東京・ロンドン・長野を経て20年、
〈PHAMILEE〉のラディカルな視点。
ヘアサロンがローカルに果たす役割とは

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.6

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は、木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして、彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

ロンドンに感じた「伝統と革新の交差」

本棚

ローカルでも、都会でも、その土地の文化を牽引する存在として、
ヘアサロンが果たす役割は大きい。
ファッションや音楽などのカルチャーを語らう“サロン”としてだけでなく、
基本に立ち返れば「日々の身だしなみ」、つまりは「日々の生き方や考え方」に
影響を与える存在であると言っても過言ではないのだから。

とかくローカルにその身を置いたら、自分の身近なものごとや
ローカルにある事象にピントを合わせてばかり、なんてことも少なくない。
しかし本来は「ローカルも都会も関係なく、自身が追求すること」を
目の前の暮らしに投影し、深く広く、何度もピントをずらしながら、
発想を広げていくことが大切ではないだろうか。
そんな視点を持ち、自身のヘアサロンのあり方に自問自答を続けてきた人がいる。

2007年から長野市でヘアサロン〈PHAMILEE(ファミリィ)〉を営む、
ツチヤアキノリさんだ。

ツチヤアキノリさん

長野県出身のツチヤさんは、90年代に東京のヘアサロン〈SHIMA〉で
スタイリストの経験を積み、若手スタイリストの育成にも携わってきた。
その後、30歳を前にロンドンへと渡り、
美容師としての知見を培ってきた異色の経歴を持つ。

東京とロンドンを経て、長野で約10年。その過程を振り返ると、
ロンドンの空気に触れたことが、自身の根幹になっているという。

「一生を後悔しない選択を見つめ直したときに、ロンドンという選択をとりました。
ロンドンのよさは、洗練された都会で、一流の美容室をはじめ、
あらゆるジャンルの原点が多いこと。そのうえ、新しいものと古いものが
きちんと関係性をもって混在してきた文化があるからか、あらゆるものごとに、
ほどよい距離感があり、どこかフレンドリーな人柄と人間味もある。

ロンドンでの暮らしを通して、日本の見方も大きく変わり、
帰国したら、更新する文化と日本古来の文化が交差している京都に、
お店を出そうと考えるようになりました」

ガイドマップ『LONDON mini AZ』

しかし、帰国後はゼロからのスタートゆえ、
「いずれ京都へ行くことも視野に入れながら、
東京とも行き来できる長野からスタートを切ってみては」という考えが巡った。
そして、長野市と松本市で物件を探した末に、いまの場所と出会う。

「新旧が交差しているという意味では、結果的に長野市はよかったですね」

小豆島から男木島へ、
瀬戸内コミュニティ

男木島のおもしろい人たち、すてきな場所

私たちが暮らす小豆島は香川県に属しています。
実は香川県は全国の都道府県の中で一番面積が小さいんです。

そんな小さな香川県ですが、有人島(人が暮らしている島)の数は
全国トップ5に入るほど多く、24島あります。
〈瀬戸内国際芸術祭〉によってアートの島として有名になった
直島や豊島(てしま)も香川県の島です。
24島のうちほとんどが人口1000人未満の小さな島です。

小豆島は例外的に大きく、人口約27000人! 
ホームセンターやスーパーなどもあって、ほかの島と比べたらとても大きな島なんです。

小豆島で暮らしていると、島の中でいろんなものがそろうので、
暮らしが島で完結します。
日々必要な食料品や消耗品はスーパーで買えるし、
農作業の道具や家を直すための材料もホームセンターで調達できます。
病院もあるので、よほど大きな病気でないかぎり、島を出ません。
もちろん足りないものもあるのですが、そういうときはネットで注文したり。

小豆島のお隣にある豊島で暮らす友人は、
買い出しや病院の通院などで小豆島にちょくちょく来たりしています。
男木島で暮らす友人は、高松に買い出しに出たりするそうです。

それはもちろん手間のかかることだと思うのですが、
ひとつの島で暮らしが完結してしまうよりも、
島から島へ、島から四国本土へと人が行き来したり、
もののやり取りがある暮らしもおもしろいかもなと、ふと思いました。

そう感じたのは、先日初めて男木島を訪れたとき。
男木島には会いに行きたい友人たちがいて、ずっと行きたいと思いつつ、
2年くらいタイミングを逃していました(いま思えば、
「行く」を実行に移さなかっただけだなとちょっと反省)。

小豆島から男木島へは船を乗り継いで行きます。
小豆島から〈オリーブライン〉で高松へ、
それから高松で〈めおん号〉に乗り換えて男木島へ。
片道約2時間かかります。遠い〜(汗)。
もし直接行ければきっと30分くらいで行けると思うんですけどね。船が欲しい。

奥に見えるのが小豆島と高松をつなぐ〈オリーブライン〉、手前が高松と男木島、女木島をつなぐ〈めおん号〉。

奥に見えるのが小豆島と高松をつなぐ〈オリーブライン〉、手前が高松と男木島、女木島をつなぐ〈めおん号〉。

高松港で偶然遭遇した男木島の〈象と太陽社〉の山口ファミリー。

高松港で偶然遭遇した男木島の〈象と太陽社〉の山口ファミリー。

高松での乗り換えのときに、買い出しに来ていた
〈象と太陽社〉の山口ファミリーと偶然遭遇。
さっそく会いたい人に会えた。
山口くんたちは男木島でハーブを使ったサロン〈海とひなたの美容室〉と、
サロンや製品に使うハーブを育てる〈海のハーブ園〉を営んでます。
一緒に男木島へ向かいました。

男木島の港。4月26日から開催される〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の絶賛準備中。

男木島の港。4月26日から開催される〈瀬戸内国際芸術祭2019〉の絶賛準備中。

急な斜面にある男木島の集落。狭い道と高い石垣。

急な斜面にある男木島の集落。狭い道と高い石垣。

めおん号に乗って40分、男木島の港が見えてきました。
斜面にへばりつくように建てられた家々。
道は狭く、急な坂道。こりゃワクワクせずにはいられない。

畑から海が見られるなんて最高だなぁ。

畑から海が見られるなんて最高だなぁ。

石垣に囲まれた狭い道を登っていくと、山口くんの畑、海のハーブ園を発見。
小さな畑の向こうには海が見える。
サロンからも海と港に停泊中のめおん号が見える。海と坂のある集落。
島上陸後、数分で一気に男木島の魅力に引き込まれてしまいました。

歩いてまわれる男木島の集落。

歩いてまわれる男木島の集落。

サロンに飾られたドライハーブが美しい。

サロンに飾られたドライハーブが美しい。

高齢者の移住って大変? 
よかったこと、大変なこと

80代での移住、実際の暮らしはどう?

夫婦と娘の3人で、伊豆下田に移住した津留崎さん一家。
さらに、東京でひとりで暮らしていたお母さんまで下田に移住してきました。
といっても同居ではなく、すぐ近くに別居というスタイル。
それから約1年、実際に暮らし始めてどんな様子なのか? 
今回は、そんな高齢者の移住についてです。

春を呼ぶ、阿蘇「草千里」の野焼き

草原を維持するため再開された、大切な行事

阿蘇の観光地としても有名な「草千里」の野焼きが3月2日に行われました。
移住する前に熊本を訪れた際、旦那さんに車で連れて行ってもらった草千里。
日本にこんな場所があるんだ! と感動し、
移住してからも時折行ってはパワーをもらう大好きな場所です。
そこでの野焼き、これは見なければと行ってきました。

野焼き前の草千里の様子。草地はすべて枯色です。

野焼き前の草千里の様子。草地はすべて枯色です。

阿蘇地域で2月から3月の早春の頃に行われる野焼きは、
草原を維持するための大切な作業。

野焼きをすることで前の年に生えた枯れ草を焼却し、
草原が森林に変わってしまわないよう低木類を抑圧して
牛馬が好むネザサなどの新しい草の芽立ちを助けます。
そうすることで牛や馬の放牧の場として利用するための
新鮮な草原を維持することができるのです。

阿蘇の草原の歴史は古く、『日本書紀』にも記述があり、
1000年以上にわたって人が自然と共生して維持してきた場所です。

阿蘇地方の野焼きは毎年日を分けて、北外輪山一帯や米塚周辺など数か所で行われます。
今回私が見学しに行った草千里は、阿蘇五岳の烏帽子岳の側火山として活動した
千里ヶ浜火山の火口跡を放牧地として草原化しています。

烏帽子岳の北麓に広がる78万5千平方メートルの大草原の中には
雨水が溜まってできたと言われる浅く広がる池がふたつ並んでいて、
初夏の新緑の緑と池の水が映す空の青とのコントラストがすばらしく、
阿蘇の観光地としても有名な場所です。

夏の草千里の様子。

夏の草千里の様子。

また、4月から11月頃までは乗馬体験用の馬が仕事を終えると放牧され、
夕方には自由に草を食む馬たちの姿を見ることもできます。
名だたる文豪たちも草千里を訪れており、
三好達治の『大阿蘇』という詩が草千里の情景をとてもよく表しています。

馬は草をたべてゐる
艸千里濱のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつもしんしんとたべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでひとところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう

三好達治『大阿蘇』(抜粋)

三好達治がこの詩を書いてから80年以上経っていますが、
いまだにその風景は守り続けられています。

野焼きのときは一般の方は草原内には入ることができません。

野焼きのときは一般の方は草原内には入ることができません。

山を買ったら、出版社ができた!
思いがけない山の活用法に気づいて

岩見沢の図書館でお話会を開いてもらった!

東京から北海道に移住して8年が経ち、ここ最近、仕事の質に変化が訪れている。
ずっと続けてきた書籍や雑誌の編集の仕事だけでなく、
みなさんの前でお話をさせていただく機会が増えたことだ。

昨年から、地元岩見沢にある北海道教育大学の美術文化専攻で、
年に数回講師を務めたり、ほかにも一般の方に向けた講演会を行ったり。
そして今年の2月には、地元の岩見沢市立図書館で立ち上げられた
「ライブラリーカフェシリーズ」の第1弾の企画としてゲストに招いていただいた。

会場前には、わたしがこれまでにつくった本を並べてくださった。図書館員のみなさんの手づくりポップがうれしい。(写真提供:岩見沢市立図書館)

会場前には、わたしがこれまでにつくった本を並べてくださった。図書館員のみなさんの手づくりポップがうれしい。(写真提供:岩見沢市立図書館)

開催されたのは2月22日。金曜日の夕方、仕事帰りの方に向けて
コーヒーを片手に話を聞く場をつくりたいと企画されたイベントで、
地元の焼き菓子工房〈グランマヨシエ〉のスイーツもふるまわれ、
アットホームな雰囲気の会場をつくってくださった。

わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)地区にちなんだお菓子も配られた。

わたしが住む岩見沢の美流渡(みると)地区にちなんだお菓子も配られた。

お話会のタイトルは「山を買ったら、出版社ができた!」。
2016年にわたしは山を購入。そこに出版社の社屋を建てたわけではないが、
この購入が、北海道で新しい活動を始める、
すべてのきっかけであったことをお話しした。

山を買った経緯については、この連載でも何度か紹介してきた。
そして、購入した8ヘクタール(東京ドームが4.7ヘクタール)のうち、
1ヘクタールに植林をした以外は、特に目立った活動はしていないことも書いてきた。
正直言って広すぎて、少し草を刈っただけでは、まったくなんの効力もない。
たまに遊びに行く以外は、たいした活用はできていないのが現状だ。

買った山は木が伐採されたあとの荒地だった。ブルドーザーが通った道があり、山肌が出ている箇所もある。

買った山は木が伐採されたあとの荒地だった。ブルドーザーが通った道があり、山肌が出ている箇所もある。

ただ、友人たちや仕事先で山を買った話をすると、
みんなが興味を持ってくれることがわかった。
特に、著名人に取材をするときには役に立った。
これまで、東京で編集者として“仕事できるぞオーラ”を出しつつ
やってきたつもりだったけれども、取材先で名前を覚えてもらうことは少なく、
その他大勢の編集者のひとりという感じだったのだ。

けれど「北海道に山を買ったんですよ」と口にすると、
相手がわたしに興味を示してくれることも増え、
「山を買った編集さん」として認識されるようになった(仕事にもよい影響!)。

山を買った話を雑誌や会報誌に寄稿することも増えた。右は『山つくり』、左は『TURNS』Vol.34。

山を買った話を雑誌や会報誌に寄稿することも増えた。右は『山つくり』、左は『TURNS』Vol.34。

散歩しながら食料調達!
ずぼらでも楽しめる
春野草の料理のススメ

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

山の谷間にある我が家の集落も、すっかり春めいてきました。
雨が降るたびに吹く風が暖かくなり、
小川のほとりに、散歩道の隅っこに、
春の野草たちがぽこぽこと顔を出し始めます。

カゴを背負って野草摘みへ!

今日は天気もよくって気持ちがいいので、
私と一緒に我が家の周りを散歩してみませんか?

せっかくなので、0円で手に入るごはんの材料、
“春の野草”をゲットしてきたいと思います。

「野草って、下処理が大変そう……」と思った方、ご心配なく! 
普段から野菜の皮はむかない、アク抜きもしない、
そんな私でも楽しく採れる野草が、野原にはたっくさんあるのです。

収穫した野草。

ここで私の、野草摘みのポリシーを紹介します。

(1)すぐ食べられるものを採る

(2)採りすぎない

(3)お気に入りスポットを愛でる

まず最初に「(1)すぐ食べられるものを採る」ですが、
アクを抜いたり、皮をむいたり……食べるまでに手間がかかる野草は
するりと避けて、すぐ食べられる野草をチョイスします。

例えば、このハコベ。

みずみずしいハコベ。

みずみずしいハコベ。

野草にしては珍しく、生でも食べられるお手軽野草です。
今の季節は水分をたっぷりと含んでいて、
茎を折るとジュワッと水分が染み出してくるほど。

さっと湯がいておひたしにすると、
青臭さが抜けてもっと食べやすくなります。

カラスノエンドウは、先っぽだけポキっと折って収穫!

カラスノエンドウは、先っぽだけポキっと折って収穫!

道端でよく見かけるカラスノエンドウも、
若芽なら生で食べてもおいしくいただけます。

エグみが少なく、枝豆のような風味がして、なかなかイケます。
ただ、アブラ虫がびっしりとついていることがあるので、
それだけはしっかりとチェック!

レンゲの花と、タンポポ。

レンゲの花と、タンポポ。

レンゲも同じマメ科なので、野草の中では比較的食べやすい味です。
花をサラダに入れると彩りのアクセントになって◎。

水辺には、キラキラと水を弾くセリが。ミツバのようなスキッとした風味がお吸い物にぴったり。

水辺には、キラキラと水を弾くセリが。ミツバのようなスキッとした風味がお吸い物にぴったり。

それから、初心者にオススメしたい野草は、なんといってもノビル。
葉っぱはニンニクとネギの合いの子のような風味で、
根っこはラッキョウのような不思議な野草。
どんなお料理にも合うため、我が家では重宝しています。
薬味としても、炒めても、茹でてもOK。
普通の野菜とほぼ同じように調理できます! 

ノビルは根っこの先の膨らんだ部分がおいしいのですが、
地面にしっかりと根づいたものだと
スコップで掘り返したりしなければ、根っこの先まで収穫するのは大変。

無理やり引っ張ると、この丸い部分がちぎれてしまいます、一番おいしいところ!

無理やり引っ張ると、この丸い部分がちぎれてしまいます、一番おいしいところ!

そのため、ノビルを探すなら道端の石垣周りが狙い目。
石垣の間に溜まったふわふわの土はやわらかいため、
そこに生えたノビルであれば、するりと抜くことができるのです。

さて、石垣の積まれた道を登り切ると、
昔畑だった空き地にびっしりとツクシが生えているのを見つけました。

ツクシの群れ。

ここはご近所さんたちのツクシ収穫スポット。
まるでツクシ畑のようにニョキニョキと生えています。

これぞ野草のずぼら料理。3分でつくれます。

これぞ野草のずぼら料理。3分でつくれます。

ちなみに私、つくしのハカマをとらずに調理します。
ご近所さんには「信じられない!」と驚かれましたが、
ハカマに毒はないようですし、
ちょっと歯ごたえはあるけれど全然気にせず食べられます。

ひとつひとつハカマをとるのは重労働ですから、
採ってきたツクシをそのままパッと鉄鍋に投げ入れて、
ジャッと強火で炒め、醤油と胡椒で味つけするのが大好きです。

本当にいいものづくりとは。
革作家〈OND WORK SHOP〉
木村真也さんが、ゼロから築いた
理想のサイクル

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.5

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は、木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして、彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

東京を経て長野へ。ゼロからつくった自分の仕事

「こんなレザーベルトや、あんなレザーウォレットが、あったらいいな」と
頭に浮かぶイメージが膨らんだら、マップのピンを長野市に落として、
休日のひとときを楽しんでもらいたい場所がある。
革作家の木村真也さんが営む〈OND WORK SHOP(オンド ワークショップ)〉だ。

〈OND WORK SHOP〉内観

木村さんがつくるレザーアイテム

木村さんがつくるレザーアイテムは、
色、ステッチ、デザイン、そして革の表情まで、同じものはふたつとない。

オーダーを受けて、ゼロからデザインをおこすこともあれば、
バックルからベルトの「太さ・色・長さ」まで自由に選べる革ベルトや、
はたまた、バッグや衣服、家具にまで、革を用いたリペアをする。
革の個性とお客さんのイメージを読み、
おもしろおかしく談笑のキャッチボールを繰り広げては、
膨らんだイメージから世界にひとつのものをつくる。

革作家の木村真也さん

そんな木村さんの誠実な人柄が沁みるOND WORK SHOPは、
2014年10月のスタートから、およそ4年半の歳月が経ったいま、
毎月30組以上のオーダーを呼ぶサイクルを生んだ。
木村さんは、これまでを振り返り、子どものように純真無垢な笑顔で、
ものづくりへの想いをこう話す。

「人が本当にほしいと思うもの、永く使いたいと思うものを、
ひとつひとつ、ちゃんとつくって、届けたい。それだけなんです」

とはいえ、出身の長野県飯山市で高校を卒業したあと、
東京の専門学校でグラフィックデザインを学び、
20代を浅草の老舗ベルトメーカーで過ごしてきた木村さんにとって、
長野市で自分のお店を開くのは、知り合いもツテもゼロからのスタート。

ましてお店ともなれば、立地や単価、客数などの計算を
しないわけにはいかなかったのでは? 
と素朴な疑問も浮かんできそうだが、木村さんはまっすぐに言う。

レザーの財布

「お店を始める前から、いままでずっと、
そういう計算ありきでお店のことを考えたことがなくて。
むしろ、売ろうとしてない(笑)。
それよりも、ここで出会えた人たちが、『何を求めているのか』
『何を楽しみたいと思っているのか』ということばかり考えてきました。
根本的に、出会えた人とは、ものを売るだけの関係になりたくない
と思ってやってきたので。

だけど、もし東京でやっていたら、経費がかかりすぎちゃって、立地条件や価格など、
お金を稼ぐことに比重をかけざるを得なかったかもしれないですね。
そう考えると、やりたいものづくりのあり方とこの場所が、
たまたま合っていたのかなと思います」

〈OND WORK SHOP〉がある町並み

自分たちの故郷の魅力を知ろう!
地元高校生とワークショップ

高校生が企画する、小豆島の魅力を感じるワークショップ

昨年の秋、小豆島にある高校から電話がかかってきました。
「〈HOMEMAKERS〉さんで野菜の収穫をしたり
調理をするワークショップをしたいんです」と。

小豆島にはつい数年前までふたつの高校がありました。
現在では合併してひとつになり、3学年で合計約600人くらいの子たちが通っています。
その高校の授業の一環で、高校生自身がワークショップを企画、
参加者を募集し、実施するというプログラムがあるそうです。
A4の用紙1枚にまとめられたコンセプトはとてもわかりやすくて、
なるほど! それはいいねというものでした。

今回のワークショップを企画した三浦さん(左)と圓山くん(右)と中筋先生(中央)。

今回のワークショップを企画した三浦さん(左)と圓山くん(右)と中筋先生(中央)。

私たちが営む〈HOMEMAKERS〉カフェに集合して、ワークショップが始まりました。

私たちが営む〈HOMEMAKERS〉カフェに集合して、ワークショップが始まりました。

毎年高校卒業とともにそのほとんどの子たちが進学・就職で島を出ていきます。
200人のうちの8割くらいが島外に行くそう。
島には大学がないので、進学しようとするとほぼ確実に島を出ることになります。
彼ら彼女らにとってずっと暮らしてきた小豆島の風景や文化は当たり前のもので、
その魅力を認識して語ることは難しい。
そりゃ、島になくて、外にあるものに憧れるのは普通です。

高校卒業とともに島の外に出ること自体はいいと思うんです。
むしろもっと早く出てもいいのかも。
でも、もし若い子たちが自分たちの故郷の魅力を知っていて、
そのうえで外に出ていったとしたら。
進学先や就職先などで小豆島の魅力を伝えられる人になるかもしれないし、
島に帰ってくるかもしれない。

だから、小豆島の魅力に気づいてもらえるような、
再発見できるような、島のことをより好きになってもらえるような
ワークショップをしたいというのが今回の企画。
すばらしい!

まずは玉ねぎ収穫!

まずは玉ねぎ収穫!

畑に高校生の子たちが来るのは初めてでした。

畑に高校生の子たちが来るのは初めてでした。

というわけで、なかなか高校生と一緒に活動できることもないし、
私たちにとってもいい機会だなと。
やりましょう! と快諾し、先日ワークショップが開催されました。

玉ねぎを収穫して根を切る作業も。

玉ねぎを収穫して根を切る作業も。

移住者増加中!?
行政が変わりつつある下田市の移住事情

現在の下田市の移住事情は?

約2年前に下田市に移住した津留崎家。
娘の小学校入学時には学童保育がなく、働き方を工夫していますが
学童保育の整備も含め、少しずつ行政が
移住に関する取り組みを始めたようです。
津留崎さんが、市の移住担当者へ直撃インタビューしてきました。

中山間地で賃貸住宅を仕掛ける
新しいビジネス。
〈里山ながや・星野川〉が目指す
ローカルの姿とは?

中山間地でお試し移住の、その先へ

自然豊かな中山間地に住んでみたいと思っている人も多いだろう。
しかし多くの人にとって、「住む場所をどうするか」という問題が立ちはだかる。
いきなり一軒家を購入するにはハードルが高いし、
そもそもあまり物件が市場に出回っていない。

そのまちに馴染めるかもわからないから、
最近では仮住宅に住んでみる「お試し移住」を体験できる仕組みも増えている。
ただし、お試し移住でその地域を気に入ったとしても、
その後に住むことができる住宅はかなり限られているのが現状だ。
地域としては、やはりその土地に住んでほしい。
そんな声を後押しする新しいタイプの物件が生まれた。
福岡県八女市にある〈里山ながや・星野川〉だ。

8戸が連なる長屋スタイル。

8戸が連なる長屋スタイル。

里山ながや・星野川は中山間地にある賃貸住宅である。
運営会社は〈八女里山賃貸株式会社〉。
代表の長谷川繁さんは、不動産会社〈福岡R不動産〉代表でもある。
これまで福岡県内を中心に、中山間地でのお試し移住を進めてきた経験もある。

「都会の喧騒から離れた暮らしをしたいという層が、
一定数いるという実感はありました。そこでお試し移住後の物件を手がけてみようと。
中山間地の賃貸は、地縁がないと簡単に見つけることはできません。
ニッチな市場ではありますが、
だからこそ事業として成立する見込みがあるのではないかと思っています」

〈八女里山賃貸株式会社〉代表の長谷川繁さん。

〈八女里山賃貸株式会社〉代表の長谷川繁さん。

そもそもこの事業が始まったきっかけは、
全国で森や木材などを通して持続可能な地域の実現を目指そうという
ビジネスを展開している〈トビムシ〉にある。
トビムシは、中山間地で活動をしているような移住者が、
その土地に住める住居が少なく、結果的に周辺都市に住みながら、
中山間地に通っているという事例をいくつも見てきた。
それならば、中山間地に移住者でも借りやすい賃貸住宅をつくってしまうのがいい。
それを実現できたのが八女市だった。

この事業は民間資本による民間プロジェクトだ。
八女市は用地借上や近隣との関係などをサポートしているが、
補助金などは使っていない。

「税金や補助金ばかり使っていると、中長期的な持続性が失われがちです。
民間であるということは、私たちは知恵を出して稼がなければならないわけです。
それ自体が地域のためになるだろうと思っています」

木材が全体に使われ、モダンさもありながら、中山間地でも馴染むデザイン。

木材が全体に使われ、モダンさもありながら、中山間地でも馴染むデザイン。

住宅には、ふんだんに八女杉が使われている。
中山間地では林業が重要な産業であるが、
担い手や後継者が少ないという問題を抱えている地域も多い。
八女市も豊富な杉が採れるが、同様の問題を抱えている。
だから地域の材をふんだんに使用した木造住宅を建てるということは、
地域の象徴にもなりやすい。

「地域にとっても、家を建てた地元の職人にとっても、山の世話をしている人にとっても、
わかりやすく伝えられる建物ができました」と長谷川さんもいう。

まずは八女市で八女杉をたくさん使うことに意義がある。
林業や森林再生への象徴としての役割も果たしているのだ。

遠くからでも、わかりやすい木造建築になっている。

遠くからでも、わかりやすい木造建築になっている。

一方で、「建ててからが本当のスタートです」と長谷川さんも身を引き締めてもいる。
ボランティア精神は心意気としてはすばらしいが、
その人がいなくなると終わってしまったり、実はサステナブルとは言えない側面もある。
ビジネスとしてのせていくことも重要だ。

「この物件を通して、地域に担い手を増やして活性化させたい。
逆に言えば、誰でもウエルカムではありません。
まだ入居者は全戸埋まってはいないのですが、
地域に積極的にコミットできるような人に入居してほしいのです。
中山間地の暮らしがこんなに厳しいのかとすぐに出ていってしまうような
ミスマッチを起こさないためにも、きちんと説明していくことも重要です」

産みたて卵に感動したり、
癒されたり……
憧れの“ニワトリ”との暮らし。

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

「田舎暮らしをしたら、いつかニワトリを飼ってみたい」
これが、地方移住する前の私の小さな憧れでした。

産みたての卵を収穫しながら、かわいいニワトリに囲まれて暮らす……。
本や映画で見てはいたものの、実際の暮らしはどんな感じなんだろう。
産みたて卵はどんな味がするんだろう。
ワクワクした気持ちと一緒にこの集落へ引っ越して、6年。
今は念願叶って6羽のニワトリたちと一緒に住んでいます。

いとしまシェアハウスの庭で過ごすニワトリたち。

今回は、ユニークでかわいいニワトリたちのとの暮らしのなかで感じた
学びや発見、実際に飼ってみて大変だったことについて
お話ししたいと思います。

まずは、ニワトリを飼ってみてよかったところから。

(1)おいしい産みたて卵が食べられる!

産みたて卵と手づくり納豆のぶっかけうどん。

産みたて卵と手づくり納豆のぶっかけうどん。

これはもう、ニワトリを飼って何よりもよかった! と感じたところ。
産みたての卵は臭みがまったくなく、贅沢な卵かけご飯が心ゆくまで味わえます。
さらに手づくりの餌をあげているので、安心・安全。
庭で放し飼いをしているので、ニワトリたちもストレスフリーです。

今でこそ卵の自給率100%ですが、ニワトリを飼う前は、卵は貴重品でした。
「自分たちでつくれないからこそ、身の丈にあった分だけ大事にいただこう」
というスタンスで使っていたため、
ひとり1個卵を使う“ゆでたまご”なんて、贅沢中の贅沢! 

ひとつの卵で8人のお腹をどうやって満たすか。
ときたま汁にしてみたり、豆乳を足して量増ししてみたり、
限られたものから知恵を絞っておいしいものを生み出す作業は
意外と楽しいものでした。

産みたて卵が5つも!

こういう暮らしが長かったからこそ、ニワトリがやってきてからは驚きの連続。
若い彼らが予想以上にぽんぽこ卵を産むものだから、
初めての収穫のときは、手の中にいっぱいの卵を見つめて
「こんなに贅沢に……卵を使ってもいいの!?」と感動で胸がいっぱいになったなあ。
これまでの暮らしでの卵の概念が覆るくらい、衝撃的な出来事でした。

(2)卵のありがたみを身近に感じられる

お尻に卵をくっつけたまま歩く、ちょっと間抜けなニワトリちゃん。

お尻に卵をくっつけたまま歩く、ちょっと間抜けなニワトリちゃん。

よくよく観察してみると、ニワトリの卵って彼らの頭と同じくらいの大きさがあるのです。
毎日、自分の頭ほどの大きさの卵を肛門から出していると考えたらどうでしょう……。
私だったら、痛みで失神しているかも。

こうやってひとつひとつ、体を張って産んでくれているんだと思うと、
卵に対する想いも一層強くなります。
ニワトリたち、いつも本当にありがとう。

ニワトリが卵を産む姿が大好きすぎて、
「あ、産みそう」と思うとつい覗いてしまいます。
ニワトリとしてはあんまり見られたくないだろうなあ……ごめんね。

(3)ご近所さんたちとのコミュニケーションツールになる

卵のお礼にと、ご近所さんからいただいたお野菜。

慎ましい卵生活を送ってきた私たちにとって、
卵が毎日増えていくのはうれしくもありつつ、
自分たちだけじゃ食べきれないなあ、と思う日もあります。

そんなときは、ご近所さんへおすそ分けです。
この集落ではニワトリを飼っている方がいないので、
皆さん大喜びしてくれて、お返しにたくさんのお野菜をいただきました。
田舎では「周りの人がつくっていないものをつくる」ことが大切。
我が家にとって、卵は食料でもあり、
ご近所さんとのコミュニケーションツールでもあるのです。

野菜の自給率が低い我が家は、
この「おすそ分け」や「物々交換」があるからこそ、
豊かな食生活を送れているのだと思います。
卵、ありがとう~! 

(4)放し飼いにしていると雑草を食べてくれる

庭でピザ窯づくりのお手伝い(?)をしてくれるニワトリ。

庭でピザ窯づくりのお手伝い(?)をしてくれるニワトリ。

庭で放し飼いにすると、ニワトリが草を食べてくれるので、
ぼうぼうだった庭の雑草もだいぶスッキリしました。
(庭で家庭菜園をしていると、その野菜も食べられちゃうので注意が必要ですが……)
さらにはニワトリたちの糞によって、土も豊かになります。

(5)人間が食べられないものを食べて、食べられるものを生み出してくれる

虫を食べるニワトリ。

虫を食べるニワトリ。

彼らを飼い始めて、小さく感動したことなのですが、
ニワトリって、その辺にいる虫、悪くなった野菜、料理で出た生ゴミ、雑草や野草など、
人間が食べられないものを「卵」というおいしい食べ物に変換してくれるのです。
おかげでちょっとした生ゴミも貴重なニワトリの餌になり、無駄になりません。

これだけでも、ニワトリってすばらしい! と思いませんか?

(6)ニワトリがかわいくて癒される

ニワトリはとっても温かい。

シンプルに、ニワトリはかわいい。
プリップリのお尻や、餌をあげるときの食いつき具合、
驚いたり怒ったり喜んだり、感情豊かな彼らに毎日癒されています。

我が家に遊びに来たゲストとも仲良くしてくれるので、
まちの人たちが生き物と触れ合う、いい機会になっているのかなとも思います。

長野市コーヒー探訪。
〈FORET COFFEE〉
〈ヤマとカワ珈琲店〉〈平野珈琲〉
のあるまち

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.4

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は、木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして、彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

人が行き交い、文化が交差する
「コーヒーのある場」へ

人が行き交い、文化が交差する「コーヒーのある場」には、
世界中どこでも、旅人を楽しませる偶然が待っている。

店主にローカルのおすすめを聞くのもいい。
たまたま居合わせた人が、まちを案内してくれることだってある。
イヤホンを外し、これまでためてきたマイプレイリストをオフにして、
お店の音楽やそこで交わされる言葉に身を委ねては、
自分の知らない音楽や世界に耳を傾けるもよし。
たった1杯のコーヒー。されど、そこからたくさんの偶然がつながっていく。

連載の第4弾となる今回は、長野市で「コーヒーのある場」を営む、3人の店主を紹介。
彼らに共通するのは、「全国各地に独自の関係を築いていること」。
もはや、ローカルの境界線を越えて、
三者三様に豆の販売やコーヒーの監修などを手がけ、
実直に自分が表現したい「コーヒー」と「場」を更新し続けている。

そんな彼らとの出会いや、それぞれの「場」で交わす言葉から、
長野市の旅を始めてみたら、きっと、自分だけでは想像し得なかった
新しい世界が広がっていくだろう。

〈FORET COFFE〉

〈FORET COFFE〉フルーティーな香りや甘みを残すコーヒーは、生豆本来の果実味を引き出す軽やかな味わい。外国人客らが「Good Songs」と喜ぶレコードの選曲、イラストレーター・松本セイジさんのウォールアートなども、心地よい空間のひとつ。店主の松澤岳久さんは、東京・浅草にある〈Sensing Touch of Earth〉などのコーヒー監修も務めている。

〈ヤマとカワ珈琲店〉

〈ヤマとカワ珈琲店〉コーヒー豆・焼き菓子のほか、作家作品などを扱う。まろみとコクを引き立てる中・深煎りのコーヒーは、苦みを得意としない人にも重くなりすぎない、ほどよい深み。喫茶営業はないが、コーヒー豆やドリップパックなどの販売のほかに、音楽家や作家の作品も紹介。中央通りから外れて、裏路地へわざわざ訪れる楽しさがある。店主の川下康太さんは、名古屋から長野市へ移住し、2014年に開業。

〈平野珈琲〉

〈平野珈琲〉ひと口ずつ深煎りの苦みと香りが広がるコーヒーは、ゆったりくつろげる喫茶店でありたいという、店主•平野仁さんの想いから。人通りを離れた2階建ての空間に、古いALTECのスピーカーからジャズが流れ、時間を忘れさせる。札幌市でゲストハウスやブックカフェを営んできた店主の経験と感性が、見知らぬ人たちが集まる大きなテーブルのしつらえや、さりげなく置かれた本などに表れている。

善光寺中央通りに面したコーヒースタンド〈FORET COFFEE〉、
中央通りから東へ、裏路地の先にある焙煎所〈ヤマとカワ珈琲店〉、
善光寺から西へ、閑静な住宅地に隠れ家のように佇む喫茶店〈平野珈琲〉。

3つの「コーヒーのある場」を巡れば、また長野を旅したくなる偶然に出会うだろう。
お互いに近況を報告し合う仲でもある3人の声とともに贈る本記事を片手に、
都会の喧騒を離れて、コーヒーを巡る旅を長野市で。

5周年を迎えた、
小豆島〈HOMEMAKERS〉カフェ

冬季休業が終わって、6年目のカフェオープン!

2014年2月22日にオープンした〈HOMEMAKERS〉カフェ。
この2月で5周年になります!

小豆島に引っ越す前から、カフェをやりたいという思いはありました。
普通なら自宅とは別の場所に店舗となる建物を借りて、
そこでカフェを開こうと考えるのかもしれませんが、
あまり悩むこともなく、当たり前のように自宅の一部をカフェとして開きました。

カフェをやりたいというより、自宅の一部を開きたい、住み開いて、
いろんな人を招きたい、来てもらいたいという気持ちが強かったのかもしれません。
居心地のいい空間で、おいしいコーヒーが飲めて、おいしいごはんが食べられて、
いい時間を共に過ごせる。そんな場所をつくりたいという思い。

WE ARE HOMEMAKERS! レジカウンターには友人たちの作品が並んでます。

WE ARE HOMEMAKERS! レジカウンターには友人たちの作品が並んでます。

キッチンに棚を新設。こういう作業をしてるときはとても楽しそう。

キッチンに棚を新設。こういう作業をしてるときのたくちゃん(夫)はとても楽しそう。

HOMEMAKERSカフェは、週に2日、金曜日と土曜日だけ開いています。
実は最初の1か月は土・日曜日に営業していました。
やっぱり一番お客さんが多いのは週末なので。

でも、土・日に営業してしまうと、子どもも揃った家族の休日がなくなってしまう。
なんのために島に引っ越してきたのか、家での時間を大切にするために
仕事を辞めて小豆島に来たのに、それでは意味がなくなってしまう。
というわけで、すぐに金・土曜日に変更しました。

最初の3年くらいは、近所のお母さんから
「金曜日は(人が)来ん曜日じゃ!」とネタで言われるくらい静かでしたが
(やっぱり平日にのんびり田舎のカフェに来る人は少ない、笑)、
でもここ最近は金曜日もけっこう賑やかで、
近所のおばあちゃんたちがお茶会しにきてくれたり、島の友人が来てくれたり、
週によっては金曜日のほうが土曜日より忙しいときもあったりします。

若くて元気なほうれん草。旬です。

若くて元気なほうれん草。旬です。

野菜の収穫は主に月・水・金曜日にしています。

野菜の収穫は主に月・水・金曜日にしています。

なぜ週2日だけなのか? という話ですが、私たちは毎日農業をしています。
畑で野菜を育てて、その野菜を販売しています。
週4日農業、週2日カフェというバランスがいまの私たちにとってはちょうどいい。
畑やカフェを手伝いに来てくれる仲間が増えて、
いまはカフェを営業しながら畑作業もしたりしているので、
もしかしたら今後カフェの営業日が増えるかも? 増えないかも?

収穫して土を落とした野菜たち。

収穫して土を落とした野菜たち。

お客様にお届けするように何種類かの野菜をセットにして箱に詰めます。

お客様にお届けするように何種類かの野菜をセットにして箱に詰めます。

人が集まる場所をつくってみたい。
「暮らし研究所」という構想

海が見えるバーベキュー場で
味噌仕込み会

毎年、自家製味噌をつくっている津留崎徹花さん。
下田に移住後、今年は伊豆の友人たちを招いて味噌仕込み会をすることに。
せっかくなら気持ちのいい屋外でやってみようと
海の見えるロケーションの〈ガーデンヴィラ白浜〉で開催。
人が集まり、暮らしのひとコマを一緒に楽しむ。
この日の体験から、ある構想が生まれたようです。

夫が突然つくった巨大かまくらが
地域の輪を生み出して

撮影:新田陽子

その高さ2メートル超え。少しずつ巨大化していったかまくら

東京から夫の実家のある北海道に移住して、暮らしに劇的な変化があったのは、
冬の過ごし方だと思う。11月には初雪が降り始め、
4月になっても路面に雪が残っており、北国の冬はとにかく長い。

しかも、わたしが住む岩見沢市は北海道有数の豪雪地帯。
朝出かけようと思っても車が雪に埋もれているときもあるし、
吹雪になってホワイトアウトしているときもある。
なかなか予定が立てにくい状況の中、夫が除雪に精を出してくれるので、
なんとか子どもを幼稚園に連れて行ったり、仕事に出かけたりできている状態だ。

冬の天候は変わりやすい。突然、雪が激しくなりホワイトアウトすることもある。

冬の天候は変わりやすい。突然、雪が激しくなりホワイトアウトすることもある。

除雪に関して夫はかなり几帳面なタイプだと思う。
駐車スペースだけでなく、庭全体を除雪しており、
半日以上を費やすこともしばしばある。
わたしとしては、まだ次女が1歳半なので、
子どものフォローをしてほしいと思うこともあるのだが、
大雪が降ったあとは「オレは除雪で忙しいんだ!」と家を飛び出してしまう。

雪用のシャベルを使うほか、小型の除雪機も活躍。雪を巻き上げて遠くへ飛ばす。

雪用のシャベルを使うほか、小型の除雪機も活躍。雪を巻き上げて遠くへ飛ばす。

あるとき朝から外に出たっきり、昼になっても戻ってこないことがあった。
あまりに戻ってこないので、どうしたのかと思って外に出てみると、
なんと庭に巨大なかまくらができていたのだった。

北海道の雪はサラサラで、雪だるまやかまくらをつくるのに
適していないとよく言われる。
そこで夫は、膝をかがめて入れるくらいのスペースの骨組みを木でつくり、
そこに除雪機で雪を振りかけ、何日かかけて何層にも積み上げていったようなのだ。

しかも、これでかまくらが完成したのかと思ったのだが、
その後も上から除雪した雪を重ねていったようで、
壁の厚さが1メートルほどになった時点で、骨組みを取り外していた。
そして、さらに雪を重ね、重みで雪が締まってくると、
中が狭くなってくるので、スコップで雪をかき出し……。

高さ2メートル超えのかまくらが完成。

高さ2メートル超えのかまくらが完成。

身長150センチくらいの人なら真っ直ぐ立てる。中は思いのほか広い。

身長150センチくらいの人なら真っ直ぐ立てる。中は思いのほか広い。

わたしは日々、編集者として本づくりをしているのだが、
締め切りが重なって本当に忙しい時期になると、
夫の連日のかまくらづくりに、さすがに複雑な心境となった。

わが家では、わたしが仕事をして、
夫には家事と育児をかなりの部分で負担してもらいつつ、
家の改修などをしてもらっているのだが、
夫が「除雪が大変だ、大変だ」という言葉を聞くと、
つい「除雪じゃなくて、かまくらづくりで忙しいんじゃ……」と、
心の中でツッコミを入れたことが何度もあった。

そんな夫婦の火種(!?)となっていたかまくらが、
思いがけない出来事に発展していった。

〈Ka na ta〉加藤哲朗さんの
五感がつくる長野市信級のアトリエ、
服を売らないお店、そして旅館

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.3

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は、木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして、彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

体をめぐる「服と場」を見つめてきた〈Ka na ta〉

ひらがなの一文字が古来からもつ意味、
「か|あなた」
「な|眼、見ること」
「た|時間的・空間的方向性」
をコンセプトとするブランド〈Ka na ta〉。

2005年のスタート以来、大量生産・大量消費の「ファッション産業」とは距離をとり、
独自の世界観を築きながら、東京のアトリエと直営店、
吉祥寺の「服を売らない」直営店、長野市信級(のぶしな)のアトリエと、
年を重ねるごとに創作の場を広げてきた。

その軌跡は、「ファッション=流行」とは一線を画し、
彼らの表現そのものに魅了されたアーティストやミュージシャンにはじまり、
草の根的に多方面からの支持を受けるようになっていった。

メディアに露出することで他者に編集される、つくられた〈Ka na ta〉像よりも、
単純明快なオンラインショップよりも、お店という現実の場で、
「人と服が出会う過程に、自ら立ち会うこと」に重きを置いてきた彼ら。

その根底にあるのは、体にとって重要な「服と場」を
自分たちの目で見つめることだった……。

連載の第3弾となる今回は、
「あんまり慣れてないんだよね(笑)」と朗らかな笑顔でインタビューに応えてくれた
〈Ka na ta〉デザイナー・加藤哲朗さんを紹介。
長野市信級にアトリエを持ったことで生まれた創作の源泉や五感、
〈Ka na ta〉の現在点をここに記録する。

古材・廃材を使って
築80年の納屋が
“劇的”ビフォー&アフター!
〈大工インレジデンス〉

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

以前この連載で紹介した、
〈大工インレジデンス〉という取り組み、覚えていますか?

このプロジェクトは、大工は家賃&食費が“無料”になり、
我が家の暮らしを体験しながら、一緒に納屋をリノベーションして、
新しいコミュニティの場をつくろうというもの。
大工さんの技術と、我が家の暮らしの、物々交換のような取り組みです。

今回のプロジェクト第1期では、物置きとして使っていたボロボロの納屋を改修。
大工インレジデンスによる、その大変身ぶりを紹介していけたらと思います! 

大工インレジデンスのメンバーや、シェアハウスメンバーと集合写真!

さて。先に結論から言ってしまうと…… 
予想していた100倍、いいものができちゃいました!!!

納屋のBEFORE

納屋のAFTER

どうですか、この変身ぶり。
ビフォーの写真をたくさん撮っておかなかったことを後悔……。
だって暗くて、狭くて、撮ろうにも難しかったんです。

今回の大工インレジデンスのリノベーションで
こだわったポイント&目的はこの3つ。

(1)廃材・古材を活用する

(2)空間を明るくする

(3)狭い納屋を広く活用する

みんなの知恵や技術、ネットワークを駆使して、
木材はほとんど、廃材・古材のいただきものでまかなうことができました。
(木材を提供してくださったみなさま、本当にありがとうございました!)

〈岡崎カメラがっこう〉
地域の人が発信すること

まちの風景や暮らしを、写真で発信

私が生まれ育った場所は、愛知県の岡崎市です。
岡崎を出てひとり暮らしを始めたのがいまから約20年前。
それから一時的に岡崎に戻って暮らした時期もありましたが、
この20年間、年に数回実家に帰るだけで、
岡崎との関わりはほとんどありませんでした。

実は私も地元を離れて、大人になっても戻らない人のひとり。
いま私が暮らしている小豆島では高校卒業と当時に島を出て、
ほとんどの子が帰って来ないのが現実で、
なんでこんないいところなのに帰ってこないんだろうと思うけれど、
それは私も同じなんだなぁと。

生まれ育ったまちの魅力を知っている、魅力を感じながら暮らすというのは
なかなか難しいことなんですよね。

そんな自分の地元、岡崎のことを
ちょいちょい目にするようになったのはここ数年のこと。
大人になって知り合った人何人かが、岡崎で仕事をしていたり、
岡崎に遊びに行っていたり。
それをSNSで見て、あれ、岡崎ってこんなおもしろそうな人いたんだな、
こんなおもしろいことしてるんだなと気になるようになりました。

そして去年、その知り合いから
「三村さん、岡崎出身だったよね? 岡崎で地域を発信する講座をできないかな」
とお声がけいただいたのが、今回の〈岡崎カメラがっこう〉プロジェクトの始まりです。

2018年冬から始まった〈岡崎カメラがっこう〉プロジェクト。

2018年冬から始まった〈岡崎カメラがっこう〉プロジェクト。

昨年12月に開催された第1回目の講座。写真家のMOTOKOさんと地域から発信することについてお話しました。

昨年12月に開催された第1回目の講座。写真家のMOTOKOさんと地域から発信することについてお話しました。

今回の企画を一緒に進めてくれているNPO法人〈岡崎まち育てセンターりた〉のメンバーと。

今回の企画を一緒に進めてくれているNPO法人〈岡崎まち育てセンターりた〉のメンバーと。

私は小豆島で〈小豆島カメラ〉という活動をしています。
小豆島で暮らす仲間と一緒に、自分たちの暮らしている場所の写真を撮り、
自分たちで発信しています。
カメラを持って島の人に会いに行ったり、一緒にごはんをつくって食べたりする
「生産者と暮らしに出会う旅」というイベントも時々開催しています。

この小豆島カメラみたいな活動をする人たちを岡崎でも育てられないか。
岡崎で暮らす人たちが自分たちの暮らしを楽しみ、
いいなと思う風景や人を撮影し、発信できるようにできないか。
それが岡崎カメラがっこうの目的。

オリンパスさんが貸し出してくださったカメラを持って岡崎のまちを歩きます。

オリンパスさんが貸し出してくださったカメラを持って岡崎のまちを歩きます。

同じカメラを持っていることで、使い方や撮った写真について話が盛り上がります。

同じカメラを持っていることで、使い方や撮った写真について話が盛り上がります。

ひとりでは入りづらいお店を訪ねるいいきっかけに。〈フジイビニール〉さんへ。

ひとりでは入りづらいお店を訪ねるいいきっかけに。〈フジイビニール〉さんへ。

建築×デザイン
宮本圭さんと太田伸幸さんに聞く
〈KANEMATSU〉と歩んだ10年の軌跡

PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.2

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。
車窓の風景は木々の彩りへと移り変わる。
このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。
だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、
疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、
そして彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、
次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、
この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。
彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

建築家・宮本圭さん×デザイナー・太田伸幸さんの視点

2010年前後からいまに至るまでに、長野市善光寺門前界隈では、
100軒を超える空き家が新たなあかりを灯すようになった。

「そのはじまりは?」「なぜ?」「何がどうして?」という疑問に、
「なるほど!」と膝を打つ明快な答えがほしいところではあるが、
実にさまざまな要素が入り組んでいて、本当のところ、よくわからない。

ただ、連載の第1弾で紹介した写真家の清水隆史さんらが、
1990年頃から、長野市のカルチャーを記録したり、
音楽や演劇などを通じて、数多の表現が交差する場を営んだりと、
草の根的に活動を続けてきた〈ネオンホール〉や〈ナノグラフィカ〉の影響は大きい。

しかし、これまでの長野を紐解くうえで、2010年頃からいまに至るまでに、
あるひとつの場所がきっかけで、個性豊かな場がたくさん生まれていったことを、
記録せずにはいられない。

2009年11月に開かれた〈KANEMATSU〉だ。

元紙問屋・ビニール工場「カネマツ」

約40年以上の間、シャッターを閉ざしたまま、使われなくなっていた元紙問屋・ビニール工場「カネマツ」。

建築家やデザイナー、編集者などからなる7人組のユニット〈ボンクラ〉が、
50平米ほどの鉄骨の倉庫をセルフリノベーションし、
建築設計事務所やデザインオフィス、編集室やフリースペースなどがひとつになった
〈KANEMATSU〉としてオープンさせた場。

〈KANEMATSU〉の共有スペース

〈KANEMATSU〉の共有スペース。東西に広がるこの場所では、数々のイベントや企画展などが開かれてきた。

本業と並行してイベントや地域活動を始め、この場を開いたことで、
それまで清水隆史さんらが続けてきた「活動」に加えて、
建築やデザインのアプローチから、新たなプロジェクトや事業が立ち上がった。

さらには、不動産仲介のしくみが生まれ、
空き家リノベーションの動きを加速化させたのである。

KANEMATSUを始動させた7人

KANEMATSUを始動させた7人。右から、羽鳥栄子さん(アトリエハトリ一級建築士事務所・代表)、山口美緒さん(編集室いとぐち代表)、一級建築士・山岸映司さん、太田伸幸さん、宮本圭さん、古後理栄さん(株式会社CREEKS代表)、広瀬毅さん(広瀬毅 建築設計室代表)。(写真提供:ボンクラ)

KANEMATSUという表現は、新たな営みを生む前例のひとつとなり、
いくつもの場と人をつなげ、このまちに個性が灯るきっかけとなった。

しかし、はじまりは、すべて偶然だった。

連載第2弾となる今回は、KANEMATSUの狼煙を上げた
建築家・宮本圭さんと、デザイナー・太田伸幸さんの出会いや、
これまでの活動を振り返るインタビューを紹介。
ふたりの視点から、2010年代の長野を紐解き、「ACT LOCAL」のヒントを探る。

駅で書道!?
〈ひなた文庫〉の書き初め大会

年明けの真っさらな気持ちを書く、1年の幕開け

日本一長い駅名の駅舎の中にある古本屋〈ひなた文庫〉を始めてから、
1月の初旬に毎年続けている行事があります。
それは駅舎で行う書き初め大会。その日は古本屋の営業もしつつ、
同じ駅舎の一部で誰でも書き初めを行うことができます。

私は小学生の頃から習字を習い、高校では書道部に在籍していました。
大学生になっても墨と筆は身近な存在で、
大学で他県に引っ越すときもずっと使っている習字道具を一緒に持って行き、
気が向いたら習字道具を引っ張り出して、好きな言葉などを書いたりしていました。
書く内容が重要というより、墨と筆の感覚を愉しむ時間といった感じです。

文字の大きさやバランス、墨のかすれ具合や紙全体の余白の取り方、
1枚を書き上げるのにもたくさんのポイントがあり、奥の深い書道。
半紙の上に筆を落とすときの緊張感や、思いどおりの線が書けたときの満足感、
無性にそういった感覚を得たいと思うときがあるのです。

それは、少しモヤモヤした気分のときだったり、
なにか新しくやりたいことが見つかったときだったり。
書くことだけに集中することで、ざわついていた心が落ち着き、
書き終えるとなんだか気持ちがすっと静まる感じがします。

熊本にやって来て、本屋を始めてからもそれは変わらず続けていました。
あるとき、近所に住むお客さんに、小さい頃から習字を習っていて
いまもときどき書いたりしていると話すと、
「だったら習いたいなぁ、書道教室をやってほしいな」
と言ってもらったことがあります。

以前から自分がもう少し年をとったら、子どもたちを集めて
書道教室をやるのも楽しそうだと思っていました。
何より、私が感じているような、筆で書くことの楽しさを
もっとたくさんの人たちと共有できたらなと考えていました。

そんな思いから、まずはイベントとしてやってみようと始めたのが、
ひなた文庫の書き初め大会です。

駅舎の中に書き初めのできるスペースを用意し、筆も墨も半紙も用意して、
お客さんに書き初め体験をしてもらおうという企画です。
その年の目標でも、好きな言葉でも、書く内容は問わず
年明けの真っさらな気持ちを真っ白な半紙に書きます。

第1回目は近所の方が小さなお子さんと親子で来てくれたり、
書道の経験のある大学時代の友人がはるばる関西から訪ねて来てくれたり、
初めての企画にもかかわらず想像以上のお客さんが参加してくれました。
子どもの手をとりながら一緒に好きな線を書いたり、滲ませたり。

第2回に集まった作品たち。

第2回に集まった作品たち。

そして書いた文字は駅の窓辺に貼ります。
時間が経つにつれてお客さんの書いた目標や好きなもの、
子どもたちの絵など、個性豊かな作品が集まっていきます。

ひとしきり書いたらストーブの横でみんなで談笑。
友人はお客さんと仲良くなって、達筆な文字で
その子の好きな食べ物を書いてあげたりと和やかな時間となりました。

Uターン、Iターンの移住夫婦が営む
下田の温泉民宿〈勝五郎〉。
「武器」を持って暮らしをつくる

移住して民宿開業。
津留崎家、先を越された!?

伊豆下田の白浜が見えるすばらしいロケーションにある温泉民宿。
Uターンして実家の民宿を受け継いだ土屋尊司さん夫婦が営んでいます。
昔ながらの雰囲気を残しつつも、現代的にリニューアル。
でも3部屋のみで、経営は果たして成り立つの……? と思いきや
土屋さんには、ある「武器」がありました。
下田に移住した津留崎家が、同じ移住者夫婦を訪ねます。

自給的な暮らしを求め万字へ。
アフリカ太鼓とともに旅を続けた夫妻

大雪の中で始まった、アフリカ太鼓のワークショップ

岩見沢の山間の地域に引っ越して1年が過ぎるなかで、
わたしは個性的な移住者のみなさんと出会うことができた。
これまで、〈ミルトコッペ〉というパン屋を始めた移住の大先輩や、
森をたったひとりで開墾して暮らす青年などを連載で紹介してきたが、
さらなる“強者”とでも言いたくなるような夫妻のことを、今回は書いてみたい。

万字(まんじ)地区の岡林夫妻が住む家。母屋の隣にあるのが廃材を利用して建てた小屋。

万字地区の岡林夫妻が住む家。母屋の隣にあるのが廃材を利用して建てた小屋。

その夫妻とは、昨年春より山間の万字(まんじ)地区に移り住んだ
岡林利樹さん、藍さんだ。秋に一度訪ねたふたりの住まいは、
わたしの住む美流渡(みると)から車で15分ほど山に入った場所にある。

敷地を見回して驚いたのは、移住してわずか数か月で、
廃材を利用した小屋を点々と建てていたことだ。
しかも、太陽光パネルで電力の一部を自給し、
また自分で火を起こして煮炊きをしているとのこと。
訪ねたときも小屋をつくっている最中で、近くで湧き出ている冷泉をくみ、
沸かして入るための風呂場になるのだという。

岡林利樹さん。「雪が降る前に風呂場になる小屋をつくらなくちゃ」と笑顔。

岡林利樹さん。「雪が降る前に風呂場になる小屋をつくらなくちゃ」と笑顔。

万字の町内会が大切に守っている冷泉「ポンネ湯」。硫黄の香りのする冷泉は、ポリタンクを持っていけば誰でもくめる。

万字の町内会が大切に守っている冷泉「ポンネ湯」。硫黄の香りのする冷泉は、ポリタンクを持っていけば誰でもくめる。

興味がわいたのは、その暮らしぶりだけではない。
冬になるとふたりは〈アフリカ太鼓 in 美流渡〉と題し、
近くの会館で太鼓のワークショップを週1回のペースで始めた。

初回をのぞいてみると、その腕前にまたまた驚かされた。
藍さんは「ドゥンドゥン」というベースを担う太鼓をたたき、
そのリズムに合わせて利樹さんが「ジャンベ」という太鼓を軽快に打ちならす。
子どもも参加できると聞いていたのだが、だからといってゆるさはなく、
「いずれはバンドを組んで地域のイベントに参加したい」と
真剣に参加者と向き合っていた。

藍さんはドゥンドゥンを担当。利樹さんと息の合った演奏をしている。

藍さんはドゥンドゥンを担当。利樹さんと息の合った演奏をしている。

ワークショップの様子。近所の子どもも参加。札幌からライブ仲間が訪ねてきたこともあったという。

ワークショップの様子。近所の子どもも参加。札幌からライブ仲間が訪ねてきたこともあったという。

いったい岡林夫妻とは何者なのか?
万字地区に移住するまでの道のりを、わたしはじっくり聞いてみたくなった。

夫の利樹さんは岩見沢市出身。
札幌の大学に進学した頃、旅に目覚め、
日本全国はもとより、東南アジア、インド、ネパールなどをまわり、
そうしたなかでアフリカの太鼓に出会った。

もともと太鼓は好きだったが、特にジャンベは心に迫るものを感じ、
以来、太鼓をキャリーに載せてさらなる旅へと向かっていった。
旅の途中で出会った仲間とセッションをしたり、ライブをしたり。
太鼓は独学だったが、場所の雰囲気に合わせて、
さまざまなリズムを奏でることができたという。

「ストリートで発表をしながら旅の資金が稼げるようになりました。
そうしたら旅が全然終らなくなって(笑)」

カリブ海沿いのキャンプ場で仲良くなった現地ミュージシャンと、夜のライブへ向けてリハーサルをしている様子。

カリブ海沿いのキャンプ場で仲良くなった現地ミュージシャンと、夜のライブへ向けてリハーサルをしている様子。

旅は7、8年続き20代後半となっていた頃、東京へと赴き、
いくつかのバンドでパーカッショニストとして活動していた時期もあった。
この頃、妻となる藍さんとも友人を通じて知り合った。

藍さんもまた旅人だった。
石川県出身で大阪の大学に進学し、バックパックを背負って旅に出た。
中国、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスなど各地をめぐり、
卒業後は一時就職したものの、やはり旅に出たいという気持ちが強く、
今度は日本をまわることにしたという。

「旅をしながらその場でお金を稼いで、また旅をする
というスタイルをやってみたいと思っていました」

そんなことを考えていたなかで利樹さんに出会い、ともに旅をするようになった。

日光のツアー
〈Kuriyama Go Travel〉
とシカ革を利用した〈Nikko deer〉。
秘境・栗山の魅力を発信する移住者夫婦

日光の最奥部・栗山地域の知られざる魅力

日光の観光地といえば、世界遺産にもなっている
日光東照宮を真っ先に思い浮かべる人は多いだろう。
しかしながら日光はとても広く、市としての面積は関東で最大(全国では第3位)。
それだけ魅力も多彩なのだが、観光目的で訪れる人の多くは、
東照宮周辺までしか足を延ばさないのが現状といえる。

光の加減で幻想的な色合いになるやしお湖畔。栗山らしいゆったりとした風景。

光の加減で幻想的な色合いになる、やしお湖畔。栗山らしいゆったりとした風景。

そんな広い日光でも最奥部といわれる栗山地域で、
地域おこし協力隊として知られざる魅力を発信しているのが、
疋野吾一さん、倉持みふさん夫妻だ。

静岡市出身の疋野さんが、日光市の地域おこし協力隊に着任したのは、
2015年4月のこと。

「もともと飲食店で働いていたのですが、キッチンにこもっていると
お客さんの顔を見る機会がどうしても限られてしまうんです。
もう少しいろんな人と関わったり、自分がやったことの成果が
目に見えるような仕事をしたいと思っていました」

栗山の隠れた名所「蛇王の滝」を案内する疋野さん。地元の人には「そうめんの滝」と呼ばれていたそうで、なぜ現在の名前になったのか、そのエピソードも興味深い。

栗山の隠れた名所「蛇王の滝」を案内する疋野さん。地元の人には「そうめんの滝」と呼ばれていたそうで、なぜ現在の名前になったのか、そのエピソードも興味深い。

「まちおこし」や「村おこし」というキーワードで
インターネット検索をしていたところ、地域おこし協力隊の制度を知り、
タイミングよく募集をしていた日光市に応募。
といっても疋野さんも多くの人と同じように、
「日光といえば東照宮」というイメージしかなかったようだ。

「東照宮近辺で働くのかなと思っていたのですが、
採用が決まって本庁でどこへ行けばいいか尋ねたら、
『車であと1時間くらい走ったところです』と言われて
びっくりした記憶があります(笑)。
でも先入観のない地域に行きたいと思っていたので、
そういう意味ではむしろ楽しみでしたね」

鉄橋の架かるダム湖は、撮影スポットとしても人気。

鉄橋の架かるダム湖は、撮影スポットとしても人気。

日光市の最北西に位置し、「栗山郷(くりやまごう)」と呼ばれるこのエリアは、
温泉好き・秘湯好きにはかねてから注目されてきた地域でもあり、
周囲を山々に守られるようにして手つかずの自然が数多く残っている。
こうした雄大な自然を貴重な観光資源と捉え、
疋野さんは先輩隊員とともに主に外国人観光客を栗山に呼ぶ活動を始める。 

「自分自身も海外旅行が好きでしたし、
得意な語学を生かして何かできることはないか模索していました。
僕より1年遅れて現在の妻が地域おこし協力隊として栗山にやってきたのですが、
彼女は前職で旅行会社に勤めていて、
総合旅行業務取扱管理者という国家資格を持っていたんです。
だったら旅行業ができる! と思ったんですよね」

まちで暮らしていた私が
糸島に移住して、“狩猟”と
“お肉の自給”を始めた理由。

こんにちは。
「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

今回のテーマは、いとしまシェアハウスの「お肉」のお話です。
(記事のなかに動物の解体などの生々しい写真が入りますので、
苦手な方はご注意くださいね)

みなさん、ここ数日でどんなお肉を食べましたか?

居酒屋で食べた鶏の唐揚げ、
ふらっと入った中華屋さんで食べた酢豚、
デートで食べたちょっと高級な牛の厚切りステーキ。

普段食べるお肉といえば、
鶏肉・豚肉・牛肉あたりが一般的ですよね。

でも、お肉の自給率100%の我が家はちょっとだけ違います。
よく食べるお肉は、イノシシやシカ、アナグマやカモなど、野生肉がメイン。

イノシシ肉のソーセージ。

イノシシ肉のソーセージ。

お肉を食べるためには、
山に入って罠をかけ、イノシシをとったり、
ご近所さんからいただいた野生動物をさばいたり、
飼っている鶏をさばいたり……。

我が家では、野菜や米と同じように
お肉も“自分たちで得る”ことを大切にしています。

狩猟を始めたきっかけ

初めて自分の力でとったイノシシを持って、山を降りる。(photo:NONOKO KAMEYAMA)

初めて自分の力でとったイノシシを持って、山を降りる。(photo:NONOKO KAMEYAMA)

「お肉も自給してみよう」と思ったきっかけは、東日本大震災でした。

恥ずかしながら私は、震災を経験して初めて、
自分たちが使う“電気”のことを“自分ごと”として考えられるようになりました。
それまでは、電気がどうやってつくられ、私たちの家までやってくるのか、
知識では知っていても、どこか他人ごとのように考えていたのです。
そして事故が起きてしまってから、そのプロセスにきちんと向き合えていなかった
自分の無責任さを、深く深く反省しました。

できることなら、誰かを傷つけたり、環境を壊したり、
自分で責任をとれないような仕組みのものを使いたくない。

そして、こういったシステムに依存する暮らしから一歩踏み出すためには、
今自分が手にしている「コト・モノ」が辿ってきた道筋をきちんと知り、
そのうえで、その「コト・モノ」とのつき合い方を考えることが必要だ、
と思うようになったのです。

イノシシを解体する。

イノシシを解体する。

イノシシの毛皮でつくったサンダル。

イノシシの毛皮でつくったサンダル。

周りを見回してみると、世の中にはプロセスが見えにくくなっているものが
たくさんあることに気がつきました。
お肉も、そのなかのひとつです。
スーパーに並ぶ切り身のお肉のその先を知るために、
動物の解体の勉強を始め、その後は鶏を飼って絞めて食べることにも挑戦しました。

さらには、飼うだけでなく、山にいる野生動物と1対1で対峙し、
自分の力でお肉を手に入れられるようになりたい、と
2013年に狩猟免許をとったのです。