連載
posted:2022.4.12 from:全国 genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。
全国各地のローカルでは、廃校となった学校が数奇な運命を経て
あるゆる業態に姿を変えて、第二の人生を送っている。
公的施設や、地域の人のための体験交流の場なら想像に易いが、
音楽フェスの会場や、お花見会場、はたまた醤油蔵まで
「学校」を舞台にした、華麗なる変貌ぶりには
校舎の無限の可能性が感じられる。
2002年度から2020年度までに全国で廃校となった7398校のうち、
新たな人生を送っている校舎は74.1%の5481校。
これまでコロカルが取材してきたユニークな廃校利活用の事例を見ていこう。
1. 森の学校/みる・とーぶ
6. 醤油蔵/日東醸造
北海道岩見沢市に移住した來嶋路子さんは、
息子が通っていた岩見沢市立美流渡(みると)小・中学校の廃校を目の当たりにした。
見て見ぬ振りをしていてはいけないという思いと
荒んでいく学校を息子に見せたくないという
悶々とした気持ちを抱えていたときに、地元の北海道教育大学岩見沢校から、
來嶋さんが代表を務めている地域PRプロジェクト〈みる・とーぶ〉に、
廃校活用に協力してほしいという依頼を受けた。
そこで來嶋さんは、炭鉱街として栄えた美流渡の小中学校を、
北海道教育大学の学生の手によって復活させるというプログラムを提案。
そこで誕生したのが、学生たちが炭鉱街としてにぎわった歴史を探り、
イベントや施設利用の企画を生み出し、発信していく
ラボスペース〈森の学校 ミルト〉だ。
展示会会場や、宿泊施設、保育園、アーティストインレジデンスなど
学生たちとともに、さまざまなアイデアを出し合うと、
まもなくして、閉校になった小学校に通っていた子どもたちを集めて
教育大生によるイベントが開催された。
美流渡小・中学校は、その後決められた利活用方法が定まっていないが、
現在も〈みる・とーぶ〉が中心となって、地域の人と話し合いながら
時間をかけてさまざまな取り組みを進めている。
【美流渡小・中学校の廃校後の軌跡】
#01:全校生徒は7名。岩見沢の山あいの小学校が閉校
#02:小中学校を活用して〈森の学校 ミルト〉をつくりたい!
#03:美流渡の廃校、想いをかたちにするための方法を考える
#04:〈良品計画〉が取り組む廃校舎活用から考えるまちづくり
#05:旧美流渡中学校の校舎再生プロジェクト
#06:美流渡らしい旧校舎の活用が始まる
#07:旧美流渡小・中学校にアートの力で賑わいを
#08:閉校した校舎で移住者による展覧会
#09:多くの来場者が訪れた予想外のにぎわい
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小豆島の北西部、福田地区にある小豆島町福田小学校は、
ギャラリーや、食堂、ラボラトリーを含む〈福武ハウス〉として第二の人生を送っている。
〈福武ハウス〉とは、アートの作品展や、食を通した文化交流などを行うプロジェクトで、
福田小学校は、体育館が〈福田アジア食堂〉、
教室がアジアのアーティストの作品を中心とした〈アジア・ギャラリー〉となり、
ほかにもアーティストインレジデンスの会場や展覧会の開催、食のワークショップを通して
アジア諸地域とつながるプロジェクトとして機能している。
アジア各国の有名アーティストの作品や大型インスタレーションが展示され、
瀬戸内国際芸術祭の会場としても使われるなど、
かつての学び舎に負けない賑わいを見せている。
廃校がその後どうなっていくのかは地域によってさまざまだが、
この福田小学校は、地域の人のみならず、世界中の人が集まれる場所として
日々多くの観光客が訪れている。
記事はこちら:廃校を改修してアートと文化交流の拠点に。瀬戸内国際芸術祭〈福武ハウス〉
淡路島の西海岸に、人の流れが生まれている。
飲食店やホテルが続々とオープンし、
関西や徳島などからも客が訪れるエリアになっている。
これらを仕かけているのが、全国に飲食店などを展開する〈バルニバービ〉だ。
そしてバルニバービのあらたな事業として、
廃校をリノベーションした複合スペース〈SAKIA〉が生まれた。
飲食店のほか、こども図書館、コワーキングスペースを備え、
施設内の至るところに現代アートが飾られている。
「僕にとって地方創再生は、観光客を呼び込むことだけではなく、
最終的にそのまちに住みたくなることです。
だから飲食店だけで地方再生をやるつもりではなく、
間口を広げるためのファーストステップ。
そう語るのは、「Frogs FARM ATMOSPHERE」という
地方創再生プロジェクトをはじめ、
淡路島の西浦エリアで活動している〈バルニバービ〉の佐藤裕久会長だ。
〈SAKIA〉は、経済合理性よりもコミュニティの創出が主たる目的。
1階の飲食店では、カツカレーやナポリタン、オムライスなど、懐かしく親しみやすい内容となっている。
〈こども図書館 KODOMONO〉やコワーキングスペースなどもあり、地域の人たちも繰り返し利用できる施設だ。
レストラン〈GARB COSTA ORANGE〉を皮切りに
「ガーブコスタオレンジ前」というバス停もできた。
周辺には〈KAMOME SLOW HOTEL〉〈LONG〉〈中華そば いのうえ〉
〈しまのねこ〉〈酒場ニューライト〉など、飲食店やホテルが続々とオープン。
いまでは、〈バルニバービ〉の従業員も淡路島に移住し、
元々住んでいる人、移住してきた人、これから住もうとする人たちとの交流が生まれ、
SAKIAは暮らしがベースになってきている。
記事はこちら:廃校を再生し〈SAKIA〉へ。淡路島に「住みたくなるまち」をつくる
東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースや
イベント、フェスティバルなど主催しているミュージシャンの坂口修一郎さん。
生まれ育った鹿児島でローカルも都心も関係なく、
中央で活躍している人たちと
ローカルで活動している人たちが同じステージで交流し、
みんなが楽しめるローカルな音楽フェスをつくりたいと考えていた。
そこで一番ネックとなったのは、会場選び。
東京で20年近く活動してきて、鹿児島出身というだけで何の実績もない坂口さんは
あちこちの公園やキャンプ場などを見に行って問い合わせはするものの、
前例のないイベントの企画など理解してもらえず、ことごとく断られ続けていた。
それを解決したのが、南九州市川辺町の長谷小学校だった。
同校は1885年に開校したときから、周囲の集落のどこからでも通えるよう
中間地点につくられ、当時から学校の周りに人家がなかった。
そして、自然に囲まれた環境のなかで
校庭の隅には沢が流れ、天然のビオトープをつくっていた。
こうして始まった旧長谷小学校を会場とした音楽フェス、
〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズ・ジャンボリー)〉は
2019年に10周年を迎えた。
【長谷小学校がフェス会場になるまでの軌跡】
#01:〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉。音楽家が廃校の運営を始めたわけ
#02:〈かわなべ森の学校〉廃校の残し方。対話を続けて再生への道が開けた
#03:フェス開催の危機!あらためて廃校問題を考える
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三重県熊野市の神上中学校では、
毎年桜の季節になると学校の校舎や校庭を利用して
「桜まつり」が行われていた。
しかし、観光客の減少と運営側の高齢化により
30回の節目をもって中止にする苦渋の決断が下された。
そこで立ち上がったのは、熊野地域で活動をしていた建築家の多田正治さん。
30年間地域に根ざしていた「祭りのリノベーション」に取りかかる。
新しい空間をつくることをテーマに
木造校舎のノスタルジックな雰囲気をこわすことなく、
貸本屋と茶屋を併設する花見スペースをつくり、
同時にアーティストインレジデンスの展覧会や、
神上町出身の明治の偉人、写真技師・田本研造の写真展などを開催した。
「桜まつり」は、一度は開催を危ぶまれたものの、
「神川桜覧会」と名前を変えて復活し、
現在も神上中学校を舞台に地元有志によって運営が引き継がれている。
記事はこちら:築約70年の木造校舎の廃校を活用。熊野市のまつりをリノベーションする
愛知県碧南市の醤油メーカー〈日東醸造〉の現社長・蜷川洋一さんは、
創業当時からつくられていた白醤油〈しろたまり〉を
より自然環境の整った場所でつくりたいと考えていた。
白醤油とは、大豆ではなく小麦でつくる愛知県発祥の醤油で、原料は小麦と塩のみ。
蜷川さんは、すべて地元産の原料で仕込むと決めたものの
肝心な水だけがなかなか見つからなかった。
そのとき、折りしも豊田市足助(あすけ)町で閉校となって
活用方法が検討されていた足助町立大多賀小学校と出合い、
足助町の豊かな自然のもと “校舎で醤油を仕込む”ことを思いついた。
小学校に残っていた井戸からはこんこんと湧水が湧き出し、
標高720メートルという夏場でも涼冷な気候は
〈しろたまり〉の色をより淡く仕込むのに最適な環境だった。
完成した「日東醸造足助仕込蔵」は、小学校の外観をそのままに校舎内を改装し、
古式白醤油製法再現のために昔ながらの木桶が設置された。
大多賀小学校は、伝統を引き継ぐ醤油蔵として生まれ変わり、
現在では、蔵の周辺で化学肥料を使用せず、無農薬で育てる
足助産小麦の試験栽培をスタートしている。
日東醸造が中心となって足助仕込蔵収穫祭などのイベントも開催し
地域の人たちとの新しい交流が生まれている。
記事はこちら:白醤油の原点を追求した「しろたまり」 愛知・日東醸造
日本全国のさまざまな地域でユニークな廃校の利活用が進められている。
かつての学び舎からは想像もしなかった第二の人生かもしれないが、
どれも一様に地域の新たな資源として生まれ変わり、新しい人生を送っている。
また、その過程では地域の人たちと利活用の担い手との間で多くの議論を重ね、
ともに当時の賑やかさを取り戻すためにあらゆる可能性を検討しながら
地域の資産である、学校という類のない建築物の最善の利用策を模索している。
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