連載
posted:2019.9.10 from:三重県熊野市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Masaharu Tada
多田正治
ただ・まさはる●1976年京都生まれ。建築家。〈多田正治アトリエ〉主宰。大阪大学大学院修了後、〈坂本昭・設計工房CASA〉を経て、多田正治アトリエ設立。デザイン事務所〈ENDO SHOJIRO DESIGN〉とシェアするアトリエを京都に構えている。建築、展覧会、家具、書籍、グラフィックなど幅広く手がけ、ENDO SHOJIRO DESIGNと共同でのプロジェクトも行う。2014年から熊野に通い、活動のフィールドを広げ、分野、エリア、共同者を問わず横断的に活動を行っている。近畿大学建築学部非常勤講師。主な受賞歴に京都建築賞奨励賞(2017)など。
vol.1~4にかけて、〈梶賀のあぶり場〉〈コウノイエ〉と
ふたつのリノベーションの現場をレポートしてきました。
今回は少し趣向を変えて、「まつりのリノベーション」がテーマです。
時をさかのぼり、ぼくたちが熊野エリアに関わるきっかけから、
旧神上(こうのうえ)中学校の活用とその空間を彩るコンテンツづくり、
そして県をまたぎ、和歌山県側の熊野エリアで行ったイベントに
スポットを当てていきます。
熊野市神川町の旧神上中学校。
2014年の年末、「熊野市の神川町が過疎で困っている」と知人から相談をもらい、
ぼくたちは初めて三重県熊野市に足を踏み入れました。
現在は300人ほどの集落の神川町ですが、ひと昔前はダムの開発で賑わい、
3000人もの人が暮らしていたそうです。
神川町は、明治の偉人として知られる写真技師、田本研造の故郷でもあります。
彼の記念館を建ててみるのはどうか、という意見もありましたが、
聞けば、神川町には毎年桜の季節になると
旧神上中学校で行われる「桜まつり」があるとのこと。
それならば、桜まつりに合わせて田本研造の展示をやってみよう!
こうして2015年に第28回を迎える桜まつりと出会い、
ここから3年にわたり、桜まつりに関わっていくことになったのです。
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旧神上中学校は、築70年近くの平屋の木造校舎。
中央に昇降口があり、向かって左側に1年生から3年生の教室がひとつずつ並び、
右側は校長室、職員室、そして理科室などの特別教室が並んでいます。
スッと延びる廊下を見ると、温かい郷愁を感じるとともに、
背筋がピンと伸びる学校独特の空気感もあります。
旧神上中学校。
中学校校舎は、地域住民の尽力によって丁寧に管理・保存されてきましたが、
施設の利用は年1回の桜まつりと、不定期で行われるイベントのみ。
とても魅力的な空間なので、今後さらにいい活用方法がないか、
みんなで検討しているところです。
そんな旧神上中学校を舞台に、第28回桜まつりは行われました。
神川町に泊まり込んで展示の設営作業をして迎えた桜まつり当日。
桜は満開ですが、あいにくの雨!
そう、熊野は全国有数の多雨地域なのです……。
にもかかわらず、多くの人たちにご来場いただきました。
障子紙を用いて空間をつくった「田本研造展」。
「もしもこの教室が田本研造記念館になったら」という模型を展示。
「カメラのうしろのうしろ展」。会場デザインは大江秀明(オオエデザイン)。
昔の神川町を写真で記録されている宇城守雄さんの写真展も同時開催された。
戦後の混乱期、人々の荒んだ心を慰めようと当時の学校の先生が結成した「スミレバンド」を新メンバーで再現!
この桜まつりを機に、神川町に拠点をつくるため動き始めたのが
〈コウノイエ〉プロジェクトです。
翌年の第29回桜まつりでは、建設途中のコウノイエを紹介する
「内x展」を実施しました。
この年の桜まつりも雨でした。
「熊野ニスム!」のロゴ。
その翌年、第30回の桜まつりでは、熊野市出身でウィーン在住のアーティスト、
えのもとひささんを筆頭としたアーティスト・イン・レジデンスの展覧会
「熊野ニスム!」を同時に行いました。
熊野出身者のほか、東京やオーストリアからもアーティストが集まり、
長い人は1か月以上も神川町や近隣の町に滞在し、
熊野をイメージした作品を制作・展示して、異文化交流が行われました。
最後の日はやはり雨でしたが、大勢の人に来場いただくことができました。
ウィーンから来たアーティスト、ミヒャエラ・ファルケンシュタイナーさんによる神川町の人たちを撮った作品。
〈コウノイエ〉としても、いままでの活動を立体的に表す作品を出展しました。
約30年前から毎年のように行われていた桜まつり。
神川まちづくり協議会が中心となり、神川町内の多くの人が
運営に参加することで成り立っていましたが、その負担が大きく、
続けるのが難しいとの意見が多数挙がり、結果的に30回の節目をもって
中止にする苦渋の決断を協議会は下しました。
桜まつりが始まったのは1987年、日本はバブル景気の真っただ中。
町民の花見として始まった桜まつりも、町外から多くの観光客が集まる
一大イベントへと発展し、観光バスが何台も来て、
有名人がステージに立って歌うほど大規模になったといいます。
雨が降る桜まつり。2015年の様子。
しかし年々観光客が減り、運営側も高齢になり人数が減っていきました。
だけど一度大きくなった祭りの規模は、なかなか小さくできない。
その結果、桜まつりは中止せざるをえなくなりました。
中止したとはいえ、本当は桜を楽しむイベントには参加したい。
それが多くの町民の本音だったと思います。
そこで、ぼくを含めた有志6名で新たに〈神川企画〉を立ち上げました。
「桜まつりに替わる新しいまつりをつくろう」
「楽しむはずの花見が負担になるのは本末転倒。“花見”の原点に立ち返ろう」
そんなことを話し合い、新たに「桜覧会」を企画することになりました。
〈神川企画〉の若き代表、田中慎吾さん。
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規模を縮小し、新しくまつりをスタートさせる。
簡単なように思えましたが、実はなかなか大変です。
運営費はゼロからのスタート。
まつりの内容を考えても、いままでの桜まつりのイメージがあり、議論が迷走します。
「負担にならないよう、ゆるく適当にやる」
という雰囲気を、必死で真剣に醸成しました。
議論の末、目玉コンテンツとして、学生たちと「貸本+茶屋」を行うことに。
校舎内に、花見をできるスペースをつくります。
よもぎ餅とお茶と一緒に桜を愛でよう。桜の樹の下で本を読もう。
そんなことをイメージして、設計から施工、運営まで行いました。
模型で検討。教室内に新しく「水平面」をつくります。
木造校舎のノスタルジックな雰囲気を塗りつぶすことなく、
新しい空間をつくることがテーマのひとつでした。
そこで、床に代わる6メートルx3.3メートルの大きさの、
もうひとつの水平面をつくることで、古い教室はそのままに、
さまざまなアクティビティが生まれるよう試みました。
水平面の平面図。
部材は野地木材工業から端材を譲っていただき、
また格安で提供していただきました。
それを3日間泊まり込みで施工。
日が暮れてからも設営は続きます。すでに外は桜が満開。
脚のディテール。垂直の材は規格材で、水平の材は使わなくなった板材を製材所からいただいた。
水平面が完成。面の一部が持ち上がって机や棚になるデザイン。
水平面は一部高くしたり、長方形平面で凹んでいるところをつくり、
それにより座卓や椅子、机、本棚、舞台などとして使われる、
曖昧で多様な水平面が完成しました。
水平面のディテール。シンプルなつくりだが、脚の配置やビスを打つ位置などを計算して設計・施工している。
「貸本+茶屋」で提供したのは、よもぎ餅、番茶、
そして熊野に伝わる郷土料理の茶粥です。
よもぎ餅のよもぎは神川の野山で収穫し、餅はもち米を杵と臼でついてつくりました。
番茶、茶粥で使うお茶、漬物なども神川産です。
(左)みんなで餅に餡をつめて丸めます。(右)茶粥とお漬物。(撮影:浅田克哉)
桜覧会の当日は晴天!
予想以上に多くの人でにぎわい、神川町の人たちに
ゆったり花見を楽しんでもらえたことが、何よりうれしかったです。
水平面をテーブルやベンチとして使い、とてもにぎわいました。
子どもたちにも楽しんでもらえました。
賛否、さまざまなご意見をいただき、それらを踏まえて
翌年には2回目の桜覧会を開催することができました。
「貸本+茶屋」に加えて、〈電源開発(株)〉の資料提供による「ダム展」や、
三重大学と熊野市観光協会の協力のもと、
夜桜と同時に星を楽しむ「星見の会」など広がりを見せました。
小学校の学習机を集めて、ダムを模した展示空間をつくりました。
以上が、神川町で2015~2019年にわたり関わってきた
「桜まつり」と「桜覧会」です。
回を重ねて定着したまつりやイベントは、規模を大きくするより、
縮小するほうが難しく勇気がいるものだと思います。
本当は続けたいのに、運営側の負担が増えることで終わってしまうのは、
とても残念なことです。
そのように姿を消していった祭りやイベントは、熊野にいくつもあります。
規模を小さくしたり、ときにはゆるく、手を抜くことをポジティブに捉える。
建物と同じように、まつりもリノベーションすることができたら、
人口が少ない地域でも、きっと細く長く楽しめると思います。
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熊野と呼ばれるエリアは、三重県南部から和歌山県南部まで広域にわたっています。
あぶり場をつくった梶賀町、桜覧会やコウノイエの神川町、
そして最後に、和歌山県側の熊野エリア「九重(くじゅう)」という集落で
2019年6月に行ったイベントについてもご紹介します。
和歌山県熊野川市九重は、人口20名ほどの小さな山村です。
6年前に東京から移住した柴田哲弥さん、林修司・暁子さん夫妻が、
水害で被害を受けた旧九重小学校を借り受け、自分たちで修復して
〈bookcafe kuju〉と〈パンむぎとし〉を営んでいます。
毎年ゴールデンウィークには、20人の集落に
1000人規模の人がやって来るイベント〈KUJU MARKET〉が行われています。
そこに2019年からぼくも加わることになり、
5回目を迎えるKUJU MARKETの新しい方向性をみんなで模索しました。
2019年はあえて梅雨時の6月27~28日に開催し、
豪雨による水害の多い地域だからこそ、「雨でも楽しい」をコンセプトにすることに。
そのコンセプトを実現し象徴する「九重の竹テント」をつくることにしました。
いろいろなテントの案を検討しました。
テントの主構造は竹です。
熊野の主幹産業のひとつが林業ですが、竹はヒノキやスギの生育を妨げるので、
竹害として大きな問題になっています。
そこで林業家さんの指導のもと竹の伐採を行い、強度や施工方法の試作を重ね、
検討を経て、9つのテントが連なるイベント会場をつくることにしました。
施工のしやすさや強度など、何度も試作を重ねました。
設計の方針が決まり、部材の数量が算出できればいよいよ竹の伐採。林業のおもしろさ、難しさ、奥深さを体験でもって知りました。
テントの見た目は、不定形な四角形平面と片流れ屋根。
複雑な形をしていますが、竹の長さは
1430ミリ、2750ミリ、2950ミリの3種類の寸法だけ。
平面の裏表、屋根の勾配の向きを変えることで、4つのバリエーションがつくれ、
それを組み合わせることで、多様性のある空間をつくりだすことができます。
「九重の竹テント」のアイデア。
テントの屋根には雨粒を模した装飾をし、竹に「貸しレインコート」を吊るし、
オリジナルタオルをデザイン・販売するなど、
積極的に雨を楽しんでもらえるよう企画しました。
カラフルな「貸しレインコート」。
イベントの2日間は、強風や、晴天、曇天から小雨、そして土砂降りと
天候が変わり、途中、強風で屋根があおられ、補修に奔走する一幕がありましたが、
テントがフルに活躍してくれました。
テント群の中を歩くと、屋根越しに切り取られた九重小学校や
北山川の巨大な絶壁を、交互に味わうことができます。
雄大で懐の深い熊野の自然と対峙する、ささやかな建築をつくることができました。
2日間、大にぎわいのイベントになりました。
神川町も九重も、そして梶賀も、熊野という広大なエリアの小さな点でしかありません。
県や市町村の境界を越え、小さな点たちがつながれば、
住んでいる人や遊びに来る人にとっても、楽しい熊野になるに違いありません。
これからも建築や空間づくりから、そのお手伝いができたらいいなと思っています。
完成した竹テント。山と学校に映えています。
これで熊野編は終わりです。
次回からは舞台を京都へと移し、空き家になった町家を
オフィスやゲストハウスに再生するリノベーション事例を紹介していきたいと思います。
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