連載
posted:2018.1.23 from:京都府京都市 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
writer profile
Yu Miyakoshi
宮越裕生
みやこし・ゆう●神奈川県出身。大学で絵を学んだ後、ギャラリーや事務の仕事をへて2011年よりライターに。アートや旅、食などについて書いています。音楽好きだけど音痴。リリカルに生きるべく精進するまいにちです。
photographer profile
Mai Narita
成田舞
なりた・まい●フォトグラファー。京都在住。一児の母。雑誌やWebなどさまざまな媒体で撮影に携わる。写真集『ヨウルのラップ』(リトルモア、2011年)。
http://www.naritamai.info
人にとって服とは、布とは、織りとは?
そして未来の織りものとは――?
京都に元禄年間(1688年)から続く西陣織の老舗〈細尾〉の家に生まれた
細尾真孝さんは、伝統にさまざまな革新を織りまぜ、新しいものをつくり続けている。
写真提供:HOSOO
現在の細尾の代表は2000年より会社を受け継いだ父、細尾真生さん。
長男である細尾さんは音楽活動とジュエリー業界を経て、
2008年より家業に携わるようになった。
現在は12代目として常務取締役を務めている。
細尾さんが最初に行った革新は、西陣織の世界では前例のない
150センチ幅の布を手がけたことだった。
京都府上京区の西陣と呼ばれるエリアにあるショールーム〈House of Hosoo〉。この辺り一帯の半径7キロ圏内に、箔を貼る「箔屋さん」、裁断を行う「カッターさん」など、20もの工程を担う職人が集い、西陣織をつくっている。
もともとの西陣織の幅は、32センチ。
日本人の体と着物の伝統から導き出されたヒューマンスケールだ。
だが2008年にフランスのパリ装飾芸術美術館で行われた
『感性 kansei -Japan Design Exhibition-』展で
細尾の帯を見た建築家のピーター・マリノさんから
店舗の壁紙をつくってほしいという依頼があり、
世界標準幅の布をつくることに踏み切る。
それから職人たちと約1年かけて織機を開発し、
西陣の技術と素材をベースにしたファブリックをつくると、
その布が世界90都市の〈クリスチャン・ディオール〉の店舗の壁や椅子に使用された。
以来、広巾になった細尾のテキスタイルは〈シャネル〉や
〈ルイ・ヴィトン〉をはじめとするラグジュアリーメゾンの店舗のインテリアや
〈ミハラヤスヒロ〉の服など、数々のブランドやアーティストとの
コラボレーションを生み出していく。
細尾の布を使ったミハラヤスヒロのドレスとスーツ(2012年パリ・コレクション)。(写真提供:HOSOO)
細尾はつい十数年前まで、先端のファッションやインテリアとは離れた、
帯や着物で知られる老舗だった。幼い頃から職人の仕事を間近に見て育った細尾さんも、
20代の頃は家業を継ぐ気はなかったという。
「西陣織はコンサバティブなものだと思っていたんですよ。
僕はもっとクリエイティブなことがしたかったので、音楽をやろうと思っていました。
高校生の頃にパンクバンド、セックス・ピストルズの『Anarchy in the U.K.』を聴いて、
こんな風にギターを鳴らして叫ぶ、滅茶苦茶な表現でも
音楽として成立するんだと衝撃を受けて。
以来、コンサバティブとは真逆な世界に惹かれるようになって、
パンクバンドを組んだり、ダンスミュージックやエレクトロミュージックを
つくったりするようになっていったんです」
映画監督デヴィッド・リンチとのコラボレーション展『DAVID LYNCH meets HOSOO 螺旋状の夢 夢見るように目覚める』(2016年、表参道・EYE OF GYRE)より。(写真提供:HOSOO)
「大学の頃は高木正勝さんやアーティストグループ
〈ダムタイプ〉のダンサーとコラボレーションしたり、
京都の法然院で虫の声を録音して曲をつくり、
虫たちと共演するパフォーマンスをしたりしていました。
その辺りがいまの活動のルーツにもなっているのかもしれません」
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西陣織は1200年の歴史をもつ。
そのうちの千年、京都が都だった間に織りものをオーダーしていたのは、
朝廷や貴族、武士階級、寺社仏閣、裕福な町人たちだった。
当時はそういった階級の人たちに守られ、先端的なものづくりが行われていたのだ。
細尾家に代々伝わる屏風。天皇家やタイのシャム王室などの顧客のためにあつらえた仕事が残されている。当時は半年から1年ほどの時間をかけてようやく一反の布を織って納めていた。
「その頃の織屋は、お金にいとめをつけず、
時間はかかってもいいという人たちからオーダーを受け、
ひたすら美しい織りものをつくり続けていました。
そうした庇護のもとで発展した西陣の技術にはすばらしいものがあって、
そのバトンを次世代に受け継いでいくというミッションと、
クリエイティブなことを追求していくことは少し違うことでもあるんですけれど」
屏風が置かれているのは200年ほど前の部屋。外壁などはリノベーションしたが、この部屋のみ入れ子状にして残されている。
細尾さんを音楽から西陣織の世界へといざなったのは、ファッションだった。
「大学卒業後はレーベルに所属し音楽活動をしていたのですが、
それだけで食べていくのは難しいことでした。
それで“なぜこれだけクリエイティビティを注ぎ込んでも生活できないのか”
と考えたときに、“それはマーケットがないからだ、
自分たちでマーケットをつくっていくしかないんだ”と思ったんです」
そんなことを考えていた頃、東京では原宿・表参道を起点に
ファッションの新しい流れが生まれ始めていた。
「そういった状況を目の当たりにして、僕も昔からファッションが好きでしたし、
音楽の延長で音楽やファッションやアートが融合したブランドをつくろうと思い、
友人たちとブランドを立ち上げました。
そこでは素材やデザインにこだわった服をつくり、出だしは好調だったのですが、
2年ぐらいでが頭打ちになり、解散したんです。
というのも原価が高くて、売れれば売れるほど赤字になっていったんですよ。
あとから服の原価率を計算してみたら、60%でしたから(笑)。
その後に一からノウハウを学んでやり直さなきゃと考え、
大手ジュエリーメーカーに就職しました」
転機が訪れたのは、入社して3年が過ぎた頃。
父が2006年にパリで開催されたライフスタイル国際見本市
〈メゾン・エ・オブジェ〉に出展し、海外へ発信し始めたことを知り、
家業に興味が湧いた。
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「メゾン・エ・オブジェへの出展は父が実験的に始めたことだったのですが、
その背景には西陣織のマーケットがここ30年のうちに
10分の1に縮小してしまったということがありました。
西陣が途絶えることはないにしても、新しいマーケットをつくっていかなければ
この先50年、100年と続けていけないだろうと、いろんなことに挑戦していたんです。
ちょうどその頃、僕は日本のジュエリーメーカーがパリへ出店しては敗退するという
現状を目の当たりにしていました。
それで西陣のような日本独自のものを海外へ展開していくのは
おもしろいかもしれないと思い始めていたんです」
写真提供:HOSOO
そして、2008年に4年勤めた会社を退社。
4歳まで父の仕事の関係でイタリアで育った細尾さんはフィレンツェへ渡り、
職人たちの手仕事を見て回ったあと、細尾に入社した。
あらためて目を向ければ、そこには新しいものの萌芽が
あちこちに潜んでいるように思えた。
「いまでもよかったと思うのは、音楽制作やアーティストたちとの交流を経て、
伝統産業もクリエイティブ産業なんだという確信にたどり着けたことです。
やっぱりそれは、寺院で虫の声を録音して曲をつくったりしていたから
気づけたことだと思うんですよね。
そういったひらめきが京都の伝統工芸の後継者によるクリエイティブユニット
〈GO ON(ゴオン)〉などの活動にもつながっていきました」
2012年に結成されたクリエイティブユニット〈GO ON〉。メンバーは細尾、竹工芸の〈公長齋小菅〉、木工芸の〈中川木工芸〉、茶筒の〈開化堂〉、金網工芸の〈金網つじ〉、茶陶の〈朝日焼〉の6社(写真はGO ONが参加したミラノサローネ2017)。(写真提供:HOSOO)
西陣織の魅力は、その複雑な織りにある。
細尾ではコンピューターを使って織機をコントロールし、
10~15ものレイヤーを重ね、立体的に模様を織っていく。
織りのベースになっているのはジャガード織りという技術だ。
その技術は、明治に入ってから取り入れられたものだという。
金箔を織り込むのは、西陣の伝統的な技術のひとつ。写真は和紙の上に本物の金箔を貼り、糸状に裁断したもの。これを糸として織り込み、1枚の布に織り上げていく。
「1869年(明治2年)に都が東京に遷都すると、主なクライアントが東京に移り、
西陣織は衰退の危機に追い込まれてしまいました。
そこで京都府が洋式織機を取り入れて西陣織を復興させようと、
1872年(明治5年)に3人の伝習生をフランスのリヨンへ送り込んだんです。
そのときに持ち帰ったのが模様の情報が入ったパンチカード(*1)を使って
糸を操作するジャガード織りなどの技術でした。
当時ヨーロッパへ行くのは大変なことだったので、
3人のうちのひとりは帰りの航海で命を落としたと聞いています。
実はパンチカードはコンピューターの原型ともいわれているんですよ。
だから西陣織はプログラミングや建築などと相性がよく、
テクノロジーとも親和性が高いんです」
現在では、模様はデータ化され、コンピューターを通じて織られる。布のデザインは、社内またはコペンハーゲンにあるデザインチームなどが行っている。
*1 パンチカード:紙に穴が開いたパンチカード(紋紙)は、糸を上下する命令を送るためのもの。糸の操作はこのカードに穴が開いているか/いないかによって操作されている。この0と1で構成された情報から複雑な模様を織り上げていくというプログラミングの考え方がコンピューターへと発展していったといわれている。
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糸にツイストをかけ、戻ろうとするパワーを糊で抑えて織り上げた布。織ったあとにスチームをかけることで糊の力が弱まり、このようなかたちが浮かび上がる。
「西陣織は世界で最も複雑な構造が織れる布で、なかでも複雑な過程は、
織りもののストラクチャーをいかにデザインするかというところです。
GO ONチームで〈ミラノサローネ 2017〉に出展したときは、
1ミリ以下の単位で糸の角度を変えて織り込んでいくことにより、
角度によって見え方が変わる布をつくりました」
〈ミラノサローネ 2017〉にパナソニックとGO ONがパートナーシップを組んで出展したインスタレーション『Electronics Meets Cracfts』。同作は〈ミラノデザインアワード 2017〉にてベストストーリーテリング賞を受賞した。(写真提供:HOSOO)
細尾さんは、さまざまな分野のクリエイターやアーティストとの協働を重視している。
「現代美術家のテレジータ・フェルナンデス(Teresita Fernández)さんと
コラボレーションしたときには、約1年かけて彼女の絵を織り上げました。
彼女は“見ること”によって生まれる心象を表現しているアーティストなのですが、
そのときは作品のコンセプトを汲み、裏から見ると透けず、
表からは透けて見える布をつくりました。
マジックミラーのような機能があるので、後にリッツカールトン東京の
プライベートルームのカーテンにも採用されました。
このプロジェクトのように、アーティストとコラボレーションすることによって、
大きく飛躍できることがあるんです」
『Nishijin Sky』テレジータ・フェルナンデス + 細尾(2014年 京都造形芸術大学)(写真提供:HOSOO)
細尾の布にはさまざまなセレンディピティが織り込まれている。
「西陣の特徴のひとつは、どんな素材でも織り込めるということです。
箔を織り込む技術は300年以上前に開発されました。
これからは生体センサーを埋め込んだりと、いろんな発展が考えられると思います。
伝統産業は、常に最先端のものを取り込みながら変化していく。
新しいものをぶち込んでも壊れないというのが伝統の強さだと思います」
『Nishijin Sky』テレジータ・フェルナンデス + 細尾(2014年 京都造形芸術大学)(写真提供:HOSOO)
2017年7月、細尾さんは弟の細尾直久さんとともに
〈HOSOO residence〉という宿泊施設もオープンさせた。
直久さんはイギリス出身の建築家、
デビッド・チッパーフィールドのもとで学んだ建築家だ。
現在は京都で〈HOSOO architcture〉という建築事務所を立ち上げ、
工芸技術を生かした建築づくりに取り組んでいる。
写真提供:HOSOO
写真提供:HOSOO
「HOSOO residenceは古い家が建ち並ぶエリアの細い路地に、
隠れるようにしてあります。“タイムレス”をキーワードに、
外見は昔ながらの日本家屋、中はミニマルな空間になっています」
写真提供:HOSOO
写真提供:HOSOO
また、2017年12月から山口県の山口情報芸術センター[YCAM]にて
『布とデミウルゴスー人類にとって布とは何か?』展がスタートした。
これは細尾とYCAMが中心となり、慶応義塾大学筧康明研究室、
アーティスト/プログラマーの古舘健さんらとの協働のもとに行われる展示だ。
会場デザインは、建築家の周防貴之さんが手がけた。
また、布の歴史をたどり、美術家の吉田真一郎さんが収集した
大麻布も展示されるという。同展は2018年3月11日まで開催している。
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ショールーム〈House of Hosoo〉の2階の窓から外を望むと、
いまでも使われている細尾の工房や近所の家々の屋根が見える。
細尾さんは4歳のときにイタリアからこの家に戻り、織機の音を聴きながら育った。
「子どもの頃はいつもどこからか織機を動かす音が聴こえてきました。
でもいま、その音をたてている家はわずかです。
やっぱり僕にはその音を絶やしたくないという思いがあるんですよね。
そのためには、自分のところだけが儲かってもしょうがない。
西陣のまち全体が盛り上がって、もっとライバルが増えたらいいなと思っています。
現在うちには工芸やアートなど、さまざまなバックグラウンドをもった
若い人たちが働きにきているのですが、職人に憧れるような
子どもや若い人たちがもっと増えていったらいいですね」
写真提供:HOSOO
細尾さんの活動はジャンルや国籍を超えている。
それでも軸がぶれないのは、なぜなのか。
「西陣の仕事で何を残していくべきなのかと考えると、おそらく“美”だと思うんです。
やっぱり西陣は1200年間、美を追い続けてきた伝統芸術なので、
それを西陣の定義とするなら、素材やデザインは変わってもいい。
でも“美しいものである”という前提を変えてはだめなのかな、と思うんです」
写真提供:HOSOO
細尾さんは2016年にアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の
伊藤穰一さんに声をかけられ、ディレクターズフェロー(特別研究員)に就任した。
「MITでは、着物やテーラーリングの歴史から
未来の衣服が生まれるかということなどを研究しています。
それから『ドラゴンボール』のホイポイカプセルってわかりますか?
カプセルを投げるとポーンとドーム状の家が出てくるというやつなんですけれど、
布であんな家をつくりたいと思っているんです。
織りものに機能と構造を与えれば住宅になるんじゃないかと考えて。
昔、西陣織のレジェンドといわれている方から、シルクロードを旅したときに、
モンゴルのパオ(*2)の中で見た織りものがとても美しく、
そこで暮らしている人たちの幸福度も高かったという話を聞いたことがあります。
僕らは不動産に縛られた文化のなかに生きていますが、
美に囲まれ、家をモバイルしていくという発想はおもしろいな、と。
今度モンゴルへパオを見にリサーチへいこうと思っています」
細尾さんは1枚の布からテーラーリングによって
エイジレスにもジェンダーレスにも変化する着物の構造や
日本各地の染色にも興味をもち、リサーチと研究を続けている。
それは過去にさかのぼるだけでも、織りものを極めていくだけでもなく、
未来にも、最先端のテクノロジーにも関係していることなのだ。
「いま、AIが普及したら人間はどうなるのかということが盛んにいわれていますが、
これからますます“人間とは何か”ということが
問われていく時代に突入していくと思います。
そうなったときに、やっぱり僕の原点にあるのは布なんですよね。
布は紀元前からあり、人はなぜかそこへ染めものをしたりして、美を纏ってきた。
これからも、未来へ進めば進むほど美意識というものが
重要になっていくんじゃないかという気がしています。
そうやって布とは、織ものとは、美とは何かと考えていくと、
やりたいことは尽きないですね。
2030年には人類が火星にいく計画が進んでいますが、ひょっとしたら
着物のような宇宙服もありえるんじゃないか、とか。
ほとんど僕の妄想なんですけれど(笑)。宇宙には、いまとても興味があります。
先人たちがジャガード織りの技術を求めて海を渡ったことと、
未知の世界を探求する人たちが宇宙へいくのは同じことだと思うんですよね。
そんな時代がもうきているんじゃないでしょうか」
*2 パオ:モンゴル人など、中央~北部アジアに住む遊牧民の移動式住宅、または居住用の天幕。お椀のような形をしている。
profile
Masataka Hosoo
細尾真孝
(株)細尾常務取締役/マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ・ディレクターズフェロー。1978年、西陣織老舗、元禄年間創業の細尾家に生まれる。大学卒業後、音楽活動を経て、大手ジュエリーメーカーに入社。退社後フィレンツェに留学し、2008年に細尾に入社。2009年より新規事業を担当。帯の技術、素材をベースにしたファブリックを海外に向けて展開し、建築家、ピーター・マリノ氏のディオール、シャネルの店舗に使用される。2014年、日経ビジネス誌「日本の主役 100人」に選出される。2016年よりMITのディレクターズフェローに就任。
information
HOSOO RESIDENCE
住所:京都府京都市中京区両替町通二条上ル北小路町98-8
アクセス:京都駅からタクシーで約15分/地下鉄丸太町駅または地下鉄烏丸御池駅から徒歩4分/京都駅からの送迎あり
料金:1泊53000円~(税抜、1日1組限定)
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