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フェス開催の危機!
鹿児島県川辺町の廃校も取り壊し寸前。
あらためて廃校問題を考える。

坂口修一郎の「文化の地産地消を目指して」
vol.004

posted:2020.2.11  from:鹿児島県南九州市川辺町  genre:活性化と創生 / エンタメ・お楽しみ

〈 この連載・企画は… 〉  音楽家である坂口修一郎さんは、フェスの運営やコミュニティづくりのために、
東京と鹿児島、さらには日本のローカルを移動し続けています。
坂口さんが体現している新しい働き方やまちづくりを綴ってもらいました。

writer

Shuichiro Sakaguchi

坂口修一郎

さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事
音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。

フェス会場だった廃校が取り壊しの危機に

2010年に僕が鹿児島県川辺町で立ち上げたフェス
〈グッドネイバーズ・ジャンボリー(以下、GNJ)〉は、順調に回を重ねていました。
(立ち上げまでの物語はこちらから)
次第に地域では夏の終わりの風物詩として認識してもらえるようになり、
協力してくれる人や協賛してくれる企業も増えてきました。
ところが7回目の開催を迎えようとしていた2016年に、
ショッキングなニュースが飛び込んできました。

たくさんの人であふれる校庭。

たくさんの人であふれる校庭。

それは、地元自治体の議会で、
GNJの会場である〈かわなべ森の学校〉を閉鎖し、取り壊すという知らせでした。

かわなべ森の学校は、戦前に建てられた旧長谷小学校。
その校舎はかなり老朽化が進んでいました。
それでも地域の卒業生の方々が中心になってイベントや集会に使う場所として
大切に維持してきたのですが、
老朽化とともにイベントなどでの稼働も少なくなっていました。

年に1回、僕らのフェスティバルが夏に行われるのと、
地域の人々が秋に「森の収穫祭」というイベントを開催していましたが、
あとは少人数の集まりがちらほらある程度。
日数ベースの年間稼働率でいうと5%ほどになっていました。

あちこちほころびが目立つようになってきた校舎。

あちこちほころびが目立つようになってきた校舎。

どこの地域でも、廃校になった学校は、だいたいは地元自治体が管理をしています。
それゆえ年間数日しか使われない施設に維持費を出し続けるというのは、
人口減少の止まらない自治体としては厳しい。
戦前の木造校舎は耐震という観点からも危険性があるため、
今のうちに取り壊したほうがいいという意見は以前からもありました。

さらにこの廃校の維持をボランティアとしてがんばってきた地元の卒業生の人たちも、
だんだんと高齢になっています。
オーナーである自治体が維持のための予算をつけないのであれば、
「ここらが潮時かもしれない」というあきらめのような雰囲気も漂っていました。

さらに2016年には隣の熊本県と大分県で大規模な震災が起きました。
そのことも影響し、いよいよ倒壊の危険性のある老朽化した建物の維持を止め、
取り壊しもやむなしという方向に拍車がかかってしまったのです。

老朽化が進む木造校舎。

老朽化が進む木造校舎。

しかし、地元の人たちや外から関わる僕らだけでなく、
年に数度かもしれないけれど毎年イベントのたびにかわなべ森の学校に通って、
この場所に愛着を持っている人たちが全国にたくさんいます。
取り壊しの知らせにショックを受けながら、
本当にこのまま指をくわえて見ていていいのかと何度も自問しました。

人に寿命があるように、建物にも寿命があります。
古いものをただなんでも残せばいいというものではない、ということはわかっています。
しかし、ここには日本の教育の原風景のような建物が
ほとんど手を加えられずそのまま残っています。
気温や湿度が高く、木造建築が傷みやすい鹿児島では特に珍しい。
壊すことはすぐできますが、つくり直すことは二度とできません。
失ってしまうものはとても大きい。

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人知れずなくなっている学校は何校ある?

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全国的な廃校問題にあらためて向き合う

それでこの地域のことだけでなく、広く全国の事例など、
廃校そのものがもたらす地域への影響などをいろいろと調べ、考えるようになりました。
すると今まで考えてもみなかった全国規模のさまざまな問題が見えてきました。

90年代から2010年代まで、すでに7000校近い学校が人知れず日本から消えています。2010年代に入ってからも、廃校は全国で毎年約500校も出ています。(※文部科学省 「みんなの廃校プロジェクト」資料より)

そのほとんどは更地になったり、数千万単位でかかる取り壊し予算もないため
朽ち果てるにまかせているところも数多くあり、
このままではおそらくこのかわなべ森の学校もそうなるだろうということも
容易に想像できました。

誰もいない日の校庭。

誰もいない日の校庭。

学校が廃校(ほとんどは統廃合)になると、
子どもたちは統合した学校の地域に移ってしまい、
周辺地域から子どもたちの声が聞かれなくなります。
統合した学校が遠い場合は、
登校の問題もあって家族ごと過疎地域から出て都市部に移り住んでしまうケースもあります。
ただでさえ少ない地域の人口が減り、過疎化が進んでしまいます。

中学や高校になると進路によってだんだんとばらばらになっていきますが、
小学校というのは、地域のほとんどの子どもが通います。
だからこうした地域の小学校には卒業した人々の思い入れがひと際強い。

そうした場所が廃校になるばかりか、
更地になってしまったり、朽ち果ててしまったりすると、
あとから元の姿を想像することは難しくなってしまいます。
大事にしてきた母校の敷地が閉鎖され
朽ち果てていく姿を眺めながら暮らし続けるというのは、
地域の人たちにとってとても酷なことです。

全国あちこちのこうした問題は、
この川辺町という地域にもまったく同じように起きていました。
“マクロな目”で廃校を見てみると、いろんな問題があることがわかってきたのです。

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廃校を残すために必要な作業とは?

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廃校問題を機に地域へ入ってわかったこと

一方で僕は、ここが使えないのであれば、
ほかの場所でフェスを開催するという選択肢も考えて、
実際にあちこち場所を探したりもしていました。
しかし、卒業生ではない僕にとっても、
何年にもわたって楽しい思い出をつくってきたこの場所を、
みすみすなくしてしまうというのはやるせない。

自分たちのこれまでの活動も水の泡になってしまうような虚しさも感じていました。
可能性が少しでもあるのに、ただ指をくわえて見過ごすこともできない。
いつのまにか、なんとか場所を残す方策を考え始めていました。

しかし本当にそれは“ミクロの世界”であるこの地域で、求められているのかどうか。
地域の人たちにとってはまったく見当外れな、ただのお節介かもしれません。
実際に地域のからは「古びた学校が残っていてもお荷物だから壊してほしい」
という声があるということも耳に入ってきました。

自分のなかでもいろんな思いは交錯していましたし、
なにができるかもまったくわからない。
しかしとにかくもう一度地域に入っていって、
「この学校に通っていた人たちや地域のことを学んでみよう、
そこからなにかこの場所を存続させるための糸口が見つかるかもしれない」
と思うようになりました。

『BE A GOOD NEIGHBOR ぼくの鹿児島案内。』などの著書もある編集者の岡本仁さんと、ニューヨーク在住のライターである佐久間裕美子さんによる、GNJで行われたトークショー。木造講堂もしっかり活用できる。

『BE A GOOD NEIGHBOR ぼくの鹿児島案内。』などの著書もある編集者の岡本仁さんと、ニューヨーク在住のライターである佐久間裕美子さんによる、GNJで行われたトークショー。木造講堂もしっかり活用できる。

そうしてあらためて地域を歩き回るうちに、
いままで出会ってこなかった人たちとのつながりが生まれてきました。

ここまでの間で僕は足かけ7〜8年、この地域に足を運んでいましたが、
地域のお年寄りや地域で活動をしている人とは、実はあまり接点がありませんでした。
彼らからしてみれば普段は自由に出入りしている廃校ですが、
僕らがフェスをやっているときは入場料も必要だし、
「そもそも何をやっているかよくわからない」という感じだったと思います。

僕らもそれまではあまり地域の課題もよくわかっていませんでした。
「ちょっと閉鎖的な地域の、地縁型コミュニティ」と
「GNJに全国から集まってくるオープンなコミュニティ」の両者は
接点がなかったというのが実際のところです。

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地域を歩くことで、あらためて見えてきた景色

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しかし、廃校を取り壊しから救うという活動を始めてみると、
地域のコミュニティと僕らの間に共通のテーマが生まれたのです。
一歩踏み込んできた僕らに対して、次第に地域の人たちも話を聞いてくれるようになり、
人が人を呼んで地域のキーマンを紹介してくれるようになりました。

地域に暮らし続けてきた農家のお年寄りや、地元にUターンしてきた跡取りの若者。
仏壇の生産で有名だったこの地でいまも集落のなかで仏壇をつくり続けている職人さん。
地域に暮らす大工、
さらにはこの地に惚れ込んで移住してきたアメリカ人の大学教授までいました。
入ってみると僕が思っていた以上に地域活動が盛んでしたし、
この地の出身で都会に出ていった人たちのなかにも、
僕の活動を小耳に挟んで応援してくれる人も現れました。

川辺町で代々暮らしてきた農家。

川辺町で代々暮らしてきた農家。

そうした人たちに会うために
今まで車で通り過ぎるだけだった集落に歩いて踏み入れてみると、
そこには美しく手入れされた畑や田んぼが広がり、
いまだに共同の薪割り場があって薪窯や薪のお風呂で元気に生活している
お年寄りがたくさんいる。つつましく豊かな時間が流れていました。

丁寧な薪の積み方に個性を感じます。

丁寧な薪の積み方に個性を感じます。

一方で、空き家は年間20軒ほど出ていて人口はどんどん減っています。
長谷小学校と統合した隣の小学校も、
現在では全校生徒50名程度と児童数の減少は止まらず
このままではこちらも廃校になってしまう。
やはり働き盛りの子育て世代がもう少しこの地域に住み続けられる、
暮らしの選択肢をつくることが必要です。

川辺町の豊かな暮らしを伝える接点をつくることにした

都市部にはない静かな暮らしがここにはあります。
人や情報の少なさをポジティブに捉えられれば、
逆に豊かに暮らし続けられるという前向きな雰囲気をつくっていくことが
大事なのじゃないかということが見えてきました。

毎年GNJには、地域外から若い人たちがたくさん集まっています。
この地域にシンパシーを持っているリピーターも多い。
廃校の再生を通じて慣れ親しんだGNJの会場を残し、
彼らが年に1度ではなく、日常的にこの地域を訪れられる環境を整えることができれば、
地域の人と外の人が交流する接点ができ、それぞれのニーズが交わるポイントがつくれます。

12月になるまで咲き誇るひまわり畑。

12月になるまで咲き誇るひまわり畑。

地域の人たちと交流を重ねるなかで、
自分たちの活動の場=GNJの会場である廃校を救うという活動は、
だんだんと目的から手段に変わってきました。
いつのまにかもっとその先のことを考えるようになっていたのです。
この活動を通じてきっと新しいコミュニティが生まれる。
それを活性化させていくことは、僕らやGNJにとっても、地域の人にとっても、
ハッピーなプロジェクトになる。
それこそが本当に意味のある活動なのではないか。
そう考えるようになったのです。

information

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GOOD NEIGHBORS JAMBOREE 
グッドネイバーズ・ジャンボリー

Web:https://goodneighborsjamboree.com/2019/

※2019年の開催は終了しています。

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