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高齢者の移住って大変? 
よかったこと、大変なこと|Page 3

暮らしを考える旅 わが家の移住について
vol.056

Page 3

買い物、病院へはひとりで行ける?

実際に下田で暮らしてみていい面はもちろんたくさんあるのですが、
ネックとなることがないのかというとあるんです、やはり。
たとえば買い物です。
私たちが住んでいるのは駅から徒歩30分ほどの場所。
竹子さんが歩いてスーパーに行くのはなかなか厳しいのです。

東京で暮らしていたときには、
毎日のように歩いてスーパーに出かけていた竹子さん。
私と夫は出かけたついでに買い物をすませるので、
不便さはまったく感じていません。
けれど、車が運転できないとなると話は変わってきます。
大げさに思えるかもしれませんが、
都市部で長く暮らしてきて当たり前だったことが
できないという事態は、人をとても不安にさせるのです。
それがお年寄りだとなおさら。

キッチンに立つ竹子さん

ということで、移住してからしばらくは
週に3回ほど車でスーパーにお連れしていました。

けれど、毎週のこととなるとなかなか厳しく、
さてどうしたものかと思っていたときに
道ばたで遭遇したのが「生協」の宅配トラック。
おー、下田にも生協があるのか! ということで申し込んでみました。

まず、牛乳や卵やパンといった必ず食べるものが必ず届くということが、
かなりの安心感を与えてくれたようです。
食品だけでなく洗剤やトイレットペーパーなどの日用品も購入できますし、
重いものも運んでもらえます。
始めてからすぐの頃は楽しくて頼みすぎてしまったようですが、
いまはほどよくおつき合いできているようです。

ということで、生協のおかげで
買い物に対する不安感はかなり軽減されました。
もちろんスーパーで物色するのも楽しいので、
週に1度くらいはご一緒しています。

鍋田浜の海岸線

スーパーへ出かけたあとにちょっと寄り道して「鍋田浜」へ。娘と娘のお友だちと快晴のなかお散歩、なんとも気持ちよい休日です。

そしてこれも交通の不便さゆえなのですが、
病院にも徒歩では行くことができません。
歯医者にしても眼科にしても中心部に出なくてはならず、
都合の合うときには車でお連れしますが、なかなか私たちも
毎回はおつき合いできず。最初は頑張ってバスで通っていましたが、
1時間に1本程度のバスとなるとどうも使いこなせない。

そこで最近は電話でタクシーを呼ぶようになりました。
タクシーだと駅まで1000円くらい、往復2000円程度です。
もったいないとも思いますが、考えてみれば月に1万円程度。
「いつでも自力で病院に行ける」という安心感と引き換えならば、
それくらいの出費はよいのではないかと思うのです。

友人のご両親もやはり町から離れた場所に住んでいて、
最近になって車の運転ができなくなり
タクシーで買い物に出かけていると聞きました。
またある友人は歳をとって車の運転ができなくなっても
不便しないようにと、下田のまちなかに住んでいます。

東京のように電車やバスが発達していないのが地方都市の現実です。
住む場所によっては、車がないと生活が不便になる下田というまち。
年老いたときにどんなことが不便になるのか、
竹子さんの暮らしを見ながら私たちもあらためて考えています。

下田の海

けれど、よかったこともあるんです。
下田で気に入った病院というのか、
竹子さんが信頼できるお医者さんが見つかったこと。
何かあるとすぐにそのお医者さんのところへ行っているようで、
それもひとつの重要な安心材料となっているようです。

田んぼの稲刈りも一緒に

田んぼの稲刈りも一緒に手伝ってくれました。竹子さんは米どころ新潟県の出身ですが、米づくりの作業をするのがこれが初めてだったそうです。83歳で米づくり初体験、楽しんでいました。

買い物、病院に続いてもうひとつは人づき合いです。
東京にいたときには、近所で立ち話をするような知り合いがいました。
けれどこちらに来てからはそうした知人もなく、
会話する相手は私たちと家をお借りしている大家さんくらい。
買い物以外はなかなか外に出る機会もないし、
誰とも話さない日もあります。

そんな竹子さんのことを、友人家族もとても気にかけてくれています。
ふとしたときに竹子さんの家を訪ねてくれたり、
ドライブに連れていってくれたり。
年末年始に私たちが東京に行っているあいだ、
年越しそばを食べに連れて行ってもくれました。

東京では考えられなかったような家族ぐるみのおつき合いが、
本当に心強く感じられます。竹子さんにとっても、
私たち以外にも近くに頼れる人がいるということは
大きな安心感となっています。

友人家族との新年会

友人家族との新年会に、竹子さんも一緒にお呼ばれしました。こうして義理のお母さんと一緒に自分の友だちの家でごはんを食べるなんて、東京では考えられなかったことです。