Page 3
春になってからは庭で過ごすのがとても気持ちよく、
娘は木登りや大縄跳びをして遊んでいます。
そこでも東京との違いを感じる場面に遭遇します。
夫と娘が大縄跳びをしていると、たまたま通りがかった友人が合流して、
近所の知らない子どもも入って、知らないおばちゃんも加わるという。
知ってる人も知らない人も、どこまでという区切りのない
この感じがおもしろい。
地方出身の方にとってはごく当たり前のことかもしれませんが、
東京生まれ東京育ちの私たちにとっては新鮮でなりません。
いわゆる下町というのか、よい時代がそのまま残っているというのか。
例えば、近所を散歩していると、すれ違う人と必ず挨拶を交わします。
東京ではそんなことすらなかった。
名前は知らないけれど、「久しぶりだね、元気にしてた?」と
立ち話をするような近所のおばちゃん友だちもできました。
おばちゃんが大縄飛びに飛び入り参加するのだって、
おばちゃんと立ち話をするのだって、下田ではごく当たり前なのです。
以前この連載でも書かせていただいた稲垣えみ子さんの著書
『寂しい生活』に、こんな記述があります。
昔は各家庭にはなかった風呂や、冷蔵庫などの便利な電化製品。
それを経済成長と共に各家庭が所有し始めたことで、人とのつながりや、
助け合う力、共感する力を失ってしまったのではないか。
最近、地域コミュニティの衰退が問題になっています。
自治会や地域活動、近所づき合いを含む
地域の関係が希薄化しているというのです。
その原因としてあげられているのは、日中働きに出ているため
地域にいないことや、子どもの減少、高齢化、住民の頻繁な入れ替わり。
そして稲垣さんの考えるように、文明の発達による
人の暮らしの変化が大きな要因かもしれません。
ある資料に「地域コミュニティというのは、
個人や家庭といった私的な範囲よりは大きく、
政府や自治体といった公的な範囲よりは小さく、
地理的範囲・公共性ともに中間的なもの」と書かれています。
たしかに私自身、東京にいるときは家庭や会社、
自治体には属していましたが、地域のコミュニティについて
考えたこともありませんでした。
近所づき合いはないのが当たり前で、
それに対して疑問すら抱いていなかったのです。
地域コミュニティの衰退は都市部だけの問題ではなく、
地方部にも当てはまるといいます。
都市部への人口流出により、地域の中心となる若手の人材が
不足しているというのです。
東京から移り住んだ私たちにとっては親密に感じられる
下田のコミュニティですが、さかのぼるともっと濃かったのかな。
例えば稲垣さんが書いていた、まだ家庭にお風呂がなかった時代とか。
そんな疑問がふとわいてきて、ご近所の方に話をうかがってみました。