことだ。初めての体験が数多くあり、
いつか北海道に住んでみたいと思うようになったという。

「一番感激したのは、道路に寝転んだこと。
ずっと都会で暮らしていたので、こんなことできるんだって(笑)」

高校卒業後はブティックで働きつつも、自分の進むべき道が見出せず
思い悩む日々を送っていたという。
このとき仕事とともにバンド活動もしており、
ある楽器に出会ったことが人生の歯車を動かすきっかけとなった。

「オーストラリアのアボリジニの楽器“ディジュリドゥ”の音に惹かれて。
自然を思わせるような音色で北海道を思い出しました」

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

「最近はぜんぜん吹いてない」と照れながらも、ディジュリドゥの音色を聞かせてくれた。木製で長さが1メートル以上もある。中が空洞になっており唇の振動で音を出す。

このとき山岸さんは23歳だった。
「自分に何かきっかけを与えないと変わることはできないのではないか」と考え、
北海道で暮らそうと決意。荷物はバックパックひとつとディジュリドゥだけ。
以前に酪農を体験した牧場にひとまず身を寄せ、
そこから世界はだんだんに広がっていった。

数か月後に北見へ拠点を移し、働きながら夜はクラブでライブ活動を行った。
やがて、本場でディジュリドゥを学びたいという気持ちが募り、
1年ほどお金を貯めてオーストラリアへ旅立った。
3か月の滞在で、楽器の勉強とともに、さまざまな地域を訪ね、
ときには現地で知り合った友人が持つ山で2週間、
テント暮らしをしたこともあったという。

「本当に濃い時間を過ごしました」

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。

山岸さんの家にはさまざまな楽器が置かれていた。最近、子どもたちはアフリカ太鼓に熱中している。

プロの大工直伝!
初心者でもつくれる
簡単DIY術、教えます

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

いきなりですが皆さん、ホームセンターには
DIY初心者にうれしい便利なサービスがあるって知っていますか? 
例えば、

・購入した木材を希望の大きさにカットしてもらえる:

1カット10円~50円程度(無料のところもあり)

・インパクトドライバーや丸ノコなど、工具の貸し出しをしてくれる:

2泊3日200円~500円程度

どちらも有料ではありますが、
工具を持っていないけれどDIYを楽しみたい! という方や、
初心者でカットが苦手、という方には魅力的なサービスではないでしょうか。
そのときのためだけに工具を揃えなくていいのも、経済的でうれしいところ。

今回はこのサービスを活用しながら、手軽にできるDIYを紹介します。

セカンドシーズン!大工インレジデンス

DIYを教えてくれるのは、いとしまシェアハウスで行う
大工技術と暮らしの物々交換プロジェクト〈大工インレジデンス〉に参加する
ユニークな大工たち。
大工インレジデンスについてはこちらの記事をどうぞ! 

初心者編、中級者編とあるので、お楽しみに! 

講師プロフィール

プロの大工、ふみよ。

【ふみよ】
リフォーム大工を5年経験したプロの大工。
足場づくり、屋根の葺き替え、雨漏り修理、ウッドデッキづくり、なんでも来い。
とにかく施工のスピードが速く、みんなから頼りにされている実力者。
ただし普段はゆるキャラ。

KiKi 千住東の家を運営する、ちーぼー。

【ちーぼー】
美大で4年間みっちりとプロダクトデザインを学び、
今は仕事でDIYなどのワークショップに携わる。
パートナーと東京の築90年の平屋を7か月かけて改修。
自宅兼イベントスペース〈KiKi 千住東の家〉を運営。
写真撮影&廃材でかっこいいものをつくるのが得意。

〈HOMEMAKERS〉7年目。
4月の畑は賑やかで大忙し!

新規就農して7年目、農業で生計を立てる

今年もまた春がやってきました。
日に日に畑や山の新緑パワーが増してます。
あー、まぶしい黄緑!

春の畑はトウ立ちして花を咲かせたアブラナ科の野菜たちで花畑のよう。

春の畑はトウ立ちして花を咲かせたアブラナ科の野菜たちで花畑のよう。

私たち家族は2012年秋に小豆島に引っ越してきて、
2013年の春から本格的に農業を始めました。
気づけば、7年目! びっくりです。

なんとなく5年というのがひとつの節目でした。
5年経っても、ちゃんと野菜を育てることができていなかったら、
生計を立てられていなかったらやばいのかなぁと。
その5年というのは、私たちが新規就農したときから受けていた
青年就農給付金(今は農業次世代人材投資資金に名前が変わっています)が終わり、
助成金なしで自分たちの収入だけで生きていかなければならなくなるタイミング。

とりあえずその節目を過ぎて、変わらずいまも農業しています。
ということで、なんとか生計としては成り立つようになりました。

玉ねぎ畑。今年は玉ねぎが豊作!

玉ねぎ畑。今年は玉ねぎが豊作!

新玉ねぎ〜。ここまで大きく育てられたのは今年が初めて。

新玉ねぎ〜。ここまで大きく育てられたのは今年が初めて。

4月は私たちにとって1年で一番大変な時期です。
メインで育てている生姜の植えつけ作業はあるし、そのほかの夏野菜の準備もあるし。
とにかく冬野菜の片づけと新たな植えつけ作業が続きます。

生姜の植えつけ作業。

生姜の植えつけ作業。

畑作業だけじゃなくて、毎年5月3日に開催される地元の伝統行事
「肥土山(ひとやま)農村歌舞伎」の稽古も毎晩のようにあり、
畑仕事が終わって、急いで夜ごはん食べて、歌舞伎の稽古。ふぅ。

高知の生姜農家さんから分けてもらった種生姜。

高知の生姜農家さんから分けてもらった種生姜。

ひとつずつ生姜の向きを確認して植えていきます。

ひとつずつ生姜の向きを確認して植えていきます。

そんなやること満載の畑のことを知っていたかのように、
先週はいろんな地域から友人や知り合いが手伝いに来てくれました。
普段は3〜4人で畑作業をしていますが、このときは10人くらいで作業。
冬野菜を片づけたり、生姜を植えたり、収穫・出荷を手伝ってもらったり、
常にバタバタしていて大変でしたが、賑やかな1週間でした。

冬野菜の片づけ。みんなのおかげであっという間に終わりました。

冬野菜の片づけ。みんなのおかげであっという間に終わりました。

私の地元、岡崎(愛知)から手伝いに来てくれた〈檸檬〉のふたりとたくちゃん(夫)。すてきなスケッチを残していってくれました。

私の地元、岡崎市(愛知県)を中心に活動しているユニット〈檸檬〉のふたりとたくちゃん(夫)。すてきなスケッチを残していってくれました。

〈くまもとアートポリス〉で
生まれ変わる、南阿蘇鉄道・高森駅

新しく生まれ変わる、南阿蘇鉄道の駅

熊本県では1988年から〈くまもとアートポリス〉事業という
取り組みが行われています。
くまもとアートポリスとは熊本県の豊かな自然や歴史、風土を生かしながら
後世に残る文化的資産として優れた建築物をつくり、
人々の都市文化、建築文化への関心を高め、
地域の活性化や熊本独自の豊かな生活空間を創造することを目的とした取り組みです。

このプロジェクト事業により、現在まで県内各地に
100軒以上の建築物がつくられています。
そして、その事業を活用して南阿蘇鉄道の始発・終着駅である
高森駅が新しく生まれ変わるべく、
昨年からくまもとアートポリス事業が進められてきました。

南阿蘇鉄道の駅舎を借りて営業する〈ひなた文庫〉にとっても
この取り組みは今後の営業にも大いに関わること。
沿線地域や村の活性化につながる事業でもあり、関心を寄せています。

そしてこのたび、ついに高森駅のグランドデザインの公表会が行われました。
設計者の発表と説明が行われる第1部と、これから変わる高森駅を想像しながら
実際に南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗ってみる第2部の2部構成で行われました。
私はひなた文庫の営業を終えてから第2部のみ参加しましたが、
とても心に残る体験でしたので、そのことを今回はお話しようと思います。

そもそもくまもとアートポリスとはどんな事業かというと、
建築物や景観整備、パブリックアートの分野などで生活に関わる施設を対象に
県や市町村、民間が参加し、環境デザインの質の向上を図り、
地域の活性化や後世に残る文化的資産をつくることを目指した事業です。

この事業の特徴は、実施にあたってコミッショナー制度が取り入れられていること。
コミッショナーが国内外から適性を判断して建築家を推薦したり、
設計競技を実施してそのプロジェクトに最適な設計者を選びます。

初代コミッショナーは磯崎新さんが務められ、
現在は伊東豊雄さんが第3代目に就任されており、
これまで世界的にも有名な建築家の方々が
コミッショナーとして設計者を選定しています。

今回対象となる高森駅は南阿蘇鉄道唯一の有人駅で、
南阿蘇鉄道の本社もこの駅に置かれています。
運転士の皆さんも高森駅に常駐されており、
駅の中では記念切符やお土産を買うことができます。

高森駅では名産品や復興応援グッズも販売されています。

高森駅では名産品や復興応援グッズも販売されています。

しかし現在、3年前に起きた熊本地震の影響で
南阿蘇鉄道は高森駅と中松駅間での部分運転となっています。

そこで第三セクターの南阿蘇鉄道へ出資する高森町が主体となり、
4年後と言われる全線復旧に向けて沿線地域の創造的復興の一環として、
くまもとアートポリスを利用して高森駅周辺を対象に
「定住」「観光」「防災」の3つのキーワードで
グランドデザインを募集することになりました。

〈アルテピアッツァ美唄〉の
「こころを彫る授業」で感じた
やすらぎと安心感

“答え”のない授業に取り組んで

わたしの住んでいる岩見沢市からもっとも近い美術館は、
美唄市にある〈安田侃(かん)彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄〉。
東京から移住して、ちょっぴり残念に思うことは、美術館や企画展の数が少ないこと。
アートとデザインが専門の編集者としては、東京にいたときのように、
いろいろな作品を見ておきたいと感じることもあるが、
そんなわたしの心をスッと落ち着かせてくれるのがアルテピアッツァ美唄という場所だ。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

美唄市はかつて北海道有数の炭鉱都市だった。炭鉱夫の子どもたちが通っていた小学校を芸術広場として再生させたのが〈アルテピアッツァ美唄〉。

展示スペースとして利用されているのは、
1981年に閉校となった栄小学校の校舎と体育館。
そして、建物の周囲に広がる野外スペースには、
山や木々をバックに彫刻作品が立ち並んでいる。

アルテとはイタリア語で芸術。ピアッツァとは広場。
大理石の産地として知られるイタリアのピエトラサンタで制作を続ける
彫刻家・安田侃さんが、生まれ故郷である美唄市に
1992年にオープンさせたスペースだ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

3月末になってもまだ肌寒い北海道。部屋を暖めるために使われたのは、このまちの歴史を感じさせる石炭ストーブ。

彫刻とともにある四季折々の景色は本当に美しく、幾度もこの場所を訪ねてきたが、
3月30日に行われた講座「小学生のためのこころを彫る授業」に
息子を参加させたことで、安田さんの彫刻に対して、
また新しい面が見えてくるような機会となった。

この「こころを彫る授業」は2007年からスタートしたもので、
毎月第1土曜・日曜に主に大人を対象に開催されており、
2012年からは今回のような小学生のための授業も開かれている。

講座を担当する美術館スタッフの影山宏明さんによると、
「小学生のためのこころを彫る授業」が始まったきっかけは、
「たくさんの子どもたちに、心と体で彫刻に接して、
1日を通してアルテピアッツァ美唄の魅力や楽しみ方を知ってもらおう」
と考えたことだという。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

美術館スタッフの影山宏明さん。道具の使い方を説明する。

この日集まった小学生は、2年生から6年生まで15名。

「今日は石を彫って、目に見えない心を表現してください」
まず、影山さんは子どもたちにそう語りかけ、制作が始まった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

どの大理石を彫るのか、選ぶのはくじ引きの順番で。くじに使われたのも大理石で、裏に数字が書いてあった。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

大理石も道具も安田さんがイタリアから持ってきたもの。ノミや金ヤスリは、さまざまな形のものが用意されていた。

「こころを彫る」とはいったい何か。
大人であれば、手が止まってしまう“難問”のように感じてしまうが、
子どもたちは躊躇せずに、いっせいに石を彫り始めた。
いままで体験したことのない大理石という素材や道具を使えるということに
夢中になっているかのようだった。

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた

美術館スタッフの土谷あすかさん(右)。彫刻の見方を広げるような話を子どもたちにしてくれた。

石は丸みを帯びていてハンマーでノミをたたいて削ろうとすると、
すべって転がってしまうことがあったり、
ヤスリで削ろうとしても、表面はかたくてなかなか平にならなかったり。

「道具の使い方に慣れてくると、形を変えたりできるようになります。
辛抱強くやっているとスベスベにしたりもできます。
だんだん形が見えてきて、きっとワクワクしてくるはずです」

思うようにいかない子どもたちに、影山さんはやさしく語りかけていた。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。

『天光散』という作品のふくらみは子どもたちのお気に入り。安田さんの彫刻は実際に触れて感じることができる。

環境にやさしい“洗剤なし”生活!
シャンプー、洗顔、
どうしてる?

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

桜が咲き始めると、新しい季節になんだかワクワクしませんか。

いとしまシェアハウスの集落には
海が見下ろせる絶景のお花見スポットがあるのですが、
菜の花と桜が同時に咲いて、まるで桃源郷のようになります。
圧倒的な美しさ! 

花見シーズンの糸島には、トタン屋根を吹き飛ばすほどの激しい“春の嵐”がやってきます。葉桜にならない前に、なにかにつけてシェアメイトと花見へ。今年はあと何回、この景色が楽しめるかなあ。

花見シーズンの糸島には、トタン屋根を吹き飛ばすほどの激しい“春の嵐”がやってきます。葉桜にならない前に、なにかにつけてシェアメイトと花見へ。今年はあと何回、この景色が楽しめるかなあ。

さて、前回の記事、たくさんの方に興味を持っていただけたようで、とてもうれしいです。
あのあと、読者の方から「シャンプーやお風呂はどうしているのでしょう?」
という質問をいくつかいただいたので、
今回のテーマは“シャンプー&石鹸を使わない”お風呂事情です! 

シャンプーは「湯シャン」で!
湯シャン歴5年の私が実感したこと

上下水道のない我が家、生活排水は自分たちの畑や田んぼに流れ出るため、
化学的なシャンプーなどが使えません。

そこで私は5年前から、ぬるま湯で髪の毛をやさしく洗う
「お湯シャンプー」略して「湯シャン」をとり入れています。
タモリさんや福山雅治さんも実践されているというこの方法、
ご存知の方も多いのではないでしょうか。

今回は、いとしまシェアハウスの春の日常を写真でご紹介。晴れた日は納屋の漆喰塗りをします!

今回は、いとしまシェアハウスの春の日常を写真でご紹介。晴れた日は納屋の漆喰塗りをします!

私が湯シャンを始めたのは、髪の毛ツヤツヤのシェアメイトに
「湯シャンがいいよ!」とオススメされたことがきっかけでした。

その頃から、

・オーガニックシャンプー&リンスがお高くて、経済的にしんどい

 (しかも結構な頻度で買わないといけない)

・石鹸シャンプーは髪がきしんで苦手

 (実家では石鹸シャンプーで育ちましたが、使い心地が好きじゃなかった)

などなど、洗髪方法の悩みを抱えていたのですが、
シェアメイトの髪がとてもきれいで説得力があった(もちろん臭いもなし)こともあり、
「これは試してみる価値がありそう!」と思ったのです。

ちょうど使っていたシャンプーが少なくなっていたので、
シャンプーの回数を減らし、少しずつお湯だけの洗髪方法に切り替えていきました。

学生合宿で納屋のリノベーション。

学生合宿で納屋のリノベーション。

小豆島の素麺工場を改修した
ギャラリーショップ〈うすけはれ〉

山に囲まれた、すてきな建物を生かしたお店

小豆島にあるほとんどの地区(集落)は海岸線沿いにあって、
集落のどこかから海を眺めることができます。
島暮らしといったらやっぱり海がすぐそばにあって、
家の窓から海が見える! くらいの暮らしを想像しますよね。

そんななかで、私たちが暮らす肥土山(ひとやま)とお隣の中山は、
山に囲まれた海の見えない場所にあります。
小豆島の海とは違う魅力を感じられるエリアで、棚田が広がり、
農村歌舞伎や虫送りという伝統文化がいまも残っています。
今日はその中山にある〈うすけはれ〉というお店のことを書きます。

小豆島の真ん中にある中山地区。4月から田植えが始まります。

小豆島の真ん中にある中山地区。4月から田植えが始まります。

木々に囲まれた静かな場所に〈うすけはれ〉はあります。

木々に囲まれた静かな場所に〈うすけはれ〉はあります。

うすけはれは、中山地区の山の中にあります。
お店の周りは木々に囲まれていて、一度夜に行ったことがあるのですが、
真っ暗すぎてびっくりしました。
お店を運営するのは、うえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。
道代ちゃんが生まれ育った小豆島に帰ってきて、
2017年5月にうすけはれをオープンされました。

年に数回企画展を開催。私が訪れた2019年3月末には「しましましまのてしごと展」を開催中でした。

年に数回企画展を開催。私が訪れた2019年3月末には「しましましまのてしごと展」を開催中でした。

お店を運営するうえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。

お店を運営するうえすぎあらたくん、道代ちゃんご夫婦。

小豆島では素麺の製造が昔から盛んなのですが、
もともと素麺工場だった建物を改修してお店にしています。
こんなすてきな建物をどうやって見つけたんだろうと聞いたら、
町の運営する空き家バンクでみつけたそうです。

たまたま出会ったその建物。立地的にお客さんが来てくれるかどうかよりも、
この建物ならいいお店にできそうだなと思って決めたそう。
素麺工場の横には家があって、ふたりはそこで暮らしています。

お店の名前の由来についてはこんなふうにWebサイトに書いてありました。

暮らし始めてしばらくすると近所の方が様子を見によく顔を見せてくれるようになり、
この場所のことを「うすけ」と呼んでいることを知りました。
「うすけ」とは、昔ここの場所が素麺工場として使われていた時の屋号で
漢字では「宇助」と書きます。
店を構える際、変わらずこの場所を慣れ親しんだ名前で呼んでほしいという思いがあり、
うすけに「けはれ」という言葉を足して「うすけはれ」という屋号にしました。

「けはれ」とは「ハレ=非日常」、「ケ=日常」を足した意味で、
うすけの日常も非日常も楽しんでいただきたいという思いを込めています。

天井に残されている素麺工場のファン。

天井に残されている素麺工場のファン。

下田のまちを灯し続ける
食堂〈Table TOMATO〉と
イベント「風待ちテーブル」のこと

まちの文化を発信するお店のストーリー

伊豆下田に移住して2年が経った津留崎さん。
移住したのとほぼ同時期にオープンしたお店〈Table TOMATO〉は
伊豆の食材を使ったおいしい料理が食べられるだけでなく、
さまざまな人が集まる場になっています。
そのお店を義父から引き継いだ店主の思いとは。
そして、そのTable TOMATOで、新たにイベントもスタートしました。

鳥取・湯梨浜町にある本屋 〈汽水空港〉が リニューアルオープン!

「空港」という名の通り、様々な人が行き交う古書店

鳥取県の湯梨浜町は東郷湖そばの本屋〈汽水空港〉が、
2018年7月に再オープンを果たしました! 
2016年10月の鳥取県中部地震以来しばらく休業していましたが、
セルフビルドで新たにお店を増築。
店内には木材の爽やかな香りがあふれています。

徳永直、森鴎外らの古書

徳永直、森鴎外らの古書も並ぶ。

グラシン紙が巻かれた新刊

古書と区別できるよう、新刊にはグラシン紙が巻かれスタンプが押してある。

〈汽水空港〉は買取を行う古本屋であり、新刊も販売するお店。
新刊は衣食住やものづくり、カウンターカルチャーなど、
生きていく上での視野を広げてくれる本が並びます。

各種リトルプレス

鳥取、島根などのリトルプレスも扱う。

そして〈汽水空港〉の特徴の一つとなっているのがZINEのコーナー! 
表紙がずらりと並ぶディスプレイにわくわく、選ぶのが楽しくなります。

『野崎が行く!』

『野崎が行く!』のシリーズ1〜6。

たとえば旅行ZINE『野崎が行く!』はつい手にとってしまうシュールさ。
新刊書店にはない発見があります。
お店からすぐの古着屋〈朴訥〉店主・笹本佳奈さんの
写真集も置いてあるなど、山陰地方の作品も大充実です。

長野県への移住のきっかけは? 
2拠点暮らしと地域おこし協力隊、
それぞれの信州ライフ

山々に抱かれた豊かな自然、健康長寿を育む食文化、首都圏からのほどよい距離感。
そんな理由から「最も移住したい県」といわれる長野県。

地方暮らしやI・J・Uターンをサポートする
〈ふるさと回帰支援センター〉の移住希望地域ランキングでは、
2017、2018年と2年連続で長野県が1位。
さらに宝島社発行『田舎暮らしの本』(2019年2月号)では、
13年連続、長野県が1位をキープしています。

移住のきっかけは何だったのか、移住先でどんな日々を送っているのか。
長野県のアンテナショップ〈銀座NAGANO〉を経由し、
自分らしい信州暮らしを楽しんでいる移住者を訪ねました。

コワーキングスペース&カフェバー〈hammock〉を運営する
松本大地さんの場合

長野県東北部に位置する東御(とうみ)市の「海野宿(うんのじゅく)」。
新幹線や車での都心へのアクセスも便利で、観光地・軽井沢にもほど近い、
江戸時代初期に中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿駅として栄えた宿場町です。
いまなお伝統的な家並みが保存され、1986年には「日本の道百選」に、
1987年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

そんなまち並みの一角にある古民家を改修し、
2018年にコワーキングスペース兼カフェバー〈hammock〉をオープンした
株式会社〈La Terra〉代表の松本大地さん。
東京でWeb制作会社を経営するなかで、
長野県との2拠点生活を考えるようになりました。

「一番の理由は雇用ですね。
IT業界のベンチャー企業はなかなか人材が定着しづらいので、
会社として何かおもしろくて魅力的な取り組みが必要だと考えていました。
それに、人材の奪い合いが激しい東京よりも、
地方のほうが定着率がよいのではないかとも思いました」

そこで、大好きなスノーボードができて、妻の祖父母も暮らす
長野県にサテライトオフィスを設けようと考え、利用したのが
「おためしナガノ」という長野県の制度。

ITを活用した事業を行いたい人が最大約6か月間“おためし”で
長野県に住みながら仕事をする機会を得られるもので、
銀座NAGANOでの説明会に参加し、1年間考えた結果、応募を決めました。

「『おもしろそうだから長野県に行ってみよう』という熱が1年間冷めず、
頭の中のイメージがよりリアルになりましたし、
やはり行政が合同の企業説明会を開いてくれるといったバックアップがあることは、
採用面でも心強く感じました」

おためし期間中は、東御市商工会内の事務所を借りて事業に取り組み、
その縁から海野宿の古民家の紹介を受けることに。
人が集まる場づくりにも興味があったことから、hammockのオープンに至りました。

古民家を改修した〈hammock〉。取材時はちょうど「海野宿ひな祭り」が開催中で、家々の軒先に古いひな壇が飾られていた。

古民家を改修した〈hammock〉。取材時はちょうど「海野宿ひな祭り」が開催中で、家々の軒先に古いひな壇が飾られていた。

「東京から来たIT企業が海野宿に事務所を構えるという
話題づくりの面もありましたが、ここに来るからには
地域に役立つことをすべきという思いが強くありました。
住民も観光客も気軽に立ち寄れ、
お茶やお酒が飲める場所がほしいという声が多かったので、
それならカフェバーがいいかなと。
コワーキングスペースは、自分たちの事業にも役立ちますしね」

観光客がほっとひと息つけるカフェスペース。

観光客がほっとひと息つけるカフェスペース。

オフィススペースでは自社スタッフのほか、コワーキング利用者も。制作スタッフは長野県で採用し、ゼロからWebデザイナーとして教育した4人が勤務している。

オフィススペースでは自社スタッフのほか、コワーキング利用者も。制作スタッフは長野県で採用し、ゼロからWebデザイナーとして教育した4人が勤務している。

2拠点での事業展開は、いろいろな変化をもたらしました。

「長野県で行政関連の仕事ができ、それが実績となって
東京で仕事の幅も広がりました。一番大きな変化は、仕事への姿勢かもしれません。
東京では『大手からの仕事を受注して、人材を多く雇って会社を大きくしたい』
という思いだったのに、長野県に来てからは
『よい人材を得てしっかりと教育し、仲間を増やして長く仕事を続けていきたい』
という感覚が強くなりました」

また2拠点生活は自然と自分を切り替えるスイッチになっていることも、
仕事の拡大につながっているのかもしれません。

「人柄がいいのが一番の長野県の魅力ですね。
環境面でもストレスが少なく、東京よりはるかに仕事がしやすいです。
心にも余裕が生まれて、僕は東京にいるときよりも
話しかけられやすい雰囲気になっていると思いますよ(笑)」

現在は、長野県南部の伊那市で、宿泊もできる
新たなコワーキング施設をつくるプロジェクトも進行中。
長野県内でさらに活動の拠点を広げ、人材育成や社員教育に力を入れていく予定です。

人口14000人の小さなまち、
岡山県和気町に移住者が集まるワケ

移住者が増えている和気町で夢を語る人たち

東京から郷里の岡山県にUターンしたのが2006年のこと。
地方で新しく雑誌を始めたとあって、その後いろいろな人たちと知り合うことになった。

2011年の東北大震災以降は、
都心部から岡山に移住してきた人たちと知り合う機会がやたらと多かったように思う。
ぼくの守備範囲にひっかかってくる人たちなので、
グラフィックデザイナーやカメラマンといった
クリエイターの類が大方だったのだが、しかし、岡山への移住は
そういった一部の人たちの間だけで流行っている現象でもなかった。

移住先としての人気度をはかる調査やアンケートでは、
岡山県はたいてい五本の指に入っているのだという。
よくぞ気づいたなと思う。
十種競技の個々の競技では、どれもやっと3位に入れるかどうかなのに、
総合では常に優勝を争う位置にある、それがぼくの岡山のイメージだ。

つまりは、全般的に印象が薄くて
そのよさにはなかなか気づかないだろうと思っていたわけだ。
実際のところ、岡山というところは実に住みやすい。
地味に、しみじみと住み心地がよいのだ。

岡山で移住の話になると、近頃その町の名前が真っ先に挙がる。
岡山県南東部に位置する和気町である。
町の面積144平方キロメートルは神奈川県の川崎市とほぼ同じ。
ところが人口となると、和気町の約14000人に対して、
川崎市は約151万6000人(ともに2018年10月)。
あまりに差がありすぎて、なんの比較をしているのかさえわからなくなりそうだ。

和気町を車で5分も走れば「それもそのはず」と納得する。
中心部の小盆地を除けば、町の大半が山、川、田畑なのである。
この自然豊かなまちに、過去3年間で約300人が
主に東京や大阪といった都市圏から移り住んでいるという。

300人という数字はとりたてて騒ぐほどではないかもしれない。
しかし、人口の割合からすれば、これが結構な数字に違いないのだ。
なにせ川崎市では3万5000人に相当するのだから。

2016年に東京からこの和気町に移住してきた下鳥夫妻とお会いした。
自宅は和気町が営む、平屋戸建の町営住宅。
リビングは梁がむき出しの造りで、天井が高く、開放感がある。
南側の大きな窓からは春の日が射し込み、室内も明るい。
幼いふたりの子どもたちのはしゃぐ声がこの家のBGMだ。

奥さんの春恵さんがハートの形をしたカップに入った紅茶を出してくれた。
「いい家ですね」と声をかけると、
「ここ、すごく気に入ってるんですよ」と明るい声で言った。

「東京では豊洲のマンションに住んでいたんですけど、
隣や下の階にいつも気を遣っていました。
子どもにはあれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメって。
でも、ここでは子どもは放置状態、誰にも気を遣わなくっていいから楽です」

東京の仲間がいるからこそ
暮らしていける。
北海道に移住してわかる、東京の大切さ

東京に降り立ったタイミングできた、仕事の依頼

3か月ぶりに訪ねた東京は、早咲きの桜が咲いていた。
いつもより余裕をもって、今回の滞在は1週間。
このタイミングで、普段、本づくりの仕事を
一緒にしている仲間を訪ねたいと考え上京した。

新千歳空港から羽田空港へ降り立って、
執筆と編集の依頼がきた会社を訪ねる道すがら、不思議なことが起こった。
携帯電話が鳴ったので何気なく出てみると、
いままで仕事をしたことのない雑誌からの依頼だった。

それから数時間後に、今度は私が東京の出版社に勤めていた頃からお世話になっている
デザイナーさんからの電話があり、ある本の編集をしてくれないかと頼まれた。
どちらも、わたしが東京にいることは知らないはずなのに、
絶妙なタイミングで連絡が入り、ラッキーなことに
滞在中に打ち合わせもできたのだった。

思い返せば、東京から北海道に移住して8年。
最初の4年間は、東京の出版社に籍を置きつつ、
北海道で在宅勤務というかたちで仕事をすることができた。
その後、独立したわけだが、遠方にもかかわらず、
東京の仲間が私に仕事の依頼をずっとし続けてくれていている。

羽田空港からモノレールに乗ると、わたしはつい写真を撮りたくなる。空も建物もみんなグレートーンでおもしろいと感じる。まるで旅行者のような感覚が芽生えている。

羽田空港からモノレールに乗ると、わたしはつい写真を撮りたくなる。空も建物もみんなグレートーンでおもしろいと感じる。まるで旅行者のような感覚が芽生えている。

今回、上京したとたんにかかってきた2件の電話は、
東京の人たちがこうしてつながりをずっと絶やさず持ってくれているからこそ、
北海道で家族5人がつつがなく暮らしているという事実を再認識させてくれた。

この連載では、北海道での暮らしを中心に書いてきたのだが、
実はわたしが毎日多くの時間を費やしているのは、
東京の仲間たちから依頼を受けた仕事。
大都会とのつながりが一家の経済を支えているわけだが、
そのことをいままでキチンと触れていなかったことに気づかされた。
そこで今回は、上京中に会った東京の仲間たちについて書いてみたいと思った。

子どもは3人。上のふたりはお留守番だが、第三子は一緒に上京している。打ち合わせにも同行させているが、1歳半を過ぎて、だんだんやんちゃになってきた。

子どもは3人。上のふたりはお留守番だが、第三子は一緒に上京している。打ち合わせにも同行させているが、1歳半を過ぎて、だんだんやんちゃになってきた。

手軽に始められる“洗剤なし”生活!
食器洗い、洗濯、
どんな方法があるの?

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

山の中腹の集落で暮らす我が家は、
上下水道が通っていないため、普段は湧き水暮らし。
自分たちが出した生活排水がそのまま畑や田んぼに流れ込むため、
化学的な洗剤などが使えない環境にあります。

糸島の菜の花畑。

自分たちが環境に与えた影響がダイレクトに自分たちに返ってくる場所だからこそ、
自分が食べたら嫌なものは外に出さない、というのが我が家のルールです。

生活排水はそのまま自分たちの米を育てる棚田へ。

生活排水はそのまま自分たちの米を育てる棚田へ。

ただ、化学的な洗剤を使わない暮らしについては
「汚れが落ちないんじゃない?」と不安に思う方も多いと思います。
でも、大丈夫。我が家で実践する方法は、

・汚れが落ちて

・お肌にやさしく

・環境にもよく

・さらに経済的!  

・我慢しなくてOK! 

という取り組みばかり。

もちろん、合う、合わないはあるかなと思いますが、
気軽に暮らしに取り入れられるものがあると思うので、気負わず覗いてみてください。
今の暮らしをちょっとだけ変えてみたいな、という方の参考になったらうれしいです。

糸島の海。

東京・ロンドン・長野を経て20年、
〈PHAMILEE〉のラディカルな視点。
ヘアサロンがローカルに果たす役割とは

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.6

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は、木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして、彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

ロンドンに感じた「伝統と革新の交差」

本棚

ローカルでも、都会でも、その土地の文化を牽引する存在として、
ヘアサロンが果たす役割は大きい。
ファッションや音楽などのカルチャーを語らう“サロン”としてだけでなく、
基本に立ち返れば「日々の身だしなみ」、つまりは「日々の生き方や考え方」に
影響を与える存在であると言っても過言ではないのだから。

とかくローカルにその身を置いたら、自分の身近なものごとや
ローカルにある事象にピントを合わせてばかり、なんてことも少なくない。
しかし本来は「ローカルも都会も関係なく、自身が追求すること」を
目の前の暮らしに投影し、深く広く、何度もピントをずらしながら、
発想を広げていくことが大切ではないだろうか。
そんな視点を持ち、自身のヘアサロンのあり方に自問自答を続けてきた人がいる。

2007年から長野市でヘアサロン〈PHAMILEE(ファミリィ)〉を営む、
ツチヤアキノリさんだ。

ツチヤアキノリさん

長野県出身のツチヤさんは、90年代に東京のヘアサロン〈SHIMA〉で
スタイリストの経験を積み、若手スタイリストの育成にも携わってきた。
その後、30歳を前にロンドンへと渡り、
美容師としての知見を培ってきた異色の経歴を持つ。

東京とロンドンを経て、長野で約10年。その過程を振り返ると、
ロンドンの空気に触れたことが、自身の根幹になっているという。

「一生を後悔しない選択を見つめ直したときに、ロンドンという選択をとりました。
ロンドンのよさは、洗練された都会で、一流の美容室をはじめ、
あらゆるジャンルの原点が多いこと。そのうえ、新しいものと古いものが
きちんと関係性をもって混在してきた文化があるからか、あらゆるものごとに、
ほどよい距離感があり、どこかフレンドリーな人柄と人間味もある。

ロンドンでの暮らしを通して、日本の見方も大きく変わり、
帰国したら、更新する文化と日本古来の文化が交差している京都に、
お店を出そうと考えるようになりました」

ガイドマップ『LONDON mini AZ』

しかし、帰国後はゼロからのスタートゆえ、
「いずれ京都へ行くことも視野に入れながら、
東京とも行き来できる長野からスタートを切ってみては」という考えが巡った。
そして、長野市と松本市で物件を探した末に、いまの場所と出会う。

「新旧が交差しているという意味では、結果的に長野市はよかったですね」

小豆島から男木島へ、
瀬戸内コミュニティ

男木島のおもしろい人たち、すてきな場所

私たちが暮らす小豆島は香川県に属しています。
実は香川県は全国の都道府県の中で一番面積が小さいんです。

そんな小さな香川県ですが、有人島(人が暮らしている島)の数は
全国トップ5に入るほど多く、24島あります。
〈瀬戸内国際芸術祭〉によってアートの島として有名になった
直島や豊島(てしま)も香川県の島です。
24島のうちほとんどが人口1000人未満の小さな島です。

小豆島は例外的に大きく、人口約27000人! 
ホームセンターやスーパーなどもあって、ほかの島と比べたらとても大きな島なんです。

小豆島で暮らしていると、島の中でいろんなものがそろうので、
暮らしが島で完結します。
日々必要な食料品や消耗品はスーパーで買えるし、
農作業の道具や家を直すための材料もホームセンターで調達できます。
病院もあるので、よほど大きな病気でないかぎり、島を出ません。
もちろん足りないものもあるのですが、そういうときはネットで注文したり。

小豆島のお隣にある豊島で暮らす友人は、
買い出しや病院の通院などで小豆島にちょくちょく来たりしています。
男木島で暮らす友人は、高松に買い出しに出たりするそうです。

それはもちろん手間のかかることだと思うのですが、
ひとつの島で暮らしが完結してしまうよりも、
島から島へ、島から四国本土へと人が行き来したり、
もののやり取りがある暮らしもおもしろいかもなと、ふと思いました。

そう感じたのは、先日初めて男木島を訪れたとき。
男木島には会いに行きたい友人たちがいて、ずっと行きたいと思いつつ、
2年くらいタイミングを逃していました(いま思えば、
「行く」を実行に移さなかっただけだなとちょっと反省)。

小豆島から男木島へは船を乗り継いで行きます。
小豆島から〈オリーブライン〉で高松へ、
それから高松で〈めおん号〉に乗り換えて男木島へ。
片道約2時間かかります。遠い〜(汗)。
もし直接行ければきっと30分くらいで行けると思うんですけどね。船が欲しい。

奥に見えるのが小豆島と高松をつなぐ〈オリーブライン〉、手前が高松と男木島、女木島をつなぐ〈めおん号〉。

奥に見えるのが小豆島と高松をつなぐ〈オリーブライン〉、手前が高松と男木島、女木島をつなぐ〈めおん号〉。

高松港で偶然遭遇した男木島の〈象と太陽社〉の山口ファミリー。

高松港で偶然遭遇した男木島の〈象と太陽社〉の山口ファミリー。

高松での乗り換えのときに、買い出しに来ていた
〈象と太陽社〉の山口ファミリーと偶然遭遇。
さっそく会いたい人に会えた。
山口くんたちは男木島でハーブを使ったサロン〈海とひなたの美容室〉と、
サロンや製品に使うハーブを育てる〈海のハーブ園〉を営んでます。
一緒に男木島へ向かいました。

男木島の港。4月26日から開催される〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の絶賛準備中。

男木島の港。4月26日から開催される〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の絶賛準備中。

急な斜面にある男木島の集落。狭い道と高い石垣。

急な斜面にある男木島の集落。狭い道と高い石垣。

めおん号に乗って40分、男木島の港が見えてきました。
斜面にへばりつくように建てられた家々。
道は狭く、急な坂道。こりゃワクワクせずにはいられない。

畑から海が見られるなんて最高だなぁ。

畑から海が見られるなんて最高だなぁ。

石垣に囲まれた狭い道を登っていくと、山口くんの畑、海のハーブ園を発見。
小さな畑の向こうには海が見える。
サロンからも海と港に停泊中のめおん号が見える。海と坂のある集落。
島上陸後、数分で一気に男木島の魅力に引き込まれてしまいました。

歩いてまわれる男木島の集落。

歩いてまわれる男木島の集落。

サロンに飾られたドライハーブが美しい。

サロンに飾られたドライハーブが美しい。

高齢者の移住って大変? 
よかったこと、大変なこと

80代での移住、実際の暮らしはどう?

夫婦と娘の3人で、伊豆下田に移住した津留崎さん一家。
さらに、東京でひとりで暮らしていたお母さんまで下田に移住してきました。
といっても同居ではなく、すぐ近くに別居というスタイル。
それから約1年、実際に暮らし始めてどんな様子なのか? 
今回は、そんな高齢者の移住についてです。

春を呼ぶ、阿蘇「草千里」の野焼き

草原を維持するため再開された、大切な行事

阿蘇の観光地としても有名な「草千里」の野焼きが3月2日に行われました。
移住する前に熊本を訪れた際、旦那さんに車で連れて行ってもらった草千里。
日本にこんな場所があるんだ! と感動し、
移住してからも時折行ってはパワーをもらう大好きな場所です。
そこでの野焼き、これは見なければと行ってきました。

野焼き前の草千里の様子。草地はすべて枯色です。

野焼き前の草千里の様子。草地はすべて枯色です。

阿蘇地域で2月から3月の早春の頃に行われる野焼きは、
草原を維持するための大切な作業。

野焼きをすることで前の年に生えた枯れ草を焼却し、
草原が森林に変わってしまわないよう低木類を抑圧して
牛馬が好むネザサなどの新しい草の芽立ちを助けます。
そうすることで牛や馬の放牧の場として利用するための
新鮮な草原を維持することができるのです。

阿蘇の草原の歴史は古く、『日本書紀』にも記述があり、
1000年以上にわたって人が自然と共生して維持してきた場所です。

阿蘇地方の野焼きは毎年日を分けて、北外輪山一帯や米塚周辺など数か所で行われます。
今回私が見学しに行った草千里は、阿蘇五岳の烏帽子岳の側火山として活動した
千里ヶ浜火山の火口跡を放牧地として草原化しています。

烏帽子岳の北麓に広がる78万5千平方メートルの大草原の中には
雨水が溜まってできたと言われる浅く広がる池がふたつ並んでいて、
初夏の新緑の緑と池の水が映す空の青とのコントラストがすばらしく、
阿蘇の観光地としても有名な場所です。

夏の草千里の様子。

夏の草千里の様子。

また、4月から11月頃までは乗馬体験用の馬が仕事を終えると放牧され、
夕方には自由に草を食む馬たちの姿を見ることもできます。
名だたる文豪たちも草千里を訪れており、
三好達治の『大阿蘇』という詩が草千里の情景をとてもよく表しています。

馬は草をたべてゐる
艸千里濱のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつもしんしんとたべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでひとところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう

三好達治『大阿蘇』(抜粋)

三好達治がこの詩を書いてから80年以上経っていますが、
いまだにその風景は守り続けられています。

野焼きのときは一般の方は草原内には入ることができません。

野焼きのときは一般の方は草原内には入ることができません。

山を買ったら、出版社ができた!
思いがけない山の活用法に気づいて

岩見沢の図書館でお話会を開いてもらった!

東京から北海道に移住して8年が経ち、ここ最近、仕事の質に変化が訪れている。
ずっと続けてきた書籍や雑誌の編集の仕事だけでなく、
みなさんの前でお話をさせていただく機会が増えたことだ。

昨年から、地元岩見沢にある北海道教育大学の美術文化専攻で、
年に数回講師を務めたり、ほかにも一般の方に向けた講演会を行ったり。
そして今年の2月には、地元の岩見沢市立図書館で立ち上げられた
「ライブラリーカフェシリーズ」の第1弾の企画としてゲストに招いていただいた。

会場前には、わたしがこれまでにつくった本を並べてくださった。図書館員のみなさんの手づくりポップがうれしい。(写真提供:岩見沢市立図書館)

会場前には、わたしがこれまでにつくった本を並べてくださった。図書館員のみなさんの手づくりポップがうれしい。(写真提供:岩見沢市立図書館)

開催されたのは2月22日。金曜日の夕方、仕事帰りの方に向けて
コーヒーを片手に話を聞く場をつくりたいと企画されたイベントで、
地元の焼き菓子工房〈グランマヨシエ〉のスイーツもふるまわれ、
アットホームな雰囲気の会場をつくってくださった。

わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)地区にちなんだお菓子も配られた。

わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)地区にちなんだお菓子も配られた。

お話会のタイトルは「山を買ったら、出版社ができた!」。
2016年にわたしは山を購入。そこに出版社の社屋を建てたわけではないが、
この購入が、北海道で新しい活動を始める、
すべてのきっかけであったことをお話しした。

山を買った経緯については、この連載でも何度か紹介してきた。
そして、購入した8ヘクタール(東京ドームが4.7ヘクタール)のうち、
1ヘクタールに植林をした以外は、特に目立った活動はしていないことも書いてきた。
正直言って広すぎて、少し草を刈っただけでは、まったくなんの効力もない。
たまに遊びに行く以外は、たいした活用はできていないのが現状だ。

買った山は木が伐採されたあとの荒地だった。ブルドーザーが通った道があり、山肌が出ている箇所もある。

買った山は木が伐採されたあとの荒地だった。ブルドーザーが通った道があり、山肌が出ている箇所もある。

ただ、友人たちや仕事先で山を買った話をすると、
みんなが興味を持ってくれることがわかった。
特に、著名人に取材をするときには役に立った。
これまで、東京で編集者として“仕事できるぞオーラ”を出しつつ
やってきたつもりだったけれども、取材先で名前を覚えてもらうことは少なく、
その他大勢の編集者のひとりという感じだったのだ。

けれど「北海道に山を買ったんですよ」と口にすると、
相手がわたしに興味を示してくれることも増え、
「山を買った編集さん」として認識されるようになった(仕事にもよい影響!)。

山を買った話を雑誌や会報誌に寄稿することも増えた。右は『山つくり』、左は『TURNS』Vol.34。

山を買った話を雑誌や会報誌に寄稿することも増えた。右は『山つくり』、左は『TURNS』Vol.34。

散歩しながら食料調達!
ずぼらでも楽しめる
春野草の料理のススメ

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

山の谷間にある我が家の集落も、すっかり春めいてきました。
雨が降るたびに吹く風が暖かくなり、
小川のほとりに、散歩道の隅っこに、
春の野草たちがぽこぽこと顔を出し始めます。

カゴを背負って野草摘みへ!

今日は天気もよくって気持ちがいいので、
私と一緒に我が家の周りを散歩してみませんか?

せっかくなので、0円で手に入るごはんの材料、
“春の野草”をゲットしてきたいと思います。

「野草って、下処理が大変そう……」と思った方、ご心配なく! 
普段から野菜の皮はむかない、アク抜きもしない、
そんな私でも楽しく採れる野草が、野原にはたっくさんあるのです。

収穫した野草。

ここで私の、野草摘みのポリシーを紹介します。

(1)すぐ食べられるものを採る

(2)採りすぎない

(3)お気に入りスポットを愛でる

まず最初に「(1)すぐ食べられるものを採る」ですが、
アクを抜いたり、皮をむいたり……食べるまでに手間がかかる野草は
するりと避けて、すぐ食べられる野草をチョイスします。

例えば、このハコベ。

みずみずしいハコベ。

みずみずしいハコベ。

野草にしては珍しく、生でも食べられるお手軽野草です。
今の季節は水分をたっぷりと含んでいて、
茎を折るとジュワッと水分が染み出してくるほど。

さっと湯がいておひたしにすると、
青臭さが抜けてもっと食べやすくなります。

カラスノエンドウは、先っぽだけポキっと折って収穫!

カラスノエンドウは、先っぽだけポキっと折って収穫!

道端でよく見かけるカラスノエンドウも、
若芽なら生で食べてもおいしくいただけます。

エグみが少なく、枝豆のような風味がして、なかなかイケます。
ただ、アブラ虫がびっしりとついていることがあるので、
それだけはしっかりとチェック!

レンゲの花と、タンポポ。

レンゲの花と、タンポポ。

レンゲも同じマメ科なので、野草の中では比較的食べやすい味です。
花をサラダに入れると彩りのアクセントになって◎。

水辺には、キラキラと水を弾くセリが。ミツバのようなスキッとした風味がお吸い物にぴったり。

水辺には、キラキラと水を弾くセリが。ミツバのようなスキッとした風味がお吸い物にぴったり。

それから、初心者にオススメしたい野草は、なんといってもノビル。
葉っぱはニンニクとネギの合いの子のような風味で、
根っこはラッキョウのような不思議な野草。
どんなお料理にも合うため、我が家では重宝しています。
薬味としても、炒めても、茹でてもOK。
普通の野菜とほぼ同じように調理できます! 

ノビルは根っこの先の膨らんだ部分がおいしいのですが、
地面にしっかりと根づいたものだと
スコップで掘り返したりしなければ、根っこの先まで収穫するのは大変。

無理やり引っ張ると、この丸い部分がちぎれてしまいます、一番おいしいところ!

無理やり引っ張ると、この丸い部分がちぎれてしまいます、一番おいしいところ!

そのため、ノビルを探すなら道端の石垣周りが狙い目。
石垣の間に溜まったふわふわの土はやわらかいため、
そこに生えたノビルであれば、するりと抜くことができるのです。

さて、石垣の積まれた道を登り切ると、
昔畑だった空き地にびっしりとツクシが生えているのを見つけました。

ツクシの群れ。

ここはご近所さんたちのツクシ収穫スポット。
まるでツクシ畑のようにニョキニョキと生えています。

これぞ野草のずぼら料理。3分でつくれます。

これぞ野草のずぼら料理。3分でつくれます。

ちなみに私、つくしのハカマをとらずに調理します。
ご近所さんには「信じられない!」と驚かれましたが、
ハカマに毒はないようですし、
ちょっと歯ごたえはあるけれど全然気にせず食べられます。

ひとつひとつハカマをとるのは重労働ですから、
採ってきたツクシをそのままパッと鉄鍋に投げ入れて、
ジャッと強火で炒め、醤油と胡椒で味つけするのが大好きです。

本当にいいものづくりとは。
革作家〈OND WORK SHOP〉
木村真也さんが、ゼロから築いた
理想のサイクル

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.5

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は、木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして、彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

東京を経て長野へ。ゼロからつくった自分の仕事

「こんなレザーベルトや、あんなレザーウォレットが、あったらいいな」と
頭に浮かぶイメージが膨らんだら、マップのピンを長野市に落として、
休日のひとときを楽しんでもらいたい場所がある。
革作家の木村真也さんが営む〈OND WORK SHOP(オンド ワークショップ)〉だ。

〈OND WORK SHOP〉内観

木村さんがつくるレザーアイテム

木村さんがつくるレザーアイテムは、
色、ステッチ、デザイン、そして革の表情まで、同じものはふたつとない。

オーダーを受けて、ゼロからデザインをおこすこともあれば、
バックルからベルトの「太さ・色・長さ」まで自由に選べる革ベルトや、
はたまた、バッグや衣服、家具にまで、革を用いたリペアをする。
革の個性とお客さんのイメージを読み、
おもしろおかしく談笑のキャッチボールを繰り広げては、
膨らんだイメージから世界にひとつのものをつくる。

革作家の木村真也さん

そんな木村さんの誠実な人柄が沁みるOND WORK SHOPは、
2014年10月のスタートから、およそ4年半の歳月が経ったいま、
毎月30組以上のオーダーを呼ぶサイクルを生んだ。
木村さんは、これまでを振り返り、子どものように純真無垢な笑顔で、
ものづくりへの想いをこう話す。

「人が本当にほしいと思うもの、永く使いたいと思うものを、
ひとつひとつ、ちゃんとつくって、届けたい。それだけなんです」

とはいえ、出身の長野県飯山市で高校を卒業したあと、
東京の専門学校でグラフィックデザインを学び、
20代を浅草の老舗ベルトメーカーで過ごしてきた木村さんにとって、
長野市で自分のお店を開くのは、知り合いもツテもゼロからのスタート。

ましてお店ともなれば、立地や単価、客数などの計算を
しないわけにはいかなかったのでは? 
と素朴な疑問も浮かんできそうだが、木村さんはまっすぐに言う。

レザーの財布

「お店を始める前から、いままでずっと、
そういう計算ありきでお店のことを考えたことがなくて。
むしろ、売ろうとしてない(笑)。
それよりも、ここで出会えた人たちが、『何を求めているのか』
『何を楽しみたいと思っているのか』ということばかり考えてきました。
根本的に、出会えた人とは、ものを売るだけの関係になりたくない
と思ってやってきたので。

だけど、もし東京でやっていたら、経費がかかりすぎちゃって、立地条件や価格など、
お金を稼ぐことに比重をかけざるを得なかったかもしれないですね。
そう考えると、やりたいものづくりのあり方とこの場所が、
たまたま合っていたのかなと思います」

〈OND WORK SHOP〉がある町並み

自分たちの故郷の魅力を知ろう!
地元高校生とワークショップ

高校生が企画する、小豆島の魅力を感じるワークショップ

昨年の秋、小豆島にある高校から電話がかかってきました。
「〈HOMEMAKERS〉さんで野菜の収穫をしたり
調理をするワークショップをしたいんです」と。

小豆島にはつい数年前までふたつの高校がありました。
現在では合併してひとつになり、3学年で合計約600人くらいの子たちが通っています。
その高校の授業の一環で、高校生自身がワークショップを企画、
参加者を募集し、実施するというプログラムがあるそうです。
A4の用紙1枚にまとめられたコンセプトはとてもわかりやすくて、
なるほど! それはいいねというものでした。

今回のワークショップを企画した三浦さん(左)と圓山くん(右)と中筋先生(中央)。

今回のワークショップを企画した三浦さん(左)と圓山くん(右)と中筋先生(中央)。

私たちが営む〈HOMEMAKERS〉カフェに集合して、ワークショップが始まりました。

私たちが営む〈HOMEMAKERS〉カフェに集合して、ワークショップが始まりました。

毎年高校卒業とともにそのほとんどの子たちが進学・就職で島を出ていきます。
200人のうちの8割くらいが島外に行くそう。
島には大学がないので、進学しようとするとほぼ確実に島を出ることになります。
彼ら彼女らにとってずっと暮らしてきた小豆島の風景や文化は当たり前のもので、
その魅力を認識して語ることは難しい。
そりゃ、島になくて、外にあるものに憧れるのは普通です。

高校卒業とともに島の外に出ること自体はいいと思うんです。
むしろもっと早く出てもいいのかも。
でも、もし若い子たちが自分たちの故郷の魅力を知っていて、
そのうえで外に出ていったとしたら。
進学先や就職先などで小豆島の魅力を伝えられる人になるかもしれないし、
島に帰ってくるかもしれない。

だから、小豆島の魅力に気づいてもらえるような、
再発見できるような、島のことをより好きになってもらえるような
ワークショップをしたいというのが今回の企画。
すばらしい!

まずは玉ねぎ収穫!

まずは玉ねぎ収穫!

畑に高校生の子たちが来るのは初めてでした。

畑に高校生の子たちが来るのは初めてでした。

というわけで、なかなか高校生と一緒に活動できることもないし、
私たちにとってもいい機会だなと。
やりましょう! と快諾し、先日ワークショップが開催されました。

玉ねぎを収穫して根を切る作業も。

玉ねぎを収穫して根を切る作業も。