連載
posted:2018.11.7 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
息子が通う岩見沢の山あいの小学校が今年度いっぱいで閉校となる。
全校生徒は7名。
1、2年生が6名で複式学級。4年生は1名で単式学級となっている。
学校の統廃合の話は以前からあがっていたが、
これまで地域のみなさんは学校存続の道を探ってきた。
けれども新学習指導要領が2020年から順次実施されるにともない、
あまりに人数が少ないと授業の進め方に難しい点が出てきてしまうなどの
先生からの意見もあがり、統合へと舵を切ることになった。
そして同時期に隣にある中学校も統合することで方針が固まった。
親としては複雑な想いがある。
例えば運動会は、この地域に学校があることのすばらしさを実感できるイベントだ。
保育園、小中学校の合同開催で、生徒の親はもちろんのこと、
地域の住民も参加して、綱引きをしたり、玉入れをしたり。
児童数が少なくても、子どもも大人も運動会にかける本気度は
どこよりも高いと思わせてくれるような白熱した競技が続く。
統合することによって息子は遊ぶ友だちが増えるけれど、
こんなふうに地域の人たちが、みんなで子育てをしているような雰囲気は
何にも代え難いと感じている。
いま閉校を前に学校ではさまざまな取り組みが行われている。
そのひとつが、9月27日に行われた遠足だ。
この学校が開校したのは、いまから115年前の明治37年。
当時、建てられたのは現在の地点から3.5キロメートルほど西にあり、
開校の地まで歩いてみようという企画だった。
7名の子どもたちとともに地域の人々も参加。
この学校の卒業生が岩見沢市街地などからも駆けつけ、
森のあいだを通る道道を歩きながら、思い出話に花を咲かせていた。
開校当初の学校の跡地は農業用の倉庫の脇にあった。
大きなイチョウが1本立ち、ここに学校があったことを記す板が置かれていた。
校長先生によると最初の校舎は6坪。生徒は6名。
冬はいろりを囲んで勉強をし、寒さをしのぐために
窓をとうもろこしの皮でおおっていたという記録が残っているそうだ。
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この遠足のちょうど1か月後に行われたのが学芸会と閉校の記念式典だった。
子どもたちは、この学校で最後の学芸会ということもあって、練習にも熱が入っていた。
7名の学芸会というと、ひっそりとしたものと思われるかもしれないが、
堂々と歌を歌い、ステージいっぱいにダンスをする姿は迫力いっぱい。
息子の姿もいつもよりも大きく感じられるほどだった。
学芸会で特に印象的だったのは、4年生が取り組んだ
学校の115年の歩みを調べる総合学習の発表。
明治37年の開校以来、この小学校は場所を移転したり、
新校舎を建設したりとさまざまな歴史を刻んできた。
地域にはやがて炭鉱が生まれ、昭和34年には
35学級で1861名もの生徒が在籍していた時期があったという。
「これだけの子どもたちが、ひとつの学校に通っていたとは驚きました。
教室に机がぎっしりで、通り抜けるのも大変だったのではないでしょうか」
4年生は歴史を追いながら素朴な感想を語ってくれた。
その後、炭鉱の閉山によって人口は激減し、生徒の数も減っていった。
ほかの地域にも小学校があったが、次第に統廃合されていき、
岩見沢の山あいで唯一残ったのが、この学校だった。
「閉山によって友だちと離ればなれになった人もいたと思います。
教室から人が減っていくことをすごく寂しいと感じました」
4年生は発表の最後を、開校の地を訪ねた遠足の思い出で締めくくった。
「開校の頃の子どもたちが、どんな景色を見ていたのか、
どんなお昼を食べていたのか、どんなふうに勉強していたのかを想像しました。
そして、わたしたちはいま7人しかいないけれど、楽しく学校に通っているよ、
遠足では楽しくお弁当を食べたよと伝えたくなりました」
閉校とはいったい何なのだろう。
わたしは遠足や学芸会に参加して子どもの姿を見るたびに、
ひと言では言い表せない、気持ちの整理のつかないものを感じずにはいられなかった。
このまま終らせてしまっていいのだろうかという想いと、
自分の力ではどうにもならないもどかしさが混ざっているような感覚があった。
閉校に向けて自分が何をしたらいいのかわからなかったのだが、
せめて、この日のことをしっかり記録してもらいたいと、
札幌在住で、いつも取材の仕事をともにしている
写真家の佐々木育弥さんに撮影をお願いした。
学芸会の後、閉校の式典が行われ、最後に115個の風船を飛ばして
学校との別れを参加者全員で惜しむ機会が設けられた。
その一部始終を佐々木さんは撮影してくれ、最後にとても感動したと語ってくれた。
「風船があがったときに、森で木を切る瞬間を思い出しました。
しーんと静まりかえった雪の中で、地面が揺れ、
木がパチパチとはぜる音が響きわたって、
ものすごくエネルギーがあふれているんですよ」
この言葉は、わたしに閉校に対する心の置き場を示してくれた。
森の生態系にとって、木が倒れることは終わりではない。
木が倒れた場所には日差しが届くようになり、
土の中にあった種が芽吹くことにつながる。
この小学校は6名で始まり、一時は大きなにぎわいを見せ、
また小さくなって7名となって幕を閉じるが、
いま新しい何かが生まれようとしていると考えてみたらどうだろう?
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確かに、岩見沢の山あいの地域では、
ここ1、2年で新しい動きがいくつも起こっている。
そのひとつは、小中学校の向かいにある安国寺の岡田博孝住職が、
寺子屋をやってみたいという夢を持っており、
今年に入って月1回の坐禅会をスタートさせていること。
もうひとつは、昨年から毛陽地区でシェアハウスを営んでいる辻本智也さんが、
北海道教育大学と連携しながら市内で〈Sports Life Design Iwamizawa〉という
子ども向けのスポーツクラブを運営しており、
この地域でも運動プログラムやキャンプの企画をしてくれていること。
また、前回の連載で紹介したホジャティ夫妻は、
毛陽地区の自然を生かしたイングリッシュキャンプを開催しており、
札幌などから多くの子どもたちがこのプログラムを受けにやってきているし、
ほかにも〈kangaroo factory〉がフラワーアレンジメントのワークショップを開いたり、
同じ地区にある森の山荘では、月1回の太極拳レッスンが開催されていたり。
岩見沢の山あいの美流渡と毛陽地区の人口は600人ほど。
そんな小さな地区で、公立学校とはまた違った学びの場が
あちこちで生まれていることは、驚くべきことなのではないだろうか。
学校という地域の灯火が消えることをマイナスととらえてしまうのか、
あるいはプラスのエネルギーとして転化させられるのかは、
わたしたち次第なのかもしれないと思った。
閉校は、地域と学校の結びつきや自分と学校の結びつきを
あらためて考える機会をわたしに与えてくれた。
寂しさを超えて、未来をポジティブに考えていきたいと思った。
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