連載
posted:2018.2.22 from:北海道岩見沢市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
わたしが今年の1月にようやく移住を果たした岩見沢の山間部、美流渡(みると)。
ここに住む人々について、この連載で何度か紹介してきたが、
まだまだ書き足りない、そんな想いを持っている。
昨年秋にこの地へやってきた新田洵司さん、陽子さんは、そうした家族で、
わが家の境遇と重なる部分が多いのも、不思議なめぐり合わせなのかなと思っている。
お互い東日本大震災がきっかけで北海道に移住し、
数年間は住宅街で暮らしていたが、同じくらいの時期に美流渡へ転居。
ほかにも共通点があって、0歳児の子育て真っ最中だし、
古家を自分たちで改修しているところも親近感がわいてくる。
しかし今回、取材にあたって、陽子さんに話をじっくり聞く機会をもらい、
大きく違う点もあることに気がついた。
彼女が美流渡への移住に“ゆるがない気持ち”をもっていたことだ。
わたしたち家族は、右往左往しながら(ゆらぎすぎ!)
美流渡への移住に2年もかかってしまったのだが、
彼女はこの地に足を踏み入れたその瞬間から、
まるで強い磁石に引きつけられるように、たった半年で移住したのだった。
「小樽でカフェをやっていたんですが、ちょうど軌道にのってきた頃に、
子どもを授かったんです。そのとき、どこかに移住したいとフッとひらめいたんですね」
この“ひらめき”は、彼女の第六感と言い換えられるのかもしれない。
さっそく、陽子さんは移住について友人に相談。
すると友人は、彼女に合いそうなところとして、美流渡という場所を教えてくれ、
この地区の地域おこし推進員(協力隊)につないでくれたのだった。
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「すぐに美流渡に行ってみることにしました。不思議なことなんですが、
車で向かってちょうどこの地区に入るくらいのところで、急に息が軽くなって(笑)。
そのとき、たぶんここに住むんだろうなと思いました」
それは出産の予定日から1か月ほど前のこと。
お腹が張って息苦しいこの時期に、陽子さんは言いようもない解放感を感じた。
そして、どこかに移住したいというひらめきが、
美流渡へ移住するという確信へと変わる出来事が待っていた。
前々回の連載でも紹介した、森の中を開墾し、
小さなコンテナを利用した家に住むトシくんに出会ったことだ。
「トシくんは、わたしたちがやりたいと思っていたことを、
たったひとりでゼロから始めていました。これはすごいぞ! と思いましたね」
求めていたのは、究極にシンプルな暮らし。
もともと神奈川に住み、アウトドアメーカーに勤め多忙を極めていたなかで、
震災に遭遇。スーパーから物がなくなり、交通機能が停止するなどの体験を通じ、
「なにかおかしい、どうしてこんなにややこしいことが起こるのだろう?」
と思ったという。
同時に終わらない競争を強いられる会社員という存在に疑問を抱くようになった。
さらに出産を間近に控えた頃には、優劣をつける教育のあり方にも
違和感を感じ始めたという。
「もっと生きることって、シンプルなはずだと思ったんですね。
屋根と水があれば生きていけるのでは? って」
便利を追求する生活とはまったく違うトシくんの暮らしぶりを間近に見たとき、
「自分たちにもできるんじゃないか」という期待を持った。
そして、こうした暮らしを、生まれてくる子どもにも見せられたらと考えたそうだ。
住む家もすぐに見つかった。
トシくんは森の中のコンテナハウスを制作中で、もうすぐ借家を出るタイミングだった。
トシくんも、この借家を管理していた地域の人も、ここに住むことを薦めてくれた。
陽子さんは、出産を機に小樽で開いていたカフェを閉じた。
また、洵司さんも会社を辞め、トシくんが移ったあとの炭鉱住宅の改修を
昨年の8月から行うことにした。
改修は屋根も床もはがすという本格的なもので、
小樽から通いながらの作業は思うように進まなかったという。
そこで、家の一角をとにかく住める状態にして、10月には一家で移住。
最初はカセットコンロやストーブで煮炊きをするような
キャンプ生活を送ることになった。
0歳の子どもを抱えながらの生活は、苦労が絶えなかったのではないかと思うが、
陽子さんは笑顔で当時を振り返る。
「思ったより大変じゃなかったです(笑)。
こんなふうに家を直したことはなかったですが、
意外となんでもできることがわかりました。
それに、まわりの人たちは、美流渡は買い物するにも遠いし、雪も多いし、寒いし、
何もないと言うけれど、わたしには『都会にはないものが全部ある』と思ったんですね」
あるものとは、陽子さんにとって生きていくために必要なもの。
屋根であり水であり、目には見えないものでもあった。
それは、この土地がもっている潜在的なエネルギーなのだという。
「ここには以前に炭鉱街だった文化があって、その名残を知っている人がいる。
繁栄があっていまがあって、サイクルが一巡し、
ここにあるものを生かして暮らしています。そういう人たちの存在が
美流渡という土地のエネルギーをつくっているんじゃないかと思うんですね」
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改修をしていた家には、つい先日、家具が入れられた。
ようやく暮らしに落ち着きを取り戻したタイミングで、
いま、新たな流れが訪れようとしている。
いつか美流渡でもカフェをやってみたいと考えていた陽子さんは、
さらにもう一軒、川沿いに建つ空き家を取得した。
「ある日、洵司くんと散歩をしているときに、この家すてきだね、
こんなところでカフェができたらいいねと言っていたことがあったんですね。
まさに、その家を譲っていただけることになりました」
小樽で営んでいたカフェも川沿いに建っていたのだという。
川沿いの家と現在の家と、どちらがカフェになるかはまだわからないのだというが、
「流れに身をゆだねていれば、全部大丈夫」と、陽子さんはさわやかに笑う。
この笑顔の裏には、きっと“ゆるがない気持ち”があるんじゃないか、
そんなふうにわたしは思う。
美流渡でこれから行うことが、彼女にはクリアに見えているのだ。
「美流渡の景色の一部として、わたしたちに何ができるのかなと考えています。
いままでここで暮らしていた人がいて、築いてきたものがあって、
それがあるからすてきな美流渡がある。そこを壊さずに敬意を払っていきたいんです」
つくりたいカフェは旅行者向けというよりも、
地元のじいちゃんばあちゃんが、ひと息つけるようなところ。
カフェでくつろいでもらって、「やっぱり美流渡っていいね」と、
みんなで言い合えるような場をつくっていきたいのだという。
洵司さんは、いま岩見沢市内の会社で印刷やデザインの仕事をしつつ、
独自のプロジェクトを進行中だ。
小樽時代から、衣食住をとことん楽しむブランド〈Out Works Zootj〉を主宰し、
オリジナルのバッグやTシャツなどをつくってきた彼は、
美流渡を舞台にした新しい企画を考えている。
ふたりのやりたいことがかたちになるのは、いつ頃のことだろう?
陽子さんの淹れたコーヒーをゆっくりと飲みながら、
カフェで語り合える日を楽しみに待っていたいと思う。
美流渡のすばらしさを語る彼女の笑顔を見ていると、
自分のことのようにうれしくなって、
わたしも移住して本当によかったなあと思えてくる。
陽子さんは、人の心をホッと温かくする、そんな力にあふれているのだ。
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