連載
posted:2018.10.24 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
わたしが住む岩見沢の山あいは、もともと炭鉱で栄えた地区だ。
朝日、美流渡(みると)、万字(まんじ)とそれぞれの地区に炭鉱があり、
何万人もの人々が暮らしていたという。
かつてのにぎわいはなくなっているものの、
当時の様子をしのばせる建物がいまでもひっそりと建っている。
朝日地区の万字線鉄道公園にある旧朝日駅もそのひとつ。
この公園は、石炭輸送を目的に1914年に開通し、
1985年に廃線となった万字線の駅周辺を整備してつくられた施設だ。
機関車も置かれ、紅葉も美しい場所ではあるが、地元の人や観光客の姿はまばらで、
旧駅舎も手つかずの状態で傷みが目立つようになっていた。
地元の人たちは、駅舎をなんらかのかたちで活用したいという想いはあっても、
なかなか一歩を踏み出せない状態だった。
2年前に地域おこし推進員(協力隊)として、
この地区にやってきた上井雄太さんも同じ気持ちを抱えていた。
「何かに生かせないか、アイデアをずっと考えていました。
取り壊すという話も上がっていて、それはもったいないと思っていました」
時間が止まったようなこの場所が、新しい時を刻むことになったのは、
突然の出来事だった。
朝日の隣、美流渡地区に昨年移住したばかりの
スティーブン・ホジャティさんと文さん夫妻が、
あるとき上井さんに写真を見せてもらったことが、
新しいプロジェクトが生まれるきっかけとなった。
その写真とは、朝日が炭鉱でにぎわっていた時代に撮られており、
労働者が生き生きと働いたり、地域みんなでスポーツを楽しんだりする様子が
写し出されていたものだった。
「こんなにすばらしい写真があるなら眠らせておくのはもったいない。
そのとき朝日駅舎に展示してみたらいいんじゃないかと思ったんですね」(文さん)
この駅舎はホジャティさん夫妻にとって印象深い場所でもあった。
札幌で馬を飼いながら、子どもたちに向けたイングリッシュキャンプを
10年ほど行っていたふたりは、新天地で新しい活動を始めようと場所を探しており、
昨春初めてこの地区を訪れ、そのときに駅舎にも立ち寄ったのだそう。
「まだ雪が残るなか朝日駅を見たんですね。
そのとき、万字線の歴史を伝えていくのに一番いい場所だと思いました」(文さん)
「そのままにしておいたら、もったいないと思いました。
線路がまだ残っている場所はなかなかありませんし、
このままだとレールが錆びていってしまうと思ったんです」(スティーブンさん)
上井さんと夫妻は駅舎を復活させたいという気持ちで一致。
さっそく管理をしていた市役所にかけあい、
自分たちで整備をしてよいか相談をもちかけたそうだ。
検討の時間はさほどかからなかった。
役所もすぐに協力する姿勢を見せてくれたそうで
〈朝日駅復活プロジェクト〉が立ち上がった。
「建物は使わないと死んでいってしまう。
まずはキレイにしたいと思いました」(文さん)
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写真を見てからわずか1か月足らずの9月22~24日、
連休の3日間をかけて駅舎内部の片づけとペンキ塗りが行われた。
集まったのは3日間で30人ほど。
地元の人ばかりではなく、岩見沢市のまちなかに住む人もいた。
わたしも現場で半日ほど手伝ったが、みんな和気あいあいと
楽しそうな表情をしていたことが印象的だった。
駅舎には多くの備品があり、それらの整理を行ったあと、
長年のホコリを払い掃除をした。次に駅舎内の壁のひび割れをパテで補修し、
全体を養生してからペンキを塗っていった。
外壁には防腐剤を塗り、錆びた手すりなどにも錆び止めを塗布した。
3日間、作業を終えた感想を企画者の3人に聞いてみると
「とっても楽しかった」と笑顔。
今回初めてペンキを塗った参加者もいたそうで、
予想以上におもしろいという声が上がったという。
「とっても気楽にできたことがよかったのかもしれません。
何か決められた仕事ではないですし」(文さん)
3人の話を聞いていて気づいたのは、
この場所を再生させてビジネスを展開しようといった目標をあえて立てずに、
建物をキレイにしたいという素朴な想いが
肩肘張らない楽しさにつながっているんじゃないかということだった。
上井さん、ホジャティさん夫婦の取り組みに大きな勇気をもらった気がした。
わたしの住む美流渡地区でも、炭鉱の歴史を伝える建物はいくつかある。
しかし、その多くが豪雪地帯でもあることから、
年々廃墟のようになっているのが現状だ。3人のように軽やかにステップを踏んで、
まずは自分たちができることをやっていけたらいいんじゃないかと思ったのだ。
「今回参加してくれた人たちは、
きっとこの駅舎がこれからどうなっていくか見守ってくれる人。
そんな人たちと、これからの使い方をみんなで考えていけたらと思います」(文さん)
まだ、ペンキを塗る作業は残っているそうで、
11月初旬に再び参加者を募ってプロジェクトを実施したいと考えているという。
ペンキ塗りが完了するのは恐らく来年。
駅舎がキレイになったら、朝日炭鉱の記録写真を飾りたいと3人は語ってくれた。
さらに、今回参加した人たちからも場所の使い方の提案があったそうで、
関わる人の輪が広がることによって、可能性はさらに広がっていくのだと思った。
誰かが第一歩を踏み出せば、まちの風景は確実に変わっていく。
朝日駅復活プロジェクトは、わたしにそう教えてくれた。
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