連載
posted:2018.1.25 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
今月、わが家が引っ越した岩見沢の山間部には、いま個性的な移住者が増えている。
わたしが住む美流渡(みると)地区は過疎化が進んでおり、人口はわずか400人ほど。
市街地に住む多くの人々から見れば“不便な田舎”だが、
あえてここに引っ越してくる移住者は、自分の暮らしを見つめ、
独自の考えを貫こうとしている人と言えるかもしれない。
彼ら彼女らから、わたしはここで暮らすことの意味や
おもしろさを教えてもらうことも多く、常に刺激を受けている。
そうした移住者のひとりが、2016年初夏、
この地にやってきた阿部恵(さとし)さんだ。
みんなからトシくんと呼ばれる彼は、美流渡の隣の毛陽地区に
約2ヘクタールの土地を購入し、たったひとりで雑草を刈ってこの地を耕し、
コンテナを改装した小さな家に住んでいる。
わたしたちが取得した古家の改修や引っ越し作業を率先して手伝ってくれる、
本当にありがたい友人でもある。
トシくんのお母さんはフィリピン人、お父さんは日本人。
大都会マニラで育ち、大学では農業化学を専攻したという。
ラボでの実験や座学がメインのコースだったが、大学3年生のときに
田植え体験をしたことが、その後の人生を決めるきっかけのひとつとなった。
「初めて田んぼに入ったとき、すごく気持ちがよかった」
同級生はぬかるみを嫌がったが、トシくんは苗を植える手が
不思議なほどスイスイと動いたそうだ。
この体験が忘れられず、その年に専攻を農業に変え、特に土壌について学んでいった。
その後、本気で農業をやりたいという気持ちが芽生えたのは、
アメリカで有機農法を推進してきたジョエル・サラティンの
動画サイトを見たことだったという。
農薬などの化学物質を使わない持続可能な農業を
自分もやってみたいと思ったトシくんは、その場所として北海道を選んだ。
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大学卒業後の2013年、まず研修ができる農場を探そうと来日。
お父さんが函館の出身だったこと、自身がアイヌ文化に興味を持っていたこともあり、
以前から北海道に惹かれていたという。
道内各地を巡り行き着いたのは、この連載でも紹介したことのある
長沼〈メノビレッジ〉。
メノビレッジは環境に配慮した農法を行い、
農業を通じて地域のコミュニティを再生しようと挑戦を続ける農場で、
トシくんはここで1年間学ぶこととなった。
「その後、一度はフィリピンに帰国して農業を始めましたが
思うようにはいかず、やっぱり日本で場所を探したいと考えました」
再来日して函館などの農場を手伝いながら、道南を中心に
畑ができる土地を探していったが、なかなかピンとくる場所はなかった。
やがて旭川や富良野、十勝など、道内全域に範囲を広げたが、それでも見つからず、
「もう、ダメだ」と半ば諦めかけていたとき、出会いが訪れた。
最後の望みを託してパソコンで土地を検索したところ、
ヒットしたのが岩見沢の山里だった。
候補の地域ではなかったが、訪ねてみると理想的な場所だったという。
土地が道路脇に面し、電線や水道管がすぐ近くまできており、
畑に変えられそうな草原のような部分もあった。
もともとリンゴやモモなどの果樹をつくっていた場所だったそうで、
前の所有者から農作業に必要な重機も譲ってもらえることになった。
「うん、ここでやろうと思いました」
土地を最初に見たのは2016年4月だった。
翌月には土地を取得し、6月には近所にあった空き家を借りて引っ越し。
7月からは同じ地域の農園でアルバイトも始めた。
こんなふうに説明すると、とてもスムーズに物事が進んでいったように思えるが、
実際にはそうではない。
取得した土地は、「熊出没注意」の看板が立っている森の中。
トシくんはたったひとりで、一面ビッシリ生えていた
背丈を超える高さの雑草を刈って土をならし、畑に変えた。
また、近所で借りたのは、炭坑住宅として使われていた築年数がかなり古い家。
家具が残され、汚れもひどかった。
「最初はキャンプのような生活でした。
でも、僕は屋根とふとんさえあればいける! と思ったんですね」
そう語るのには、理由がある。
フィリピンに帰国していた時期、農業に挑戦したのは電気も水道もない山奥だった。
そのときの体験を思えば、ここでの暮らしに大きな困難を感じることはなかったという。
昨年には、取得した土地にあったコンテナを改装して
小さな住まいをつくって引っ越した。家づくりは未経験だったが、
「日本のホームセンターはなんでも揃うし、
本や動画サイトを見ればだいたいのことはわかる」とトシくん。
そのバイタリティーには驚かされる。
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森の木々に囲まれたこの場所は、人家から少し離れたところにある。
岩見沢は北海道有数の豪雪地帯で、小屋は雪に埋もれてしまいそうな様子で建っている。
ここにトシくんは愛犬マップと住んでいるのだが、
ときには心細さを感じたりはしないのだろうか?
「僕は北海道の冬の静けさが好き。頭がすごく働いて、アイデアがわいてくるんです」
そう語ったトシくんだが、移住した最初の年は知り合いも少なく
孤独を感じたこともあったという。
そんなトシくんと地元の人たちとのあいだをつないだのは、
地域おこし推進員(協力隊)のふたりだった。
さらに、2017年には2組の家族が同じ地域に移住。
いずれもトシくんの暮らしぶりを見たことが移住につながったようで、
いまでは気心の知れた仲間となっている。
「これまでは知らない土地にくると、必ずどこかに引っ掛かるところがありましたが、
ここに来てすべてがフィットしました。それにいくら条件のいい土地でも、
すばらしい人たちがいなければ住み続けることはできないと思います。
人間はひとりで暮らすことはできないから」
トシくんには、夢がある。この土地に家族を迎え入れることだ。
現在、姉弟が函館に住んでおり、お姉さんはアイスクリーム屋さんを、
弟さんはパン屋さんをやりたいと思っているという。
トシくんが栽培したフルーツを使ってアイスやパンをつくったら、
きっと驚くほどおいしいものになるに違いない、そんなふうに考えているのだ。
また、いつか自分の愛する人と一緒に家を建てたいという想いも持っている。
「子どもができたら、ここは僕たちが愛を込めて建てたんだよと伝えたいんです」
家はもちろん、食べものや着るものなどあらゆるものを愛情を込めてつくり、
それに囲まれた暮らしをしていきたいとトシくんは考えている。
閉塞感を感じる社会を少しでも変えていくには、
まず自分たちの根本である家族と向き合い、
次の世代を担う子どもたちに真の愛を向けることが大切なのではないか。
そうした行動によって、自然に世の中が変わっていくのではないか、
そんな希望を持っているのだという。
トシくんの話を聞いているうちに、わたしは自分の暮らしを振り返っていた。
特に子どもに対する彼の想いは、本当に考えさせられるところが多かった。
「いまの子どもたちは8時間以上も学校で過ごします。一番大事な時間に親と離れ離れ。
わが子が何を考えているのかわからないと嘆く親も中にはいますが、
そんなに離れていたら、わかり合える機会を失ってしまうのではないかと僕は思います」
この言葉には、特にハッとさせられた。
わたしは暮らしのあり方を変えていくために美流渡へ転居したものの、
仕事に相変わらず忙殺され、現実的には子どもとじっくり過ごす時間がとれずにいる。
いいことではないと思いつつも打開する方法が見つからないのだが、
トシくんの言葉によって、「やっぱりこのままではいけない」、そう痛感したのだった。
曇りのない眼差しで、夢に向かってまっすぐに進むトシくんの姿は輝いている。
こんなふうに未来に希望を持つ人がこの地域にいてくれることを、本当に心強く想う。
彼のようにわたしはなかなかまっすぐには進めず、
迷いやイライラの多い日常を過ごしているが、
なんとか前を向いて並走できたらいいな……。
彼と話していて、そんなふうに思った。
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