連載
posted:2018.3.8 from:北海道夕張郡長沼町 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
北海道にエコビレッジをつくりたい。
わたしは自分の夢を友人たちに話していくことで、
この数年のあいだに世界が大きく広がったように思う。
「それなら、みっちゃん、あの人に会ったらいいんじゃない?」
道内の友人たちはそう言って、興味深い活動をしている人を次々と紹介してくれる。
なかでも、特にたくさんの人と引き合わせてくれた
黒川文恵さんのことを今回は書いてみたいと思う。
彼女は、昨年、ようやく自分のやりたいことをかたちにし、
長沼で小さなお弁当屋さんを始めたところだ。
岩見沢生まれの黒川文恵さん。大学進学のためにいったん上京し、30歳で北海道へ戻った。一時は就職するが、その後5年ほど農家の手伝いをしながら暮らしていた。
文恵さんと出会ったのは、わたしが北海道・岩見沢に移住して数年が経った頃のこと。
同じ市内に住んでいた彼女は、農家で畑仕事をしながら、
自分の進むべき道を探っていた。
通っていた何軒かの農家は、いずれも農薬を使わず有機栽培を行うところ。
こうした環境に負荷をかけない農法に興味を持っていた文恵さんは、
食の安心安全を考え、食を通じた持続可能な社会を目指そうとする
スローフードの活動にも関わっていた。
そして、北海道各地のローカルな場所で、独自の生き方を模索している人々との
つながりをたくさん持っていたのだった。
2017年4月から〈ごはんや 野歩〉を始めた。最初は配達がメインだったが現在では店舗販売も。
「会わせたい人がいるから」、彼女はそう言って
何人もの友だちをわたしに紹介してくれた。
実際にエコビレッジのような場所をつくっている人や
山の恵みを生かした暮らしをしている人など、その活動はさまざまだが、
会うと必ずと言っていいほど意気投合できるのだった。
初対面なのにもかかわらず、仕事のことや子どもの教育のこと、
ときには政治や経済のことだって、深く意見交換できることに驚いた。
北海道に移住して2、3年は、友人関係も広がらず、
寂しさを感じることもあったなかで、こうして本音で語り合える人たちと
めぐり合えたことは、わたしの大きな心の支えとなった。
店内では料理関連の本も販売。本屋でアルバイトをしていた経験が生かされている。
こんなふうに、わたしのことをいつでも気にかけてくれていた文恵さんだが、
お弁当屋さんを開くまでの彼女は、いつも自分のことは
“後回し”にしているように思えてならなかった。
「自分が出会ってきた有機栽培や自然栽培の農家さんたちの
野菜を使った加工品をつくってみたい」
農家で働いている頃から彼女はそう話していたが、
なかなかベストな方法が見つけられずに、暗中模索の時期が長かったように思う。
畑を手伝うだけでは収入は十分でなく、厨房の経験を積むために
レストランで働いたり、給食センターで働いたりした時期もあった。
そして、あるときは、わたしの住む美流渡(みると)地区で
一緒にカフェができないかと模索したり、またあるときは、
真空パックしたカット野菜をつくって札幌に卸してみたこともあった。
お弁当の配達も自分で行く。美流渡で開催したイベントのときも、長沼から車で40分ほどかけて、お弁当を届けてくれた。
野歩のお弁当は、近郊でとれた有機栽培や自然栽培の野菜がいっぱい。厚焼き卵も長沼の平飼いの卵。調味料も無添加のものを選んでいるが、値段は650円とお手頃。
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そんな彼女の道が、少しずつ定まってきたのは一昨年のこと。
〈野歩(のほ)〉という名前で、お稲荷さんづくりを始めたことがきっかけだ。
「いったいどんなお惣菜が売れているのだろうと思って、
ある日スーパーでずっとお客さんを見ていたんだよね。
そうしたら意外なことに、お稲荷さんとのり巻きが一番先に売り切れたの」
この体験から、お稲荷さんをつくることに決めたというが、
なんと(!)これまでつくったことはなかったという。
「実は、全然料理得意じゃなくて……」
そう苦笑するが、わたしも子どもたちも、彼女のつくるお稲荷さんは大好物。
使われているお米は近郊の無農薬米。
油揚げも何軒もの豆腐屋さんをめぐってお稲荷さんに合うものを探し、
調味料も無添加というこだわりよう。
また、ご飯の味つけにフキ味噌や新ショウガといった
季節を感じる食材が入れられ、フレッシュなアクセントになっていた。
毎回、ご飯の味に工夫を凝らしたお稲荷さん。柚やひよこ豆を中に入れることもある。
お稲荷さんづくりを始めて間もない2016年春、岩見沢から車で30分ほどの由仁で、
行列のできるアイス屋として知られる〈牛小屋のアイス〉内に
シェアショップスペースが誕生し、そこで販売ができることに。
お稲荷さんの評判は上々、1日200個ほどが完売するようになった。
「自分でつくったものを買ってもらえるなんて。毎日すごく緊張していました」
お稲荷さんは売れるようになったものの、
このときも売り上げだけでは暮らしは回らず、夜は本屋でアルバイト。
しかも、半年ほどたって牛小屋がそろそろ冬期休業を迎える時期に入ろうとしていた。
このとき、お稲荷さんづくりを続けながらも、自分はどこで暮らし
どうやって生計を立てていくのかと迷いに迷っていた時期だったという。
仕入れから仕込み、調理、盛りつけまで、すべてひとりで行う。ようやくたくさんの量をつくれるようになってきた。(撮影:yomogiya)
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そんなときだった。
長沼の商店街にあるカフェにふらりと立ち寄ったとき、
向かいの店舗が空いていることを知ったという。
「ここでお弁当屋さんを始めようと思って。
大家さんは、人に貸すつもりはなかったみたいなんだけど、
『ひとりでやるのかい? じゃあ、がんばってみたら』と応援してくれたんだよね」
お店の改修は、まったくの素人だったが、多くの友人が協力してくれた。
店舗は古く修繕が必要。また厨房設備もつくらなければならなかった。
かけられる予算はギリギリだったため、DIYの経験もほとんどなかったが、
壁や床を壊すのは自分で行った。
「バールが1本あれば、だいたいのものは壊すことができることがわかった(笑)。
だんだん友だちも手伝ってくれるようになって、なんとか改修できました」
4月の頃に比べ、すっかりお店らしくなった。のれんは友だちの手づくり。
2017年4月、お弁当屋〈野歩〉として新たなスタートを切ることになった。
「でもね、お弁当屋さんやるって決めたんだけど、
最初はどうやったらいいか、全然わからなかったの。
それでも、みんなが『メニュー決まったら教えてね』とか、
『配達できるようになったら頼むから』と言ってくれて、
それを泣きながらこなしていく状態で……」
日替わりにすると決めたものの、おかずのレパートリーもほとんどなく、
図書館でレシピ本を片っ端から借りてきて研究。
はじめは知り合いから注文をもらい、5食つくるのにもてんてこ舞いだったのが、
だんだん量を増やせるようになっていった。
3か月ほどして、並行して続けていたアルバイトを辞め、
本格的に配達を始め、9月からは店舗販売にも踏み切った。
日替わり弁当は毎日工夫を凝らしている。冬季は、農家さんがムロで大事に保管している大根やイモ、カボチャなどをよく使う。越冬した野菜は甘みが増しておいしい。
お弁当のお品書きには、どこの農家さんがどんなふうにつくった野菜かをしっかり書いている。
「お店を始めたら、商店街の人たちが、毎日頼むよと言ってくれたり、
イベントがあればたくさん注文してくれたり。
向かいの花屋さんはいろいろなお客さんを紹介してくれて。
いま、食べてくれるみんなに育ててもらっている状態。
今日のおかずおいしかったよとか、あれはちょっとどうかな……
とか言われることもあって(汗)、ありがたい思いでいっぱい」
料理を仕事にするプロという視点で見れば、なんとも心もとない言葉だが、
それをついつい許せてしまう、そんな人柄の文恵さんだからこそ、
ある意味“ぶっつけ本番”でお弁当屋さんができたのかもしれない。
店舗販売をはじめ、お稲荷さんのパッケージを制作。札幌のイラストレーターで、スローフードのグループのメンバーでもある、すずきももさんのデザイン。野歩のロゴマークもももさんが手がけた。
店舗には由仁の画家・大井敏恭さんの絵がかかっている。お弁当と交換で絵を飾らせてもらっているそう。
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店舗販売も始まり、ようやくたくさんの注文をこなせるようになってきた矢先のこと。
文恵さんは運転中に大きな交通事故に遭遇した。
信号待ちをしていたとき、居眠り運転の後続車が追突。
車は衝撃で横転し、信号機に激しくぶつかったという。
「運転席以外はぺしゃんこで、よく助かったねって言われたんだよ」
事故の大きさに比べてケガの程度は軽かったものの、
ショックで2か月間食べ物がのどを通らなかったという。
通院もあって、お弁当屋さんを2週間半休んだ。
「最初の数日は、お店を休むことに焦りを感じたけれど、
心のどこかでやっと休めると思った。
それで仕事の仕方を変えなくちゃいけないと思ったんだよね。
それまでは月に1回休めるか休めないかくらいで、1分刻みで動いてて。
野菜を分けてくれる農家さんや配達先のお客さんと、ゆっくり話もできなかった。
わたし、人を全然見ていなかった。
きっと食材のこともよく見ていなかったんだと思う」
この事故以来、仕事以外の時間をとるようになった文恵さん。
山登りに行ったり、本を読んだり、地域の集まりに参加したりするようになった。
そして最近、ようやく自分がお弁当屋らしくなってきたと思うようになったそう。
店舗にはさまざまな人が訪れる。友人が楽器を持ってきてライブが始まることも。
近郊の農家さんは昔からの知り合いがほとんどで、直接野菜を仕入れている。購入できる野菜の量はそれほど多くないが「1個でも分けてあげるよ」と、やさしい言葉をかけてもらえるのが、なによりありがたいと文恵さんは語る。
彼女のつくるお弁当は、本当にやさしい味がする。
メインのおかずだけでなく、つけあわせのおひたしや
サラダのおいしさに感動してしまう。
「ホントにおいしい? 大丈夫かな?
いい素材といい調味料に助けられているだけなんだよね(笑)」
と相変わらず自信なさそうに答える文恵さん。
だが、それでもお弁当屋さんを続けたいと思うのは、
「すばらしい野菜をつくる農家さんを応援したい」という気持ちから。
そして、これからの目標は、つくったお弁当を
ひとり暮らしのお年寄りに食べてもらう機会をつくることだという。
午前中はお弁当の配達で大忙し。配達後、息つく暇もなくお店を開ける日々が続いている。(撮影:yomogiya)
この話を聞いていると、文恵さんらしいなと思ってしまう。
野菜をつくる人やそれを食べる人に想いを馳せていて、
結局、自分のことは、ここでも“後回し”。
これまで、わたしと道内のさまざまな人をつないでくれた彼女は、
いまお弁当を通して、やっぱり人と人とをつなごうとしているのだ。
控えめで素朴な味つけは、こんな彼女だからこそできるんじゃないか。
彼女のお弁当を食べながら、しみじみそう思った。
イートインコーナーには長沼近辺で活動する作家さんの作品が置いてある。〈キコキコワークス〉の灯りのブックエンドや〈創 MAOI〉が野歩をイメージして活けてくれたアレンジなど。この地域は、道内のなかでもクリエイティブな人々が集まっており、独自のコミュニティが形成されている場所だ。
information
ごはんや 野歩
住所:北海道夕張郡長沼町銀座北1-5-22
TEL:0123-76-7483
営業時間:12:00~18:00
定休日:金・土・日曜日
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