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先月、わが家の生活を大きく変える出来事がありました。
東京に住んでいたおばあちゃんが下田に引っ越してきたのです。
私たちも移住してまだ1年ちょっとなのに、
まさかおばあちゃんまで移住してくるとは。
おばあちゃんというのは、夫のお母さん、津留崎竹子さん。
昭和10年生まれの82歳です。
80歳を越してまさか下田に移住するなんて、
本人も親族も誰も想像していませんでした。
今回は、おばあちゃんが下田に移住するまでのいきさつ、
そして実際に暮らし始めてどうなのかを書いてみたいと思います。
まずは、お母さんのプロフィールを簡単にご紹介します。
生まれは新潟県の村上市府屋という漁師町。
新潟県なのですが最寄り駅は山形県の鼠ヶ関という、
隣接する2県のちょうど県境にあります。
親族のほとんどが漁師で、
日本海が家の目の前に広がっているという環境で育ちました。
その漁師町を出たのは20代の頃。
東京で暮らしていた親戚に誘われて上京したといいます。
その後、夫となる鎮之さんと出会い結婚。
千住や川口、幡ヶ谷などに住んだ後、新宿区の中井で暮らしていました。
息子たちを育て、それぞれが独立して家を出てからは夫婦ふたり住まい。
そして、いまから8年前に鎮之さんが他界し、
その後は中井の一軒家でひとり暮らし。
私たちが東京に住んでいたときには、
月に1、2度訪ねては一緒に食事をしていました。
けれど、それ以外の時間はほとんど自宅でひとりきり。
「倒れたら誰も気づいてくれないんじゃないか……」
という不安がいつもつきまとっていたようです。
息子たちのすすめでホームセキュリティにも入っていたし、
私の夫にも頻繁に電話をかけてきていました。
夫は当時サラリーマンでした。
母親から連絡をもらったところで、
そうしょっちゅう顔を出す時間もありません。
できる限りお母さんの家を訪ねては、様子を見守っていました。
そんななか、私たちは移住することを決めました。
お母さんにそれを話すと動揺して、
「なんでそんな、わざわざ東京離れるの……」と。
何度も寂しいと言われ、その言葉を聞くたびにつらいと感じました。
自分たちが前を向くことに精一杯だったし、
高齢の母を残していくことに正直うしろめたさも感じていたからです。
けれど、自分たちが考えた末に決めたこと。
そうした言葉を振り切って、私たちは下田に移住しました。
で、その1年後になぜお母さんまで移住することになったのか。
わが家は下田で暮らし始め、その心地よさを感じていました。
そして、自分たちが落ち着くと、お母さんも都心でひとりで生活するよりも、
下田で暮らしたほうがいいんじゃないか? と思い始めたのです。
それに、お母さんが近くにいてくれたら私たちも心強い。
東京に行くたび、お母さんに声をかけていました。
「下田に引っ越してきたらどうか」と。最初のうちは、
「この歳になって、いまさら知らない土地に住めない」という反応でした。
けれど、次第にその様子に変化が。
「下田に行くのもいいかもね。ひとりでテレビ見てるだけじゃ寂しいし……」
と言い出したのです。
移住を提案しておきながら、
「うん」とは言わないだろうな~と内心あきらめていました。
なので、お母さんが移住を決めたときには私たちも正直驚きました。
この歳になって移住、しかもこの早さで決断、お母さんすごい……。
そうして今年の正月、親族の集まりでお母さんが宣言。
「私、下田で暮らしてみようと思います」と。