〈炎とくらす瀬戸内〉 岡山県瀬戸内市に 移住して職人めざしちゃう?

「炎にまつわるものづくり」から岡山県瀬戸内市の魅力を
発信する移住セミナー〈炎とくらす瀬戸内〉が、
2019年1月27日(日)に東京で開催されます!

岡山といえば、桃太郎や倉敷美観地区だけじゃない。
日本を代表する美術品「備前刀」「備前焼」も岡山の誇りなのです。

穏やかな瀬戸内海に抱かれる岡山県の瀬戸内市。

穏やかな瀬戸内海に抱かれる岡山県の瀬戸内市。

そうした芸術品の故郷が岡山県の瀬戸内市。
刀作りは、室町時代“中世山陽道随一の商都”と呼ばれた
〈福岡〉のまちを有する長船(おさふね)地区で発展。

長船をはじめとする備前国で作られた〈備前刀〉は、
国宝111口のうち47口を占めると言われ、
備前国はまさに質・量ともに日本一の作刀地でした。
現在も、〈備前おさふね刀剣の里〉を中心に、連綿と日本刀がつくられています。

また、古墳時代から平安時代にかけて中四国最大の須恵器生産地であった
瀬戸内市から備前市にかけての一帯では、
のちに備前焼に発展する陶器づくりが盛んに行われました。

樹脂を含み火力の強いアカマツの木にも恵まれ、
刀づくりと陶器づくりにおいて、
瀬戸内市近辺は国内でも有数の名産地になったのです。

瀬戸内市は刀鍛冶や陶器づくりに欠かせない良質なアカマツが手に入りやすかった。

瀬戸内市は刀鍛冶や陶器づくりに欠かせない良質なアカマツが手に入りやすかった。

今回のイベントの目玉は、瀬戸内の匠たちによるトークセッション。
刀匠の森助光さんと陶芸家の末廣学さんが、
伝統文化を継承するものづくりとともに、
地方暮らしの魅力やものづくりライフについて語り合います。

鍛冶の中でも、特に刀鍛冶は多くの人が憧れを募らせる。

鍛冶の中でも、特に刀鍛冶は多くの人が憧れを募らせる。

小豆島暮らし7年目、
緩やかに変わっていく人生のステージ

小豆島を飛び出して、アメリカ西海岸の文化を体感する旅へ

いまアメリカへ向かう飛行機の中でこの文章を書いています。
実に12年ぶりの海外。

最後に訪れたのは2006年の年末、メキシコ。
もうパスポートの期限はとっくに切れていたし、
飛行機の予約の仕方も忘れてしまっていたし
(というか12年も経っていたらいろいろ変わってる)、
よしアメリカに行こう! と思いたって1年くらいかけて準備してきました(笑)。

12年前、私たちは夫婦ふたりで名古屋で暮らしていて、会社員として働いていました。
メキシコから帰ってきてしばらくして、娘が生まれ、
子育てをしながら働き、その働き方や生き方に違和感を感じ、
えいやっと仕事を辞めて小豆島に引っ越したのが6年前。

書いてしまうとすらっと終わってしまいますが、
当時生き方についてはけっこう長いこと悶々と考え続けていて、
自分自身が病気をしたこともきっかけとなり、
30代前半で小豆島への移住を決めました。

12月の畑は緑や紫の葉物野菜がわさわさしていてとても美しい。

12月の畑は緑や紫の葉物野菜がわさわさしていてとても美しい。

冬の野菜たち。超巨大に育った大根がおいしい。

冬の野菜たち。超巨大に育った大根がおいしい。

小豆島に引っ越してきてからのことは、
この「小豆島日記」でずっと書き続けてきたとおりです。
家を直し、農業を始め、自宅の一部をカフェとしてオープンし、
自分たちが育てた生姜や柑橘でシロップやポン酢などの加工品を製造し、販売。
日々いっぱいいっぱいで、あっという間に月日が流れていきました。

毎年年末に開催される地元の収穫祭。野菜やシロップなどを販売しました。

毎年年末に開催される地元の収穫祭。野菜やシロップなどを販売しました。

野菜を販売するかたわらで、ハンドドリップコーヒーも淹れます。

野菜を販売するかたわらで、ハンドドリップコーヒーも淹れます。

少しずつ畑が大きくなり、製造する加工品の量も多くなり、
2年前くらいから畑やカフェを手伝いにきてくれる仲間が増えました。
常時勤務の社員はいませんが、週3日畑を手伝ってくれるメンバーがふたり、
週1日のカフェメンバーがふたり、
週に1回野菜と交換で畑を手伝ってくれてる友人もいます。
たくちゃん(夫)とふたりで始めた〈HOMEMAKERS〉はだいぶ賑やかになりました。

いつも手伝ってくれてる仲間に加えて、生姜の収穫加工作業はたくさんの友人たちが手伝ってくれました。

いつも手伝ってくれてる仲間に加えて、生姜の収穫加工作業はたくさんの友人たちが手伝ってくれました。

作業の合間のお昼ごはん。11月は暖かかったので、庭にテーブルを並べて食べました。

作業の合間のお昼ごはん。11月は暖かかったので、庭にテーブルを並べて食べました。

駅のお隣さんの新しい家族、
将来の名物駅長候補(?)現る

ごはん処〈きしゃぽっぽ〉に現れた、新しい仲間

11月のはじめ、古本屋〈ひなた文庫〉の営業のため
いつもの南阿蘇鉄道の駅舎に到着すると、
駅の階段脇に植えてある紅葉の木に2匹のヤギがつながれていました。

どこか近くの方が散歩をさせにきたのか? 
いままで近所でヤギを見たことはなかったけれど……と不思議に思って近づいてみると、
「さっき連れてきたのよー。かわいいでしょう」
駅の隣のごはん処〈きしゃぽっぽ〉の奥さんが声をかけてきてくれました。

「渡邊さんのところで飼い始めたんですか!?」と驚いて聞いてみると、
ご主人もお店から出てきてふたりでうんうんと頷くではありませんか。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の隣にある〈きしゃぽっぽ〉。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の隣にある〈きしゃぽっぽ〉。

ふたりの話を聞いてみると、田んぼや畦道の草も食べてくれるし、
駅に来たお客さんが喜んでくれたらいいなと思って、
ずっと前からお客さんなどにヤギを飼いたいと話していたのだとか。
するとちょうど隣町でヤギを飼っている方が
引っ越しをしてもう飼えなくなるからと数日前に連絡があり、
その日譲ってもらったのだそうです。

「ずっとヤギは飼いたいと周りに言ってはいたんだけど、
こんなに急には来るとは思わなかったよ」とおふたりも少し困惑気味。
ヤギたちもいきなり知らない場所に連れて来られ少し不安そうです。

駅の隣のごはん処きしゃぽっぽは、
私たちが南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」で営業を始めた
2015年5月、偶然同じ時期に営業を始めたごはん屋さんです。
駅のすぐ横に店舗と住居があり、
ご主人の渡邊重行さんと奥さんのふたりで営まれています。

私たちが開業準備を進めるなかで、隣の店舗もふたりで開業準備をされていて、
自然と仲良くなりました。

渡邊さんご夫婦。

渡邊さんご夫婦。

ご主人は東京の飲食店で和食の料理人として20年勤務されたあと、
熊本市内のホテルで料理人として20年働かれて、
地元の南阿蘇に戻ってお店を始められました。
お米は店舗のすぐ近くの田んぼでつくられた自家栽培のもの、
野菜もできる限りご自身でつくられたものを提供されています。

お昼はわざわざ遠方からもお客さんが食べに来られる定食屋さん、
夜は地元の方が集まる居酒屋さんになります。
私もひなた文庫の営業日には定食を頼んで、
特別に店内ではなく駅で店番をしながらいただくことも。

きしゃぽっぽのボリューム満点ホルモン煮込み定食。

きしゃぽっぽのボリューム満点ホルモン煮込み定食。

私たちが古本屋を営業しない平日などは駅を見守ってくれ、
駅でのイベントの際も、準備や炊き出しなど一緒になって手伝ってくださる
心強いおふたりです。

夏のイベントで流しそうめんの準備を手伝ってくれる渡邊さん。

夏のイベントで流しそうめんの準備を手伝ってくれる渡邊さん。

移住先探しの旅から2年。
紆余曲折の“無計画”移住を振り返る

連載50回で振り返る
「わが家の移住について」

この連載がスタートして2年余り。
「生まれ育った東京を離れ、移住することにしました。行き先は未定」
と大胆な宣言をして始まった、津留崎家の移住先探しの旅。
現在は伊豆下田に移住して1年半以上が経ちましたが
これまで順風満帆というわけではありませんでした。
それでも、少しずつ自分たちの暮らしをつくりあげています。

北海道に自由な小学校をつくりたい。
活動を続ける人たちの輪が、
いま大きく広がって

宿題もない、試験もない、学年の壁もない学校!?

息子の通う岩見沢の山あいにある小さな小学校が今年度いっぱいで閉校となり、
近隣の学校への統廃合が決まった。
当たり前だと思っていたものが地域から消えること。
それは、学校という存在について、あらためて考える機会を与えてくれた。

閉校についての想いは以前の連載で書いた。
子どもたちにとって、現在より人数の多い学校に行くことは、
きっと友だちが増えて、新しい発見や楽しみにつながるはずだ。

一方、学校がなくなることは地域にとって、どんな影響があるのだろう? 
にぎわいを失った校舎は、このままどうなっていくのだろうか? 
閉校の話題でよく聞かれる「寂しくなるね」という声に、
わたしはモヤモヤとした想いを感じずにはいられなかった。
閉校は仕方のないことだとしても、残された校舎を、
いままで以上に人が集う場所にする方法はないのだろうか?

そんなことを考えていたとき〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の存在を知った。
SNSで、この会の説明会が2018年5月に札幌で開催されるという告知を見つけ、
「学校ってどうやったらつくれるのだろう。校舎の活用方法のアイデアが見つかるかも」
と興味がわき、参加してみることにした。

自由な小学校をつくるための説明会。札幌にあるスミタスビルの会議室で開催された。

自由な小学校をつくるための説明会。札幌にあるスミタスビルの会議室で開催された。

会場には30名ほどの参加者がつめかけていた。
どんな小学校をつくりたいのかという話をしてくれたのは、
この会の中心メンバーのひとりであり、
札幌にある養護学校の教員でもある細田孝哉さん。

会の母体は、1980年代から活動し、現在認定NPO法人となった
〈北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会〉。
新しい教育提案とその実現を目指そうとする組織で、
これまでフリースクールの運営を続けており、
そこで培った経験を生かした自由な小学校をつくろうとしているという。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の中心メンバー。左が細田孝哉さん。右はフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事の吉野正敏さん。細田さんとともに学校づくりに奔走している。

〈北海道に自由な小学校をつくる会〉の中心メンバー。左が細田孝哉さん。右はフリースクール〈月寒スクール〉を運営する北海道自由が丘学園の代表理事の吉野正敏さん。細田さんとともに学校づくりに奔走している。

モデルとなるのは、和歌山県の山あいにある〈きのくに子どもの村学園〉。
この学園には、宿題も試験も学年の壁もなく、先生とは呼ばれる大人もいないという
(大人は「○○さん」やニックネームで呼ばれている)。
1992年より私立小学校がスタートし、その後、中学校や国際高等専修学校も誕生。
現在では、福井や山梨などにも同じ方針をもとにつくられた学校がある。

〈きのくに子どもの村学園〉

〈きのくに子どもの村学園〉

基本方針となるのは、子どもが自ら決めること。
ひとりひとりの違いや興味を大事にすること。
体験や生活を通して学習すること。

特徴的な取り組みは「プロジェクト」という、小学校では週14時間とられている授業。
木工・園芸や劇団、農業、食の研究など、さまざまなプロジェクトがあり、
子どもたちは1年を通じて自分が何を学びたいのかを選択。
大人はサポート役となり、子どもたちの自主性を尊重してプロジェクトは進められる。

この学園をたびたび見学してきた細田さんは、
木工のプロジェクトについて話してくれた。

「敷地には20年ほど前に子どもたちがつくった
20メートルくらいの大きな木製すべり台があります。
設置する場所の傾斜や降りるスピード、安全な角度などを考えて
小学生が自分たちで設計したものです」

すべり台の制作の様子。異学年の子どもたちが協力して制作する。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

すべり台の制作の様子。異学年の子どもたちが協力して制作する。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

完成したすべり台。20メートルほどの長さがある。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

完成したすべり台。20メートルほどの長さがある。(写真提供:きのくに子どもの村学園)

「かず」と「ことば」という基礎学習の時間も設けられ、
プロジェクトと連動した内容もあるそうだ。

「プロジェクトの内容からつくった“かず”のプリントに取り組むなかで、
ある子が三角形の各辺の2乗の数字とにらめっこしているうちに、
『これってひょっとして……』と
ピタゴラスの定理に気づいてしまったということもあったそうです」

おうちで岩盤浴!?
薪5本で翌朝まで暖かい
韓国の伝統式床暖房“オンドル”

こんにちは! 「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

寒くなってきましたね。
今年は11月が暖かかったのですっかり油断していましたが、
福岡県糸島市はここ数日、体の芯から冷えるような寒さです。

でも、ちゃんと寒くなってちょっとだけ安心しました。
冬にきちんと寒くないと、植物や生き物たちも混乱してしまいますから。
キーンと澄んだ空気を思い切り吸い込んで、
そうそう、この寒さだったね! と実感する日々です。
うーん、寒い。

少し前まで、薄着でも大丈夫だったのに……。

少し前まで、薄着でも大丈夫だったのに……。

さて、田舎の古民家で暮らす一番の課題といえば、冬の寒さではないでしょうか。

ひと昔前、“家を建てる”ということは人生の一大事だったため、
古民家のつくりは「人が快適に暮らす」ことよりも、
「家をいい状態で次の世代に引き継ぐ」ことに重きが置かれていたそうです。

そのため、古民家は

・木を傷めないように、直射日光が入らないようにする

・木が腐らないように、通気性をよくする

といったつくりになっており、とにかく寒い。
木にとってはいいのかもしれないけれど、
文明の利器に囲まれて育った私たちにとっては、なかなか厳しい寒さです。

この古民家での冬を乗り越えるため、
数年前に韓国の伝統式床暖房“オンドル”をつくりました。

オンドルの口窯で火を焚く。

オンドルとは、薪を燃やした煙で床下を暖める床暖房です。
家の中で一番大きな部屋の床下をはぎとって土を掘り返し、
ブロックとレンガで煙の通り道をつくり、
蓄熱性の高い、平べったい石をその上に敷き詰めます。
石の上に土を乗せ、紙を貼ったらできあがり。

韓国から先生と宮大工さんをお呼びし、ワークショップ形式でつくりました!

韓国から先生と宮大工さんをお呼びし、ワークショップ形式でつくりました!

オンドルワークショップの様子。

メインの素材は、石、土、紙、油。シンプルなものしか使わないので安心です。

メインの素材は、石、土、紙、油。シンプルなものしか使わないので安心です。

燃やした薪の煙がゆっくりと床下の道を通ることで石を温め、
部屋が暖まっていくという仕組みです。
石が発する遠赤外線のおかげで、岩盤浴のように体がじんわりと温まります。

山梨県小菅村×YADOKARI 〈タイニーハウスデザイン コンテスト2019〉。

〈タイニーハウス〉プロジェクトとは?

断捨離やミニマリストなど、
今までの生活のあり方を見直すムーブメントが勢いを増す現代。
またひとつ、その流れで世の中の注目を集めているのが〈タイニーハウス〉です。
単に小さな家というわけではなく、2008年の金融危機をきっかけに
「シンプルで無駄のない生活」が実現できる住居として広がりました。

2018年開催時の作品提出者は124組(応募登録総数は365組)

2018年開催時の作品提出者は124組(応募登録総数は365組)。第3回目となる2019年のコンテストでは、「小さくても楽しい家」がテーマ。

そうしたタイニーハウスの魅力的な設計アイデアを求める
〈タイニーハウスデザインコンテスト2019〉が、現在応募を受付中です! 
建築関係の資格や経験は不問で、アイデア重視。
「タイニーハウスを使ってどんな暮らしがしたいか」を掘り下げ、
未来の住まいの選択肢を創ることが目的です。

コンテストでの受賞を経て実際に建設されたタイニーハウス

コンテストでの受賞を経て実際に建設されたタイニーハウスは、村の施設として有効活用されている。

今回は「どれだけワクワクできて楽しいか」が大事な審査基準のひとつとなっており、
最優秀賞に輝くと、なんと自分の作品を建築してもらえます!
絵に描いた餅で終わらない、そのリアルさがこのコンテストの魅力です。

徳島県神山町の
〈フードハブ・プロジェクト〉。
「育てる、つくる、食べる、つなぐ」を
循環させる

「地域で育て、地域で食べる」食の拠点

11月末の日曜日、生姜の収穫加工作業やら玉ねぎの定植やら、
やることてんこ盛りの日々でしたが、
どうしても行きたかった徳島県神山町に行ってきました。
目的は、〈フードハブ・プロジェクト〉の真鍋太一くんに会いに行くこと。

真鍋くんは家族で神山に移住されていて、フードハブ・プロジェクトの活動をはじめ、
神山町にサテライトオフィスを構える〈モノサス〉にも所属されています。
先日、神山から小豆島を訪ねてきてくれて、
うちの畑を見たり、いろいろな話をするなかで、
私たちもフードハブ・プロジェクトのお店や畑をぜひみたい! 話を聞きたい! 
というわけで、今回神山に行くことに。

徳島県神山町は、IT企業のサテライトオフィスの誘致や
移住者たちのユニークな働き方、暮らし方などで有名な徳島の山あいにあるまちです。
徳島市街地から車で1時間弱の場所にあります。

小豆島から船に乗って高松へ、その後は車で1時間半のドライブ。
目的地は、フードハブ・プロジェクトの活動拠点〈かま屋〉(食堂)と
〈かまパン&ストア〉(パン・食品)さん。

徳島県神山町にある〈かま屋〉と〈かまパン&ストア〉。

徳島県神山町にある〈かま屋〉と〈かまパン&ストア〉。

外構の設計は、神山町の大埜地(おのじ)集合住宅プロジェクトも手がけるランドスケープデザイナーの田瀬理夫さん。

外構の設計は、神山町の大埜地(おのじ)集合住宅プロジェクトも手がけるランドスケープデザイナーの田瀬理夫さん。

そもそもフードハブ・プロジェクトってなんだろう。
私もあらためていろいろ調べました。

「Food Hub」という考え方は、アメリカ合衆国農務省が推奨しているもので、
地域のFood Hubは、主に地元の名前が特定できる生産者たちの食品を、
集約、保存、流通、そしてマーケティングすることで彼らの能力を強化し、
卸売業者や小売、制度的な需要に積極的に応えるビジネス、または組織のこと。

神山産の野菜も販売されていました。

神山産の野菜も販売されていました。

町内に点在している耕作放棄地などの農地をフードハブ・プロジェクトで借りて、〈つなぐ農園〉としてお米、小麦、野菜などを育てています。農業長の白桃薫さんが畑を案内してくれました。

町内に点在している耕作放棄地などの農地をフードハブ・プロジェクトで借りて、〈つなぐ農園〉としてお米、小麦、野菜などを育てています。農業長の白桃薫さんが畑を案内してくれました。

フードハブ・プロジェクトは、この考え方をもとに、
神山の農業の担い手を育成する活動を中心に、
「地域で育て、地域で食べる」場所として、農作物を育てることに加えて、
食堂・パン・食品を販売する場所を運営されています。

小学校のすぐ横にある畑。

小学校のすぐ横にある畑。

今年は暖かすぎて、葉物野菜が一気に育ってしまって、出荷調整が大変。それはうちも同じです。

今年は暖かすぎて、葉物野菜が一気に育ってしまって、出荷調整が大変。それはうちも同じです。

厚真の“ために”ではなく、
厚真“で”何かをしてほしい。
ローカルベンチャースクール、募集再開

未来を劇的に変えるために必要なこととは?

9月6日未明に起きた北海道胆振東部地震から3か月が経とうとしている。
震度7を観測した厚真町では、大規模な土砂崩れが発生し、36名の命が失われた。
未だに避難所で暮らす人々もおり、穏やかな生活が戻っているとはいいがたいが、
すでに新しい厚真をつくっていこうとする動きは始まっている。

そのひとつは、
〈厚真町ローカルベンチャースクール(以下、LVS)2018〉の募集再開だ。
LVSとは、厚真町役場と岡山県の西粟倉村に本社のあるエーゼロが共同で進めている、
移住と起業を促進するためのプログラム。
エントリーした参加者の事業プランをスクールでブラッシュアップしていき、
採択されれば、実際に厚真町に移住して起業、あるいは支援を受けながら
起業準備や地域での就職を検討することができるというものだ。

震災は、今年3期目となるLVSのエントリー募集を始めた矢先に起こった。

北海道厚真町

役場はLVSの募集を一時は中止した。
このスクールを担当する産業経済課の宮久史さんによると、
「まずは人命救助。その後の復旧作業。住民のみなさんの生活を少しでも早く
安定させることだけに意識を集中させたい」という考えからだった。
しかし、2か月ほど経ち住民の生活再建に全力で取り組む一方で、
町外の人々の力を取り込むことの重要性を強く感じるようになったそうだ。

「僕は多様な人が集まってくることで、
『持続可能な社会』となる力を高めていきたいと思っています。
この1、2年のふるまいによって、10年後、20年後の未来が劇的に変わる可能性がある。
復興のスピードを加速させるのは、
町外の人材をどう活用するかにかかっていると考えました」

厚真町役場産業経済課の宮久史さん

厚真町役場 産業経済課の宮久史さん。

12月のLVSのエントリー締め切りに先駆け、
11月24日、25日には〈厚真町の今を知る見学会〉が開催された。
この見学会は、〈ハスカップファーム山口農園〉代表の山口善紀さんと、
馬搬(ばはん)という馬を使った伝統的な林業を行う西埜将世(にしのまさとし)さんの
震災の体験談を聞くとともに、
土砂被害の最も大きかった吉野・富里地区をめぐるという半日間のプログラムだ。
1日目の見学会に集まったのは15名ほどで、
道内だけでなく東京から駆けつけた参加者もいた。

この見学会で何より衝撃を受けたのは、土砂被害の現場をこの目で見たことだ。
土砂で流された倒木や家屋の搬出作業は急ピッチで進められているものの、
土砂崩れのすさまじいエネルギーの爪痕は生々しく残っていた。
宮さんによると、地震発生のわずか数秒後には崩落が起こったそうで、
逃げる間もなくその下敷きとなった人たちがいたという。
被害は役場の職員やその家族にも及んでおり、
見学会の案内役となった宮さんをはじめとする役場のみなさんの心中には、
被害現場を前にして、きっとさまざまな想いがこみ上げていたに違いない。
にもかかわらず、しっかりと前へ進もうとする意志がヒシヒシと伝わってきた。

「埋蔵文化財の発掘調査によると、
約4000年前に今回の地震に近い規模の地震が発生していたことがわかっています。
何千年というスケールで考えれば、
地震があったからこそいまの厚真があるといえます。
地震も含め、自然とともに生きるまちとしての価値を生み出したいと考えています」

日高幌内川が山の崩落によってせき止められ、土砂ダムも生まれた。
地形がまったく変わってしまうようなダイナミックな自然の営みを前に、
宮さんはこの震災に自分たちが立ち会っていることの意味を考えていた。

下田に移住して1年半。
お金について変わったこと、思うこと

移住して「お金」の価値観は
どう変わった?

伊豆下田に移住して1年半が経った津留崎さん。
東京ではお金ですべてを手に入れる暮らしをしていましたが
少しずつ変わってきたようです。
でも当然、お金がなくては暮らせません。
そこであらためて「里山資本主義」について考えてみました。

住まいも仕事も決めず、
ポートランドへ移住!? 山中緑さんの
冒険の旅のお話会、美流渡で開催

撮影:山中緑

娘さんとふたり、ポートランドへ冒険の旅に

長年編集者をやっていると、この人と本をつくりたいと血が騒ぐことがある。
今夏ポートランドへ旅立った山中緑さんは、そんな編集者魂をくすぐる人物だ。
緑さんと出会ったのは昨年のこと。
そのとき仕事の関係で、たった15分ほど話をしただけだった。
その後、会う機会はなかったのだが、
あるとき冒険の旅に出るというFacebookの投稿を見て、わたしは心底驚いた。

「アメリカに14年暮らし、日本に戻って札幌をベースにしてちょうど5年。
いろんなことがありましたが、この夏、私は娘とふたり、
札幌を引き払ってベースをアメリカに移します! 
行き先はオレゴン州ポートランド!!! 
知り合いも、友人もいない、去年5日間だけ訪ねた場所です♪ 
お友だち、紹介してください♡」

緑さんの仕事はデザインやブランディング。
フリーランスで活動しているため、渡米しても継続中のプロジェクトは行うそうだが、
ポートランドに仕事が待っているわけでもなかった。
しかも、住居も決めず、とりあえず2週間民泊を予約しただけだった。

緑さんは札幌のグラフィックデザイン集団〈COMMUNE〉のプロジェクトに参加し、ブランディングの仕事を行っている。写真は北見の〈Shinone Apple Farm〉のシードルのラベルデザイン。(写真提供:COMMUNE)

緑さんは札幌のグラフィックデザイン集団〈COMMUNE〉のプロジェクトに参加し、ブランディングの仕事を行っている。写真は北見の〈Shinone Apple Farm〉のシードルのラベルデザイン。(写真提供:COMMUNE)

「固定観念に縛られず、住居のことも、仕事のことも、学校のことも、
あまり気負わずに楽しむことを重視して、
クリエイティブに挑戦していこうと思っています(祈っていてください!!!)。
この先は、娘とふたりで“旅”と“人との出会い”と“本”と
“テクノロジー(インターネット)”で学んでいくつもりです」

2週間滞在したのは民泊。大家のポールさんは、ご近所さんを紹介してくれるなどとても親切だったそう。広いリビングとダイニングには、ポールさんの実家で使っていたというビンテージの家具が置かれていた。(撮影:山中緑)

2週間滞在したのは民泊。大家のポールさんは、ご近所さんを紹介してくれるなどとても親切だったそう。広いリビングとダイニングには、ポールさんの実家で使っていたというビンテージの家具が置かれていた。(撮影:山中緑)

8月24日に旅立って以来、日々の暮らしを綴ったFacebookを欠かさず読んだ。
住まいがなかなか見つからずに悪戦苦闘したり、
娘さんは学校へ通うようになったけれども一部の授業はボイコットしたり。
難しい状況があっても、そこから気づきを見出し前へと進む緑さんの冒険に、
わたしはどんどん引き込まれ、ときおり彼女とコンタクトを取るようになった。

限られた時間のなかでシェアハウスが見つかった。築100以上という古い家で、庭には小鳥が集まってくる。(撮影:山中緑)

限られた時間のなかでシェアハウスが見つかった。築100以上という古い家で、庭には小鳥が集まってくる。(撮影:山中緑)

10月に入り、緑さんが感謝祭の連休を利用して一時帰国をし、
時間が合えばどこかでポートランド暮らしの報告会をしてみたい
というメールをもらった。
すかさず、それなら地元の美流渡(みると)でやってほしいと提案をしたところ、
トントン拍子に話が進み、11月17日の開催が決まった。

わたしはポートランドに行ったことはないのだが、
この地域のローカリティーを生かした魅力的な取り組みに興味を持っており、
その動きは、岩見沢の山あいに移住してくる人々の精神との
共通項があるような気がしていた。

何より緑さん自身が、実際にポートランドで暮らした生の声を聞いてみたいと、
お話会の開催を心待ちにした。

滞在先の札幌からかけつけてくれた山中緑さん。

滞在先の札幌からかけつけてくれた山中緑さん。

新米猟師、料理人、
プロのバレエダンサー、
大工、旅人ライターも!
個性豊かなシェアハウス住人のお話。

こんにちは! 「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

シェアハウスの話をすると、「どんな人が住んでいるの?」
とよく聞かれるので、今回は個性豊かな住人たちを紹介していきたいと思います。

まずトップバッターは、シェアハウス発起人であり、夫であるこーいちさん

シェアハウス発起人・こーいちさん

料理人であり、冬の間は酒蔵で働く蔵人であり、
ときには韓国式伝統床暖房オンドルの大工であり、
一緒に猟をする猟師でもあります。

シェアハウスでは田んぼを担当していて、
彼が1年間の田んぼスケジュールを組み、それに沿ってみんなでお米を育てています。

農業・畜産・養鶏の経験がある彼のおかげで、我が家のお米自給率は100%以上。
また、集落では役員を務めたり消防団に所属したりと、
集落の人からの信頼も厚い、まさにこのコミュニティをまとめる存在です。

プロのバレエダンサー・ゆうまくん

それから、プロのバレエダンサーであるゆうまくん

ダンサーだけでなく、編集・ライター・webエンジニア・デザイナーと幅広く活動しています。
ジョージア国立バレエ団でプロのバレエダンサーとして活躍したあと、
華やかな晴れ舞台から一転、なぜか田んぼだらけの糸島へ。
これからの生き方を探るなかで、我が家へたどりついたと話してくれました。

「常に自分ができないほうを選ぶ」という強いチャレンジ精神の持ち主で、
25歳という若さでこれだけの幅広い知識や技術を持っているのも納得のストイックさ。
シェアハウス内では、筋トレ部を立ち上げたり、朝活を提案してくれたり、
シェアメイトとの交流の場をたくさんつくってくれています。

身長181センチの長身なので、古民家の我が家ではよく頭をぶつけています。

旅人ライター・マッキー

続いては、マッキー

夏期の短期住人という仕組みを通じて、
我が家への移住を決意してくれた旅人ライターです。

「食と農」に関心が強く、JAで4年間がむしゃらに働き、人生の次のステップへ進むため退職。
オーストラリア、カナダなどでワーキングホリデーを経験し、20か国を旅行。
そこから、場所・時間・お金から自由になる生き方を目指し、我が家へやってきてくれました。

SNSでの情報収集・発信が得意で、インスタグラムのアカウントもフォロワー1万人超え。
シェアハウスでの発信方法をアドバイスしてくれたりと、なにかと心強い存在です。
料理が上手で、みんなからいじられる愛されキャラ。
鼻歌の選曲がいつも若干古いのが気になるところ。(まだ若いのに……)
年齢詐称疑惑が持ち上がっています(笑)。

唯一の学生・がんちゃん

そして、唯一の学生、がんちゃん
夏休みの学生合宿を機に、我が家の暮らしと出合い、
内定辞退、大学を休学してまで我が家の一員となってくれました。

1996年生まれの22歳ですが、まだ身長が伸びているというのだから驚きです。
我が家のふたつ隣駅出身ということもあり、地元の人とのコミュニケーションも得意。
「食べる」と「居場所」をテーマに、フットワーク軽く活動しています。

我が家では、田んぼ作業からリノベーション、合宿の受け入れなど、
家仕事にも積極的に取り組んでくれて、とても助かっています。
芯のあるまっすぐな性格で、彼を訪ねてくる大学の後輩たちから頼りにされるのもよくわかる……!

彼の成長が楽しみですし、私自身も学ばせてもらうことがたくさん。
学生の視点から、シェアハウスを盛り上げてくれています!

続いては、前号で話に上がった大工インレジデンスのメンバーを紹介していきますね。

新しい仲間がどんどんやってくる。
移住者が増える小豆島

仲間が増えて、島の暮らしが楽しくなる

「移住先を探しているのですが小豆島はどうですか?」
「小豆島に移住しようと思ってるのですが
仕事とか家とかのお話聞かせてもらえませんか?」

そんな問い合わせが私たちのところにはちょくちょくやってきます。
この連載「小豆島日記」を読んでいてくださる方も多く、とてもうれしいです。
カフェの営業日(金曜と土曜です)に来ていただいて話すこともあれば、
タイミングが合えば畑作業を一緒にしながらお話することもあります。

小豆島へ移住されてくる方は相変わらず多いです。
昨年度(2017年度)は、小豆島全体でIターンJターンUターン
全部合わせて500人を超える方が引っ越してきたそう。
人口27000人の島にそんなにも新しい人たちがやってくるんだから、
すごいなと思います。

この日は以前小豆島で暮らしていた知り合いが畑を手伝いに来てくれて、一緒にまかないづくり。

この日は以前小豆島で暮らしていた知り合いが畑を手伝いに来てくれて、一緒にまかないづくり。

さつまいもとエビのカレーをつくってくれました。

さつまいもとエビのカレーをつくってくれました。

うちのカフェにも移住してきた方が遊びに来てくれることがよくあります。
移住して数日の人、数年の人、いろいろです。
もう何年も小豆島で暮らされていても、会ったことがない人も多く、
やっぱり小豆島は広いなぁと思います。

ま、でも広いといえど、やっぱり島なので、
こんな人が引っ越してきたらしいよって噂はすぐに流れますけどね(笑)。

白菜となばなのサラダ。

白菜となばなのサラダ。

島で暮らしている人たちが移住者に対してどんな思いを思っているのか、
それは人によってさまざまだと思いますが、
私たちは新しい人がやってくるのはうれしいし、楽しみです。
いろんな人に会えるし、話をできるから。
そして一緒に働くことになるかもしれない人にも出会えるから。

移住してきた人、島生まれの人、みんな一緒に畑作業の休憩ごはん。

移住してきた人、島生まれの人、みんな一緒に畑作業の休憩ごはん。

脱穀から新米を食べるまで。
初めての米づくりで感じたこと、
これからも続けていきたい米づくり。

初めてつくったお米を口にするまで

伊豆下田に移住して、初めてのお米づくりに挑戦した津留崎家。
稲刈り、天日干しを経て、ついに最後の作業、
脱穀と籾摺りをしてお米になります。
自分たちの食べるお米を自分たちでつくりたい、
そんな思いからスタートした米づくりは、
思いがけない経験や感情をもたらしてくれたようです。

〈森の出版社 ミチクル〉の
本づくりワークショップ。
あふれる想いがかたちになって

いつかではなく、いまから本づくりを始めてほしくて

今年の夏に岩見沢の山あいにある美流渡(みると)地区で
〈森の出版社 ミチクル〉を立ち上げた。
スタートを切ったあと、まわりのみなさんから
「実は、自分もいつか本をつくってみたいんだよね」という話を聞く機会が増えた。

自分が大切に思っていることを本としてまとめたい。
そんな真剣な想いが伝わってくると同時に、
「いまは時間がないから、いつかはね……」と語る人も多かった。

そんなやりとりをしているうちに、ふと思った。

「いつかじゃなくて、いま本をつくってみたらどうなるんだろう?」

そして、せっかく本をつくりたいと言ってくれる人がいるなら、
ワークショップを開いてみようと考えたのだ。

9月にも彫刻家の安田侃さんが創設した〈アルテピアッツァ美唄〉で開催されている〈アルテ○○の学校〉にゲストとして呼ばれ「編集」の話をした。参加者のみなさんからも「いつか本をつくってみたい」という声があがり、本づくりワークショップの企画へとつながった(写真提供:アルテピアッツァ美唄)。

9月にも彫刻家の安田侃さんが創設した〈アルテピアッツァ美唄〉で開催されている〈アルテ○○の学校〉にゲストとして呼ばれ「編集」の話をした。参加者のみなさんからも「いつか本をつくってみたい」という声があがり、本づくりワークショップの企画へとつながった(写真提供:アルテピアッツァ美唄)。

本づくりのワークショップは11月4日と10日の2日間開催した。
場所を提供してくれたのは、ご近所に住む中川文江さん。
森のパン屋〈ミルトコッペ〉の女将で、
〈森の山荘〉というログハウスのオーナーでもある。

このログハウスの1階に、つい最近〈美流渡の森の小さな図書館〉
と名づけたスペースを中川さんはつくったばかり。
本がたくさん並べられ、ゆったりとくつろげるスペースとなっており、
本づくりのワークショップにはピッタリの場所だった。

会場となった美流渡の森の小さな図書館。中央には「さをり織り」という手法でつくられたティピがあり、子どもたちにも居心地のよい場所。

会場となった美流渡の森の小さな図書館。中央には「さをり織り」という手法でつくられたティピがあり、子どもたちにも居心地のよい場所。

1日目に集まった参加者は7名。
岩見沢に住む人だけでなく、車で30分ほど離れた長沼からやってきてくれた人もいた。

まずはじめに、本づくりは意外と簡単で、
いますぐ始められるという話をさせてもらった。

例として出したのは、自分のプロフィールをまとめた小さな冊子だ。
A4サイズの用紙の表裏に文字と絵をプリントアウト。
それを4つ折りにして、ノド部分をホッチキスで留めて仕上げている。
カッターで周囲をカットすると見栄えもよくなり、
家庭用プリンターでも本らしい仕上がりになるところがポイントだ。

自分のこれまでの経歴をまとめたプロフィールブック。両面にプリントし、4つ折りにするとページの順番になるように「面付け」という作業を行っている。

自分のこれまでの経歴をまとめたプロフィールブック。両面にプリントし、4つ折りにするとページの順番になるように「面付け」という作業を行っている。

ノドをホッチキス留めして周囲をカッターで切り落とすと本らしくなる。

ノドをホッチキス留めして周囲をカッターで切り落とすと本らしくなる。

また、子どもが生まれた出産記念としてつくったジャバラ折りの小さな本も紹介した。
こんなふうに、出版社から本を出すだけでなく、日常的に気軽な気持ちで
本づくりを始めていってもいいんじゃないかと提案した。

自分の出産記念につくったジャバラ折りの小さな本。友人らに配ったもの。

自分の出産記念につくったジャバラ折りの小さな本。友人らに配ったもの。

森の出版社ミチクルで販売している2冊の本は、いずれもA6サイズ24ページと小さなもの。印刷所に印刷はお願いしているものの、普段手づくりしている本と意識は変わらない。

森の出版社ミチクルで販売している2冊の本は、いずれもA6サイズ24ページと小さなもの。印刷所に印刷はお願いしているものの、普段手づくりしている本と意識は変わらない。

古民家の改修が
驚異のスピードで進む!?
“大工インレジデンス”とは?

こんにちは! 「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

田舎暮らしを始めて5年、
畑や田んぼ、地域の人との信頼関係の構築はできてきたものの、
まだ手がつけられていなかったところがあります。
それが、家の改修です。

物置状態になっていた納屋。

物置状態になっていた納屋。

改修は専門的な知識や道具が必要であり、
さらに改修費用も捻出しなければいけないため、
なかなか思うように進めることができずにいました。

田舎では格安で物件を手に入れることが可能ですが、
家が傷んでいて結局大規模な改修が必要になるケースが多くあります。

とはいえ、廃材を使用してイチから自分たちで進めようとすると、
果てしない時間がかかり、いつまでたってもゴールが見えない……
そんな状態の同志たち、多いんじゃないでしょうか。

廃材を磨く。

廃材を磨く。

我が家もコツコツとDIYでリノベーションしてきましたが、
どうしてもスピードが遅いのが課題でした。

どうやったら改修スキルを持った人たちが仲間になってくれるかな? 
そんなことを考えていて思いついたのが、
「大工インレジデンス」というプロジェクトです。

enjoy DIY! 大工インレジデンス

改修技術を持った人は、我が家の滞在費&食費が無料! 

いとしまシェアハウスの田舎暮らしを体験しながら、
新しいコミュニティの場を一緒につくっていこう、というプロジェクトです。
プロが持つ改修技術と、いとしまシェアハウスの暮らし体験の、
物々交換のようなイメージでしょうか。

空き部屋に限りがあることもあり
最初は1名だけ募集する予定だったのですが、
応募してきた3名と面接をしたら全員魅力的な人ばかり。

古民家の改修を効率よく進めるには複数で取り組んだほうがスムーズだろうし、
今回は思いきって3名の大工さんに住んでもらうことになったのです。

実はその時点で空き部屋はなかったのですが、
ないならつくろう! という大工ならではの発想で乗り切ることに(笑)。

インスタグラムにスタンプラリー。
熊本地震で傷ついた南阿蘇鉄道を
応援する新たな試み

南阿蘇鉄道と地域の魅力を発信していくために

〈ひなた文庫〉が週末営業をしている場所は、
日本一長い駅名で知られる「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」。
平成5年に建てられた駅舎には駅長室やきっぷ売り場はなく、
待合室のみの八角形の空間でした。

ガランとした駅舎内に本や什器、椅子などを持ち込んで
本屋を始めたのが2015年の春です。
営業を始めてから現在までの約3年の間、いくつもの出来事がありました。
今回はその中から、南阿蘇鉄道の駅舎管理者としての活動で
生まれた試みについてお伝えしたいと思います。

まずは駅の管理で行う業務について。
基本的には駅をきれいに保つことや
訪れた観光のお客さんに案内を行うことがメインです。
そのほかには、電球の交換や経年劣化で傷んでしまった箇所のチェックなど、
役所の方が頻繁にできないような保守・管理業務を指定管理者として任されています。

当駅が属している南阿蘇鉄道には、そのように駅舎を管理している方々が
私たち以外にも数名いらっしゃいます。
現在、ほとんどの駅舎でカフェ営業が行われています
(地震以前は温泉施設や蕎麦屋さんのある駅舎もありました)。

またひと言でカフェといってもそれぞれに趣も異なっています。

昭和以前に戻ったかのようなノスタルジックな雰囲気の漂う
国鉄時代からの駅舎が特徴の長陽駅では、
シフォンケーキがいただける〈久永屋〉が、
特撮もの好きな店主さんがアニメ内に登場した食べ物を提供する
〈ひみつ基地ゴン〉は中松駅。

長陽駅の〈久永屋〉。

長陽駅の〈久永屋〉。

アメリカに長年住まれていたご夫婦の営む
異国情緒漂うアンティークカフェ〈75th street〉は阿蘇白川駅で、
日常的に阿蘇登山のガイドも行う店主さんが営む〈cafe倶利伽羅〉は南阿蘇白川水源駅。

阿蘇白川駅の〈75th street〉。

阿蘇白川駅の〈75th street〉。

各々の駅舎に個性のある店主さんがいて、
阿蘇地域の観光案内や駅舎の管理業務を行いながら、
店舗の営業を続けています(どの駅も個性的で今回は詳しくお伝えできませんが、
あらためてそれぞれの駅をご紹介しようと思います!)。

南阿蘇鉄道の全線復旧を願った祈念イベント内のトロッコ列車発車式。

南阿蘇鉄道の全線復旧を願った祈念イベント内のトロッコ列車発車式。

私たちが本屋を始めてすぐの頃は、駅管理者や役所観光課の方、
南阿蘇鉄道の方々全員が集うことはありませんでしたが、
熊本地震以後は復旧復興イベントを通じてそれぞれがつながり、
だんだんと絆が深まっていったように感じます。

復興イベントでは不通区間のレールウォークも行われました。中松駅からひなた文庫のある駅までのレールウォークの様子。

復興イベントでは不通区間のレールウォークも行われました。中松駅からひなた文庫のある駅までのレールウォークの様子。

暮らしながら、働きながら、
自分たちの拠点をつくりあげていく

更地にした場所に、新たに必要なものをつくる

いま私たちが暮らしている家は、
100年以上前にたくちゃん(夫)のひいじいちゃんが建てた家で、
山の斜面を切り開いて段々に整地した場所にあります。
横長の敷地の中に、母屋、蔵、離れ、倉庫といくつかの建物があって、
昔はここで暮らしながら、農作業をしたり、たばこの葉を乾燥したり、
牛も飼っていたそう。

暮らす場と働く場が一体になった場所。
かたちを変えつつ、私たちもこの場所で暮らし、働いています。

左側から、母屋(生活スペース+一部カフェとして開放)、蔵、離れ(ゲスト宿泊棟になる予定)。

左側から、母屋(生活スペース+一部カフェとして開放)、蔵、離れ(ゲスト宿泊棟になる予定)。

6年前に島に引っ越してきたとき、母屋は生活できる状態でしたが、
たばこの葉の乾燥小屋や農機具の倉庫はぼろぼろで、そのままでは使えない状態でした。
手を入れて使い続けるか、解体するか。

暮らしながらしばらく様子をみて、最終的には母屋、蔵、離れは残し、
それ以外の建物は壊して、更地にしました。
更地にしたのが2015年3月。引っ越してから2年半後です。

屋根が落ち、いたるところが朽ちてしまったたばこの葉の乾燥小屋。

屋根が落ち、いたるところが朽ちてしまったたばこの葉の乾燥小屋。

解体作業。大量の廃材が出ました。

解体作業。大量の廃材が出ました。

更地になったスペース。

更地になったスペース。

私たちは暮らし方も働き方も手探りでつくりあげてきていて、
何が必要なのか最初はわかりません。
農業を始めて数年経ち、少しずつ道具が増えていき、
倉庫が必要だねということになって、
更地にした場所に半屋外の倉庫を建てたのが、2017年3月。

倉庫ができて、あちこちに散らかっていた道具をまとめておけるようになって、
少しきれいになりました。

親戚の大工さんに倉庫の工事を依頼。

親戚の大工さんに倉庫の工事を依頼。

敷地まわりは、農機具やら廃材やらでくちゃくちゃ(汗)。

敷地まわりは、農機具やら廃材やらでくちゃくちゃ(汗)。

稲刈り、稲架掛け、天日干し。
初めての米づくりでここまでできた!

自分たちでつくった米を
食べられるまで、あと少し!

移住して、初めての米づくりに挑戦中の津留崎家。
田植えから除草、そして稲刈りまで、できるだけ機械に頼らず
自分たちの手でやってみようとがんばっています。
そして稲刈りを目前に、稲を天日干しするための
竹を山に伐り行くことに……! 
初めての稲刈り、うまくいったのでしょうか?

岩見沢の山あいの小学校が閉校。
サヨナラを新たな芽吹きのチャンスに

撮影:佐々木育弥

統合によって友だちが増えるけれど、地域のつながりはどうなる?

息子が通う岩見沢の山あいの小学校が今年度いっぱいで閉校となる。
全校生徒は7名。
1、2年生が6名で複式学級。4年生は1名で単式学級となっている。
学校の統廃合の話は以前からあがっていたが、
これまで地域のみなさんは学校存続の道を探ってきた。

けれども新学習指導要領が2020年から順次実施されるにともない、
あまりに人数が少ないと授業の進め方に難しい点が出てきてしまうなどの
先生からの意見もあがり、統合へと舵を切ることになった。
そして同時期に隣にある中学校も統合することで方針が固まった。

親としては複雑な想いがある。
例えば運動会は、この地域に学校があることのすばらしさを実感できるイベントだ。
保育園、小中学校の合同開催で、生徒の親はもちろんのこと、
地域の住民も参加して、綱引きをしたり、玉入れをしたり。
児童数が少なくても、子どもも大人も運動会にかける本気度は
どこよりも高いと思わせてくれるような白熱した競技が続く。

6月に開催された運動会。中学生と小学生が一緒に走る競技も。

6月に開催された運動会。中学生と小学生が一緒に走る競技も。

統合することによって息子は遊ぶ友だちが増えるけれど、
こんなふうに地域の人たちが、みんなで子育てをしているような雰囲気は
何にも代え難いと感じている。

大人が真剣になる玉入れ。50個以上入れるチームもあった。

大人が真剣になる玉入れ。50個以上入れるチームもあった。

いま閉校を前に学校ではさまざまな取り組みが行われている。
そのひとつが、9月27日に行われた遠足だ。

この学校が開校したのは、いまから115年前の明治37年。
当時、建てられたのは現在の地点から3.5キロメートルほど西にあり、
開校の地まで歩いてみようという企画だった。
7名の子どもたちとともに地域の人々も参加。
この学校の卒業生が岩見沢市街地などからも駆けつけ、
森のあいだを通る道道を歩きながら、思い出話に花を咲かせていた。

9月の遠足。道道沿いをみんなで歩く。

9月の遠足。道道沿いをみんなで歩く。

開校の地へ向かう道すがらに、大正5年にこの小学校が移築された場所もあった。校長先生が当時の校舎の写真を子どもたちに見せて解説。

開校の地へ向かう道すがらに、大正5年にこの小学校が移築された場所もあった。校長先生が当時の校舎の写真を子どもたちに見せて解説。

開校当初の学校の跡地は農業用の倉庫の脇にあった。
大きなイチョウが1本立ち、ここに学校があったことを記す板が置かれていた。
校長先生によると最初の校舎は6坪。生徒は6名。
冬はいろりを囲んで勉強をし、寒さをしのぐために
窓をとうもろこしの皮でおおっていたという記録が残っているそうだ。

撮影:佐々木育弥

撮影:佐々木育弥

まるでナスカの地上絵!?
新旧の“ハイブリッド式”で挑む
お米100%自給法

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

我が家はお米の自給率100%。
10月は稲穂が黄金色に染まる、稲刈りの季節です!

といっても、稲刈りの季節は地域や米の品種によってさまざま。
最近では田植えをゴールデンウィークに行い、
夏に稲刈りするところも多いのだとか。
ゴールデンウィークや夏休みなら人も集まりそうですし、
マンパワーのことを考えると、ちょうどいいシーズンですね。

たわわに実る稲穂。

たわわに実る稲穂。

昔々、海や川のない地域では
梅雨時期の雨水を貯めて、その水で田植えをしていたそう。
我が家ではそれにならい、梅雨時期の6月から田植えをし、
10月に稲刈りをしています。

まだ田んぼが小さかった頃は、すべてを手植え、手刈りしていました。
さらには、収穫したお米を稲藁からはずすために足踏み脱穀機を使ったり、
風を起こして穀物を選別する“唐箕(とうみ)”を使ったり、
昔ながらの方法をできるだけ使うよう心がけていました。

稲刈りの風景1

しかし最近は高齢化が進み、耕作放棄地が増えたことで、
その空いた田んぼを貸していただけることに。
田んぼの面積は初期の頃の数倍に拡大しました。

その広さで、昔ながらの方法を続けていくのは
身体的にも精神的にも無理がある、と気がつきました。

すべてを手作業で、かつ楽しみながらできればベストです。
しかし、そのためにはたくさんの人手が必要ですし、
住人たちは田んぼ以外のことがほとんどできなくなってしまいます。
何よりも、田んぼ作業がしんどくなってしまう。

そこで、この暮らしを楽しく、長く続けていくために、
「味に大きく関わらない部分は、ありがたく文明の利器を使う」という
スタイルに転換しました。

竹を組んだ“はざ”でお米を干す。

竹を組んだ“はざ”でお米を干す。

例えば、

・根のつき方に大きな影響のある田植えは、すべて手作業で行う

・稲刈りは味に影響がないので、部分部分で機械を導入する

・脱穀・選別も、機械を使う(これ、手作業は本当に大変。ありがたい……!)

・お米がおいしくなるので、天日干しは行う

などなど。

稲刈りは、手刈りと機械刈りのハイブリッド型。
バインダーという機械を使うのですが、この機械のすばらしい点は、
刈った稲が束になって結ばれて出てくるというところ。

バインダーで稲を刈る。

バインダーで稲を刈る。

稲刈り体験者ならきっとわかってくれると思うのですが、
稲刈りで大変なことは、稲を刈ることではなく、
刈った稲を束ねてまとめるところです。

刈るのは、あっという間。
でも、束にして縛るのはその何倍も時間がかかります。
それを自動でできてしまうのだから、文明の利器ってすばらしい。

多様化する“ふたり暮らし”に フォーカスした リノベーションマンションが登場

大阪市都島区に、「ふたり暮らし」にフォーカスした
リノベーションマンション〈クラフトアパートメント桜ノ宮〉が登場。
夫婦、親子、カップル、兄弟姉妹、友人、同僚。異性に同性。
複雑に多様化する「ふたり」と、その「住まい」について、
既存の間取りや内装の概念にとらわれずに設計されているのが特徴です。

クラフトアパートメント桜ノ宮

SPACE4

価値観の多様化が進み、家族のあり方が変わってきました。
単身世帯の急増や、同性パートナーシップ制度の導入など、
これからも、ますます家族の多様化が進んでいきそうです。

そこで、〈クラフトアパートメント桜ノ宮〉では、
従来のLDKから考える間取りではなく、「多様なふたり」の関係性を許容できる、
ほどよい「距離感」をキーワードに設計されています。

間取り図

間取り

テーマは「多様なふたりの関係性を許容でき、ほどよい距離感を保てる空間」。
部屋を明確に定義せず、間取り図では従来のリビング・洋室などではなく、
それぞれの領域をSPACE1、SPACE2……と表現しています。
寝室にしても、通路にしても、ウォークインクローゼットにしても、
どんな使い方も自由!

意外すぎる転身!? 故郷秋田で、 好きなことを仕事にした元ラガーマン

扉を開けると香ばしいコーヒーの香りにつつまれる。
いかにもおしゃれなカフェといった趣の〈08 COFFEE〉。
きっとセンスの良い素敵な女性がオーナーなんだろう、
と勝手に思い描いていた矢先、目の前に現れたのは……。

コーヒー好きのためのコーヒーのためのコーヒー専門店

秋田県の県庁所在地、秋田市。
メイン通りから一本入った、
落ち着いた通り沿いにある小さなビルの2階に佇む〈08 COFFEE〉。
白を基調とした瀟洒な店内に、まるで現代アートのように佇むヴィンテージ家具。
さりげなく飾られた小物たち。
コーヒーを飲むために考えられた静寂につつまれた空間には、
ゆったりと心地よい時間が流れる。
本を読んだり、静かに談笑したり、
お客さんそれぞれが思い思いに楽しんでいるのは、オーナーこだわりのコーヒーだ。

なぜ、元ラガーマンが、コーヒー屋に……

五城目町出身のオーナー、児玉和也(こだまかずや)さんは元ラガーマン。
大学進学のため上京し、学生時代はラグビーに没頭した。

「社会人になってからもクラブチームでラグビーを続けていました。
地元でラグビー人生を終えたい、という気持ちが強く、
その当時はまだできたばかりの『秋田ノーザンブレッツ』に所属し、
サラリーマンとして働きながら3年間選手として活動しました」。

ラガーマンとして思い切り汗を流す一方で、
生まれ育った秋田でいつかは飲食店を開業したいという思いがあった。
そして引退後に児玉さんが選んだセカンドキャリアは「コーヒー専門店」だった。

「ラグビーを引退した後、飲食業界のことを学ぶために
仙台のレストランで調理の修業をしました。
その後、カフェに勤めたのですが、その時に担当したコーヒーにハマってしまって。
もっと深く知りたいと思い、コーヒー専門店に転職しました」

その奥深さを知れば知るほどコーヒーに魅了された児玉さんは、
2011年、コーヒーを主役にしたお店を地元秋田でオープンした。

〈渋谷東しぜんの国こども園〉 理事長は音楽家! まちに開かれた こども園が渋谷にオープン

2018年10月、東京都渋谷区に保育所型認定こども園
〈渋谷東しぜんの国こども園 small alley(スモール・アレー)〉がオープンしました。

こちらは、以前コロカルでもご紹介した
東京都町田市にあるしぜんの国保育園のふたつめとなる保育施設。

まちに開かれた場所にしたいという思いから、
内装のデザインはかつて子どもたちの遊び場でもあり、
生活の共有地でもあった「small alley=小さな路地裏」をイメージ。
全長約65mの湾曲した建物のなかに、できるだけ仕切りをなくした
開放的な空間が広がっています。

オープニングデーに行われたトークイベントの様子

オープニングデーに行われたトークイベントの様子。左から〈しぜんの国保育園〉理事長の齋藤絋良さん、〈まちの保育園・こども園〉代表の松本理寿輝さん、〈しぜんの国保育園〉の青山誠さん。松本さんは都内5箇所にて認可保育所、認定こども園を運営しています。

理事長の齋藤紘良さんは「渋谷東しぜんの国こども園は、
積極的にまちとの関わりを心がけたい。路地のような豊かな場を大切にしながら、
保育を組み立ててゆきたい」と語っています。

まちに開かれたこども園とは?

入園者以外の方も利用できる〈small alley cafe〉

入園者以外の方も利用できる〈small alley cafe〉。コーヒー豆は〈OBSCURA COFFEE ROASTERS〉のものを使用。2019年3月までは営業日を限定したプレオープン。その後グランドオープンを予定。

渋谷東しぜんの国こども園は、渋谷と代官山の間にある
複合型施設〈渋谷ブリッジ〉の3フロアで展開しています。

園と併設して、1階にはカフェ〈small alley cafe(スモール・アレー・カフェ)〉や
情報発信・子育て支援スペース〈BUTTER(バター)〉を備え、
地域の子育て世代の支援を行うとともに、
さまざまな人が子育てを身近に感じられる場を設けることで、
地域に新たな魅力とにぎわいを創出することを目指しているのだとか。
こちらが園内の様子です。こんな空間なら子どもたちものびのびと過ごせそう!

内装設計は〈フィールド・デザイン・アーキテクツ〉、インテリアデザインは〈ima〉

内装設計は〈フィールド・デザイン・アーキテクツ〉、インテリアデザインは〈ima〉によるもの。家具には暖かみのあるラワン材などを使用しています。

情報発信・子育て支援スペース〈BUTTER〉

情報発信・子育て支援スペース〈BUTTER〉。ベビーマッサージのレクチャーやヨガなどの子育て支援プログラム、ライブや映画、ギャラリーなど多目的な利用が可能。バターという名前は色々な気持ちや文化が溶け合うことをイメージして命名されたそう。

写真:神ノ川智早