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土屋勲さんは昭和16年生まれ。
娘の同級生のおじいちゃんで、子ども同士もお互いの家を行き来し合うような
ご近所づき合いをさせてもらっています。
昭和20年代、土屋さんがまだ小学生だった頃には、
お風呂がない家庭が近所に何軒かあったそうです。
土屋さんのご自宅にはお風呂があったので、
親戚や近所の方が「もらい湯」をしに訪ねてきたといいます。
当時は水も燃料も貴重でした。
一度沸かすと、親戚や近所の人、10人以上が交代で入ったそうです。
大人ふたりが入れるくらいの木の湯船で、
そのお風呂が設置されていたのはなんと屋外の玄関先。
つまり、通りからは丸見えということ。
それだけでも、当時といまの暮らしとの違いが想像できます。
ご近所づき合いに変わりはあるのでしょうか。
「昔のほうがもっと親密だったよね。
昔は知り合いの家にずかずか入っていったし、
子どもらもあちこちの家を自由に出入りするような関係だったけど、
いまは少し遠慮気味になったよね」
そう話すのは土屋さんの奥様、幸子さんです。
幸子さんは43年間にわたり、この土地で美容室を切り盛りしてきました。
その美容室には、ひっきりなしに地元の方が訪れます。
何十年も通っているお客さんもいれば、
散歩のついでにお茶をしに寄ったという地元の方も。
昔ながらの人づき合いが、この美容室には
残っているのです。
幸子さんはいまでも、道ですれ違う人と挨拶するうちに
だんだんと話すようになって、そのうちお茶をする関係になるといいます。
「ご近所のつき合いってのは、そこから新しい発見があるから楽しいよね。
お互い気にかける相手がいるっていうのはありがたいしね」
そして、土屋さんがこんな言葉をかけてくれました。
「困ったことがあればご近所同士すぐに助け合う、
それが当たり前なんだよね。だから、なんでも困ったことがあれば言ってね」
こうした言葉が、この1年、私たちを支えてくれたのです。
最近、「銭湯」に通い始めたという東京の友人が増えています。
彼女たちにその理由を聞いてみると
「知らないおばちゃんと話すのが楽しい」
「子どもにもやさしく声をかけてくれて安心する」というのです。
前述の稲垣さんも、東京で暮らしながら近所の銭湯に通っています
(ガスの契約をしていないのです。詳しくは著書をぜひ)。
稲垣さんは、銭湯通いで感じたことを、こう記しています。
気にかける相手と、自分のことを気にかけてくれる相手が存在して初めて、
人は生きていく気力が生まれてくる。そんなすごいことを、
銭湯という存在はサラリとやってのけているのだ。
正直なところ、移住を考えていたときには
ご近所づき合いとか人づき合いの距離なんてことも、
あまり意識していませんでした。
けれど、こうして下田で1年暮らしてみて思うのです。
この移住によって私たちが得た最大のものは、
こうした人と人とが触れ合える環境かもしれない。
この先、時代の流れとともに、下田というまちも変化していくと思います。
10年後20年後、娘が大人になる頃に下田は、東京は、日本は、
どんな環境になっているのでしょうか。
どうか娘にはいまのこの心地よさ、醤油がないから借りにいけるような
風通しのよい人づき合いを覚えていてほしい。
そう願っています。