移住者が増え続ける小豆島で
移住支援活動をする〈トティエ〉の
大塚一歩さんを訪ねて

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

小豆島で移住支援や空き家活用に取り組むNPO法人〈Totie(トティエ)〉。
移住体験施設の運営や、町が管理する空き家バンクのサポートなどを行っています。
自らも移住者である理事兼事務局長の大塚一歩さんを、三村さんが訪ねました。

〈トティエ〉ってどんな団体?

ひかり: いま小豆島に移住してくる人ってどれくらいいるんですか?

大塚: 年々少しずつ伸びてますね。
2017年度は土庄町と小豆島町を合わせて、IターンとJターンの合計が350人弱。
Uターンも入れると500人を超えます。これは転勤などは除いた数字です。

ひかり: すごい!

大塚: 人口の1%の移住者がいれば、将来的に急激な人口減少は
食い止められるという説もあって。
小豆島の人口は約2.7万人だから、1%はいるということになります。
これを維持していけたらいいですね。

〈トティエ〉の大塚一歩さん。

〈トティエ〉の大塚一歩さん。

ひかり: トティエの活動目的は、移住者を増やしていくということですか?

大塚: 主な活動としては移住定住促進活動になりますが、それは手段であって、
もう少し先のことを見据えて活動しています。
僕自身もこの島が好きで移住した移住者なので、
島の文化とか産業とか風景とか、この空気感を維持していきたいと思っています。

ひかり: トティエの立ち上げの経緯について、あらためて聞かせてください。

大塚: 設立は2016年です。
〈dot architects(ドットアーキテクツ〉という建築グループが
〈瀬戸内国際芸術祭〉のときに小豆島町でプロジェクトを展開していたんですけど、
そのドットアーキテクツにいた向井達也くんが、
そのまま小豆島町の地域おこし協力隊になって島に居着いたんです。
彼がトティエを立ち上げました。

ひかり: いまは町の職員として移住担当の仕事をしてるんですよね。

大塚: そうなんです。
どこもそうだと思いますが、地域課題として人口減少は避けられないし、
空き家も増えてる。そういった問題に対して行政でしかできないことは当然あるし、
一方で民間でしかできないこともあると思うんです。

ひかり: たしかにそう思います。連携できるのがいいですよね。

大塚: また、小豆島は小豆島町と土庄町のふたつの町があるので、
行政区を越えて島への移住をサポートする民間団体が必要だろうということを、
設立前に向井くんと話していたんです。
そのときに僕が「それならNPO立ち上げちゃえば?」とけしかけたようなこともあって、
最終的に向井くんがいろんな方の協力を取りつけて設立した、という流れですね。
彼が町の正職員になるということになり、
僕はその話を受けて2017年4月から事務局の運営をしています。

トティエは現在は大塚さんのほか、小坂逸雄さん、福村真司さんらが中心となって活動しています。

トティエは現在は大塚さんのほか、小坂逸雄さん、福村真司さんらが中心となって活動しています。

ひかり: 移住って何が一番ハードルになるんでしょう?

大塚: やっぱり家と仕事ですね。どちらかが決まれば移住してくるんです。
逆にどちらもタイミングが合わなかったりして決まらないと、なかなか移住できない。

ひかり: そのどちらかでも決まると移住してくるんですね。

大塚: どちらかというと家が決まるのが大きいですね。
家がないと現実的に住めないですし。僕がまだ家を探していた6年ほど前は、
いまより空き家バンクの物件は少なかったし、不動産業者はいることはいるけど、
そういうところで探そうとしてもなかったんですよね。
いまは僕らが運営している移住体験施設も増やして、
そこに住みながら家探しをすることもできます。

ひかり: ホテルに宿泊して家探しって大変ですもんね。

大塚: それに一軒家のほうが島の暮らしもわかると思います。
滞在施設を利用して実際に移住してくる人もけっこういますよ。

トティエが運営する移住体験施設〈黒田邸〉の部屋。空き家を改装して活用しています。短期滞在向けで、1日から利用可。1泊5800円(1棟あたり)。

トティエが運営する移住体験施設〈黒田邸〉の部屋。空き家を改装して活用しています。短期滞在向けで、1日から利用可。1泊5800円(1棟あたり)。

ひかり: 家探しや仕事探しもサポートしてあげるんですか?

大塚: いろんなケースがあって、人によってフォローすることも違います。
移住に興味があるという入り口の人もいれば、小豆島に移住しようと決めてくる人も。
仕事は、直接紹介することはしていませんが、希望とか情報を聞き出せたら、
こんな会社もありますよ、ということは教えたりしています。

ひかり: どんな人たちが多いですか?

大塚: 相談の段階では、本当にさまざまですね。多いパターンとしては、
子どもが小さくて、都市部での子育てに疑問を感じて移住を考えている方とか。
40代だと手に職を持っていたりフリーランスの人も多いですね。
50年代はリタイアを見据えて早めに動こうという人が多いですし、
60代は定年後の終の棲家を探している方もいます。

第48話・〈KIITO デザイン・
クリエイティブセンター神戸〉
に初訪問!

第48話
レトロな建物の中から生まれる、
さまざまなクリエイティブは、刺激たっぷり!

今回グレアムさんが向かったのは、〈KIITO〉の名で知られる
〈デザイン・クリエイティブセンター神戸〉です。
なかなか訪ねることができなかったようで、今回が初訪問。
1927年建設の歴史ある建物の中には、
カフェにギャラリー、レンタルスペースなどがあり、
いつもイベントやワークショップなどが開かれています。
このKIITOのみどころをグレアムさんがご案内。

今回もスルスルと横にスライドしながら、お楽しみください。

モノではなく、プロセスを売って
“お金の自給”を目指す!
〈いとしまシェアハウス〉の
仕事のつくり方

“暮らしをつくる”がコンセプトの〈いとしまシェアハウス〉、
今回のテーマはお金の自給です。

自給自足の生活のなかにお金の話が出てくるってちょっと不思議かもしれません。
けれど、どんなに食べものを自給していたとしても、
国民健康保険、税金、年金、車や農機具を動かすためのガソリン代など、
生きていくためにはお金が必要ですよね。

そう考えると、食べものやエネルギーだけでなく、
お金そのものも自分たちで生み出せるようにならないと、
本当の意味での“暮らしをつくる”ことはできないのでは、と思っています。

ずっとこの楽しい暮らしを続けていくために。
今回は、我が家の小さな仕事づくりの挑戦についてお話しします。

甘夏狩りで、1週間体験のメンバーと一緒に。

甘夏狩りで、1週間体験のメンバーと一緒に。

どこで仕事をつくる?

私たちの仕事のつくり方の軸となるのは、この3つ。

(1)地域の資源・人材を使うこと

(2)持続可能な暮らしを伝え、体験してもらうこと

(3)シェアメイトが楽しくとり組めること

例えば、せっかく田舎に移住してきたのに
地域の暮らしに交わることなく、都市部に出て、
週5日フルタイムで働いてしまったなら。
地域での活動が減り、家は寝に帰ってくるだけの場になってしまう可能性があり、
せっかくこの地に集まった才能や時間、消費さえもまちへ流れるいっぽうです。

それだと、地域の方とのコミュニケーション不足、
耕作放棄地のこと、過疎化の進行など、
今の地域が抱える問題の解決にはなりません。

そこで私たちは、できる限り自分たちの地域にある資源や人材を使って仕事をつくろう、
と決めたのです。

梅とビワの収穫の様子。

梅とビワの収穫の様子。

具体的には、使われなくなった集落の甘夏畑で甘夏狩りイベントを企画したり、
ご近所さんの管理する果樹園で採れる梅やビワをオンラインで販売したり、
先月のようにお茶摘みをしてお茶づくりのワークショップをしたり。

地域の人たちがなかなか気づかない価値を発見するのが
移住者の役割でもあります。

田舎と都会を結び、暮らしのなかから価値になるものを見つけ出すことで、
それをワークショップにしたり販売したり。
さらには外から人を呼ぶことで、お金を集落内に落としてもらうよう工夫しています。

毎年販売している無農薬・無肥料のたくましい梅。

毎年販売している無農薬・無肥料のたくましい梅。

祝連載200回記念!
小豆島×伊豆下田、
移住をめぐる本音対談

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、
今回でなんと200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

今回は、自らも伊豆下田に移住し、
「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中のフォトグラファー、
津留崎徹花さんと三村さんの対談をお届けします。

HOMEMAKERS看板

移住は親のエゴ? 悩み続けた子どものこと

ひかり: 前に取材に来てくれたのは3年前。
そのときは徹花ちゃん、まだ移住できたらいいな、くらいの感じだったもんね。
いま連載読んでますよー。

徹花: 読んでくれてるんだ〜、うれしいな、ありがとう! 
下田に移住して1年暮らしてみて、ようやく少しずつ落ち着き始めたところで。
自分たちの連載にも書いたけど、移住した当初は
子どもに無理をさせてるな〜って感じて、移住を選択したことは
自分たちの身勝手なんじゃないかってしばらく悩んでたんだよね。

ひかり: それは私たちも同じ。でも私たちは核家族で、
たくちゃん(夫)といろは(娘)と3人暮らしだったけど、
徹花ちゃんのところはお姉さん夫婦も同居してて、
娘さんにとってはいとこも一緒だったじゃない? 
そういう暮らし方だったら、移住しなくても楽しめるんじゃないかと思ってたけど、
それでも移住しようと思ったのはなんでだったの?

徹花: 移住しようと思った理由は、東京での暮らし方に
違和感を感じたからだったんだよね。
だけど、いま思えば、東京でいとこたちと暮らす生活は、
子どもにとってはすごく恵まれた環境だったと思う。
だから、移住して本当に子どもにとってよかったのかどうかって、
半年くらいずっと自問自答して悩んじゃって。

三村さん一家が暮らす肥土山(ひとやま)という集落は、昔ながらの里山の光景が広がります。

三村さん一家が暮らす肥土山(ひとやま)という集落は、昔ながらの里山の光景が広がります。

ひかり: いまはちょっと落ち着いた?

徹花: うん、娘も下田の暮らしを楽しんでる。移住して半年くらいで
娘の運動会があって、お友だちと仲良く自然に振る舞ってる娘を見て、
もう大丈夫なんだ、この子は私たちの知らないところで乗り越えてたんだと思って。
じーんとして思わず涙流してたら、友だちに「なんで泣いてるの?」って(笑)。

ひかり: 時間はかかるかもしれないけど、ちゃんとなじんでいってくれてると思う。
たしかに親の自分勝手じゃないかって気持ちもあるけど、
親が楽しくない状態でいるよりも、生き生きと自分たちの好きなように生きてるほうが、
子どもにとってもいいんじゃないかな。

徹花: うん、そうだよね。
私は東京にいるときよりも少し余裕ができたような気がする。
東京ではハードに仕事して、保育園のお迎えも駆け込みで、
全然余裕がなくてイライラしてた。
私が不安になってると娘も不安になるし、私がイライラしてると娘は寂しいと思う。

ひかり: 自分がイライラして子どもに怒ったりすると、あとで後悔するよね。
自分が穏やかでいることが大事だなと思う。

畑も少しずつ増えて、さまざまな野菜を栽培するように。

畑も少しずつ増えて、さまざまな野菜を栽培するように。

徹花: 東京にいたときよりも、娘と過ごす時間がすごく増えたのは大きな変化だな〜。
お母さんのあり方って、家族にとって大事だよね。
いろはちゃんのことで、不安なことはあった?

ひかり: 不安だったよ。
こっちに来たときも、すぐにうまく話ができなかったみたいで、
幼稚園の先生から発達障害じゃないかって言われたけど、
3か月くらいしたら話せるようになって。
やっぱり言葉も違うし、最初は緊張するよね。

徹花: そういう心配も、いまなら実感としてすごくわかる。

ひかり: 徹花ちゃんたちの連載読んでると、私たちにとっては
4、5年前の思いとすごくシンクロする部分があって。
同じだなーって思うよ。旦那さんは家で仕事したりしてるの?

徹花: 午前中は養蜂場で農園づくりの仕事してて、
帰ってきて家で建築の図面を引いたりしてる。
私たち親が家にいるから、近所の子どもたちが遊びに来るんだよね。
近所にお友だちがいっぱいいるこの環境はすごくよかったと思ってる。

ひかり: きっと雰囲気がいいんだよね。うちにもいろはのお友だちが来てくれるし、
いろはも遊びに行ってるよ。そういう環境って大事だと思う。

玉ねぎ収穫

「くまもと神社結婚式」 熊本市内の歴史と由緒ある神社で 特別な結婚式を

熊本の豊かな緑と水路に囲まれる美しい城下町には、
歴史と文化を感じられる神社仏閣がたくさんあります。
このたびサービスを開始した「くまもと神社結婚式」は、
まちのシンボルとして愛されてきた、5つの神社での結婚式を叶えるサービスです。
地元を知り尽くしたウェディングチームと一緒に、
特別な結婚式をひと組ずつ、丁寧につくりあげます。

出水神社にて。このサービスは熊本市内の代表的な5つの神社と提携

出水神社にて

生まれ育った街の思い出深い神社で結婚式をしたいと思っても、
具体的にどうやって進めたらいいかよくわからない……ということが多いのでは? 
現在提携しているのは、加藤神社、藤崎八幡宮、出水神社、健軍神社、北岡神社の5神社。
これからも提携先が増えていく予定です。

健軍神社での挙式

健軍神社にて

この「くまもと神社結婚式」を支えるのは、
衣裳・美容・写真、地元と神社婚を熟知したウエディングチーム。
神社専門のプランナーによるサポートなど、地元熊本の結婚式を熟知した
スタッフが結集しているのだそう。

人と人とがつながり合う旅。
岩見沢の山あい
〈みる・とーぶ〉の楽しみ方

ガイドブックにはない、人を訪ねるツアーを企画

ゴールデンウィークになると桜が咲き、北海道は春本番を迎える。
雪もすっかりとけて運転もしやすくなるこの時期になると、
わが家にはさまざまなお客さんが訪ねてくるようになる。

わたしが住む岩見沢の山あいは、札幌から車で1時間ほどとアクセスは悪くないが、
道内にある名だたる観光スポットと比べると、かなり地味な場所。
地元に長年住む人は、「なんもない」と口を揃えるが、
5月初旬にふたりの友人がやってくることになり、
自分なりの地域のめぐり方を考えてみることにした。

岩見沢の山あいのエリアは「東部丘陵地域」と呼ばれているが、もっとかわいらしい愛称があったらいいなあと考えたのが、「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉。この名前でイベントやワークショップ開催など、さまざまな活動を地域の仲間と続けている。

岩見沢の山あいのエリアは「東部丘陵地域」と呼ばれているが、もっとかわいらしい愛称があったらいいなあと考えたのが、「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉。この名前でイベントやワークショップ開催など、さまざまな活動を地域の仲間と続けている。

やってきた友人のひとりは、札幌で〈Life on the table〉という
「食」と「生」とをテーマに活動をする宮浦宜子さん。
もうひとりは、南幌在住で陶芸家のこむろしずかさんだ。

宮浦さんの〈Life on the table〉では、たったひとりのための食卓をつくったり、「おかゆのしあわせ」というワークショップを企画したりと、食にまつわるさまざまな提案を行っている。(写真提供:NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム])

宮浦さんの〈Life on the table〉では、たったひとりのための食卓をつくったり、「おかゆのしあわせ」というワークショップを企画したりと、食にまつわるさまざまな提案を行っている。(写真提供:NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム])

こむろさんの陶芸作品『雫の森』。陶板で絵本を描くというシリーズを制作している。(写真提供:こむろしずか)

こむろさんの陶芸作品『雫の森』。陶板で絵本を描くというシリーズを制作している。(写真提供:こむろしずか)

宮浦さんは6年ほど前からの知り合いだが、岩見沢へ来るのは初めて。
また、こむろさんは、つい先日、よく行くカフェで会ったばかりの方。
そのとき、制作場所が確保できる移住先を探していて、
岩見沢の山あいにも興味を持っているという話を聞いていた。
ちょうどふたりともゴールデンウィーク中に時間がとれたので、
山あいのツアーをやってみることにした。

宮浦さんとこむろさん。ふたりは初対面だったが、すぐに打ち解け、おしゃべりしながらのツアーとなった。

宮浦さんとこむろさん。ふたりは初対面だったが、すぐに打ち解け、おしゃべりしながらのツアーとなった。

「下田インド化計画」とは?
料理ユニット〈マサラワーラー〉を
招いた南インド料理イベント

南インド料理を「食べさせられ放題」!?

下田に移住して1年、少しずつ変わり始めたという津留崎徹花さん。
そのひとつの表れが、下田で開催したイベントでした。
南インド料理をつくるユニットを下田に招き、
みんなで南インド料理を食べようというイベント。
蓋を開けてみれば、なんと100人以上が参加(!)という
大盛況に終わったイベント「下田インド化計画」とは。

豊島〈mamma〉
元乳児院が、お風呂自慢の
ゲストハウスに

バイオマスエネルギーの専門家が、
ゲストハウスの運営をするようになった理由

はじめまして。〈mamma(まんま)〉の運営を行っている
株式会社sonraku代表の井筒耕平です。
sonrakuという会社は、林業とローカルベンチャー創造に力を入れる
岡山県西粟倉村を本拠地とした総勢20名程度の会社で、
西粟倉村では宿泊施設(あわくら温泉元湯)の運営と、
薪や木質チップをつくってお湯を沸かして温泉施設に提供する事業を行っています。
今回ご紹介する香川県豊島(てしま)のmammaは、
西粟倉村に続くふたつめの拠点として2017年8月にオープンしました。

mammaは、元乳児院をリニューアルし、宿泊、カフェ&バー、銭湯をひとつにした、
ストーリージェニックな施設です。
個室、ドミトリー合わせて6部屋の客室には、
最大20名が宿泊できるスペースを有しています。
豊島へは、宇野港(岡山)や高松港から船で訪れることができ、
周囲には豊島美術館や豊島横尾館などのアートスペースと、
標高340mの壇山が抱える豊富な雨水を利用した棚田が瀬戸内海に迫り出すなど、
ダイナミックな自然環境が楽しめます。

実は、僕の専門は、木質バイオマスエネルギー
(薪、チップ、ペレットのような燃料で給湯や暖房を行う)を
地域でどのように導入していくかの調査・研究で、宿泊施設運営は素人でした。
そんな僕が、なぜゲストハウスを始めるに至ったのか。
それは2014年春、僕が西粟倉村に引っ越した頃に遡ります。
その頃、西粟倉村役場が、休業した宿泊施設の担い手を探していた、
ということがきっかけとなりました。

それまでバイオマスエネルギーという本当にマニアックな世界に長期間いたので、
もうちょっとこのバイオマスエネルギーのことを知ってほしいし、
そのためにはなにか人が集まるような場が必要だ、と思っていたところでした。
偶然、〈あわくら温泉元湯〉に薪ボイラーが導入される予定(その後2015年秋に導入)なのに、
誰も運営していないこの施設を見て、
「あ、ゲストハウスって人が集まるし、
その集まった人にバイオマスを知ってもらったらよいかも」と思ったこと、
そして「まさか自分がゲストハウスを運営するなんて、
想像もしてなかったけどおもろい人生やん」というふたつの気持ちが
僕の背中を強く押し、やってみようと思い立ったのでした。

そして豊島。なぜ豊島でやろうとしたのか。
これは、建築家の安部 良さんが僕を誘ってくれたからです。
安部さんは、あわくら温泉元湯のリノベーションの設計に関わってくれたご縁があり、
のちにmammaとなった元乳児院〈神愛館〉の
リノベーション設計にも携わっていたことから、
「井筒君、お風呂と宿を予定しているんだけど、
そのふたつといえば井筒君得意じゃない? やってみない?」
とお誘いを受けました。西粟倉村が山間地域であり、
その真逆の「離島」というキーワードに惹かれた僕は、
「やってみたいです!」と即答。2017年春のことでした。

フェリーの写真。豊島へは、宇野港(岡山)や高松港から船で訪れることができます

豊島へ向かうフェリーからの写真

写真:片岡杏子

〈HOMEMAKERS〉の
暮らしを書き続けること

5年書き続けてきた、家族の大切な記録

今年も庭の桜の木に真っ赤なサクランボがたくさんなりました。
毎年だいたい同じ時期、5月のゴールデンウィーク頃がちょうど食べごろです。

田舎で暮らしていると、この季節の繰り返しをとてもよく感じます。
「あー、サクランボの季節だな」
「カエルが鳴き出した、田植えの時期だな」

植物や動物、虫たちが毎年同じように次の季節の訪れを教えてくれます。
こうやって季節が繰り返していくなかで、
私たちは歳を重ねていくんだなぁとぼんやりと思いにふけってみたり。
あかん! まだ30代です(笑)。

毎年この時期に小さな赤い実がたくさんなります。甘酸っぱくておいしい。

毎年この時期に小さな赤い実がたくさんなります。甘酸っぱくておいしい。

桜の木が心地よい木陰をつくってくれる。

桜の木が心地よい木陰をつくってくれる。

2012年秋に小豆島に引っ越してきて、その翌年2013年4月から書き始めた
この連載「小豆島日記」も、今回でなんと199回!
5年にわたって書き続けてきました。

枯れてしまったかなと思っていたセージが、今年は花を咲かせました。

枯れてしまったかなと思っていたセージが、今年は花を咲かせました。

最近では今回は何について書こうかなと考えるとき、
昨年、一昨年の同じ時期に何を書いてたかなぁと読み返したりします。
肥土山(ひとやま)農村歌舞伎や生姜の植え付け作業など、
去年と同じことをしていても、考え方や関わり方など少しずつ変わっていて、
その小さな変化を感じながら書くのがおもしろかったりします。

そして時に恥ずかしかったりもします。
いまと比べて圧倒的に少ない知識と経験で農業のことなど語っていたりして、
こんなことを書いていたのかと(汗)。
ま、でも、そのときしか書けなかった純粋な思いもあったりして、
それはそれでいいのかな。

農村歌舞伎で今年は初の男役に挑戦したいろは(娘)。

農村歌舞伎で今年は初の男役に挑戦したいろは(娘)。

たくちゃん(夫)は年々うまくなっていきます。

たくちゃん(夫)は年々うまくなっていきます。

自然が身近にある暮らし。
下田に移住して変わったこと

自然とともにある暮らしで何が変わった?

伊豆下田に移住して1年が経った津留崎さん。
養蜂場の農園づくりの仕事をしていることもあり、
日常的に自然の中に身を置く暮らしをしています。
そこで今回は、この季節に下田で見られるさまざまなものをご紹介。
そして、あらためて気づいた、移住して変わったこととは。

学びの場も自給自足!
森を開墾したトシくんと
畑で始めた英会話教室

タネまきから収穫までを体験しながら英会話

新学期の始まりに合わせて、この地域でまたひとつ新しい試みをスタートさせた。
2016年に岩見沢の山里、毛陽地区に移住したトシくん
こと阿部恵(さとし)さんと一緒に、毎週木曜日に英会話の会を立ち上げたのだ。
開催場所はトシくんの畑。マニラの大学で農業を専攻していたトシくんが、
森の中をたったひとりで開墾した畑の一角が教室となる。

トシくんのお母さんはフィリピン人、お父さんは日本人。大学までマニラで育ち、道内で農業の研修をした後、毛陽地区に土地を見つけて移住。

トシくんのお母さんはフィリピン人、お父さんは日本人。大学までマニラで育ち、道内で農業の研修をした後、毛陽地区に土地を見つけて移住。

きっかけは、この連載で1月にトシくんを取材したことだった。
取材を通じてトシくんが、家族はもちろん、あらゆる人に対して
深い愛情をもって接していることにわたしは感動した。

以前から彼が子どもたちと英会話をやってみたいと考えていたことは知っていたが、
英語の勉強もさることながら、人を心から大切に想う、その本質のようなものを、
子どもたちとシェアしてもらえたらどんなにすてきだろうと思ったのだった。

連載の記事を書いてほどなくして、「英会話の会をやってみませんか?」と、
トシくんにお願いをしたところ、彼はとても喜んでくれた。

「畑でタネをまいたり収穫してそれを食べたりしながら英会話をしたいですね。
子どもたち用の畑を、ぼくのところにつくりますよ」

〈トシくんと畑で英会話〉は、昨年より企画している〈みる・とーぶSchool〉というワークショップイベントの一環として開催することにした。〈みる・とーぶ〉とは、岩見沢の山里をPRするために、地域おこし推進員や地元の仲間たちが集まった有志のグループのこと。

〈トシくんと畑で英会話〉は、昨年より企画している〈みる・とーぶSchool〉というワークショップイベントの一環として開催することにした。〈みる・とーぶ〉とは、岩見沢の山里をPRするために、地域おこし推進員や地元の仲間たちが集まった有志のグループのこと。

道端の石垣に、駐車場の端っこに!
“ほぼ野生”の茶の木でつくる
香り高い〈釜炒り茶〉

夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る……
茶摘みの歌のとおり、春から夏へ移り変わるこの季節、
福岡県糸島市にある〈いとしまシェアハウス〉でもお茶摘みが始まります。
八十八夜は立春から数えて八十八日目、2018年だと5月2日になりますね。

長い冬を耐え抜き、やっと芽吹いた若葉の新茶は
栄養価が高く旨み成分が多いといわれ、八十八夜に摘んだお茶を飲めば、
その年は1年病気をしないといういい伝えがあります。

釜炒り茶のお茶葉は棒状ではなく、丸まっています。

釜炒り茶のお茶葉は棒状ではなく、丸まっています。

我が家のお茶は〈釜炒り茶〉。

もともとお茶をつくるきっかけになったのが、ご近所さんからのお茶のおすそ分けでした。
「私らだけじゃ飲みきらんから~」とガサッと手渡された大量のお茶は、
埼玉出身の私が見ると、いつものお茶と様子が違います。
お茶の葉がねじれてくるりと丸まり、色は深い緑色。

さっそくお茶を淹れて飲んでみると……何このお茶! おいしい! 
驚いてご近所さんに聞いてみると、このお茶は手づくりだそうで、
それならぜひ、私たちにも教えてください! とお願いし、
お茶づくりを教わるようになったのが始まりでした。

日本で飲まれるお茶は、95%以上が蒸してつくられたもの。釜炒り茶は珍しく、貴重品とされています。

日本で飲まれるお茶は、95%以上が蒸してつくられたもの。釜炒り茶は珍しく、貴重品とされています。

釜炒り茶は、生の茶葉を釜で炒って揉んで乾燥させた緑茶です。
もともと15世紀前後に中国から伝わったといわれており、
そう考えると釜炒り茶の産地が九州なのも納得ですね。

色は美しい黄金色、さっぱりとした風味が特徴です。
一般的な緑茶に比べて香り高く、保存変質しにくいということで、
この日に1年分のお茶を自給する私たちにとってはありがたい存在です。

それではさっそく、お茶摘みへ

茶摘みの様子

糸島に移住してギャップを感じたのが、そこかしこにお茶の木が生えていること!
“お茶”というと、均一に丸くカットされたお茶の木がズラーッと並ぶ
お茶畑をイメージしていたのですが、
ここのお茶の木はもっとカジュアル&ワイルド。

生活のなかにすっと入り込んでいるのです。
たとえば、道端の石垣に、駐車場の端っこに、なんとなく生えているあの木。
よく見たらあれも、これも、お茶の木じゃない?
気がついたときは驚きました。

昔の人たちは、敷地内にお茶の木を植えることで、
お茶も自分たちで手づくりしていたのですね。すごいなあ。

一芯二葉。新茶の一番おいしいところだけを摘む、上級品のお茶の摘み方です。

一芯二葉。新茶の一番おいしいところだけを摘む、上級品のお茶の摘み方です。

新芽の先端から2枚の葉の部分を摘み採る「一芯二葉」の方法で
お茶の若葉を手摘みしていきます。
ツヤツヤの若葉の手触りと、ぷちんと切れる葉の感触が楽しくて、
あっという間に背負いかごが満杯になりました。

背負いかごが新芽でいっぱい

日本一長い駅名の駅にある
週末だけの古本屋〈ひなた文庫〉

本屋がない村、ないならつくろう。最高の場所を見つけた!

はじめまして。
熊本県の南阿蘇村で〈ひなた文庫〉という古本屋を営む中尾恵美です。
「古本屋」と言っても少し変わっていて、
南阿蘇鉄道の駅舎の中に週末にだけ現れる古本屋です。
この連載ではひなた文庫の営業を通して、南阿蘇の四季のこと、村の人や場所、
そして熊本地震のことなど、日々の気づきや感じたことを届けていこうと思います。

まずは簡単な自己紹介を。私は岡山県出身で学生時代を広島で過ごし、
就職して東京で1年ほど暮らしました。
学生時代からおつき合いしていたいまの旦那さんが南阿蘇村の出身だったので、
彼が大学院を卒業し、熊本に帰るのをキッカケに2014年に私も熊本に移住しました。

私は小さな頃から読書が好きで、よく父や母に
スーパーの隣にある本屋さんへ連れて行ってもらっては、
両親が買い物を済ませるあいだ、本棚を見て、気になる本を探していました。
幸い親が本にかけるお金には寛大だったため、
読みたいならと買ってもらっては、帰りの車の中で読み始めていました。

そんなふうに本が身近な存在だったためか、本というモノ自体にとても愛着があります。
本が並んでいる場所に行くと近くで手にとってみたくてうずうず。
やぁ、こんにちは! 君はどんな本なんだい? とパラパラめくってみたくなるのです。

そんな本好きな私が、なぜ南阿蘇鉄道の駅舎の中で古本屋を始めることになったのか。
それは自分たちのあったらいいな、をかたちにしようと思ったからでした。

ひなた文庫・ロゴ

南阿蘇村には図書館も本屋さんもありません。
村の人は隣町の図書館に借りに行くか、ネットで頼むか、そもそも本を読まないか。
本は読まなくても生活においては特に困りません。
でも本を読んで感じる感情の動きは、普段の生活の中だけでは得られないものがあるし、
生活に生かせる気づきだって沢山あると思うのです。
だから、気軽に行ける本屋が近くにないのはちょっと寂しい。

だったら自分たちでやるのも悪くないかもしれない。
熊本に引っ越して1年程経つ頃にはそう考えるようになっていました。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の駅舎

古本屋なら、場所さえあれば、いまの仕事をしつつ
自分たちの休日を使ってできるかも。
まだぼんやりながらそんなふうに思っていた頃、
たまたまふたりで観光しようと訪れた南阿蘇鉄道の日本一長い駅名の駅、
「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」。
そこは無人駅でがらんとした八角形の空間でした。

南阿蘇水の生まれる里白水高原駅は無人駅でがらんとした八角形の空間でした

第47話・大阪の
〈レトロ印刷JAM〉で展示会。
世界でひとつのバッジ作りも
楽しい!

第47話
レトロ印刷JAMでの展示会のために大阪へ。
やっぱりプリントって面白い!

今回グレアムさんは大阪に来ています。
目的はリソグラフプリントを得意とする
〈レトロ印刷JAM〉で展示会を行うため。
会場では、スクリーンプリントのワークショップや、
自分オリジナルのバッジづくりが体験できたりと、
グレアムさん自身も楽しんでいる模様です。

今回もスルスルと横にスライドしながら、お楽しみください。

今年も5月3日に奉納。
小豆島「肥土山農村歌舞伎」

私たち家族にとって、6年目の農村歌舞伎

江戸時代から300年以上続く伝統行事「肥土山(ひとやま)農村歌舞伎」。
毎年5月3日に肥土山にある離宮八幡神社の舞台で奉納されます。

農村歌舞伎というのは、その字の通り農村で行われる歌舞伎。
その年の豊作を祈願し、神社にある舞台で、そこで暮らす人々が歌舞伎を演じます。
地域の、地域による、地域のための歌舞伎。

台本を見ながらお互いのセリフを言い合う役者の子どもたち。

台本を見ながらお互いのセリフを言い合う役者の子どもたち。

台本にふりがなをつけて、間をおくところ、抑揚など書き込みます。

台本にふりがなをつけて、間をおくところ、抑揚など書き込みます。

稽古は本番の3か月前くらいから始まります。

稽古は本番の3か月前くらいから始まります。

小豆島では、昔は各地域に芝居小屋があり歌舞伎が行われていたそうですが、
いまでは私たちが暮らす肥土山とお隣りの中山の2か所だけとなりました。
そんな希少な小豆島の農村歌舞伎は、香川県の無形民俗文化財として登録されていて、
地域の人だけでなく、外からもたくさんの人が毎年見に来てくれます。

この連載「小豆島日記」でも、もう何度も肥土山農村歌舞伎のことを書いてきました。

2013年 村人がつくり楽しむ農村歌舞伎(vol.005)

2013年 村人がつくり楽しむ農村歌舞伎(vol.005)

2014年 肥土山農村歌舞伎、みんなで作る割子弁当(vol.055)

2014年 肥土山農村歌舞伎、みんなで作る割子弁当(vol.055)

2015年 肥土山農村歌舞伎、稽古と準備の日々(vol.099)
肥土山農村歌舞伎、みんなでつくりあげる(vol.103)
肥土山農村歌舞伎、いよいよ本番(vol.105)

2015年 肥土山農村歌舞伎、稽古と準備の日々(vol.099)
肥土山農村歌舞伎、みんなでつくりあげる(vol.103)
肥土山農村歌舞伎、いよいよ本番(vol.105)

2016年 肥土山農村歌舞伎、本番までの100日間(vol.147)
人と人とのつながりをつくる小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.148)

2016年 肥土山農村歌舞伎、本番までの100日間(vol.147)
人と人とのつながりをつくる小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.148)

2017年 受け継いでいく小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.175)

2017年 受け継いでいく小豆島の伝統行事「肥土山農村歌舞伎」(vol.175)

今年で6年目になります。
毎年いろんな思いがあって、年によって関わり方も少しずつ変わり、
子どもも成長し、私たちの小豆島暮らしの大切な一部になっています。

家で動画と台本を見ながらセリフの練習。

家で動画と台本を見ながらセリフの練習。

今年は、初の男役に挑戦するいろは(娘)。

今年は、初の男役に挑戦するいろは(娘)。

編集者・松島倫明さんが
鎌倉で見つけた、
仕事と暮らしの幸せな関係

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

海に面し、三方を山に囲まれた鎌倉は、自然を身近に感じながら暮らすことができるまちだ。

海に面し、三方を山に囲まれた鎌倉は、自然を身近に感じながら暮らすことができるまちだ。

これからの仕事と暮らしの関係

東京から電車でおよそ1時間の距離にある鎌倉の住民には、
都内へ通勤する人たちも少なくない。
その中には、山や海に囲まれた自然環境に惹かれ、移住してきた人たちも多く、
いまから約4年前に鎌倉に移り住んだ松島倫明さんも、そんな都内通勤組のひとりだ。

植物に囲まれた松島さんの自宅のガーデン。耳を澄ますと、そばを流れる川のせせらぎも聞こえてくる。

植物に囲まれた松島さんの自宅のガーデン。耳を澄ますと、そばを流れる川のせせらぎも聞こえてくる。

NHK出版の編集者として、シリコンバレー発のテックムーブメントや、
自然への回帰を志向するライフスタイル、カルチャーの世界的潮流を、
翻訳書を通して日本に伝える仕事をしている松島さんは、
主に週末を使って、トレイルランやマインドフルネス関連のイベントに関わるなど、
鎌倉を拠点にした活動にも精を出している。

デジタルとフィジカルというふたつの軸から、
これからの社会やビジネスを見据える深い洞察力で、
各界から注目されている敏腕編集者である松島さんは、
メディアやSNSなどを通じて、鎌倉での地元活動について発信する機会も多く、
そのライフスタイル自体が、松島さんが考える「ウェルビーイング」思想を
体現するメッセージにもなっている。

松島さんの自宅からは、およそ5分で最寄りの山に入ることができる。

松島さんの自宅からは、およそ5分で最寄りの山に入ることができる。

そんな松島さんの暮らし方、働き方には、
「サーフィンやトレイルランをしてからオフィスへ出勤」
といったよく耳にする鎌倉、湘南暮らしから一歩踏み込んだ、
これからの仕事と暮らしの関係性、まちとの関わり方のヒントがあるはずだ。
それを探るべく、緑豊かなガーデンに囲まれた松島さんの自宅を訪ねた。

松島さんの自宅に迷い込んできて以来、一緒に暮らしているというネコ。

松島さんの自宅に迷い込んできて以来、一緒に暮らしているというネコ。

岩見沢〈milli〉
空き家をリノベーションして
作業場とショールームに。
自ら販売もする家具制作ユニット

工場として使える広い場所を求めて道内をめぐった日々

東京から北海道・岩見沢市に移住したことで、わたしの世界は大きく広がった。
どこまでも広がる大地を見ていると、
エコビレッジができるんじゃないかといった新たな構想がいくつも浮かび、
都会では経験したことのない解放感を感じながら暮らしている。

しかし、ただひとつだけ、東京が無性に恋しくなることがある。
わたしの仕事は美術とデザインを専門とする編集者。
高校から美術コースのある学校に通っており、
同級生や元同僚など友人は、たいてい美術に興味を持っていた。
そのため、いつもディープに美術のことを話していたので、
ときどき猛烈に、こうした話題を語らいたい気分が襲ってくるのだ。

岩見沢にある国道234号線沿いに家具制作ユニット〈milli〉はある。

今年に入って出会った織田義史さんは、岩見沢市内では数少ない美術ネタを話せる友人。
3年前に〈milli〉という家具を制作するユニットを立ち上げており、
大学では美術を学び、現代美術のプロジェクトにも関わったことがある。
また、わたしが以前に副編集長をしていた雑誌『美術手帖』を読んでくれていたそうで、
これも本当にうれしいことのひとつだった。

さらに夫も織田さんと意気投合。
東京にいるときに家具工場で働いたことがあったので、
家具の制作方法や道具のことを話すことができて楽しそう。
夫婦ともども織田さんとしゃべっているとテンションがつい高くなってしまう。
またぜひ会って詳しく話が聞きたいと思い、雪解けとなった4月初旬、
織田さんの家具の制作現場を訪ねることにした。

織田さんは紋別出身。妻の美里さんとともにmilliを営んでいる。

織田さんが家具づくりを学んだのは、大学卒業後。
旭川にあった専門学校に2年通った後に、旭川の家具会社で4年間働き、
独立を考えるようになったという。

「札幌から車で1時間圏内で、工場とショールームとして
使える場所を探すところから始まりました」

織田さんは妻の美里さんとふたりで、毎日車を走らせ
千歳、長沼、新十津川、当別などを点々とした。
廃校も候補になり教育委員会にかけあったが、
よい返事が得られずに時間が過ぎていった。

そんななか、あるときネットで競売物件の情報を見つけて、岩見沢へ。
国道沿いにあったその建物は、廃業した建築業者のものだった。
1階は工場、2階はオフィス。広さも十分だったことから購入を決意。
「僕たちのことをやっと受け入れてくれるところがあった」、
そんなふうに感じたという。

milliの家具。北海道の木の素材感を生かし、暮らしになじむ家具づくりを目指している。(写真提供:milli)

下田に移住して1年、
ご近所づき合いはどう変わる? 
地域コミュニティについて思うこと

心地よい距離感とは?
風通しのよい人づき合い

伊豆下田に移住して1年が経った津留崎家。
新しい土地に馴染めるだろうかと心配していた娘さんにも、
この1年で変化があったようです。
東京と下田で違いを感じる人との距離感、
そして地元の人に聞く、昔といまのご近所づき合い。
地方で暮らす、いろいろなヒントがありそうです。

月の食費はひとり平均1996円!
お米とお肉の自給率100%
〈いとしまシェアハウス〉の
おいしい暮らし

長い冬を越え、福岡は糸島市にある私たちの集落はすっかり春モードです。

山に入れば山菜があちこちに顔を出し、たけのこも旬をむかえ、
野生のものが手軽に収穫できる季節になりました。
春の野草は、独特の苦味で冬の間体に溜まった毒素を排出してくれるデトックス食材。
旬のものを食べて、体の中から春に変化させていきます。

適当ずぼらな野生ごはんのつくり方

菜の花と野草のパスタ

菜の花と野草のパスタ。

ある日、お昼ごはんをつくろうとしたら野菜をストックする箱が空になっていました。
ピンと閃き、台所のつっかけを履いて庭へ出ると
そこにはセリ、ヨモギ、カラスノエンドウ、ハコベラなど、
野生のご馳走が競い合うようにわさわさと生えています。

やわらかい若い芽をプチプチ摘んで、パスタの具材にしてみました。
春のデトックス野草パスタなんて、都会で見かけたらちょっとお洒落じゃないですか。

次の日も、お昼ごはんの具材ないかなあとキョロキョロしていたら、
リビングに飾ってあった(ちょっとくたびれた)菜の花と目が合いました。

これは食べられる。
君はもう十分お花としての役割を果たした! お疲れさま! ということにして
中華鍋に放り込みました。

家にあった野菜と飾ってあった菜の花でチャーハンをつくりました。

家にあった野菜と飾ってあった菜の花でチャーハンをつくりました。

飾って可愛い、食べておいしい。なんて優秀な食材なんでしょう。
こうして、わざわざ買い物に行かなくとも
その辺にあるものでちょちょっとつくれるのが田舎ごはんの楽しさでもあります。

我が家はお米の自給率100%

集落の棚田で、無農薬無肥料のお米をみんなでつくっています。
種籾から発芽させた苗を田んぼに手植えし、天日干しでつくったこだわりのお米は
ふんわりと甘く、味が濃くて冷めてもおいしいのです。

手植えの様子。この姿勢を続けると次の日太ももの裏が痛くなるのです。

手植えの様子。この姿勢を続けると次の日太ももの裏が痛くなるのです。

もちろん田んぼも最初からうまくいったわけではなく、
苗がうまく育たなかったり、イノシシに田んぼをぐちゃぐちゃにされたり、
天日干しの最中に台風が直撃して稲が吹き飛んでしまったり、
「こりゃーしんどい!」と思うことが何度もありました。

けれど、ときに喧嘩しながら、仲間みんなで乗り切ってきました。
つくった人の顔が見えるごはん、おいしいですよ!

収穫した玄米。食べる直前に精米します。

収穫した玄米。食べる直前に精米します。

狩猟でお肉の自給率も100%

とはいっても、毎日食べる分のお肉を山でとれるわけでもないので、
普段はゆるいベジタリアン。
お魚も、お味噌汁のだしに使ういりこと鰹節程度でしょうか。

イノシシは、山でとるのも家で捌くのも体力と気力が必要です。
実際にやってみて、その大変さがわかるからこそ、お肉は自分たちが捌ける分だけ、
身の丈にあった量を食べたらいいのかなあと思っています。

そのため、基本的にお肉は自分たちで捌いたときに食卓にのぼるスタイル。
ほかには、誰かの誕生日パーティーや、
お客さまが来られたときのご馳走として出すことが多いですね。
お肉の出る日は我が家のハレの日。みんな大喜びです!

味噌づくりワークショップにて。

味噌づくりワークショップにて。

お味噌も冬に仕込むようになってからは買っていません。
お醤油はお味噌をつくるときにできるたまり醤油を使っていますが、
自給できるほどではないので、いつかは手づくりしたいなあ。
基礎調味料の自給は夢ですね。

こう書くと「食べ物を100%自給している」と思われてしまうかもしれませんが、
実は今、野菜の自給率は1割にも満たないくらい。
普段食べる野菜は買うことが多いです。
我が家の今後の課題は野菜の自給率を上げること、畑を頑張ることですね。

野菜を買うときも、スーパーマーケットなどで売られているような、
遠くから運ばれてくる野菜ではなく、
集落にある無人販売所だったり、直売所だったり、
誰がつくったのかわかるものを意識して買っています。

よく「買い物は企業への投票」といいます。
だからこそ、“いいもの” をつくってくれている、
応援したい会社のものを選ぶようにしています。

まるで絵本の世界のような我がいとしまシェアハウスがある集落。桜の先には海も見えます。

まるで絵本の世界のような我が家の集落。桜の先には海も見えます。

〈HOMEMAKERS〉の
春の生姜植え付けまつり!

島の友人たちと一緒に、みんなで畑作業!

今年もやってきました。
4月! 生姜植え付けの季節です。

私たち〈HOMEMAKERS〉は、年間通して80種類くらいの野菜を育てているのですが、
その中でも圧倒的に多く育てているのが生姜です。

もともと小豆島で生姜栽培が盛んだったわけではなく、
ただ私たちが生姜を育てたかったから始めた生姜の栽培。
当時、体の冷えが気になっていて、生姜は体を温めてくれる、
それなら自分たちの手で育てたいなと。今年で6年目になります。

山に囲まれた場所にある〈HOMEMAKERS〉の生姜畑。

生姜をひとつひとつ植えていきます。

そもそも生姜ってどうやって育てるんだろう。
スーパーで売ってる、あのかけらの状態しか知らない。
まったく何の知識もない状態から、インターネットや本で調べながらスタートしました。

生姜は春に植えて秋に収穫します。
1年に1回しか栽培することができません。
雑草に生姜が負けてしまったり、台風で茎が折れてしまったり、
イノシシに掘り起こされてしまったり、大きく育たなかったり。

毎年いろんなハプニングやうまくいかないことがあります。
今年は豊作だったねという年もありました。
そういうひとつひとつの経験を経て、少しずつ
自分たちの栽培方法ができあがっていってる気がします。

種生姜を適度な大きさにカットする作業。この作業、結構頭使います。

春休み中の小学生チーム。意外としっかり働いてくれました。

北海道長沼町〈ながぬま羊まつり〉
羊とともに生きた時代があった。
地域のルーツを紐解くイベント

撮影:金澤睦司

長沼で初開催! 羊づくしのまつり

わたしが住む岩見沢から車で30分ほどのところにある長沼町は、
居心地のいいレストランやカフェがあり、
アーティストや工芸家の工房も点在する個性的なまちだ。
友人たちも多く住んでおり、大工の〈yomogiya〉お弁当屋〈野歩〉など、
おもしろい活動を続ける人々をこの連載でも紹介してきた。

また、地域独自のコミュニティづくりを模索する動きが活発で、
2016年にはスウェーデン生まれの言語学者で、ローカリズムの大切さを訴える
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんによる講演会をはじめとする、
さまざまなイベントや勉強会が企画されてきた。

そして今回、長沼というまちの未来を考えたいと活動してきた
いくつかのグループの力が結集して行われた

司会を務めたのは町内に住む荒谷明子さんと安居忍さん。イベントに合わせ割烹着姿の荒谷さんは、連載記事でも取り上げたことのある〈メノビレッジ〉という農場を営み、これまでも多数の講演会の企画をしてきた。

3月21日、映画上映やワークショップが北長沼会館で行われた。
テーマを羊にした理由は、このまちの歴史と深い関わりがある動物だから。
北海道では明治時代から羊毛のために羊の飼育が始まり、
昭和30年代には25万頭以上にもなったという。

なかでも長沼はめん羊が盛んとなり、まつりに参加した
長沼町長の戸川雅光さんによると、最盛期には約4000頭もの羊がいたことも。
町長の家も羊を飼っており、とても身近な動物だったそうだ。

「長沼には昔、紡毛工場があり、皆が羊のセーターを着て、手袋をしていました」

会場には糸車など古い道具を展示。このほか、北長沼の解体された農家で見つかったガラス製写真乾板を白黒でプリントした写真も飾られ、さまざまなかたちでこのまちの歴史を振り返った。

まつりのスタートは、『ラダック 氷河の羊飼い』という映画の上映。
この映画は、北インドの辺境の地ラダックで、たったひとりで数百頭の羊や
ヤギを飼うツェリンさんという女性の暮らしを追ったドキュメンタリー。
上映の前に、主催者のひとりで司会を務めた荒谷明子さんが、
この映画に対する想いを、こんなふうに語ってくれた。

「わたしはこの映画を見て心打たれ、地域の皆さんにも
ぜひ見ていただきたいと思いました。
50年ほど前、道内一の羊の産地だった北長沼。
この映画に登場するツェリンさんの精神は、
かつてこの地にもあったものなのではないかと感じたからです」

『ラダック 氷河の羊飼い』予告編

〈下田まち遺産〉を決める、
景観まちづくり会議委員
になりました。そこであらためて…
「なまこ壁」ってなんだ?

下田のまち並み独特のデザイン
「なまこ壁」って?

下田に移住して1年の津留崎さん。
まちの景観を大切にし、昔からあるいいものを保存していく
まちづくりの委員を務めることに。
そこで気になったのが、下田のまち並みによく見られる「なまこ壁」。
いろいろ調べてみると、下田というまちの歴史、昔の人の知恵、
災害とまちづくりなど、いろいろなことが見えてきました。

“つくる”は楽しい!
食べ物・お金・エネルギーを
自給する福岡県糸島市
〈いとしまシェアハウス〉の始まり

こんにちは。福岡県糸島市で〈いとしまシェアハウス〉を運営する畠山千春です。
関東から自然豊かなこの地に移住して5年、
「自分たちで暮らしをつくる」をコンセプトに仲間たちと活動してきました。
今はライター業をしながら、冬は山に入ってイノシシをとる新米の猟師でもあります。

この連載は、私たちの日常を通じて新しい暮らしのあり方を探る、
楽しい場にしていきたいと思っています。

いとしまシェアハウスの始まり

築80年のいとしまシェアハウスは敷地275坪。昔ながらの大きな家は、シェアハウスにぴったりです。

築80年の我が家は敷地275坪。昔ながらの大きな家は、シェアハウスにぴったりです。

まず今の暮らしにシフトした理由のひとつに、
私が育った時代背景があります。
私はモノに困らない時代に生まれた一方、
物心ついた頃にはバブルがはじけていたので、
景気のいい世の中というものを知りません。
ふんわりと世の中に漂う“悲壮感”を感じながら生きてきました。

だから、昔の大人たちが言っていた
「大きな会社に就職し、結婚して、家を買ったら幸せになれる」という概念にも、
疑問を抱いていました。
だって、その“幸せな生き方”が通用する社会はとっくのとうに変わってしまったし、
モノは溢れ暮らしは便利になったはずなのに、
彼らはどこか疲れているように見えたからです。

農作業の様子

これからは多様な生き方があっていいし、
幸せな暮らしは自分で模索する時代になったんじゃないかな……
そんな考えが頭をぐるぐるしていたときに訪れた、
人生最大の出来事が東日本大震災だったのです。

横浜にいた私は大きな揺れを感じ、高台へ避難しました。
YouTubeで流れる津波の映像を見てもまるで現実味がなく、
映画の中の出来事のように感じたのを覚えています。

震災後の横浜では、小さなパニックが起きていました。
交通機関がストップし、お金を持っていても買占めで欲しいものが買えない、
計画停電で冷蔵庫の中のものが溶ける、近所に助け合える人がいないことの不安……
今まで当たり前だった自分の常識が全部ひっくり返ってしまったような気持ちでした。

福岡県糸島市の風景

あのときほど、いかに自分たちの日常が不安定なものの上に
成り立っていたかを実感したことはありません。
このままずっと何かに依存して生きる“消費する”暮らしから、
自分たちで“つくる”暮らしにシフトしていこう、
これからはいざというときに支え合えるコミュニティをつくっていこう!
そんな強い気持ちがふつふつと湧いてきました。
今思うと、あの想いがいとしまシェアハウスの始まりだったのかもしれません。

行ってきました!
〈ユキノチカラツアー2018〉
小倉ヒラクさんと
発酵のミラクルをめぐる旅へ

岩手県の山間部にある西和賀町。
積雪量は県内一、人口約6,000人の小さなまちです。
雪がもたらす西和賀町の魅力あるコンテンツを、
全国へ発信していくためのブランドコンセプト〈ユキノチカラ〉。
西和賀の風景をつくりだし、土地の個性をかたちづくってきた雪を、
しっかりタカラモノとしてアピールしていくプロジェクトです。
今回は、「発酵」をテーマにしたツアーレポートをお届けします。

いざ、真っ白なスノーワールドへ!

2018年2月24・25日の2日間にわたって、
第2回ユキノチカラツアーが行われた。
今回のテーマは「雪国の発酵をめぐる旅」!
では、発酵食と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?
日本酒やビールなどの酒類、味噌・しょうゆ、
チーズやヨーグルト、パン、納豆、漬け物……
ひと口に発酵といっても、随分多くの食品がある。
そして、そのほとんどを西和賀町でもつくっているのだ。
いったい、西和賀町に秘められた発酵パワーとは?
発酵案内人は発酵デザイナーの小倉ヒラクさん。
「秋田には何度も来たことがありますが、西和賀は初めて! 楽しみです」
と話すヒラクさんと一緒に西和賀町へと向かった。

発酵デザイナー・小倉(おぐら)ヒラクさん
東京農業大学で研究生として発酵学を学んだあと、山梨県甲州市の山あいに発酵ラボをつくり、日々菌を育てながら微生物の世界を研究中。「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにすること」をめざし、全国の醸造家と商品開発や絵本・アニメ制作、「こうじづくりワークショップ」などを開催している。

関東はもちろん、新潟県や宮崎県などから集まったツアー参加者は21名。
今年、西和賀町の積雪は例年よりさらに多く、
道路の両サイドはどこもかしこも、2メートルに及ぶ雪の壁がバーンと立ちはだかっていた。
見渡す限り、雪、雪、雪ワールド。参加者のワクワク感も増すばかりだ。

最初に出合った発酵パワー 幻の雪納豆は、雪に納豆を埋める?

最初に一行が訪ねたのは、西和賀町の北部に位置する沢内地区、
〈味工房かたくり〉の中村キミイさんのお宅だ。

〈味工房かたくり〉では、地元食材を使って加工食品をつくり販売している。

キミイさんは、昔、西和賀町の人々がつくっていたと伝わる、
〈雪納豆〉に興味を持ち、試行錯誤を重ねて復活させた人。
現在は、ご主人の中村一美さんとふたりで
農業体験学習の一環として〈雪納豆〉づくりを行っている。

中村キミイさん。西和賀町の定番おやつ〈ビスケットの天ぷら〉、〈大根の一本漬け〉なども自慢のひとつ。

前回のツアー紹介でも記したが、雪納豆とは大豆を煮て
稲わらの藁つとに包み、雪の中で緩やかに発酵させた納豆である。
「私は福島出身ですが、小さい頃は稲わらでつくった藁つと納豆を
食べたものです。この土地に来て暮らすうちに
昔つくっていたと聞く〈雪納豆〉を、なんとか再現できないかと思って」
そう話すキミイさん。すでにつくり手は途絶えていたため、
古い資料を頼りに試してみたが、うまくいかなかった。
というのは、雪が2メートル近く積もらないと試すことができず、
実験可能なのは、冬のわずか40日ほどのみ。
失敗しても改善策を試せるのは翌年……、なのである。
地道な努力を重ねて20年以上。
「やっと数年前から、安定した〈雪納豆〉がつくれるようになったの」と笑う。