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夫は男4人兄弟の末っ子です。
お母さんからすると、電球の交換やバスの乗り方がわからないなどなど、
小さなことでも夫は甘えられる相手。
夫は夫で、お母さんには歯に衣着せず、何でも話せるようです。
「テツ、本当にありがとうね」と夫に感謝され、
私もうれしくなりましたが、
実は私にとってもお母さんの移住はありがたいのです。
お母さんはひと言で言うと、『ドラえもん』に出てくる、
のび太のお婆ちゃんのようなやさしい人。
人の言ったことを否定せずにやさしく受け入れてくれるので、
一緒にいると心が安らぐのです。
そういえば以前、ある占い師さんにこんなことを言われました。
「あなたにはお母さんがふたりいるね。
義理のお母さん、あなたにとって大切な人でしょ」と。
わが家のお気に入りのお店〈Spicedog〉にて、お互いのカレーを味見するの図。下田はレストランもたくさんあるので、お母さんもちょっとした気分転換ができていいようです。
娘の様子にも変化がありました。
おばあちゃんがいてくれるという安心感があるようで、
私の出張もさほど嫌がらなくなりました。
「ママ、東京行ってきていいよ」と言われたときには
何だか寂しさを感じましたが、ま、本当にありがたいことです。
お母さんの家から買い物に行くには、バスに乗る必要があります。それもなかなか面倒なので、週に何度か一緒にスーパーへ出かけます。そのたびに孫にお菓子屋や本を買ってくれるおばあちゃん。いつもすみません……。
おばあちゃんと庭でおにぎりを頬張る娘。「この鳥の鳴き声は、テープかなんか流してるの?」と本気で聞いてくるお母さん。東京にいるときは、鳥の声なんてまったく聞こえなかったのだそう。
お母さんにあらためて聞いてみました。
下田に住み始めてどうですか?
「本当によかった~」
どんなところが?
「やっぱり、こうしてみんなと一緒にいられて幸せだよ~。
みんなが近くにいるから安心なのか、
こっちに来てから体の調子もすごくいいね。
新宿にいるときは近くのスーパー行くのもしんどいくらい、
あっちこっち痛かったんだよね。病院もしょっちゅう行ってたし。
こっち来てからまだ病院も行ってないしね、
空気がいいから喉のつまりもなくなったみたい」
すこぶる調子のよさそうなお母さん、82歳。
大きな決断だったんだっけ? というくらいに、
身軽に、スムーズに移住を成し遂げてしまったのです。
「あと2、3年くらいは元気でいようかな? って思ってたけどね、
せっかく下田に来たんだから5年くらいは頑張ろうかな?」だそう。
今年からわが家が始めた田んぼに興味津々のお母さん。この日は、米づくりをサポートしてくれている〈南伊豆米店〉の方たちとご対面。こうして家族ぐるみのつき合いができるのは、地方ならではのよさだと感じます。
私たちが下田に移住していなかったら、
あのまま東京でお互い離れて生活していました。
会うのはきっと月に数回くらい。
それが、いまはお互いの家を毎日行き来しています。
それも、ずっと前からそうだったかのように、
ごく自然なのだから不思議なものです。
お母さんが決断していなければ始まらなかったこの暮らし。
えい! と決断することで、何歳になっても、
こうして新しい暮らしを始めることができます。
そしていま、家族全員がその暮らしを心地よいと感じています。
この先またどんな展開になるか、いまはまだわかりません。
ただ、いま過ごしているこの時間は、みんなにとって宝物となります。
日本海を見ながら育ち、新宿という都会で暮らし、
そして伊豆半島の下田へようこそ!
ありがとう、おばあちゃん。
夕食を済ませたあと、今回の記事をお母さんに読んでもらいました。
じっと静かに読みふけるお母さん。
そのうちに「ずる、ずる」と鼻をすすり出し、あれ、泣いてる……。
「ほんとうに、ふたりのおかげだよね、ほんとうにありがとうね」
こちらこそだよ、お母さん。