連載
posted:2018.10.10 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
北海道胆振東部地震で、わたしの住む岩見沢は、1~2日間の停電に見舞われた。
停電がようやく復旧したとき、SNSには通電を喜ぶ投稿がたくさんあった。
また電気がない生活はとても不便だったという話があちこちで聞かれた。
わたしは電気が通ってすぐ、ある人にメールをした。
元朝日新聞記者でアフロヘアがトレードマークの稲垣えみ子さんだ。
昨年11月に東京で行われたシンポジウムのお仕事で、稲垣さんとご一緒したことがあり、
いつかまたお目にかかりたいとずっと思っていた。
実は9月9日に札幌で講演会が予定されていたのだが、地震の余波で中止になり、
「講演会がなくなってとても残念。
稲垣さんのお話が、いまこそ北海道の方々に響くのではないかと思う」
という内容のメールを思わず送ったのだった。
稲垣さんはすぐに返事をくれて、何度かメールでやりとりをするうちに、
なんと(!)わが家に遊びに来てくれることになった。
わたしが買った山を見たいと言ってくれたのだった。
これは本当にうれしい出来事だった。
自分自身がどこに向かおうとしているのか、その指針を示してくれたのは
稲垣さんの著書『寂しい生活』だったからだ。
『寂しい生活』は、稲垣さんが東日本大震災をきっかけに節電を始め、
やがて、電子レンジや冷蔵庫など、ほとんどの家電を手放すなかで、
数々の発見をし、自分の新たな能力に目覚めていくというエッセイだ。
なかでもわたしが共感したのは、電灯にほとんど頼らず、
エアコンも使わなくなったことで、天候の変化や四季の移ろいを感じる
センサーのようなものが鋭敏になったというところだ。
最近、「季節が夏と冬だけの両極端になって、春や秋がなくなった」
という人も多いが、そんなことはないと、稲垣さんは著書で語っている。
ちょっと暑いから、ちょっと寒いからとエアコンのスイッチを入れているあなた。
もしかするとあなた自身が、自分の身の回りからこの素晴らしい変化を排除し、
春と秋を消し去っているのかもしれませんぜ、っていうか、絶対消し去ってるよ、
それでもいいんですかというのが仙人(稲垣さんのこと)のお告げであります。
(『寂しい生活』より)
さっそくできることから実践しようと、
冬でもできるだけ給湯は使わず真水で洗い物をし(めちゃくちゃ冷たい)、
いつも夜明け前に起床するのだが、そのとき電灯はつけず
薄暗がりの中で家事をすることにした(夜もやりたいが、
夫と子どもが奇異な眼差しで見るのでできない)。
このふたつだけでも、夜明け前に空が少しだけ明るくなっていることに気づけたし、
お湯を使わないせいか手がまったく荒れなくなるなど、
思いもよらぬ体験をすることができた。
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メールでやりとりをしてから、1か月経たないうちに
稲垣さんが来てくれることになり、前日まで、わが家は大騒ぎだった。
夫にも『寂しい生活』を読んでもらったからなのか、
いままで改装を放置していた一室にいきなり床を張り出し、
そこに荷物を集め、客間をほとんど物のない状態にしたのだった。
9月25日夕方頃、稲垣さんはわが家にやってきた。
昨年の仕事の際にお話ししたのは、たぶん30分くらい。
その次の出会いがわが家という、急接近な感じに
ワクワクした(しかも2泊してくれるという!)。
さらにありがたいことに、わたしのコロカルの連載記事をほとんど読んでくれたそうで、
「毎日大変そうだから、ごはんつくりますよ」というのだ。
普通だったらお客さんにそんなことはしてもらえないと遠慮するところだが、
「それではお願いします!」とつい言ってしまう、
不思議なオーラのようなものが稲垣さんにはあった。
そこで、まずはわが家のご近所さんで、森をたったひとりで開墾し
畑をつくったトシくんのところで晩ごはんの食材を調達。
その後、稲垣さんがパパッと手際よく料理をつくってくれ、
夜には美流渡のお寺「安国寺」で毎月開催している座禅会に参加した。
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翌日は、岩見沢の山あいの移住者仲間のところを案内した。
美流渡地区は過疎化が進み人口は400人ほど。
これまで食堂はたったの1軒だったが、
今年に入り20年ぶりにカレー屋〈ばぐぅす屋〉がオープン。
同時期に土日限定で、たった5席のカフェ〈コーローカフェ〉もできるなど、
新しい動きが起こっている。
ほかにも、この連載で紹介してきた、
セルフビルドの学校を開きつつ改修を進めている古家〈マルマド舎〉や
2016年から花屋を営む〈Kangaroo Factory〉、
美流渡の隣、毛陽地区で大学生たちの拠点となるようにと
つくられたシェアハウス〈ヌカカハウス〉などがある。
今回、稲垣さんを案内したこれら移住者仲間に共通するのは、
自分たちの手で古家を改修し、独自の暮らしを追求しているところだ。
稲垣さんが訪ねると、みんな大歓迎。
そして、社交辞令的な挨拶は吹き飛ばして、
すぐに日々の暮らしで自分たちが何を大切に思っているのかなど、
興味のあることを率直に話していた。
そして、電気にほとんど依存しない稲垣さんの暮らしぶりを聞くと、
「おお~、すごい!」と、とても感動していたのだが……。
「みなさん、わたしより過激なことに気づいていないんですね」
と稲垣さんは笑っていた。
都会を離れて山あいへと移り、自ら大工仕事もこなしているほうが、
自分よりよほど「すごい」と言う稲垣さん。
言われてみれば、それまで培ってきた暮らしを捨て、仕事も辞め、
友とも別れ、見ず知らずの土地で、傾きかけた古家を改修していくなんて、
確かに“過激”なのかもしれない。
ただ、ここにはそういう仲間が多く、そんなに珍しいことじゃないような
感覚になっていたことに気づかされた。
「わたしの暮らしを見て、よく田舎に移ったらいいんじゃないか
と言う人もいるんですが、自分の軸が変わらなければ、
どこにいても同じだと思っているんですよ」
今年、稲垣さんはフランスのリヨンで2週間ほど、
「東京で暮らすのと同じように外国でも暮らすことができるのか?」
というチャレンジをしたそう。
近所で食材を買って自炊し、普段通りカフェで仕事をしてみたところ、
言葉も通じないのにカフェでは顔見知りができ、
東京と似たようなコミュニティが生まれていったそうだ。
さらに興味深いのは、電気に依存しない生活は、
実は都会のほうがしやすいと稲垣さんが考えていたことだ。
夜、電灯を消しても外に街灯があるため、
室内はそれほど真っ暗闇にはならないというし、
歩いて5分くらいのところに銭湯があるので、
湯冷めしないうちに床につけば暖房も必要ないという。
「自分の軸が変わらなければ、どこにいても同じ」という言葉には、ハッとさせられた。
実を言うと最近、もっと山奥に住みたいなぁと妄想することがあった。
今年の1月に岩見沢の山あいへと移住したばかりなのに、
さらに自然の豊かさを感じられる場所に行きたいと、
気持ちがエスカレートしていたのだ
(ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの夏の島のように)。
しかし、稲垣さんが言うように、自分の行動次第で、
周りの環境に対する感じ方は変わるはず。
明け方電気を使わずに過ごしているだけでも、
いままで気づかなかった感覚がわき上がってきたのだから、
住む場所を変えていくことは重要ではないのかもしれないと納得した。
稲垣さんは『寂しい生活』で語った暮らしの挑戦を、いまも続けている。
例えば著書で、服は10着でいいと語っていたが、
最近は1着でいいかもしれないと思っているそう。
「もし服を3着持っているとすると、1着が一番似合う服で、
それ以外が2番と3番ということになりますよね。
それなら、1番似合う服だけを着ていてもいいんじゃないかと」
また、お茶を買うのもやめてしまったそうで、
いまは玉ねぎの皮を煮出してお茶代わりに飲んでいるという
(真似してみたらおいしかった!)。
そんな暮らしの挑戦を聞いていると、暖房器具や冷蔵庫を捨てるのは、
まだわたしには難しい状況だが、小さな部分でも工夫できるところは、
いっぱいありそうだと思えるようになった。
例えば、子ども服。お下がりをもらうのでその量はハンパなく箪笥の中は大混乱。
こんなところから、少しずつ変えていきたいと思った。
そして何よりすてきだなあと思うのは、稲垣さんは、とても涼やかな笑顔で、
暮らしの挑戦を無理せずにやっているように感じられることだ。
稲垣さんは旅にほとんど何も持ってこない。
だから荷物を整理する必要もないし、お化粧もしないので、
サッと次の行動に移れているところがうらやましかった。
こんなにすてきな人になれるならぜひとも実践したいと、
今回行動をともにさせてもらって、心から思った。
気がつけば、何か手放せるものがないか絶えず探している。
なぜなら、何かを手放すほどに自分が強く自由になっていくからです。
これはとんでもない鉱脈を見つけてしまったのかもしれない。
半ば信じられない思いで、やはり今日もせっせと身辺を整理している私であります。
(『寂しい生活』より)
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2日目の午後は上美流渡地区へ。森のパン屋さん〈ミルトコッペ〉の女将で
リンンパドレナージュセラピストでもある中川文江さんが営む〈森の山荘〉を訪ね、
そこで思ってもみないすてきな時間を過ごすことができた。
稲垣さんは、最近40年ぶりにピアノの練習を再開したそうで、
山荘にあるグランドピアノを弾いてくれたのだ。
稲垣さんのピアノの音色は力強く、天まで届くかのような伸びやかさが感じられた。
便利なものをことごとく捨て去っていくことで手にしたものとは、
言葉だけでは還元できないクリエイティブな魂なんじゃないだろうかと、
ピアノを聞いていて思った。
地域のみんなは稲垣さんに「必ずまた来てください」と言い、別れを惜しんだ。
わたしは稲垣さんに対して、古くからの友だちのような、
なぜだかわからないけれど懐かしいような、そんな感覚を覚えたのだが、
地域のみんなもきっと同じ気持ちだったに違いない。
稲垣さんが東京に帰ったその夜、メールが届いた。
「今度は白い美流渡に必ず再訪します」
北海道はすでに秋も深まり、もう少しで冬が訪れる。
稲垣さんがまた来てくれることを心待ちにしながら、
長く雪に埋もれた冬を過ごしたいと思っている。
『寂しい生活』をもう一度読んで、できるだけ自分も
物に依存しない暮らしを深めていけたら。
次に稲垣さんと会う頃には、いままでとは違う
新しい扉を開けていられたらいいな、そんなふうに思った。
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