移住でなく「延住」?
地域密着型デザインで仕事が
切れない三好市のデザイナー、
肴倉由佳さん
地域おこし協力隊で、想定外の場所へ
2013年7月に三好市の地域おこし協力隊として東京からやってきた肴倉由佳さんは、
2年9か月の協力隊の任期終了後も、
デザインをなりわいにして三好に住み続けている。
肴倉さんは神戸市出身で、
山を愛する両親に、自然との共存をベースに育てられたという。
週末には郊外で借りていた畑に通い、
長い休みには家族全員で信州の山々へ、山登りに出かけるような家族だった。
ずっと山を愛し、しょっちゅう山に登りにいっていた肴倉さんは、
将来、両親の出身地である青森に近い、北のほうで田舎暮らしをすることを望んでいた。
京都の美大を卒業後、大阪にある会社のデザイン室で働き、
その後神戸を経て東京へ移り住む。
肴倉さんは、自分のやりたいことと、環境を寄り添わせるのに苦悩した時期だと振り返る。
30歳のときに、住み慣れた関西から東京に移ったのは、
「将来を見据え、少しでも北のほうへ移りたかったから」と話す。
東京で2年間の編集の仕事を終え、次の方向性を模索していた時、
三好市の地域おこし協力隊の説明会があることを知った。
「実は、四国へ行くことはまったく考えていませんでした。
でも、これ以上東京暮らしをするのは無理かなと思ったので、話を聞きに行ったんです」
肴倉さんに、東京暮らしのどのあたりが
無理だと思ったのか聞いてみると、こんな答えが戻ってきた。
「私、山歩きが好きなんです。東京でさあ山に行こうと出かけると
休日の高尾山などは、渋谷の通勤ラッシュよりも人が多くて驚きました。
また、信州などの遠方の高い山に行こうとすると交通費もネックで、
契約社員で働く自分は頻繁に行くことはできず、
山登りや自然と触れ合うことにもお金がかかるということに、
疑問を感じてしまったんです」
人間の根本にあるべき自然が、都会では贅沢品になってしまう。
一度抱いた違和感は拭えず、その違和感が肴倉さんの背中を押した。

協力隊時代から現在にいたるまで密にやりとりをしている山崎正さん。過疎集落の再生に日々取り組む山崎さんたち先住の人たちに学ぶことは多いという肴倉さんは、現在でもイベントの手伝いをしており、現地の人たちにかわいがられている。「ここの土地で何かやりたいことがある人が来てくれると、応援しがいがある」と山崎さん。

道の駅や地元のホテルなどで販売されている肴倉さんがデザインを手がけた地域密着型の商品。右の手ぬぐいは肴倉さんの屋号「さかなやデザイン」のオリジナル商品だ。
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