岩見沢〈朝日駅復活プロジェクト〉
廃線となった駅舎を人の集まる場所に。
楽しみながら取り組むプロジェクト

炭鉱で栄えた朝日地区に残る万字線の駅舎

わたしが住む岩見沢の山あいは、もともと炭鉱で栄えた地区だ。
朝日、美流渡(みると)、万字(まんじ)とそれぞれの地区に炭鉱があり、
何万人もの人々が暮らしていたという。
かつてのにぎわいはなくなっているものの、
当時の様子をしのばせる建物がいまでもひっそりと建っている。

朝日地区の万字線鉄道公園にある旧朝日駅もそのひとつ。
この公園は、石炭輸送を目的に1914年に開通し、
1985年に廃線となった万字線の駅周辺を整備してつくられた施設だ。
機関車も置かれ、紅葉も美しい場所ではあるが、地元の人や観光客の姿はまばらで、
旧駅舎も手つかずの状態で傷みが目立つようになっていた。

万字線鉄道公園。旧駅舎やレールが残されている。(写真提供:岩見沢市観光協会)

万字線鉄道公園。旧駅舎やレールが残されている。(写真提供:岩見沢市観光協会)

地元の人たちは、駅舎をなんらかのかたちで活用したいという想いはあっても、
なかなか一歩を踏み出せない状態だった。
2年前に地域おこし推進員(協力隊)として、
この地区にやってきた上井雄太さんも同じ気持ちを抱えていた。

「何かに生かせないか、アイデアをずっと考えていました。
取り壊すという話も上がっていて、それはもったいないと思っていました」

時間が止まったようなこの場所が、新しい時を刻むことになったのは、
突然の出来事だった。
朝日の隣、美流渡地区に昨年移住したばかりの
スティーブン・ホジャティさんと文さん夫妻が、
あるとき上井さんに写真を見せてもらったことが、
新しいプロジェクトが生まれるきっかけとなった。

その写真とは、朝日が炭鉱でにぎわっていた時代に撮られており、
労働者が生き生きと働いたり、地域みんなでスポーツを楽しんだりする様子が
写し出されていたものだった。

朝日地区に保管されている炭鉱の写真。岩見沢市内にある〈そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター〉に寄贈された写真資料がもとになっている。

朝日地区に保管されている炭鉱の写真。岩見沢市内にある〈そらち 炭鉱の記憶マネジメントセンター〉に寄贈された写真資料がもとになっている。

「こんなにすばらしい写真があるなら眠らせておくのはもったいない。
そのとき朝日駅舎に展示してみたらいいんじゃないかと思ったんですね」(文さん)

この駅舎はホジャティさん夫妻にとって印象深い場所でもあった。
札幌で馬を飼いながら、子どもたちに向けたイングリッシュキャンプを
10年ほど行っていたふたりは、新天地で新しい活動を始めようと場所を探しており、
昨春初めてこの地区を訪れ、そのときに駅舎にも立ち寄ったのだそう。

「まだ雪が残るなか朝日駅を見たんですね。
そのとき、万字線の歴史を伝えていくのに一番いい場所だと思いました」(文さん)

「そのままにしておいたら、もったいないと思いました。
線路がまだ残っている場所はなかなかありませんし、
このままだとレールが錆びていってしまうと思ったんです」(スティーブンさん)

朝日駅復活プロジェクトを企画した3人。左から文さん、スティーブンさん、上井さん。

朝日駅復活プロジェクトを企画した3人。左から文さん、スティーブンさん、上井さん。

公園には線路が残され機関車も置かれている。

公園には線路が残され機関車も置かれている。

上井さんと夫妻は駅舎を復活させたいという気持ちで一致。
さっそく管理をしていた市役所にかけあい、
自分たちで整備をしてよいか相談をもちかけたそうだ。

検討の時間はさほどかからなかった。
役所もすぐに協力する姿勢を見せてくれたそうで
〈朝日駅復活プロジェクト〉が立ち上がった。

「建物は使わないと死んでいってしまう。
まずはキレイにしたいと思いました」(文さん)

駅舎の内部。普段は鍵がかかっていて中に入ることはできなかった。

駅舎の内部。普段は鍵がかかっていて中に入ることはできなかった。

駅で使われた備品が保管されている場所もあった。(写真提供:岩見沢市観光協会)

駅で使われた備品が保管されている場所もあった。(写真提供:岩見沢市観光協会)

もしもお金が野菜なら!?
〈ギブミーベジタブル〉で考える
お金とのちょうどいい関係

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

先日、いとしまシェアハウスは5周年を迎えました!
我が家では毎年、周年記念イベントとして
“野菜が入場料”になる、食と音楽のイベント〈ギブミーベジタブル〉を企画しています。

ギブミーベジタブル参加者の皆さんと。

これは、入場料・アーティストの出演料が“野菜”で支払われる、
自給自足型・即興料理と音楽のイベント。

イベント参加者が、入場料として野菜を中心とした食材を持参し、
その野菜を使って料理人が即興料理をふるまいます。
(持ってくるものは野菜だけでなく、調味料や酒、お米でもOK!)
そしてイベント後は、残った野菜を出演料として関係者で分け合うのです。

ここでは野菜がお金の代わり。
“野菜”というコミュニケーションツールを通じて
「お金の役割とモノの価値」について考え、
交換することの楽しさを感じてもらおう、という取り組みなのです。

(調味料、調理器具などの実費は、
有料ドリンクのキャッシュオン&ドネーションでまかなっています)

ギブミーベジタブルの様子

率直に言って、お金を介さないやりとりはとても楽しい!

イベントに集まった食べものは
自分の畑で初めて収穫できた野菜だったり、
こだわり素材の自家製調味料だったり、
小さな女の子が頑張ってつくった手づくりおやつだったり、
あたたかく、やさしいストーリーがあるものばかり。

集まった野菜には、この野菜がどこから来たか、誰がつくったのかなどのメモ書きが添えられています。

集まった野菜には、この野菜がどこから来たか、誰がつくったのかなどのメモ書きが添えられています。

気持ちのこもった食材たちが料理人たちの手で
ご馳走に変化していき、それをみんなでおいしいねと食べる。
これ以上の幸せってある? と思うくらい、ハッピーな場なのです。

「買う」「売る」じゃないからこそ広がる多様性やおもしろさ、
損得なしにこの場を楽しい場所にしたいという気持ちのいい循環が
そこにはありました。

持参された野菜でつくられた料理の数々。

小豆島太鼓まつり、
太鼓台が海を渡る「押し込み」

島中がお祭りムードの1週間!

小豆島では毎年10月中旬に太鼓まつりが行われます。
秋の収穫を感謝するお祭りとして、小豆島内にある6つの八幡神社で開催され、
太鼓台を奉納します。

まつり前日は宵まつり。買い物に行ったら遭遇。ワクワクしてきます。

まつり前日は宵まつり。買い物に行ったら遭遇。ワクワクしてきます。

まちなかを太鼓台が進んでいきます。

まちなかを太鼓台が進んでいきます。

10月11日の葺田八幡神社から始まり、伊喜末八幡、土庄八幡、
内海八幡、富丘八幡、最後は10月16日の池田亀山八幡さん。
この1週間は島中がお祭りムード、島のいたるところで太鼓の音が聞こえてきます。

手手手手! 毎年この丸太を持ちあげる男の人たちの連なる手がいい。

手手手手! 毎年この丸太を持ちあげる男の人たちの連なる手がいい。

秋晴れ、祭り日和。

秋晴れ、祭り日和。

私たちが暮らしている肥土山(ひとやま)地区は
10月15日に富丘八幡神社に奉納します。
今年は、ほかの八幡さんのお祭りに参加している友人を見に、
10月14日は土庄八幡神社へ、10月16日は池田亀山八幡神社へ。
3日間、毎日まつり!

息がそろうと太鼓台がふわっと浮く。この瞬間を見るのが毎年楽しみ。

息がそろうと太鼓台がふわっと浮く。この瞬間を見るのが毎年楽しみ。

肥土山地区の太鼓は今年は女の子たちが乗りました。

肥土山地区の太鼓は今年は女の子たちが乗りました。

各八幡さんによってお祭りの内容は少しずつ違います。
太鼓台の担ぎ方やかけ声の違いなど、
「へー、ここの地区はこんなふうにするんだ」というのが見てるといっぱいあります。

テレビの中の人だけが
ヒーローではない!
世界遺産を守る人、
水車を楽器にしてしまった人、
私のまちのヒーローたち

今月のテーマ 「このまちのヒーロー」

ヒーローといえば! 正義の味方? 旅の勇者? はたまた、大活躍した野球選手?
いえいえ、日本各地にだって、いろんなヒーローがいるものです。

たとえ名は知られていなくとも、そのまちにとって、なくてはならない人物。
彼らはどこか魅力的で、多くの人が一目置く、かっこいい存在。
そんな地域のヒーローを、日本各地に暮らすみなさんから紹介してもらいました。

【岐阜県白川村】 世界遺産を守るヒーロー、茅葺き職人

屋根の葺き替えをする職人たち

“合掌づくり”と呼ばれる茅葺きの家が建ち並ぶ、岐阜県白川村。
これらを維持するには修復や屋根の葺き替えが必要不可欠で、
30~40年に一度、大がかりな工事が行われます。

その葺き替えを担い、
白川村の風景や文化を守っているのが「茅葺き職人」です。

白川村で活動している6名の職人

現在、白川村で活動している職人は6名。
彼らの仕事は、幅広い知識や技術が必要で、
ときには屋根の結束の材料となるマンサクの木を採りに山へ入ることもあります。

重労働な作業から、繊細な作業までこなし、
白川村の人々の暮らしを守る職人は、まさにスーパーヒーロー。

マンサクの枝を運ぶ職人。

マンサクの枝を運ぶ職人。

集落では「結(ゆい)」と呼ばれる、同量程度の労働力をお互いに返しあう文化があり、
古くより、村民同士の助け合いによって集落は守られてきました。
現在は、結の精神や葺き替え技術を伝承するため、
年に一度、合掌づくり家屋を所有している村民が集まり、葺き替えを行っています。

合掌づくりの家には、自然の恵みを巧みに利用した先人の知恵が詰まっていて、
その智恵や技術は、茅葺き職人によって現在も守り続けられています。

村民の結による屋根葺き風景。

村民の結による屋根葺き風景。

photo & text

長坂風子 ながさか・ふうこ

愛知県生まれ。大学卒業後、映像制作会社に勤務。地域の“今”を残したいと思い、岐阜県白川村に移住。好きなことは、映画を観ること、おいしいものを食べること。

【岩手県花巻市】 ワインにいい嫁を! ヒーローたるチーズ職人

花巻市大迫町で、唯一のチーズマイスターである伊藤行雄さんは72歳。
小さな工場でチーズをつくるその後ろ姿には、ただならぬものを感じます。

行雄さんのチーズづくりは昭和49年からスタート。
このまちでワインづくりが盛り上がってきた約50年前から、
チーズとワインのマリアージュを提唱していました。
「ワインにいい嫁はんを見つけてあげなきゃいけなかった」と、行雄さん。

できたてのナチュラルチーズ。

できたてのナチュラルチーズ。

特製チーズの握り!

特製チーズの握り!

「チーズを通していろんな人と出会えることが楽しい」と話す行雄さん。
僕もそんなすてきな行雄さんに出会えたことに、とても感謝しています。
チーズ文化だけでなく、人と人をつなげる、まちのヒーロー。

花巻市のチーズマイスター、伊藤行雄さん

photo & text

鈴木寛太 すずき・かんた

1991年東京都出身。2011年に発生した東日本大震災以降、大学のボランティアプログラムで、繰り返し岩手県を訪れるようになる。一度は就職するも、2015年8月、地域おこし協力隊として花巻市に移住。大迫(おおはさま)地区で、減少が続くぶどう農家の支援やイベントの企画・調整を行っており、2018年5月にぶどう農家となる。2018年7月末、3年間の地域おこし協力隊の任期を終え、本格始動中。

【島根県隠岐の島町】 人生の哲学を教えてくれる、私のヒーロー

私にとって、やさしさや学びを与えてくれる地域の方たちは、みんながヒーロー。
なかでも地域唯一の個人商店〈たけのや〉を営んでいる、“としちゃん”こと武田年弘さんは、
木々を愛する山の達人でもあり、山にまつわるさまざまなことを教えてくれます。

地域唯一の個人商店〈たけのや〉を営むとしちゃん

この日は、としちゃんがつくった丸木小屋を見せてもらいました。
山でちょうどいい木を探して伐り出すところから始めて、
奥さんとたったふたりでつくりあげたのだそう。

としちゃんがつくった丸木小屋

「ひとりでできんことも、ふたりならできる。
ふたりになれば、その力はふたり分じゃなくて3人分になる。
でも、7人いても5人分にしかならん、ということもある。
多すぎると、見てるだけの人もおるけんね〜」

人はひとりでは生きていけないけれど、多ければいいというわけでもない。
何ごとも適度に。
こんなふうに、としちゃん流の人生哲学が飛び出すのも、魅力のひとつです。

たけのやの外観

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五十嵐杏美 いがらし・あみ

平成2年生まれ。元ギャルの島ガール。2017年3月末、東京から島根県隠岐の島町へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活動中。移住のテーマは、【自然との共生】と【丁寧な暮らし】。四季の移ろいのなかで豊かに生きる術を学び中。また、自分らしく生きることを探求するためにヨガとアーユルヴェーダを学んでおり、同時に広める活動も行っている。

【岩手県一関市】 夢は叶えるもの! 水車を楽器にしたヒーロー

水車で音楽を奏でる。
こんなことを思いつく人がいるでしょうか?
学生時代の岡淳さんは、水力で米をつき、粉を挽く水車小屋を見て、
これで音楽を奏でられないかと思ったといいます。

サックス奏者の岡淳さん

それから約30年、現在はサックス奏者として活躍する岡さん。
音楽水車をつくりたいという話は、たびたび飲みの席で語ることはあっても、実現には至らず。
あるとき、“夢を語るだけのおじさん”になっている自分に恥ずかしくなった岡さんは、
縁あって訪れた奥玉という地で音楽水車をつくることに。

音楽水車プロジェクトの風景1

毎年9月の第1日曜日、音楽水車はやってきます。
不思議なカラクリで奏でられる音楽を楽しみに、全国から数100人が集うイベントに!

音楽水車プロジェクトの風景2

いくつになっても夢を忘れない。
その遊び心が、今年もまちのヒーローを動かすのです。

音楽水車プロジェクト3

information

音楽水車プロジェクト

WEB:www.musicmill.jp

Facebook:www.facebook.com/MusicSuisha/

MAIL:info@musicmill.jp

TEL:080-3577-4268(代表:岡淳)

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櫻井陽 さくらい・よう

岩手県一関市出身。2016年よりUターンで一関市の地域おこし協力隊に着任し、農業分野の地域団体の活動支援を行う。好きな食べ物はカレー。趣味の硬式テニスをやらないと病にかかる体質。2017年より一関で楽しく暮らしたい20代のための地域団体「一関を面白く企む会」を発足し、各々がまちを楽しむためのさまざまな企画を実施する。

移住して家事の分担が変わった?
夫と妻の、仕事の領域。

草刈りは男の仕事?

伊豆下田に移住して、米づくりもするようになった津留崎家。
一方で、家のことまで手が回らなくなるという事態に。
ふと、これまで男の仕事だと思っていた草刈りを
自分でできないかと思い立った妻の徹花さん、
電動草刈り機を使って草刈りにチャレンジ。
自分でできることが増えると、視野も広がるようです。

アフロの稲垣えみ子さんが、
美流渡にやってきた。
過激(!?)な移住者たちをめぐる旅

停電に見舞われ、いまこそ稲垣さんの言葉が響くはず

北海道胆振東部地震で、わたしの住む岩見沢は、1~2日間の停電に見舞われた。
停電がようやく復旧したとき、SNSには通電を喜ぶ投稿がたくさんあった。
また電気がない生活はとても不便だったという話があちこちで聞かれた。

わたしは電気が通ってすぐ、ある人にメールをした。
元朝日新聞記者でアフロヘアがトレードマークの稲垣えみ子さんだ。
昨年11月に東京で行われたシンポジウムのお仕事で、稲垣さんとご一緒したことがあり、
いつかまたお目にかかりたいとずっと思っていた。

実は9月9日に札幌で講演会が予定されていたのだが、地震の余波で中止になり、
「講演会がなくなってとても残念。
稲垣さんのお話が、いまこそ北海道の方々に響くのではないかと思う」
という内容のメールを思わず送ったのだった。

稲垣さんはすぐに返事をくれて、何度かメールでやりとりをするうちに、
なんと(!)わが家に遊びに来てくれることになった。
わたしが買った山を見たいと言ってくれたのだった。

昨年11月にインドの小さな出版社タラブックスの編集者と日本のパネリストが集う「世界を変える本づくり」というシンポジウムが行われ、わたしは稲垣さんに出会った。(撮影:南阿沙美)

昨年11月にインドの小さな出版社タラブックスの編集者と日本のパネリストが集う「世界を変える本づくり」というシンポジウムが行われ、わたしは稲垣さんに出会った。(撮影:南阿沙美)

これは本当にうれしい出来事だった。
自分自身がどこに向かおうとしているのか、その指針を示してくれたのは
稲垣さんの著書『寂しい生活』だったからだ。

『寂しい生活』は、稲垣さんが東日本大震災をきっかけに節電を始め、
やがて、電子レンジや冷蔵庫など、ほとんどの家電を手放すなかで、
数々の発見をし、自分の新たな能力に目覚めていくというエッセイだ。

なかでもわたしが共感したのは、電灯にほとんど頼らず、
エアコンも使わなくなったことで、天候の変化や四季の移ろいを感じる
センサーのようなものが鋭敏になったというところだ。
最近、「季節が夏と冬だけの両極端になって、春や秋がなくなった」
という人も多いが、そんなことはないと、稲垣さんは著書で語っている。

ちょっと暑いから、ちょっと寒いからとエアコンのスイッチを入れているあなた。
もしかするとあなた自身が、自分の身の回りからこの素晴らしい変化を排除し、
春と秋を消し去っているのかもしれませんぜ、っていうか、絶対消し去ってるよ、
それでもいいんですかというのが仙人(稲垣さんのこと)のお告げであります。

(『寂しい生活』より)

東日本大震災をきっかけに「個人的脱原発計画」に挑戦。何かをなくすことで、稲垣さんはそれまで見えなかった別の世界を発見した。『寂しい生活』(東洋経済新報社)

東日本大震災をきっかけに「個人的脱原発計画」に挑戦。何かをなくすことで、稲垣さんはそれまで見えなかった別の世界を発見した。『寂しい生活』(東洋経済新報社)

さっそくできることから実践しようと、
冬でもできるだけ給湯は使わず真水で洗い物をし(めちゃくちゃ冷たい)、
いつも夜明け前に起床するのだが、そのとき電灯はつけず
薄暗がりの中で家事をすることにした(夜もやりたいが、
夫と子どもが奇異な眼差しで見るのでできない)。

このふたつだけでも、夜明け前に空が少しだけ明るくなっていることに気づけたし、
お湯を使わないせいか手がまったく荒れなくなるなど、
思いもよらぬ体験をすることができた。

古民家の土間を復活!
伝統的な“三和土土間”をつくる
2泊3日の古民家リノベーション合宿

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」を自分たちでつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

先日、我が家で「三和土(たたき)土間」をつくるワークショップを行いました。
三和土土間とは、日本家屋の土間をつくる伝統的な手法で、
土に石灰・にがりなどを混ぜ合わせ、叩いて固めて仕上げたもののことをいいます。
今時、昔ながらの土間を新しくつくる機会はなかなかないと思うので、
ここでレポートしていきたいと思います!

もともとの板間の状態。

もともとの板間の状態。

我が家の玄関は、もともとは土間だったと思うのですが、
洋風の応接間が流行った時代にベニヤ板の板間がつくられていました。

ですが年月とともに傷んで剥がれ、今では歩くと剥がれた板が引っかかって危ないので、
ガムテープで留めて(!)なんとかやり過ごしてきました。

この場所も、リノベーションしなきゃねという話はずっと出ており、
夫は一番に土間を提案していたのですが、
実は私、板間をなくしてしまうのはもったいない……! と思っていました。
板間のほうが靴を脱いでくつろげるし、
最初は土間ではなく「床張りをし直す」という選択肢を推していたのです。

でもこの5年、このスペースの使われ方を見てみると、人がくつろぐというよりは
ただモノが置かれる場所&人が行き来するだけのデッドスペースとなっていました。
ここに新しく床板を張っても、きっとただの“きれいな通り道”になってしまう。

「板をはがして土間にして、薪ストーブやテーブル・イスを置いたら、
人が集まる場所になるよね。
畑や田んぼから帰ってきたとき、靴の脱ぎ履きが簡単になるよね」

そんな夫の提案もあり、ついに土間づくりをすることになったのです。

キャラの濃い参加者たち!

キャラの濃い参加者たち!

今回は、連休に合わせて2泊3日の大型合宿を組みました。

自分の家にも三和土土間をつくってみたいと岡山から参加されたご夫婦や、
鹿児島から5時間車を飛ばしてきてくれた大学生たち、
大工インレジデンスに応募してくれたメンバー、
ワークショップ常連さんに、入ったばかりの新住人などなど、
キャラクターの濃い面子が大集合。
なにやら楽しい時間になりそうな予感!

〈HOMEMAKERS〉秋の畑仕事。
種をまき、苗を植える

少量多品目栽培の農業の大変なこと、楽しいこと

今年は9月になっても蒸し暑い日が多くて、なかなか秋がやってこないな~
と思ってましたが、ようやく肌寒さを感じる季節になりました。
ほっとしている10月です。

秋といえば栗!

秋といえば栗!

ひとつひとつ栗の鬼皮をむいて渋皮煮に。

ひとつひとつ栗の鬼皮をむいて渋皮煮に。

私たち〈HOMEMAKERS〉は、年間通していろいろな種類の野菜を育てています。
にんじん、じゃがいも、キャベツ、白菜など、品目でいうと30品目くらい。
細かな品種でいうと80品種くらい。

同じ品目(例えばさつまいも)でも
品種(安納芋、紅はるか、紫芋など)が違えば、
見た目はもちろん違うし、味も食感も料理の仕方も変わります。
そうやっていろんな種類の野菜を育てることは大変だけどとても楽しいです。

畑一面広がるさつまいもの葉っぱ。今年は4品種を育てました。

畑一面広がるさつまいもの葉っぱ。今年は4品種を育てました。

手で掘っていきます。まだまだ暑い~。

手で掘っていきます。まだまだ暑い~。

いまの時期だと、ピーマン、なす、オクラ、ツルムラサキ、さつまいも、
かぼちゃ、バターナッツ、コリンキー、ズッキーニ、ワケギ、レタス、
ルッコラ、赤リアスからし菜、金時草、生姜などが収穫できます。

鮮やかな色の〈紅はるか〉。収穫後しばらく保管して甘さが増してから出荷します。

鮮やかな色の〈紅はるか〉。収穫後しばらく保管して甘さが増してから出荷します。

もう夏野菜は終わりの時期なので収穫量は少なく、
冬野菜が収穫できるようになるのはだいたい10月後半くらいからなので、
いまは野菜の種類も量も少なく、ちょっと厳しい時期です。
よく言われる「端境期(はざかいき)」ですね。
それでもかき集めれば、10品目以上の野菜があります。

10月前半のHOMEMAKERS旬野菜セット。

10月前半のHOMEMAKERS旬野菜セット。

秋になっても収穫が続いているピーマン。完熟して赤く色づきます。

秋になっても収穫が続いているピーマン。完熟して赤く色づきます。

熊本地震を経て蘇った
「塩井社水源」のこと

青くきれいな水源が、その水を取り戻すまで

私たちが古本屋〈ひなた文庫〉を営む
南阿蘇鉄道の駅「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」。
その名の通り南阿蘇には澄んだ水の湧く水源がたくさんあります。
その中の水源のひとつ、熊本地震から蘇った「塩井社水源」について
今回はお話しようと思います。

水路脇の道をつたって水源へ。

水路脇の道をつたって水源へ。

南阿蘇の水源は阿蘇火山に降った雨が地下に染み込み、
噴火によってつくられた地層に約20年〜35年かけてろ過され
ゆっくりと山の麓へと湧き出すミネラル豊富な湧水です。
南阿蘇では、環境省の「平成の名水百選」に
南阿蘇湧水群として10か所が選定されています。

塩井神社につながる鳥居。横には水源から延びる水路が。

塩井神社につながる鳥居。横には水源から延びる水路が。

その中のひとつ、塩井社水源はブルーグリーンに透き通った水源。
毎分5トン、1日に7200トンも流出し、その水は水源から延びる用水路を通って
農業用水として近くの水田55ヘクタールを潤していました。

水路脇の家から直接つながる洗い場。生活に結びついいた水路です。

水路脇の家から直接つながる洗い場。生活に結びついいた水路です。

冷たくほんのり甘さを感じるようなやわらかい口あたりから
「女水」と呼ばれるほどで、不老長寿の神水と古くから尊ばれ、
水源の横には塩井神社として水神様が祀られています。

地震以前の塩井神社。まだ手前の拝殿も残っています。

地震以前の塩井神社。まだ手前の拝殿も残っています。

夏は境内の木陰が涼しく、静かでとても美しい水源でした。
ひなた文庫からも車で5分とかからない場所にあるので、
観光でいらしたお客さんにもよく勧めていた水源です。

青く澄んだきれいな水。

青く澄んだきれいな水。

ところが2016年の4月に起きた熊本地震以降、
こんこんと湧き出ていた水が止まり、水源は枯れてしまいました。
鳥居も折れ、神社の拝殿も崩れ落ちてしまっていました。
神様がいなくなった。まさにそんな状態でした。

立派な鳥居はなくなってしまいました。

立派な鳥居はなくなってしまいました。

灯篭も地震で崩れてしまいました。

灯篭も地震で崩れてしまいました。

水脈がずれてしまったのか、地下でどうなってしまったのかはわかりません。
それまで青々と水をたたえていた場所は、落ち葉が溜まる窪地となってしまいました。
地元の方もみんな肩を落とし、塩井社からの水を水田用水として使用していた
農家の方は、稲を植えることができなくなってしまいました。

地震直後、干上がって落ち葉が溜まっています。

地震直後、干上がって落ち葉が溜まっています。

水源が枯れてから半年ほど経った頃、神社の賽銭箱の下に
1冊のノートが置かれていました。訪れた人がメッセージを記帳できるのです。

「枯れてしまって悲しいです」
「また水が湧きますように」
「またあのおいしいお水が飲みたいです」……
再び水が出ることを願ってたくさんの想いが書かれていました。

崩れてしまった拝殿の様子の写真が貼られていました。

崩れてしまった拝殿の様子の写真が貼られていました。

拝殿のなくなった塩井神社。

拝殿のなくなった塩井神社。

ものづくりが人と街を育てる 〈秋田市新屋ガラス工房〉の 若きアーティスト

秋田県の県庁所在地、秋田市。
ここにガラス作家になることを夢見て、全国から若者たちが集まる場所がある。
ものづくりへの思い、そして秋田の魅力を聞いてみた。

ものづくりへの熱い思いを滾らす若者が、切磋琢磨する場所

秋田市西部に位置する新屋地区では、
良質な湧水と水運を利用して運ばれる米をつかった醸造業など地場産業が発達した地域だ。
2013年4月には、同地区に短期大学から移行した秋田公立美術大学が開学し、
新旧の「ものづくり」の機能が備わった。
そして、地域とものづくりを結びつける拠点として、
2017年7月に完成オープンしたのが〈秋田市新屋ガラス工房〉だ。

ガラスの制作体験ができるガラススタジオやギャラリー、アトリエ、カフェなどの施設を備え、
地域住民が気軽に「ものづくり」に触れられる空間となっている。
また、美術大学の学生や若手アーティストが活動。
まさに、ものづくりに携わる若手育成の場である。
ここで活動する新人アーティストは、5年間の育成期間を経て、世へ羽ばたいていく。

ガラスに魅せられた若きアーティスト、田中里姫さん

〈秋田市新屋ガラス工房〉には、全国からアーティストたちが集っている。
そのうちの一人が、2018年春からガラス作家として活動する田中里姫(たなかさき)さんだ。
田中さんの出身は、青森県陸奥市。
いつかは地元を離れようと決めていた田中さんは、
大学進学を機に慣れ親しんだまちを後にし、秋田での学生生活を始める。

「美大に行きたいとその時の担任の先生に相談したら、
秋田公立美術大学を薦められて。秋田公立美術大学は、
初めから専攻を決めるのではなく、
2年間学んだ後に専攻を決められるところに魅力を感じて進学を決めました」

2年間さまざまな素材や技法について総合的に学んだあと、「ガラス」を選んだ田中さん。
ガラスと向き合うにつれ、いつの間にかその魅力にハマってしまった。
「とにかく楽しい! ガラスの表情をもっと見たい。
もちろん失敗したらやり直しなんですけど、飽きることはありません!」

米づくりは雑草との闘い!?
「田んぼと向き合う日々」から学ぶこと

無農薬での米づくりは大変?

伊豆下田に移住して、初めての米づくりに挑戦中の津留崎家。
無事に田植えを終えたら、今度は雑草との闘いが待っていました。
無農薬での米づくりをしているため、
生えてきた雑草はすべて人力で除去。
ところが、これがなかなかしぶといようです。
初めての稲刈りまで、あともう少し!

名物ワンコから、
伝説の生物「龍」まで!
あなたのまちに暮らす動物って?

今月のテーマ「まちの動物」

私たちの暮らしには、たくさんの動物や生き物が関わっていて、
満たしてくれたり、満たされたり。
人間が生きていくうえでは、欠かせない存在です。
今回は、日本各地に暮らすみなさんから、
そのまちに住む動物、名物ペット、地域に根づく生き物を紹介してもらいました。

【岩手県花巻市】見ているだけで癒される! ワイナリーワンコ

愛犬・マックくん画像

個人ワイナリー〈高橋葡萄園〉を営む高橋喜和さんが飼われているのは、
愛犬・マックくん6歳。
2015年の開業当時から、こちらのワイナリーを見守ってきた可愛らしいワンコです。

自宅敷地内に建てられたワイナリー。

自宅敷地内に建てられたワイナリー。

2012年4月に高橋家にやってきた頃はとても小さかったマックくんですが、
すくすくと成長し、今は立派な姿に。
ずっとご主人に寄り添い、人懐っこさが垣間見え、人見知りもしません。
人前でもリラックスして、お腹を見せて眠る姿がまた愛らしいです。

愛犬・マックくん画像

散歩中に見つけたタヌキを追いかけて、
ご主人の手から離れてしまったこともあるという、やんちゃな一面も。
これからもワインづくりを見守り、ご主人と共に生きていきます。

愛犬・マックくん画像

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鈴木寛太 すずき・かんた

1991年東京都出身。2011年に発生した東日本大震災以降、大学のボランティアプログラムで、繰り返し岩手県を訪れるようになる。一度は就職するも、2015年8月、地域おこし協力隊として花巻市に移住。大迫(おおはさま)地区で、減少が続くぶどう農家の支援やイベントの企画・調整を行っており、2018年5月にぶどう農家となる。2018年7月末、3年間の地域おこし協力隊の任期を終え、本格始動中。

【岐阜県白川村】冬はスキー場、夏は牛のパラダイス

正面に白山連峰を望み、眼下に名湯・平瀬温泉を控えた〈白弓スキー場〉。
白川村のはずれにある、アットホームなスキー場です。

白弓スキー場画像

こちらのスキー場、冬はスキーを楽しむ観光客や村民にとっての楽園ですが、
夏になると牛たちの楽園へと変わります。

放牧された牛たちは草を食べることによって、スキー場の草刈りを担っています。
この日もムシャムシャと草を食べていました。

牛

ここの牛ちゃんたちは見ていると寄ってくることもあり、
地元の子どもたちにも愛されています。
食いしん坊の私はよからぬことばかり考えてしまいます。
この牛ちゃんたちの運命はいかに……。

夏のスキー場には、この時期にだけ見られる意外な光景がありました。

牛

photo & text

長坂風子 ながさか・ふうこ

愛知県生まれ。大学卒業後、映像制作会社に勤務。地域の“今”を残したいと思い、岐阜県白川村に移住。好きなことは、映画を観ること、美味しいものを食べること。

〈森の出版社ミチクル〉3冊目の本は
せたなの農家グループ〈やまの会〉。
そのテーマは?

オーガニックな農法を貫くアーティストのように個性的な人々

今年の7月、岩見沢の山あいに〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げた。
本当にささやかな滑り出しで、販売している本は2冊。
イラストエッセイ『山を買う』と、切り絵の絵本『ふきのとう』という、
いずれもA6判の小さなものだ。

実をいうと昨年の計画では、この夏にもう1冊、
これまでよりページ数の多い本を刊行したいと思っていた。
その本とは、道南のせたな町と今金町で活動をする、
5軒の農家グループ〈やまの会〉を取材したものだ。

やまの会が結成されたのは10年前。
この地域は、海・まち・山の3つのエリアに分かれていて、
昔から海の人、まちの人、山の人と呼び合っており、
山で農業を行っていたことが、この会の名前の由来となった。

メンバーたちは、米や大豆、野菜、牛、羊、豚など、
育てているものはさまざまだが、いずれもオーガニックな農法に挑戦し、
その食材は道内外のシェフから注目を集めている。

これまでマルシェやイベントに参加するほか、著名なシェフを招き、
やまの会の食材を使った1日限りのレストランを開催する活動を行っており、
来年の1月には彼らをモデルとした映画『そらのレストラン』も公開予定だ。

大泉洋が主演する北海道映画シリーズとして『しあわせのパン』(洞爺湖)、『ぶどうのなみだ』(空知)に続く第3弾『そらのレストラン』の舞台はせたな。海の見える牧場でチーズづくりを行う一家と仲間たちの物語。2019年正月第2弾全国ロードショー。

大泉洋が主演する北海道映画シリーズとして『しあわせのパン』(洞爺湖)、『ぶどうのなみだ』(空知)に続く第3弾『そらのレストラン』の舞台はせたな。海の見える牧場でチーズづくりを行う一家と仲間たちの物語。2019年正月第2弾全国ロードショー。

やまの会の本をつくりたいと思ったのは、不思議な巡り合わせによる。
グループの代表である富樫一仁さんのもとで農業研修をしていた青年と
昨年秋に出会ったことがきっかけ。
農業を行うかたわらでデザイナーとしても活動していた青年は、
当時立ち上げ準備中だった森の出版社構想について
詳しく聞きたいと訪ねてきたのだった。

とりとめもなくデザインのことや印刷、出版について話すうちに、
ハッとひらめくものがあった。

「やまの会の本をつくったらおもしろそう!」

わたしは3年前にせたなを訪れ、やまの会のメンバーの農場を
ツアーでめぐったことがあった。
彼らはまるでアーティストやクリエイターのように強烈な個性があって
興味をそそられたが、それ以降は訪ねる機会はなかった。
わたしの住む岩見沢からせたな町までは車で約4時間とかなり遠いため、
まさか本をつくるというアイデアが浮かぶなんて、自分でも予想外のことだった。

けれども、何か見えない糸で引っ張られているような、
以前から決まっていたことのような感覚があった。

2015年にせたなを訪ねたのは、毎年夏に開催されている〈海フィール〉というイベントの取材を行うためだった。海フィールは、せたなの漁師で、マーレ旭丸の船長・西田たかおさんと、やまの会のメンバーで酪農を営む村上健吾さん妙子さん夫妻が中心となって運営している。

2015年にせたなを訪ねたのは、毎年夏に開催されている〈海フィール〉というイベントの取材を行うためだった。海フィールは、せたなの漁師で、マーレ旭丸の船長・西田たかおさんと、やまの会のメンバーで酪農を営む村上健吾さん妙子さん夫妻が中心となって運営している。

移住先で良好な関係を築くには?
〈いとしまシェアハウス〉式
地域コミュニティのつくり方

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」をつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

最近、田舎に移住したいという人からよく聞かれるのが、
「この場所でシェアハウスを始めるとき、集落の人たちはどんな反応だった?」
ということ。

築80年の我が家がある集落は全部で18世帯。
苗字は4つしかないため、みんな下の名前で呼びあうような小さなコミュニティです。
そんななか、得体の知れない若者たちが
数人で集落の家に住むとなれば、戸惑うに違いありません。

集落の盆踊り。

集落の盆踊り。

引っ越し当時、20代だった私と夫が
この場所でシェアハウスを立ち上げられたのは、
ご近所さんとのコミュニケーションの積み重ねがあったからでした。

この家でシェアハウスをすると決めたとき、大家さんは
「この地域に住むなら、集落の一員になる気持ちでいないといけないよ」と
アドバイスしてくださり、引っ越す前に
地域行事で挨拶する機会をつくってくれました。

短期住人と合宿メンバーで納豆づくり。

短期住人と合宿メンバーで納豆づくり。

挨拶のときは、平均年齢65歳のこの集落で
結婚していない若い男女が複数人で同じ家に住む、となったら
怪しい団体なんじゃないかと疑われるのでは、という不安もありました。

けれど、集落の人の反応は予想外のものでした。

ちょうどその時期、シェアハウスをテーマにしたドラマや、
『テラスハウス』というバラエティー番組が流行っていたこともあり、
ご近所さんたちはすでにシェアハウスという概念を知っていたのです。
あらためて、テレビの影響力を思い知りました。

「ああ! あの同じ家で恋愛するやつやろう。賑やかになるね」

これには笑ってしまいましたが、
実際に我が家で出会ったカップルが結婚して、
シェアハウスベイビーまで誕生しているわけですから、
あながち間違いではないとは思っています。

お盆は元シェアメイトたちもみんな帰ってきます。

お盆は元シェアメイトたちもみんな帰ってきます。

引っ越してきてからは
すぐにシェアメイト全員で集落の18軒ある家をすべて回って挨拶し、
集落の行事はいつでも参加できるよう心がけてきました。
とくに集落の行事は、信頼関係を構築するための大事なコミュニケーションの場です。
行事にどうしても私が出席できないとき、
シェアメイトの誰かが出席してくれるのでとても助かりました!

その積み重ねもあり、今ではとてもいい信頼関係を築けていると思っています。

〈小豆島カメラ〉を始めて5年。
活動を続けていくということ

5年間毎日、1500枚以上の写真を発信!

島の友人たちと一緒に活動している〈小豆島カメラ〉
島で暮らしているからこそ出会える光景を日々カメラで撮って発信しています。
活動を始めたのは2013年の冬。もうすぐ5年になります。

5年前のちょうどいまくらいの季節、
2回目となる〈瀬戸内国際芸術祭〉の会期が終わる頃だったと思います。
カメラマンのMOTOKOさん、カメラメーカー〈オリンパス〉、
写真雑誌『PHaT PHOTO』を出版する〈シー・エム・エス〉の方々と
小豆島でキックオフ! そこからどんなふうに活動をしていくのか話し合い、
流れにのって活動してきました。

今年の6月に開催されたMOTOKOさんの写真展『田園ドリーム2018』。

今年の6月に開催されたMOTOKOさんの写真展『田園ドリーム2018』。

小豆島カメラの写真も展示されました。

小豆島カメラの写真も展示されました。

私たち「小豆島カメラ」の活動の目的は、

・観光地としての小豆島ではなくて、暮らす場所としての日常の小豆島を伝えること

・小豆島で暮らすことの豊かさ、楽しさを伝えること

・小豆島のファン=来てくれる人、将来的に暮らしてくれる人を増やすこと

・自治体、住民自らの手で自分たちの地域をつくっていく、発信していけるようになること

そして、具体的な活動の内容は、

・オリンパスのミラーレス一眼カメラで小豆島の風景、食、人を撮影

・小豆島カメラ公式Webサイト、Facebookページにて写真を毎日発信

・島内、島外での写真展開催

・小豆島での暮らし体験ツアーの企画・実施

写真展でのトークイベントの様子。私たちがどんなふうに活動しているか、写真を見ながら話します。

写真展でのトークイベントの様子。私たちがどんなふうに活動しているか、写真を見ながら話します。

普段使っているカメラストラップやグローブ、小豆島の調味料や果物などの販売。

普段使っているカメラストラップやグローブ、小豆島の調味料や果物などの販売。

これは活動当初に考えたものですが、5年経ったいまも大きく変わっていません。
ちなみにずっと更新し続けてきた小豆島カメラのFacebookページは
1万人以上の人がいいね!してくれていて、昨年からinstagramも更新しています。
日々発信してきた写真は1500枚以上になりました。
ほんとに継続は力なり! 継続は財産です!

日常の中にある絶景。

日常の中にある絶景。

季節ごとに撮りたいものがたくさんあります。

季節ごとに撮りたいものがたくさんあります。

親子で体験!
〈下田ブルーオーシャン マリン講座〉
で楽しむ夏休み

下田でこんなにいろいろな体験ができる!

伊豆下田に移住した津留崎家の夏休みに、新たな楽しみが。
それが、下田で体験できるさまざまな体験学習のプログラム。
さっそく初体験の蕎麦打ちと染色、
そして自分たちが釣った魚を食べたいという夢を叶えるべく
船釣りのプログラムに親子で参加。その結果は……?

北海道地震で振り返る。
東京と岩見沢、
停電した夜の暗さと明るさ

道内のほぼ全域が停電。あの日の記憶が蘇った

9月6日未明に北海道胆振(いぶり)地方を震源とする最大震度7の地震が起こった。
わたしの住む岩見沢は震度5弱。
激しい揺れを感じたものの家具など倒れたものはなかった。
地震のあとにラジオをつけようとしたが動かず、停電していることがわかった。
その前の晩も台風の影響で、この一帯は停電していたが、
間もなく復旧したこともあって、今回もすぐに元に戻るだろうとそのときは考えていた。

朝になって、夫が防災セットの中から手回しラジオを出してきて、
被害の状況がわかってきた。
震度7の揺れに見舞われた厚真町や近隣の地域には
想像を絶する被害があったことを知った。

つい先月、取材で厚真を訪ねたばかりだったこともあり、
お世話になったみなさんの顔が次々と浮かんできた。
そして停電は、震源に近い苫東厚真発電所が停止したのが引き金となっており、
道内のほぼ全域にわたっていることがわかった。

東日本大震災をきっかけに防災セットを揃えた。ハンドルをまわすと充電ができるラジオは今回とても役に立った。

東日本大震災をきっかけに防災セットを揃えた。ハンドルをまわすと充電ができるラジオは今回とても役に立った。

ラジオのニュースに耳を傾けながら、東日本大震災の記憶が蘇っていった。
あのときわたしは東京で暮らし、住んでいたのがマンションの12階だったこともあり、
今回よりもはるかに長く大きな揺れを感じた。
その後も相次ぐ余震に怯える毎日だった。
そこに追い打ちをかけたのが、福島第一原発の事故と
電力供給低下による計画停電だった。

原発事故が予断を許さない状況で、各地域を時間で区切って行われた停電。
夕方から夜にさしかかる時間帯に実施された停電を体験したとき、
先行きの見えないなかで、文字通り“真っ暗闇”に突き落とされるような感覚があった。

また電気がないということは、いつも感じられた人の気配やにぎわいが一気に途絶え、
まるで時間が止まっているかのような恐怖に襲われた。
そして、テレビやSNSで情報を収集すること以外は、
数日間ほとんど何も手につかない状況だった。

しかし、今回わたしは、停電していても淡々と日々の仕事をこなすことを心がけた。
停電のためパソコンは使えないが、最近、原稿は極力手書きにしているので、
依頼があった新聞コラムを書いて過ごした。

手書きの原稿。いままでは下書き程度だったが、もう少し精度を高めようと文字数も考えながら書くように練習中だ。

手書きの原稿。いままでは下書き程度だったが、もう少し精度を高めようと文字数も考えながら書くように練習中だ。

また、この日、どうしてもやりたいと思っていた梅仕事にも精を出した。
塩漬けしておいた梅を3日間天日干しする作業を、
台風が過ぎ去った晴れ間を利用してやってしまいたいと思っていたのだ。

梅仕事は6月から始める。まずはヘタを取って塩漬けしておく。

梅仕事は6月から始める。まずはヘタを取って塩漬けしておく。

早寝早起きの暮らしで、蛍光灯をあまり使わなくなった

やがて夕暮れ。岩見沢の日没は午後6時前。
夕食をいつもより少し早めに済ませると次第にあたりが暗くなり、
子どもたちはあっという間に寝てしまった。
わたしも夫も、早いときには午後9時前には就寝するので、
子どもたちと一緒に早々に寝てしまい、ロウソクを灯したり、
懐中電灯を使ったりするのは、ほんの少しの時間だけだった。

わたしが住んでいる美流渡(みると)地区の夜明け。明け方の空の色は、刻々と変化していく。

わたしが住んでいる美流渡(みると)地区の夜明け。明け方の空の色は、刻々と変化していく。

翌朝、4時頃に目が覚めた。
この時期の夜明けは5時すぎだが、わたしにとっては十分に明るい。
いつも、この時間に起きていて、電気はつけずに暗がりのなかで、
ホームベーカリーでパンを焼く準備をし、食器を洗って夜明けを待つ。

以前は、朝起きるとすぐに電気をつけていたのだが、
この方法だと朝活動するのが、ものすごくしんどい。
あるとき、これは電気の光に対応できず、
体がこわばってしまうからだということに気づいたのだった。
それから太陽の光をゆっくり待つようにしたことで、早起きが苦ではなくなった。

こうした暮らしをしていると、冬でも午前3時には、
空がほんの少しだけ明るくなっていることがわかるようになった。
薄暗がりでコーヒーを淹れる時間は、本当にリラックスできる。
コーヒーの一滴一滴が落ちる音を聞いていると、
五感がザワザワと覚醒していくように思えてくるのだ。

暗がりの中でコーヒーをドリップ。本やイベントの企画がひらめくこともある大事な時間。

暗がりの中でコーヒーをドリップ。本やイベントの企画がひらめくこともある大事な時間。

移住者から避難者、支援者まで。
福島で開かれる対話の場
「未来会議」とは?

よそ者が、福島のことを書くことができるようになるまで

7年経った、福島の「このごろ」を伝えたい。
ただそれだけを思い、日々言葉を紡いでいます。

はじめまして。山根麻衣子です。
神奈川県横浜市に生まれ育ち、東日本大震災が発生するまでは、
神奈川県以外に暮らしたことがなかった、いわゆる「都会人」でした。

私はいま、福島県いわき市に暮らしながら、
『いわき経済新聞』などのデジタルメディアを通して、
主に福島県の沿岸部=浜通り地域の情報発信をしています。

震災直後の2011年~2013年まで、東北各地にボランティアとして関わり、
2014年に復興支援の仕事を得て、福島県いわき市に移住しました。
この9月でいわき暮らし5年目になります。

いわき市と言えば、映画『フラガール』で脚光を浴びた〈スパリゾートハワイアンズ〉。このショーが大好きで、仕事帰りや遠方から友人が来たときに、夜のショーだけよく観に行きます。(2018年6月、筆者撮影)

いわき市と言えば、映画『フラガール』で脚光を浴びた〈スパリゾートハワイアンズ〉。このショーが大好きで、仕事帰りや遠方から友人が来たときに、夜のショーだけよく観に行きます。(2018年6月、筆者撮影)

東京23区がふたつ入るほどの面積を持ついわき市は、
海はもちろん、山も温泉もある地方都市です。
ちょっと疲れたな―と思ったら車で15分ほどで源泉かけ流しの温泉に行けたり、
いわき産の食材を豊富に使ったレストランがあちこちにあったり、
しかもどこに行っても知り合いに会ってしまったり、
都心にはない距離感を、日々楽しみながら暮らしています。

いわき市の山あい、田人地区のお気に入りのカフェ〈MOMOcafe〉。(2018年6月、筆者撮影)

いわき市の山あい、田人地区のお気に入りのカフェ〈MOMOcafe〉。(2018年6月、筆者撮影)

ただ移住した当初は、いろいろな部分で苦労することが多くありました。
特に、震災から7年経ったいまでも続く、
被災地でありながら原発被災住民を2万人以上受け入れるという、
ほかの被災地にはないいわき市の特殊で複雑な環境。
それから、地方暮らしに免疫がなかった私自身の適応能力の低さ。

よそ者が地域に入るのは、いまの時代でもまだまだ難しいものだと感じます。
それが、原発事故のあった福島だったらなおさら。
善意と関心を持って入ろうとしても、どこか試されてるように感じてしまうのです。
あなたは、どのくらい福島のことを知ってるの? 

5年前に移住した私も、いつもそれを感じていました。
私に、福島を語る資格があるの? 
地雷を踏まないように、腫れ物に触るように、言葉を、行動を、選んでいました。

2017年4月に一部帰還困難区域を除く避難指示が6年ぶりに解除された双葉郡富岡町で初日の出を望む。(2018年元旦、筆者撮影)

2017年4月に一部帰還困難区域を除く避難指示が6年ぶりに解除された双葉郡富岡町で初日の出を望む。(2018年元旦、筆者撮影)

力になりたいと思っているのに、遠慮が先に立ち、
地域になじんでいけない日々が続いていました。
そんなときに、なんとかこの地域の人のことを知りたいと参加したのが、
未来会議」だったのです。

未来会議の仲間は、「麻衣ちゃんの思うようにして大丈夫だよ」と言ってくれました。
私は未来会議の存在と仲間たちのおかげで、いまこうして、
福島の生活を楽しみながら、福島のことを書くことができています。

未来会議の仲間たちと参加した、8年ぶりに再開した「富岡町桜まつり」での、よさこいチーム「よさこい浜さkoi」。2列目中央が筆者。(2018年5月、撮影:霜村真康)

未来会議の仲間たちと参加した、8年ぶりに再開した「富岡町桜まつり」での、よさこいチーム「よさこい浜さkoi」。2列目中央が筆者。(2018年5月、撮影:霜村真康)

“自宅で結婚式”という選択!
〈いとしまシェアハウス〉の
古民家ウェディング

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」をつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

今日は、結婚式のお話。
私は2013年に福岡県糸島市に一緒に移住し、
このシェアハウスを立ち上げたパートナーと2015年に結婚しています。

「暮らしをつくる」がテーマの我が家ですから、結婚式も手づくりで行いたい! 
そんな気持ちもあり、仲間たちと一緒に
この集落で数十年ぶりとなる自宅結婚式を企画することとなったのです。

祭壇の新郎新婦

私たちが結婚を決めた理由のひとつに、
集落の皆さんに晴れ姿を見せたいという気持ちがありました。
私たち夫婦は集落に引っ越してきた頃からおつき合いをしており、
当時から「お前たちが結婚するときは、俺がとり仕切ってやるかなら」なんて
声をかけてもらっていました。

ですが移住して2年が過ぎ、平均年齢65歳のご近所さんたちも
少しずつ歳を重ね、できないことも増えてきたように見えました。
お酒に強かった人がお酒を控え始めたり、
ずっと続けていた田んぼや畑を手放したり、
最近見かけないな、と思っていたら入院されたと聞いたり。

私たちのことをあたたかく受け入れてくれた彼らが元気なうちに、
きちんと晴れ姿を見せたい。喜んでもらいたい。恩返しがしたい。
そんな気持ちが、結婚を後押しさせました。

稲刈りの風景

入籍日はギリギリまで稲刈りをしていたので、ふたりとも作業着のまま市役所へ駆け込みました。

入籍日はギリギリまで稲刈りをしていたので、ふたりとも作業着のまま市役所へ駆け込みました。

婚姻届の保証人の欄には家の大家さんと、
集落で一番お世話になっている方にお願いし、
本籍も今の住所に変更しました。

さて。結婚したからには、晴れ姿を集落の人たちに見てもらいたい。
けれど、シャイなご近所さんたちは
友人たちを呼ぶ大きなパーティーには参加しづらいだろうなあ。
それならば、友人向けのパーティーとは別に、
集落の人たちに向けての結婚式を企画しよう、と決めたのです。

祭壇を家に運ぶ神主さん。

祭壇を家に運ぶ神主さん。

それに、私たちが今の暮らしを始めることができたのは、この家と出合えたおかげ。
この家との巡り合わせがなければ、いとしまシェアハウスも生まれなかったでしょう。
昔ながらの“家での結婚式”をすることで、
この家にも恩返しができないかな、と思ったのです。

自宅結婚式をするのであれば、
できるだけこの集落のしきたりに倣って行いたい。

ご近所さんに昔はどんな結婚式をしていたのか聞きに回りましたが、
この集落の自宅で結婚式が行われたのは遥か昔の話だそうで、
60歳以上の方でも「近所の結婚式場で挙げたのよ」なんて答えが返ってきました。
「自宅で結婚式、あったような気はするけど、もう詳しく覚えてないねえ」
80歳くらいの人でようやくこれくらいの情報、といった感じ。

昔の結婚式の写真

昔はみんなそうだった、といわれていた自宅結婚式でも、
一度途切れてしまった文化は、あっという間に
記憶から失われていってしまうものなのだなと実感します。

それでも、当時の結婚式の写真を見せてもらい、
初々しく幸せそうな若き日の姿にキャッキャしたり、
馴れ初めを聞いてドキドキしたり、
普段は見ることができないその人の歴史が感じられて、とてもいい時間でした。

前日に会場の準備をする新郎。

前日に会場の準備をする新郎。

ですが、なかなかいい答えに巡り会えなかったので、
地域の神社の神主さんに相談したところ、
昔は家のなかに祭壇をつくってお供え物をし、式をしたんだよと教えていただきました。

やっとのことで得た手がかりを頼りに、
神主さんにいわれた通り、お供え物や衣装の準備をし、
会場の椅子の搬入のスケジュールなどを組み、
ついに結婚式の日どりを決めることができました。

当日はシェアメイトやご近所さんにごはんをつくってもらうお願いをし、
シェアメイトの女の子にカメラマンを頼み、
友人にヘアメイクをお願いし、
シェアメイトみんなで家を掃除して祭壇の設置も自分たちで行う……
本当に本当の、手づくりの結婚式です。

髪飾り用のコデマリ

髪飾りの花を、ご近所さんのお庭からいただきました。

髪飾りの花を、ご近所さんのお庭からいただきました。

式では、集落でお世話になっている方みなさんが顔を見せてくださり、
両親も、関東から駆けつけてくれました。

いつものリビングが神聖な結婚式場に。なんだか不思議な気分でした。

いつものリビングが神聖な結婚式場に。なんだか不思議な気分でした。

みんなが用意してくれたおもてなし料理の数々

色鮮やかなお料理も、新鮮なお刺身を飾る葉っぱも、
テーブルを華やかにするお花も、
数種類ある手づくりのお塩を入れるかわいい貝殻も、
全部シェアメイトたちがつくってくれたものです。

数日前から一緒にメニューを考えたり、仕込みをしたり。
ほんっとうに大変だったと思います。

仕出し屋さんじゃなくて、
地域の新鮮な食材を使っておいしい料理を食べてもらいたい、
そんな私たちの気持ちに全力で応えてくれました。

もう、愛でしかないです。
本当に本当にありがとう!

新郎の衣装は、ご近所さんからお借りした紋付袴。

新郎の衣装は、ご近所さんからお借りした紋付袴。

アーティストのシェアメイトが歌を披露してくれました。

アーティストのシェアメイトが歌を披露してくれました。

私の好きなものだから、って
エビをたくさん入れてお煮しめをつくってくれたご近所さん、
よかったらお返しに配りなさい、と手づくりのお塩をくださった大家さん、
気合を入れてオリジナルラベルの日本酒をつくってきたお父さん(笑)、
たくさんの人たちに支えられてでき上がった結婚式だったと思います。

私たちの両親、お世話になっている大家さんやご近所さん、
そして一緒に暮らすシェアメイトとも、より絆が深まる機会になりました。
血はつながっていなくとも、大好きな人たちが集まり、つながって、
ここからまたコミュニティが広がっていくことが、何よりもうれしかったです。

さあ、次は私が誰かの結婚式をお手伝いする番。
近々結婚するメンバー、誰かいないかなあ。
結婚式するときは、声かけてね! 
あのときの恩返し、させてください。

やっぱり島が好き!
夏休み、小豆島から座間味島へ

小豆島日記番外編。座間味島でいろいろな海を楽しむ!

がんばって働いた暑い夏。
みなさま、ほんとに「夏」おつかれさまでした。
今年は日本全国どこも暑くて大変でしたよね。

もう暑いだけでしんどいし、本当はこの夏の1か月間半くらいは
休んだほうがいいんじゃないかと思ってるんだけど、なかなかそうもいかず、
働く時間を工夫したりしてなんとか7、8月を乗り切りました。

あー、よくがんばった。というわけで8月末に短い夏休み。
小豆島を出て、座間味島へ行ってきました。

高速艇から見た座間味島。映画『ジュラシック・パーク』の舞台みたい。

高速艇から見た座間味島。映画『ジュラシック・パーク』の舞台みたい。

島を出て、また別の島へ行く。
船に乗って、飛行機に乗って、また船に乗って行きました。
なんだかんだと「島」が好きで、どこに遊びに行こうか考えるとき、
いつも候補地に島があがります。
船に乗って海を渡っていく。それだけで旅気分マックス!

座間味島へは、沖縄本島・那覇市にある泊港という港から高速艇で約50分で行けます。
フェリーは1日1往復、高速艇は3往復。
小豆島と比べるととても少ない船の行き来。
距離も長く、より離島な感じです。

定員約200名の高速艇。夏休みはいっぱいになる日が多く、事前予約がおすすめ。

定員約200名の高速艇。夏休みはいっぱいになる日が多く、事前予約がおすすめ。

この日は台風の影響で波が高く、船がドカンドカンと波にぶつかってました。

この日は台風の影響で波が高く、船がドカンドカンと波にぶつかってました。

座間味港に着いたのは夕方。
予約しておいた民宿までは港から歩いて10分くらいの距離。
まずはその民宿を目指して集落の中を歩いていきました。

座間味島到着。集落の中の道を歩いていきます。

座間味島到着。集落の中の道を歩いていきます。

座間味港のすぐ横の堤防。

座間味港のすぐ横の堤防。

座間味島は人口約600人の島です。
港周辺に民宿や飲食店、役場や学校、民家がぎゅっと集まっています。
旅人もこの島で暮らす人もいろんな人が道を歩いていてその感じがとても良かった。
島に着いて早々、その雰囲気がとてもよくて、それだけで気持ちが高揚してました。

やっぱり歩けるまちっていいなぁとあらためて思いました。
小豆島は座間味島と比べると人口も面積も圧倒的に大きくて、
まちづくりを考えるときに同じ規模感では考えられないのかもしれない。

でもやっぱり人が暮らすスケール感は同じなわけで、
歩いていける距離に居酒屋があるとか、ぶらぶらしてるだけで
人や場所との楽しい出会いがあるとか、そういうのがいいなと。
座間味港周辺はそんな感じでした。

整備されすぎてない細い道の雰囲気がとても良かった。

整備されすぎてない細い道の雰囲気がとても良かった。

そして座間味島といえば「ケラマブルー」と呼ばれる美しい海。
私たちが夏休みにこの島に来たのもその海で泳ぎたかったから。
滞在していた3日間、とにかく海で泳いでました。

古座間味ビーチへ続く道。

古座間味ビーチへ続く道。

とにかく海へ!

とにかく海へ!

『本屋ミッドナイト』
南阿蘇の自然と駅舎本屋が
織りなすイベント

そうめん流しや、阿蘇の木を使ったワークショップも

前回、熊本地震後に本屋として自分たちなら何ができるのかを考え、
『本屋ミッドナイト』というイベントを始めたことをお話ししました。
今年で3回目となるこのイベント。今年は8月25日(土)に行いました。
今回は、天気にも恵まれた本屋ミッドナイトの様子をお伝えします。

本屋ミッドナイトは、本好きたちが集まって星を眺めたり、
虫の声を聴きながら好きな本を探したり、語り合ったり、
南阿蘇の自然を感じながら夜を過ごしてもらう催し。

南阿蘇は昼間もすばらしい景色を楽しむことができますが、
夜もまたそれはすばらしい景色に出会えます。
熊本地震以降、公共交通機関が限られてしまい、
なかなか南阿蘇へは行きづらい現状ですが、
景色も、水源も、温泉も変わらず美しいこの場所へ
足を運ぶきっかけになればと始めたイベントです。

3回目ということもあり、今年は前回よりも内容を充実させて楽しんでもらおうと、
準備も半年前から始めました。

グラフィックデザイナーや映像ディレクターとして活躍する
大学時代の友人たちに協力してもらい、イベントのロゴやフライヤー、
映画上映の宣伝用ビデオクリップも制作し、告知もしっかり行いました。
時間をかけて話し合い、それぞれ意見を出し合いながらつくることができ、
準備の過程も楽しみながら当日を迎えました。

今年のミッドナイトでは、熊本地震以降交流のある
ふたつの団体の方々がイベントを一緒に盛り上げてくれることになり、
午前中に「そうめん流し」を開催してくれました。

協力していただいたのは、南阿蘇鉄道の復旧を応援するために結成された
熊本大学の学生によるボランティア団体〈南鉄応援団〉
そして孤食をなくそうと定期的に地域の方とともにごはんをつくって
一緒にいただく活動をされている〈おたがいさま食堂くまもと〉
さらにそうめんを流すための竹や調理場の提供は、
駅の隣で営業されている食堂〈きしゃぽっぽ〉に協力していただきました。

スタッフは朝から集まり、竹の切り出しから節を取り除く作業をしました。
切り出された大きな竹は見事なもので、
駅舎から横を流れる水路へと7〜8メートルほど竹が組まれました。

参加された方は、竹のお皿づくりやおにぎりづくり、
南阿蘇鉄道で働かれている地域おこし協力隊の案内で
水源へ線路沿いを伝って水汲みに行くレールウォークと、
それぞれ班に分かれて行います。

竹の器はつゆ入れやおにぎりをのせる器用に割ってヤスリをかけていきます。
子どもたちも慣れない手つきで一生懸命ヤスリがけを行ないました。

立派な竹を使った流しそうめん。

立派な竹を使った流しそうめん。

いよいよそうめんが流されると子どもも大人も歓声を上げ、
夢中でそうめんに箸をのばします。
日差しの下で冷たいそうめんをすするのはまさに夏を体感しているようで、
みんな汗をかきながらにこにこ。

途中でトマトやブルーベリー、グミやチョコまで流れだし、
子どもたちはカラフルなグミを掴もうと必死。
流れていくのが想像以上に速く、掴むのに苦戦している姿もまた微笑ましい光景でした。

そうめんと一緒にチョコレートも流れる。

そうめんと一緒にチョコレートも流れる。

そうめんのあとはスイカ割りも。

そうめんのあとはスイカ割りも。

午後からは、南阿蘇村のお隣の高森町で、観光情報の発信や
地域の特産品のブランディングなどを行なっている
〈TAKAraMORI〉にお願いして、南郷檜(ナンゴウヒ)の小枝を使った
小物づくりのワークショップを行っていただきました。

南郷檜とは、阿蘇に古くからある固有種で、日本で唯一の挿し木品種の檜。
阿蘇の外輪山周辺の神社に御神木として植えられてきた貴重な木です。
阿蘇に初めて来た人にも、南阿蘇の自然をかたちづくっているこの木の一部を使って
思い出を持ち帰っていただこうと企画したワークショップです。

小枝とグルーガン(接着道具)を使って自由に好きなものをつくります。

小枝とグルーガン(接着道具)を使って自由に好きなものをつくります。

そのほかにも駅の周りの植物を採集して、家に帰ってから思い出とともに
草花のハーバリウムとして残してもらえるような体験キットもご用意いただきました。
個人的にも、この日のために駅の周りでシダやキキョウソウを採集して
ドライフラワーにしていたので、イベントを終えて
ゆっくりとつくってみようと考えています。

お試し移住ようやく始動。
奄美上陸。
意外となんでも揃うビックツー。

7/5(木)

いよいよ奄美大島に

奄美大島へはVanilla Airで。
成田から直行便で約2時間ほどでいけるので、感覚として東京からは近く感じます。
Vanilla Airは1日に1本しか便はありません。
東京からは13時50分発なので、向こうに着くのは夕方になってしまいます。
旅行日程でいうと半日つぶれてしまうのが残念です。

ほかに行く方法としてはJALがお昼に1便出ています。
シーズンによりますがLCCの倍くらいの金額感になってきます。

8月からSkymarkが羽田から鹿児島経由で、午前発の便が出るように。
所要時間はトランジットに1時間ほどで、トータルでおよそ3時間半ほどかかります。
午前中に奄美大島に着くことができるので、1日の時間を有効活用できます。
次は活用してみようと思っていますが、
小さい子どもを抱える身としてはトランジットがちょっと心配です。

去年もVanilla Airで行ったのですが膝の上に娘を抱えてだったのと、
初めての飛行機、長時間移動で途中で飽きてしまってぐずってしまったりと大変でした。
なので、今年は席をひとつちゃんと取って、航行中の作戦も練りました。

直前まで、成田空港の各所にあるキッズスペースで娘を走り回らせておいて、
お昼寝の時間を飛行機の移動時間にぶつける作戦です。

写真は第1ターミナルのチェックイン前のキッズスペース。

写真は第1ターミナルのチェックイン前のキッズスペース。

第3ターミナルも搭乗口の近くにキッズスペースがあるのは、
前回行ったときに確認していたので、早々にチェックインを済ませて、
ギリギリまでキッズスペースで転がしておきました。
親も足を伸ばしてリラックスできるので
小さい子どもがいる方は積極的に活用するといいと思います。

いよいよ搭乗。

作戦がかなりうまくいきました。
離陸まもなくして、眠そうな娘、膝の上に抱えていたら夢の中へ。

着陸直前までおとなしく眠っていました。

着陸直前までおとなしく眠っていました。

子どもは耳抜きができないので、高度が高くなり気圧が変わると
何が起こったのかわからなくなって泣き出してしまうことが多いです。
お茶を飲ませると治るので、すぐに取り出せるところに用意しておくといいでしょう。

そのほかにも、フライトを楽しめるようにお気に入りの遊びなど
控えのアイテムなどを用意しておくといいです。
そんなこんなで、今年は大きくぐずることもなく無事に奄美入りを果たしました。

到着したときの奄美の天気は曇り。湿度は85パーセントほど。
飛行機を出た瞬間に、かなりモワッとした空気の印象を受けました。
最近は東京もかなりモワッとしますが、それとは違うちょっと軽さのあるモワッと感でした。

去年奄美を訪れた時は、空港は工事中でしたが、今年に入り、全面的にリニューアルオープン。
LCCが開通してから、関西方面からのお客さんも増えたようで、
島を訪れる人は例年増えていて過去最高水準らしいです。
混雑すると、ゲートがもたついた印象を受けていましたが、
セキュリティのゲートもふたつになり人の流れもスムーズになっているようでした。

到着ロビーにはデジタルサイネージも設置されていて、奄美をイメージした映像が流れています。

この映像は今回グラビア撮影でお世話になる予定だった
奄美大島にある映像プロダクションの〈ヱビス製作室〉によるもの。
奄美の名所の数々でダンスを踊っているという映像。
ドローンによる映像もありかなり見ごたえのあるものになっています。

こちらがその映像。

そして車を受け取りに、奄美レンタカーへ。
奄美での移動のほとんどは車です。島バスもありますが、
買い物やビーチに行くにも、やはり車がないと自由に行き来するのは厳しい印象です。
というのも、奄美大島は日本の島の中でも5番目に大きい島なんです。
(面積712.35 平方キロであり、本州など4島を除くと佐渡島に次ぎ面積5位の島wikipedia

島暮らしといえど、自転車で移動できるほど狭いわけではなく。
特に僕らが今回滞在する予定の龍郷町近辺は商店まで車で10分くらいかかります。
地元の人はひとり1台という、いわゆる車文化です。
子どもは自転車で走り回ってるところを見かけることはありますが、
ほとんどの人が車で移動しています。

空港の目の前には、ローカルのレンタカー屋さんから、
タイムズ、ニッポンレンタカーなど10軒ほどが建ち並んでいます。
空港の近くには目立つお店はなく、ほぼレンタカー屋さんしかありません。

今回は、滞在させていただく家の持ち主の方になんと車も貸していただきました。
その方は関東でお仕事をされていて、奄美に長期滞在する場合など、
レンタカーを借りると割高になるので、自家用車をレンタカー屋に預けているそうです。
ローカルのレンタカー屋さんのサービスメニューにも車を預かるプランがあるようでした。

お借りした車をピックアップして、今回のお試し移住の手配や諸々を支援してくれた
寶園純一さんのお宅へご挨拶。なんと夕飯までご馳走になりました。

寶園さんも大阪からの移住組で、事あるごとにいろいろと相談に乗ってもらっていました。

自宅兼ショップ兼工房という〈KOSHIRAERU〉さん。

去年行った際のショップでの写真。

ただ、この時台風が近づいていたこともあり、話題はほとんど台風の話。
僕らが本当は島入りするはずだった、7月2日にまさに奄美に直撃していた台風で、
寶園さんの工房の前のタープなどが壊滅したとこのことでした。

今回接近してる台風も相当強い勢力とのことで、用心が必要という話を念入りにされました。
その日は早めに解散になり、滞在先の本龍郷まで、寶園さんに送ってもらいました。
その日は荷解きもほどほどに、疲れ果てて早々に寝てしまいました。

リラックスした様子の娘。場所見知りそんなになさそう。

リラックスした様子の娘。場所見知りそんなになさそう。

ミツバチ愛にあふれる養蜂家。
伊豆下田〈高橋養蜂〉で
おいしいはちみつができるまで

ミツバチの楽園づくりから、
はちみつができるまで

伊豆下田に移住して、二足のわらじで働く津留崎さん。
そのひとつが、ご縁があって働くことになった〈高橋養蜂〉でした。
今回のストーリーは、養蜂の仕事を通して知ったミツバチとはちみつのこと。
ひとつの巣箱に何万匹という群れをなすミツバチの生態や
どんなふうにしてはちみつができるのかなど、
これを読むと、はちみつのおいしさが倍増しそうです。

第50話・あらためて
神戸・塩屋のまちを眺めてみると

最終回
変わっていくまち。変わらないまち。

グレアムさんが神戸・塩屋に引っ越してきたのは、
もう10年以上も前のこと。
あれから大きく変わった風景もあれば、昔のまま変わらない日常も。
ここでいろんな人と出会い、このまちの景色を題材にいろんな
コミックを描いてきたグレアムさんが、
あらためてこの塩屋を眺めてみたところ……