自分だけの一足をもっと気軽に 下北沢から新潟へ移転した 〈石丸靴工房〉

その人の履き方が落とし込まれて完成する靴

靴をオーダーメイドするのは、経験したことのない人にとっては
ちょっと敷居が高く感じるものであり、
だからこそ憧れている人も多いのではないでしょうか。
新潟市中央区花町にある〈石丸靴工房〉は、
そんな背筋を伸ばしたくなるスペシャルな体験が、意外と気軽にできてしまう場所。
ここでは靴職人の石丸奈央人さんが、
フルオーダーやセミオーダーでその人にフィットする靴をハンドメイドしています。

石丸さんが三条市出身の奥様とともに東京から移住して、
新潟市内で工房をオープンしたのは、2017年秋のこと。
それまでは、20年住んでいた下北沢に工房をかまえていました。
しかも靴職人になる前は、
ストリートファッション系の雑誌で編集者をしていたという異色の経歴の持ち主。

「雑誌づくりも楽しかったのですが、
自分がつくったものを必要とする方に直接届けられるような仕事がしたいと
ぼんやり考えていました。
旅が好きで、会社を辞めたあとフリーでライターをやりながら、
お金が貯まったら海外へ行くことを繰り返していました。
東南アジアなんかを回ると、
自分でつくったものを露店に並べて売っているようなシンプルさが当たり前にあって、
こういう暮らしをしたいと思い、靴づくりの学校に入ったんです」

石丸さんがつくる靴は、植物タンニンなめしの、いわゆるヌメ革を多く使っています。
靴の素材となるのはご存じの通り、動物の皮膚である「皮」ですが、
そのままだと使うことができないので、
不純物を取り除いて柔らかい「革」にするために、なめすという工程があります。
その方法は、植物タンニンなめしとクロムなめしというふたつに大きく分けられ、
古代からある前者は植物から抽出される“渋”を使い、後者は化学薬品を使います。

「革靴の9割以上は、クロムなめしの革を使っています。
クロムなめしはしなやかで、水や日焼けにも強く、色あせにくい。
大量生産の工業製品では扱いやすい革なのですが、
革アレルギーの人には不向きだったり、
土に埋めても分解できなかったりというデメリットがあります。
一方、植物タンニンなめしの革は、日焼けも水しみもするし、傷がつきやすく、
靴としてはとてもつくりにくいんです」

それでも植物タンニンなめしにこだわるのは、エイジング、
つまり靴を育てていく楽しみを履く人に味わってほしいから。

「僕がつくった状態が完成ではなく、履きジワができたり、ぶつけて傷がついたり、
日焼けして色が変わったりして、
その人の履き方が落とし込まれたときに靴は完成するものだと思っています。
ジーンズのように履く人にだんだん馴染んでいく靴にしたいんです」

セミオーダーの場合は、既製のデザインをベースに革や紐の色などを選ぶことができ、
フルオーダーになると足のサイズを測定して、木型をつくるところから始まります。

セミオーダーのラインナップ。後ろの左から、くるぶし丈の〈ANKLE SHOES〉、クラシックなオックスフォード靴をモチーフに、チャップリンをイメージした〈CHARLIE'S OXFORD〉、しっかりフィットするのに脱ぎ履きしやすいカジュアルな〈STRAP SHOES〉。手前は足首を優しく包む、モカシンタイプの〈ベビーシューズ〉。

セミオーダーのラインナップ。後ろの左から、くるぶし丈の〈ANKLE SHOES〉、クラシックなオックスフォード靴をモチーフに、チャップリンをイメージした〈CHARLIE'S OXFORD〉、しっかりフィットするのに脱ぎ履きしやすいカジュアルな〈STRAP SHOES〉。手前は足首を優しく包む、モカシンタイプの〈ベビーシューズ〉。

「最初に立体の木型をつくって、それをわざわざ平面に起こしたものから、また立体の型紙をつくっていく。靴づくりの工程は、ちょっとややこしいんです」

「最初に立体の木型をつくって、それをわざわざ平面に起こしたものから、また立体の型紙をつくっていく。靴づくりの工程は、ちょっとややこしいんです」

初夏の伊豆下田が
アジサイと金目鯛で賑わう理由。
「観光のまち」で暮らすということ

下田が誇るふたつの日本一

伊豆下田に移住した津留崎さん一家ですが
当初は「観光のまち」に暮らすというイメージはなかったそう。
でも、観光のまちが日常という暮らしも悪くなさそうです。
今回は、〈あじさい祭〉と〈きんめ祭り〉で賑わう
初夏の下田について。

画家・手嶋勇気と
九州限定の本をつくる出版社
〈伽鹿舎〉のひなた文庫での出会い

復刊本の挿画へとつながった、〈ひなた文庫〉のオープン記念展

〈ひなた文庫〉を正式にオプーンしたのは
プレオープンから約3か月後の2015年8月のこと。
その日に合わせて油絵画家・手嶋勇気くんのドローイング展を行いました。
彼は大学時代からの友人で現在は広島に拠点を置き、活動しています。

オープン記念に『portrait of Junko』という、
妊婦さんが本を読む姿や髪をまとめる姿が木炭や油彩によって描かれた
ドローイングを約1か月ほど展示しました。
新しく生まれてくる命を感じる、ひなた文庫のはじまりにとっても
意味のある題材の展示でした。

そして、この展示によってとてもうれしい出来事が起こります。
この展示がきっかけで、彼がある書籍の装丁画を描くことになったのです。

店内でくつろぐ手嶋勇気くん。

店内でくつろぐ手嶋勇気くん。

熊本には、九州限定販売の本をつくる
(現在は一部の書籍は全国の書店でも販売しています)
〈伽鹿舎(かじかしゃ)〉という出版社があります。
谷川俊太郎さんが毎回詩を添える文芸誌や、
フランス作家の小説などを「QUINOAZシリーズ」として出版しています。

当店では基本的には古本を販売していますが、
九州を本の島にしたい! という熱い想いに共感して、
伽鹿舎の書籍も新刊で取り扱うようになりました。

〈伽鹿舎〉が発行する文芸誌『片隅』。

〈伽鹿舎〉が発行する文芸誌『片隅』。

その日は伽鹿舎の方が、次に刊行予定のフランス文学の作品
『世界のすべての朝は』(パスカル・キニャール著)の翻訳を担当される
高橋啓先生を連れて当店に来てくれていました。
高橋先生はパスカル・キニャールの翻訳者として知られ、
近年では2014年の本屋大賞翻訳小説部門を受賞した
ローラン・ビネ著『HHhH プラハ、1942年』の訳者としても有名です。

そんな有名な方が、しかも北海道からわざわざ足を運んでくださるなんて! 
と恐縮していたのですが、お会いすると
「この本はうちにもあるよ」「こんな本も置いてるんだね」と
ひなた文庫のことにとても興味を持って話を聞いてくださって、
こちらもついつい話に夢中になってしまいました。

本屋のことや店を構える駅舎、南阿蘇鉄道のことを説明していくなかで、
手嶋くんの絵も紹介していました。
展示の図録を手に取り、ご覧になっていた先生が
「これは誰が描いたの?」と質問されたのを覚えています。

その後は南阿蘇の風景や線路の写真を撮ったりしてそのまま帰られたのですが、
なんと後日、伽鹿舎の方から、手嶋くんの絵を高橋先生が気に入り、
キニャールにも確認をとり、それでよければ彼に装画を担当してほしいので、
連絡先を教えてくれないかというメールが! 
私も彼も驚きと喜びでいっぱいで急いで手嶋くんに連絡を取りました。

第49話・
やっぱり普段から備えておきたい、
大切な防災のことについて

第49話
いかに普段から災害に備えておくか

今回は、先日関西で起きた地震について。
早朝に発生したため、集団登校中の子どもたちも不安げな様子。
親御さんの中にはそんな子どもたちが心配で、
裸足で外に出てきた方もいたそうです。
グレアムさんも、今回の地震であらためて防災について
考えるきっかけになったそうです。まさに備えあれば憂いなし。

今回もスルスルと横にスライドしながら、ご覧ください。

お米を育てる=哲学を学ぶ
〈いとしまシェアハウス〉の
発見だらけの田植えシーズン

1年で一番忙しい、田植えの季節がやってきました。

田植えは、〈いとしまシェアハウス〉で食べる1年分のお米を自給する、一大イベント。
6月上旬は毎日田んぼへ出るので、体力を使いきり、夜は気絶するように寝てしまいます。
よく働き、よく食べ、よく眠る! そんな日々が始まりました。

我が家の田んぼは機械を使わずに手で苗を植えるので、
時間とマンパワーをどれだけ確保できるかが勝負。

種籾から育った苗をとっているところ。これから田んぼに植えていきます。

種籾から育った苗をとっているところ。これから田んぼに植えていきます。

田舎暮らしはスローライフ、だなんていう声もちらほら聞いたりしますが、
この季節、ほとんど田植えにつきっきりで、ほかの仕事はほぼできません。
自然は1秒たりとも待ってくれませんし、雨が降れば強制的に1日お休み。
この日のためにスケジュールを空けたのに……なんていうこともざらにあります。

目の前に広がるは、広さ合計3反弱の田んぼ4枚。
1反は約992平方メートルですから、3反というと学校の体育館3つくらいの面積を
イメージするとちょうどいいでしょうか。

その面積すべて、かがんだ姿勢で苗を手植えしていきます。
想像するだけで腰、痛くなりませんか。

植え始めは、田んぼが果てしなく広く感じます。

植え始めは、田んぼが果てしなく広く感じます。

くるくる気まぐれに変化する梅雨のお天気を見越し、
余裕を持ってスケジュールを組まないと
この広大な田んぼの田植えを終わらせることはできません。

シェアハウスでは何度もミーティングを重ね、
自分たちはもちろん、近所に住む元シェアメイト、ご近所さん、友だち、お客さん……
代わる代わるたくさんの人が田んぼへ出てくれたおかげで
今年も無事、植え終えることができそうです。

お昼ごはん後の昼寝。

お昼ごはん後の昼寝。

田植えの繁忙期は6月ですが、その準備は4月からスタートしています。
種籾を水につけて発芽させ、田んぼに播いたのが4月の後半。
1か月以上ゆっくりと苗を育て、新芽が伸びて株分れするほどに成長したら、
それを田んぼへ植えていきます。

集落にある小さな田んぼから始まった我が家の稲作でしたが、
翌年からは地域の空いている棚田をさらに貸していただけることになり、
今は初年度の15倍くらいの広さを耕しています。

高齢化で増加する耕作放棄地の対策として、地域の人と共同で、空いた棚田をまちの人へ貸し出す棚田オーナー制度も始めました。

高齢化で増加する耕作放棄地の対策として、地域の人と共同で、空いた棚田をまちの人へ貸し出す棚田オーナー制度も始めました。

さて、田んぼの面積が増えるに従って、進化してきたのが「道具」! 
自作した道具を毎年改良することで、効率よく田植えができるようになりました。

田植えヒモ。

田植えヒモ。

そのなかでも特に活躍してくれるのが、田植えヒモ。
苗をきれいに整列させて植える道具なのですが、これがあると作業が一気にはかどります!

田んぼ4枚を植え終えるには、約2週間ほどかかります。梅雨のお天気に左右されながら、毎日休みなく田植えにいそしみます。

田んぼ4枚を植え終えるには、約2週間ほどかかります。梅雨のお天気に左右されながら、毎日休みなく田植えにいそしみます。

田んぼは1年に1度しかできないので、10年やっても試せるのはたったの10回。
そう考えると、先人たちが生み出した知恵や技術にあやかって
作業できることは、本当にありがたいです。

小豆島のホテルを再生して
〈ゲストハウスKAINAN〉に。
プロデューサー小笠原哲也さんと
〈小豆島ヘルシーランド〉の試み

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

今回は、小豆島の新しいプロジェクトについて。
以前コロカルニュースでも紹介しましたが、
使われなくなったホテルをゲストハウスとして再生させようという試みです。

小豆島と芸術祭をより楽しんでもらうために

小豆島にいくつかある港のなかでも数多くのフェリーが発着する土庄港。
その土庄港にほど近い場所にある、かつて〈海南荘〉として営業していたホテルが、
新しいゲストハウスに生まれ変わろうとしています。

その〈ゲストハウスKAINAN〉のプロデュースを手がけるのが、小笠原哲也さん。
高松市の高校を卒業してから渡米し、古着や雑貨を扱うビジネスをしてきました。
現在はそういった輸入販売業の傍ら、高松市で本屋とギャラリー
〈BOOK MARÜTE〉や、〈ゲストハウスまどか〉を運営しています。

「僕にとっては小豆島は身近で、同級生の友だちもたくさんいますし、
よく遊びに来ていて、もともと好きな島。
いま観光客も増えてますけど、気軽に泊まれる場所がそんなにないんですよね。
もっと宿があったらいいねと、仲間と話していたんです」

高松を拠点とする小笠原哲也さん。気持ちのいい海南荘の屋上で。

高松を拠点とする小笠原哲也さん。気持ちのいい海南荘の屋上で。

〈瀬戸内国際芸術祭〉の期間中は特に訪れる人が増えるものの、
島に泊まらずに帰ってしまう人も。ここが宿泊施設として再生できれば、
高松や豊島へのフェリーもある土庄港を拠点にしてもらい、
芸術祭に訪れた人にもっと利用してもらえるのでは、と小笠原さんは考えているのです。

干潮になると歩いて渡れる小豆島の観光名所「エンジェルロード」。このエンジェルロードや土庄港のある便利な土庄エリアに、海南荘はありました。

干潮になると歩いて渡れる小豆島の観光名所「エンジェルロード」。このエンジェルロードや土庄港のある便利な土庄エリアに、海南荘はありました。

1階の広いロビーを、カフェと本屋さんとギャラリーに、
2階から5階を宿泊スペースにするプラン。
アーティストが長期滞在しながら制作できたり、
アーティストと旅で訪れた人が交流できたり。そんな場所づくりを目指しています。

「小豆島はいままでもこれからも、世界中から集まる旅人たちの
瀬戸内海の拠点だと思っています。この島に僕らが手がける宿があれば、
世界中からもっといろんな人たちが集ってきて、
世界がもっと近くに感じられると思うんです」

台湾にも拠点を持ち、幅広い人脈のある小笠原さんがそう言うと、
本当にそんな気がします。

海南荘の1階部分。レトロな雰囲気を残しつつ、新しいスペースに生まれ変わります。

海南荘の1階部分。レトロな雰囲気を残しつつ、新しいスペースに生まれ変わります。

また、ここが再生すれば、新たな雇用も生まれるはず。
「1階ではピザ職人の方にカフェをやってもらおうと思っています。
移住してくるので、また移住者が増えることになりますね。
三村さんたちの〈HOMEMAKERS〉以前は、
外から来た人が商売を始めることは少なかったですが、
いまはだいぶ増えてやりやすくなったと思います」

またひとつ、小豆島に人が集まる楽しい場所が増えそうです。

80歳を過ぎてまさかの移住! 
親子2世代での移住について

おばあちゃんも移住することに…!?

移住して1年経った津留崎家に大きな変化が。
東京に暮らしていたおばあちゃんまで
下田に引っ越してくることになったのです。
移住者にとって、都市部に残してきた親が高齢になったとき、
どういう選択をすべきかというのは悩みどころ。
移住先に親を呼び寄せる、というのもひとつの選択肢かもしれません。
今回は、そんな2世代の移住について。

フラれても、逃げられても、
ニホンミツバチが好き!
〈いとしまシェアハウス〉の養蜂暮らし

我が家の壁の中には、ニホンミツバチが住んでいます。
〈いとしまシェアハウス〉は築80年の古民家で、
家のあちこちに小さな隙間があるのですが、
そこから入り込んだミツバチたちが家に巣をつくっていたようなのです。

ポカポカ陽気の日には、軒下の壁にできた細長い割れ目から、
たっぷりの花粉を足にくっつけて出入りするミツバチの姿をよく見かけました。
せっせと働くミツバチたちの姿がもうかわいくて!

あの壁の中は、巣の中は、どうなっているのだろう? 
彼らの暮らしをもっと近くで見てみたい、そんな気持ちは強くなるばかり。
せっかくミツバチが身近に住んでいるのなら自分で飼ってみよう! 
そう思い立ち、養蜂を始めたのは今から4年ほど前のことでした。

春は養蜂家がそわそわする、勝負の季節!

茶色い蓋をされているのが、女王蜂が生まれる場所。

茶色い蓋をされているのが、女王蜂が生まれる場所。

春になるとニホンミツバチの群れには新しい女王蜂が誕生し、
古い女王蜂は巣から出て、別の住処を探します。
これを「分蜂(ぶんぽう)」といい、養蜂家たちはこのタイミングを狙って巣箱を設置し、
あの手この手を使ってミツバチたちに入居してもらおうと策を練るのです。

巣箱に蜜蝋を塗ると、ミツバチたちが入居しやすいのだとか。

巣箱に蜜蝋を塗ると、ミツバチたちが入居しやすいのだとか。

古い巣箱を出発した女王蜂と数千の働き蜂たちは、
いったん近くにある梅の木や柿の木の枝にぶら下がって丸くかたまります。
この集合体を「蜂球(ほうきゅう)」といいます。
この蜂球を、引っ越し先を探すための仮の拠点とし、いい場所が見つかると一気に移動します。

柿の木にぶら下がった蜂球。インパクト大!

柿の木にぶら下がった蜂球。インパクト大!

いつだか、まちなかに分蜂したミツバチが蜂球をつくってニュースになったことがありました。
確かに、知識のない状態でいきなり蜂球に出合ったらびっくりしてしまうかもしれません。
でも、心配しなくて大丈夫です。

分蜂中のミツバチは、しばらく食料を得られないことを見越して、
お腹をいっぱいにして巣を出発します。だからとてもおとなしく、穏やか。
もしどこかで蜂球を見かけても、どうかそっと見守ってあげてください。
1週間ほどでどこかへ旅立つはず。

移住スカウトサービス 〈SMOUT〉提供開始。 移住を考えている人、注目!

コロカルでも注目のキーワード「移住」
「自然豊かなところで生活したい!」「子どもの教育を考えて引越したい!」
そう考えている人は多いはず。

でも「仕事があるか心配」「地域の方となじめるか不安」と
行動をおこせない人が多いのが現実。そんな人たちに朗報! 
株式会社カヤックLiving(本社:神奈川県鎌倉市、代表取締役:松原佳代、
以下「カヤックLiving」)が、2018年6月4日より、
移住スカウトサービス〈SMOUT〉(スマウト)の提供を開始しました。

移住スカウトサービス〈SMOUT スマウト〉

移住スカウトサービス〈SMOUT スマウト〉

移住スカウトサービスとは地域に移住したい人が、
自分の興味のあることや得意分野といったプロフィールを登録しておくことで、
地域からスカウトが届くサービスのこと。
地域で活動する人とマッチングすることで、
地域に行ったり関わったりする人を増やし、
さらには移住のきっかけの創出を目指します。

利用方法も簡単。自分のスキルセットやプロフィール、
気になるジャンルを掲載しておくと、あなたの力を貸して欲しい、
あなたに来て欲しい地域の人からスカウトメッセージが届きます。

〈SMOUT〉は地域がいま力を入れている活動や、
地域で求められている人を紹介する「地域の注目プロジェクト」から、
自分が活躍できそうなプロジェクトを探すこともできます。
また各地域で活躍しているキーマンや、
いま積極的にスカウトをしている地域を知ることもできます。

“森の出版社”の第1冊目。
北海道の自然「ふきのとう」を
テーマにした絵本

駒形克己さんに出会ったことで広がった、本づくりの可能性

北海道に新緑が鮮やかに輝く季節がやってきた。
ようやく朝晩ストーブをつけることもなくなったこの時期になると、
動植物がいっせいに活動を開始する。
虫たちがせわしなく飛び回り、植物は花を咲かせたかと思うと
あっという間に散っていく。

こうした自然界の営みに呼応するかのように、
わたしのまわりも、だんだんと忙しさが増している。
現在進行中の地域のPR活動〈みる・とーぶ〉で、
7月6日から始まる札幌のイベントへの参加が決まっており、
いよいよ準備も佳境となってきた。

このイベントでは、岩見沢の「東部丘陵地域」と呼ばれる山あいで活動する
陶芸家や木工作家などの作品を紹介するとともに、
みる・とーぶの有志メンバーたちもものづくりに挑んでいる。

参加するイベントは『北にあつまる手しごと展』。7月6日~8日に札幌市資料館で開催される。昨年も、この場所で岩見沢の山里のPRをするために『みる・とーぶ展』を行っている。

参加するイベントは『北にあつまる手しごと展』。7月6日~8日に札幌市資料館で開催される。昨年も、この場所で岩見沢の山里のPRをするために『みる・とーぶ展』を行っている。

昨年〈みる・とーぶ〉のメンバーがつくって好評だったのが、地域の果樹園で採れたハチミツの蜜蝋をつかったキャンドル。今年はシラカバの木をくり貫いて、そこに蜜蝋をつめた新商品を制作中。

昨年〈みる・とーぶ〉のメンバーがつくって好評だったのが、地域の果樹園で採れたハチミツの蜜蝋をつかったキャンドル。今年はシラカバの木をくり貫いて、そこに蜜蝋をつめた新商品を制作中。

そのなかで、わたしは「本」を出すことを計画中だ。
本業の編集者の活動では、これまで数々の本づくりに関わってきたが、
昨年、既存の出版社を通さず、自分でつくって売るという新しい試みをスタートさせた。

まずつくった本は『山を買う』。
一昨年にわたしが岩見沢の山林を購入した経緯をイラストと文章で綴ったものだ。
手のひらサイズ、24ページというささやかなものだったが、
わたしの連絡先を一生懸命調べてくれて、購入したいといってくれる人も現れた。

そうした人に本を送ると、感想を書いたハガキが手元に届くことがたびたびあった。
20年ほど出版社で本をつくってきたが、これまで売るのは本屋さんまかせ。
いつもどんな人が読んでくれているのか実感がわかず、
もどかしい思いをしていたのだが、『山を買う』によって、
初めて読者のみなさんの顔がはっきりと見え、
そこからまた新しいアイデアが生まれていくような、そんな可能性が感じられた。

山の購入の経緯と、買って何をしたのかをまとめた小さな本。1冊500円。地域のイベントなどで、ほそぼそと販売を続けている。1冊売れるごとの喜びはお金には換えがたい。

山の購入の経緯と、買って何をしたのかをまとめた小さな本。1冊500円。地域のイベントなどで、ほそぼそと販売を続けている。1冊売れるごとの喜びはお金には換えがたい。詳しくはミチクル編集工房のFacebookへ

読んでくれる人とのつながりが感じられる本づくりをもっとしてみたい。
ならば独自に出版社をつくってはどうかと考え、
7月の札幌のイベントで、「森の出版社ミチクル」の
お披露目をすることにした(出版社構想についてはこちら)。

いまつくっているのは、『山を買う』とはまったく方向性を変えて、
北海道の身近な植物をテーマにした絵本だ。
発端は、2016年に岩見沢を訪ねてくれた、
造本作家でありデザイナーの駒形克己さんからの提案だった。
このとき駒形さんは、わたしの買った山に立ち寄ってくれ、
森の本をつくろうとしているという話を教えてくれた。

「荒れ地に、日差しに強い種が芽吹き大地をおおう。
次に日陰で芽吹く種が現れ……」

駒形さんの構想は、命の循環を繰り返しながら
森が成長していくというストーリーだった。
そして、駒形さんが東京に帰る日、別れ際に
「森の本を一緒につくりましょう」と声をかけてくれたのだった。

わたしの買った山は、木が伐採されたあとの荒れ地。
森の本の始まりも荒れ地が想定されていたことから、
自分の山を観察するなかで、何か具体的なアイデアを提案できそうな気がして、
リサーチを始めることにした。

わたしが住む地域で、2016年11月、『『北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢』』という障がい者とアートの関わりについて考えるイベントがあり、そこで駒形さんは基調講演とワークショップを行った。

わたしが住む地域で、2016年11月、『北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢』という障がい者とアートの関わりについて考えるイベントがあり、そこで駒形さんは基調講演とワークショップを行った。

駒形さん(写真中央)と最初にお会いしたのは10年以上前のこと。以後、さまざまな節目でお仕事をご一緒させてもらっており、このイベントのあとに、わたしたち一家が岩見沢の各地を案内。山にも訪ねてくれた。

駒形さん(写真中央)と最初にお会いしたのは10年以上前のこと。以後、さまざまな節目でお仕事をご一緒させてもらっており、このイベントのあとに、わたしたち一家が岩見沢の各地を案内。山にも訪ねてくれた。

伊豆下田で初めての米づくり。
稲作支援制度を利用して
家族や友人たちと田植えに挑戦!

家族が食べるお米を、家族でつくりたい!

津留崎家が移住してやってみたかったことのひとつが
「自分たちが食べる米を自分たちでつくる」。
でもつくったこともないし、つくり方もわからない……。
そんな津留崎さん一家でしたが、稲作支援制度を利用して、
初めての米づくりをすることに。
友人たちにも手伝ってもらい、重機を使わずに手植えで田植えに挑戦。
果たして無事終えることができたのでしょうか……?

無人駅の本屋を始めて3年。
開店準備、そしてプレオープンまで

本の仕入れは、什器はどうする?

5月、新緑が美しい、いい季節です。この記事を書いているのは5月の中旬、
南阿蘇鉄道のこの駅から見える田には水が張られていますが、苗植えはまだ。
風が吹けばさざ波が立ちキラキラと光を反射し、
静まれば水鏡のように周りの風景を映し出す。
この時期だけに見ることができる景色です。

ここでこの景色を見るのももう3回目。
〈ひなた文庫〉は今年の5月3日でプレオープンから3周年を迎えました。
前回お話ししたように、南阿蘇鉄道のこの無人駅がとても気に入って、
村役場に「古本屋をやりたいです!」と提案したところ、
拍子抜けするくらいすんなりと承諾してもらえたのでした。

その後は開業まで慌てて準備をすることになります。
というのも、ゆっくり本棚や書籍を準備して、
8月くらいにオープンできたらなと思っていたところ、
役場の方から、ゴールデンウィークに合わせてオープンしてほしいと依頼されたのです。

承諾の返事をもらったのが2月末、あと3か月程しかありません。
その間に、古物商の許可に本棚の準備、売り物となる書籍も揃えなければなりません。
古物商の許可証は書類を集めて警察署に届ければ、3週間程でもらうことができます。
問題は販売する書籍とそれを並べる什器をどうするか。

だいたいの古書店で店頭に並べてある書籍は、
お客様からの買取品か古書組合での競りで得たものです。
古書組合に加入すれば、競りでほかの古書店が出品している
多種多様な本を入札して仕入れることができます。
一気に在庫を増やそうと思えば、古書組合に加入して仕入れるのが一番でしょう。
ただ入会するのに数十万円の費用がかかります。

私たちは普段は別の仕事もしつつ営業する予定でしたし、
10坪程の待合として利用される駅舎内を満たすのには、
そんなにたくさんの本は必要ありません。

オープンまでの時間もないので、まずは自分たちが所有している本をメインに、
それ以外は古本屋やインターネットでせどりをして集めることにしました。
それから先は、売れた本の利益で次の本を仕入れて、というサイクルで
現在まで至っています。

移住者が増え続ける小豆島で
移住支援活動をする〈トティエ〉の
大塚一歩さんを訪ねて

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

小豆島で移住支援や空き家活用に取り組むNPO法人〈Totie(トティエ)〉。
移住体験施設の運営や、町が管理する空き家バンクのサポートなどを行っています。
自らも移住者である理事兼事務局長の大塚一歩さんを、三村さんが訪ねました。

〈トティエ〉ってどんな団体?

ひかり: いま小豆島に移住してくる人ってどれくらいいるんですか?

大塚: 年々少しずつ伸びてますね。
2017年度は土庄町と小豆島町を合わせて、IターンとJターンの合計が350人弱。
Uターンも入れると500人を超えます。これは転勤などは除いた数字です。

ひかり: すごい!

大塚: 人口の1%の移住者がいれば、将来的に急激な人口減少は
食い止められるという説もあって。
小豆島の人口は約2.7万人だから、1%はいるということになります。
これを維持していけたらいいですね。

〈トティエ〉の大塚一歩さん。

〈トティエ〉の大塚一歩さん。

ひかり: トティエの活動目的は、移住者を増やしていくということですか?

大塚: 主な活動としては移住定住促進活動になりますが、それは手段であって、
もう少し先のことを見据えて活動しています。
僕自身もこの島が好きで移住した移住者なので、
島の文化とか産業とか風景とか、この空気感を維持していきたいと思っています。

ひかり: トティエの立ち上げの経緯について、あらためて聞かせてください。

大塚: 設立は2016年です。
〈dot architects(ドットアーキテクツ〉という建築グループが
〈瀬戸内国際芸術祭〉のときに小豆島町でプロジェクトを展開していたんですけど、
そのドットアーキテクツにいた向井達也くんが、
そのまま小豆島町の地域おこし協力隊になって島に居着いたんです。
彼がトティエを立ち上げました。

ひかり: いまは町の職員として移住担当の仕事をしてるんですよね。

大塚: そうなんです。
どこもそうだと思いますが、地域課題として人口減少は避けられないし、
空き家も増えてる。そういった問題に対して行政でしかできないことは当然あるし、
一方で民間でしかできないこともあると思うんです。

ひかり: たしかにそう思います。連携できるのがいいですよね。

大塚: また、小豆島は小豆島町と土庄町のふたつの町があるので、
行政区を越えて島への移住をサポートする民間団体が必要だろうということを、
設立前に向井くんと話していたんです。
そのときに僕が「それならNPO立ち上げちゃえば?」とけしかけたようなこともあって、
最終的に向井くんがいろんな方の協力を取りつけて設立した、という流れですね。
彼が町の正職員になるということになり、
僕はその話を受けて2017年4月から事務局の運営をしています。

トティエは現在は大塚さんのほか、小坂逸雄さん、福村真司さんらが中心となって活動しています。

トティエは現在は大塚さんのほか、小坂逸雄さん、福村真司さんらが中心となって活動しています。

ひかり: 移住って何が一番ハードルになるんでしょう?

大塚: やっぱり家と仕事ですね。どちらかが決まれば移住してくるんです。
逆にどちらもタイミングが合わなかったりして決まらないと、なかなか移住できない。

ひかり: そのどちらかでも決まると移住してくるんですね。

大塚: どちらかというと家が決まるのが大きいですね。
家がないと現実的に住めないですし。僕がまだ家を探していた6年ほど前は、
いまより空き家バンクの物件は少なかったし、不動産業者はいることはいるけど、
そういうところで探そうとしてもなかったんですよね。
いまは僕らが運営している移住体験施設も増やして、
そこに住みながら家探しをすることもできます。

ひかり: ホテルに宿泊して家探しって大変ですもんね。

大塚: それに一軒家のほうが島の暮らしもわかると思います。
滞在施設を利用して実際に移住してくる人もけっこういますよ。

トティエが運営する移住体験施設〈黒田邸〉の部屋。空き家を改装して活用しています。短期滞在向けで、1日から利用可。1泊5800円(1棟あたり)。

トティエが運営する移住体験施設〈黒田邸〉の部屋。空き家を改装して活用しています。短期滞在向けで、1日から利用可。1泊5800円(1棟あたり)。

ひかり: 家探しや仕事探しもサポートしてあげるんですか?

大塚: いろんなケースがあって、人によってフォローすることも違います。
移住に興味があるという入り口の人もいれば、小豆島に移住しようと決めてくる人も。
仕事は、直接紹介することはしていませんが、希望とか情報を聞き出せたら、
こんな会社もありますよ、ということは教えたりしています。

ひかり: どんな人たちが多いですか?

大塚: 相談の段階では、本当にさまざまですね。多いパターンとしては、
子どもが小さくて、都市部での子育てに疑問を感じて移住を考えている方とか。
40代だと手に職を持っていたりフリーランスの人も多いですね。
50年代はリタイアを見据えて早めに動こうという人が多いですし、
60代は定年後の終の棲家を探している方もいます。

第48話・〈KIITO デザイン・
クリエイティブセンター神戸〉
に初訪問!

第48話
レトロな建物の中から生まれる、
さまざまなクリエイティブは、刺激たっぷり!

今回グレアムさんが向かったのは、〈KIITO〉の名で知られる
〈デザイン・クリエイティブセンター神戸〉です。
なかなか訪ねることができなかったようで、今回が初訪問。
1927年建設の歴史ある建物の中には、
カフェにギャラリー、レンタルスペースなどがあり、
いつもイベントやワークショップなどが開かれています。
このKIITOのみどころをグレアムさんがご案内。

今回もスルスルと横にスライドしながら、お楽しみください。

モノではなく、プロセスを売って
“お金の自給”を目指す!
〈いとしまシェアハウス〉の
仕事のつくり方

“暮らしをつくる”がコンセプトの〈いとしまシェアハウス〉、
今回のテーマはお金の自給です。

自給自足の生活のなかにお金の話が出てくるってちょっと不思議かもしれません。
けれど、どんなに食べものを自給していたとしても、
国民健康保険、税金、年金、車や農機具を動かすためのガソリン代など、
生きていくためにはお金が必要ですよね。

そう考えると、食べものやエネルギーだけでなく、
お金そのものも自分たちで生み出せるようにならないと、
本当の意味での“暮らしをつくる”ことはできないのでは、と思っています。

ずっとこの楽しい暮らしを続けていくために。
今回は、我が家の小さな仕事づくりの挑戦についてお話しします。

甘夏狩りで、1週間体験のメンバーと一緒に。

甘夏狩りで、1週間体験のメンバーと一緒に。

どこで仕事をつくる?

私たちの仕事のつくり方の軸となるのは、この3つ。

(1)地域の資源・人材を使うこと

(2)持続可能な暮らしを伝え、体験してもらうこと

(3)シェアメイトが楽しくとり組めること

例えば、せっかく田舎に移住してきたのに
地域の暮らしに交わることなく、都市部に出て、
週5日フルタイムで働いてしまったなら。
地域での活動が減り、家は寝に帰ってくるだけの場になってしまう可能性があり、
せっかくこの地に集まった才能や時間、消費さえもまちへ流れるいっぽうです。

それだと、地域の方とのコミュニケーション不足、
耕作放棄地のこと、過疎化の進行など、
今の地域が抱える問題の解決にはなりません。

そこで私たちは、できる限り自分たちの地域にある資源や人材を使って仕事をつくろう、
と決めたのです。

梅とビワの収穫の様子。

梅とビワの収穫の様子。

具体的には、使われなくなった集落の甘夏畑で甘夏狩りイベントを企画したり、
ご近所さんの管理する果樹園で採れる梅やビワをオンラインで販売したり、
先月のようにお茶摘みをしてお茶づくりのワークショップをしたり。

地域の人たちがなかなか気づかない価値を発見するのが
移住者の役割でもあります。

田舎と都会を結び、暮らしのなかから価値になるものを見つけ出すことで、
それをワークショップにしたり販売したり。
さらには外から人を呼ぶことで、お金を集落内に落としてもらうよう工夫しています。

毎年販売している無農薬・無肥料のたくましい梅。

毎年販売している無農薬・無肥料のたくましい梅。

祝連載200回記念!
小豆島×伊豆下田、
移住をめぐる本音対談

2012年秋に家族で小豆島に移住し、〈HOMEMAKERS〉として
農業とカフェを営む三村ひかりさん。
2013年4月にスタートしたこの連載「小豆島日記」も、
今回でなんと200回を迎えました! 
そこで、100回目に続き、編集部が再び小豆島を訪れて取材。
その模様をお届けする200回記念特集です。

今回は、自らも伊豆下田に移住し、
「暮らしを考える旅 わが家の移住について」を連載中のフォトグラファー、
津留崎徹花さんと三村さんの対談をお届けします。

HOMEMAKERS看板

移住は親のエゴ? 悩み続けた子どものこと

ひかり: 前に取材に来てくれたのは3年前。
そのときは徹花ちゃん、まだ移住できたらいいな、くらいの感じだったもんね。
いま連載読んでますよー。

徹花: 読んでくれてるんだ〜、うれしいな、ありがとう! 
下田に移住して1年暮らしてみて、ようやく少しずつ落ち着き始めたところで。
自分たちの連載にも書いたけど、移住した当初は
子どもに無理をさせてるな〜って感じて、移住を選択したことは
自分たちの身勝手なんじゃないかってしばらく悩んでたんだよね。

ひかり: それは私たちも同じ。でも私たちは核家族で、
たくちゃん(夫)といろは(娘)と3人暮らしだったけど、
徹花ちゃんのところはお姉さん夫婦も同居してて、
娘さんにとってはいとこも一緒だったじゃない? 
そういう暮らし方だったら、移住しなくても楽しめるんじゃないかと思ってたけど、
それでも移住しようと思ったのはなんでだったの?

徹花: 移住しようと思った理由は、東京での暮らし方に
違和感を感じたからだったんだよね。
だけど、いま思えば、東京でいとこたちと暮らす生活は、
子どもにとってはすごく恵まれた環境だったと思う。
だから、移住して本当に子どもにとってよかったのかどうかって、
半年くらいずっと自問自答して悩んじゃって。

三村さん一家が暮らす肥土山(ひとやま)という集落は、昔ながらの里山の光景が広がります。

三村さん一家が暮らす肥土山(ひとやま)という集落は、昔ながらの里山の光景が広がります。

ひかり: いまはちょっと落ち着いた?

徹花: うん、娘も下田の暮らしを楽しんでる。移住して半年くらいで
娘の運動会があって、お友だちと仲良く自然に振る舞ってる娘を見て、
もう大丈夫なんだ、この子は私たちの知らないところで乗り越えてたんだと思って。
じーんとして思わず涙流してたら、友だちに「なんで泣いてるの?」って(笑)。

ひかり: 時間はかかるかもしれないけど、ちゃんとなじんでいってくれてると思う。
たしかに親の自分勝手じゃないかって気持ちもあるけど、
親が楽しくない状態でいるよりも、生き生きと自分たちの好きなように生きてるほうが、
子どもにとってもいいんじゃないかな。

徹花: うん、そうだよね。
私は東京にいるときよりも少し余裕ができたような気がする。
東京ではハードに仕事して、保育園のお迎えも駆け込みで、
全然余裕がなくてイライラしてた。
私が不安になってると娘も不安になるし、私がイライラしてると娘は寂しいと思う。

ひかり: 自分がイライラして子どもに怒ったりすると、あとで後悔するよね。
自分が穏やかでいることが大事だなと思う。

畑も少しずつ増えて、さまざまな野菜を栽培するように。

畑も少しずつ増えて、さまざまな野菜を栽培するように。

徹花: 東京にいたときよりも、娘と過ごす時間がすごく増えたのは大きな変化だな〜。
お母さんのあり方って、家族にとって大事だよね。
いろはちゃんのことで、不安なことはあった?

ひかり: 不安だったよ。
こっちに来たときも、すぐにうまく話ができなかったみたいで、
幼稚園の先生から発達障害じゃないかって言われたけど、
3か月くらいしたら話せるようになって。
やっぱり言葉も違うし、最初は緊張するよね。

徹花: そういう心配も、いまなら実感としてすごくわかる。

ひかり: 徹花ちゃんたちの連載読んでると、私たちにとっては
4、5年前の思いとすごくシンクロする部分があって。
同じだなーって思うよ。旦那さんは家で仕事したりしてるの?

徹花: 午前中は養蜂場で農園づくりの仕事してて、
帰ってきて家で建築の図面を引いたりしてる。
私たち親が家にいるから、近所の子どもたちが遊びに来るんだよね。
近所にお友だちがいっぱいいるこの環境はすごくよかったと思ってる。

ひかり: きっと雰囲気がいいんだよね。うちにもいろはのお友だちが来てくれるし、
いろはも遊びに行ってるよ。そういう環境って大事だと思う。

玉ねぎ収穫

「くまもと神社結婚式」 熊本市内の歴史と由緒ある神社で 特別な結婚式を

熊本の豊かな緑と水路に囲まれる美しい城下町には、
歴史と文化を感じられる神社仏閣がたくさんあります。
このたびサービスを開始した「くまもと神社結婚式」は、
まちのシンボルとして愛されてきた、5つの神社での結婚式を叶えるサービスです。
地元を知り尽くしたウェディングチームと一緒に、
特別な結婚式をひと組ずつ、丁寧につくりあげます。

出水神社にて。このサービスは熊本市内の代表的な5つの神社と提携

出水神社にて

生まれ育った街の思い出深い神社で結婚式をしたいと思っても、
具体的にどうやって進めたらいいかよくわからない……ということが多いのでは? 
現在提携しているのは、加藤神社、藤崎八幡宮、出水神社、健軍神社、北岡神社の5神社。
これからも提携先が増えていく予定です。

健軍神社での挙式

健軍神社にて

この「くまもと神社結婚式」を支えるのは、
衣裳・美容・写真、地元と神社婚を熟知したウエディングチーム。
神社専門のプランナーによるサポートなど、地元熊本の結婚式を熟知した
スタッフが結集しているのだそう。

人と人とがつながり合う旅。
岩見沢の山あい
〈みる・とーぶ〉の楽しみ方

ガイドブックにはない、人を訪ねるツアーを企画

ゴールデンウィークになると桜が咲き、北海道は春本番を迎える。
雪もすっかりとけて運転もしやすくなるこの時期になると、
わが家にはさまざまなお客さんが訪ねてくるようになる。

わたしが住む岩見沢の山あいは、札幌から車で1時間ほどとアクセスは悪くないが、
道内にある名だたる観光スポットと比べると、かなり地味な場所。
地元に長年住む人は、「なんもない」と口を揃えるが、
5月初旬にふたりの友人がやってくることになり、
自分なりの地域のめぐり方を考えてみることにした。

岩見沢の山あいのエリアは「東部丘陵地域」と呼ばれているが、もっとかわいらしい愛称があったらいいなあと考えたのが、「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉。この名前でイベントやワークショップ開催など、さまざまな活動を地域の仲間と続けている。

岩見沢の山あいのエリアは「東部丘陵地域」と呼ばれているが、もっとかわいらしい愛称があったらいいなあと考えたのが、「東部」を「見る」で〈みる・とーぶ〉。この名前でイベントやワークショップ開催など、さまざまな活動を地域の仲間と続けている。

やってきた友人のひとりは、札幌で〈Life on the table〉という
「食」と「生」とをテーマに活動をする宮浦宜子さん。
もうひとりは、南幌在住で陶芸家のこむろしずかさんだ。

宮浦さんの〈Life on the table〉では、たったひとりのための食卓をつくったり、「おかゆのしあわせ」というワークショップを企画したりと、食にまつわるさまざまな提案を行っている。(写真提供:NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム])

宮浦さんの〈Life on the table〉では、たったひとりのための食卓をつくったり、「おかゆのしあわせ」というワークショップを企画したりと、食にまつわるさまざまな提案を行っている。(写真提供:NPO法人こえとことばとこころの部屋[ココルーム])

こむろさんの陶芸作品『雫の森』。陶板で絵本を描くというシリーズを制作している。(写真提供:こむろしずか)

こむろさんの陶芸作品『雫の森』。陶板で絵本を描くというシリーズを制作している。(写真提供:こむろしずか)

宮浦さんは6年ほど前からの知り合いだが、岩見沢へ来るのは初めて。
また、こむろさんは、つい先日、よく行くカフェで会ったばかりの方。
そのとき、制作場所が確保できる移住先を探していて、
岩見沢の山あいにも興味を持っているという話を聞いていた。
ちょうどふたりともゴールデンウィーク中に時間がとれたので、
山あいのツアーをやってみることにした。

宮浦さんとこむろさん。ふたりは初対面だったが、すぐに打ち解け、おしゃべりしながらのツアーとなった。

宮浦さんとこむろさん。ふたりは初対面だったが、すぐに打ち解け、おしゃべりしながらのツアーとなった。

「下田インド化計画」とは?
料理ユニット〈マサラワーラー〉を
招いた南インド料理イベント

南インド料理を「食べさせられ放題」!?

下田に移住して1年、少しずつ変わり始めたという津留崎徹花さん。
そのひとつの表れが、下田で開催したイベントでした。
南インド料理をつくるユニットを下田に招き、
みんなで南インド料理を食べようというイベント。
蓋を開けてみれば、なんと100人以上が参加(!)という
大盛況に終わったイベント「下田インド化計画」とは。

豊島〈mamma〉
元乳児院が、お風呂自慢の
ゲストハウスに

バイオマスエネルギーの専門家が、
ゲストハウスの運営をするようになった理由

はじめまして。〈mamma(まんま)〉の運営を行っている
株式会社sonraku代表の井筒耕平です。
sonrakuという会社は、林業とローカルベンチャー創造に力を入れる
岡山県西粟倉村を本拠地とした総勢20名程度の会社で、
西粟倉村では宿泊施設(あわくら温泉元湯)の運営と、
薪や木質チップをつくってお湯を沸かして温泉施設に提供する事業を行っています。
今回ご紹介する香川県豊島(てしま)のmammaは、
西粟倉村に続くふたつめの拠点として2017年8月にオープンしました。

mammaは、元乳児院をリニューアルし、宿泊、カフェ&バー、銭湯をひとつにした、
ストーリージェニックな施設です。
個室、ドミトリー合わせて6部屋の客室には、
最大20名が宿泊できるスペースを有しています。
豊島へは、宇野港(岡山)や高松港から船で訪れることができ、
周囲には豊島美術館や豊島横尾館などのアートスペースと、
標高340mの壇山が抱える豊富な雨水を利用した棚田が瀬戸内海に迫り出すなど、
ダイナミックな自然環境が楽しめます。

実は、僕の専門は、木質バイオマスエネルギー
(薪、チップ、ペレットのような燃料で給湯や暖房を行う)を
地域でどのように導入していくかの調査・研究で、宿泊施設運営は素人でした。
そんな僕が、なぜゲストハウスを始めるに至ったのか。
それは2014年春、僕が西粟倉村に引っ越した頃に遡ります。
その頃、西粟倉村役場が、休業した宿泊施設の担い手を探していた、
ということがきっかけとなりました。

それまでバイオマスエネルギーという本当にマニアックな世界に長期間いたので、
もうちょっとこのバイオマスエネルギーのことを知ってほしいし、
そのためにはなにか人が集まるような場が必要だ、と思っていたところでした。
偶然、〈あわくら温泉元湯〉に薪ボイラーが導入される予定(その後2015年秋に導入)なのに、
誰も運営していないこの施設を見て、
「あ、ゲストハウスって人が集まるし、
その集まった人にバイオマスを知ってもらったらよいかも」と思ったこと、
そして「まさか自分がゲストハウスを運営するなんて、
想像もしてなかったけどおもろい人生やん」というふたつの気持ちが
僕の背中を強く押し、やってみようと思い立ったのでした。

そして豊島。なぜ豊島でやろうとしたのか。
これは、建築家の安部 良さんが僕を誘ってくれたからです。
安部さんは、あわくら温泉元湯のリノベーションの設計に関わってくれたご縁があり、
のちにmammaとなった元乳児院〈神愛館〉の
リノベーション設計にも携わっていたことから、
「井筒君、お風呂と宿を予定しているんだけど、
そのふたつといえば井筒君得意じゃない? やってみない?」
とお誘いを受けました。西粟倉村が山間地域であり、
その真逆の「離島」というキーワードに惹かれた僕は、
「やってみたいです!」と即答。2017年春のことでした。

フェリーの写真。豊島へは、宇野港(岡山)や高松港から船で訪れることができます

豊島へ向かうフェリーからの写真

写真:片岡杏子

〈HOMEMAKERS〉の
暮らしを書き続けること

5年書き続けてきた、家族の大切な記録

今年も庭の桜の木に真っ赤なサクランボがたくさんなりました。
毎年だいたい同じ時期、5月のゴールデンウィーク頃がちょうど食べごろです。

田舎で暮らしていると、この季節の繰り返しをとてもよく感じます。
「あー、サクランボの季節だな」
「カエルが鳴き出した、田植えの時期だな」

植物や動物、虫たちが毎年同じように次の季節の訪れを教えてくれます。
こうやって季節が繰り返していくなかで、
私たちは歳を重ねていくんだなぁとぼんやりと思いにふけってみたり。
あかん! まだ30代です(笑)。

毎年この時期に小さな赤い実がたくさんなります。甘酸っぱくておいしい。

毎年この時期に小さな赤い実がたくさんなります。甘酸っぱくておいしい。

桜の木が心地よい木陰をつくってくれる。

桜の木が心地よい木陰をつくってくれる。

2012年秋に小豆島に引っ越してきて、その翌年2013年4月から書き始めた
この連載「小豆島日記」も、今回でなんと199回!
5年にわたって書き続けてきました。

枯れてしまったかなと思っていたセージが、今年は花を咲かせました。

枯れてしまったかなと思っていたセージが、今年は花を咲かせました。

最近では今回は何について書こうかなと考えるとき、
昨年、一昨年の同じ時期に何を書いてたかなぁと読み返したりします。
肥土山(ひとやま)農村歌舞伎や生姜の植え付け作業など、
去年と同じことをしていても、考え方や関わり方など少しずつ変わっていて、
その小さな変化を感じながら書くのがおもしろかったりします。

そして時に恥ずかしかったりもします。
いまと比べて圧倒的に少ない知識と経験で農業のことなど語っていたりして、
こんなことを書いていたのかと(汗)。
ま、でも、そのときしか書けなかった純粋な思いもあったりして、
それはそれでいいのかな。

農村歌舞伎で今年は初の男役に挑戦したいろは(娘)。

農村歌舞伎で今年は初の男役に挑戦したいろは(娘)。

たくちゃん(夫)は年々うまくなっていきます。

たくちゃん(夫)は年々うまくなっていきます。

自然が身近にある暮らし。
下田に移住して変わったこと

自然とともにある暮らしで何が変わった?

伊豆下田に移住して1年が経った津留崎さん。
養蜂場の農園づくりの仕事をしていることもあり、
日常的に自然の中に身を置く暮らしをしています。
そこで今回は、この季節に下田で見られるさまざまなものをご紹介。
そして、あらためて気づいた、移住して変わったこととは。

学びの場も自給自足!
森を開墾したトシくんと
畑で始めた英会話教室

タネまきから収穫までを体験しながら英会話

新学期の始まりに合わせて、この地域でまたひとつ新しい試みをスタートさせた。
2016年に岩見沢の山里、毛陽地区に移住したトシくん
こと阿部恵(さとし)さんと一緒に、毎週木曜日に英会話の会を立ち上げたのだ。
開催場所はトシくんの畑。マニラの大学で農業を専攻していたトシくんが、
森の中をたったひとりで開墾した畑の一角が教室となる。

トシくんのお母さんはフィリピン人、お父さんは日本人。大学までマニラで育ち、道内で農業の研修をした後、毛陽地区に土地を見つけて移住。

トシくんのお母さんはフィリピン人、お父さんは日本人。大学までマニラで育ち、道内で農業の研修をした後、毛陽地区に土地を見つけて移住。

きっかけは、この連載で1月にトシくんを取材したことだった。
取材を通じてトシくんが、家族はもちろん、あらゆる人に対して
深い愛情をもって接していることにわたしは感動した。

以前から彼が子どもたちと英会話をやってみたいと考えていたことは知っていたが、
英語の勉強もさることながら、人を心から大切に想う、その本質のようなものを、
子どもたちとシェアしてもらえたらどんなにすてきだろうと思ったのだった。

連載の記事を書いてほどなくして、「英会話の会をやってみませんか?」と、
トシくんにお願いをしたところ、彼はとても喜んでくれた。

「畑でタネをまいたり収穫してそれを食べたりしながら英会話をしたいですね。
子どもたち用の畑を、ぼくのところにつくりますよ」

〈トシくんと畑で英会話〉は、昨年より企画している〈みる・とーぶSchool〉というワークショップイベントの一環として開催することにした。〈みる・とーぶ〉とは、岩見沢の山里をPRするために、地域おこし推進員や地元の仲間たちが集まった有志のグループのこと。

〈トシくんと畑で英会話〉は、昨年より企画している〈みる・とーぶSchool〉というワークショップイベントの一環として開催することにした。〈みる・とーぶ〉とは、岩見沢の山里をPRするために、地域おこし推進員や地元の仲間たちが集まった有志のグループのこと。

道端の石垣に、駐車場の端っこに!
“ほぼ野生”の茶の木でつくる
香り高い〈釜炒り茶〉

夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る……
茶摘みの歌のとおり、春から夏へ移り変わるこの季節、
福岡県糸島市にある〈いとしまシェアハウス〉でもお茶摘みが始まります。
八十八夜は立春から数えて八十八日目、2018年だと5月2日になりますね。

長い冬を耐え抜き、やっと芽吹いた若葉の新茶は
栄養価が高く旨み成分が多いといわれ、八十八夜に摘んだお茶を飲めば、
その年は1年病気をしないといういい伝えがあります。

釜炒り茶のお茶葉は棒状ではなく、丸まっています。

釜炒り茶のお茶葉は棒状ではなく、丸まっています。

我が家のお茶は〈釜炒り茶〉。

もともとお茶をつくるきっかけになったのが、ご近所さんからのお茶のおすそ分けでした。
「私らだけじゃ飲みきらんから~」とガサッと手渡された大量のお茶は、
埼玉出身の私が見ると、いつものお茶と様子が違います。
お茶の葉がねじれてくるりと丸まり、色は深い緑色。

さっそくお茶を淹れて飲んでみると……何このお茶! おいしい! 
驚いてご近所さんに聞いてみると、このお茶は手づくりだそうで、
それならぜひ、私たちにも教えてください! とお願いし、
お茶づくりを教わるようになったのが始まりでした。

日本で飲まれるお茶は、95%以上が蒸してつくられたもの。釜炒り茶は珍しく、貴重品とされています。

日本で飲まれるお茶は、95%以上が蒸してつくられたもの。釜炒り茶は珍しく、貴重品とされています。

釜炒り茶は、生の茶葉を釜で炒って揉んで乾燥させた緑茶です。
もともと15世紀前後に中国から伝わったといわれており、
そう考えると釜炒り茶の産地が九州なのも納得ですね。

色は美しい黄金色、さっぱりとした風味が特徴です。
一般的な緑茶に比べて香り高く、保存変質しにくいということで、
この日に1年分のお茶を自給する私たちにとってはありがたい存在です。

それではさっそく、お茶摘みへ

茶摘みの様子

糸島に移住してギャップを感じたのが、そこかしこにお茶の木が生えていること!
“お茶”というと、均一に丸くカットされたお茶の木がズラーッと並ぶ
お茶畑をイメージしていたのですが、
ここのお茶の木はもっとカジュアル&ワイルド。

生活のなかにすっと入り込んでいるのです。
たとえば、道端の石垣に、駐車場の端っこに、なんとなく生えているあの木。
よく見たらあれも、これも、お茶の木じゃない?
気がついたときは驚きました。

昔の人たちは、敷地内にお茶の木を植えることで、
お茶も自分たちで手づくりしていたのですね。すごいなあ。

一芯二葉。新茶の一番おいしいところだけを摘む、上級品のお茶の摘み方です。

一芯二葉。新茶の一番おいしいところだけを摘む、上級品のお茶の摘み方です。

新芽の先端から2枚の葉の部分を摘み採る「一芯二葉」の方法で
お茶の若葉を手摘みしていきます。
ツヤツヤの若葉の手触りと、ぷちんと切れる葉の感触が楽しくて、
あっという間に背負いかごが満杯になりました。

背負いかごが新芽でいっぱい