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なまこ壁は本州、四国に広くあり、「蔵」によく使われているつくりです。
蔵は中に入れるものを火災、雨水から守る必要があります。
そこで火にも水にも強い瓦、そして瓦と瓦の間を埋める目地に、
火にも水にも強い漆喰が壁材として使われるようになったそうです。
瓦の黒、漆喰の白。
なるほど、白黒の理由がわかりました。
そして、目地の漆喰は瓦が落ちないよう、かまぼこ状に盛り上げたそうです。
この形状がなまこ(海鼠)に似ていたのが「なまこ壁」の名前の由来。
瓦を斜めに貼るのは、盛り上がった目地に
雨水が溜まらないためといわれています。
でも、下田のなまこ壁は蔵だけでなく、家屋にも多く使われています。
さらには、ほかのまちでは城郭や上流階級の建物だったなまこ壁が、
広く一般的に採用されているのです。
調べてみるとこれには海のまち、
そして開国のまち下田ならではのエピソードがありました。
時代は江戸時代末期までさかのぼります。
下田が開国の舞台となって一躍脚光を浴びていた1854年、
安政の大地震が起き、大津波が下田を襲います。
町内の家屋はほとんど流失倒壊し、
無事だった家はわずか数戸しかなかったそうです。
そこで津波に負けず残った建物が、なまこ壁の蔵だったそうです。
幕府としても開国の舞台として開港した下田が大津波の被害を受けて大慌て。
特別に助成金「復興資金貸付」を用意して、
津波に強いまちづくりへの復興を促進したそうです。
その助成金があったので、上流階級の蔵だけでなく
一般の家屋や公共施設にもなまこ壁が採用されることになり、
まち並みの形成につながったともいわれています。
そして、下田は開港から5年間で、国際港としての役割を終えました。
つまり、この短い期間に津波があったことで、
なまこ壁のまち並みをつくることになったともいえるわけです。
IT化、グローバル化、物流の発達により、
多くの情報やモノはどこでも均一に手にすることができます。
そんな時代だからこそ、地域ならではのまち並みや
景観、文化をちゃんと理解して遺していくことが、
その地域を魅力的にしていくためにますます重要になっていくのではないか?
そんなことを感じる、移住してちょうど1年の今日この頃でした。
ちなみに……
なまこ壁の由来や下田になまこ壁が多い理由は、
ここでは語りきれないほどのボリュームのある話です。
いろいろと見聞きした範囲での僕の解釈と捉えていただければと思います。
また、なまこ壁に関してご教示していただきました
下田在住の作家、岡崎大五さん、下田市役所建設課・西川力さん、
この場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。