連載
posted:2018.4.5 from:北海道夕張郡長沼町 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/
わたしが住む岩見沢から車で30分ほどのところにある長沼町は、
居心地のいいレストランやカフェがあり、
アーティストや工芸家の工房も点在する個性的なまちだ。
友人たちも多く住んでおり、大工の〈yomogiya〉やお弁当屋〈野歩〉など、
おもしろい活動を続ける人々をこの連載でも紹介してきた。
また、地域独自のコミュニティづくりを模索する動きが活発で、
2016年にはスウェーデン生まれの言語学者で、ローカリズムの大切さを訴える
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんによる講演会をはじめとする、
さまざまなイベントや勉強会が企画されてきた。
そして今回、長沼というまちの未来を考えたいと活動してきた
いくつかのグループの力が結集して行われた
3月21日、映画上映やワークショップが北長沼会館で行われた。
テーマを羊にした理由は、このまちの歴史と深い関わりがある動物だから。
北海道では明治時代から羊毛のために羊の飼育が始まり、
昭和30年代には25万頭以上にもなったという。
なかでも長沼はめん羊が盛んとなり、まつりに参加した
長沼町長の戸川雅光さんによると、最盛期には約4000頭もの羊がいたことも。
町長の家も羊を飼っており、とても身近な動物だったそうだ。
「長沼には昔、紡毛工場があり、皆が羊のセーターを着て、手袋をしていました」
まつりのスタートは、『ラダック 氷河の羊飼い』という映画の上映。
この映画は、北インドの辺境の地ラダックで、たったひとりで数百頭の羊や
ヤギを飼うツェリンさんという女性の暮らしを追ったドキュメンタリー。
上映の前に、主催者のひとりで司会を務めた荒谷明子さんが、
この映画に対する想いを、こんなふうに語ってくれた。
「わたしはこの映画を見て心打たれ、地域の皆さんにも
ぜひ見ていただきたいと思いました。
50年ほど前、道内一の羊の産地だった北長沼。
この映画に登場するツェリンさんの精神は、
かつてこの地にもあったものなのではないかと感じたからです」
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映画に映し出されるのは、ヒマラヤの広大な地で、
谷から谷へ牧草を求めて家畜とともに険しい道のりを歩くツェリンさんの姿。
高山のため草はわずか。
子羊が生まれればカゴに入れて運び、母羊に自身の食事を分け与える。
夜には凍える寒さが押し寄せるなかで、彼女はラジオに耳を澄ます。
ラジオはさまざまな知識を与えてくれる「親友」という。
音量をあげればユキヒョウから身を守る道具にもなるそうだ。
撮影したのはツェリンさんの弟で映画監督のスタンジン・ドルジェイさん。
映画にはナレーションがいっさいなく、
彼女の言葉だけでドキュメンタリーが紡がれていく。
姉が弟に向けて、自分の生き方を率直に語るその言葉には、
揺るぎのない哲学が感じられた。
「ここでは自分自身で全部学ばないといけないよ。誰も教えてくれないんだよ。
山で体調が悪くなったときに自分は病気なんだと思うと本当に病気になってしまう。
もしも病気じゃないと思えば病気にはならないよ。すべては心次第なんだよ」
撮影は3年にわたって行われ、映画公開時ツェリンさんは52歳。
この地域でもっとも若い羊飼いなのだという。
仕事は過酷なため、若者は羊飼いになりたがらない。
これまで衣食住の多くを家畜に依存する暮らしをしていたにもかかわらず、
担い手がいない状況に対し、羊が消える日は村も消える日なのではないかと、
羊飼いたちは危機感を募らせていた。
しかし、過酷だからといってツェリンさんは羊飼いをやめようとはしない。
自分がいなくなれば家畜たちも生きてはいけないと黙々と仕事を続ける。
荒野にひとりたたずむ彼女の姿からは、羊とともにあった文化が
変わりゆく時代にあってなお、自らの道を歩むひたむきな強さが感じられた。
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会場に集まったのは、子どもからお年寄りまで約170名。
さまざまな世代が集まり、映画の感想や羊に対する想いを語りながら、
「元祖ながぬまジンギスカン」の試食会も行われた。
長沼町にかつてあった〈山口商店〉が、昭和30年代に
ジンギスカンを売り出したそうで、当時のタレが再現された。
「この肉こそ自給の味です。食べ物を自給するということは、
若くてやわらかい時期の肉を食べるのではなく、
役目を終えた羊の肉をいただくことです。
肉質はかたいけれど、懐かしくおいしいと思いました」
当時を知る住民は、羊とともにあった暮らしを、そう振り返った。
試食会に続いて行われたのは、ふたつのワークショップ。
ひとつは、長沼にある観光牧場〈ハイジ牧場〉の羊の毛を使ったクラフトづくり。
羊毛は、あえて汚れを残したままのものを用意し、
それを自分の手できれいにしながら形づくっていくという体験が行われた。
ワークショップを企画したハイジ牧場の金澤睦司さんやまつりのメンバーの
「命ある羊からいただいたものであるということを感じてもらえるように」
という想いが込められているのだという。
そしてもうひとつは「この町の物語を引き継ごう」と題した企画だ。
このワークショップでは、羊を飼っていた時代、
長沼のまちはどのような姿をしていたのかを振り返るというもの。
資料として掲示されたのは、昭和30~50年代を知る住民が、
記憶をたどって書いたという北長沼市街の地図。
かつて、にぎわいを見せた商店街。中心には夕張鉄道の北長沼駅があり、
農産物の集散地として道内各地から人々が集っていた。
商店街には、子どもたちが「百貨店」と呼ぶ、駄菓子や文具を置く商店があったことや、
草相撲が盛んで、大相撲の巡業が来たこともあったなど、
記憶の地図をきっかけにさまざまな思い出が語られた。
このワークショップで興味深かったのは、まちの記憶を紐解くなかで、
地元の人たちから、さまざまな提案があったことだ。
「紙の資料は散逸しやすいので、ネットで長沼の歴史資料を公開してはどうか」
「使われていないパークゴルフ場で、昔のように羊を飼ってみたい」
重要なのは、長沼の歴史を知る古くからの住民と、
このまちを新鮮な目で見ることのできる若者や移住者とが、
ともに会場に集まっていたことだ。
ふだんは、あまり交流のない人々が互いの考えを知る場となったのではないかと思う。
「わたしたちの住んでいる地域のことを知って、住民の皆さんの想いを引き継ぎたい。
バトンを受け取って、この地域がどうしていったらいいか考えたいと思いました」
荒谷さんは、イベントのはじまりに、羊まつりを
地域のことを考える出発点にしたいと語っていたが、まさにその言葉どおり、
地域の未来を指し示すような光が見える機会となった。
約4時間のまつりの最後に、2014年に閉校した北長沼中学校の校歌を全員で合唱した。
わたしはこの歌を聞きながら、いま自分が住んでいる
岩見沢の美流渡(みると)に想いを馳せていた。
かつて石炭産業で活況を呈したこの地区は過疎化が進み、
2018年度の小中学校の人数は、それぞれ10名を切っている。
子どもの数が減っていくなかで、自分に何かできることはないのだろうかと探る日々を
送っているわたしにとって、今回の羊まつりは、本当に多くの気づきを与えてくれた。
長沼の人たちが昔を語る姿は誇りにあふれており、当時を知らないわたしでも、
その活気ある風景を想像するうちに、ワクワクした気持ちが呼び起こされた。
当時のにぎわいには及ばないとしても、今後も地域をおもしろくする取り組みが
何かあるんじゃないか、そんな希望のタネがまかれたような気持ちになった。
羊まつりのような企画が美流渡でもできるかもしれない。
炭鉱によって栄えた歴史のあるこの地域だからこその、
未来への取り組みがきっとあるはずだ。
そんな想いを胸に、わたしはまつりの会場をあとにした。
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