連載
posted:2018.9.28 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
今年の7月、岩見沢の山あいに〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げた。
本当にささやかな滑り出しで、販売している本は2冊。
イラストエッセイ『山を買う』と、切り絵の絵本『ふきのとう』という、
いずれもA6判の小さなものだ。
実をいうと昨年の計画では、この夏にもう1冊、
これまでよりページ数の多い本を刊行したいと思っていた。
その本とは、道南のせたな町と今金町で活動をする、
5軒の農家グループ〈やまの会〉を取材したものだ。
やまの会が結成されたのは10年前。
この地域は、海・まち・山の3つのエリアに分かれていて、
昔から海の人、まちの人、山の人と呼び合っており、
山で農業を行っていたことが、この会の名前の由来となった。
メンバーたちは、米や大豆、野菜、牛、羊、豚など、
育てているものはさまざまだが、いずれもオーガニックな農法に挑戦し、
その食材は道内外のシェフから注目を集めている。
これまでマルシェやイベントに参加するほか、著名なシェフを招き、
やまの会の食材を使った1日限りのレストランを開催する活動を行っており、
来年の1月には彼らをモデルとした映画『そらのレストラン』も公開予定だ。
やまの会の本をつくりたいと思ったのは、不思議な巡り合わせによる。
グループの代表である富樫一仁さんのもとで農業研修をしていた青年と
昨年秋に出会ったことがきっかけ。
農業を行うかたわらでデザイナーとしても活動していた青年は、
当時立ち上げ準備中だった森の出版社構想について
詳しく聞きたいと訪ねてきたのだった。
とりとめもなくデザインのことや印刷、出版について話すうちに、
ハッとひらめくものがあった。
「やまの会の本をつくったらおもしろそう!」
わたしは3年前にせたなを訪れ、やまの会のメンバーの農場を
ツアーでめぐったことがあった。
彼らはまるでアーティストやクリエイターのように強烈な個性があって
興味をそそられたが、それ以降は訪ねる機会はなかった。
わたしの住む岩見沢からせたな町までは車で約4時間とかなり遠いため、
まさか本をつくるというアイデアが浮かぶなんて、自分でも予想外のことだった。
けれども、何か見えない糸で引っ張られているような、
以前から決まっていたことのような感覚があった。
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青年と出会ってひと月経たないうちに取材を始めることにした。
最初に訪ねたのは秋で、その後、冬、春と合計3回の取材を行い、
8月初旬に本を刊行しようと意気込んだ。
せたなで毎年8月に開催される〈海フィール〉という食と音楽のイベントに、
やまの会のメンバーも関わっていることから、
本のお披露目にはちょうどいいタイミングだと考えていたからだ。
しかし、本づくりの道のりは、たやすいものではなかった。
当初のプランでは、やまの会の食材のおいしさの秘密をひもとこうと思ったのだが、
取材を始めてすぐに、そんなに単純ではないことに気づかされた。
メンバーのひとりで羊と米とトマトを育てている、
大口義盛さんのところに初めて訪ねたときのことだった。
どんな取材をしていきたいのかを説明すると、
大口さんはじっとわたしを見つめ、ひと言こう言った。
「もう羊を1匹も殺したくないんです。味のことなんて考えたくもない」
羊は循環型の農業を支える要の存在だ。
米とトマトを育てるなかで出た残渣(ざんさ)を食べてもらい、
その糞を堆肥として畑に戻しているという。
「うちの羊に限っては、本来食いもんじゃない」と言い切る大口さんは、
ミルクをしぼってチーズづくりをするなど、
肉として出荷するのではない方法をこれから模索していきたいと語ってくれた。
この話を聞いて、わたしは背筋がピーンと伸びるような、
こちらの気持ちを切り替えなければならないような感覚になった。
どんな農法でどうやっておいしい食材をつくっているのかを聞くだけは、
やまの会の核心には触れられないのではないか?
彼らの人生と真正面から向き合う必要があるのではないか?
そんな想いが頭の中を駆け巡った。
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冬に行った2度目の取材では、とにかくメンバーの生い立ちを
じっくり聞こうと考えていた。
「おいしい食材の秘密を探る」というテーマはいったん白紙に戻し、
まずは話に耳を澄ませるなかで本のプランの糸口を見つけようと思ったからだ。
そして、このときうっすらとであるが、
大口さんの「1匹も殺したくない」という言葉から、今回の本では
「死」が重要な意味を持つのではないかと考えるようになっていった。
12月は主に札幌に滞在しているというソガイハルミツさんに、まずは取材を行った。
ソガイさんは元プロスノーボーダー。
いまも冬期には札幌でコースの設計などに携わっており、
さらに年末年始は繁忙期となる知人のレストランの厨房も手伝っているという。
また、畑が忙しい時期でも、オーガニックを広めるためのイベントを多数企画しており、
いつでもどこでもアグレッシブに活動を続けている人だ。
取材の日も鹿肉のおいしい調理の仕方を紹介するイベントを
仲間と手掛けていて、多忙なように見えたのだが……。
「ぜんぜん忙しくないですよ(笑)。忙しいとは“心を亡くす”と書きますからね。
農家は忙しくしちゃいけないんです」
ニカッと笑いながらソガイさんは、ときに科学者のように、
ときに哲学者のように、どんな課題にも明快に答えてくれた。
農場では無肥料・無農薬の自然栽培を行っており、なかでもわたしが驚いたのは、
こぼれ種から野菜が勝手に発芽し、自生した状態になっているエリアがあったことだ。
「勝手に育ってくれて、それを収穫するだけになれば、
こんなにラクで楽しいことはないでしょう(笑)」
オーガニックを「楽しくて合理的」と語るソガイさんの持論を聞いていくうちに、
わたしのなかでおぼろげだった死というテーマに新しい視点が生まれていった。
「オーガニックを極めようとすると、自然を大切にしているとか、
命を大切にしていると思われがちですが、僕はそこに説得力を感じません。
これは“生”に対してだけフォーカスしていて、“死”の重要性が抜け落ちているからです。
生きるためには常に何かが死んでいっている。
自分の死も次の命のためにあると考えると、命の大切さとは、
その循環サイクルにあるんです」
ソガイさんの取材のあと、ほかのメンバーの取材のために
せたなに向かったのは年明け早々のこと。
道内でも比較的温暖な地域であるが、今年は例年になく雪が多かった。
生い立ちを聞く長いインタビューのなかで、
家畜を飼っている村上健吾さん、福永拡史さんも、
大口さんと同じように日々、死と向き合っていることを知った。
穀物飼料を与えず、草だけで牛を飼いチーズをつくる村上さんは、
牛の寿命について自分なりの考えを持っていた。
近隣の学校の児童が牧場の見学に訪れることも多く、そのとき必ずといっていいほど
「牛は何歳まで生きるの?」という質問があるのだという。
「子どもたちには、牛の寿命は人間が決めるんだよ。
生きているあいだは、自然の中よりもラクで楽しい環境にいられるんだよ
と伝えています。北海道で、牛が急に野生化しても生きていくことは難しいですからね」
淡々と話す村上さんではあったが、長年お乳を出してくれた母牛を
屠畜に出すときには、言葉にならない想いがあるという。
母牛の肉だけでなく内蔵も引き取り、友人らと一緒に手で洗って下処理を行っている。
さらに革もなめして革職人に使ってもらうそうだ。
「役目を終えた母牛は、普通はお肉として知らないところに流通してしまいますが、
それに違和感があるんです。せっかくうちで育ったからには、
最後は自分たちの糧にして、次の牛を育てるために生きるというふうにするほうが、
僕なりの合理性があるんですよね。
大切なのは、後世をよりよくして死ぬことなんじゃないかと」
5年前に〈ファームブレッスドウィンド〉という養豚場を引き継いだ福永さんは、
試行錯誤をしながら自家配合した飼料を与え、自然に近い状態で豚を飼っている。
やまの会のメンバーの中で最も寡黙な彼は、
質問にひと言ふた言答えたかと思うと、すぐに黙ってしまう。
なかなか話が聞き出せないもどかしさを感じつつ、
一緒に豚舎で生後2日という子豚を見ているときに、思わず
「この仕事をやっていてうれしい瞬間は?」と投げかけてみた。
子豚から目を離さずに、少しの沈黙のあと、彼は答えた。
「最初は子豚が生まれてうれしかったし、かわいいなとは思いましたけど、
最終的には殺すわけなんで、いまはすべてがフラットになりました」
養豚を始めたばかりの頃、最もイヤな作業は生まれたばかりの子豚の去勢だったそう。
やがて仕事のある部分をとって、それが好きか嫌いかを考えるのではなく
「こういう環境で豚を飼うというトータルな部分に喜びを感じる」
ようになったのだという。
福永さんの心の様子を、少ない言葉から推し量るのは難しいが、
母豚の背中をいつでも撫でてやり、家にいるときは
愛犬をずっと抱いている姿は目に焼きついて離れなかった。
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死がこの本のテーマであると確信したのは、富樫さんの取材だった。
誕生から現在までの歩みを聞いていると、死が常に身近にあったことが
痛いほど感じられた。
生まれたときから重度のアトピー性皮膚炎と喘息をわずらい、週5日は通院。
喘息の発作を起こし、呼吸困難に陥って救急車で運ばれることが何度もあったという。
アトピー性皮膚炎は、ステロイド剤で抑えてきたが、
20代に入ってまったく利かなくなってしまったそうだ。
こうしたなかで農薬を使っていない作物を食べると体調が改善されることを実感。
「有機栽培や自然栽培の野菜は当時なかなか手に入りませんでした。
あってもすごく高くて毎日食べるのは難しい。
ならば自分でつくるしかないと、ワラにもすがる思いで農業を始めました」
20代後半から道内各地を転々としながら農業を行い、
せたなで新規就農をしたのが2004年。
その間、次第に体調は改善したものの、ときには悪化し寝込むこともあった。
驚いたことに、つい2~3年前にも半年間床に伏せる日々が続いたそうだ。
「いつか畑で倒れて死ぬと思っていました。
ずっと時限爆弾を抱えているような状態でしたから」
体重が20キロも激減。
末期がんの患者のように衰弱し、階段を上がることすらできない日もあった。
50歳になる頃にさまよった死の淵。この壮絶な体験の後に、
これまでずっと願っても叶わなかった「真の健康」を手に入れた。
「アトピー性皮膚炎になった人ならわかると思いますが、
朝、起きた感じが違うんですよ。いままでとレベルが違うほど元気になったんです」
自分自身の目標が達成されたいま、
「今度は自分の健康を次世代に使ってもらいたい」と、
富樫さんは新たな挑戦に踏み出そうとしているところだった。
富樫さんのインタビューを終えて以降、まったく筆が進まなかった。
自分では抱えきれないくらい何か大きなものを受け取ったような気がして、
ボイスレコーダーの文字起こしをする気持ちにどうしてもなれなかった。
しかし、1か月、2か月と日々が過ぎて行くなかで、
突破口を探すには、もう一度訪ねるしかないと思うようになった。
3回目の取材は、北海道に遅い春がやってきた4月末のこと。
春風の吹き込むテラスに迎え入れてくれた富樫さんの表情は、底抜けに明るかった。
そして、長年知人が営んでいたという民宿〈海の家〉を引き継ぎ、
農業だけでなく宿泊施設の運営という新しい試みを始めるところだと語ってくれた。
「いま思ったら、アトピーのおかげで食のことだったり環境のことだったり、
いろんなことに気づかせてもらいました。こういう体に生まれてよかった」
この言葉を聞いて、わたしの心も解放されていくような感覚があった。
長く重苦しい冬から春へ。本づくりもこれで軽やかな心とともにできそうと、
わたしは岩見沢に戻ったのだが……。
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本当ならこれで加速がついて本づくりが進むと思いきや、
またもやモタモタしてしまった。
創作のコップがあるとしたら、溜まっている水は3分の2くらい。
コップから水が溢れ出すくらいにならないと、
本を最後まで書ききれないのではないかという想いがしていたのだった。
結局、本の刊行日の目標としていた海フィールになってもカタチはできず、
これから本をつくりたいという、ちょっと言い訳(?)っぽいチラシを
当日配ることにした。
イベントでは、やまの会の食材を使ったランチをはじめ、
函館など各地からこだわりのフードやスイーツのお店や、
雑貨づくりを行うアーティストらが集まっていた。
ライブやトークショーなども行われ、にぎやかなものとなった。
なかでも特に印象的だったのは、女性たちの活躍だ。
イベントの事務局を務めていたのは酪農の村上夫妻。
前に立って話をする機会は夫の健吾さんのほうが多いが、
妻の妙子さんが会場中を走り回ってテキパキと仕事をこなしていた。
また、遠方から訪れた来場者のための宿となったのは、富樫夫妻が営む海の家。
ここでは女将となった妻の真理さんが全体を仕切っており、
やまの会の食材を取り入れた朝食の準備に精を出すなど、
居心地のよい空間をつくり出してくれていた。
こうした女性たちのパワフルさのなかで、
イベント会場でも宿でも子どもたちが団子になって元気に駆け回っており、
このにぎやかでハツラツとした雰囲気を感じているうちに、
わたしはハタと気づくものがあった。
死というテーマを据えたことで、わたしは何か重苦しさに縛られて、
本づくりの自由さを失っていたのではないか。
この生き生きとしたエネルギーが、やまの会のまわりには息づいているのではないか。
不思議なことだが、まったく別の仕事で読んでいた本の中に、
こんな言葉を見つけ腑に落ちるものがあった。
「生は死から沸きだす」
日本でもよく知られた『叫び』という絵画を描いたノルウェーの画家、ムンクの言葉だ。
ああ、そうか。
死と生は両輪であることは頭でわかっていたつもりだが
「沸きだす」というイメージが、海フィールの会場で感じたエネルギーと
ぴったり合うように思えた。
そして同時にコップの水も溢れ出るような手応えもあり、
一気に何十枚かの原稿を仕上げることができた。
今度こそ、本ができる気がする(ここまでくるのに1年弱かかってしまった!!!)。
次なる刊行の目標は年内中! コップの水よ、どうか枯れないで!!
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