連載
〈 この連載・企画は… 〉
音楽家である坂口修一郎さんは、フェスの運営やコミュニティづくりのために、
東京と鹿児島、さらには日本のローカルを移動し続けています。
坂口さんが体現している新しい働き方やまちづくりを綴ってもらいました。
writer
Shuichiro Sakaguchi
坂口修一郎
さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事
音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。
みなさんこんにちは。はじめまして。音楽家/プロデューサーの坂口修一郎です。
今回こちらで僕のちょっと不思議なキャリアのお話をさせてもらうことになりました。
よろしくお願いします。
僕はもともとミュージシャンとして活動を始めた人間ですが、
いつの間にやら脱線に脱線を重ね、いまでは会社や団体をいくつか運営して、
全国のフェスティバルやイベント、施設のプロデュースなどを行うようになりました。
そして、鹿児島県の川辺町という中山間地域で、
廃校の運営とまちづくりに携わっています。
そんな自分の活動をご紹介しながら、
なぜミュージシャンである自分が中山間地域のまちづくりというような
畑違いの領域に携わるようになったのか、
そんなことをこちらでお伝えできればと思います。
今の活動に至るまでを時系列で語ることも考えたのですが、
まずは僕が今のような活動をすることになった最大のきっかけである、
鹿児島で10年間、続けてきたフェスティバルの話をしようと思います。
それが〈GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズ・ジャンボリー、以下GNJ)〉です。
GNJは2010年に初回を開催し、今年(2019年8月24日)で10回目になります。
夏、そしてフェスティバルというと音楽をフィーチャーしたものが
イメージとしてあると思いますが、
僕らが目指しているのは、だれも取り残さない「みんなでつくる真夏の文化祭」。
コンテンツのひとつとして音楽はもちろんありますが、
それだけではなくクラフト、アート、食、文学、映像からスポーツまで、
ジャンルを超えてたくさんのコンテンツが集まるイベントです。
大人も子どもも、障害のあるなしも、ジェンダーも地域も、表現のジャンルも、
プロフェッショナルもアマチュアも、
いろんなものを超えてみんなが楽しめる場をつくりたい。
10年前の第1回からこの方向性は変わりません。
なぜそういうことを考えたかというと、
僕が生まれ育った地方=鹿児島に対して、感じていたことがいくつかあったからです。
ひとつは本物にふれる体験の格差。
僕が鹿児島で暮らしていた頃はまだインターネットもありませんでしたから
とにかく情報に飢えていました。
今は情報はバーチャルであればいくらでも手に入ります。
そしてもモノもワンクリックで翌日には届く時代。
だけど、アーティストの本物のパフォーマンスやものづくり体験というものは
今でも地方には少ない。
もうひとつは地方の自己肯定感の低さ。
中央集権が進んでしまったことで自分の地域には「なにもない」と
つい口にしてしまう自己肯定感の低さをなんとかしたほうがいいと思っていました。
まだまだ地方にはそうしたマインドセットが残っています。
なにもないというのは「都会にあるものが“ない”」という意味で使われることが
多いと思います。たしかに地方に超高層ビルはないかもしれませんが、
たとえば鹿児島であれば桜島という世界中どこにもないシンボルがある。
どの地域にもそこにしかないものは見つかります。
それを磨いて誇りに思い、それぞれの地域で認め合えれば
それだけで十分楽しく暮らしていけるんじゃないか。
地方の文化をそこに暮らす人々が生み出し(地産)、認め合えばいい(地消)。
そのときは、地域のメンバーだけで、
音楽だけとかクラフトだけというような特定のジャンルで固まるのではなくて、
そこで生み出されるものをみんなでリスペクトし合って
ジャンルを超えて交流するほうがいいと思いました。
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そんな世界をつくるには、中央で活躍している人たちと
地元地域で活動している人たちが同じステージで交流し合うような「場」が
まずはあるといいんじゃないか。
それが今も変わらないこのイベントを始めたときの思いです。
僕は音楽活動をしてきたのでミュージシャンの知り合いはたくさんいましたし、
鹿児島に気の合う若いクラフトマンたちがいることも知っていました。
彼らに来てもらえればとりあえずイベントは成立するかなと軽く考えて、
フェスティバルを始めてみることにしました。
と、さらっと書きましたがそれからが大変でした。
やる場所が全然見つからないのです。
当時の僕はただ出身が鹿児島だというだけでなんの実績もなく、
20年も東京で活動していたので完全によそ者。
あちこちの公園やキャンプ場などを見に行って問い合わせはするものの、
わけもわからないイベントの企画など理解してもらえず、
ことごとく断られ続けていました。
ところが、1か所だけ「おもしろそうだしいいんじゃないですか?」のひとことで
借りられることになった場所があったのです。
たぶんどういうことになるかイメージがつかなかったのだと思います。
ほかの場所ではイメージができないものはダメだったのに、
逆にここはイメージができないから大丈夫だった。
それが初回から会場となっている、
南九州市川辺町(かわなべちょう)にある廃校〈旧長谷小学校〉です。
当時は〈かわなべ森の学校〉と呼ばれていました。
県庁所在地である鹿児島市から
車で約1時間ほど南に下ったところにあります。
もともとここは同じく鹿児島出身の友人、
〈ランドスケープ・プロダクツ〉代表の中原慎一郎君が紹介してくれたんですが、
最終的になぜここを選んだのかというと、いくら音を出しても大丈夫な環境だったから。
あちこち断られ続けたのは音の問題が大きかったのです。
人の目にはまぶたがあって、見たくないものには目を閉じられるけど
耳は閉じることができません。
人間の耳は危機を察知するレーダーなのでそうなっているんでしょうが、
だからこそ不快な音にはとても敏感です。
だれかにとって心地良い音楽も別の誰かにとっては耐え難いノイズになりうる。
だから野外で音を出すというのは国土の狭い日本ではなかなか難しいのです。
しかしここは大丈夫だった。というのも……、
この学校(当時すでに廃校)はまわりに人家が1軒もないのです。
普通小学校というのは子どもがいるところに建てるものだと思いますが、
この学校は明治18年にここに開かれたときから、
周囲の6つのちいさな集落のどこからでも通えるよう、
中間地点につくったらしく、当時から人家は学校の周りにはなかったようです。
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現在も建っている木造校舎は戦前の昭和8年につくられたもの。
高度経済成長の最盛期には子どもも増え、敷地内に鉄筋の校舎も建てられました。
しかし、日本中のほかの中山間地域と同様、
人口減少の引き波はこういったところから始まりました。
昭和という時代の終わりとともに廃校になり(昭和64年)、
平成の間はずっと地域の方を中心に
外部から移り住んだ方たちが入れ替わりこの廃校を維持していました。
しかし、それも時が経ちだんだんと校舎の老朽化も進んで
あまり利用されなくなってきた……。
その頃に僕が出合ったのです。
今から30年も前に廃校になってしまうくらいの地域なので、公共交通のインフラはなく、
たどり着くには車で行くしかありません。
一番近いバス停からでも、徒歩だと60分ほどかかります。
周りに家もないので携帯の電波も入らない(今でもです)。
さすがに野外で楽しめる場所を探していたとはいえ、
イベントを開催するにはかなりのハードルです。
人が住んでいる気配もないところなのでかなりの不安はありましたが、
あらためて見直してみると、
戦前に建てられた木造の校舎は
今ではなかなか見ることのできない歴史を感じさせます(ボロいけど)。
野芝が美しい緑のグラウンドには二宮金次郎のかわいらしい小さな銅像があり、
校庭の真ん中にはシンボルのような大きなクスノキが立っていて、
周囲は360度、森に取り囲まれています。
校庭の隅には湧き水があって沢が流れ、天然のビオトープになっています。
初夏になるとホタルも現れるし、
だれも管理していないのに校庭にサワガニやメダカも普通にいる。そんな環境です。
なにはともあれここしかないわけだし、
たしかに環境はいいから、とにかくまずは小さくとも始めようと仲間を募って
この学校に足を運ぶようになりました。
僕は鹿児島の中心街・鹿児島市の生まれ育ちで、
この地域には親戚もいないのでこれが川辺というまちとの初めての出会いでした。
ここから地域活動など考えたこともなかった僕の地域との関わりが始まりました。
第2回へ続く。
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