〈森の出版社ミチクル〉3冊目の本は
せたなの農家グループ〈やまの会〉。
そのテーマは?

オーガニックな農法を貫くアーティストのように個性的な人々

今年の7月、岩見沢の山あいに〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げた。
本当にささやかな滑り出しで、販売している本は2冊。
イラストエッセイ『山を買う』と、切り絵の絵本『ふきのとう』という、
いずれもA6判の小さなものだ。

実をいうと昨年の計画では、この夏にもう1冊、
これまでよりページ数の多い本を刊行したいと思っていた。
その本とは、道南のせたな町と今金町で活動をする、
5軒の農家グループ〈やまの会〉を取材したものだ。

やまの会が結成されたのは10年前。
この地域は、海・まち・山の3つのエリアに分かれていて、
昔から海の人、まちの人、山の人と呼び合っており、
山で農業を行っていたことが、この会の名前の由来となった。

メンバーたちは、米や大豆、野菜、牛、羊、豚など、
育てているものはさまざまだが、いずれもオーガニックな農法に挑戦し、
その食材は道内外のシェフから注目を集めている。

これまでマルシェやイベントに参加するほか、著名なシェフを招き、
やまの会の食材を使った1日限りのレストランを開催する活動を行っており、
来年の1月には彼らをモデルとした映画『そらのレストラン』も公開予定だ。

大泉洋が主演する北海道映画シリーズとして『しあわせのパン』(洞爺湖)、『ぶどうのなみだ』(空知)に続く第3弾『そらのレストラン』の舞台はせたな。海の見える牧場でチーズづくりを行う一家と仲間たちの物語。2019年正月第2弾全国ロードショー。

大泉洋が主演する北海道映画シリーズとして『しあわせのパン』(洞爺湖)、『ぶどうのなみだ』(空知)に続く第3弾『そらのレストラン』の舞台はせたな。海の見える牧場でチーズづくりを行う一家と仲間たちの物語。2019年正月第2弾全国ロードショー。

やまの会の本をつくりたいと思ったのは、不思議な巡り合わせによる。
グループの代表である富樫一仁さんのもとで農業研修をしていた青年と
昨年秋に出会ったことがきっかけ。
農業を行うかたわらでデザイナーとしても活動していた青年は、
当時立ち上げ準備中だった森の出版社構想について
詳しく聞きたいと訪ねてきたのだった。

とりとめもなくデザインのことや印刷、出版について話すうちに、
ハッとひらめくものがあった。

「やまの会の本をつくったらおもしろそう!」

わたしは3年前にせたなを訪れ、やまの会のメンバーの農場を
ツアーでめぐったことがあった。
彼らはまるでアーティストやクリエイターのように強烈な個性があって
興味をそそられたが、それ以降は訪ねる機会はなかった。
わたしの住む岩見沢からせたな町までは車で約4時間とかなり遠いため、
まさか本をつくるというアイデアが浮かぶなんて、自分でも予想外のことだった。

けれども、何か見えない糸で引っ張られているような、
以前から決まっていたことのような感覚があった。

2015年にせたなを訪ねたのは、毎年夏に開催されている〈海フィール〉というイベントの取材を行うためだった。海フィールは、せたなの漁師で、マーレ旭丸の船長・西田たかおさんと、やまの会のメンバーで酪農を営む村上健吾さん妙子さん夫妻が中心となって運営している。

2015年にせたなを訪ねたのは、毎年夏に開催されている〈海フィール〉というイベントの取材を行うためだった。海フィールは、せたなの漁師で、マーレ旭丸の船長・西田たかおさんと、やまの会のメンバーで酪農を営む村上健吾さん妙子さん夫妻が中心となって運営している。

移住先で良好な関係を築くには?
〈いとしまシェアハウス〉式
地域コミュニティのつくり方

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」をつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

最近、田舎に移住したいという人からよく聞かれるのが、
「この場所でシェアハウスを始めるとき、集落の人たちはどんな反応だった?」
ということ。

築80年の我が家がある集落は全部で18世帯。
苗字は4つしかないため、みんな下の名前で呼びあうような小さなコミュニティです。
そんななか、得体の知れない若者たちが
数人で集落の家に住むとなれば、戸惑うに違いありません。

集落の盆踊り。

集落の盆踊り。

引っ越し当時、20代だった私と夫が
この場所でシェアハウスを立ち上げられたのは、
ご近所さんとのコミュニケーションの積み重ねがあったからでした。

この家でシェアハウスをすると決めたとき、大家さんは
「この地域に住むなら、集落の一員になる気持ちでいないといけないよ」と
アドバイスしてくださり、引っ越す前に
地域行事で挨拶する機会をつくってくれました。

短期住人と合宿メンバーで納豆づくり。

短期住人と合宿メンバーで納豆づくり。

挨拶のときは、平均年齢65歳のこの集落で
結婚していない若い男女が複数人で同じ家に住む、となったら
怪しい団体なんじゃないかと疑われるのでは、という不安もありました。

けれど、集落の人の反応は予想外のものでした。

ちょうどその時期、シェアハウスをテーマにしたドラマや、
『テラスハウス』というバラエティー番組が流行っていたこともあり、
ご近所さんたちはすでにシェアハウスという概念を知っていたのです。
あらためて、テレビの影響力を思い知りました。

「ああ! あの同じ家で恋愛するやつやろう。賑やかになるね」

これには笑ってしまいましたが、
実際に我が家で出会ったカップルが結婚して、
シェアハウスベイビーまで誕生しているわけですから、
あながち間違いではないとは思っています。

お盆は元シェアメイトたちもみんな帰ってきます。

お盆は元シェアメイトたちもみんな帰ってきます。

引っ越してきてからは
すぐにシェアメイト全員で集落の18軒ある家をすべて回って挨拶し、
集落の行事はいつでも参加できるよう心がけてきました。
とくに集落の行事は、信頼関係を構築するための大事なコミュニケーションの場です。
行事にどうしても私が出席できないとき、
シェアメイトの誰かが出席してくれるのでとても助かりました!

その積み重ねもあり、今ではとてもいい信頼関係を築けていると思っています。

〈小豆島カメラ〉を始めて5年。
活動を続けていくということ

5年間毎日、1500枚以上の写真を発信!

島の友人たちと一緒に活動している〈小豆島カメラ〉
島で暮らしているからこそ出会える光景を日々カメラで撮って発信しています。
活動を始めたのは2013年の冬。もうすぐ5年になります。

5年前のちょうどいまくらいの季節、
2回目となる〈瀬戸内国際芸術祭〉の会期が終わる頃だったと思います。
カメラマンのMOTOKOさん、カメラメーカー〈オリンパス〉、
写真雑誌『PHaT PHOTO』を出版する〈シー・エム・エス〉の方々と
小豆島でキックオフ! そこからどんなふうに活動をしていくのか話し合い、
流れにのって活動してきました。

今年の6月に開催されたMOTOKOさんの写真展『田園ドリーム2018』。

今年の6月に開催されたMOTOKOさんの写真展『田園ドリーム2018』。

小豆島カメラの写真も展示されました。

小豆島カメラの写真も展示されました。

私たち「小豆島カメラ」の活動の目的は、

・観光地としての小豆島ではなくて、暮らす場所としての日常の小豆島を伝えること

・小豆島で暮らすことの豊かさ、楽しさを伝えること

・小豆島のファン=来てくれる人、将来的に暮らしてくれる人を増やすこと

・自治体、住民自らの手で自分たちの地域をつくっていく、発信していけるようになること

そして、具体的な活動の内容は、

・オリンパスのミラーレス一眼カメラで小豆島の風景、食、人を撮影

・小豆島カメラ公式Webサイト、Facebookページにて写真を毎日発信

・島内、島外での写真展開催

・小豆島での暮らし体験ツアーの企画・実施

写真展でのトークイベントの様子。私たちがどんなふうに活動しているか、写真を見ながら話します。

写真展でのトークイベントの様子。私たちがどんなふうに活動しているか、写真を見ながら話します。

普段使っているカメラストラップやグローブ、小豆島の調味料や果物などの販売。

普段使っているカメラストラップやグローブ、小豆島の調味料や果物などの販売。

これは活動当初に考えたものですが、5年経ったいまも大きく変わっていません。
ちなみにずっと更新し続けてきた小豆島カメラのFacebookページは
1万人以上の人がいいね!してくれていて、昨年からinstagramも更新しています。
日々発信してきた写真は1500枚以上になりました。
ほんとに継続は力なり! 継続は財産です!

日常の中にある絶景。

日常の中にある絶景。

季節ごとに撮りたいものがたくさんあります。

季節ごとに撮りたいものがたくさんあります。

親子で体験!
〈下田ブルーオーシャン マリン講座〉
で楽しむ夏休み

下田でこんなにいろいろな体験ができる!

伊豆下田に移住した津留崎家の夏休みに、新たな楽しみが。
それが、下田で体験できるさまざまな体験学習のプログラム。
さっそく初体験の蕎麦打ちと染色、
そして自分たちが釣った魚を食べたいという夢を叶えるべく
船釣りのプログラムに親子で参加。その結果は……?

北海道地震で振り返る。
東京と岩見沢、
停電した夜の暗さと明るさ

道内のほぼ全域が停電。あの日の記憶が蘇った

9月6日未明に北海道胆振(いぶり)地方を震源とする最大震度7の地震が起こった。
わたしの住む岩見沢は震度5弱。
激しい揺れを感じたものの家具など倒れたものはなかった。
地震のあとにラジオをつけようとしたが動かず、停電していることがわかった。
その前の晩も台風の影響で、この一帯は停電していたが、
間もなく復旧したこともあって、今回もすぐに元に戻るだろうとそのときは考えていた。

朝になって、夫が防災セットの中から手回しラジオを出してきて、
被害の状況がわかってきた。
震度7の揺れに見舞われた厚真町や近隣の地域には
想像を絶する被害があったことを知った。

つい先月、取材で厚真を訪ねたばかりだったこともあり、
お世話になったみなさんの顔が次々と浮かんできた。
そして停電は、震源に近い苫東厚真発電所が停止したのが引き金となっており、
道内のほぼ全域にわたっていることがわかった。

東日本大震災をきっかけに防災セットを揃えた。ハンドルをまわすと充電ができるラジオは今回とても役に立った。

東日本大震災をきっかけに防災セットを揃えた。ハンドルをまわすと充電ができるラジオは今回とても役に立った。

ラジオのニュースに耳を傾けながら、東日本大震災の記憶が蘇っていった。
あのときわたしは東京で暮らし、住んでいたのがマンションの12階だったこともあり、
今回よりもはるかに長く大きな揺れを感じた。
その後も相次ぐ余震に怯える毎日だった。
そこに追い打ちをかけたのが、福島第一原発の事故と
電力供給低下による計画停電だった。

原発事故が予断を許さない状況で、各地域を時間で区切って行われた停電。
夕方から夜にさしかかる時間帯に実施された停電を体験したとき、
先行きの見えないなかで、文字通り“真っ暗闇”に突き落とされるような感覚があった。

また電気がないということは、いつも感じられた人の気配やにぎわいが一気に途絶え、
まるで時間が止まっているかのような恐怖に襲われた。
そして、テレビやSNSで情報を収集すること以外は、
数日間ほとんど何も手につかない状況だった。

しかし、今回わたしは、停電していても淡々と日々の仕事をこなすことを心がけた。
停電のためパソコンは使えないが、最近、原稿は極力手書きにしているので、
依頼があった新聞コラムを書いて過ごした。

手書きの原稿。いままでは下書き程度だったが、もう少し精度を高めようと文字数も考えながら書くように練習中だ。

手書きの原稿。いままでは下書き程度だったが、もう少し精度を高めようと文字数も考えながら書くように練習中だ。

また、この日、どうしてもやりたいと思っていた梅仕事にも精を出した。
塩漬けしておいた梅を3日間天日干しする作業を、
台風が過ぎ去った晴れ間を利用してやってしまいたいと思っていたのだ。

梅仕事は6月から始める。まずはヘタを取って塩漬けしておく。

梅仕事は6月から始める。まずはヘタを取って塩漬けしておく。

早寝早起きの暮らしで、蛍光灯をあまり使わなくなった

やがて夕暮れ。岩見沢の日没は午後6時前。
夕食をいつもより少し早めに済ませると次第にあたりが暗くなり、
子どもたちはあっという間に寝てしまった。
わたしも夫も、早いときには午後9時前には就寝するので、
子どもたちと一緒に早々に寝てしまい、ロウソクを灯したり、
懐中電灯を使ったりするのは、ほんの少しの時間だけだった。

わたしが住んでいる美流渡(みると)地区の夜明け。明け方の空の色は、刻々と変化していく。

わたしが住んでいる美流渡(みると)地区の夜明け。明け方の空の色は、刻々と変化していく。

翌朝、4時頃に目が覚めた。
この時期の夜明けは5時すぎだが、わたしにとっては十分に明るい。
いつも、この時間に起きていて、電気はつけずに暗がりのなかで、
ホームベーカリーでパンを焼く準備をし、食器を洗って夜明けを待つ。

以前は、朝起きるとすぐに電気をつけていたのだが、
この方法だと朝活動するのが、ものすごくしんどい。
あるとき、これは電気の光に対応できず、
体がこわばってしまうからだということに気づいたのだった。
それから太陽の光をゆっくり待つようにしたことで、早起きが苦ではなくなった。

こうした暮らしをしていると、冬でも午前3時には、
空がほんの少しだけ明るくなっていることがわかるようになった。
薄暗がりでコーヒーを淹れる時間は、本当にリラックスできる。
コーヒーの一滴一滴が落ちる音を聞いていると、
五感がザワザワと覚醒していくように思えてくるのだ。

暗がりの中でコーヒーをドリップ。本やイベントの企画がひらめくこともある大事な時間。

暗がりの中でコーヒーをドリップ。本やイベントの企画がひらめくこともある大事な時間。

移住者から避難者、支援者まで。
福島で開かれる対話の場
「未来会議」とは?

よそ者が、福島のことを書くことができるようになるまで

7年経った、福島の「このごろ」を伝えたい。
ただそれだけを思い、日々言葉を紡いでいます。

はじめまして。山根麻衣子です。
神奈川県横浜市に生まれ育ち、東日本大震災が発生するまでは、
神奈川県以外に暮らしたことがなかった、いわゆる「都会人」でした。

私はいま、福島県いわき市に暮らしながら、
『いわき経済新聞』などのデジタルメディアを通して、
主に福島県の沿岸部=浜通り地域の情報発信をしています。

震災直後の2011年~2013年まで、東北各地にボランティアとして関わり、
2014年に復興支援の仕事を得て、福島県いわき市に移住しました。
この9月でいわき暮らし5年目になります。

いわき市と言えば、映画『フラガール』で脚光を浴びた〈スパリゾートハワイアンズ〉。このショーが大好きで、仕事帰りや遠方から友人が来たときに、夜のショーだけよく観に行きます。(2018年6月、筆者撮影)

いわき市と言えば、映画『フラガール』で脚光を浴びた〈スパリゾートハワイアンズ〉。このショーが大好きで、仕事帰りや遠方から友人が来たときに、夜のショーだけよく観に行きます。(2018年6月、筆者撮影)

東京23区がふたつ入るほどの面積を持ついわき市は、
海はもちろん、山も温泉もある地方都市です。
ちょっと疲れたな―と思ったら車で15分ほどで源泉かけ流しの温泉に行けたり、
いわき産の食材を豊富に使ったレストランがあちこちにあったり、
しかもどこに行っても知り合いに会ってしまったり、
都心にはない距離感を、日々楽しみながら暮らしています。

いわき市の山あい、田人地区のお気に入りのカフェ〈MOMOcafe〉。(2018年6月、筆者撮影)

いわき市の山あい、田人地区のお気に入りのカフェ〈MOMOcafe〉。(2018年6月、筆者撮影)

ただ移住した当初は、いろいろな部分で苦労することが多くありました。
特に、震災から7年経ったいまでも続く、
被災地でありながら原発被災住民を2万人以上受け入れるという、
ほかの被災地にはないいわき市の特殊で複雑な環境。
それから、地方暮らしに免疫がなかった私自身の適応能力の低さ。

よそ者が地域に入るのは、いまの時代でもまだまだ難しいものだと感じます。
それが、原発事故のあった福島だったらなおさら。
善意と関心を持って入ろうとしても、どこか試されてるように感じてしまうのです。
あなたは、どのくらい福島のことを知ってるの? 

5年前に移住した私も、いつもそれを感じていました。
私に、福島を語る資格があるの? 
地雷を踏まないように、腫れ物に触るように、言葉を、行動を、選んでいました。

2017年4月に一部帰還困難区域を除く避難指示が6年ぶりに解除された双葉郡富岡町で初日の出を望む。(2018年元旦、筆者撮影)

2017年4月に一部帰還困難区域を除く避難指示が6年ぶりに解除された双葉郡富岡町で初日の出を望む。(2018年元旦、筆者撮影)

力になりたいと思っているのに、遠慮が先に立ち、
地域になじんでいけない日々が続いていました。
そんなときに、なんとかこの地域の人のことを知りたいと参加したのが、
未来会議」だったのです。

未来会議の仲間は、「麻衣ちゃんの思うようにして大丈夫だよ」と言ってくれました。
私は未来会議の存在と仲間たちのおかげで、いまこうして、
福島の生活を楽しみながら、福島のことを書くことができています。

未来会議の仲間たちと参加した、8年ぶりに再開した「富岡町桜まつり」での、よさこいチーム「よさこい浜さkoi」。2列目中央が筆者。(2018年5月、撮影:霜村真康)

未来会議の仲間たちと参加した、8年ぶりに再開した「富岡町桜まつり」での、よさこいチーム「よさこい浜さkoi」。2列目中央が筆者。(2018年5月、撮影:霜村真康)

“自宅で結婚式”という選択!
〈いとしまシェアハウス〉の
古民家ウェディング

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」をつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

今日は、結婚式のお話。
私は2013年に福岡県糸島市に一緒に移住し、
このシェアハウスを立ち上げたパートナーと2015年に結婚しています。

「暮らしをつくる」がテーマの我が家ですから、結婚式も手づくりで行いたい! 
そんな気持ちもあり、仲間たちと一緒に
この集落で数十年ぶりとなる自宅結婚式を企画することとなったのです。

祭壇の新郎新婦

私たちが結婚を決めた理由のひとつに、
集落の皆さんに晴れ姿を見せたいという気持ちがありました。
私たち夫婦は集落に引っ越してきた頃からおつき合いをしており、
当時から「お前たちが結婚するときは、俺がとり仕切ってやるかなら」なんて
声をかけてもらっていました。

ですが移住して2年が過ぎ、平均年齢65歳のご近所さんたちも
少しずつ歳を重ね、できないことも増えてきたように見えました。
お酒に強かった人がお酒を控え始めたり、
ずっと続けていた田んぼや畑を手放したり、
最近見かけないな、と思っていたら入院されたと聞いたり。

私たちのことをあたたかく受け入れてくれた彼らが元気なうちに、
きちんと晴れ姿を見せたい。喜んでもらいたい。恩返しがしたい。
そんな気持ちが、結婚を後押しさせました。

稲刈りの風景

入籍日はギリギリまで稲刈りをしていたので、ふたりとも作業着のまま市役所へ駆け込みました。

入籍日はギリギリまで稲刈りをしていたので、ふたりとも作業着のまま市役所へ駆け込みました。

婚姻届の保証人の欄には家の大家さんと、
集落で一番お世話になっている方にお願いし、
本籍も今の住所に変更しました。

さて。結婚したからには、晴れ姿を集落の人たちに見てもらいたい。
けれど、シャイなご近所さんたちは
友人たちを呼ぶ大きなパーティーには参加しづらいだろうなあ。
それならば、友人向けのパーティーとは別に、
集落の人たちに向けての結婚式を企画しよう、と決めたのです。

祭壇を家に運ぶ神主さん。

祭壇を家に運ぶ神主さん。

それに、私たちが今の暮らしを始めることができたのは、この家と出合えたおかげ。
この家との巡り合わせがなければ、いとしまシェアハウスも生まれなかったでしょう。
昔ながらの“家での結婚式”をすることで、
この家にも恩返しができないかな、と思ったのです。

自宅結婚式をするのであれば、
できるだけこの集落のしきたりに倣って行いたい。

ご近所さんに昔はどんな結婚式をしていたのか聞きに回りましたが、
この集落の自宅で結婚式が行われたのは遥か昔の話だそうで、
60歳以上の方でも「近所の結婚式場で挙げたのよ」なんて答えが返ってきました。
「自宅で結婚式、あったような気はするけど、もう詳しく覚えてないねえ」
80歳くらいの人でようやくこれくらいの情報、といった感じ。

昔の結婚式の写真

昔はみんなそうだった、といわれていた自宅結婚式でも、
一度途切れてしまった文化は、あっという間に
記憶から失われていってしまうものなのだなと実感します。

それでも、当時の結婚式の写真を見せてもらい、
初々しく幸せそうな若き日の姿にキャッキャしたり、
馴れ初めを聞いてドキドキしたり、
普段は見ることができないその人の歴史が感じられて、とてもいい時間でした。

前日に会場の準備をする新郎。

前日に会場の準備をする新郎。

ですが、なかなかいい答えに巡り会えなかったので、
地域の神社の神主さんに相談したところ、
昔は家のなかに祭壇をつくってお供え物をし、式をしたんだよと教えていただきました。

やっとのことで得た手がかりを頼りに、
神主さんにいわれた通り、お供え物や衣装の準備をし、
会場の椅子の搬入のスケジュールなどを組み、
ついに結婚式の日どりを決めることができました。

当日はシェアメイトやご近所さんにごはんをつくってもらうお願いをし、
シェアメイトの女の子にカメラマンを頼み、
友人にヘアメイクをお願いし、
シェアメイトみんなで家を掃除して祭壇の設置も自分たちで行う……
本当に本当の、手づくりの結婚式です。

髪飾り用のコデマリ

髪飾りの花を、ご近所さんのお庭からいただきました。

髪飾りの花を、ご近所さんのお庭からいただきました。

式では、集落でお世話になっている方みなさんが顔を見せてくださり、
両親も、関東から駆けつけてくれました。

いつものリビングが神聖な結婚式場に。なんだか不思議な気分でした。

いつものリビングが神聖な結婚式場に。なんだか不思議な気分でした。

みんなが用意してくれたおもてなし料理の数々

色鮮やかなお料理も、新鮮なお刺身を飾る葉っぱも、
テーブルを華やかにするお花も、
数種類ある手づくりのお塩を入れるかわいい貝殻も、
全部シェアメイトたちがつくってくれたものです。

数日前から一緒にメニューを考えたり、仕込みをしたり。
ほんっとうに大変だったと思います。

仕出し屋さんじゃなくて、
地域の新鮮な食材を使っておいしい料理を食べてもらいたい、
そんな私たちの気持ちに全力で応えてくれました。

もう、愛でしかないです。
本当に本当にありがとう!

新郎の衣装は、ご近所さんからお借りした紋付袴。

新郎の衣装は、ご近所さんからお借りした紋付袴。

アーティストのシェアメイトが歌を披露してくれました。

アーティストのシェアメイトが歌を披露してくれました。

私の好きなものだから、って
エビをたくさん入れてお煮しめをつくってくれたご近所さん、
よかったらお返しに配りなさい、と手づくりのお塩をくださった大家さん、
気合を入れてオリジナルラベルの日本酒をつくってきたお父さん(笑)、
たくさんの人たちに支えられてでき上がった結婚式だったと思います。

私たちの両親、お世話になっている大家さんやご近所さん、
そして一緒に暮らすシェアメイトとも、より絆が深まる機会になりました。
血はつながっていなくとも、大好きな人たちが集まり、つながって、
ここからまたコミュニティが広がっていくことが、何よりもうれしかったです。

さあ、次は私が誰かの結婚式をお手伝いする番。
近々結婚するメンバー、誰かいないかなあ。
結婚式するときは、声かけてね! 
あのときの恩返し、させてください。

やっぱり島が好き!
夏休み、小豆島から座間味島へ

小豆島日記番外編。座間味島でいろいろな海を楽しむ!

がんばって働いた暑い夏。
みなさま、ほんとに「夏」おつかれさまでした。
今年は日本全国どこも暑くて大変でしたよね。

もう暑いだけでしんどいし、本当はこの夏の1か月間半くらいは
休んだほうがいいんじゃないかと思ってるんだけど、なかなかそうもいかず、
働く時間を工夫したりしてなんとか7、8月を乗り切りました。

あー、よくがんばった。というわけで8月末に短い夏休み。
小豆島を出て、座間味島へ行ってきました。

高速艇から見た座間味島。映画『ジュラシック・パーク』の舞台みたい。

高速艇から見た座間味島。映画『ジュラシック・パーク』の舞台みたい。

島を出て、また別の島へ行く。
船に乗って、飛行機に乗って、また船に乗って行きました。
なんだかんだと「島」が好きで、どこに遊びに行こうか考えるとき、
いつも候補地に島があがります。
船に乗って海を渡っていく。それだけで旅気分マックス!

座間味島へは、沖縄本島・那覇市にある泊港という港から高速艇で約50分で行けます。
フェリーは1日1往復、高速艇は3往復。
小豆島と比べるととても少ない船の行き来。
距離も長く、より離島な感じです。

定員約200名の高速艇。夏休みはいっぱいになる日が多く、事前予約がおすすめ。

定員約200名の高速艇。夏休みはいっぱいになる日が多く、事前予約がおすすめ。

この日は台風の影響で波が高く、船がドカンドカンと波にぶつかってました。

この日は台風の影響で波が高く、船がドカンドカンと波にぶつかってました。

座間味港に着いたのは夕方。
予約しておいた民宿までは港から歩いて10分くらいの距離。
まずはその民宿を目指して集落の中を歩いていきました。

座間味島到着。集落の中の道を歩いていきます。

座間味島到着。集落の中の道を歩いていきます。

座間味港のすぐ横の堤防。

座間味港のすぐ横の堤防。

座間味島は人口約600人の島です。
港周辺に民宿や飲食店、役場や学校、民家がぎゅっと集まっています。
旅人もこの島で暮らす人もいろんな人が道を歩いていてその感じがとても良かった。
島に着いて早々、その雰囲気がとてもよくて、それだけで気持ちが高揚してました。

やっぱり歩けるまちっていいなぁとあらためて思いました。
小豆島は座間味島と比べると人口も面積も圧倒的に大きくて、
まちづくりを考えるときに同じ規模感では考えられないのかもしれない。

でもやっぱり人が暮らすスケール感は同じなわけで、
歩いていける距離に居酒屋があるとか、ぶらぶらしてるだけで
人や場所との楽しい出会いがあるとか、そういうのがいいなと。
座間味港周辺はそんな感じでした。

整備されすぎてない細い道の雰囲気がとても良かった。

整備されすぎてない細い道の雰囲気がとても良かった。

そして座間味島といえば「ケラマブルー」と呼ばれる美しい海。
私たちが夏休みにこの島に来たのもその海で泳ぎたかったから。
滞在していた3日間、とにかく海で泳いでました。

古座間味ビーチへ続く道。

古座間味ビーチへ続く道。

とにかく海へ!

とにかく海へ!

『本屋ミッドナイト』
南阿蘇の自然と駅舎本屋が
織りなすイベント

そうめん流しや、阿蘇の木を使ったワークショップも

前回、熊本地震後に本屋として自分たちなら何ができるのかを考え、
『本屋ミッドナイト』というイベントを始めたことをお話ししました。
今年で3回目となるこのイベント。今年は8月25日(土)に行いました。
今回は、天気にも恵まれた本屋ミッドナイトの様子をお伝えします。

本屋ミッドナイトは、本好きたちが集まって星を眺めたり、
虫の声を聴きながら好きな本を探したり、語り合ったり、
南阿蘇の自然を感じながら夜を過ごしてもらう催し。

南阿蘇は昼間もすばらしい景色を楽しむことができますが、
夜もまたそれはすばらしい景色に出会えます。
熊本地震以降、公共交通機関が限られてしまい、
なかなか南阿蘇へは行きづらい現状ですが、
景色も、水源も、温泉も変わらず美しいこの場所へ
足を運ぶきっかけになればと始めたイベントです。

3回目ということもあり、今年は前回よりも内容を充実させて楽しんでもらおうと、
準備も半年前から始めました。

グラフィックデザイナーや映像ディレクターとして活躍する
大学時代の友人たちに協力してもらい、イベントのロゴやフライヤー、
映画上映の宣伝用ビデオクリップも制作し、告知もしっかり行いました。
時間をかけて話し合い、それぞれ意見を出し合いながらつくることができ、
準備の過程も楽しみながら当日を迎えました。

今年のミッドナイトでは、熊本地震以降交流のある
ふたつの団体の方々がイベントを一緒に盛り上げてくれることになり、
午前中に「そうめん流し」を開催してくれました。

協力していただいたのは、南阿蘇鉄道の復旧を応援するために結成された
熊本大学の学生によるボランティア団体〈南鉄応援団〉
そして孤食をなくそうと定期的に地域の方とともにごはんをつくって
一緒にいただく活動をされている〈おたがいさま食堂くまもと〉
さらにそうめんを流すための竹や調理場の提供は、
駅の隣で営業されている食堂〈きしゃぽっぽ〉に協力していただきました。

スタッフは朝から集まり、竹の切り出しから節を取り除く作業をしました。
切り出された大きな竹は見事なもので、
駅舎から横を流れる水路へと7〜8メートルほど竹が組まれました。

参加された方は、竹のお皿づくりやおにぎりづくり、
南阿蘇鉄道で働かれている地域おこし協力隊の案内で
水源へ線路沿いを伝って水汲みに行くレールウォークと、
それぞれ班に分かれて行います。

竹の器はつゆ入れやおにぎりをのせる器用に割ってヤスリをかけていきます。
子どもたちも慣れない手つきで一生懸命ヤスリがけを行ないました。

立派な竹を使った流しそうめん。

立派な竹を使った流しそうめん。

いよいよそうめんが流されると子どもも大人も歓声を上げ、
夢中でそうめんに箸をのばします。
日差しの下で冷たいそうめんをすするのはまさに夏を体感しているようで、
みんな汗をかきながらにこにこ。

途中でトマトやブルーベリー、グミやチョコまで流れだし、
子どもたちはカラフルなグミを掴もうと必死。
流れていくのが想像以上に速く、掴むのに苦戦している姿もまた微笑ましい光景でした。

そうめんと一緒にチョコレートも流れる。

そうめんと一緒にチョコレートも流れる。

そうめんのあとはスイカ割りも。

そうめんのあとはスイカ割りも。

午後からは、南阿蘇村のお隣の高森町で、観光情報の発信や
地域の特産品のブランディングなどを行なっている
〈TAKAraMORI〉にお願いして、南郷檜(ナンゴウヒ)の小枝を使った
小物づくりのワークショップを行っていただきました。

南郷檜とは、阿蘇に古くからある固有種で、日本で唯一の挿し木品種の檜。
阿蘇の外輪山周辺の神社に御神木として植えられてきた貴重な木です。
阿蘇に初めて来た人にも、南阿蘇の自然をかたちづくっているこの木の一部を使って
思い出を持ち帰っていただこうと企画したワークショップです。

小枝とグルーガン(接着道具)を使って自由に好きなものをつくります。

小枝とグルーガン(接着道具)を使って自由に好きなものをつくります。

そのほかにも駅の周りの植物を採集して、家に帰ってから思い出とともに
草花のハーバリウムとして残してもらえるような体験キットもご用意いただきました。
個人的にも、この日のために駅の周りでシダやキキョウソウを採集して
ドライフラワーにしていたので、イベントを終えて
ゆっくりとつくってみようと考えています。

お試し移住ようやく始動。
奄美上陸。
意外となんでも揃うビックツー。

7/5(木)

いよいよ奄美大島に

奄美大島へはVanilla Airで。
成田から直行便で約2時間ほどでいけるので、感覚として東京からは近く感じます。
Vanilla Airは1日に1本しか便はありません。
東京からは13時50分発なので、向こうに着くのは夕方になってしまいます。
旅行日程でいうと半日つぶれてしまうのが残念です。

ほかに行く方法としてはJALがお昼に1便出ています。
シーズンによりますがLCCの倍くらいの金額感になってきます。

8月からSkymarkが羽田から鹿児島経由で、午前発の便が出るように。
所要時間はトランジットに1時間ほどで、トータルでおよそ3時間半ほどかかります。
午前中に奄美大島に着くことができるので、1日の時間を有効活用できます。
次は活用してみようと思っていますが、
小さい子どもを抱える身としてはトランジットがちょっと心配です。

去年もVanilla Airで行ったのですが膝の上に娘を抱えてだったのと、
初めての飛行機、長時間移動で途中で飽きてしまってぐずってしまったりと大変でした。
なので、今年は席をひとつちゃんと取って、航行中の作戦も練りました。

直前まで、成田空港の各所にあるキッズスペースで娘を走り回らせておいて、
お昼寝の時間を飛行機の移動時間にぶつける作戦です。

写真は第1ターミナルのチェックイン前のキッズスペース。

写真は第1ターミナルのチェックイン前のキッズスペース。

第3ターミナルも搭乗口の近くにキッズスペースがあるのは、
前回行ったときに確認していたので、早々にチェックインを済ませて、
ギリギリまでキッズスペースで転がしておきました。
親も足を伸ばしてリラックスできるので
小さい子どもがいる方は積極的に活用するといいと思います。

いよいよ搭乗。

作戦がかなりうまくいきました。
離陸まもなくして、眠そうな娘、膝の上に抱えていたら夢の中へ。

着陸直前までおとなしく眠っていました。

着陸直前までおとなしく眠っていました。

子どもは耳抜きができないので、高度が高くなり気圧が変わると
何が起こったのかわからなくなって泣き出してしまうことが多いです。
お茶を飲ませると治るので、すぐに取り出せるところに用意しておくといいでしょう。

そのほかにも、フライトを楽しめるようにお気に入りの遊びなど
控えのアイテムなどを用意しておくといいです。
そんなこんなで、今年は大きくぐずることもなく無事に奄美入りを果たしました。

到着したときの奄美の天気は曇り。湿度は85パーセントほど。
飛行機を出た瞬間に、かなりモワッとした空気の印象を受けました。
最近は東京もかなりモワッとしますが、それとは違うちょっと軽さのあるモワッと感でした。

去年奄美を訪れた時は、空港は工事中でしたが、今年に入り、全面的にリニューアルオープン。
LCCが開通してから、関西方面からのお客さんも増えたようで、
島を訪れる人は例年増えていて過去最高水準らしいです。
混雑すると、ゲートがもたついた印象を受けていましたが、
セキュリティのゲートもふたつになり人の流れもスムーズになっているようでした。

到着ロビーにはデジタルサイネージも設置されていて、奄美をイメージした映像が流れています。

この映像は今回グラビア撮影でお世話になる予定だった
奄美大島にある映像プロダクションの〈ヱビス製作室〉によるもの。
奄美の名所の数々でダンスを踊っているという映像。
ドローンによる映像もありかなり見ごたえのあるものになっています。

こちらがその映像。

そして車を受け取りに、奄美レンタカーへ。
奄美での移動のほとんどは車です。島バスもありますが、
買い物やビーチに行くにも、やはり車がないと自由に行き来するのは厳しい印象です。
というのも、奄美大島は日本の島の中でも5番目に大きい島なんです。
(面積712.35 平方キロであり、本州など4島を除くと佐渡島に次ぎ面積5位の島wikipedia

島暮らしといえど、自転車で移動できるほど狭いわけではなく。
特に僕らが今回滞在する予定の龍郷町近辺は商店まで車で10分くらいかかります。
地元の人はひとり1台という、いわゆる車文化です。
子どもは自転車で走り回ってるところを見かけることはありますが、
ほとんどの人が車で移動しています。

空港の目の前には、ローカルのレンタカー屋さんから、
タイムズ、ニッポンレンタカーなど10軒ほどが建ち並んでいます。
空港の近くには目立つお店はなく、ほぼレンタカー屋さんしかありません。

今回は、滞在させていただく家の持ち主の方になんと車も貸していただきました。
その方は関東でお仕事をされていて、奄美に長期滞在する場合など、
レンタカーを借りると割高になるので、自家用車をレンタカー屋に預けているそうです。
ローカルのレンタカー屋さんのサービスメニューにも車を預かるプランがあるようでした。

お借りした車をピックアップして、今回のお試し移住の手配や諸々を支援してくれた
寶園純一さんのお宅へご挨拶。なんと夕飯までご馳走になりました。

寶園さんも大阪からの移住組で、事あるごとにいろいろと相談に乗ってもらっていました。

自宅兼ショップ兼工房という〈KOSHIRAERU〉さん。

去年行った際のショップでの写真。

ただ、この時台風が近づいていたこともあり、話題はほとんど台風の話。
僕らが本当は島入りするはずだった、7月2日にまさに奄美に直撃していた台風で、
寶園さんの工房の前のタープなどが壊滅したとこのことでした。

今回接近してる台風も相当強い勢力とのことで、用心が必要という話を念入りにされました。
その日は早めに解散になり、滞在先の本龍郷まで、寶園さんに送ってもらいました。
その日は荷解きもほどほどに、疲れ果てて早々に寝てしまいました。

リラックスした様子の娘。場所見知りそんなになさそう。

リラックスした様子の娘。場所見知りそんなになさそう。

ミツバチ愛にあふれる養蜂家。
伊豆下田〈高橋養蜂〉で
おいしいはちみつができるまで

ミツバチの楽園づくりから、
はちみつができるまで

伊豆下田に移住して、二足のわらじで働く津留崎さん。
そのひとつが、ご縁があって働くことになった〈高橋養蜂〉でした。
今回のストーリーは、養蜂の仕事を通して知ったミツバチとはちみつのこと。
ひとつの巣箱に何万匹という群れをなすミツバチの生態や
どんなふうにしてはちみつができるのかなど、
これを読むと、はちみつのおいしさが倍増しそうです。

第50話・あらためて
神戸・塩屋のまちを眺めてみると

最終回
変わっていくまち。変わらないまち。

グレアムさんが神戸・塩屋に引っ越してきたのは、
もう10年以上も前のこと。
あれから大きく変わった風景もあれば、昔のまま変わらない日常も。
ここでいろんな人と出会い、このまちの景色を題材にいろんな
コミックを描いてきたグレアムさんが、
あらためてこの塩屋を眺めてみたところ……

お米をつくる!
かまどもつくる!?
いとしまシェアハウス流
「ごはんをつくる」体験合宿

こんにちは。「食べもの・お金・エネルギー」をつくる
〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

今年の夏は、暑かったですね~! 
家の中はいつも涼しくて猛暑もなんのその、が自慢の我が家だったのですが、
今年ばかりはさすがに参りました。
あんまり暑いので、ゲスト向けに新しい扇風機を2台購入。
大活躍してくれました。ありがとう! 

最近、だいぶ涼しくなりましたが、
「夏が暑い年は、冬寒い」だなんていわれているので、
今から今年の冬に怯えているところです。

サッカー部の少年17人と

さて、我が家ではこの夏、とても賑やかな合宿が行われました。

それは、中学3年生のサッカー部男子17人が、
いとしまシェアハウスの暮らしを体験する大合宿! 
webサイトで我が家のことを知ってくださったコーチのお声がけで実現した合宿ですが、
田んぼや畑、海などの豊かな自然を最大限に楽しみながら、
その恵みをとってきて、自分たちの手で食べものをつくる、というもの。

今までこんなに大人数(しかも中学生!)の受け入れをしたことがなかったので、
初日を迎えるまではドキドキしていたのですが、
彼らの楽しそうな笑顔を見ていたら不安も吹っ飛んでしまいました。

調理中の様子

みんなで一緒にごはんをつくる

この合宿のテーマは「ごはんをつくる」こと。

簡単そうに思われるかもしれませんが、
我が家の場合は、お米を炊くための“かまど”づくりからスタートです。
互い違いにレンガを積み上げて、ふた口のかまどを組み上げました。

かまど組み立て中

このかまどは、接着剤などを使わずにレンガを積み上げているだけなので、
レンガさえあればどこでも再現可能、
また解体して別の形に組み上げることもできます。

まちからやってきた中学生にできるかな? 
途中で飽きてしまわないかな? と思っていたのですが、
サッカーで培われた集中力で見事なかまどを完成させました! 
すごい!

かまどを組み立てる男子たち。

かまどを組み立てる男子たち。

かまどを組み立てる男子たち。

かまどがあっても、薪がなければ火は焚けません。
そこで、庭の木を切り出し、鉈で薪をつくります。

子どもたちに鉈を使わせることに不安もあったのですが、
コーチが見守ってくださっていたこともあり、挑戦させてもらえることに。
1本の木からみるみるうちに薪をつくっていく中学生たちのパワフルさに圧倒されつつ、
スポーツをしているだけあって、体幹がしっかりしているなあと感じました。

庭の奥から木を引っ張り出します。

庭の奥から木を引っ張り出します。

庭の奥から木を引っ張り出します。

これだけの薪がつくれました!

これだけの薪がつくれました!

かまどの準備ができたら、イノシシ肉の餃子づくり。
お肉をミンチするとことから始めて、それぞれ思い思いのオリジナル餃子をつくります。

お米は全部で25合、薪を使って炊きました。
よく食べる子たちと聞いていたので、気合を入れていっぱい米を準備したのですが、
あっという間に羽釜は空っぽ、250個の餃子もすごいスピードで彼らの口に吸い込まれていきました。

かまどの火のあつさ!

出来上がったごはんを皆でいただきます!

夜は真っ暗な棚田の道を歩き、星空散歩。
一番近くの電灯が見えなくなるまで歩き、道路にゴロンと寝転がります。
ペルセウス座流星群が近かったタイミングもあり、流れ星が3個も見えました! 
これには生徒たちも大喜び。
これだけ光が少ないところ、きっとまちにはないのではないでしょうか。

満点の星空

寝るときは、ふた部屋をぶち抜いた広間に布団を17枚敷き詰めて。
ワイワイと楽しむ姿は、まるで修学旅行のような。
見ているこちらまで甘酸っぱい気分になります。いいなあ。

さながら修学旅行のよう

海で初めてのSUPに挑戦!
小豆島おすすめの夏休みの過ごし方

小豆島でこんな夏休みはいかが?

暑い暑い夏の終わりを感じる日が増えてきました。
子どもたちの夏休みももうすぐ(母たちにとっては、ようやく)終わりです。

「小豆島に遊びに行くならいつがいい?」と聞かれることがよくあります。
いまなら「夏!」と言いたいところですが、私の答えは断然「秋!」
とにかく秋は気候がいい。穏やかな日差しと心地いい風。
島の中を歩くのも楽しいし、山の紅葉はきれいだし、
オリーブの収穫シーズンでもあります。
瀬戸内は秋が似合うなぁとよく思います。

ただ、やっぱり家族みんなで遊びに行こう、
学校の休みに友だちと遊びに行こうと考えると、
夏休みに小豆島に遊びに行くっていうのはあるんですよね。
実際にこの夏にも友人たちが島に遊びに来てくれました。

というわけで、暑い夏の小豆島をどう楽しむか。
私たちのこの夏を振り返りつつ、
みなさんの来年の夏休み旅行のきっかけになればうれしいなと。

さて今年は夏休みのスタートとともに友だち家族がやってきました。
7月下旬はとにかく暑さのピーク。
とにかく泳ごう! ということで、海とプールで遊びました。

〈小豆島ふるさと村〉のプールで遊ぶ子どもたち。

〈小豆島ふるさと村〉のプールで遊ぶ子どもたち。

ふるさと村では、カヤックツアーもしています。

ふるさと村では、カヤックツアーもしています。

〈小豆島ふるさと村〉にはファミリープールがあります。
都会の大きなプールに比べたら規模は小さいですが、
いつ行ってもぎゅうぎゅう詰めになるほど混んでなくて、のんびりと遊べます。
小学生くらいまでは充分に楽しめるんじゃないかな。
目の前が海で、海からの風が心地いいプールです。

それから海! 
泳ぐのももちろん楽しいのですが、みんなもいるしと、
今年初めて、スタンド・アップ・パドルボード(SUP)をやってみました。

ボードの上に立ってパドルで漕いで進んでいきます。

ボードの上に立ってパドルで漕いで進んでいきます。

みんなはじめてのSUPでしたが、すいすい進んでいきます。

みんな初めてのSUPでしたが、すいすい進んでいきます。

SUPはサーフボードより少し大きめの板の上に立って、
パドルを漕ぎながら海の上を散歩したり波乗りしたりするアクティビティ。
「オリーブビーチ」という浜で、〈ペンションオリーブ〉さんが
体験ツアーや用具の貸出をしています。
初めてでも何も持ってなくても大丈夫です!

オリーブビーチにある〈ペンションオリーブ〉の海の家。

オリーブビーチにある〈ペンションオリーブ〉の海の家。

SUPのボードやパドルなどすべて貸してもらえます。

SUPのボードやパドルなどすべて貸してもらえます。

美流渡の森の山荘で〈うさと〉展。
さとううさぶろうさんデザインの
手紡ぎ、天然染め、手織りの服

つくり手の顔が見える“衣”を着てみたい

東京から北海道に移住して以来、“衣食住”に関するものは、
できるかぎり自分たちの手でつくったり、
つくり手の顔が見えるものを買ったりしたいと思うようになった。

“食”については、近隣に田畑も多く、知り合いの農家さんから
野菜や米を分けてもらうようにしている。
“住” については、一から家を建てるのは難しいが、
古家を夫が手直ししたり、手づくりの家具を使ったりしている。

手の温もりが感じられるものとの暮らしにもっとシフトしていきたいと思いながら、
難しさを感じていたのは“衣”についてだ。

ときおり手編みをしたり、ミシンを踏んだりするものの十分な時間はとれず、
服の多くはファストファッション。
職人の手によるこだわりの服を着てみたいと憧れつつも、
子どもを抱っこしたりするとすぐに汚れてしまうことから、
大量生産されたものを消極的な気持ちで着ていたのだった。

岩見沢の山あい、美流渡(みると)にある「森の山荘」で〈うさと〉の展示会が行われた。パン工房〈ミルトコッペ〉の女将でリンパドレナージュセラピストでもある中川文江さんのサロンや、花屋の〈Kangaroo Factory〉がある。(写真提供:吉岡敏朗)

岩見沢の山あい、美流渡(みると)にある「森の山荘」で〈うさと〉の展示会が行われた。パン工房〈ミルトコッペ〉の女将でリンパドレナージュセラピストでもある中川文江さんのサロンや、花屋の〈Kangaroo Factory〉がある。(写真提供:吉岡敏朗)

そんななかで新しい視野が開けるような出会いがあった。
8月3~5日、わたしの住む岩見沢の山あいで
『うさと in 美流渡(みると)の森』が開催された。

〈うさと〉とは、タイ在住の服飾デザイナー、
さとううさぶろうさんがデザインした服のこと。

素材となる布のほとんどは手紡ぎ、天然染め、手織り。
コットン、ヘンプ、シルクがメインで、
タイ東北部イサン地方に暮らす女性たちの手で織られている。
村々で織られた布はチェンマイの地域グループや個人によって縫製され、
日本に送られ各地で販売されている。

うさとの服。会場には320点が並べられた。布や服の形などひとつとして同じものはない。

うさとの服。会場には320点が並べられた。布や服の形などひとつとして同じものはない。

会場に入ってみて、まず驚いたのは生地の色の豊かさだ。
森の木々や大地の色を感じさせるようなやさしい色合いのグラデーションが
部屋いっぱいに広がっている。

手に取って見ていくと、スクエアな布の形を生かしたワンピースや
民族衣装をアレンジしたムササビパンツなどがあり、一点一点が個性的。
手織りの布をふんだんに使っているものの、試着してみると
重さを感じさせず、体にフッとなじんでくれるのだった。

細身のタイプから幅のあるものまで、さまざまな体型の人が着られるようにつくられている。

細身のタイプから幅のあるものまで、さまざまな体型の人が着られるようにつくられている。

うさとの服ができるまでを紹介した動画。

“もち食の多彩さ全国一”の 岩手県一関市 せつなくも美しい セミドキュメンタリー映像を公開!

お正月に供える鏡もち、
年明けにいただくお雑煮、季節の行事や祭礼でふるまわれる
あんこ、きなこ、ゴマをたっぷりからめた、おはぎやぼたもち、
醤油のこげるような香ばしい匂いをたどれば、店頭で焼かれる磯辺焼き。

日本の伝統食である “もち”。
地域別、県別、大きくわけて東西別と、
食べられ方、もちをつく日どり、供えられ方など、
多彩な文化がはぐくまれてきた食べ物のひとつです。

なかでも、「もちの食べ方の多彩さは全国一」といわれる、岩手県一関市。
北上川下流域の豊かな稲作地帯であるこのエリアには、
古くからもちにまつわる食文化が根づいています。
驚くことに、「もち暦」なるものが存在し、年に60回以上ももちをつくのだとか!

そんな一関市のもち食文化をテーマにした映像が、
一関youtubeチャンネルと、観光協会HPにて公開されました。

ストーリー

鎌倉~室町時代の景観をほぼ残しているといわれる、
岩手県一関市の骨寺地域(ほねでらちいき)。

ユナ(15歳)は、ここに住む中学3年生。
祖母の葬式に、臼と杵でどうしてももちがつきたいという祖父。
もちつき機でもおいしいもちはつける、と説得する家族ですが、
めったに我をはらない祖父の願いもあって、古来の方法でもちをつくことに。
思春期のユナは、仕方なくもちつきを手伝いますが、
祖父の表情からにじみ出る何かを敏感に感じとります。

ユナの通う本寺中学校は、今年いっぱいで閉校となることが決定。
親友のシホは隣町へ引っ越すことになり、
ひそかに想いを抱くタツ兄は、進学のため東京へ。
亡くなった祖母の声も忘れてしまいそうになったユナは、
すべてが自分のもとを去っていくような悲しみのなかで、
祖父との会話から、ひとつの思いをかため――。

一関のとある一年を、美しい風景のなかで綴った物語。

この映像のテーマは、“もち”。
テーマだけみれば、「?」と首をかしげてしまうかもしれませんが、
一関では、日々の暮らしや、ハレの日、人生の大切な場面には、
必ずもちをつくという文化があります。

この地において、もちをついて一緒に食べるという行為には、
互いに幸せをわかち合い、悲しさ、辛さも共に背負い、
絆を強める意味が込められているのだそう。
伝統や記憶が少しずつ消えようとしているなかで、
それぞれが抱く大切なものをつないでいこうと努力する人々が、この映像には描かれています。

伝統的なもちつきの風景、上棟式、神前への御供え、お祭り、伝統芸能。
どこかに置き忘れてしまっていたかのような、懐かしくもあたたかな暮らしの営みと、
泣きたくなるくらい美しい映像に、目が離せなくなるはずです。

夏の下田へようこそ!
海水浴に温泉、感動モノの海の幸まで。
我が家のおもてなしプラン

移住して2度目の夏、下田流おもてなし

伊豆下田に移住して2度目の夏を迎えた津留崎家には
多くの友人が訪れているようです。
そこで、下田の夏の過ごし方をご紹介。
海に温泉、そしておいしいお店まで、下田流おもてなしを
妻の徹花さんが教えてくれます。

都会の便利さと、郊外のゆとり
いいとこどりの
“デュアルライフ”実践者に聞く、
収入や生活はどう変わった?

デュアルライフ実践者の働き方、暮らし方は超オリジナル!

都市と郊外の2か所に、仕事や生活の拠点を持ち、
双方を行来するライフスタイルのことを、“デュアルライフ”といいます。
兵庫県の神戸市、芦屋市、淡路市、洲本市は、明石海峡大橋を挟んで
“都会の文化”と“島の自然”の両方のいいとこどりができる
デュアルライフの先進エリアとして知られており、
現在「島&都市デュアル」と称して地域の魅力を発信しています。

去る2018年7月6日、島&都市デュアルを体感するイベント
「DUAL LIFE FES by島&都市デュアル」が行われました。
実際に、各地でデュアルライフを実践する人たちの生の声を聞くトークセッションには、
彼らの生の声を聞きたい! と多くの移住検討&希望者が
東京都渋谷区のSHIBUYA CASTに集結。
さて、デュアルライフって実際のところ、どうなんですか?

登壇したのは、左から『Discover Japan』誌編集長の高橋俊宏さん、秋田の武田昌大さん、淡路島の富田祐介さん、神戸の鶴巻耕介さん。

登壇したのは、左から『Discover Japan』誌編集長の高橋俊宏さん、秋田の武田昌大さん、淡路島の富田祐介さん、神戸の鶴巻耕介さん。

先陣を切って自己紹介したのは、秋田県からやってきた武田昌大さん。
武田さんは地元秋田、そして香川にある茅葺の古民家を活用した
〈シェアビレッジ〉の村長をしています。

「人口減少率が高く、100年以内には人口ゼロになってしまうといわれている地元を、
なんとかしたいと思ってシェアビレッジというプロジェクトを始めました。
村というと人が住んでいる行政村を思い浮かべると思いますが、
シェアビレッジはどこに住んでいても村人になれるシステムです」

2015年に立ち上がったユニークなプロジェクトには、
現在、2100人ほどの村民(会員)がいます。3000円の年貢(年会費)を納め、
村に来ることができない人のために都市部で寄合(飲み会)を定期的に開いています。

「シェアビレッジをつくって1年目に、なんと20組も移住してきたんですよ」と
うれしそうに話す武田さん。
自身は、秋田に住みながら東京日本橋小伝馬町におむすび屋〈ANDON〉をオープン。
さらにはシェアビレッジの2軒目を香川県三豊市につくり、
デュアルライフ先駆者としてあちこちを飛び回っています。

まずは秋田県に行ったことがある人に挙手を促す武田昌大さん。ちょっぴり自虐的に「行ったことない県ランキング1位と言われているんです」と発言。何人かの挙手に驚き、にっこりと頬が緩みました。

まずは秋田県に行ったことがある人に挙手を促す武田昌大さん。ちょっぴり自虐的に「行ったことない県ランキング1位と言われているんです」と発言。何人かの挙手に驚き、にっこりと頬が緩みました。

次は、兵庫県洲本市から〈シマトワークス〉代表の富田祐介さんがマイクを手にします。

富田さんは7年前に東京から淡路島に移住。企画の仕事をしています。ちなみに東京にいたときは建築の仕事をしていたそう。

富田さんは7年前に東京から淡路島に移住。企画の仕事をしています。ちなみに東京にいたときは建築の仕事をしていたそう。

「淡路島では、食に関するプロジェクトやそれにまつわる研修などの企画をしています。
僕の場合は、地域を良くしようとか活性化だという思いはなく、
もっと自分がワクワクしたいと思って移住しました」

食が豊かな淡路島暮らしが気に入っているという富田さん。
30歳のときに、学生時代の知り合いから淡路島で一緒に事業を立ち上げようと誘われ、
移住を決断しました。見知らぬ土地での不安もあるなか、
結果、最後に決めたのはワクワクしたからだといいます。

「ここでは、仕事はイチからつくっていかなくてはいけません。
でも、自分のワクワクに素直にいこう! と決めました」
しばらくして島内にネットワークができ、
自分でも独立してできるかなというタイミングで結婚もした富田さんは、
今年は海外にも短期滞在をしてみたのだとか。

「夫婦で話し合い、実験的にベトナムに1か月住んでみました。
でも、バケーションしたいわけではないので、
今の仕事を維持しながらひたすら働いていましたよ」
海外でも変わらず多忙なままですが、住環境が異なることで気分も変わります。
「暮らしに刺激が欲しいので、
1年に1か月くらいは日本を出て海外に住んでもいいかなと思っています」

〈つるまき農園〉園長の鶴巻耕介さんは、東京都品川区出身の都会っ子。高校を卒業後、関西の大学へ進学しました。

〈つるまき農園〉園長の鶴巻耕介さんは、東京都品川区出身の都会っ子。高校を卒業後、関西の大学へ進学しました。

兵庫県の神戸市北区淡河町を拠点にして活動する、
〈つるまき農園〉の鶴巻耕介さんの登場です。
「神戸って港町のイメージがありますが、
山のほうへ行くとびっくりするくらいの農村地帯が広がっているんですよ」
2014年に移住をした彼は、100の知恵と技を持つ人=現代版の百姓になることを
目指しています。

「以前はコミュニケーションとかメールのやりとりで成立する仕事が多かったので、
野菜づくりや家の修理など自分の手でできるといいなと思いました。
周囲で移住している人は専門性の高い職人系が多く、
総合職で働いていた自分に移住できるのかという不安はありました。
けれども、小さな仕事であちこちから仕事をもらえるようになれば可能なのでは、
と現在実践しています」

鶴巻さんは、サツマイモの観光農園で働くほか、
茅葺き屋根の葺き替え手伝いや淡河宿本陣跡保存会の理事、
学生のインターンシップのコーディネーターなどを生業にしています。
学生時代に子どもをとりまく環境や教育問題に興味を持ったことから、
暮らしのあり方を変えることを望んでいました。
「里山とか農村の自然に興味があるのかといえばそうでもないんですよね。
地域に残っている相互互助の精神などが、
果たして合理的なのか確認したいと思って移り住んだんです」
結果、地域全体で子どもを見てもらっていることなどから、
仕事がなくなってもどうにかなるかなと安心感を得たと鶴巻さんは言います。

ファシリテーターは『Discover Japan』誌編集長の高橋俊宏さん。個性豊かなデュアルライフ実践者の暮らしのリアルを引き出します。

ファシリテーターは『Discover Japan』誌編集長の高橋俊宏さん。個性豊かなデュアルライフ実践者の暮らしのリアルを引き出します。

廃材リノベーションって
実際どうなの?
お金もない、スキルもない私たちが
古民家を改修できた理由

こんにちは。〈いとしまシェアハウス〉のちはるです。

キラキラと木漏れ日の射しこむ縁側でゆっくり本を読む。
そんな風景を思い浮かべて
「移住したら古民家に住んでみたいなあ」
と思う方も多いんじゃないでしょうか。

天気のいい日の我が家。

天気のいい日の我が家。

けれど、家は人が住まないとあっという間に傷んでしまうもの。
今、空き家になっているような古民家の多くは、掃除や改修が必要な状態です。

3年人が住んでいなかった我が家も、最初は草木がぼうぼうで、
庭に植えられたバラは野生化し、そのツルは屋根まで達して
部屋が薄暗くなっていました。

その荒れっぷりといったら、庭の木を剪定するまで、庭にある石灯篭の存在に気がつかなかったほど。

その荒れっぷりといったら、庭の木を剪定するまで、庭にある石灯篭の存在に気がつかなかったほど。

空き家だった頃のいとしまシェアハウス。

空き家だった頃のいとしまシェアハウス。

優雅な縁側の時間を手に入れるためには、
まず荒れ果てた古民家を自分たちの手で直していかなければなりません。
さらに、その家に住んでいる間にも家は傷んでいきますから、
この場所で長く暮らしていくために、DIYは田舎暮らしに欠かせない技術です。

そこで今回は、お金もない、スキルもない私たちが、
どうやってこの築80年の古民家をリノベーションしていったのか、その方法を紹介します。

小豆島〈HOMEMAKERSカフェ〉
オープン5年目で変わったこと、
変わらないこと

夫婦ふたりだけで始めたカフェ、少しずつ成長中

8月に入っていよいよ夏本番だな~と思いきや、
思いのほか涼しい日が続いている小豆島。
立秋を過ぎ、朝夕は秋を感じる日もあります。
このまま秋になってほしいですが、まだしばらく夏が続きそうです。

さてさて夏休みに入り、小豆島にはたくさんの方が遊びに来られています。
〈HOMEMAKERSカフェ〉もいつもより賑やか。
今日は、あらためてそのカフェのことを書こうと思います。

2014年2月にカフェをオープンして、4年半経ちました。
オープンした頃と比べるとちょくちょくいろんなところが変わっています。
営業していくなかで感じる「もっとこうしたいよね」をひとつずつ実行していき、
お店を育てていっている感じです。

一番変わったのは、なんといっても「人」!
最初は私たち夫婦ふたりで何から何までしていましたが、
いまは友人に手伝いに来てもらっています。

カフェは金・土曜の営業なのですが、金曜日は野菜の収穫、出荷作業もあるので
3人に来てもらっています。土曜日はひとり来てくれてます。
掃除から始まり、デザート準備、サラダの仕込み、
看板を出したり、オープン前はいつもバタバタ。

いま考えるとなんでふたりでできたんだろうと思うくらいやることがたくさんあります。
みんなでやるようになり、負担がかなり減り、カフェの日が楽しみになりました。

友人に手伝いに来てもらうようになってだいぶ余裕ができました。

友人に手伝いに来てもらうようになってだいぶ余裕ができました。

カフェスタッフ入れ替わりの日。カフェで働ける若手絶賛募集中です!(笑)

カフェスタッフ入れ替わりの日。カフェで働ける若手絶賛募集中です!(笑)

余裕ができたことで、野菜の販売もちゃんとできるようになりました。
いままでも採れた野菜を少し並べたりしていましたが、
販売してたりしてなかったりして、
「今日は野菜販売してないんですか?」と聞かれることもありました。

金・土曜のカフェ営業日はいつも旬の野菜を販売してます。

金・土曜のカフェ営業日はいつも旬の野菜を販売してます。

いつもカフェに来たら、旬の野菜が並んでいて、
カフェのメニューで使っている野菜そのものを見ることができる、
気に入ったら買って帰って家でまた食べることができる、
そういう流れをつくりたいなと思っていました。

野菜を販売していると、その野菜をネタに話が盛り上がることもあるし、
野菜だけ買いに来てくれる人もいたりします。
ちょっとずつ野菜コミュニティが育っているような気がしてとてもうれしいです。

どのマクワウリがおいしいかな~という話をしながら。ただ売り買いするだけじゃない野菜を通したコミュニケーション。

どのマクワウリがおいしいかな~という話をしながら。ただ売り買いするだけじゃない野菜を通したコミュニケーション。

マクワウリを大量に収穫した日。近所の方などが買いに来てくれました。

マクワウリを大量に収穫した日。近所の方などが買いに来てくれました。

それといまさらですが、本日のメニューをつくるようになりました。
メニューを毎回更新するのはけっこう手間のかかることですが、
でもこういうひとつひとつのことがきっと大事なんですよね。
運営している私自身楽しくなります。

都度更新してる本日のメニュー。

都度更新してる本日のメニュー。

季節限定のスモモソーダ。スモモが1個まるごと入ってます。

季節限定のスモモソーダ。スモモが1個まるごと入ってます。

カゴ編みで世界の見え方が変わる?
長谷川美和子さんと体験する
山あいだからこそできる作品づくり

自然素材を自分の手で集めてつくるカゴ

北海道に梅雨はないというが、今年の6月は雨続きだった。
岩見沢の山あいで続けている〈みる・とーぶSchool〉というワークショップは
屋外での活動も多く、天気予報を眺めて気を揉む日々が続いていた。

6月23、24日に企画したのは、秩父に住むカゴ作家の
長谷川美和子さんによるワークショップ。
長谷川さんは東京農工大学科学博物館つるかごサークルを卒業し、
2009年から〈木のヒゲ〉という名前で活動を開始。
東京・国立にある自然素材のインテリアを扱う〈たとぱに〉で
定期的に教室を開いている。

今回、岩見沢には、素材集めとワークショップ開催を兼ねてやってきてくれ、
1日目にカゴ編みの素材となる樹皮採取と下処理、2日目にカゴ編み体験を行った。

長谷川美和子さん。昨年、東京から、クルミをはじめ、コウゾやクワなどの木が豊富にある秩父に移住。さまざまな地域に足を運んで素材を採取している。

長谷川美和子さん。昨年、東京から、クルミをはじめ、コウゾやクワなどの木が豊富にある秩父に移住。さまざまな地域に足を運んで素材を採取している。

ワークショップ開催の告知チラシ。

ワークショップ開催の告知チラシ。

23日は薄曇り。お天気がそのままもってくれることを願いつつ、
まずは樹皮採取を行った。
カゴ編みに使える樹皮はさまざまあるが、
長谷川さんがなかでも大好きというのがクルミ。

北海道には道や田畑の脇にたくさんのクルミが自生しており、
大きくなると通行のジャマになるため切り倒されるものも少なくない。
今回そうした木を所有者さんの了解を得て、
カゴ編みの素材として使わせてもらうことにした。

クルミの花が咲くのは6月。北海道にはオニグルミという殻のかたいクルミがそこかしこに自生している。

クルミの花が咲くのは6月。北海道にはオニグルミという殻のかたいクルミがそこかしこに自生している。

ワークショップに集まったのは10名ほど。切ることになったのは畑の傍に生えていたクルミ。

ワークショップに集まったのは10名ほど。切ることになったのは畑の傍に生えていたクルミ。

まず長谷川さんは、取った素材をムダにしないことを空に誓ってから、
森へと入っていった。

「素材を自然からむさぼりとるようなことはしたくない」

活動名は、イギリスの長編小説『指輪物語』に出てくる木の精の名前からつけたもの。
必要以上に植物を採取して「木のヒゲ」の怒りを買わないようにと
自戒の意味を込めているという。

カゴ編みというと、ついどんな作品をつくっているのかに目がいきがちだが、
実際に編む工程は全体の3割くらいなのだそう。
素材を採取し下処理をするのも重要なプロセスのひとつ。
素材は購入することもできるが、自分で採取することによって、
自然の恵みをいただいていることを肌で感じることができる。

「樹皮を見て、これをどんなふうに編もうかなと考えたりしながら、
素材を集めるのが好きなんです」

木を切り倒したら、葉っぱを取って枝をカット。

木を切り倒したら、葉っぱを取って枝をカット。

こんな人は要注意!?
移住に向いていない人って
どんな人?

あらためてまとめてみた、移住に向く人、向かない人

伊豆下田に移住して1年余り。移住者として取材されたり、
話したりする機会も増えてきた津留崎さんですが、
すべての人が移住に向いているわけではない、と感じているそう。
今回は、こんな人は移住に向いていないかも? というポイントを
まとめてみました。

熊本地震を経て、
南阿蘇鉄道のいまと、駅舎本屋
〈ひなた文庫〉の考えること

熊本地震と南阿蘇鉄道のこと

いまから約2年前の2016年4月に熊本地震が起こり、
南阿蘇鉄道も甚大な被害を受けました。
私は〈ひなた文庫〉を、南阿蘇鉄道の無人駅のひとつを借りて営業しています。
今回は熊本地震と、被害を受けた南阿蘇鉄道のお話をしようと思います。

ひなた文庫のある駅は日本一名前の長い駅名でもあります。

ひなた文庫のある駅は日本一名前の長い駅名でもあります。

南阿蘇鉄道は世界ジオパークに認定された阿蘇山のカルデラ地域を走るローカル線で、
1985年に旧国鉄から第三セクターとして引き継がれました。
始発から10の駅を通り、立野駅でJR豊肥線に乗り換えることができます。
地元の方の交通手段だけでなく、観光列車として、車掌さんの解説つきで
南阿蘇の風景を楽しむことができるトロッコ列車も運行しています。

いまは崩れてしまったトンネル。

いまは崩れてしまったトンネル。

それぞれの駅舎もユニークで、ひなた文庫のほかにも、
シフォンケーキがおいしいカフェや、
料理教室を行う自然食のカフェが営まれている駅舎、
温泉が併設された駅舎など、バラエティに富んだ駅を持つローカル線でした。

温泉の併設されていた「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」。地震後2年経ってもビニールシートがかけられたまま営業はしていません。

温泉の併設されていた「下田上温泉駅」。地震後2年経ってもビニールシートがかけられたまま営業はしていません。

駅舎でひなた文庫の営業を始めてもうすぐ1年という頃には、
この駅から通学する高校生が乗車前に本をパラパラと見て行ったり、
病院に行くために乗りに来たおばあさんが昔の思い出話をして、
ついでに欲しい本を頼まれたりするようになっていました。
始めた当初は地元の方に受け入れられるか不安な部分もあったので、
やさしく受け入れてもらえてほっとした頃でした。

子どもたちと一緒に図鑑を見たり。

子どもたちと一緒に図鑑を見たり。

そんなとき、熊本地震が起きます。
2016年4月14日、前震と呼ばれる震度7の揺れが発生し、
その後16日に再び震度7の本震が熊本地方で発生。

私たちは14日の揺れで駅舎が心配になり、
15日の夜に阿蘇大橋を通って被害がないか確認に向かいました。
幸い駅までの道も建物にも被害はなく、その日は阿蘇の実家に泊まり、
次の日もいつもどおり駅舎で本屋を開けるつもりでいました。

しかし眠って数時間後、ゴォーという地響きのような音と、
いきなり肩を掴んで思い切り揺さぶられているような激しい揺れで
恐怖のなか飛び起きます。急いで玄関に向かうも扉は歪んで開きません。
縁側の扉を開けて家族で外に飛び出すと、真っ暗な裏山からは
カラカラと小石が落ちてくる音がしていました。

貴重品などを持ち出す余裕もなく、
車に乗って近くのコンビニの駐車場で夜が明けるのを待ち、
ようやく周りの状況がわかったのは、次の日のお昼ぐらい。
どうやら大橋が落ちたらしいと周りの人が言っていました。

発電機のある場所でテレビを見てみると、
昨日まであった橋が山ごと地滑りを起こして消えている映像が。
その橋というのは、私たちが駅舎を確認しに行くときに通った阿蘇大橋。
全長200メートルもある立派な橋が跡形もなく谷底に消えている映像は、
もはや見馴れた場所のものではなく、ましていまいる場所から
2〜3キロしか離れていない場所だとは到底思えませんでした。

阿蘇大橋のあった場所。跡形もない。

阿蘇大橋のあった場所。跡形もない。

奄美大島お試し移住、
憧れだけで来ちゃったけど
実際どうなの

憧れはあるけれどなかなか実行に移せない「移住」。
その地の暮らしに馴染めるのか? 子育ての環境としてはどうなのか? 仕事は?

たくさんの疑問と不安を解消すべく、1か月のお試し移住を決めたVR映像作家の渡邊家。
鹿児島・奄美大島から渡邊家がリポートします。

はじめまして。

どうも渡邊家の家長の渡邊徹です。
実写のVRの映像家〈渡邊課〉として活動しています。

テレビ大阪の特番のVRのアドバイザーをした時のロケ時の写真です。熱海城。※クリックで360度カメラ再生

そんな僕が今回奄美大島へ1か月のお試し移住をすることになりました。
移住というのは、なかなか壮大なお話で、漠然とした憧れのようなものはあったものの、
現実味がなくリアリティを持って考えたことはありませんでした

2017年に娘が生まれてから訪れた際の一枚。

2017年に娘が生まれてから訪れた際の一枚。

ワイルドでロハスな人が、島に移住するのはイメージがつくとは思うのですが。
ずーっと東京近郊で生まれ育ちなんなら都会暮らし肯定派の僕が
急に島での暮らしに馴染めるのかとか。子育ての環境としてはどうなのか? とか。
仕事は休まず持ち込む予定なので、
普段使っているIT系のリモートワークのツール類は機能するのか? などなど。

移住している先輩方にもたくさん話を聞いて
いろいろと思うことを率直な意見として書いていこうと思います。

僕の紹介をさせてもらいます。
35歳で恵比寿にあるデザイン会社でエディトリアルデザイナーとVR映像作家の
二足のわらじでやっております。仕事の比率は2:8くらいで、映像つくっています。
仕事は、まぁ、いわゆる不規則で終電で帰ることが常態化しています。

ただ、仕事に対するストレスはなくモノをつくるのが楽しいタイプなので
つい働き過ぎてしまうというのが実状です。

在宅で造本デザイナーをしている34歳の妻の麻由美と、
もうすぐ2歳になる娘のあさ葉の3人家族です。

出発の日。※クリックで360度カメラ再生

娘は保育園には一時保育という制度を使って、週3通っています。
僕の父と母も近くに住んでいることもあり週末やたまに平日預かってもらうことも。

子どもができる前は、土日も仕事に明け暮れていましたが、
休日は娘と過ごすようになりました。成長を日々感じ、
それを目の当たりにするのが最近とても楽しく、おもしろいなーと感じていて、
もっともっと見ていたいなーと最近よく感じています。

現在は川崎市の南武線のとある駅に住んでいます。
東京までは30分くらいで出られる便利なエリアで、
そこはもともと、僕の祖母の家で30年来僕自身も通っていたところです。
僕の出身は東京都町田市というところで、よく神奈川でしょ? と言われますが。
一応東京です。

〈コンセント〉(元アレフゼロ)というデザインの会社に勤めており、12年目になります。
最初はエディトリアルデザイナーとしてキャリアをスタートして、
雑誌や広報誌のデザインを中心にやっていました。会社が合併するタイミングで、
ウェブデザイナーに社内転職をして、最近はラボ的に立ち上げたVRの映像制作も、
事業として軌道に乗り始めてきました。

紙とVR映像の作家として会社に属しながらも、
フリーランスのように自由に働かせてもらっています。
なので、今回のお試し移住は会社員として休み半分、リモート仕事半分という状態で行きます。

奄美大島へは妻の妊娠中に初めて訪れました。
島の自然と、そこで活動している作家さんに出会いました。

2016年に妻も妊娠7か月というタイミングで、奄美大島へ。藍染めが体験できる金井工芸さんで、生まれてくる娘とお揃いの染物ティシャツをつくったり。

2016年に妻も妊娠7か月というタイミングで、奄美大島へ。藍染めが体験できる金井工芸さんで、生まれてくる娘とお揃いの染物Tシャツをつくったり。

そして子どもが生まれて10か月くらいになった時に、2回目。
以前訪れた場所にまた滞在して、より深く島の人と話す機会も生まれて、島の人たちは、
一過性になりがちな観光産業は求めていないことがわかりました。
本当の意味で奄美大島が求めていることってなんだろう? 
っていう考えが、コンテンツを作る人として出て来ました。

娘が10か月くらいになって2回目の奄美大島。

娘が10か月くらいになって2回目の奄美大島。

今回の奄美のお試し移住をすることになったきっかけは、
〈amu〉というイベントスペースで行ったイベントです。

公開家族会議:渡邊家の場合――「奄美大島に移住しようと思う」

イベントでも一緒に登壇をした、寶園(ホウゾノ)さんといろいろ話をすることで
より奄美大島に興味が出てきて、公開家族会議でのみんなの意見も参考にして、
今回のお試し移住が決まりました。

寶園さんは大阪から奄美大島に移住し、木工作家 KOSHIRAERU としてご活躍されています。
出会いは2年前に初めて奄美大島に来た時に、
金井工芸さんのところで染物体験をしていた時に出会いました。
素材にこだわり奄美大島で取れる木材を使ってひとつひとつ手仕事でつくられる作品は、
独特のフォルムと手触りがあり長く使っていたくなるものになっています。
うちも、あさ葉用のスプーンと、時計を使っています。
お店の紹介はまた今度詳しく。

去年あさ葉用のスプーンを選んだ時。

去年あさ葉用のスプーンを選んだ時。